青 空・6



 弟のお友だちのしたり顔が見たくなくて、勝利はソファに背を預けたまま、かくんと首を曲げて天井を仰いだ。後頭部にクッションが当たって案外楽な体勢だ。
「つーか!」弟のお友だちの隣で弟ががなる。「そんな大事な話に、何で俺を呼ばなかったんだよ!!」
「………俺だって、まさかそんな話になるなんて思いもしなかったんだ……」
「呼ばなかったのは大正解。君がその場にいようものなら、きっとさらなる大混乱を巻き起こしてたよ」
「そっ、それは…っ」
 巻き起こさなかったとは言い切れないらしい。
 それにしても、と勝利は心の中で呟いた。
 家に戻って、村田健が自宅にいるのが分かった時には、癪な話だがホッとした。とにかく話を聞いてもらいたいと思った。正直に心情を吐露するならば、村田に下駄を預けてしまいたかったのだ。なので、弟の部屋にいた村田を有無を言わさず居間に連れ出して、突然身に起こった出来事を打ち明けた。だからまあ、弟が隣にいるのは当然だし、立場を考えれば、一緒に話を聞くのもこれまた当然だろう。だけど。
「しかし何だなあ、しょーちゃんのお友だちが、眞魔国の魔族の生れ代わりで、その記憶を持ったままというのも驚きだが、まさかコンラッドの部下だったなんてなあ。これが人の縁ってものなのかなあ」
「ホントよねっ、すごいわよねっ。でも……戦争で死んじゃうなんて、辛かったでしょうね。それに、その話をしても誰からも信じて貰えてなかったんでしょ? ……そうだわ! ね、しょーちゃん、その人、えっと、凉宮さん? ウチにお招きしましょうよ! 私達ならコンラッドさんのコト、何でもお話できるし、写真やビデオもあるし! ママ、カレー作ってお持て成しするわ! デザートもばっちり任せて!」
 ………どうして親父とおふくろまでいるんだろう……。
 勝利は天井を向いたまま、ぐったりと息を吐いた。

 その瞬間の透の顔が目に浮かぶ。


 自分でも不可解な怒りが爆発して、大学教授相手に怒鳴りつけて、瞬間、何だかものすごくマズい単語を口にした様な気がして我に返った。
 研究室に不自然な沈黙が広がる。
 香坂教授が、今井田教授が、繭里が、そしてソファセットを挟んで反対側には駒井が、逸美が、勝山が、きょとんと、というか、呆然とというか、何とも言い難い顔で勝利を見ていた。そして窓際には。
 透が、硬直したように立ち尽くしていた。
 大きく瞠いた瞳を瞬きもせず、かすかに開いた唇を細かく震わせながら勝利を凝視するその姿に、勝利は思わずこくりと喉を鳴らした。

 ………………俺は……今、何を言った………?

「………渋谷、くん……きみ、いま、なんて………」
「どこから聞いたのよっ!?」
 透の口から絞り出される声に被さるように、繭里の声が上がる。
 同時にずかずかと前に進み出て勝利の真正面に立つと、繭里は怒りを漲らせた瞳でその顔を見上げた。
「中学以来、透はあの記憶の中の人の名前は絶対口にしてないわ。もう、自分以外の誰の口にもされたくないからって…! だから、名前を知ってるのはここにいる私達3人だけよ。凉宮のおじさんやおばさんは、覚える気なんて最初からないし。私は絶対に喋ってない! おじいちゃんだって今井田先生だって……そうですよねっ? 今井田先生、誰かに名前を話したりしてませんよねっ!?」
 繭里が振り返り、激しい口調で問い質す。「もちろんだよ」と、慌てたように今井田教授が首を縦に振れば、香坂教授も「ただの一度だって口にしちゃいねえよ」と頷く。
「………あいつね。中学の時のあいつ……。あなた」繭里が勝利を睨み付ける。「最初から知ってたのね? あいつから聞かされてたんでしょう? 知ってて、いかにも初めて聞くような顔でここにきて……。どういうつもりよ!? 何が狙いよ! 透はあなたのこと、とっても大事な友達って言ってたのに、それなのに……!」
「止めろ、繭! 彼はそんなんじゃない!!」
「だって透!」
「渋谷君はそんな姑息な真似をする男じゃない! それに、中学の時の彼は、卒業前に父親の転勤とかで九州だか沖縄だかに転校して行った。渋谷君との間に接点なんてないはずだ!」
「で、でも……だったら……!」
「俺は、中学の誰かなんて知らん。それに、今日ここに来て話を聞くまで、凉宮が何を話すつもりなのか全く知らなかった」
 本当は、誰かから聞いたという事にしておいた方が、絶対話は楽になる。しかし、そんな卑怯なごまかしは、勝利の矜持が許さない。
「じゃあ……何で……?」
 勝利はふうと大きく息を吐き出した。ソファの側では、学生達と教授達が何やら話し合っている。勝利が口走ってしまった名前について、確認を取っているのだろう。すぐに驚いた顔になって、一斉に視線を向けてきた。
 どうしたらいいんだろう。かつてない程途方にくれて、勝利は再びため息をついた。

