恋・3


「おー、嬉しそうにニタニタしちゃってー。渋谷、顔、真っ赤だよ」
「どこがニタニタだっ!?」

 からかうように言われて、俺は思わず怒鳴り付けると、またまたシーツに突っ伏してしまった。
 村田はまだ笑ってる。

「……それで、と。これからのことだけど……」
「どうすればいいっ!? 村田!」
 反射的にガバリと跳ね上がって、俺はベッドから飛び出すように身を乗り出した。
「………まあ、落ち着いて。……とりあえず。ウェラー卿、かなり心配してたみたいだしね。君にはちょっと難しいかもしれないけど、明日顔を合わせた時に、彼を避けるような真似をしちゃダメだよ? 君は照れくさいだけだとしても、ウェラー卿は傷つくと思うしね。実際……今も結構傷ついてると思うなあ。君に遠ざけられたような気がしてるんじゃないかな? たぶん今頃扉の向こうで悶々としてるだろうねー」
「…そっ、そんなコト……」
「心配性のウェラー卿には悪いけど、今日のところは君はもう休んだということにして、彼には下がってもらおう。その代わり、明日からはしっかり気合いを入れて、いつも通りにしてること! ウェラー卿攻略作戦は、それからじっくり考える事にしよう」
「………村田、応援してくれるのか?」
 もちろん! と、質問される事こそ意外だという顔で村田が断言した。
「親友だろ?」
「お……おうっ!」

 ありがとな、村田。そう言うと、村田が「任せろ!」とウィンクする。……日本人のくせに、妙に上手いぞ。やっぱ4000年のキャリアって、こういうトコにも出るもんなのか?

 村田が応援してくれる。それだけで何だかホッとしてしまった。

 だがしかし。

 おれの気合いは空回りに終わってしまった。

 翌朝、結局そのまま眠ってしまったおれは、コンラッドがやって来る前に目を覚ますと、まだ薄暗い空を眺めながら頬っぺたをぺちぺち叩いて気合いを入れた。
 それから心も身体もすっきりさせて、笑顔でコンラッドと向き合おうと決め、着替えを抱えると魔王専用風呂に走った。
 途中、コンラッドに恋してることを自覚してしまったおれは、コンラッドに会うのが照れくさいような、でも今すぐ顔が見たくてたまらないような、何ともわくわくドキドキな気分に、ハッと気づくとスキップしてた。……浮かれちゃってるよ、おれ。
 で。
 鼻歌なんぞを唸りながら、でっかい風呂に飛び込んで………。

 スタツアしてしまったのだ。



「………ふう……」
 ベッドの上で、今だ寝転がったままのおれ。
 窓から射し込む陽の光が眩しくて、ぱちぱちと目を瞬かせると、目からしょっぱい水の玉がころりと転がって落ちた。

 情けないぞ、おれ。

 地球に帰ってくると。
 おれの中で色んなものが変わってしまう事に気づいてた。
 何より、おれの意識が変わる。
 眞魔国では、半人前どころか4分の1人前にも満たない程度だろうが、それでもおれは王様だ。
 魔族という種族の頂点に立つ存在だ。
 政治的な実力なんて皆無だけど、でも、お人形扱いされたくなければ、おれの何倍も人生経験のある国の重鎮達とも真正面から議論していかなくちゃならない。他国の要人や、首脳達とも渡り合っていかなくちゃならない。
 王として、自分を鍛えて、磨いていかなくちゃならない。
 おれには、一国の王としての義務と責任がある。
 でも、地球世界では違う。
 おれは、地球は日本国、埼玉県に住むただの一高校生だ。未成年だし、社会的には何の責任も負わず、親の庇護の下、ただ勉学と野球とバイトに励んでいればそれで万事オッケーの、「その他大勢」の1人に過ぎない。
 ……最初は、この違いが分かっていなかった。
 魔王の座についても、おれはしばらくの間、「日本人 渋谷有利」のままだった。
 日本人一般庶民の意識、一高校生の常識、そして価値観。そんなものを纏ったまま、「王様」でいようとした。それだけじゃダメなんだと気づいたのは、それほど昔のコトじゃない。
 そしてそれに気づいた頃からだろうか、おれは自分が二つに分裂するような、ヘンな感覚を覚えるようになった。
 特に……日本人「渋谷有利」に戻った後、数日の間。
 ごく当たり前の日常とそれを取り巻く風景を、おれは今誰の目で見ているんだろうと、ふと訳の分からない疑問が湧いてきたりする。
 自分の視点が定まらない。ひどく不安定な感覚。

