青 空・2


 従姉妹がコーヒーのお代わりをカップに注ぐ。
 それを見るとはなしに見つめて、それから凉宮透は顔を「観客」達に向けた。
 祖父と今井田教授、そして従姉妹の繭里は、すでに馴染んだ話を聞くというよりも、新たに現れた聞き手の様子の方が、よほど気に掛かっているようだ。祖父はゆったりと構えているようだが目が真剣だし、従姉妹は怒ったような顔で順繰りに彼らを眺めている。今井田教授は、自分が口を滑らせ、自分で連れてきた責任でも感じているのか、どこかハラハラした様子で教え子達を見守っている。
 長い年月、この三名だけが、透の訴えに対して常に公平であろうとしてくれた。そして、乞われれば語らずにはおれない透が傷つかないように、向かってくる好奇心や悪意や中傷、そして嘲笑から透を護ろうと、事ある毎に心を砕いてくれた。だから、この三人には心から感謝している。その思いに嘘はない。しかし、彼らが寄って立つスタンス─全ては透の「夢」から育ったという─は常に頑なまでに変化せず、透の「記憶」はいつも心理学的、精神医学的、そして教育学的な「解釈」によってのみ理解され続けてきた。
 彼らのその認識と、そして優しさは、常にセットになって透の前に差し出される。そしてそれを沁み入るように感じる度、胸を掻きむしりたい程のもどかしさと、絶望的な痛みと、そして孤独とが透を襲う。
 いつもいつも。その繰り返しだ。
 透は、左隣のソファに座る初対面の三人に、そっと視線を向けた。
 ……興味津々の顔。
 一体どんな荒唐無稽の「空想物語」が紡ぎ出されるのか。一つ一つのエピソードには、どのような心理学的解釈が当て嵌まるのか。何より、どういう家庭環境、もしくはどのような外的要因が存在すれば、幼い子供がそれほどまでの空想世界に埋没するような状況が生み出されるのか。それを探り出したくてうずうずしている顔。
 おそらくこの後、透のいない場所で、さぞ多くの「分析」と「解釈」が飛び交うのだろう。自分の耳に入りさえしなければ、それはもう好きなだけやればいい。
 そして最後に、透は同じ大学に通う友人に視線を移した。
 渋谷勝利。
 彼の表情を確認して。透はふと、違和感を感じた。
 今まで見てきた、誰のどんな表情とも違う。
 好奇心もない。透を笑い者にしようとしている訳でもない。
 きゅと眉を顰め、ひどく真摯な表情で、静かに、だが厳しく透を見つめている。
 ……一体、彼はなぜいきなり、透の話を聞きたいと言い出したのだろう……。

 勝利とは、都が開催したあるセミナー─IT技術と都市活性化についてという、新鮮なのかいい加減ありがちなのか、今一つ良く分からないテーマの─で出会った。
 遅れて会場に入った透が荷物を落としてしまい、慌てて拾おうとして勢いあまり、蹴り上げた挙げ句に宙を飛んだ携帯が、座っていた勝利の後頭部を直撃して生まれた縁だ。
 成りゆきで二人は並んで席についたのだが、偶然同じ大学に通う、学部こそ違うものの同期だと判明し、さらに二人ともサークルに入っていないという事も分かった。セミナーの後、勝利への謝罪もかねてそのまま居酒屋になだれ込み、以来付き合いが続いている。
 透は検事志望。勝利は……。

「……とちじ……って、東京都知事?」
「ああ」
「えーと。…都知事になるのが夢……」
「夢じゃない。確定した未来だ。俺は東京都知事になる」
 下手をすれば、小学生の「ぼくのゆめ」レベルの主張を、大真面目に語る、というか断言する勝利。
 どう反応すればいいのか迷っている間に、勝利は1人で何か納得していた。
「検事か。それも特捜部というのはいいな。『特捜に学生時代からの友人がいる』……うん、立場的にも実に良い。俺の人材ネットワーク構想にもぴったりだ。よし。……凉宮、俺達は必ずいい友人になる。これからよろしく頼むぞ」
 卒業したらすぐに就職せず、かの有名実業家が設立した政経塾に入り、知性と教養のさらなる研鑽と高レベルの交流ネットワークを構築する予定なのだと告げられた。
「お前はそのネットワーク参加に値する人材第一号(予定)だ。取りあえずは、司法試験一発合格を目指してがんばってくれ」
 チューハイのグラスを掲げながら送られたエールは勝利の都合だけで、はっきりいって下心でできている。「バカじゃねーの?」と嘲笑する事もできたはずだし、傲慢だとか、思い上がっているとか、不快を感じる事もあり得たはずだ。なのに、その時の透はこれっぽっちの不快感も感じる事はなく、ただこみ上げる笑いを留めるのに一生懸命だった。………単に酔っぱらっていただけかも知れないが。

