グランツの勇者・7


 でぇ?
 くちゃくちゃと何かを噛みながら、でかい男が言った。

「何の用だってぇ?」

 男は2人連れだ。1人はでかい。1人は小さい。でもどちらも鍛えているのか、引き締まった筋肉はスールヴァン道場のヴァンセルほどではないものの、やはり日焼けして赤銅色に輝いている。
 ただ、顔がちょっとスゴかった。
 この道場の修業は剣だけではないのかもしれない。身体はもちろんだが、2人の顔も傷だらけで、鼻は折れたことがあるのか捩じれるように曲がっている。
 ただでさえ穏やかとは程遠いご面相なのに、それが悪相に拍車を掛けてかなり……コワい。

「おいこら、坊主」

 でかい方が焦れたように言った。

「……へ!?」
「へ? じゃねぇよ。ワケ分かんねぇこと喚きやがって、何の用だって聞いてんだよ」
「小汚ねぇ小僧だなあ」小さい方がぽつっと言う。「物乞いか? それとも下働きの口でも探してんのか? だったら裏口に回りな。腹が減ってんなら、残りモンでも食わしてやるから」

 案外気が良い。よく観ると、コワい顔だが2人とも目が妙に……優しくないか?
 とはいえ。

「そんなんじゃねーよっ!」

 一声叫んでから、ユーリは気を取り直した様にコホンと咳払いし、腰に手を当ててふんぞり返った。

「こちらは剣の修行に国中を旅しているカクノシン……あーと……シブヤ・カクノシンと申す!」

 どさくさ紛れに婿入りしてもらいました。

「本日は、グランツ領でその名も高きシュルツローブ道場の道場主殿に、一手ご指南頂きたくまかりこした!」

 時代劇で何度も観た道場破りの口上である。ばっちり決めたと、ユーリは内心ビシッと親指を立てた。

「………なあ、おい?」

 小さいのがでかいのに言った。

「このちっこいの、何つったんだ?」

 あんたに言われたくねーぞと呟くユーリ。

「さっぱり分からねえ。けどよ……」でかいのが首を捻る。「ウチの師範に……指南して欲しいとか何とか言わなかったか?」
「ぜひお願いしたい!」

 そっくり返って声を張り上げるユーリの顔(でも髪で表情は見えない)を、2人の男がまじまじと覗き込む。

「「お前ぇがか!?」」

「おれじゃねーよっ!」

 即答されて、「驚かすんじゃねえよ」と男達があからさまにホッとしてみせた。

「ウチの師範に指南して欲しいって……じゃあ、一体誰がだ?」

 でかい男が首を捻って言う。

 誰がって。

「見りゃ分かるだろーがっ」

 一声叫んで、ユーリは勢い良く腕を振り上げ、背後に控えるコンラート、いや、目の不自由な放浪の天才剣士を指し示した。

「ここにいるシブヤ・カクノシンだ!」

 そこでようやく、2人の男の視線が、何となく嫌そうにコンラートに向く。

「………いや、俺もよ、もしかしたらとは思ったんだ」

 でかいのが、何故か囁く様に言う。隣で小さいのが、うんうん俺もと頷いている。

「けどよ、何かあいつ、ヘンじゃねーか? ぼーっと突っ立っててよ。小汚ねえカッコしてるのに、女みてぇな髪してるし、髪の毛ばっかり妙に手入れが行き届いてるみたいだし、それに……何なんだよ、あの色つき眼鏡は。……何つーか、アブねぇ感じがすっだろ? ……あんまし目を合わさない方が良いかなって思ったもんだからよ」

 うんうん俺もと小さいのが頷く。

「見かけで判断すんなっ! ……てか」

 カッコ良いじゃん。

 まじまじと「カクノシン」を見つめてユーリがきっぱりと言う。
 でかいのと小さいのが顔を見合わせた。

「……おめー、美的感覚がズレてねえか?」
「あんたらに言われたくねーよ!」

 とにかく!
 ユーリはエラそうに腕組をして2人の男を睥睨した。

「眞魔国一の剣士、シブヤ・カクノシンのお相手を……いいやっ! シブヤ・カクノシンがシュルツローブ道場の剣士達に、直々に指南をして差し上げたくまかりこした! 分かったらとっとと道場主を呼んでこい!」

 数呼吸、唖然と口を開いてまじまじとユーリを、それからコンラートを、全身を舐めるようにとっくり眺めた、と思ったら、いきなり大爆笑を始めた男2人をちらと見遣ってから、コンラートはサングラス越しの視線をユーリに戻した。
 これまでずっと一言も口を挟まずにいるのは、ミッションを成功させようとするユーリの頑張りを尊重したかったからだし、ユーリは何でも一生懸命な姿がそりゃもう可愛いからだ。
 実際、ミッションといっても何か危機的な状況が待っているわけではない。大賢者猊下からも「渋谷のやりたいことを最優先にね」と言われている。それに……。
 この道場には、想像していたような荒んだ気配がない。
 重々しい門を潜ってみれば、表玄関に到る小道も掃き清められているし、小道の両側の庭は芝の緑も鮮やかで、計画的に種を蒔かれたらしい小花がそこかしこでこんもりと群れを作って咲き綻んでいる。いかにも猛者が集まる道場らしい、訪れた人に威圧感を与える雰囲気は皆無だ。経済的な豊かさをことさら誇示してもいない。それに、目の前の男達にしても、かなり荒くれ者のようではあるが、性根の腐った下卑た雰囲気はほとんど感じられない。これなら少々のことがあっても、ユーリの身をどうこうしようなどと考えないのではないか。もちろん油断する気はもうとうないが。
 ……シュルツローブ道場は、もしかすると……。
 コンラートがふと考えた時。

