溜っていた執務が一段落したら。 お仕置きが待っていた。 帰ってきた途端、書類仕事が怒濤のように襲ってきて、おかげでてっきり忘れて貰えたものと思っていたのに……甘かった。 先ずは草むしり。でも、城の庭は庭師の人達が完璧な仕事をしてて、雑草なんて全然生えてない。でも城の敷地は広大で、これで結構人の手の入っていない所もある。おれとコンラッド(引き継ぎ作業がほぼ終了して、出立までおれの護衛に戻ることになった)は作業しやすい服に着替え、軍手に似た手袋を嵌め、2人でそんな場所の草むしりを開始した。んだけど、すぐにヴォルフがぶつぶつ、なんて可愛いもんじゃなく、盛大に文句を言いながら乱入してきた。 グウェンに命じられてカーベルニコフへの旅行に同行できなかったことを、どうやら根に持っているらしい。帰ってきてから事あるごとに文句を言っている。 「魔王ともあろうものがこのような真似を……! 恥ずかしいとは思わんのか!? …全く、僕をちゃんと同行させていれば、行方不明になるなどという不祥事、決して起こさせはしなかったものを。大体コンラート! 貴様……」 「ぐちゃぐちゃとうるさいなー、もう! そもそもヴォルフ、お前何しに来たんだよ。邪魔だからあっちへ行ってろよ!」 思わず声をあげると、ヴォルフがキッとおれを睨み付けてきた。 「僕に向かって何だその言い種は!? お前がコンラートとこのような作業をしている時に、婚約者の僕が安穏と見ていることが許されると思っているのか!? 僕はお前を手助けしてやろうとわざわざ来てやったんだぞ! それをお前は……」 いっそ、安穏と見ててくれ。そう言いたい口を閉じて、ぶちぶちと目に入った草を片っ端から引っこ抜いていく。つもりなんだけど、どの草も結構深く根を張っていて、簡単には抜けてくれない。なのでいきおい「引っこ抜く」が「引きちぎる」になってしまう。 「ヴォルフ、文句を言うのはいいが、手伝うつもりなら手も動かせ。ユーリ、上だけ摘み取ってもまた生えてきますから、ほら、これを使って根から掘り起こして下さいね」 渡された小さなシャベルをがしがしと地面に突き立てる。 そんなこんなで夢中になって、ふと顔を上げたらびっくりした。 人数が増えている。 おれ達の周りで、いつの間にかたくさんの兵隊さんやメイドさん達が、一緒になって草むしりをしていた。 「………コンラッド、今日ってもしかして城の除草日だったの?」 違いますよ、とコンラッドが笑いながら答えた。 「気がつかなかったのですか? 皆、陛下のお手伝いをしようと集ってきたんです」 え? と立ち上がり周囲を見渡す。視界に広がる敷地一面で、たくさんの兵隊さん達やメイドさん達が皆、わいわいと元気に草を刈り取っていた。立ち上がったおれに気づいた何人かが笑顔を向けてくれる。 「おれのため?」 はい。コンラッドが頷いた。 その時。 「はーいっ、みなさーん、サボってないで、ちゃっちゃと終わらせましょうねー。ほらそこ、集めた草はこっちへ入れて下さいな」 とっても聞きなれた声に振り返ると、ヨザックが猫車風一輪車を軽やかに押してやってきた。 「グリエちゃん!」 「はい、坊ちゃ……おやぁ、ダメじゃないですか〜。帽子も被らずにこんなコトしてちゃ。陽射しはお肌の大敵ですよ〜。ったく、隊長ときたらとことんヌケてんだからぁ。…おや? そんな所にいたんですか、隊長。何睨んでんです? 気配りが足りなかったのはあんたの責任でしょ? はい、坊っちゃん、グリエのお帽子、貸したげますね〜」 さらさらと言ったかと思うと、でっかい駕篭を乗せた手押し一輪車を止め、ヨザックは背中に掛けていたつばの広い麦わら帽子を持ち上げて、ぱふんとおれの頭に被せた。 「はい、お似合い。さ、坊っちゃん、抜いた草はこの駕篭に放り込んで下さいね。そしたら……」 「ねっ、グリエちゃん!」 はい? ヨザックが何事? という表情でおれを見る。 「それさ、おれが草を集めて運んでもいい? っていうか、おれにやらせて」 「坊っちゃんがですか?」 「ユーリ?」 しゃがんだままのコンラッドもヴォルフも、どうして? という顔で見上げている。 