恋・11


 追い返せなかった。

 港に下り立った元コンラッドの副官という二人を、それ以上一歩も国に入れるものか、コンラッドに会わせるものか、何が何でも追い返してやる! と、ヴォルフと二人でがんばったつもりだったんだけど。
 結局、ヨザックと一緒に王都まで案内してしまうこととなってしまった。……何でだろ?

 コンラッドの副官をしてた二人は、やっぱりコンラッドが大好きだった。
 命懸けの日々を長く共にしてきたから、そしてコンラッドのことを心底信頼していたからだろう。彼らはコンラッドのことを「家族だ」と言い切った。「仲間」じゃなく、「家族」だって……。それほどシマロンの人達がコンラッドを大切に思っているんだということは分かった。
 だけどそれを聞いた瞬間、おれの中で熱い怒りがぐわっと音を立て、お腹から胸、胸から喉、そして頭を焼くように突き抜けていったこともまた本当のことだ。
 だってコンラッドの、確かな愛情の絆で結ばれた本物の家族は、この眞魔国にちゃんといるんだから。
 ツェリ様とグウェンとヴォルフ。この3人こそが、コンラッドの本当の本物の家族だ!
 ……さすがの意地っ張りヴォルフも、怒り爆発という勢いで剣を振り上げていた。
 見も知らない赤の他人がコンラッドの「家族」を名乗る。それに対してヴォルフが怒りを露にしたことは、後から思えばかなり嬉しい出来事だったと思う。ヴォルフのそんな態度をコンラッドが見ていたら、案外露骨に喜んだんじゃないかな? それに、その時ヴォルフが口にしてくれた言葉。

『コンラートの家族を名乗っていいのは、母上と兄上と僕と、それからここにいるユーリとグレタだけだ!』

 あれはおれも結構嬉しかった。
 コンラッドも時々そんなことを笑って言ってくれるけど、ヴォルフがおれとグレタをはっきり「家族」という言葉で表現してくれた事は今までなかったから。
 おれとヴォルフが、まあ一応婚約者だってこととか、だからおれの娘であるグレタは当然婚約者である自分の娘だと主張するとか、そんな言い方をするのはしょっちゅうだけど、でもやっぱり「家族」って言って貰えたのは理屈じゃなく嬉しいと思う。

 ……まあ、そういう事は置いといて。

 大シマロンの反乱軍、じゃなく、新生共和軍からコンラッドを探しに来た二人、クロゥとバスケス、愛称「クーちゃん」と「バーちゃん」は、かなりのデコボココンビだった。
 クーちゃんは、ホントに人間? 魔族じゃないの? と尋ねたくなるほどの美形で、腰まで真直ぐに伸びた銀色の髪に瞳まで銀色、話す言葉も態度も外見通りにクールな雰囲気だ。典型的な頭脳労働タイプってトコかな? 魔族が嫌いなのか、それとも元々そうなのか、ちょっと取っ付きにくい感じがする。
 対してバーちゃんの方は、とにかくがっしりとでかい! 服を着込んでいても逞しさが分かると言うか、筋肉が存在を主張してると言うか。全体のでかさ、逞しさでいったら、ヨザックを軽く上回ってる。そしてその体つきにふさわしく、むちゃくちゃ男臭い顔立ちをしてる。でも表情はとっても豊かで陽気で、豪快な雰囲気に溢れてる人だ。……クラリスがどう評価するか、ちょっと聞いてみたいなんて思ってしまった。
 こういう全然タイプの違う二人がコンビを組んでコンラッドの副官をしていたんだと思うと、ちょっと不思議な気がする。ま、副官としての能力という点で考えてみたら、二人合わせてどう頑張ったって、ヨザックには遠く及ばないと思うけどね。
 何つったって、「俺より俺という男を理解している男」とコンラッドが評価してるくらいだもんな、グリエちゃんは!

