恋・8


 少し短かめにカットした、金髪、というよりも、クリーム色の波打つ髪。
 切れ長の目に強く輝く藍色の瞳。
 陶器のように白くすべすべした雰囲気の、鋭角に整った美貌。
 クールビューティーって言葉があるけど。
 それって、この人のためにある表現だと、おれはしみじみ思ってしまった。

 ハインツホッファー・クラリスという女性護衛官の着任と、彼女を隊長とする女性親衛隊発足の発表は、概ね好意的に受け入れられたらしい。
 クラリスがコンラッドの部下であること、それから何より混血であることで、またぞろ嘴を突っ込んできたのが少しばかりいたらしいけど、「クラリスの腕っぷしと性格を知る者がみな、彼女ならと納得してしまった」(ヨザック談)ので、その声もすぐに立ち消えたそうだ。ただ、代わりにというんだろうか、貴族達がこぞって自分の家の縁者だの私兵だのの中から、腕が立つという女性を続々と推薦してきたそうだ。我も我もと押し掛けてくる貴族達に、グウェンとギュンターは一時とんでもない状態になったらしい。

「いくら腕が立っても、陛下をお護りするより、陛下周辺の情報収集を目的とするような、貴族のひも付き護衛官など絶対に入れる訳にはいきませんしね」

 そう言ったのは、グウェン達からついに人選の責任者役を押し付けられてしまったコンラッドだ。

「身分も地位も必要ありません。陛下をお護りするために、信頼のおける者を集めてみせます」
 コンラッドが選んでくれる人達だから、おれも信頼する。そう言ったら、コンラッドがすごく嬉しそうに笑ってくれたので、おれも嬉しかった。……まあ、女の人の集団に囲まれて歩く日が、一日でも先に延びることを心の隅で望んでいることは言えないけど……。
 とにかく。

 紹介された日の翌日から、ハインツホッファー・クラリスはコンラッドと並んでおれの側に仕えることとなった。
 そして数日後。
「……うわー。すっごく似合うよ、クラリスさん!」
「陛下、先日も申し上げましたが、何とぞクラリスとお呼び捨て下さい」
「あ、ごめんごめん、つい癖で」
 やたらと耳なれた言い訳をして、おれは真正面に立つ護衛官をため息と共に見上げた。
 目の前に立つクラリスは、それまで着ていた王都警備隊の地味なカーキ色の軍服から、華やかなバラ色というか、赤ワイン色の軍服に変わっていた。
 襟元から覗くスカーフは絹、かな? レースで縁取られた柔らかな光沢の布が、いかにも女性の物らしい優雅な感じがする、ような気がする。襟を押さえる細い銀の鎖が光を弾いているのも、なかなか綺麗だ。
「魔王陛下を直接護衛する部隊だからな」
 自慢たらたらふんぞり返るのはヴォルフだ。親衛隊の軍服の色や形をどうするか、ヴォルフが請け負って決定したらしい。芸術家ならではの感性で整えたのだと自慢する相変わらずの様子からは、先日の思いつめた雰囲気は感じられない。ちょっと……ホッとした。
「やはり一目で分かって、女性兵士の憧れとなるような軍服がふさわしいと思ってな。どうだ、華やかでありながら軽薄なところが少しもなく、わずかに押えた紅色が実に上品だろう? この紅の集団を従えれば、お前の黒もさらに一層引き立つというものだ!」
 ………いや、別に引き立ちたいとは思わないけど。
「……このような派手な色を身につけたことなど1度もありません……。私などには似合わないと思うのですが……」
「そんなことないってばー。ホントに似合う。すっごく綺麗だしカッコ良いよ!」
 少し困った様に眉を下げていたクラリスが、おれの言葉にちょっとだけ嬉しそうに唇の端を上げた。
 いつもほとんど無表情というか無愛想(なんて女の人に言ったら失礼かな?)なので、そのわずかな変化がとっても鮮やかな感じがする。