 でもそれも、やがて薄れていく。
 当たり前の日常の中で、おれの脳はごく自然に「ズレ」を修正し、おれは「渋谷有利」に戻る。
 そして、「魔王ユーリ」が、非日常の、捕らえ所のない夢のように感じられる時さえある。

 でも不思議だ。

 コンラッドが好き。
 その思いを胸の中で確かめたら、それは、今目の前に見える渋谷家の部屋よりも、ずっとずっと現実的なもののように思えてならない。ずしりとした重みというか、存在感がある、とでもいうんだろうか。
 コンラッドが好き。
 魔王ユーリであろうと、埼玉の高校生渋谷有利であろうと、結局おれはおれなんだと、まるでその証明のように、その思いはキラキラと金色に輝くようなイメージのまま、おれの中に根付いている。
 日本の平凡な男子高校生が、異世界の魔族で御年100歳の紛れもない男性に恋しちゃいましたっていう、どう考えても非現実的なファンタジー、それもかなりアブない話なのに。
 コンラッドの顔を思い浮かべると、バットの素振りをしてても胸が熱くなって涙が溢れてくる。

 会いたくて。
 会いたいよ。

 コンラッドが。好き。

「……恋って……すごいもんなんだ……」

 口にしたら急に恥ずかしくなって、おれはベッドに突っ伏した。が。

「いやー乙女だねえ、渋谷! こっちが照れくさくなっちゃうよ」

 なにーっ!? と飛び上がってみたら、開いたドアの傍に村田が立っていた。

「………お、おまおま、お前……一体いつから……」
「何言ってんだよ。さっきからママさんが、何度も階段の下で呼んでたんだよ? 勝手知ったるで上がってきたけど、まさかねえ……。ところで渋谷、その格好はどうしたのさ。まさか、今日はお休みだってコト、忘れてたんじゃないだろうね、キャプテン?」
 ……しまった、ユニフォームのままだった。
「………忘れてましたー、恥ずかしながら。……でも仕方がねーだろ? だって……」
「たった一週間前のことなのに?」
「…………意地悪ぃぞ、村田」
 はいはいと笑いながら、村田は勉強机に歩み寄ると、勝手に椅子を引き出して、背もたれを前に椅子に跨がった。
「それにしても、いきなり戻されちゃったよねえ、渋谷。結局、あれからウェラー卿とは顔を合わせてないんだろ?」
 そう、と頷きながら、そういや、こいつは一体いつどうやって戻ってきたんだろうと、おれは今さらながら疑問に思った。……まあ、こいつのことだから、マイルートを確保してるんだろうけど。
「………朝、顔合わせる前に風呂に入って、そこからいきなりだから……。きっと心配してるだろうな……」
 あんな状況で離れてしまったんだから。後から考えれば考える程、おれの態度は不自然だったし……。
「まあね。でも、考えようによっては良かったんじゃないかな? だって君、あれからすぐにウェラー卿と顔を合わせて、自然にしていられたかい?」
「……バカにすんじゃねーよ、村田! できるに決まってんだろ!」
 ふーん、と椅子の背もたれに顎を乗せて村田が唸る。と。
「今ここに!」自分の隣を指差す。「ウェラー卿が微笑んで立ってる。想像してみろ、渋谷!」
 想像した。
 にっこり優しく笑っておれを見下ろすコンラッド。『ユーリ』と、優しい声が耳に響く。
 ………ぶわっと顔が熱くなった。…………分かってる。たぶんおれの顔は今真っ赤だ。
 案の上、村田が呆れたようにため息をついた。
「……信じられない、この素直さ。天然記念物並みだね。いっそ、世界自然遺産に登録したいくらいだよ」
 アホくさ、と村田が投げやりに言う。
 うう、と唸って上目遣いに睨むけど、村田の呆れた顔は変わらない。おれは、はあぁぁっと深々息をつくと、仰向けにベッドに転がった。

「………なあ、村田」
「何だい?」
「おれ……どうしたらいいと思う?」
「渋谷はどうしたいのさ?」
「おれは……」
 言って、おれは天井を見つめた。6畳のおれの部屋。渋谷有利にはちょうどいい広さの。
 そんなコトをぼんやり考えていたら、村田の口からとんでもないセリフが飛び出した。

