「コンラッドなんか……大嫌いだ!」 そう叫んだ瞬間、目から涙がぼろぼろぼろぼろものすごい勢いで噴き出してきた。 目の中が水気でたぷたぷになって、世界が一気にあやふやになる。 なのになぜか。 コンラッドの、おれよりずっと泣き出しそうに歪んだ顔だけが見えた、気がした。 おれはそのままクルリと方向転換して、モノも言わずに走り出した。 ………呼び止める声はなかった。 朝。 いつも通りに目が覚めて、でもおれはベッドに潜ったままでいた。 ホントなら、とっくにロードワークに出てる。 でも、誰も起こしに来ない。いつも起こしにくるやつが、今朝は来ない。来ないから寝てる。 昨夜、コンラッドの部屋から全力疾走して、おれの姿に気づいた衛兵さんが慌てて扉を開くのと同時に部屋の中に飛び込んで、その勢いのままベッドにダイビングして。 悔しいやら悲しいやらもう滅茶苦茶な気分のまま、シーツをぐしゃぐしゃにして、枕をあちこちに叩き付けて、ベッドを転げ回って暴れて……泣いた。 コンラッドに裏切られた。そう思った。 ユーリはユーリのまま、何も変わらなくていいと、あんなにはっきり言ったのに。 絶対大丈夫だって、内臓レベルのことなんか気にするなって、あんなに力強く言い切ったのに。 『……あなたは女性でもあるのです。どうかそれを自覚なさって下さい……』 おれを力づけてくれたその口で、そんな事を言うのか!? 「……コンラッドのバカ! バカバカバカバカバカ……っ!!」 泣いて喚いて。……いつの間にか眠っていた。 誰も起こしに来ない。 待ってるワケじゃないけど。 でも、ふて寝する理由には充分だ。 とはいえ。 「………起きよ」 健康な青少年は、病気でもないのにいつまでも寝てなんていられない。気分は最悪でも。 外は青空に朝陽が輝いて、それはもう気持の良い朝の風景が広がっている。 でも朝食の場は、苛々するほどどんよりとした雰囲気に包まれていた。 いつものメンバー、いつもの朝食風景。 だけどおれの食欲は最低で、食べ物を見た瞬間から、胃の痛みまでぶり返してしまっていた。 コンラッドは何か言いたそうに、だが言えずに、ちらちらとおれを見てはいたずらに皿の上の料理をかき混ぜている。一度意を決した様に口を開きかけたけど、気がついたおれがじろっと睨んだらすぐに目を伏せてしまった。……つまりおれも、コンラッドの様子をじっと伺ってるってことなんだけど。 そんなおれとコンラッドを、同席する皆が慎重な様子で伺いながら食事を進めている。 近頃血盟城に居着いてしまった村田も同じ様に、何も言わずにじっとおれ達の様子を観察してる。 「……ごちそうさま。お先」 「陛下、あまり食がお進みでないご様子ですが……その……」 お行儀悪く、一足先に席を立ったおれをギュンターが呼び止める。 「食欲ないからもういい。……先に執務室行ってるから」 ぷい、と身体の向きをいきなり変えたら、何故か急に目眩がした。 「陛下!」 思わずよろけたおれを、力強い腕が支えてくれる。 瞬間、その腕に縋りそうになって、でも見慣れた色の袖が目に入った瞬間、おれはその腕を思いきり払った。 視界の隅で、コンラッドがきゅっと唇を噛んだ。 部屋を出ると、廊下にクラリスが待っていた。 おれを見て、さっと敬礼する。それからふと、何か感じた様に眉を潜めた。 クラリスの視線が、おれの背後を探りだす。 構わず歩き始めたおれの後を、すぐに追いかけてくる足音は1人分だけだった。 そうして3日が過ぎた。 コンラッドはいつも通り側に立っているけど、ほとんどもう側にいるってだけだ。 コンラッドがおれのためにしようとする全てを、おれが拒絶したからだ。 最初はお茶だった。 執務の合間にお茶を淹れようとするコンラッドの、いつもと変わりない着実な手順を見ていたら、なぜか急激に腹が立ってきた。だからおれは、湧き上がった衝動的な怒りのまま、「お茶、クラリスが淹れて!」と声を上げてしまったんだ。 ポットを手にしたまま、中途半端な形で凍った様に動きを止めた姿に、ツキンと胸が痛んだけど、そのままおれは殊更コンラッドを無視した。 ガリガリと、立てなくてもいい音を立ててサインを続ける。 紅色の袖から伸びる手が、お茶のカップを置く。