「………君も、なのか……?」

 一瞬、何を聞かれたのか分からなくて、勝利は眉を顰めて透を見返した。
 透が、期待と不安に瞳を揺らめかせて勝利を見つめている。
「僕は……ずっと願ってきた……。いつか誰かが僕の話を信じてくれることを。でも……それ以上に夢見てきたことがある。それは……僕と同じように、僕が知っているのと同じ世界を覚えている人が、同じ記憶を持つ人が現れることだ……。ずっとずっと、僕はそれを願い続けてきた……」
 君がそうなのか? そう言って、透は縋るように勝利の袖を掴んだ。その瞳はどこか熱を帯び、異様なまでに輝いている。
「すまん、凉宮」
 咄嗟にそう告げて、勝利は袖に縋り付く透の身体を離した。
「……しぶ」
「すまん! 俺は前世なんて覚えてないし、あっちの世界がどんなかも、全ぜ…いや、大して知らないんだ」
「でも、だったら…どうして……どうして君が隊長の名前を……それも親しい者だけが呼ぶあの呼び名を…どうして君が知ってるんだ!?」
 そうなのか? 勝利はちょこっと首を捻った。確かに本名とは言えないかもしれないが、そういう意味での愛称とは知らなかった。単に呼びやすいだけだと思っていたのに……。
「渋谷君! 答えてくれ!!」
 ハッと見ると、今にも泣きそうな顔で透が勝利を見つめている。
「落ち着け、透!」
 いつの間に側に寄っていたのか、香坂教授が透の肩を抱く様にしながら、その耳元で声を掛けた。
「落ち着くんだ。お前がそんなに興奮してちゃ、渋谷君だって困っちまうだろうよ。繭もだ。また茶でも飲みながら、じっくり話を聞かせてもらおうじゃねえか。な? だから落ち着いて座ろうぜ。ほら、渋谷君も」
 そう言って、香坂教授が鋭い眼差しを勝利に向けてきた。
 もしも透を裏切るような─それこそ中学時代の誰かから話を聞いていたとか─事を口にしたら、ぶん殴られるかもしれない。参った、と勝利は三たびため息をついた。ついてから、改めて大きく息を吸った。
「済まん、凉宮」
 どこか断固とした声に、ソファに向かっていた透達が一斉に振り返る。
「し、渋谷くん…?」
「済まん」言って、軽く頭を下げる。「俺に、少しだけでいい、時間をくれ」
「逃げる気!?」
 睨み付ける繭里を睨み返す。
「時間をくれと言ってるだけだ。話さないとは言ってない」
 繭里から目を離し、透を見つめる。
「今さらこう言うのも何だが……こんな中途半端な事をするつもりはなかった。あの時は夢中になってしまって、つい…。ただ……俺も正直この場で何をどう言えばいいのか分からないんだ」
「お前さんがどうして透の『隊長』の名前を知っているのか、それを教えてくれるだけでいいんだぜ?」
 香坂教授の声も瞳も厳しく張りつめている。
「分かってます。でも、それをここで口にしていいのかどうかも、俺にはまだ判断がつかないんです」
 勝利は透に視線を向けて、持ちうる限りの誠意がこもる事を祈りながら口を開いた。
「本当に、お前を混乱させてしまって申し訳ないと思ってる。ただ、言い訳かもしれんが、お前の話は俺にとっても……かなり衝撃的だったんだ。だから、俺自身、気持の整理をつけたいっていうか……。……お前に納得してもらえる話ができるかどうか分からんが、とにかくちゃんと話せる事を話す。約束する。だから、ちょっとでいい、俺自身が気持と頭を整理する時間をくれ」
 頼む!
 そう言って頭を下げる勝利を、透がじっと見つめている。香坂教授や繭里も、答えを透に任せると決めたのか、無言のまま二人を見守っている。
「…………うん」やがて透が頷いた。「分かったよ、渋谷君」
 透の言葉に、勝利が顔を上げた。
「……ただ、一つだけ確認してもいいかな…?」
「何だ?」
「いつから……僕の話す隊長が、君の……知っている人物だって気づいたのかな……?」
「………お前が魔族の話をして……魔王の3人の息子の話を始めた時に、だ。……魔王は女王で、息子3人は全員父親が違う。そして、次男1人だけが人間との間に生まれた混血。……そんなプロフィールを持つ男を、俺は……」
 勝利は真直ぐに透の目を見た。
「俺は、コンラッド以外に知らない」
 誰かが、こくんと息を呑む音がする。
「じゃあ…君は……」透が喘ぐように言葉を押し出した。「……あの国を……あの、世界の存在を……知っている、のか……?」
 その質問に、ほんの少し考えて、それから勝利は頷いた。
「知ってる。夢でも、幻でも、もちろん妄想でもなく。お前の言う世界が、俺達が生きてるこの世界と平行する別の次元にちゃんと存在してる事を俺は……知ってる」
「しぶや…くん……」
 戦慄くような透の声。「ばかな!」という誰かの声も聞こえたが、それを無視して勝利はソファに向かった。そして起きっぱなしのバッグを持ち上げようとして、ふと手を止めた。
 中には有利の単語帳が入っている。一瞬、それを透に見せようかと思った。だが、今はまだ、と思い直し、バッグを抱えた。本当に、あれをバッグに入れた時には、まさかこんな事になるとは思ってもみなかった。

