「……何とぞ、お許し下さい、陛下」 突如跪いた俺に、坊っちゃんがでっかい目をさらにでっかく見開いて、ぱちくりと瞬いた。 「グ、グリエ、ちゃん…? どっ、どしたのっ? お腹でも壊した?」 ……腹下してしゃがみ込むのと、一緒にしないで欲しいんですけど……。ついでに、熱なんてありませんから、額に手を当てたりするのも、誰かの視線が怖いのでできたら止めて欲しいんですけど……。 「陛下。グリエはお側に付いていながら、あんなモノに陛下をみすみす傷つけさせたんです。…お叱りの言葉もたまには必要かと思いますが?」 「これ?」包帯を巻いた左手を持ち上げる。「こんなん、猫が引っ掻いたより軽いじゃん。なんだよ、それでわざわざんなことすんの? 許す許す、力一杯許すから、もー、やめれって。……コンラッドもそんな顔しないでよっ。…ってか、陛下はダメだろ!」 まったくもー。ぶつぶつ言いながら、坊っちゃんは部屋のソファにどすんと腰を下ろした。 本来なら俺は処刑されても文句は言えないんですけどね。 「コンラッドこそさあ、もう包丁は止めろよな。……出刃包丁で戦うウェラー卿は、俺的にあんまし見たくないです」 「…………取り乱しまして、申し訳ありませんでした……」 苦々しげに顔を歪めて、コンラッドが頭を下げた。頬がほんのり赤らんでいる。 「もうその件はこれで終わり! なっ? ヨザックも立って! ……それよかこれからのコト、考えようよ! もう今日は俺、まじでムカついたぞ?」 コンラッドが頷くのを受けて、俺も立ち上がった。 「……ところで、ユーリ。確か、何かお考えがあると仰っていましたよね? あれは?」 お茶のカップを傾けながら、思い出した様にコンラッドが口を開いた。…そう言えば。 坊っちゃんは、はた、と動きを止めて、そのままカップの底を睨み付けている。 「…ユーリ?」 「……………いやー、とっさにああでも言えば、コンラッドが思いとどまってくれるかと……」 「……何も考えてなかったんですね……?」 「え…あ、やっ、そーでもないぞっ。えっとー……」 坊っちゃんの視線が、数秒宙を泳ぐ。そして天井に何か答えを見つけたらしく、「そだっ」と明るく声を上げた。 「お待たせしました。今、思い出しましたっ。えっとねー……俺、あの人らがただの詐欺師だって思えないんだけど」 「と、仰いますと?」 「うん。あの『若君』ね、あいつ、まじでどっかの王子様とか若様とかじゃないかなーって」 「……芝居が上手いんですよ。プロですからね。いかにも三文芝居だが、素人ダマすには充分です」 俺の言葉に、坊っちゃんはうーんと首を捻った。それから、何やらおずおずと、下から伺う様にコンラッドを見つめて口を開いた。 「……………ツェリ様の隠し子、なんてコトは……? 日陰の身にされた怨みで、とかさ」 はりゃー、それはまた突飛な。 しばし坊っちゃんを凝視してから、コンラッドは深く息を吐いた。 「誰もがその可能性を疑わないようですが。俺はそれはないと思います」 「その根拠は?」 「母はああいう性格ですが、どのような相手と作った子であろうと、隠したり、まして闇に葬ったりする人ではありません」 今度は坊っちゃんがコンラッドを凝視する。そして突如顔を真っ赤にして、恥じ入った様に俯いた。 「うん、そだね。そうだよね。……ゴメンね、コンラッド」 「いいんですよ。どうぞお気になさらないで下さい」 「……うん……。えと。……バカなコト言った。ホントにごめんなさい」 「ユーリ」 微笑みを浮かべて、コンラッドは坊っちゃんの頭を軽くぽんぽんと叩いてから、「顔を上げて下さい」と頬にその手を寄せた。それに誘われる様に、坊っちゃんが顔を上げる。頬は赤く染まったまま、大きな目がちょっと潤んでいる。……これがまた、たまらなく可愛い。思わずしみじみ見つめていたら、険のある咳払いで遮られた。……はいはい、俺が見たら減るって言いたいんだな? 