「最初は……私をこんな境遇に陥れた元凶だと、本物の悪魔だと、そう思って憎んでいたと思う。しかし…眞魔国の話を耳にする度に、どんどんと興味が募って……。いつからか、真剣に情報を集める様になっていた。そして……あの人の事を知った……。ウェラー卿の事を……」 え? と俺が耳を峙て、ほえ? と坊っちゃんが気の抜けた声を上げ、ぱちくりとコンラッドが眼を瞬いた。 「…王族、王の息子でありながら、人間との混血。……同じだと思った。私と、同じ…。だが全く違っていたのは、あの人が魔族の中における英雄だったことだ……」 羨ましかった。ミゲルはため息をつくようにそう呟いた。 「魔族の国では、例え混血であろうとも英雄になれるのだと。そう思ったらたまらなくなった。会ってみたくて、何でもいい、教えを乞いたいと思った。そして……眞魔国の評判が急激に高まって、不思議に思っている時に、その話を聞いた。………魔族に新しい王が立って、それが、魔王が……人間と魔族の混血だと…!!」 ミゲルが深く息を吸い、そして内側で暴れる感情を押さえ込む様に、殊更ゆっくりとその息を吐いた。 「混血でも王になれる。眞魔国はそういう国なのだと思ったら……ただもう、ひたすら国を出たくなった。眞魔国に行きたかった。行って、そして、私の話を聞いてもらって、魔族の一員として迎えてもらいたいと、心底から願った。だから本当は、兄達の依頼は渡りに船だったのだと思う。それなのに……私は、悔しかった…! その時の状況や気分で、私の思いも苦しみも何もかも踏み付けて、勝手に私の人生を転がして、そして挙げ句に救世主になれだのと…。眞魔国に行ける嬉しさと、奴らの思うままに転がされる悔しさで、この国に上陸した時には、私、私は……」 またも唇を噛み、ミゲルは力なく項垂れた。自分の中の感情に、誰より己自身が困惑している、そんな風に俺には思えてならなかった。 「……よく分からんのだが」コンラッドの声もまた困惑している。「お前にも色々と事情があるのは理解…したが、それでどうして陛下の御名を騙ることになるんだ? 親兄弟に怒りは感じていても、眞魔国への憧れは変わらなかったのだろう? さっさと城へ行き、陛下と対面すればよかったのに」 ……だよな。 「……………怖かったんだと………思う……」 「…え?」 「いつも夢見ていた。魔族として迎えられて、陛下のお側に仕えて、数々のすばらしい献策を実現させて名を上げる夢を……ウェラー卿が武官の英雄なら、私は文官の雄として大陸に名を馳せ、国の連中を見返す夢を……」 ……それって、夢っていうか、ほとんど妄想じゃねえのかな? 隣では坊っちゃんが腕を組んで、しきりに首を捻っている。 「ずっとずっとそんな夢を見続けて、自信だってあったはずなのに……なのに、いざ眞魔国に来てしまったら、急に……怖くなって。魔王陛下に会えなかったら、会えても私を拒絶なされたら……もうそれっきりお終いなんだと思ったら……夢を叶える自信が………どんどん萎んでしまって……」 「眞魔国に来たからといって、いきなり夢が叶うはずがないだろう。夢は夢でしかないんだからな」 「だから……。王都に向かう勇気が持てなくなってしまったんだ…。そうしたら、ここで学舎の話を聞いて。学者の仕事は、私が願っていたまさしくその通りの仕事だし、それにここの学舎は眞魔国でも優秀な学生が集まると聞いて、確かめてみたくなった。もしも……私より劣る連中だと分かれば、自信を持って王都に向かえるだろうと……」 コンラッドが、俺が、そして周囲にいる学生皆が、げっそりしたように深いため息をついた。 つまりこういう事か? 学舎の皆を騙して、バカにして、大したことねー奴らだと嘲笑うコトで、失くしかけた自信を取り戻そう、と? そりゃてめー、思いっきり…… 「ばっかでーっ!!」 