グランツの勇者・3


「エドアルド!」

 その家、というより屋敷、だが敷地を取り巻く長大な石塀は、何だかあちこち壊れてたり崩れてたり雑草が生えてたり…している…の正門(これまたちょっと石柱が傾いていたりする)を潜ってすぐ、その声が響いた。

「ルイザ!」
 エドアルドがすぐに反応して、手を上げて応える。

 声は女性のものだった。
 屋敷の角から姿を現したその人物は、若い、人間なら18、9歳の女性だった。金髪を、この世界の女性にしては珍しいほど短く切っている。ユーリより短いかもしれない。
 身なりも女性らしいドレスではなく、シャツに一見ジーンズの様なズボンにブーツ、そして手には2本の剣を握っている。剣を除けば、雰囲気は活動的な女子大生だ。

「あなた帰ってたのね! 大会のため? とにかく来てくれて嬉しいわ!」
「ルイザ、お久し振りです。お元気そうで何よりです。先生も変わりないですか?」
「ええ、まあ、兄は元気よ。でもお爺ちゃんがちょっと……。えっと、あちらはあなたのお連れ?」
 エドアルドの身体の陰から、ちょっと顔を傾けて、ルイザと呼ばれた女性がユーリ達を覗き見て言った。
 エドアルドがすぐに身体を翻す。
「はい、そうなんです。あの、こちらは王都で知り合った、友人と…えーと、そのお供の方、です。それで、こちらは僕の家の師範を務めておられる道場主の妹さんで、師範代も務められるルイザさんです」
「スールヴァン・ルイザよ。スールヴァン道場へようこそ。歓迎するわ。……あ…っと、ごめんなさい、エドアルドのお友達っていうからつい……。お供までいらっしゃるお坊ちゃまに、こんな口を利いたら叱られるわね」
「いえ! とんでもないです」
 ユーリが即座に答えて首を振る。
「おれ、ミツエモンっていいます。よろしくお願いします!」
「僕はケンシロウです。ケンちゃんって呼んで下さい」
「坊っちゃん達のお家にお仕えしております、カクノシンと申します。よろしくお願い致します」
「同じくスケサブロウです。どぞよろしくー」
「……ミツエモン、君、とケンちゃんね? それからそちらがカクノシン? さんと、スケ、サブロウ、さん……。変わった名前ねえ。王都にお住いなんでしょ? 出身は違うの?」
「出身はエチゴです!」
「エチゴ……」
 ってドコ? ルイザに目で問われるが、エドアルドに答えられるはずがない。
「ところでミツエモン君!」
「はっ、はいっ!?」
 いきなり鋭い声で名前を呼ばれて、ユーリが思わずピンと背を伸ばした。
「あなた、どうしてそんなに前髪を伸ばしているの? それじゃ目に悪いし、行動も制限されるわ。王都の流行……っていうこともないんでしょ? 前髪は短く、じゃなかったらきちんと横に流して視界はすっきりさせておきなさい。傍で見ていてもうっとうしいわ」
「…………う……」
 実はユーリ、街に出るにあたって、かつらの前髪をいつものように下ろしてきたのだ。現在イロイロ雑多な人物が入り乱れているフェルデンの街中で晒すには、ユーリの顔立ちは美しすぎる。
「……あっ、あのっ、ルイザ……!」
 ひゃー、はっきり言うねー、と、コンラートの耳に囁くヨザックの声が聞こえて、エドアルドは焦った。しかしここで何を言えば……。
「実はルイザさん」
 ひょいと前に飛び出してきたのは、もちろん村田だ。
「ええと…ケンちゃん…?」
「これにはちょっと訳がありまして。どうかご協力お願いします!」
 言ったかと思うと、村田はおろおろするユーリの赤茶の前髪をひょいと上げた。
「え……んまっ!」
 拳を口にあて、雷に打たれたかのように身体を仰け反らせるルイザ。かなり乗りの良い反応に村田が満足げに頷いた。

 ぽかんと立つユーリ、ユーリの前髪を上げてにっこり笑う金髪村田、仰け反ったままのルイザ、どうなることかと見守る従者3名。
 漫画のひとコマの様に、そのままの形で時間がゆっくりと過ぎる。彼らの傍らをひゅるるんと風が吹いてすぎた。

「……了解したわ!」
 唐突に復活したルイザが宣言した途端、村田が手を離す。と、ルイザが剣をエドアルドに押し付け、さっとユーリの真ん前に移動し、両手でユーリの前髪を整え始めた。顔がしっかり半分隠れるように。
「今この街で、この顔を誰彼構わず見せ付けるのは危険だわ」
 これは正しい判断よ。納得したわ。
 うんうんと頷くルイザに、「ありがとうございます」とにっこり笑う村田、そして髪の毛越しにきょとんとルイザを見上げるユーリ……が、おそるおそる背後のコンラートを振り返った。

「……コンラッド……おれって、そんなに変な顔だったの……?」

 見るに耐えないくらい…?
 今にもベソを掻きそうな声に、コンラートとヨザックが「とんでもないっ!」と手を振るが、信じてもらえなかったらしい。
 髪の毛越しにじとっと見つめられて、2人の護衛は天を仰いだ。
 そんな3人を、エドアルドがぽかんと眺めている……。


  「あ! ごめんなさい、私ったらお客さんをこんな処で立ちっぱなしにさせて。とにかくあちらに行きましょう。話はそれからね」
 言うなり、さっさと先に立って歩き始めるルイザの後を、慌てて全員で追いかけた。