「…えーと。話を続けましょうか。あいつらが、本物の貴族か、それともただの詐欺師かは、今はまあ、確かに明言できませんが、ただ、どっちにしても眞魔国人じゃない可能性の方が高いですね」 「……へ? それどう言う意味? ヨザック」 「あいつらの中で、魔族はあの『若君』だけですから」 「そ、それ、ホント!?」 「間違いありません。訓練した軍人ならすぐ分かるんですけどねー。お付きを人間で固めた魔族なんて、この国の者じゃあり得ませんから。アレはたぶん国外で生まれ育った魔族でしょう」 「……つまり、それって……」 「混血ですね」 コンラッドが後を引き取って言った。 ほわー、とどこかから空気が抜けてるような声を上げて、坊っちゃんが目を瞬いた。 「混血の、他所の国で生まれた魔族が眞魔国に来て、んでもって、俺の名を騙る……って、どういうコトだろ?」 寝る前の、温めたミルク香料入りを啜って、坊っちゃんが首を傾げた。 「さあ、それは今はまだ何とも。入国記録を調べれば分かる事もあるでしょうが、本当の事を申告してる可能性は低いですしね。……いっそのこと、とっ捕まえて、身体に聞くのが一番早いと思うんですが?」 「あ、や、そーゆーのはいいから。……もうちょっと様子を見ないとダメだなー。何だかますますワケ分かんなくなってきた……」 それにしてもさー。 坊っちゃんが、口調を変えて、ぽつりと呟いた。 「はい?」 「あの人らが本物の若様一行なら、ちょっと言語道断で話にならないんだけど。ただ、さ………。皆、王様なんてあんなモンだと思ってるのかなあ?」 「ユーリ?」 「何て言うかさ……。他の人を貶めることで、自分の優位を確認してる、みたいな……。王様がさ、国民をあんな風にいたぶったり、脅かしたり、そんなの、当たり前だと思ってるのかな? それなのに逆らったりしないで、逆に機嫌をとったりしてさ……。俺も……俺も、あんなだって思われてんのかな…? もしそうだったら…そう、だったら……」 ミルクのカップを膝に押さえ付ける様な姿勢で、坊っちゃんは唇を噛んだ。 「なんか……俺……、すっごく哀しいよ………」 「ユーリ……」 「坊っちゃん……」 コンラッドが坊っちゃんのすぐ傍らに位置を変えた。そして手を坊っちゃんの頭に、頬に、そして肩に移動させると、そっとその薄い肩を抱き寄せた。額に小さく口付ける。 「誰もが、自分のものさしでしか世界を測ることができません。あなたが目にした、彼らのものさしはあまりにも小さかった。でも、だからといって失望したり、諦めたりしないで下さい。あなたが見る世界と同じ世界を見る事ができて、そしてあなたの夢や理想を共に叶えようと力を尽くす者も、また多くいるのですから。……どうか、お願いです。何よりもあなたが、あなた自身を信じて下さい。そして、あなたの抱く想いを大切に、道を歩んで下さい。そうすれば、俺達もまた、この国の行く末を信じて確実に前進して行く事ができます。……それに、あいつらに関して言えば」 コンラッドが小さく嘲笑った。 「王たる威厳も、品性の有り様も理解し得ない愚かさ、それが致命傷とならないはずがありません」 「コンラッド」 「はい?」 コンラッドの胸に半ば顔を埋めたままで、坊っちゃんが小さく呼び掛けた。 「…朝、さ。言ってたよね。求められる場所で、求められる仕事を果たしたいって。で、そこにずっと居たいって……」 「…ああ。覚えていらっしゃったんですか?」 うん、と坊っちゃんが小さく頷く。 「…あのね。………俺の側で、俺の側に、ずっと居て、ね……?」 坊っちゃんの肩を抱くコンラッドの腕に、力が加わった。 「………ずっと、ですね?」 「うん。ずっと」 「畏まりました」 コンラッドの胸の中で目を伏せたまま、坊っちゃんが微笑んだ。コンラッドも静かに微笑んでいる。 ………………………こんなお邪魔虫がいて、ほんっとにスミマセンねっ!! 