恋・4


 眞魔国と地球世界を行き来するおれの生活は、これといった異常事態を迎えることもなく、平和に過ぎていった。
 ちょっと気になることといえば、日本で過ごす時間が少しづつ短くなっていき、逆に眞魔国で過ごす時間が長くなっているような気がすること、だろうか。
 村田に聞いてみたら、「君の中のスタンスの問題」と言われてしまった。……良く分からないけど。
 まあそれはそれとして、生活していれば、平和と言いつつも色んなことが起こる。
 眞魔国でも日本でもそれなりに。
 何を考えてんだか、他校の男子に告白されたりとか。
 おれみたいな平凡っていうか、これといって特徴のない野球小僧に、一体何を思ってあんなことを言ってきたんだろう? ちょっと話してみたら、結構真面目ないいヤツだったから、からかってるんじゃないことは分かるんだけど。……でもやっぱりヘンなヤツだよな?
 後、結構大事件だったのは、学校の予餞会で白雪姫を演じていたら、いきなりコンラッドが体育館に現れたことだ。あれには吃驚した! 村田が1枚噛んでたらしいけど、あいつったら教えてくれないんだもんな。絶対おれを驚かそうと画策してた違いないんだ。まったくもう。
 そしてコンラッドとは、その後一緒に都内のホテルで泊った。ホントに思いもかけない初体験(…あ、もちろんただ一緒に過ごしたってだけだけどー…)だった。……あれはドキドキしたなー。二人して東京の夜景を眺めたりしてさ。驚きはその後も続いて、次の日の朝、目を覚ましたら、なぜかコンラッドのベッドの中だった。おれが目を覚ました時はもうコンラッドはシャワーを浴びに行ってて、ベッドの中にはおれ1人だったんだけど、後から聞いたら、おれが夜中にベッドから転げ落ちたので、1人で寝かせておいたら危ないと思って、コンラッドが自分のベッドの中に入れてくれたんだそうだ。……コンラッドが一緒だったから、頭の中が眞魔国仕様になってて、無意識に魔王部屋のあの超でかベッドと勘違いして転がったのかな? ホテルのベッドだって、そんなに狭くなかったはずなのに。
 ………それにしても。
 どうしてコンラッドがまだ眠ってる間に目を覚まさなかったんだ、おれっ!?
 そしたら一つベッドの中、コンラッドの胸に顔を埋めて眠ってる自分を発見して………うぎゃーっ! 恥ずかしーっ! コ、コンラッドの腕の中で目を覚ます、なんて……っ! ダメだ。じっとなんてしてられない。きっと暴れてしまう。………で、でも、経験……してみたいっ。ホテルのベッドで、だだだだ……抱き、合って………うひゃあっ。
 だってそれって魔王の部屋のベッドでヴォルフや、以前ならグレタも一緒になって、雑魚寝してるのと全然意味が違うモンなっ。
 ああっ、考えれば考えるほど、もったいないことをしたーっ!

 …………落ち着こう、おれ。

 まあそんなこんなで、日本ではコンラッドとおれの家族との交流があったりして、おれとしてはかなり満足してる。……勝利の態度は問題ありだったけどな。それはそれとして、コンラッドが天ぷらを美味しいって言ってくれたのも嬉しかったし。
 でもって、眞魔国ではどうかというと。
 今回はもう1年近くこちらで過ごしているので、それなりに色々ある。
 一番の出来事は何といっても「ウェラー卿の大冒険」の作者さんと偶然出会ったことだ。
 まさかああいう人とは思わなかった。おれは思わずサインと握手をお願いしちゃったんだけど、コンラッドは……妙な雰囲気に振り返ったらヨザックに羽交い締めにされていた。アレに関しては、コンラッドもちょっと微妙な心境だってのは分かってるんだけど。でも何をしようとしてたんだろう……?
 アーダルベルトが指揮してる道路の普請工事の視察というか、その近くで開催されるお祭りを見に行ったというか、まあその……なんだけど、とにかく新しい出会いがあってかなり楽しかった。

 で。

 一番肝心の、コンラッドとのコトがどうなっているかというとー……。

 実は何の変化もなかったりする。

 村田はアタックあるのみ! なんて言ってたけど、実際問題アタックってどうすりゃいいんだよ。
 告白だってできないってのに。

 普通、片思いの相手にアプローチするっていったら……。

 なるべく視界に入るようにがんばるとか。
 なるべく関心を持ってもらえるようにがんばるとか。
 なるべく会話ができるようにがんばるとか。
 なるべく同じ時間を過ごせるようにがんばるとか。

 ……全部、がんばらなくてもできてるしっ!