「大きいお屋敷ですねー」
 石造りの古い屋敷。増設を繰り返したらしい曲がりくねった回廊をスタスタと進むルイザに従いながら、村田が感心した声を上げた。だが途端にルイザが吹き出した。
「とんでもない。敷地は確かに広いけど、建物自体はそれほどじゃないの。古くてあちこち壊れてて、雨の日にはバケツを持って屋敷中を走り回らないとならないし。おまけにキレイな花が咲く庭もないし……。あるのはね」
 ほら!  回廊の角をくるりと曲がると同時に、視界が一気に開けた。
 途端に。
 これまで聞こえなかったのが不思議なほど鋭い、鋼と鋼のぶつかり合う音が耳に飛び込んできた。同時に、気合を入れた雄叫びや怒鳴り声も。

「何だ、そのへっぴり腰は! そんなんで予選突破ができると思ってやがるのかっ!」
「動け動け! 何を突っ立ってる!」
「腰が入ってないぞ!」

 ちょっとしたグラウンド並みの殺風景な広場で、30人ほどの男女が剣を戦わせていた。中には槍や、矛のような武器を振り回している者もいる。

「ここが我がスールヴァン道場の中心部。練習場よ。これが第1番で、敷地の中に3番まであるわ。ウチの敷地の7割は練習場が占めているの」
「たくさん練習してるんですね!」
 ユーリの言葉に、ルイザが苦笑を浮かべた。
「いいえ。昔はこの何倍もいたわ。練習場が狭いくらいで……ほら、あそこにある建物、あれは室内練習場なんだけど、外だけじゃなくあそこも一杯になるほど弟子がいたのよ。そうね……500人くらいかしら」
 へえーとエドアルドを除く全員が声を上げる。
「でもそれもすっかり減って、この場にいない人を合わせてもせいぜい50人足らず。それも、武闘大会復活が知れ渡ってから駆け込んできた俄か弟子がほとんどよ。この30年、一緒に苦労してくれたのはほんの数人なの。でも……」
 空を見上げ、ルイザがグッと力強く拳を握り締めた。
「俄かだろうが何だろうが、弟子が増えてくれたお蔭で束脩が一気に増えたわ! おかげで、私も子守と家庭教師の仕事を止めて練習に励むことができるようになった! トーランも道路工事の日雇い仕事をする必要がなくなったし、ヴァンセルが露店で山羊乳酒を売るのも、マッサが酒場の女給をするのも、全部止めることができたのよ! これも全部、武闘大会復活が決まったからよ!」
 どんなにこの時を待っていたことか!

 ルイザの目から目の幅滝涙が流れ落ちる……ことはなかったが、それくらいの感動をしていることはユーリ達にも分かった。

「……た、大変だったんだね……」
 思わず声が出たユーリに、「そうなのよ!」と、天を仰いでいたルイザが勢い良く振り返って叫んだ。
「す、済みません、ルイザ。父がもっとちゃんと援助をすれば……」
「ハンス様のせいじゃないわ!」
 慌てて首を振るルイザ。
「例えご分家であろうと、グランツの家が武道家に表立って援助するのは危険だったのよ。王都の連中がどこに難癖つけてくるか分からなかったんだもの。それでもハンス様はできる限りのことをしてくれたわ。でもお爺ちゃんがね、あの性格だから、我が家のためにハンス様にご迷惑をお掛けするわけにはいかないって援助を全部断って、だから……」
 そこまで言ってから、ルイザはキッと眦を釣り上げた。
「悪いのは全部、アーダルベルトのバカ1人よ!」

「ルイザ! いい加減にしないか!」

 いきなり飛んできた鋭い声に、全員の顔がハッと動いた。
 回廊の先、部屋の中から出てきたのか、開いた扉の前に1人の青年が立っている。

「兄さん!」
「先生!」
 ルイザとエドアルドの声が重なる。
 その声に招かれたように、青年がユーリ達一行の前にゆっくりと近づいてきた。

 年の頃は……コンラートやヨザックと同年代、もしかしたら少し若い、だろうか。
 先生とエドアルドが呼んでいたからには、その青年こそがこの道場の主であり、フォングランツ卿ハンスが当主を務める家の武術師範のはずだ。しかし……。
 青年は、癖のない金髪も青い瞳も妹と同じだが、その風貌も、精悍な武人というよりは、どこかおっとりとして見える。体つきはコンラートと大差なく、むしろほっそりしているし、どちらかというと学生か学者を名乗る方が相応しい雰囲気だ。
 城の兵士達、そして学舎で学ぶ学生や学者の双方をよく知っているユーリは、内心ちょっと首を傾げた。もっとも、ユーリが世界で最も信頼するウェラー卿コンラートとて、軍服を脱いでしまえばさほど武人らしい雰囲気に溢れているわけではないのだが……。

「エドアルド様、お帰りなさいませ。お忙しいでしょうに、よくお顔を見せて下さいました」
 祖父がお待ちしております。どうぞ。
 妹とは全く違う丁寧な口調で話しかけ、ユーリ達にも軽く一礼した青年は、背後で開いている扉を指し示した。

 私、お爺ちゃんにご飯を運ぶところだったんだわ! と、突然思い出したらしいルイザが駆け去ってしまった後、青年に案内された一行はその部屋に入った。

 小さな窓から陽が差し込む部屋は、ユーリの目から見て、シンプルといえばシンプル、殺風景といえば殺風景(壁や棚に様々な武器が飾ってあるところをみれば、むしろ殺伐としていると言った方が良いかもしれない)、粗末と言えば……少々粗末な部屋だった。
 部屋の隅にあるベッドも、天蓋つきの立派なものだったが、かなり年代物らしい。
 四方に括りつけてある布も、淡い光の中で相当色あせている。

