あなたの言葉は黄金の雫

 「…は?」
 執務室でのサイン書き―まあ、近頃は言われるまま書類の中身も知らずにサインすることはなくなったが―を一段落させた俺に、訳のわからん言葉が投げかけられた。

 俺の前には、宰相(先だって改めて正式に任命された)グウェンダルと王佐のギュンター、そしてヴォルフラムが何故か並んで立っている。そしてその数歩下がったところに、初めて見る軍服姿のヨザック。突然現れた彼を見て、似合わねーと爆笑したのは、ほんの数分前のことだ。
「悪ぃ。今何て言ったの?」
「コンラートが帰国すると言った」
 グウェンダルがいつも通りの無愛想さで、さらりと答える。
「えーと…?」

 炎の中に左手だけを残して、生死不明の行方不明になって、雪の闘技場でアンビリーバボーな再会をして。
 「あなたが最高の指導者という訳ではない」なんぞと言われて、「陛下とは呼ばない」と言われて、それでも伸ばした手を拒まれて、冷たい目で見られて、冷たい言葉を掛けられて。
 信じたくて、信じられなくて、突き放されるのが怖くて、突き放して、でも嫌いになれなくて。
 忘れよう、最初からいなかっと思おう、そう思ってがんばって。でもそんなことできるはずもなくて。それでも。
 日常の出来事に真正面から立ち向かっていれば、次第に状況に慣れてくる。
 助けてくれる人はたくさんいて、笑いあったり、肩を抱いて慰めあったり、お酒は飲めないけど、お茶やお菓子で夜を徹して語り合ったりする友人にも恵まれて、魔王という職業がどうあるべきか、だんだん目が開いていくような気にもなって。
 そして頑張って頑張って頑張っている内に、かつていた人の不在にも慣れてくる。周囲の歯車もいつしか滑らかに動き出し、納まるべき場所に全てがきちんと納まっていく。
 もう、きっと、大丈夫だと思い始めた今この時に………。

「コンラートは見事に使命を果たしております」
 ギュンターがどこか厳かに宣言した。
「大シマロンの大陸支配が、政治的にも経済的にも一人の王で治められる限界を超えていたことは、以前から明らかでした。民の不満は臨界点にあり、かつての領主や王達が、蜂起の時を待っていたことも、とうに分かっていました」
「しかしきっかけがなかった。シマロン王に正式に忠誠を誓った彼らがそれを破り、反旗を翻す為の大義名分がな」
 ギュンターの後を受けたグウェンダルが、言葉を続ける。
「象徴が必要だった。反乱軍が己の民族のみの独立を目指し、バラバラに動いても勝機はない。彼らが一致団結し、連携をなして当たらねば到底シマロンは倒せない。だから…象徴が、シマロンの支配に対抗する全ての勢力が納得する、求心力のあるリーダーが必要だったのだ。そしてそれになり得たのは…」
 ウェラー卿コンラートだけだった。

「………な、ぜ…?」
 いきなり始まった説明に、俺の頭は一気に混乱してしまう。話の内容と、大シマロンの軍服を着たコンラッドの姿が、全然繋がらない。

「コンラートは…ベラール王家の直系だ」
「…ベラール…?」
 って、あの、大シマロンの陛下たちがそう名乗って。いや、待て、そうだ、あのテンカブ優勝パーティーの時、見たじゃないか、あの、系譜を。ベラールとウェラーの名前の関係を…。
 アーダルベルトに追っかけられたり、その後色々騒ぎがあったりして、すっかり忘れていたけれど。

