『……グウェンはさ。苦労性の長男なんだよな。無口で、無愛想で、眉間にいつもこう、こんな感じで皺がよっててさ。一見すっげー怖くて、おれもかなり苦手だったんだけど、でもホントは優しくて、まあ、表に出ない優しさっての? ぶすっとしながら、実はイロイロ助けてくれてたんだって後から気がつくっていうか。コンラッドのことも、ヴォルフのことも、とっても大事にしてるんだ。コンラッドとは、お互いすっごく信頼しあってるし。言葉にも態度にも出ないけど、みてたらそれがよく分かるっていうか…。それとヴォルフはあ、もう力一杯わがままプ−! …プーって何かって? んなコトはどーでもいいから。とにかく、生意気だしプライド高いし魔王より偉そうだし……って、それはおれの問題でもあるんだけどー。もうすげー意地っ張りなんだ。コンラッドに対しても、ホントは大好きなクセに嫌いなフリして。……え? 何でって? あー、まあそれは話せば長くなるから今度な。プーの説明もその時に。……えーと、とにかく、変な意地を張り続けててさ。ウソだっておれが見ても分かるくらいバレバレなのに。だからコンラッドも、ヴォルフがどんなに憎まれ口きいても、にこにこ笑って受け流してんだよな。……もっと素直になればいいのになあ、あいつも……。まあ色々あるんだけどさ、いい兄弟だよ、あの3人。あの3兄弟が結束して、ばっちりおれの周りを固めて助けてくれてるから、おれも何とか王様やってけるんだと思う。他にもすごく有能な側近がいっぱいいてさ。おれって、ホントに恵まれた王様だと思うんだ!』 「同じ魔王の息子でありながら、あの人に対する扱いはひどかった……! 父親が人間だというだけで、貴族達は、あの人が魔王の御子であることすら認めたがらなかった。兄と弟が殿下の尊称を受けて皆にかしづかれていても、あの人は……。あの人は、貴族としても、最下級の身分しか与えられなかったんだ…!」 悔しそうに、心底悔しそうに、透は握った拳を震わせた。 「あの人の兄と弟もそうだ。半分だけでも同じ血を引くのが汚らわしいと、誰憚る事なく口にして…。いつもあの人を見下していた……! あの人は、常に末席に追いやられ、時にはその席すらなく、公式の場では、実の母親や兄弟達にも、臣従の礼を取らなければ言葉を交わす事さえ許されなかったんだ!」 透は唐突に溢れ出た激情を押さえるように、震える拳を胸に押し付けて、一つ大きく深い息を吐き出した。 「……透」 繭里が透の二の腕にそっと手を伸ばし、優しく撫でる。 「大丈夫?」 両の掌で、今度は顔を拭うように覆った透が、やがて小さく頷いた。 「……ごめん。……久し振りだったから……」 ゆっくりと上げた顔は、苦笑を浮かべている。 「繭、悪いんだけど、お茶……緑茶をいれてくれないかな? ちょっと落ち着かないと、ますますヤバいやつだと思われてしまう」 冗談めかして言う透の苦笑は深い。繭里が席を立ち、しばし流れる沈黙の中で、陶器の触れあう音だけが響いた。 「………その第二王子のこと……君は、その…前世、では、尊敬してたのかい? ええと…同じ混血だったから?」 3人の学生のリーダー格らしい駒井が、透の様子に安堵したのか、おずおずと質問してきた。 透が、小さく左右に首を振る。 「尊敬はしていたよ。心から。でもそれは、あの人が混血だったからじゃない。本当に、本当に立派な人物だったからだ…!」 再び溢れそうになるものを堪えるように、一度きゅっと目を閉じて、それから透は口を開いた。 「……あの人のお父上は、長く放浪して剣の腕を磨いてこられた方だったけれど、剣士としてはもちろん、人としても素晴しい方だったんだと思う。それに、情熱的な人でもあったんだろうな。流浪の剣士の身で魔王の夫になるのは、それこそ命がけの覚悟が要ったはずだ。それでも見事に思いを貫かれた訳だしね。周囲の反対がどれだけのものだったか、僕にも想像するしかできないけれど、命を狙われたという話も聞いている。そして御子が生まれた時も、たぶんその御子の人生が辛いものになる事は充分分かっておいでだったのだと思う。お父上は、あの人が剣を持てる年齢になるとすぐ、あの人を連れて旅に出られるようになったんだ」 「……つまり、コ……ゴホゴホ、あー、子供、も、父親と一緒に放浪の旅をするようになったってことだな?」 