 つきあいが長い訳ではない。だが、政治、経済、国際問題、法律問題、互いに話題を振っては何度も議論を交わし、そうして分かった事は、勝利が実に現実的な男だということだ。
 実際、最初に今度の話をした時も、彼はあっさりと聞くのを拒んだ。
 だから余計に気になる。

 勝利は、どうしていきなり透の話に興味をもったのだろう……?


「……あの、魔族っていうのは、悪魔ってことよね?」
 透の話に、最初に発言したのは高沢逸美だった。
「つまり、あなたは前世が悪魔だったって言うわけ? 子供が自分をヒーローの生まれ変わりじゃなく、悪魔の生れ変わりだって言い出すのは、ものすごく珍しい例だと思うのだけど」

 思わず。透はため息をついた。

「魔族という名称を、単純に悪魔に結び付けないでくれないかな?」
「でも……」
「魔族は、四千年……あの世界での数字だけど、それだけ前には普通に人間だったんだ。ただ……」
「分かった! 王様が黒魔術とかで世界を支配しようとしたとか……それで魔王を名乗って」

「余計な嘴を入れるな。きちんと話を聞け」

 決して大きな声ではなかったはずなのに。瞬間、全員の背筋がぴんと伸びた。
 驚いた事に、声を上げたのは勝利だった。
 当初から変化のない、厳しい眼差しに今は苛立ちを加えて、高沢逸美を睨み付けている。
 なぜ自分が非難されたのか分からないらしく、逸美は目をぱちぱちと瞬かせている。その彼女からすぐに視線を外して、勝利は正面に座る透に顔を向けた。
「すまん。続けてくれ」

 勝利は真面目に透に向き合おうとしている。勝利の表情から、少なくともそれだけは分かる。だから、透は正直ホッとした。付き合えば付き合う程得難い友人だと思っていたから、軽蔑された挙げ句に失くすことだけはしたくなかったのだ。
 左隣のソファに座る3名の学生達は、勝利の存在が気に入らないのか、ちらちらと不快気に彼を見ている。右隣の祖父達は、透同様、勝利の真面目さが分かったのだろう、驚きと同時に安堵の表情を一様に浮かべている。

 勝利だったら、もしかしたら、透の話を信じてくれるかもしれない……。
 何度も裏切られて、傷ついて、それでも捨て切る事の出来なかった期待が、また静かに透の胸の内を満たし始めようとしていた。

「………後に魔族と呼ばれることになる人間達は、ある種の力を持っていた。力というのは、精霊……世界の自然の力を己の中に取り入れて、自在に使う力だ。炎を操ったり、雷や水を操ったり……。だが大多数の人間にはそんな力はない。彼らは力を持つ者を怖れ、厭い、あるきっかけで力を消耗した能力者を一気に逐い立てた。能力を持つ者が、持たざる者を支配するのではないか、何の能力も持たない人間は、いずれ滅ぼされるのではないか。そんな根拠のない恐怖が疫病のように世界を覆ったんだ。そして……能力者が弱った機会を逃さず、人間達は一斉に蜂起した。能力者に世界を支配する気など、欠片もなかったというのに……。弱っていた能力者達は逐われ、流浪の後に世界の端で国を建てた。同じように化け物と呼ばれて狩られた形を持つ精霊達と共に……。そしてそれから人間達は、能力者達を『魔族』と呼ぶようになったんだ……」