「ストライカーさんは、コンラッドさんって名前なんだねえ」 のどかな声でロンジ爺さんが宣った。 その瞬間、俺は刻んでいた果物を叩き潰し、坊っちゃんは掃除用の桶をひっくり返し、コンラッドはお茶を吹き出した。 俺達の様子を見て、ロンジ爺さんがきょとんと目を見開いている。 「いや、昨日キア坊がそう呼んでたから……。どうかしたのかい?」 落ち着け、俺。そうだよ、そんな名前、分かったってどうってコトねーじゃねえか? 実際、爺さんは首を捻りながらも朝食の支度の方に一生懸命だ。俺は一つ大きく息をついた。コンラッドも焦った自分が照れくさいのか、がしがしと髪を乱している。坊っちゃんだけが、不自然におろおろしているが……。 話題を変えて、気分も変えよう、と口を開いたその時。 早過ぎる客が扉を開いた。 ミーナが立っていた。 たっぷり30秒、その場でもじもじとためらってから、ミーナは食堂に入ってきた。1人で行動しているのを見たのは初めてだ。ミーナは視線を床に落としたまま、坊っちゃんに近づいて行く。 「おはよっ」 3歩分くらいの距離に近づいたところで、坊っちゃんが声を掛けた。ぴくりと止まるミーナ。しかし今日の彼女は大胆だった。声を掛けた相手から逃げようとせず、逆に1歩近づいたのだ。 「………………………………あ、あの……………………………」 真っ赤に染まった顔で、口を開いて閉じるまで、これまたたっぷり30秒。 「うん?」 「………………き、き、きず……だ、だだ、だいじ、じょ、ぶ…………?」 「…きず? あ、これ?」上げた左手には、白い包帯。「全然へーき! どっかの過保護な人が巻いとけって言うからこうしてるけど、ホントは舐めたら治っちゃったよ」 実はその通り。坊っちゃんの力のせいか、一舐めしたら傷跡も消えてしまった。しかし魔力を持たない一平民という設定なので、包帯で隠してもらう事にしたのだ。 「……よ…よ、よか…った………。あ、あ、あの……き、きの…う、……あ、あ、あり、ありが、と……」 言葉は弱々しいが、ミーナはぶん、と音がするような勢いで腰を折った。お下げが大きく揺れる。 「そんなの気にしなくていいって! それよか、あんな風にいたぶられてさ、怖かっただろ? 大丈夫だった?」 礼を言わなくては、という思いだけで、ミーナはここまで来たのだろう。彼女にとっては大冒険だったはずだ。実際、坊っちゃんの言葉を聞いたミーナは、大仕事を終えた様に大きく息をついている。 安堵の息をついた後、今度は昨日の事を思い出してか、ミーナは辛そうに可愛らしい顔を歪めた。 「……お、おとう、さま……と、とて、も、な、なやんで……。ほ、他の…せ、せ、せんせ、い、たち、と……よ、よる、お、遅くま…で、いい、いっぱ、い……はは、はなし……て、た……」 あれ、と思った。 ミーナは対人恐怖症で、人と会話をするのが苦手で、それでほとんど口も聞かずにいるのだと思っていた。しかし、これは少々違うのかもしれない。 もしかすると、彼女は……。 「あのさ」坊っちゃんが口を挟んだ。「こっち、おいでよ。もう朝食べた? まだ? じゃあ、朝ごはん、俺達と一緒しない?」 爺さんと俺の心づくしの朝食を食べて、ミーナはかなり落ち着いたらしい。デザートの果物のヨーグルトあえを食べ終わり、お茶を口にする頃には、伏し目がちではあるものの顔を上げて話をするようにもなっていた。 「わ、わ、わた、し……うう、うま、く…し、しゃべ…れ、なな、なく……って……ご、ごめ…な、なさ……き、きき、づら……」 疲れた様に肩で息をしている。 やっぱりそうだった。彼女は吃音という障害を持っていたんだ。 「…でも、歌は……」 毎夜聞こえてくる彼女の歌に、それを感じた事はない。 「…う、うた、ってい、いる、とと、とき……だ、だい、じょぶ……ど、どして、か……わ、わから、な、ない、けど……」 話すことと歌うことは、彼女の中で無意識に、別物として認識されているのかも知れない。 