「眞魔国一は良かったな、おい! ったくよお、坊主、お前ぇ世間知らずにも程ってもんがよお……」

 笑いすぎて苦しいらしく、凸凹コンビは腹を押さえてひいひいと身を捩り、それでもやっぱり笑い転げている。

「てやんでぃ、べらぼうめっ!」

 江戸っ子が怒鳴りつけた。……埼玉県民だが。
 腹を抱えて笑っていた男達が、その格好のままぴたりと動きを止めた。

「おうおうおうっ!」

 ユーリが男達に迫る。

「黙って聞いてりゃ良い気になりやがって! 世間知らずはそっちの方だ! ここにいるのはなぁ! 大江戸八百屋町にその名も高き剣豪、シブヤ・カクノシンだぞ! 嘘だと思うんなら剣を取って相手をしてみやがれってんだ! ただし相手はてめぇらみたいな小物じゃダメだからな! 道場主も師範代もまとめて相手してやらぁ!」

 ……ちょっと別の人が入ってる気がする。
 コンラートは軽く首を捻った。どの時代劇の影響だろうか。時代劇専門チャンネルの熱心な視聴者らしいが、コンラートには時代劇の具体的なキャラクターが分からない。せいぜい「白馬の将軍様」くらいだ。
 勝利がいたら、「猪突猛進っぷりが一心太助だ」と言ったかもしれない。村田だったら「うっかり八兵衛」とか。
 ……足立区のたけし君かもしれないが。

「おい、お前ぇ、本気かあ!?」

 でっかいのが呆れた声で言う。

「おう! 本気も本気だいっ! ……とにかくカクさんの相手をしろ。おれ達をバカにしたいんならその後にしろ!」

 できるもんならな。

 ふふんと自信満々に笑う少年に、2人の男がまたも顔を見合わせ、何やら小声で話し始めた。
 そして間もなく話が纏まったのか、男達の顔がユーリに向き直った。

「ぼこぼこにされるのが関の山だって思うんだがな。けどまあ、ウチは修行しに来るヤツは原則的に拒まないことになってるからよ。でも……後悔してもしらねぇぜ?」
「後悔なんかするもんか! そっちこそおれ達を笑ったこと、後悔させてやっからな!」

 おお、こえぇ。
 でかい男がわざとらしく肩を竦めて震えて見せた。

「ま、度胸だけは買ってやるぜ。ほら、こっちだ。来な」

 でかいのが顎をしゃくり、建物の奥を示した。そしてすぐに踵を返し歩き始めた男のすぐ後を、小さいのが続く。
 そしてユーリも後を追おうとして。

「ミツエモン」

 ユーリの背後から穏やかな声が上がった。
 あ、と振り返れば、コンラート=カクノシンが左腕を伸ばしている。

「手を引いてくれるかい?」

 笑みと共に言われれば、ユーリは「ごめんっ」と叫んでコンラートの元に駆け寄っていく。

 威勢の良い少年が放浪の剣士を自称する男の手を取り、並んでゆっくり歩き始めたのを見て、男2人は改めて目を大きく瞠った。

「おっ、おい! まさかと思うが、そいつ、目が見えねぇってんじゃねぇだろうな!?」
「見えないんです。……ほとんど」

 ここで初めてコンラートが答えた。「ほとんど」と付け加えたのは、全盲の芝居がちゃんとできるのか、心の隅に不安が過ぎったからだ。
 もちろん、そんな微妙な心情を知る由もなく、男達の顔がさらに愕然としたものに変わった。

「おいおい、ちょっと待てよ! じゃあその色つき眼鏡ってのは……」
「……光を感じることはできるのですが、わずかの光も眩しくて目に辛いのですよ」

 「カクノシン」の説明に、はあ、と頼りない声を上げて、男達がまたまた顔を見合わせた。

「……それで……本当に剣が遣えるのかい?」
「ええ、もちろん」

 にっこりと笑われて、男達は肩を竦めた。目の見えねぇヤツをいたぶる真似はしたかぁないんだがな、とぶつぶつ言いながらも、男達はユーリとコンラートを先導して歩いていく。
 そのスピードが明らかに落ちていることに気づいて、ユーリは寄り添って歩くコンラートにそっと囁いた。

「……もしかして、カクさんの目が見えないから、気を遣ってくれてる……のかな?」
「どうやらそのようですね。……口調は荒いですが、言っていることは結構まとも、というか、存外気の良い男達のようですよ」

 男達の後姿を眺めながら、ユーリは「うん」と頷き、それからさらに声を潜めて言った。

「敬語禁止」


□□□□□


「………本気か?」

 尋ねたのは、シュルツローブ道場の師範代筆頭を名乗る男だった。
 さほど大柄ではないが、これまた見事に鍛えた身体は、隆々とした筋肉を誇示している。
 今、太い腕を胸元で組んで、口をへの字に曲げているその人物は、人間ならば35、6といった年代だが、何より最初に目を引くのはその顔の傷だった。
 ごつく角ばった顔の、その左右の額の端から両顎の端に掛けて、対角線を結ぶように大きなバツ印の傷が残っているのだ。かなり深い傷だったのか、周囲の皮が引き攣れている。
 酷く不機嫌に見えるのは、その引き攣れのせいかもしれない。