「コンラートの父、ダンヒーリーは、あの地域では伝説の人物だ。ベラール王家唯一正統な後継者であり、名を奪われてもシマロンに屈しなかった、英雄の一族の最後の一人としてな。そしてコンラートはその一人息子だ。大シマロンの支配に抵抗する者たちにとって、これほどの象徴足る者はいない」
「そしてコンラートは、担ぎ上げられた名ばかりのリーダーではありません。彼には人々を纏め上げる強烈なリーダーシップとカリスマがあります。彼は大シマロン王に忠誠を誓うと見せかけ、少しづつ反乱軍を組織化していったのです。当初はバラバラだった抵抗勢力も、次第に一つの形を成し、シマロンの支配を転覆させるだけの勢力を得るに至りました。陛下におかれましては、シマロンでの政変について、すでにお聞き及びと存じますが…」
 確かに、大シマロンで内乱が起きた事は、当のギュンターやグウェンダルから報告を受けている。でもその時には、様子を見ようと言われ、話はそれきりになっていたはずだ。
 俺があいまいな表情で頷くのを確認すると、ギュンターが後で控えていたヨザックに目配せをした。俺が信頼するお庭番が、小脇に抱えていた書類を持ち直し、前に進み出る。
「ウェラー卿よりの報告書です。閣下はシマロンに属国化されていた各地の領主、王たちのみならず、シマロン軍内の不満分子の糾合に成功。クーデターを起こすと同時に、各地での一斉蜂起を指揮なさいました。反乱軍優勢を見て、蜂起を渋っていた者達もぞくぞくと反乱軍に参加、また一般の民衆の義勇軍編成なども行われ、情勢は一気に反乱軍優位となり、というか、最初っから国王軍は押されっぱなしだったのですが、先だってついに、ベラール二世殿下は逃亡、四世陛下は捕らえられ、反乱は成功、大シマロンは瓦解いたしました」
 学校へ行って、部活をして、帰って、野球中継を見ながらごはんを食べました。
 何だか、それっくらい簡単な事の様にさらさらと説明されて、俺はただもう呆然と、前に立つ部下たちの顔を眺めていた。

「現在は、これからの国造りについて、各国、各地の旧支配者たちが調整を重ねている真っ最中のようだ。以前の様に自主独立しようという者、連合共和国の形をとろうという者、また、新しい王を推戴して新帝国を創ろうという者、それぞれの主張がぶつかっているのが現状らしい。まだしばらく安定するには程遠い状態ではあるな。我が国にとっては、ある意味好ましいとも言える」
「実はそれが、今回コンラートが帰国する理由になっているのです。先ほども申しました通り、コンラートはベラール王家直系の末裔です。併せて彼の実力についても、すでに広く知れ渡っておりました。そのため、反乱軍の指導的役割を果たした者の多くが、コンラートが王位に就く事を望みだしたのです」
「上のお人達よりも」ヨザックが口を挟む。「一般兵士が熱烈に支持してるんです。俺が中に入り込んで情報収集していた時も、そりゃ凄いモンでした。まあ、あの人は昔っから下っぱに好かれてましたがね。あっちの中でも、兵の中核は山賊や傭兵に身を落としていた荒くれ者ばかりなんですが、そいつらが揃いも揃って『コンラートの指揮じゃなきゃ、俺たちは動かねえ』なんて言い切ってましたから」
「といって、コンラートが王位になど就けるはずがない。あちらで表立って表明する事は叶わんが、あれは眞魔国、魔王陛下に忠誠を誓った、魔王の臣下なのだからな」
「そういう訳で、コンラートは王位に就く気がないことを宣言し、かつそれを証明するために、かの地を離れる事にしたのです。本来なら、もうしばらく中心的な役割を担って、情勢を魔族にとってよい形に導くのが当初の計画だったのですが…」
「でも態度を明確にしたために、返って閣下の名声が高まりましたのでね。王位を狙う野心を持たない、立派な武人だってね。まだまだ出番はあると思いますよ。一旦仕切り直して出直すのが、一番いいのではないでしょうかね」
「私もそう思う。むしろ今が潮時だろう。次に打つ手は、彼らがどういう形を取ろうとするか見極めてからでいい。小シマロンのサラレギーの動向も目を離せんしな。だから」
 グウェンダルが俺の目を捉える。
「コンラートが戻ってきたら、労いの言葉を掛けてやって欲しい」
「………………………ちょっと、待てよ、おい……」


 グウェンが、ギュンターが、ヨザックが。当たり前のように、分かりきった事のように、さくさくさくさく話を進める。
 そして混乱しきった俺を置いてけぼりにして、勝手に話を纏めてしまう。んで? 何だって? 「労いの言葉を掛けてやれ」だって?
 何だよ、それ。何なんだよ、それっ!?
「…いつからだよ…?」
「何がだ」
 しれっと答えてんじゃねーよっ。
「いつから知ってたんだって聞いてんだよ! コンラッドが! コンラッドが本当は裏切ってなんかいなかったってコト! いつからあんた達は知ってたんだ!?」
 あんまり勢いよく立ち上がってしまったために、後で椅子が倒れた。耳障りな音が一瞬響いて消える。
「最初から」グウェンがあっさりと答えた。「計画当初から、十分に話し合って決定した。あの炎の中で消えたときには、さすがに死んだかと思ったが。だがしばらくして潜入成功の報せが入った。…かなりの綱渡りだったな」
「…だって…、あんた、俺に謝ったじゃん? どんな罰でも受けるとか何とか言ってさ…。あれ、お芝居だったワケ…?」
 無言のまま、グウェンが頷く。俺はもう何だかたまらない気分で、残るメンバーの顔を見渡した。
「あんた達も? 最初から知ってたのか…?」
「いえ、私たちは…」
「天下一武闘会を終えて、帰国してからだ」
 それまでずっと沈黙を守っていたヴォルフラムが、重い声で宣言する。
「戻ってから、兄上に話して頂いた。お前が…大賢者と共にこちらの世界からいなくなっている間に、だ」