「クールビューティーって、クラリスみたいな人にぴったりだよね?」
 コンラッドにそう言ったら、なるほど確かにと頷いた。
 クラリスはお兄さんを戦争でなくしてから、一念発起して軍に入ったそうだ。軍に入りたいと、最初に相談を受けたのはコンラッドで、お兄さんの縁もあってコンラッドが推薦人というか保証人になったそうだ。そして全くの平兵士から始めて、やがてめきめき頭角を現し士官にまでなった。
「そこらの男など太刀打ちできないほど腕は立ちますし、リーダーシップもあります。一見冷たそうに見えますが、部下、特に女性兵士の信望はかなり篤いですね。ファンも多いんです。彼女なら陛下をお護りする部隊を安心して任せることができます」
 陛下もどうか、彼女を信頼してやって下さい。
 コンラッドに爽やか笑顔を向けられて、おれは「うん!」と元気に頷いた。
 元気に。
 コンラッドが安心する様に。
 でも……。
 実を言えば、おれは毎日少しづつ少しづつ、胃に錘りがぶら下がって、それが日々数を増やしているような不快な感覚に悩まされていた。……近頃お腹が空いてもご飯を食べても胃がキリキリ痛む。心配かけたくないから、なるべく平気な顔してるけど。

 おれの側には、コンラッド、それからヴォルフやギュンター、時にはヨザックと、誰かしら必ずいる。本当は彼らだけじゃなく、おれが動く時は必ず影供というか、護衛の兵隊さん達が何人も目立たないように距離をおいて、おれを護ってくれていることも知っている。おれがこの世界で1人になることはまずない。そこに1人、クラリスという人が増えた。ただそれだけなのに。
 クラリスはいい人だと思う。すごく真面目な人だとも思うし。
 美人だけど、あんまり女性らしさを前面に出す人じゃないからその点もすごく楽だ。お喋りもあまりしないし、いつも静かに部屋の隅に控えている。
 コンラッドのことをすごく尊敬していたお兄さんの影響と、長いこと部下だったこともあって、クラリスもヨザックと同じ様にコンラッドのことを「隊長」と呼んでいる。そしていつもコンラッドを立てて、出しゃばることもしない。
 だから何も気にせず、いつも通りにしていてちっとも構わないと思うのに。
 朝のロードワーク。午後のキャッチボール。
 クラリスも加わることになり、朝は一緒に走っている。最初はペースを落とした方がいいのかな、と思ったけど、終わってみると息を切らしているのはおれだけで、コンラッドはいつも通り、クラリスも全く平然としていたのはちょっとショックだった。
「軍の訓練は、女性だからといって甘やかしてはくれないんですよ」
 コンラッドがおれを慰めてくれた。
「クラリスは兵学校を首席で卒業しているんです」
 コンラッドの声は、ちょっと自慢そうだった。
 キャッチボールは近くで見ているだけだ。一度「やってみる?」と誘ってみたけど、断られた。でも野球のルールを教えて欲しいと頼みに来たと、後からコンラッドに教えてもらった。
「陛下のお好きなことだから、と言ってました」
 コンラッドが笑って言った。
「陛下にお仕えするために、一生懸命なんです」
 そうだね、とおれは頷いた。嬉しいよ、と。
 午後のお茶。日によってはメイドさんが淹れてくれることもあるけれど、おれの分はほとんどコンラッドが用意してくれる。お茶の濃さ、落とすジャムの量。おれの好みは全部コンラッドが分かってる。
 それをコンラッドはクラリスにも教えた。クラリスは即座にそれを覚えてしまって、それ以来3回に1回はクラリスがおれのお茶を淹れてくれる。最初から文句のつけようのない出来栄だった。

 そしておれはどんどんどんどん、クラリスの存在が苦して堪らなくなってくる。

 クラリスが悪いんじゃない。彼女はとっても優秀で、あまり喋らないから性格が全部分かる訳じゃないけど、でも良い人なんだってことはちゃんと分かる。
 ………クラリスが悪いんじゃない。

 これはおれの勝手な感情だ。

 何も変わらないと思っていたのに。
 おれの身体の中に、ちょっと余分なものがあったってだけで、おれも皆も、何一つ変わることはないと、そう思っていたのに。
 コンラッドだってそう言ったのに。
 それでも否応無しに変わっていく、変えられていくものがある。
 クラリスは、あの紅の軍服は、まるでその象徴の様にそこにあって、おれにプレッシャーを掛け続ける。
 これからも、まだまだ変わっていくと。変わらずにはおれないのだと。おれがどんなに今のままでと願っても、大地に爪を立てて変化を押し止めたいと祈っても、そんなものは無力だと。
 彼女の存在が、おれにそう告げているような気がする。
 それが苦しい。

 そしてもっと切実に、おれを追い詰めるものもある。

 クラリスが側にいて。
 おれとコンラッドを包んでいた空気が、削り取られていくような気がする。
 おれとコンラッドの二人だけの間で交わされていた呼吸に、別のものが入り込んできたような気がする。

