グランツの勇者・9−2

 ……ちょっとお昼は入りそうにない……。
 側近達が耳にすれば、すわ魔王陛下御発病!? と大騒ぎになりそうなことを考えながら、ユーリはお腹をくるくると丸く撫でた。何のことはない、お菓子の食べすぎである。
 2人は厨房を出て、練習場の方向に連れ立って歩いていた。

「ちょっと調子に乗って食べさせすぎちゃったかしら? ミツエモン君、お腹、大丈夫?」

 ユーリの様子に、クレアが心配そうに声を掛けてきた。

「だ、大丈夫です…ぅ………ちょっと苦しいかも……」
「お薬があるわ。後で上げるから飲んでね? ……ごめんなさいね、ミツエモン君。あなたくらいの年頃の子が道場に入ったのは、本当に久し振りなのよ。みんな暮らしのために自分の子供を独立させてしまって、1人暮らしだったり夫婦2人だけだったりする人が多いの。だからついついあなたに構ってしまうのね。もし嫌じゃなかったら甘えてあげて? 皆、とっても喜ぶわ」
「…あ、はい。……あの、暮らしのために子供を独立させてしまったって……?」
「この30年のことは知ってるでしょう? グランツはもう後1歩で反逆者の領土にされてしまうところだったの。アーダルベルト様が人間達に与して反魔族の活動をしていると分かった時には、明日にも国軍がグランツ討伐にやってくるんじゃないかって、皆、生きた心地もしなかったわ。他の、特に十貴族との交流もほとんど途絶えて、経済活動もすっかり停滞してしまったの。そのせいでしょうね、グランツは戦後の処理がどこよりも一番遅れてしまったのよ。だから民の暮らしも中々良くならなくて……。それで、生活のためと身の安全のために、多くの人がグランツを出てしまったの。年を取った人はどこにも行けないと残ったけれど……。だからね、働き盛りの人が占める割合は、グランツがどこよりも低いはずよ。本当に……これじゃあ恥ずかしくて『武門のグランツ』なんて自慢できないわね」

 アーダルベルトのバカヤロー。
 ユーリは胸の中で、おそらく今道場の外をウロウロしているであろう顎割れマッチョに思い切り毒づいた。そして同時に思った。
 望むと望まないとに係わらず、人には立場がある。人の上に立つ者には、多くの人の生活と命に対する責任がある。高みに立てば立つほど、負う責任は重い。
 アーダルベルトは捨てたつもりだっただろう。だけど、眞魔国を出奔してから今日まで、ただの1日だってアーダルベルトはグランツから離れることはできなかった。どれだけ遠くにいても、何をしても、アーダルベルトはグランツの一部だった。
 そう。
 ……きっと。おれも。

 ユーリがギュッと唇を噛み締めた、その時。

「うわぁっ!!」

 カンッ、という金属の鋭い音と悲鳴が、いきなりその場の空気を劈いた。

「練習場だわ」
「コ…カクさん!?」

 ユーリとクレアは一斉に走り出した。


「………う、わー……」

 目に飛び込んできた光景に、ユーリとクレアはつんのめるように足を止めた。

「……死者累々…?」

 練習場の広場のあちこちに、門弟達がゴロゴロと転がっていた。日光浴でもなければ、昼寝でもない、なぜなら皆、腕や腹を押さえて呻いている。

 その広場の真ん中に、コンラート=カクノシンが剣を手に立っていた。
 息を弾ませるでもなく、ただ静かに立っている。
 広場で立っているのは、コンラートの他にはフィセル1人だけだ。だが、その様子はコンラートとだいぶ違う。
 ぜえっぜえっ…と、荒い息遣いがユーリの耳にもはっきり届いた。肩が激しく上下し、シャツは汗まみれ、離れていても膝が笑っている状態なのがはっきり分かる。もう今にも地面に崩れ落ちそうだ。

「もう終わりか?」

 コンラートの声が厳しい。血盟城で、兵士達を鍛えている時に聞いたのと同じ声だ。
 金髪とサングラスとで表情のよく見えない顔が、広場で呻きながら転がっている門人達に向けられる。

