いじわるな骰子・8

 元が何もない田舎に建てられたこともあって、学舎は敷地が広い。
 特に、いくつかの建物に囲まれた、敷地の中心にあたる中庭は、軍の練兵場にも使えるんじゃないかと思えるほど無意味に広かった。
 舞台は食堂から、その中庭に移った。

「……えーと」
 坊っちゃんが目を閉じて、何やら考える様に顎を上げている。
「歩きながら目を閉じると転びますよ? どうしました?」
 俺の視線の先には、コンラッドとあの男が、中庭の何もない空間で距離をおいて対峙している。そのすぐ側には三人の先生方。あの男に向かって、懸命に何かを訴えている最中だ。そして彼らの周囲を学舎の面々が取り囲み、固唾を飲んで見守っている。
「整理してんの。…あの『若君』は実は『殿下』でー。俺に会うために眞魔国に来てー。なのに寄り道して、ここの皆をからかって暇つぶしに遊んでいた、と…?」
「本当に暇つぶしの遊びだったかは、はっきりしませんがね。金銭目当ての詐欺師じゃなかったことは確かみたいです」
「うー。…でぇ、いい人材がいたら、雇いたいってのもウソでー。コンラッドは反逆者に仕立てて、国にいられなくしてやろう、なんてやっぱり遊びで考えててー」
「まあ、あいつの事は、それなりに本気で取り込みたかったのかも知れませんけどね」
「……俺のお気に入りになって、側近になる予定だったと……?」
「それはどうやら本気だったらしいですね。なんつーか、自信たっぷりに語ってましたけど。でもまあ、坊っちゃん目の前で言ってるんですから、笑えるっちゃあ、笑えますけどねー」
 うー、と坊っちゃんが唸っている。
「なんてヤな奴っ!」
「………………よかったですね。やっと整理がついて」
「でも、あ、ちょっと待って! あいつ、コンラッドを本気で斬る気……?」
「そうみたいですねー。何せ、あいつの大事な『殿下』を思いきり貶しましたから。コンラッドを気に入っていただけに、怒り100倍? ってトコで」
 浅薄で、頭悪くて、性格悪くて。事実だから仕方ないけど。
「止めなきゃ! ねっ、二人とも止めなきゃ!」
 ダッと駆け出そうとする坊っちゃんの肩を、俺はすぐさま押さえた。
「…ヨザック…?」
「学舎で血を流すような真似を、コンラッドがすると思います? 任せといて大丈夫ですよ。それに、絶対適わない相手がいるって思い知らさなきゃ、あいつらこの後何仕出かすか分かりませんし。簡単に剣を抜く奴らですからね。学生に危害を及ぼさないためにも、ある程度のことはやらせて下さい」
 しばらく俺を見つめ、そして「そっか…」と坊っちゃんは肩の力を抜いた。
 そして次に俺に掛けられた言葉には、どこか楽しそうな笑みが含まれていた。
「絶対コンラッドが勝つって確信してんだな?」
「そりゃもう。何つったって、『大冒険』のヒーローにして、愛の炎に燃えてるお人ですから?」
 ぶふっと坊っちゃんが吹き出した。
「でもあいつ、すごく鍛えてるみたいだよ? それに体格だって、コンラッドよりでっかいし、強そうだし……」
 確かに、あいつに比べれば、コンラッドはかなり細身だ。
「大丈夫です」俺は坊っちゃんの耳元にそっと唇を寄せた。「…陛下のウェラー卿を信じて下さい」
「信じてるよ、俺はいつだって」
 そう言って笑う坊っちゃんの、表情にも声にも、不安はかけらもない。