小気味いい怒鳴り声が響いた。……そうですね、そろそろ貴方の出番でしょう。 坊っちゃんが、腕を組み、ふんぞり返って、広場の中心に進み出た。 「お前、ばっかじゃねーのっ!? だって、お前、何にもしてねーじゃんっ。そりゃ、混血だってバカにされたり苛められたりしたのは、可哀想だったかもしんないけどさっ。そんなじょーきょー打開するのに、お前、何か努力したのかよっ!? 何もしないで、自分を可哀想がってるだけだったんじゃないのかっ!?」 「そっ……黙れ! お前などに……」 「甘ったれんじゃねーよっ!!」 ミゲルがびくんっと身体を強ばらせる。坊っちゃんはさらにすたすたと、ミゲル達一行に向かって行った。 「混血だからって辛い目にあってんのは、お前だけじゃないんだっ。コンラ…ッ、ごほ、げほ、ウ、ウェラー卿だって、誰だって、混血の魔族は皆、すっげーひどい思いしてきてんだぞ! でも皆がんばったんだ! どんな悪口言われても、辛い思いさせられても、それから…命狙われても! 負けないで、挫けないで、努力して、そんで混血の名誉と誇りを護ったんだ! コ…ウェラー卿だって、黙って立ってて英雄になれた訳じゃないっ!!」 わっ、と、学生達から拍手が湧いた。「いいぞぉ、キア坊!」とロンジ爺さんの声も高らかに響く。 誇らしい気分で見遣れば、コンラッドが何やら俯いて、顳かみの辺りを掻いている。……賭けてもいいぜ? 今、顔真っ赤だろ? 「英雄なんて、最初からなろうと思ってなるもんじゃねーだろ!? ウ、ェラー卿だって、魔王の息子だったから余計辛くって、厳しいトコにいたんだ! でも、がんばってがんばって努力して、命だって掛けて、必死になってがんばった最後の最後で、皆が英雄って呼ぶようになったんだ。なのに、お前は何なんだよ!? 偉くなる夢ばっか見て、成功する事ばっか考えて、そのために努力するとか! 死に物狂いで何かするとか! そんなん、全然考えてねーじゃん!? やってねーじゃん!? オヤジさんとか兄貴とか、恨むばっかりじゃなくって、分かってもらうために、お前ってヤツを理解してもらうために、お前、何かやったって、ここで言えるコトあんのかよっ!?」 怒りで顔を紅潮させて、ミゲルは肩を波打たせるほどに荒く息をついていた。しかし、何か言い返そうとする口は開いても、言葉を発する事ができない。 「大体! あんたもあんただっ!」 坊っちゃんが、びしっ、とウォルワースを指差す。 「それでも名付け親かよ!? 名付け親っつたらもー、責任重大なんだぞ? 護るばっかりで、どうしてもっと叱ってやんないんだよっ! 俺の名付け親なんて、すげーんだぞ。こないだ、勉強やんなって、たまたま皆用事で部屋に誰も居なくなって、でもドアから外に出らんなかったから、カーテン繋いでロープにして、それ伝って外に逃げようとしたんだけど」 …………またそういうことを………。 「窓乗り越えたトコで名付け親が戻ってきて! 見つかって! んでっ、ものすっごく怒られたんだからな! すっげ恐かったんだから! んでもってその後、ほどけない布の縛り方の大特訓させられたんだぞ!」 …………たいちょー。それちがいますー。根本的に激しく間違ってますー。……って、今頃頭抱えてもムダですからー……。 皆の目つきがちょこっと変わった事に気づいたのか、坊っちゃんは「ンなコトはどうでもよくってー」と、コホンと一つ咳払いをした。 「こんな真似させる前に止めろよ! バカなコトすんなって。もっと自信を持てって。どうして叱ってやんないんだよっ。励ましてやんないんだよっ。どうしてあんたまで、一緒になってこんなバカにつきあったんだよ!? あんた、国の人にすっげー尊敬されてる立派な人なんだろう?」 