「うっわ、むっちゃくちゃカッコいい人じゃないっ!?」 「ホントですね! 笑顔が何て言うか、とっても爽やかって感じ!?」 「いや全く大した二枚目だな、こりゃ。想像してたよりずっといい男だぜ!」 「…………信じられん、僕はやっぱり信じられんぞ……」 「100歳越えてる……んだよね、確か………そんな感じするか……?」 「いや全然…ていうか、聞いてたイメージとちょっと…大分、違うような気が………。だけど、何で浅草……?」 香坂教授、今井田教授、そして繭里の座るソファの後ろに、駒井、勝山、逸美が集まって、皆で揃って勝利が見せた写真を覗き込み、先ほどからわいわいと騒いでいる。その傍らのソファでは、ちょこっと放心状態の透。 その様子に勝利はやれやれとため息をついた。 「ねえねえ、渋谷君!」 繭里が勝利を呼ぶ。 「何だ?」 「それで。この隊長さん、えーと、コンラートさんの隣にいる女の子、誰?」 「………女の子っ!?」 その言葉に一気に覚醒したらしい透が、目をぱちくりさせて繭里に顔を向けた。 「何よ、透。気がついてなかったの? ほら、透の隊長さんの隣に立ってるじゃないの」 繭里から写真をひったくって、透がまじまじとそれを見つめる。 「……………ホントだ……全然気がつかなかった……。あ、この子もVサイン、してるし……ソフトクリームも持ってる………。渋谷くん……?」 小首を傾げるようにしながら視線を向けてくる透に、勝利はうんざりとしたため息をついた。 「女の子じゃない」 「……え?」 「それは男だ」 「ウソっ!」 繭里が透の手から再び写真を取り返す。 「……だって、ええっ、女の子でしょう!?」 「僕もすごい美少女だと思ってたんですけど……」 「けどよ、着てるものは男の恰好だよな? いや俺もてっきり可愛い女の子だと思ってたんだが……?」 不思議そうに声を上げて、透を含めた全員が、答えを求めるように勝利に視線を集中させた。 「りっぱに男! 俺の弟の渋谷有利だ!」 「弟さん!?」 「へえ〜。こんな可愛い弟がいるんだ〜……………あれ?」 ちょっと待って、と繭里が眉を顰めた。 「それ、おかしいんじゃないの? だって、隊長さんがこちらに来たのは、20年以上も前って言ってなかった? あなたも生まれたばっかりの赤ちゃんだったって。……どうしてこんな大きな弟さんがいるのよ!?」 どういう事よ、と言葉で詰め寄る繭里に、勝利がまたもため息を洩らす。 「あいつが初めてこちらの世界にやって来たのは、確かに20年以上も昔の事だ。だけど! 俺はその写真が20年前のものだとは言ってないぞ」 言われて、全員が─横から覗き込む透を含めて─再び食い入るように写真をみつめる。 「………確かに、20年も昔の写真には見えねーな……」 「渋谷君」透が顔を勝利に向ける。「じゃあ、これはいつ撮られたものなんだい……?」 そう問われて、勝利はふと視線を宙に向けた。 「えーと、あれは確か……。今を去ること……」 「…うん」 「……20日程前、かな?」 その瞬間。部屋の中の全てがフリーズした。 「………………」 「………………」 「……………………はつか……まえ……?」 「ああ」平然と頷く勝利。「春休みだったから」 「し……しぶやくん……」 思わず中腰になった透の声が、震えておまけにひっくり返っている。 「…そ、それって……つまり……たった…はつか、まえに、た、たいちょうが……ここに……」 「ああ、そうだ。……もうちょっと、せめて1ヶ月早くお前の話を聞いてりゃよかったな。そしたら会わせてやれたのに。残念だったな」 「……あ……う………そ、そんな………」 透の身体が、ぽとんとソファに落ちる。そしてそのままがくりと項垂れた。 「気にすんな、凉宮。どうせまたすぐ来るから」 「ほっ、本当か!?」 がばっと顔をあげ、身を乗り出す透。頬が一気に紅潮する。 「ああ。次はディズニーランドとシーを泊りがけで制覇するって言ってたから」 勢いよく乗り出していた透が、テーブルに顔から撃沈した。……ごんっというでかい音がしたから、額と、もしかしたら鼻もかなりのダメージを負ったかもしれない。 応接テーブルに突っ伏したまま、気絶したように動かない孫を哀れに思ったのか、香坂教授が口を挟んだ。 「あー、えーと、その、隊長、コンラート氏、は、どういう理由があってこちらに来てるんだい? 