グランツの勇者・15


「グっリエちゃーん! やったねーっ!」

 両手を思いっきり振り、満面の笑顔でヨザックを迎えるのは、もちろんユーリ陛下だ。

「どもー。坊っちゃん、楽しんで頂けました〜? 俺の華麗な闘い〜」
「おー! すごかったよ、グリエちゃ、じゃない、スケさん! でもおれはスケさんが絶対勝つって信じてたけどな!」
「ホントに〜? 坊っちゃん」
「ほんとほんと!」
「グリエ、とととっ、スケサブロウ、嬉しい〜!」

 ぴょんぴょん飛び跳ねながら、ばしばしと遠慮なく筋肉を叩きまくるユーリと、叩かれて嬉しそうに身体をくねらせるヨザックの珍妙なじゃれ合いを、選手控え広場にいる人々が遠巻きに眺めている。
 仕方のないことだろうが、シュルツローブの「カクノシン」とスールヴァンの「スケサブロウ」がルッテンベルク師団の生き残りだという話は、すでに広場に集まる武人たちの間に広まっていた。

「…おい! あいつだろう!? さっき鳥の女とやったヤツは」
「ああ、そうだ。間違いない。聞いたか? あいつがルッテンベルク師団の生き残りだって噂」
「おお、聞いたとも。あの試合、すごかったなあ。ゾクゾクしたさ。さすがだぜ!」
「あたしもさあ、あんたら男共に負けないだけの修行はしてきたつもりだったけど……。あいつは強いねぇ。惚れ惚れしちまうよ。でも本当なのかい? あの男ともう1人、シュルツローブの金髪野郎が元ルッテンベルク師団の一員だって話は。もし本当なら、あたしもどっちかの道場に入ろうかと思うんだけどさあ」
「ルッテンベルク師団の名は眞魔国の誇りだもんな! 一緒に修行ができりゃあ身の光栄ってやつさ。だがよお……あんなガキとふざけてる様子を見てるとどうもなあ……」
「けど強いのは確かだぜ?」
「そりゃそうなんだが……」
「おい、てめぇら! 何をつまらねぇご託を並べてやがる。あんな野郎が英雄に見えるってのか、ああ!?」

 ヨザック達を眺めながらイロイロと言い合っている一団に、いかにも俺は豪傑ですと、全身で自己申告している男がのしのしと近づいてきて言った。
 巨人と言ってもよい坊主頭の大男で、黒々と盛り上がった筋肉もヨザックを遥かに凌駕している。顔も体も傷だらけで、どうやらそれが自慢らしく、勲章の様に見せびらかしているのが特徴的だ。ユーリや村田が彼を見れば、反り返った幅広の大刀でも持たせたいと言ったかもしれない。そうすれば、古代中国の盗賊やアラビアンナイトの海賊に見えること間違いなしだ。

「俺ぁよ、もうすぐあの野郎とやることになってんだ」

 おお、と周囲の一団が湧いた。

「見てな。あんなヤツ、俺が捻り潰してやるぜ。魔王陛下にお取立て頂くのはこの俺様よ」

 男が自慢気に鼻を鳴らす。
 この男は宣言どおり、間もなくヨザックと当る。そして自分に何が起きたのかを気づく前に地面に沈むことになるのだが、それはまた後の話。


「ねえ、スケさん、聞きたいことがあるんだけど」
「何ですか〜? 坊っちゃ…あー、ミツエモンちゃ〜ん?」

 シュルツローブの天幕にやってきた一同は、道場の人々から拍手喝采で迎えられた。
 スールヴァン道場の正式な門人でないとはいえ、試合を終えたヨザックは一旦スールヴァンの天幕に、せめて顔くらいは見せておくべきだったかもしれない。だがヨザックにとって、何よりせねばならない大切な事はグリエ・ヨザックとしての役目、ユーリと村田の護衛である。今彼らと共にシュルツローブの天幕にいることは、ヨザックにとってごく自然な成り行きでもあった。

 今、天幕前には昼食に使った大きな卓に昼食時と同じメンバーが座り、その周りを多くの門人、武人達が取り巻いている。
 2人の身内ということで、今回はユーリと村田も卓に招かれていた。というか、少々心臓に悪い昼食に懲りた若君たちが、無理矢理な理由をつけて二人を卓に座らせたのである。

「ご隠居様、えっと『マリーア選手』との試合、あの戦法なんだけど」

「あー、はいはい」
「あんな風に闘うって、いつ考えたの?」

 少年の質問を耳にしたギャラリーが、揃って身を大きく乗り出した。誰もが聞きたい質問だ。

「あれはー……」

 考え込む風を装いながら、ヨザックが顔をコンラートに向けた。

「いつだっけな? グランツの英雄達とどう戦うか、お前と話し合ったのは」
「ああ、あれは……お前がこの国にやってきて、ようやく暮らしが落ち着いた頃だったから……まだ20歳にはなっていなかったかな」

 はあっ!?
 全員の目が点になる。

「ほら、あの頃の俺達って、混血だから成長は早かったんだけど、まだまだお子様でしょ? だから寝物語に昔の英雄譚とかよく聞かされてたんですよねー」
「その中にグランツの7人の英雄達の活躍があったのです。その戦いぶりにわくわくしたのを覚えていますよ。自分だったらどう闘うか、色々想像したりして。ヨ…スケさんとも、よく語り合ったものです」
「じゃ、じゃあ、今日のあの闘い方もその時に…?」
「あの時、俺達の意見が一致したのは、マリーア様はたぶん身体を張って敵と直接対決するのは苦手なんじゃないかってことですねー。だから鳥と闘うんじゃなく、マリーア様の間合いに飛び込んで本人と闘うのが有効なんじゃないかって。いやー、ばっちりだったわあ」