 コンラッドは毎日、ほとんど一日中おれの側にいてくれるし、おれを見てくれてるし、おれといっぱい話してくれるし、とにかく色んな形でおれと過ごしてくれてる。
 一緒じゃないのは、ギュンターの授業や十貴族会議の時とか、風呂に入ってる時とか、寝る時とか……。
 そう考えると、おれってコンラッドの時間のほとんど全部を独占してるんだな。
 コンラッドは、自分1人の時間がもっと欲しいとかって思わないかな……。思う時もあるよな、きっと。
 おれの面倒ばっかりみてるのが、うんざりすると思ったり………。
 あ、ダメだ。
 またネガティブになってる。……近頃時々こうなっちゃうんだよな。いかんいかん。
 はい、深呼吸。

 おれは、すーはーと呼吸を繰り返し、それから窓の外に視線を向けた。

 西の空がほんのり紅色だ。今日も一日が終わろうとしてる。
 もちろん城の一日に終りなんてなくて、窓の下にはたくさんの人─兵隊さんやメイドさん、それから色んな部署で働いている人達が行き来している。でもおれの一日は、夕食と入浴を除けばもう終りだ。
 今日は朝から謁見と書類のサイン書きと会議がずっと続いて、キャッチボールもできなかったからちょっと運動不足気味だ。
 おれはうんっと背伸びして、それから振り上げた右腕で想像上のボール─野球のボールよりかなり大きめのやつを。
「アターック!!」
 した。
 こんな風に、コンラッドにぶつかっていけたら……。

「……アタック、というと、何か攻撃目標でも?」

「…っ、えっ、ええっ!?」
 思わず飛び上がって振り返ると、コンラッドがニコニコ笑って立っていた。
「コっ、コンラッドッ!? いつからそこに……?」
「今来たばかりです。……申し訳ありません、一応ノックしたのですが……」
「あ、ああ、そうなんだっ。ご、ごめん、考えごとしてて気づかなくて……」
 いいえ、とコンラッドはまた柔らかく笑った。
「そろそろ夕食の時間だとお知らせにきたのですが。……ところで何を攻撃されていたのですか?」
「攻撃っていうかー……。えっと、知ってるかな、バレーボール。サーブ、レシーブ、トス、でもってアタック!」
 しばらく考えて、それから「ああ」とコンラッドが頷いた。
「Volleyballですね。ユーリはVolleyballもなさるのでしたっけ?」
 ………どうして一部分だけ完璧なイングリッシュなんでしょーか。
「……あー…いや、そーでもないんだけど。……まあ、体育の授業で……。じゃなくて、ちょっと、その、思い出したもんだから」
 そうですか、とコンラッドはおれの隣に並んだ。
「日本ではVolleyballも盛んなんですか?」
「うん、そうだね。昔は世界一強かったらしいけど、今はオリンピックに出場するのがやっとって感じかなあ。ほら、日本人の体格って、やっぱり世界的には華奢な部類に入るだろ? 昔は技術でカバーしてたらしいけど、今はそれもキツいみたいでさ。まあ近頃かなり体格も良くなってきて、力も上がってきてるらしいんだけどね。……えーと、だからその……」
 何をバレーボール談義してんだ、おれは。
 そうじゃないだろーっ!

「…コ、コンラッド…ッ」
 はい? と、おれを覗き込むように、コンラッドが軽く首を傾けて答える。
「………あの、さ」
 笑みを湛えたまま、無言でおれの言葉を待つコンラッド。
「えっと……コンラッドは、その……ずっとおれの側に居てくれるだろ?」
「ええ、もちろん」コンラッドが力強く頷く。「陛下が俺をいらないと仰せになるまではずっと」
「おれがコンラッドのこと、いらなくなるワケないだろっ!?」
 てゆーか、陛下って呼ぶな!
 もう今日の仕事は終わったんだし、と言うと、コンラッドがにっこりと、どこか嬉しそうに笑う。
「そうでしたね、すみません、ユーリ。……でも、どうなさったんです? 急にそんなことを言い出されるなんて……」
「いや……あのさ……考えてみたら、おれ、コンラッドの時間をずーっと独占してるみたいな気がして。夜だって、せっかくコンラッドが休んでるのに、おれったらしょっちゅう部屋に押し掛けてるしさ。その……コンラッドだって、もっと自分の時間っていうか、自分のやりたいことをやれる自由な時間が欲しいって思ったりしないかなー、とか……その、ちょっと考えちゃって。……あ、もしたまにはお休みが欲しいって思ったら、遠慮しないで言ってほし……」
「ユーリ」
 結局、前向きにアタックどころかネガティブな方向で話を進めてしまった情けなさに、だんだん俯き加減で話してたおれは、いきなり耳に響いた低い声と、おれの二の腕を掴んだコンラッドの指の強さにびっくりして、思わず視線を跳ね上げた。
 怖いくらい厳しい目が、おれを見つめていた。
 眉がグウェンみたいに顰められて、いつも優しく笑う唇も、どこか厳しく引き締められている。
 二の腕が左右共にぎゅっと握られて痛い。
 おれは、おれのみっともない下心が見破られたんじゃないかと、根拠のない恐怖と罪悪感に囚われて、思わず腰を引いて逃げの態勢に入ってしまった。

