グランツの勇者・21−1


「お話することは…さほど多くはないのです」

 伏し目がちに言って、エイザムはふと口を閉ざした。

 場所はフォングランツの本城、魔王陛下御一行ご宿泊(後々記念碑が建立されるか、記念植樹でもされるかもしれない)のお部屋、その中の客間である。

 『グランツの勇者』大武闘大会は、本来参加者でなかったはずのウェラー卿コンラート閣下の優勝で幕を閉じた。
 偉大なる魔王陛下ご観覧の下、偉大なるグランツのご隠居様「双月牙のヒルダ」御大と、現代の偉大なる英雄ウェラー卿との、いうなれば「超偉大決戦」となり、結果としてグランツの面子はこの上ないほど施されたのだ。グランツ再出発としては上々の出だしだ。
 しかし唯一の誤算といえば、ウェラー卿が『グランツの勇者』の称号を受けることを辞退したことだろう。
 あまりにイレギュラーな参戦であること、またその立場からいっても、「グランツ」の名を自分が冠するのは少々問題があるのでは、というのがウェラー卿の主張だった。実際これまで「勇者」となった者は、その後様々なグランツの公式行事に出席したり、グランツを代表して血盟城に上がり、魔王陛下に拝謁したり、模範演武を行ったりという「公務」を負ってきたのだ。魔王陛下曰く、「つまりミス京都が八ッ橋もって総理大臣に会いにいくようなもんだな!」である(慎ましく意味不明を表明する人々の中で、唯一ウェラー卿だけが「その通りです」とにこやかに、大賢者猊下は苦笑しつつ頷いていた)。このような「公務」を、ウェラー卿が「グランツ」の名において行うのは、どう考えても変だろう。
 かといって、ヒルダがいまさら「勇者」になるのも妙な話であり、実際ヒルダは辞退した。それではと、今度はベスト4にまで残ったフェルに話が行ったのだが、ヒルダに瞬殺されておきながら「勇者」を名乗るような恥知らずではないと断られた。
 ウェラー卿の主張もヒルダの立場もフェルの心情も理解できる、という訳で、結果として復活した「グランツの勇者」大武闘大会の栄えある最初の「勇者」は、該当者なしということになった。
 残念に思う者も多かったが、それより多くの者が納得した。
 何より、歴史に残る試合を目にできた満足感の方が大きかったのだ。
 この試合が修行中の武人達に与えた影響も大きく、フェルデンの各道場には怒涛の様に弟子志願が押し寄せているという。特に、元々名門である上に、今回その名がさらに高まったスールヴァン道場と、ウェラー卿はもちろん、魔王陛下までが一時その身を寄せたシュルツローブ道場(身分を隠した魔王陛下が手伝いをなさったという厨房や物干し場は、この後観光コースに設定されるらしい。「陛下が拭いて重ねた皿」や「陛下が畳んだ洗濯物」も展示予定だ)は、試合が終わった直後に入門志願が殺到し、門人達はその処理に忙殺されているという。

 決勝戦の夜も更けて。
 昼間の興奮がいまだ続くフェルデンの街は、闇夜の中に多くの灯が瞬いていた。その光の中では、おそらく興奮冷めやらぬ人々が、明日への希望に笑いさざめいていることだろう。
 そして今。
 城の客間に、彼らは集まっている。

 魔王ユーリ、大賢者村田健、フォングランツ卿ヒルダ、同じくアーダルベルトがソファに座り、その周囲をウェラー卿、グリエ・ヨザック、エドアルドとその兄達、レフタント家のイヴァンが取り巻いていた。その彼らに相対するソファには、中央にスールヴァン道場のガスール老人、フェル、ルイザ、シュルツローブ道場のエイザム、ガスリー、クレアが畏まっている。
 道場の人々は、今夜は魔王陛下が招いたお客である。ということで全員ソファに座っているのだが、立場上立っていなくてはならないコンラートやエドアルド達を目の前にして、全員ひたすら居心地が悪そうだ。
 ちなみにご隠居様代表ヒルダは(最初全員が押し掛けてきたのだが、某氏の「騒々しい」という一言で追い返された)、ご隠居様がいつも纏うゆったりしたローブに身を包んでいた。だが、その前ボタンや紐は何故か幾つも外れていたり、適当に緩んでいたりして、割れた裾からそれはもうすんなりと形の良い足が伸びている。足は素足で、部屋履きのつもりなのか、色ガラスが散りばめられた華奢なサンダルを履いているのだが、それが軽くリズムを取るように揺れているところが妙に色っぽい。
 お茶とお菓子が運ばれ、一息入れたところで、ようやく話が始まった。

「……かの大戦の折り、我らグランツの武人達は老いも若きも、いや老いもというのは言葉のあやですが、とにかく皆、我先にと徴募に応え、グランツ軍に入りました。一朝事あれば全てを投げ打ってでも駆けつけ、国家とグランツのために戦う。グランツの武人であれば当然のことです。そして……私とローディンは同じ部隊に配属され、戦地へと送られました」

 エイザムの目が何かを探すように宙へ向けられる。

 そこには、グランツ領だけでなく、他領からも兵士達が集まってきていた。エイザム達グランツの志願兵を取りまとめたのはグランツ軍の兵士だったが、彼らの上には国軍の兵士達がおり、部隊の指揮官はもちろん国軍の士官だった。