渋谷君はその辺りの事情を知ってんのかな?」 ええ、と頷く勝利。 「ウチの弟の生活を知りたいんでしょうね。弟がどんな生活をしてるのかとか、弟のどんな環境に囲まれているのかとか、弟がこちらで好きなのは何なのか、とか。春休み前にも1度来てるんですけど、その時には学校の三者面談に乱入して、弟の学校生活について色々と聞きだしていったらしいですし」 「…………え?」 テーブルから、怪訝な表情の顔だけをあげる透。香坂教授達や他のメンバーも不思議そうな顔を隠さない。 「……どうして……弟さん……?」 「それは………それは、俺の弟が、あの世界のあの魔族の国、すなわち眞魔国の……」 勝利が冷静な、だが強い光を放つ瞳を透に向ける。 「新しい魔王だからだ」 今度こそ本当に、研究室はしんと静まり返った。 透はテーブルから顔だけを勝利に向けて、そして香坂教授も繭里達も、たった今発せられた言葉の意味が丸きり脳に浸透しないと言いたげに、半ばぼんやりと勝利を見つめている。 「………え……っと…?」 「…ちょ、ちょっと待ってくれよ……?」 「……しぶやくん……いま、なんて……」 惚けた顔の集団に、勝利はふう、と本日何度目かのため息をついた。 「それが20年前にあいつがこちらの世界に来た理由だ。……話を戻すから座ってくれ」 立っていた三人が、その言葉に慌ててソファに戻る。そして全員が背筋を伸ばして謹聴の姿勢を取った。 「俺の親父が20年以上前にコンラッドに初めて会った時。親父は魔王─地球の、だぞ─からこう聞かされた。……地球の魔族のルーツである異世界では、長年魔族と人間との戦争が繰り広げられていた。しかしそれは先年、魔族の勝利に終わった」 「…! 勝ったのか!?」 透が堪らず話の腰を折る。そう聞かずにはおれない透の気持が理解できたので、勝利も素直に頷いた。 「ああ。何でも、人間との混血で作られた師団が決死の大活躍したことがきっかけで、魔族側の士気が一気に爆発したそうだ。その師団は救国の英雄として、現在も国民の尊敬の対象になっているらしい」 「…………あ……」 思わず震える唇を噛み締めて、透が顔を伏せた。一気に溢れてきたであろう感情に、肩が震えている。香坂教授が手を伸ばし、「よかったな」と肩を叩いた。 「……だが、長い戦争で国土は荒れ、混乱が依然続いているのだと魔王は言った。そのために、大切に護られているはずの、次の魔王の魂が危険に晒されている、と」 次の魔王の……魂? きょとんと目を瞠る聴衆の中で、透の表情だけが異なっている。 「……次代の、魔王……。魂が護られていたというのは……?」 「ああ」勝利が頷く。「こちらでいう神殿みたいなものがあるんだろう? えっと、何とかいう……」 「眞王廟のことか!?」 「そんな感じだったな。確か建国の、最初の王の魂を祀ってるとかいう」 「じゃあやっぱり眞王廟だ。眞王陛下のお言葉で、魔王の位を誰が継ぐか決まるのは確かだけど、でも魂を護る……?」 どういうことだろうと眉を顰める透。しかし、繭里達は別の問題に興味を持った様だった。 「シンオウって何? 魔王の位、って、魔王の子供が継ぐもんじゃないの?」 「違う」繭里の言葉に、透が首を振った。「眞魔国に、こちらでいう王家というのはないんだ。魔王が誰になるかは、眞王陛下の詔によって決まる。眞王陛下というのは、さっきも渋谷君が言ってたけど、四千年前に魔族の国、眞魔国を建国なさった初代の王だ。その方の魂は今も生きて眞王廟に祀られている。そしてずっと国を護ってこられたんだ。眞王陛下のお声は、言賜巫女だけが聞くことができる。眞王陛下のお言葉には、たとえ魔王陛下であろうと逆らうことはできない」 「……そいつは初めて聞いたぜ!?」 香坂教授がびっくりした声を上げた。繭里や今井田教授も頷いている。 「だって、そんな尊い方の事なんて、下っ端兵士の僕には関係ないですし」 「…じゃあ、何? その国で一番偉いのは、そのシンオウとかいう人、っていうか、その人の声を聞くとかいう巫女さんなの?」 「そうじゃないよ」透が苦笑して首を振る。「確かに、眞王陛下に逆らうことはできないけれど、魔王陛下は眞王陛下の意志の体現者ってことになってるからね。魔王陛下のお言葉、それすなわち眞王陛下のご意志だ。いちいち魔王陛下が眞王陛下にお伺いを立てることはしないよ。それに、巫女が政治に口を挟むことは全くないと聞いている。