「……おお、若君、エドアルド様! お戻りでございましたか!」

 だが、ベッドの中から響いた声は、思いのほか張りのある力強い声だった。

「大先生! どうなさったのですか!? お身体の具合が…!?」
 エドアルドが驚いた声をあげ、ベッドに駆け寄っていく。
 ベッドの中には、半身を起こした小さな老人がちょこんと座っている。
「いやいや、お恥ずかしい。このガスールとしたことが、とんでもない油断を……」
「油断? 何かあったのですか!?」
 老人が皺に覆われた顔をクシャリと歪めたかと思うと、忌々しそうに口を開いた。
「シュルツローブ道場の卑怯者共に毒を盛られ……」
「違いますっ!」
 恐るべき告発をしようとした老人を、青年が咄嗟に遮る。
「しかしフェル…!」
「特大魔王饅頭を10個も食べれば腹を壊すのは当然ですっ! 毒なら1個目で死んでるでしょうが!」
「…………食べすぎ……?」
 ぽかんと呟くエドアルド。
 孫に叱られて、老人が「うぬぬ…」と悔しげに呻いた。
「だが、あの饅頭を持ってきたのはシュルツローブのヤツらで……」
「皆さんでどうぞ、と持ってきて下さったものですよね。それを……。大体相手を信用していないのなら、どうして1人であんなに食べたんです!?」
「わしゃ、我が身を犠牲に皆を守ろうとしたんじゃ! あいつらのこと、まともな土産など持参してくるものか! 何か仕込んであるに違いない、これでシュルツローブのヤツ等の悪だくみが明らかになると思うての。だから大嫌いな饅頭を必死に食ろうたのよ。だが1個食べても2個食べても何も起こらん」
「ただの饅頭だからでしょうが……」
「だからわしゃ、毒が効いてくるまで頑張って食べたんじゃ! そしたらいつの間にか10個に……」
 はー……っ、と青年、そしてエドアルドが深々とため息をついた。

「とんだ『饅頭こわい』だね。いや、これはむしろ一休さんかな」
 クスッと村田が笑った。ユーリもつられて「あはは」と笑う。
「日本昔話だよな?」
「落語だよ! 一休さんは有名なアニメじゃないか? 知らないの? 母上さま〜って」
「一休さんは知ってるけど、アニメは知らねー」

 2人のひそひそ話が聞こえたのか、青年とエドアルドの陰から老人がひょいと顔を覗かせた。
「そちらは……若君のお連れかな?」
 老人の言葉に、エドアルドと青年がハッと振り返った。
「もっ、申し訳ありません…っ」
 焦るエドアルドを村田がちろりと睨む。ハッと口を噤むエドアルド。
「これはお客人をほったらかして、大変失礼しました!」
 青年に「こちらにどうぞ」と招かれて、ユーリ達もベッドに歩み寄った。

「あの! 僕が王都で知り合った、その、友人、です。こちらのお2人は彼らの、えっと、お供の方で……」
「おれ、エチゴのチリメン問屋の息子でミツエモンっていいます! エド君とは仲良くさせてもらってます。今回は、武闘大会を見物にエド君についてきました。よろしくお願いします!」
「同じく、ケンシロウです。よろしくお願いしまーす」
「坊っちゃん方のお供をしております、カクノシンと申します。突然お邪魔しまして、申し訳ありません」
「スケサブロウです。よろしくー」
 チリメン問屋? とふと首を傾げた青年、フェルだったが、そこは主の息子の友人相手ということだろう、礼儀正しく笑みを浮かべて頭を下げた。
「エドアルド様のご友人に、大変失礼致しました。私はこの春より当スールヴァン道場の道場主となりました、スールヴァン・フェリクスと申します。フェルとお呼び下さい。そしてこちらは前の道場主で、私の祖父のスールヴァン・ガスールと申します」
「………………」
「……お爺様、あの、エドアルド様のご友人にご挨拶を……。お爺様?」
 妙な沈黙に、孫のフェルはもちろん、ユーリ達もおや? とベッドの老人に視線を向け……。
「お爺様、如何なされました!?」
 フェルが焦って声を上げた。
 ベッドの中では、老人が色をなくした顔を引き攣らせ、目をこれ以上ないほど見開いている。見開いたその目はユーリを、いや、ユーリの背後、コンラートに向けられていた。
「おじい……!」
「……誰のお供、じゃと……?」
 老人の喉から声が絞り出される。
「どなたの…お供をなさっていると……?」
 言葉を変え、老人が繰り返す。
「俺は」
 え? と見上げるユーリの両肩に手が乗る。
「こちらにおいでになる、エチゴの、チリメン問屋の、御子息である、ミツエモン様に、お仕えしております」
 一語一語ゆっくりと、小さな子供に言い聞かせるように、コンラートが言った。
「エチゴ……」
 老人が呆然と呟いた。
「チリメンとやらを商っておられるお家のご子息だそうですよ。お爺様、しっかりして下さい! 一体どうなさったのですか!?」
 この老人がこれほど放心することはよほど珍しいのかもしれない。フェルの声に焦りが増した。
 その声に老人がぱしぱしと目を瞬いた。その様子は、まるで今ようやく目を覚ましたかの様に全員の目に映った。だが。
「エチゴの……おおっ! さようか!」
 ガスール老人が、いきなり張りのある声を取り戻した。
「エチゴ、なるほどエチゴとな! おお…その、確かに! 確かにエチゴと言えばチリメンじゃ! あれはなかなかの美味じゃのう。わしも昔はよう食したものだわ!」
「……チリメンはチリメンでもそれはちりめんじゃこ……って、あれ……?」
 ユーリがきょとんと小首を傾げる。
 微妙な空気が部屋の中を漂う。だがそこに。