 必ず連絡する。そう言いおいて、勝利は研究室を出た。

 …………で。
 飛び出してきた、逃げ出してきた、と村田に笑われて、しかし心情的にはまさしくその通りだったので言い返す事もできず。おまけに頼りにできるのは激しく悔しい事に村田だけとあって、勝利は甘んじてその言葉を受け止めさせて頂いた。溢れる文句は胸の内に留めておく。

「その人……凉宮さん…」有利がひどく沈んだ声で言う。「ルッテンベルク師団の人なんだな。それで……アルノルドで戦死したんだ……」
「知ってるのか? どういう戦いだったかも聞いてるのか?」
 勝利の問いに、有利が頷く。
「概略だけだけど……。すごく悲惨な戦いで、コンラッドも瀕死の重症を負ったって聞いてる。師団の人は9割くらい戦死してしまって、生き残ったのはほんのわずかな数だったって……。でも、その人達のおかげで、眞魔国は最終的に盛りかえして戦争に勝つことができたんだ。コンラッドがその代表だけど、ルッテンベルク師団の人達は、全員英雄なんだ! 救世主だったんだよ! ………やっぱりひどい戦いだって言ってたか?」
 ああ、と勝利は頷いた。
「できれば、もう二度とあの話は聞きたくないな」
 そうか、と有利が項垂れる。
「それにしても」
 母親の声が上がる。
「コンラッドさんがそんなひどい戦争体験をしてるなんて、全然知らなかったわ。……ウマちゃん、知ってた?」
「うーん、ちょっとね。……ひどい戦争があって、あいつが大事な人をたくさんなくしたって話はちょっとだけ……。まあ、初めて会った時に、なんつー暗い男だと思ったのは確かだなあ」
「暗い? コンラッドが?」
 有利が驚いたように聞き返す。それに父親が大きく頷く。
「ああ。見た目がティーンエイジャーだったから、なんとも不自然で。腹でも壊してるのかって聞いちまったくらいにな。顔も口調も態度も、ずーんって音がするくらい暗いから、思わず怒鳴りつけちまったっけな」
 今考えると、悪いことしたかもなあ。父親がため息をつきながら言う。
「で、若いくせに、って、あの頃はあいつの実年齢なんて知らなかったんだけど、とにかく放っとけないと思って、さっそくあいつをボールパークに連れていったんだよ。ちょうと大リーグの期間中だったし。そりゃもう無理矢理」
 何だか容易に想像できる状況だ。
「最初はあいつも迷惑そうだったけど、その内すっかり野球が気に入ったみたいでな。いつからか、1人で出かるようにもなってたな。会う度表情も変わってきてて……。そう考えると、やっぱり野球は偉大だなあ、うん!」
 悲惨な戦争体験に苦しんでいた男を、ああも見事に蘇らせたんだから!
「ねえねえ、だからっ」悦に入る夫を他所に、美子が身を乗り出してきた。「凉宮さん、明日にでもご招待して、ね? カレーでいいかしら? それとも他の……」
「それはもうちょっと後にした方がいいと思いますよ」
 村田の真面目な声に、全員の表情がハッと改まる。
「……村田?」
「今勝利さんから聞いた所によると」
 村田がメガネの位置を、指でくいと直しながら話し始めた。
「彼はどうやら、前世と現在の自分を完全に混同してしまってるみたいだな。でしょ?」
 見上げられて、勝利は思わず首を傾げた。
「ああ…まあ……そうなのかな……? 確かに他人の人生を語ってるようでは全くなかったが……?」
「話をする時、その前世の人物の事を名前で呼ぶとか、『彼』とか『その男』という言い方はしてなかったのかな?」
 ようやく納得した顔で、勝利が「ああ」と頷く。