「その戦場に集まったのは、出身地も性別も年齢もまちまち……。中心となるのは100になるかならずの若者達でした。彼らは経験も浅く、だからこそ意気軒昂で、たちまちの内に敵を屠り英雄として故郷へ帰るのだと信じていました。そんな彼らの目に、壮年に達した私のような熟練の武人はどうやら足手まといに見えたようです」

『なんだ、爺ぃがぞろぞろ居やがるぜ』
『おっさん達、何しにこんなトコロにいるんだ? 帰って孫の相手でもしてな』
『年寄りにうろちょろされると迷惑だぜ』

「私くらいの年齢の者は、グランツから多く軍に参加しておりました。皆、一騎当千のつわものばかりです。もちろんグランツの兵であれば、我らに向かってそのような無礼を絶対に口に致しません。我らはものを知らない若者達を、むしろ哀れみと可笑しみをもって眺めておりました。実際、我らに突っ掛かってきた愚か者を何人も、皆の前で懲らしめてやったものです」

 しかしそんな若者達はまだ良かった。グランツの武人達が腹を立てたのは、国軍の士官達だった。
 彼らには、グランツの名だたる武人達に対する敬意が欠片もなかったのである。たとえ軍籍になく、野にあろうとも、グランツにおいて実力ある武人は士官並み、それ以上に尊敬される存在なのだ。まして道場主となればなおのこと。
 だが指揮官とその部下達は、熟練の武人達をことさら見下し、意義のある忠告をしても冷笑と共に無視した。単に武技だけではない、グランツの道場主達は戦略にも戦術にも精通した専門家だったのに。

『特にグランツからきたヤツ等は、どいつもこいつも船頭になりたがって困る』

 士官達のそんな聞こえよがしのボヤキを耳にして、エイザム達の反感は高まっていった。

「当然じゃろう」ガスール老人がやれやれとため息をついた。「道場主が尊ばれるのもグランツならではのこと。考え方の違う地方の者も大勢いるというのに、グランツの常識が通じるものか。まして、正規の軍人でもない平兵士の戦略自慢など、聞かされるだけ迷惑千万。いくら30年も前とはいえ、良い年をして……」
「はい」エイザムが素直に頷く。「今思えば、全く恥ずかしい限りです。……それまで小競り合いや地域的な戦闘はあったものの、国家の存亡を懸けた戦争に参加するなど私も初めての経験で、やはり……気負っておったのでしょうな。若いモノなどに負けてたまるか、まして貴族出身の士官などにといきり立ってしまいまして……。魔族の未来は我々グランツの武人が護るのだと……まこと良い年をして、青臭いことでございました」

 苦笑いを浮かべて、それからふとエイザムは表情を変えた。

「ローディンは」

 その名にガスール始め、フェルとルイザの表情が引き締まる。

「仲間達と気炎を上げる私を見て、いつも苦笑を浮かべておりました。そのように興奮していては、いざという時働けぬぞとしょっちゅう……。誰に向かって言っているのだと言い返しておりましたが、それでも私が心底信頼できるのはローディンだけでした。どれほどの戦いになろうとも、己の背中を預けることのできる唯一の友と……」

 ですが、あの時…。呟くように言うエイザムの目が暗くなった。

「我々が野営する場所の、さほど遠くないところに、敵の部隊が駐屯していることが分かりました。我々は夜襲をかけるべきだと指揮官に進言いたしました。しかし指揮官は我等の進言に全く耳を貸さず、それどころか陽が落ちたら即座に野営地を変えると言い出したのです。今思えばそれも無理からんこと。なぜなら、我らは他の部隊との合流を待っている状態で、わずか200人足らずの小部隊だったのです。それに対して敵の数は500を越えているらしいとの報告がありました。だが我らは、不意の夜襲であれば敵も浮き足立つはず、数の不利は十分補えるではないか、敵がすぐ側にいることが分かっていながら逃げるのかと、憤慨いたしたのです……」

『あのような指揮官に任せていては、勝てる戦も勝てぬ! こうなれば我らで人間共に夜襲を掛けようぞ!』
『おお、そうとも! 我らはあやつのような臆病者ではない。死など恐れぬわ!』
『無様な生より、名誉ある死を選ぶのだ!』
『戦術を練るぞ。上手くすれば敵をかく乱して、何倍もの兵に囲まれたと思わせることもできる』
『人間共に一泡も二泡もふかせてやるわ!』

「ですがその時、ローディンが我々の中に割って入ってきて言いました」

『我々は指揮官の命令に従わねばならん。兵が上官を無視して勝手に動けば、勝利どころか部隊の全滅を招くぞ』
『指揮官が無能と分っていてもか』
『お前達が勝手に無能と主張しているだけだ。志願兵に過ぎない我々が、そのような判断をすべきではない』
『我々の多くは、道場の師範として弟子達を率いておる! 弟子の中には貴族の子弟も多いのだ。そこらの志願兵と一緒にするな! グランツの武人、まして師範となれば軍の士官、いや、将官にも匹敵するわ!』
『自分で勝手にそう思いこんでいるだけだろう! 思いあがるな!』
『何だと!? 貴様、グランツの武人としての誇りがないのか!?』
『そういう問題ではない! ならば聞くが、グランツの武人の誇りとは、たかが500の部隊との小競り合いで勝利せねば護られぬものなのか!? 我々は武道家であって、兵法家ではない。戦略戦術は軍が立てる。我らは我等の力が必要とされる戦場で、最大の力を発揮すれば良いのだ。それこそが我等の役目ではないか!』
『我らに戦略が立てられぬと言うのか、貴様!』
『我らには我らの役目があると言っているのだ! そもそも、我々だけで500の兵を全滅させることができるのか!? もし敵の援軍を呼び寄せることになれば、事は我々の部隊だけの問題では済まないのだぞ。引いては眞魔国軍全体を崩壊させかねん!』
『貴様!』
『臆病者め! それでも疾風ガスールの息子か!?』
『そんなだから道場が割れるのよ! 弟子の多くがお前を見限って、ここにいるエイザムについたのも、弟子共がお前の惰弱を見抜いたからだ!』

