いじわるな骰子・3

「だから僕はそうは思わないんだよね」
「あら、どうして? 私は最良の判断だったと思うわ。個人的な好みの問題じゃないのよ?」
「ひどいな。好みを云々している訳じゃないよ」
「僕もその点は疑問に思うね。…ストライカー君はさっきから黙ってるけど、どう思ってるんだい?」
「…は……あの……う…」
 学生たちの視線が、コンラッドに集中した。困ってる困ってる。
 くっくっく……と、必死に押し殺した笑い声が耳に聞こえてきた。皿を拭いている俺の目の前、カウンターに居眠りしてるみたいに突っ伏して、坊っちゃんが肩を震わせている。
 坊っちゃんをここまで楽しませてくれてんだから、ストッカーもたまには役に立つもんだ。

 学舎は夕食前の休憩時間。食堂には数人の学生がたむろしている。同年代のせいか、今いる連中はコンラッドを自分達の仲良しグループに誘い込んで、しょっちゅう一緒に行動している、というか、させている。だもんでコンラッドは中々坊っちゃんの側にこれず、たぶんかなり煮詰まっているはずだ。何せ、夜でも部屋に押し掛けてきては、すぐに議論だの討論会だのがおっぱじまるというんだから。
 俺も、学生ってのがこんなに討論するのが好きだとは知らなかった。
 まあ、それは置いといて。今、彼らはあるテーマで侃々諤々の議論を展開している真っ最中だ。
 そのおかげで、誰かさんは居心地悪そうにでかい身体を縮めている。
 そのテーマとは。
「いや! 僕はやっぱりウェラー卿は新しい国の王座につくべきだったと思うね!」
「いいえ! 陛下の元にお戻りになって正しかったのよ!」
 これだ。
「王位につくというのは、魔王陛下に対する反逆になるだろう?」
「便宜的なものだよ。当然じゃないか。閣下の陛下に対する忠誠心に変化はないんだし」
「それを証明する方法がないじゃないか」
「王になってから、国を丸ごと陛下に捧げれば済む事だよ!」
「バカな事言わないでよ。そんなこと人間たちが従う訳ないじゃない」
「逆らうようなら軍を出せば……」
「戦争を避けるために、ウェラー卿はお命を掛けて出奔あそばされたのよ! そこで軍を出したら、本末転倒、閣下のご努力が水の泡じゃないのっ。ったくもう! ……ちょっとストライカー君! 何ぼさーっと座ってるのよ。ちょっとは参加しなさいよ! 君、外交が専門でしょっ?」
「グラディアさんはウェラー卿がお好みなのぉ?」
 カウンターの中から助け舟を出してやる優しい俺。後で何か奢れよ!
 きらきらした目で、グラディア女史がこちらを向いた。その向こうであからさまにホッとしている某メガネ。
「偉大な方だわ! そう思わない? 私と同い年なのよ、信じられない。私にはできないわ、あんな凄い事。反逆者と罵られる事を覚悟の上で、敵国に単身乗り込むなんて。それも、シマロン王の懐に飛び込むだけじゃなくて、反乱軍まで組織して、見事にシマロンを壊滅させたのよ! あの方以外に誰がそんな偉業を成し遂げられるというの? 若干100歳にして、二度も国を救われて…。英雄という言葉は、ウェラー卿コンラート閣下のためにこそあるのよ! ああ、あの方が今も同じ空の下においでになるって思うだけで、胸の奥が熱くなるわ……ストライカー! 何もぞもぞしてるのよっ。 トイレならさっさと行ってきなさいよっ!?」
 ぶふ。吹き出す笑いもくぐもってる。坊っちゃん、笑う時は顔を上げないとー。窒息しますよー。
「…やあ、白熱してるね」
「やあ、サディン。テーマは、ウェラー卿はシマロンなき後の王座に座るべきだったかどうか」
「座るべきではないに1票。でもお帰りになるタイミングがよくない。今あの地は、中途半端に混乱したままだ。ウェラー卿は、ご自分の仕事の仕上げをせずにお戻りになってしまった」
「それは人間が考えるべき問題じゃないか? 彼らの国なんだから。何もかもウェラー卿に頼りきりでは、結局何をしても国を治めることなどかなわないよ?」
「人材不足だな。ウェラー卿の影響力が強すぎて、あの方以外に反乱軍をまとめる事ができなくなってしまった」
「つまりそれほど、ウェラー卿が偉大だってことよねっ」
