グランツの勇者・21−2


 朝である。

「………えーとぉ………」

 いつも通り朝起きて、朝シャワーを浴びて、コンラッドと村田とヨザック─気の置けない友人達─とテーブルを囲んで、気兼ねの要らない食事をし、改めて身支度をしてグランツの人々が待つ客間に入ってみれば。

 既に見慣れたフォングランツの人々が、何となく疲れた様な、呆れ果てた様な、複雑な表情で一行を迎えたのであった。
 そして部屋に入ったユーリ達も、その部屋で繰り広げられていた光景に、思わず回れ右をしそうになって……何とか踏みとどまった。

「あー……おはよ、アーダルベルト、それからエド君も」

 ユーリ達に気づいて、アーダルベルトとエドアルドが部屋の中にある「モノ」を迂回するようにやってきた。

「おはようございます、陛下、猊下、閣下、グリエ殿。あの……」
「エド君、あの、これって一体……」
「…はあ……」

 眉間のしわを思い切り深くして、苦々しくため息をつくアーダルベルトと、困ったように身を縮めるエドアルド。
 広い客間、その中央、見事な応接セット。その周囲で。

「…ぐ、ぐぉぉぉぉぉ…っ」
「うぬぬぬぬぅ…!」
「おっ、おのれぇ〜」
「ふんぬ〜〜〜っ」

 何かを呪っているような、もしくはトイレに籠もって長年の悩みを何とかしようと頑張っているような、何ともいえない呻き声と共に、複数の人物が床に手をつき、ソファに縋り、テーブルに腹ばうようにしながらのた打ち回っていた。
 その全員が、年を取りすぎて、すでに男なのか女なのかもさだかでないお爺ちゃんとお婆ちゃんばかりである。
 言うまでもない、グランツの伝説の勇者、ご隠居様たちだ。

「今朝起きてみたら元に戻っていたらしいのですが……」

 困り果てた表情で、エドアルドがため息をついた。

「何というか……突然、筋肉痛と関節痛が襲ってきたらしく……」
「……あちゃあ……」

 全員の目が、改めて悶絶中のご老人達に向く。

「あの様子からすると、若返っていた間の反動が一気に、ということなんでしょうね、おそらく」
「つまりー」

 コンラートに続いて、村田がお気楽な声で続ける。

「年寄りの冷や水は後が怖いってアレだね!」
「村田ぁ…」

 ったく、とアーダルベルトが舌打ちをした。

「アニシナの薬を使って、めでたしめでたしで終わるわけがねえってこった。これで爺ぃ達もちっとは懲りただろうよ!」

 だがその時。

「……っ、げ!」

 ユーリと村田の後でにやにや笑っていたヨザックが、突如顔と身体を引き攣らせた。

「どうしたの、グリ……あ…」

 ユーリ達が振り返ってみれば、棒立ちしているヨザックの腰に、ローブを纏った猿、いや違う、1人のご老人がすがり付いていた。

「……こ、これは…陛下、猊下……おはようござりまする。いや……清々しい良い朝でごっ、ござりまする、な…っ。私もこれこの通り、スッキリ爽やかに目覚め……ぐぬぬぬ……おんのれぇ……っ」

 ご老人は元々干し柿のような顔を、さらにしわくちゃに顰め、立ち上がろうと頑張っていた。

「あああ、あのっ、無理しないで下さい! お年寄りの関節痛はホントに辛いっておれのじいちゃんも……」
「そうです、ヒルダ様、どうか……」
「ヒルダ様っ!?」

 手助けしようと手を伸ばしたコンラートの言葉に、ユーリは思わずげげっと声を上げた。

「ひっ、ヒルダ、さま……?」

 うっかり繰り返して、それからユーリは思い出した様に「……お、おはよーございますぅー」と付け足した。

 あの鮮やかな剣捌きと、艶やかな体術を次々と繰り出す、あのすんなり伸びた絶妙美しい筋肉の持ち主が……。
 400年経つとこうなっちゃうのかー……。
 最初に会ったのはこっちだったのに。分っていたはずなのに。……時間って残酷。あ、何だか涙が。
 ユーリはそっと濡れてもいない目尻を拭った。