 基本設定はゲームかな? それかマンガか、その辺でしょ。保育園児のオリジナルのはずがないんだし。
 駒井と逸美が囁きあう声が聞こえる。眉を顰め、今にも怒鳴りつけそうな様子の繭里を目で制し、大丈夫だと笑みを浮かべた。そんな態度は慣れている。今さら傷つかないし、反論しようとも思わない。むしろ、ムッとした顔で二人を睨み付けている勝利の態度が嬉しくて、笑みが零れそうなくらいだった。
「……じゃあ、魔族の国っていうのは、いわゆる魔界ってワケじゃないんだね」
 学生の1人、勝山が透に向かって声を上げた。
「でも、どうして『魔族』なんて名称をつける必要があるのかな?」
「敗者だからさ」
 答えたのは祖父だった。
「は…?」
「勝てば官軍って言うじゃねえか。今じゃそんな露骨な真似もできねえが、昔は東西の別なくさんざん使われた手さ。宗教だって、一つ教えが広まれば、負け組の信仰は追っ払われるか、吸収されるか、勝った神様にやっつけられて、足元にひれ伏す魔物に堕とされるか、大体がそんなもんだ。色んな神話に出てくる『悪魔』が、元を辿れば土着信仰の『神様』だったって例は山のようにあるんだぜ? 宗教じゃねえが、似たような話がこの日本にもある。古代の大和朝廷がいい例だな」
「土蜘蛛とかですね」
「おう、なんだ分かってるじゃねえか」
 勝利の反応の早さに、祖父が嬉しそうに破顔する。
「日本列島を朝廷の支配下に置くための戦いの中で─ヤマトタケルの物語なんてのは、その典型だな─自分達に従わない『クニ』や、支配を拒む一族は全て『まつろわぬもの』と呼ばれ、多くが滅亡の憂き目にあわされた。そして朝廷側はその支配の仕上げとして、『まつろわぬもの』は正当な支配に反抗する『悪』である、自分達は悪を成敗した正義の存在であると主張する訳だ。それが神話とか英雄伝説になっていくというこったな。自分達が国を滅ぼし、信仰を滅ぼし、人々を抹殺したことを子孫に対して正当化するために、滅ぼした相手を『悪』と決めつけ『魔』と呼ぶ。…現代だって手を変え品を変え、似たような事をやっちゃあいるが……。透の話もおんなじさ。力のない人間達が、力があるってだけで他に何の罪もなかった人々を狩り、追い払った。その行為を正当化するためには、能力者達が『魔物』でなければならなかった。自分達は恐ろしい力で世界を支配しようとする魔物を討ち払ったんだってな。だな? 透」
 何度も聞かされているせいか、教授の説明には淀みがない。透も「そうです」と頷いた。
「いつの頃からか、そのような人間達と自分達を区別しようとしたためか、能力者達もまた自分達を『魔族』と称するようになった。彼らは彼ら『魔族』だけで、自分達の国と生命を護っていくことにしたんだ。そしてその力のためか、それとも共生する精霊達の影響か、数千年かけてだんだんと、『魔族』は『人間』とは違うものに変化していったんだ」
「コウモリ型の羽が生えたり? 角や牙が伸びたりとか?」
 祖父の話をどう聞いていたのか、逸美は魔族=悪魔の図式から離れる事ができないらしい。勝利が小さくため息をついている。
「あなた、出てってくれない?」
 突然、怒りの声を上げたのは繭里だった。すっかり腹を立てたらしく、眦が釣り上がっている。
「…あ、あの……?」
 逸美がきょとんと目を瞠いて繭里を見た。
「あなた、高沢さん、臨床心理学を学ぶ学生として、真面目に透の話を聞きにきたんじゃなかったワケ? 話のネタを拾いに、野次馬気分でここにいるならタダじゃ済まさないわよ。人の心を思いやれない心理学者なんて、もう見たくもないわ。態度を改めて真面目に聞くか、とっとと出ていくか、先に決めてちょうだい!」
「繭里くん……」
 取りなそうとしてか、おずおずと声を掛ける今井田教授を、繭里がキッと見返す。
「教授。この人は教授の教え子ですよね。ご自分のゼミの学生がこんな失礼な態度を取る事を、どうしてお許しになるんですか? それとも、透の話なんて笑い話で当たり前だとでも?」
「止めときな、繭。イマさんは別に……」
「…あっ、あの……っ」逸美が思わずといった様子で口を挟んだ。顔が真っ赤になっている。「……ごめんなさい。私、その……。凉宮さんをバカにする気なんてなくて…。ただその……子供の思いつきだからきっとその辺かと……」
 更にじろりと繭里に睨まれて、逸美はおろおろと姿勢を改めた。
「………失礼な事を言ったんでしたら、その……本当にごめんなさい。……真面目に聞きますので、続きをお願いします」
 ぺこんと頭を下げた逸美に、隣に座る駒井が何か囁いている。それに頷いてはいるものの、逸美はどうにも腑に落ちないという顔をしている。
 まだ何か言いたそうな繭里に、唇の動きだけで「ありがとう」と告げる。
 しかし繭里は気づいていない。
 繭里と逸美の違いは「透への思いやり」、この1点だけでしかないことを……。