「や……あのさ、皆、グリエちゃんも、おれを手伝ってやろうって集ってくれたんだろ? だからさ、草を集めて回りながら、皆にお礼を言いたいなって思って……」 そう言うと、ほんのわずかの間おれを凝視していたヨザックが、にっこーと笑顔になった。 「りょーかいです、坊っちゃん。んじゃ、どうぞここを持って。……これ、つり合いを取って真直ぐ動かすのがちょいと難しいですから、倒れないように気をつけて下さいねー」 一輪車を立たせると、持ち手をおれに向けてくれる。 「うんっ、って……ホントだ、割と重いし……」 「ユーリ、俺が押しますから」コンラッドが慌てたように側に立った。「ユーリはついてきて、皆と一緒に草を集めて下さい。これのバランスを取りながら話をして回るのは、なかなか大変だと思いますよ?」 そう言われれば、と想像する。 1、2度押してみたことのある日本の猫車より、ここのは格段に重くて、すぐに左右のどちらかに倒れようとする。これに更に草を乗せ、くるくると押して回りながら皆にお礼を言って歩く……のは相当な技だ、という気がする。 「あ、だったら俺がー……」 「お前はそこで草をむしってろ。何なら喰っても構わんぞ。ああ、ヴォルフ、お前もだ。ほら、そこにまだたっぷり残ってるだろう?」 言いながらコンラッドが伸ばした手とおれの手が、軽く触れあう。軍手越しに。 でも確かに触れた感触に、胸がとくんと高鳴った。…………おれって、こんな乙女だったか……? たいちょー、おうぼー! とか、貴様ーっ、僕を蔑ろにするなー! とか、何だか叫んでいる声が酷く遠くに聞こえた。 まるで四輪車を押しているかのように危な気なく、コンラッドが眞魔国風猫車を押す。その隣について歩いて、おれはおれのお仕置きにつき合ってくれる皆にお礼を言いつつ、刈り取った草を集めて回った。 「陛下! …陛下と閣下がわざわざこのような……!」 「ううん、とんでもないよ。おれのためにごめんね? でも手伝ってもらえてとっても嬉しいよ! 本当にありがとう!」 「陛下、もったいない!」 「陛下のお手伝いができて、我々こそ光栄に思っております!」 「家族や友人達に自慢ができます! 陛下!」 太陽の下、皆の笑顔が眩しい。キレイな笑顔とか、輝くような笑顔って、こういうのを言うんだよな。顔の造りの問題じゃない。「奇跡の美貌」なんかより、皆が幸せな気分になれるこんな笑顔の方がずっといいし、ずっとキレイだよな。……おれの笑顔が、誰かを、コンラッドを、幸せにできたら嬉しい。まだまだ修行不足(?)だけどさ。 普段滅多に話すことのない兵隊さん達やメイドさん達に、刈り取った草を集めながら軽く話題を振ってみた。仕事はどう? とか、生活に何か問題はない? とか、そういったことだ。特に何があるという話はなかったけれど、親戚の商人が人間の国を訪れた時、魔族に偏見を持つ人間にいきなり罵られ困っていた所、周囲にいた他の人間達がこぞって庇ってくれて、逆に偏見を持ったその人間が皆からやり込められたという話や、学校の教師をしている知り合いが、人間の国の学校で眞魔国と魔族について子供達に教えてやって欲しいと頼まれたという話を聞かされて、あまりにも耳新しい話題にびっくりしてしまった。 ……気づかない所で、世界は確かに変化している。 そう実感できることが、ものすごく嬉しい。 いつの間にか、おれの周りには兵隊さん達やメイドさん達、それから城の中で働くたくさんの人達が、自分の周囲や街で聞き齧ってきた話をおれに聞かせようと集ってきていた。 そして先を争っておれに話しかけてくる。 「陛下とお話ができるなど、彼らにとって一生に一度あるかないかの幸運です。時間の許す限り、彼らの話を聞いてやって頂ければと思います」 コンラッドの囁きに、そんなオーバーな、と言いかけて、すぐに違うと思い直した。 庶民が一国の王様と一緒に地面に坐り込んで話ができる、なんてそうそうあることじゃない。 日本人渋谷有利の生涯をどう予想してみても、そんな方々とこの先話ができるとは到底思えない。もし日本でそんなことになったら……おれは滅茶苦茶アガって、話なんかできなくなるんじゃないかな。……この場合、おれが魔王だってことや、一国の王としてそれなりに外交に携っていることは、あんまり関係がないような気がするのは何故だろう。