「ウォルワースを悪く言うな!!」 ミゲルが叫んだ。 「ウォルワースは悪くないっ! 彼はちゃんと止めたんだ。だけど、私がどうしてもと! それに! あの男、ストライカーがいたから…!」 「…試してみたくなったのだ……」 突如、ウォルワースが言葉を挟んだ。辛そうに眉を顰め、声もかなり苦しげだ。 「いい加減な所で止めるつもりだった。誰も傷つかないところで…。しかし……ストライカー君に出会って、興味を、持ってしまったのだ。この、私が。……殿下がずっと眞魔国に滞在なされるとしたら、魔族の、頼りになる側近が、どうしても必要になると考えていた。ストライカー君がそれに値する男かどうか、どうしても試してみたくなったのだ…。陥れるような真似をするのは心苦しかったが。それでも、と思った。あっさりと堕ちるのか、それとも見事に躱してみせるのか。……結局、私の想像以上に有能な男だと分かった訳だがね」 くく、と洩らした笑いは、明らかに自嘲の笑みだった。 「それにしても」坊っちゃんがむすっと唇を尖らす。「やりすぎだよ。ヴィクトール先生やミーナまで脅してさ。あんなひどい事言って。あの後だっていっぱい……。あそこまでやる必要、あったのかよ!?」 「それは……お前のせいだ」 「………は?」 ミゲルの、ちょっとふて腐れたような声に、坊っちゃんがぽかんと口を開けた。 「私に、説教するから」 「………は?」 「…せっかく……学舎の学生など大した事はない、どれだけ知識があるか知らんが、騙されやすい単純な奴らだと思える様になったのに、これなら勝てると……なのに……お前がっ!」 「…え?」 「この私にっ、あんな説教を! ……正論なんかそもそも無意味なんだ。幼稚で、青臭くて、理想ばかりで、現実には何の役にも立たない! そのくせ、忌々しいほど正しくて、真っ正直に語られたら反駁すらできない。それを、たかが下働きのお前がっ、この私に堂々と! それを口にできない私に向かって! むかついても当然だろうがっ!?」 「……えと…? なんでお前が正論を口にできないって……?」 「為政者の立場にある者が、正論を論じてどうなる!? そんなものは、国にも民にも何の責任も持たない者が、まさしく無責任に口にするものだ!」 「………俺、自分の言ってる事が正論っていうのかどうなのか分かんないけどさ。正しいなら、どんなコトだって、どんな立場に居たって、言っていいんじゃないのかな?」 「それで国が成り立っていけるか!」 「いけるかどうか、分かんないけど。でもさ、まず最初に、一番大事な、うんそう、理想とかそういうの、責任のある人ほど語らなくちゃならないんじゃない?」 「だからそれで……!」 「理想ってのは、一番いい形なわけだろ? そりゃ現実では、理想ばっか追いかけるなんてできないけどさ。でも、ちょっとでも理想に近付ける様に、努力はすべきじゃん。王様と、周りにいる人が協力して、話し合って、どうすれば理想に近付けるかって。基本設定に理想をおいてさ、そこから現実と摺り合わせて、現実と理想の隙間がちょっとでも埋まる様にがんばるのって……ヘン?」 「……………だからお前は嫌いだ…。そうやって身の程も弁えず、私に説教する……」 「説教じゃないってば。俺の考えを披露してるだけで。それにさー、そういう考え方してたら、どんながんばったって、魔王の側近なんてなれないと思うけど?」 「バカを言え」 「ホントだもん」 「どうしてそんな事が分かる」 「分かるよ」 「だからどうして…!」 「理想も語れないようなやつ……俺、いらねーもん」 ミゲルが、そしてその臣下達が、きょとんと坊っちゃんを見返す。 