「……ユーリ。何か……あったのですか!?」

 え? と顔を上げる。コンラッドの表情に、どこか切羽詰まったものを感じるのは気のせいだろうか。
「突然そのようなことを……。誰かに何か言われたとか? それとも……ユーリ、俺は……何かユーリの不興を買うような真似をしてしまったでしょうか?」
「……? ふきょう……って」
「俺をお側から遠ざけたいとお思いなのですか……?」
「なっ、何、それっ!?」
 思わず叫ぶ。
 すぐ目の前のコンラッドの顔は、でも厳しい瞳のまま、おれの目の奥を探っている。
「ちっ、違うっ。違うよ、コンラッド、全然違う! そんなつもりひとっつもないよ! そうじゃなくて!」
 そうじゃなくて。繰り返して、おれはまた目を伏せた。
「……コンラッドが側にいてくれるのが、おれはホントに嬉しいんだ。でも……おれ、ちっとも成長しないし、へなちょこのままだし、だからコンラッドも……おれなんかの世話をするのにうんざりしてるんじゃないかな……とか。もしそうだったらどうしよう、とか……」
 ふう、と、長く深いため息がコンラッドの口から漏れて、おれはちょっとびっくりしてその顔を見上げた。コンラッドがそんなため息をつくなんて、あまりないことだし……。
……あれ? コンラッドもちょっと……ナーバスになってる……?
「ユーリ」
 コンラッドが、ちょっとだけ閉じた瞳を開いておれをみた。そしていきなり腰を落としたかと思うと床に片膝をつき、あれほど強くおれの二の腕を掴んでいた両手で、今度はおれの両手首を優しく包み込むようにそっと握った。
 コンラッドがおれを見上げる。
「…こ、こんらっど……?」
「ユーリ」また名前を呼ばれた。「成長しないどころか、あなたは日一日と王としての自覚を深めておいでになられる。ユーリ、いえ、陛下」
「コンラッド! それ……」
 いいえ、と優しく、でもはっきりとおれの言葉を遮って、コンラッドが握ったおれの手をゆっくりと撫でた。
「俺は、あなたが俺の主であることを心から誇りに思っています。あなたに仕えることのできる自分の人生を、心底誇りに思っています。……陛下」
 おれを見上げるコンラッドの笑みが柔らかく深くなった。
「先ほど陛下は、俺が自分のやりたいことをできずにいるのではないかとご心配下さいました。それにお答えします。陛下、俺が唯一最大望むことは、あなたのお側にいることです。あなたにお仕えしている時間こそが、俺の最も充実した、心満たされる時なのです。……大シマロンで過ごしたあの日々」
 そう言うと、コンラッドはおれの手に自分の額を押し当てた。……コンラッドの顔が見えなくなる。
「……あなたを傷つけることしかできない自分が、俺には疎ましくて堪らなかった……。あなたの傍にいられないことがどれだけ自分を壊すのか、おれはあの日々で痛感しました。俺が笑えるのは、あなたがいて、あなたが笑うその場所でだけ。あなたの光が満たすその世界でだけ。だから俺はあの国で、どんどん自分をなくしていった……。陛下。……あなたから離れてしまったら、俺はもう俺ではなくなるのです」
 コンラッドがそっと顔を上げて、握ったままのおれの指にそっと口づけた。……身体が震える。
「お側にいさせて下さい。あなたの笑顔を見ていられるだけで、おれの心は休まります。休暇など必要ありません。お願いします、陛下。どうかもう2度とそのような……」
「ウェラー卿に休暇を出す!」
 コンラッドが目を大きく瞠いて、絶句した。
「も一回陛下って呼んだら、何言っても絶対休暇を出して、城から叩き出してやるからな!」
 まじまじとコンラッドがおれを見ている。
 おれはと言えば、わざとらしく頬を膨らませ、怒ってるんだぞ、と睨み付ける。
 コンラッドがぷっと吹き出した。
「はい、すみません、ユーリ」
 笑いを含んだ声で答えて、コンラッドがおれを見上げる。
 おれはコンラッドの手首を逆に握り返すと、ぐっと力を込めた。
「立ってよ、コンラッド。そんな風にされるの、おれ、やだからな!」
 はい、とコンラッドが立ち上がる。意識しないまま手を握りあって、おれ達はお互いの目の中に自分がいることを確めあった。
「……でも、どうしたんですか、ユーリ。いきなりそのようなことを仰るから、俺は本当に焦ってしまいましたよ?」
 コンラッドの苦笑混じりの問いかけに、おれは曖昧な笑いで答えた。