ふと顔を上げたら、何か言いたげにおれをみる藍色の瞳と視線がぶつかった。 コンラッドは壁を背に立っていて、おれは何も言わないままサインを再開した。 以来、細々したことは全部クラリスがやってくれるようになった。 そして3日目。 本当言うと……おれの怒りはもうほとんど治まっていたんだ。 おれが気づかないだけで、きっと色々なことが宮廷内に起こっているんだろうと、いくら鈍いおれだって察するぐらいできる。 クラリスがおれの親衛隊長になるのだって、コンラッドがいきなり強姦魔になっておれを襲うんじゃないかって、貴族達が揃ってバカげた進言をグウェン達にしたことがきっかけなんだし。 それにコンラッドは『あなたの名誉に傷がつきます』って言ってた。『俺のような男の部屋に』って。 何かおれが気づかない、でなかったら、俺の耳に届かない様にされてる理不尽なプレッシャーが、またコンラッドに掛かってるのかもしれない。だから……。 そう分かっているのに。 何でかなぁ……。おれ、全然素直になれないんだ。 コンラッドの、何も言わずにただじっと耐えているような顔を見てると、胸に広がる申し訳なさを押し退けるように、その奥から腹立たしさが溢れてくる。 何か言えよ。何で何にも言わないまま、我慢してんだよ。 そんな思いと、それから。 落ち着こう、冷静になってコンラッドと話そう。そんな思いが萎えるような不快感に、実はこの3日、おれはずっと襲われ続けていた。 なかなか寝つけなくて、寝ても夜中にぽっかり目が覚めて、おれは無理に眠ることをしなくなった。その代わり、目が冴えるとベランダに出て、夜空を眺めながら色んなことを考えていた。 特に昨夜は……。 ぼーっとしてたら、いつの間にか東の空が白んできてしまった。一体何時間、パジャマ姿のままベランダに坐り込んでいたんだか。 それがいけなかったんだと思う。 この3日間間断なく襲ってくる胃の痛みに加えて、頭痛と、それから吐き気が、おれの中でぐるぐる渦巻いていた。 「渋谷」 午前の執務を終えて、少し休もうとクラリスを従え自室に向かうおれを、親友の声が引き止めた。 振り返った先に、村田が立っている。 「ウェラー卿はこの後、兵の訓練のために練兵場だってね」 「…………らしいな」 たぶん今頃執務室からそっちに向かってるんだろう。 「昼食、食べないんだって?」 「……食欲ないんだ」 村田から視線を外して小さく答える。 そう、と村田が頷いた。 「だったら、ちょっとつき合ってくれないかな。風通しの良いところでお茶でも飲みながら話をしようよ」 だな。そろそろ来る頃だろうと思ってたさ。 おれは頷いて、背を向けて歩き始めた親友の後をついて行った。 血盟城の敷地の外れにある庭に設えられたテーブルセットには、すでにグウェンとヴォルフが座っていた。その傍にはヨザックが立っていて、お茶のセットとお菓子が乗ったワゴンもある。 ヨザックが周囲を窺っている。立ち聞きする者がいないか、用心しているんだろう。かすかな陶器の触れあう音は、クラリスがお茶の準備をしているからだ。 そしてテーブルにつくのは、おれと村田とグウェンとヴォルフ。 おれは無言のまま、誰かが口を開くのをただ待っていた。 クラリスが順番にお茶とお菓子を配っていく。お菓子は、もしかしたらおれの胃の調子を考えてくれたのかもしれない、消化が良さそうなムースっぽいものだった。甘く爽やかな香りに、これなら食べられるかも、と思ったその時だった。 「ウェラー卿の命がね、もう風前の灯って感じなんだよ」 村田の言葉に、スプーンに伸ばされた手がおれの意思とは関わりなくピクリと震える。 「君の前ではそれなりにがんばってるようだけど……。君のいない所だともうね。……まるで自分で掘った真っ暗な穴の中で、膝を抱えてめそめそ泣いてるって雰囲気がずっと続いててね……。まあこう言っちゃうと、あまりにも情けないっていうか、見てるこっちもげっそりってとこなんだけどさ」 それくらい悲惨な状態なわけだね。 村田がため息と共にそう言った。 「何があったかはコンラートから聞いた」 グウェンが低い声で口を挟んだ。 「コンラートの対応は正しい。