 開けっぴろげな笑みを振りまくヨザックと、グランツの若君やシュルツローブの道場主を前に礼儀正しい言葉遣いで(実際の対象は彼らではないが)、ゆったりとした余裕の笑顔のコンラートに、彼らを囲む人々から一斉にため息が溢れた。

「……さすがルッテンベルクの英雄だ……!」

 20歳やそこらの子供とルッテンベルク師団は何の関係もないはずなのだが、フィセルのしみじみとした言葉は妙な説得力を生み出し、ユーリを含む全員が深々と頷いていた。
 だがそこに。

「スケサブロウさん!」

 ユーリ達の耳に聞き覚えのある声が飛び込んでいた。一言だけだが、声には怒りが籠もっている。

「……あ」

 人々の輪の外、そこにルイザとヴァンセルが腕組みして立っていた。
 ルイザさん! 思わず名を呼ぶユーリに、ルイザがチラッと険のある眼差しを向ける。
 ユーリの声が合図であったかのように、ルイザがつかつかと彼らの元にやってきた。

「スケサブロウさん、あなたここで何してるの!? あなたの勝利を祝おうって、皆待ってるのに! ここにいるのはあなたの仲間じゃないでしょ!?」

 どういうつもりなんですか!
 ルイザの怒りの矛先は、次にエイザムに移ったようだ。
 目を怒らせて怒鳴りつける様子からは、目上の道場主に対する敬意は全くない。

「……いや、確かにこれはうっかりしていた」

 言いながら、エイザムが立ち上がった。

「すまんな、ルイザ。カクノシンの友人ということで、つい身内の様に招いてしまった。決してスールヴァンを無視したわけではなかったのだが……」
「どうだかな」ヴァンセルがふふんと鼻を鳴らした。「あんたらのことだ、兄貴をそっちに引き抜こうって悪だくみしてンじゃねえのか?」

 憎々しげに吐き捨てるヴァンセルに、場の雰囲気が一気に険悪になった。卓の周りに集まった武人達が不穏にざわめき始める。

「おい! それがグランツ一の道場の主に対する態度か!? てめぇ、どういう了見だ? まさか俺達に喧嘩を売ろうってのか!?」
「グランツ一の道場だあ!? 勝手に決めンじゃねぇや! そもそも先に仕掛けやがったのはてめぇらだろうが」
「…んだとぉ!? 何わけの分らねぇことをほざいてやがる!」

 ずずいっと前に出たフィセル、そして後に続くバッサやイシルら血の気の多いメンバーと、ヴァンセル、ルイザが睨みあう。

「……ど、どうしよ…」

 いつもの調子でヨザックを伴い、何も考えずにこの場に戻ってきたユーリがおろおろとコンラートを見上げた。隣ではヨザックが「まいったねぇ」と頭を掻いている。
 困り果てた顔の主の手に、コンラートが手を重ねて囁いた。

「俺達も少々迂闊でした。ですが、もう俺達が口を出す状況ではありません。エイザム殿もいますし、フォングランツの兄弟達もいます。この場は彼らに任せましょう」
「で、でも……」

 自分がコンラートとヨザックの、いや、カクノシンとスケサブロウの主だとルイザは知っているのだから、ここは自分が迂闊な行動を謝って、場を取り成した方が良いんじゃ……。
 ユーリが思い、エイザムが眉を顰め、スールヴァンを後援する家の長男であるトマスが立ちあがろうとしたその時だった。

「やめんか! 馬鹿者!!」

 頭をハンマーで殴りつけるような、質量すら感じるような、重い怒鳴り声に、場が一気に静まる。

「………おじいちゃん……」

 ルイザが小さく呟いた。
 いつの間にかガスール老人と、孫にしてスールヴァン道場の新たな道場主であるフェルがそこに立っていた。
 ガスール殿だ。疾風ガスールだぞ。ざわざわと声がする。
 ガスール老人の小柄な身体が、だが重い足取りでやってきた。半歩後からフェルが続く。

「お前達はまったく…! 若君方が皆様お揃いの場で、何たる所業じゃ!」
「………あ…!」

 もしかしたら人波に隠れて、6兄弟がいることに気づかずにいたのかもしれない。
 ルイザは見るのも痛々しいほど顔を真っ赤にさせ、ヴァンセルも居場所をいきなりなくしたかのようにきょろきょろと目を泳がせている。

「そもそも、ハンス様の若君方がおいであそばす席にスケサブロウ殿が同席して、何がおかしいと言うのじゃ。それともお前達は、ハンス様のお家の武術師範は我らであるのだから、若君方がこちらの天幕を訪れるのも許さんと言うつもりか!」
「そ、それは……」
「貴い方々の御前で、これ以上わしに恥を掻かすでない!」

 一喝されて、ルイザとヴァンセルが真っ赤になったまま顔を伏せてしまった。

「スケサブロウ殿」

 ふと声を落とし、ガスール老人がヨザックに顔を向けた。

「道場の者達が皆、お主の勝利を喜んでおっての。よろしければ、我等の天幕にも顔を見せてもらえんだろうか」
「あー…ええ、もちろん」

 すぐに戻ります。そっと囁くように言い置くと、ヨザックは立ち上がった。
 「スケサブロウ」が傍らに近づいてくるのを確かめると、ガスール老人はふいっと踵を返して歩き始めた。もはや後方、シュルツローブの人々の様子を窺うこともない。