 そしてこの二人、クーちゃんとバーちゃんは、やっぱり思いっきり勘違いしてた。
 魔族が魔物で、眞魔国が闇の王国で、魔王が邪悪の帝王だという勘違いをベースにして。
 コンラッドが魔王を裏切って、魔族の血を捨て、人間のため、何よりシマロンの民のために戦ったんだという勘違い。
 自分達以外にコンラッドを理解できるものはなく、コンラッドにとっても自分達以外、心の拠り所となる仲間はいないという勘違い。
 そして魔王が自分を裏切ったコンラッドを許さず、命を奪おうとしているという勘違い。
 眞魔国、そしておれに迷惑を掛けないよう、コンラッドがそう思い込む様に人間達を誘導したのだいう話は聞いていたけれど、実際それを当然のように信じ切ってる人達を目の当たりにしてしまうと、ムッとするというか、バカバカしくて脱力するというか……。

「魔王は、己に逆らうものはどんな些細な罪であろうと許さないと聞くし、毎夜の正餐の皿に罪人を盛るとも聞いている。そんな恐ろしい王の怒りから、コンラートは一体どうやって逃れたんだ? それとも、何か罰を受けたのか?」

「………何、それ? おれって、そんな悪逆非道な王様だって思われてるワケ?」
「そもそも魔族といえば魔物だと信じ込んでいるんだ。魔王を冷酷な悪鬼だと信じていてもおかしくはない」
「でもさ……それに、何なんだよ、意味分かんねーんだけど。罪人が毎晩凄惨なサラダ盛りって何!?」
「……あのなっ。……あいつらはお前が毎晩夕食に、罪人を食していると言っているんだ!」
「食して……って……食うってコトかっ!? おれが!? そこまでおれのコト、化け物だと思ってるワケ!? ……うはー……そりゃ確かに凄惨なサラダだよな、うん……っていうか、じゃああいつらおれが……コンラッドを食べるって……」
 わー、どうしてだろう、何か照れる気がするー。
「……どうしてそこで赤くなるっ!?」

 出会った当初、おれ達がコンラッドの本物の家族だと知ったクーちゃんの質問は、何だかとっても的外れだった。コンラッドを心配してるのは分かったけど、あまりの勘違いに、思わず状況を忘れてヴォルフと話し込んでしまったくらいだ。

 とにかく二人の勘違いは激しくて、だから余計、眞魔国、そして魔族の本当の姿は、彼らの人生観も覆す程のカルチャーショックだったらしい。
 おまけに、魔王の魔の手から救い出すはずだったコンラッドからは「来られて迷惑」とばかりにすげなくされ、眞魔国出奔の真実も知らされて、ショックはさらに深まった。さらにさらに。
 王都まで案内してきたおれが魔王だと分かって、ショックはショックを呼び、グリエちゃんに言わせると、「まー何て申しましょうかねー、これまで信じてきたものがガラガラ音を立てて崩れてきて、それに潰されて瀕死の重症を負ってるトコに、救けにきたはずの隊長に止めを刺されて、目の前真っ暗、夢も希望も吹っ飛んだ、って感じでしょうかねー。そもそも坊っちゃん一筋の男に、あんな夢を抱くって時点で間違ってるんですから、自業自得って気もするっていうかー……まあ、あいつらの責任じゃありませんけど」ってトコだ。

 おれはといえば、城に戻った後、コンラッドに思いっきり甘えられて結構しあわせ気分だった。
 皆の見ている前でコンラッドに甘えて、甘やかしてもらって、不思議なくらい照れくさいとか恥ずかしいとかは思わなかった。楽しくて嬉しくて堪らなかった。
 どうしてだかは分からない。

 勘違いコンビの前で、魔王であるおれが、罪人である(と二人が思い込んでいる)コンラッドに思いっきり甘えて、ぴったりひっついている所を見せつけるのは、ものすごく爽快な気分だった。
 コンラッドがこの国で、この宮廷で、魔王にとって、どんな存在なのかを思いっきり見せつけてやりたいと、あんた達は本当は何にも知らないんだと思い知らせてやりたいと、そんな風に思った。
 そんなおれを、コンラッドもいつも以上の満面の笑顔で、力一杯甘やかしてくれたし。
 後から思い出すと憤死しそうなほど恥ずかしくなったけれど……お風呂に二人で入って、背中の流しっこをしたり、それから、えー、あのー………コンラッドに身体を洗ってもらったりー……。
 眠る前に熱い蜂蜜入りホットミルクを作ってもらって、コンラッドにふーって冷ましてもらったのを飲んだりもした。大きなマグカップを持ったおれの手を支える様に、コンラッドが両手を添えて飲ませてくれたミルクは、何故かいつもよりずっと美味しかった。
 それから一緒にベッドに入って、おれがコンラッドに「ウェラー卿の大冒険」の最新刊を読んでやって、コンラッドがベッドに撃沈したり、おれが大笑いしたりして……。
 その後おれは、コンラッドの胸に顔を埋めて、朝までぐっすり眠った。
 目が覚めたら、コンラッドの笑顔が目の前にあって、「おはよう、ユーリ」って言って貰えて、おれはその瞬間、「ああ、今おれ、すっごく幸せだー」って思った。

