いじわるな骰子・7

「……ストライカー君……。その……」
 ヴィクトール先生が、学生達に囲まれたまま、疲れた眼差しでコンラッドを見た。
 本当に疲れてる。たった一晩で肌は乾いた土気色、目の下にはどす黒いクマを作り、髪もいつもならきれいに撫で付けてあるのが、すっかり水気をなくしてばさばさに乱れている。…ミーナも言ってたが、魔王陛下の不興をかったと思い込み、相当悩んで過ごしたのだろう。
 ヴィクトール先生の後ろには、彼ほどではないものの、やはり面白くなさそうに顔を顰めたコローラド先生とテッシオ先生が立っている。そしてそのさらに後ろには、ちょっと心配げな顔のグラディアやキャス達、女子学生が顔を覗かせていた。
 その先生方を食堂の入り口で置き去りにして、学生─主に男達がどっと中になだれ込んできた。
 先頭に立つのは……サディンだ。カウンターの前に立つコンラッド、そしてその後方、カウンターの中にいる俺と坊っちゃんと爺さんを、半月形に取り囲む。
「ストライカー。我々は学生有志一同は、君を魔王陛下に対して大逆の意志を持つものと判断する!」
「だから?」
「…………………え?」
 きょとんとするサディンに、コンラッドがわざとらしく大きなため息をついた。
「俺は、恐れ多くも魔王陛下に対し奉り、逆心なぞ欠片も持ってはいない。俺の何をもって君たちが勘違いしたのか、まあ分からないでもないが、それはそれとして」
 コンラッドが、真正面から学生達と対峙した。そして一呼吸、時間を置く。
「君たちがそう判断するのは勝手だ。それで? だから何をどうすると?」
「……え、あ…だっ、だから! き、君を……反逆者として告発する!」
 またも大きなため息。今度のはあからさまに「呆れ果ててモノも言えない」を主張している。
「…この国は確かに魔王陛下の専制国家だ。しかし、陛下の言動に対しての感想を、それが例え批判的なものであろうと、口にする自由は認められている。どこかの国の様に、王の像や絵画に頭を下げなければ投獄されるような、恐怖政治が敷かれている訳ではないんだからな。……それなのに、あえて大逆とまで言い切るなら、その根拠を聞かせてもらおうか」
 学生達が、うっと引いた。
 たぶん、かなりコンラッドを甘く見ていたんだろう。大逆なんぞという、物騒な単語を聞かされただけでぶるっちまうような腰抜けとか……。
 伏し目がちではあるものの、背をすっと伸ばして立つコンラッドからは、さすがとしか言い様のない純粋な「力」がにじみ出ている。……同年代とはいえ、生きてきた人生の濃さが違うわなあ。こんな学生達が大挙して取り囲んだって、圧倒する力はコンラッドが遥かに上回っている。
「……わーん、かっこいー……」
 声に、隣をちょいと見下ろすと、坊ちゃんが胸元で手を組んで、どこかうっとりと呟いていた。………よかったですねー、隊長。ちょこっとホレ直されてますかもよー。出刃包丁の失点、がっつり回復です。

「…せ、先生! 何とか仰って下さい! ……学舎は反逆者を放置しておくのですかっ!?」
 学生の1人が、後ろを振り向いて叫んだ。お鉢を先生に回そうってハラだろう。情けねーな。
 学生達が一斉に後方の先生方を振り返った。半月に隙間ができて、3人の先生方が押し出される様に前に出てきた。その表情はどこか呆然として見える。
「先生! この男を学舎から追放して下さい! そして、フォンヴォルテール卿にご注進を! このままでは学舎が反逆者の巣窟と疑われてしまいます!」
「それは違うでしょう、先生?」
 コンラッドが穏やかに興奮する学生を遮った。
「学舎の唯一の義務は、望む者に勉学の場を提供する事です。それ以上でも以下でもない。学舎にとって、その者が不利益を生むものであろうとも、その者がその学舎で学ぶ事を望む限り、学舎は無条件に応じなければなりません。そしてその者が何らかの圧力で勉学を阻害された場合、学舎は全力を持って、その者の勉学の機会を守らなくてはなりません。……もしも俺が反逆者だと告発され、捕らえられようとしても、反逆が証明されない限り、学舎は俺の学ぶ権利を護らなくてはならない。たとえこの地のご領主と対立する事になろうとも。……証拠があるならともかく、あなた方から俺を告発し、追放するのは、学舎が学舎であることを自ら放棄するものです」
 そうなの? と、坊っちゃんが俺に目で問いかけてきた。その通りです、と頷く俺。
 しかし、それは。
「それは建て前だっ! 証明だの証拠だの、いちいち待っていられるか!!」
 学生の誰かが叫んだ。
「建て前だからといって、嘘にしていいはずがない。建て前とは、ある意味理想だ。だが、理想を放棄しては、学舎は学舎たる存在意義をなくしてしまう事になるんじゃないのか? 如何です? 先生?」