「大先生!」

 突如、エイザムの声が響き渡った。門人達の顔がハッと師匠に集中する。
 考えもなく、咄嗟に声を掛けてしまったのか、エイザムが一瞬うろたえたように視線を揺らした。
 わずかに足を止めたガスール老人が、ちらっとエイザムを見る。が、何も言わずに顔を戻し、そのまま歩み去った。ヨザックが後に続き、ルイザとヴァンセルが慌てた様子でその後を追う。
 その場に残ったのはフェルだけだ。

「妹と門人がご無礼いたしました。どうかお許しください」

 祖父の背を見送ったフェルがシュルツローブの人々に向けて、丁重に頭を下げた。だがその丁寧さの大部分が、実際は誰に向けてのものなのかはほとんどの者が分かっていない。
 もちろんエイザムは、それが全面的に自分に向けての謝罪だと疑いもせず、ゆっくりと頷いた。

「いや、私が粗忽だったのだ。気にしないでくれ。ルイザが腹を立てるのももっともだ。済まなかったな、フェル。その……大先生にまで不快な思いをさせてしまった」

 いえ、とフェルが首を振る。

「悪いのは妹です。妹は……何も分かっていないから……」
「フェル?」

 訝しげに自分を見つめるエイザムに小さく首を振ると、フェルは改めて「それではこれにて失礼いたします」と頭を下げた。
 下げた頭が上がり、上がったところでふいにその動きが止まった。
 フェルが何かを見つけたように目を見開く。
 フェルのその目が、人々の片隅に立つクレアを映していることにユーリ達は気づいた。もちろんエイザムも気づいているのだろう。離れて見つめ合う二人を静かに見ている。
 フェルはかすかに頷いたようだ。それからすぐに誰にともなく再度頭を下げると、今度こそその場を去って行った。今度はクレアが、去っていくフェルの背中をじっと見送っている。

「………確かに、多くの者を不幸にしているか……」

 エイザムの小さな呟き。ユーリはハッと顔を上げた。娘と娘の恋人を見つめるエイザムの表情には、紛れもない苦渋の色が浮かんでいる。

 ほう、と息をついてエイザムが身体を卓に戻した。
 自分を見つめるユーリにちらりと目を遣ったが、それ以上反応を見せず椅子に座る。

「さて。次はカクノシン、君の番だな」


□□□□□


「兄貴!」

 広場から会場へ向かおうとするユーリ達の歩みを、聞きなれた声が留めた。

「あ、フィセルさん」

 つい先ほどまで天幕にいたフィセルが後を追ってきている。

「あの……若様、済みません! その、でも、俺、カクノシンの兄貴にちょっと……」
「あ…ああ、僕達は別に構わんが……?」

 チラッとコンラートを見上げながらイヴァンが言う。失礼、と声を掛け、コンラートがフィセルと向き直った。

「どうした?」
「あの、兄貴、これからどこの試合会場に行くのか決まってるんですか?」
「いや、予定表を見比べながら決めようと、いや、若君方がお決めになるようだが?」