「お爺ちゃん、お粥ができたわよ!」

 手に食器を置いた盆を持ち、ルイザがやってきた。

「おお! お約束のセリフ!」

 時代劇らしくなってきた〜。ユーリが途端に目を輝かせる。

 ジダイゲキってなあに? ルイザがにこやかに尋ねながら進んでくる。そしてルイザの後から、もう1人、新たな人物が部屋の中に入ってきた。

「大先生、腹具合は如何っすか?」
 どこかからかうような口調でやってきたその人物は、背丈こそコンラートやヨザック、そしてフェルとも同じほどだが、身体は実に鍛えぬいた鎧のような筋肉で覆われていた。油でも塗っているのか、わずかな陽射しにも、その赤銅色に灼けた肌はてらてらと光っている。
 だが、その顔は意外なほど童顔で、大きな目がくりくりと明るく輝いていた。老人に向ける眼差しからも、根っから陽気な男のようだ。
 ……筋肉だけならヨザックを凌駕し、アーダルベルトに匹敵するかもしれない。ちょっと感心して、ユーリはふむふむと頷いた。

「おう! エドアルド坊っちゃん! やっぱりおいででしたねっ!」
「久し振り、ヴァンセル。いつもながら元気だね。……やっぱりって?」
「さっき、これまで世話になった露店の元締めんトコに挨拶に行ってたんスよ。そしたら目の前を坊っちゃんが。声を掛けようかと思ったんだけど、何だかふらふらしてて、あれって思ってるウチに見えなくなっちまって」
 どうしたんスか? 男、ヴァンセルがエドアルドの顔を覗きこむ。
「……あー……なるほど……」
 答えようがなくて、エドアルドは中途半端な笑みを浮かべながら視線を逸らした。
「ま、いいっスけどね。……ところでこいつらは?」
「ヴァ、ヴァンセル!」
「ヴァンセル、エドアルド様のお友達に失礼だぞ!」
 ガスール老人とフェルの声が重なった。ガスール老人の顔は、淡い日差しの中で引き攣っている。
「坊っちゃんのお友達、ね。ふーん……」
 こんにちはーと明るく挨拶するユーリと村田に、「おう!」と笑顔を返したヴァンセルの目は、もっぱらコンラートとヨザックに向いていた。
 特に同じ筋肉自慢同士、どうもヨザックの方が気になるらしい。じろじろと無遠慮な目をヨザックに向けて、その筋肉量と張り具合をじっくりと観察している。
「ヴァンセル、いい加減にしないか! ルイザといいお前といい、身分を弁えろ! こちらはエドアルド様のお友達でいらっしゃるのだぞ! それに、エドアルド様も士官候補生となられて、1人前の武人としての道を歩まれておられるのだ。もう幼い坊っちゃんではない!」
「あ、あの、先生、僕は別に構わないです。僕は末っ子ですし、ルイザにもヴァンセルにも幼い頃から……」
「いいえ!」
 フェルが厳しくその声を遮る。
「末子であろうがなかろうが、若君はれっきとしたフォングランツ卿、士官候補生として王都に出られたからには、すでに十貴族の誇りと名誉を担うお一人でいらっしゃいます。そのような仰せは、決して謙譲の美徳にはなりません。それにルイザ達のためにもなりません。ルイザ、お前は」
 フェルの目が、今度はルイザに向かう。何よ、と胸を張るルイザ。
「お前は先ほど、アーダルベルト様に対してとんでもないことを言っていたな」
「ああ、アーダルベルトのバカのおかげで大変な目にあった、っていうアレ?」
「ルイザ! アーダルベルト様は……!」
「勝手にバカなことやって、フォングランツだけじゃない、グランツの領民全ての命を危険に晒した大馬鹿野郎よっ!!」
 だってそうじゃない! ルイザの怒りはボルテージを上げていく。
「私達、あいつのおかげでどんなことになった!? 弟子はいなくなっちゃうし、まともな生活だってできなくなったわ! 練習試合なんてしようものなら、お城から兵士がすっ飛んできて追い散らされた。まるで野犬の群れでも逐うみたいに。武道家だけじゃない、ごく普通の民でさえ息を殺すみたいにして生きてきたのよ。30年も! どこの世界に、婚約者が戦死したからって国を出奔して、その婚約者を殺した敵につくバカがいる!? それに国を恨むんなら、あの下司な摂政を殺して恨みを晴らせば良いのに、狙ったのは戦争に何も関係しないまだ子供の魔王陛下よ!? かと思えば、ケロッとした顔で帰ってきて。信じられないわよ。バカもバカ。歴史に名だたる大馬鹿だわっ!!」