勝利の、どこか妙な言い回しに気づく事なく、透はうん、と頷いた。 「王宮の偏見の目の中で押しつぶされたり、歪に育つよりも、無一文の剣士の流浪の生活を学ぶ事で、精神と肉体を鍛え、そして世界に対する知識と視野と見識を広げることで、苦難を乗り越えていく術を身につけていくことを望んでおられたのだと思う。なぜなら……魔族の成長は遅くて、人間の寿命はあまりに短い。父上がどれほど長く息子の支えになりたいと願っておられたとしても、それはとうてい叶わないことだからだ。だから、自分が魔王を愛したために、苦難の人生を背負う事になるわが子に、せめて、自分が生きている間で教えられる事は全て伝えておきたいと願われたんじゃないかな。……収容所でのたれ死にしかけていた僕達を助けて下さったのも、その旅の途上での事だったんだ」 どうりで、やたらと順応力のあるやつだと思った。勝利は内心で深く納得していた。新しいものを見ても驚きで固まったりせず、柔軟に受け入れて、瞬く間に身につけたかと思うと、即座に応用する。 物心ついた頃から、鍛えられてきたわけだ。 繭里が新たにいれたお茶を配る。お茶請けは羊羹だ。透は一口緑茶を啜って、急激に年老いたようにふうと息をついた。 「…お父上が亡くなった後も、あの人は時折、剣一振りを身につけただけで旅をなさったそうだ。冷たい家族や、宮廷の貴族達に囲まれた孤独より、旅の孤独の方がずっと楽だったろうし、あの人にも合っていたんだと思う」 ………どうも印象が違うな。 コンラッドと家族との関係についても、聞いていたのと、ちょっと、いや大分違う。 勝利は内心首を捻った。 『皆で旅行行こうよっ。そだっ、温泉行こう! 温泉っ!!』 春休みに入ってすぐ。進級祝い(まだ進級してないのに)を抱えた名付け親の登場に、弟はすっかり舞い上がっていた。 『済みません、ユーリ。仕事を放りだして来たので、あまり長くはいられないんです』 えーっ!? と不満げに声を上げるのは……それでも王様か、お前はっ。 がっかりする弟の様子に、母親が脳天気な声を上げた。 『だったらねえ? 近場でちょっとお出かけしない? ほら、お台場とか。そうよ、あの辺りには素敵なシティホテルもあるし、美味しいレストランもあるし、コンラッドさんがお土産を買うお店もいっぱいあるしっ、それに! 温泉もあるわ!!』 温泉って……あの某江戸的温泉……か? 一泊くらいならいいでしょ? お台場くらいなら気軽に行って帰ってこれるし。ねっねっねっ。 気がついたら、無理矢理頷かされた一家の主と長男を他所に、どこから出したんだその山は! と叫びたい程のガイドブックを広げ、母親と弟とコンラッドとそれから……。 『1泊するんだったら、水上バスで浅草までってのもいいかもねー。桜にはまだ早いけど、実に日本らしい場所だしさー』 『おー、そうだよなっ。そうだ、そうしよう! で、観音様にお参りしてー…』 『お前魔王だろうがっ。魔王が観音様に……って、そうじゃなくっ! てめえ、ムラケンっ、一体どこから湧いて出たっ!? いつの間にそこに座って……!?』 『やあねえ、しょーちゃん。村田君が突然現れるのはいつものことでしょう?』 『そうそう。それに村田がいるとちょうどいいよな。ホテルさ、おれとコンラッドとで1部屋だろ、親父とおふくろで1部屋、でもって、村田と勝利で1部屋。な?』 『まあ、今回はそれでしょうがないか』 『申し訳ありません、猊下』 『いやいや、気にしなくていいよ、ウェラー卿』 ……一体何を謝って、一体何を気にしなくていいんだ? いい加減にしろよ、お前ら。 怒りの叫びを完璧に無視して、その後4人は、ガイドブックのチェックに大盛り上がりに盛り上がっていった……。 『……勝利、こっちとこっち、どちらが可愛いと思う?』 お台場の某ショップで、やたらと目立つ男前がぶら下げてみせたのは、どこかの英会話学校のマスコットキャラそっくりの無気味なうさぎもどきと、某マヨネーズ会社の…以下同文─勝利の頭の中にいきなり「たーらこー…♪」と歌声が響く─とにかく「キモ可愛い」とか呼ぶらしい人形がぶら下がった携帯ストラップだった。 『…………どうするんだ、それ』 『いや、兄への土産にと思って。