カウンターの中で、爺さんが痛ましそうにミーナを見ている。 「だ、だ、だか、ら……きき、き、きの…あ、あの、ひ、ひと、なに、かいい、いお…お、おもっ…でで、でも……」 興奮してきたのか、ほとんど単語が繋がらなくなってきた。ミーナもそれに気づいたのか、焦ってよけい声が出なくなっている。 ふと。テーブルに出ていたミーナの手に、コンラッドの手が重なった。 「…大丈夫。時間はたっぷりあるから。それこそ無限にね。焦る必要も、急ぐ必要もないんだよ。俺達はずっとここにいて、最後まであなたの言葉をちゃんと聞いているから。……お茶を飲んで。…そう。それから、大きく息をして。……ここには君を急かす者なんかいないよ。うまく話す事ができないからといって、君が罪悪感を覚える必要などないんだ。それは断じて欠点なんかじゃない。君はもっと自分を信じて、自分を好きにならなきゃね? 俺の言うこと、分かるね?」 ゆっくりと、言葉が彼女の身体にしみ込む様に話しかけている。 ミーナの頬が、さっきまでとは違った意味でほんのり赤くなっている。意識しているのかいないのか、紫の瞳がじっとコンラッドを見つめていた。 ………さすがです、隊長。さすがタラシの帝王です。 ただ……分かっているんでしょうか? ……………さっきから、坊っちゃんの目が怖いんですけどっ!! 坊っちゃん、どっちにヤキモチ焼いてるんでしょーか? いや、別に知りたくはないんですけどっ!! 俺の心の叫びが聞こえたのか、コンラッドはぽんぽんと軽くミーナの手を叩くと、すいと自分の手を引いた。そして何事もなかったかの様に、お茶のカップを傾けている。 ミーナがほうっと深い息をついた。 「…ほ、ほんと、は、く、くや、しかった…。い、いくら、まま、まおう、へいか、だから、って、ああ、あれは…ひ、ひどすぎ、る…わ…! あ、あんな方、が、め、めいく、んだ、なんて…わ、わたし…しし、しつぼう、したわ。も、も、もっと、ちゃんと…は、はなせ、たら…ほ、ほんと、は、どなり、つけ、て、や、やりた、かった…! こ、この…く、く、くそばか…王…って!!」 ………実はかなり相当ものすごく気が強かったんだな……。くそばか王、ですか…。坊っちゃんとコンラッドが、どこかイタい表情で目を閉じている。 「…わ、わたし、い、いつも…ゆ、ゆめ、みてた、の…。きゅ、きゅうてい、で…ま、まおう、へいかの、まま、まえで…うたう、こ、と…。そ、そう、ぞうのな、なかで、は…わ、わたし、ちゃ、んとで、できて……」 ミーナが悔しそうに、きゅっと唇を噛んだ。 「わ、わたしっ、も、もう、そんな、ゆ、ゆめ、みない!」 そう叫ぶ様に宣言すると、ミーナはきゅっと目を閉じて、苦しげに顔を顰めた。 「……ミーナさん……」 坊っちゃんの声も、辛そうだ。 しかし、言うだけ言って、ミーナは逆にすっきりしたらしい。次に顔を上げた時には、今まで見た事もないほど清々しげに笑っていた。 「わたし…ちゃ、ちゃんと、ひ、ひとまえで…う、歌える…じしん、も、もて、たら……、き、キア、くん、と……すす、す、スト、ライカ、さんに、き、きいて、ほ、ほしい、な……」 「…歌ってくれる…?」 坊っちゃんが、どこかおずおずと聞いた。 その言葉に、ミーナがにこっと笑って頷いた。 「約束してくれる? いつか、俺の前で歌ってくれるって」 坊っちゃんが重ねて言う。ミーナも再び、うん、と頷いた。 「い、いつか…き、きっと。き、キア、く、くんのまえ、で、うた、う、わ…!」 「うん! ありがとっ!!」 坊っちゃんが、にぱっと笑う。 「あらあ、あたしだって、ミーナちゃんの歌を聞きたいわあ。ねー? お爺ちゃん?」 「おう、そうだなあ。このじじいにも、ぜひ聞かせて下さいましよ、お嬢さん?」 にこにこと笑顔を見せて、ミーナがこっくりと頷いた。 