「渋谷は、告白しないのかい?」

「…っ! こ、こくはく……って、コンラッドに!? ままま、まさか、好きだって!?」
「それ以外、誰に何を告白するってのさ」
 またまたうーうー唸って、おれはベッドを転がった。
「………おれもコンラッドも」シーツに顔を埋めたまま言う。「男なんだぞ」
「だから?」
「……ヴォルフにだって、さんざん男同士なのにって文句言ってきて……今さらおれがさ、男を好きになったなんてさ……」
「些細なことに引っ掛かるんだね、君も」
 ……些細か…?
「それに……言っただろ? コンラッドは女の人が好きなんだぞ」
「女性じゃなきゃダメだって確かめたのかい?」
 ……じゃないけど……。
「…そ……それにさ……」
「何だい?」

「おれ、コンラッドに……全然……ふさわしくねーもん。……おれみたいなガキ、コンラッドの隣になんて……。おれ……」

「自信がないんだ」

 村田がおれが飲み込んだ言葉を口にした。あっさりと。
「言ったよね、渋谷。砕ける痛みが怖くて、当たってみる事も、その前に努力する事も放棄するのは、渋谷らしくないよって。そもそもふさわしいとかふさわしくないとか、そんなものは本来論ずることすら無意味だと僕は思うけどね。でもまあ、それでも君が自分はウェラー卿にふさわしくないっていうなら、ふさわしいと思えるようになるまで努力してみたらどうだい?」
「……むらた……」
「自信がないなら、自信がつくまで頑張れよ。そしてウェラー卿を振り向かせるんだ!」
「そんなこと……」
 何をやればそんな自信がつくんだよ。もし何か方法があって、それをやれば自信がつくとしても、一体どれだけ時間が掛かるんだよ。
「……そんな何年掛かるか分からないことやってたら……そのうち……」
「その内?」
「…………コンラッドに好きな人ができて……結婚しちゃう、かも……」
 ああ、想像すると、また気分が落ち込んで来た。
「渋谷、君さあ」村田がまたもため息をつく。「ほんとにどうしたいって思ってるのさ? ウェラー卿と両思いになりたいワケ? それともなりたくないワケ?」
「そっ、そりゃ、なれるもんならなりたいに決まってるだろっ!」
 コンラッドと両思い。コンラッドと恋人同士。そんなの夢みたいなことが実現するなら……!
 ………コンラッドは大人で、むちゃくちゃカッコ良くて、何でもできて完璧で……まあ、ちょっとギャグは寒いけど……でも最っ高に魅力的な男だと思う。でもっておれときたら、魔王っていう以外何の取り柄もないただのガキで……。たぶん、いや、間違いなく、おれが恋人だってコンラッドの隣に並んでも、全然似合わねーと皆考えるだろうし、おれもそう思う。けどもし……恋人に、なれるもんなら……っ。
「だったら告白しなきゃ、話にならないだろう? 自信がないっていつまでもうじうじしてたら、みすみすチャンスを逃して、それこそどこかの誰かにウェラー卿を取られてしまうじゃないか。ウェラー卿の結婚報告を聞いてから後悔したって遅いんだよ!?」
 …そりゃそーだけどー……。
 ごろんごろんとベッドで転がってばかりのおれに、しみじみ呆れたのか、村田が「やれやれ」とふかーく息をついた。
「渋谷」
 次に村田の口から出た声は、何だか妙に力が籠ってて、おれは思わず村田を見上げた。
 椅子に跨がったまま、村田は厳しい顔で腕を組み、おれを見下ろしている。
 何だかちょっとばかり怖くなって、おれはもぞもぞと起き上がった。
「ここでこういう言い方をするのは本意じゃないけど…仕方がないね。渋谷。僕はここで」

 眞魔国の大賢者として、魔王である君に約束しよう。

 その声は静かだけど、四千年っていう途方もない、おれには想像もつかない時間と人生を記憶している男の揺るぎない自信と威厳、そして迫力に満ちていた。
 思わずおれはベッドの上で正座して、背筋を伸ばした。村田はそんなおれをじっと見ている。

「渋谷。……もし、この先」
 うん、と、おれはほとんど息を飲むように頷いた。
「ウェラー卿に恋人ができたり、また、結婚話が出て、それが本格化しそうだと判断された場合」
 ごくり、と、おれの喉がなる。

「僕は、大賢者として持てる知略の全てを駆使して、その全てを叩き潰してみせようじゃないかっ!」

 …………………。
 …………………。
 …………………。

 ………………むらた。

 ………………あのな。

 大賢者の知略って、そういうコトに使うのと違うんじゃねーのか?
 大賢者うんぬんっていう先に、人として問題ありなんと違うか……?