 人目も気にせずにコンラッドに甘えることはもちろん、コンラッドの胸に寄り添って眠る事も、朝、目覚めて幸せ気分になってしまう事も。
 いつもだったら、嬉しいのと照れくさいのとその他もろもろごっちゃになって、かなりのパニックに陥っていてもおかしくなかったはずだ。でも。
 おれはコンラッドの温もりと香りに全身を、そして魂までも包まれるような心地で眠れることが嬉しくて嬉しくて堪らなかった。そして目覚めた時にはただもう、照れくささもドキドキもパニックも何もなくて、心の底から「幸せ」としか感じなかったんだ。

 ……コンラッドの側にいるのはおれだ! 奪われてたまるか! って燃えてたとはいえ、我ながらかなり、ちょっと普通じゃないくらい大胆だった、かも……?

 まあ、それはそれとして。

 コンラッドの本当の姿を知れば、二人は諦めて帰ってくれるんじゃないかと、瀬戸際追い出し作戦に失敗したおれは、当初そう期待してた。
 でも結局それも実現することはなくて、それどころかクーちゃんとバーちゃんは「眞魔国と魔族の真の姿を知る」ためにしばらく滞在することとなってしまった。
 魔族を嫌ってた二人がそんな決意をしてくれたなら……それって素晴しいこと……だよな?

 1人でも多くの人間に魔族の真実を知ってもらいたい、そして友好の輪を広げたい、というのはおれの何よりの願いだし、そのための努力ならどんなに大変でも乗り越えていきたいと思ってる。そして乗り越えられると思ってる。だっておれは1人じゃない。おれを支えてくれるたくさんの力があるから。だから……。

 コンラッドをおれから奪おうとしてる二人が近くにいることに、胸が騒がないわけじゃない。正直に言えば、コンラッドは眞魔国のコンラッドなんだって分かったんなら、さっさと帰ってくれればいいのに、という思いは消しようもなくおれの中にある。
 もしかして彼らは諦めてなんかいなくて、隙をみてはコンラッドを説き伏せて、おれから引き離そうとするんじゃないかって不安は、いつでも胸の奥の穴から吹き出すように渦巻いている。

 でも……。
 でもでもでも! そんな不安に負けてちゃダメだろ、おれ!

 コンラッドはどこにも行かない、おれの側にいる、そうはっきり言ってくれたんだ。
 だったらその言葉を信じて、おれも魔族への偏見や誤解を解くためにできる努力をしよう。
 元大シマロンのあの広大な国と友好を結ぶことができれば、それは素晴しいことだ。クーちゃんとバーちゃんがそのきっかけとなってくれるなら、何を躊躇うことがあるだろう。
 それにあの二人は、コンラッドが信頼して副官にしていた人達なんだ。
 コンラッドと信頼しあい、戦場で共に戦ってきた「仲間」がどんな人達なのか。
 目を背けずに、ちゃんと見よう。そして知ろう。

 自分の中の恐怖から目を背けて、無理矢理自分に言い聞かせているだけだろうという意地悪な声が、心の隅で嘲笑っている。
 うん。分かってる。
 でも、やっぱり負けちゃダメだ。だっておれ、王様だもん。
 世界平和を目指すって、宣言したんだもんな。

 だから、がんばる。

「君はそうやって、どんどんしなやかに強くなっていくね」

 追い出すことばかり考えるよりも、彼らに魔族を知ってもらい、おれもコンラッドと共に戦った人々を、彼らを通して理解したい。少なくとも、そう考えて行動できるように努力したい。
 だから、あの二人ともっと積極的につき合ってみようと思う。
 就寝前の一時、村田におれの決意を話したら、そんな返事をされた。