「なべて国民は、誰のために存在しているのか。最も根本はそこでしょう?」

 いきなりの声が割り込んだ。

 出やがった。
 学生達の固まりが崩れ、ぽかりと空いた空間に、あいつら─「若君」と「影のリーダー」、「髭」「女官風の女」が姿を現した。
 目にするだけでムカつくあの鞭を手にして、「若君」が傲然と、最敬礼する人の壁の間を抜けてくる。その後ろに付き従うお供達。
「大した開き直り方だね、ストライカー君。私の名付け親が言っていた通りだ。大層な肝の座りかただよ。……まあ、そういうのは嫌いじゃない」
 鞭の先で、コンラッドの顎を捕らえようとする。だが手で軽く払い除けられて、「若君」はあからさまに眉をひそめた。そのままコンラッドを睨み合う。
 だがすぐに視線を逸らすと、「若君」は先生方にわざとらしく微笑みかけた。
「ああ、大丈夫ですよ、皆さん。皆さんがいかにこの国と王を大切に想っているか、私はこの目で見てちゃんと分かっていますとも」
 周囲を囲む学生達から、一斉に安堵のため息が洩れた。
「ですが」視線が再びコンラッドを射る。「…反逆者の存在は許す訳にはいきません。この男は、然るべき場所で裁かれることとなるでしょう。……引き渡して頂けますね? 先生方」
 ヴィクトール先生達が、ハッと顔を上げた。そして「若君」を、それからコンラッドを、戸惑うように視線を泳がせている。

 俺はそっと隣の坊っちゃんの表情を覗き見た。
 どこか不安げな、そして同時に何かを期待しているような、顔。

 なあ、先生。あんたは一度、坊っちゃんの期待に背いた。坊っちゃんのために、そして何よりあんた達のために、頼むから坊っちゃんを失望させないでくれ。
 その時、俺の心の声に応えるように、人の中に変化が生まれた。
 新しい人物が、その場に現れたのだ。………ミーナだった。
 ミーナは大胆不敵に学生達を全身で押しやると、前に進み出て父親達の顔を見据えた。
「…お、おとう、さ、さま。…が、がくしゃ、が…いち、ばん、た、たいせつにし、しなくちゃ、いけない、こ、ことを……み、見失わな、いで、く、ください……!」
 しっかりと顔を上げ、それだけ告げた後、ミーナはぐっと唇を噛み締めた。
 そのまましばし、見つめあう親子。
 やがて、ヴィクトール先生が、目を閉じて大きく息をついた。

 「………申し訳ございませんが、若君……。ストライカー君を、貴方様に引き渡す事はできかねます」

 ざわり、と食堂の空気が揺れた。ひとり、ミーナだけがほっと安堵の表情だ。
「…っ…せんせ……!」
「学舎は、どれほど疑わしかろうとも、明々白々たる証明がなされない限り、決して学生を犯罪者として扱う事はいたしません! …そうだったね? コローラド君、テッシオ君?」
 ヴィクトール先生にそう問いかけられて、二人の先生方もまた、神妙な顔で大きく頷いた。
「ヴィクトール君の言う通りです。ストライカー君への疑いは、ただ単に疑いだけです。それだけで、本人の釈明も聞かず、学舎を追放したり、まして告発など……!」
 コローラド先生が吐き捨てる様に言い、テッシオ先生も、その言葉に苦々しげに頷いた。
「せっ、せんせい…っ!」
 あちこちから、悲鳴に似た声が上がった。
「盗んだの、殴ったのなんて話ではないんですよ!? 事は大逆です! それを……!」
「だからこそだ! これは人命に関わる重大事だ。たやすく引き渡して終われる問題ではない! 君たちも天下国家を論じる学生なら、保身のために同輩を売り渡すような恥ずべき真似は慎みたまえ!」
 悩みを突き抜け、開き直りの境地に入ったヴィクトール先生は、次第に元の調子を取り戻したらしい。弱々しかった声にも張りが蘇り、その姿勢にも、誇りという名の芯が1本、しっかりと通ったようだ。
 そんな父親達の姿を、ミーナは嬉しそうに笑みを浮かべて見つめ、それからその表情のまま俺達─坊っちゃん、に顔を向けた。そしてさらに、可愛い笑みを深める。
 坊っちゃんもまた、にっこりと大きく笑みを浮かべ、そして頷いた。