「名前は、さっき言った理由で口にしなかった。ただ、そういう第三者的な表現は全くなかったな。むしろ……そう、あいつは自分の事をいつもは『僕』と言うんだが、あの時は途中から…そうだ、だんだん『俺』に変わっていったんだった…。ああ、そうだ、あの話をしている間、凉宮はずっと前世の人物を『俺』と呼んでいた」
 なるほどね。と、村田は小さく呟いた。
「それって、その……いけないことなの……?」
 おずおずと美子が問いかける。
「ええ、もちろん」村田が即答する。「だって、アルノルドで戦ったのは『凉宮透』じゃないんだから。その人物は、混血の魔族で、シマロンの収容所育ちで、眞魔国の兵士だった。大学の法学部で司法試験目指して勉強してる学生と、全くの別人でしょ? それに、それをいったら僕なんて大変ですよ? 四千年分の人格を混同してしまったら、もうアイデンティティーも何も会ったモンじゃない。多重人格にしてもあんまりだし。そんなモノが1人の人間として生きていけると思います?」
 ふと視線を上げて考えてみたらしい有利が、ちょっとゾッとした顔をしている。
「別に四千年分じゃなくてもいい。僕の場合、前世は香港のAV女優で」
 何ですと? 有利を除く全員が思わず村田を凝視する。
「その前がフランス人の軍医。で、その前が10歳で事故死した子供で……まあそんな感じで続いていくんだけれど、その全てを『私』とか『僕』とかで捉えていたら、『村田健』なんて人格はどこかへ吹っ飛んでしまう。いや、そもそも『村田健』という『僕』を実感する事も自覚する事もできなくなって、下手をすれば廃人同様になってしまうよ」
 線を引かなきゃいけないんだ。
 村田の声は、厳かにさえ聞こえた。
「別に否定する必要はない。忘れる必要もない。ただ、今現在を生きている自分と、前世の人物は別人なんだと自覚して、きちんと線を引き、別人の目で過去の、もう終わってしまった人生を見つめ直すことができなくてはならない」
「つまりお前が、主人公に思い入れの強い映画を観た記憶、として捉えているあれだな?」
「そう」勝利の問いに村田大きく頷く。「僕の場合はそういうやり方をしている。彼も早急に彼なりの見方を身につける必要があるね」
「ああ、じゃあさ」
 有利が何かに気づいたように口を挟んできた。
「凉宮さんにコンラッドのこととか、眞魔国のこととか、話すのはまずいのかな?」
「どうしてそうなるんだい?」
「……え? ……だって……」
「僕は、彼が前世の自我と現世の自我をいっしょくたにしていることがいけないと言ってるんだよ。それを正すには、むしろ話を有耶無耶にせず、彼にありのまま全部伝えた方がいいと思うな」
「そ、そうなのか…?」
 思わず勝利が身を乗り出す。それにこくりと頷く村田。
「勝利さん、言ってたよね。凉宮さんの魂はまだ戦場にいるって。……そうなんだ。彼の時間はその瞬間から全く先に進んでいないんだ。死んで、そして気づいたら全く見知らぬ世界にいて、違う名前になっていて……。彼の中で、二つの世界は完全に断絶してしまってるんだ。世界も時間も繋がっていないから、彼自身、心をどこに据えて生きていいのか分からずにいる。だから……きちんと教えなくてはならない。二つの世界のつながりを。そして、あの戦争からちゃんと時間は過ぎていて、彼が共に戦った仲間達にも、それぞれの時間が流れている事を。繋がっている二つの世界に時間が流れ、全てがその時間の中で変化している事を。彼もまた、その流れの中に存在している事を。……彼を……」
 村田は、ふと言葉を切って、腕を組んだ。