「……羽も角も牙も生えない」
 コーヒーを一口飲み、コホンと小さく咳払いして、透は話を続ける事にした。
「見かけは全く人間と変わらない。人間と比べて美貌が多いというのはあるが、それもまあ人それぞれだし。ただ人間と魔族の間に、明確な一本の線の様にくっきりとその違いを示すものがある。それが……寿命だ」
「……寿命?」
「ああ。長い年月の間に、いつしか魔族の寿命は人間を遥かに超えて伸びていったんだ。……魔族の平均寿命は400年」
 そりゃすごい……と誰かが呟く。
「あの世界の時間の概念は……僕の印象では地球と大差なかったように思う。それに、人間の平均寿命は、国にもよるが60歳から80歳くらいだったのだから、やっぱり地球世界と同じなんじゃないかな。ほぼ人間の5倍は長生きする訳だ。もちろん成長速度も違う。人間の5倍長生きする分、速度は5分の1になる。そう、大体見た目20歳、今の僕達と同年代の外見で、実年齢は個人差もあるけれど100歳ということになる」
 ふと見ると、勝利が顎に指を当て、視線を宙に向けていた。……まるで、誰かを思い出すように……?
「精神年齢は?」
 勝山の質問に、少し慌てて透は「もちろん」と答えて意識を話に戻した。
「見た目通りだ。じゃないと、見た目10歳で精神年齢50歳、15歳で75歳になって、人生の最初で心が枯れてしまうことになるだろう? 人間を基準にしてはダメなんだ。100歳の魔族は、人間世界ではものすごい長老だけど、魔族の中では若造も若造。まだまだ青二才扱いされる」
「……その辺りの理屈を凉宮さんが口にし始めたのは、幾つくらいからなんですか? 中学生?」
 子供の発想にしては筋が通りすぎだし、と小さく勝山が呟く。
「保育園の頃にはもう聞いてたわ」
 繭里がきっぱりと断言する。
「その頃の私にはさっぱり理解できなかったけれど…。ねえ、おじいちゃん。おじいちゃんも聞いてたわよね?」
「うーん」香坂教授が唸る。「保育園の頃の透は、もうちょっと混乱してたような気がするけどなあ。ただ、今の話は、小学校の2、3年の頃には確かに聞いた覚えがあるぜ?」
 勝山が疑わしそうに腕を組む。

「………魔族は、自分達を逐った人間達に報復するでもなく、ただ自分達の国と民とを護り続けていた。人間達との間に、何度も小競り合いを起こし、時には大規模な戦争にもなったけれど、それでも魔族の国は発展を続け、四千年を過ぎる頃には大国の一つにまでなっていた。そして、様々な緊張を孕みながらも、魔族と人間はある意味共生を続けるようになっていたんだ。だから………」
ふと言葉を切って、透はわずかの間瞳を閉じた。目蓋の裏に、浮かぶ光景がある。

「だから………混血も、生まれる」

「混血……。魔族と人間の間に生まれた子供、だな?」
 念を押したのは勝利だ。表情はずっと厳しいまま。
「ああ。よほど禁じられない限り、魔族は当たり前に人間の国を行き来していたし、人間の国に住み着く者もいた。当然、その地で結婚して、子供をもうける者もいたんだ」
 うん、と勝利が頷く。
「そして僕も」
 それが彼の魔族人生の全てを決定した。