「……グラディア、君こそ個人的な好みで話してないかい?」
「失礼」と一言残して、コンラッドが立ち上がった。そしてカウンターに向かってくる。
「…水をもらえないかな?」
 コンラッドが立つそのすぐ隣で、坊っちゃんは突っ伏したままだ。もう肩は震えていない。
 差し出した水を一息で飲み干すと、コンラッドは片手をそっと坊っちゃんの手に重ねた。
「………も、どこにも、いっちゃ…やだ」
「行きません。あなたの側にいますよ」
 坊っちゃんの指とコンラッドの指が、そっと絡まった。……何ていうかね、この二人、ちゃんと分かってんのかねえ。どっちもこの辺り、みょーに不器用だしなあ………。
「おやおや、ストライカー君! グリエさんとそんなに熱く見つめあったりして! 片時も離れていたくないのかなあ?」
「ぶ…っ!」
 ………坊っちゃんがまた笑ってくれたから、まあよしとしよう。だーかーらー。その怒りの顔を俺に向けてどうすんだっての! コップを握りしめるなっ、割れちまうだろーがっ!!
「あーらーやーだー。言ったでしょお? こんなボケボケした男、私の趣味じゃありませーんってぇ」
「そうだよ、君! グリエさんに失礼だよ!」
 いや、あんたもかなり失礼だぞ、サディン。…そういや、こいつ妙にコンラッドに突っかかるな。あれ?
 俺がちょいと頭を傾げた時、開け放したままの扉を別の女子学生が、胸に何やら抱えた姿で駆け込んできた。
「グラディア、いる? 出たわよっ。新刊!!」
「ほんとっ?」
 喜色満面って面持ちで、グラディア女史が立ち上がる。もう一人の女子学生─えーと、確かキャスとかいったかな?─に駆け寄り、何やら見て、きゃあきゃあ歓声を上げている。…100を越えてる割には、えらく子供っぽ………。
「出たのね、やっと! ああ、夢にまでみたのよぉ。読みたかったわ! 『ウェラー卿の大冒険 シマロンを駆ける獅子 愛の炎に燃えて』編、新刊!!」
 バリンッ。……割れた。犠牲となったガラスの破片が、ぱらぱらとカウンターに散らばる。
「……ストライカーさーん。学舎の備品を壊さないで下さいよー」
「…ンなコト言ってる場合じゃないって! コン…ストライカー、さん、手っ、血が出てるしっ」
「え? …あ、ああ、すみませ……」
「ああーん、どうなった? ほら、前はウェラー卿が捕らえられたシマロンの王女の救出に向かう所で終わったのよねっ」
「そうそう! ウェラー卿の正体に気づいた王女が、それでも愛故に閣下をかばおうとして捕らえられて。『この愚かな臣をお許し下さい、魔王陛下。我が忠誠は一点の曇りもなく陛下のものでございます。しかしそれでも、私はこの美しき姫、マリーア王女を愛してしまったのです!』って」
「大臣の奸計に嵌って深い傷を負いながら、愛する姫を救うため、罠と知りつつ馬を走らせるウェラー卿………、ああ、早く読みたいっ!」
「………もてるなー。『愛してしまったのですぅ』だと」
「…ぶ……う……くくっ……うぷ」
 坊っちゃんが、顔を真っ赤にして吹き出すのを堪えている。んだけど。ねえ、坊っちゃん、ガラスの破片が刺さった手を、そんな力一杯握っちゃマズイんじゃないでしょーかねー? ぷるぷる震えてるし。
 シマロンを這いずり回った獅子様の成れの果ては、手が痛いんだか、怒り心頭なんだか、すごい形相で宙を睨み付けている。きりきりと音が聞こえそうなくらい強く歯を食いしばって。こっちも震えてるなあ。たぶん二人の胸に渦巻くものは、丸っきり違う方角向いてるんだろうけど。
「何をしてるんだい? ストライカー君」
 サディンが、ちょっと憮然とした顔でやってきた。と、コンラッドの手を見て眉を潜める。
「気をつけたまえよ。…思っていたんだが、君、少し身体を動かした方がいいんじゃないかな。運動神経がかなり鈍いみたいだからね」
 ダーッと、すごい勢いで坊っちゃんが駆け出していった。口を手で押さえて、裏口へ一直線だ。
「あ、あれ? どうしたんだい? キア君は。…グリエさん?」
「…ぷっ、くっ、くくくっ……」
 さすがの俺様ももう我慢できない。思わず腰を折って笑いを堪える俺の後頭部に、誰かさんの燃える眼差しがぶすぶすと突き刺さった。