「彼らは、君の息が整うまで保たなかったな。どうする? 今日はもうやめるか?」
「………ま……まだ…だ……!」

 いい根性だ。
 コンラートが小さく笑った。
 すっと降ろされていた剣が持ち上がる。

「ならば、来い」

 ぜいっぜいっと荒く息をしていたフィセルが、ゴクリと喉を鳴らし、大きく息を吸い、吐き、懸命に息を整えると、笑う膝を励まして、背を伸ばした。

「…う…う、おぉぉぉぉぉぉ…っ!!」

 雄叫びを上げて、フィセルが地を蹴った。

 襲い掛かるフィセルの剣を、コンラートは易々と避けた。

「でぃやっ!」

 杖の様に一旦地面に刺さった剣先を、フィセルが力任せに振る。

「踏み込みが浅い! 無駄な動きが多すぎる! ぞんざいに剣を振っても、隙が広がるだけだぞ!」
「…っ、くそ…っ!」

 ほとんどやけくそで振り回される剣を、容易く跳ね返すコンラート。

「力の入らない腕で大振りして、一体何を相手にしているつもりだ? それでは野犬一匹倒せないぞ。今のお前では軍の下級兵士にも簡単に倒される。もしこれが戦場なら、お前などとうの昔に敵に踏み潰されて泥の中だ。その程度の腕で、本気で血盟城の武術師範ができると思っていたならお笑い種だな」

 フィセルの剣がついに地面に深々と突き刺さった。その剣を支えにしてやっと立っているフィセルは、だがコンラートに言い返すこともできないまま、ただひたすら喘ぎ続けている。

「彼は剣の指導者だったことがあるのかね?」

 ふいに声を掛けられて、集中していたユーリはハッと振り返った。そこには厳しい眼差しの道場主エイザムと師範代筆頭のガスリーが立っている。エイザムはユーリの隣に並ぶと徐に口を開いた。

「厳しいし、実に激しい指導だが、闇雲に相手を打ち負かすやり方ではない。剣の指導としては、きちんと筋が通っている。……君はどこかで教える立場にあったのではないか?」

 顔に影が射したことに気づいたユーリが頭を巡らすと、目の前にいつの間にかコンラートが立っていた。コンラートの後には、自称お世話係のバッサとイシルが、まるでお化けでも見たかのように頬を引き攣らせて立っている。そのさらに向こう、広場の真ん中では、ついにフィセルが地面に倒れこんでいた。
 エイザムとサングラス越しのコンラートが顔を合わせる。

「違うかね?」
「……この30年で、グランツの武人は様変わりしたようですね」

 エイザムの質問には答えないまま、コンラートが告げた。

「武人とはそもそも何であるのか、あなた方は忘れてしまっておられるようだ。この道場の門人達は皆、子供と同じだ。己の未熟が死に繋がる緊張も恐怖もなく、もちろん武人たる使命感もなく、ただチャンバラごっこを楽しんでいる」
「……言いすぎだろう、カクノシン……!」

 気色ばみ、ことさら押し殺した声で言うガスリーにも、コンラートの表情は変わらない。

「武人を自称するにふさわしいかどうか、全員が1度、己を根本から見直すことだ。提案させてもらうなら、武闘大会への参加は取りやめることだな。もしうっかり勝利しようものなら、名誉ある『グランツの勇者』の称号が腕自慢の子供のおもちゃに成り下がってしまう」

 カクノシン!

 ガスリーが怒鳴り、すぐ隣にいたユーリを突き飛ばすように前に飛び出す。わずかによろめくユーリ。即座に前に出ようとしたコンラートに向かって、ガスリーの剣が襲い掛かる。

「ガス!」
「…っ、コ……!」

 禁断の名前を呼ぶ前に、ユーリの手はコンラートに握られていた。
 あれ? とユーリがコンラートの身体越しに見れば、ガスリーが身体を折り、腕を押さえ、苦悶の呻きを上げている。剣は地面に落ちていた。

 電光石火の攻撃と光速移動に、エイザム、バッサ、イシルは愕然とコンラートを見つめている。ユーリの傍らからも、「……嘘」という呟きが漏れた。クレアだろう。

「大丈夫です……大丈夫か? ミツエモン」
「…え、あ……ああ、うん! 大丈夫、っていうか、何も起きてないし」

 突き飛ばされたことを何とも思っていないユーリに、コンラートが軽く苦笑を浮かべた。
 なら良かったです。そう囁くと、コンラートは改めてエイザムに顔を向けた。

「スールヴァン道場でも感じたが、この道場の門人達の剣はすでに武人の剣ではなくなっている。それに気づかないとしたら、あなた方もまた武人ではない。……俺の仲間はさぞ嘆くだろう」
「……なか、ま…?」

