高校野球、甲子園のベスト8が揃う準々決勝は、実力校による見応えのある試合が揃っているだけに、最も多くの観客が集まると言われている。 観客席はびっしりと隙間なく人々が集まり、試合への期待に夏の熱気はさらにその温度を上げる。 そして、「グランツの勇者」を決定する武闘大会会場もまた、勝ち残った最強の8名の試合を前に、異様なほどの熱気に盛り上がっていた。 「うーん、今にも六甲おろしが聞こえてきそうだねー」 「だから阪神戦じゃねーってば!」 拳を握り、わくわくと会場の熱い雰囲気に浸っていたユーリは、思わずその拳を振り上げた。 冗談だよーと笑いながら、村田がわざとらしく身を避ける。 『フェル! フェル! スールヴァン!!』 人々の喧騒に混じって、かなりの人数の大きな声が聞こえてきた。 「あそこにスールヴァン道場の人達が集まってるみたいだね」 村田が指差した辺りには、確かに相当数の人々が集まり、腕を振りながら懸命のエールを送っている。 「こういう時、シュルツローブみたいな歌があると便利だよね」 「ほんとだ。でもなんか……人数増えてる気がしないか?」 「それはやっぱり『スケサブロウ』効果じゃないかな」 「あ、そっか……てことは」 第3試合になったら、ヨザックもこうやって応援してもらえるのだろうか。 「これだけの大会で2名が残ったのですから、スールヴァンの面目は見事に立ったということになります」 ユーリと村田の後ろに座っているエドアルドが、身を乗り出すように会話に入ってきた。 「後援する父も、グリエ殿に感謝いたしておりました。もちろんウェラー卿にも。お2人のおかげで試合も引き締まり、盛り上がったと……」 「そう言ってもらえるのは嬉しいけど、でもそれはご隠居様のおかげでもあるからさ」 ユーリの言葉に、「いいえ」とエドアルド、そして彼の兄弟達が首を振る。 「お2人がおいでにならなければ、大会はご隠居様達の独壇場となり、武人の質の低下を内外に晒しただけでなく、大会の意義も完全に失われることになりかねませんでした。そもそもあの方達はご自分達が何者であるかを民に知らしめるおつもりはないのですし」 下手をすれば、偉大なるご隠居様の「偽者」が大会を荒らしまわった挙げ句、グランツの民の誇りである「グランツの勇者」の称号を奪っていったという、甚だ不名誉なものに終わったかもしれないのだ。 「全て陛下と猊下の高きお志があればにございます」 如才のないイヴァンが締める。が、ユーリと村田は苦笑しただけだった。 ……だっておれ、カッコ良いコンラッドを見たかっただけだし。 お世辞とは分かっていても、褒められるとさすがにちょっと面映い。 「あ、司会役が出てきた。始まりそうだよ」 第一試合、フェルの闘いが始まる。 □□□□□ 「……演武みてぇな試合だな。面白くも何ともない」 ぐいとお茶を呷り、不味そうに顔を顰めてアーダルベルトが唸った。 「正統派って言ってあげなよ」 村田が苦笑して、それから小さく呟いた。「前座にはぴったりさ」と。 フェルと相手の男の闘いはある意味淡々と進んでいる。 「ご隠居様」と「カクノシン」「スケサブロウ」の印象があまりに強烈なためだろう。観客の期待と熱気はこの後の試合に大きく向けられていて、目の前の試合に対しては今ひとつ素通りしている印象がある。 ユーリがざっと見回しても、闘技場のグラウンドには目も向けず、何を話しているのか熱っぽく論じ合うグループがいたり、今の内とばかりに食事に励む者、席の取り合いをして喧嘩中らしい一団もいるようだ。必死の応援をしているのは、スールヴァン道場の人々が集まった一画だけだ。 「よし!」 ユーリの気合の入った一声に、村田が「うわ」と声を上げる。 「渋谷、何する気だい?」 「何だ、その危機感どっぷりの声は!? じゃなくて、フェルさんの応援するんだよ!」 「あ、なんだ」 何を想像していたのか、村田があからさまな安堵の息をついた。 「……お前、おれがいつも何かとっぴょーしもないコトをしでかすと思ってんだろ!」 「いやいやいや、とーんでもない。さ! 