「……発刊禁止にすりゃよかったんだろうが」
「そんなに簡単にいくか。…一応、最初の頃に皆で読んでみたんだ。まずいと思う内容だったら、発禁処分にしようということで……」
「で?」
「一同爆笑。害はないという事で、そのままになった」
「約1名だけ、剣で本を切り刻んでたけど。ねーっ、コンラッド?」
 坊っちゃんの言葉に、ぷいと横を向く約1名。
「ヴォルフなんてさー、『大笑いしてストレス解消になるから、むしろ健康にいい』とか言っちゃって」
「大笑いするのは身内だけでしょうが。大体あの閣下にストレスなんてあるんデスかあ?」
「あー、そんなコト言ってー。いいつけてやるぞー」
 きゃらきゃらと笑う坊っちゃん。一日の最後を、この笑顔で締めくくれるってのは、ホント悪くないね。
 『ウェラー卿の大冒険』のおかげでなかなか楽しい一日となった。もうそろそろ就寝時間だ。今日は議論好きの学生たちの襲撃がなかったのか、それとも逃げてきたのか、早々にコンラッドは俺たちの部屋に来ていた。俺たちは酒を、坊っちゃんは暖めたミルクを飲んでいる。俺は結構いい気分だったんだが、コンラッドはどこか不安そうな様子で、坊っちゃんの手元に目を遣っていた。
「……あの、ユーリ?」
「何?」
「さっきから気になっているんですが…。その本、それって……」
 坊っちゃんの膝の上には、1冊の本が乗っかっている。
「それ……まさか…?」
 おそるおそる尋ねるコンラッドに、坊っちゃんがにこーっと笑みを浮かべた。
「ウェラー卿の大冒険、シマロンを駆ける獅子が愛の炎に燃えてます編、新刊! あの後買ってきたんだ」
「こっちによこして下さい! そんなくだらないもの、読んだらバカになります!」
「えー? 結構面白いんだぜー? 俺、全巻持ってるもん」
「! い、いつの間に……」
「寝る前にヴォルフと一緒に読むんだ。もー、笑って笑ってさあ。疲れも吹っ飛ぶと言うか」
「へー、そんなに笑えるんですか? 今度俺も読んでみるかな?」
「うん。行く先々で女の人と恋に落ちてさー。そのたんびに『この愚かな臣をお許し下さい、魔王陛下!』って叫ぶの。大抵月に向かって。後、『邪悪な人間たち』の罠に落ちては、大岩に追っかけられたり、崖から落とされたり、毒蛇の大群に襲われたり、悪女の集団に囲まれたり。んでまたそのたんびに『偉大なる魔王陛下、何とぞこの愚かな臣をお助け下さいませ!』って叫ぶんだな。もー、叫んでばっか。知るかよって感じ。他にも突っ込みどころ満載。笑えるよー。読みたかったら貸したげるよ。いつでも言って?」
「ありがとーございますー。あははー」
「………もうやめてください……お願いしますから……」
 すでに遠い目をした男が、ぐったりと椅子に凭れている。
「あれ? コンラッド、疲れたの? ………読む?」
 にやにや笑って差し出された本を、その瞬間、すぱっとコンラッドの腕がひったくった。
「没収!」
「あ、ひでーっ。返せよ、ウェラー卿が囚われの王女を高い塔から救い出す、クライマックスなんだからあ」
「そんな女、塔の天辺に吊るしときなさい!」
「あー、そんなコト言うんだー。ウェラー卿の正体に気づきながら、必死で庇うお姫さまなんだぞー。そのお姫さまを救うため、ウェラー卿は重症を負いながらも、罠がはり巡らされた塔の中に入っていくんだ!」
「行きません!」