 シュルツローブ道場でも数少ない勝ち残りとなったフィセルが、そうですか、と残念そうに目を伏せる。

「フィセル?」
「あの、もう少ししたら俺の試合なんです。それを兄貴に見てもらいたいなあって思って……」
「フィセルさん、今度はどういう相手?」

 横からユーリが口を挟むと、「おう、それがな」とフィセルが急に鼻息を荒くし出した。

「ほら、あの『ご隠居様』の技を盗みやがったヤツらの1人なんだ。図々しい真似しやがって、俺がいっちょ懲らしめてやるぜ!」

 思わず全員で顔を見合わせて、それからユーリは改めてフィセルの顔を見上げた。

「ご隠居様の!? あの中の誰!?」
「エーリッヒ様の偽モンさ。ったく、名前まで騙りやがるんだからな…!」
「『魔鳥 エーリッヒ』か……?」

 おう! と気合を込めて頷くフィセル。

「どんなに似たような技を使おうが、偽モンは偽モンさ! 俺が絶対に倒してやるぜ!」

 それはまず絶対に無理だ。分かってはいるものの、張り切る青年を前に誰もそれを口にすることはできない。

「となると」コンラートがフィセルに微笑みかけた。「お前が『魔鳥』を倒したら、次の俺の相手はお前になるわけだな」

 コンラートの一言に、ユーリがハッと顔を上げる。

 おう! とフィセルが顔を輝かせた。

「兄貴にはとても敵わねぇだろうが、でも、力いっぱいぶつからせてもらうぜ!」

 もうすっかりコンラートと対戦するつもりのフィセルに、コンラートの笑みが深まった。

「フィセル。少し助言させてもらっても構わないか?」
「ああ、もちろん! カクノシンの兄貴の言うことなら、喜んで聞かせてもらうぜ!」

 ならば。コンラートが口調を改めて言った。

「目で見えるもの、見えないものに惑わされるな。存在するものは必ず気を発する。冷静に、その気を捉えろ」

 つまり、とフィセルが首を傾げる。

「気配を掴めってことか?」
「ああ、そうだ。とにかく落ち着け。惑わされるな。……いいな?」

 冷静に、惑わされず、気配を掴む。ゆっくりと噛み締めるようにその言葉を呟いて、それからフィセルがスッと顔を上げた。

「分った、兄貴。ありがとよ! それじゃ、俺はこれで。…若様、足を止めさせてすいませんでした!」

 パアッと笑みを浮かべると、一礼し、踵を返そうとしたフィセルに、「待て、フィセル!」と声を掛けたのはイヴァンだ。

「はい?」
「……応援に行く。頑張れ」

 ありがとうございます! 改めて、弾むように礼をすると、フィセルは駆けて行った。
 フィセルが残していった朗らかな空気に、誰かがホウッとため息をついた。

「申し訳ありません。勝手に予定を決めて……」
「とんでもないよ。フィセルさんの応援したいし、それに……コンラッド、ご隠居様と当るんだな? えっと……魔境、魔鏡…?」
「マキョウ、ではなくて、魔鳥です。『魔鳥エーリッヒ』様ですね。……可哀想ですが、フィセルには到底歯が立たないでしょう」
「本当に偽者ならねえ」村田が苦笑して言う。「でもカクさんは、対応策を考えてあるみたいだね。それも子供の頃にかい?」
「基本はそうです」コンラートが楽しげに笑って答えた。「今でもよく覚えてますよ。ルッテンベルクの地元の家で、夜、乳母が読み聞かせてくれた英雄譚に胸を躍らせて……。ベッドの中でヨザとさんざん戦術を練ったのは楽しい思い出です。あの頃は、成長した自分にこういうことができればという、文字通りの夢想に過ぎませんでしたが、今はかなり応用できるようになったと一応考えてはいるのですが」

 ほうぅ、と、エドアルド達兄弟とイヴァン、そしてユーリの、8つのため息が重なって空気を揺らした。特にグランツの青少年の感慨は深い。
 さすが、眞魔国三大剣豪にして、歴史にその名を残すに違いない英雄達。幼い頃からあのご隠居様相手にいかに勝利するかを語り合っていたとは!
 ご隠居様本人を目の前にし、その活躍を誰よりよく聞かされていたはずの自分達は、ただあの老人達を敬うのみで、彼らを乗り越える術やその可能性などかけらも考えなかったのに。

「……ヒーローものに憧れて、自分ならって想像するのは……子供なら誰でもやることですよね」

 目をキラキラさせて思いを告げる青少年達に、コンラートが苦笑してユーリと村田に同意を求めた。
 まあねえ、と笑う村田。

「でも、コンラッドは皆の憧れだからさ!」

 それが自慢だと、ユーリの輝く瞳が告げている。
 皆の憧れであるコンラートが、誰より自分の側にいてくれる。それが心底嬉しいと。
 コンラートの頬がふわりと緩んだ。

「というところで、そろそろ行こうか。フィセルさんの応援と、『魔鳥エーリッヒ』の情報収集にね」
「つまり敵情視察だな!」

 よし! 拳を握ると、ユーリは大股で歩き始めた。足取りに決意が籠もっている。
 そんな主を、村田とコンラートが微笑まし気に見つめ、そんな主従を、エドアルド達が尊敬に満ちた眼差しで見つめ、そんな一行を、一般人を装った兵士達がうっとりと見つめ、彼らは揃って目的地に向かって進んでいった。


□□□□□


「試合って、朝から夜まで続くんだね」
「何せ参加人数が多いですからね。昼間だけじゃ何日掛けても終わらないし。夜は篝火を焚いてやるそうですよー」

 言っていた通り、すぐユーリ達に合流したヨザックが言った。
 今回いきなり目玉選手に昇格した強敵をヨザックが打ち破り、スールヴァン道場の門人達は名門の面目が立ったと大喜びだったらしい。実際、ヨザックとマリーアの対戦直後から、入門を乞う武人が引きも切らずやってくるという。
 すぐにおさらばしちゃうんですけどね。
 ちょっとだけ申しわけなさそうなヨザックからは、かすかに酒の匂いがする。若手の門人達が調子に乗って、ヨザックの身体に酒を振り掛けてしまったらしい。

「夜に試合をやる人から文句は出ないのかな? ほら、いくら篝火があったって暗いだろ? 不公平じゃん?」
「どんな条件だろうと、全力を出せなくては武人とはいえませんよ? 文句など言っても笑われるだけです」

 頭を捻るユーリにコンラッドが笑って答える。

「今日のコンラッドの試合は……」
「後3回ありますね。最後は夜になるでしょう。そしてこの相手が…」
「ご隠居様?」
「そうなりそうですね」

 そっか。表情を引き締めて、ユーリが力強く頷いた。


「おー、入ってる入ってる!」

 前の試合が終わって、闘技場のグラウンドは今整備中だ。まだしばらくは時間が掛かりそうだが、観客席はほぼ満席になっていた。
 これからの試合への期待感が高まっているのか、人々のざわめきも大きい。

「ところでさあ」

 ユーリが不思議そうに言った。
 目の前では、席を取ってくれていた兵士達が目立たない程度に恭しくユーリ達に席を譲っている。

「どうしてこの会場に来るって分ったんだ? てか、かなり前から席取ってないと、これだけの数確保できないだろ?」

 何を言ってやがる。会場で合流してきたアーダルベルトが呆れたように言った。

「全ての会場の席を確保してるに決まってるじゃねぇか。お前達がいつどこの会場のどの試合を観ようとしても対応できるように、開会式前から兵士達が交代制でしっかり席に陣取ってんだよ。今も他の会場では、お前達がいつやって来ても良いように一番良い席で俺の兵達が頑張ってるさ」