「……気色ばむ仲間達に取り囲まれ、だがローディンはわずかも怯んでおりませんでした。雑言を投げつけられたというのに、私に向けた瞳も、本当に静かなものだった。……私は違うと言うべきでした。道場を分けたことは、そのような理由からではないのだと。だが私は……言えなかった。あの時の私は、自分では全く自覚しておりませんでしたが、焦っていたのかもしれません。戦に赴いたからには、即座に何かを成し遂げねばならん。鼻っ柱ばかり強い若造に負けてたまるか、貴族の士官風情に良いようにあしらわれてたまるか、グランツの武人が眞魔国最強であることを、人間達はもちろん、眞魔国の民に対しても証明してみせねばならんのだと……」

 ローディンは、そんな私の焦りを分っていたのでしょう。
 エイザムが苦いため息を吐き出した。

 …結局。

 エイザムが苦しげに先を続けた。

「20人ほどの仲間が集まり、私達は夜陰に紛れて野営地を抜け出ました。全員がグランツの、グランツこそが眞魔国最強の武人の代名詞だと信じて疑わぬ者達です。20人で何ができるかなど、考えもしませんでした。とにかく勝利するためには、我らこそが何かをなさねばならぬと思い決めておったのです。500の兵を全滅させることなどできようはずもありませんが、それでも何か、胸を張って部隊に戻ることのできる収穫を得ようと……。我らは、何本かあるという森の中の間道の1つを選んで、その場所に向かいました……」

 斥候が報告した通り、向かった先には人間の野営地があった。
 焚き火の跡や、天幕の数などを見るに、500を越えるという斥候の報告もまた正しいと判ぜられた。
 だが。

『妙に兵の数が少ないと思わんか?』

 藪や木の陰に隠れて様子を探ると、確かに、連れ立って行き来する歩哨らしき兵や、武器や食料が積まれているのであろう幌馬車の前で番をしている兵の姿はある。だが、夜も更けた時間なら、焚き火を囲んで行軍の疲れを休めているはずの兵達の姿がほとんど目に出来なかったのだ。もちろん歩兵を指揮監督している士官達の姿も見えない。
 焚き火や篝火も、ほんのわずかを残してほとんど消されていた。そっと調べてみると、焚き火の跡は冷え切って、灰はすでに固まっていた。もしこの野営地が無人であれば、とうの昔に部隊は去ってしまった後だと判断しただろう。だが、わずかではあるが見張りがいて、かれらのためだろう焚き火も篝火も残っている。
『一体兵達はどこへ行ったのだ?』
『どこか別の場所へ移動している最中だろうか?』
『であれば、天幕が片付けられているはずだ。食料や武器も、後にまわすはずがない』
『確かに……。よ、よもや、我らが部隊に夜襲を掛けようと出発したのではあるまいな!?』
『であれば、ここに来る途中で鉢合わせしているはずではないか!』
『いや、待て、この山と森には間道がいくつかあると耳にしたぞ。もしかしたら、偶然我らとは別の道を辿って行ったということも……』
『気がつかぬ内にすれ違ったとでも言うのか!? あり得ん!』
『あり得る! 我らはもっとも距離が短いという道を選んだが、もしやつ等が部隊に気づかれぬよう、迂回路を辿ったとすれば……』

「我らは顔を見合わせました。自分達はとんでもない過ちを犯してしまったのではと。だがそれを認める一言を発するのが怖ろしく、ただそれぞれの顔を見回しておりました……」

『……戻るか? もしかしたら敵に先んじて部隊に帰り着くやも知れぬ。そうすれば……』
『もう遅い。火の跡からして、彼奴等がここを発ったのはかなり前のことだ。もし迂回路を行ったとしても、それを追い越すことは不可能だろう』
『ならばどうする!?』
『となれば…致し方ないではないか。それに、我等の部隊が奇襲に遭うとは決まっておらん! 単なる移動かもしれぬし、他の隊を攻撃しようとしているのかもしれん。200足らずの小部隊を襲撃したとて、戦略的意味はないからな』
『だ、だが……』
『それに考えてもみよ! 我らはわずか20人ばかりの手勢ぞ。隊には腕に覚えのある武人達が200人近くも揃っているのだ。愚かな人間ごとき、我らなしでもたちまちの内に叩きのめしてしまうわ!』
『しかし数が3倍近くいるのだぞ!』
『1人が3人を倒せば良いだけではないか。容易いことよ!』
『そのような簡単なことでは…!』
『今さらどうなる!?』

「今さらどうなるのだと。結局は、それが正直な思いでした。……指揮官の言葉に逆らい、野営地を抜け出てきたからには、このままのこのこ手ぶらで戻るなど、到底できぬと皆が思うておりました」