 クラリスが1歩おれに近づくと、コンラッドが1歩おれから遠ざかるような気がする。
 側に入ることに変わりはないのに。

 ……ああ、胃が痛い……。

 その日。午前のギュンターの授業が終わって、待っていたヴォルフも加えて3人で執務室に向かった。
 コンラッドは王都警備の仕事で午前中いっぱい別行動だ。クラリスも何か用事があるらしく、朝から顔を見ていなかった。
 そして執務室の扉が開かれ、中に入った瞬間。
「………なに、してるの……?」
 部屋の大部分を占める会議用の机の傍で、コンラッドとクラリスが肩を寄せあう様にして机の上を覗き込んでいた。
「ああ、お帰りなさい、陛下。お勉強、お疲れ様でした」
 机の上に手をついて何かを見ていたコンラッドが、にこっと笑いながら上半身を起こした。その笑顔には何の屈託もない。そしてクラリスも、すぐに姿勢を正して「お帰りなさいませ」と軽く頭を下げた。
 部屋の中を進んで、ちらっと会議テーブルを見たら、何か地図のようなものと書類が乱雑に並んでいた。
「今度新たに友好を求めてきた人間の国の代表団が、数カ国、かなり纏まって入国してくるでしょう? その警護と王都の警備体制について、ちょっと相談してたんです」
 おれの視線の向く先を確認したんだろう、コンラッドが説明してくれた。
「……ああ、そういえば、クラリスは部隊長を務めてたんだっけ……?」
 はい、とクラリスが頷く。
「彼女の後を継いだ者が、いまだに相談に来るんですよ。今回の警備は久し振りに外交が絡んだ大きなものですし、俺が仕事を任せている者もかなり緊張感が高いようで」
 コンラッドが苦笑を浮かべる隣で、クラリスが地図や書類を片付けている。
「……では隊長、これはこの計画案通りにということでよろしいですね」
「ああ、そうだな。今の内にそれを渡しておいてくれるか? それから港のあの件は、第2案をもう少し詰めて具体的配置と人員を、そうだな、明日中には見せてほしいと彼に伝えておいてくれ」
「分かりました。……陛下、今しばらくお時間を頂きますが、よろしいでしょうか」
「うん、もちろん。こっちは大丈夫だから」
 おれの全く分からない話を終えた二人が頷き合い、おれに一礼してクラリスが部屋を出ていく。
「……コンラッド」
 はい、陛下。言いながらコンラッドがおれに視線を向ける。
 ………何を言いたくて呼び掛けたのか分からない。
「……あのさ」
「はい?」
 コンラッドがいつもの笑顔を浮かべたまま、おれの傍に歩み寄ってくる。
「………クラリスって、すごく有能っていうか……そうなんだろ?」
「ええ、そうですね。あの通り愛想はないですが、仕事はできる人物です」
「私もそう思います。なかなか目配り気配りのしっかりした者ですね。動きにも無駄がありませんし。腕が立つという評判も確かなものでしょう」
 書類の整理をしながら、ギュンターが口を挟んだ。
「何せ、『寄らば斬るぞのハインツホッファー』だからね」
 楽しそうにコンラッドが言う。
「……何? それ」
 すごく物騒な言葉を聞いたような気がするけど。
「邪な感情を抱く者や、脛に傷持つ者が近づくと、問答無用で叩き伏せられる、という評判があるんですよ。クラリスも混血である上に女性ということもあって、階級が進むに連れてそれを妬んだ連中からの妙なちょっかいがあったんです。ある時、集団でリンチを加えられそうになって……」
「おっ、女の人なのに……っ!?」
 女性に対してのそれは、単にリンチってだけじゃなく、もっとひどいものだったのかもしれない……。
 思わずその光景が頭に浮かんだおれは、背筋がゾッと……。
「クラリスはその連中を、1人残らず、軍人としてはもちろん、男としてもほとんど再起不能なまでに叩きのめしてしまいました」
 ………背筋がゾッと。
「いわゆる良家の子息というのが数人加わっていましたので、そちらの圧力から軍事法定に掛けられるところまでいったのですが……。クラリスもいつの間に調べていたのか、逆にその男達のそれまでの悪行を、有無を言わさぬ確かな証拠と共に白日の下に晒してしまいまして」
 …………。
「法定で裁かれたのはクラリスではなくその男達となり、結果、いわゆる良家は面目失墜、社会的地位を失うこととなりました。そのおかげで、彼らの悪行に耐えていた下級兵士、特に女性兵士達からクラリスは拍手喝采を受けることになったのです。以来、悪心を抱いて彼女に近づく者は皆、彼女の間合いに入った瞬間容赦なく斬り伏せられるということで、ついた二つ名が」
「……寄らば斬るぞのハインツホッファー……」
 そういうことです。コンラッドが笑う。
「腕が立つだけではなく、頭脳もかなりの出来だということだな」
 ヴォルフも感心した様に言った。
「僕もその騒ぎは聞いたことがある。あれはクラリスのことだったのか」
「……コンラッドは」
 おれの呼び掛けに、コンラッドが「はい」と答える。
「クラリスとは……長い付き合い、なんだよね……?」
 そうですね、とコンラッドはちょっとだけ宙に視線を向けた。
「彼女の兄から妹の話はさんざん聞かされていましたから、知っているというだけならかなり長いですね。そいつにとっては本当に自慢の妹で、酔うと話が止まらないんですよ。その縁もあって俺が兵学校の推薦人になったのですが……実際にクラリスという人物と接する様になったのは、彼女が王都警備隊に配属されてからですから、それほど長いわけではないですね。彼女の性格や考え方を熟知している訳でもありませんし」
「でも……信頼してるんだよね?」
 おれの護衛を任せられると思う程に。
「ええ、そうですね」
 頷くコンラッドに、おれの胸がまた波立つ。
 おれが知っているのは、コンラッドのこれまでの人生のほんのわずかに過ぎない。
 そしておれの知らないコンラッドを知っている人は、この世界にたくさんいる。
 そしてここにも……おれの知らない日々を通して、コンラッドの信頼を得た人がいる。
 それを言葉以上に実感するのがこんなに辛いとは、これまで本当に知らなかった。