「ウェラー卿は無事にお姫さまを救いだせるのか! それとも、ついに人間の罠の前に倒れるのかっ!」
「………申し訳ありませんが、ここにいる俺は一体何なんでしょう?」
「ねえねえ、マリーア王女って美人ー?」
「……そう言えば、シマロン王がドレスを着せた猿を飼ってましたけど、あれがそんな名前だったかも……って、ユーリ。俺で遊んでますね?」
「あ、分かったー?」
「ぷっくく…」
「笑うな、ヨザック」
 きりりと眦を釣り上げて睨み付けてくる。しかしまあ、口答えはしないコトにして、俺は酒瓶をコンラッドに向けた。無言でグラスをこちらに寄せてくる。坊っちゃんはまだ笑っている。
 酒のせいか、少し暑い。俺は窓に寄り、それを細めに開けた。と。
「坊っちゃん、また聞こえてきましたよ。ほら」
「え? あ、あー…」
「……何ですか?」
 坊っちゃんに1歩遅れて、コンラッドも窓際に立った。外からかすかに聞こえてくるのは。
「…歌?」
「ああ。ヴィクトール先生の娘さんが歌ってんだ。…ヴォルフラム閣下と変わらない年かな?」
「うん。見た目、俺と同じくらい。最初の日、一度だけ会ったんだけどー……」
「何です?」
「…いや。めったに学舎に近づかないそうだから、会う事はもうないだろうけど…。まあ気にすんな」
「……別に気にしてはいないが……?」
 コンラッドが不審そうに俺と坊っちゃんの顔を見比べている。
「はい、換気終わり。窓閉めますよ。坊っちゃん、そろそろお休みの時間ですよー?」
「え? もう? ………ねえ、コンラッド?」
「はい、ユーリ?」
「明日、少し走る?」
「ロードワークですか?」
「うん。だって、運動不足で神経鈍くなってるんだろ?」
 くすくす笑う坊っちゃんに、コンラッドが盛大に眉を顰めた。
「ユーリが走りたいなら、喜んでおつき合いしますが、俺のことはどうぞお気づかいなく。さ、ベッドに入って下さい。…トイレは?」
「大丈夫」
 まだ笑ってる坊っちゃんをベッドに追いやって寝かし付け、コンラッドはかいがいしく毛布を掛けてやっている。そしてぽんぽんと襟元を叩くと、ベッドの端に腰を下ろした。
「…お休みなさい、ユーリ」
「お休み……コンラッド…グリ、エちゃ……」
 一生懸命働いて気持ちよく疲れているから、坊っちゃんは近頃寝つきがすこぶるいい。ベッドに入って間もなく、穏やかな寝息が聞こえてきた。
 コンラッドはベッドに腰掛けたまま、そっと坊っちゃんの髪を撫でている。
「……大シマロンにいた時……」
「ああ」
「何度も、もうダメだと思った。もう二度と、ユーリの側には戻れない。戻れても…もうユーリに笑顔を向けてはもらえない。何度も何度も、ユーリを傷つける度……」
「…………ああ」
「俺は…幸せな男だな………」
「……………そこで満足して、終わってちゃダメだろうが……」
「…? 何か言ったか?」
「いーやー。ほれ、大人にゃまだまだ宵の口だぜ。まさかもう飲めないとか言わねーだろうな?」
「当たり前だ。全く、畑違いの話を朝から晩まで聞かされて、頭がどうにかなりそうだ」
「勝手に混ざってきたクセに。自業自得だってンだよ。この際だ、しっかり勉強しとけ」
「その辺りは、グウェンとギュンターに任せるよ」
 名残惜しそうに坊っちゃんの寝顔を見つめ、それから立ち上がってテーブルに戻ってくる。コンラッドの笑みもまた、穏やかだった。