「僕も、混血の魔族だった」

 透の脳裏に、雪崩を打つように浮かぶたくさんの顔。

「………僕の母は人間で、魔族の父との間に僕と妹をもうけた。僕達が暮らしていたのはある人間の国で、妹が生まれた頃から急激に魔族との関係が悪化し始めた。そうしてある日、兵士達が家にやってきて父を連れていってしまった。僕が覚えているのは、必死で抵抗して、でも逃れることができなくて、兵士達に小突かれながら引きずられていく父の姿だ。それきり僕達家族は父に会う事ができなくなった。たぶん……父は殺されたかどうにかされたんだと思う。それですぐに母は、僕と妹を連れて住んでいた土地を離れた。でも、移り住んだ土地でも、僕が魔族の血を引く事がばれてしまい、僕達親子は収容所に入れられてしまったんだ」
「なぜばれた?」
 勝利の声はどこまでも真面目だ。
「言っただろ? 成長速度だよ。僕は当時、確か13歳位だと記憶しているけど、見た目5、6歳でしかなかったんだ。母はごまかそうとしてたんだけどね。子供ってその辺が抜けていると言うか……。僕がうっかりぽろっとばらしちゃったんだよ。やたら幼児扱いされるので、たぶん頭にきてたんだな。僕は13歳だ! ってね。で、瞬く間にバレて、すでに出来上がっていた収容所に放り込まれた」
「収容所というのは?」
「国が、魔族を厭う国民の暴力等から、魔族と関わったり、魔族の血を引く者達を護るため、という名目で建てたシロモノさ」
「………第二次大戦時の、アメリカの日本人収容所のようなものか?」
「まさしくね。僕の印象としてはドイツのアウシュビッツ収容所の方がぴったりくるけどね。……積極的に毒ガスをまく事はしなかったけれど、荒れ地に押し込め、まともな食事も与えず、病気になっても医者はおろか薬も与えず、一切の世話を放棄していた。露骨なくらいのたれ死にを期待されていたよ。脱走したらその場で処刑されたしね」
「…うーん、やっぱり僕としては映画の影響を強く感じるなあ」勝山が口を挟む。「戦争ものとかに、そういうのがあるでしょう? 大脱走とか。幼児期の………」
「しかしお前はそこでのたれ死んだ訳じゃないんだろう? 脱走に成功したのか? 母親と妹はどうした?」
「……………」
 答える事を瞬間忘れて、透は勝利をまじまじと見つめた。
 勝山は容赦なく発言を遮られた事に、呆気に取られた顔でぽかんと口を開けたまま、友人と共にやはり勝利を見つめている。繭里や祖父もまた同様だ。
 全員の視線を集めている事にまったく頓着した様子も見せず、透の友人は「どうした?」と透に問いかけてきた。腕を組み、厳しい程に真面目な顔で、透の「物語」ではなく、真実の「記憶」を知ろうとする、決して表面だけではないその姿勢。
 うん。透は勝利に向けて頷いた。自分の話を聞いて欲しいのは、聞かせているのは、勝利ただ1人だけだ。まっすぐ勝利を見つめたまま、透は口を開いた。
「脱走したんじゃない。救出されたんだ。ある…親子、に」
 おやこ。勝利が小さく呟いた。

「………僕があの世界で生きていた当時、魔族の国の王は3人の息子を持っていた」
 何故か。勝利の眉にきゅっと力が籠る。
「その3人の王子、は、全員父親が違っていた」
 え? と複数の声を上がった。高沢逸美が代表するように慌てて言葉を挟む。
「ちょ、ちょっと待って! 魔王の3人の息子の父親が全員違う……? え? それって、ええと……」
「魔王は女王だった。それだけのことだ」
 事も無げに勝利が言う。
 その通りだ。しかし。
「ええっ、女王!? 魔王が? そんなのアリなのっ!?」
「おかしいのか?」
「いえ……そりゃそういうことも……でも、普通魔王っていったら……」
「あんたの普通が、ここでどういう意味がある?」
 しかし、透は勝利の言葉に当然と頷く事はできなかった。逸美の反応の方が一般的なのだ。ただ単に「魔王」と言われて、女王を想像する者はほとんどいない。その称号は元々、創造神や天使の持つイメージと真逆の、「巨大」で、「黒く」て、「猛々し」く、「醜く」て、「恐ろしく」て、「邪悪」で……といった、負のイメージを背負って誕生したものだからだ。
 だが、勝利は透の言葉に全く反応を変えなかった。それどころか、まるで魔王が女性であることを知っていたかの様な……?