 ………おれは、醜い。

 告白なんかできない。今の心地よい位置から踏み出す勇気もない。
 でも、知りたくて。いつもいつでも確かめていたくて。

 手探りでコンラッドの心を確かめる。
 いっそ、保護者としてでも名付け親としてでも臣下としてでもいい。
 コンラッドの1番はおれだって。
 その口から言って欲しいと願ってしまう。

 今もそうだ。きっと……そうだ。
 コンラッドのその言葉が欲しいというだけで、突然妙なことを口走ったりして。
 それでコンラッドが困ったり、焦ったり、不安に思ったりすることも構わずに。
 保護者としてなら、名付け親としてなら、臣下としてなら、コンラッドは必ずおれの望む言葉をくれると確信しているから……。

 おれはバカでバカでバカで……醜い。
 こんなんじゃ、いつまで経ってもコンラッドにふさわしくなんてなれない。

 ごめん。ごめんな、コンラッド。

 ………自己嫌悪だ。


 気分が悪いと、身体の調子まで悪くなる。
 そう言ったら、テーブルの真向かいでお茶を飲んでた村田がふと眉を顰めた。
 コンラッドを困らせてしまった翌日、おれは眞王廟のテラスで、村田と向かい合ってお茶を飲んでいた。
 村田がお茶のカップをソーサーに戻した。カチャリ、と陶器の触れ合う音がする。
「それが自己嫌悪に陥るようなことかい? 片思いなら、脳内ぐるぐるするのは当然だし、優しい言葉が欲しいと思うのも当たり前のコトじゃないか」
「……みっともねーよ……」
「渋谷。みっともいい恋なんて、今どきテレビドラマの中ですら存在しなくなってるんだよ? 現実ならなおさらさ。まして片思いなんてものは、古今東西身分の上下に関わらず、皆が皆、それはもうみっともなく足掻くものと相場は決まっているんだしね」
「………それってお前の経験か?」
 かもね、と村田が笑った。
「そんなことより」村田の表情がいきなり厳しくなった。「身体の調子が悪いって言ったよね? どんな感じなんだい?」
 また余計なことを口走ってしまったと、おれは心の中で盛大に眉を顰めた。
「そんな宰相殿のような顔をしないで」
 ……実際やってたらしい。
「渋谷……」
「大したことじゃないんだ!」
 おれに言葉を遮られ、今度は村田がぎゅっと眉を潜める。
「ちょっと……食欲がない、みたいな気がしたりとか、お腹の辺が……何となく、とか。あ、でも痛いとか、そんなコトは全然なくて。……だるいかなー? みたいな……。でもホントに……」
「君は医者じゃない」
 君に正確な診断も判断もできるはずがない。
 村田がきっぱりと言い放つ。こういう時のこいつは、本当に容赦がない、よな。
「ギーゼラと話をしよう。……近い内にちゃんと診てもらうんだよ」
 分かったと小さく答える。
 仕方がないと思うものの、親友の村田にまですっかり子供扱いされてる状況に、ちょっと拗ねた気分に陥ってしまった。近頃ほんとにネガティブっていうか、神経質? になってる気がする。
 何となく視線を外した俺の耳に、その時、「そろそろか」と呟く村田の声がした。え? と村田の顔を見直してみたけれど、お茶を啜る親友の表情には何も変化はない。それ以上、言葉を続けようともしない。
 ……何が「そろそろ」……?。



「……という訳でな。当初予定していた道筋のままに工事を進めるのが難しくなっちまったのさ。かといって、変更するとなるとかなりの大回りとなる。工事期間も長くなるし、予算も食い込むし、その後の計画にも影響する」
 さて、どうする?
 ちょっと意地悪っぽく笑いながら、アーダルベルトがおれを見下ろした。