 ようやく地に足のついた感のある3人の先生方は、厳しい顔を並べ、改めて「若君」と向かい合った。そして、その先生方を後ろから支える様に、グラディアやキャスといったお馴染みの女子学生や、数人の男子学生が、肩を並べてその場に立った。
「先生の仰る通りですわ。それに……ストライカーみたいなへなちょこに、大逆なんて大それた事できるはずがありません!」
 グラディアが高らかに宣言する。
「へなちょこですってー。お株をコンラッドに取られましたねー、坊っちゃん?」
 ぷっと小さく噴き出した坊っちゃんが、慌てて両手で口を押さえる。その向こうではコンラッドが、誰かそっくりに皺を寄せた眉間に手を当てて、何やらぶつぶつ呟いていた。
 こちらの心境に気づかない先生方は、力強い味方を得て、さらに気合いが入った模様だ。
「……そういう訳ですので、若君。我々は、ストライカー君の権利を護るべく、行動させて頂きます」
 凍った様に声もない学生達の中で、「若君」は苛立たしげに、手の平に鞭を打ちつけている。その後ろでは、髭と女の二人が爆発寸前の怒りの形相を露にしていた。そして、あの男ただ1人が、厳しいながらも冷静な表情を崩さずに控えている。
「………これは…驚いた……」
 「若君」の語尾がかすかに震えた。
「…この、私が、この男を反逆者だと言っているのだよ? それこそがすなわち、全ての証明になっているとは思わないのかな?」
「………それは、何の証明にもなりません。万人が見て納得できる証拠が提示されませんと……」
「万人の納得! この私の言葉に、万人が納得できないと言うのか!?」
「何たる暴言! 何たる無礼っ!!」
 我慢ならんと髭が前に飛び出してきた。
「これで充分分かりましてございますぞ、若君! こやつら、ひとり残らず反逆者! 学舎は反徒の根城でございます!」
「ちっ、違い……!」
「黙れっ! 王とはすなわち国家そのもの。国土国民、草木一石に至るまで、すべて王の所有物。王のために在る民、王に仕えるために在る貴様達。それが……」

「それ、違うと思うよ」

 幼い、だが涼やかで確信に満ちた声が、その荒れた空間を、すっと滑るように流れた。

 滑稽なまでに、男の動きがぴたりと止まる。
 その場にいる全員が、今自分達が聞いた言葉が理解できなかった様に、ぽかんと周囲を見回し始める。

「民は王の所有物なんかじゃない。民は王のために存在してる訳じゃない。逆だよ。王が民のために存在するんだ。国民皆が、平和で、安全で、豊かな国で幸せに暮らせるように、一生懸命尽くすのが王様なんだ。それが王の仕事なんだ。学舎の皆に美味しいものを食べてもらうために、お爺ちゃんがお料理するみたいに、平和とか豊かさとか幸せとか、国民に味わってもらいたくて、そのためにがんばるのが王なんだ。王の仕事なんだ。国も民も」坊っちゃんの、髪に隠れた瞳が「若君」に向けらるのが分かった。「王の所有物でも、好き勝手できる道具でも、おもちゃでもない」

 ……子供の言葉だ。洗練されても、磨かれてもいない。拙くて、そして理想だけで固められた稚い言葉。それなのに、その言葉は、裸で素朴でまっさらな分、知識や教養や思想で塗り固められた言葉より、ずっと力強く、まっすぐに、俺達の胸に流れ込んできた。
 コンラッドが、胸に手を当てて、坊っちゃんに向けてそっと小さく頭を下げた。
 ……そう。あなたこそ、俺達の「陛下」だ。