そういう政治的な野心みたいなものとは、全然関わりないからね。魔王陛下からお言葉を求めない限り、眞王陛下のご意志によって決定する絶対の事項は、唯一、魔王の選定のみだ」 「つまり何かい? そのシンオウとかいうのが、こいつを次の魔王にすると宣言したら、つまり巫女さんがそう言ったら、それで決まりってことか?」 「その通りです。大抵は貴族の中から選ばれますが、平民から選ばれた事もあります」 「そいつはまた……」 うーん、と教授達が唸る。どうも地球人的感覚にはそぐわない。 「そのご託宣に逆らうってことはないのか? 別のやつの方がいいとか、納得できなくて争いになるとか、そういう事は起きねえのかな? その、隊長さん、は身分が低いとかいってたが、その兄弟とかはどうなんだ? 確か、最上級の貴族で、殿下って呼ばれてたってんだろ? 自分こそがって、考えたりしねえモンなのかい?」 「昔はそういう争いもかなりあったようですよ。ただ、これはもう伝説ですけど、眞王陛下のお言葉に逆らって別の王を立てたり、争ったりした時には、必ず天変地異が起きたり、とんでもない災厄が巻き起こったりしたそうです。だから決して眞王陛下の詔には逆らわない、というのが不文律になっていましたね。その代わり、どんな王が立てられても何とかなるように、政治経済に携わる者、こちらでいえば政治家や官僚をきっちりと組織しておくようにはなったようです。ただ……僕が生きてたあの時代は、摂政が政を恣にしていて、自分に逆らうものを容赦なく潰してまわっていたから、宮廷にはびこっていたのは碌な者じゃありませんでしたけどね。……ああ、でも」 何かを思い出したように、透が顔を上げた。 「……そう、だから、皆次の魔王にかなり期待をしてたんだ。戦争がひどい状態になったこともあったし、今の陛下の御代もそう長くはないんじゃないかって……。それで、そうだ、僕達がそういう話をすることはなかったけれど、ほとんどの者が次の魔王はフォンヴォ……隊長の兄上が選ばれるに違いないと言ってたな。確かにあの方は、身分も申し分ないし、政治家としても軍人としても素晴しく秀でた方だと隊長も言ってたことがあるし。遠くからしか姿を見た事はないけれど、ものすごく威厳がある人だと感じた事を覚えてる……。そうか、じゃあ、彼が選ばれた訳じゃなかったんだ……」 しみじみと息を吐く透。それを見ながら、勝利は口を開いた。 「話を戻そう。というか、全然話が進まないから、できれば質問は後にして下さい」 「……あ、そうだったな。こいつはすまん」 素直に笑って頭を掻く香坂教授に、勝利も苦笑を浮かべた。 「魔王に選ばれるかどうかは、結局人物がどうのこうのじゃなく、王になる魂を持っているかどうか、なんだそうだ。魂があって、そしてそれを宿して生まれたら、その人物が貴族だろうが平民だろうが全然関係ないって事なんだな。で、その戦争が終わる頃には、もう次の魔王となる魂が、実はその神殿だか廟だかにとっくに保管済みだった訳だ。で、生まれるべき時期を見計らっていたんだそうだ。ところが、どうも終戦の混乱期に、その魂が狙われたかどうかされたらしい。で、眞王は巫女を通して、その魂を絶対安全と思われる場所、つまり異世界である地球世界に避難させることにしたんだ。そして地球の魔王の協力の元、肉体を得て成長を待ち、時期が来たら呼び戻そうって話になったんだな。その頃には国も落ち着いてるだろうからって」 「そりゃまた、何とも……」香坂教授が唸る。「……こう言っちゃ何だが、かなり手前ぇ勝手な話だな。……あ、いや、こりゃまた済まねえ」 「いいえ。俺も話を聞いた時はそう思いましたよ」 「渋谷君。じゃあ隊長は、その魂を運んで地球に、こっちの世界に来たんだな?」 そうだ、と勝利は頷いた。 「終戦を迎えて、瀕死の重症を負って帰国したコンラッドの傷もようやく癒えて、混乱はしているけれど、何もかもさあこれからって時らしい。コンラッドは巫女に呼び出されて、その使命を与えられたんだそうだ。そして次の魔王になる魂を授けられ、地球に渡った。それが20年以上も前、そこで引き合わされたのがウチの親父って訳だ」 「………地球の魔王は、その時にはもう渋谷君のご両親を次代の魔王の親にする事を決めていたのかな?」 「らしいな。その場で、宣言されたらしいから。