恋・19


 告白ができませんー。
 イメージ学習は何の役にも立ちませんー。
 「お手」と手を出したら、迷わず手を乗せてくれるコンラッドに、思わず「おかわり」と言いそうになる自分が、すごーく哀しいですー。

 誰に訴えてるのか、おれは城のてっぺん、物見台の縁に手を掛けてちょっとだけ近くなった空に向かってため息をついた。
 青い空。白い雲。流れる風。溢れる緑。遠くに輝いて見えるのは、城下の家々のガラス窓だろうか。
「ふう……」
 ため息を一つつくと、幸せが一つ逃げる。らしい。逃した息と幸せを取り戻すため、深く息を吸う。吸って止める。逃がさない。
「…………ぷは」
 苦しかった。幸せがどうなったかは分からないけど、情けなさは倍増したような気がする。
 こと、と後ろで小さく音が鳴った。
 ヨザックかクラリスだろう。この頃、おれがこんな風に考え事をしてる時は、呼ばれない限り近くに来ないようになった。……邪魔しないようにっていう心遣いだろう。
 今、コンラッドは王都警備の部隊に呼ばれて側にいない。
 1人にしてくれるのはありがたいけれど、本当の意味で1人になって、もっとじっくり作戦を練りたい。勢いだけじゃなく、コンラッドときちんと向き合って、落ち着いてじっくりとおれの思いを聞いてもらうためにはどうしたらいいのか。
 ……村田の言う通り、もうそれどころじゃないってのに。
「…………自信が」
 ないんだよな。
 声に出せなかった言葉を胸の中で呟く。
 でももう時間がない。
 たとえどんな結果になろうとも、告白するって決めたんだ。じゃなかったら、おれはずっと後悔し続けるから。受け入れてもらえる可能性がないって、振られること間違いなしって、そう分ってても……知っていて欲しい。おれの気持。………振られるのは………辛いけど。きっと、泣くだろうけど。
 ほう。
 無意識に息がもれる。また幸せが逃げてった。

 城を抜け出してみようか。

 喉元過ぎた瞬間に熱さを忘れるおれの頭に、ふと浮かぶ危険なアイデア。

 だって、今ものすごく1人になりたいし。
 心の落ち着く場所で、しっかりと覚悟を決めて、それからコンラッドに伝えたい言葉と、それからそれを伝える場所を考えたい。
 おれの、どこより落ち着く場所で。

 ふいに。

 広々と開放的なグラウンドがおれの目の前に浮かんだ。

 何にも遮られない青空の下、輝く外野の芝(コンラッドグリーンだ! 誰が呼ばなくてもおれが呼ぶ!)。整地された内野。両翼100メートルの完璧な美しさを備えたダイヤモンド。そして……。
 おれのホームベース。
 おれが試合をきめる場所。

 ここ以外にない。あるわけない!

 天啓のように、雷のように、それはおれの脳裏に閃光と共に閃いた。

 考える場所?
 冗談じゃない。考えてなんかいられるもんか!
 告白するんだ。ちゃんと伝えなきゃダメなんだ。
 ここで。
 この場所で。

 コンラッドがおれにしてくれた初めてのプレゼント。
 眞魔国初のバッテリー。2人っきりの野球仲間。
 おれ達2人で始めた場所。
 そうだ。
 あの時だって、おれはおれのあの場所で、あの決断をしたんじゃないか。

「……おれ、ホントにバカだ」

 今の今まで忘れていた。

 おれはバッと振り向くと、間髪入れずに石畳を蹴った。
 扉の両側に身を隠すように立っていた2人の護衛の間を一気にすり抜け、石段を駆け降りる。
「坊っちゃん!?」「陛下!?」
 慌てる声が背中を捕まえるより先に、ひたすら石段を降りて行く。


「どこかに……行かれるのですか?」
 怪訝な顔でコンラッドが問いかける。
 うん、と頷いて、おれはその場所を告げた。

「ボールパークに」

 そしておれは、コンラッドと馬を並べてボールパークに向かうこととなった。
 突然の言葉だったけれど、コンラッドも何か感じてくれたらしい。グウェン達に了解を取って、2人だけで出かける段取りをつけてくれた。
 空は青空。見渡す限りの緑。まき散らされた宝石のような花、花、花……。
 健やかな自然の息遣いが、おれに力を与えてくれる。そんな気がする。