 ヒルダはそれこそ干し柿色に紅潮させた顔に汗まで浮かべて、意地悪な魔法使いの様に曲がった腰を伸ばそうと懸命に頑張っている。縋られたヨザックの顔にまで冷や汗が浮かんできた。……枯れ枝の様に骨ばった指が筋肉にめり込んでいるのも痛いのだろうが、他にも色んな意味でイタそうだ。

「おふぉ、おふぉ、おふぉふぉふぉふぉ…ふぉっふぉ…っ、ゲホゲホゲホッ。……お、おお、これはご無礼を…。いやいや、大したことはござりませぬとも。ちぃとばかりあちこちがミシミシ鳴っておるだけでございます。この程度、戦を知り尽くしたこの身には、そよ風に撫でられた程度にしか感じませぬ。まこと、どうということも全くなく……! うぬっ、うぬぬぬぬぅ…っ!」

 ヒルダの顔がさらに赤黒く紅潮した。

「……今、何か、ぼきぼきぼきって音がした、気がする……」
「うん、そだね……」

 ユーリの呟きに頷いてから、村田は「ああ、そうだ」と殊更にこやかな顔をヨザックに向けた。

「ヨザック、ヒルダ様を抱き上げて差し上げたら? ほら、陛下が良く言ってる『お姫様抱っこ』で。何たって君とヒルダ様は」

 あれほど情熱的な口づけを交わした仲なんだからね。

 一瞬の硬直。

「むっ、村田…っ!」

 せっかく意識の隅に無理矢理押し込めて、忘れようと頑張っていたあの衝撃の光景を…!

 村田の非情な(?)一言が耳に入ってしまったコンラート、アーダルベルト、エドアルドも、ハッと目を瞠ってから2人に目を遣り、その姿が改めて目に映った瞬間、ウッと何かが喉に詰まったような声を上げて視線を逸らしてしまった。
 そしてもちろんヨザックも。
 思い出してしまったその事実に、ゲッと思わず仰け反ったヨザックを、ヒルダがにまぁ…っと笑って見上げている。

「じょっ、冗談じゃ…っ、あああああああのっ!」

 思わずヒルダを押し退け、必死で首を振るヨザック。

「おっ、俺ごとき卑しい身分の者がっ、恐れ多くもグランツのご隠居様を抱き上げるなんて、そんなとんでもない…っ!!」
「なーにを恥ずかしがっとるんじゃあ」

 おひょひょひょひょひょっ……と不気味な高笑いを響かせながら、さらにぴったりヨザックの腰に取り付いたヒルダが嬉しそうに言った。

「あれだけの民の前で、あのように何度も、それはそれは深く深ーく……」

 ヒルダが皺だらけの唇をきゅうっと窄め、ちゅぱちゅぱちゅぱっと、時と場合によっては淫靡に聞こえるかもしれない音を立てた。

「……としたではないか〜」

 何かが喉元に込み上げてきたのか、ヨザックの顔が一気に青ざめる。

「やっ、止めろ、このばば、じゃなくて、止めて下さい、ご隠居様っ!」
「今さら恥ずかしがりおって〜」
「気色悪いから止めろっての!」

 だんだん遠慮がなくなってきた。だがヒルダも引かない。

「ほれ、いつまでも照れくさそうにしとらんと」
「してねぇよ!」
「猊下も仰せじゃあ。さっさとわしを抱き上げてみせい。優しゅう、ほれ、花嫁のようにな。そうしたら褒美をやろう。ほれ、またあのときの様に……」

 またまた唇を尖らせて、ヨザックに向けて身を乗り出すヒルダ。

「うわぁっ!」
「お前さえその気なら、わしも喜んで現役に戻ろうぞ。なに、今はお肌も少々乾燥気味じゃが……」
「何が乾燥気味だっ! 水気も脂っ気も一滴残らず蒸発してるだろうがっ! くっつくな! …なによじ登ってんだ、あんた!」

「えーとー…」
「気にしない気にしない、渋谷。じゃれてるだけさ。ほら、グランツのご当主達に挨拶しよう。さっきから口を挟めなくて困っておいでだからさ。ね? ウェラー卿もそう思うだろう?」