応援応援!」 ぷくっと頬を膨らませて、だが言い返しても無駄だと気づいたのか(さすがに陛下だって学習する)、気を取り直して正面、フェルが闘うグラウンドに顔を向けた。 「フェル! フェル! スールヴァン!!」 一際響くのはオクターブの高いルイザの声だ。立ち上がり、仕切りの壁から身を乗り出して必死に叫ぶ姿が、ユーリの目にはっきり映る。 ふと思った。ルイザは誰に対しても、何に対しても、全力でぶつかっている。ただちょっと、自分が道に迷っているのかどうか、疑おうとしないだけで……。 ユーリも立ち上がり、口に両手を当てた。 「フェル! フェル! スールヴァン!」 ルイザがハッと動きを止め、声の出所を探すように顔を巡らすのが見えた。こちらを向いたのを確かめて、ユーリは大きく手を振ってルイザに応えると、さらに大きく意気を吸った。 「フェルさん! 頑張って!!」 魔王陛下の応援が効いたのか、フェルは見事ベスト4に残った。 □□□□□ 「さあ、問題の試合だぞ」 アーダルベルトが苦々しげに呟いた。 「こいつが無事に済まねぇと、大会そのものがそこで終わっちまいかねねぇからな」 その言葉とほぼ同時に、グラウンド左右の扉から2人の戦士が入場してきた。 天泣銀槍のハインリヒと、風雷陣ヴィクトルの2人だ。 「雨と風と雷って似た感じだけど、2人はそれほど似てないんだな」 ちょっと意外という声でユーリが言う。 本当に、と村田達も頷いた。 雨を遣うというハインリヒは、どこか青みがかった長い銀髪をさらりと肩に流した物腰の柔らかそうな美青年だ。顔立ちもこれまで目にしたご隠居様の中で、一番若々しく整っている。人間にしたら20歳そこそこというところだろう。対してヴィクトルはというと、純血魔族としては少々ごつい顔立ちの、筋骨隆々とした豪傑だった。灰色のもじゃもじゃとした印象の髪と顔半分を覆った髭が特徴的だ。年齢はやはり人間で35歳から40歳の間くらいだろうか。 「ご隠居様っていっても、結構年齢幅があるんだなー。年を取っちゃうと、あんまり違いは分かんないけど」 何気ないユーリの呟きを耳にしたのだろう、アーダルベルトがいきなりくくっと含み笑いをもらした。 「アーダルベルト?」 「ハインリヒ爺様とヴィクトル爺様、さて小僧、どっちが年上に見える?」 「そりゃあからさまに……って、わざわざそう言うってことは……?」 まさか、という顔のユーリにアーダルベルトがニヤッと笑って頷いた。 「実はあのハインリヒ爺様こそ、7人の中で最年長なのさ。一頃は成長が止まってるんじゃないかと噂されてたそうだぜ?」 「じゃあ、初対面の時に最年長だって出てきたのは、あのハインリヒ殿だったのかい?」 村田の質問にアーダルベルトが「その通り」と頷く。 確か、さらさらの白髪を背中に流した、いかにもファンタジーの魔法使いみたいなお爺ちゃんだった、とユーリも思い出して頷いた。 「そしてあのヴィクトル爺さんが、実は最年少なんだな。7人の中で一番若い。確か、ハインリヒ爺さんとヴィクトル爺さんの間には50歳以上の年齢差があったはずだ」 「うそぉ!」 「へー、そりゃまた何とも……。こうして見てもとても信じられないね」 改めて対峙する2人をまじまじと観察して、ユーリと村田はホーッとため息をついた。 「あの2人だが」アーダルベルトの解説が続く。「戦場では相棒として共に戦っていたんだ。二人が振るう特徴的な力、風と雷と雨は相乗して発現することで威力も巨大になる。実際戦場では、2人の生み出す自然の猛威に晒された人間たちが、抵抗もできないまま倒れていったと伝えられている。ところが戦場以外では、それが逆に作用したらしくてな……」 「それって…?」 きょとんと尋ねるユーリにアーダルベルトがため息をつく。 「発現する力の質が似ているということがさ。どちらの方が強いのか、勝因は風と雷と雨の、どの力だったのか。寄ると触ると口論になったらしい。それと外見がそれぞれ実年齢と真逆だってのがどうも引っ掛かるらしくてな。戦が終わると途端に角突き合わせて、戦場での息の合い方が嘘のようだったとさ。