 ユーリとコンラートが連れて行かれたのは、スールヴァン道場よりもまだ広い練習用の広場だった。大会が三日後に迫っているせいもあるだろう、ざっと見50人以上の武装した男女が剣を主 として、様々な武器を手に鍛練に励んでいた。
 「うおおっ!」「はっ!」「でぇいっ!」といった叫びと同時に幾つもの鋼がぶつかり合う音。
 「試合まであと何日だと思ってやがんだ!?」「腰を入れろって何度言やぁ分かんだ、バカやろう!」「足がもつれてるぞ! しゃんとしろ!」といった師範達のものらしき怒鳴り声。
 無秩序に重なり合い、すでに聞き取ることも困難なほどの音や声が、ユーリとコンラートが歩を進めるに従って静まり、不審感どっさりのざわめきに変わっていく。
 凸凹コンビに先導されたユーリとコンラートがその男の前に立つ頃には、鍛錬中の門人達はほとんど動きを止め、何か奇妙なものを見る目で彼らを見つめていた。

 ユーリ達を案内してきたでかいのが、師範代筆頭の男の耳に何事か囁いている。
 師範代筆頭がギロリと目を向けてきた。

「目が見えねぇってのはホントか? それで剣が遣えるだと?」

 怒鳴ってばかりいるせいだろうか、かすかに掠れた、だがずしりと重い声だ。
 好奇も蔑みもなく、ただ事実を確認しているだけの声。
 はい、と、コンラートが穏やかに答える。
 抑えた驚きの声と失笑。いつの間にか彼らを囲んでいた武人達の輪の中に、二種類の感情が溢れた。

「ふざけてんじゃねぇぞ、こら!」

 師範代筆頭の男の陰から、別の男が1人、ひょいと飛び出してきて怒鳴った。
 粗末な衣服に簡単な防具をつけ、腰には剣をさしている。それなりに鍛えている身体つきだったが、男の姿を目にした瞬間、ユーリの頭に浮かんだのは、「あ、ねずみ男だ」、だった。

「やい、バッサ、イシル! おめぇらも、試合を控えて師範がお忙しいことはよく知ってるだろうが! こんなイカサマ野郎をわざわざ案内してくるたぁ、いったいどういう了見だ。バカ野郎!」
「何だとぉ!?」

 バッサだかイシルだか分からないが、でかい男がずいっと前に進み出て「ねずみ男」に言い返した。

「てめぇ、いつから人をバカ呼ばわりできるほど偉くなった!? 何様だ、クソ野郎!」
「んだとぉ!?」

 一触即発の雰囲気が一気に盛り上がる。だが。

「うるせぇぞ。勝手にぎゃんぎゃん騒ぐな。見苦しい」

 師範代筆頭の、特に荒げるでもない低く響く声に、ファイティングポーズを取りかけていた男達がハッと姿勢を正した。

「すんません、師範!」バッサだかイシルだかが言う。「でも師範。ウチの道場は修業に来るものは拒まないのが基本です! こいつは剣の修行をしてるって言ってました。だったら目が見えなかろうが口が利けなかろうが、例えば剣を持つ腕がなかろうが、受け入れるのが筋だと思います!」

 直立不動ではきはきと発言する様子は、まるで研究発表する小学生のようだ。自分が担任の先生なら……ユーリはでかい男の背中を眺めながら思った。
 今のこの発言に、「よくできました」の花丸をあげよう。

「ばっきゃろう! 腕がなくてどうして剣が……」
「バッサの言う通りだ!」

 また口を挟んできた「ねずみ男」を力強く遮って、師範代筆頭がきっぱりと言った。
 でかいの(こっちがバッサらしい)が、満足そうに胸を張る。逆に、「ねずみ男」は当てが外れたようにいきなり落ち着きをなくして、きょときょとと周りを見回し始めた。だが援護してくれるものはいない。

「目が見えなかろうが、腕がなかろうが、本人が俺は武人だというならそれで良い。その代わり」

 言って、師範代筆頭はジロリとコンラートを睨めつけた。

「一切手加減はしない。それで良いな?」

 ずしりとした、いわゆるドスのきいた声に、ユーリの胸がどくんと跳ねた。

「ええ、もちろんです。よろしくお願いします」

 投げ付けられた鉄球の様な声を、ふわりと包み込む柔らかな声。ほう、と、意外そうな声が門人達から上がる。
 ユーリもまたホッと息をつき、それからキッと顔を上げると、思い切りよく前に飛び出した。

「コ…おれのカクさんを舐めるなよ! 手加減なんかされなくたって、カクさんは誰より強いんだからな!」

「………何だ、この小せぇのは」

 どこから出てきたと、師範代筆頭が眉を顰めた。バッサの陰になって、ユーリの存在に気づかなかったらしい。
 ユーリは腰に手を当て、力いっぱい胸を張った。

「おれはカクさんのマネー……えっと、付き添いだ!」
「……付き添い? こんなガキを付き添いにしなくちゃならんヤツに、本当に剣が遣えるのか?」

 ふん、とバッテン顔の師範代が顔を歪めた。笑ったらしい。

「んだとーっ!」
「ミツエモン」

 緩やかに声と同時に、ユーリの肩に大きな手が乗った。ハッと振り返るユーリの肩を、コンラートの手がポンポンと叩く。

「彼には日常生活の手助けをしてもらっています。それよりも、俺が剣を遣えるのかどうか、まずは試してみては頂けませんか?」

 もっともな言葉に、師範代筆頭がまたも「ふん」と鼻を鳴らす。

「確かにそうだな。……おい! お前」門人の輪の中にいる男に向けて顎をしゃくる。「相手をしてやれ。……ところで、お前、名は何という?」
「おれはミツエモンだ!」
「お前じゃねぇよ、そっちだ」
「カクノシン。……シブヤ・カクノシンと申します」