『こうなれば、我等のなすべきことは1つ! このほとんど空の野営地を制圧して、得られるものを全て得て戻るのだ!』
『おお、そうだ! 見れば物資もかなり豊かに揃っておるようだ。天幕も新しいものが多い。おそらくあの幌馬車の中には食料なども山積みであろう。……補給を受けたばかりの隊やもしれんな』
『これは眞王陛下のご加護の賜物。ではさっそく兵共の配置を確認して策を練ろうぞ!』

「その場に残っていた兵は、野営地の規模からすればあまりに少なく、そしてさほど腕利きでもありませんでした。おそらく正規の軍人ではなく、見張りを任されるのがせいぜいの、徴集された農民か何かだったのでしょう。我らからすればあっけないほど簡単に倒されていきました。残ったのは、予備の武器や馬、部隊を養う大量の食料に酒、医薬品を含め、部隊を維持するために必要な資材などを詰め込んだ幌馬車と丈夫な天幕です。…ああ、指揮官のものらしい天幕の中には、人間達の他の部隊の野営地を記した地図や、今後の作戦についての指令書などもありました。これはどう控えめに言っても手柄だと、我らは喜び勇んでこれらの戦利品を持ち帰りました。……だが……」

 私達は、私は……あまりにも愚かだった……!
 吐き出すように言って、エイザムは頭を抱えた。

「部隊は襲われていたんですね…?」

 聞かずもがなの質問だったが、ユーリはたまらず尋ねていた。エイザムが苦しげに頷く。

「………ほぼ全滅…しておりました……」

 思わず、ユーリはギュッと顔を顰めた。戦争は本当に、わずかの容赦もなく命をわし掴み、奪っていくのだ。

「血臭が充満する野営地に、つい数刻前まで元気に語り合っていた仲間達が、ズタズタに切り裂かれた骸となって折り重なっておりました。私達はもはやどうして良いのか分らないまま、おろおろとその場を彷徨い、私は……ローディンを探しました。いつしか絶叫するように彼の名を呼び続けて……しかし返る声はなく……」

 ヒクっと、誰かがしゃくり上げる声がした。ルイザだろう。涙を隠すように手で顔を覆っている。

「そうこうする内、我々と合流する予定だった部隊が到着いたしました。指揮官はあまりの惨状に驚くと同時に、ほとんど無傷でその場にいた私達の存在を訝しんでいるようでした……」

『お前達は何だ!? この部隊の者か!? ここで何があったのだ!?』

「本当の事を言わねばならない。指揮官の弱腰を嗤い、勝手に隊を抜け出し、敵の野営地を、それもほとんど空っぽの野営地を襲って物資を略奪してきたのだと。そして帰ってみれば、味方が全滅していたのだと……しかし…」

 言えなかったのです。苦しげにエイザムが項垂れる。

「我らは斥候だったのだと……仲間の一人が叫んだ瞬間、真実を告げねばと思っていた私の意志は萎みました。ただ、指揮官は納得しない様子でした。斥候でありながら、敵襲の怖れありと何を置いてもせねばならない部隊への報告を怠り、それどころか空の野営地を襲い、物資を奪取してきた我等の行動は命令違反ではないかと、指揮官は眉を顰めたのです。しかし…」

『貴様達の詮議は後だ! 敵を追うぞ! 仲間の仇を討つのだ! 我らを敵の元へ案内せよ!』

「敵の野営地から戻る時、我々は危険を避けるため、迂回路を辿りました。もし夜襲が行われていれば、そして結果がどうあれ野営地に戻ろうとするならば、敵は今度こそ迂回路ではなく、最短距離を行くと考えたからです。それは当っておりました。友軍は数こそ300そこそこでしたが、もちろん無傷で、仲間を仇を討とうと皆勇み立っておりました。そして敵は勝利に意気揚々としてはおりましたが、同時に疲労困憊もしておったのです。我らは嵐の様に敵に襲い掛かり、彼奴等を文字通り殲滅いたしました。我ら20名の仲間も、部隊の最先端に立ち、誰より早く敵に襲い掛かり、それこそ人間共の言う悪鬼羅刹のごとく戦いました……。だがそれは、仲間の仇を討つなどという、そんな思いではなかった……」

 罪悪感か…。ユーリの隣で、村田が呟いた。その横顔をほんのわずか見つめ、それから傍らに立つコンラートの顔を見上げ……ユーリは小さくため息をついた。

「勝手な振る舞いで敵の奇襲に居合わせず、それどころか……仲間が、ローディンが必死で戦っているその時、私はほとんど空の野営地で、酒や食料品を手に嬉々としてはしゃぎ回っておったのです。それを指揮官にも隠していることが恥ずかしく、余りに恥ずかしく……敵を相手に暴れたのは、ただもうその思いを吹き飛ばしたい一心でございました」

 だがその獅子奮迅の戦いぶりは、彼らの思いとは裏腹に、指揮官を大いに満足させた。
 敵の野営地が空であったと報告に走っても、おそらく襲撃には間に合わなかっただろうこと、そして人間達が残した物資が部隊を潤したこと、何より機密文書の存在も加わって、指揮官は結局彼らを罰することなく、そのまま自分の隊に編入させた。

「それどころか、我々の行動は大いに賞賛されました。あの戦いはいわゆる遭遇戦で、犠牲者は多かったものの不運だったというのが公式の見解です。これから前線に向かおうとしていた部隊の損失は大きかったが、その代わり、500を越える兵士達を養う大量の物資と重要な文書が手に入ったのです。その時の文書が、後で大いに役に立ったという話も耳にしました。我等の部隊の損失を補うには十分な勝利を各地で得ることができたと……。あの時の指揮官は後に出世したそうです。ですがそんな報告は、私達を…私を、わずかも救いはしなかった……」