 ちらりと視線を流されて、幼馴染に手を差し伸べるかどうか迷っていたらしいコンラートの喉がごくっと上下した。

「げ、猊下の仰せの通りですねっ」

 村田のどういうメッセージを受け取ったのか、コンラートが慌ててユーリの視線を転じようとする。

「ささ、陛下、あちらにまいりましょ!」
「でも……グリエちゃん、大丈夫かな?」
「ご婦人からも紳士からも、迫られるのは慣れてますから。それをサラリといなすのがイイ女の必須条件だそうですよ。さっ、ほらっ、アーダルベルト! エドアルドも!」
「…あ、ああ、そうだ、そうだな。あっちに行こう。グリエは大丈夫だ。……たぶん」
「そっ、そうですよねっ、何といっても眞魔国三大剣豪なんですからっ!」
「それって全然関係ないんじゃ……」

 村田は足取りも軽く、ユーリはコンラートとアーダルベルトとエドアルドにほとんど連行されて、彼らを待つフォングランツ卿ウィルヘルムとその弟達と関係者(のたうつ他のご隠居様達は、しっかり迂回路を取って避けた)の元に向かった。

「…あ! ちょ、ちょっと坊っちゃ…陛下! 猊下っ! たっ、隊長!」

 何で置いていくんですかっ、助けてくださいよっ、俺、何かしましたかっ、これ一体何の罰ですかーっ!!

 気の毒そうに見つめて、だが何も手助けしない人々と、ご隠居様達の地獄の呻き声が満ちた客間に、ヨザックの断末魔(?)の悲鳴が轟いた。


□□□□□


 ユーリ達一行が城の門から出てくると、待ち構えていた人々が一斉に歓声を上げた。
 これより帰城なされる魔王陛下をお見送りしようと集まってきた、フォングランツの関係者、一族郎党、グランツの支配階級に位置する人々だ。
 城門を出れば、今度は一般の民達がフェルデンの市内はもちろん、街道の外れにまで殺到しており、街道に沿って壁を作る様に押し合いへし合いしながら陛下の馬車が通るのを待ち構えているという。
 さすがに民のこの思いを蔑ろにすることはできず、ただあまり派手なお見送りはしないようにという達しだけがなされている。

「皆さん、お世話になりました。皆さんの歓迎と、温かいお持て成しに感謝します。グランツでの滞在は、本当に素晴らしい思い出になりました。またぜひ遊びに来たいと思ってます。皆さん、どうかいつまでもお元気で!」

 魔王陛下万歳! 眞魔国万歳!
 挨拶をしてにこっと笑うユーリに、城の正門広場に集まった人々が一斉に声を上げた。彼らに手を振りながらユーリ達が歩き始めると、人々の歓声もさらに高まる。
 広場の向こう、城門を出る所に、彼らが乗る馬車が待っていた。馬車の周囲には、警護の兵士達が背をピンと伸ばして立っている。今回は見送りの民も多いことから、グランツの兵士達が馬車の前後を固めることになっているのだ。
 ユーリ達一行の中には、エドアルドの姿もあった。すぐに戻るのならいっそのこと一緒に帰ろうよ、というユーリの気軽な誘いにエドアルドが応じたのだ。最初は「僕ごときがそんな!」と遠慮したエドアルドだったが、1人よりたくさんの方が楽しいからというユーリの言葉に説得された。フォングランツの一族、とりわけハンスの一家、エドアルドの両親や兄達は、末っ子が魔王陛下のお供に任じられるとは何という名誉かと、手を取り合って喜んだらしい。
 さあこれから出発という時に、『精進して、良い士官になれよ』とエドアルドに声を掛けたのはイヴァンだった。
 手を軽く挙げ、そのまま家族の下に去ろうとしたイヴァンを、わずかに間を置いてエドアルドが呼び止めた。

『イヴァン。その……グランツの中ばかりにいないで、たまには外に…王都に遊びに来い』
『…エドアルド…?』
『その…もし良ければだが……その時は僕が王都を案内してやろう』