 ちょっと嬉しそうな声音であることは、幸か不幸か誰にも気づかれなかった。
 ただ、「どっちも妙な名だ」と呟くと、師範代筆頭は広場の中心に向けて歩き始めた。

「ウルヴァント・ガスリーだ。ついて来い。腕を見せてもらう」


 広場の真ん中で、コンラートと師範代に指名された男が向かい合っている。
 2人が手にしているのは木剣だ。コンラートの腕の程が分からないということで、師範代が両者に木剣を持たせた。コンラートの剣は、今ユーリが大事に腕に抱えている。
 最初にコンラートの相手をすることになったその男は、表情の見えないのっぺりした顔に、開いているのかいないのか良く分からない細い目をした痩身の剣士だった。身につけている防具は、素人であるユーリの目にも一際粗末に見える。
 コンラートは防具をつけていない。つけろと言われたが断った。マントを羽織ったままでいたかったからだ。理由は……ユーリが「マントが翻るのってカッコ良いよね!」と言ったからだ。
 ……ユーリには、いつだってカッコ良いところを見せたい男心。幼馴染がその場にいたら、そう言ってニヤニヤ笑ったかもしれない。
 ちなみに長い髪は邪魔になるので、背で緩くまとめてある。


「……よう、小僧」
「おれはミツエモンだ!」

 反射的に言い返してから振り返り、すぐ側に立つバッサとイシルに気づいた。

「本当に大丈夫かあ?」

 どうやら心配してくれているらしい。バッサとイシルの、バカにしているわけではない眉間の皺に、ユーリは「おう!」と笑って答えた。

「言っただろ? おれのカクさんは世界一強いんだぞ! 安心して見てろって!」
「安心ってお前な……」

 バッサとイシルが顔を見合わせ、同時に苦笑を浮かべた。

「お前」小さい方、イシルが笑いを含んだ声でユーリを呼ぶ。「よっぽどあいつを信じてるんだなぁ」

 その一言に、ユーリはぱあっと笑顔になった。髪の毛で顔の半分が隠れ、表情はよく見えないというのに、男達が一瞬目を瞠るほどその笑顔は輝いている。

「もちろん! おれは何があったってコン…カクさんを信じてるぞ!!」


「よろしくお願いします」

 一応挑戦者なので、先にコンラートが挨拶する。

「………ん。…こっちも。…よろしく」

 ぼそぼそと応えると、男は木剣を構えた、と思った瞬間、するするっと目を瞠るような滑らかさで前に進み出てきた。彼が狙うコンラートは、まだ剣を構えてもいない。

「ハッ!」

 気合一声。地面を引き摺るように構えていた剣を、これまた目に止まらぬ速さで振り上げる。
 だが、棒立ちに見えたコンラートは、薙ぎ上げられた剣を上半身を軽く仰け反らせることで躱すと、素早く木剣を翻し、無防備になった男の腕を鋭く打った。

「ぐっ!」

 喉の奥で呻くような声を上げ、男が剣を落す。そしてそのまま腕を押さえて地面に膝をついた。

「……ま、まいった……」

 マントが翻る暇もなく、一瞬でついた勝負に、うおお、と門人達から声が上がる。
 腕組みをして成り行きを眺めていた師範代筆頭、ウルヴァント・ガスリーも、むっつりとした表情が驚きに崩れ、思わずといった様子で1、2歩前に飛び出した。

「驚いたなあ…!」バッサが素直に感嘆の声を上げた。「ゲイラムは全然弱かぁねえんだぞ。道場じゃあ中堅どころだが、まさか……1発でかよ!」

 当然! ユーリが大威張りで胸を張る。

「中堅どころなんて目じゃないね! 時間の無駄だから、さっさと道場主を呼んでこいってんだ」

「シャグム!」
「おう!」

 ウルヴァント・ガスリーの荒々しい呼びかけに、同じくらい気合の入った声が応えた。
 そしてすぐに門人達の輪の中から、腰の両側に剣を挿した巨漢が進み出てきた。

「いきなり十人衆ときやがった」
「ジュウニンシュウって?」

 ヒュウッと口笛を吹きながら発せられた単語に、ユーリが反応する。

「十人衆ってのはな」イシルが親切に教えてくれる。「ウチの道場で10本の指に入る強いヤツってことさ。ウチじゃあ3ヶ月に1度、門人全員総当りの試合をやっててな、10傑以内に入ったヤツを十人衆って呼ぶんだよ。シャグムはこの3年、1度も十人衆から外れてねえ。強ぇぞお?」

