そしてついに。 その日、グランツ領で30年ぶりの武闘大会が復活。めでたく開会式の朝を迎えた。 グランツ領の首都、フェルデンでは、数日前から腕自慢の武芸者達、そして久方ぶりの大会開催を見物しようと国中から集まった武闘ファン達が集い、活気が漲っている。 そのほとんど全員が、夜明け前から開会式の開かれる大武闘会場に集結していた。中には3日前から席取り場所取りに励んで、野宿していた強者もいるようだ。その理由はもちろん、魔王陛下、大賢者猊下の初のグランツ御訪問、武闘大会御観覧が報じられたからだ。 苦節30年のグランツの民にとってはもちろん、隣接する他の領地に住まう民にとっても、魔王陛下のお姿を拝見できる機会など、一生に一度、巡ってくるかどうか分らない希少なものだ。魔王陛下ご来訪の話を聞きつけた、普段は武闘に興味のない近隣の民までもが、一族打ち揃ってフェルデンにやってきたという話も、首都の民の間で賑やかに語られている。 そしてもちろんここでも。 「失礼致します、陛下………おお…!」 その部屋、グランツ領最大の大闘技場の、メイン会場を見下ろす貴賓室に入ってきたフォングランツ卿ウィルヘルムとその一行が、感激も露に声を上げた。 彼らの視線の先には、漆黒の礼服─華奢な身体の線に沿って流れる、フォルムの美しい長衣─を纏ったユーリと、黒いローブを羽織った村田、2人の双黒が立っている。 ……本当に。よもやこのような日が迎えられるとは……! その姿を何度目にしても、その度フォングランツ卿の胸に感動の波が押し寄せ、ため息や涙となって溢れ出てくる。 グランツが反逆者とされることもなかった。アーダルベルトも帰ってきた。 何もかも元に戻った。 それどころか、アーダルベルトは前の御世とは比べ物にならないほど、当代陛下のご信任を得ている。 苦難の日々は終わったのだ。グランツには、もうわずかの憂いもない。 民にも苦労を掛けたが、これからはきっとグランツの全てが良い方向へ良い方向へと向かうだろう……! しみじみと安堵の息をつき、ウィルヘルムは至高の少年達に晴れ晴れとした笑顔を向けた。 「何と神々しきお姿……! お2人がこうしてグランツにおいであそばされること、まこと夢のようにございまする」 んな大げさな。 フォングランツ卿の言葉に笑いながら手を振って、それからユーリは改めて自分の姿を見直した。 「まさかちゃんと礼服を用意してたなんてな。さすがコンラッド、よくそこまで気が回ったよなー」 「君が考えなしなんだよ。まさか本気で最初から最期までお忍びでいられると思ってたのかい? ……まあ、ウェラー卿がよく気を回すのは確かだけどね」 裏の裏の裏まで回すから意味不明や逆効果になったり、高速回転で回し過ぎてバッタリいきかねないのが困ったものだけどね。 ぷくーっと頬を膨らませたユーリに村田が笑う。 ちなみに、お茶の用意をするコンラートの傍らをさりげなく通り過ぎながら囁いた後半は、コンラートと耳の良いお庭番だけに届いたのだろう。ヨザックがぷぷっと吹き出し、いつもは優雅にティーセットを扱うコンラートの手の中で、陶器がガチャリと不自然な音を立てた。 「にしてもさ、すっごい人だよな! まだ開会式まで時間があるのに!」 窓際から外を眺めて声を上げるユーリに、ウィルヘルムはもちろん、魔王陛下、そして大賢者猊下と共に開会式を迎える栄誉に恵まれた人々が、いそいそと窓際に集まってきた。 その日、コンラートとヨザックを除き、朝からユーリと村田の側に侍ることを許されたのは、アーダルベルトとエドアルド、そしてその5人の兄達だった。今そこに、ウィルヘルムと兄弟達、そしてレフタント卿を始めとする一族側近達が加わっている。 「これが主会場なんですよね?」 貴賓室は、大闘技場の最頂部よりさらに高い塔にある。そこから眼下一杯に広がるメイン会場は、映画で観た古代ローマ帝国のコロセウムとそっくりで、かつてユーリが訪れた大シマロンの闘技場とも同じ様な作りだが、それよりさらに広大に見えた。闘技場をぐるりと取り巻く階段状の客席も広い。 その客席が、今はもう人で溢れかえっている。すでに興奮の直中にある人々のどよめきが、窓の厚いガラスを通して聞こえてくるような気もする。 「さようでございます、陛下」 ユーリの隣に立って、ウィルヘルムが答えた。 「我がグランツが誇る大武闘会場は、この主会場である大闘技場の他、5つの小闘技場で出来ております。小闘技場と申しましても、そこらの闘技場よりは遥かに巨大でございますぞ? 全ての闘技場は整備された広い道で繋がっておりまして、観客は観たいと思う試合を自由に回ることができるのでございます」 「道といってもでかい広場みたいなもんでな」 ユーリを挟んでウィルヘルムと反対側に立つアーダルベルトが、自慢げに笑いながら付け加えた。 「屋台がぎっしり並んで、まさしく祭りの賑わいになる。どうせ後でうろつき回るんだろうが、迷子にならんようにしてくれよ? 俺達が大変だからな。それから」 言って、アーダルベルトが主会場から外れた、緑に覆われた一画を指差した。 「あそこにも広場があって、出場選手の控え所になっている。道場の連中は早くから布を張って自分達の居場所を確保してるから、今頃スールヴァンやシュルツローブの門人達も集まっているだろう。