「キア坊、グリエさん、こっちだよ」
 周りを囲む輪の一番前、特等席(?)を俺達の分まで確保してくれていたらしいロンジ爺さんが、手を振っている。
 俺と坊っちゃんだと分かると、学生達も快く俺達を前に通してくれた。
「グリエさん! キアちゃん!」
 男共を押し退けて、俺達に傍らに駆け寄ってきたのはグラディアとキャスとミーナ、そして数人の名前の知らない女子学生だ。と思ったら、最後にサディンもくっついていた。
「大丈夫なの!? ストライカー、あいつに殺されちゃんじゃ……!」
「あいつ、本気よ!? ねえ、止めましょうよ。学舎で殺し合いなんて、とんでもないことだわ」
「……フォンヴォルテール卿にお知らせすべきだと思うよ。あの方は公平な方だ。僕達がきちんと申し上げれば、きっと正しい判断をして下さるよ」
 最後のセリフは何とサディンだった。彼は俺の視線に気づくと、バツが悪そうにでかい身体を縮めてみせた。
「…………その……グリエさんには、軽蔑されてしまったかもしれないけれど……あの、でも……」
「何ぐちゃぐちゃ言ってるのっ!? 今はそれどころじゃないでしょ! ストライカーが殺されるかもしれないのよっ!!」
 ことある毎に貶しまくっていたような気もするが、グラディアは本心からコンラッドを心配してくれているらしい。焦った表情を隠しもせず、おろおろとうろたえる姿は中々新鮮かも知れない。

「剣を引いて頂こう! 学舎でこのような乱暴な真似は絶対に止めて頂く!」
 ヴィクトール先生の怒鳴り声が響いてきた。
「例えあなた方に脅されようと、我々は血盟城にこの事を訴えますぞ! 宰相であられるフォンヴォルテール卿を、甘く見られるな!」
「……そこをどけ」
 低く短く、そしてまごうことなき殺気に満ちた声に、先生方の足が反射的に数歩後ずさった。何といっても学者先生だ。剣と剣で話をつけるやり方には、かなり縁遠い。学者の権威が通用しない世界だと瞬間的に悟ったのか、三人ともそのまま言葉をなくしてしまった。
「先生」コンラッドの声は穏やかに落ち着いている。「危ないですので、どうぞ下がっていて下さい」
「…ス、ストライカー、くん……」
「強がりもそこまでにしたらどうだ? ええ!?」
 髭だ。あの男の後ろから、ずいずいと前に押し出てきて、コンラッドを睨めつける。
「情けを乞うなら今の内だぞ? 本当は恐ろしくて仕方がないのだろう? 足が震えているではないか。今からでも遅くはない。殿下の前に土下座して、お許しを願うがいい!」

「足が震えてる? あの人、乱視なんじゃないの?」
 坊っちゃんの声が呆れている。
「震えてて欲しいっていう願望とか、震えているに違いないっていう思い込みとか…。まあ、どっちにしろ、あの男は小物です。本人はたぶん……」
 コンラッドが、わざとらしく大げさに鼻で笑った。その態度に逆上したのか、髭は納めていた剣を再び勢いよく抜いて見せた。
「ウォルワース殿がお出になるまでもございません! この痴れ者は、このガルダンめが膾に刻んでご覧に入れましょう!」
 言うが早いか、髭は剣を振り上げ、一気にコンラッドに向かって行く。

「…たぶん、ひとかどの武人のつもりなのかも知れませんけどねえ。でもまあやっぱり、無謀で思慮の足りない小物ですよ」

 中庭にいくつもの悲鳴が上がった。
「待て! そいつは何も武器を……!」
 男の制止の言葉と同時に、あちこちから「卑怯者!」という怒りの声が上がった。俺の側からも、グラディアやミーナ達の絶望的な悲鳴が上がる。
「…スッ、ストライカー!!」

 コンラッドはその場を一歩たりとも動かなかった。
 思いきりよく突いてくる長剣の切っ先を、軽く上半身を捻るだけでやり過ごすと、たたらを踏んだ髭の、剣を握る手首と胸ぐらを掴み、捻り、男の勢いを殺さないまま、誰もいない方向に放り投げた。
 コンラッドの動きが早過ぎて、そして男の勢いが強過ぎて、単に力の向かう方向を変えられただけの髭は、まるで自分で望んだかの様に空中をダイブし、吹っ飛んでいった。そして、ゴロゴロと数度転がると、地面に突っ伏したまま、やがて呆然と顔だけを上げた。自分に何が起こったのか、どうして自分は地面に転がっているのか、さっぱり分からないと、その表情が語っている。

「…う、うわ、あ……!」
「ちょっ……今の、何……?」
 一瞬、中庭がしん、と静まりかえる。そしてすぐに、ため息とも感嘆ともつかない声が学生達から湧き上がった。
「…ス、スト、ストライカ、さん…! すごっ、すごい…!」
 うまく言葉を紡げないのが辛いのか、ミーナの息が荒い。
「あれ、ストライカーがやったの? …やったのよね? ……ちょっとグリエさん! あなた、ストライカーは弱虫って言ってたんじゃなかった!?」
「……えっとー……。おほほほほ…」
 隣で坊っちゃんが「空気投げだー、すっげーっ、かっこいー」と拍手喝采だ。そして、聞こえるか聞こえないかの小さな声で、「…俺のだもんな。俺のコンラッドだもん…」と自慢げに呟いている。……隊長、後で教えたげますから、馴染みのあの店の一番高い酒、1杯と言わず10杯くらい奢って下さいよね。期待していいでしょ?