「………村田」
「何だい、渋谷?」
 村田がにこにこと笑っておれを見返した。今度はおれの口からため息が漏れる。
「あのな」
「うん」

「その時は、何とぞよろしくお願いしますっ! 大賢者様っ!」

「まっかせなさーいっ!」

 ベッドから飛び下りたおれと村田は、がっちりと手を握りあった。

 恋する少年は我がままなのだ!


「………というワケで、渋谷」
「おうっ」
「僕がいる限り、ウェラー卿が誰かに奪われるという心配はしなくていい」
「おうっ!」
「だから君は、自信がないというなら自信がつくまで、自分を磨いて成長を目指すんだ」
「……………どうすりゃいいんだ、村田?」
「そんなの、自分で考えなよ」
「考えるったって……」

 おれは、かなりガキっぽいと自分でも思う。すぐ熱くなってトルコ行進曲発動するし、冷静とか、落ち着きって言葉くらいおれと縁遠いものはない、と思う。
 執務もすぐサボるし……。
「……やっぱアレかな。仕事や勉強から脱走するのは止めた方がいいのかな……?」
「そりゃまあ、しないに越したことはないよねえ」
「………いきなり止めるのは……身体に良くないと思わねぇ? 精神的にもさ。えっとー……3回の脱走を2回に減らす……じゃ、ダメ、かな……」
「……あのねえ……」
「そ、それから……そうだ! お茶菓子が近頃ますます凝ってきてさ。ケーキとかパイとか、すっげー美味いんだよ! だもんでおれってば、ついつい1個じゃ足りなくて、いつもコンラッドに分けてもらうんだ。コンラッドも、おれが美味しそうに食べてるのを見てる方が楽しいなんて言ってさ…。あれってどう見ても、育ち盛りの子供を見る親の目だよなー。やっぱそういう時は遠慮して、1個で我慢した方がいいかなっ!?」
「……………」
「あ、後! おれって落ち着きがないからさ、もうちょっと大人っぽくしないとダメだよな! ……あー、風呂で泳ぐとか、ライオンズの応援歌を歌うってのも……子供っぽいよな? あ、でもさ、応援歌はコンラッドがいつか教えてくれって言ってたんだ! 一緒に風呂入りながら、合唱するって楽しいと思わねー? コンラッドってさ、歌が結構上手いんだ! あの声だからさ、男の色気があるっていうのかな、そりゃもう……」
「しーぶーやーくーん」
 いきなり話を遮られて、おれはきょとんと村田を見た。村田は椅子の背もたれに肘をついて、何となくげっそりした顔をしている。
「……なんだよ、村田ー」
 人が一生懸命考えてるっていうのに。
「………まあ、ノロケだろうがなんだろうが、してくれて構わないんだけどね。……成長するって言葉の意味が根本的に違うよ」
「………え……?」
「脱走は……しない方がいいんだろうけど、でも、しても支障が出ないなら構わないんじゃないかな。ケーキは2個だろうが3個だろうが、好きなだけお食べよ。お風呂で泳ぐのも歌うのも構わないさ。僕も好きだしね。……あのね、渋谷」
「お、おう……」
「君は自分が子供だって、自覚はしてるんだよね?」
「…う、ん、まあ……」
「子供がさ、無理に大人っぽく振る舞っても、それってただの背伸びであって成長じゃないんだよね。僕は自分を磨けって言ったけど、それはケーキを1個で我慢したり、お風呂で行儀良くするってこととは全然意味が違うよ。分かるだろ?」
「……そりゃ……確かに……」
「だからさ、僕は……」
 ちょっと言葉を切って、村田は微笑みを浮かべておれの目を見つめた。