お前達夫婦の間に生まれる子供は、将来異世界の魔王になるって。親父はびっくり仰天して、その場で断った。まあ当然だが。うちは根っからの庶民で、とても王子様だか王女様だかを育てる事はできません、ってな。それに、俺が生まれたばっかりで、次を作る予定も実際立ててなかったらしいし」 「まあ、そうだろうなあ……。普通、断るわなあ……」 香坂教授がしみじみと頷いている。 「でも結局押し切られた。普通一般の日本人として育ててくれればいいとかいう言葉を鵜呑みにして……。で、5年後にその魂を宿して弟が生まれた訳だ」 「隊長は? すぐに帰ったのか?」 「いや、魔王の魂を宿した子供が無事に生まれるのを確認するまではと、こちらに残った。そしてしばらくしてから、旅に出たらしい」 「旅に? 隊長が…?」 「ああ。こちらの世界と向こうとじゃ、考え方も生活習慣も価値観も全く違う。新しい魔王が何も知らないまま向こうへ行って即位しても、かなり戸惑うだろうし、悩むだろう。だから両方の世界を知る者が側にいてフォローしてやれれば、助けになるんじゃないかって考えたそうだ。バッグ一つ抱えて、アメリカからヨーロッパ辺りを5年の間、子供ができたという連絡が入るまで、旅して回ってたそうだ。文字通りのバックパッカーだな」 「さすが隊長だ」透の声が嬉しそうに弾む。「旅ならお手のものだし」 「いや、かなり苦労したらしい」 「え? どうして……。あ、食べていくのが大変だったとか……?」 「いや。言っただろう? 魔族のネットワークは世界中に張り巡らされてるんだ。魔王のお声掛かりで、行く先々に協力者はいたし、金銭的なバックアップも全部魔王がやってくれてたらしい。でもあいつは結構人の中に飛び込んで、バイトみたいな事もしてたらしいな。取り入れに忙しい農場で雇ってもらって、住み込みで働かせてもらったりとか」 「じゃあ、何で?」 「………何度も家出少年と間違われて、補導されそうになったらしい……」 「……あ……そうか………。確かあの頃の隊長は人間にしたら……16、7歳くらいに見えた、かも……」 「そっ、そんなに若かったの!?」 繭里が素頓狂な声をあげる。 「だから、実年齢は違うってば」 それは分かってるんだけども、と答えつつも、繭里は、いや聞いているギャラリー全員が複雑な心境をそのまま顔に出して苦悩している。 「……その、透の話を聞いてて、何て言うか、もっと大人びた姿を想像してたから……」 繭里の言葉に、「何言ってんだよ」と透があの写真をあらためて彼らの前に翳す。 「ほら、僕達と全く同年代に見えるだろう? 20年以上前なら、人間の年齢でいうと、これより見た目4、5歳若いわけだから……幾つになる?」 「16、7歳で合ってます……」 知識と実感が頭の中ですれ違い状態。分かっていても納得できないと、全員が唸っていた。 「……まあ、その辺りは勝手に悩んでてくれ。で、続きだが」 「ああ」 「実は、コンラッドはうちの弟の名付け親なんだ」 「名付け親!? 魔王陛下の名付け親なんて、すごい名誉だよ! えっと……ゆうり……ユーリ……あ、渋谷君、もしかして弟さん、7月生まれ?」 やっぱり分かるか、と、勝利が笑みを浮かべる。 「7月生れは祝福される。どうしてかっていうと……」 「暑い夏を乗り切って強い子に育つから、だよ」 「そうだ。おふくろが臨月でもう生まれるって時に、病院へ行こうとしてなかなかタクシーがつかまらなかった。そこへ何と陣痛が襲ってきてしまって、おふくろは痛みと焦りにへたり込んでしまっていた。そこへ突然タクシーがやってきて、おふくろの目の前で停まったんだ。見るとドアが開いて、後部座席に座っていた若いやたらと爽やかな美形がにっこり笑って相乗りしましょうと声を掛けてきた」 「それが隊長。たぶん、ずっと見守ってたんだね、お母さんの事」 そういうこと、と勝利が笑って頷く。 「で、タクシーの中で7月生まれ云々って話をおふくろに聞かせたんだ。おふくろ曰く、彼は赤ちゃんの名前が『ゆうり』だっていうことを告げるために現れた、そうだ」 くすくすと楽しそうに透が笑い出した。 「……命だって思ったそうだ」 え? と透が聞き返す。 「この前、会った時にちょっと酒飲みながら色々話してな……。その時、初めて赤ん坊の有利を抱き上げた時に、しみじみ思ったって」 『……俺が運んできた魂は、勝利、冷たい容器に入れられたただの物体だった。