 健康的な寝息は、女の歌よりずっと優しく耳に響く。
 静かな夜。ちょっとだけ声をひそめて。酒を酌み交わす。

 俺たち3人の、平和な一夜がそうして過ぎていった。



 翌朝。
 カウンターの中では、ロンジ爺さんと俺とで朝食の準備の真っ最中。
「ただいまーっ!」
 坊っちゃんだ。ろーどわーくから戻ってきたらしい。いい汗かいてきましたー、と顔いっぱいに書いて食堂に入ってくる。その後ろからストライカー氏。夕べ酔っぱらって、『シマロンを駆けるお笑いボケ獅子』本のページを細かーく引き裂いていた形相の名残りは微塵もなく、実に涼しげに微笑んでいる。
「ロンジさん、おはよーございまーす!」
「おはようございます」
「おはよう。キア坊、ストライカーさん。なんだい、キア坊、汗をかいてるじゃないか?」
「この辺りを走ってきたんだ。晴れてて気持ちよかったよっ」
 おお、元気だなあ、と、爺さんの顔が綻んだ。もうすっかり孫かひ孫か玄孫を見るおじーちゃんの眼差しだ。
「やあ、おはよう」
 今朝は客の入りが早い。と思ったら、ヴィクトール先生だった。後ろには長い金髪を三つ編みにした少女が立っている。
「こりゃあ先生、おはようございます。どうなさいました? こんな時間に」
「いや、お手伝いさんが急に休みを取ってしまってねえ。2、3日こちらで食事をお願いしようと思ってね」
「そいつはご面倒なことで。どうぞそちらに掛けてお待ち下さいまし。もうすぐ準備が整いますから」
「よろしくお願いしますよ。………ああ、ストライカー君は、うちの娘は初対面だったかな?」
「あ、ええ、はい」
「娘のミーナだ。あまり学舎にはこないんだが、まあよろしく頼むよ」
「…はあ、あの……初めまして、ストライカーと申します。よろしくお願いします……」
「………………………ナ、です。………………しマス………」
 ストライカー氏、ミーナ嬢のつむじと御対面。
 ヴィクトール先生の一人娘のミーナ嬢は、極端な照れ屋らしく、とにかく人と目を合わせるということができない。誰の前でも深く顔を伏せていて、見えるのは頭のてっぺんだけだ。ミーナ嬢の頭頂部は思い出せても、顔は思い出せないと言い切る学生も多い。
 この、人の前ではまともに声も出せない少女が、夜になると歌を歌っている。これが中々張りのあるいい声で、質のいい鈴や、透明度の高いガラスを弾くような、なんとも言えない美しい高音域を持っている。天はニ物を与えずというらしいが、歌声だけなら王立芸術団の歌姫にもなれるだろうに。


 食堂は朝食を取る学生でごった返している。俺と爺さんは休む間もなく次々と食事の皿を整え、それを坊っちゃんがテーブルの間を駆け回る様に運んでいる。あれだけ朝から走るんだから、ろーどわーくなんぞしなくてもいいだろうに。その原因となった男はというと、カウンターの前に並んだ椅子にひとり腰掛けて、お茶のカップを傾けながら、じっと坊っちゃんの姿を目で追っている。
 薄く開けた伊達メガネの奥の瞳。それが柔らかく暖かい光を放っている事は、見なくても分かる。もう全身で「ユーリ可愛い、ユーリ可愛い、ユーリ愛しい」って主張してるもんなあ。やれやれ。
 ………これだけ想っていながら、こいつはそれをこのまま抑えてしまうつもりなんだろうか……?
「……ストライカーッ!」
 ぶはっと、お茶を吹き出すコンラッド。人のざわめきでいっぱいの食堂とはいえ、側に居た俺もちょっと驚いた。思わず料理の手が止まる。─コンラッドの傍らに、グラディア女史が立っていた。
「…は? あの、グラディア、さん…?」
「あなた夕べ一体どこに消えてたのよっ!? ウェラー卿の帰国判断に対する考察討論会を行うって、昨日言ってたでしょうがっ」
「……あ……」
「あ、じゃないのっ。私だって本を読みたいのを我慢して集合場所に行ったっていうのに! 大体ねえ、あなた本当に学者として学ぶ意欲を持っているの!? そもそも学舎というのはっ……」
「すっ、すみません、あの…夕べは……」
 何か言ってくれとでも言いたげに、コンラッドが俺に視線を流した。それに合わせて、グラディアの顔もこちらに向く。
「え、えーとぉ。あのねー、グラ……」
「あらやだ、そうだったのお!?」
 いきなり素頓狂な声を上げる女史。「はい?」と首を傾ける俺に、グラディアがにまあっと笑った。
「そうならそうと言いなさいよっ。なーんだ、そうなの。……ストライカーはあ! 夕べえ! グリエさんとお! 一晩一緒だったのねえぇぇ!!」
 ………一瞬にして静まる食堂内。
「おーっ、やっぱりそうか!」
「再会した幼馴染みの間に生まれる、新しい恋だねっ」
「お似合いだよ、お二人さん!」
「ここは一つ、皆で二人を応援しようではないか、諸君!」
 おおーっ、と勝手に盛り上がる一同。
「ちょっ、ちっ、ちが……っ」
「頼り無くて情けない男だと思ってたら、やるじゃないのストライカー!」
 呼び捨てだし。
 俺はため息をついて、がしがしを頭を掻いた。
 こういう誤解は、足掻けば足掻く程深みに嵌るもんだし。
「………夕べ、あれからどうしてたの?」
 厨房に入ってきた坊っちゃんに、そっと囁かれる。
「いえ、単に酒盛りを」
 はー、と力のない息をつき、坊っちゃんは顔をカウンターの向こうに向けた。そこでは朝から妙にテンションの高い若者(?)たちが、単調な日常にアクセントをもたらしてくれた男の肩を叩いている。その男はというと、こっちを向いて懸命に頭を振っていた。
「……なんか、俺に向かって誤解を解こうとしてるみたいなんだけど」
「そうなんじゃないですか?」
「何で? 俺が、んなアホな勘違いするワケないじゃん?」
「普段だったら、あいつもああはならないと思うんですけど……。かなり混乱してますねー」
「俺、コンラッドの新しい面を発見した気分だよ……」
「………それ、可哀想だから、あんまり言わないでやってくれますか?」
 てなことを、坊っちゃんと囁きあっていたら、後ろから爺さんに肩を叩かれた。
「…なあ、グリエさん」
「あらなにー? ロン爺ちゃん?」
「俺はロンジ……まあいい、それよか、ほら……」
 爺さんが妙に深刻な顔で横を指差す。その先に目を転じると。真っ赤な顔をしたサディンが立っていた。
「あら? サディンさん、どうかなさ……」
「グリエさん!」
「はい」
「…ぼっ、ぼく、僕はっ……」
「みんなっっ!! 聞いてちょうだいっっっ!!!」
 再び、しんと静まる食堂。
 扉の側に、名前の分からない女子学生が、肩で息をしながら立っていた。
「…どうした? エリー……」
「大変よっ。今っ、街で聞いてきたのっ。ここに……」
 姿勢を正し、一つ深呼吸。