「……驚いたな」
 男の呟きが、一気に場を鎮めた。声に楽しそうな、それもかなり物騒な何かをたっぷり練り混んだ響きが感じられる。例えて言えば、獲物を見つけたケダモノが、心行くまで遊んだ上に満腹もできる楽しい予感に、牙を剥いて喜んでいる、ってな感じかな。
「…………ガルダンは…我が国でも5本の指に入る使い手なのに……」
 と、少々呆気に取られた声が別方向から聞こえてきた。殿下、人材の層の薄さを露呈してますよ? 傍らには、これも愕然とした表情の女が、改めて短剣を構えている。

「君のその冷静さが、一体どこからくるものなのかと思っていたのだけれどね、ストライカー君。…そうか。軍にでもいたのかね?」
「お前には関係ない」
 にべもないコンラッド。だが男は、またも楽しそうに笑った。
「君は本当に、会う度私の予測を覆してくれる。それもいい方にね。……君を殿下の下に迎えたいよ。今でもね。……本当に。殺すのが、惜しくてならん」
 男が剣を構えた。
「そこに転がっている、ガルダンの剣を拾いたまえ。君を学生とは思わん。武人として戦い、武人としての君を屠ろう」
 コンラッドがすたすたと、剣の転がる場所に歩み寄った。そしてそれを拾うと、今だへたり込んだままの髭─ガルダンに向かって放り投げた。地面に落ちた剣が、男の足元に転がっていく。
「邪魔だ。それを持って、どいていろ」
 きょとんとコンラッドを見上げるガルダン。だがそれをさっさと無視して、コンラッドは踵を返した。
「ストライカー君…?」
 不思議そうな男には答えず、コンラッドは何気なくメガネを外した。そしてちらとも視線を動かさず、それをひょいと空中に放る。陽の光を弾きながら、放物線を描いて飛んでくるメガネ。それは容易く俺の右手に納まった。
 それを確認するでもなく、コンラッドの右手が腰の後ろに回った。
 抜き出したのは、刃もなければ鍔もない、柄だけにしか見えないあの代物だ。
 それを、コンラッドが軽く振り下ろす。
 ヒュン、と音にもならない音。次の瞬間、それは長剣に変化していた。
「…おおっ」
 どよめきが一斉に上がる。
 男も、これにはさすがに驚いたらしい。目を見開いて突然現れた剣を見ている。

 これぞ、フォンカーベルニコフ卿アニシナ嬢、奇跡の成功作。
 お庭番必携、携帯便利、どんな危急の場合にも即対応、瞬く間に刃が伸びて、あなたの安全を護ります。名付けて「ちょっとアブないのび太くん」今なら青い猫の編みぐるみ付き、である。……やれやれ。ちゃんと刃が出てよかった……。

「………一体、君は……」
 おそらく「何者だ?」と続くはずだったんだろう男の言葉は、そこでふいに途切れた。
 男の目が、剣を見た時とは全く違う色で、己の前に立つ男を凝視している。
 そしてその眼差し─驚愕の─は、中庭に集まった人々全員のものでもあった。

 目立たない様に少し屈みがちだった背筋を、しゃんと伸ばし。
 毎朝、坊っちゃんの真似をして一生懸命下ろしていた前髪を、左手で掻き上げ。
 そして。伏せていた目蓋を、しっかりと開いて。
 剣を構える。

   純血魔族の美貌とは全く違う、だがすっきりと整った端正な顔立ち。
 涼やかで切れ長な、しかし頑たる強い意志を宿した瞳。
 剣と一体化し、わずかの隙もない立ち姿。
 ……その全身から炎の様に燃え上がる闘気。