 おれは子供で。本当に子供で。
 おれみたいなガキには、コンラッドは素のままの自分を曝け出したりはしてくれないだろうと、それが分かってしまうのが辛い。

 ………クラリスは。

 おれなんか足元にも及ばない程、コンラッドという男を知っているんだろう。
 知って、そしてどう思ってるんだろうか。

 もしかして。もしかしたら。
 それを想像するのが怖い……。



「……ねえ、クラリス?」
 は、と答えて、クラリスが机の前に立つ。

 それから数日後のことだ。
 悶々と悩んでいるのはおれらしくない!
 と。
 自分で自分に発破を掛けて、おれは、一つ覚悟を決めてクラリスと向かい合うことにした。

 クラリスがコンラッドの事をどう思っているのか知りたい。

 それを知って、もしかしたらおれにとって最悪の結果を呼んだとして、だからどうなるということはない。おれの中の痛みがひどくなるだけだ。
 でも、知りたい。
 クラリスがもしもコンラッドに、恋、してるとしたら、おれにはとても勝ち目がない。
 だけど……。
 例え今よりもっと泥沼に沈むような思いをすることになっても、出口の見えない絡み合った迷路の中に、一つでいいから結論が欲しい。
 だから。本人に聞くことにした。

「……クラリスは、さ」
「はい、陛下」
「コンラッドと長い付き合いなんだよね?」
 コンラッドにしたのと同じ、ただ相手が違うだけのおれの質問に、クラリスが小さく首を傾げた。……ああ、本当に美人だなー。
 美人で、腕が立って、頭も良くて、皆の信望も篤くて。
 おれとクラリスを比べたら、おれが「王様」だってこと以外、クラリスの上を行くものが何にもない。
「何を基準にして長い、と呼ぶかは分かりませんが……。それなりの時間は経っております」
「あ、あのさ……クラリスみたいな人にとって、コンラッドって、その、どうなのかな?」
「どう、と申されますと……」
「あ、ほ、ほら、コンラッドってすっごくモテるって聞いてるんだけどさ。実際どうなのかなー? って思ってさ。クラリスとか、長年の部下の目から見たらどうなんだろ? やっぱ素敵だって思う?」
 いかにもお気楽な雰囲気、みたいなのを作って首を傾けてみる。
 そうしながら、おれは結局やっぱり後悔していた。
 ここでクラリスが頬を赤らめたり、照れくさ気に視線をずらしたりしたら、おれはこれからどうしたらいいんだろう?
 ああ、おれってどこまでへなちょこなんだろう。
 もしもクラリスがポッと頬を染めて、照れくさそうに口を開いて、それから……。