 おれの執務室。
 話題は国中に張り巡らされる予定の道路についてだ。
 経済の発展と共にヒトとモノの移動が激増してると聞いたのは少し前のことだった。交通量が増えれば事故が増えるのも当然のことで、眞魔国内の交通事故は昔に比べて数倍増となってしまった。なのでおれは、馬車や馬を使う人専用の、言ってみれば高速道路と、歩行者専用の道路を分けることを提案してみた。これが意外とすんなり通って、最初は王都周辺から、そしてそれを地方に少しづつ広げていって、最終的には国内の道路全てを整備点検改修してしまうこととなったのだ。ついでと言ったら何だけど、道路工事をするのに合わせて下水道の基礎工事も同時に進めて行きたいと思ってる。王都や都市部はかなり形になりつつあるけれど、地方はまだまだ取り残されてる部分も多いし。地域格差は是正しないとな!
 国家の基盤となる重大な施策(グウェン談)であり、かなりの長期計画になるということもあって、責任者は相当しっかりした人物でないと、と、当初これがかなり問題になった。国家プロジェクトのトップになるのは名誉だし、色んな意味での旨味もあるのはこちらも地球も同じらしく、十貴族を中心に、自薦他薦の候補者が押し寄せたりもした。でも、これはおれがアーダルベルトを指名して解決とした。

 フォングランツ卿アーダルベルト。
 あの戦争で国を出奔し、一時期紛れもない敵としておれ達の前に立ちはだかったこともある。有り体に言えば、殺されそうになったこともある。それがこの年月の間、何度か道が交差するように出会いを重ね、その度におれ達の間にある何かが変化していき、そして。
 魔族を憎み、魔力を捨て、人間の世界で生きて、そのくせ人間など嫌いだと言っていたこの男が。
 ある時、ふいに眞魔国に帰ってきた。

『まあ、何だ。小僧を遠くから見守るつもりだったんだが、よく考えてみたら、遠くだろうが近くだろうが見守ることに違いはないし、だったら遠くより近い方がよく見えるってことに気づいてな』

 罰を与えるべきだと、ギュンター辺りは髪振り乱して怒っていた。下心や策謀があるのかもしれないとヴォルフははっきり口にしたし、グウェンも眉間の皺をかなり深くしていた。けれどおれは、アーダルベルトが嘘を言っておれを騙そうとしてるとか、内側に入り込んでおれの命を狙ってる、という様には考えなかった。理由は……ない。そう思っただけだ。
 アーダルベルトは、ただ本当に帰国しただけだ。そして帰国した以上は、十貴族の一員としてすべきことをしてくれるだろう。アーダルベルトが力を貸してくれれば、おれはイロイロと助かる。
 結局おれの言葉で、アーダルベルトの出奔その他は不問となった。甘い、んだろう。きっと。
 でもアーダルベルトの出奔はおれの知らない戦時中の話だし、事情も事情だし、新しい王の時代になれば、恩赦とか特赦とかってのが確か地球にもなかったっけ? まあ……そういう感じで。
 ちなみにコンラッドは……何も言わなかった。後で二人きりになった時に意見を聞いてみたら、コンラッドはただ小さく微笑んで、「陛下の思し召しの通りと存じます」と妙に堅苦しく答えた。
 よく分からない顔でいたんだろう、おれの顔を見て深めたコンラッドの微笑みが、どこかぎこちなくおれの目に映った。
『……俺には、アーダルベルトが危険であるとか、彼を罰するべきだとか主張する資格はありません』
 最初はどういう意味か分からなくて、目をぱちぱちさせるばっかりだった。でも、おれを静かに見下ろすコンラッドを見ていたら、やっとその意味が分かって。
『なっ、何バカなこと言ってんだよっ! 違うじゃんっ。コンラッドとアーダルベルトは、全然違う! コンラッドはおれのために……っ!』
『しかし俺のやったこともアーダルベルトと同じ……』
 違うっ!!
 違う違う違う違う違う……っ! おれは、何度も何度も繰り替えして、コンラッドの胸を両手でばしばし引っ叩いた。
 おれの張り手なんかじゃ微動だにしないコンラッドだけど、「ユーリ、ユーリ」と何度も困った様におれを呼んで、最後にはべそをかいてしまったおれを抱き締めてくれた。
『……ごめん、ユーリ。……泣かせるつもりじゃなかった』
『ち、ちがうんだから……。だからもう、そんなこと言ったらダメだ……』
『本当にごめ……申し訳ありませんでした。ユーリ、もう言いませんからどうか……』
『考えてもダメだ! …コンラッドは、この国とおれ達みんなのために大シマロンに潜入してくれたんだから……! アーダルベルトみたいに、国や魔族を嫌ったわけでも憎んだわけでもないだろ!? 違うだろ? な? 全然違うだろ!?』
 ええ、そうですね。抱き締めて、おれの後ろ頭を撫でながらコンラッドがそう囁く。
 ありがとう、ユーリ。
 コンラッドの声が優しく耳に流れ込んできて、おれは……。