 無意識の様な小さな声に、コンラートが頷いた。

「生き残った武人達がこんな体たらくと知ったら……アルノルドで散った俺の仲間達はきっと嘆き、怒る」

 アル…ノルド…?
 コンラートの、どこか感情を押し殺した声に、エイザムが呻くように繰り返した。
 彼だけではなく、身体を折り曲げて痛みを堪えていたはずのガスリーまでが、首を捩じるようにしてコンラートを凝視している。

「………ルッテンベルク師団……?」

 行こう、ミツエモン。
 コンラートに手を取られ、導かれるまま、ユーリはその場を後にした。


□□□□□


「……申し訳ありません」
「どうして謝るのさ。っていうか、敬語は禁止だろ」
「はい……ああ、いや、その……我ながら、つい熱くなってしまって……」

 確かに、とユーリは首を捻った。

「城で兵の指導をしてる時より厳しかった感じだね? エイザムさん達に言ってたことも、その…コンラッドにしては辛辣っていうか……」

 自分からルッテンベルク師団のこともバラしてしまったし。

「ええ、まあ…。ちょっと怒っていた上に、あれでしたから」
「怒ってた…?」

 はい、と頷いて、コンラートがきゅっと顔を歪めた。

「俺とあなたを引き離しました」

 言われて、ユーリは思わず足を止め、きょとんとコンラートを見上げた。

「引き離したって……それ、おれが自分から言ったことだろ!? 情報収集のために、厨房へ行ってくるって。村田が前に、家の秘密に誰より詳しいのは使用人だって言うから。情報収集するなら、どこより厨房に詰めているのが一番だって……。コンラッドが怒るんならおれにだろ?」
「フットワークが軽いのはあなたの身上ですから……。言い直します。護衛でありながら、容易くあなたを行かせてしまった自分の不甲斐なさに、我ながら呆れてしまいました」
「それもおれが無理矢理……」ふうと小さく息をついて、ユーリは話を変えることにした。「アレって何?」

 一瞬、何を質問されているのか分からないという顔をしてから、コンラートは「ああ」と頷いた。

「スールヴァン道場で申し上げたことを覚えていらっしゃいますか? 彼らの剣について、正確にはアーダルベルトが言ったことですが」
「スールヴァン道場の人達の…剣…? ……って、もしかして……スポーツの剣術だって、あれ?」

 そうです、とコンラートが苦々しい口調で応えた。

「あの時はさほど気にしていませんでした。あの場ではフェル1人に言えたことですし、ルイザやヴァンセルはそもそもその域にも達していませんでした。ですがここでは……」
「……もしかして、ここのお弟子さん達の剣が、皆スポーツだって…?」
「そうです。…猊下の表現でいうならば、泰平の世の道場でしか通用しない剣、ですね」

 あれでは、武人として国家を護ることも、陛下のお役に立つこともできません。
 コンラートが苦々しい口調で言った。

「民が剣術を趣味として、もしくは身体を鍛えるために身につけるというのであれば、それはそれで構いません。しかし仮にも武人を名乗るのであれば、スポーツ剣術など絶対に許されません。グランツ武道界が全てこのような状態であるとすれば、これはある意味、見過ごすことのできない重大な問題です」

 そう告げるコンラートに、ユーリはきゅっと口を引き結んだ。

 もうずっと前、軍隊をなくせば戦争も起きないんじゃないか、と言った自分に、兄が呆れ果てた顔で「本当にお前は単純バカだ」と言った。現実はそんなに甘くはないのだと。
 例えば、永世中立国であり、平和な国の象徴の様に思われがちなスイスには、徴兵制度がある。徴兵時に支給された武器弾薬は、退役後もそのまま家庭で保管されることになっている。いざという時、その武器を取って戦うためだ。スイスは、国民皆兵の国なのだ。
 永世中立とはそもそも、自ら武力をもって他国に侵攻することをせず、周辺国と軍事同盟を結ばず、周辺国で戦争が起きても中立を守ると宣言することであり、それは同時に、自分達が攻撃を受けても他国の援助を受けず、自分達の国は自分達だけで護ると宣言することでもある。だからスイスは強力な軍隊を備えているし、さらには信用度で世界最高の銀行を揃え、世界中の第一級の資産を大量に預かり、安易に攻撃できないと他国も認めざるを得ないだけの経済的な盾も作っている。
 様々な方面に様々な手を打ち、ほぼ完璧な備えを持つからこそ唱えられる永世中立。
 戦争を起こさない、戦争に参加しないと宣言することと、軍隊を放棄することとは、決して1つにならないのだ。