そして、ふと洩らされた少年の言葉に、学生達や先生方のそこかしこから、戸惑いを露にした疑問の声が上がった。 「…ね、ね、え? 今、キアちゃん、何て…言ったの……?」 グラディアが不安げに俺に囁く。 ………こりこりと顳かみを指で掻く坊っちゃんの側に、コンラッドがゆっくりと歩み寄る。 そして俺も、「グ、グリエさん…?」とどこか焦ったような学生達の声を背後に、坊っちゃんの元へと向かった。 いつの間にか、中庭の中央に坊っちゃんとコンラッドと俺。 向かい合って、ミゲル王子一行。 「……ゴメン。…いい?」 小さな声で坊っちゃんが俺達にお伺いをたてる。 「貴方の、思し召しのままに」 にっこり笑ってコンラッドが両手を差し出す。メガネを外して俺に渡すと、坊っちゃんはコンラッドの手の平の上に、コンタクトレンズを落とした。ころりと転がる茶色のガラス。 そして、声もなく、ひたすら見つめる人々の前で。 坊っちゃんが、赤茶色の髪に手を差し入れた。 赤毛が、嘘の様にむしり取られ。そしてその下から。 地上で最も美しい漆黒が、太陽の光を受けて輝きながら、さらりと微風に揺れて落ちた。 ぱちり、と音をたてる様に、大きな瞳が開かれる。全てを見つめ、全てを受け入れ、なおも濁らぬ透明な、黒。 少々小奇麗なミゲルなんぞ足元どころか、雲一つない天空と蟻の巣の底ほどに掛け離れた(……)、絶世の美貌、「地上の奇跡」と呼ばれる少年王の、これが世にも可愛いエプロン姿だ、参ったか! 「我が眞魔国、第27代魔王、ユーリ陛下にあらせられる。これ以降、無礼な言動は許さん。分かったな」 かくんと顎を落とし、ぼう然自失するミゲル一行を前に、コンラッドが高らかに宣言する。 だがその言葉に、絶叫を返した一団がいた。言わずと知れた、学舎関係者一同、だ。 「そんなっ、そんなっ、ウソぉ…!」 「キッ、キア…ぼう…っ!?」 「…キ、キ、キア、く、くん…!?」 「キアちゃん、キアちゃんが……っ!!」 「「「………魔王陛下……!!?」」」 きゃあ、とも、うおお、とも、わあ、とも、とにかく色々混ざってよく分からん悲鳴やら雄叫びやら歓声やらが、学舎の敷地に溢れて谺した。 「…えっとー……」 何か俺、アイドル歌手みたいー、と呟きながら、坊っちゃんが視線をぐるりと巡らした。 坊っちゃんの視線を受けた先から、学生達が顔を真っ赤に染めていく。 そして最後に、3人の先生方、ロンジ爺さん、ミーナ、グラディア始めサディン、キャスといった馴染みの学生達が一団に固まるところで動きを止めた。 照れくさそうに、にっこり笑って小首を傾げるという、犯罪的行為が続く。 「……労働体験実習させてもらってましたー。………ゴメンね?」 てへ。 その笑顔を真正面から受けて、免疫の全くない彼らは、絶叫ポーズのまま固まった。 ああ、ロンジ爺さん、残り少ない髪の毛が、全部揃って逆立ってる。 くすっと、思わず笑ってしまった、その時。 「……どうしてお前達は、そう騒ぎばかり巻き起こすんだ……?」 …………え? 俺、坊っちゃん、コンラッドが、思わず顔を見合わせる。 何だか今、すっごく聞き覚えがあるけど、聞こえるはずのない声がしなかったか…? 「全く、ちょっと目を離すとすぐこれだ…!」 そろそろと。声のした方に顔を向ける。そこには。 「……フォンヴォルテール卿!!」 グウェンダル閣下が立っていた。 俺の上司、フォンヴォルテール卿が、お供を従え、つかつかとこちらにやってくる。 閣下がちらりと俺を見て小さく頷く。…………そうだった。そうだよ。妙な連中が来たって事を、俺が鳩で報告してたんだ。でもまさか、閣下が自分で乗り込んでくるとはなあ……。 ハタッと思い出した様に、コンラッドが大慌てで俺のエプロンのポケットに射し込んであったメガネを抜き出し、顔につけると、わたわたと髪を下ろし始めた。 ………お前、それ、ものすごく無意味だと思うぞ……。 「コンラート」 重低音が、中庭の隅々にまで響き渡る。 「その格好は何なんだ?」 コンラート? と、某小説愛好家の女子学生達が、どこか上ずった声を上げるのが聞こえた。 う…、と詰まりながらも、コンラッドはくるりと兄の方を向いて、開き直った様に腕を広げた。 「学生だよ、グウェン。……そう見えないかな?」 「見えない事もないな」じろじろと、弟の頭の先からつま先まで視線を走らせる。「勉学に一生懸命なあまりに生活力ゼロで、妻子に苦労をさせた挙げ句、学者として全く目が出ないまま衰弱死する情けない男の役にぴったりだ」 「……う」 「城の文官達に何やら用意させていたのは知っていたが。ちょっと様子を見てくるだけだと言っておきながら、仕事を放っぽりだして、一体何をしているんだ、お前は!」 「…待って、待って、ね、グウェン?」 坊っちゃん─陛下が、一生懸命口を挟んだ。 「コンラッド、俺の事心配して来てくれたんだよ? あのさ…引き止めたの、俺なんだ。側に居て欲しくて、ここに居てって俺が言ったの!」 グウェンダル閣下が、じろりと陛下を睨み付けた。げ、と声を上げ、すばやくコンラッドの後ろに隠れる陛下。 「………こんな騒ぎが起きた以上、労働実習は終了、ですな、陛下?」 殊更丁寧な言葉遣いに、げげ、と陛下の表情が引きつった。 「それから」 閣下が、ここでようやくミゲル達に視線を向けた。 「かの国の正使殿がお出でになるという話は伝えられていたが。時期が早過ぎるのではないかな。それに、このような場所で何をしておられるのか」 すい、と視線を外す。 「……聞かせてもらう必要は、もうないが」 蒼白だったミゲルが、さらにガクガクと震え出した。もはや彼らの中の誰も、声を上げる事すらできずに立ち尽くしている。 「お国に戻られよ。条約の継続の如何に関しては、後ほどそちらの国王陛下あてにお知らせするだろう」 「…ちょっ、ちょっと待って、グウェン!」 陛下が慌てて、コンラッドの後ろから飛び出した。 「陛下……?」 「あっ、あのなっ。もうちょっとだけ待って!」 そう閣下に告げると、陛下はミゲルに向き合った。なあ? と、今だ蒼白なまま、身動き取れない他国の王子に呼び掛ける。 「お前さあ、えっと、ミゲル? あんた、言ってたよな? 俺の側近になって、文官として名を上げるって。あれってただの夢とか妄想なのか? 実体なし? それとも、俺が受け入れさえすれば、やってく自信、持ってんの?」 何を言われたのか分からない様に、しばしミゲルが目を瞬いた。陛下の言葉に反応できたのは、だからウォルワースの方が早かった。 「もっ、もちろんでございます! 陛下は先ほど、我が殿下が何も為さっていないと仰せられたが、しかしっ……」 「あんたに聞いてない! ちゃんと自分の言葉で、答えろ、ミゲル!」 ウォルワースがごくりと喉を鳴らす。そして陛下の声に、ようやくミゲルが、はっとその表情を改めた。 そして大きく息を吸うと、覚悟を決めた様にゆっくりと前に進み出、それから陛下の前に膝をつき頭を垂れた。彼の臣下達が慌ててそれに倣う。 「……知らぬ事とは申せ……万死にあたる御無礼、何とぞお許し下さいませ、陛下。そして……ただ今のご下問につきまして、ですが……」 ミゲルが顔を上げて、陛下を見据えた。 「確かに私は……夢ばかりを見て、それを実現させるには努力が必要なのだという事を忘れていたかも知れません。故にこそ、陛下に拒絶される事を怖れ、ただそれだけで全ての望みがなくなるのだと思い込み、自信を喪失し、ご存じの通りの愚かな振る舞いに及んだのだとも思います。