「………怖いもの知らずだね、キア……。子供というのは、全くもって度し難いものだよ……」
 怒りが全身から溢れる、というよりは、滴り落ちる、という感じがする。鞭の先端を握りしめる「若君」の指が、白く震えているのが分かった。…あの鞭をまた振り上げることになれば、その時はその腕、根元から叩き落としてくれるぜ…?
「このような下働きの小僧まで……! 若君! もはや、この者共に寛容の御心は無駄かと存じまする! 反逆のおそれある者を、全てこの場で成敗すべきかと……!」
 ざわりと場が、不安と、そして恐怖に戦くのが分かった。だが、それでも。
「…キ、キアちゃんの言う事は正しいわっ! 王とは国家と国民に対する奉仕者であらねばならないのよ。…私たち学者は、王がそうあるべく監視し、道を外そうとした時には、誰より先に諌言しなくてはならない。王におもねるのは、学者の取るべき態度では決してないわ!」
「そうよ! が、学者は、民のためにこそ在る!」
 グラディアとキャスが、決死! とばかりの凄い形相で叫ぶ様に言った。声がひっくり返り、語尾がかなり震えているのは、まあ御愛嬌という感じだ。少なくとも、サディン達に比べれば、はるかに見どころがある。
「……かっこいいね、グラディアさんたち」
 坊ちゃんが嬉しそうに、俺に囁いた。
「名前を覚えておくとよろしいですね。いつかあの勇気に報いる時が来ると思いますよ」
 うん、そうだね、と坊ちゃんが頷く。

「……気に入らないね……」
 「若君」の鞭が、ヒュン、と音を立てて振り下ろされた。
「…本当に…気に入らない……」
 髭が、剣を抜いた。学生達が一斉に後退さる。俺もカウンターを出て、コンラッドと並んで立った。
 その時。

「若君」

 いつ出てくるかと思ったぜ?
 あの、影のリーダーが、ようやく前に進み出てきた。そして、「若君」のすぐ後ろで、腰を屈める。
「何とぞ、これ以上は……。若君の御名に傷が付きかねません。何とぞ……」
「………分かっているよ…。でもね、でも……私はこいつらが嫌いだ…! この…したり顔の…。中でも……」
 「若君」の顔が、坊っちゃんに向けられた。憎々しげに歪んだ顔は、なまじっか小奇麗なだけに、怖さよりも無気味さを感じる。なんつーか……「怒り」って言葉よりも、「恨み」とか「呪い」…とか…? そんなどろどろした気味の悪いものを、こいつは自分の内側に飼っている。瞬間的にそんな考えが、俺の中に浮かんだ。
「ねえ? ここにいるやつらは……あの、生意気な子供は……私を一体何だと思っているのだろうね? ……ねえキア? 答えてごらん。お前は私を誰だと思っているのだい?」
 「若君」の鞭が、まっすぐ坊っちゃんに向けられた。

「俺もそろそろ、その答えを聞かせてもらいたいな」

 坊っちゃんと「若君」の間に割り込む様に立ち、そう言ったのはもちろんコンラッドだ。
 そして振り返ったコンラッドと坊っちゃんが、小さく頷きあった。

「答えろ。お前は一体何者だ?」

 しん、と、先ほどまでとは全く違う沈黙が、食堂に降りた。
 悪意を漲らせていたサディン達学生も、先生方やグラディア、そしてミーナも。
 呆然というよりは、ぽかんといった表情で、コンラッドを凝視している。
 平然としているのは、俺達─坊っちゃんと俺、そしてロンジ爺さん、だ。
「お前が魔王陛下などではないことは、最初から分かっていた。てっきり詐欺師の集団だと思っていたんだが……。金目当ての詐欺にしては、言動が妙だ。様子を見るつもりだったが、これ以上はこの学舎や、皆に掛かる被害が大きくなる。………言え。お前達は一体何が目的で、魔王陛下を御名を騙る?」

「………う、そぉ……」
 誰かが呟く。それをきっかけに、ざわ、と食堂に集まった人々が揺れた。
「…ちょ、ちょっとストライカー! あなた、それっ……」
「俺は、王都で魔王陛下の御姿を拝見している。……コレとは似ても似つかない。全てにおいて」
 コイツなんぞ陛下の足元にも及ばん、と続く言葉は、学生達の叫びにも似た声にかき消された。
「僕達を騙したのか!?」
「ニセモノだ!」
「陛下の御名を騙るだなんてっ、なんて恐れ多い!」
「こいつらこそ反逆者じゃないか!」
 その言葉に行き着いた瞬間、全員の視線が一斉に彼らに注がれた。
「こいつらを捕まえろっ!」

 髭と、そしてやはり短剣を抜いた女が、「若君」の両脇を固める様に立った。そこへあの男が、両手を広げ、主を護る様に前に進み出た。
 興奮のあまり、今にも飛びかかりそうな学生達を前にして、男は見事なまでに落ち着き払っている。
「訳の分からん言い掛かりをつけるのはやめてもらおう、ストライカー君。それに、君たちもだ。……どうやらとんでもない勘違いが、君たちにあったようだな」
「勘違い!? 勘違いとは何だね!?」
 テッシオ先生が、大きな身体で、ずいっと前に出た。怒りで顔が真っ赤になっている。