 そうだったのか!? 驚きに目を瞠るユーリが、オクターブの高い声を上げた。
 気づいてなかったのか? アーダルベルトがやれやれと肩を竦める。

「あ、だったら全部の会場回らないと、席を取ってくれてる兵隊さん達に悪いな!」
「気にするな。うまくお前達に当った兵達は、その日当らなかった仲間に酒や飯を奢ることになってるらしいしぜ? 幸運のおすそ分けってヤツだな」
「はー…そうなんだ」

 おれが来ると”当り”ってこと?
 見回すと、ユーリの視線を受けた兵士から順繰りに頬を真っ赤に染め、胸元で手を組み、目をキラキラさせて見つめ返してくる。
 この際、兵士達に、貴い陛下のお顔をじろじろ見返すのは失礼だ、という意識はあまりない。
 こんな間近で陛下のご尊顔を拝し奉ってしまって、もう嬉しくて嬉しくて! という状態だ。

「面倒掛けちゃってるけど……喜んでもらえてるみたいだから……良いかな……?」
「ええ、もちろん。陛下のお役に立っていると皆喜んで役目に励んでいますよ。それに、陛下がおいでになればラッキーで、おいでにならなかったらならなかったで、特等席で試合を見物できるんですから、これもラッキーでしょ?
「あ、そうか!」

 どちらにしてもラッキーならいっか! 納得するとユーリはいそいそと席に着いた。

 丁度その頃、グラウンドの整備も終了したらしい。
 ユーリが着席するとほぼ同時に、整備スタッフらしき人々がグラウンドから去っていく。
 やがて司会進行兼審判が姿を見せ、ゆっくりとグラウンド中央に向かって歩き始めた。

「それでは次の試合を開始いたします!」

 呼ばれてグラウンドに登場してきたのはフィセル、そして……。

「あ、あれって……」

 ドラキュラ!?

 ユーリがグラウンドに立つ人物を指差して、一声そう叫んだ途端、村田とコンラートが吹き出した。反応できるのは2人だけだから致し方ない。残された一同はぽかんとしている。
 確かに、気持ちは分かるよと村田がクスクス笑い、コンラートが「人を指差しちゃいけませんよ」と笑顔で窘める。
 だが実際、ユーリの気持ちは分かるとコンラートは胸の中で呟いた。

「シュルツローブ道場所属、カート・フィセル選手! そして……」

 司会進行の手が、フィセルと向かい合って立つ人物に向けられる。

「えー……所属不明、の、エーリッヒ選手!」

 うおおおっという人々の歓声と、ブーブーと不満を訴えるブーイングが会場に響き渡る。
 ブーイングは、グランツの誇りであるご隠居様の名を名乗る『エーリッヒ』への、民の怒りであろう。
 そしてその『エーリッヒ』はというと。

 本当にドラキュラか? と問えば、全然違うという声も上がるだろう。
 なぜなら一般的な、もしくはユーリの脳裏に浮かぶ「ドラキュラ伯爵」のイメージは、オールバックの黒髪に、黒いマントを身体に巻きつけた痩せぎすの紳士、というものだ。だが実際彼らの前に現れた『魔鳥エーリッヒ』は金髪で、マントは濃紺だ。とはいえ、金髪を綺麗に後に撫で付けて、マントで全身をきっちり包んで胸を張る立ち姿、そしてひょろりと痩せて骨ばった様子などは、何となくオーソドックスなドラキュラ伯爵、もしくはその別カラーバージョン、を思い起こさせる。

 エーリッヒはマントで身体を包んだ姿のまま動こうとしない。そんな彼を前に、フィセルがゆっくりと剣を抜いた。

「よろしいか? 『エーリッヒ』選手、準備は……」
「いつ始めてもらっても構わんよ」

 きゅうっと口角が上がる。もちろん牙は見えない。笑っているようだが、どこか作り物めいて、村田が間近でそれを見れば、「アルカイックスマイル」と表現したかもしれない。
 そこはかとなく漂う不気味さに、司会進行役は2、3歩後退し、会場の人々の歓声やざわめきも、どこか唐突に静まってしまった。

「……で、では……」

 始め! 司会進行の声が会場に響いた。


 フィセルは元々猪突猛進、いやいや眞魔国流に言うなら羊突猛進な性質だ。スールヴァンのヴァンセルと似た者同士だろう。
 だがフィセルは、根拠のない自信に従って突進することも、相手を無駄に挑発することもなかった。ただ剣を構え、相手の出方をじっと待っている。

「どうやらカクさんのアドバイスを真面目に実行しているようだね」
「ええ」村田の言葉にコンラートも頷く。「彼は実に素直な青年ですからね。ただ……」

 サングラスの奥で、コンラートがキュッと眉を顰めたその時だった。

 人々が見守る前で、いきなり、エーリッヒの姿が消えた。

「…っ、え…!?」

 うお、と、その瞬間を目にした人々が声を上げる間もなかった。
 消えたエーリッヒが、またも唐突にフィセルの背後に、まるで鳥が舞い降りるようにふわりとその姿を現したのである。