 きょとんとエドアルドを見返して応えないイヴァンに、エドアルドが少々居たたまれなさを感じた頃、イヴァンがフッと笑みを浮かべた。

『ああ、たまにはそれも良いかもな。その時にはお前に色々と教えてもらおう』

 では、気をつけて帰れ。そう言い置いて去っていくイヴァンの背中を見つめて、エドアルドはホウッと息を吐き、それからそっと微笑んだ。
 数十年に渡って疎遠だった2人の関係も、これから新たな始まりを迎えるのかもしれない。


「……あ! 皆……!」

 ユーリの笑顔がぱあっと輝いた。城門のすぐ側、上流階級の人々に遠慮するように、スールヴァン道場とシュルツローブ道場の人々が集まっている。

「来てくれたんだ、ありがとう!」

 駆け寄るユーリに、道場の人々が恐縮したように一斉に頭を下げた。

「陛下」

 ガスール老人が皆を代表して前に進み出た。

「色々と、と申すには、あまりに色々とございましたが、こうしてみれば陛下のお慈悲、民への慈しみの深さにただ心揺さぶられるだけにございます。まことに……ありがとうございました…!」

 改めて深々と腰を折るガスールと一緒に、集まっていた全員が地面に着くほど頭を下げる。

「おれ、何にもしてないよ! だって……」

 とんでもないと手を振りながら、ユーリが言う。
 実際は、誰もが切っ掛けを欲しがっていただけなのだ。過去を振り切り、前進するために。ユーリの存在は、ただその切っ掛けになったに過ぎない。

  「おれはただ旅行を楽しもうとしてただけで……。そんな風にいわれると、逆に申し訳ないです。だって嘘もついちゃったし」
「嘘などと。それこそとんでもござりませぬ。陛下と過ごさせて頂きましたこの数日、この爺ぃも存分に楽しませて頂きました。それに……長年の鬱屈にも踏ん切りがつき申しましたし……」
「もう……大丈夫、だよね?」

 ちょっと心配そうに顔を覗きこむユーリに、ガスール老人が「はい」と頷いて笑みを浮かべた。

「まだまだこれから様々な事が起きましょう。一旦地に堕ちた『武門のグランツ』の名声を再度国内外に轟かすためには、我ら道場の者達が先頭に立って働かねばなりませぬが、その道のりも険しいことでございましょう。ですが、わしもこれよりは一心に弟子共の指導に尽くす所存でございます。そして、もはや孫達や弟子達を悩ませることはせぬと心に誓おうております」

 そう言って振り返った先で、フェルとルイザが畏まっている。

「フェルさん、お弟子さんも増えたし、頑張ってくださいね」
「はい、陛下」フェルがユーリに頭を下げ、それから目を背後のコンラートに向けた。「閣下とヒルダ様の試合を目にし、こう申しては何ですが、横っ面を張り飛ばされたような思いをした者が大勢押し掛けてきております。祖父に助けてもらいながら、私自身も修行を重ねていくつもりです。陛下、閣下、本当にありがとうございました…!」

 一皮剥けたような輝きを見せるフェルの様子に、コンラートも笑顔を向ける。

「陛下」

 フェルに続いて、ルイザも意を決した様に口を開いた。

「あの、私……本当に恥ずかしい姿ばかりお目に掛けて……昨日も……」
「ルイザさん……」
「でもっ、私、昨夜一晩、ほとんど寝ないで考えました。さんざんバカな事を言ったりしたりしたけれど、まだやり直せるって!」

 ルイザの決意を籠めた表情に、ユーリも「うん」と頷いた。

「兄さんを手助けして、道場を護っていこうと思います。それから……兄さんとクレアが結婚したら、シュルツローブ道場は親戚になるわけだし、その……仲良くしていこうって思います…!」

 ルイザ…。フェルと、少し離れたところからクレアの声がした。
 ユーリが瞳を巡らせると、クレアが頬を赤らめて嬉しそうに笑みを浮かべている。

「お幸せにね、クレアさん」
「陛下……!」

 クレアはそれ以上何も言えない様に唇を震わせ、それから勢い良く頭を下げた。

「エイザム先生も、これから頑張って下さい」
「ありがとうございます、陛下。……この度の御恩、このシュルツローブ・エイザム、生涯忘れは致しませぬ。この上は、グランツのため、眞魔国のため、そして何より陛下の御世の御為、残る人生の全てを捧げる所存にございます…!」
「いや、おれ、ホントに何もしてないから……」

