久し振りに王都に戻った、としみじみする間もなく、俺は血盟城に向った。 腕っこきの諜報部員の責任感っつーか、超優秀なお庭番の性っつーか、上司への報告を完了させないと一息つく気にもなれない。エラそうに馬に乗っていくワケにもいかず、横目でなじみの居酒屋に通じる脇道を睨みながら、俺は人でごった返す大通りを歩いていった。 今回の出張先は大シマロン……いや、元大シマロン、だった。 俺の幼馴染が、まあ、誤解を怖れずに言うと「ぶっ潰した」、我が眞魔国の元宿敵が支配していた場所だ。今は、その幼馴染と一緒になって大シマロンに反旗を翻した人間達が、一帯を治める方向性を模索して─正直な話、かなり長い時間が経過したというのに、いまだに紛糾している。 大シマロンという強大な国に対しては一つの結束した反乱軍だったのだが、敵が瓦解した今となると、もとがバラバラな国の王や領主、将軍や傭兵達の寄せ集めだ。新国家建設に当たって、僅かなりと故国に有利に、と思惑が先走るのは無理もない事かもしれない。しれないのだが……反乱が成功した直後に比べると、どうも内部に軋みが生じているような印象が強い。 「……何だかねえ……」 反乱の最中は、強烈なカリスマを持ち、誰もが従わずにはおれない中心人物がいた。彼がいまだあの中にいれば、眞魔国にとって最も理想的な連合国家を誕生させられたのだろうが…。それも今は望めない。望めば…。 「坊ちゃんをまた泣かせちまうかもしれないしなあ……」 どうしたもんだかねー。遥か先の血盟城を視界に納め、人の波を無意識に避けながら、俺は人懐こい笑みを満面に浮かべる至高の主の顔を思い浮かべた。 「おっ帰りー、グリエちゃん!」 ………………『人懐こい笑みを満面に浮かべる至高の主』………。 その瞬間、俺は回れ右をして、この場を逃げ出したくなった。 もちろん! 俺は偉大なる魔王陛下に対し奉り、絶対の忠誠をお誓い申し上げている。まして、俺のような叩き上げの一兵士、誇るべき身分も無く、混血の孤児で後ろ盾など望むべくも無く、ただこの腕一本でお仕えするしか脳のないこんな男が。陛下に名を覚えて頂き、ご信頼を頂き、あまつさえ「グリエちゃん」などと親しげな笑顔で迎えて頂けるなど、望外の喜び! ……なんだけどねっ。 宰相閣下の執務室になぜかおいでになる魔王陛下は満面の笑顔で。でもって同じく笑みを顔に浮かべておいでなのは、喰えないことを誰もが(口には出せないが)知っている大賢者猊下だけだ。つまり。 俺の直接の上司である宰相、フォンヴォルテール卿は苦虫を噛み潰したようなお顔で眉間の皺もさらに深く、ついでに王佐のフォンクライスト卿、そして自称婚約者のフォンビーレフェルト卿もまた、困惑しているような苛ついているような、とにかく落ち着かない様子で陛下を見つめ…一部、睨みつけている。おまけに、ああ、こいつだよ。 陛下が笑顔でいさえすれば、自分は出血多量で死にかけていても幸せ一杯になれる男が、やはりどこか困り果てたように眉を寄せ、腕を組んで立ち尽くしている。 俺はその男─ウェラー卿コンラート、俺の幼馴染のコンラッド─に、さりげなく目配せをした。 何が起きた? 無言で問う俺に、コンラッドはさらにきつく眉を寄せ、小さくため息をつくと、片手でさほど長くも無い前髪を掻き上げた。─珍しい。まじでイラついている。 ……どうも、思いっきりマズイところに飛び込んじまったらしい。 陛下と猊下が笑顔で、コンラッドまでも含めて側近一同が苦い顔、という状況がおそろしく不自然ということは俺にだって分かる。好奇心が疼かないワケでもないが、望んで厄介ごとに巻き込まれることもない。俺は即時撤退を決めた。…が。 「待ってたんだよー、ヨザック〜!」 「いやー、噂をすれば影というか。もー、グッドタイミング! よかったねー、渋谷っ」 「おうっ!」 