しかし、しかし、それでも……皆様方の失笑をかうことを覚悟の上で申し上げます。私は……もしも陛下のお側で働かせて頂けるならば、必ずや、そのご名声を更に高め申し上げるためのお役に、きっと、きっと立ってみせると、ここでお誓い申し上げる自信がございます!」 少なくとも、政治と経済に関しましては、人一倍学んできたと自負しております。 そう付け加えて、ミゲルはまた頭を垂れた。 「人一倍学んできたってだけで、俺の側近になれると思ってるワケ?」 それは、とミゲルがさらに深く項垂れる。 その様を、じっと見つめていた陛下が、やがて、ふう、と息をついた。 「俺の側まで、のし上がってくる自信はないのか?」 「………え…?」 「身分を鼻に掛けたりせず、汚い真似をせず、人も傷つけず、努力と実力だけで、俺の側近にまで上がってくる自信。……ないのか?」 しばしぽかんと陛下を見上げていたミゲルは、その言葉の意味が脳に浸透してようやく、瞳の光を強くした。 「……あ、あります……ございますっ! その機会をお与え頂ければ、努力して、必ず、死に物狂いで努力して、そして実力をつけて、陛下にお取り立て頂く様に自分を鍛えると……! それをやり抜く自信が、ございますっ。いえっ、必ずや、やり抜いてご覧に入れます!!」 よし。と、陛下が頷いた。 「でもな。簡単に上ってこれると思うなよ? 眞魔国全体はもちろん、俺の周りをちょっと見渡しただけでも、すっげー人材豊富なんだぞ? こっちが切なくなるくらい顔のいいのも、声のいいのも、ギャグと絵心が超絶寒かったり、癒し系かと思ったら実は鬼軍曹だったり、誰憚る事なく恐怖の対象だったり、ちょー我がままだったり、にっこり笑って、腹の底は実は真っ黒なやつだって、そりゃーもう、より取りみどり、勢揃いしてんだからなっ。一発芸の一つや二つじゃ、取り立ててなんかやらねーぞっ!」 「…………………」 「…………………」 「…………………」 「…………………」 ………………………そうですか。芸ですか。重要なのは、持ち芸なんですね? 俺の隣で、三兄弟の長男と次男が、そろって額に手を当てて、これまた揃ってふかあく息を吐いている。 「だからあんたが乗り越えなくちゃならない壁は高くって…………って、あれ? 皆、どうしたの…?」 ようやく雰囲気が妙だと気づいたのか、陛下がきょとんと周囲を見回している。 「……いえ、何でもありません、陛下」 少なくとも表面上は穏やかに微笑んで、コンラッドが陛下の傍らに歩み寄った。 「それで陛下。この者を、陛下はどうなさるおつもりですか?」 コンラッドの問いかけに、陛下が「うん」と頷いた。 「ミゲル・ラスタンフェル。そっちが望むなら、眞魔国はあんたの留学を歓迎する。魔族の血を引いている訳だし、眞魔国で勉強して、最終的にこの国で何かの仕事に就くのもいい。あんたがどういう仕事を選んで、そしてどうなっていくかは、全部あんたの努力次第。どう?」 ミゲルはじっと陛下の顔を見つめ、そして唇を震わせると、三たび深く頭を垂れた。 「……あ、ありがとうございます、陛下! この身を、心を鍛えまして、いつか……いつか、必ず、陛下のお役に立つ、実力の持ち主となってご覧に入れます!」 「うん。………本気でがんばるなら……待っててやるよ」 陛下のその言葉に、一つ大きく揺れたミゲルの肩は、やがて小刻みに震え始めた。ミゲルの後方で控える臣下たちからも、押し殺した嗚咽が聞こえてくる。 「……ごめん、グウェン、勝手に決めちゃって……」 陛下が、ちょっとびくびくと、上目遣いで閣下を見上げている。 グウェンダル閣下が、仕方がないというように、ふん、と息を吐いた。 「他人にあれほど偉そうに言っておきながら、お前がコンラートの背中に隠れてどうする。