店員さんのお勧めなんだけど、これ……可愛いのかな?』 剣の鞘にぶら下げるんだと聞いて、勝利は思わずぐらと目眩を感じた。本気なんだろうか、それとも兄貴への嫌がらせなんだろうか。真面目な顔をしているから、たぶんきっと本気なんだろう。……こいつの兄貴って一体………? 『ユーリがイルカのバンド−君を贈って以来、すっかり流行って……あ、ユーリ、これ、グウェンの土産にしたいんですけど、どちらがいいと思います?』 ずい、とストラップを見せられて、一瞬「う」と引いた弟は、しばらくそれをじいっと見つめてから、「びみょー」と呟いた。それからパッと顔をあげると、満面の笑みを浮かべて名付け親の腕を引っ張った。 『あっちにも、別のおもしろそうなものがあったぞ。色々見て比べてみようよ!』 次にその姿を見つけた時には、コンラッドと弟、二人揃って、味見の皿を捧げた菓子屋の店員達に取り囲まれていた。 『どうぞー、お台場名物のお饅頭ですー』 『ウチのは、うぐいす餡が評判なんですよ〜。あの、お口に合いますかあ?』 『当店のクッキーです! パイもあります! よろしければ、コーヒーも持ってきます!』 『こっちこそっ、緑茶でよろしければ、すぐにっ!』 ずいずいとコンラッドに向けて差し出される味見の菓子を、下からかっさらっては口に放り込む弟を、にこやかに見つめるコンラッド。 『ユーリはどれが美味しいですか? ユーリが美味しいものを頂きましょうね』 夜、ホテルの部屋のテーブルには、幾つものストラップと菓子箱が重なって並んでいた。 『ストラップっていうのはいいね。小さいからかさ張らないし、綺麗だからお土産にぴったりだ。こういう、剣の鞘にぶら下げて似合う飾りというのは、あちらに余りないんだよ』 携帯ストラップは、剣の鞘にぶら下げるモンじゃない。勝利のしごくもっともなセリフは、目の前の男にさらりと流された。 これは兄に、といって見せてくれたものは、最初に見せられたものよりよほど趣味のいい、ガラス製のクマとうさぎと猫がぶら下がったものだった。どうも兄貴への土産には、「可愛い」というのが重要なキーポイントになっているらしい。それに対して、弟への土産のストラップは、三日月をモチーフにした繊細な銀細工風のものだ。華やかな薔薇をかたどった母親へのものもあり、他にも幾つか、勝利の目から見ても感じのいいストラップが並んでいた。どれも安物には見えなかったから、たぶんそれなりのブランド店で買ってきたのだろう。 『……ちょっと無理言ってきてしまったから、後のフォローが色々あるんだ。ユーリと一緒に選んだって言ったら、きっと喜んでくれると思うよ』 そう言って、コンラッドは照れくさそうに笑った。 『このお菓子の山はどうするんだ……?』 指差した向こうには、お台場名物の和菓子洋菓子詰め合わせの箱が重なっている。 『もちろん皆へのお土産だけど……あちらでちょっと研究してもらおうと思って』 『研究?』 『ああ。…これ、ユーリが美味しいって言ってくれたものばかりなんだ。だから、あちらへ持って帰って、城の料理人達に似たようなものが作れるかどうか、試してもらおうかな、と。……日本の味が少しでも向こうで再現できれば、ユーリも喜んでくれるんじゃないかと思って……。それから、俺の兄もね、これが結構お菓子造りが上手いんだ。ユーリが好きなお菓子だって伝えたら、きっと密かにがんばってくれるんじゃないかな。何のかんのと言ってるけど、兄もユーリの笑顔をとっても大事にしてるから。ああ、もちろん、兄だけじゃなくて、弟も、城の皆も、全員だけどね』 ウィスキーのグラスを手に、楽しそうに笑ってそう語るコンラッド。 冷たい家族。そして孤独。 少なくとも勝利の目に、そんな影は微塵も映らなかった。 「…あの人の放浪は、結局士官学校に入ることで終わった。士官学校は貴族や上流階級の子弟が集まる場所だ。全員が純血魔族ばかりで、後で聞いた話だけれど、あの人はそこでもかなり酷い仕打ちを受けていたらしい。魔王の息子なのに、貴族としての身分は最下級、そして、卑しい人間の血が混ざっているとあってはね……」 それが本当なら、こちらの世界に置き換えても、あまり想像したくない状況だ。 