「いいえ、全く、爪の先ほども」

 …………………。

「………はい?」

「私も隊長が女性に人気があるという話は聞いております。しかし私は、常々不思議でなりませんでした」」

「…………ふ、ふしぎ……?」
 はい、と平然とした顔でクラリスが頷く。

「こんな貧弱な体格の男のどこがいいのだろう、と」

 ………い、今、それこそ理解不能な言葉が聞こえたような………。

「そもそも武人として線が細すぎます。これで眞魔国3本の指に入る剣豪というのですから、私はむしろ我が国の人材の層の薄さに不安を感じます。このか細さは内面の弱さの現れという気も致しております。とにかく、実力を持った武人であれば、もっと逞しい肉体を持っていなくては」

 クラリスの声に、だんだん力が籠ってきた。

「強靱な精神は、必ずその姿形に現れるものと思います。武人としてのみならず、人としての懐の深さも器の大きさも、鍛え上げた堂々たる体躯の持ち主にこそ遥かに備わるものであると私は考えております」

 何か……予想もしなかった展開……。
「……あ、あの、じゃあギュンターなんて……」
「論外かと」
 ぐは。
「あ……だったら、グウェンは……」
「まだまだ」
「まだなの!? グウェンでもまだダメなのっ!?」
「隊長に比べると体格はかなりよろしいですが、少々洗練され過ぎています。ご身分を考えると仕方がないのかもしれませんし、兵士達には隊長とはまた別の意味で絶大な信頼を得ておられますが、私の目から見ますと、いかにも上流貴族的な洗練の度合いが男としての魅力を削ぎ、影を薄くしているように感じます」
「……か、影が、薄い……?」
 初めて聞いたぞ、そんな批評!
「あ、あー……じゃあ、さ、えっと……そうだ! ヨザックは!?」
「グリエ殿ですか?」
 そうそう! と頷く。
「体格的にはなかなかよろしいですが……私の好みからしますと……。私の心を掴まえようと伸ばした腕が今100歩のところで宙を掻いた挙げ句、そのまま地面に倒れ伏してしまってるといいますか……」
「す、すみません……意味が分かりません……」
「爽やかだの穏やかだの洗練だの、男の魅力には無用です。男性は、やはり巌のように堂々たる体躯を誇り、泥臭いまでの男臭さを発散させていなければ」
 筋肉隆々の大男好き? 体臭フェチ? 雪男とかイエティとかキングコングとか……。

「……私の兄が……そういう人でしたので……」

 あ、と、おれはいつの間にか半分腰を浮かせた不自然な体勢のまま、クラリスの顔を見た。
 クラリスは無表情なりに、どことなく照れくさそうだ。

「……そっかー」
 ぽとんと椅子に腰を下ろす。
 コホ、とクラリスが小さく咳払いをした。やっぱり照れくさかったらしい。
 亡くなったお兄さんが好きだったんだな、と思うと、これまで表情の見えなかったクラリスという人に、何ともほのぼのとして感情が湧いてくる。……おれって現金なやつ。
 とにかく。
「あ……じゃあ、コンラッドのことは……」
「隊長につきましては」
 クラリスが表情を改めて話の続きを始めた。
「指揮官としては文句のつけようがないかと思います。部下は皆、私も含めて隊長に全幅の信頼を寄せております。ですが男としては……話になりません」
 …………え。
「苦労を苦労と思っていないと言いたげな、あの笑顔が実にうさんくさいと思います。暗い過去を背負っているなら背負っているで、目もと口もと髪の生え際あたりに、哀愁なり影なり漂わせていればまだ可愛げがあるものを、誰に対しても満遍なく人当たりが良く、紳士的で、優しく穏やか爽やかというのは、逆に嫌味としかいえません。その分腹の中に何を隠しているのかと疑いたくなります。さぞかしどろどろ黒々としているのではないかと私などは愚考致しておりますが。よって陛下のご質問に対する結論と致しまして」
 クラリスは真面目な顔をまっすぐおれに向けて言った。
「あまりにも私の趣味と程遠いため、隊長の男性的魅力という点につきまして、これ以上の論評は差し控えさせて頂きます」

 …………………………。

 おれは。
 ぽかっと口を開いたまま、クラリスを見上げ、見つめ、それからー……。

 部屋の中を見渡した。

 現在、執務途中のお茶の時間で。

 だから今この場には。
 会議机の席について、羽ペンから落ちるインクが書類を汚していくのを気づいているのかいないのか、硬直してるグウェンがいて。
 おなじくグウェンの向いの席で、椅子の背もたれにぐったり背を預け、がくりと脱力したように仰け反るギュンターがいて。
 ソファーにはおれと同じ様にぱかっと口を開けて目を瞠くヴォルフがいて。
 その隣には、「ほほー」という表情で、妙に楽しそうな村田がいて。
 そして。
 おれの傍には、瞠いた瞳がどこか焦点が合ってなさそうな、呆然とした顔のコンラッドが、いる。