手合わせという名のど突き合いはしょっちゅうだったらしいぜ? 互いを『若作り』『ふけ顔』と罵りながら周りをふっ飛ばしまくっていたそうだ」 「……伝説的英雄にしては、口論の次元が案外低いんだね……」 村田が小さく呟く。 「だから余計に心配なんだよ、俺は」 アーダルベルトが眉を顰めてグラウンドに視線を向けた。 そしてそんな観客席の会話も知らぬまま、これから対戦する2人はお互いを挑発し合っていた。 「久し振りだな、お前とやるのも」 「楽しみで堪らなかったぞ。あんたのそのお綺麗に澄ました顔を、また張り倒すことができるのかと思うとな」 「私がいつお前に張り倒された? 見かけは若くなっても頭はボケたままか。もっともお前の場合、あまり薬が効かなかった様子だがな」 「ぬかせ、この若作り爺ぃ。たった200年ばかり前のことまで忘れてしまったか? ボケてるのはそっちの方だな!」 ふん、と見た目は若々しい美青年が鼻を鳴らして笑った。 「事実がどうだったか、間もなくはっきりするだろう。陛下がご覧になっておられるのだ、無様な姿だけは見せるまいぞ?」 「それはこちらのセリフというヤツだな。……陛下はまだお若く、お元気な少年だ。政において平和主義であらせられるが、武闘は決してお嫌いではあるまい」 「男の子とはそういうものだからな。兵の話に拠ると、試合を大層お楽しみであらせられるとか。ならば我等のそのご期待に添わねば」 もちろんだ、とヴィクトルが頷く。 「さすがはグランツの、いいや、眞魔国の歴史に残る英雄の闘いよと思うて頂かねば、若返った甲斐がないわ。せいぜい派手に行くぞ」 「2度はないこの機会、存分にやり合おうぞ!」 「おう!」 司会進行の存在を無視して、二人は一斉に後方に飛び退った。 その瞬間を待っていたかのように、唐突につむじ風が闘技場を襲う。 巨人が大地に向けて息を吹きつけたかのような細い風は渦となり、土を巻き上げながらヴィクトルの身体に巻きついた。男の硬い灰色の髪が逆立つ。 風は、急激に雲が巻き始めた空に向かって吹き上がっていった。 どろどろどろという擬音が似合いそうな濃灰色の雲は、ずしりとした量感にふさわしく、ゆっくりゆっくり天空に固まり始める。 どんどん強くなる風と闘技場の真上を狙うように集まってくる重い雲に、人々の顔が無意識に上空に向けられた。 カッと。天に光が走る。 「始まるぜ…!」 アーダルベルトの声には緊張と、隠しようのない期待が混じっていた……。 「うっぎゃー!」 ユーリが叫ぶ。 「すっげーリアル3DCG! 超ど迫力っ!! ハリウッド顔負けーっ!!」 「何言ってんだよ、渋谷っ! 3Dならコーラとポプコーンでのんびり見てられるだろっ! 映像に実害なんてないんだからっ!」 隣に座っているのに、叫ばないと声が届かない。 「だったらだったらっ、ディ○ニーラン○の超超ど迫力アトラクションっ!!」 「そういう意味じゃなくっ! どわーっ!」 水の塊を真正面からぶっ掛けられて、さすがの大賢者も悲鳴を上げた。 風雷陣ヴィクトルと天泣銀槍のハインリヒが闘いを開始したその途端。 おどろおどろしい雲から一気に雨が降り始めた。雨はたちまち豪雨となる。 同時に風は右から左から吹きすさび、雨の軌跡もまた、畝るようにいびつに歪み始めた。 それはすでに雨粒などというものではない。水の帯か塊となって、闘技場と集まった人々の上に間断なく落ちてくる。 ひっきりなしに鳴る雷は、まるで宵の様な闇に包まれる闘技場を不気味に照らし、轟音を響かせている。 天籟(てんらい)、地籟(ちらい)、風と雨と雷が生み出す自然界のありとあらゆる音。それが円形闘技場の輪の中に凝縮され、加速をつけて回転し出した。人の叫びはそこに取り込まれ、吸収され、全く音にならない。 人々は逃げ惑い、席に頑張る人々は荷物や敷物で身体を護ろうとする。だが上下左右から吹き付けてくる風と雨には太刀打ちできずに身を縮めているだけだ。 ユーリ達は兵が事前に用意してくれた雨合羽を着込んでいたが、顔はすでにずぶ濡れ、合羽の下にも水はたっぷり染み込んでいる。 