 困ったなあと頭を掻いて苦笑するユーリの視界に、隅っこで縮こまっている人物の姿が映った。

「ロルカおばさん! おじさん達も! わざわざ来てくれてありがとう!」

 滅相もございませんっ!
 慌てて腰を折る人々の中で、ロルカおばさんが大きく深呼吸すると、おずおずと手に抱えていた籠を差し出した。

「……あのっ、陛下、その……私共なんぞが、その、厚かましくて無礼だとは思ったのですけど、その……」
「おばさん、これ…?」
「あっ、あの…っ、私が作りましたお菓子と、それから厨房の皆で作りました料理でございまして、その…粗末なものでございますが……道中、お腹が空かれました時にでもおつまみ頂ければと……!」
「ロルカおばさんのお菓子!?」

 ロルカおばさんと、並んでいたおじさんや別のおばさんが震える手で差し出した籠を、コンラートとエドアルドがすかさず受け取った。上に被せられていた布をめくると、中には美味しそうな焼き菓子や、サンドイッチ、サラダ、果物などがぎっしり詰め込んである。

「美味しそうっ!」
「これは良いもの貰ったねー。馬車に乗ったらさっそく頂こう」

 ありがとう! 2人の貴い少年達に声を揃えてお礼を言われて、厨房係のおじさん達やおばさん達は感動に身体を震わせた。目には涙が浮かび、頬は皆、真っ赤に染まっている。

「まことに……ありがとうございます…!」

 自分の道場で働く人々にまで慈しみ深い王の姿に、エイザムの感動も新たに深まったようだ。

「エイザム殿」

 そんなエイザムにコンラートが声を掛けた。はっ、と畏まる道場主に、コンラートは封書を差し出した。同じ物をフェルにも渡す。

「閣下、これは……」

 きょとんと封書を手にするエイザムとフェルに、コンラートが微笑んだ。

「王都においでになることがあれば、どうか血盟城に寄って下さい。その封書を見せれば問題なく城に入れるよう手配しておきます。あなた方はもちろん、道場の門人の誰でも」

 そう言って、コンラートが2つの道場の門人達を見回す。おお! と2つの道場の門人達、トーランやヴァンセル、バッサやイシルやフィセル達が目を瞠り、驚きの声を上げた。

「フィセル」

 コンラートがフィセルを呼ぶ。天下のウェラー卿コンラート閣下に、このような場所で名を呼ばれたことが信じられないという顔で、青年がさらに大きく目を瞠った。

「…っ、はっ、はい! 閣下!」
「血盟城に来たら、どれだけ腕を上げたか見てやろう。楽しみにしているよ」

 頑張れ。
 笑い掛けられた瞬間、フィセルの身体がぶるぶると震え始めた。

「は、は、はいっ! あっ…ありがとうっ、ございますっ!! 俺、頑張ります! 絶対、絶対頑張って、グランツ一の武人になって、閣下に褒めて頂きますっ!!」

 叫ぶように宣言するフィセルの身体を、バッサやイシル、シュルツローブ道場の仲間達が、笑いながら頭を小突いたり、背中を叩いたりしている。

「閣下…! ありがとうございます…っ!」

 もう何度目か、エイザムとフェル、道場の師範達が頭を下げた。
 だがそこで。

「……あ、あのぉ、伺ってもよろしいでしょうか」

 ルイザがそこで、遠慮がちに声を掛けてきた。

「あの……グリエさん、いえ、グリエ殿は……」

 あ。

「……しまった、忘れてた」

 ユーリが顔をくしゃっと顰め、村田が「あははー」とわざとらしく笑い、コンラートとアーダルベルトとエドアルドが困ったように視線を逸らす。
 どうしよう、というか、アレから一体どうなっちゃったんだろう。

「あいつのことですから、放っぽっといても自力で何とかすると思いますし……行っちゃいますか?」
「ああ、俺もそいつに賛成だな。あの野郎なら、婆ぁの一人や二人、何とか撃退してすぐに追いかけてくるだろうよ」
「いやいやいや、コンラッド、アーダルベルトも、置いてけぼりはいくら何でもグリエちゃんが可哀想だよー」
「いやぁ、渋谷、ここは案外18歳未満お断りな状況に雪崩れ込んでるかもだよ?」