 結局、勢いで飛び出してしまった。

 でも。おれは……。

 何かの気配にふと顔を上げれば、向かう先から1頭の馬が駆けてくるのが見えた。
 街に向かう人だろうと、何気なく道を譲ろうとしたんだけれど、何故かコンラッドがその場で馬を止めてしまった。
 あれ? と見上げる間もなく、反対側からやってきた馬がおれ達の前までやってきて、当然のように止まった。馬上の人が背筋を伸ばし、ぴしっと敬礼する。
「確認してまいりました!」
 男の人の言葉に、コンラッドが軽く頷く。
「ただ今王立球場は誰も使用しておりません! 管理人には、しばらく誰も立ち入らせないよう指示してまいりました!」
「御苦労だった。帰っていいぞ」
 コンラッドの言葉に、男の人が「はっ!」と敬礼すると、おれにも深々と頭を下げて、それから街に向かって馬を走らせ始めた。
 その姿が遠くなってもまだぽかんとしているおれに、コンラッドが「余計なことかもしれませんでしたが」と話しかけてきた。
「何か大切なお話があるのだろうと思いまして、ボールパークに人がいるかどうか確認に走らせました。幸いグラウンドを使用しているチームはなかったようですが……。ユーリ?」
「…あ、あー……ごめん、うん、おれ、うっかりしてた……」
 そうだった。
 ボールパークが使用されてる可能性もあったんだった。
「おれ……何も考えないで飛び出してきちゃって………」
 バカだなー、ホントに。
 呟くと、コンラッドが伸ばした手をおれの頭の上でぱふぱふと弾ませた。
「思いつめた目をなさっておいででした。……こういったことは周りの者が考えることですから、どうぞお気になさらないで下さい」
 でもね、コンラッド。おれ、これからコンラッドに告白するのに。
 その相手にこういう手間を掛けさせるのって、そのー……何かものすごく情けない気がするっていうか…。
 でも。
「………コンラッドにこういう風に面倒みてもらうの、もうすぐできなくなっちゃうね……」
「……ヨザとクラリスがいます。2人とも気配りはしっかりしていますから、不自由な思いをお掛けすることはないと思いますが……」
「コンラッドが一番だよ」
「……ユーリ……」
「おれのことは……コンラッドが何でも一番なんだから」
 ありがとうございます。ほんの少し間をおいて、コンラッドが小さな声でお礼を呟いた。小さな声、だったけど、とっても嬉しそうに聞こえたのはおれの勝手な思い込みじゃないと思う。
 だからおれも嬉しかった。


 敬礼して迎えてくれた管理人さんにコンラッドが馬の手綱を預けて、改めて何かを告げている。それからおれ達は揃って球場に入る階段に向かって歩いた。一応いつもの変装をしてきたんだけど、どうやらおれが魔王だってことは知らされてるらしい。管理人さんは左手に2頭分の手綱を握りしめたまま、敬礼し続けている。ちなみにボールパークの管理部門で働いてくれている人達は、多くが退役軍人だ。もちろん天下りなんかじゃない。前の戦争や、これまでの軍務の中で傷を負って(つまり労災だな)軍人としての生活ができなくなった人や、年齢的な問題で退役することになった人、その中で再就職を希望する人を優先して雇い入れたんだと聞いている。今日の係をしている管理人さんはもうおじいちゃんといっていい年齢だけど、さすがに年期が入っているせいか敬礼もぴしっと決まっている。
「お仕事ご苦労様。突然お邪魔してごめんなさい」
 そう言うと、管理人のおじいちゃんは「滅相もございません!」と、気合いの籠った敬礼を返してくれた。背筋も額に翳す指先もぴーんと伸びてる。
「御訪問頂き、光栄に存じます! 余人は決して近づけませんので、どうぞご安心下さい!」
 ありがとう、と答えると、おじいちゃんはまるで窒息してるみたいに顔を真っ赤にさせた。

「実はしょっちゅうお邪魔しちゃってるんだよね」
 階段を登りながらこそっと囁くと、コンラッドも笑顔で頷いた。
「これからしばらく、彼の口から自慢話が途切れることはないでしょうね。…ほら、ユーリ、横を向いてると躓きますよ?」
 おれを支えるように、コンラッドの手が肩甲骨の下辺りに添えられた。その感触に、一瞬どきりと鼓動が跳ねる。がんばって素知らぬフリをしながら、おれは階段の一番上段に上がった。空間が一気に開け、ボールパークの全容がおれの眼前に広がる。
 何も遮るもののない、開放的に広がるその風景は、人がいてもいなくても、どんな時でも、おれが抱くイメージを裏切らない。
 そして今日はいつもよりずっと、芝も土も真っ白なラインも、それからグラウンドを囲む観客席も、とにかくこの場所を構成する全てが青空の下できらきらと輝いて見えた。
 でもっておれの心臓は、この瞬間から、痛いほど激しく、胸の中で跳ね回り始めた。

 ヤバい。これはよくない兆候だ。
 せっかく最高の場所を見つけたのに、またまた極度の緊張と興奮状態に陥り始めてる。
 ああ、何だか動きもいきなりぎくしゃくしてないか?