「彼を、記憶の戦場から救い出さなくてはならないね」

 美子があらためて淹れてくれたお茶で、勝利は乾いた喉を潤した。
「……じゃあ別に、眞魔国の事を忘れて生きろ、なんて言う必要はないんだな?」
 村田に念を押す。何といっても、説明責任を果たすのは勝利なのだ。間違いたくない。
「それを決めるのは彼だよ。話を納得した上で、前世は前世と割り切った、これからは凉宮透としてしっかり生きていくと宣言するなら、それはそれでオッケ−だし。前世とは別人格だと自覚ができた上で関わっていきたいというなら、これもまた生き方として認められるんじゃないかな? この日本にいても、やれることはあるんだし」
「………そういうモンなのか……?」
 よく分からないと、勝利が、いや渋谷家全員が首を捻っている。
「そうだよ。僕がいい例だろ? 僕は村田健で、それ以外の何者でもなくて、でも、眞魔国や魔王陛下と関わっている」
「……大賢者だから、だろ……?」
 恐る恐るといった風に、有利がお伺いを立てる。
「大賢者だから魔王を支えるのが当たり前なんて、冗談じゃないね! 僕は大賢者である前に、村田健だ。僕は大賢者であるが故に、村田健である事を蔑ろにするつもりはない。僕が君を助けるのはね、渋谷、僕が親友である君を好きだからさ。ただの渋谷有利であってもそれは同じだ。友人として、僕にできる事があれば君の助けになりたいと思う。そして君は魔王で、君を助けるには『大賢者』の知識が役に立つ。だから僕はそれを使っているんだ。それだけのことだよ。分かるかい? 大賢者が君を助けているんじゃない。大賢者の記憶を持つ村田健が君を助けているんだ。……その違い、分かってもらえるかな?」
「分かる! うん、おれ、ちゃんと分かるぞ!」
 ホントか? と勝利の頭に疑念が浮かぶが……あえてそれを口にするのは止めた。弟の顔が感動したように輝いて見えたからだ。
 有利の言葉に、村田が「ありがと」と笑う。そんな二人を見つめる美子が拳を握りしめ、「男同士の友情ね!」とこれまた瞳を煌めかせている。
「だから凉宮さんも同じさ。前世と現在の自分の割り切りができて、その上で自分の記憶を活かしたいと望むなら、それなりにできることはある。何と言っても、魔王陛下と大賢者が日本人で高校生やってるんだからね。それに、霞ヶ関辺りに、年中人材不足を嘆いている組織もあることだし。あちらの言葉も風習も完璧に身についた、それでいて紛れもない日本人がいるとなれば、たぶん歓び勇んでスカウトに行くんじゃないかな」
「ス、スカウト……」
「ま、それは後の話。今はとにかく、凉宮さんと話すことだね。………ああ、そう言えば、他にもいたんだっけ?」
「あ? ……ああ、あいつのじいさんだの従姉妹だのと、それから一緒に話を聞きにきた学生が3人……。……やっぱりまずかったか…?」
「うーん……よかったとはお世辞にも言えないけど。でもまあ、口走っちゃったものは仕方がない。その場にいた全員に集まってもらって、二つの世界の繋がりから現在に至るまで、渋谷家の秘密とウェラー卿との関わりについて、勝利さんの口からきっちり話をすればいいよ」
「いいのか!? コンラッドの事だけじゃなく、そこまで……?」
「そうだぞ、村田。地球の魔族のコトとか、他の人に知られたら……」
「いい加減にしておくと、延々引きずる事になるからね。この問題はそこですっぱり終りにした方がいい。それに知られたら、何か起こると思う?」
 えーと。と全員がまたも頭を捻る。………まずいんじゃないのか、普通……?
「地球はすでに宇宙人の支配下にあるだの、ユダヤ民族の隠謀だの、フリーメーソンがどうしたの、その手の話は掃いて捨てる程巷に転がってるよ。それが何か社会に影響を及ぼしたかい? まあ、せいぜいノストラダムスだけれど、あれも結局切ない程に尻窄んじゃったしね。異世界が存在してるの、魔族が世界経済を支配してるの、渋谷さんちの次男坊が魔王だの、大真面目に叫んでご覧よ、その人達が受けるダメージは幼い凉宮さんの比じゃないよ。それが分からないならそこまでの人達だ。放っておけばいい。まあ、万が一問題が起こったとしても」
 いつでも簡単に潰せるからね。
 くす、と笑う村田に、渋谷家一同、ウッと引く。地球産魔族のネットワークと実力。甘くみてはならないのだ。
「さ、勝利さんは凉宮さんに連絡をとって、日時を決めて下さい。それから、話す内容を具体的に詰めよう。……人1人の人生が掛かってるからね。僕も久し振りに真面目に考える事にするよ」

 ………………………今までずっと不真面目だったのか………?