異世界だろうが、魔族だろうが、結局「人」ってものはどこでも似たようなものかと、勝利はうんざりと考えた。 ……とはいえ、あのコンラッドが、「苛め」を受けて泣き暮らしていたとは到底思えない。多分間違いなく、にっこり笑いながら鋭い反撃を……。 「あの人は、ただじっと耐え忍んでおられたんだ」 ………あれ? 「あのぉ、凉宮さん?」 密かに首を傾げる勝利の隣、3人の心理学者の卵達から声が上がった。逸美だ。 「その、さっきから、2番目の王子様のお話ばかりなんですけど……。凉宮さんご自身については……?」 逸美の指摘に、透が「ああ、そうか」と小さく目を瞠り、それから可笑しそうに吹き出した。 「…ごめん。彼の話をし出したら止まらないんだ。前からずっとそうなんだよ」 「透、その人のこと、本当に尊敬してたって言ってたものね」 繭里の言葉に、透が頷く。それから気を取り直したように、透は逸美達に目を向けた。 「僕は、母が生きている間は、とにかく色んな仕事をして家族を養っていた。そして母が亡くなり、僕もある年齢まで成長すると、軍の兵学校に入学したんだ。兵学校は、士官学校と違って、全員平民だ。それに、必要なのは身分でも血筋でもなく、腕っぷしと最前線で役立つ能力だけでね。混血である事も問題にされなかった。士官学校と兼任の教官も、純血だろうが混血だろうが、分け隔てなくしごいてくれたし。……僕は実はね」 透が、いかにも楽しそうに笑い出した。 「僕は『豪腕』って二つ名がついてたんだよ?」 「豪腕?」 そう、と透が頷く。 「身長が、こちらの数字でいうと、2メートルはあったと思うな。筋肉は隆々としてて、とにかく顔も身体もごつくて、そう、ゴリラみたいに逞しい大男だったんだよ」 「……お前がかぁ…?」 思わず勝利が声を上げる。目の前に座っているのは、ほっそりとした優しい顔立ちの男で、剣などより、むしろ日舞の家元の跡継ぎです、と言われた方がよっぽどしっくりくる。 勝利の表情に満足したのか、うんうんと笑いながら頷いて、透は話を続けた。 「そのくせ、手先が妙に器用でね。細かい作業も得意だったんだな。剣もそこそこ使うし、体術は誰にも負けないし、あんまり頭が良かったとはいえないけれど、兵士としてはなかなかの逸材だったんじゃないかなあ。訓練も楽しかったしね。それに、兵学校では、あの収容所に一緒にいたやつ……ほら、あの人の副官の話をしただろう? そいつとも再会できて、僕は結構充実した毎日を送っていた」 透の瞳が、何かを懐かしむように揺れた。 「…………母が死んで、僕の家族は妹だけになっていた。妹は……生まれてから長く続いた栄養不良の状態が悪かったのかも知れない、酷く体が弱くてね。虚弱体質っていうのかな。外で風に吹かれただけで、熱を出すような子供だった。それは僕が軍に入っても変わらなくて。……僕達が住んでいた村の、子供のいない夫婦が世話を買って出てくれて、おかげで僕は安心して軍に入れたんだよね」 思い出すなあ。透の目が懐かしげに宙に浮いた。 「僕の家は村の外れで、家の玄関に向かう1本道があるんだけど、妹の部屋はその道を眺める事ができる場所にあったんだ。それで窓際にベッドを置いて、妹は僕が帰る予定の日になると、窓を開けて、ベッドの上からずっと外を眺めていた。そして僕の姿を見つけると、一生懸命手を振ってよこすんだ。『お兄ちゃん! お帰りなさい!』ってね……。窓を開けてたらまた熱を出してしまうのに、何度言い聞かせても止めなかった。……僕が、軍の給料で生活に必要なものや、世話をしてくれてる夫婦への土産を用意しているのを見て、妹はいつも僕に謝っていたな。『身体が弱くてごめんなさい。何もできなくて、お兄ちゃんの荷物になって、本当にごめんなさい』って、最後には必ずべそをかいていた。荷物なんかじゃない、お前が俺の支えになってるんだって、抱き締めて頭を撫でて、どれだけ言い聞かせても泣き止まなくて。……隣の夫婦に聞いたら、妹は、家計の足しにと縫い物や編み物や得意の刺繍を請け負って、少しでも賃金を得ようと頑張っていたらしいんだ。でもちょっと頑張ると、必ず身体を壊してしまって。だから余計、自分は役立たずだって気持になってしまったらしいんだよね。……本当に健気で、愛しくて、世界で誰より護りたいたった1人の存在だった……。