「一体いつ、私たちの一体誰が、我が主が、魔王陛下であるなどと口にしたと言うのだね?」

 ……やっぱり言いやがったか。
 虚を突かれた様に、テッシオ先生が固まる。しばらく考える様に宙を睨んで、そして突然、かくん、とその大きな顎を落とした。「あ…」と、気の抜けたような声が漏れる。
 他の先生方も、そして学生達も、反応は同じだった。これまでの経過を反芻して、達した理解に愕然としている。
「…あれは、君達が……っ! 何たる事だ。すべて計算済みだったのだな!?」
「態度も、言動も、魔王陛下の一行であると、あれほどあからさまに匂わせておいて……、そのような言い逃れが通用すると思っているのかね!」
 ヴィクトール先生とコローラド先生が、激昂のあまり赤を通り過ぎて青白くなった顔で叫ぶ。
「言い逃れ?」ちょっと困ったような苦笑。「言い逃れも何も…。若君は学舎に興味をお持ちになられ、優秀な人材がいれば登用したいとお考えでおられた。だからここに見学に来られた。だが、ご身分のある方ゆえに、騒ぎになる事を厭われ、お名前などを秘された。……この通りだろう? 魔王陛下だなどと君たちが考えているとは、思いも寄らなかったよ。まあ、若君は王者の気品を備えた方でおいでだから、仕方がないと言えば言えるのだが。…しかし、思い込みの間違いをしたのは、君たちの方だ。それを責めるのは、筋が通らないし、そもそも……貴いご身分の若君に対し奉り、御無礼というものであろう! どうだ!」
 いきなりの大音声に、全員が呑まれた様に身を竦めた。男の唇の端が、くっと上がる。
「だったら、どう貴いのか教えてもらおう」
 全く変化のないコンラッドの声に、男の目が見開かれる。
 ふと、男の笑みが変化した。そしてゆっくりと身体を巡らせ、コンラッドと対峙する。
「君は……私が期待していた以上に、おもしろい男だったのだな」
「俺が気づいていることなど、とっくに分かっていたんだろう? でなかったら、あんな問いかけをするはずがない」