 おれは……。
 コンラッドに抱き締められてたんだよな、あの時。

 ………………
 ………………
 …………………もっと堪能しとけばよかった……………。

 ………それは置いといて。

 アーダルベルトが無事にグランツに戻ってきて、特に期待していた訳じゃなかったけど、おれはフォングランツ御一同様からものすごく感謝されてしまった。どうやらグランツはアーダルベルトの出奔以来、十貴族といえどもかなり肩身の狭い思いをしていたらしい。以来、有形無形の感謝の気持を差し出されている。……おれのために新しい城を造るとか。
 城は断ったけど、代わりにアーダルベルトに道路建設の総司令官になってもらった。
 この仕事にグランツの当主の長男が任命されたことで、さらに面目が立ったフォングランツの一族は、またまたおれに大感謝だったらしい。

 そんな一族の気持を知ってか知らずか、アーダルベルトは着々と仕事を進めてくれている。
 で、今日は経過報告に来たんだけど。

 幹線道路の着工予定地で問題が起きてしまったのだ。
「周辺の村の、合同墓地があるってんだな。ほとんどがあの大戦で戦死した者を葬った墓ばかりなんだが、戦死者のための鎮魂碑もあって、ちょっとした慰霊の場になっている。周りの幾つかの村が金を出し合って造ったらしい。何せ、そこいらの村の若者の8割方が死んじまったってんだからな……。それでだ。道路普請の計画案を作ったヤツらが一体何をどう調査しやがったのか、その共同墓地をぶっ潰す形で図面が引かれちまってるのさ。確かに最短距離には違いないが、村の連中が受けた衝撃は大きい」
 おれの前に広げられた地図を指しながら説明するアーダルベルトは、おれの執務机に行儀悪くお尻を乗っけている。隣にいるギュンターがイライラと額に青筋を立てて睨み付けているが、おれが何も言わないので必死で堪えている、というところだ。
 部屋には他にグウェンとコンラッドとヴォルフという、いつも通りのメンバーが揃ってる。
「実は村の長老達が代表して俺に陳情にきてな。国のために必要なことは重々承知しているが、死者の眠りと人々の祈りを尊重して、何とか経路の変更を願えないか、ってことだ。どうする? 陛下?」
 アーダルベルトが「陛下」っていうと、どうも皮肉っぽい。実際、にやりと笑った顔はけっこー意地悪だし。でも、ま、それはそれとして、おれはとうに決めていた答えを口にした。
「図面を引き直してもらうよ。この道路は民のために造るんだから、そこで民を苦しめたり哀しませたりしたら、本末転倒もいいとこじゃないか。確かに予算や日程的な問題はあるけど、それは仕方がないと思う。……どうかな? グウェン。ギュンターも」
 確かに。とグウェンが頷いた。
「突発的な問題が起こり得ることは充分織り込み済みだ。予算的な問題は解決できるだろう。日程的にも、これが国にとって切羽詰まった問題という訳ではない。……迂回することによって起こる問題は?」
「遠回りになるってことだな。それ以外にはない。村の連中もそれは納得してる。墓と道路を天秤に掛けた上で、彼らは死者の眠りの方を選んだということだ。少々遠回りになっても、今より便利になることは間違いないから問題はないらしい」
「でしたら……さっそく調査と図面のやり直しを指示致しましょう。現場で働く者の日当などの問題もございます。早いに越したことはございません」
 なるほど、そういう問題もあるか。
「うん、ギュンター、じゃあ早速手配してくれる?」
 畏まりました、とギュンターが部屋を出て行った。
 扉が閉まり、ふっと空白という感じの間が執務室に漂った、と思った時、アーダルベルトが口を開いた。
「助かったぜ」
 皮肉じゃない顔で笑っている。
「鎮魂の場ってのは、潰すなんてのは言語道断だし、移動させればいいってモンでもない。長老達はもちろん、俺が目にした村の連中もかなり必死だったしな。……変更できてよかった」
 だから。
 おれはアーダルベルトをこの事業の総責任者にしたんだ。
 アーダルベルトは国を出奔して以来、人間の国を彷徨ってきた。そして色々な階層の人間達と関わりあってきた。その成果というのだろうか、おれが人間の国で最後に会った時、アーダルベルトはたくさんの人間達─自分達の国や社会からはみ出してしまった者達を集めてちょっとした村を作っていた。
 無宿人や無法者を纏め上げて、彼らから全幅の信頼を寄せられているアーダルベルトを知っているから、おれは彼がこの仕事にふさわしいと思った。
 多くの人が絡む仕事だから人間関係も複雑になるだろうし、利権がどうとかの不正も起こりやすいと聞いてる。それに実際の工事が始まれば、その土地の人々との様々な折衝も必要になってくる。重要政策だからといって、ただ適当に貴族の誰かをその任につけても、上手くやれるとは思わなかった。きっと問題は山の様に起こるし、色んな人の間に色んなしこりも産むと思った。だから最初、グウェン達も悩んだんだし。
 だからこそ、アーダルベルトならできると思った。
 荒くれ者や無法者にも慕われて、彼らを纏めていけるアーダルベルトなら、せこい不正なんてやらないだろうし(やるならもっとでっかい悪事だ)、どんな身分の人とも真正面から向き合って、その思いを汲み取ってくれるだろう。そう思った。
 それとー……。
 アーダルベルトには、工事現場の黄色いヘルメットやつるはしが似合いそう、とか思っちゃったんだ。
 もちろんアーダルベルトが現場でつるはしを振るうワケじゃないけどさ。……イメージで。
 総司令官っていうより……現場監督?
 これはコンラッドにだけ、こそっと教えた。ら、コンラッドもアメリカかどこかで見た工事現場が頭に浮かんだらしい、しばらく宙を見つめてから、ぷっと吹き出した。思わず二人して笑ってしまった。コレはおれ達だけの秘密だ。