…妹はね、気が小さくて、人見知りっていうか、初対面の人と目をあわす事も出来ない子で、身体が弱いから友達もあまりいなくて、花や飼っていた猫や、それから部屋に時折飛び込んでくる蝶やてんとう虫に話しかけて、それだけで満足しているような子だったけれど、でも本当に心の優しい、僕と血が繋がっているとはとても思えない程可愛らしい子だったんだ。………あの子は……」 今頃どうしているのだろう。透の言葉はなかったが、そう言いたかったのではないかと勝利は思った。 それにしても。身体の弱い、「お兄ちゃん」だけを頼りにしている可愛らしい妹か。……羨ましい……いやいや、そんなコトはどうでもよく。と、そこまで考えて、勝利はふと気づいた。 透は、誰の名前も口にしていない。 自分自身の前世の名前はもちろん、妹の名も、コンラッドの名前も。そして、眞魔国という国の名も。 その事実を、勝利はそっと胸の中のメモに書き付けた。 「……そうやってしばらくは、穏やかな、少なくとも僕と妹にとって平和な日々が続いた。でも、その間もずっと、魔族を巡る情勢は悪化し続けていったんだ。特に、僕達を収容所に放り込んだあの国、あの、人間達の国と魔族の関係がどんどん険悪化していって、そしてついにある日……人間達の軍隊が国境を侵犯して……襲撃してきたんだ。まるで……獲物を見つけた獣が飛び掛かるように……」 「人間と魔族の間で戦争が起こった……?」 一心にノートに何か書き付けていた駒井が、顔を上げて確認を取った。 そう、と透が頷く。 「まともな宣戦布告もなかった。魔物に対しては、礼儀をわきまえる必要もないと思ったらしいな。……あの人とも再会して、軍の生活にも慣れた頃から、かなり情勢がヤバいという事は知れ渡っていた。様々な挑発行為や、小競り合いが、その数年あちこちで起こっていたしね。僕達末端の兵士にも、その緊張感は伝わっていたから、たぶん上層部でも相当危機感が高まっていたんだと思う。訓練もどんどん厳しくなっていったし。……魔族には同盟国というものが存在しない。人間にとって魔族は魔物なのだし、魔物と手を組むはずもない。魔族の国は孤立無援だったんだ。もちろん、戦力は長い年月の間にかなり貯えられていたし、高まっていた人間への反感もあって、士気も高かった。それでも、一国だけならまだしも、もしも人間達が総力を上げて魔族撲滅に決起したら、どれだけ耐えられるか……。実際、攻めてきた人間の国は、『神の名において、魔物を滅ぼす正義の戦い』を標榜して、聖戦への参加を呼び掛けていたしね。それに乗る国があってもおかしくはなかった。士気は高かったけれど……恐怖もまた大きかった……」 「…あの、でもさ」勝山が口を挟んだ。「ええと、ほら、映画でもそうだろ? 魔族とか魔王って、確かに数は少なくても、すごく恐れられてるじゃないか? その世界でもそうだったんだろ? すごい能力っていうか、魔力っていうのか分からないけれど、そういうものを持っているんだから、例えどれだけの数の人間達が向かってきても、撃退できたんじゃないのか?」 「それ、割といい質問だね」 透が勝山に向かって、にこ、と笑いかけた。「あ、そうなんだ?」と勝山が照れる。 「確かに魔族には魔力がある。でも個人差があってね、純粋な魔族でありながら、魔力を持たない者も割と当たり前にいたんだよ。ちなみに、俺……僕達混血の魔族は、全く魔力がなかった。あの人、その頃あの人はおれ…僕達の隊長になっていたんだけど、彼にも魔力は欠片もなかった」 そうだったのか? そういえば、コンラッドが魔力を使うという話を聞いた事はない。だが、そうすると、有利は? 弟だって混血のはずなのに、と勝利はまたも首を捻った。 「……そして、長い年月、人間も魔力に対抗して力を開発していたんだ。それを、法力という」 「ほうりょく……?」 「魔力が、それぞれの資質に従って得た精霊の力であるのに対して、法力は素養のある者が修練によって得た力だ。そうだな、日本なら…ああ、ほら、陰陽師とかあるだろう? 本当のところは知らないけれど、小説や映画ではすごい力を発揮してるよね。あんな感じかな」 なるほど、うんうん、と勝利、そして3人の学生達が頷く。 