 だって。だってさ!
 思ったんだ!
 クラリスがコンラッドのことをどう思ってるかなんて、二人きりの時に聞くのはヘンだろ!?
 いかにも何かさ、こう、秘めた下心があるような感じがするだろ!?
 皆が揃ってる時、コンラッドの目の前でさ、「クラリスの目から見たコンラッドって、どんな感じ? やっぱカッコ良いって思う?」なんて聞けば、いかにも今ちょっと思いついちゃいましたっていう、少年の無邪気な質問って感じになるじゃん!
 おれとしては、そういう演出を凝らしてみたかったっていうかさっ。
 もし辛い答えが返ってきても、皆がいればおれも「え? そうなの? わー、やっぱモテるじゃーん、コンラッドさんってばー」なんて態度もできたりするんじゃないかって健気に思ったりー。
 だから……。
 今、この場で実行してみたりしたんだ、けれど……。

「………クラリス……」
 ゾンビが呻いてるみたいな声がする。
「はい、隊長」
 何か? と、クラリスが平然とした顔でコンラッドに顔を向けた。
「……………お前が俺を、その、どう評価しようとお前の勝手なんだが………」
 コンラッドが、はあ、とどこかぐったり息を吐いた。
「そういう言葉は、本人の前でするものではないと思うが……?」
「私を見くびらないで頂きたいのですが、隊長」
「………え……?」

「私は本人のいない場で、その人物の悪口をこそこそと言い立てるような卑怯卑劣な真似は致しません!」

 悪口は本人の前で、胸を張って堂々と!

「…………悪口言ってる自覚はあるんだ………」
 思わず呟くおれの隣で、コンラッドががっくりと肩を落とした。

「いやぁ、すばらしいよ!」

 ………出たな、ダイケンジャー。

「クラリス、君がこんなにおもしろ……崇高な精神の持ち主とは思わなかったよ!」

 今、言い換えただろ。全然違う言葉に言い換えただろ!

「さすが君が信頼して渋谷の護衛を任せるだけはあるよ、ウェラー卿。君は本当に人を見る目があるね!」
 コンラッドの側に歩み寄り、ぽんとその二の腕を叩く。……コンラッドがぐらりと揺れた。
 そんなコンラッドをさっくり見放して、村田はにこやかにクラリスに向かって行った。
「君の態度は本当に立派だよ、クラリス。僕も君のような人になら、安心して渋谷…陛下を任せることができるよ。これからもその調子で陛下を護り、僕を楽しませてもらいたいな!」
「猊下のお褒めにあずかり、恐悦至極に存じます」
 クラリスがぴしっと敬礼する。

 おれの傍では、いつの間にかやってきたヴォルフが、壁に手をついてがっくり項垂れるコンラッドの背をぽんぽんと叩いて慰めるという、滅多に見られないシーンが展開されていた。

 おれをこれまで追い詰めていた何とも言えない不安や恐怖の、かなりの部分が今この瞬間、問答無用に粉砕されてしまったような気がする。
 それはそれで、とってもよかったと思うんだけどー……。

 おれは今、各方面に対して、「ごめんなさいっごめんなさいっ」と謝り倒してまわりたい衝動と懸命に戦っていた……。



 その夜。
 突発的食欲不振に陥った数名には申し訳なかったけれど、おれは久し振りに美味しい夕食を味わうことができた。
 我ながら本当に現金だと思うけど、でもクラリスの気持を聞いて、胃にぶら下がっていて錘りが幾つか飛んで消え去ったような気分になっていたんだ。
 ………まあそりゃ、クラリスの言葉の内容は……アレだったけど、さ。
 でも、コンラッドと知り合った女性が、100人が100人、皆コンラッドに恋をするわけじゃない、ということに気づいた事も、変な話だけど、おれをホッとさせていた。
 それぞれがたくさんの人達とそれぞれに関わり合って、その中で色んな考え方が生まれる。趣味も嗜好も、一つの事に対する見方も意見も、それぞれがそれぞれの形を持っている。
 そんな当たり前の事を再確認してみると、おれはもしかしたらここしばらく視野がかなり狭くなっていたんじゃないかってことにも気づいた。
 ホントにバカだな、おれ。
 そう思うと、いきなり目の前がふわっと明るくなったような気がして、それもおれの気分を上向かせてくれたんだと思う。