 ………期待するな。期待してはいけない。痺れるように胸を満たすものを押さえて、透は必死に自分自身に言い聞かせた。

 深い息をついて、透は口を開いた。
「……長男と末の殿下の父上は、あの国でも最上級の大貴族だった。魔王の夫にふさわしい家柄の……。だけど、第二王子として生まれた方のお父上は…違っていた。その人物は、人間だったんだ。つまり、第二王子もまた、僕と同じ混血だった。それに、その父上という方は、国もなければ家も地位も、そしてわずかの財産も持たない、流れ者の剣士だったんだ……。文無しの流れ者、おまけにただの人間と魔王とが、どうして出会い、そして恋に落ちたのか知らないが…」
「こっ、恋ぃ……!?」
 素頓狂な声を上げたのは、またも逸美だった。他の二人も唖然と透を見つめている。
「恋って……『魔王』が恋をするわけっ!?」
「恋をしたんじゃなかったら、そんな人間との間に子供をもうけるはずがないだろう? それにあの陛下は、恋に生きる女性として結構名を馳せていたし」
「恋に生きる女性……? 『魔王』が……?」
 どういう発想なの、それって……と、逸美が頭を抱えている。全てが子供の夢想と決めつける心理学者の卵としては、大いに悩むところなのだろう。透はくすりと笑った。その透の耳に、わざとらしいため息の音が聞こえてきた。勝利だ。
「……いい加減、まぜっ返すのは止めてくれないか。話が全然先に進まないだろうが。…凉宮」
「あ、ああ」
「確認するぞ。魔王には3人の息子がいた。その次男だけが混血で、父親は流浪の剣士だった。そうだな?」
 そうだ、と透は頷いた。
「そして、僕達を収容所から救い出してくれた親子。彼らこそ、当時魔王陛下のご夫君であったその方と、息子である第二王子殿下だったんだ」


 これで決まった。
 勝利は内心で大きく息を吐き出した。
 もうこれで、単語帳とノートを比べてみる必要もなくなった。
 間違いない。凉宮は前世で、眞魔国の魔族として生きていた。凉宮の記憶は本物だ。
 それどころか、「あいつ」のことも知っているらしい。

   ……あいつ。

 ウェラー卿コンラート。

 眞魔国前魔王の次男。三兄弟の中で唯一の混血。

 弟、有利の名付け親。

 元王子様でありながら、今は魔王となった弟の護衛を勤める男。

 凉宮がどこか懐かしそうに語ったその男を、勝利は確かに知っている。

 出会いは最低だった。いや別に、何かされた訳でも、不愉快な態度を取られた訳でもない。むしろ、礼を失していたのは自分の方だったと今では分かる。
 あの男は、最初から最後まで礼儀正しく、爽やかな笑顔を浮かべたままだった。
 腹立たしかったのは……100%八つ当たりだ。
 たった1人の弟。弟にとって、自分はたった1人の兄。それなのに。
 子犬がじゃれるように甘え、信頼し切った眼差しを送り、実の兄にはろくに見せてくれない満面の笑顔を向ける相手が、その男だということが。
 まるで、恋をしているかのように、切なげに瞬く瞳に映す相手がその男だということが。
 悔しくて、腹が立って、ムカついて、大人気ないと思うものの、どうしようもなかった。
 今はちょっと……反省している。

 出会いからすぐ、渋谷家と有利の秘密を明かされて、同時にウェラー卿コンラートという男の事も教えられた。
 見た目は20歳そこそこで、自分と大して変わりなく見えて、実は祖父より年をくっているという事実にはびっくり仰天したが、優男に見えて実は国で1、2を争う剣豪だというのにも驚いた。体格も、ドコから見ても勝利と差があるように見えなかったのだ。……着痩せする質なのかもしれない。
 「英雄って呼ばれてんだぞ! 眞魔国国民の憧れの的なんだかんな」と、自慢する弟の瞳がきらきら輝いていたのがちょっと…かなり、ムカついた。

 弟が生きる、もう一つの見知らぬ世界。弟を囲む見知らぬ人々。勝利にとってどうにも容認できない存在の象徴のように、ウェラー卿コンラートという人物は勝利の前に現れた。
 しかし、弟は確実にその世界で生きている。勝利がどれ程否定したいと思っても。だったら。
 反感を持って避けているだけではどうしようもないと、最後の最後に思い至った。
 そして、1度目の来訪からさほど間をおかず、今度は進級祝いとやらを両手に抱えて、再び弟の元にやってきた男に、意を決して申し入れた。

「あんたがどう考えているのか。弟に何を求めているのか。弟のこれからの事をどう考えているのか。有利の兄として、とことん話してみたい。……俺に、あんたの時間を一晩くれないか?」
 きょとんとしていた男は、それから嬉しそうに破顔すると、にこやかに頷いた。
「俺も、君とはじっくり話をしてみたいと思っていたんだ。俺の方からも、ぜひお願いするよ」