「……どうしました? ユーリ。何だか……」
「なっ、何でもないよっ、コンラッドっ。さささっ、早く下に降りよう!」
 ぎくしゃくぎくしゃくとグラウンドに降り立ち、それからマウンドに向かう。ああもう、何だかすごく歩きにくいぞ!
「……あの、ユーリ?」
「なななっ、何っ!?」
「あの……右手と右足が一緒に出てますけど……」
「……………」
 一旦足を止めて、なぜかぜーぜー言ってる息を無理矢理整えて、心の中で「せーの」と声を掛け、右手を勢いよく前に突き出したら何故か右足が一緒についてきた。
「何でっ!?」
 お間抜けな格好のまま叫んだら、両肩にぽんとコンラッドの手が乗った。
「何を焦っておられるのか分かりませんが……とにかくユーリ、落ち着きましょう。はい、姿勢を戻して」
 言われるままに「気をつけ」をする。
「両手をゆっくり広げて深呼吸しましょう。はい」
 すーはー、すーはー、と深呼吸を繰り返す。
「……では、はい」
「え?」
 コンラッドが手を差し出している。
「手を繋いで行きましょう。ね?」
 じっとその手を見る。元プリらしくない、大きくて節くれ立って、よく見たら傷もいっぱいある手だ。
 でもあったかくて、優しくて、おれを護ってくれる手だ。
「うん」
 おれの手を乗せると、コンラッドがそっと握りしめてくれる。
「行きましょう」
「うん」
 やっと歩けた。

 ピッチャーズマウンドに立つ。
 プレートがちょっと土で汚れているなと思った途端、コンラッドがしゃがみ込み、胸から引き出したハンカチでプレートを拭いた。……きれいになったけど。
「ハンカチ、汚れちゃったね」
「大したことはありませんよ。やっぱりプレートもベースも、きれいにしておきたいですしね」
「そだね」
「そうだ、うっかりしてました。管理人からボールとグローブを借りてくればよかった。今から行って借りてきましょうか。どうです? ユーリ。気分転換に少しやりませんか? この所、あまりできませんでしたし」
 軽くボールを投げるモーション。
 おれの緊張を解そうと、気を遣ってくれている。
「うん、ありがと、コンラッド。でも……今はいいや。……話を、したいから……」
 コンラッドがじっとおれを見つめてきた。
「………ここしばらく」コンラッドの声の雰囲気が変わる。「俺に何か言いたそうになさっておいででしたね」
 うん。頷いて項垂れそうになる首に、懸命に力を込める。込めて、コンラッドを見つめ返す。
「何だろうと考えていましたが……分かりませんでした。……シマロンに関することですか?」
 ううん。今度は首を左右に振る。コンラッドがちょっとだけ困ったように首を傾けた。
「出発までにはお心の内を伺いたいと思っていました。……ユーリ、ここには誰もいません。管理人も決して邪魔はしません。この場所にいるのは、俺達2人きりです。どうぞ何でも、仰ってみて下さい」
 コンラッドは真剣におれの話を聞こうとしてくれている。
 おれももう緊張に逃げたりしないで、ちゃんと言わなきゃ。
「う、うん……。あのね、驚く、と思うけど……」
「これでも結構色々と経験してますからね。ちょっとやそっとのことじゃ驚きませんよ」
 微笑んでくれる。
「……うん。あ、あの………」
 と言いかけて、ハタッと思いついた。
 ここじゃない。そうだ。おれが勝負を決めるのはここじゃない!