「そして法力の中には、魔力を封じるというものもあるんだ。彼らが出て来ると、力の差にもよるけど、魔族は魔力が奮えなくなる。同様に、魔族の中にも法力を封じる力を持つものがいて、まあつまり、戦場ではまず、そうやってお互いの力を封じあう事から始まるんだな。とすると、どうなると思う?」 「つまり、両方がそういった力をだせなくなる訳だから」勝利が言って、顔を上げた。「最後には……肉弾戦か」 そう。透が頷いた。 「結局は、剣と剣とのぶつかり合い、だ」 「それで……人間達は勝てると踏んで戦争をしかけてきた訳だな」 「圧倒的に数で勝っていたからね。………でも魔族側も必死だった。負ければ、魔族は滅亡するだけなんだから。一方的に始められた戦争は……その以前からの小競り合いも含めて、簡単には終わらなかった。予想以上に長引いて、そして……。海戦ではかなりの成果を上げていたけれど、地上ではほとんど本土決戦状態だったから、国土もどんどん荒れていくし、難民も出るし、時間が経つに連れて……次第に魔族は押されていったんだ……」 だから。どこか悔しげに、透が唇を噛む。 「戦争が長引けば、生活も苦しくなる。人の心も荒れる。そんなことはどこでも同じだ。……人々は、少しづつ少しづつ、恐怖や不安や怒りのはけ口を探すようになっていった。そしていつしかその視線は……憎い人間の血を引いた、僕達混血に向かっていったんだ……。混血へのあからさまな差別や、理不尽な仕打ちが、だんだんと表面化していくようになって、やがてそれは、一般国民の生活のレベルで治まらず、国家的なものとなっていった……」 「…敵性外国人ってやつだな。まあ、外国人じゃないんだろうけど」 同じ国に生きる人間でありながら、利敵行為に走りかねない放っておくには危険な、もしくは危険と想定された人々。かつて第2次大戦時、アメリカ政府は日本人移民を収容所に強制的に集めた。アメリカで生まれ、アメリカに忠誠を誓い、アメリカ人として自覚を持って生きていた日系2世達すら利敵行為を疑われ、財産も奪われ、基本的な人権も無視され、容赦なく収容所に放り込まれ、悲惨な生活を強いられたという。 それと似たような発想なら。人間の国も、魔族の国も、そしてこちらの世界も異世界も、考える事に大差は無いということだ。 「……人間の国から逃げてきた僕の同胞達は、多くがあの人、隊長のお父上が魔王陛下から与えられた土地で暮らしていた。僕達一家の様に、仕事を求めて別の土地に移る者もいたけれどね。ただその土地が、もともと魔王陛下の直轄地だったこともあって、庇護されていたんだな、人間の国でのように収容所に入れられるような事にはならなかった。でも、その分、様々な差別や、時には暴力が、直接混血達の身に降り掛かるようになってしまった……」 「暴力……」 逸美が、息を呑むような表情で身を乗り出してくる。 「例えば、家族が戦死したとか遺族とかね。……悔しい。人間が憎い。殺してやりたい。混血の魔族達は、そんな民の怒りの標的となったんだ。命を落とす者まで現れて……でも、さっきも言った通り、混血への差別は国家的なものになっていたから、俺た…僕達の訴えは、全くと言っていい程受け入れられる事はなかった」 「ひどい話だわ……」 勝利はふと、透の話を聞く3人の学生の表情が変化している事に気づいた。透の話を真実だと思い始めた訳ではないだろう。だが彼らの態度からは、「精神医学的に少々問題のある子供が作った夢の話」を聞くカウンセラーというよりも、語り部の口から紡ぎ出される「物語」を、興味深く聞き入る観客としての様子が感じられた。それが透にとって、救いになるのかどうかは分からないが…。 むしろ勝利は、繭里、香坂教授、そして今井田教授の方が気になった。彼らの表情は、最初から全く変化しない。もう何度も聞かされた話だからなのだろうか。それとも……。 『……保育園に通う前から、妙な光景が頭に浮かぶようになったんだよね』 弟のお友だちはそう言っていた。 『受け継いだ記憶は変わらないんだけど、でも、それを抱えているのはまだまともに言葉も話せない幼児だろう? だから、何とか頭の中にあるものを大人達に教えようとするんだけど、どうしても……ダメなんだよねー。結局大人達には、何だか訳の分からない事を口走る子供だとしか思ってもらえなくて。