 お前が。
 ふいにガスール老人が掠れた声で言った。

「戦場でローディンを殺したという噂が立ってもそれを否定せず、わしに何も語ろうとしなかったのは、その罪悪感故か?」

 それもあります。エイザムが苦しげに答える。

「多くの弟子を率いる道場主として、人格者という評判を裏切る愚かな真似をした恥ずかしさか」

 いいえ、と、今度はエイザムが首を振る。

「自分を人格者と思うたことはありません。ただ……当時、生きて戻った暁には、道場を解散、弟子は大先生に引き取って頂こうと考えておりました。もう私に弟子を率いる資格はないと…。これは……ガスリー達に拒まれ、結果的に道場を維持することとなりましたが……。だが、それだけではありません。何より私を苦しめたのは……」

 ローディンと共に戦えなかったということです。
 そう言って、エイザムは顔を苦しげに歪めた。

「戦いの中にあって、背中を預けることができるのはローディンだけ。そう思っておりました。ローディンも同じだと確信しております。傍の者が我々のことを何と噂しようと、ローディンは私の掛け替えのない親友でありました。共に切磋琢磨し、剣の腕を磨いてきた文字通り刎頚の友です。……私はローディンと同じ部隊になれたことが嬉しかった。殊更言葉にはしませんでしたが、ローディンさえいれば、2人で背中合わせに敵に対せば、2人で数倍、いえ、数十倍の力が発揮できると考えていました。例えお互いの姿を視界の内に入れることが能ずとも、私達は誰より気脈を合わせ、戦いを勝利に導くことができると。……ああ、いえ、そんな言葉が重要なんじゃない。私はただ……」

 ローディンと共に戦いたかったのです…!

 それだけ言って、エイザムはまた辛そうに顔を歪めた。

「グランツの武人の誇りなどと大層なことを言い募って、実はただ焦っていただけだった。薹の立った一兵卒扱いされることが我慢ならなかった。欲深さとは無縁の男だなどと偉ぶっていながら、いざ戦に出れば、武勲が欲しかった、栄誉が欲しかった、さすがはという賞賛の声が欲しかった。そのために私は……ローディンと共に戦う機会を、ローディン自身を、永遠になくしてしまったのです! それが何より辛く……!」

 お父様…。顔を覆ってしまったエイザムの肩に、クレアがそっと手を置く。そのクレアもまた、哀しげに瞳を伏せていた。彼らの傍らでは、もうとうに事情を知っていたのだろう、ガスリーが唇を噛んでいる。

「馬鹿もんが……」

 小さくガスール老人が呟いた。それが、エイザムのしたことを詰っているのか、そうではないのかは分らない。

「戦というものは」ふいにヒルダが口を挟んだ。「その本質が理不尽なものよ。条理も道理もことごとく破壊して、人の思いなどわずかも省みることをしない」

 言いながら、ヒルダが長い足を大きく動かして足を組んだ。ローブの裾が割れ、内股の白く輝く皮膚が露になって、ユーリは慌てて目を逸らした。
 あんなコスプレ、じゃない、コスチュームでいるより、どうしてこういうチラ見せの方が色っぽく感じるんだろう。

「エイザム」

 ヒルダがエイザムを呼んだ。は、とエイザムが顔を上げ、懸命に表情を直して身体ごとヒルダに向く。

「お主、人間達が襲ってくることを知って野営地を離れたのか?」
「とっ、とんでもございません!」
「敵が味方を襲撃しているかもしれないと気づいたとき、戻れば襲撃に間に合ったと思うか?」
「そ、それは……」
「はっきり言え」
「……無理だった、と思いまする。先に申し上げた通り、焚き火の跡はすっかり冷え切っておりました。仲間達の、その、遺体の様子からも、おそらく私達が野営地を抜け出た直後に襲われたものと思います。我々が敵に遭遇しなかったのは、偶然もしくは…僥倖と呼ぶべきなのでしょう」
「お前達がもし野営地に戻り、敵の襲撃に間に合っていたとしたら、それでお前達は敵を撃退することができたと思うか? 味方を救い、ガスールの息子を救うことができたと?」
「それは……」

 一瞬言葉に詰まり、エイザムは答えを捜す様に視線を泳がせた。

「そ、それは……」
「できなかったであろうよ」

 ヒルダの容赦のない言葉に、エイザムが絶句する。

「そうなれば、お前は望みどおりローディンと背中を護りあって戦えたかもしれん。だが自分達よりはるかに数の多い敵を相手に勝利することは難しかっただろう。グランツの武人と人間達のどちらが強いかなど、論じるのも無意味だ。もしお前がその場にいれば、間違いなくエイザムの息子とその身を並べて息絶えていたことであろうよ」
「しかし…!」
「経験も積み、良い年をした道場主が、戦に出たとたん逆上せ上がって馬鹿をやる。確かに愚かだなあ、エイザム。だが、そういう跳ね返りはどこの戦場にもいるものよ。ほれ、お前達のすぐ側にも、しょっちゅう私の命令や作戦を無視しては面倒を起こし、その度に私に蹴り飛ばされていた阿呆なチビスケの成れの果てがいる」