「いい加減にせいっ! ルイザ!!」

 すさまじい大音声が部屋に響いた。
 驚きにユーリは思わず後に飛び退り、コンラートの胸に受け止められた。

「……お前もじゃ、フェル」

 ベッドの中で、ぜーぜーと肩を上下させながら、ガスール老人が低い声で呻いた。

「エドアルド様と……お友達、の目の前で取り乱しおって、この未熟者共が……! 恥を知れ、バカ者」
 祖父に睨まれて、フェルとルイザがバツ悪げに目を伏せる。
「アーダルベルト様は、魔王陛下のお慈悲により、一切罪を問われることはなくグランツにご帰還あそばされたのだ。これをもって、グランツの苦難の歴史は終了した。過去のことなどどうでも良い。アーダルベルト様は本来のお立場に戻られ、武闘大会も復活。目出度いことに、何もかも元通りとなった。我らはこれから、未来だけを見据えていけば良いのじゃ。そうであろう、フェル、ルイザ」
「はい、お爺様。仰せの通りです」
「………ごめんなさい」
 神妙に謝る二人の孫に、ガスール老人は深々とため息をついた。
「エドアルド様、そしてお客人方、大変見苦しいところをお見せいたしました。お許し下され。……ほれ、いつまでお客人をこのようなむさ苦しい爺ぃの寝所でお立たせする気じゃ! 早うに客間にご案内して、お持て成しせぬか!」
「そ、そうでした…! 申し訳ありません、皆様こちらに……」
「ああ、どうぞお気遣いなく」
 と、慌てるフェルににっこり笑って答えたのは村田だ。
「僕達、露店で色々お菓子を買って食べてきたところなんです。お腹はいっぱいなんですよ」
「だったらよ!」
 そこで、室内の微妙な雰囲気に全く頓着しない明るい声が上がった。ヴァンセルと呼ばれる青年だ。
「腹ごなしに、ちょいと身体を動かしてみる気はねぇかい? なあ、エドアルド坊っちゃん、ここで剣を振るのも久し振りだろ? 士官学校でどれだけ鍛えられてるか、俺が確かめてやるよ。でもってぇ……もしちょっとでも剣を握ったことがあるんなら、あんたもどうだい?」
 ヴァンセルの目は、まっすぐヨザックを見ている。やはり筋肉量でライバルはヨザックと見極めたらしい。
「その身体が見掛け倒しのハリボテじゃあねえってんならさ。お供なら、坊っちゃん達の護衛でもあるんだろ? 護衛なら剣が使えなきゃあなあ。ま、そっちの優男さんは剣はからきしだろうなあ。家庭教師か何かかい?」
 優男って……俺? コンラートが自分で自分を指差して、目をぱちくりさせる。

「2人ともおれの、おれ達の護衛だよ!」

 そこで憤然と声を上げたのは、もちろんユーリだ。

「おれのコンラぁ〜あ〜……けふけふ、カクさんは! 世界1強いんだぞ!」
「カクサン?」
「あ、どうも、ミツエモン坊っちゃんにお仕えしてます、カクノシンといいます」
 にっこり笑う優男に、ヴァンセルが露骨な疑いの目を向ける。
「カクノシン? はあ、妙ちきりんな名前だなあ。んで? そっちは?」
 ユーリが何を言おうが、やっぱり気になるのはヨザックらしい。重要なのは筋肉なのだ。
「俺ぁ、スケサブロウってんだよ」
「は、そっちも妙な名だぜ。妙ちきりんの揃い踏みかい。カクノシンにスケサブロウだあ? で、坊っちゃん達が、ええとぉ」
「おれ、ミツエモン!」
「僕はケンシロウです!」
 もう何をかいわんやという風情で、ヴァンセルがわざとらしく目を剥き、肩を竦めて見せる。
「ヴァンセル! エドアルド様の御友人だと何度言えば!」
「で?」道場主であるフェルの怒りにも、ヴァンセルは気にとめた様子も見せない。「やるのかい? やらねぇのかい?」
 思わず顔を見合わせるコンラートとヨザックが、2人してユーリの表情を伺った。
「やるとも、もちろん!」
 堂々受けて立つのはユーリ。
「おれのカクさんとスケさんは、誰にも負けないぞ!」
 腰に手をあて、自信満々(当然)にふんぞり返るユーリの様子に、ヴァンセルが「へへっ」と面白そうに笑った。
「かわいいご主人さんだなあ、おい。よっしゃ、じゃあ俺はさっそく準備してくらぁ。練習場に来な!」
「ヴァンセル!」
 フェルが怒鳴るが、やっぱりヴァンセルは気にした様子もなく、「大丈夫大丈夫、坊っちゃんのお友達に恥は掻かせませんって」と言い捨てて、部屋を走り出ていった。
「あいつは全く……!」
 拳を握って怒りを現すフェルに、「良いじゃない」とルイザが軽い調子で声を掛ける。
「せっかく来たんだもの、エドアルドも久し振りに汗を流していったら? 王都で弛んでないか私も確かめてあげる。そちらのお2人も怖がらなくて大丈夫よ。ウチでずっと頑張ってきた連中は揃いも揃って腕が立つから、怪我なんてさせないわ」
「ルイザ! お前は俺の言葉をちゃんと聞いていたのか……っ!?」
「あ、私も準備をしてこようっと!」
 とっとと逃げようというのだろう、ルイザも部屋を飛び出していく。
「あいつも…ったく!」
 真面目な相貌に相反して、フェルが忌々しそうに舌打ちをした。それから、ハッと気付いた顔で咄嗟に口を覆うと、おずおずとユーリ達に顔を向けた。
「返す返すも…申し訳ありません。せっかくエドアルド様が道場見物にご案内したというのに、妹と弟子がとんでもないことを……。ヴァンセルは30年の間、この道場を護ってくれた弟子の1人で、家族同様に暮らしておりますため、その、遠慮やけじめというものがどうも……。エドアルド様とも……」
「僕が」苦しそうなフェルに代わって、エドアルドが後の言葉を引き取った。「物心ついた頃にはもう家に出入りしていて、ほとんど幼馴染のような感じで育ったんで……え、と、育ったんだよ! だから僕に対して元々遠慮なんて全くなくて、僕の友人と聞いたら、その……同じ態度をとっても良いと思い込んでしまっているというか……その……」
 大丈夫でしょうか? と言葉にならない思いを瞳に乗せてユーリ達に向けてくる。
「それはちっとも構わないよ! おれ、むしろ変に仰々しくされるより気楽な方が良いな!」
「うん、僕もそうだね。え、と、フェル、さん? 無礼だなんてちっとも思ってませんから、どうぞ気にしないで下さい」
「そうですか?」フェルがホッと息をついた。「そう仰って頂けますと助かります。あ…それよりも、その……妙なことになってしまいましたが、そちらのお2人は剣の方は大丈夫……」
「フェル!」
 ですか? と続くはずだったフェルの言葉は、ガスール老人の重く鋭い声に遮られた。
「お爺様?」
 怪訝な顔でフェルが祖父を振り返る。
「お前も練習場の方を見てくるが良い。あの2人のことだ、面白がって何をしでかすか分からん。トーランに言うて、きちっとさせておけ」
「しかし…」
 彼らを放っておいて良いのかとフェルが目で問うが、ガスール老人は厳しい表情で応えようとしない。最後には「早う行け!」と怒鳴られ、フェルは怪訝な表情のまま部屋を出て行った。