……気分の問題かな? 渋谷有利の身に置き換えて考えると、頬を紅潮させ、瞳をきらきらさせながらおれを見つめている皆の熱い気持が、手で触れたみたいに感じられるような気がした。だからおれは、滅多にないこの機会を生かして、腰を据えて皆の話を聞くことにした。 ところが。 せっかくの青空座談会(……お仕置き草むしり大会だったはずだけど…)は、唐突に終りを迎えた。 兵隊さんや城で働く皆が一斉に草むしりに走ったため、城の機能が著しくダウンしちゃったらしいんだ。なので宰相閣下より急遽「お仕置き中断命令」が出てしまった。 もうちょっと、1人でも多くの話を聞きたかったんだけど。解散命令というか、「全員を解散させて、仕事に戻して下さい」と、お使いの人に丁寧に頼まれたので、結局その日はそれでお開きになった。 ……お仕置きはまあ……だけど、でも終わってみるとすごく心残りな気がする。 「な、コンラッド」 首を捻って、1歩後ろからついてくるコンラッドに声を掛けると、そこにはいつもの笑顔がある。 「今日さ、短い時間だったけど、思いも掛けない色んな話が聞けてすごく充実してたような気がするんだ」 「楽しそうにしていらっしゃいましたね」 「うんっ、楽しかった! やっぱりさ、生の声っていいよね。城下に下りて色々と見て回ったつもりでいたけど、こんな身近にも色んな話題があるもんだなって新発見した気分!」 そうですね。そう応えてから、コンラッドはほんの少しだけ間を置いて、それからゆったりと歩くリズムに合わせて言葉を繋いだ。 「名もなき一兵士、などという表現もありますが、名のない者などいません。どれほど身分も地位も低い兵士や下働きの者であろうと、彼らにはそれぞれ名があり、家族があり、生活があり、人生があります。高い地位にある者は時としてそれを忘れ、身分の低い者や貧しい者は人がましい感情すら持ち得ぬと勘違いすることもありますが……。今日は彼らも陛下に自分達の生活の一端を知って頂けて、本当に嬉しく思っていることでしょう。訴えるというほど深刻なものはないでしょうが、陛下に知って欲しいと願うことは、彼らの生活の中にも少なからず存在するだろうと思いますし」 「そうだね」 コンラッドの言葉を胸の中で咀嚼して、それからおれはもう一度「本当にそうだね」と頷いた。 「だからさ、コンラッド!」 おれ、思いついたんだけど。 身体ごとコンラッドに向き直り、後ろ歩きしながら、おれは新たなアイデアを披露することにした。 危ないですよ、と言いながら、コンラッドは笑顔で言葉の続きを待っている。 「日を決めてさ、今日みたいな座談会を定期的にやりたいなって。今日は厨房の皆さんと、次は、えっと、庭師の皆さんと、って感じで。仕事のコトや、生活のコトや、彼らならではの巷の話題とかを聞かせてもらいたい、なんて思ったんだけど……どうかな?」 「それは……陛下ならではの発想ですね」 「そうかな? っていうか、陛下って言うな、名付け親!」 「ああ…すみません、ユーリ、つい癖で。……ええ、さすがユーリです。それは色々とクリアしなくてはならない問題もありそうですが、根付いて長く続けることができれば、なかなか面白いイベントになりそうな予感がしますね」 「コンラッドもそう思う!? うん、やっぱりね、続けなくちゃ意味ないよね。でさ、最初は城の皆を中心にして、根付いていったらだんだんと城の外へ広げて行く、っていうのも良いよね! でもまあ、先ずは城で働く人達との座談会を企画しなくちゃ。よし! 早速グウェンとギュンターにも話してみよう。ねえ、それでさ、コンラッド、最初にその………」 ふいに。頭で気づくより先に、ギクリと身体が固まった。 「…ユーリ? どうしました?」 急に立ち止まったおれに、コンラッドも歩みを止めておれの顔を覗き込む。 おれはその場に立ち尽くしたまま、急に胸に吹き荒れ始めた寒気に似た風に、ただ呆然としていた。 コンラッドはもうすぐいなくなる。 思いついたイベントを開催できる頃には、おれの傍を歩くこの人はいない。 バカなおれ。 分かり切ったことを、いまさら実感して慄いているバカなおれ。 「ユーリ?」 