 ふふんと嗤うヒルダ。全員の視線が集中する先で、ガスールがくしゃりと顔を歪めた。

「そういう馬鹿を抑えておけなかったのは指揮官の不徳さ。ま、人のことは言えんが。……そしてその不徳の代償を、お前達の指揮官は自分の命で支払った。それでそのことは終わったのだ、エイザム。それなのにお前の話を聞いていると、まるでお前達がその場にいさえすれば、ガスールの息子の命はもちろん、部隊の全滅も救えたように聞こえるぞ? 自分さえいれば、ローディンを戦とも呼べぬほとんど小競り合いで犬死させることはなかったとな」
「ヒルダ様!」

 犬死の言葉に、エイザムは激しく反応した。声を荒げ、思わずといった様子で腰を浮かせ、ヒルダに迫ろうとする。

「言うたであろう。戦とはそも理不尽なもの。道理も条理も人の命も夢も希望も、何もかも打ち砕き、叩き潰し、その全てを呑み込んで、ぶくぶくと太ってはさらに世界を呑み尽くそうとするものなのだ。戦場において、その貪欲な顎を逃れ得るはただ……運だけなのかもしれぬ」

 しみじみと言うヒルダに、エイザムは突発的な怒りが萎えたらしく、がくりと腰を落とした。

「たかが20人そこそこの歩兵が跳ね返ろうと、戦の趨勢に何の影響があるものか。お前達の部隊が襲われたことに、お前達の行動は何の関係もない。もちろん、エイザムの息子が死んだことにもだ。お前達は馬鹿をやったことで、たまたま運よく生き延びた。ただそれだけのこと。もし本当の事を告げて罰を受けたとしても、せいぜい数日営倉に放り込まれたくらいであろうよ。いや、それもなかったかもしれんな」

 え? とヒルダを見るのは、ユーリとルイザとクレアの3人だけだった。

「なぜなら」ふいにそこでガスール老人が発言した。「お前達が生き延びなければ、味方がどこの誰に襲われたのかも分らぬままだったからじゃ。合流した部隊の兵達も、何が起きたのか、自分達を攻撃しようとする伏兵がおらぬかなど、状況を確認しないことには敵の探索もできん。そうなれば、敵を逃してしまったかもしれん。まして、物資や機密文書などを得ることなど絶対にできん。お前達が生き延びて戻ったからこそ、その部隊の指揮官は即座に敵を追うことができたのじゃ。そして、その後の助けとなるものを得ることができた。……まこと、戦とは理不尽なもの。正しいことをしたからといって英雄になれるわけでもなく、誤った真似を仕出かしたからといって……」

 そこまで言って、ガスール老人はエイザムに顔を向けた。

「ヒルダ様の仰せの通り、お前ごときの行動がローディンの命を、まして部隊の命運を左右したわけではない。それをあたかも己の責任の様にぐずぐずと気に病むとは……。お前」

 ガスール老人がじろりと、かつての一番弟子を睨みつける。

「わしやルイザに悪党と罵られて、それを罪滅ぼしの様に感じておったのではあるまいの…?」
「…………」

 エイザムが恥じ入るように目を伏せる。それを見て、ガスール老人が小さく舌を打った。

「馬鹿者が…! それが逆に傲慢であると、何故気づかぬ!」
「…先生……」
「かつての所業より、今のお前のあり様こそはるかに愚かじゃ! 阿呆!」

 吐き出す様に言い放って、それからガスール老人は椅子から立ち上がった。

「先生、私は…!」
「もしお前が!」

 鋭くエイザムを遮って、それからガスール老人は急に空気が抜けたように深く息を吐き出した。それに合わせて、今まで張り詰めていた肩の力が、ガクリと抜けて落ちるのを皆の目が見ていた。

「……お前が……まじめに野営地におれば。……わしは、一人息子と一番弟子の2人を同時に失い、そしてその仇が討たれたのかどうかも分らぬまま、空しく日を送ることになったであろう」
「先生……」
「だからもう……良い」

 そう告げて、ガスール老人は顔を上げ、ヒルダからユーリ達へとその視線を巡らせた。

「申しわけございませぬ。爺ぃは、何とのう疲れてしまいました。お許し願えれば、これにて御前を失礼させて頂きたく存知まする」
「年だな、ガスール」

 笑いかけるヒルダに、「ヒルダ様に言われとうはござりませぬな」と苦笑を返し、ガスールは深々と一礼して踵を返した。

「大先生!」

 エイザムが大きな声で呼び止めた。ガスールが煩げに眉を顰めて振り返り、口を開きかける。だが。

「道場を! 1つに戻したく思います!」

 エイザムが発した言葉に、ガスール老人が目を剥いた。何の言葉も挟めないままだったユーリ達も、「ええっ!?」と声を上げる。
 フェルとルイザも驚きに思わず椅子から飛び上がった。だが、ガスリーとクレアは唇を引き結び、表面上は冷静を保ってソファに畏まったままでいる。

「ずっと考えておりました! ガスもクレアも私のこの気持ちは知っております。いつか…いつか大先生にお許し願える日がくれば、その時は、シュルツローブ道場とその弟子を、スールヴァンに戻そうと…! どうかお願い申します! シュルツローブ道場とスールヴァン道場をひとつにすることをお許し下さい! フェルをその道場主に、そして私は……もしお許し願えるならば、師範として門人の指導に尽力したいと存じます…!」