「おだてたって何も出ねーぞ!」

 ちょっと照れくさくなってそう言い返したら、村田は意外な程優しい微笑みを浮かべて言った。

「君にはもうたくさんのものを貰っているよ」

 意味が分からなくて問い返したけれど、笑っているだけの村田は何も答えないまま、「お休み」と部屋を出て言った。

「コンラッド……?」
 村田が出て行った扉を見つめたまま呼べば、「はい」とすぐに応えが返ってくる。
「村田、何が言いたかったんだろ? おれ、いっつも村田に頼ってばっかで、何もあいつにしてやってないのに……」
「ユーリ」
 おれのすぐ傍に立つコンラッドの声が、頭の上から優しく耳に降りてくる。
「おれも、ユーリにはたくさんのものを貰っていますよ?」
「コンラッド?」
 見上げた先には、静かで深くて優しい笑顔。

「それよりも、ユーリ」コンラッドの声の雰囲気が変わった。「よろしいのですか? ユーリが自ら王都を案内するなど……。ユーリ」
 無理をなさっておられませんか?
 コンラッドが労るようにそう尋ねてきた。

「魔族との友好に力を尽くしたいなどと言ってはいましたが、彼らがどこまで本気かは分かりません。元々偏見の強かった者達ですし……。グウェンがどうしてあんなことを言い出したのかは分かりませんが、あの者達が何か別のことを企んでいる可能性もあります。あの二人には、もう俺があなたの側を離れる気がないことをはっきりと伝えてあります。あなたが不愉快な思いを押してまで彼らにつきあう必要などないかと……」
「コンラッド」
 思わず口を挟んでしまった。

「仲間だったんだろ? 一緒に戦った、それもコンラッドの副官だったんだろ? だったらそんな言い方したら……」

「仲間といっても、この国での仲間とは、その意味も俺にとっての位置も全く違いますよ? 俺は向こうでずっと自分を偽ってきました。クロゥ達が知っているのは、そして今求めているのは、俺が作り上げた偽りの俺、コンラート・ウェラーという魔族の血も身分も家族も捨て、そして何より魔王陛下への忠誠を捨てて人間の元に走った男です。それは今ここにいる俺ではない。違いますか?」

「……それでも、信頼できなかったら副官なんかにしなかっただろ? それに他の人も……って、おれは誰も知らないし、その人達も確かにコンラッドのことを全部知ってる訳じゃないし、誤解もしてるかもしれない。でも、コンラッドの本当の姿を知らなくても、側にいれば、コンラッドがどんな人かはちゃんと分かるよ? コンラッドが偽ったのは、全部表面的なことばっかりだろう? コンラッドの内面っていうか、性格っていうか、人格っていうか、そういうのまで誤魔化すことなんてできっこないよ。クーちゃん達が、それから向こうにいる人達が、コンラッドのことを好きになって、信頼して、それから王様にまでなって欲しいって考えたのは、コンラッドのそんな、えっと……本質? みたいな所をちゃんと見抜いたからだと思うよ?」
 それは……と、コンラッドがちょっと困ったように眉を顰めて、苦笑を浮かべる。

「……その人達の肩を持つワケじゃ全然ないんだ。正直いって、何にも知らないクセに! って、文句を言いたい気持もあるんだ。最初は、おれからコンラッドを取っていこうとしてる敵、みたいに思ってたし。……今は、まあ、それほどじゃない、かも、だけど……」
 何も言わずにじっとおれを見ているコンラッドの視線をちょっとだけ避けて、おれは口を開いた。

「……ホントは……複雑な気持がない訳じゃないんだ。あの二人にはすぐにも帰ってもらって、もう一切関わりないってして欲しい、とか……。でもそれじゃ、相互理解とか友好とかできないよね!?」
「ユーリ……」
「グウェンの言ったこと、間違ってないと思う。コンラッドがあっちに行くってのは論外だしさ! だったらクーちゃんとバーちゃんにお互いが理解しあう切っ掛けになってもらうっていうのは、すごく良いことだと思うし。元大シマロンがこれからどうなるのか分からないけど、でもあのでっかい国と友好を目指していくのは大事なことだと思うんだ。そのチャンスを逃したらダメだと思うんだよ!」
「ユーリ……」
「それに、それにさ! おれ、結構あの二人が好きみたいなんだ。仲間には、まあ、なれないだろうけど、友達にはなれそうだし!」
「……友達、ですか?」
 うん! と頷くと、コンラッドが苦笑を深める。
「ユーリの『友達』はどんどん数が増えていきますね」
「いいことだろ? ……眞魔国を知らない人に見て欲しいものや場所がいっぱいあるしさ。おれのお勧めスポットもぜひ紹介したいし。知って欲しいんだ。この国のこと、おれ達のこと、それから……おれのことも。そしてそれを人間達に伝えて貰えるようにしたい。そしておれも……コンラッドの仲間だった人達を理解したい。そしてそれを通して……コンラッドがおれのためにどれだけ必死に戦ってくれたのか……理解したい」
「……ユーリ」
 あなたという人は。
 呟くと、コンラッドの顔が何だか泣きそうな感じに歪んだ。