「コンラッド!」
「はい、ユーリ」
「ここ! ここに立って!」

 ピッチャープレート、コンラッドが磨いてキレイにした真っ白なその場所を、おれは指差した。

「……ここに、ですか……?」
「そう!」
 だっておれ達はバッテリーで、コンラッドはピッチャーじゃないか。
 首を傾けながら、コンラッドがそこに立つ。
 その姿をしっかり見つめて、おれはもう一度大きく息を吸った。
 それからくるっとコンラッドに背を向けて。
 走る。

 ユーリ!? と背中に掛かる声。でも振り向かず、おれは真直ぐおれの場所に向かった。
 だっておれはキャッチャーなんだから。

 ホームベースのすぐ後ろ。おれの場所に立って、それから勢いよく振り返った。
 ピッチャーズマウンドに立つコンラッドを。
 それぞれが立つべき場所で、お互いと真正面から向き合うために。

 再度再度、深呼吸をする。腕を大きく振り上げて、おれの大好きなこの場所の空気を全部吸い込むように。ここをおれにプレゼントしてくれたコンラッドの思い。おれのためにこの場所を一生懸命整備してくれた兵隊さん達の思い。 世界中から戦争をなくし、そして野球を広めようと誓いあったおれ達の思い 。そして今、野球を好きになってくれた全ての人の思い。それを全部エネルギーに変えて、おれの中に取り込むように。
 大きく大きく息を吸う。
 そしておれは、まっすぐ前に顔を向けた。
 コンラッドが、じっと立っておれの言葉を待っている。
 少し足を開いて、握り拳と一緒にお腹に力を込める。
 準備万端。

「コンラッド!!」
「…はい、ユーリ」
 ほんの少し声のボリュームを上げて、コンラッドが答える。

「………お、おれっ! 渋谷有利は!」

 コンラッドのきょとんとした顔がはっきり見える。

「コンラッドが! う、ウェラー卿コンラート、あんた、いや、あなたが!」

 言え! 目を閉ざさずに、はっきりあの人の顔を見て。言うんだ、おれ!

「……すっ、すっ……ゲホゲホ」
 しまった、呼吸してる余裕なんかないから、あっという間に酸素が切れてしまった。くっそーっ。
 もう一度酸素と精神エネルギーをチャージだ。

「ユーリ、大丈夫ですか?」
「大丈夫です! 続き言うから大人しく待ってて!」
「あ、はい」

 再度再度再度、大きく息を吸う。
 そして再度コンラッドに向かい合うとすぐに口を開いた。今度は酸素が切れる前に、ちゃんと言うんだ。

「コンラッド!」
「はい」
「おれは!」

 がんばれ、おれ。

「コンラッドのことが!」

 負けるな、自分に。
 負けるな、渋谷有利!

「好きですっ!!」

 ………言ったぁ。言ったぞ。おれ、ちゃんと言ったぞ!

 気づくとおれは、ぜーはぜーはと肩で息をしていた。
 告白ってものが、こんなにエネルギーを消費するもんだとは全然知らなかった。

 ちゃんと告白できた充足感に、ぼーっとしてたのはほんの数秒感だったと思う。
 ハッと気づくと、ピッチャーズマウンドではコンラッドがぽかんとした顔で目を瞬かせていた。

「……こ、コン……」
「あの、ユーリ…?」
 コンラッドが曖昧な微笑を浮かべておれを見ている。
「もう何度も申し上げていると思いますが……俺ももちろんユーリのことを……」
「違う!」
 コンラッドが言おうとしたことが瞬間的に分ってしまって、おれは咄嗟にそれを遮った。
「……ユーリ?」
「そうじゃない! そんなんじゃないんだ! 名付け子とか、主とか、そんなんじゃなくて! おれが………お、おれがコンラッドのこと、好きっていうのも……そういうのじゃないんだ!」
「ユーリ……」
「名付け親じゃなくて! 保護者でも臣下でも護衛でもなくて! 野球仲間としてでもなくて……っ! おれ、おれは! ………おれは、コンラッドが、ウェラー卿コンラートっていう人が……好きなんだ!」

 だんだんと、目の前が水っぽく霞んできた。
 泣き落しはダメだぞ、おれ。それって卑怯ワザだぞ。少なくともここじゃダメだぞ。

「……お、おれは……ずっと……コンラッドのこと、好き、だった……。片思い、してました……。おれ、おれは、おれはもう……ずっとずっと前、から……コンラッドに………」

 息を吸い込んだら、鼻がぐすぐすと鳴った。ガキだもん。許してよ。
 気のせいかな、だんだんコンラッドの姿が近づいてくるような気がする。

「おれ……コンラッドに……ずっと……」

 服の袖で顔を拭う。
 顔を上げる。

「恋、してました!!」

 近づいてきていたコンラッドが、ぴたりと足を止めた。

 止めて、呆然とした顔でおれを見つめている。

 ほら、やっぱり驚いた。
 でもってやっぱり、どう答えて良いのか分からないって顔をしている。
 おれを傷つけずに断るにはどうしたらいいのかって……きっと……。

 きっと、拒まれてしまう。きっと、優しく。
 その瞬間がもうすぐくる。
 そう思うだけで、血の気が引くような寒気を感じる。

 また溢れだしそうになった涙を、手と袖を使って乱暴に拭う。
 それから、おれはたぶん最後の深呼吸をした。

「……え、えへへ……」

 ちゃんと笑顔になった自信はないけれど、でもここは意地でも男前を目指したい。

「ホントはさ。も、もっと修行して、成長、して、コンラッドに、その、ふさわしい大人になったら告白、しようなんて、さ、思ってたんだ。で、でも、コンラッド、シマロンに行くことに、なっちゃった、し……。だから、さ、思いきって告白しちゃおうと思って! や、やっぱりビックリした?」