そんな中。 闘技場で向き合う2人─ハインリヒはグラウンドに落ちた雨を足元で渦巻かせ、その上に浮かぶように立ち、ヴィクトルは同じ様に風を足の下に渦巻かせ、身体を文字通り浮かせている─は、己の力に酔うように高笑いを続けていた。 ヴィクトルの身体に叩きつけられる雨の束は風に跳ね返され、ハインリヒを吹き飛ばそうとする風は滝となって降り注ぐ水の壁を崩せない。 シャーン! という可聴領域すれすれの高音が、目を焼く光と共にまたも落ちてきた。 人々の悲鳴が吸い込まれる。 光の中に、対峙して立つ2人の戦士が浮かぶ。 「まだ腕は衰えていないか!」 「そちらも何とかな!」 「だが私の雨を破ることができないのは昔のままだ!」 「そっちこそ! 見ろ! 俺はわずかも濡れていないぞ!」 「濡れた側から風で乾かしているのだろうさ! すぐに力も尽きる! その減らず口が間もなく聞けなくなるのが残念だ!」 「人のセリフを取るな! すぐにお前を、お前が作った大きな水溜りに浮かべてやる!」 「できるものならやってみるが良い!」 「やってやろうとも!」 さらに風と雨が強まった。 「見ろ! 雨、いや、水が…!」 アーダルベルトの怒鳴り声を待つまでもなく、ユーリ達は呆然とその光景を見つめていた。 ハインリヒの足元で渦巻いていた水が、どんどんその渦を大きくすると同時に、うず高く盛り上がってきたのだ。ハインリヒの身体もそれに合わせて高く高く持ち上げられていく。 そしてヴィクトルもさらに強くなった風に巻き上げられるように、身体が高く浮かんでいく。 渦巻きながら塔の様に高くなっていく水は、まるで上様ユーリが生み出した水の龍の様にうねうねとその身をくねらせながら、上へ上へとせり上がっていく。ヴィクトルも同様だ。 擂り鉢上の闘技場、その最も高い観覧席の最上部まで上がった二人は、そこで攻撃を再開した。 ハインリヒの繰り出す水は、竜の尾の様にしなりながらヴィクトルに襲い掛かる。 ヴィクトルはその攻撃を、振り上げた右腕から放射される旋風を叩きつけることで跳ね返した。そしてほとんど同時に、左腕からさらに強い攻撃─喇叭状に突進する竜巻─をハインリヒに向けて繰り出した。だがそれもまたハインリヒの滝の壁によって遮られる。 方向性を完全に失った水と風が怒涛の様に観客席を襲う。闘技場のあちこちで壁が崩れ始めた。 ハインリヒとヴィクトルの高さは、すでに観客席の最長部を超えている。 「そろそろ決着をつけるか!」 「望むところ!」 轟音が最大値にまで高まる。 「ちょっと真剣にヤバくないか!?」 ユーリが村田の耳元で思い切り怒鳴った。 「だよねっ! 顔は全然似てないのに、性格はそっくり同じというか……! もしあの2人が今全力でぶつかったとして、もしあの水と空気の柱が壊れたりしたら……!」 「会場は壊滅!? でもっておれたちは……!」 「風圧で吹き飛ばされるか潰されるか窒息するか、水で全員溺れるかもっ!」 「どっちもいーやーだーっ!!」 うねる水竜と風竜が、見上げるユーリ達の前で次第に近づき、今にも激突しようとしている。 「もっ、ダメかもっ!」 アーダルベルトが立ち上がり、二人に覆いかぶさるように身を屈めた。 それを目にしたフォングランツの青少年達や兵士達も、こぞって2人の至高の存在を庇おうと身を寄せてくる。 その時。 「やめんかっ!! 馬鹿者!!」 会場を支配する轟音をものともせず、その声は響いた。 □□□□□ 「まったく…! どうしようもないお調子者だな、お前たちは!」 頭を抱えて身を屈める者、逃げようと出口に殺到する者、そして誰より闘技場で今にも激突しようとしていた2人が、その動きをぴたりと止め、声のする方向に顔を向けた。 水の柱も風の柱もない。怒鳴り声が響くと同時に跡形もなく消えた。 ハインリヒとヴィクトルは、色んなものに抉られて荒れた地面に足をつけ、その人物を見上げている。 彼らの視線を瞬きもせずに受け止めているのは、観覧席と闘技場のグラウンドの境の壁に立つ1人の女性だった。 