…まったく」 視線が、今だ畏まったままのミゲル一行に向く。もうその視線に険はない。 「もうよろしいだろう。立たれよ。貴公らは、私の部下とともに王都に向かわれ、血盟城からの使いを待たれるがいい。宿の手配はこちらでやる。だがその前に」 振り向いた先に立つ三人の先生方を、閣下は手招きして呼び寄せた。 先生方が飛んできて、陛下の前に立つと威儀を正して一礼した。 「よもや魔王陛下とは存ぜず、ご無礼の数々、何とぞお許し下さいませ」 ヴィクトール先生が代表して述べる挨拶に、陛下が慌てて手を振った。 「全然無礼なんてされてないし! そもそも黙って入り込んだのはこっちなんだから。むしろ俺の方こそ、騒ぎにして、ゴメンなさい」 ぺこんと頭を下げる陛下に、とんでもございません! と、先生方が悲鳴のような声を上げる。 「当学舎を実習の場にお選び頂きました事、光栄の至りでございます!」 「……………よいか?」 グウェンダル閣下が言葉を挟んだ。ハッと、先生方が姿勢を正す。閣下はようやく立ち上がったミゲル達に視線を向けたまま、口を開いた。 「条約締結国の王子殿は、我が眞魔国に留学する事がどうやら決定した。そうなったからには、我が国でも最高の教育施設をご紹介せねばなるまい。……如何だ? この学舎はこの人物を受け入れる用意があるか?」 先生方とミゲル達、両方がはっと表情を引き締めた。坊っちゃんが、「なるほどー」と感心した声を上げている。 「学舎の本文は、学ぶ事を望む者に、勉学の場を与える、その一事でございます。かのお方がそれを御希望されるなら、当学舎は喜んでお迎えするでしょう。ただし…!」 ヴィクトール先生の顔が、厳しくミゲルを見つめる。 「学生として学舎に入るからには、お持ちの身分も地位も、その全てを捨てて頂く。王子であろうがなかろうが、一切区別は致しませんし、特別扱いもありません。それは最初に申し上げておきます」 ミゲルがきゅっと唇を噛む。 軽く頷いた閣下が、「どうだ?」とそのミゲルに問いかけた。 「己を鍛えてやり直す、というのであれば、ここから始めるのがいいだろう。それとも……逃げるか?」 あまりに直截な言い方に、ミゲルがキッと眦を上げた。それから、フォンヴォルテール卿に、先生方に、そして最後に陛下にその視線を向け、そのまま、しばし陛下をじっと見つめた。陛下もまた、何も言わないまま、視線を返している。 「………逃げません。こちらの方々にはご不快でしょうが、お許し頂けるなら、この学舎で学び直したいと存じます!」 きっぱりと言い切ったミゲルに、陛下がほっと頬を緩めた。 「ならば、魔王陛下への謁見が終了して後、留学の手続きを取る様にしよう。……それから、学生に従者など置く訳にはいかんので、そちらの供の者達が滞在する必要はないのだが……」 閣下のその言葉に、ウォルワース達があからさまに慌て始めた。覚悟を決めたはずのミゲルも、1人にされるとは思っていなかったらしく、いきなり顔を不安に曇らせた。 「………かといって、一国の王子を1人きりで放り出す訳にもいかんだろう。学舎に入れる事はできんが、ヴォルテール城で客分として預かろう。ただし、ただ飯食らいを置いておくつもりはないので、しっかり働く様に」 ありがとうございます! 必ずお役に立ちます! と、三人揃って最敬礼。ミゲルもホッと肩の力を抜いた。 「がんばれよ」 陛下がそんな一同に、にぱっと笑って声を掛けた。 この地上で最高、綺麗で、可愛くて、誰をも幸せにせずにはおれない、この人だけの笑顔だ。 NEXT→ プラウザよりお戻り下さい。
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