コンラッドの吐息が近い。体温も近い。おれは手を伸ばし、上着の裾を掴んだ。コンラッドは驚いたように、上着を握りしめるおれの手に視線を向けた。 「………コンラッドが帰ってきてからにする」 「……ユーリ……」 「座談会、コンラッドが帰ってきてから企画する」 「ユーリ、俺はいつ戻ってこれるか……」 聞きたくないと、おれは頭を激しく左右に振って、今度は両手でコンラッドの服を握りしめた。 「コンラッドが帰ってきてから、一緒に考えて企画する!」 大きな声で宣言しておきながら、顔を上げてコンラッドと向き合うことすらできず、項垂れてしまったおれの頭に、コンラッドの大きな手がふわりと乗った。 「たくさんアイデアを溜めておいて下さいね。帰ってきたら、2人でどしどし企画書を出して、グウェンとギュンターの仕事を思いきり増やしてやりましょう」 うん、と視線を落としたまま頷く。そんなおれの頭を、コンラッドの手が優しく撫でてくれた。 コンラッドと離れ離れになる。 色んな場面でそれを実感して、その度に胸が軋むように痛む。 慣れるどころか、日ごとに強くなるその痛み。 同時に感じる焦り。 このまま。 何も告げないまま、遠く離れてしまいたくない。例えそれが心の重荷になるかもしれないとしても。 それでも。 その翌日。 コンラッドがシマロンに向けて出発する日が決定した。 「ねえ、渋谷」 執務の合間のお茶の時間、いつも通りに、でも何をするでもなくソファでくつろぐ村田が、お茶のカップを手にしてのんびりと話しかけてきた。 「何だ?」 「君さ、 シマロンの反乱軍、じゃない、新生共和軍の指導部にどういう人がいるか具体的に聞いたことはあるのかい?」 え? と唐突な問いかけに思わず目を瞬かせる。 おれの前ではなるべくシマロンの話をしないようにしている、らしい、コンラッド始め、グウェンやギュンターやヴォルフ、それからヨザックとクラリスまでもが、ちょっと鼻白んだ様に眉を潜め、ごく控えめに村田を睨んだ。村田は気にも止めていない様子で、ゆったりとお茶を飲んでいる。 「これからウェラー卿が共に戦う人達だろう? 君も知っておいた方がいいと思うんだけど。…… ねえ、ウェラー卿」 「……はい、猊下」 「僕達は諜報部員からの報告や君の話から、必要なところは把握しているつもりだけどね。でも陛下にも一度きちんと、君の命を預けることになる人達について具体的な情報を聞かせてくれないかな?」 命を預ける。 コンラッドの命を、おれの全く知らない人達に預ける。 ずきりと、心臓が捻れるように痛んだ。 「……具体的に、ですか……」 わずかに首を傾げて、それから村田の意を計る様に慎重に、コンラッドが言葉を続けた。 「盟主のエレノア・パーシモンズは、猊下もご存知の通り大陸でも1、2といわれる長い歴史を持つ国の最後の女王です。現在60歳を過ぎておりますが、14歳で即位してからの長い在位期間、国政を1度として破綻させることをしませんでした。そしてゆるやかではありますが確実な経済の発展を実現させてきました。自然の崩壊があからさまになってきたここ十数年においても、国の基盤となる道路や港など、地球でいうインフラの整備を進め、農業を含む各産業の保護と育成に力を注ぎ、民を餓えさせることはほとんどなかったという話です。大陸でも名君と名を馳せ、その影響力ゆえに、大シマロンも彼女を捕えて後、その命を奪うことができませんでした」 ……14歳、ってことは、おれより早く王位についたわけだ。おれと違ってちゃんとそれなりの教育を受けてはきたんだろうけど……。 在位50年の間に、確実に国を発展させた名実共の名君。すごいよな。 そんな人がコンラッドを自分の側にと求めているのか……。 「君はその盟主殿の側近という立場になるんだよね? 他の、君の同僚とも呼ぶべき盟主殿の側近といえば、どういう人物がいるんだっけね」 村田がさらに突っ込む。 「側近といえば……やはり第一はダード老師でしょうか。陛下にも一度お話したことがありますが、元々大神官の地位にあり、法術師としても相当の実力者ですが、ある意味変わり者とも呼ばれ、教会からは既に追放されています。