 しん、と場が静まった。
 全員の視線が、エイザムからガスール老人に移る。老人は一瞬の驚きから冷め、今は眉を深く顰めてかつての弟子を睨みつけていた。

「お前は、そんな事を考えておったのか……」
「はい…!」

 大きく頷くエイザムに、ガスール老人はやがて深々とため息をついた。

「馬鹿者」
「……! 先生、私は……」
「シュルツローブの門弟達は、お前をこそ師と思うて修行しているのであろうが。門弟達の思いを裏切るような真似をするでない。お前はシュルツローブの道場主。一旦道場を構え、弟子を得たからには、とことんその責を全うせよ!」
「しかし…」
「それにじゃ!」老人が強い口調で言い放つ。「この大会を終えて、シュルツローブにもスールヴァンにも、多くの門弟志願が押し寄せておる。これまでになかったほど大量の弟子を、わしらは抱えることになるのじゃぞ。それが1つの道場になってみよ。どうなる?」
「それは……」

 でかすぎるわい。
 ふん、と老人が鼻を鳴らした。

「人が多すぎて、ただでさえボロな我が家の床が抜けてしまうわ」
「で、でしたら、弟子の半分は私の家の方で……」
「だったら1つにする意味はない。看板だけ付け替えて何の意味がある?」
「…………」
「それにじゃ、そんな巨大な道場ができてしもうたら、わしらがまるでグランツの武道界を支配しようとしているように見えるではないか。みっともない」
「…………」

 エイザム。
 ガスール老人が弟子に呼びかけた。

「この30年を取り戻すために、グランツの道場はそれぞれが切磋琢磨して強うなっていかねばならんのじゃ。競いあってこそ武人は強くなるものぞ。仲良う1つになり、馴れ合ってどうなる!? お前が道場主として、グランツを昔の様に眞魔国一の武門の地としたければ、1つになることではなく、共に競い合うことをこそ求めよ!」

 良いな、と言い置いて、ガスールは再び前を向いた。そして。

「まあ、わしらの道場がこれからどうなっていくかは……フェルとクレアの子供が決めてくれるであろうよ」

「…! 大先生……!」
「お爺様!」

 今度はクレアも立ち上がり、その背を見つめるが、老人はそれ以上振り返ることなく扉を開け、去っていった。 


「エイザム、もうよかろう」

 しばらく時間が経って、その場に響いたのはヒルダの声だった。
 ガスールの出て行った扉をじっと見つめていたエイザムが、のろのろと顔をヒルダ、そしてユーリ達に向ける。

「これで区切りをつけろ。そして1度落ちたグランツの名を、もう一度高らかに眞魔国に、そして全世界に鳴り響かせろ。それこそが、あの戦いで無為に命を落とした全ての同胞に報いることとは思わぬか?」
「ヒルダ様……」
「陛下も、そしてウェラー卿も、そのように感じておられるはずだ。いかがでございますか? 陛下」
「はい、ヒルダ様」ヒルダに頷きかけて、ユーリはエイザムに視線を転じた。「おれは戦争を知りません。だから、エイザム先生が体験してきたことについて、偉そうに何か言うことはできません。ただ、だからこそ、新たに出発することになったグランツのために、その力を尽くして欲しい、過去に拘るんじゃなく、今生きていることを大事にして、今と未来のために頑張って欲しいと思います。……ローディンさんのことを思われるなら、尚のこと、フェルさんとルイザさんのためにも……」

 そこまで言って、ユーリの目がフェルとルイザに向いた。王の視線を受けて、フェルがコクリと頷き、身体ごとエイザムに向かう。

「エイザム殿、陛下の仰せの通りです。それから道場のことですが、私のような未熟者が、エイザム殿を差し置いて道場主に納まるなど、到底許されることではありません。それに、グランツの武名を元に戻すためにも、1つになるより競い合い、切磋琢磨すべしという祖父の言葉は正しいと思います。ですが、競い合うことと争うことは全く別物。お許し願えれば、競い合いつつ助け合い、未熟な私をご指導願えればと存じます。その……クレアとのことも合わせまして、あの、よろしくお願い申し上げます!」
「フェル…」

 ガバッと頭を下げるスールヴァン道場の若き道場主に、エイザムが真摯な目を向けた。彼の傍らでは、クレアがほんのりと頬を染め、恋人と父親を見つめている。
 と、エイザムの眼差しがフェルの身体越し、妹のルイザに向けられた。視線を感じたのか、唇を噛んで身を固くしていたルイザがハッと顔をエイザムに向けた。

「……ルイザ、私は……」
「あの…私……」

 そこまで言って、ルイザが再び唇を噛む。

「ルイザ」フェルが妹を振り返り、呼びかけた。「だから言っていただろう? エイザム殿はお前が言うような方ではないと。父上が戦死されたのは、誰のせいでもない。道場についても、聞いたとおりエイザム殿は……」