むしろ、そんな夜中に夜着のままのお前を部屋に入れていたら、それこそ大問題になっていただろう」 「兄上の仰る通りだ!」ヴォルフもキツい声を上げる。「お前は一体何を考えているんだ!? お前が女性でもあることが分かって、卑しい下心や野心を抱いた愚か者共が色々と画策していることは教えたし、お前も理解していたのではなかったのか!? それなのに……っ!」 「渋谷さあ」 村田の声に苦笑が混じっている。 「例えばだよ? 男同士だと思って一緒にお風呂に入ったり、同じ布団で眠ったり、平気でしていた友達が、いきなり実は女の子でもあると分かったら、君、やっぱりそれまでと同じ様にできる? その友達が『身体がどうだろうと、自分は変わらない』って宣言したとして、君もその通りだと納得したとしても、一緒にお風呂に入れる? そうだな、例えば僕で想像してみなよ。僕が女の子だったとして」 げ、と、想像したらしい誰かが呻いた。 「友情を保つことはできるよ。きっとね。でも、実は女の子だった僕が君の布団に潜り込んだりしたら、僕はとてもじゃないけど、君が平気でいられるとは思わない」 そう、きっと意識して、挙動不振になって、変わらずにいようとしてくれる相手を傷つけてしまうだろう。 「その友情や愛情が本物なら、身体のつくりなんて関係ない。それでも渋谷、性別という違いが現れた以上はやっぱり、それまでとは違う新たなルール、つけなきゃならないけじめが必要になるんだ。それをつけることは、信頼や友情を裏切ったとか裏切られたとか、そんなこととは全く意味が違うよ。……分かるよね?」 おれが小さく頷いたのを確認して、村田が「でもね」と言葉を続けた。 「ウェラー卿は別に君の『女性』を意識している訳じゃない。彼の君への気持、思いは、これまでと何も変わっていないよ」 ねえ、渋谷。村田が優しい声でおれを呼ぶ。その声に誘われて、おれはふと顔を上げた。 「ウェラー卿は、自分の浅薄な言葉で、結局君を傷つけたとひどく後悔していたよ。嘘をついたと言われても仕方がないってね。でも僕はそれは違うと思うんだ。ウェラー卿はね、渋谷、君に対する自分の思いに自信があるんだ。君が何であろうと、この先どうなろうと、君が君である限り、誰よりも何よりも君を大切に思う自分自身に対する自信。そして王である君に絶対の忠誠を尽くす自信がさ。まあ、それも当然なんだろうけどね。彼の君への思いは、ウェラー卿コンラートという男の生存理由そのものでもあるんだから……」 え? と顔を上げたおれに、村田がほんの少し憐れむような微笑みを浮かべた。そしてそんな村田を、ヴォルフとグウェン、特にヴォルフが、真剣な眼差しで見つめている。 「……だからこそ何も変わる事はないと、ウェラー卿は君にきっぱり断言する事ができたんだよ。そしてそれは、フォンヴォルテール卿もフォンビーレフェルト卿もフォンクライスト卿も、そして他にも多くの─もちろんヨザックやクラリスも、ああ、それからフォングランツ卿も─君の側で君を理解して仕えている者は皆同じなんだ。何一つ変える事なく、変わることなく、君の側にいる」 こくりと、ヴォルフが大きく、グウェンがかすかに、でもはっきりと頷いた。 ところがねえ。村田の笑みが苦笑に変わる。 「地球とは違う、こちらではこちらなりの問題が起こるって言ったの、まだ覚えてるよね?」 村田の静かな言葉に、おれは無言で頷いた。 「君を支える臣下達の君への思い、信念みたいなものとは全く別のところでね、盛り上がっちゃったおバカな人達がいるんだよ」 「……それって……ヴォルフが言ってた野心家達とか……」 問い返すおれに、「野心家ねえ…」と、村田が馬鹿にしたように呟く。 「貴族や上流階級に位置する者は皆、大なり小なり野心を持っているものさ。野心は決して悪いものではない。野心が良い意味で向上心となり、その人物の能力を磨くことに繋がればね。だけど……今回盛り上がってるのは、そういう正しい意味での野心家とはかなり違ってるんだよ。なんて言うか、出世欲というか権力欲にただもうどっぷり嵌っちゃっててさ。君の側近達にとっても一応想定内ではあったから、それなりに気をつけてはいたんだけどね。