「………よーし!」
 わずかな沈黙の後、いきなりユーリが大きな声で言った。手は力強く拳を握っている。
「ついに来たぞ! ついに時代劇のお約束の1つが実現する!」

 道場破りだ!

「………ドージョーヤブリ……?」
 高々と拳を突き上げ、喝采を上げるユーリを、エドアルドとヨザックがきょとんと見ている。
「道場破りと仰いますと………あの、タノモーってアレですか?」
「さっすがコン、カクさん! 相変わらずネタの仕込が冴えてるなー!」
 いいえ、それほどでもと謙遜しながら、笑顔が蕩けるコンラート。
「やっぱりそれを狙ってたのか」
 2人の様子に呆れたように肩を竦めながらも、村田が苦笑して言った。
「でもさミツエモン、この道場、破っちゃっても良いのかい?」
 ほら。
 村田に目で促され、え? とユーリ達が視線を巡らせれば。

 床に大きな猫が丸くなっていた。
 違う。
 床に、小さな老人が蹲るようにして平伏していた。

「……お、大先生…!?」
 驚いて駆け寄ろうとするエドアルド。だが。

「お許し下されませ!」
 平伏したまま、老人が叫んだ。
「孫共の、弟子の無礼、何とぞ何とぞお許し下されませ…っ!」

「あの……」
 思わずユーリが声を掛けると、老人はさらに深く頭を垂れ、床に額を擦りつけた。
「このようなあばら家に、このようなむさ苦しい場所に、貴きお方をお迎えするとは思いもよらず! その……どのようにご挨拶すれば良いのやら、もはやこの老いぼれはもう……ただただ恐悦至極に存知奉りまするっ!」
「…………えっと……」
 一体何がときょとんとするユーリの耳に、ふと気配が近づいた。
「どうやら坊っちゃんの正体、この御老人にはバレているようですよ」
 囁かれる甘く深い美声と、耳に感じるかすかな息。
 ユーリの胸がドキンっと大きく鳴った。
「………どうしてそこでそういう囁き方をしなくちゃならないかは置いといて」
 ユーリを挟んで反対側に立つ村田が、ちろりとコンラートを睨んでから言った。
「最初から分かっておられたみたいですね?」
 ええっ!? と声を上げるユーリ。
 平伏していた老人は、「ははっ」と応えると、顔を上げ、視線をコンラートに向けた。