触れる事も叶わない、ただ容器の中で白く光る丸い物体……。魂だと分かっていても、それを命だとは実感できなかった。でも……ユーリを初めてこの手に抱いた時……。ずっしりと腕に掛かる赤ん坊の重みが柔らかくて、暖かくて……頬を寄せるとミルクの甘い香りがして、そして、心臓が、大人より少し速い鼓動が確かに感じられて……。ふいに思ったんだ。ああ、これこそが命だって。命が生まれたんだって。もう何年も何年も、大切な命がどんどん腕をすり抜けるように消えてしまうばっかりだったのに、この空っぽの寒い腕の中に、俺は今、紛れもない新しくて強い命を抱き締めてるんだって』 護っていこうと思ったよ。優しく微笑んでコンラッドはそう言った。 『王への忠誠とかそんなことじゃなく、ただこの命を護っていこうと。この命のために、俺は生きよう、と。ずっとそのつもりでいたはずだったのに、あの時、あの瞬間、俺は初めて心の底からそれを決意したんだと思う。ユーリを護って生きていく、と。……俺はまた、生命をかけて護るものを得ることができたんだと、それが……嬉しかった……!』 「……………隊長……」 どこか切なげな笑みを浮かべてそう口にすると、透は瞳を伏せ、そした再び小さく「たいちょう」と呟いた。 「……透から話を聞かされて」香坂教授が言った。「恥ずかしい話だが、俺達はそれをこれっぽっちも本当の事だとは信じてやれなかった。初めて透がその話をし始めてからかれこれもう…15年以上になるか。隊長さん、コンラート氏のことも何度も繰り替えし聞かされてきたが……。まさかそれほどの男が実在するなんてなあ……。なあ、渋谷君よ、迷惑だろうとは思うが、もし今度隊長さん、コンラート氏が来たら、この爺が酒の相手をさせてもらいたいと言ってると伝えてもらえねえかな?」 「伝えておきます」 ありがとうよ。香坂教授がそう言って、何かを考え込むように腕を組んだ。そして再び顔をあげると、勝利にもの問いたげな視線を向けた。 「…質問をいいかい? 渋谷君」 「そうですね。大体の流れはお話しましたから、どうぞ」 「この写真は、20日ばかり前、春休みに撮ったといってたよな?」 「はい」 「つまり、弟さんはこっちで暮らしてるのかい?」 「ええ、もちろん。4月から高2になりました」 「………その、あちら、の国の王様なんだよな? そっちにいなくていいのかい?」 「行き来はしてますよ。まあまだ子供だからということで、猶予期間があるようですが……」 あちらとこちらの時間の流れの違いなどまで教える気にはならなかった。はっきり言って、めんどくさいし。それに、目的はあくまで透なのだ。 「だがまあ……俺としては、弟を完全にあちらに渡す気はありませんが。それはそれとして、弟には大学まできちっと進んで、政治経済を基礎から学んでもらいたいと思ってます。仮にも王を名乗るなら、それくらいはしないと……。今の状態であちらに行っても、何ができるとは思えませんし。それに……俺は決して学歴で人を判断するような真似をするつもりはありませんが、今あちらに行ってしまうと、高校中退、中卒になるでしょう? 魔王が中卒というのも……。いや、もちろん学歴が人の価値を決める訳ではありませんが」 では、大卒の魔王ならいいのか? というか、何か根本的に間違ってはいないか? 香坂教授はもちろん、透も、その他のギャラリーも、どこか複雑に眉を顰めた。 その様子に気がついているのかどうか、勝利が何か思いついたように深々と息を吐き出した。 「……凉宮には、本当に申し訳ないと思ってる」 いきなりの謝罪に、「え?」と透が顔をあげる。 「さっきも言ったが、俺の親はこちらの魔王の、当たり前の平凡な日本人として育ててくれればいい、後はあちらが引き受けるから、という言葉を真に受けた。そして、本当に弟をごくごく平凡に育ててしまったんだ。通ってる高校も埼玉の平均的な県立高校だし、成績も中の中だし、親父の影響ですこぶるつきの野球バカで、パ・リーグをこよなく愛してて、見るテレビと言えばスポーツニュースだの大リーグ中継だの……近頃ちょっと変わってはきてるみたいだが、大体そんなもんで、休みの日は草野球三昧だ。見た目は女の子みたいに可愛いが、中味はやんちゃ坊主で、中学の頃は野球部の監督をぶん殴って部活をクビになってる。小心者のくせに気が強くて、正義感が強いといえば聞こえはいいが、直情径行の、はっきりいってバカだ。