その理由が……魔族は魔物ではなく、魔王は邪悪の帝王ではなく、世界を滅ぼすのは人間であると主張したことにあります」 「神官で法術師でありながら、魔族を擁護してきたというのですか!?」 ギュンターが驚いた様子で言葉を挟んできた。 「擁護というより、さらに積極的だな。魔王は精霊の王であり、救世主である。魔族を友としない限り、世界に救いは訪れない、というのがあの人の信念だから」 「驚いたな」 村田が本気で驚いた顔で、目を瞠っている。 「法術師がいる事は聞いていたけれど、そんな面白い人とは思わなかったよ。人間の神官とは思えないね。まさしく世の真理を悟っているじゃないか」 ………救世主は違うだろ、救世主は。 「ダード老師は盟主の個人的な友人で相談役という位置にあり、軍事的な作戦にはほとんどタッチしておりません。ですからこれまであまり話題にはしませんでしたが……。温厚な仁徳者で、その人間性で尊敬を集めていますが、反面彼の主義主張に共感する者は、あの砦にほとんどいないと言っていいでしょうね。せいぜい……今現在はクロゥとバスケスくらいかな? エレノアですら、彼の主張を全面的に支持してはいませんし。魔族に対するアレさえなければ良い人なんだが、というのが大方の評価ですね」 「ま、そんなものだろうね。でも僕は……興味があるな、その人物に。ぜひ一度じっくりと話してみたい。神官として、そして法術師として修行を重ねてきた人物がいかにしてその境地に至ったか。うん……面白い」 「ある意味、自分という存在そのものを否定する考え方でもある。確かに興味深い人物だ。そのような人物が盟主の傍にあるというのは、我々の将来を考える上で好材料となるな」 グウェンもそう言って頷き、向の席に座るギュンターも「確かにそうですね」とどこか嬉しそうだ。 魔族を正しく理解する人間がいる、ということを知るのは、それがたった1人であってもやっぱり嬉しいものだよね。おれも話を聞かせてもらった時には、本当に心が弾んだし。 「俺もそう思う。だからこそエレノアには揺るぎない盟主であってもらわなくてはならない。ただ……」 コンラッドの視線が村田に向いた。 「惜しむらくは、エレノアには強力なリーダーシップというものが欠けています。彼女の能力は個々の才能を引き出すという点や、組織と人物間の力の配分や調整といった点で最も発揮されるもので、国の発展もその力によってなされてきました。すなわち大変有能な議長タイプの王であって、強烈な個性や指導力で人々を従わせるカリスマ的絶対君主ではないのです」 ああ、なるほどね、と村田が頷いた。 「平和な国の王様としては悪い性向ではないけれど、反乱軍の盟主としてはちょっとキツいだろうね。まして部下ともいうべきメンバーは、野望だの野心だので目をぎらぎらさせてるのばかりだし? なるほどそれなら君を求める気持も分からないではないな。……で? 他には?」 「そうですね……ああ、エレノアを支えるという点では、彼女の孫達がいます」 「孫? 本来なら王子様や王女様だった子供達ってことかい?」 「子供と言うか……。エレノアの長男、戦死した王太子の娘が2人と、やはり戦死した次男の息子の3人です。王太子の長女がカーラ、次女がアリー、従兄弟にあたる少年がレイル。アリーとレイルは陛下や猊下とほぼ同年代ですよ。いっぱしの戦士を気取って砦を走り回っていますが、まだまだ気合いばかりが先走っているという状態ですね。しかしカーラの方は、すでに一軍の将として実績を上げています。クロゥ達ほどではありませんが腕も立ちますし、さすがに王家の血筋か、組織の長となり、人を動かす能力にも長けています。指導力という点では、いずれ祖母以上に能力を発揮する可能性もあると思います。見た目俺と大差のない年頃ですから、まだ20代の前半でしょうが」 「へえ、すごいじゃないか。世が世なら、ドレスを着て優雅にダンスをする以外、身体を動かすこともなかっただろうに。……美人?」 ……む、村田っ! 「まあ……人間としてはかなりの美女だろうと、思いますが……」 「そうなんだー。君とは仲良しなの?」 ちょ、ちょっと……っ。 「仲良しというか」 コンラッドがちょっと困ったように苦笑を浮かべる。 