「このスールヴァン・ガスール、老いたりといえど、1度この眼に焼き付けた名だたる武人のお顔、決して忘れは致しませぬ!」
「前の……大戦の時、ですね?」
 コンラートに尋ねられて、老人が頷いた。
「は。グランツの若き兵士達を纏め、王都に送り届ける役をご当主様より承った折、貴方様のお顔を彼方より拝見仕りました。失礼ながら、この若者が剣聖と称されるかの高名な御仁か、1度ぜひ手合わせしたいものだなどと、つらつら思いましたることを覚えております。また、その時、貴方様の隣には、確かにその色の髪の御仁もおられたと記憶しております」
「彼は当時、俺の副官でした」
 なるほど、と頷いて、ガスール老人は、視線をおずおずとユーリに向け、それからすぐにまた平伏した。
「その貴方様がお仕えしておられると仰せであれば、それはもう……唯一無二の御方に間違いなしと……! ただ、ご様子からしてお忍びであろうと推察申し上げ、無礼を承知の上で、その、このような仕儀に相成り……!」
「あなたの判断は実に正しかったですよ?」
 村田が優しく声を掛けた。
「それに、今この段階において、尊称を一切使用しないでいることも同じく、です。さすがに立派な武道家は違うね」
 その言葉に、老人がコクリと喉を鳴らす。
「申し訳ござりませぬ。その……あなた様は……」
「僕は、彼、の友人です。ケンシロウと呼んで下さい。でもまあ、そうだね、1度だけ本名をお教えしよう。僕は、ムラタ・ケン。よろしく、スールヴァン・ガスール殿」
「ムラタ…ケン……」
 聞き覚えはあるが、どこで聞いたのかどうもよく思い出せない。そんなもどかしさが、老人の顔の表面を過ぎる。それを見て取ったコンラートが、軽く咳払いをした。
「大賢者猊下、です」
 次の瞬間。
 老人が、ずさささささ…っと、凄まじい勢いで平伏したまま後退った。
 その勢いと力強さに、ユーリは思わずGのつく虫を思い出してしまったが、それは言葉にしない。
 老人の動きは、壁にお尻がどんと当ったところで止まった。
「ごごごごごっ、御無礼、御無礼の段、平にっ、平にお許しをっ!! ああ、なれどっ、よもやっ、よもやこのようなとてつもない事態が我が家に起ころうとはっ!」
 ハッ、と老人が頭を上げる。
「もしやわしは夢を見ているのではっ!? でなければ……おお、そうだ! シュルツローブの奴腹が持参しおった饅頭の毒にあたって……」
「ということは全くなく、これは力いっぱい現実ですので、逃避しないで下さい」
 コンラートにきっぱり否定されて、老人の身体がカチンと固まる。
「もっ、申し訳ござりませぬっ!!」
 またまた平伏するガスール老人。同時に起こったゴツンという音は、額を床にぶつけた音だろう。
 ユーリは堪らず手を伸ばした。
「…あ、あの……お爺ちゃん?」
「なっ、なんと恐れ多いお言葉っ!」
「とにかく顔を上げて……」
「滅相もござりませぬっ!」
「あの、身体の具合も悪いって…」
「腹の痛みなど吹っ飛びましてございますっ!」
「これじゃ話ができな……」
「何たる光栄っ!」
「あの……」
「ははーっ!!」
「……………ちょっと」

 まともに話を聞けーっ!

 ぴょんと。
 平伏した姿のまま、老人の身体が飛び上がった。
 思わず開いた老人のまん丸な視界に、ぷくっと頬を膨らませた少年の顔が映る。

 その時。

 ぷーっっ! と、誰かが思い切り良く吹き出した。

「……ぷっ、くっ、くくくっ」
 本当は思い切り笑い出したいけれど笑えない、口を押さえて懸命に堪えているけど堪えきれない、そんな笑いの主は。

「…………アーダルベルト……!」

 が。大きな手で口を覆い、もう片方の手で腹を押さえ、溢れる笑いに身を捩っている。

「…あ、アーダルベルト、様……」
 老人が呆然と呟くと、何とか身体を伸ばしたアーダルベルトが、それでもやっぱりクックと笑いながら部屋の中に入ってきた。
「久し振りだな、ガスールじいさん」
「…ま、まことに……!」
 見下ろされて、ガスール老人が唇を震わせる。
「とにかく立ちな。こちらのお坊っちゃんはな、人に跪かれたり平伏されたりってのが大嫌いって 変わったお方でな。だからすっかりお忍びづいてて、これで周りがまた大変なんだ」
「あのなー。……何でアーダルベルトがここにいんだよ?」
「ま、んなこたぁどうでもいいじゃねぇか。それよりじいさん。名門スールヴァン道場の未来がエラく暗澹としてるような気がするのは俺だけか?」



「………手塩に掛け、将来を楽しみにしておりました弟子達のほとんどが……あの戦で命を落としました……。頼みにしておりましたわしの息子も……」

 お忍び中の魔王陛下と大賢者猊下、そしてフォングランツの次期当主の登場に、まともに顔を上げることもできなくなったガスール老人を、宥めて賺してちょっと脅して、ようやくベッドに戻し、落ち着きを取り戻させたところでユーリが尋ねたのだ。
 アーダルベルトの言った、「道場の未来」とはどういうことかと。