………あちらでもパーティーがあればダンスがつきものらしいが、その席でウチの弟、コンラッドに何が踊れるか聞かれて何て答えたと思う?」 「……えと、な、なんて……?」 「オクラホマミキサーと秩父音頭」 ぶふっと最初に吹き出したのは、驚いた事に今井田教授だった。それにつられた訳でもないだろうが、全員が一斉に吹き出して、腹を抱えて笑い出した。透もさすがに声には出さないように堪えているが、かなり苦しそうに腹を押えて身を捩っている。合間に、「可愛い」だの「運動会だよなー」といった楽しげな感想が漏れ聞こえてくる。 「……そっ、それで……隊長は、どう……?」 「仕方がないから、即興でオクラホマミキサーをアレンジしたらしい。さすがに秩父音頭は分からなくて、と頭を掻いてた」 それは、と声にならない声を上げたかと思うと、あらためて吹き出す。何やら楽しい場面を想像したらしい。 「だから」勝利の声が変わった。「お前には、本当に申し訳ないと思う」 笑い転げていた透は、勝利の声と言葉に思わず背筋を伸ばした。 「………渋谷君……?」 「……お前の話を聞けば、王というものがどれほど責任の重い存在かがよく分かる。お前達が国のためにどれほど命をかけて戦っても、政治を与るものにそれを受けとめる力がなくては全てが無駄になる。前の時は、コンラッドが生き残ったからうまく進んだのかもしれないが……。差別に苦しんでいても、お前達は国に期待していたはずだ。国が、王が、いつかお前達の……願いというか……祈りというか、叫びみたいなものにちゃんと気づいてくれることを……。そのために、死も覚悟したんだろう? というか、死を受け入れたんだろう?」 「……渋谷君……」 「お前もさっき言ってたじゃないか。皆次の魔王に期待してたって。なのに……。戦争が終わって、国が変わっていかなきゃならない時に即位したのが……ウチのバカ弟だ。………何と言うか、本当に申し訳ない」 深々と頭を下げる勝利に、透は慌てて両手を振った。 「まっ、待ってくれ、渋谷君! そんな……だって君の弟さんは眞王陛下がお選びになったまお……」 あ、と妙な声と共に、透の言葉が途切れた。 「……透?」 「…………そうだ、そうだった……弟さんなんて、言っちゃいけないんだった……。そうだよ…」 そう呟くように言いつつ、透がテーブルの上に置かれた写真を手に取る。 浅草寺、雷門の前。二人並んでソフトクリームを手にVサインするやたらと綺麗なカップル。 「……この、方は……魔王陛下なんだ……。眞魔国の、玉座にお座りになっておられる……正真正銘の、魔王、陛下……」 どこか恭しく写真をテーブルに戻すと、透は頭を垂れた。 「…ごめん。今頃になってようやく実感が湧いてきた……。バカだね、僕も。頭の中にあるあの国と、魔王陛下と、そしてこの国、この世界が、どうしても繋がらなくて……。こうして証拠の写真もあるのに……。そうか……もう、あれから20年以上経ってるんだ。……考えてみたら、僕がこの年齢なんだから当然といえば当然だよね」 仲間は、誰が生延びたのかな。今頃どうしているのかな。 透の瞳が、ふと遠くを見る。 透が手を上げて己の目頭をそっと押えた。 「……びっくりだよ。僕は……さんざん仲間の話をしてきたのに、なのに……今どうしているかなんて考えたの、今日が初めてなんだ。……どういうことなんだろうね、これって。……ごめん。どうしたんだろう、本当に今頃……。20年以上、かあ……。どれだけ寿命が長いっていっても、20年は20年だ……。分かり切ってるはずだったのに……変だなあ。今になってようやく……時間が経ってるんだって実感が湧いてきて……。どうしたんだろう、ほんとに……」 押えた目から、涙が滲んで頬を流れる。 「……あの戦いから……もうこんなに遠くへきてしまったんだな……」 透の名を呼びながら、心配そうに顔を見つめる透の祖父や従姉妹達を他所に、勝利は傍らのバックに手を伸ばし、中から1冊のノートを取り出した。 「凉宮、これを見てくれ」 「これは……」 普通のノートより、ひとまわり小型のノートを手に、透が怪訝な顔を見せる。 「弟の単語帳だ。………恥ずかしながら、まだこういう段階なんだ」 言われて開いたノートの内容に、透が目を大きく瞠いた。 何?何? と繭里たちが覗き込む。 「……これ! 