「……分かりました」

 ふっと息をつくと、コンラッドがふいに表情を変えて、にっこりと笑った。

「俺も明日はおつき合いさせて頂きます。それに……そうなれば堂々と仕事をサボれますしね?」
「あ、分かっちゃった?」
「分かりますとも」
 お互いの目を見て笑う。


 その次の日。
 おれはクーちゃんとバーちゃんを誘って、コンラッドと村田とヴォルフとグリエちゃんとクラリスも一緒に、王都観光を敢行することにした!(……言っとくけど、シャレじゃないから)

 イロイロあったけど、結構充実してたと思う。コンラッドも、二人が楽しんでいたと言ってくれたし。
 ちょうど軍のチャリティー・フェスティバルの開催も近いから、これでさらに魔族について理解を深めてくれたら嬉しいとおれは素直に思うことができた。クーちゃんやバーちゃんと丸一日共に過ごしたことは、おれにとってもいい事だったんだと、その日を終えてしみじみおれは思った。思えることが嬉しかった。
 そして二人も、本気で眞魔国の本当の姿について知りたいと考えてくれたようだった。
 その翌日から、二人は二人だけで王都周辺の街や村を巡ってみることにしたらしい。グウェンが、街を自由に巡る許可を求められたと報告してくれた。

「自分達の目で見て、自分達で判断する。それが何より大事なことだろう。最初の頃から考えると、あの二人もかなり変化してきたようだな。無理矢理ではなく、納得した上で帰ってもらおう。……コンラートはお前から離れたりせん。余裕を持って構えていろ」

 グウェンの目から見ると、おれはまだまだ余裕がないように見えるんだな。……無理ないけど。

 そうして迎えたチャリティー・フェスティバルの日。
 だけど、それは思いもかけない事件に邪魔されてしまった。
 小シマロンの工作員達が眞魔国にすでに侵入を果たし、王都の破壊工作、そしておれの暗殺を企んでいる。その情報をヒスクライフさんから齎された時は、ホントに……目の前が真っ暗になった。
 平和な王都で祭りを楽しもうとしている何の罪もない民が、今にも傷つけられようとしている。
 おれのことはいい。おれには命懸けでおれを護ってくれる人がたくさんいる。命を預けられる人がちゃんといる。でも、民達は……。
 何としても民は護らなくちゃならない。
 建物や道路や城が傷ついても、そしておれが襲われ、もしかしたら傷つくことがあったとしても、民には絶対、かすり傷一つつけてはならない!
 でも。

 お祭りは……。

 皆が楽しみにしてくれてるチャリティー・フェスティバルは……。
 そして、この日のために必死でがんばってくれた軍の皆や、それに………。
 今夜は大事な大事な夜なのに。

 結局村田の言葉で、お祭りを中止しようというグウェンの進言は退けられた。そして、人出で賑わう祭りを破壊工作の好機とするに違いない工作員の心理を逆手に取り、おれが囮になって誘き寄せることに決定した時は、本気でホッとした。
 そしてもう一つ。
 囮になったおれを護るため、クーちゃんとバーちゃんの二人が危険な任務に志願してくれたことも、心底嬉しかった。
 二人が変わらずコンラッドを求めていることは分かっていた。そしてコンラッドと共に元大シマロンの広大な国と民を救いたいと願っていることも。
 それでも二人は、今すべきだと信じることから逃げないと、もしかしたら魔王のために命を落とすかもしれない場所に赴くことを自ら名乗り出てくれた。