壁の薄さを不安に思う様子もなく、腕組をしてピクリともせず立つすらりとした長身、露な腕と足、最小限急所だけ護る真紅と黄金の、ファンタジーな香り満載の鎧。 「ヒルダ様だあ……」 風と雨が止み、急激に雲が晴れ、太陽が顔を出す。 すっと帯の様に差し込む陽の光を受けて、「双月牙のヒルダ」の全身がふわりと光を放った。 全身に残っていた水の粒が、太陽の黄金の輝きを乱反射しているのだ。陽にくまなく焼けたオリーブ色の手足も光を放ち、さらにその健康的な美しさを力強く主張している。 「……すげーキレイな筋肉だなー……」 「君って結局そっちに行き着くんだね……」 うっとり呟くユーリに、村田がやれやれとため息をついた。 「貴様ら、魔王陛下のお命を縮めまいらせるつもりか!?」 ヒルダの糾弾に、2人の見た目は全く共通性のない男がふるふると首を振った。 「何を言うか! ヒルダ!」 「考えてもおらぬわ、そのような馬鹿げたこと!」 「我らはただ、活劇がお好きだという陛下にお喜び頂くため、気合を入れて力を振るおうとしただけだ!」 「………おれのため……?」 「スペクタクルな迫力満載のアトラクションをお楽しみ頂こう、ってコトかなー?」 「……傍迷惑な…!」 ユーリがぽかんと言い、村田がさらにため息を増し、アーダルベルトがぐっと拳を握り締める。背後ではエドアルド達と兵達が情けなさそうに頷いている。 「お楽しみ頂くどころか、お命を奪うところだったわ! 調子に乗ると周りが見えなくなるバカっぷりは相変わらずだな。少々羽目を外しても戦場ならば許されるが、ここではそうは行かぬわ。見ろ! お前達が仕出かした結果を!」 2人の顔がきょろきょろと周囲を見回す。 水と風であちこちが毀れ落ちた闘技場、そこかしこに穴が開き、水の溜まったグラウンド、出口に殺到した姿で怖々見返す人々、席にしがみ付く人、連れと抱き合う人……。 「……まあ、なんだ、ちょっとやりすぎた、かもしれんな」 「だが試合はこれからが本番だったのだが……」 「そうだ、どちらかが勝利を得ねば試合は……」 「大馬鹿者!」 ヒルダの一喝に2人はヒュっと首を竦める。 「お前達、試合は辞退して反省しろ!」 そんな! 上がる声を無視して、ヒルダは顔をユーリ達に向けた。 ユーリとヒルダの目が合う。 猫のような形の良い大きな瞳が、まっすぐユーリを見つめてくる。 炎のイメージに相応しい、南国的な濃い目の美女がにっこりと笑う。実に愛嬌のある、愛らしいほどの笑顔だ。 それから彼女はひらりと軽やかに身を翻させると、瞬く間にその場から姿を消した。 「カッコいー!」 「……筋肉とカッコ良さ。魔王陛下のハートを捕まえるアイテムを再認識させてもらったよ……」 ご隠居様の「偽者」、「天泣銀槍のハインリヒ」と「風雷陣ヴィクトル」、暴れすぎて決着をつけないまま大会を辞退。 準々決勝は会場の修繕のため、少し早めの昼休憩となった。 次の試合は「スールヴァン道場のスケサブロウ」と「偽者」の1人、ヒルダとの対戦だ。 □□□□□ 「ご無事で何よりでした」 控え室で主の髪を拭きながら、コンラートが言った。 「じゃあコンラッド達がヒルダ様に頼んだのか?」 「この試合から俺達は出場者席に控えていなくてはならず、お側にいられませんでしたので。万一の場合にはとヒルダ様にお願いいたしました。何せあのお2人は非常に、その……派手な戦闘で名を馳せておいででしたので……」 「確かにド派手だったね」 こちらはヨザックに手伝ってもらいながら村田が着替えをしている。 部屋の隅ではエドアルド達がお茶の準備をしていた。テーブルの上には今しがた彼らが屋台から買い集めてきた軽食が山になっている。 ここで一服したら、また会場に戻るつもりだ。 「囲いのない戦場で敵を相手にしてなら何の問題もないけれど、見世物としてはね。アトラクションにするならもうちょっと節度が必要だな」 ところで、と村田が顔をコンラートに向ける。 「あの2人が辞退したことで、参加人数が半端になるよね。どうするのかな? 