「美味しいですか?」
 声に顔を上げると、おれの隣に座るコンラッドの優しい、でもちょっと力のない眼差しと視線が合った。
「うん! とっても美味しいよ」
「そうですか。よかったです。……近頃食欲が優れないご様子でしたので、気になっていました。ときどき胃の辺りを押えておいででしたでしょう? ギーゼラとも相談して、消化の良いものや柔らかいメニューを出す様にさせたのですが……」
「そうだったんだ……。ごめん、心配掛けて」
 隠してたつもりだったけど、やっぱりコンラッド相手に隠せるはずもないよな。
「色々と騒がしくなってるしね。渋谷もストレスが溜って胃にきたとしても仕方がないよね」
 村田が、鳥肉とトマトのワイン煮込み風料理を美味しそうに飲み込んでから言った。
「でも今夜は渋谷より、君の方が食欲なさそうだよね、ウェラー卿」
 コンラッドが、「はあ」とか「いえ」とか曖昧に呟く。
「コンラッド!」
 おれは思わずコンラッドに呼び掛けた。はい、とコンラッドがおれの方を向く。
「おれはコンラッドが、真っ黒でどろどろで嫌味でうさん臭いなんて、全っ然、これっぽっちも思ってないからなっ! 髪の生え際に哀愁が漂うコンラッドなんて見たくないし。それにさ! そもそもキングコングと比べる方が間違ってるよなっ。それじゃ、コンラッドが貧弱に見えても仕方ないし!」
 コンラッドの手から、フォークとナイフが音を立てて皿に落ちた。
「渋谷、誰もウェラー卿をキングコングと比べたりしてないよ」
 あれ?
「……私など、論外の一言で片付けられました……」
 色々言われるより、ある意味衝撃的です……と、ギュンターがか細い声で訴えれば、グウェンも。
「洗練されすぎて影が薄いなど……よもや女性兵士達の間でそのような評価が下されていたなど……」
 低音美声の力もどこか弱い。……グウェンの影が薄いなんて言ってるの、たぶんクラリス1人だけじゃないかと思うんだけどなー。
 ぐったり力のない3人に、面白そうな顔をしているのは村田1人だけだ。おれと、最初からクラリスの評価の対象外だったヴォルフは、顔を見合わせると同時に深々とため息をついた……。



 そうだ、京都、じゃなく、コンラッドの部屋に行こう!

 思いついたのは、その夜、ベッドに入ってからだった。
 近頃イロイロあって、コンラッドと二人きりでじっくり話す時間が取れないし、コンラッドの部屋にも長いこと行ってない。ないと言えば、ヴォルフもこのところ一緒のベッドに寝てない。
 いびきと寝相に悩まされないのはいいんだけど、やたらと広々とした部屋でやたらと静かなのは、正直言ってちょっと怖い。……ベッドの中でも煩くて、安眠にはかなり邪魔っけなヴォルフの存在も、実はそれなりに役に立ってたことに気づきはしたけどー……とにかく。
 久し振りに暖めたミルクでも飲みながら、コンラッドとゆっくり話がしたい。そう思った。
 そう言えば、前はよくお泊りさせてもらった。添い寝というより、二人きりだけど雑魚寝という感じで一つベッドに転がって、コンラッドが昔旅してた時に見た色んな国の話とか、アメリカでの思い出話を聞かせてもらうのは楽しかった。
 今も……雑魚寝になるかな? なるよな? 変わったのはおれの気持だけで、外から見たら何も変わってないんだし。いつも通りにしてたら、今夜もコンラッドのベッドで一緒に………。
「たはーっ!」
 ドキドキする!
 今考えたら、あの時はコンラッドと一緒のベッドの中で、よく平気でぐーすか寝てられたよなー。
 今は……二人分の体温で暖まったシーツの感触とか、薄いパジャマを通して感じるコンラッドの胸の温もりとか、匂いとか……想像するとじっとしてられないくらい身体が熱くなってくる。………おれだって、お年頃だし!
 恋した相手だからって、恥ずかしがってもじもじしてたらいつまでも進展しないし!
 名付け子で、被保護者で、王様っていう、誰も真似出来ない立場と特権をフルに生かして、誰も手に入れることのできない場所を独り占めしよう。