 1週間後の土曜日。午後。透は再び祖父の研究室に来ていた。
 勝利からは意外な程早く連絡が入った。祖父や従姉妹達も話を聞きたがっていることを伝えると、拍子抜けする程あっさりと了解された。ただし、話をするのは1度きりだと言う。その後は、質問などは一切受け付けないことも念を押された。
 祖父を始め以前のメンバー全員が同席を求め、結局それぞれの都合を合わせて今日という日になったのだが……。
「……透、ほら、ウロウロしねーで座んな。茶でも淹れるから」
 まだ時間はあるんだしよ。こぽこぽと湯飲みに注がれる緑茶の音が止まない内に、扉を開けて繭里が入ってきた。
「………まだ私達だけなの? 今井田先生は?」
「イマさんなら、あの3人を連れて一緒に来るだろうよ。茶菓子は買ってきたかい?」
 ええ、と答えて繭里も小さなキッチンに立つ。それきり言葉は途切れ、ただ湯飲みや皿が触れあう音だけが小さく響く。
 落ち着いて座る事もできないまま、透は窓際に立った。
 もしかすると、10数年に渡り、透が身悶えするような思いで待ち続けた瞬間が、間もなく姿を現すかもしれないのだ。勝利が叫んだあの名前、自分以外の人間の口からそれが発せられたあの瞬間を思い出すと、心臓が高鳴る。そして期待と同時に込み上げる不安で胃がきりきりと痛む。
 無意識に胸の辺りを押さえ、わずかに前屈みになって、透は窓ガラスに額を押し当てた。
「………渋谷君に怒鳴りつけられちまったあの時……」
 突然始まった祖父の言葉に、透はハッと顔を上げ、振り返った。
「頭のこの辺りをよ」祖父が頭を指差す。「ガンって殴られた様な気がしたぜ」
 ざまあねーなあ。自嘲する祖父の情けない顔。
「忘れさせてやる事が、そんなものはねーんだって教えてやる事が、透を辛い思いから救ってやれるたった一つの方法だと信じ切ってきた。それが余計透を苦しめてるなんて、思いもしなかったぜ……。もうすっかり昔の話になったから、透はその話をしなくなったんだって脳天気に信じ込んでたんだ。笑っちまうよなあ……。今頃、こんなことを言い出すのも何なんだが」
 済まなかったなあ。祖父がしみじみと言って、透に頭を下げた。
「……おじいさん……!」
「お爺ちゃん!」
「あんときゃ、あれっきり何の話もできないまま別れちまったから、今日会ったら言わなきゃと思ってたんだよ。まあ、渋谷君の話を聞く前に言っとこうと思ってな」
 ぽりぽりと、子供のように祖父が頭を掻いている。
「世界中の人間が何といおうと、俺達だけは無条件に透を信じて、味方にならなきゃならなかった、ってな……。まさか20そこそこのガキに説教されて、ぐうの音も出なくなっちまうとは思いもよらなかったぜ……」     けどよ。祖父が真摯に瞬く瞳を、まっすぐに透に合わせた。
「渋谷君の言ってる事は正しい。……もう何年も俺達は間違ってたんだ。……済まなかった、透」
「………おじいさん……」
 胸の奥から溢れるものを堪えるように目を閉じると、透は深く腰を折り、頭を下げた。
「透。…今日彼が何を話すか分からんが、それでも……お前はやっと、本物の友達を持てたな。よかったな……」
「はい」
 この数日間、胸を塞いでいたものが温もりと共に溶けていく。それを確かに感じて、透はようやく本物の笑みを顔に浮かべる事ができた。
「………お爺ちゃんが先にそれだけ言っちゃったら……私、何にも言えないじゃないの………」
「…繭?」
「私だって、ずっと気にしてたのよ……。私、もしかしたらずっと透に酷い事言い続けてきたんじゃないのかなって……」
「繭」
「あいつがあんな事言うから、私……。言っとくけど、私はまだあいつのコト信じた訳じゃないからね! 今日、妙な事を言うようだったら、タダじゃおかないんだから! ………でも、透。その……もしも、私の言った事が透を傷つけてきたんだったら………ごめんね」
 許してね。
 しおらしく上目遣いで謝る繭里の姿に、透は思わず吹き出していた。
「何でそこで笑うのよ!」
「ごっ、ごめん! …でも、繭は偉そうにお説教してる方が似合ってるから……」
「それ、どういう意味よ!?」
 拳を振り上げ、全く力のこもっていない繭里のパンチを胸に受けながら、透は久し振りに心から笑っている自分を実感していた。

 やがて今井田教授と駒井達3人の学生達がやってきた。そして約束の時間から5分程遅れて、勝利が研究室の扉を開いた。
「遅くなりました」
 ほんのわずかの間忘れていた緊張が、透の中に蘇ってくる。
 部屋に入ってきた勝利は、まず真直ぐに今井田教授と祖父の前に向かうと、その場で姿勢を正した。そしていきなり深々と頭を下げた。
「先日は、興奮していたとはいえ、大変失礼な事を申しました。申し訳ありませんでした」
「渋谷君……!」
「気にしなくていいぜ、渋谷君」
 慌てる透を手で制して、祖父が明るい声を上げた。勝利が頭を上げる。
「はっきり言って貰えて、むしろこっちは感謝してるくらいなんだぜ? さっき、透ともそういう話をしていたのさ。いい友達ができてよかったなってな。だからもうその話は終りにしよう。イマさんもいいよな?」
 ぽんと肩を叩かれて、今井田教授が「ああ、まあ……」と不本意そうな唸り声を上げた。
「そういう訳で」祖父がさっさと話を進める。「話を聞かせてくんな。ずっと待ってたんだからよ。ほら、繭、渋谷君にお茶と菓子を出してやりな」
 勝利が、そこでようやく透に視線を向けた。
 透に、何か決意を促しているような、強い瞳がそこにあった。