 どうだ、ちょっとは心配になってきただろう?
 ニヤニヤ笑顔になったイシルとバッサに顔を覗きこまれて、しかしユーリはひょいと肩を竦めた。

「じょーだん。そんなの全然相手になんないって!」

 すげぇ自信だなと、イシルがわざとらしく目を瞠る。
 バッサが「ぐはは」と楽しそうに笑った。かと思ったら、背を屈め、改めてユーリの顔を覗きこんだ。

「じゃあよ、あいつがシャグムに勝ったら、お前ぇのことを兄貴って呼んでやるぜ」
「………あんたに兄貴なんて呼ばれても嬉かないけど、でも……その言葉、忘れんじゃねーぞ!」


 シャグムは二刀流だ。剣は普通の長剣とは違って、わずかに曲線を描いている。地球流にいえば、円月刀とか青竜刀とかと似ているかもしれない。
 それを師範代筆頭の傍らにいた男に預けると、シャグムは代わりに2本の木剣を受け取った。
 手に馴染ませるように木剣を振りながら、巨漢がコンラートの真正面に立つ。

「俺ぁ、シャグムだ。なかなかやるじゃねえか。……名前、なんつったっけ?」
「シブヤ・カクノシンと言います。よろしく」

 軽く頭を下げるコンラートに、シャグムは「おう!」と鷹揚に頷いた。自信が全身から溢れている。

「じゃあまあ……行くぜ!」

 うおおぉぉぉりゃあぁぁ…! 豪快な雄叫びを上げ、2本の剣をぶんぶんと振り回しながら、シャグムがコンラートに迫っていく。

「どりゃあっ!」

 力強く振り被った2本の剣が、一気に振り下ろされる。
 すっと1歩後退して難なくそれを避けた、と思った瞬間、シャグムが今度は下から、交差して構えた剣をバツ印を描くように振り上げてきた。
 さらに1歩後退して、刃を避けるコンラート。
 シャグムはさらに踏み込んで、1本を上から、もう1本を横薙ぎに、タイミングを微妙にずらしながら攻撃してくる。
 三度、後退するコンラート。

「逃げてるばっかりじゃあ俺には勝てねぇぜ!」
「ええ、その通り」

 2本の剣を自在に操るシャグムの攻撃には間断がない。上から下から右から左から、息つく暇もなく襲い掛かる剣を、コンラートはひたすら躱すのみだ。濃藍色のマントと異様に輝く金髪が、コンラートの動きと連動して生き物の様にうねり、翻る。

「おおっと、苦戦してるぜえ?」
「平気だってば!」

 バッサとイシルのからかうような言葉にも、ユーリの絶対の自信は揺るがない。

 おれのコンラッドは絶対に勝つ!

 ユーリのその声が届いたのか、調子に乗ってきたシャグムが2本の剣を同時に、高々と振り上げたその瞬間、まさしくそれを待っていたかのように、コンラートの身体が低い体勢で一気に前に飛び出した。マントが華麗に翻る。
 シャグムの大きな身体に肉迫すると、コンラートの剣がくるりと向きを変えた。と、次の瞬間、木剣の握りの部分がシャグムの腹にめり込んだ。

「ぶほうっ!」

 シャグムの身体がくの字に折れる。途端、コンラートの木剣がシャグムの逞しい手首に叩きつけられた。
 2本の剣が地面に落ちる。

「…っ、くそ…っ!」

 それでもシャグムは諦めず、落ちた剣の1本に飛びついた。が。

「ここまでです」

 地面に倒れこむ形になったシャグムの背中、心臓の真上、をコンラートの剣先がトン、と突く。本物の剣であれば、そしてほんのちょっと力を籠めれば、剣は男の背を、そして心臓をも貫くだろう。
 荒々しく息を吸い、そして吐き出し、間もなくシャグムの肩から力が抜けた。

「………まいった」

 おおおっ! 今度こそ驚愕の叫びが一斉に人々から上がった。
 眉をぎゅうっと寄せてその様を見つめていたウルヴァント・ガスリーの鼻が、苛立たしげに音を立てる。

「次は俺だ!」

 輪の中から別の男が飛び出してきた。やはり鍛えた身体つきの若い、コンラートと同年代の男だ。
 ……筋肉量はグリエちゃんくらい? ちょっと負け? ユーリが首を捻る。
 だが。

「何でしたら」

 緊張感が漲る輪の中心で、コンラートが穏やかに言葉を発した。

「1人でなくても構いませんよ? ……だいぶ慣れましたし」

 何に慣れたのかと疑問に思うより先に、一度に複数を相手にしてやろうというその自信に、シュルツローブ道場の門人達は激しく反応した。

「何だとぉ!?」
「いい気になりやがってこの野郎!」

 驚きが一気に怒りへと転化し、怒号がそこかしこから吹き上がる。

「だったら注文通りにしてやるぜ!」
「俺もだ!」

 たちまち3人の男が飛び出してくる。先の男と合わせて4人だ。

「フィセル! お前達!」

 師範代筆頭が大声を上げる。その声に、最初に飛び出した若い男が勢い良く振り返った。

「このままやらせて下さい、師範! この男が」若い男が再びコンラートに顔を向け、睨みつける。「自分で言い出したことです!」

 むう、とウルヴァント・ガスリーの喉が鳴った。

「俺は構いません」

 コンラートの冷静な声。その声に感情を逆撫でされたのか、前に出てきた4人の男達から一気に闘気が吹き上がる。
 ウルヴァント・ガスリーが口を開く前に、4人の男達がザッと地面を蹴り、コンラートの周囲に展開した。