「魔王陛下がお忍びでいらっしゃっているらしいのよっ!!」

 おお、という、声にならないどよめきが巻き起こった。
 さっきまでとは打って変わった勢いで、コンラッドが俺を見る。
『どうしてバレる!? お前か? この間抜けッ!』
『俺じゃねえよっ。お前がドジ踏んだんじゃねえのか!?』
 無言で怒鳴りあう俺たちの傍らで、坊っちゃんが頭を抱えながら、どーしよー、どーしよー、と唸っている。
 食堂の中は興奮でざわめいていた。
 すっかり学生の皮を脱ぎ捨て、厳しい眼差しを取り戻したコンラッドが駆け寄ってくる。
「…すぐにここを出ましょう。騒ぎになっては大変です」
「う、うん、でもどうして…」
「坊っちゃん、とにかく裏から外へ。まっすぐヴォルテール城に入った方がいいな?」
 俺の言葉に、コンラッドが頷いた。
「ああ、さ、ユー……」
「それで陛下はどちらに!?」
 すぐ隣でグラディアの声。
「それがねっ、ミッシーの宿にお泊まりのご一行がそうなんですって!」
 ぴたりと。俺たちの動きが止まった。
「ホントっ? すぐそこじゃない!?」
「そうなのっ。お忍びだから、決して騒ぎにはしないようにって言われたんですって! どうも学舎においでになるみたいなのよ!! 優秀な学生を側に置きたいって呟いておられるのを、宿の人が聞いたんですって!!」
 またもどよめく食堂内。
 思わず顔を見合わせてしまう、俺たち。
「……………ねえ、これって………」
 ええ、坊っちゃん、そうですね。これはまさしく……。

「……………………バッタもん?」

 ………素直に「偽物」と仰って下さっていいんですよぉ、坊っちゃん………。


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ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。
たぶん、いや絶対、このお話はここで一旦ストップ、します。
ああ、ホントはもっとはやく事件の本筋に入るはずだったのに。
討論だの、「ウェラー卿の大冒険」だの、思いついたら止まらなくて。
もっと滑りそうだった手を、押しとどめるのに必死でした。
これでさらに長くなりそう。
五話以上いきそうなら、長編にくら替えします。が、どうかなー。
何にしても。
こんなトコで中断して、本当にごめんなさい…!