 呆然とした顔のまま、コンラッドは答えない。

「……び、ビックリしたよね! おれ、おれなんかがコンラッドに、なんて、ず、図々しいって思ったんだけど! で、でもさ………でも……」

 ああ、ダメだ。また視界が潤んできた。
 握った拳で、もう一度目の周りをぐいと拭う。

「ごめ……ごめん、ね……。いきなり、こんなコト、言って……。あ、でもっ、無理に応えようとしなくていいから! ちゃんと分ってるから! おれ、おれなんか……コンラッドに……全然ふさわしくないって……ちゃんと、分ってる、から……。だから、だからコンラッド! 気にしなくていいから! ホントに! お、おれ、ただ……」

 知ってもらいたかっただけだから。

 そこまで言うのがやっとだった。
 コンラッドの、困り果てた顔を見てしまったら、もう。
 限界だった。

 ううう、と、出したくないのに声が漏れる。歯を食いしばっても漏れてくる。
 そしてとうとう、涙の大きな粒が目の縁を押し上げるようにして溢れては、はたはたと胸に零れ落ちる。
 掌で、手の甲で、服の袖で、拭っても拭っても、もうどうにもならない。
 手も服も濡れてぐしゃぐしゃで、水気を拭ってるんだか顔中に伸ばしてるんだか、もう自分でも何が何だか分からなくなった時。
 ふいに。両の手首が掴まれた。

 水の幕の向こうに、コンラッドがいた。
 無闇矢鱈と動くおれの手を止めたコンラッドの手は、次におれの頬にそっと添えられた。
 指が、ゆっくりとおれの目尻をなぞっていく。
「……ハンカチを汚してしまったので……指で許して下さい……」
 呟くようにそう言いながら、涙でぐちゃぐちゃになってるはずのおれの顔を無骨な指で拭う。
「…………コンラ、ド……」
 指が優しくて、心配そうに覗き込む瞳の光が優しくて、だからおれの涙は止まらない。
 瞬きするのももったいなくて、涙がほろほろと零れ落ちる目を瞠いたまま、大好きな人を見つめていた。
 時々涙に霞みながら、コンラッドが何かを言おうとして言えずにいる様子がはっきりと分ってしまった。

 ………きっともうすぐ。たぶん次の瞬間。おれの失恋は確実になるんだ。

 コンラッドに辛い言葉を言わせてしまうのが申し訳ない。

 失恋の痛みも怖いけれど、おれの告白のためにコンラッドが重荷を背負うことになるのが、もっと怖い。
 だから。

「………ホントに……ごめん、な、コンラッド……。こんな、こと……言って……。で、でも、ホント、気にしなくて……いい、から……」
「……ユーリ……」
 涙を拭うコンラッドの指が止まる。
「わか、ってる、から……。おれじゃぜんぜん……ダメ、だって……。お、おれみたいな、ガキじゃ……とてもコンラッドの……こ、こいびと、に、なれるはず……ないって……。お、おれ、おれなんかじゃ…」
 涙と一緒に、喉の奥から、ひくう、と変な音まで零れ出る。
「……シ、シマロン、で、待ってるお、おんな、の、人の方が、きっと、ずっと、き、きれいで……」
「違います!」
 突然のコンラッドの大声に、ひくっと喉が鳴った。
「この世界に……ユーリより美しい存在などあり得ません!」
 まだ、そんな風に言うんだ。言ってくれるんだ。
「……こ、コンラッドは……ほんと、親バカ……」

「違います!!」

 え? と見上げた。
 思いもよらない激しい口調に、その瞬間涙まで止まってしまった。
 見上げた先のコンラッドは、何か強い感情に襲われてるみたいに、眉を顰め、唇を震わせている。

「………違います」

 次の言葉は、先のセリフと全く同じなのに、何故か酷く苦し気な呟きだった。

「違います。そんなことでは……ありません。俺は……」
 ユーリ。
 もう一度苦しそうにおれの名を呼ぶと、コンラッドはおれからゆっくりと身体を離した。

「愛してるんです」

 何を?
 おれは間抜けな声でそう尋ねた。

 ぽかんとしたおれの問いかけに、コンラッドが困ったように苦笑を浮かべた。

「あなたを」

 アナタ。アナタッテダレ?