「今のまんまの君でいいって思うんだよね」

 ………それ、どういう意味だ……?
分からずに目を見返すおれに、村田の微笑みが深くなった。

「別に背伸びなんてする必要ないよ。それにちょっと頑張って大人っぽく振る舞ったって、そんなの続く訳もないし。だからさ、君はいつも通りの君のまま、ただ、王として決断すべき事、なすべき事から逃げたりせずに取り組んでいけばいいんだよ。君は確かにしょっちゅう執務から逃亡するし、勉強では居眠りするけれど、でも少なくとも、本当に大切な場面では、君はちゃんと自分で考えて行動している。何もかも全て放り出した前王とは違ってね」
 君は気がついていないかもしれないけれど。
 わずかに間を置いて、村田は口調を変えて続けた。
「魔王に就任した当初、君は考える事も行動も全てが幼かった。一国を背負うことの意味を、言葉以上に理解できているとは到底思えなかったね。でも、君は確実に変わったよ」
「……変わった……? おれが……?」
 ああ、と村田が頷く。
「間違いなく。少しづつだけど、確実に、君の思考も行動も『王』としての立場から発するものになっていった。……思い出したくないだろうけど、ウェラー卿の離反が否応無しに君を大人にさせたね。下手をすれば曲って壊れてしまったかもしれないけれど、君はあの経験を成長に変えた」
「…………ちょっとホメすぎじゃねー……?」
 ウラがあるんじゃねーかって疑うゾ? そもそもおれは全然「大人」じゃない。
 おれの表情を読んだ村田は、心外そうに顔を顰めた。
「失礼だなー、人がせっかく褒めてるのに。……ま、君が望むような大人にはまだほど遠いかも知れないけれど、それでも確実に成長してるさ。だから、君は今のままでいい」
「……今のまま、王様やってれば自然に成長するからってコトか?」
「そういうこと。もちろん、それを意識して仕事するのとしないのとでは、格段に差がつくと思うからね。こうして成長について考えられるようになったのは、いいことだと思うよ」
「…………すげーまだるっこしい気もするんだけど……」
「自分のことだから分からないだけだよ。まだるっこしいどころか……。まあいいや。とにかく、無理に急いだっていいことは一つもない。君もプレッシャーとストレスが増えるだけだし、ウェラー卿にもいい影響を与えないだろうしね」
「どっ、どうして……っ!?」
 当然じゃないか、と村田が応える。
「ウェラー卿は君の護衛というか、世話をするのが楽しくて仕方がないんだよ? 甘えて欲しいし、我がままだって、もっと言って欲しいんじゃないかな。それがいきなり『大人』になっちゃったりしたら、きっとがっかりすると思うなー」
「……それってやっぱり、おれのコトを子供としか思ってねーってことじゃん……」
 思わず声が低くなる。
「まあ、そう言わず。……ほら、長いことシマロンにいて、君と離れ離れだっただろ? その間、もう2度と君の下に戻ることはできないかもって、ずっと苦しんでいた訳だし。それが戻ってこれただけじゃなく、前と同じように君といられるようになったんだから、そりゃ思いきり君を構いたいと思っても仕方ないさ。もし『今日から大人になったから、もう保護者なんかいらない』なんて、ウェラー卿に告げてご覧よ。彼、きっと君に嫌われたってものすごいショックを受けて、一気に老け込むか……でなきゃ、人生に絶望して……」
「しっ、死んじゃうとかっ!?」
「……まではいかなくても、またまた出奔ってことはあり得……」
「言わねーっ! おれ、コンラッドに『大人になる』とか絶対言わねー! 無理矢理大人っぽくなんかしねー! そっ、それから……脱走もする! お菓子もコンラッドから貰ってしっかり食べる! あ、後……」
 あー、分かった分かった、と、村田が手を振る。
「だから焦らずに。それにほら、どれだけまだるっこしくて時間が掛かっても、ウェラー卿が誰かに奪われる心配はないわけだしね。もし余所からそんな話が上がってきたら、僕が跡形もなく踏みつぶしてやるから。だからゆっくりじっくり、ウェラー卿をゲットする策を練って、確実に彼をモノにしようじゃないか! 言っただろう?」
 アタックあるのみだよ、渋谷!

 そうかっ。そうなんだなっ!

 試合直前、プレイボールの声が響くのを待つあの時間と同じ、お腹の底からファイトな気分がもりもり盛り上がってきた!

「よし、分かった! 無理して大人っぽくするなんて、そもそもおれには無理なんだよなっ。おれはおれらしく! でもって、コンラッドにはアタックあるのみ!」
「その通りだよ、渋谷! たったそれだけのことをやっと分かってくれて嬉しいよ!」
「おう!」
 何かちょっと言い回しが微妙だったけど、気にしない!
「村田が協力してくれるんだから4000人力! おれはがんばるっ!」
 ……よんせんにんりき…? と、村田がちらっと首を捻ったが、すぐに笑顔に戻った。
「がんばれ、渋谷。そしていずれはウェラー卿を……」
「コンラッドを!」
 おれは頭の中の一番星に誓う。

「いつか必ず、おれのお嫁さんにするっ!!」

 ガタガタガシャッ、と音がして、見たら村田が椅子ごと倒れそうな形で踏ん張っていた。

「……村田? 大丈夫か?」
 声を掛けると、村田が無言のまま椅子を立たせて座り直した。それからまじまじとおれを見る。
「………お嫁さんって……渋谷……」
 え? とおれは首を傾げた。変か?
「だっておれ男だし。だったらコンラッドは……って、あー……」
 そうだった。
「ウェラー卿だって男だよ?」