え? と思った瞬間、ウェラー卿、フォンヴォルテール卿、フォンビーレフェルト卿、フォンクライスト卿の面々が、一斉に顔をこちらに向けた。 「え……え?」 怒ってる。てめー、何で帰ってきやがった! と、無言で怒鳴ってる。 怒り心頭の8つの眼差しに晒されて、俺は思わず後退った。 「ヨザック〜」 場の雰囲気を読めないんだか、無視してるんだか、にこやかーに笑いながら、陛下がとっとこ軽やかな足取りでやって来られた。そして俺の隣にお立ちになると、すいと袖を取り。 「ヨザック帰ってきたから、あの話、決まりだなっ!」 側近ご一同が、揃って重ーいため息をついた。 あの話? 「……働く……?」 誰が? という問いに、陛下がにっこりとご自分を指差した。 「…働いて、おられるでしょう? 毎日…」 「じゃなくてー」 「一般国民の生活を学びたいんだよね〜? ごく一般的な民が、一日をどんな風に過ごしてるのか。どんな仕事があるのか…」 「そうそう! お弁当やおやつは何を食べてるのかとかっ。新入社員の歓迎会はやっぱ居酒屋なのかとかっ」 一部興味の方向が偏っている気もしないではないが、陛下は楽しそうにこぶしを振って力説している。 「外から見てるだけじゃ分からないじゃないか!? やっぱ何事も実体験が大切だと思うわけっ」 「元々この世界に生まれ育ったわけじゃないし。国民についての理解が浅いままじゃ、立派な王様にはなれないよね」 「そーゆーこと! それには社会に飛び込んで、働くのが一番っ!」 …………てゆーか。庶民がどんな弁当を食ってるかなんて、どこの王様連中も知っちゃいないと思うんですけどねー。 無理矢理座らされたソファで、陛下と猊下に挟まれて、交互に言葉を浴びせ掛けられて、俺は内心ため息をついた。 いや、それよりも。俺を囲むように立っている4名のお歴々から立ち上る暗雲が、かなりのプレッシャーとなって俺の肩に圧し掛かってくる。まじで。 「……えー……。それは何と申しますかー…。実にご立派なお考えでー……」 「そう思うっ!?」 「いやあ、やっぱりヨザック、そう言ってくれると思っていたよー」 「…………はい?」 「んじゃあ、ヨザック。これからしばらく、渋谷のこと頼むね?」 「……は…?」 何か……。イヤな予感が……。 「だからさー。俺が、魔王だってコトを隠して、どこかで働く間の護衛だよっ、ご・え・い!」 いらないって言ったんだけどさー。ぷくっと、頬を膨らませる陛下のお顔が、そりゃーもうお可愛らしくって…って、じゃなくてーっ!! 「ちょっ、ちょっと、待っ…! え、そのっ、働くって、陛下がっ? って、お忍びで? え、あ、ってか、何で俺っ!?」 「いやねー」猊下が一見無邪気な笑顔を浮かべた。「宰相閣下も皆もね、渋谷の気持ちを分かってくれて、身分を隠しての就労体験実習を快く承諾してくれはしたんだよ」 んなわきゃねー。背後の暗雲がさらにずしりと重くなる。 「でもさすがに彼を一人で働きに行かせる訳にはいかないって話になってね」 そりゃそうでしょう。 「護衛をつけようって事で話が決まったんだけどー。……ねえ?」 猊下がくすりと笑って、意味ありげに視線を流した。その向ける先にはウェラー卿の苦々しげな顔がある。 「…………ああ。なるほどー……」 陛下の護衛といえばコンラッドだ。おまけで、呼ばれなくても付いて来るのがフォンビーレフェルト卿。しかし、陛下の目的がどこぞで働くということであれば……。 婚約者殿は論外。そして世慣れているはずのウェラー卿も。 「剣一筋ン十年だもんなあ……」 陛下が働くったって、使い走りの小僧以上のことができるとは思えないし(ご無礼の段、平にお許しを)。そんなのに剣を持った護衛がつけるはずもないし。かといって、こいつが剣士以外の仕事をするっつーのは……。 