「……俺は、ウェラー卿コンラートは、あなたを、渋谷有利という人を………」

 愛しているんです。

 ぱちぱちと目を何度も瞬かせて、やっとはっきり見えるようになったコンラッドは、頬を赤らめているでもなく、照れくさそうでもなく、ただひどく苦しそうだった。

「………コンラッド……? え……あの……今の……」
「まさか口にする日が来るとは夢にも思っていませんでした。いえ、違う……夢では何度もあなたに……。でもまさか……。生涯胸に納めておくものと、決意するまでもなく決めていたことだったのに……」

 苦しい、というより、悔しそうだ。

「……あのー……コンラッドさん……?」
「はい、ユーリ」
「おれ、夢見てるらしいんだけど、いつの間に寝てたのかな」
「俺も夢を見ているんじゃないかと密かに思っているのですが……。どうも夢ではなさそうです」
「えっとー……あれ? ……あの、あの、さ………コンラッド、あのね、おれ……コンラッドが、好き、なんだ。その、恋、してるんだ。だからつまりその……コンラッドのことを、アイしてる、わけ、で……」
 あいしてる。その言葉に、コンラッドの表情がどこか切な気にくしゃっと歪んだ。
「………えっと、だからずっと片思いだったわけなんだけど……あの……コンラッド、えと、ごめん、ちょっとおれ、混乱してるみたいで……」
「俺もかなり混乱してます」
 言葉だけを聞けば到底混乱しているとは思えないコンラッドが、その顔に苦笑を浮かべた。
「俺も、もうずっとユーリに……片思いしてました」
「………コンラッドが……? おれに……!?」
 はい、とはっきり頷かれてしまった。
「だっておれ……こんなガキで、未熟者で、コンラッドには全然ふさわしくなくて……!」
「俺は俺のような男が、あなたのような素晴しい人にはふさわしくないとずっと思い続けてきました」
「……おれが王様だから……? おれが双黒の魔王だから、だから素晴しいって……」
「違います!」
 怒られた。コンラッドの目が厳しく眇められた。
「あなたが王位にあろうがどうだろうが関係ありません! あなたが。渋谷有利というここに今存在するあなたが! 俺にとって掛け替えのない、この世で最も素晴しい人だと言っているんです!」
 それってやっぱり親バカじゃないワケ?
「最初は」
 おれの疑わしい眼差しに気づいたのか、コンラッドがさっきよりもずっと深い苦笑を頬に刻む。
 そしてちょっとだけ瞳を閉じて、それから何かを吹っ切るようにその目を開くと、おれを真直ぐに見据えて口を開いた。
「あなたは俺の唯一無二の主であると同時に、大切な名付け子でした。大事な、愛しい、俺が命を懸けて仕え、そして護ると誓った人。あなたの良き臣下として、名付け親として、保護者として、生涯お側でお仕えする。そう決めて、迷いなくその道を歩いているはずでした。それなのに……。一体いつ、俺の中で何がどう変化してしまったのかは分かりません。切っ掛けも何も……今となっては分かりません。ただ、気づいたその時にはもう……俺はあなたに、ユーリに、主としてでも名付け子としてでもなく、本当に……どうしようもなく……」

 恋をしていることに、気づいたんです。

「………ふわぁ……」
 変な声が漏れた。と思ったら、いきなりお尻に衝撃がきた。
 気づいたらおれは、ホームベースのすぐ後ろ、本来のキャッチャーの居場所で、尻餅をついていた。
「ユーリ」
 すぐにコンラッドがホームベースに片膝をつく。
 おれは反射的に両手を伸ばし、コンラッドの手首を掴んだ。そして見上げた。おれを見つめる銀色の星を。
「コンラッド!」
「はい」
「おれ、おれね……好きだよ!」
「……ユーリ……」
 コンラッドが困ったように微笑む。今さら小っちゃな子供を見るような目に、何だか焦れてくる。
「おれはコンラッドが好きだよ! コンラッドは!?」
「……好きです。ユーリ」
「恋してるんだ! コンラッドは!?」
「俺も……ユーリに恋してます」
「アイしてるんだぞ! コンラッドは!?」
「……ユーリ」
「ちゃんと言えって! ここまで来たんだ、男らしくしろよ!」
「………愛してます、ユーリ」

 ………うわ。うわ。うわぁ……!