「俺もあちらではエレノアの側近という形で中枢にいましたから、カーラとは戦友として親しくしてました」 「戦友として?」 「ええ、もちろん」 「君がシマロンの王位につくことを」 唐突に変わった話題に、一体話がどこへ進もうとしているのかと固唾を飲んで見守っていたメンバー(もちろんおれもその1人だけど)が、一斉に首を傾げた。 「新生共和軍の盟主殿は誰より強力に推していたんだったよね。彼女は君に対して、他にも何か望んでいたことがあったんじゃないのかい? 例えば……その自慢の孫娘に絡んだことで」 「それは……!」 コンラッドが驚きに目を瞠った。ビンゴ、と村田が悪戯小僧のように笑う。 「望まれたんだろう?」 「望まれたというか……」 本当に困った顔で、コンラッドが言い淀む。村田は一体何を聞き出そうとしてるんだ? 「夢があるのだ、と言われたのです。俺が眞魔国へ帰還すると表明した夜に」 「夢?」 「ええ、その………俺がシマロンの王となり、その……カーラを王妃として迎えるという……」 ……………な……何、だとーーーっ!! 「やっぱりねー。で? 君はどう返事をしたんだい?」 返事をするも何も。コンラッドが苦笑を深める。 「俺は眞魔国に、陛下の下に戻ることで頭がいっぱいでしたし、そんなバカげた夢について言及する気にもなれませんでした。ですから……ただ笑ってそのまま……」 「断らなかったのかい!?」 「断るというか、そもそも夢だと言われただけで……。俺にそんな気がないことは充分分っていたはずですから、エレノアもカーラもそれ以上俺にどうこうとは……」 「ダメだなー」 「……は?」 「百戦錬磨の恋の達人、夜の帝王ウェラー卿コンラートともあろう人が、そんな悠長なことを言っててどうするんだい?」 「悠長って……いや、猊下、あの、百戦錬磨とかそういうのは止めて頂きたいのですが……。妙な誤解をなされておいでのようですが、俺は決してそんな……」 「アブないなー。これはもう絶対危ないよ!」 どことなく冷や汗を掻き始めた様子のコンラッドを放っぽりだして、村田が芝居っ気たっぷりに腕を組み(イメージとしては陳情者を前にしてもったいぶってる政治家とか、犯人をいたぶる探偵ってトコだ)、ソファの上でふんぞり返った。視線がちろりとおれに向く。 「……危ないって、何がだよ、村田!」 乗ってやるのはものすごく不本意だけど、でも……気になるじゃないかっ。 過去はいいんだ。そうとも、過去のコトは……ホントはちっとも良くないけどッ! でもコンラッドの過去に華々しい何があったとしても、今のおれにはどうすることもできないしっ! でもっ! 未来は別だ! 「イヤだな、鈍感にも程ってものがあるよ、へーか。いいかい? シマロンの人々のウェラー卿への、いわば崇拝といっても過言ではない思い、これはもう強烈なものなんだよ。ウェラー卿が再びシマロンに向かえば、必ず結果を出すだろう。それは確信できる。となると。……あのクロゥ・エドモンドやバスケスを思い出してご覧よ。彼らはウェラー卿という人物をあの地の誰より理解していながら、それでもやっぱり自分達の王になって欲しいという願いを捨て切る事ができなかった。とすれば、眞魔国のウェラー卿を知らないシマロンの人々はなおさらさ。ウェラー卿が新生共和軍を再生させ、内乱を勝利に導けば、間違いなく彼を王にという声が再燃するだろう。以前より遥かに強く、そして大きくね。そしてさらに……」 「コンラートと、その盟主の孫娘とやらを結び付けようと人間共が画策する、ということだな!」 ヴォルフラムが叫ぶ。その言葉に思わず飛び上がったのはおれだ。椅子がガタンっと耳障りな音を立てる。 村田が満足げに大きく頷いた。……くっそー、しっかり乗せられてしまった……。 「…猊下……」どこかげっそりしたコンラッドの声。「俺の気持を全く無視なさっておいででは……」 「こういうことは案外勢いで勝敗が決するものだよ、ウェラー卿」 「いつから勝負の話に……」 「多勢に無勢、あちらが一致団結してぶつかってきたら、いくら剣豪の君でも危ないだろう?」 「ですから……」 「ある夜、勧められるままに酒を飲み、ふっと気が遠くなった君が次に気づいた時、そこはベッドで時間は既に朝。