組み合わせ表では、2人の内の勝者がフェルさんと対決するんだったよね?」 「この後の2試合で勝ち抜いた者のどちらかが、フェルの相手をします。おそらくくじ引きか何かで決めるのでしょうね。1試合多く戦うことになりますが、問題はなかろうということで」 「それで……良いわけ?」 ユーリが首を捻るが、実際それしかないのだろう。 「その辺りのアバウトさは良いんじゃない? どうせ誰を相手にしたってフェルが勝ち抜く可能性は皆無なんだし」 「むらた〜」 「ホントのことだろ? こういう勝負事で気を遣ったって仕方がないよ。さ、それはそれとして、次はヨザック、君だね!」 「はい、猊下。どこまで通用するか分りませんが、全力を尽くします」 「殊勝だね、君にしては」 「本当のことを言いますと」ヨザックが苦笑し、肩を竦めて言った。「魔力を使ったり、剣以外の小手先の技なんぞを使ってもらった方がやりやすいってトコもあるんですよね。何つーか、その方が隙が生まれ易いって言いますか、つけ込み易いって言いますかー」 「実力がなければ言えない言葉だね。感心感心」 珍しく褒められ(?)て、「恐れ入りますー」とヨザックが頭を下げる。 そんなヨザックを、1流の剣士として彼を敬うエドアルド達が真剣な眼差しで見つめている。 「でもヒルダ様は違いますからね。強い魔力はお持ちですが、それを戦場で使おうとはなさいません。剣と体術だけの勝負、つまり俺と同じで実力勝負です。……まさか伝説の天才剣士と、本当に闘うことになるとはねー」 天を仰ぐヨザックに、村田はニコッと笑いかけた。 「期待してるよ、ヨザック。僕達を楽しませてくれ。いいね? 大賢者の言葉をゆめゆめ蔑ろにしないように」 「大賢者猊下のお言葉を蔑ろにしたことなど、ただの一度もございませんです」 ふざけた仕草で腕を大きく広げて見せたが、目が何となく泳いでいる。 「グリエちゃん、頑張ってね」 大賢者流の励ましのお言葉をフォローするように、ユーリが朗らかに笑いかける。それからユーリは顔をすぐ側に控える名付け親に向けた。 「それからもちろん……コンラッドもね。怪我しないで。そして…」 勝って。期待を込めてそっと囁く。 「はい、陛下。必ず」 間もなく午後の試合が始まる。 □□□□□ 午後の第一試合。応急処置のされた闘技場のグラウンドでは、ヨザックとヒルダが向かい合っていた。 「民とは逞しいものだ。そう思わんか?」 「仰せの通り」 ヒルダの言葉にヨザックが応えて、2人は観客席を見渡した。 午前の惨事(?)はすでに忘れ去られたらしい。観客席は興奮した民が毀れんばかりにひしめいて、喚声を上げている。 「国や貴族が何を考えどうしようと、それからどうなろうと、貧しき民ってやつぁ結構逞しく生き延びてくもんです」 「説得力があるな。実体験か?」 「ま、そんなところで」 なるほど、とヒルダが笑った。 いやー、ホントに愛嬌のある笑顔だわ、こりゃ。強くて愛嬌たっぷりの美人にこんな目で見つめられたら、なーんか浮気したくなっちまうねー……って、いや別に俺に誰か決まった相手がいるってワケじゃないんだけども。 自分で自分に言い訳して、ヨザックは内心頭を掻いた。 「用意はよろしいか?」 しょっちゅう存在を忘れられる司会進行が、威厳あり気に尋ねてきた。互いから目を逸らさないまま頷き、2人は剣を抜いた。 「スールヴァン道場所属、スケサブロウ選手、そして……ヒルダ選手! ……試合、始め!」 惜しげもなく両手両足、それから引き締まった腹と丸く窪んだ臍をさらけ出すヒルダと、簡易の革鎧で急所を押さえたヨザックが、ほとんど同時に互いに向かって突進を開始した。 「相手の出方を見ようとは思わなかったか?」 「そんなコト。……ずーっと熱いまなざしを送ってたら、ちょっとは隙を見せてくれるんですかー?」 「まさか」 「でしょ? 出方なんて観察するだけ時間の無駄です。でしょ?」 「確かにな。敵の真の実力など、実際に剣を交わしてみなくては分らん」 「同感です」 そんな会話を交わしている間も、ヒルダとヨザックの剣は凄まじい速さで交差を繰り返していた。 