聞いていただろ? そういう連中が、何とか君の寵愛を得て、権力を握ろうと夢見てるってこと」 確かに、ヴォルフからもコンラッドからも聞いていたから、おれは素直に「うん」と頷いた。 「悪い意味で、母上が手本となってしまったのだ」 低い声でいきなり発せられたグウェンの言葉に、おれはちょっと吃驚して、思わずその顔を凝視した。 「上王陛下は、かつて流れ者の人間を愛し、愛人どころか正式な夫とした。ならば自分達とて、身分や地位がさほど高くなかろうと、当代魔王陛下の寵愛を得ようとすることに遠慮はいらないのではないか、とな。……ダンヒーリー・ウェラーがどのような人物であったかも、かの男が母上に対し一切何の身分も地位も望みはしなかったことも、そやつらにはどうでもいいらしい。お前を誘惑し篭絡できれば、王の寵愛を得た者としてこの宮廷でのし上がり、権力を手にすることもできる、と、愚かにも考えたのだな」 グウェンの声は苦りきっている。 「お前にこの話をした時は」ヴォルフが言葉を継ぐ。「まだ危惧するという段階だったが、今やバカ者共が揃いも揃って本気になっている」 おれはそんな事、全然知らなかった。 「そういったおバカな連中が競い合い、同時に牽制しあって、何とも妙な動きが宮廷内に蠢いてるんだよ。もちろん貴族達皆が皆、そんな馬鹿ばっかりということはない。真剣になってるのはほんの一部で、眉を顰めている心ある人たちも多いけどね……。でも、こういうのは数じゃないからね。という訳で、今君の周りでは、君の一挙手一投足に注目が集まっているんだよ。注目と言うより……目をギラギラさせて見張ってるというか……。今は君の隙につけ入るために、周辺情報の収集を競い合ってるって段階だね。メイドさんや衛兵達の中に、その意を受けた者もかなり混ざっているだろう。いわばそんな彼らの目の前で……」 目の前で、おれは夜も夜中に、パジャマ姿で城の中を走り、コンラッドの部屋へ行ったんだ。 自分のバカさ加減に、情けなくなってくる。 襲ってきた気分のままに肩を落とすおれを見て、村田は「分かってくれたね」と優しく言った。 「彼らは君の『女性』の部分に意識を奪われている。君が男として育ってきて、男の意識で生きているということを、都合良く頭から追い払っているんだ。そんなフィルターの掛かった彼らの目を通せば、ウェラー卿の部屋へ夜中に夜着で訪れたり、『婚約者』とはいえ、異性であるフォンビーレフェルト卿と同衾する君が、まあ、奔放というか、貞節という意識に些か欠けているというか、分かりやすく言えば『ふしだら』な『女性』に見えてしまう訳だね。これまで君を『まだ子供』と呼んでいたことすら、忘れちゃってる訳だよ。そうなれば……少々乱暴な手を使ってでも、君の我がものにするのは案外容易いのじゃないかと、短絡的な思考に走る大馬鹿者が現れる可能性もないわけじゃない」 「………そんな………。あ、もしかして……だからヴォルフ、近頃……」 「今頃気づいたのか」 ヴォルフがわざとらしくため息をつく。 「そういう意味でお前を護るなら、寝所も共にした方がいいに決まっている。しかし、今のままではお前が、その、ふしだらだという悪評を下衆なヤツらに広められてしまう恐れがあるからな。だから離れることにした。……正式な婚約者だからこそ、寝所を共にしていたというのに。それを……皆、忌々しい事に……」 「これまでは、仲良しの子供同士が一緒に仲良くお休みしてる、という程度の認識しかされてなかったんだよね、フォンビーレフェルト卿」 あっさりしたその言葉にぐっと詰まったヴォルフが、憎々し気に村田を睨んだ。 「ウェラー卿は君を女扱いした訳じゃない。君を『御しやすい女』だと思いかねない連中から護ろうとしたんだ。バカげた悪評に晒されたり、心身共に傷つけられたりすることからね。だからウェラー卿は君を部屋に入れなかった。君は気づかなかったようだけど、ウェラー卿は君が部屋に入るまで、ちゃんと後を追って見届けていたんだよ。パジャマ姿なんて危ない格好の君を、1人でうろうろさせる訳にはいかないし、途中、どんな目が光っているか分からないからね。現在の所、君の部屋の扉を護るのはフォンヴォルテール卿とウェラー卿が厳選したメンバーだから部屋に入ってしまえば大丈夫だし」 そうだったんだ……。 