「ちいっ!」

 一声上げると、フィセルは即座に振り返り、ほとんど同時に剣を振った。が、エーリッヒの胴を捉えると見えた瞬間、その姿はまたもフィセルの、そして人々の視界から消えた。

「くそ!」

 フィセルがダッと地面を蹴る。そして闘技場グラウンドの中央に走った。端にいるよりも動きやすいと考えたのかもしれない。だが。

「上だ!」

 誰かが叫んだ。フィセルがハッと顔を上げる。
 上。
 フィセルの頭上高く、エーリッヒがマントを翼の様に大きく広げ、宙に浮いていた。
 そしてスッと上体を下に向けると、鷹や鷲が獲物を狙い定めたかのように一気に急降下してきた。

「畜生!」

 フィセルが剣を上に構える。
 だがエーリッヒの身体はフィセルの間合いに入るか入らないかのぎりぎりのところでまたも姿を消した。


「あ、あれってアレか!? えっと、ほら、サポートじゃなくてレポートぉ〜じゃなくて……」
「テレポート。瞬間移動だ」
「そう、それ!」
「とはちょっと違うようにも見えるなあ」
「…う」

 ユーリは興奮気味に、村田は冷静に、現れては消えるエーリッヒの動きを見つめている。

「あの動きが『魔鳥』の所以かい?」
「はい」村田に質問されて、コンラートとヨザックが頷いた。「突如として現れて攻撃し、反撃しようとしてもまた突如として姿を消し……翻弄される内に敵は壊滅する、と伝えられています」
「エーリッヒ、それ大いなる鳥なり。空を父に、大地を母に、風を友に、父と母の懐の内を飛ぶ鳥なり。その敵、いかにこれを屠らんとしようとも、父母の懐に護られし大いなる鳥を倒すこと能ず、ただその翼に翻弄されるのみ……とか叙事詩が謳ってたな」

 コンラートに続いて、アーダルベルトも詩篇の一文を諳んじてみせた。

「大いなる鳥ねえ……。僕はあれは瞬間移動というより高速移動じゃないかな、って気がするんだよね」
「高速移動? 村田、つまり超能力、っつーか魔力で別の場所にテレポートしてるんじゃなくて、すごい速さで移動してるってことか?」
「うん、まあ、超高速っていうのも魔力だろうけど………もしくは、奥歯に加速装置を埋め込んであるとかね」
「………何じゃ、そりゃ」
「高速で移動する時にねー、『加速装置!』て叫びながら舌の先で装置のスイッチを押すんだよ。そしたら目にも留まらぬ速さで動けるようになるわけだねー」
「……ひゃひょふひょ……無理だぞ! んな叫びながら舌で奥歯なんか押せねーぞ!」
「渋谷、それって、必殺技はまず名前を叫んでからっていう昔のアニメのお約束だから」
「だって装置だろ? 武器でもないし、技でもねーじゃん。てか、舌で押すだけの装置なのに、わざわざそのまんまの名前を叫ぶ意味なんてあるのか!?」
「だからさー……」
「……申し訳ありません、坊っちゃん方。話がズレてきたような気がするんですが……」

 そうこうしている間も、エーリッヒの動きはさらに速さを増し、フィセルを文字通り翻弄し尽している。
 懸命に冷静さを保とうとするフィセルだったが、思いも寄らない位置に現れては消え、消えてはまた全く違う場所に現れる敵に、次第に自制心をなくしていくのが傍目にも分るようになっていた。何より、空中に現れてはマントを翻し、高速で襲い掛かってはくるものの、ギリギリのところで姿を消し、剣を交わそうとすらしないエーリッヒに、フィセルの表情には次第に怒りが煮え滾り始めている。

「……とことん弄んでるって感じだねえ……。どういう理由があるのかな。フィセルが自分に及ばないことなんて最初から分かっているだろうに。ああもあからさまに翻弄する必要があるとはおもえないんだけどな」

 大人気ない。不快気に呟く村田の隣で、ユーリも「そうだそうだ」と頷いている。だが。

「あれは……おそらく俺に見せているのではないかと思います」
「コンラッド?」
「君に? どういうことだい?」
「さきほど…ああ、今もですが……」

 再び空中に姿を見せたエーリッヒ。マントを大きく広げたかと思うと、そのマントをフィセルの前で挑発する様に振ってみせる。フィセルが怒りのままに剣を振ると、それを嘲弄するようにまた姿を消してしまう。
 だがそのほんの一呼吸前、エーリッヒの目が確かに、観客席に座るコンラートに向けられたのだ。
 一瞬のことだったが、コンラートを見るエーリッヒの顔に紛れもない笑みが浮かんでいたのをコンラートは見逃さなかった。