「…想像つかねーなよなあ……」 「だろ?」 俺の頭の中なんぞ全てお見通しの大賢者様が、人の悪い笑みを浮かべて見せた。 「という訳で」 「頼りになるのはヨザック一人!」 「「よろしくお願いしまーす!」」 至高の位にお就きの二人に、声を揃えてお願いされたらそりゃーもう、「畏まりました」以外何て答えりゃいいってんだよ…? 「………いい加減、ぶすくれるのは止めてくんねーかな……?」 「…別に、ぶすくれてなんぞいない」 夜更け。土産の酒を持って訪れた幼馴染の部屋で、迎えてくれたのはそいつのむっつりしたしかめ面だった。 今俺の前で、コンラッドは手酌の酒を、かっぱかっぱと水の様に喉に流し込んでいる。ったく。 「……………妬くなよ」 「誰が、何を、妬いているっ」 「潰しの利かない人生歩んできたのは、お前自身の責任だろー?」 「……俺だって、食堂で働いたことがある」 地球で、と小さな声で付け足した。 「へー。そりゃーさぞかし客あしらいのお上手な、愛想のいい店員だったんだろうなあ?」 ぐっと詰まった幼馴染に、俺はちょっと意地悪な笑い声を送ってやった。酒のせいか、昔を思い出して照れくさくなったのか、コンラッドが微妙に顔を赤らめて俺を睨んできた。 「まあ、坊ちゃんを妙なところで働かせるはずもねーんだから、あんまり心配すんじゃねえよ。……それとも何か? 俺はそんなに頼りにならねーか?」 「…いや…」 コンラッドはそこでようやくグラスをテーブルに置いた。そして、はあっと深い息をつき─次に目を俺に向けた時には、いつもの穏やかな顔に戻っていた。 「陛下の仰る通りだ。お前以外に頼める相手はいない。…ヨザ」 陛下を頼むぞ。そう言って、コンラッドは軽く頭を下げた。 「お前に頭を下げられる謂れはねえよ。ほら」 俺は二つのグラスに酒を満たし、片方を手にして、残ったグラスに軽く打ちつけた。チン、と涼やかな音が、アルコールで淀んだ空気を清めてくれる。 「酒ばっか飲んでねーで、つまみも食えよ。ほら、せっかくこっちにはない珍味を揃えてきてやったんだから」 「ああ。……これは懐かしいな…」 「食ったことあんのか?」 「昔、旅をしていた時にな…」 やっとまともな酒になった。そうなってようやく俺は、最初からの疑問を口にすることができた。 「…で? 一体何だってこんな話になっちまったんだ?」 俺が何を聞きたいのかすぐに察したコンラッドは、また違うため息を漏らした。 「どうも……、猊下に何か言われていたらしい」 「はん?」 「陛下が…国のことも民のことも何も分かっていないと……」 「そりゃーまあ、なあ……。けどそれは仕方のないことだろう? 焦ったってどうしようもないことなんだし。それにそもそも、庶民の暮らしを完璧に把握してる国王なんていねーぞ?」 「ああ。しかし、陛下はずっと気にしておられたようだな……」 「それで庶民に混じって働くってか? ちょっと短絡過ぎやしねえか?」 「素直で一生懸命と言え! ……陛下は常に民の幸せを願っておられるんだ」 「あー、はいはい」 確かにお前さんは、ユーリ陛下命の男だ。 「…あっと、それともう一つ確かめたいんだけどよ。この場合、護衛のお鉢が俺に回ってくるのは仕方がないことだろ? なのに、どうしてこの俺があんな顔で皆に睨まれなきゃならなかったんだ?」 「……………賭けを。したんだ」 「は? 賭け? 何の?」 「…陛下がこの話を言い出された時、俺達はどうしても諦めて頂こうと考えた。魔王陛下がご身分を隠して働くなど、そもそも前代未聞だし、身分を隠しておられる以上大人数でお護りすることもできない。無防備な陛下を遠くから見守るといった悠長なことも論外だし、かといって……陛下と一緒になって働きながらお護りするというのも、できそうでいて…少なくとも俺には……難しい」 「鋭い目をした隙のない、でもって坊ちゃん可愛さの余り余裕も愛想もなくした男に給仕されても、飯は美味くねーもんな。