 自分が目指すのは平和な世界。戦争の起きない世界。魔族も人間も、皆が平等に幸せになれる世界。

 もし自分がそれを実現できたとして、その次にすべきは、実現できた平和を一日でも長く続けることだ。
 平和な世界の実現はゴールじゃない。スタートなのだから。
 その先にはきっと、数え切れない困難が待ち受けているのだろうから。

 戦争がなくなり、命を奪うための剣術を身につける必要性が薄れ、スポーツ剣術が広まることは、ある意味とても良い事であるはずだ。だけど、単純にそれを喜んでいるだけでは王の政は務まらない。
 国を護り、民を護る軍は、武人は、決してその存在意義をなくすことはないのだ。
 たとえ、地上から戦争をなくし、世界平和が実現されることを願う国が、世界最強の軍と武力を擁している矛盾を責められたとしても。
 王が、理想の美しさに目を曇らせ、国家と民を危険に晒してはならないのだ。

「……もうお一人でどこかへ飛んでいってしまわないで下さい」
「…コンラッド…?」

 ハッと気づくと、コンラートがおずおずとユーリの手、指先を包むように握っていた。

「……ごめん。コンラッド、おれの護衛なのに、全然仕事させなくて……」
「そんなことではないのです」
「……え…?」
「俺が…」

 言って、コンラートはわずかに躊躇う様に口を閉ざした。コンラッド? とユーリに名前を呼ばれて、改めてコンラートの顔がユーリに向かう。

「俺が、あなたの側にいたいんです。あなたの側から離れたくないんです。……どんな時も。もう……二度と」
「コンラッド……!」

 触れ合った指先をさらに深く握り合って、思わずその手に力を込めて、思わず身体を近づけて。
 その温もりと香りが感じられるまで、と寄り添いかけた二人の間に、いきなり風が走った。
 ざっと梢を揺らして通り過ぎた風は、ほんの一瞬のことだったが、2人が我に返るには十分な衝撃となった。
 ハッと身体を離して、それでもまだ手を握り合っていることに気づいて慌てて手を放して。
 ユーリはどんどん熱くなる頬に、いたたまれずに顔を伏せた。

「……申し訳ありません……」
「…あ、いや、そんな、謝らなくてもっていうか……敬語禁止だし!」

 何度も言ってるのに。むりやり口を尖らせて言うと、コンラートがホッとしたように微笑んだ。

「誰が見てるかわからないんだから、気をつけないと」
「そうでした、ああ、いや、そうだった。ごめん」

 それでようやくホッと息をついて、二人は改めて顔を見合わせた。見合わせて、どちらからともなく声を出して笑う。

「それで? スパイ大作戦はいかが…っとと、どうだった? 収穫は?」
「あ、それそれ」

 庭をゆっくり歩きながら、クレアから仕入れた情報をコンラートに伝えた。といっても、真新しいものではない。ルイザと視点が違うだけだ。

「では、門弟を引き連れて道場を出たのが問題ではない、と。戦時中に何かが起きたわけか……」
「聞き出そうかと思ったんだけど、何となく聞けない雰囲気になっちゃって」
「だろうね。戦争というのは、人の心も人生も何もかも、たやすく狂わせるものだから」
「…そ、か……」

 で? これからどうしよう?
 ふと考え込みそうになったユーリに、コンラートが明るく声を掛けた。

「これからって…?」
「また厨房で情報収集をするなら付き合うよ。今日はもう門人達は稽古にならないだろうし」
「そっか。そだね。あ、厨房のおばちゃんのお菓子がすっごく美味しいんだ! コン…カクさんもお茶を貰って話を聞こうよ」
「ああ、良いね。そうしよう」

