キス。しちゃいました。 くふ。くふ。くふふ。くふふふふふ。 「もお、やあーだあーなあー、おれってば。照れちゃうってばあ……!」 ばしばしばしばし。 手近に当るものを、何か確認しないまま、とにかく思いきり叩きまくる。 ぐは。 何かが潰れる間の抜けた音がした。何となく顔を向けたら。 テーブルに村田が突っ伏してた。 「……村田? どうかしたんか? しっかりしろ、傷は浅いぞ」 「浅くないよっ!!」 がばあっと村田がすごい勢いで倒れていた上半身を持ち上げる。 何かボロっとしてるけど、気のせいだろう。 「……で?」 なぜか斜めになってしまったメガネの位置を直しながら、村田がおれに聞いてきた。 聞かれたら答えなくてはなるまい! 「でさっ、でさっ、聞いてくれよ、村田」 「さっきから聞いてるよ。っていうか、無理矢理聞かされてるよ」 「ムリヤリってなんだよー。これまでずっと応援してくれた親友に、ちゃんと報告してるんじゃないか!」 はいはい、そりゃどうも。村田が答える。 どうしてそんなに投げやりなんだよっ。 「……とにかく無事に告白できてよかったよ。ウェラー卿がもしかしたら徹底的に気持を隠し通すんじゃないかと危惧してた部分もあるんだけど……まあ、よかった。………突っ立ってないで座ったらどうだい?」 「落ち着いて座っていられる気分じゃないんだよ!」 そうなんだ。 ずっとずっとコンラッドが好きだった。片思いだって思ってた。 でもそうじゃなかったんだ! おれ達、おれとコンラッドは、ホントは両思いだったんだ! おれ達、お互いにずっと片思いしてたんだ! 気持を確かめ合って。好きだって伝えあって。……愛してる、なんて………。 そ、それに! キス、した。 コンラッドと。 渋谷有利、彼女いない歴イコール人生のこのおれが。 初めて、人生初めて本気で好きになった人と。愛、なんて言葉まで使っちゃう相手と。 キス。 コンラッドの、それが唇だなんて、最初おれは全然分からなかった。 ただ、少しかさついた、でも柔らかい、いや、柔らか過ぎず硬過ぎない、何だか懐かしさすら感じるほどの不思議な感触が、おれの唇を包むように触れて、そしてすっと離れていった時。 ユーリ。離れたコンラッドが、どこかはにかむような笑みを浮かべておれの名前を呼んだ時。 おれはぽかんとコンラッドを見つめて。見つめて。見つめて。 そして。 理解したそのことが言葉になる前に、身体がぐわあっと熱く燃え上がった。身体の中に溶鉱炉でもあったのかと思うほど、全身に感じる熱はものすごくて、炎が上がらないのが不思議なくらいだった。たぶん湯気くらいは上がったかもしれない。そして一番熱いのは、もちろん顔だった。 たぶんきっと間違いなく、おれの顔は真っ赤になっていたと思う。 無意識に唇を両手で覆い、かっかと顔を熱くしたまま言葉もないおれを目にして、コンラッドが柔らかな笑みをどこか苦いものに変えた。 「……済みません、ユーリ」 その言葉に、おれは全身を、いや、地面にへたり込んでいたから上半身を、思いっきり左右に振った。 目眩がするほど振った。 コンラッドに貰った初めてのキス。おれの人生の記念すべきファーストキス。 好きで好きで好きで好きで大好きな人から貰った初めてのキスなのに、謝ってもらいたくなんかない! ぶんぶんぶんぶん身体を振った勢いのまま、おれはコンラッドの胸の中に飛び込んだ。 「………ユーリ……」 「……う、うれしい」 「ユーリ」 「うれしい……おれ……すごく幸せ……」 「ユーリ……!」 コンラッドが、ぎゅっとおれを抱き締めてくれる。 今まで何度もコンラッドに抱き締めてもらったけど、これは恋人としての初めての「ぎゅっ」だ。 だからおれもコンラッドの背中に腕を回して抱き締めた。……恋人を。 「ユーリ」 耳元でコンラッドが囁く。ああ、本当に何ていい声なんだろう。