何が起きたのだろうと不思議に思う君が、妙な感触にひょいと隣を見ると、何故かそこには一糸纏わぬ王女様が!」 「罠に嵌められたコンラートは、責任を取るべくその娘と結婚する羽目に!」 それはあまりにも間抜けだぞ、コンラートぉ!! 起こってもいない事に怒るヴォルフ。 自分の豊かな想像力にすっぽりはまり込んでいる弟に、コンラッドが額に手を当ててぐったりと息を吐き出した。おれの傍では、ヨザックが両の顳かみをくりくりと揉み、クラリスが阿呆らしいとばかりにくるりと背を向ける。グウェンはバカバカしくて付き合いきれんと言いたげに、それまですっかり忘れていた書類を徐に捲り始め、頭を抱えて何やら思い悩むギュンターを叱りつけている。 「いやー、僕は心配だなあ。そんな罠が張り巡らされた土地にこれからウェラー卿が向かうのかと思うと。いやいや、僕は全くもって心配でたまらないよ。ねっ、陛下?」 「お前な! どういうつもりだよ!?」 「何がだい?」 無理矢理連れ込んだおれの部屋のソファで、村田が余裕の笑顔で足を組む。 妙な空気が残ったままで執務を終え、間もなく夕食だという時刻。 一言も発しないまま執務室をまっ先に出て行く村田を目の端で捕えたおれは、呼び止める誰かの声を振り切ってその後を追いかけていた。 「心配でたまらないよ、ねっ、陛下……だとぉ。つまらない真似をするんじゃねーよ!」 「おや? あの話の一体どこがつまらないと?」 「………おれを……たき付けるつもりでやったんだろう……?」 おやおや。村田が大げさに仰け反って笑い出した。 「意外なところで鋭いなあ、渋谷は。うん、その通り!」 あっさり認めやがった。 「だってさー。ウェラー卿が君の側からいなくなる日が確実に近づいてきてるんだよ? なのに君ときたらうじうじと全然先に進まないからさ。ちょーっと危機感を煽ってあげようか、と」 「危機感煽ってどうすんだよっ!」 「魔王ともあろうものが、顔も知らない元王女なんかに負けてもいいのかい?」 「……う」 「向こうの連中は手ぐすね引いて待ってるんだからね。こうなったら先に手をつけておいた方が勝ちだよ!」 「手をつけるって何だっ!? 手をつけるって!」 大体なあ! おれは怒りを込めて親友を睨み付けた。 「お前、コンラッドをバカにしてるだろ! コンラッドはなあ、お前が言ったみたいな卑怯な罠なんかに引っ掛かったりしないんだよ! 誘惑だってされるもんか! コンラッドは絶対おれの側に帰ってきてくれるって約束したんだからな! それに!」 おれは大きく息を吸い込んだ。 「おれだって! コンラッドと離れ離れになる前に、ちゃんと告白するって」 「決心したのかい!?」 「しつつあるんだ!」 「まだその段階!?」 「うっ、うるさいっ。ちゃんとする! コンラッドに好きだって告白する! 決めた! 今決意した! でも言っとくからな! お前に焚き付けられて決めたんじゃないからなっ! ちゃんとそのつもり……になる直前だったんだからな!」 はいはい、よく分ってるよ。 余裕の笑顔の村田が憎たらしい。おれは身体中を駆け巡るアドレナリンの命じるままに叫んだ。 「これから行って、コンラッドに告白してくる!」 おーい、渋谷ぁ。背に親友の間の抜けた声を受けながら、部屋の扉を蹴り飛ばし、おれは走った。 「坊っちゃ、いや陛下、どこへ行くんですかあっ!?」「陛下、お待ち下さい!」という声が背中に飛んできたけど、きっぱり無視! 「コンラッド!!」 おれの執務室に行き、誰もいないことを確かめて次はコンラッドの部屋へ行き、またまた無人だったので、どこへ行けばいいのか分からないまま、たぶんヨザックとクラリスを引き連れて走っていたらヴォルフにぶつかった。そしたらコンラッドはグウェンの執務室にいるというので、そこへ向かってひた走る。おれに襟元を締め上げられ、ぶんぶんと頭をシェイクされたヴォルフが「何なんだーっ!?」と叫んでいるがこれまた無視。 そして最後はびっくり眼の衛兵さん達も無視して、バーンと音を立てて開けたドアの向こうには、グウェンとギュンターと、それからコンラッドがいた。 「コンラッド!」 もう一度呼ぶと、コンラッドが驚いた顔のまま近づいてくる。 