「俺に力の一端を見せ、問い掛けているように思います。ついてこれるか? お前にこの『魔鳥』を止めることができるか? と」

 エーリッヒが何度か自分と目を合わせてきていることを告げるコンラートに、ユーリが目を瞠った。

「ここにコンラッドがいること、ご隠居様は知ってたのか!? つーか、あんな風に飛び回りながら見つけられるのか!?」

 ひゃあ〜。抜けた声だかため息だかを溢しながら、ユーリは椅子の背もたれにドスンと勢いよく背中を打ち付けた。

「つまり、君を挑発してるわけだ。なるほど」
「ご隠居様のお1人に挑発して頂けるとは光栄ですな〜、隊長?」
「そうだな」

 村田、ヨザック、そしてコンラートが、揃ってクスッと笑みを漏らした。

「思うに、ウェラー卿、あーとゴメン、カクさんはあの人達にとって現代における武人の代表、もしくは象徴なんだね」
「俺が、ですか?」
「謙遜の必要はないよ。剣聖と呼ばれ、渋谷の護衛、魔王陛下の絶対の信頼を得る側近としては妥当な選択だ」
「げい、じゃなくて、坊っちゃーん」ヨザックが自分を指差しながらふざけた声を上げる。「俺は俺は?」
「ヨザ! じゃない、スケさん!」
「だって〜」
「もちろん君もその範疇さ。君は彼らの中の一人を倒しているからね。充分倒すべきと見定められた存在だと思うよ? ……ご隠居様達がずっと見てきたのはグランツの武人達だ。大戦後、武人としての質が最も落ちた地域があるとすれば、それは間違いなくこのグランツだろうね」
「この30年のことがあるからか?」
「もちろん。グランツはもともと尚武の地。十貴族の領地の中でも、とりわけ優秀な武人達を輩出することで長年名を馳せてきた場所だ。武人の質でいえば、数百年、いや千年単位で絶頂期を突っ走ってきたともいえる。それがわずか30年で一気に、それこそスポーツ剣術にまで堕ちてしまった。これはご隠居様達にとっては許しがたい大問題だろうね」
「でも村田、それがコンラッド、ととっ、カクさんとスケさんを倒すこととどう繋がってくるんだ?」

 ユーリの素朴な疑問に、村田が「うん」と頷く。

「眞魔国でも最高峰の武人である2人を倒すことで、現代の武門の体たらくを世に訴えたいのかもしれないし、自分たちを超える武人が存在しないことを証明して自己満足に浸りたいのかもしれない。でもおそらくは……」
「おそらくは?」

 ユーリとコンラート、ヨザックの3名はもちろん、アーダルベルト他グランツの面々も固唾を呑んで村田を見つめている。

「彼らはカクさん達との戦いを、グランツの武人達にしっかり観て欲しいんだろうね。そして、自分たちが武人として今のままで良いのか、とことん考えてもらいたいんだと思う。この30年の疑いが解けたことを喜んでいるだけで良いのか、現状に甘んじていて良いのか、自分たちのこの闘い振りをよーく見て、己の今の姿を見つめなおしてみろ。お前達の、グランツの武人としての矜持はどこへいった。このままでは『武門のグランツ』はお終いだぞってね」

 だから責任重大だよ?
 村田がコンラートとヨザックに笑いかけた。

「スポーツ剣術に堕した自分たちの姿を思い知らせ、改めて『武門のグランツ』再興の機運を盛り上げる。ご隠居様達は君達との戦いをその切っ掛けにしたいんだ。だからこれは、退屈したご隠居様達のお遊びじゃない。彼らにとって、グランツの未来を賭けた試合になるんだよ。おそらく全力でくるだろうね」
「望むところです」

 コンラートの、即答だった。

「長年尊敬してきたグランツの英雄達と、陛下の御前で剣を交すことができるのです。この奇跡を遊び半分で終わらせたりしません。俺も、これまでの人生で得た全ての力を振るってぶつかるつもりです。そして……勝ちます。勝って、現代の武人が、例え魔力の欠片もなかろうとも、決して過去の英雄に比して劣るものではないことを証明いたします」

 ユーリが信頼に溢れた満面の笑顔で、村田が望む通りの答えを得た教師の様に満足げに、そしてエドアルド達が期待と決意を込めて、大きく頷いた。

「………あ…!」

 誰かが上げた短い、だが切羽詰った声に、全員が一斉に視線をグラウンドに向けた。

「フィセルさん…!」

 焦りと怒りとで闇雲に剣を振り回すフィセルの背後に、スッとエーリッヒが姿を現した、と思った次の瞬間、エーリッヒの手刀がフィセルの首筋を打った。
 一瞬、身体を引き攣らせたフィセルが、すぐにドウッと音をたてて倒れる。
 会場がしんと静まり、それからすぐ、試合が決着したとは思えない落ち着かないざわめきが人々に広まっていった。
 結局、エーリッヒはただ対戦相手の周りを消えたり現れたり、目を眩ますように飛び回っていただけなのだ。剣すら抜かなかった。
 これが闘いといえるのか? これで勝負がついたと言っていいのか?

「………あー……」

 司会進行兼審判が戸惑いながらも声を上げる。その目が、倒れたきり動かないフィセルを確かめるように見つめ、それから意を決したように手を上げた。

「勝者、エーリッヒ選手!」

 途端に起こるブーイングの嵐。
 だがエーリッヒは意に介す様子もなく、またもマントできっちり全身を覆い、胸を張って歩き始めた。そして彼がユーリ達の前を通り過ぎるその時、痩せて骨ばった、だが貴族的に整った顔がスッとユーリ達に向けられた。
 色違いドラキュラ伯爵とユーリが命名した男が目立たぬ様に小さく、だがそれなりに恭しく、ユーリと村田に向けて一礼する。そしてその視線をユーリの隣に座るコンラートに向けると、マントから手を出し、軽く翳してちらちらと指を振ってみせた。

「結局、フィセルとの一戦は、エーリッヒ殿にとってあの指の動きと同じだね」
「それは?」
「ちょっとした軽いご挨拶」

 なるほど。
 飛び込んできたシュルツローブの門人達に両脇を抱えられ、よろよろと歩くフィセルを見つめながらコンラートが頷いた。


□□□□□


 夜。
 その日、その会場における最後の試合は、開催前から異様な雰囲気の中にあった。

「……なんか……すげー……」

 思わず呟くユーリの上半身が、玄妙な揺らめきの中にある。

 闘技場、戦いの場であるグラウンドの円周と観客席を含めた会場の外縁にぎっしりと並べられた松明と、グラウンドの四隅に設置された篝火のためだ。人工の光が全くない夜の闇の中、揺れる炎がグラウンドを、そして会場に詰め掛けた人々を、朱金に染めている。
 深い漆黒と朱金のコントラストに彩られた会場は、一種異次元的な幽玄世界を作り上げていた。