この声を、誰にも聞かせたくない……。 「ユーリ」 再び呼ばれて顔を上げた。 すぐ側に、コンラッドのいつもよりずっと優しい微笑みがある。 その顔が、ゆっくりと近づいてきて……。 「くっ、はーっ!!」 照れるっ! 照れるぞ、おれっ! じっと椅子になんか座っていられるかーっ! ああ今すぐにでも、そこら中を駆け回りたい気分っ!! 「……おーい、渋谷ぁ、どこまで行くんだー?」 あれ? 村田の声が微妙に遠くから聞こえる。 あまりの照れくささに固く瞑っていた目を開いたら、今まで目の前にいた村田がなぜかテーブルセットごと遠く離れた所にいる。 「村田? いつの間にそんなトコまで移動したんだ?」 「……移動したのは君。いきなり走り出したんだよ。足に当るもの全部なぎ倒してね」 ありゃ。 気分、だけじゃなくてホントに走っていたらしい。おれは頭を掻き掻き親友の元に戻った。 「……おれ、もうちょっと落ち着いた方がいいな」 「やっと分ってくれて嬉しいよ。……恋人同士になれたといっても、君たちの前には問題が山積みなんだからね」 だよな、と頷いて椅子に腰掛ける。間髪入れずに、巫女さんの1人が新しいお茶とお菓子のワゴンを運んできた。……これってずっとどこかで様子を伺ってたということなんだろうか。そうなんだろうな。だったら……かなり恥ずかしいかも……。 「なあ、村田」 「何だい?」 お茶を飲んでホッと一息ついたおれは、疑問に思っていたことを尋ねてみることにした。 「村田はさ、コンラッドがおれのことを好きだって……知ってたのか?」 「ああ、もちろん」 「まっ、まじで……!?」 「当然」 何がもちろんで当然なのかさっぱり分からない。 「じゃ、じゃあ、どうして教えてくれなかったんだよ!?」 「僕が言ってどうするのさ。ウェラー卿の気持は、ウェラー卿の口から伝えなくちゃ意味ないだろ?」 そりゃそうだ。 「僕も確認しておきたいんだけどな」 「な、何だ……?」 「ウェラー卿はボールパークで君に告白されることを予感してたのかな。やっぱりそうだったのかって顔はしていなかったのかい?」 え? と聞き返し、それからあの時のコンラッドの顔を思い出す。 あの呆然とした顔。 「考えてもなかった、って顔だった、と思う、けど……。そう言えば、おれがずっと何か言いたそうにしてるのは分ったけど、何を言いたいのかは分からなかったって言ってたような気が……」 「本当かい、それっ!?」 いきなり大声を出されて、おれの身体が椅子の上で軽く跳ねる。 「……何でっかい声出してんだよ……? だって……当然だろ? おれがコンラッドのことを好きだなんて、考えつくはずがないし……」 「信じられないよ、全く。渋谷が鈍いのは分ってるけど、まさかねえ……。つまりそれだけ徹底的に望むことを拒絶してきたというか、希望を持つことを自分に許さなかったというか……やれやれ」 「村田? お前、何言ってんだよ」 後半はよく聞こえなかったけど、おれが鈍いって言ったのはちゃんと聞こえたぞ! 軽く睨むと、村田は日本人離れした仕種で肩を竦めた。 「ちょっとは周りの迷惑を考えろってこと」 「何だよ、それっ!?」 「ま、それはともかく。……ファーストキス、おめでとう、渋谷有利君!」 「……あ」 また思い出してしまった。 「なあなあなあ村田!」 「はいはい、何ですか〜? 渋谷君」 「キスってさ、気持良いモンなんだなっ」 ぐふ、と飲みかけのお茶を吹き出す村田。それからカップを置き、ため息をつくと、げんなりした顔を向けられてしまった。 「……何だよ〜」 いいじゃん。おれ、経験不足なんだしさ、イロイロ話したいんだよ! 「………別にいいけどね。惚気たいなら惚気ても。まあもうちょっと慎みが欲しい気もするけど、今は仕方がないか……。分った! 