 前回と同じ場所にそれぞれが腰を落ち着けていた。
 前に置かれたお茶を一口啜って、勝利は呼吸を整えた。全員の視線が、今、自分1人に向けられている。
「まず最初に言っておきます」
 目を上げて、ぐるりとその場に居合わせる人々に視線を巡らす。
「今から俺がする話は……ホラ話、いい加減で陳腐なお伽話だ」
 一瞬、全員の顔がきょとんとなる。
「…………まさか、1週間掛けて作り話を考えてきたんじゃないでしょうね……!?」
 繭里の声が地を這う。
「……そういう前提の上で、聞いてもらいたい」
「ちょっと!」
「俺が話すのは」繭里を一切無視して、勝利が透に目を遣る。「涼宮に対して、だ。凉宮が理解してくれればそれでいい。俺は今からする話を、涼宮以外の誰に理解してもらおうとも思わない。理解してもらうために説明する気もない。だから、お伽話だと思って聞いてもらいたい」
「なるほどな」香坂教授が面白そうに笑って言った。「透に話が通じりゃそれでいいってことだな? 俺達は単なるおまけかい?」
「そんなとこです。本来、あなた方はこの話に必要無いんですから。それが嫌なら出ていって下さい」
 言いやがるぜ。香坂教授が苦笑する。
「構わねえよ。渋谷君、透に話してやってくれ」
 こくり、と勝利が頷いた。


「今から数千年前」
 勝利の瞳は真正面の透から動かない。
「あの世界で、魔族と呼ばれるようになった人々は、自分達の国を作った」
 うん、と透が頷く。
「だが人間との関係が悪化する中で、魔族の中に、その世界に見切りをつけようという一派が現れた」
 ハッと、透の目が瞠く。
「あの国の正史からは消されているそうだから、お前も知らないと思う。……彼らは、かなり高位の貴族で、魔力も相当のものだったらしい。やがて、次元の壁を超えて、異世界へ渡る道を見つけたんだ。そして、仲間達と袂を分かって別の世界に新天地を求めた」
「……まさか……それが……」
 呻くような透の声に、勝利が頷く。
「そう、それがこの、地球世界だ。そこで彼らはその世界の人々と交わりながら、少しづつ自分達の血を広げていった。つまり、この地球で『魔族』を増やしていったんだ。彼らは元の世界での様に、自分達の国というものを作る事はしなかった。その代わり、彼らの子孫は世界中に散らばって、混血を繰り返しながら、それでも現在に至るまでちゃんと存在し続けている」
「……渋谷、くん……まさか……君………」
 透の声は、もうほとんど喘ぎに近くなっている。
「そうだ。俺の親父も、そして俺も……魔族だ」
 話を聞く全員が、思いも掛けない発言に、ある者は息を止め、ある者は荒い息を吐き出し、ある者は溢れそうな声を押さえるために口を押えている。
「数千年に渡る混血だ。もう長い寿命なんてほとんど痕跡を留めてないし、魔力も、際立った能力もない。まあ、せいぜい他の者に比べて出世が早い程度かな? それでも、魔族のネットワークは世界中にはり巡らされて、今もしっかり機能している。その最初の一族の直系とかいう人物が地球の魔王を名乗って、世界的なビジネスを展開しながら魔族を統率しているんだ。……言っとくけど、アンチキリストとかサタンの何とかとか、そういう黒魔術だの悪魔信仰だのとは全く関係ないからな! もちろん、涼宮はちゃんと分かってると思うけど」
 他の者の理解を求めないと宣言した割には気にする勝利に、透が呆然とした顔で頷く。
「長い間続いた混血だから、同じ親から生まれても、魔族の特性を持つ子供もいれば、全くただの人間の子供がうまれる場合もあるんだそうだ。俺の親父の場合も、魔族として認められたのは親父だけで、親父の兄弟は人間だ。だからこの話は、親父の兄弟達には全く知らされていない。……魔族の特性ってのが何なのか、まだ俺にはさっぱり分からないんだが、爺さんには分かるらしいな……。ここまで、いいか?」
 問い返されて、ぼんやりとその顔を見返した透は、一瞬後に慌てて頷いた。周囲の人々は頷く余裕もなく勝利を見つめている。
「そして、あちらの世界とこちらの世界は、完全に断絶している訳じゃない。二つの世界に別れた魔族は、ちゃんと交流の手立てを残していたんだ。そこで……」
 ここからが本題だ。勝利が宣言した。