 ウェラー卿コンラート、かつて「獅子」と呼ばれた男が、そこに立っていた。

「……お、おまえ……は……?」
 男が鋭く息を吸い、一瞬で表情を変えると、すばやく数歩後ろに下がった。
「…ウォルワース……?」
 部下の変化を察したのか、「殿下」が不安げな声をあげる。その声に、男、ウォルワースとやらが叫んだ。
「お下がり下さい、殿下! 出てはなりません! この…この男は…危険です……!」
 ウォルワースは視線をコンラッドから外さない。一瞬の隙も見せられないと判断したのは大したモンだ。余裕のお遊び気分だった男の顔は、一気に厳しく引き締まる。歯を食いしばり、剣を構え直す男の顳かみには、早くも汗の粒が湧き出ていた。
 剣の使い手、それも腕の立つ者であればあるほど、コンラッドの怖さが理解る。
 身体の大きさだの、見た目の勇猛さだの、そんな些末な形に惑わされる事のない、ある種の眼を持つ者だけが感じ取れる「怖さ」だ。
 それを瞬間的に見取った男、ウォルワースは、確かにいい腕を持つ剣の使い手なのだろう。
 そしてそれは……分からない者には、何がどうなろうと分からない。
 ちょうど今、俺の周囲にいる連中の様に。

「…ちょっ、と…あれ……ストライカー、なのぉ……!?」
「ウソ…。だって、全然…。いっ、いきなり別人になっちゃったみたい……!」
「別人よぉ、もお、まるっきり別人……」
 俺と坊っちゃんの周囲を固める女子学生集団、そしてミーナが、一斉にほうっと深い息をついた。

「「「……素敵……っ!!」」」

 ………女子学生が、揃いも揃ってミーハーの、少女小説大好き軍団だってコトを忘れてたぜ……。
 やれやれと肩を竦め、ようとした俺の腕を、いきなりグラディアが引っ掴んだ。顔が怒ってる。
「私たちを騙したわねえ?」
「……は?」
「ストライカーを私たちに取られたくなかったんでしょ? だから情けない男の振りをさせたんだわ。そうなんでしょっ!? ううん、否定したって無駄よ!」
「いや、あの、えっと……」
「ああん、悔しいっ…!」
 グラディアの向こうで、キャスたち数人が手を取り合い、身悶えする様に頭を振っていた。
「目の前にあんな素敵な方がいらっしゃったのに、全然気がつかなかっただなんてっ…! ああもう、一生の不覚ーっ!」
 きゃーんと、トオボエオオカミの群れのような高周波の叫びが響き渡る。そしてその更に向こうには、ひとり顔を真っ赤に染めて、両手を胸元で組み、身を乗り出す様に男達を、コンラッドを見つめているミーナがいた。………またも、罪もない女の子の心をわし掴んでしまいましたね、隊長。
 やれやれと、今度こそため息をついた途端、「グリエさん!」と妙に切羽詰まった声を掛けられた。
「……サディン、さん?」
 サディンもまた顔を赤黒く染めて、緊張した様子で俺の前に立っていた。
「……ぼ、僕はっ。もも、もう、あなたに軽蔑されてしまったかもしれませんが…っ。それでも! ぼ、僕は、彼の様に美男子でも、強くもないし…。ま、ま、まさか、あいつ…ストライカー君が、あんな人だっただなんて、全然気がつかなくて……。うかつと言えばうかつだったし。あっ、あんなヤツらに乗せられた自分が、バカだったんだと思うけれど……」
 何が言いたいんだ、こいつ? と思ったが、まあ悪いやつじゃなし、俺はにっこり笑って延々続きそうな言葉を遮った。
「気にしないで下さいね、サディンさん。私、サディンさんのこと、軽蔑なんてしてませんよぉ? あんな悪いヤツらがいるなんて思いもしないじゃないですかぁ。騙されたって仕方がありませんよ。サディンさんは立派な学生さんなんだから、ご自分の事、バカだなんて仰らないで下さいな?」
「…! 本当ですか!? 本当に僕の事……?」
「え? ええ、もちろん、サディンさんは本当は礼儀正しくて、優しくて、立派な人だと……」
 いきなり、がっしと両手を掴まれた。
「ありがとうございます、グリエさん!! ぼっ、ぼっ、僕は……!」
 俺の手を握りしめたまま、感極まった様にぶるぶる震えている。……なんつーか。イヤな予感が…。
 坊っちゃーん、すみませんけど、ちょっと助けて……。と、坊っちゃんの姿を探したらば、こっちの騒ぎなどどこ吹く風、坊っちゃんはロンジ爺さんと並んで、こちらを見向きもせずにコンラッドにエールを送っていた。
「いやあ、大したモンだぜ、ストライカーさん。ありゃあ本物だぁ。学者にしとくにゃ惜しい面構えだぜ」
「そう思う? そう思う? ね、お爺ちゃん、コンラッド、カッコいいよねーっ!」
「おうともさ。俺も戦場に長くいたから分かるってもんだ。…見な、キア坊。あの悪党、すっかり青くなっちまったぜ?」
 確かに。
 ウォルワースを始め、「殿下」一行はコンラッドの眼光に居竦んだかのように、間合いを微妙に外したまま、身動きならずにいる。
 触れれば切れる様な緊張が、彼らを押し包んでいた。