 男といる時間を俺に取られ、恨みがましい目で睨み付ける弟を殊更無視し、無理矢理追い出し、リビングで二人、向かい合った。
 幸いというべきか、父親が出張中だったので、ずっと狙っていた秘蔵のブランデーを開けた。それをたっぷり注いだグラスと、簡単なつまみを挟んで、二人で夜が更けるまで、いや、ほとんど夜明けまで、腰を据えて話し合った。
 最後には……酔いと眠気と議論の興奮とに朦朧となって、話し合いと言うよりも、どっちが有利の可愛い所をたくさん知っているかの言い争いになってしまった。

「……3歳くらいの頃のゆーちゃんを知らないだろう? エプロンドレスとか着てな。頭にリボンとかつけてな。『しょーちゃん?』って………そりゃもう可愛かったんだぞっ!」
「み、美子さんに、写真を見せてもら……」
「写真であの可愛さが分かるかっ。ぷにぷにしてて、柔らかくって、小さくて、蜂蜜とミルクの甘ーい香りがしてて。こうな、こう、小首を傾げて『しょーちゃん?』って……くうっ、そりゃもう天使よりも可愛かった! 知らないだろ? ふっふっふ……」
「…………俺の膝枕で眠るユーリとか」
「っ! ひっ、ひざまくらっ!?」
「それに、俺の膝に座って、胸に凭れて眠っている時とか。俺の身体に顔を埋めて眠るユーリの寝顔の愛らしさは、なんとも言えないな」
「か、身体に顔を埋め……」
「起こした時の、寝ぼけ眼でぽーっとした顔も可愛いな。『こんらっど?』って、舌足らずに俺を呼ぶ声がまた振るいつきたくなる程可愛くて…」
「口まねをするなっ、気色悪い!」
「勝利もやったじゃないか」
「俺はいいんだ、兄貴だから!」
「俺だっていいんだ。名付け親の護衛だから」
「……張り合おうってのか」
「そっちこそ」
「世界一可愛いゆーちゃんを……」
「そうだ。ユーリは世界一可愛い」
「…………異世界でもやっぱりそう思うか?」
「もちろんだ。この世でユーリより可愛い存在なんかあるものか」
「そうだよな。ゆーちゃんは一番可愛いよな? なんだ、あんた、結構分かってるじゃないか!」
 気に入った! 今日から俺もあんたのことをコンラッドと呼ぼう! さあ、飲め飲め!
 ……外では鳥のさえずりが響く頃。自分が何を口走っているのか、もうすっかり分からなくなっていた。
 頭の中でたぷたぷとアルコールが波打つ音がして目が覚めた。ら、しっかり8時間睡眠しましたという、ウェラー卿のすっきり爽やかな顔がいきなり視界を占拠した。そして、
「俺のこと、気に入ってくれたんだったな? コンラッドって呼ぶって言ってたよな?」
 唐突に迫られた。……殺気すら感じられるような凄みのある眼差しと、穏やかで優しい笑顔という相反するものを一つの顔に乗せて向けられるのは……めちゃくちゃ怖かった。
 その時以来、「ウェラー」とか「あんた」と呼んでいたのを、強制的に「コンラッド」と呼ぶように改めさせられ、不本意ながら、自分達の間の不穏な雰囲気に心を痛めていたらしい弟と母親をいたく喜ばせてしまったのは、まあ蛇足だ。

 あいつと話し合おうと思ったのは、確かに避けているばかりでは、逆に弟を見失ってしまうことになると思ったからだ。しかし本当は、あいつのイヤな部分を見つけたかったからかもしれない。今ではそれが分かる。そうすれば、公明正大に男を嫌うことができる。弟にも、あんなヤツを信じるな、甘えたりするなと胸を張って主張する事もできる。
 「有利がどれだけ可愛いか、俺だけが知っているぜ競争」は別にして、話し合ってみた結果、実際、どうしようもないすれ違い、認識のギャップ、マイナス面が明らかになったのも確かだ。
 そもそも、あいつを含めその世界のヤツ等は、弟がいずれ地球人であり、日本人であり、渋谷家の次男であることを捨てて、自分達を選ぶのだと信じ込んでいるらしいのだ。………これは許し難い勘違いだ。
 それでも素直に認めるならば、具体化したマイナス以上に収穫の多い話し合いだったと思う。少なくとも、今現在の状況においては。

 他にどんなヤツがいるのか知らないが、異世界という想像もつかない世界で、孤軍奮闘する弟を託すことができるのは、結局この男しかいないのかもしれない。
 悔しさを消す事はできないが、とにかくそう考えることができるようになったのは……進歩と呼ぶのだろうか?
 正直、弟を誑かしやがって、という思いは消えない。ただ……変な話だが、話をしている内にしみじみ思ってしまった事がある。