「……今から20年以上も前のことだ。俺達の一家、といっても、俺は生まれたばかりの赤ん坊だったんだが、家族はアメリカのボストンに住んでいた。親父は銀行の融資係で、海外赴任してたんだな。で、ある日、親父はボスに……魔王にランチに招待されたんだ。そして出向いたレストランで、1人の男に紹介された。どこから見てもまだ10代後半の若い、なかなか颯爽とした美男子で、でもその割に酷く暗い印象のヤツだったと親父は言ってた。魔王は……彼が異世界からこの世界を訪れた魔族だと告げた」
「……まさか、まさか……その男が……」
 透の言いたい事を察して、勝利が頷いた。
「そうだ。その男は……コンラート・ウェラーと名乗った」
「…っ! …………たい、ちょう……っ!!」
 込み上げる激情を押さえるように顔を両手で覆うと、そのまま透は天を仰いだ。手の奥から、押え切れない声が漏れる。
 「当ってるんですか?」と、小さな声で逸美が繭里に囁いている。口元をやはり両掌で覆った繭里が、呆然と目を瞠いたまま、激しく首を縦に振る。彼女の隣で、香坂教授も今井田教授も、情報の整理がつかないのか、呆気にとられた顔のまま、口を開けたり閉じたりを繰り返している。

 ギャラリーのその様子を確認して、勝利は徐に持参してきたバックを開けると、中から1通の封筒を取り出した。中には、実はコンラッドの写真が1枚入っている。他にも持ってきた写真はあるのだが、適当な時に、まずそれを見せろと村田に言い付かったのだ。中は、実は確認していない。
『僕が厳選した写真が入ってるからね! きっと喜んでもらえると思うな〜』
 後から見せる事になっている他の写真は、村田と有利が二人で選んだものだと言っていた。

 夢じゃなかった。妄想じゃなかった。隊長も、俺も、皆も、ちゃんといたんだ……! 押し殺した叫びのような言葉が、口を押さえる手の隙間から溢れてくる。
「涼宮」
 勝利の呼び掛けに、透が手を外して顔を正面に向ける。その顔は涙にしとどに濡れて、だが同時に歓喜に輝いていた。
「ありがとう! ありがと……渋谷君……ああ、本当に何て言ったらいいんだろう、僕は……。そうだ! いつかお父さんにお話を伺いに行ってもいいかな? できたらぜひ……」
 透の言葉が終わらない内に、勝利は封筒を差し出した。泣き笑いの顔のままで、透がそれを受け取る。
「写真だ」
「写真…? 写真って………っ!!」
 意味を理解した途端、透が必死の形相で封筒を開けようとする。大した封もしていなかったはずの封筒は、瞬く間にぼろぼろになってしまった。
 そして、中から1枚の写真を取り出して─。

「………隊長……!!」

 叫んで、両手でしっかりと持った写真をさらに目に近付ける。
 ぼろぼろぼろぼろと、大粒の涙が透の瞳から溢れて頬を流れ、膝へと零れて落ちていった。
「……透……それ、間違いないの、ね……?」
 ごくん、と息を呑みながら、繭里が確認する。

「………隊長、だ……!」
「う、うん……」
「……隊長が……」
「うん」
「…隊長……」
「うん……?」

 透の様子がおかしい。
 感動の涙が、急にぴたっと止まったと思うと、しばし呆然とその写真を見つめ、そしてそれから。
 またもほろほろと涙を流し始めた。

「凉宮? ……おい、大丈夫か?」
 勝利も慌てて声を掛ける。

 透は。
 何だか、めそめそという感じで涙を流し始め、その目は……写真を通り越してどこかうつろに遠い所を見つめている。

「お、おい、凉宮!?」
「透! どうした!?」
 まさか壊れちまったんじゃないだろうな!? 焦る勝利。
「たいちょう……」
 もうすでに、おかしくて笑っているのか、哀しくて泣いているのか、さっぱり表情が分からない。
「たいちょう、が……」
「うん?」
 透が、子供のようにしゃくり上げた。


「……隊長が、浅草寺の雷門の前で……片手にソフトクリーム持ってVサインしてる………」

 ………………。
 ………………。
 ………………。

 ………村田っ! てめえ、どういう写真を『厳選』しやがったんだっ、こらっ!!


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ぜえぜえぜえ……。こじつけをこじつけて、こじつけが……。

透君、実は自分の記憶が妄想かもしれないという不安を、ちょっとだけ持ってました。

ご感想、お待ち申しておりますデス〜。(ちょっとヘロヘロ…)