この三日間、コンラッドにひどい態度をとってきた自分が、ホントにホントに情けなくて、もううんざりするほど嫌になる……。 「もしウェラー卿が君を部屋に入れていたら、彼らは歓び勇んで自分勝手な計画を押し進めていただろう。それにはね、渋谷、君に関してだけじゃない。ウェラー卿を追い落とす、というものもあるはずだ」 「え!?」 「前にも言っただろう? ウェラー卿の存在は、君を狙う者達にとって最大の障害なんだよ。さすがにフォンビーレフェルト卿を陥れるのは難しいけれど、バックを支える一族もなく、混血というハンデを抱えるウェラー卿なら、側近の地位を奪うことができる。彼らがそう考えることは間違いないね。恐れ多くも、魔王陛下を己の寝所に引き入れ、無礼無体を働き、陛下の名誉を失墜させようとする許し難い男である、とか何とかってね」 「それって違うだろうっ!」 思わず叫んだ。 「コンラッドはひとりぼっちじゃないぞ! ツェリ様だって、グウェンだって、ヴォルフだって、ギュンターだって、それからそれから……味方はいっぱいいるんだ! もちろんおれも! それに今頃混血がどうのこうのって……! 大体! 無礼で許し難いっていったら、そいつらの方じゃないかっ!?」 だからさ、渋谷。 村田が笑う。 「だから言ってるじゃないか、おバカな連中だって。能力もなく、努力もしようとしないで権力を握ろうと考える時点からもう馬鹿なんだよ。自分勝手な価値観の上に自分勝手な理屈を捏ね上げて、妄想と野心を勘違いして、挙げ句に迷惑至極な言動で周囲に毒を振りまく。もう救いようがないね」 「……おれの……」 「ん?」 「おれの国に……そんな連中がいる、のか……?」 渋谷。村田が諭すような口調でおれを呼ぶ。 「言ったよ、数は多くないって。でもいる。けどね、渋谷、この手の連中が滅びることはないんだ。どの世界、どの時代にも、必ずこの手合いはいる。眞魔国にもカヴァルゲートにもカロリアにも永田町にもホワイトハウスにもクレムリンにもいるさ。誰も彼も立派だったら、政治や官僚の腐敗なんて起きないよ。そうだろ? 問題は、対処を間違えない事。幸い君は裸の王様じゃない。きっちり対応できるから、安心してくれ。ね?」 すこし迷ったけど、でも村田の言う事は確かだと思う。 「……うん。分かった……」 「よかった。じゃあ、本来のテーマに話を戻そう」 「……え?」 ぽかんとするおれの顔がおかしかったおか、村田が小さく吹き出した。 「僕達はウェラー卿の命を君に救ってもらいたくて話をしてるんだよ?」 「……あ……」 「昨日も兄上と3人で話をしていたら」 ヴォルフがげっそりという顔で言った。 「お前の名が出たとたん、いきなり瞳が虚ろになったかと思うと」 『……ユーリに嫌われたのに……どうして俺の心臓はまだ動いてるんだろう……』 『こんな心臓、止まらないなら止めてしまおう……』 『俺が死んだ後は、ユーリを頼む……』 「とかいきなり言い出す始末だ。兄上と二人で、励ましても怒鳴っても喉を締め上げても瞳に光が戻ってこないのだから話にならん!」 「目を離すなと、俺も閣下方に言われまして、昨日は隊長と一緒にいたんですけどね」 立っていたヨザックも話に加わってきた。 「中庭を歩いてる時、急に立ち止まって妙にぼーっと塔を見つめてると思ったら」 『……あそこから飛んだら、きっと気持が良いだろうな……』 「なんて言い出すんですよー。思わず羽交い締めにして、引きずってきちゃったんですけど、抵抗もしやがらないんです。くたーっとなっちまって。完璧、背骨が抜けてますよ、あいつ」 「そのくせ」今度はクラリスだ。「陛下のお姿が視界に入った途端、いきなりしゃっきり背筋を伸ばして、何も気にしてませんという顔になるのです。もう何度殴り飛ばしてやろうと思ったことか」 「………お、おれ………」 「ウェラー卿が本当に嫌いになったのかい? 渋谷」 村田の問いかけに、おれは思いっきり頭を左右に振った。 「ならねーよ! なるわけないだろっ! コンラッドを嫌いになんて、絶対ならないよ!! あれは…勢いで……。ホント言ったら、もう怒ってもいなかったんだ。