「どうしたんです、ユーリ。猊下とご一緒では? 何かあったのですか?」 「こっ、コンラッド! お、おれな……!」 はい、ユーリ? コンラッドが首を傾けておれを覗き込む。 銀色の星が瞬いている。 「おっ、おれ……」 「ユーリ?」 「おれ………おおおおおおっ……」 お腹空いた! しん、と部屋が静まった、気がした。元から静かだったはずなのに。 ……でもっておれ、今、何を言ったんだっけ。 コンラッドがきょとんとおれを見つめている。 「あ、ああ、あの……コンラッド……」 「あ、はい、ユーリ、大丈夫ですよ。すぐに夕食ですから。申し訳ありません、そんなに空腹でいらっしゃったとは気づかなくて……。あ、今、何かお菓子でも一口召し上がりますか?」 「ううう……」 「ユーリ?」 わぁぁんっ。一声叫んで部屋を飛び出した。 そして飛び出したすぐ先に、村田が立っていた。 「渋谷。告白できた……」 「村田ぁっ!」 勢いのまま詰め寄る。 「お前のせいだぞ!」 「何が?」 「思いっきりアヤしい人になっちゃったじゃないかーっ!!」 「怪しい人。君が?」 「どうしてくれるんだーっ!」 「つまり告白に失敗した訳だね。はい、どうどう、錯乱しないで」 「何がどうどうだっ!?」 「陛下! ……猊下?」 背中に聞こえる声に、ぴくんっと身体が硬直する。 「やあウェラー卿。ヨザックとクラリスも。3人揃ってどうしたんだい?」 「どうしたと申しますか……陛下?」 照れくさいというか恥ずかしいというか、とにかく振り返る事もできない。 コンラッドが心配そうな様子で、おれの前に回り込んできた。 「陛下、これを」 掌に何か小さなものを乗せて、おれに差し出す。 「飴がありました。お召し上がりになられては如何かと……」 掌の上には、可愛いく包まれた小さなキャンディー。 「渋谷。君、何を言ったんだい……?」 告白する。 決めた。 何が何でも、コンラッドが出発する前に告白する。 シマロンで待ってるとかいう女の人に負けてたまるもんか! コンラッドは。 コンラッドは………おれのものだ!! と。 男前に一大決心したのはよかったんだけれど。 いかんせんおれは致命的なまでに経験不足で。必死になればなるほど、興奮と緊張ばかりがすさまじくなっていく。で、コンラッドの前に立つと、胸と脳が爆発したようになって何も言えないか、言っても見当外れのめちゃくちゃな事を口走ってしまう。 だーっと走って行って、コンラッドの前に立って、さんざん赤くなったり汗をかいたりした挙げ句、「こ、コンラッド、お、おれ、おれおれおれ………お手!」と叫んで反射的に手を差し出したら、コンラッドがすかさずぽんと手を乗せてきて、その時にははっきり言ってフォローに困った。 ……おれは近頃めっきり「おかしな人」だ。 コンラッドはもちろん、グウェンやギュンターやヴォルフやヨザックやクラリスの、何かを探るような視線が痛くてたまらない。 このままじゃダメだ。 このままじゃ、何も伝えられないままコンラッドと別れなくてはならなくなる。そしたらおれは後悔する。コンラッドの帰還を待つ間、ずっとずっと後悔し続ける。 今コンラッドはどうしているだろう。今この時、コンラッドは誰と一緒にいるんだろう。 そんな不安を抱えたまま、勇気を出せなかった自分を責め続けることになる。 たとえどんな結果を生もうとも。 おれの気持を、本当の気持を、コンラッドに知ってもらうんだ! 「……コンラッド……?」 呼ばれて行った王都警備の仕事から帰ってきたコンラッドを、回廊で迎える。 「陛下。……このような所でどうして……。ヨザック達はどうしました?」 撒いてきました。とは言わず、おれはコンラッドに近づいて行った。 「陛下……ユーリ?」 「コンラッド、あのな……」 見上げた先に、怪訝な表情のコンラッド。 「ちょっとおれに付き合ってくれない? その…コンラッド1人だけで」 「どこかに……行かれるのですか?」 「うん」 頷いて、もう一度その瞳を見つめる。 「ボールパークに」 →NEXT プラウザよりお戻り下さい
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