ついでに怪し過ぎて護衛にならねー」 食堂から離れろ、とぶつぶつ言いながらも「その通りだ」と認め、コンラッドは話を続けた。 「その点を申し上げ、説得しようとしたんだが…、そこで猊下が口を出された」 「ははん。それが賭けか?」 コンラッドが頷く。 「陛下のお側で、一緒に働きながら怪しまれることなく護衛ができるのはお前だけだ。その意見が一致した上で、猊下はこう仰せになった。『ヨザックが今日から一週間以内に帰国しなかったら、この話は諦めよう』と」 「………聞くが」 「ああ」 「今日は何日目だったんだ?」 「……………………ちょうど一週間目、だった」 「……………………」 「……………………」 「………………帰ってくんなと、白鳩便でも出せばよかったじゃねーかっ」 「出した」 「………………受け取らなかったぞ……?」 「鳩を飛ばせて30分もしない内に、猊下が送ったはずの手紙を手にして『こういうことをするのはフェアじゃないなー』と」 「……………………」 「……………………」 「……あのな」 「ああ」 「俺の方から鳩を送ったんだ。…今日位に帰国するって。…フォンヴォルテール卿宛てに」 「………誰も、少なくともグウェンは受け取っていない」 「………つまり……」 「ああ」 「やられたな」 「…………そのようだな……」 要するに。俺達なんぞ、4000年の歴史の前には赤児以下、ってことだ。 「…大シマロンに…行っていたんだな?」 「ああ。元、大シマロンだった辺りをぐるっとな」 「どう、だった…?」 どこか言い辛そうに、コンラッドが尋ねてきた。すでに酒瓶は2本目がもうまもなく空になる。 「ベラールの残党は、小規模ながらもあちこちで破壊活動を続けてるし、どうもそれを小シマロンが後押ししてる節が無きにしも非ずだし、ってトコで、今ひとつ落ち着かないな。まあ、落ち着かない最大の理由は、新体制がいまだにきっちり決まらないってことなんだがね。そう…求心力が弱まってる気がしたな」 何の、とは言わない。コンラッドは瞑目したまま、グラスを唇に押し当てた。 「我が国にとっては悪い状況じゃないだろ? 一つに纏まった挙句に、眞魔国に不利な体制が敷かれるより、混沌としたまま他国に関わる余裕をなくしてくれている方がありがたい」 コンラッドは答えない。 「……もうお前が関わる問題じゃねえぞ?」 「陛下は……魔族と人間が共存する、平和な世界を築きたいとお考えになっている。だとしたら……」 「じゃねーだろ?」 「…………………」 「お前自身が、あの人間達にうまくやってもらいたいと願ってるんだろ? ……すっかり情が移ったか?」 「そんなことじゃない。ただ……そうだな。長い間一緒に戦ってきたから……、彼らに成功してもらいたいとは思っている」 「うまくいかなかったとしても、それはあの地で生きる人間達が決めた道だ。少なくとも、魔王陛下に忠誠を誓うお前がしゃしゃり出ていい問題じゃない。…分かっているよな?」 「………ああ」 「坊ちゃんを、もう二度と泣かすなよ? 俺はもうあんなのはゴメンだぜ?」 「…分かっている」 「あの人の心を、壊す真似は絶対するんじゃねえぞ?」 「しつこいぞ、ヨザ」 「…………………なあ」 「なんだ?」 「もう一度、小っさい子供に戻って甘えて欲しいとか……密かに考えたりしてねーよな……?」 「……あ…………当たり前だ! そっ、そんなこと俺はこれっぽっちも……」 「何だ、その間は? おいこら、何をうろたえてんだ、お前はっ!?」 びみょーな不安を残しつつも、眞魔国の平和な夜は更けていった………? NEXT→ プラウザよりお戻り下さい。
|