きっとおれの知らない所で、色々あるんだろうなって、そう思って、いたんだけど……。でも……素直に、なれ、なくて……!」 湧き上がってくるものに、喉がひくひくとなって、目が熱くなって、うまく喋れない。 「…おっ、おれっ、コンラッドの、とこ、行ってくる! んで、謝って、ちゃんと、嫌いになんかなってないって、ちゃんと……」 がたがたと椅子を鳴らして立ち上がろうとするおれの腕を、隣に座っていたグウェンが押さえるように掴んだ。思わず見上げたけれど、視界はもうたぷたぷに溢れた涙でぼやけて、グウェンの表情は分からない。 「落ち着け。泣きながら練兵場まで走る気か。執務室で待っていろ。すぐコンラートを呼んでくるから」 「…で、でもっ、急がないとコ、コンラッド……死んじゃ、死んじゃう、かも……っ」 それを思うと、居ても立ってもいられない……! 「大丈夫ですよー、坊っちゃん…陛下。俺がすぐ引きずってきますから」 おれの二の腕を両側からポンポンと軽く叩いて、ヨザックが言った。その時だった。 ヴォルフがやれやれとため息をついたんだ。 「全く人騒がせな……。これ以上意地を張られたら、どうしようかと思ったぞ。あんな手紙もくるし、このままでは……」 「ヴォルフラム!!」 「フォンビーレフェルト卿!」 グウェンと村田が同時に叫んだ。いや、怒鳴りつけた。ヴォルフがビクンッと飛び上がり、ハッと口を押える。 瞬間、沈黙がその場を覆う。 「………てがみ…? あんな、手紙、って……?」 グウェンが渋面を深める。村田が「あちゃあ」と額を押さえる。 「……何か、あるのか?」 まだおれが教えてもらってないこと。 「ちゃんと……ちゃんと言ってくれよ。おれ、何も知らないままでいるの、もうイヤだよ。知らないで、また誰かを傷つけたりしたくない。……ちゃんとおれにも全部教えてくれ。村田! グウェン! ヴォルフも!」 村田がふう、と息をついた。額に当てていた手を外し、顔を上げておれを、いやおれを通り越して背後に視線を向ける。 「ヨザック、とにかくウェラー卿を呼んできて。急いでね」 了解しました! ヨザックが一声上げて駆けて行く。それから村田はようやくおれに顔を向けた。 「ごめん、渋谷。でも隠しておくつもりじゃなかったんだ。とにかく君とウェラー卿の仲がこのままだと、話しても逆効果になりそうでね。きちんと解決したら話すつもりだったんだよ。そうだね……もういいよね」 村田が、グウェン、それからその対面に座るヴォルフと頷きあう。 「ただね、渋谷。まだはっきりしたことは分からないんだ。だから落ち着いて聞いてくれ。……フォンヴォルテール卿」 村田に促され、グウェンが頷いておれに顔を向ける。 「先日、ヒスクライフ殿の書簡が届いた。赤鳩特急便でな。……大シマロンを倒した反乱軍、現在、新生共和軍を名乗る者達の指導部が、ヒスクライフ殿にある事を依頼してきたというのだ」 「……反乱軍……って、前にコンラッドがいた、ところ、か……?」 いた、というよりも、コンラッド自身が組織した軍隊だ。その通りだと、グウェンが頷く。 ……その人達が、ヒスクライフさんに何を? でもって、どうしてそれを眞魔国にしらせてくるんだ? よっぽど変な顔をしていたのか、おれを見ていたグウェンがゴホン、と咳払いをした。 「彼らはヒスクライフ殿にこう頼んできたそうだ。大シマロンを倒し、新国家を樹立するにあたって、我々も新しい外交のあり方について考えて行かなくてはならない。特に魔族と友好が叶うものか、ぜひ調査したいと考えている。できれば、魔族がどのような存在なのか、その真の姿を直接我々の目で確かめたい。しかし自分達はいまだ眞魔国にとっては敵国人であり、入国が難しい。ついては、魔族と深い関わりを持つ貴殿のお力で、眞魔国入国の便宜を計ってもらいないだろうか、と」 「そうなんだ!」 目の前がぱあっと明るくなったような気がする。だってそれって、コンラッドが命懸けで頑張った成果でもあるんだから! そうやって、魔族と人間とが理解し合えれば……。 「だったらさ! すぐにヒスクライフさんに連絡して、その人達が入国できるように……」 「そいつらの目的は外交などではない!」 