「しっ、信じらんない。あるんだ、こんなこと……!」
「……ユーリ」
「コンラッド! お、おれ達、両思いだぞ!!」
「ユーリ」
 コンラッドがますます困ったような顔で、苦笑を深めていく。
 どうしてそんな顔をするのか分からなくて、それがとにかく悔しくて、おれはコンラッドの二の腕を掴むと前後にぐいぐいとコンラッドを揺らした。
「なんでそんな顔するんだよっ!? おれ達両思いだったんだぞ! おれがコンラッドを好きで、コンラッドもおれを好きで……おれ、すっげー嬉しい! コンラッドは!? コンラッドはおれと両思いだって分って、嬉しくないのかよ!?」
「嬉しいですよ、ユーリ」苦笑のままで、やっぱりどこか苦しげに答える。「嬉しいです。だけど……」
 だけど?
「だけどって何だよ!?」

「俺は……この思いをあなたに告げるつもりはありませんでした」

 ………どうして?
 首を傾げるおれに、コンラッドが切なそうな苦しそうな表情のままで視線を逸らす。

「……あなたは魔王陛下です……。この国の唯一の、そして俺の唯一の主。俺などが身分も弁えず……」
「元プリが何言ってンだよっ!」
「前王の息子とはいっても俺は…」
「混血だからどうしたとか言いやがったらぶん殴るぞ!」
「それは……しかし……俺は……」

 コンラッドの声からどんどん力が失われていく。反対におれはがんがん元気が湧いてきた。
 いつの間にか立場が一気に逆転してしまってる。
 おれはお腹に気合いを入れてコンラッドを見上げた。とにかく両思いと分ったからには、ここで逃してなるもんかっ!

「……ユーリ、俺は、俺のこの手は、もうどれほどの血で汚れているか分かりません。おれはこれまでの人生の多くを、血と泥の中で生きてきたようなものです……」
「戦争だったんだろ!? 国を護るために戦ったんだろ!? 人を殺したくて殺してきた訳じゃないだろっ!!」
「……怒りと絶望と憎悪に塗れて剣を奮ったこともあります。俺は……汚れて……」
「人間、じゃないけどっ、誰だって長く生きてリゃ色んなことがあるだろ! 他人を恨んだり呪ったりすることだってある! それになぁ! おれは聖人に恋した覚えなんかないぞ!」
「俺はこんな卑しい汚れた手であなたに触れることはできません!」
「今までさんざん触ってきたじゃん! 頭、撫でてくれたし、抱き締めてももらった! 身体を洗ってもらったこともある!」
「そういう意味ではなく……っ!」

 むかーっと腹が立って、おれはコンラッドの両手首を掴まえると、ぐいっと引き寄せた。引き寄せて、その手をおれの頬に当てる。力が入り過ぎたせいか、ぱしんと音がして頬っぺたがひりひりするけど気にしない。

「コンラッドが血に汚れて卑しいなら、コンラッドと一緒にこの国を護るために戦った人達も卑しいのか!? 混血だからって差別されて、それでもこの国と自分達の未来のために必死で戦った人達の手も汚れてるってコンラッドは言うのか!?」
「…っ、それは……っ。彼らは……」
「グウェンだってヴォルフだってヨザックだってそうだろ!? 皆、魔族の未来のために戦ったんだ。そして! ほら、見ろよ! この国はきれいだろう!? 世界のどこより平和で、自然も豊かで、みんな笑ってるだろう!?」

 あんた達が作ったんじゃないか!

 コンラッドが大きく目を瞠いた。

「コンラッド達が、あの戦争で戦った人達が皆で護って、皆で作った今じゃないか! 誇りに思えよ! おれは思ってるぞ! この手はおれを……」

 両頬を包むコンラッドの手。それに重ねたおれの手に、ぐっと力を込める。

「……おれを護ってくれてる手だ。おれを支えてくれる手だ。おれの大切なこの国のために、ずっとずっと戦ってきてくれた手だ。そしてこれからもきっと戦ってくれる手だ。………おれは、この国の王として、そして1人の人間…魔族、の渋谷有利として、この手を、コンラッドのこの手を、誇りに思ってる」

 ウェラー卿コンラート。おれはあんたを、心の底から誇りに思っている!