少しづつ成長して、自分の頭の中もそれに従って整理されてきて、自分がどうしてそういう『知らない光景』を知っているかも分かってくるんだけど、でも、それをいざ言葉にしようとすると、結局それはその時の人格の年齢とか知識とか教養とか、それから社会情勢とかにかかってくるわけだから、うまくいくとは限らないんだよね。……失敗して、火炙りにされかかった時もあるしー』 『………それは、口にする時代が悪過ぎたんじゃねーのか?』 あははー、と四千年分の記憶を抱えたそいつは笑った。 『僕は村田健で、村田健以外の何者でもない。過去を語るのも村田健であって、過去の誰かでは絶対にない。それを弁えておかないと、過去に呑み込まれて今生きている自分を見失ってしまう。前に渋谷にも言ったけれど、過去のたくさんの記憶を僕は、やたらと主人公に思い入れの強い映画を観た記憶、という風に捉えているんだ。それが過去の記憶を客観化できる最もいい形だと思ってる。でもねー、そういう風に線を引けるようになるまで、かなりの苦労と失敗と涙があったんだよー?』 おそらく、透の話は、成長と共に具体化していったのだろう。だから、ずっと側で聞いてきた教授や従姉妹にとっては、それが透の年齢や経験と共に「成長」し、「完成」したように思えるのではないだろうか。だとしたら、彼らにとって透の記憶は、「物語」以外のものにはなり得ない。事の最初から心理学者が関わっていたということも、彼らの判断に影響を及ぼしているのかもしれないが。………おそらく透は、もうとっくにそんなことは分かっているのだろうけれど。 そして透自身はというと、あいつのように自分の記憶を客観的に見る事ができずにいる。話が進むに連れて、透の意識がどんどん過去にのめり込んでいくのがはっきりと分かる。 勝利はそう考えて、どこか痛ましい思いで友人を見つめた。 どうすればいいのだろうか。透に対して、自分は一体どうすればいいのか……? ……やっぱりあいつに相談するのが一番なんだろうか。 弟のお友だちの顔が、だんだん頼りがいがあるように思えてくるのが、勝利はとにかく悔しかった。 「……妹は幸い、世話してくれた夫婦が村でも発言力のある人達で、妹の身体が弱い事と、僕が軍隊で人間達と戦っていることを理由に、妹を護ってくれてた。でも、村に帰る度、村人達の視線が冷たくなっていくのを感じていたな。小さな村でも、すでに何人も戦死者が出ていたしね……。妹も、僕の前では見せなかったけれど、ずっと気を張っていたらしかった。でもどうしようもなくて……。僕自身、妹の元に戻る事も、だんだん難しくなっていってた。軍でも、混血に対する態度が、露骨にきついものになっていたんだ……」 誰かが、こくんと喉を鳴らした。 「やがて混血だけの部隊が作られた。もちろん僕もその一員で、隊長はあの人だった。そしてその部隊は、れっきとした中央直属の部隊で、正式の名称もあるのに……いつしか『便利屋部隊』と呼ばれるようになっていった……」 「便利屋?」 勝利の声が、訝しげに上がる。 「そう。あちらが危ないと聞けば飛んでいき、敵を撃退する。こちらが大変だから行けと命じられれば、またまたすっ飛んでいって戦う。どこでも、どんな相手でも、どれだけの数の敵が待っていようとも、命じられるままに助っ人に行く。必死で戦う。そして敵を撃退できれば、手柄は全て元々そこにいた部隊のもの。戦闘が終わった瞬間、俺達はいなかったものとされる。報賞が与えられるのも、物資の補給を受けるのも、全て俺達が助けてやった部隊で……誰もそれをおかしいとはいわない。誰も咎めない。俺達は文句も言えない。それでも戦う。命じられるままに。なぜなら……俺達が混血だからだ……!」 透の目に、強い光が瞬いた。 「耐えてくれと。隊長は言った。いつか、いつかきっと、しん…国のためにこれほどまでに必死で戦う俺達のことを、俺達の忠誠心を認めてもらえる日が来る。いつかきっと、俺達混血が、魔族としての誇りを持って生きている事を、信じてもらえる日が来る。いつかきっと、自分は混血だと、当たり前に口にして、当たり前に受け止めてもらえる日がくる。いつか。きっと…………。済まない、と、隊長は俺達に頭を下げた。済まない。