ギン! ギン! という鋼のぶつかる音が、余韻も含めてほとんど1つの音の様に延々と人々の耳に響いた。 「すげー速い。全然見えねーよ……!」 「さすがだねー」 ゴクッと誰かが唾を飲み込んだ音がした。ふと見れば、エドアルド達や若い兵士達が皆、身を乗り出しようにして2人の対決に見入っている。大きく目を瞠り、瞬きもしない。 畜生……と呟いたアーダルベルトが、どこか悔しそうに顔を顰めた。 ヨザックとヒルダが、互いからわずかも目を離さないまま、真っ直ぐ並行して走り始めた。 そしてある地点で、まるで合図が聞こえたかの様に急激に、2人同時に方向を変えた。 最も得手とする位置に剣を構え、磁石に引き寄せられる様に互いに向かう。 ヨザックが剣を繰り出し、ヒルダが運動能力の高さを披露し素早く避ける。そしてそのまま下からヨザックの剣を跳ね上げるが、ヨザックはバランスを崩すことなく剣を己の身に引き寄せる。 離れていくヨザックの剣を追うように、ヒルダの引き締まった長い足が回転し、ヨザックのわき腹を狙って襲い掛かった。ヨザックは剣を引いた勢いのまま、身体を回転させ足を避ける。 「こーんなキレイな足なら、1回くらい蹴られてみるのも良いかも〜」 ふざけたセリフを口にしながら足を避けると、今度はヒルダの空いた首元に向けて剣を振った。 ヒルダが足を上げた不安定なフォームのまま、スイッと仰け反って剣を鼻の上すれすれで避けた。 舞のポーズの様に、形がピタリとキマる。 「おー! すげー!」 「良いなあ、足が長くてさ」 ポーズをキメたのも一瞬のこと、すぐに態勢を立て直したヒルダの剣が逆にヨザックの首を跳ね飛ばしに掛かる。ヨザックがひょっと腰を落として剣を避ける。 横に流れたヒルダの剣が即座に振り下ろされるが、頭の上に掲げたヨザックの剣がそれを防ぐ。 ほおーっと、一斉にため息が観客席から漏れた。 「スケサブロウ」を応援していた人々も、やはり武威の地に生まれ育った者が大半だからだろう、剣と体術で対等に戦う2人に、「本物」も「偽者」もなく、次第に引き込まれていくようだった。 ヨザックとヒルダが一旦引いて対峙する。 「昔を思い出す。3、400年前までは、お前のような剣士が大勢いた」 「あら、傷ついちゃうわ〜。あたしっくらい腕が立つのは、眞魔国の歴史の中でもそうそういないと思うんですけどー」 「面白い男だな。このままここで、『スケサブロウ』とやらの名で暮らす気はないか? 私も退屈しないで済む」 「ありません。俺が退屈しちゃうから」 「おや、そうか」 「はい。陛下のお側で冒険する楽しみが、骨の髄まで沁みこんじゃったもんで」 「それは残念」 「光栄ですー」 ガッと、剣が互いの真正面で交差する。2人が間近で互いの目を覗きあった。 「こうして見るとお前、本当に良い男だな。ウェラー卿も良い男だが、あれとはまた違う味わいがありそうだ」 「皆さんそう仰います」 ヨザックがニヤッと笑った。 「剣と同じで、男も味わって見ないとホントの魅力は分りませんよー」 剣を合わせたまま、ヒルダもニヤリと笑った。 「確かにお前の言う通りだ。ではそうしよう」 え? 一瞬ぽかんとしたヨザックから目を離さないまま、ヒルダはスッと剣を離すと、そのまま足元にグサリと刺した。 「な…!?」 予想外の動きに、ヨザックが目を瞠る。だが次の瞬間、素早く首の後ろに回ったヒルダの腕がヨザックの頭を引き寄せた……。 「…え!? ……ええっ!? えええーっ!!!」 目に見えるものが信じられないと、ユーリが叫ぶ。 「婆ぁっ!!」 アーダルベルトの声もひっくり返る。 「うっうっうっ……うわぁあああっ!!」 フォングランツの未来を担う青少年達、民を護る若き兵士達もまた、一斉にこの世の終わりのような悲鳴を上げて飛び上がった。 会場の人々もまた、息を呑んでその光景を見つめている。 闘技場のグラウンド、その真ん中で。 ヒルダとグリエ・ヨザックが、抱き合って唇を重ねている……。 「…ぐ、グリエ、ちゃん……?」 ユーリの顔も声も極限まで引き攣っている。頭の中はほとんど真っ白だ。 