 ……………あのー。
 俺、隊長達と同じ場所にいるんでしょうかねえ。
 そっちとこっちと、全然別次元っつーか、異次元っつーか、異世界っつーか。雰囲気が哀しいくらい違っちゃってるんですけど。
 感動(?)のあまり、声もでないらしいサディンに手を握りしめられたまま、俺は何だかすっかり切ない気分で大きくため息をついた。何で俺ばっかり………。

「……くそぉ…っ!」
 男、ウォルワースの、吐き捨てるような声が響いた。
 俺は咄嗟にサディンの手を振り払い、坊っちゃんの側に駆け寄った。
「…おのれぇっ!」
 自分自身に気合いを入れる様に叫ぶと、ウォルワースは剣を構え直し、一気にコンラッドの向かって駆けた。速い。そして力強い。だが。
 コンラッドは微動だにしない。
「でぇいっ!!」
 強烈な突きが、コンラッドを真正面から襲った。それを、身体の前に立てた剣で受け、すい、と後方に流す。そのあまりの軽やかな剣捌きに、数歩コンラッドの傍らを駆け抜け、無防備に背後を見せてしまった男は、すぐさま軸足に力を入れて身体の向きを変えた。そして間髪入れず、今度は剣を下から振り上げる。
 それも簡単に弾き飛ばすと、二人は数合刃を交わした。カンッ、カンッ、という、鋭い剣戟の響きが一帯を支配する。
 歯を食いしばり、固く眉を寄せるウォルワース。全く表情を変えないコンラッド。
 ガシッという鈍い音と共に、二人の剣が交わり、しばし対峙する。その時。
「しゃあ…っ!!」
 コンラッドの背後で、殺気が燃え上がった。
 復活したらしい髭、ガルダンが、コンラッドを背後から襲う。「きゃあ!」「危ないっ!」という叫びが、悲鳴と共に上がった。  ウォルワースの剣を弾くと同時に、後ろを見ないまま、コンラッドはすっと身体を沈め、横っ跳びに飛ぶ。次の瞬間、ガルダンの剣が誰もいない空間を薙いだ。そのすぐ前にはウォルワース。……惜しい。もうちょっと間合いを間違えてくれれば、同士打ちになったのに。
 コンラッドは、ガルダンに状況を理解する間を与えなかった。一瞬、ぽかんとする隙を逃さず、飛びかかる様にガルダンに近づくと、その剣を弾き飛ばし、返す刀で男の手の甲に刃を走らせる。
 ガルダンが手の傷を押さえたまま、地面に崩れ落ちた。

「……大した傷じゃないよね?」
 坊っちゃんが、ちょっとだけ心配そうに俺に確かめてきた。
「ええ、もちろん。剣が持ちにくい様に、手の甲にちょっと傷をつけただけですから。出血もそんなにないはずですし、大した事はありません」
 そうですとも。単に、これから先しばらく、もしかしたら一生、まともに剣を持てなくなるだけです。
 にっこり微笑んだ俺の耳に、今度は「きぃえぇぇぇいっ!」という、首を絞められたエンギワル鳥の、断末魔のような叫びが飛び込んできた。
「…うおっ!?」
 女が飛んでいた。
 あの女官風の女が、短剣を構えたまま、普通の人間ではあり得ない高さまで飛び上がっていた。そして短剣を構えたまま、コンラッドに向かって急降下してくる。……この女も、かなりアブない仕事のプロらしいな。
 コンラッドは真上から落ちてくる女を、無表情なままで見遣ると、すっと剣を構えた。そして、短剣が間合いに入った瞬間、それを横様に跳ね返すと、すぐに剣の前後をくるりと持ち替え、地面に降り立った女のみぞおちに、その柄を叩き込んだ。
 げふっ、という息とも声ともつかないものを吐いて、女は数歩よろめき、地面に沈む。
 そしてその瞬間には既に、空気を切り裂く音も鋭く振られたコンラッドの剣が、背後から襲い掛かろうとしていた男の身体に向けられていた。
 ウォルワースの頸動脈の上で、ぴたりと止まった銀の刃。