魔王の息子として生まれながら、そして、混血の魔族を人間の国からこの国へと導いた当人でありながら、皆に苦しい思いをさせている。済まない、と……」 でも、あの人は許してくれとは言わなかったな。透が呟いた。あの人は、許すと言われて救われる事を望む人ではなかった。 「……俺達の誰も隊長を責める者などいなかった。隊長と隊長のお父上がいたからこそ、俺達も家族も、飢え苦しんだ挙げ句に、何のために生まれてきたのか分からないまま野たれ死ぬこともなく生きてこれたんだ。戦争さえなければ、それはずっと続いたはずだ。責めるどころか、俺達皆、隊長を心底敬愛していた。この人にこそ、この男にこそ、自分の人生の全てを賭けよう。命を預けよう。隊長の進む道を共に従っていこう。その先に、例え死が待ち受けていたとしても悔いはない。皆同じ気持だった。……隊長は」 あの人はね。透の瞳が和む。 「その頃、剣聖と─魔族が『聖』なんておかしいかな─呼ばれる程の剣の達人だったんだ。国でも右に出る者はいないと、純血の魔族や貴族達すらも含めて誰もが認める程の腕の持ち主だった。早くから大陸を放浪して庶民と交わっていたから下情にも通じていたし、身分や地位になど全くこだわらないから、下級兵士達や身分の低い者たちからは、混血純血を問わず慕われていた。実際、純血魔族の兵士でも、隊長の指揮下に入りたいと、俺達の部隊を志願してくる者すらいたんだ。といっても、めったなやつらに俺達の部隊は勤まらなかったけどもな」 「それは…」駒井が口を挟む。「激しい戦闘にいつも駆り出されていたからか?」 それもある。と透が重々しく頷く。……どこか、いつのも透と雰囲気が変わってきている事に、勝利は気づいた。 「結局俺達が送り込まれるのは、危機が迫った戦場ばかりだ。並の兵士では生き延びられない。俺達の部隊にいて生き残ることができるのは、どんな敵であろうと叩き殺すことのできる技量と、そして何が何でも、誰の屍を踏み付けようと生き延びるのだという、強い意志を持った、いや、命汚い戦士だけだ」 ごくりという唾を飲み込む音。 「……当然、俺達の部隊は荒くれ者の集まりとなった。明日死ぬ確立は、どの部隊よりも高い。だから俺達は飲める時に大いに酒を飲み、食い、女を抱き、軍の規律など平気で破った。そんな俺達が従ったのは、隊長だけだ。俺達をまとめる事ができたのは、俺達が無条件にその言葉に従ったのは、隊長ただ1人だ。隊長の口から出た命令なら、それがどんな過酷な戦場へ向かうことになろうとも、皆即座に剣を持って従った。隊長が『行くぞ』と言う。俺達が『おう』と応える。そして死に物狂いで戦う。敵を、人間を殺す。混血の未来のために、そして何より、家族を護るために。戦う事でしか忠誠心を証明する事の出来ない俺達は、同時に敵と戦い、人間を殺す事でしか家族を護ることはできなかった」 「…………立派に人間と戦っている兵士の家族。お前達の家族が身を護るには、もうそれを主張するしかなかったということか…?」 勝利の言葉に、透が「そうだ」と頷いた。 「だから俺達は、一時たりとも気を抜く事も手を抜く事もできなかった。どんなに手柄にならなくても。そして負ける事も許されなかった。一度でも負ければそれで……お終いだ。上の奴等は、それを待っていたんだからな。あいつらは、俺達が負けた瞬間、やっぱり混血、汚らしい混ざり物は人間を勝たせようとしていると主張して、目障りな俺達とそして……誰より隊長を、葬り去ろうと手ぐすね引いて待っていたんだ。そうなれば、俺達の家族も、民の不満のちょうどいいはけ口として、一気に血祭りにあげられただろう」 「……ひどいわ。ひどすぎる……」 逸美が呟くように言う。 「そして俺達は、呪文のように唱えながら剣を奮った。いつか、いつかきっと。いつか混血が堂々と胸を張って生きられる日が来る。いつか。いつか……。でも………」 だめだった。 透のその言葉は、勝利ですら震えを感じる程重く、絶望に満ちていた。 「……どんどん戦況も、国内の状況も悪くなって……。そして、ついに……」 あの日が来た。 NEXT→ プラウザよりお戻り下さい
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