「何とか無事に帰ってきてくれたのはトーラン始めほんの数人で……それから新たに良い弟子を育て上げようとしましても、その……」
「俺のせいで、弟子を集めることも、まともに道場を続けていくことも難しくなっちまったわけだ」
「さようで……」
 ほう、と深く息を吐き出す老人に、アーダルベルトが苦笑を浮かべる。
「やっぱアーダルベルトが1番悪いんじゃないか!」
 ユーリに叱られて、アーダルベルトが苦笑を深めた。
「まったくだ。……済まなかったな、じいさん」
「いいえ、もう終わったことでございます……。それでも、わしに力があればそれなりにできることもございましたでしょう。しかし、もうわしは老いぼれて、体力も気力も続かなくなりました。饅頭もたった10個で腹を壊す始末……」
「あ、や、それは普通じゃ…っていうか……」
 かなりの老人で、特大饅頭を10個完食したというだけでも大したもんじゃないかと。
 ユーリが口の中で呟く。
「アーダルベルト様が無事ご帰還あそばされ、グランツへの疑いも晴れるという待ちに待った時が訪れ、わしは道場をフェルに継がせることといたしました。そして武闘大会も復活が決まり、新たな弟子も一気に増えもうした。しかし……この道場の者が大会で上位に入賞することはあり得んでしょう。アーダルベルト様もお気付きになった。もちろん……」
 ガスール老人の目がコンラートとヨザックに向く。
「お二方もお分かりになったでございましょう」
 がっくりと力の抜けた老人を、コンラート達が気の毒そうに見下ろした。
「……コンラッド?」
 ユーリに見上げられ、コンラートが小さく微笑んだ。
「本当に腕の立つ武人であれば、仮にも護衛を名乗る俺達を見て、剣が遣えるかどうか分からないということはありえません」
「隊長を優男扱いだもんな」ヨザックも笑って言った。「いくら見た目がこうだからって、家庭教師はねえでしょ?」
 あ、なるほどとユーリ、そして村田とエドアルドも頷く。
「ところでフォングランツ卿」
 そこで村田が口を挟んだ。
「君、ガスールさんとは親しいのかい?」
 尋ねられたアーダルベルトがひょいと肩を竦める。
「このじいさんはな、その昔、ウチの長老の誰だったかに仕えてたんだよ。えー、と……」
「長らく、ヒルダ様のお側に仕えさせて頂いておりました」
「あのお婆ちゃんの!?」
 はい、と老人が頷く。
「50に成るか成らぬかという頃から、走り使いとしてお側において頂き、お身の回りのお世話などを致し、80になると同時に起こった人間との戦で初陣を務めましてございます。以来、ヒルダ様やエーリッヒ様、マリーア様達と共に戦場を駆け巡っておりました」
 ああ! とコンラートがそこで声を上げた。
「ガスール! そう、か。そうだったのか。うっかりしていました。あなたは疾風ガスールですね?」
「疾風ガスール?」
 ユーリがきょとんと繰り返す。
「小柄な身体で、まるでつむじ風の様に敵陣に飛び込んだかと思いきや、瞬く間に次々と敵をなぎ倒す疾風ガスール。この風が吹き過ぎた後は、その……戦場には敵の屍が累々と重なっていたと……」
「……うひゃ」
「おお! わしごとき卑しき者をそのようのご記憶下さっておられるとは……! 光栄に存知まする!」
「まあ、ウチの爺様や婆様同様、あんたも立派なグランツの伝説の武人だからな」
 笑いながら、アーダルベルトの顔はちょっと得意気だ。
「ありがたきお言葉……」
 ガスール老人がベッドの中で小さく頭を下げる。
「ですが、今はこの通りの老いぼれ……。この30年、孫達や若い弟子が、いわば閉ざされてしもうたこのグランツで、他者と力を競うことも、切磋琢磨することもないまま育つのを、ただ見ていることしかできませなんだ……。フェルにしろルイザにしろヴァンセルにしろ、名門の誇りや鼻っ柱ばかりが高く強くなる一方で、己の実力がいかほどのものか全く分かっておりませぬ。今新たに集まった弟子達も、トーランの様な実力のある弟子がおらなんだら纏めていけたかどうか……」
 ここでガスール老人は、疲れた様な顔をスッと上げてコンラートを真っ直ぐ見つめた。
「お願いがございまする」
「俺達に、ですか?」
 はい、と答えると、老人はベッドの上で改めて平伏した。
「何とぞ、孫や弟子共に、己の実力の程を思い知らせてやって下さりませ」
「それはつまり……」
 コンラートがそっとユーリを窺い見る。
「つまり、本当に道場破りをやるってことになるよね?」
 ユーリが応えて、だがちょっと心配そうに眉を寄せた。
「ガスールさん」村田が顔を平伏したままの老人に向ける。「大会開催3日前でしょう? 今ここで皆の自信を喪失させても良いんですか?」
「大会の衆人環視の中で大恥を掻くよりは、よほどよろしいかと思いまする」
「……まあ、確かにね。でも、最悪の場合、せっかく集まった新しいお弟子さん達が他へ移ってしまうかもしれませんよ? 道場がやっていけなくなるかも……」
 それは、と老人が答えに詰まって目を伏せてしまった。
「………そう、なればそうなったで……致し方ございませぬ」
 大先生! エドアルドが悲痛な声を上げる。
「……ですが…ただ……」
「ただ?」
「……ただ、その………お手柔らかにお願いできればと……」
 申し訳ござりませぬ。
 自分でも矛盾していることは重々承知しているのだろう。苦しげに眉を寄せると、老人は深々と息を吐き出した。
「何とかしっかり鍛えようと思うたのですが……。息子を戦でなくした上に、グランツの武道家が武道家として道を歩むことが難しくなって以来、どうにも気力が湧いてこなくなってしもうたのです。それに日々の暮らしも……。ハンス様の御援助はお断り致しましたが、いやはや、矜持だけでは人は喰うていくことができぬもので……」
「生活のために働かなくてはならなくなったんだな?」
 アーダルベルトの質問、というより確認に、ガスール老人が頷く。
「わしが援助をお断りしたために、孫にも残ってくれた弟子達にも苦労を掛けて……。それを思うと、厳しくすることもできぬようになってしまいました。嘲笑ってやって下され。この老いぼれにとって可愛い孫と弟子。道場を盛り立てていこうと決意してくれる姿を見ていると、傷つけるような真似もしたくなく……。ああ、我ながら情けない…! 疾風はとうに淀んでしまってござりまする……!」
「……あの、だったらさ、今思ったんだけど」
 おそるおそる手を上げて、ユーリが発言を求めた。

「この道場のためにも、今回の道場破りは信兵衛さん方式でいったらどうかと!」

 全員がきょとんと目を瞠ってユーリを見た。

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なぜだ……。なぜこんなに進まないんだーっ!?
もうとっくに道場内の腕試しは終わって、次の段階にいってるはずだったのに!
……このところ、予定と現実のズレがどんどん大きくなっているような気がしてます……。
新しいキャラが出てくると、その説明やら人間関係やらを書き出して、これが長くなる秘訣(?)なんですよね。
カッコ良いコンラッドがなかなか書けません。ふう。
次回こそ、次回こそ、剣を握るコンラッドとヨザックを!

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