 ひゅう、と鋭く息を吸い、そして固まる身体。剣を微動だにさせず、睨み付けてくるコンラッドと、視線を合わせる事数秒。ウォルワースの手から、剣が落ちた。
「…………まい、った……」


 うおおっ、という、叫びと歓声、そして拍手が、一斉に湧き起こった。学生も、そして先生方も、顔を真っ赤にして腕を突き上げている。
「…すごいっ! すごいわっ!! なんて強いの、なんて素敵なのっ。ああ、ストライカー様ァ!!」
 ………………いきなり「様」かい。
 前方では、坊っちゃんと爺さんが手を取り合って、隣では、ミーナを含めた女子一同が抱き合って、興奮した顔を隠しもせず、嬉しそうにぴょんぴょんと飛び跳ねている。
「なっ、なんて素晴しいんだ、ストライカー君! 僕は君を尊敬するよっ!」
 サディンはすっかり心変わりしたらしい。……胸元でうっとり手を組む大男ってのは、気色悪いもんだな…。

「では、そろそろきちんと話を聞かせてもらおうか、ミゲル殿下とやら?」
 剣を納めながら発する言葉に、息の乱れはない。そんなコンラッドを、ウォルワースは悄然と、ようやく息を吹き返した女とガルダンは呆然と見つめていた。そして「殿下」は。
「………バカな……。そんな、バカな…。ウォル、ワース、が、そんな………」
「どうしてこんな真似をしでかしたのか」
 真っ青な顔でガタガタと震え、瞬きもままならない「殿下」に、コンラッドは容赦がない。
「答えろ」
「…でっ、殿下……っ!」
 今までの落ち着きが嘘の様に、ウォルワースが主に駆け寄った。慌てて、だがかなり辛そうに、残りの二人もその後に続く。
 一固まりになった「殿下」一行は、どこか怯えたような表情で、前に立つコンラッドを見返した。
「条約締結の挨拶に行くなら行けばいい。一国の正使であるなら、堂々と先触れを立ててな。先に見学がしたかったならそれもいいだろう。だがなぜ魔王陛下を騙った? …ああ、今さら否定しても無駄だぞ。お前達は自分達がお忍びの魔王陛下の一行だと、学舎の皆に信じさせた。そして、見どころのある者を側に置くと嘘を言い、学生達に妙な競争意識を植え付け、煽り、俺を反逆者として追放させようとした。正体がばれると、今度は脅しときた。……一体、何がしたかったんだ? やることなすこと、滅茶苦茶じゃないか。条約相手の国の王族が見学にくれば、ここの人々はこぞって歓迎しただろう。雇いたい者がいれば、そう申し出ればいい。無礼があれば、自分の国の名において、正式に抗議すればいい。……何故こんな真似をしたんだ? 本当に暇つぶしのお遊びだったというのか? このままこちらが訴えれば、魔王陛下に対する侮辱行為と、眞魔国国民に対する詐欺行為で、条約は間違いなく破棄、お前達もまともに国に帰れなくなるぞ? ……どうなんだ、答えろ」
 淡々と話すコンラッドに、ウォルワース達は辛そうに眉を顰めて顔を伏せた。ひとり、「殿下」─ミゲル王子だけが、蒼白な唇を震わせながらも、まっすぐにコンラッドを見つめている。
「……………かっ…!」
「何?」
 コンラッドが眉を顰める。
「……おま、え……お前たち、なんかに………分かって、たまるかっ!!」
 ミゲルが叫んだ。