 仲間の期待を裏切ることになっても、と。
 待つ仲間達の元に戻ることができなくなっても、と。

 この二人の本当の願いが何であるか、おれはちゃんと知っているから。魔物の国で生命を落とす危険を覚悟してまで、この国にたった二人で乗り込んできたその思いを知っているから。
 だからこそ。この人達の言葉に嘘はないと思った。おれを護る力になりたいと差し出してくれたその腕を、拒んではいけないと思った。それはもう理屈じゃない。
 臣下でもないこの人達に命を預けることに、不思議な程戸惑いは感じなかった。
 この人達の、この迷いのない瞳をまっすぐ見返すことができるように、おれはおれができる最善の道を行こうと決めた。


 夜のお花の丘。松明の灯が揺れる闇の中で。
 おれの命と花火の火薬を狙って襲ってきた40人近い工作員に対し、戦ってくれたのは、コンラッドとヴォルフ、ギュンター、ヨザック、クラリス、そしてクーちゃんとバーちゃんの7人だ。
 村田の計画に従って隠れていた応援部隊の兵士達が駆け付けるまでの時間、おれにできることはただ信じて祈ることだけだった。
 絶対に大丈夫だ。おれが命を預けた人達は、絶対に負けない。絶対に。
 信じて信じて。でも祈ることは止められない。

 そしておれは、最後まで、何が起きようと最後までしっかりと見届けるため、必死で目を瞠いていた。

 1度だけ、工作員がおれのすぐ側までやってきた。
 剣を振り上げ、雄叫びを上げて、おれを、そして花火の打ち上げ台と技師や職人達を護る兵士で作った壁に向かって突進してきた。

「人の世に仇なす魔物め! 悪鬼め! 今こそ滅びよ! 神よ! 我に力を与えたま……」

 若い声が唱える祈りは最後まで続かなかった。
 松明の熱気に揺れる闇の中から飛び出してきた大きな影が、ぶんっとその腕を振ると同時に、たぶんまだ若いんだろうその男の姿は、吹っ飛ぶように闇の中に消える。
 叫びも、地面に倒れる音も、周囲の喧噪があまりに大きくて聞こえなかった。

「………ばかやろうが……」

 なのになぜか、大きなシルエットにしか見えないバーちゃんが呟く、泣いてるみたいな声だけははっきりと聞こえた。

 誤解を誤解と認め、偏見を拭い去るって、どうしてこんなに難しいんだろう。

 諦めるつもりはないけれど、時々どうしようもない無力感みたいなものを感じる。

 村田はバカにしたみたいに笑ってたけど、小シマロンの工作員達は、本当に自分達を「正義の戦士」だと考えているんだろうな。だからきっと悪いことをしにきたとは、これっぽっちも考えていないんだ。
 小さい頃よくテレビで見た特撮戦隊モノやロボットアニメの主人公達みたいに。
 「正義のために」と信じて、これが人間の国の滅びを救う唯一の道だと信じて、「悪者」をやっつけにきたんだろう。

 バーちゃんのあの声のように、それはとっても辛くて苦しい事なのかもしれないけれど。
 信じてきたものが間違っていたと認め、鎧のように纏っきた偏見を捨ててくれれば。そうして新しい目で世界を見直してもらえれば。

 きっともっとたくさんの、これまで見えなかったものが見えてくる、と。
 いつか分かってもらえる時が来るだろうか。

 そのためにも、おれは王としてもっともっと成長しなくちゃだめだ。

 強くなりたい。

 どんな誤解や偏見や思い込みが、どんな悪意に満ちた、どんな形でおれの行く手を塞いでいても。
 堂々と立ち向かっていけるように。


 工作員達は全員が捕縛された。
 女の子が人質にされて、それでぶち切れたおれが、まあ、その……だったり(今回はあんまり凶悪じゃなくてよかった。……ちゃんと後始末も自分でしたし)、色々あったけれど、とにかく無事に終わった。
 そして。

 その夜。
 ついに眞魔国史上初めての花火が、王都の夜を彩る事となった!

 初の花火打ち上げ大会は、大成功だった。
 空気が澄んでいるためか、天空高く咲き誇っては弾ける花火の煌めきは、それを見慣れたおれでさえ息を飲む程鮮やかで華麗で……とにかくむっちゃくちゃキレイだった!