透のノートの字と似てるわ!」 「おう、確かにそうだ。………うまいのかどうか分からんが、えらく元気だけは感じるな」 「ド下手なんです。……毎晩日記を書いてて、といっても辞書もないから、日本語混じりの、いや逆だ、あちらの文字混じりの日記を書いては添削してもらって、こうして単語を増やしているらしいんだ」 これじゃ、王の仕事どころじゃない、と、勝利がしみじみ情けなさそうに呟く。と、頬にまだ涙の跡を残した透が、ふいに小さく吹き出した。 「……凉宮?」 「これ」とノートのページを指差す。「左側に単語と意味が書いてあって、右側にどうやらそれを応用した短文とかが書いてあるんだけど。ほら、これ、この文章、分かるかい?」 透が指差しているのは、全く意味不明の文字の羅列だ。 「だから俺にはこの文字は全く理解できん」 「これね」くすくすと透が笑う。「こう書いてあるんだよ。『私の兄は一見利口ですが、実はバカです』って」 プッと誰かが吹き出す。 「………あいつはぁ……!」 拳を握って怒りを現す勝利に、透の笑みが深くなる。そして、ページを開く度にその瞳は、懐かしそうに、愛しそうに文字を追っていった。 「一生懸命勉強なさっておられるんだね。渋谷君はそう言うけれど、言語体系が全く違うんだから、これを修得するのは並み大抵じゃないよ。本当に……頑張っておられる。……この添削も隊長が?」 「いや、それは村田が……村田健っていって、弟の中学の二年三年とクラスメートだったやつがやってくれてる。そいつもお前と同じで……」 「……嘘っ!? まだ他にも透みたいな人がいるのっ!?」 「何てこった! そりゃ本当かい!?」 「渋谷君……っ!?」 「ああ、そうだ。だが、転生って点については、お前の大先輩だな。何せ、あいつは四千年分の転生の記憶を全部持ってるってやつだから」 「よん……っ」 誰かが叫びかけて、ぴたっと止まった。しん、と室内が静まる。しかしそこには驚きと言うよりも、ほとんど呆れたという雰囲気がありありと流れている。 「………あのよ、言いたかぁないんだが、話をデカくすりゃいいってモンじゃねえと思うんだな、俺は」 「そうよ。そういう突拍子もないコト言い出したら、今までの話の信憑性までうたが……」 「違うっ!」 透の叫びが、繭里の声を撥ね付けた。 「……とおる……?」 目を瞠いて勝利を凝視する透の形相に、繭里はもちろん、他のメンバーも驚いたようにその顔を見つめた。 「…………いる、いや、おいでになる……。眞王陛下と共に眞魔国を建国なされ、陛下の右腕となって王を支えてこられた軍師とも呼ぶべきお方で……。その方は以来四千年、転生を繰り返し、その記憶を保ち続け、そして、そのお力を捧げるのにふさわしい王が即位なされたその時に、王の元に姿を現されると伝えられてきた。魔族なら知らない者はない偉大な存在だ。………まさか………」 「大賢者、と呼ばれていたそうだな」 「…っ! やっぱり! ………双黒の、大賢者様……!」 何て事だ、と透が頭を抱えた。 「魔王陛下と…大賢者様が………この日本に、日本人として生きて…おられる…? そんなこと、信じられない……。お二人とも………高校生!?」 ああ、と頷きながらも、勝利の目はどこか疑わしそうだ。 「…そんな大層なモンか? 村田をみて偉大だと思うヤツなんていると思わないけどな。まあ、弟と違って、都内の私立高に通ってて、全国模試では常に1位をキープしてる日本一頭のいい高校生ではあるが」 おお、とギャラリーから一斉に声が上がった。「大賢者」とかいう訳の分からない新キャラよりも、日本一頭のいい高校生という方が、よほど大物に見えるのは分からないでもない。 「すごいわねー。………何、その子、向こうの国の伝説の男なワケ?」 「軽々しく口にするな!」 怒っている。繭里がびっくりしたように身体を引いた。 「魔族にとって、眞王陛下と並んで神にも等しい方なんだ! 大賢者様がおいでにならなかったら、例え眞王陛下といえども、力ある民を救い、国を興す事もできず、祖先はことごとく滅んでいただろうと言われる程の偉大な方なんだぞ! 唯一眞王陛下と対等に並ぶことのできる方なんだ!」 怒鳴り付けるように叫んで、それから透はふう、と深く息をついた。 「………大賢者様も、こちらに転生なされていたんだ……。