 おれはパジャマの上にガウンを羽織って、すぐさま部屋を飛び出し、「ウェラー卿の部屋に行くから!」と一声上げると、衛兵さん達の返事を待たずに走り出した。

「………ユーリ」
「えへへ、おばんですー」
 扉を開いたコンラッドが、驚いた様に目を瞠いている。そんなびっくりしなくてもいいのにさ。
「久し振りに話がしたいと思って。近頃あんまり二人で話してないし。……いい?」
 ダメと言われるはずもないから、おれは尋ねながら足を1歩、部屋に踏み入れようとして。
 ふいに肩を優しく押さえる様に掴まれ、動きを封じられてしまった。
「……コンラッド?」
 見上げた先にあるのは、コンラッドのどこか困ったような、苦笑してるみたいな微笑み。
「もうお休みになられた方がよろしいでしょう。お部屋までお供します」
「………?」
 首を傾げたまま身動き出来ないおれに、コンラッドはますます困った様だった。
「……あ」
 思いついて、ちょっとだけ慌ててしまう。
「もしかして、今忙しかった?」
「……いいえ、そうでは……」
「だったら……あ……」ハッと気づいて、おれは部屋の中に目を凝らした。「誰か……部屋にいるの?」
「いいえ、1人です」
「………コンラッド、もう寝るとこだった……?」
 コンラッドの就寝時間としては、ちょっと早過ぎるような気がするけど……。
「そうではないのです、ユーリ……」
 おれは、最後に思いついたことに、胃がぎゅっと絞られるみたいな痛みを感じた。
「おれ……ここに来るの、迷惑、だった……? おれ、邪魔……?」
「いいえ!」コンラッドの声に力が籠る。「そういうことではありません、ユーリ」
「じゃあ……どうして。どうして部屋に入れてくれないの? おれ……コンラッドと久し振りにゆっくり話がしたいだけ……」

「このような時間に、このようなお姿で……俺のような男の部屋を訪れたりなさってはいけません」

 ………なに、それ。

「意味、分かんない、よ……」

 ユーリ。どこか苦し気な声で、コンラッドがおれの名を口にする。

「……ユーリ……。あなたは……女性でもあるのです。そのことをどうか自覚なさって下さい。このようにして俺の部屋においでになったりしては、あなたの名誉に傷がつきます」

「……………何だよ、それ……」

 身体が震えた。
 ごんごんと音を立てながら、おれの身体の奥から熱い何かが噴き上がってくる。

「何なんだよ、それって……。訳、分かんないよ。だって……コンラッド、言ったじゃん。おれに、はっきり言ったじゃん。内臓レベルのことなんか気にするなって……。何も変わらないって……変える必要もないって……。おれに、そう言った、じゃん……?」
 ユーリ。本当に苦しそうにコンラッドがおれの名前を口から押し出す。
「……俺の考えが浅かったのです。どうか……お許し下さい。あなたが両性だということが分かったということで、まさかこれほどまでに………いえ、申し訳ありません、ユーリ、どうか……」
「分かんないよっ!」
 そっと差し伸べられた手を思いきり払って、おれは叫んだ。

「大丈夫だって言ったのに! おれはおれのままでいいって、いつも通りでいいって、そう言ったのに! コンラッドの……コンラッドの……」

 嘘つき!!

 そう叫んだ瞬間、コンラッドの顔が今まで見たことがないほど辛そうに歪んだ。
 そしてそれを見たおれの頭に浮かんだのは、何故かもっとコンラッドを苦しめたいという、訳の分からない衝動だった。

 だから。叫んだ。

「コンラッドなんか、大っ嫌いだっ!!」

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……ここで終わるか〜…? という気がしてます。ごめんなさい(汗)。
クラリスの男性評につきましては、アレはもうほとんどノリで書いたものでして、深い意味はありませんので、さらりと流して下さいませ。

同性結婚も普通の国なら、結婚前の女性が男性の部屋に行くだけでなく、男性が男性の部屋に泊りに行くのも本当はまずいんじゃないかな、とも思ったり。
いくら「婚約者」とはいえ、ユーリとヴォルフが一緒のベッドで寝てて、何も問題視されてないのもどうかな? とか思ったり(……確かギュンターは怒ってましたね。コンラッドは「雑魚寝くらいで…」と気楽に構えてましたが)。
その辺の意識はどうなってるんだろう、と考えたら、何だかよく分からなくなってきました。
……まあ、その辺りは次回に(汗)。

相変わらずの状況ですが、ご感想、お待ち致しております。(3月20日)