 じゃあ、何? 密航するために箱に入り込んだ時も、サラレギーと会談するはめになった時も、大シマロンの使者としてのコンラッドと再会しちゃった時も、聖砂国に向かって船旅をしていた時も、そしてそして…。
「全部…分かってた、ワケ? なあ、ギュンター、あんた、コンラッドを裏切り者呼ばわりして、剣を抜いたよな? ヴォルフはコンラッドを愚かだって言ったよな? ヨザック、あんたは、船の上でコンラッドに腐ってるとか言って、二度と俺に近づくなって、近づいたら殺すとか何とか…言ってた、よな? あれはぜんぶ…ぜんぶ……?」
 四人が同じ目をして、俺を見ていた。それは……、哀れみなのか?
「…俺だけが…知らなかったのか? 俺だけ…。どうして…? どうして俺にも教えてくれなかったんだよっ!!?」
 俺がバカだから見捨てられたのか、とか。俺を殺して、眞魔国も滅ぼしてしまうつもりなんだろうか、とか。いっぱいいっぱい悩んで。コンラッドに見限られた自分が、とんでもなくちっぽけな、何の価値もない、ゴミみたいな存在になってしまったような気がして。辛くって。哀しくって。
 どんなに笑っていても。他の色んなことに悩んでいても。意識していないつもりでも、コンラッドの姿をした刺が、いつも俺の心臓を突き刺していた。
 そうだ。もう大丈夫だなんて、そんなこと全然なかった。いつも、いつだって、俺はコンラッドを心の中で追い続けていた。信じたい、信じられない。会いたい、会いたくない。声を聞きたい、聞きたくない。触れたい、触れたくない………。
 皆同じだと思っていたのに。皆、コンラッドの裏切りが信じられなくて、悩んでいるんだと思い込んでいたのに。俺と一緒だと信じていたのに!
「…お前が知る必要はなかった」
 ただそれだけだ、というグウェンの一言に、俺はついにキレた。
「バカにすんじゃねーっ!! あんたら一体俺を何だと思ってるんだっ! コンラッドッ、あんなコト言って! あんな態度っ! 俺がっ、俺が、どんな思いで今までっ! どんだけ悩んでっ! だから俺っ、コンラッドにだって、すっ、すっごくいっぱいひどいコト言ってっ! 俺っ、俺はっ!」
 頭悪いから、言葉が続かない。おまけに涙と鼻水で呼吸も苦しくなって、もう頭の中はぐっちゃぐちゃだった。
「あんたら、思ってねーだろっ? 俺が王様だって、ぜんっぜん、思ってねーだろ!? こんなっ」
 バンッ、と机を平手で叩く、が、でかくて頑丈な机はびくともせず、上に置かれたインク壺も書類も、微動だにしなかった。俺が非力だっていう証明だ。
 手の平はじんじんと痺れているのに、部屋の中の全てが平然とあるがまま。そう感じた途端に、怒りの、いやもしかすると、パニックの、ボルテージが一気に上がったような気がした。
「…嫌いだ…」
 ガキの言葉だと思いつつ。俺は自分が紛れもないガキだという事に気づき、それに縋る事にした。
「…あんたら皆、嫌いだ……。んで…コンラッドが…っ、誰より一番、大ッ嫌いだっ! どのツラ下げて帰ってくるってんだよっ! 俺は……絶対、ぜっ、たい……許さねーからなっっっ!!」

 俺はその部屋から駆け出して、逃げた。信頼し切っていた彼等から。そして自分自身の言葉から。



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設定捏造。全て捏造。箱も左腕の真相も、さっくりカット。うわぁ…。
短編のつもりが、どこまで長くなるか不明の状態に。いつものことですが。
それにしても、どうして話が柔らかーく、優しーくならないんでしょうねえ。ふう。