 ずっと兵器しか作って来なかった火薬職人や技師さん達は、自分達の持つ技術が破壊する道具だけでなく、これほど美しいものもまた生み出すことができるんだと実感して、たぶんこの成功を誰よりも喜んでくれていたと思う。
 彼らの─ある人は目頭を拭いながらじっと輝く夜空を見上げて、ある人は同僚と手を取りながら飛び跳ねて、そしてある人は花火が大輪の花を咲かせる度、腕を突き上げながら子供のように無邪気な歓声を上げていた─その姿は、地球のものに負けないほど見事に成功した花火の美しさよりも、おれには何故かずっと綺麗なもののように思えてならなかった。大喜びしている彼らの姿を見られることが、何より嬉しかった。
 それから、人質に取られてた女の子を肩車して、バーちゃんが目の前を跳ねるように走り過ぎていく姿を見たことも。
 バーちゃんと女の子の、重なりあう歓声と笑い声、それから一瞬の光の中に浮かんだ二人の満面の笑顔が嬉しかった。
 クーちゃんは、と見ると、おれ達から少し離れた場所に1人佇んで、表情は分からないけど、どこか感慨深そうな雰囲気で空を見上げていた。

 二人がこの国を好きになってくれたらいいな。
 だるい身体をコンラッドの胸に預け、煌めく光で満たされる王都の夜空を眺めながら、おれはそう思った。


 それでも、忘れていた訳じゃなかった。
 どれだけこの国や魔族のことを理解しても、おれ達とどんなに打ち解けても。そして、コンラッドがどんな態度を取ったとしても。
 クーちゃんとバーちゃん、二人の思いが少しも消えていない事を。
 二人にとって大切な国と大切な仲間を救うために、彼らがどれだけコンラッドを求めているのかを。

 正式な謁見の場で、二人がおれに、魔王の名においてコンラッドをシマロンに派遣することを願った時。

 決して忘れていた訳じゃなかったのに、胸を貫く痛みはどうしようもなくおれを苛んだ。
 同時に。
 とうとうその言葉を聞いてしまった。もういつ言われるかいつ言われるかと、びくびく恐れなくていいんだという、その瞬間まで考えもしていなかったはずの言葉と、脱力感に似た妙な安堵感が胸に溢れた。
 おれの心の中で、そんな恐怖がずっと根を張っていたんだと、その時初めて気がついた。

 おれのためだろう、村田がかなり威圧的な言葉を二人に投げかけ、クーちゃんが懸命に言い返している。
 村田相手にすごいな、と感心してしまった。まるで他人事みたいに。
 何だか心が、そこにありながらそこにない、みたいな変な感じだ。

 いつ帰ってきてたのか、いきなりアニシナさんまで参戦(……微妙に違うけど……)してきたのには吃驚した。
 当のコンラッドは無言のまま、その場で二人を拒絶するでもなく、庇うでもなく、ただ立っている。

 そしておれは……。

「……陛下、どうか、シマロンの民にもあの花火の輝きをお与え下さい。生命あるもの全てを慈しむ陛下のお優しさを、あの光の雨の様に、シマロンの大地にも注いで下さいます事を、我ら両名、心から願っております……!」

 おれに万一の危険が迫れば、必ず馳せ参じると誓った二人の最後の願いに、おれは何も答える事ができなかった。


 不思議なくらいぼーっとした頭がしゃっきり目覚めたのは、クーちゃんとバーちゃんの二人が姿を消したと知らせを受けた時だった。

 その時。夜中といって良い時間なのに眠気は全く訪れてくれず、結局眠る事を諦めたおれはソファに座ってぼんやりとしていた。
 そこへふいに小さなノックの音がして、振り返った先にそっと寝室に入ってくるコンラッドの姿があった。

「……起きておいででしたか」

 夜ばい、じゃないよなあ……。

「お知らせすべきかどうか迷ったのですが……」

 コンラッドはそう言いながらも揺るぎない足取りでおれに近づくと、何か文字が書き連ねられている紙を差し出しながら言った。

「クロゥとバスケスの二人が、城を出ていきました」

「…………え……?」

『……魔王陛下、そして皆様に過分な御厚情を賜りながら、我らのこの裏切りとも申すべき行い、誠に申し訳なく存じております。我らの存念、己が卑賤を顧みず陛下に言上申し上げました事、そしてそれにより、お優しい陛下の御心を傷つけ、苦しませ申しました事、何とぞ御寛恕賜りますよう、切にお願い申し上げます。事ここに至りました上は、我らもはや皆様の御好意に甘える資格なく、非礼の極みとは存じますが、このまま陛下の膝下より下がらせて頂くことを決意致しました。これよりは我らを待つ同志の元にて、陛下、そして皆様の御健勝、そして眞魔国の更なる繁栄をお祈り致しております………』