「すまんな」 ちゅ、と音を立ててヒルダの唇がわずかに離れた。香りの良い息がヨザックの唇に吹きかかる。 「お前ととことんやって見たい気もするが、私が本気で闘いたい相手はお前ではない。あの男なのだよ」 「……ウチの隊長、ウェラー卿コンラート、ですか?」 この俺様としたことが、ヤられちまったよ。 心の内で呻きながら、ヨザックが尋ねる。ヒルダが頷いた。 「そうだ。最初から決めていたのでな。その前にこれほど良い男と当るとは思わなかった。ちょっとした誤算だが、私はこれと決めた目標を変えることはしない。お前に今の私の力を全て注ぎきることはできない」 「ウェラー卿がヘルベルト様に勝つと?」 「さあな。それはこの大会におけるあやつらの問題。まあ、どちらが勝とうと、私達の願いを叶えるに相応しい対戦にはしてくれるだろうさ。だから、あやつらの試合の結果はどうでもいい。ただ私が今、全力で闘ってみたいと思うのはあの男だけ。そういうことだ」 「なるほど。……1つ伺ってもよろしいですか?」 「何だい?」 「今のお話だと、俺と全力でやってしまうと、ウェラー卿とはやれなくなる、と仰っているように聞こえるのですがー……つまりそういうことですか?」 「頭の良い男だね」 ヒルダがニコッと笑った。 「力を使い果たせば終わりがくる。つまりそういうことだ」 「大変良く分かりました。ならば仕方がない、俺が身を引きましょう。ですから……それは引っ込めていただけます?」 ちらっと横目で見れば、短剣の鋭い切っ先がヨザックの頚動脈を確実に狙っている。 「本当に良い男だね。気に入った。陛下が羨ましい。良い男を2人も独占しておられるとは」 「恐れ多いお言葉で……。お願いですから、それ、ウェラー卿には言わないで下さいね。俺、殺されますから」 半ば本気で言えば、ヒルダがくくっと含み笑いをした。そしてそのまままたも顔を寄せてくる。 「………グリエのヤツ……」 深く唇を合わせる二人に、どこか疲れ果てたような声でアーダルベルトが言った。 「一体何を相手にしてるか、本当に分ってやがるのか……?」 「……うわぁぁ……リアルだー……18禁だー…アダルトだー……どうしよー、おれ見ちゃったー……わーん、グリエちゃん、ごめんなさーい!」 「しっかりしてよ、渋谷。あんなのテレビであったり前にやってるじゃないか。別にヨザックだからどうってことも……っていうか、君達も!」 村田が呆れた顔で振り返れば、そこには真っ白に燃え尽きた集団が声にならない悲鳴を上げて固まっている。 村田はふうとため息をついた。 「確かに、楽しませてはくれたよね。でも……」 全身全霊でお仕置きしたい気分なのはどうしてかな? ヨザックが聞いたらそれこそ全力で逃げ出すこと間違いなしの呟きが、その形の良い薄い唇から漏れた。 ヨザックが剣を落とし、「まいった」と両手を上げる。 しょ、勝者……。司会進行が恐怖に震えるような声を上げた。 「ひ、ヒルダ、選手!」 おお、というため息と、落胆の呻きと、ブーイングと、それからそれらが聞こえなくなる程の拍手が湧き起こる。 「……なあ、これってズルじゃないか? 卑怯じゃないか!? だって武闘の勝負じゃないだろ!?」 「油断してあんな手に引っ掛かったヨザックの負け。戦争を生き抜いてきた武人の勝負にズルも卑怯もあるもんか。それに……どうやら話をしてたみたいだから、どういうことか本人に聞いてみよう」 う、うん……と納得しがたい顔でユーリが頷いた。 ……もしこれがコンラッドだったら、おれ……。 想像すると胸が痛いほど熱くなったので、それ以上考えるのを止めた。想像だけで上様化したらみっともないし、何しでかすか分らないし。 「……ったく」 アーダルベルトが大きな手で顔を覆う。そして指の間から貴賓の集まる塔を見上げた。 「……今頃、親父殿は卒倒してるかも知れねぇな」 「スールヴァン道場のスケサブロウ」選手、ベスト4ならず。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
|