名君と見込まれた王が即位なされれば、国に御帰還あそばされると伝えられてきたが、結局四千年の間、一度も大賢者様はお姿を見せる事はなかった。……確かにもうほとんど伝説と化した話ではあったけれど、それでもその存在を疑う者などいなかった……」 「弟と一緒に向こうに戻って、あちらでは『猊下』って呼ばれてるらしいな」 「猊下、か……。そうだな、智略、軍略によって眞王陛下を支えられた方ではあったが、ある意味……そう、法王のような精神面での民の支えでもあったと聞いているし……」 「なるほど、法王かい。それなら『猊下』ってのも分かるな。……てことは、アレだな、大したもんだな、渋谷君の弟さんは」 え? と勝利と透が発言者の香坂教授に視線を向けた。 「………何だい、今透が言ったじゃねえか。その大賢者とかいうのは、いや、お方は、名君と見込んだ王様の前にしか出てこねえんだろう? だったら渋谷君の弟さんは、見込まれた王様ってことだろうが」 あれ? と勝利が宙を見上げる。反対に、透は「そうか!」と破顔する。 「そうだよ、渋谷君! すごいな! ああ、何だか興奮してきたよ! ……中学で一緒だったって? それもきっと大賢者様の…猊下の思し召しだよ! さりげなく陛下のお側においでになられたんだ! ………信じられないよ、この同じ空の下に、ずっと夢見続けてきたあの国の、魔王陛下と大賢者猊下がおいでになられるなんて………。ああ、本当に……遠くからでもいいから、お二人揃ったお姿を拝見できたら光栄だなあ……」 切なげな笑みを浮かべながらしみじみと口にする透に、勝利が呆れた目を向けた。そして何か言い返そうと口を開いたその時。 コンコンコンっ、と。ドアを元気良くノックする音が響いた。 「ありゃ、今日は何の予定も入れてなかったはずだったんだが……」 腰を浮かす香坂教授を制して、勝利が立ち上がった。 「いえ、この時間なら、たぶん俺の関係です」 ちらと透を見遣りながらそう言うと、問い返す間も与えず勝利は立ち上がり、ドアに向かった。 「…ああ、やっぱりお前達か。結構いいタイミングだったぞ。ほら、入れ。ちゃんと挨拶しろよ」 分かってるよ−、と、勝利の身体越しに子供っぽい声がする。そして勝利が室内に向けて身体を翻したその後ろから、扉を潜って二人の少年が入ってきた。 「……………っ!!」 声にならない悲鳴を上げ、透がテーブルと椅子を蹴倒す勢いで立ち上がる。 そして思わず、他のメンバーも、驚愕の表情を湛えて腰を浮かせた。 1人は。紛れもなく覚えのある顔。 透の「隊長」と共に写真に写っていた、少年とも少女ともつかない─実物を見れば、ますます両性、いや、無性的ともいえる程の美しさ、愛らしさを備えた─、だが勝利の話によれば紛れもない少年、がそこにいた。 そしてもう1人。背丈も同じくらいの、やはりすっきりと整った、だがやはり同じくらいに幼げな顔立ちの少年が、瞳をきらきらと悪戯っぽく煌めかせて立っている。 どちらも並外れて整った顔立ちであること、そしてこの年代の少年ならば当然あってしかるべき脂っぽさ、持て余したエネルギーが行き場をなくして滲み出てしまったような、どこか中途半端な男臭さに、不自然なくらい欠けている事を除けば、二人ともしごく当たり前の少年らしい出で立ち─シャツやトレーナーにジャケットを羽織り、穿いているものはジーンズにスニーカーという─だった。 「…えーと、こっちが弟の有利。それからこちらがさっき話してた村田健だ。有利、村田、あいつ……そこでパニくって踊ってるのが凉宮だ。それから話してたメンバー一同」 有利と村田の真直ぐな視線を受けて、ビシっと音を立てるように透が固まった。顔がほとんど恐怖に引きつっている。 「初めまして、凉宮さん! おれ、渋谷有利です! コンラッドの名付け子で、魔王ですっ。よろしく!」 「僕、村田健です。渋谷の相棒です。でもって……」 ぐい、と有利の肩を抱き寄せて。 「二人合わせてムラケンズでーすっ! よ・ろ・し・く・」 ………せっかく勘違いしてくれてるのに、どうしてこうもイメージを端からぶち壊すかな、こいつは……。 勝利の深いため息が、沈黙の研究室に流れていった。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい
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