 ヨザックって、かなり懐深いしさー、対象年齢の幅もかなりあるかも。

「……す、スミマセン、僕……」エドアルドがいきなり口を押さえて横を向く。「………想像してしまった……」
「こら、エドアルド!」
「エド君! ヘンな想像しちゃダメだよ、おれだって一生懸命想像しないように頑張ってるんだから!」
「いえ、陛下、あいつは結構博愛主義というか、ゲテモノオッケーというか……意外と大丈夫かも……」
「大丈夫って、一体何が大丈夫なの!?」

 城門を出る直前で、何やらイロイロもめ始めたらしい魔王陛下一行に、人々が何事だろうとざわつき始めたその時だった。

「坊っちゃあああ〜〜〜ん!!」

 陰に籠もった恨みの、ではない、何だかものすごく情けなさそうな、心細そうな、今にも泣きそうな呼び声が聞こえてきた。

「ぐっ、グリエちゃん! と……」
「ご隠居様……」

 城の中から、置いていかれて堪るもんかーと、すごい勢いでヨザックが飛び出してきた。
 そしてその背中には、ヒルダが背後霊の様に憑いて、いやいや、おんぶされている。……お姫様抱っこは許してもらったらしい。

「俺を置いてくつもりですか〜!? そりゃあんまりですよ〜〜!」

 必死の形相で追いついたヨザックが、ぜーぜーと肩を上下させている。その背中で、ヒルダの身体も上がったり下がったりしている。

「………何かさ、こういう妖怪がいたよね」
「……おんぶお化けとかー……子泣き爺とか?」
「この場合は婆だけど」

 こりゃ、下ろさんかい。ヨザックの背中に気持ち良さそうに納まっていたヒルダが、ヨザックの頭を拳でコンと小突いた。たくもう、とぶつぶつ言いながら、ヨザックがヒルダを地面に降ろす。言葉と態度の割りに丁寧だ。

「陛下、先ほどは碌なご挨拶も出来ず、失礼致しました。朋輩は情けなくも歩ける状態になく、私が代表してご挨拶させて頂きまする」
「あっ、あのいえ、ヒルダ様」コホンと咳払いをして、ユーリは顔と姿勢を改めた。「ご隠居様達がおいでだったおかげで、素晴らしい試合を堪能することができました。ありがとうございました! どうかいつまでもお元気でいらして下さい。あの、ヒルダ様、関節痛や筋肉痛は大丈夫ですか…?」
「お優しいお言葉、ありがとうござりまする、陛下。先ほども申しましたが、何、大したことはございませぬ。400年近くもの間、身体を使ってこなかったのが悪いのでございます。慣れればどんどん楽になってまいりましょう」

 慣れれば!?

 思わず全員の声が揃ってしまった。まさか!? と目を剥く人々を見回して、ヒルダが「おっひょひょひょっ」と笑う。

「もちろんでございますとも! せっかく覚えた楽しみでございますからなあ。これからちょくちょく……。ふぉっふぉっふぉっ…。もちろん、グランツの未熟な若造共を存分に鍛えてやる所存にて。来年の大会には、今より見所のある試合を御見せいたしましょう程に、どうぞ楽しみにしていて下さりませ。そしてその時には………」

 ハッと気づくと、ヒルダの右手はヨザックの、左手はコンラートの服の裾をがっしりと握っていた。
 ヒルダがにんまりと笑う。

「共に楽しもうのう。……3人で、しっぽりとな……?」

 剣だな、剣の手合わせを楽しみにしてるんだよなっ! それ以外ないよな!
 引き攣った顔をコンラートとヨザックが見合わせた瞬間、2人の身体がヒルダからぐいっと引き離された。