「行くぞ!」

 最初の男が叫び、それを合図に男達が一斉にコンラートに打ち掛かっていった……。


 4人の中で最初に飛び出した男、カート・フィセルは呆然と地面に膝をついていた。
 喉元には木剣が突きつけられている。
 自分が握っていた剣は、とうにどこかに飛ばされた。

 何が起きたのか。
 フィセルは目だけを上に向け、自分に剣を突きつけている男を見た。
 息を荒げるでもなく、自然体でゆったりと立っている。

 この男を叩きのめすつもりで剣を振り上げた。男は隙だらけに見えた。自信もあった。シャグム相手の勝ち星は、自分の方が多いのだ。俺は強い。だから……。

 地面に沈めてやる。そう思って剣を振り被った時。
 男のマントと1つに束ねた金髪が、風もないのにふわりと波打ち、優雅に舞った。目に映ったのはそれだけだった。
 次の瞬間、手首に、それから間を置かず首の根元に、強烈な衝撃が襲いかかった。何が起きたと思うより先に、身体は地面に沈んでいた。
 そんなバカなと我武者羅に身体を起こした、そこへ、男の剣が突きつけられたのだ。
 見れば、仲間の3人は地面に完全に伏せて、意識を失っているのもいるようだ。

「………いったい……なに、が……」

 痛む首を無理矢理動かして仲間達を見る。
 自分達を取り囲んでいる仲間達は、皆一様に目を瞠り、口をぽかりと開き、言葉も何もなく、ただ呆然と立ち竦んでいる。

 喉元に突きつけられていた剣が、すっと視界から消えた。
 見上げれば、男はもう自分を見ていない。……いや、目が見えないと言っていたから、実際自分も他の誰も見てはいないのだろう。
 自分ではないどこかに顔を向けて、男が口を開いた。

「如何でしたか?」

 腹立たしいほど穏やかな、わずかの乱れもない声。

「…………見事な腕だ」

 尊敬する兄弟子、師範代筆頭の声。この時になってようやく、フィセルは自分がこの男に負けたことを理解した。
 剣を打ち合うこともなく、一瞬で自分と、そして3人の仲間は叩き伏せられたのだ。

「世界は広い。そう思わんか、ガス」

 いきなり。音も動きもなくした広場に、力強い男の声が響いた。
 身体の痛みも忘れ、フィセルは弾けるように立ち上がった。
 それまで愕然としていた人々も、ハッと表情を変え、即座に声のする方向に身体を向ける。そして。

「師匠!」

 ウルヴァント・ガスリーが一声叫んだ。「師匠!」と、門人達の声が一斉に続く。全員が背筋を伸ばすと同時に、広場の空気がピンと張り詰める。


「……あの人……?」

 呟くユーリを、やはり直立不動で立つバッサとイシルが「しーっ」と睨みつける。

「道場主で俺達の師匠、エイザム先生だ」

 イシルがユーリの耳にコソッと囁いた。

 あれが、と、ユーリはバッサの大きな身体の陰から首を伸ばし、あらためてその人物を見た。
 ゆっくりと広場を進んでくるその男性は、年頃は200歳から300歳くらい、人間なら50代前後、といったところだろうか。
 服を着ているので筋肉の程は分からないが、がっちりとした体格をしているのは分かる。腰にはちょっと珍しい幅広の、かなり重そうな剣を差しているが、やってくる足取りは確かで、実に堂々とした雰囲気だ。
 ごつい顔に灰色の豊かな髪。顔は下半分が立派な、やはり灰色の髭で覆われていて、かなり威厳のある風貌をしている、と思う。
 だが、何よりも人を引きつけるのはその目だ。
 後に撫で付けた髪と髭の間に、炯炯と輝く琥珀の瞳。陽の光を弾き返しているのか、それとも男の内面の何かが輝きを放っているのか、単に実力のある武人というだけではない、どこか人を圧倒するような力強さをその瞳から、そして全身から漲らせているように感じる。

 あ、そうか。ユーリはふと思いついたことに自分で頷いた。
 どこかで見たような雰囲気だと思ったら、アレだ、北欧のバイキング。
 アニメや漫画でよく見る、角のついた兜を被り、幅広の剣を構えたバイキングの戦士とイメージがぴったりだ。

 あの迫力や、それに威厳。
 おれにはないなあ。ちょっと羨ましいかも。コンラートの剣をしっかりと抱え直しながらユーリは思った。

 道場主エイザムは直立不動の門人達の輪の中に数歩入ると、倒れたままの門人に顔を向けた。

「そこに倒れてるのを介抱してやれ」

 師匠の言葉に、数人の門人達が弾けるように前に飛び出し、気を失ったままの仲間の元に駆け寄ると、抱え上げて輪の外へ運び始めた。
 その様子をしばらく見つめてから、道場主エイザムはコンラートに顔を向けた。

「腕は見せてもらった。大したものだ。改めて名を聞かせてはくれないか?」
「シブヤ・カクノシンと申します」
「シブヤ? ………確か魔王陛下の姓もシブヤだったと思うが……」

 うひゃっとユーリが首を竦める。とっさに言ったことがとんでもないヘマだった。

「恐れ多いことですが」コンラートが冷静に答える。「全くの偶然です」
「だろうな」

 道場主がもちろんそうだろうと頷く。

「とにかく、よくこのシュルツローブ道場の門を叩いてくれた。歓迎する。……ガス」

 男の顔が傍らに控えるウルヴァント・ガスリーに向いた。

「腕試しは充分だな?」
「はい、師匠。……今頃こんなとんでもないのが現れるとは……正直驚いています」
「良い勉強になっただろう。昔はこういう並外れた戦士が多くいたものだが……。よし、じゃあこれから客人を持て成すこととしよう。彼を客間に案内してくれ。頼んだぞ」