「は、はい! よ、よ、よろこ、んで…!」 ホントに明るい子だったんだ。…たぶん、これまで溜めてきたストレスは、かなりのモンだったろう。 「皆さん、お茶のお代りはいかが? そうそう、昨日焼いたケーキが……」 俺の言葉は最後まで続かなかった。食堂の入り口に、新しい人影が射したからだ。そしてそれはあの男、偽物御一同の影のリーダーだった。 「……邪魔させてもらう」 その声を合図に、ミーナがばっと立ち上がった。 「わ、わ、わたし、ここ、これで…っ。ごご、ごちそう、さ、さま!」 それだけ言うと、さっと身を翻して駆け出した。通り過ぎざま、男が身体を避けなければ、ぶつかるほどの勢いだった。 「………あの娘にも、昨日はいやな思いをさせてしまったらしいな……」 ため息をつきながら、男は坊っちゃん達が座るテーブルに近づいてきた。同時に坊っちゃんが立ち上がり、カウンターの中に入ってくる。話はコンラッドに任せるということですか。 「少年」 突然の呼び掛けに、坊っちゃんがぴくん、と立ち止まる。 「手の傷はどうなのだ? あの鞭は鋭い。ちゃんと手当てしたのか?」 「………したよ。もうへーき」 そうか、と小さく頷いて、男はさきほどまでミーナが座っていた席についた。 コンラッドは何も言わないまま、下ろした髪の隙間から男を見ている。 「………若君は……」 しばしの沈黙の後、男が口を開いた。 「決して愚鈍な方でも、傲慢な御性格でもないのだ。……生来明晰な頭脳を備えられ、政治や経済にも造詣が深い。それでいて、自然や動物を心から愛おしむ、お優しい方……なのだ。幼き時にはそれはもう……」 男の声に苦渋が滲む。……これも演技なのか? だったら何のために……? 「…どれほど本性が良かろうと、それを表に出さなければ、無いも同じだ。俺の目には愚かも極まるバカ君にしか見えん。少なくとも、王を自称するなら、もうちょっとそれらしくさせるんだな。はた迷惑も甚だしい」 「……………王を自称されてなぞいないが……?」 男の目が、油断なく狭まった。コンラッドをじっと伺う目つきが、一気に鋭くなる。対してコンラッドの方は、ふん、と軽く鼻であしらう様に横を向いてしまった。 沈黙が二人の間に横たわる。俺も坊っちゃんも、それからロンジ爺さんも、息をつめるようにその様子を見つめていた。 「……時に」 唐突に、男が声を変えた。そして何を思ってかこちらを向き、俺と視線を合わせた。 「そちらの女性とストライカー君は、恋人同士だと聞いたが、そうなのかね?」 「「だっ、誰が……」」 「そーなんですっ!!」 仲良く揃った俺達の言葉は、突如割り込んできた子供の声に遮られた。 俺の隣の坊っちゃん。いきなり何を思いついたんだか、笑顔全開、にっこにこ、だ。 「コ、ストライカーさんとー、グリエちゃんはー、幼馴染みなんですよー。知ってましたあ?」 「ほう、そうなのかね?」 「そーなんです。んでー、子供の頃から、ずうーっとアイを育み続けてきてー、ここで再会してー、そのアイがまたたび、じゃない、ふたたび燃え上がったとっ!」 どんなアイですかっ、それはっ!? 「グリエちゃんは、ストライカーさんが立派な学者として出世するのを信じて、一生支えていく覚悟を決めているんです!」 やですっ。こんなの支えてたら、あってーまに潰されちまいます!! 「ストライカーさんは誓いました! グリエ、僕は君のために、いつか必ず出世して、国一番の学者になってみせるよ。そしたら結婚しよう! もしも僕が家を建てるとしたら、小さな家を建てるでしょう。広い庭には真っ赤なバラに白いパンジー。子犬の横にはアイする君と、子供が二人っ!!」 うっぎゃー!! まじまじと坊っちゃんを眺める男の背後には、頭を抱え、絶叫ポーズのまま固まったコンラッド。きっと身体の中では断末魔の絶叫が吹き荒れているんだろう。 ……坊っちゃん、これは何なんですか? 