「アーダルベルト」
 じゃあな、と部屋を出ようとしていたアーダルベルトが振り返る。
「今日のことで再確認したけど……おれ、ホントによかったと思ってるよ。アーダルベルトにこの仕事をしてもらえて」
 笑いかけたら、アーダルベルトはしばしまじまじとおれを見つめて、それから「ふん」と鼻を鳴らした。
「ま、期待を裏切らない様に励むとするさ。偉大なる魔王陛下の御ためにもな」
 くくっと笑って、アーダルベルトは部屋を出て行った。……どうもなー、コンラッドとは別の意味で、アーダルベルトにも「陛下」って呼ばれるのはちょっと遠慮したい気がするなー。


 それから書類と格闘して、会議をこなして、気がついたらコンラッドがいなかった。会議はコンラッドが参加出来ない十貴族会議だったから(それはそれでムカつくけど)仕方がないとして、おれはコンラッドを探してあちこちパタパタと走り回っていた。

「恋でもしてるんじゃねえのか?」

 いきなり耳に飛び込んできた言葉に、おれは走ってる格好のまま動きを止めた。
 今の声……アーダルベルト、だよな。そういや、十貴族会議にも出てなかったから、てっきり問題の現場に向かって出発したって思ってたのに。
 それにしても「恋」なんて、アーダルベルトには似合わないっていうか、なんていうか……。
 そろそろと声のした方に寄ってみる。声はおれがいる回廊の外、花と緑がいっぱいの中庭から聞こえてきたから〜……。大理石の柱とその側の立木の陰からそっと覗いてみる。
「………! コンラ……っ」
 慌てて口を塞いだ。
 アーダルベルトと一緒にいるのはコンラッドだった。アーダルベルトは噴水の縁に腰掛け、コンラッドは明後日の方向を向いて立っている。

 ………ちょっと待て。
 ちょっと待てちょっと待てちょっと待てーっ!!

 恋? 恋って、まさか……コンラッドが!?
 コンラッドが誰かに恋してるって言うのか、アーダルベルトーっ!?

 おれは柱にしがみつき、気づかれない様に身を乗り出しながら、耳をダンボにした。

「下世話な話はよせ」
 話し相手に視線を向けないまま、コンラッドが低い声で言う。……怒ってる、か?
「今日最初に見た時も思ったが」アーダルベルトの声の調子は変わらない。「前回会った時より格段に美麗度が増してるじゃねえか。さっき笑い掛けられた時には、さすがの俺も胸が高鳴ったぜ? 元々並外れた美形だったが、今はそれどころじゃねえ。いくら何でもこれほど急激に美しさが増すなんてのは、普通あり得ねえだろう? 下世話だろうが何だろうが恋してるって考えるのが当然じゃねえか。聞いたぜ? 誰も彼もが姦しく騒ぎ立てて、あれこれ噂してるそうじゃねえか。あのお方の恋のお相手は一体誰……」
「止めろと言っている!」
 下らない。コンラッドらしくなく吐き捨てる様に言う。
「下らなくねえだろう? 国にとっても重要な問題じゃねえか」
 そう言うと、アーダルベルトは突然くっくっく…と笑い出した。

「男の嫉妬は醜いぜ? コンラート」

 コンラッドがバッと勢い良くアーダルベルトの方を向いた。
 たぶん、睨み付けている。顔を見なくても分かる。背中の強ばりに、コンラッドの怒りを感じる。
 噴水の縁にのんびり腰掛けたまま、コンラッドを見上げるアーダルベルトの様子は、でも全く変わらない。

 …………嫉妬。……コンラッド、が……?