 それだけ言うと、エイザムはコンラートに頷きかけ、くるりと踵を返してその場を去っていった。


「いやあ、大したもんだなあ、あんた!」
「ビックリしたぜ。バカにして悪かった。許してくれや」

 木剣を返し、ユーリに預けておいた剣を腰に装着する間、コンラートはイシルとバッサに身体を小突かれ、口々に賞賛されていた。それは問題ないのだが。

「兄貴の言う通りだったなあ!」
「さすがだぜ、兄貴!」

 2人に挟まれ、褒め称えられているのはユーリだ。が。
 ……兄貴って?

 えっへんと胸を張っていたユーリが、コンラートの戸惑いに気づいたのだろう、「あのね」と笑いかけてきた。

「おれの言う通りにカクさんが勝ったら、おれのこと兄貴って呼んで敬うって約束したんだ!」

 そうそう! イシルとバッサが頷く。

「敬うって言った覚えはねぇけどな。でもまあ俺たちゃ約束はちゃんと守るからよ。な? ミツエモン兄貴!」

 ユーリが再びえっへんと威張る。
 ……陛下と呼ばれるのは嫌いでも、兄貴なら良いんだろうか? いや、そんなことよりも。

「……ミツエモンが兄貴なら、俺はどうなるんでしょう?」

 コンラートの素朴な疑問に、3人が顔を見合わせる。そして。

「「「………オヤジ…?」」」

 声を揃えて返ってきた答えに、コンラートの肩ががっくりと落ちた。と。

「おい」

 掛けられた声にコンラートがゆっくり振り返ると、そこにウルヴァント・ガスリーが立っていた。

「シブヤ・カクノシン。師匠が客人として持て成したいと仰っている。一緒に来てくれ」
「ありがとうございます。……ああ、それと、俺のことはカクノシンで結構ですので。それじゃあ」

 すっと手を伸ばせば、ユーリが即座にその手を取る。師範代筆頭の眉がわずかに寄った。

「その子は遠慮して……」
「俺はミツエモンがいなくては何もできません。俺達を引き離そうとは絶対しないで下さい」

 「カクノシン」の意外なほど強い口調と、彼の腕をがっしと抱え込み、ぴったり身体に寄り添い、どうやら髪の毛越しに自分を睨んでいるらしい少年に、ガスリーは軽く目を瞠った。それから、肩を竦めて言った。

「……お前達、どういう関係だ?」


□□□□□


「……でもさ」

 客間に案内される途中、広い屋敷の回廊で、コンラートの手をしっかり握ったユーリが囁いた。

「ちょっと悪いことした気もするよね? だって皆、コンラ…とと、カクさんの目が見えないと思ってるわけだしさ。カクさんが勝つのは強いんだから当然だけど……でも……」
「見えてませんよ?」

 さらっと言われた内容が咄嗟に理解できずに、ユーリは思わず足を止めてコンラートの顔を見上げた。
 止まっちゃ駄目ですよ、とユーリを促し、再び歩き始めてから「だって」とコンラートが続けた。

「見えないと言っていながら目を開けていたのでは、嘘吐きですし卑怯ですからね。それでは勝ったことにはなりません。試合をすることになってから、ずっと目は瞑ったままですよ?」
「……ほ、ほんとに……? もしかして、今も?」
「ええ、もちろん。だからちゃんと俺の世話をして下さいね?」

 囁かれて、唖然としながらもユーリがコクコク頷く。

「最初はさすがに戸惑ったのですが、2人相手をしたところで大体のカンは掴めました。細かい作業は自信ないですけどね」

 微笑むコンラートを見上げて、ユーリは思わずその腕を抱きこみ、額を身体に擦りつけるようにぴったりと寄り添った。

「……すげー……」

 胸がドキドキする。
 飛び上がって叫んでしまいそうだ。

 ……おれのコンラッドはやっぱり……世界一カッコ良い!!



「招いておきながら待たせて済まんな。……おや?」

 その子供は?
 コンラート達が客間に案内されてから、しばらくして部屋に入ってきた道場主エイザムが、かすかに眉を寄せてユーリを見下ろした。

「師匠、こいつは…」

 「カクノシン」の付き添いで、細々したことを手助けするのだと説明されて、エイザムは「ほう」と意外そうな声を上げた。

「あれだけ見事に戦うから、てっきり見えなくても何の不自由もないものだと考えていたのだが……生活にはやはり支障があるものなのかね?」

 尋ねられて、コンラートは柔らかな微笑を浮かべた。

「あなたの弟子達は、皆強烈な闘気を発散させていました。あれだけの気を叩きつけられれば、嫌でも応でも分かります。ですが……」

 コンラートがにっこり笑って掌を卓の上に置く。

「椅子や卓は自ら気を発することはありません。ですから日常の世話をしてくれる彼が、俺には必要不可欠なんです」

 コンラートの簡単な説明に、なるほどそういうものかとエイザムが頷く。

「少年、君の名前は?」
「あ、おれ、ミツエモンっていいます! よろしくお願いします!」

 はきはきと答える子供に好感を持ったのか、エイザムが再び、今度はかすかに唇を綻ばせて頷いた。
 ……あ、笑うと雰囲気が全然違う。
 全身隈なく厳つい武人なのに、急にどこか気の良い近所のおじさん風になるというか。