 適当に庭を歩いていたので、現在地が分からない。とにかくどこか分かる場所に出ようと歩き始めてしばらくして、辿り着いたのは結局正門のすぐ側だった。
 それじゃあここから改めてと、2人並んで足を踏み出したその瞬間。

「待ってくれっ! いやっ、待って下さいーっ!!」

 ものすごい声で呼び止められた。
 え? と見れば、道場の奥からどどどどどっと地響きを立てて門人一同が突進してくる。
 先頭にいるのはフィセルだ。驚いたことに、もう復活している。そのすぐ後にエイザムとガスリーが続き、バッサとイシルの顔も見え隠れする。それどころか、クレアまでもがドレスの裾を脹脛まで持ち上げて、しなやかな足も露に駆けてくる……。

 唖然として突っ立っていると、瞬く間に門人達に囲まれてしまった。

「出て行かないで下さいっ!」

 必死の形相で叫ぶのはフィセルだ。何故か全身びしょ濡れになっている。この水が、おそらく奇跡の復活をもたらしたのだろう。
 髪から顎から服の裾から、ぽたぽたと雫を零しながら、それにも気づかぬようにフィセルは訴えてくる。

「俺っ、これまでずっと生意気な態度でっ、ほんとに、ほんとにっ、申し訳なかったですっ! 済みませんでしたっ! まさか、まさかあんたが……。あっ、いやあのっ、お願いします! 出て行かないで下さいっ! 俺があんまり弱くてうんざりされたのかもしれないけど、きっとそうだろうけどっ、でも俺っ、頑張りますからっ! 俺、ほんとに強くなりたいんです! 立派な武人になりたいんですっ! あのっ、俺……っ」

 アルノルドの出身なんです!

 突然の告白に、ユーリはもちろんコンラートも驚きに目を瞠った(すぐ閉じたが)。

「……君が……?」
「はい! あ、いやその……正確にはアルノルドの近くの村、なんですけど……。でも、あの時、人間達に村をずたずたにされたのは同じです。……村の連中はほとんど、俺の家族も……殺されました。志願兵だった兄貴もどこか聞いた事のない土地で戦死しました。俺は人間達の攻撃から逃げて……逃げ回る内にグランツに辿り着いて、ガス兄貴に拾われて……。あの、だから、師匠や兄貴は俺の命の恩人で、本当に大事な師匠と兄貴なんですけど、でもあんた達、ああ、違う! あなた達は、ルッテンベルク師団は、俺の生まれ育った村の、皆の、家族の仇を取ってくれた、俺にとってやっぱり大恩人なんです! 俺達だけじゃない、この国にとっての大恩人達で英雄です! 特にウェラー卿コンラート閣下はものすごい人で、色んな話を聞いてずっと憧れてきて、俺にとっちゃ、もう、その……神様みたいな人で! まさかそのルッテンベルク師団の人とこんなとこで会えるなんて思わなくて……。俺、最初から知ってたらもっとちゃんと挨拶して、俺……あの、だからその……っ!」

 感極まったのか、思い通りの言葉が出てこないのか、しどろもどろで焦るフィセルに、コンラートが思わず笑みを浮かべた。途端、ぐっと唇を噛み締めたフィセルの目に涙が浮かぶ。

 ぽんぽんと弟子の腕を叩いて、エイザムが前に進み出てきた。

「取り乱して申し訳ない、カクノシン。分かってくれると思うが、フィセルにとってルッテンベルク師団の名は本当に特別な意味を持っていてね……。その、今さらだが確認しておきたい。君は、その、ルッテンベルク師団の生き残り、なのだね?」

 集まった門人達がシンと静まり、その視線が一斉にコンラートに集まった。
 フィセルを始めとする数十の必死の形相に、コンラートの笑みが苦笑に変わる。

「ええ、そうです。俺はルッテンベルク師団の一員としてアルノルドで戦い、そして……生き延びた1人、です」

 ほー…っ、と、門人達から一斉に深い息が漏れる。
 なぜか胸元で手を組み、コンラートを見つめるフィセルの目が一気にキラキラしてきた。いや、フィセルだけでなく、特に若い門人達が皆……。
 エイザムが、「そうか」と重々しく頷く。