 近頃急激に美人になってきた? 誰だよ、一体。
 皆が騒いでる? ……どこの皆だよ、聞いてねーよ、おれ。
 どこかの美人が誰かを好きになって、でもってさらにキレイになって、で……コンラッドがその美人の恋の相手に嫉妬してる?

 何だよ、それっ。
 おれ、全然知らねーよっ。誰もそんなコト、おれに教えてくれてないしっ!
 誰だ、その美人! 一体、どこの誰……っ!

「とことんニブいんだから、もっとストレートに言ってくれないと困っちゃうよねー、渋谷?」

 うおおっ!
 ぐわっと身体を翻すと、すぐ隣で村田がおれと一緒になって回廊の柱から身を乗り出していた。と。
「……おわっ!?」
 おれと村田の背後で、ちょっと困ったような笑顔でギーゼラが立っていた。
「…っ、い、いつの間に……」
「あー、気づかれちゃった。………やあっ、フォングランツ卿、久し振りだね。珍しいね、君たち二人がお喋りしてるなんて。内緒話かい?」

 白々しく、村田が庭の二人に手を振っている。
 思わず柱の陰に身を隠すおれと真正面で見合うことになったギーゼラが、くすっと笑った。
 ……恥ずかしい……。顔が火照ってくるのが分かる。真っ赤なんだろうなー、今。

「……あんたか。そっちこそ珍しい取り合わせじゃねえか。軍曹殿も久しいな」
「ええ、本当に、アーダルベルト。あなたもお元気そうで何よりです」
「こちらにお出ででしたか、猊下。……陛下、ヴォルフやギュンターは一緒ではないのですか?」
 アーダルベルトをギーゼラに任せる格好で、コンラッドがおれ達に話しかけてきた。
 遠くで見ても感じたほどのピリピリした雰囲気は、もうコンラッドのどこからも感じられない。いつも通りの爽やかで穏やかなコンラッドだ……。
「……う、うん……会議室を出た時に何か言ってたみたいだけど……振り切ってきちゃったから……」
 やれやれという感じで、コンラッドがため息をつく。
「渋谷ぁ、例え城中でも1人になったりしちゃダメじゃないか。ねえ、ウェラー卿? すぐに僕達と合流したからよかったとは言えさ」
 ……すぐっていつだよ。てゆーか、これはおれを庇ってることになるのか?
 居心地悪気に身動ぐおれに、コンラッドが苦笑を浮かべた。
「陛下はいつも身軽に行動されるのがお好きですから、それをどうこう言おうとは……。俺が怒ってるのはヴォルフ達です。全く、陛下にあっさり振り切られてしまうとはそれでも武人なのかと……」
 情けなさそうに、はぁと息を吐く。
 本当にいつも通りのコンラッドだ。
 おれは。

 何だか泣きたくなってきた。
 おれに向かって、いつも通りに笑ってたコンラッドが、ホントはおれの知らないキレイな人を想ってるとか、心の中で誰かに嫉妬しているとか。
 全っ然気づかないまま、これまでの日々を何の変化もない日常だと思い込んできた自分が情けないっていうか、悔しいっていうか……!

「………!」
 いつの間にか話を終えていたギーゼラとアーダルベルトがおれを見ていた。コンラッドを見つめていたおれを。アーダルベルトの眉がきゅっと締って、何か言いたそうにしてる。……慌てて視線を逸らす。

「さてと。そろそろ行こうか」
 唐突に村田が言った。
「……?」
 分からない顔のおれに、村田がちょっと呆れた顔を見せる。
「もう忘れたのかい? 君の身体のことだよ。ギーゼラにもきちんと確認してもらおうと思ってね。それで幾つかの答えがはっきりする。渋谷、君にとっても。それから」
 村田が怪訝な表情のコンラッドに微笑み掛ける。

「君にとってもね、ウェラー卿。君をこのところ苛つかせていたかも知れない問題の答えを、これから出して上げるよ」    


→NEXT


プラウザよりお戻り下さい




アーダルベルト、初出演です。
マニメと原作の設定がごっちゃになっております。

それにしても我ながら展開がまだるっこしいと申しますか…。
さほど事件が起こるわけでもなく、ただ日常をじんわり追っかけていく、という状態になってしまってまして……。
先は長いと思いますが、のんびりおつき合い頂けますと嬉しいですー…。

ご感想、お待ち致しております。(2月15日)