 全くクーちゃんはさあ……。
 声に出して読みたくない、舌を噛むこと間違いなしのメンド臭い言い回しが延々と続く置き手紙は、ほとんどムードでしか判読できなかった。ただ分かったのは、そこには自分達の願いを叶えて欲しいという言葉も、もっと具体的に、コンラッドを返してくれという言葉も、一言もなかったことだ。

 あの謁見の場で、クーちゃん達はボールをおれに投げた。

 全てのボールを投げ終えた自分達が、ここにいる必要はもうない。
 俺達が投げたボールをどうするか、後は全てお前が決めろ。
 飛んできたボールを受け止めるのか、受け止めたら投げ返すのか、最初から受け止める事すらしないのか。
 その全ての判断をお前に任せる。

 二人が言ってるのはそういう事なんだ。

 だんだんと頭がしゃっきりしてくる。

 おれは傍でおれの表情をじっと見守り続けているコンラッドを見上げた。そして言った。

「追っかけよう。今すぐ!」




 船が港を出ていく。

 朝陽の中で見送った二人は笑顔で手を振り、去って行った。
 二人に、おれは何の答えも出せなかった。それでいいと、彼らは言ってくれた。
 おれがいつか出す答えがどんなものであろうと、自分達はそれに従う、と。
 それ以上コンラッドの事については何も触れず、お互いがお互いを労りあって笑顔で別れた。

 船はどんどん小さくなっていき、やがて視界から消えた。
 ふと振り返ると、港は仕事始めの人達がさらに数を増し、一気に賑やかになっていた。
 荷物を積んだ台車を押したり引いたりしながら駆け回る人。何かを怒鳴っている人。応える人。笑う人。人、人、人……。今は高く上った太陽の下で、たくさんの人の一日が始まる。

「………今日も頑張らなくちゃね」

 おれも皆に負けないように。笑顔で戦場へ戻っていった、あの人達に恥ずかしくないように。

「そうですね」

 コンラッドが応える。

「だったら先ずは朝飯にしましょーや。俺ぁもう腹ぺこです」
「ならば前に行った、ヨザックお勧めのあの店がいいぞ! あそこのスープは美味だった!」
「パンも美味しかったよね!」
「へえ。3人のお勧めなら確かですね。じゃあさっそく行きましょう」

 海に背を向け、歩き始める。
 歩きながら、おれは傍のコンラッドの手をちらっと見遣り、その指先におれの指をそっと絡めた。
 何も言わないまま、表情も変えないまま、コンラッドの手だけが動いて、おれの手を深く握り直すと、ぎゅっと握りしめてきた。

 そのまま誰も何も言わない。

 おれはコンラッドとしっかり手を繋ぎ、港の外に向かって並んで歩いた。

 ごめんなさい。おれにはまだ答えが出せません。
 横に立つこの人を、一緒に歩いてくれるこの人を、なくすことができません。

 コンラッドの二の腕に頭を擦り付けるように近く寄り添うと、コンラッドが繋いでいた手を離し、その手を肩に回してくれた。ぐっと、でも優しく引き寄せてくれる。……ヴォルフが静かなのが無気味なくらいに。

「俺はユーリの側にいますよ」

 見上げる太陽が眩し過ぎて、涙が零れた。

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おっ、お待たせ致しましたー。……今回なんだかとっても難産でした。

でもって、何だかとってもゴメンなさい!
クーバーコンビが帰った後に続きます、とか前回言ってたような気がするんですけどー……。 確かに続きましたよね。ラストの何行かが………。うう。
「風に向かって〜」の後に続けるにしても、ユーリの視点からのあの二人について触れないのは変だよなー、と思ったのが自爆の始まり。
次回こそ、次回こそ! がんばりますっ。……たぶん!(あーもーホントにこればっか……涙)

ご感想、お待ちしております〜。(4月17日)