 コンラートの腕をユーリが、ヨザックの腰のベルトを村田が、引っ掴んでいる。

「そろそろ失礼しますっ、ヒルダ様!」
「色々とありがとうございました。どうぞお健やかに」

 それだけ言うと、二人はコンラートの腕とヨザックのベルトをぐいぐい引っ張って、彼らを待つ馬車に向かって歩き始めた。

「良い様に転がされてんじゃないよ、たくもう」

 ジロッと睨まれて、ヨザックは「申し訳ありません〜」と神妙な口調で謝った。だが次の瞬間、ヨザックの顔に、ニヤッと人の悪い笑みが浮かぶ。

「どなたかのお蔭で、近頃すっかり転がされる楽しみを覚えちゃったもんで」
「気色の悪い言い方をしない!」
「はい、畏まりました〜」

 ふん、とベルトから手を離し、村田はぱんぱんとわざとらしく手を払った。

「ああいう時はすぐに振り払わないとダメじゃないか!」
「は……申し訳ありません、陛下……?」
「陛下? じゃなく! うっかりしてるとヒルダ様の餌食になっちゃうぞ! それとも……」

 コンラッドはヒルダ様が、もちろんあの若いヒルダ様だけど。

「好みのタイプだったりする?」
「いいえ!」

 上目遣いで尋ねる主に、コンラートは力いっぱい否定した。

「尊敬は申し上げてますけど、それ以上のことは何も考えていません! 好みだなんてとんでもない! ……飲み友達としてなら、なかなか楽しそうですけどね」
「……そっか。だったら……良い」

 うつむき加減で呟きながら歩く。コンラートの腕を掴んだまま。


「それじゃ、皆さん!」

 馬車の横に立って、ユーリは集まった人々に最後の挨拶をした。
 ユーリの正面には、フォングランツ卿ウィルヘルム他、関係者がずらりと並んでいる。

「これで失礼します。皆さん、どうぞお元気で! たくさんの思い出をありがとう!」

 馬車に乗り込み、窓から身を乗り出して大きく手を振れば、人々が改めて歓声を上げた。
 ウィルヘルムとその兄弟達が、エドアルドの兄達が、イヴァンや道場の人々が、皆笑顔で手を振り返す。

「陛下! 猊下! ありがとうございました!」
「我ら7名、陛下のまたのお越しをお待ち申しておりますぞ!」
「どうぞお元気でいらして下さいませ!」
「魔王陛下万歳!」

「ありがとう! 元気でね!」

 馬車が城門を出た。明るい日差しの中、いつの間にか慣れ親しんでいた人々の姿が少しずつ小さくなる。

「……何だか、すごく長い間ここにいたような気がするな」
「結構色々あったもんね」
「だな」
「でも楽しかった」
「ああ、本当に……」

 楽しかった!

 馬車の中で、ユーリと村田は顔を見合わせて、にっこりと笑った。
 馬車の外では、馬に乗って護衛にあたるコンラートとヨザックとアーダルベルトとエドアルドが、やはり笑みを浮かべている。

「陛下、猊下、そろそろ街に入ります。民が大挙してお出でをお待ちしていますよ?」

 お、そうだった!
 ユーリと村田は両側の窓からそれぞれ顔を出した。
 窓から身を乗り出したユーリの目に、グランツの澄み渡った青空が映った。

 きれいな空。きれいな空気。優しい人々。
 大好きな、おれの王国。

 皆が幸せでいられるように。皆が笑顔で暮らせるように。
 そのためなら、おれ、何でもするから。

 みんな。
 大好きだよ。

 グランツの民の歓声が近づいてきた。
 見送ってくれる民に応えるため、ユーリは笑顔で大きく腕を伸ばした。

                                             おしまい。(2010/02/28)


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おっ、おおおおっ、終わりましたっ!
1年ですっ、1年ですよ、奥さんっ!(…って、誰)。
ギリギリ2月末日に完結させることができました。

長々続いてしまったこのお話ですが、最後までご声援下さいまして、本当にありがとうございました!
皆様の支えがなければ、途中でぽっきり折れてしまってたかもしれません。
皆様のお声に励まされ、何とか終わることが出来ました。
色々書き残したこともある気がしますが、今はもう、やった〜! という思いしかありません。
内容に関しましては、おいおい書き綴っていこうかと思います。

これからは、キリリクに全力を挙げねばと思ってます。
イロイロとやらねばならないことも増えまして、アップは遅れがちですし、新作もいつから始めるかは分りませんが、頑張って書きますので、どうかこれからもよろしくお願い申し上げます。

皆様のご意見ご感想、心からお待ち申しております!