僕も覚悟を決めて聞かせてもらうよ! さあ、存分に語るんだ、渋谷!」 …………何なんだよ。大げさなヤツだな、もう。 「あ。でもさあ、渋谷」村田が何か思いついたように言った。「君の告白に対してウェラー卿はさんざん往生際の悪いことを言って、身を引こうとしたとういうか、逃げようとしたというか……だったんだよね? で、まあ何のかんのとあった挙げ句、結局のところウェラー卿は君の思いを受け止め、ついに両思いだと確認し合った訳だ。よね?」 「おう!」 「その場でいきなりキスかあ……。開き直ると結構手が早いんだな、彼は」 「手が早いなんて言うなー!」 すっごく幸せだったんだから! 「はいはい、悪うございましたー。で? 戻ってきてからもキスしたわけ?」 くふ。くふ。くふふふ。 思い出すと笑いがこみ上げてくる。 「帰りはさあ、タンデムしたんだー。ぴったり引っ付いちゃったりしてさー。でもって、城に帰ってからも、何度もキスしちゃったんだなー、これが!」 部屋に帰ってから、そしてコンラッドが王都警備の部隊の人に呼び出されて、おれの側を離れる時も。 ふと見ると、嬉しくなるほどタイミング良くヨザックもクラリスも明後日の方向に顔を向けてて、コンラッドにキスしてもらうことができた。 「おれ、好きな人とキスすることが、こんなに気持がいいなんて全然知らなかった……」 「……あーそー」 「コンラッドの唇がさあ、おれの唇に押し当てられてー、こう、何ていうかなー、包むようにっていうか、滑るようにっていうか、触れていくんだなー。それがすごーく気持が良くて!」 「……………え?」 村田が妙な顔でおれを見ている。 「……何だよ」 「………唇が、触れていく?」 「おう」 「触れていく……だけ?」 「だけって何だよっ、だけって!!」 キスってそういうもんだろ!? おれの叫びに、村田が複雑怪奇な表情を浮かべる。 「ウェラー卿の唇が、君の唇を包むように触れて、滑って……終り?」 「そんな具体的に聞くなーっ!」 照れるじゃないか! 「っていうか、終りって何だよ! 決まってんじゃんか! それ以上っていったら、いったら……」 もうお嫁さんになるしかないじゃないかっ! うわー、言っちゃった! あまりに照れくささに、思わず顔を覆ってしまう。 でも。 「……な、なあ、村田」 気のせいか、どことなく呆然とした顔の村田に、おれは意を決して声を掛けた。 「あ、あの、おれな……何ていうか……もう、時間ない、だろ? コンラッド、もうすぐおれの側を離れていっちゃうだろ? だ、だからさ……おれ………コンラッドが出発する前にー……」 コンラッドの実質お嫁さんを目指したい……なんて思うんだけどー。 おれの言葉に、村田がぱしぱしと目を瞬いた。 「実質お嫁さんって……渋谷、つまりその、それは……ウェラー卿と夜を共に過ごしたい、と?」 「あからさまに言うなーっ!!」 村田の頭部に向かって腕を鋭く旋回させるが、避けられてしまった。 「どこがあからさまだよ。思いっきりボカして上げてるじゃないか。……てゆーか、渋谷」 村田が何となく哀れみを含んだような目でおれを見る。 「ウェラー卿が出発するまでもう何日もないんだよ? それまでにって君……ちょっと先走りし過ぎじゃないかな? こういうことは焦ってすべきことじゃ……」 「でもおれっ!」 村田の言葉を遮って、無意識に身を乗り出したおれを、村田は静かにじっと見つめている。 「おれ……」 椅子に座り直すと、浮き立つ思いで押し殺していたものがゆっくりと喉元に競り上がってきた。 「……保険は……多い方がいいって、言ったの、村田、じゃない、か……。責任とらなきゃって考えるのも……保険になるんじゃないか? ……それに……さきに、て、手をつけた方が……勝ちって……」 喉がつかえてうまく言葉がでない。声が妙に水っぽくなる。 近頃のおれ、すぐこんなになってしまう。