おれの弾んだ胸と声を引っ叩くように、ヴォルフが声を荒げた。 「……え? でも……」 何でも疑うのはよくないぞ。そう言おうと口を開きかけた時、「新生共和軍はね」と、村田が冷静な声で言葉を継いだ。 「今崖っぷちにいるはずなんだ。ウェラー卿が去って以来、少しづつ指導部の結束が緩み始めてね。……もともと、大シマロンに滅ぼされた国の王族だの貴族だの将軍だのが中心になって出来た組織だ。大シマロンが滅んだならば、かつて王だった者はすぐにも国を復興させたいと思い、貴族や将軍だった者は新たな国の王になりたいと願う。そして、自らの勢力を強めて、より実りのある豊かな土地を、他の誰より先んじて、誰より多く我がものにしたいと考える。そんな欲を抱いてしまうのは、まあ人の性ってものだろうけど……。大シマロンが滅んだ、といっても『ほぼ』滅んだ、という段階に過ぎないというのに、反乱軍指導部では今、対シマロン戦争よりも内輪の方で、言ってみれば派閥争いが激しくなっているんだよ。そのためにウェラー卿が立てた大義の旗の下に集まった心ある戦士達は、多くが離反し始めている。戦力は弱体化し、小シマロンの暗躍は激しくなり、新国家を樹立する前に組織そのものが瓦解しかねない状態なんだ。とてもじゃないけど、外交を考える余裕なんてないはずなんだよ」 「………村田……。でも……だったら、どうして……」 「他に目的があるんだろうね。ヒスクライフさんを騙すような真似までして、眞魔国にやって来ずにはいられないような。……ヒスクライフさんは彼らの目的が」 村田がおれの目をまっすぐ見て言った。 「ウェラー卿をシマロンに連れ戻すことではないかと考えている」 胃に、鋭い何かがものすごい勢いで突き刺さった。忘れていた吐き気が一気に蘇る。 「……むら、た、は……」 「うん」 「どう……考えて、いるんだ……?」 「ヒスクライフさんの考える通りだと思う。……今彼らが何より必要としているのは、強力な指導力だ。箍が弛んだ指導部を纏め上げ、弱体化した戦力を元に戻し、大シマロンを完璧にこの世から消し去り、小シマロンの干渉を排除し、新しい独立国家を樹立する。そのために彼らが、ウェラー卿にもう一度自分達の指揮をとってもらいたいと考えてもおかしくはないね」 立ち上がり、後ろを振り返った。 誰もこない。まだ。コンラッドはこない。 早く。行かなきゃ。 「渋谷?」 「ユーリ、どうした?」 「……行かなきゃ……。コンラッド、止めなきゃ……」 ああ、どうしてだろ、胸がむかむかする。頭も痛い。がんがんする。誰か叩いてるんじゃないのかな。 椅子を押し退けて、歩く。早く行かなきゃ。 コンラッドが、誰かに奪われる前に。 「渋谷、待って!」 「ユーリ!」 誰かが、おれの腕を掴んだ。それを振り払おうとして払えなくて、おれは必死で腕を振りまくった。 「ユーリ!」 いきなり。胸のむかつきが、一気に喉にせり上がってきた。 思わず地面にへたり込み、土に爪を立てる。 胃から喉に無理矢理逆流してきた何かは、おれの喉を焼きながら口の中に溢れた。咳き込みながらそれを吐き出す。苦い黄色い胃液が、土に溜って染み込んでいく。 「ユーリ! しっかりしろ!」 気持が悪い。気分が悪い。頭ががんがんする。コンラッドがまたおれから離れていく。 どうしようどうしようどうしよう。 顔を上げたその視界に、遠くから走ってくる姿が見えた。まだ小さいシルエット。 どんなに遠くても、でも、絶対間違えることのない、大好きな人のシルエット。 手を伸ばして。 目の前が真っ暗になった。 次に目を開けたら。 うす闇の中にコンラッドがいた。 ゆーり。 コンラッドの口が動いて、声がする。 でも変だな。声が耳じゃなく、頭の中に直接響いてくる感じ。 口の動きより、ほんのちょっと遅れて、頭に流れてくる「声」。 ああ、そうか。 夢、なんだ。おれ、いま、夢見てるんだ。 そういえば、コンラッドの姿も、どこかゆらゆらと頼りなく揺れてるような気がする。 こんらっど。 呼び返すおれの声も変だった。ぼあんぼあんと、音が不安定に揺らぐ。 ゆーり、つらくありませんか? みずをのみますか? 夢の中でもコンラッドは優しい。