嫌がらせですか? それとも…さっきの仕返しですか!? だったら、コンラッドだけでいいじゃないですかっ。どーして俺まで巻き込むんですかーっ!? 「………なるほど。……君たちがそれほど情熱的に愛しあっているとは……」 しまったーっ、うっかり想像して、吐き気が! コンラッドも同じらしく、わなわな震えながら胸を押さえている。 恐怖劇場の舞台に立っている事に気づいていないのは、男だけだった。ちなみにロンジ爺さんはただ1人の観客だ。厨房にある椅子に腰を下ろして、イモの皮を剥きながら、「ほう、ほう」と間の手のような声を上げ、にやにやと笑いながら眺めている。 「ストライカー君。……君に尋ねたい事がある。………ストライカー君…?」 テーブルに両手をついて、ぜーぜーと息をしていたコンラッドが、ハタッと気づいた様に身体を起こした。一瞬でポーカーフェイスを取り戻したのは、さすがっつーか、しょうもないっつーか。 「君は……ウェラー卿コンラートという名を聞いて、どう感じる?」 「…………………」 「…………………」 「…………………」 ………どうと言われましても。 まさか……バレたのか? カマかけてやがるのか? それとも…? 「……間抜けな男だと思っている」 「…ほう…?」 妙に嬉しそうに男が笑った。 「なるほど。……ストライカー君。私は、私たちは、君の夢を叶えてあげられると思う。その女性と、その、広い庭があって、真っ赤ななんとかと……犬、か…? その、いや、それ以上の生活を君たちに与えると約束しよう」 男の言葉に、俺とコンラッドがすばやく視線を交わした。ちら、と見ると、坊ちゃんがガッツポーズをキメていた。 「………条件は?」 コンラッドが乗ってみせる。男の笑みが深くなった。 「もちろん、君が若君のお側で、衷心からあのお方に仕えてくれることだ」 「俺でいいのか?」 「と、言うと?」 「ここには、若君の歓心を得たい者が群れをなしている。才能のある者も多い。ご存じの通り、俺は大して将来を嘱望されているワケじゃない。……どうして俺だ?」 「至高の座にしっぽを振るだけの『才能』なぞ、ものの役にたたん。むしろ反骨の精神を備えた、文字通り骨のある者にこそ、若君の側近となって欲しいと常々考えてきた。最初会った時から、君には注目してきたよ、ストライカー君。君は…何と言うのかな、視線を外すことのできない強い何かを持っている。そしてそれは、この学舎の学生の誰からも感じられないものだ」 男は自信に溢れた、力のある瞳でコンラッドを見つめている。 「若君に忠誠を誓ってくれれば、君をこのままでは到底達し得ない場所に引き上げてやろう。一介の流れの学生から、破格の出世だ。もちろん、そこからどこまでのし上がっていけるかは、君の実力と努力次第だがね」 「…………考えさせてもらおう」 男が小さく笑った。えらく満足そうだ。 「何故?」 「うますぎる話には用心を怠らないよう、両親からきつく言われてきた」 「確かに。……嬉しいよ、ストライカー君。喜び勇んで飛びついてこられたら、私は自分の判断力を疑わなくてはならなかった。……ますます気に入った。かまわん、よく考えてくれたまえ。だがね、ストライカー君」 君にはあまり時間がないよ。 意味ありげに扉の外に視線を流し、それから男は外に向かって足を向けた。 「一つ聞かせてもらいたい」 「何だね?」 「なぜウェラー卿の名を?」 おや、と男が眉を上げる。そして、くすくすと笑うと踵を返し、外に向かって歩き始めた。 「この国の『英雄』だからさ」 「ウェラー卿を間抜け呼ばわりするのが、反骨の表れかねえ」 爺さんが、くっくと笑う。 「俺ぁ、ただの捻くれ者だと思うぜ?」 「まあ、ねえ………ところで、ぼ…キアちゃん?」 「はーい、グリエちゃん?」 「あの時! 一体何を考えて、あんな……」 「あんな気味の悪いことを言い出したんですかっ!?」 