『君は、ウェラー卿コンラートという名を聞いて、どう感じる?』

「お前は俺が、この国や陛下に対し、どんな感情を抱いているか知りたかったんだ。 魔王陛下に盲目的な忠誠心を抱いているのか、それとも……お前の言う『反骨の精神』とやらを持っているのか」
 男は笑みを浮かべたまま、何も答えない。
「俺がもしも国体に批判的であったなら、それを利用するつもりだった。学生達を煽り、俺を反逆者にしたて、そして俺を抜き差しならない状態に陥ったと思い込ませ、その上でお前達の陣営に引き込もうとしたんだ。…お前達の元以外、どこにも居場所はないと。自分達を拒絶したなら、残る途は逆賊としての運命だけだと、俺に信じ込ませようとした。少なくとも、今のこの騒ぎは、そのためだけに起こしたんだろう?」
「少々思い上がりが過ぎるんじゃないかな? それほど自分が高くかわれていると?」
「本気でそんな真似をするバカはいない。だが……単に遊びだったのなら、ゲームだったのなら、そんな筋書きもあり得る。違うか? ……最初は詐欺師だと思った。だが、今は違う」
 コンラッドは自然な動作で歩を進め、男の真正面に立った。わずかに間合いを外した位置だ。
「お前達は、ただ遊んでいただけだ。ここで魔王陛下の御名を騙り、皆を混乱させ、その姿をみて嘲笑っていた。……おそらく、暇つぶしのお遊びだったんだろう? …だから聞かせろ。一体お前達は何者だ?」
 くっく、と男が笑った。
「相手がどのような身分かも分からないのに、そういう不遜な態度を取るものではないよ。ストライカー君。だが、まあいい。そのうがった推理に免じて、教えてやろう。……よろしいでしょうか、若君?」
 コンラッドを見据えたまま、男が後ろに立つ「若君」に問うた。
「ああ、構わないよ。……まったく、下賤な者共の浅薄なことといったら…! せっかくこちらが気をつかってやっているというのに、勝手に思い違いをして、勝手に怒って。あまつさえ身分も弁えず、説教してくるバカな子供までいる。……己がどれほど愚かで、そして哀れな存在か、この利口を気取った男に教えてやるといい」
 「若君」の言葉に、男が軽く頭を下げる。
 そして、あらためて食堂に集まった全員を見渡すと、謹厳な表情を顔に浮かべ、ゆっくり口を開いた。
「このお方は……」
 男が口にした国の名は、つい先だって眞魔国と友好条約を結んだばかりの、歴史は古いが、地勢的にも、経済外交全てにおいても、勢力、影響力、共に取るに足らない弱小国家のそれだった。
「その第三王子、ミゲル・ラスタンフェル殿下であらせられる!」
 ふーん。「若君」は「殿下」だったワケかい。………だから、どうした。
 坊ちゃんが、つんつんと俺の腕を突ついてきた。
「……知ってる国…?」
「まあ、一応。貧乏で、国土のほとんどが荒れて困り果ててるはずなのに、山より高いプライドが邪魔して他国へ援助を頼めないっつー、困ったちゃんな国ですね。……って、先日友好条約結んばかりでしょう? 覚えてないんですか?」
 えとー、と坊ちゃんが首を捻った。
「…なんか、いっぺんに5つくらいの国とそういうの結んだのは覚えてるんだけど。……まとめてサインしたような……。確か、条約締結式典もまとめてやって………俺が出る必要ないとかいわれて出なかったのがあったんだけど。………あれかな?」
 あれかな、と言われましても。
「……てか、そんな国の王子が、何でウチにいるわけ?」
「……何か聞いてませんか? 王佐殿とか宰相閣下とかに」
 うーん、と腕を組んで、坊ちゃんが悩み始めた。一応確かめてみると、コンラッドも顳かみに指を当て、何か思い出そうとするかの様に眉を顰めている。が、何も思い当たるものがないと見た。さっさと吹っ切ったらしく、再びふてぶてしい顔を「若君」─ミゲル王子一行に向けた。
「殿下は、友好条約締結のご挨拶を魔王陛下に申し上げるべく、我らが国王陛下のご名代、一国の正式な使者として、こちらに伺う事となったのだ。その際、殿下におかれては、眞魔国について学びたいと仰せられ、あえて入国の時期を早め、こうしてご興味を覚えられた場所にお立ち寄りになっておられる」
 自分の言葉が、皆に浸透するのを確かめる様に口を閉じ、それから更に表情に厳しさを加えた。
「数ある学舎の中から選ばれ、殿下をお迎えできるという栄誉に恵まれながら、勝手に思い違いをした挙げ句、恐ろしい罪を擦り付け、このように大人数で責め立てるとは! この無礼、決して許しはせんぞ!!」
 経済と外交を主に学ぶ学生達だけあって、条約を結んだばかりの国の名は、ちゃんと覚えているらしい。先生方も学生達も最前までの怒りは一気に冷め、皆一様に、戸惑いと不安を顔に上せている。
「…こ、これは……かの国の王子殿下とは……存じませず……ご無礼を……。しっ、しかしながら…!」
「しかしながら、だと? よもやこの期に及んでなお、言い掛かりをつけようと言うのではあるまいな!」
「そうでは…! ただ……っ」
「言い掛かりなどではないな」
「………!?」
 ヴィクトール先生の必死の言葉を蹴散らした男は、それを引き継いだ男─コンラッドの、全く変化のない声に、ハッとその表情を変えた。
 コンラッドは、当然だが、恐れ入った顔も見せず、腕を組んで「殿下」をいかにも胡散臭そうに見下ろしている。
「お前の『殿下』とやらは、何度も反逆という言葉を使った。それどころか、昨日はヴィクトール先生に『大逆』という言葉さえ使っていた。眞魔国の者の行為が、どうしてお前達への『反逆』に、ましてや『大逆』にまでなるんだ?」
 コンラッドの視線が、男から「若君」改め「殿下」に移った。
「…お前は、他国の者を反逆者呼ばわりし、その身柄を引き渡せとまで言ったな。魔王陛下の御名を騙っていないなどというセリフは、既にこの段階で破綻している。さらに、引き渡さないと分かると、こうも言った。『反逆者と判断したのは私だ』と。そして、『私の言葉こそが全ての証明だ』と。どこの王子か知らんが、そもそも身分を隠していると称する輩が、他国の民を脅すために使っていいセリフじゃない。そうやって、お前がこれまで我々に見せ、聞かせてきた、諸々の不用意な言動その全てが、自分が魔王陛下であると言外に匂わせるための、すなわち、魔王陛下の御名を騙ったという明白な証拠じゃないのか?」
「……そうよっ! 私も確かに聞いたわ。そうやって私たちの意識を誘導していたのよね。私たちがこの人を、魔王陛下だと思い込む様に。思い込みをどんどん煽って深めていくために。……偉いわよ、ストライカー、よくちゃんと気がついたわね!」
 グラディアにお褒めの言葉を頂いて、コンラッドが苦笑を浮かべる。学生達も、自分達が勝手に思い違いをしていたのではなく、騙されていたのだと主張できる根拠を見つけて、一斉に沸き立った。
 思い込みが先に立てば、誘導はたやすい。だが一旦騙されていたと分かれば、それはあまりにもあからさまでバカバカしいやり方だった。
 しかし。