 身体を支えるウォルワースに縋り付く様に立って、それでもミゲル王子の瞳は怒りに燃えていた。
「…………私の、国は、小国なりと言えども……古い歴史を持つ、由緒ある国だ…。その王族の誇りがどれほどのものか……貴様に、理解できるか? そして……その誇り高い王家に……魔族の血を引いて生まれてしまった私が……、どんな、どんな思いで生きてきたか…。それが、お前達に、お前達に……分かるとでも言うのかっ…!!」

「殿下……」
 腕に手を添えて自分を支えるウォルワースを見上げ、それからぐっと唇を噛み締めたミゲル王子は、ゆっくりとその支え手から離れた。
「…殿下……」
 眼を閉じ、大きく息をする。そして次に眼を開けたミゲルの表情からは、ふてぶてしさが影を潜め、何かを諦めた様な静かな落ち着きが見て取れた。

「幼い頃、皆が私を美しい子、賢い子と褒めそやし、可愛がってくれ、甘やかしてくれた。だが…私の成長が異常に遅い事に誰もが気づき、そして……母上が、第一位の王位継承権を持っていた母上が、夫も子もある身でありながら……魔族の男と過ちを犯したと分かったその日から……皆の私を見る眼が、変わった…。魔物の子、汚らわしい魔族の血を引く子と…。陰でこそこそなんて、可愛いものじゃない。誰もが、父や兄弟や当事国王であった祖父も祖母も、皆が私を指差して罵った。それはもう憎々しげに……。鞭や杖で、打たれた事もある。まるで…私が母を誘惑した魔族であるかのように……」

 中庭は、まるで人が居ないかの様に静まり返っていた。学舎の人々はもちろん、俺も、坊っちゃんも、そしてコンラッドも、突然始まった身の上話しに、半ば呆気に取られて聞き入っていた。

「…兄が成長すると同時に、母の王位継承権ははく奪され、私と母は揃って離宮に押し込められた。王位は兄が就き、父が摂政となった。………もしも、ウォルワースが……母と乳兄弟として兄妹同然に育ち、私の名付け親でもあったウォルワースが護ってくれなかったら。ウォルワースが、国で最強の剣士であり、その人となりで多くの民の尊崇を集める人物でなかったら……私はとうの昔に殺されていただろうと思う……」
「殿下……」
 ウォルワースが、力なく項垂れている。

「…なのに」ミゲル王子の瞳に、新たな光が灯った。「いきなり国情が変わってしまった。歴史と伝統はあっても、産業も農業も力は乏しい。もともと国民が生きていくのがやっとの状態だったのに、そこに天変地異が加わった。旱魃が続くかと思えば豪雨で水害に襲われる。夏に雪が降り、作物は実らず……。どこかに頼らなければ生き延びられない事は明白となった。それでも、成り上がりとバカにし続けてきたシマロンに頼る事はできず、そうこうしている内にシマロンがあんな事になって。結局……彼らは縋る相手に魔族を選んだ。そうなって初めて、初めて彼らは………私の存在を思い出したんだ……!」
 くっくっと、堪え切れない笑いが、ミゲルの口から漏れ出てきた。
「いきなり何もかもが変わったよ。バカな奴らだ。プライドも何もかも投げ捨てて、あいつらはもう眞魔国に頼るしか何も術を思い付かなくなっていたんだ。その頃にはもう、この国の評判は大陸にも響き渡っていた。まるで理想郷のようだと。豊かで美しくて飢えることもなく、争いもないすばらしい国だと…! そしてあいつらは僕に言った。王子であり混血でもあるお前が使者として立てば、きっと魔王は他の国より先んじて我が国を助けてくれるだろう、と。何としても魔王に取り入り、我が国の救世主となってくれ、と。お前だけが頼りだと…。 さんざんっ。さんざん私を魔物だの、眞魔国は悪魔悪霊の国だのと口汚く罵っておきながら……っ。あのっ、恥知らずどもっ……!」

「だからか? だから…こんなことをして、友好条約をこちらから破棄させようとしたのか? 国への、お前を虐げた人々への復讐として…?」
 コンラッドの声は、それでもやっぱり静かだった。
 皆がそれに納得しかけていた。この俺も。だが、ミゲルはゆっくりと首を横に降った。


「私は……この国に…魔族に……ずっと、憧れてきたんだ……」




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ですからー。
アクションはー。
苦手なんですぅぅぅぅぅ……………(脱兎!)

今度の「喋り」は君か、殿下……。