「そして……その……アイして………愛して、います……!!」

 ユーリ。
 口の中で呟くように、コンラッドがかすかに唇を動かした。

「……ユーリ……」

 どこか泣きそうに、今にも泣き出してしまいそうに、コンラッドが顔を歪める。
 こんな表情のコンラッド……初めて見たような気がする……。

「………俺で……本当にいいんですか……?」
「それ、どっちかって言うと、おれのセリフだと思うんだけどなあ……。コンラッドはホントにおれみたいなガキでもいいの? ……まさか、実はそっちの方の趣味だとか……」
「それこそ変態じゃないですか」
 コンラッドが「冗談じゃありません」とイヤそうに眉を顰めた。
「そんな趣味は毛頭ありませんよ。……ユーリはガキなんかじゃありません。でも……」
 また何か後ろ向きなことを思いついたのか、コンラッドの眉が曇った。
「今度は何だよ!?」
「……身分もそうですが……年齢も離れ過ぎていますし……」
 う、とちょっとだけ言葉に詰まってしまった。身分はどうでもいいけど、年齢はー……。
「い、いいじゃんっ!」
「良い、んですか……?」
「そうだよ! だってさ、だって……魔族年齢で考えたら確かに離れてるし、もし俺がこの国で生まれた純血魔族だったら……」
 ……今頃は見た目、3、4歳、だ。
「でもっ、でもさ! 地球年齢で言ったら、16歳ってのはもう結婚できる年だし!」
「ユーリ、日本の男性が法的に結婚を認められるのは18歳からですよ? 16歳は女性の場合です」
 しまった。てか、どうしてそんなコトまで知ってんだ?
「いいじゃんっ、ちょっとくらい……って、あ……すっかり忘れてたけど、おれ、半分は女だろ? だったらオッケー! な? だろ?」
「オッケーですか?」
「おう! それにさ、おれの見た目は7、80歳なワケだし、100歳のコンラッドとならバッチリじゃん!見た目で釣り合ってるから問題なし! ……あー、だけど顔の作りとかまで論じるのはなしな? それ言われたら、おれなんかどうしようもないし……。そもそもコンラッドはカッコ良過ぎるワケだしさー」
 一瞬きょとんとしてから、コンラッドがくすくすと笑い出した。
「見た目で釣り合ってるからいいんですか?」
「だよ! だから年齢のコトをいうのはなし! のーぷろぶれむ!」
「No problemですね。じゃあ……この先誰かに年齢差でどうこう言われたら、それで押し通してもいいですか?」
「もちろん! 何より愛があるんだし! そうだろっ!?」
 ユーリ。
 コンラッドがまた小さく呟くようにおれを呼ぶ。
「……ええ。そうですね」

 愛があります。

 やっと、コンラッドが微笑んでくれた。微笑んで、でもその優しい目尻が何かを堪えるように震えているのを確かめた瞬間、何だかおれの目頭まで急に熱くなった。

「……コンラッド」
「はい、ユーリ」
「好きだよぉ」
「俺もです。……愛してます」
 嬉しくて、嬉しくて。またまた視界が潤んでくる。
「……もう泣かないで下さい、ユーリ」
 そう言うコンラッドの声だって、ちょっと掠れて揺れてるじゃないか。
 頬を包んだままのコンラッドの手が動いて、指がおれの目の際をそっと拭っていく。
「……えへ、えへへ……」
 視界が明るくなって、微笑んでるコンラッドの顔がはっきり見えてきたら、今度は急に笑いがこみ上げてきた。やっと安心したのかもしれない。
 一度笑い出したら、今度は止まらなくなった。
 何だかへらへらと妙な笑い声を上げながら、おれはコンラッドの二の腕に縋り付くように身体を寄せた。

「……何か嬉しい。おれ今、すっごく幸せで、もう無茶苦茶嬉しいよぉ」
「俺も、ですよ、ユーリ。俺も……。ユーリ……」

 おれを呼ぶコンラッドの声が甘くて、優しくて、でもっておれの笑いは止まらない。
 コンラッドの笑顔が本当に嬉しそうで幸せそうで、だからおれもどんどんどんどん幸せになる。
 浮き立つような思いに任せ、声を上げて笑いながら、おれはコンラッドにしがみついていた。

「……ユーリ」
 耳を、ぞくぞくするような良い声が擽る。

 なに?

 ふと上げた視界に、コンラッドの顔のアップ。

 え? と思った瞬間、ふわりと包むように、何かが唇に触れた。

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コンラッドがユーリの告白をどう受け止めるか、そもそも彼は受け止めるのか、という段階でハタッと立ち止まってしまいました……。今さら〜。
こんなのになりましたが、ご感想、お待ち申しております〜。(6月29日)