「夜のハワイアンセンターみたいだ…!」

 ユーリの隣で村田の身体がガクッと沈み込んだ。

「た、確かに夜のショーは松明や篝火が燃えてたりするよね、うん……」

 夜のハワイアンセンターは、だが玄妙とは程遠いような気がするのだが……。
 ドンドコドコドコドンッ、という太鼓の音と、陽気なフラダンス、そして情熱のタヒチアンダンスとファイアーダンスの光景が村田の眼前に広がった。

「……せめて薪能とか言ってくれれば……」
「規模違いすぎだろ」

 陛下の仰せの通り。頷いて村田は姿勢を戻した。

 間もなくコンラートの試合が始まる。
 陽のある内に2人と対戦し、両者とも「始め!」の声の余韻が消えない内にさっさと倒し、こうして今日最後の試合を向かえたのだ。
 もちろん対戦相手はエーリッヒだ。

 観覧席は詰め掛けた人々でごった返し、階段や通路にまで溢れた人々が、今にもグラウンドに転がり落ちそうな状態になっている。
 実際、何か切っ掛けがあれば、一気に将棋倒しになる危険性もある。
 もちろんユーリ達のいる一帯でそんな危険があって良いわけはなく、この状態を予想したアーダルベルトによって、より多くの兵士たちが一般の観客を寄せ付けないよう、周辺をきっちりと固めていた。

 グラウンドに司会進行兼審判が入ってきた。
 おおおお……と人々の唸るような声が次第に高まってくる。

「……あ…! 出て……!」

 きた、という間もなかった。
 グラウンドの二つの出入り口から2人の武人、「カクノシン」と「エーリッヒ」が姿を現した瞬間、どうっと怒涛の叫びが、雪崩か崖崩れのように唐突に、すさまじい勢いで上がったからだ。
 手を振り上げ、足を踏み鳴らし、うおおおおっと叫ぶ人々。鼻を鳴らし、侮蔑を表す人々。
 生半可でない感情が人々の中に渦巻いていた。

「つまりご隠居様への尊敬の念が、それだけ強いってことの証明だよね」

 だから、彼らの名を騙り、技を盗み、その力で勝ち抜いている「偽者」が許せないのだ。

「ご隠居様もそれを充分分かってるから、どんなにブーイングされても平然としていられるし、受け止めてもいられる」
「……本物だって分ったら大変だな」
「バラさないよ。求めるものは賞賛じゃないんだから。彼らは偽者のまま去って行くさ」

「本日最後の試合です!」

 司会が声を張り上げた。

「シュルツローブ道場所属、カクノシン選手! 対するは、所属不詳の『エーリッヒ』…」

 ブーイングと、何かを思い切り踏み潰そうとするかのような足踏みの音が更に高くなる。足踏みの音はユーリが開会式に登場した時も起こったが、歓迎と感動を表現していたその時の音とは、どこかが全く違っている。

「……コホン……『エーリッヒ』選手!」

 うおぉぉぉおっ! もはや歓声というよりも怒声。ドンドンドン! と踏み鳴らされる足。
 「カクノシンっ! カクノシンっ!」と上がるのは、とにかくコイツを倒してくれという切なる願いか。

「……恨まれてしまいましたね」

 もはや喧騒を超えているが、コンラートの声はスッと伸びてエーリッヒの耳に届いたようだ。
 マントできっちりと身体を包んだ色違いドラキュラ伯爵が、アルカイックスマイルを浮かべたまま軽く肩を竦めた。

「怒りの大きさが愛の深さだ。我々は幸せ者だよ」
「仰せの通りです」コンラートが軽く、だが丁寧に頭を下げる。「だがあなた方は、民の怒りを買ってでもこれをやらなくてはならないとお考えになられた」
「嬉しいね。理解者がいるというのは、実に心強いことだ」
「それがご自分達の務めだと?」
「この国のため、ようやく現れた仕えるに足る魔王陛下の御ため、我々ができるおそらく最後のね」
「ご健勝であられる、それだけであなた方は国の宝です」
「ただの老いぼれだよ」

 さ、そろそろ始めようじゃないか。
 エーリッヒが言って、大きく腕とマントを広げた。
 コンラートも剣を抜く。

「あなた方のその思いを無駄にしないためにも」

 俺が勝ちます。

 コンラートの宣言に、エーリッヒがどこか幸福そうに笑った。

「君と戦える。本当に私は幸せ者だ」
「光栄です」

 試合開始の声が響いた。   


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「次回はコンラッドです」……って、ドコがだ!? ああ、そんな声が聞こえてくる〜。
でもまあ、私のことだからこんなもんだろと思う方もおいでかと。
頭の中ではとっくに完結している話なのですが、どうしてでしょうね。
とまあ、いつものセリフはここまでにして。

「サイ○ーグ009」には私の初恋の人がいっぱいいます(笑)。
自分の脳の爛れ具合を実感したのもその頃だったり。
……加速装置を使って動く時、本人はどんな風に世界を観ているのか。
色々想像してもよく分りませんでした。
それにしても昔って、必殺技や武器の名前を必ず叫んでましたよね。
今考えるとちょっと笑えます。

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