……ダメだなあ。 「……後悔したくないんだ……せっかく両思いだって分ったのに、すぐ離れ離れにならなきゃならないし……だから……絶対後悔したくないんだ……!」 おれはテーブルの上に置いたままのお茶のカップを取り上げると、ぐいっと中味を飲み干した。 すっかり冷めて、苦味も出てきたお茶が喉を通ると、溢れそうだった水っぽいものが引っ込んでくれた。 「それにさ!」 笑って村田を見返す。 「キスだってしたんだし、お嫁さんまでは後1歩踏み出すだけじゃん!」 「………イスカンダルに行って帰ってくるくらいの果てしない道程があるような気がするのは僕だけだろうか……?」 「何言ってんだよ! どこだよ、イスカンダルって!」 時々訳の分かんないコトを言い出すんだよな、こいつって。 「にぎやかですね。何をお話になっておられるのですか?」 突然の、だけど心底慕わしい声が耳に届いて、おれは勢い良く振り返った。 少し離れた所に、コンラッドが笑顔で立っていた。 「コンラッド!」 椅子を突き飛ばすように立ち上がり、コンラッドに向かって走る。 「コンラッド!」 「陛下」 「……陛下ってゆーなっ、名付け親! でもって……!」 コンラッドの胸に拳を打ちつける。もちろん軽く、だけど。 「………違うだろ?」 見上げて言うと、コンラッドが苦笑─でもどこか照れくさそうな─を浮かべておれを見下ろした。 「……はい、ユーリ」 幸福感が胸に溢れてくる。 「王都警備の方はもういいの?」 「ええ、全部終わりました。この後はずっとユーリの側にいられますよ」 「良かった。……嬉しー……」 コンラッドが笑みを深める。おれも笑ってコンラッドを見上げる。……しあわせ。 「おーい。そこのラブラブバカップル」 「…! むっ、村田ーっ!」 背後から掛かった声に、思わず飛び上がったおれは一目散に村田に向かって走った。 「な、な、何言い出すんだよっ!? ラブラブなんて、カップルなんて……誰かが聞いてたらどうすんだよっ!!」 「ユーリ、落ち着いて下さい」 おれに追いついたコンラッドが、後ろから肩に手を置いて囁きかけてくれる。 「だってコンラッド〜。ラブラブカップルだなんて言うんだぜー? 村田ったらさあ。おれ、照れくさいよー。もし誰かが聞いてたら……」 「陛下と猊下の間に、少々ニュアンスの食い違いがあるような気もしますが……。とにかくその点は大丈夫ですよ、ユーリ。LoveもCoupleも、こちらの者は理解できませんから」 「……あ」 一瞬ぽかんと口と目を開いて、数秒後、ようやく理解が追いついたおれは、次に思いついたことに胸を沸き立たせてコンラッドの腕にしがみついた。 「そっか、そうだよね! ってことはさ、コンラッド、これって何かさ、暗号みたいだよね! おれコンラッドにしか分からないんだし!」 ぼくもいるよー、という声が、右の耳から左の耳に抜けて消えた。 「あのさっ、あのさ、コンラッド!」 「はい? ユーリ」 たぶんおれが何を言おうとしてるのか察している大人の瞳が、ちょっと期待に輝いているような気がする。 「………あいらぶゆう、だよ? コンラッド」 コンラッドがにっこりと笑う。 「Me too. I love you. ……ユーリ」 顔が熱くなって、胸が熱くなって、お腹も熱くなって、指先まで熱くなる。その指でコンラッドの胸に触れて幸福感のままに笑いかければ、コンラッドも同じように優しい笑みを投げかけてくれる。……しあわせ。 「………おーい、だからそこのラブラブバカップルー。現世に戻ってこーい」 知るか。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい
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