「……ユーリを、護るよ」
 ブランデーグラスを掌の中で揺らしながら、あいつは呟くように言った。
「俺のこの身体も、命も……人生の全てを、俺はユーリに捧げる」
 赤の他人がこんなことを言うと、うさん臭く聞こえるかな? 照れくさそうに笑って、あいつは自分を見た。
「それでも俺はユーリを護る。そしてユーリに…世界を捧げる。ユーリこそ、世界中の人々に讃えられるべき偉大な王だ。勝利。ユーリは、あの世界の歴史に、世界を救った偉大なる王として、必ずその名を残す名君となる!」
 ………目が。きらきらしていた。本気だった。

 もしかして。
 思ってしまった。

 ユーリはこいつに誑かされてるとしか思えないが、この男も……実はウチの野球バカに誑かされてやしないか?

 偉大な王。
 歴史に名を残す名君。
 そんなことを大真面目に言うから。

「……何だかあいつが……可哀想になってきたんだよな……」

 で、結局、何だかんだといいつつも、あの男、ウェラー卿コンラート、を嫌う事ができずに今に至るのだ。


 ………さて。どうしよう。

 凉宮透が、前世で眞魔国の魔族であったことは分かった。その当時の記憶も持っている。
 それを知って、自分は一体どういう行動をすべきなのだろうか……?

 勝利は改めて正面に座る透と、彼の祖父、従姉妹、そして祖父の友人だという心理学者に目を向けた。
 彼らは、少なくとも透の話しを真面目に聞いてくれたと言う。しかし……エピソードの一つ一つに心理学的考察を加えるとか言っていたから、まるまる信じている訳ではなさそうだ。
 ………最初から、眉に唾して話を聞く相手と、真面目に聞いてくれるが、絶対に信じてくれない聞き手。一体どちらが……。
 ふう、と勝利は息をついた。何だかげっそりする。その記憶の故に、凉宮透が背負ってきたものは、勝利の想像以上に刺々しく重たいものだったのではないだろうか。

「……凉宮、ちょっと聞いていいか?」
「何だい?」
 声が不自然に弾んで聞こえるのは、きっと気のせいだろう。
「…あー……その…お前達家族を助けてくれたって言う親子……。その、第二王子、っての、お前よく知ってるのか? その、個人的にっていうか……」
 質問の主旨を計るように、じっと勝利を見つめてから、透は大きく頷いた。
「……収容所から救出されて、魔族の国に渡って、その後、仕事を求めて連れていかれた土地を離れたから、長い間会うことはなかったんだけど……。でも、成長した僕が軍隊に入った時に、あの人と再会した。僕の、上官としてね。それからずっとあの人の部隊にいたし、副官とは言えないけれど、あ、その副官も、僕と同じ収容所から逃げてきた混血だったんだけどね、彼程じゃないけれど、割と近い所にいたから結構話はしたよ。一緒に酒を飲んで夜を明かしたこともある。……王子様のくせに、下町の居酒屋が好きでね。酒もすごく強かったな」
 ………それは身をもってよく知っている。とにかく。
 個人的知り合いときたもんだ。
 どうする?
 誰かに相談………。

 その瞬間、思い出したくもないメガネがぽかりと浮かび、勝利は想像の中で思いきり首を振った。
 あのヤローにだけは、相談なんぞしたくないっ!
 ……じゃあ、一体……。


「……王子とか、殿下って言ってるけどね。実際、あの国であの人を王子としてみる貴族なんか、ほとんど…いなかった」
 実の兄弟ですらも。

 凉宮の声が、怖いほど低くなった。  


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前フリは続くよ、どこまでも……。
もう見飽きた言葉でしょうが。………進まない。
というか、今回、書いては直し、書いては直し、すごく時間が掛かってしまいました。

新登場の人達のために、基本的知識も一応押さえておいた方がいいかな、と思ったら、説明が長い長い。おまけに何となく話がずれていくし。
「敗者の歴史」については、もうかなり適当ですので、それこそ適当に読み飛ばして頂ければと。

前回書きました、「マニメ」の影響というのは、お兄ちゃんとコンラッドが意外と仲良しさんになる、という辺りなのです。……ちょっとまだそこまでいってませんが。

次への橋渡し的な内容ではありますが、ご感想お待ち申しております。