「大逆? そんな大それた言葉を使った覚えはないな。それにストライカー君、君の今主張したあれこれは、私には全く記憶がないよ?」

 しん、と食堂内が静まった。
 呆気に取られて立ち尽くす人々の中で、「殿下」はくすくすと笑っている。
「一体何の話だろう? 私はただ、眞魔国の学者がとてもすばらしい知識人だと聞いて、ぜひ会ってみたかった、ただそれだけだよ? それを何だか妙な勘違いをされ、あげくに発言した覚えのない言葉を並べられ、大それた言い掛かりをつけられて。……どうしてそんな誤解が生まれてしまったのだろうね?」
「殿下が魔王陛下と思い込まれたのは、偏に殿下が纏われる気品や威厳に寄るものでございましょう。後は……、さて、私にもさっぱり見当がつきません」
 「殿下」と男が、にこやかに会話を続けている。
 いやあ、大したモンだ。こうも白々しくすっとぼけることができるってのは、存外政治家向きの主従だぜ?

「……なっ、なんて図々しい! さんざん私たちを騙しておいてっ!」
 相手が一国の王子(自称)ってコトもどこかへ吹っ飛んでしまったのか、グラディアが怒りの声を上げた。
「…これは、我が眞魔国への、そして魔王陛下に対しての、重大な侮辱ですぞ……」
「条約を結んだ相手国へのこの行為、謝罪もなされず、あくまでも言い逃れなさるというなら、こちらにも覚悟があります!」
「あなた方が私たちに仰った数々の言葉は、今もちゃんと我々の記憶に残っておりますぞ。裁判となれば、全員、いつでも証言に立ちましょう。そうだな、諸君!?」
 3人の先生方が、必死に感情を押さえ、「殿下」一行に詰め寄る。そして、最後のテッシオ先生の呼び掛けに、学生達が一斉に「おう!」と気勢を上げた。

「誰が信じる?」

 男の声に、笑いが滲む。
「一国の王子であり、正式な使者である殿下のお言葉と、たかが学者学生風情の言葉と。魔王陛下は、どちらをお信じになるだろうな?」
 学生達が、ぐっと息を呑んだ。
 男は余裕の表情のまま後ろを振り返り、「殿下」に頭を下げた。
「殿下は、これから魔王陛下の元に赴き、魔族と人間との橋渡しという役目に力を尽くす事を、陛下に言上なさるおつもりでいらっしゃる。なぜなら……殿下は、魔王陛下と同じ、魔族と人間との混血であられるからだ」
 意外な言葉に、その場にいる人々からいくつかの声があがり、そしてあちこちで戸惑った顔が見交わされた。
「私はね」男の後方から、声が上がった。「人間と魔族の共存を願っておられる魔王陛下に、私なりの方策を披露申し上げるつもりなのだよ。そのための準備もしてきた。自慢する訳ではないが、私が纏めたものは、君たちが日頃口に上せる政策案だの外交案だのに比べても、優りこそすれ、決して劣るものではない。……陛下も混血でいらっしゃる以上、ご苦労も多いだろう。私の苦労話なども、ぜひお聞かせしたいものだな。きっとご同情頂けると思うよ。私はね」
 「殿下」は前に進み出て、食堂に集まった人々を見回し、そして婉然と微笑んだ。
「魔王陛下のお許しを得て、眞魔国に、魔王陛下のお側にお仕えするつもりでいるんだ。私はきっと陛下のよいお話し相手になれると思う。きっと……近い内に必ず、陛下のご寵愛を得てみせるよ。だからね?」
 私に逆らわない方がいいよ。
 そう言った「殿下」は更に笑みを深め、勝ち誇った顔で皆を見渡した。