横からコンラッドが言葉を引ったくっていった。カウンターに手をついて、激しく詰問調だ。 ……そりゃ俺だって、吐き気がするほど気色悪かったけど。その態度はちょっと傷つくぞ。 坊っちゃんは俺達の視線をものともせず、「うっふっふ」と無気味な笑いを上げ始めた。 「よくぞ聞いて下さいました。実わ! あの瞬間、ものすごい閃きの炎が俺の頭の中で燃え上がったのです!」 「…可哀想に。それで脳が燃えて、頭がおかしくなったと」 「ちがうわっ! すごいアイデアが浮かんだって言ってんのっ」 まあ、閃きの炎だか、すごいアイデアだか知らないが、ろくでもねーってコトだけは確かだ。 「ドラマとかさ、マンガとか、よくあるシチュエーションなんだよな、これ! 俺、あの人がコンラッドを欲しがってンだって、自分のチームに入れたがってるんだって閃いてさ。だったら、付け込む切っ掛けが欲しいモンだろ? そこで! コンラッドがお嫁さんを欲しがってるとか、出世したがってるとか、野望を持ってるって分かったら、絶対食い付いてくるって思って! ビンゴだったろ!? 食い付いてきただろ!?」 嬉しそうだ、坊っちゃん……。 コンラッドは両手の指で、顳かみをくりくりやっている。 「まだ俺達が、騙されてるって信じてるんだろうけど。でも、うまく近づけば、正体とか目的とかも分かるよなっ!」 「基本的には悪くないんですけどねえ……」 俺とコンラッドが揃って深ーいため息をついたのを見て、坊ちゃんが怪訝そうに小首を傾げた。 「なんだよー」 「野望だか野心だかを持っていると思われるのは構わないんですが。あいつが狙っているのは、もうちょっと陰険な手のようですよ」 「…へ……?」 「俺はたぶんつるし上げをくうでしょう」 「つるし? コンラッド、どこかに吊るされるの?」 「……じゃなくて。……先ほどの話を聞かれてましたからね。学生達に」 「………え」 「あいつが入ってきてから、そこの扉の向こうに数人、隠れて聞き耳たててやがったんですよ。こいつがウェラー卿を間抜けだと言った時に1人、その後順番に2人ほど走っていってしまいましたけど」 「俺が抜け駆けをして、あいつらに取り入るのを心配した連中だと思いますが。たぶん俺の言った事に、ない事ない事くっつけて、俺を排除しようとするでしょうね。……あいつが狙っているのはそれですよ、たぶん」 「………ごめん。話が全然見えないんだけど……」 「あいつらは、魔王陛下の御名を騙ってきました。もちろん魔王のマの字も口にはしていませんが。しかしここにいる誰もが、アレを魔王だと信じています。そして俺もそう信じていると、あいつらは思っている」 「うん」 「で、俺が誘われるまま、アレの側に仕える事にしたとします。しかしそうなったらなったで、遅かれ早かれ、アレが実は魔王などではないことを俺は知ってしまう。そうでしょう?」 「……そう、だよね……?」 「普通、その場合、俺はどういう態度を取ると思いますか?」 「…えと。…魔王だと信じて、血盟城で仕事ができるんだって喜んでいたのに、実は偽物だと分かっちゃったワケだから……。怒るよね、普通……」 「その通り」 「…それじゃ、コンラッドを手に入れられなくて……大失敗?」 「そのままだったら、確かに」 「…………………………すみません、せんせーっ! 全然分かりませんっ! あんさーぷりーずっ!」 「……もしかして、今の英語でした…? まあ、いいんですけど。………それはつまり……」 その瞬間、俺とコンラッドはハッと顔を外へ向けた。 「どうやら、説明するより状況見る方が早そうだぜ?」 俺の言葉に答える様に、3人の先生方を取り囲む様に集まった、学生達の集団が食堂に入ってきた。 NEXT→ プラウザよりお戻り下さい。
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