 兄の言葉を振り払う様に、ガタンと音を立ててルイザが立ち上がった。

「ルイザ! 陛下の御前で無礼だぞ!」
「私!」

 窘める兄の言葉に耳も貸さず、ルイザはキッとした目をユーリに向けた。

「私も! これで失礼致します! ご無礼お許し下さいませ!」
「ルイザ!」

 兄の声と手を全身で避ける様に身を翻すと、ルイザはエイザム達、シュルツローブ道場の面々が座るソファの後ろに足早に回り、そこでわずかに足を止めた。そして。

「……ごめんなさい…っ!」

 誰にともなくそう告げると、何かを堪える様にギュッと目を瞑り、それから部屋を出て行った。

「………あの娘が謝ることなど何もないというのに……」

 私の愚かさのために……。苦しげにそう呟くと、エイザムが肩を落とした。

「エイザム先生」

 呼びかけるユーリの声に、エイザムがハッと顔を上げた。

「これはご無礼を…。お許し下さいませ、陛下」
「無礼なんて何も。ああ、フェルさんも気にしないで。……ルイザさんの気持ちも、おれ、分る気がするし」

 エイザムと一緒に、何か言いたげに身を乗り出したフェルをユーリが制した。フェルが、「恐れ入ります」と頭を下げる。

「もうさ、後悔するのも謝るのも、これで止めにしない?」
「へ、陛下……?」

 きょとんと目を瞠る全員に、ユーリがにっこりと笑う。

「ヒルダ様も仰ってたけど、今夜を区切りに前進しようよ。ガスールお爺ちゃんもルイザさんも、たぶん人一倍意地っ張りだから、ちょっと居たたまれなかったのかもしれないけど、でもそれなりに納得したんだって思うよ。きっと自分なりにけじめをつけて、すぐ前向きになるんじゃないかな。どうですか? ヒルダ様」
「陛下の仰せの通りと存じます。特にガスールはとんでもない頑固者ではありますが、一旦認めれば、それなりに素直になることでございましょう。……ったく、私の見ている前で一人前に説教なぞしおって、あのチビスケが。どれだけ私に面倒を掛けたか、どうやらすっかり忘れているらしい」
「お爺ちゃんって、そんなに無茶をしたんですか?」
「無茶どころか! エイザム、お前のしたことなどガスールに比べれば可愛いものだぞ? 何せ、千からいる敵の部隊に、たった一人で斬り込んで行ったのだからな。それも1度や2度じゃない。偵察だの斥候だの、悠長な事をしておられるかと、止める間もあらばこそ、吹っ飛んで行って何度殺されそうになったことか! それでわずかも懲りるということがないのだ!」
「は、はあ……」
「物資や文書を奪取してくるなど、洒落たこともあやつにはできん。もしお前達の部隊にアレが居れば、おそらく誰に先んじて敵の野営地に飛び込み、兵を斬り倒し、天幕に火をつけ、馬鹿笑いをして勝利の凱歌を上げたであろうよ。食料や物資についても、敵の食い物を我らが食らうなど卑しい真似ができるかとか、下らんことをほざいて全部灰にしたことだろう。アレに比べれば、エイザム、お前は本当に手柄を立てたな」

 と言われても。ありがとうございますと言う訳にもいかず、エイザムは困ったように目をあらぬ方向に向けた。

「つまり、お前の悩みなど、考えようによってはその程度のことなのさ」

 言われて、エイザム達が表情を引き締める。

「おそらくは、ウェラー卿やグリエも同じ様に考えているだろう。彼らはお前達よりはるかに厳しい条件下にあって敵と対峙してきたのだ。理不尽がまかり通る戦場の最前線にあって、なあ、ウェラー卿、グリエよ、綺麗ごとでは生き延びていかれぬよなあ」

 ヒルダに嫣然と微笑まれて、コンラートとヨザックもまた、それ以外仕様がないという様子で苦笑を浮かべた。

「ヒルダ様の仰せの通りかと」

 差し障りなく応えると、コンラートは小さく頭を下げた。

「だからもう良い。な? エイザム?」

 ヒルダの声は優しい。だがその眼差しは、過去からのきっぱりとした決別を求めている。
 ほんの数呼吸、エイザムはヒルダを見つめ、それから大きく頷いた。

「はい、ヒルダ様。……ありがとうございました…!」

 頭を下げるエイザムに続いて、クレアとガスリー、そしてフェルまでもが深く、思いを籠めて頭を下げた。

「礼ならば陛下に申し上げろ。お前と賭けをして下さった陛下と、それから勝利を齎したウェラー卿にな」

 悪戯っぽく笑うヒルダに、ユーリとコンラートも笑みを浮かべた。

「おれ、グランツに来て本当に良かったな!」
「おお、陛下、そのように思うて頂けますか?」

 はい! とユーリがはっきり頷く。

「短かったけど、グランツでの日々はすごく充実してました。皆と知り合えて楽しかったし、思いもかけないこともいっぱいあって、ハラハラドキドキしちゃったし。でも……」

 もうそれも終わりだね? わずかに寂しそうに、ユーリはコンラートを見上げて言った。

「はい、陛下。もう休暇はこれでお終いです。明日には出立せねばなりません」
「だよね」
「さようでございましたな。……寂しゅうなります」
「おれもです、ヒルダ様。……エイザム先生、それからフェルさん」

 呼びかけられて、エイザムとフェルが「は!」と姿勢を正す。

「シュルツローブ道場とスールヴァン道場の皆さんには、本当にお世話になりました。明日、おれ達は王都に向かって発つことになってますけど、その時できたら道場の皆さんにここに来てもらえませんか?」
「…陛下、それは…」
「門人の皆や、それにロルカおばさん達にも、最後にお礼やお別れを言いたいんです。どうかお願いします」
「陛下、そのような……何ともったいない……」
「皆、どれほど喜びますことか…!」
「陛下のご温情、民に代わって御礼申し上げます」

 ヒルダが言って、優雅に臣下の礼を取った。それに応えて、ユーリは全員に笑みを投げかけた。

「それじゃあ、明日」
「はい。明日」

 最後に皆と笑顔でさよならしよう。


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書ききれるかな、と頑張ってみたのですが、やっぱり1話では終わりませんでした〜。
というわけで、またも2つに分けました。
後編もお楽しみ頂けることを祈っております。