顔を心配そうに歪めて、おれをじっと見つめている。 ごめん、こんらっど、ごめんなさい。 目が覚めたら、ちゃんと謝るんだ。 コンラッド、おれのこと誰より心配してくれてたのに、おれってばあんなヒドいこと言って。傷つけて。 ちゃんと謝って、許してもらうんだ。だから今の内にしっかり練習しとこう……。 こんらっど。おれ、きらいっていったの、うそだから。ぜんぜんまるっきりうそだから。ほんとだよ? あ、いまのほんとはね、うそだっていうのがほんとだってことだから。つまり、わかりやすくいうと、あーえー……だからー……。 ゆーり。 ごめんなさい、こんらっど、おれ、ばかなこといって、ほんとにごめんなさい。 ゆーり、もういいんですよ。そんなこときにしなくていいから。ねつがたかいんです。もうはなすのはやめてねむってください。 ゆるしてくれる? こんらっど、おれ、ばかなこといったの、ゆるしてくれる? あなたはなにもわるくありません。わるいのはおれです。だからもう。 ちがうよ、こんらっど、おれがばかだから、こんらっどのこときずつけたんだ。おれ、ほんとに、ごめんなさい。ゆるしてくれる? もうだめ? おれのこと、もうきらい? ゆーり、そんなこと。おれがあなたをきらいになることなどありません。あなたはおれの、このよでいちばんたいせつなひとです。 言って貰えるだろうか。目が覚めて、同じことをコンラッドに告げても。 おれは、コンラッドに向かって腕を伸ばした。 だったら。だったらこんらっど。どこにもいかないで。おれをおいて、どこにもいったりしないで。おれのしらないだれがきても、おれをおいてけぼりにして、おれのしらないどこかにいったりしないで。もう。 もう、離れ離れは嫌だ! 絶対絶対イヤだ! そのこと明日目が覚めたら、ちゃんとコンラッドに言わなきゃ……! ゆーり! 夢の中で、その思いは言葉になったのか、それとも胸の中だけで響いただけなのか、おれにはもう分からない。ただ、夢の中のコンラッドは、その瞬間おれをぎゅっと抱き締めてくれた。 こんらっど、こんらっど。ずっとずっとこうしていて。 おれを抱き締めたまま、コンラッドが顔を近づけてきた。 そして、おれの頬、唇に掠めるか掠めないか、ぎりぎりのところに、柔らかな唇が押し当てられた。 あ、と思った瞬間、コンラッドの顔がふっと遠のいて、その目が辛そうに哀しそうにおれを見た。 こんらっど。そんなめ、しないでよ。 手をコンラッドの頬に当てる。 夢って、ホントに願望が表れるんだな。コンラッドがおれにこんな風にキスしてくれることなんてないし。でも、せっかく何でも叶う夢の中だってのに、キスされるのが唇ギリギリの場所にってトコが、たぶんおれが小心者だってことの証明なんだろな。 ゆーり。 こんらっど。 コンラッドの顔が、ふわ、とまた近づいてきた。今度も、コンラッドは顔をそっと傾けてる。今度の狙いは反対側の頬っぺただな。それが分かったからおれは。 コンラッドの唇が頬っぺたに触れそうな瞬間、くい、と首を捻った。 コンラッドの唇と、おれの唇が、掠めるように触れあう。 夢の中だからこそばっちりのタイミングで、おれたちの唇が一瞬だけ、確かに重なった。 でも次の瞬間、コンラッドはすごい勢いでおれから顔を離した。 目を瞠いて、ものすごく吃驚した顔で、まじまじとおれを見ている。 現実にはあまり目にしたことのない、どこか間抜けなコンラッドの表情に、おれは何だかとっても楽しくなってしまった。 やったー。だいせいこー。こんらっどとちゅーしちゃったー。らっきー。 えへへー。 うす闇の中で、びっくり眼のコンラッドが急激にぼやけ始めた。 おれの意識も、どこかに沈むように落ちていく。 こんないいトコで夢が終わっちゃうってのも、やっぱおれが小心者だからなのかなー。 まあ夢って大抵いいトコで終わるもんだけどさ。 そんなことをぼんやり考えながら、おれは抵抗することなく、ぬくぬくとした闇の中に沈んでいった。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい
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