 ………そうだよなあ……。

 おれはベッドに座り直して、しみじみ天を、というか、天井を仰いだ。

「……あのさあ、村田……」
「うん?」
「おれもさ、ヘンだなーって思うんだ。だっておれ、ヴォルフが婚約者だ婚約者だ言う度に『おれたち男同士だろ』って文句言ってきたんだよな。でもってさあ、おれ……これからもきっとヴォルフが何か言う度同じコトを言うと思うんだ。男同士で婚約とか言うな……って。だって、なあ、村田、やっぱヘンじゃん? 同じ男なのに、好きだの婚約だの結婚だのって。おれ、例えば村田のこと、親友だって思ってるし、親友として好きだし、ずっと親友でいたいと思ってる」
 うん、ありがと、僕もだよ。と、村田が笑顔で答える。
「でも……村田に恋はしないと思うんだ」
 村田は笑顔のまま「同感だね」と頷いた。
「おんなじ様に、ヴォルフも友達だから好きだし、グウェンだってギュンターだってヨザックだって好きだよ。クラスのヤツらも野球の仲間も好きだ。皆、仲間で友達だもんな。……でも恋しようなんて全然思わない。だって、男同士だし。おれらの間で育つモンっていったら、友情以外あり得ねーよ」
 でもさ。
 おれは言って、ちょっと照れくさくなって視線を逸らして壁のポスターを見た。ライオンズが日本一になったときの勇者達が揃った自慢の品だ。

 でも、村田。目をポスターに向けたまま繰り返す。

「……コンラッドは別なんだ」

 ちら、と横目で確認する。おれの恥ずかしい言葉に、でも村田はさっきまでと全く同じ笑顔でいる。

「うまく言えないんだけど……コンラッドのコトを考えると、男同士だとかそんなの全然問題じゃなくなる気がするんだ。頭に浮かびもしないっていうか……。あのさ、おれのな、おれの中のどこかに、コンラッドの形をした穴がずっと開いてたような気がするんだ。へこみ……って、言ってもいいかな……。それがさ、コンラッドが好きだって分かった途端にさ、こう、コンラッドがすぽっとそこに嵌ったっていうか、納まったっていうか……。コンラッドの形で欠けてた部分が……そのー……」
「満たされた?」
 そう、それっ!
 嬉しくなって思わず声を上げ、笑顔の村田と向き合って……おれは恥ずかしいというか照れくさいというか、とにかく一気に火照る顔を持て余して、今度は床に視線を落とした。
「……それで……ホッとしたっていうか……やっとちゃんとおれがおれになった、完全になった、みたいな満足感っていうか、充足感っていうか……そんなのを感じたりして。…………おれ、ヘン、だよな……?」
 僕は少しも変だとは思わないよ?
 村田の、今日一番優しい声が聞こえた。
 そろそろと顔を上げてみる。
 椅子の背もたれに両腕を置き、そこに顎を乗せた村田が変わらない笑顔のままでおれの目を覗き込む。
「恋に理屈は関係なし! 常識なんて問題外! 渋谷有利の恋した人が、ウェラー卿コンラートって男性だった。それだけでいいんだよ、渋谷。何も気に病む必要なんかない。頭を悩ませることはただ一つ! いかにしてこの恋を成就させるか、だよ!」
「………それでいいのか?」
「もちろん!」
「……そっか……そう、だな……そうだよなっ。……よしっ、考えたって意味のないコトは考えない! おれは、これから努力して、がんばって、でもって、コンラッドと絶対両思いになるぞーっ!」
「その意気だ、渋谷。一緒にがんばろう!」
「おーっ!!」
 二人して拳を思いきり天に突き上げる。

「まーっ、ゆーちゃんもけんちゃんも元気ねーっ!」
 いきなりドアが開いて、やってきたのはおふくろだ。
 村田はすぐに無邪気な笑顔で「あ、どもー」と答えてたけど、おれは拳を突き上げたまま固まっていた。
「お茶、遅くなってごめんなさいね〜。お菓子がちょうど切れてたから、ケーキ屋さんまで買いに行ってたの。ほら、ゆーちゃんの好きなスペシャルチョコレートモンブランエクストラ、略してすっごいチョコモンブラン、買ってきたわよ。……で? 二人で何をがんばるの? ママにも教えて? 応援するから!」

 お母様もご存知100歳超えた名付け親と未来は恋人宣言してました。

 言えるかっ!