「そういうのを、ある世界では『取らぬタヌキの皮算用』というらしいぞ」

 呆れていいんだか笑っていいんだか、どうしたもんだか、といった複雑な表情で、コンラッドが口を挟んだ。
「ぺらぺらと捲し立てて皆の気を呑むやり方はうまいものだが……、結局全部、お前達の願望と言うか妄想と言うか、単なる希望的観測に過ぎないだろうが。一体どうすれば、そこまで自分勝手な夢を描けるんだ? それにだ」
 コンラッドの眉が、怒りと嫌悪にきゅっと顰められた。
「自分達のものさしで、我々の陛下を測るのはやめてもらおう。お前達の持つ秤は、あまりにも小さ過ぎる。もしも、百万分の一、いや百億分の一の確立で、お前が陛下のお側に上がれたとしよう。だからといって、陛下はお前の言い分を無条件に信じたりなさらない。例え、お前が一国の王子であろうと、どれほどご立派な施策を頭に描いていようとも。陛下は人の言葉を判断するのに、身分だの地位だのに左右される方ではない。我々の陛下は……」
 コンラッドが鋭く息を吸う。
「正しい者が口にした、正しい言葉をお信じになる!」

 おお…! という感動のため息と、1拍置いて拍手。同時に、「よく言ったわ、ストライカー!」「その通りだ! 我々の陛下をバカにするな!」「何が御寵愛だ。お前のようなものを、陛下がお側になど置くものか!」等々の声が、集団のあちこちから湧き上がった。
 俺の隣からも、「そうだそうだー!」という元気な声が。俺の……隣から。
 ………あの、すみません、坊っちゃん。ご自分の事だって、分かっておいでになります…?
「いやあ、大したモンじゃねーか、ストライカーさん。……確か、口下手だって言ってなかったかい? まあいいや、ホントに立派なモンだ。ありゃあいい学者先生になるぜ?」
 坊っちゃんと一緒に、いつの間にかカウンターを出て俺に並んでいたロンジ爺さんが、嬉しそうに言う。まあ、その、なんつーかね、坊っちゃん絡みだとよく喋るよな、あいつ。

「黙れ、無礼者共っ!!」
 その大音声に、一気に食堂内が静まった。
「眞魔国の、これが一国の正使たる殿下に対し奉りての態度かっ!? この無礼、許し難し! この上はご領主にして宰相たるフォンヴォルテール卿に訴え、貴様らに対してきつくご処分願う事とする! これは歴とした外交問題だ。一国を相手にする覚悟、できているのであろうな!?」
 だから、外交だの経済だの、専門にしているからこそ、ここの連中はそこを突かれると弱い。考え過ぎちまうんだな。今も男の言葉に全員が顔を強ばらせている。話は単に振り出しに戻っただけなんだけどな。
 コンラッドも、うんざりしたように深くため息をついた。
「……だから。最初に外交問題になるような事をしでかしたのは、そちらだろうが。事が表面化すれば、困るのはそちらだ。お前達こそ、眞魔国を相手にして、最悪、友好条約が破棄される覚悟はできているのか?」
「………よほど自信があると見えるな、ストライカー君。………実際、君には驚かされるよ」
 正直に言わせてもらおう。男の声の調子が変わった。
「前に言ったな。君には他のものにはない、何かがある。私は自分の目を信じていてね。君は遊びだと言ったが、少なくとも、君に関しては私は本気だった。君を追い詰めるのは本意ではなかったが、そういう手を使ってでも、君を我々の元に迎えたいと思ったのだ。本来の主である魔王陛下を捨ててもらってね。……考えてみたまえ。これから殿下は魔王陛下のお近くに参られる。殿下は必ずこの国で、重く用いられるようになるだろう。その時、君が我々と共にあれば、君の将来もまた、輝かしいものとなる。……今のままでいいのかね? 渡りの学生などに、未来はあるのかね? あの女性と、広い庭のある家で、犬を飼って暮らす夢があるのだろう? 今からでも遅くはない。君のような男が、こんな学舎と運命を共にする必要はない。違うか?」
「………言いたい事は、それだけか………?」
 心底げっそりと、嫌そうに顔を顰め、コンラッドが唸る様に言った。
「俺は、こんな愚かで、浅薄で、頭も悪ければ性格も最悪な子供に仕える気持ちは、全くないっ!!」

「……よくぞ言った、ストライカー……」
 男が、ゆっくりと剣を抜いた。
 荒事に慣れない一同が、悲鳴を上げ後退さる。
「ここのやつらは、宰相殿にご処分願おう。だが、お前は……私がこの手で叩っ切る!」

 くすり、と……獅子が笑った。

「お相手しよう」




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ごーいんだな。うん、とってもごーいんなてんかいです。(どうしてだかひらがな……)

次男、ひとり舞台です……。

いろいろと……ぐすん……。