 どうしよう。困ったなあと、ユーリは内心で首を捻った。
 この道場も、そしてこの道場主も、ルイザさんが言うような悪者の巣窟やその親分には見えないんだけど……。

 気や口調の荒っぽさは、スールヴァン道場もシュルツローブ道場も大して違いはない。
 門人の人柄も、それほど多くの人と触れ合ったわけではないが、どっちが善人でどっちが悪人なんて違いは感じなかった。
 イシルやバッサも悪いヤツらには全然見えない、というか、むしろ気の良い男達のようだし……。

「では改めて自己紹介させてもらおう」

 全員が客間の卓についたところで、道場主が口を開いた。

「私はシュルツローブ・エイザム。道場主だ。私の右隣に座っているのが師範代筆頭のウルヴァント・ガスリー」
「ガスと呼んでくれ。……最初、非礼な態度を取ったことを許してもらいたい。剣で生きると決めた者として、あんたほどの男に会えて嬉しく思っている。これからよろしく頼む」

 この師範代筆頭も、潔い立派な人のようだ。ユーリの疑問がますます深まる。

「とんでもありません。こちらこそ、よろしくお願いします」

 コンラートが軽く頭を下げるのを見て、ユーリも慌てて頭を下げた。エイザムが鷹揚に頷いている。

「弟子達にも良い勉強になっただろう。特にフィセルはな。あれはこのところ少々浮ついている。己に自信を持つのは良いが、自信を持つことと思い上がることとは違う。他の者を見下して掛かれば、いずれ必ず足をすくわれるだろう。思いあがりがむしろ実力を削ぐことになるとフィセルは学ぶべきだ。今度の大会がその良い機会になるかと思ったが、その前にまさかこれほどの腕を持つ剣士が現れるとはな……」

 我々は運が良い。
 エイザムが満足げに頷いた。だがそこでふと表情を変えた。

「……お茶が遅いな。クレアに言っておいたのに……」

 エイザムが客間の扉に目を向けたその時、まるでそれを待っていたかのように「失礼します!」と声が響いた。そして中からの返事を待たず、無作法なまでの勢いで扉が押し開かれた。

「お父様、あの…!」
「師匠、大変です!」

 カチャカチャという音と一緒に、2人の人物、男性と女性が飛び込んできた。
 女性はお茶とお菓子を乗せたワゴンを押している。音は陶器が触れ合う音だろう。女性─若い、人間なら20歳前後、ルイザと同年代か、もしくは少しだけ上─は、ワゴンを押していることを忘れているかのような勢いで部屋の中を突き進んでくる。
 そしてそのすぐ後から若い男性、これは見覚えのある、今話題に上っていた本人、フィセルが、やはり興奮を抑えきれない様子でやってきた。

「クレア? フィセルも何だ? お前達、客人の前だぞ、一体……」
「それどころじゃありません! 師匠!」

 フィセルが道場主の声を遮って大きな声を上げる。そこへ。

「今、野菜を運んでくれたイーリー商店の人が教えてくれたんです! お父様、今、お城に、魔王陛下がお見えになっておられるそうなんです! 3日後の大会をご覧になるために!」

 重大ニュースを伝える役目を果たしたのは、クレアと呼ばれた女性の方だった。隣のフィセルがちょっと悔しそうに唇を尖らせている。

「な、何だと!?」
「魔王陛下が!? で、でも、そんな話は全く……!」

 椅子から飛び上がって驚きを表すエイザムとガスリーに、今度は負けてなるかとフィセルが前に進み出た。

「お忍びだそうです! グランツの民に負担を掛けぬようにと陛下が希望されたとか。御領主様や御一族の皆々様が今日、陛下をお迎えになったそうです!」

 おお……! エイザムが感に堪えない声を上げた。そして、大きく節くれ立った手でごしごしと顔を擦ると、改めて深い息をついた。

「大会が30年ぶりに復活しただけでも喜ばしいというのに……。魔王陛下の御前で腕を奮えるとは、何という栄誉……!」
「それだけじゃないんです、師匠!」

 フィセルの興奮は治まらない。

「どうした?」
「陛下の御意に入った武人は、お側に取り立てて頂けるそうです! それどころか、道場に属する場合は道場ごと、血盟城の武術師範に召抱えて頂けるそうです!」

 グランツどころじゃない、血盟城の師範ですよ!!
 おおお! エイザムとガスリーが感動の声を上げているそのすぐ側で、ユーリとコンラートは小さく手を「ないない」と振っていた。
 どうやら噂に尾ひれがつき始めている。
 2人はそっと顔を見合わせて、ほーっとため息をついた。

「カクノシン、君はこのことを知っていたか!?」

 突然話を振られて、コンラートが慌てて姿勢を戻す。

「…あ、そ、そういわれてみれば、街で皆が騒いでいたようですが……」
「で、でも、血盟城に取り立てられるとかはー……聞いてないよねー……」
「これはすごいことだぞ!」

 聞いてくれてない。

「ああ、カクノシン、安心してくれ」
「………は?」
「大丈夫だ、新参だからといって、君ほどの実力を持った者を除外したりはしない」
「………は?」

 君も、我がシュルツローブ道場の一員として、大会に参加してもらう!

 エイザムが満面の笑顔でそう宣言した。


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