 というわけで。

 おれはあらためて平凡な日本人高校生の日常生活に戻った。
 成功はまずイメージ学習から、という村田のアドバイスで、コンラッドと恋人同士になるシチュエーションを、おれはちょっと暇を見つけてはイロイロ想像してみたりした。
 嬉し恥ずかし「愛の告白」(ぐはーっ、恥ずかしーっ、愛だって、愛っ!)……はどこでしよう、とか。
 その1。夕陽の丘で沈む太陽を見つめながら。その2。朝陽の丘で上る太陽を見つめながら……って、丘と太陽ばっかりじゃん。えーと。その3。海岸を散歩しながら……だから、どこの海岸だよっ。
 ………まあ、場所はいいや。またゆっくり考えよう。少なくとも、執務室だったり、鼾が聞こえるおれの部屋だったりじゃなきゃいいし。でも、やっぱりムードが必要だよなー。こう、気持の盛り上がりが大事ってゆーか。おれ、小心者だから、あんまり日常的な場所だと反って緊張するかも。
 それから告白のセリフ。これが一番重要だ!
 コンラッドを一発で落とす名セリフ。…………うーむ。
 セリフその1。「おれについてこい!」
 ………あり得ねー。てゆーか、「はい、もちろん俺は一生陛下についていきますよ?」って爽やかな返事が聞こえるようだ。
 もっと直球勝負で。そうだ、これなんてどうだろ。
 セリフその2。「おれはコンラッドが好きだ! おれのものになってくれ!」
 ……ってのは、かなり男らしくねー? これだと……ダメだ。「俺もユーリが大好きですよ。最初からずっと、俺の全てはユーリのものです」って、これまたさらっと返ってきそうな気がする。
 ホントにどうしてあんなセリフを恥ずかし気もなく、さらっと、でもって誰も真似出来ないくらいカッコ良く口にすることができるんだろうなあ、おれの名付け親は。
 これまでだって赤面ものだったけど、これからあんなセリフを聞かされたら……おれのノミの心臓はきっと興奮で破裂してしまう。たとえそれが、名付け親で保護者で、そして何より臣下としての立場から出た言葉だとしても。
 ……まじでおれに命捧げかねないもんなー、コンラッドってば……。
 もうあんなこと、絶対して欲しくないけど……。

「……や、……ぶや……おい、渋谷……!」
 誰か呼んでる。と思ったら、何かがおれの腕をつんつんと突つき始めた。るせーな。人が一生の問題を真剣に考えてるっていうのに!
「……おい、しぶ……」
「うるせーよ! おれは今忙しいのっ!」
「ほう、そうか。それは悪かったなあ、渋谷君」
 ハッと気づいた。おれの隣に座って、おれの手を突ついていた友人があちゃーと額を押えている。
 背後には不穏な気配。
「考え事に忙しい所、大変申し訳ないんだがな。今は数学の授業中なので、できれば数学をやってもらいたいと思うのは先生の勝手なお願いかなあ?」
 ………しまった。授業中だった。
 そろそろと振り返ると、数学教師がポンポンと教科書で掌の上で弾ませながらおれを見下ろしている。
 クラスメート達の視線が痛い。
「渋谷。問1から5まで、お前、前に出て1人で解け」
 ……………スミマセン、せんせー。全然自信はないんですけど、一応その前に、何ページかだけでも教えて頂けるでしょうかー……?

 まあ、そんなこんなとあるけれど、概ね平和に(…)おれの日常は過ぎていった。
 毎朝起きて、朝ご飯を掻き込んで、自転車をかっ飛ばして学校へ行く。帰ったら、宿題して、少しでもいい王様になれるようにと、おれが決めた勉強をする。大抵は、村田のアドバイスで読むことにした歴史書を捲ったりとか、色んな国の政治経済、それから戦争と平和についてのドキュメンタリービデオを見たりとかだ。
 その感想や日記をなるべく魔族語で書いて、村田に添削してもらう、ということもやっている。初めて学んだ単語や構文は、ノートに書いて反復練習を欠かさない。
 そうして2週間が過ぎようというある日、おれは待ちに待ってたスタツアを迎えた。


「お帰りなさい、陛下」

 城の中庭にある噴水から飛び出したおれを、タオルを持ったコンラッドが迎えてくれた。
「………だーかーらー……陛下って呼ぶな、名付け親!」
 すみません、ユーリ、いつもの癖で。
 そう言って、おれの身体に大きなタオルを巻き付けて、コンラッドは微笑んでいる。