「ならばあのように感じても無理はない。……この30年、我々は、国軍がいつ攻め込んできてもおかしくないという危機的な状況でありながら、弟子を増やすことも、厳しく鍛練することも許されないという矛盾した状態にずっと置かれてきた。矛盾を感じていながらどうすることもできないまま、ただ道場を繋げることだけに腐心する内、我々の武人としての質は格段に落ちてしまったのだ。それは私も、師範達も充分分かっていたつもりだったのだが……。君のような本物の武人に真実を突きつけられて、怒りを覚えてしまったのは私の未熟だ。カクノシン」

 どうか我々の体たらくを許して欲しい。
 そう言って、エイザムが頭を下げる。一拍遅れて、ガスリー他、門人全員が揃って頭を下げた。

「謝罪を受け入れて、どうか戻ってもらいたい。そして門人を、いや、我々を鍛えてもらえないだろうか。お願いする」

 お願いします!!
 ガスリー始め、門人一同が大きな声を上げ、師匠と一緒に再び深々と頭を下げた。

「謝罪をされる覚えはありません。エイザム殿も皆も、頭を上げてください。それに俺達は別に道場を出て行こうとしていたわけではありませんし……」
「…え? そうなのか? ……2人で正門に向かっていくのを見たと聞いたから……」
「厨房でおばちゃんからお茶を貰おうって話してたんです」

 ユーリがはきはきと説明しだすと、エイザムたちがきょとんとした顔を向けてくる。

「でも場所がまだよく分からなくて。とにかく歩いてたらここに出ちゃっただけなんです」
「……そ、そうだったのか…!? いや、私はてっきり、我々に失望したカクノシンがここを出て行こうとしてるのだとばかり……」

 では私の早とちりか!
 言うと、エイザムは照れくさそうにがしがしと頭を掻き始めた。きれいに整えた豊かな頭髪が、瞬く間に崩れていく。
 門人達を包む雰囲気が、どっと緩んだ。緊張に強張っていたフィセルも安堵したように頬を緩ませ、照れ笑いも漏れ出した。

「それではカクノシン」エイザムが改めて言った。「お茶を飲んで一休みしたら、また門人達の相手をしてくれるかね? 道場の将来のためにも、君の力が必要だ。どうか頼む…!」
「……大会まで後2日ですから、どこまでお力になれるか分かりませんが、できるだけのことはしましょう」

 髪に隠れて見えないはずの、大きな瞳から放射される主の「助けてあげて」光線がびしばし頬に当るのを実感しながら、コンラートは頷いた。大会の後についての言質はもちろん与えなかったが、エイザムはホッとした顔で「ありがたい」と破顔し、ガスリーも「よろしく頼む」と頭を下げた。フィセルを始めとする門人一同もそれに倣い、「ありがとうございます!」「頑張ります!」「よろしくお願いします!」と声を上げながら次々に勢い良く頭を下げていった。


 全員が落ち着きを取り戻し、では戻ろうと揃って歩き始めると同時に、フィセルが素早くコンラートの左隣の位置を確保した。負けじと誰かが右隣のユーリを押し退けようとする。だがユーリとて、易々とコンラートの隣を譲るわけにはいかない。
 とはいえ華奢なユーリは、卵とはいえ日々鍛えている武人の力には敵わない。
 おれの場所が取られる! 筋骨逞しい女性門人がずいっとユーリとコンラートの間に身体を割り込ませてきた瞬間、ユーリは心の中で叫んだ。が。
 即座にコンラートの腕が伸びてきて、ユーリは抱き込まれるようにコンラートの傍らに引き寄せられた。

「大丈夫?」
「うん! 全然へーき!」

 誰も割り込めないようコンラートの腕をがっちり抱き込んで、ユーリはコンラートを見上げた。その向こうでは、コンラートと話をしたくて堪らないらしいフィセルが口をパクパクさせている。
 だがその時。

「師匠!」

 門人の1人が駆けて来た。

「レフタント家のご当主と若君がお見えになると、たった今先触れが参りました!」

「…………げ」


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相変わらず進んでいません。どうして二つの道場がすれ違ったのかもよく分らないまんまで。
でも次回こそは大会開催にこぎつけたいと思ってます。
このところ、フィセル君が可愛くなってきちゃった私。
ご感想、お待ち申しております!