 あー……。
 好きだなー………。

 名付け親の穏やかな笑顔を見てると、しみじみそんな言葉が湧いてきた。

 会えたら。
 きっとものすごくドキドキして、ワクワクして、真っ赤になって、とんでもない不審者になってしまうんじゃないかとか。
 コンラッドの顔を見るのも照れくさくて、逃げ出してしまうんじゃないかとか。
 実はイロイロ想像してたんだけど。
 でも実際にこうして顔を見たら。
 ドキドキとかワクワクとかより何よりも、おれの中、いっぱいに溢れたのは、「コンラッドが好きだ」という、ただその言葉だけだった。
 気の効いた表現も何もない。
 ただしみじみと。
 コンラッドが好きだ。
 その思いと言葉でいっぱいになって、おれはバカみたいにただコンラッドを見ていた。

「……ユーリ?」
「…………え……?」
「どうしました? 急に静かになられて……俺の顔に、何か……?」
 ううん、と首を振る。
 お風呂で暖まって下さい、と促され、おれは思い出したように歩き出した。
「……コンラッド?」
「はい?」
「…あのさ、この前、ごめんな? ほら、おれ、何だか、その……身体の調子が悪くって、でもそのままあっちに帰っちゃって……。心配させたんじゃないかなって、気になってたんだ」
 ああ、とコンラッドが笑みを深める。
「実は……かなり心配してました。もう大丈夫なのですか?」
 うん、もちろん! と声を上げる。
「もうすっかり元気だよ! あの時だって、朝にはよくなってたんだ。お風呂ですっきりさせようと思ってお湯に飛び込んだらいきなり、でさ。……ホントにごめんな?」
「俺に謝ったりなさらないで下さい。あなたが元気ならそれで俺は嬉しいんですから。……よかった。もうすっかり元通りですね?」
 おう! と笑って頷く。
 ほんとは……。

 全然元通りなんかじゃない。おれは、おれの一生に関わる大変化を自覚してしまったんだから。

 ……だんだんドキドキしてきた。顔をまっすぐ見るのが、恥ずかしいというか、照れくさいというか、その場に居たたまれない様な気分が、どんどん大きくなっていく。
 でも、いくら照れくさいからって、コンラッドを避けたり、コンラッドといる場所から逃げたりなんかしない。そんなことしたら、コンラッドだって気にするだろうし、何よりもったいないじゃん! おれは誰よりもコンラッドの近くで、堂々と一緒にいることができるんだ。この特権を放棄してたまるもんか!
 でも……。
 こうして実際にコンラッドの顔を見たら、分かってしまった。

 やっぱりまだ言えない。まだ、告白なんてできない。

 村田は無意味だって言ったけど、でも、やっぱりおれはどうしようもなくガキで、未熟で、コンラッドの一生のパートナーにはふさわしくない。……野球のバッテリーとは違うモンな。

 今のおれが告白したって、コンラッドを困らせるだけだろう。
 コンラッドにとって、おれは主で名付け子で……ただの子供なんだから。
 きっと断られてしまう。困ったような、申し訳なさそうな、その時のコンラッドの顔が簡単に目に浮かぶ。
 そしてそうなってしまったら、その後のおれ達は一体どうなるだろう。
 おれを傷つけたからって、もしかしたらコンラッドはおれの側に居てくれなくなるかも知れない。
 最悪………またこの国から、おれの下から、去ってしまうかもしれない。
 考えがそこに至った時、おれは心底ぞっとした。
 それだけは嫌だ。絶対に嫌だ。
 だから。

 おれ、がんばるから。
 何をどうがんばればいいのかも、ホントはよく分かってないんだけれど。
 それでもがんばるから。

 そしていつか。
 おれに、ちょっとでも自信がついたら。
 王様としてじゃなく、名付け子としてじゃなく、1人の男として、渋谷有利として。
 コンラッドに振り向いてもらえる自信が、ちょっとでもできたその時には。

 コンラッド。

 好きですって。
 告白してもいいですか?  


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「がんばって、いつかコンラッドに告白するぞー!」
と、決意するまでに1話使ってしまった……。
何もかもお見通しの上で、面白くなってきたぞー、と楽しんでる人も約1名いたりしますが。

何だか会話や思考がぐるぐるループしてるような気もしますが、どうか優しい目で見守って下さいますよう、お願い申し上げます〜。
次回はもうちょっと先に進むようがんばります。

ご感想、お待ち申しております。(2月4日)