……お前達が姿を見せないから、やきもきしてるかもしれんぞ?」 くっくっくっという、憎たらしい含み笑いにユーリは頬を膨らませた。 「一体何のことでございましょう…?」と、遠慮深げに質問してくるウィルヘルムには笑って誤魔化して、意地悪な目つきで笑うアーダルベルトの太い二の腕をぶん殴る。 コンラートとヨザックの大会参加は、実はアーダルベルトとエドアルド達兄弟、そしてレフタント家のイヴァン以外に知られていない。大会に参加するのはあくまでカクノシンとスケサブロウだからだ。 ……でも確かに、明日は早くから設営をするから手伝ってねって、クレアさんに言われてたんだよなー。 とはいえ、魔王陛下の登場を楽しみにしてくれる民をほっぽって行くわけにはいかない。 ユーリは零れ落ちそうなほど観客の溢れたメイン会場を見下ろしてから、くるっと背後を振り返った。そこにはコンラートとヨザックがいる。 「コンラッドとグリエちゃんだけ先に行く? お爺ちゃん達もエイザム先生も心配してると思うし」 「陛下」 コンラートが苦笑を浮かべて言った。 「それでは護衛という俺達の本分が全うできません。これから開会式も始まりますし、あちらに向かうのは我々が本来なすべき仕事を終えてからにさせて下さい」 護衛が仕事を放棄して、お忍びのお芝居を優先させては本末転倒というものだろう。 「渋谷」村田が悪戯小僧の声で親友を呼んだ。「君、もっと別のことを心配するべきじゃないかな?」 「な、何が…!?」 ユーリは思わず胸を押さえた。村田のこんな表情と声は心臓に悪い。 「忘れちゃったのかい? その選手控えの広場には、スールヴァン道場の人達もシュルツローブ道場の人達もいるんだよ? 君はスールヴァン道場の人達にとっては、王都のチリメン問屋の息子で、フォングランツ家のエドアルド坊っちゃんのお友達。カクノシンとスケサブロウは君のお供。ね? そして、シュルツローブ道場の人達にとってはぁ……」 「……放浪の剣士カクノシンの付き添い……」 自分で呟いて、ユーリは「…うあー…」と声を上げた。思わず両頬を押さえてムンク(?)になる。 「広場で君を挟んで、スールヴァン道場の人とシュルツローブ道場の人がばったり顔を合わせたらどういうことになるかなー」 人差し指をピッと立て、村田がにこーっと一見邪気のない笑顔になった。 「二目と見られない姿に成り果てたウェラー卿は口を開かなければオッケーとして、君はねー」 ふためとみられない……って。 あんな変装させたのはあんただろーがー! と叫びたいコンラートが思わず拳を震わせるが、さすがに口にも行動にも出せない。 ヨザックが幼馴染の肩に、気の毒そうに笑いながら手を置いた。 「という訳で」 村田がぽんと手を叩く。 「スールヴァン道場に対してのフォロー…えーと、陛下をさりげなく手助けするのは」 エドアルド君。 呼ばれて、エドアルドが「はっ!」と前に進み出た。 「君と、それからお兄さん達に頼むよ? シュルツローブ道場と鉢合わせしそうになった時には上手く誘導して、陛下の立場を悪くしないように。ね?」 「畏まりました!」 「全力を尽くします!」 エドアルドがピンと姿勢を正して敬礼すれば、兄達も胸に手を当て恭しく礼をする。 「そしてもちろん、シュルツローブ道場を担当する手助けも必要だね。これについては……イヴァン」 その呼び掛けは、居合わせたグランツの人々をかなり驚かせたようだ。 エドアルド達はもちろん、親世代、誰よりレフタント家の当主でありイヴァンの父親であるレフタント卿が、驚愕に目を剥いている。 ……どうやらイヴァンは父親に本当に何も知らせていなかったらしい。 はっ、とイヴァンが、こちらは冷静な表情で前に進み出た。 「頼むね?」 そう言ってから、村田が全員を見回した。 「実は先日イヴァンと話をしてね。親とは似ても似つかない優秀さには感心させられたよ。イヴァンの勘の良さと回転の速さと腹の捻くれ具合はなかなか僕の好みだ。実際、気に入った」 イヴァンがわずかに「あれ?」という顔で首を捻ってから、思い直したように「光栄に存じます」と頭を下げた。数歩離れたところでは、フォングランツ親世代の兄弟達とハンスの息子達が、どういう顔をしていいのか分らない様子でそれぞれあっちこっちに視線を飛ばしている。 ちなみに、こういう状況にはすっかり慣れっこの魔王陛下とその護衛達とアーダルベルトは、顔を見合わせてやれやれ苦笑を浮かべた。 「おお! 我が息子を猊下がそのように高く評価してくださっておられたとは! 何たる光栄! 恐悦至極に存知奉りまする!」 村田のセリフを良く聞いていなかったのか、聞いていたが都合の良いところだけが脳のフィルターを通ったのか、レフタント卿が喜色満面で声を張り上げた。 自分がなかなか魔王陛下のお側に近づけず、やきもきしていたところへ息子の快挙だ。 スキップするような足取りで息子の傍らに寄ると、レフタント卿は父の威厳たっぷりに胸を張った。 「イヴァン! 偉大なる大賢者猊下にこのように仰せ頂いたこと、胸に刻んでお役目を果たさねばならんぞ! ……どういうお役目かよく分らんが、とにかく! 眞魔国の偉大なる魔王陛下の臣下として、レフタント家の名誉のためにも命を懸けて……」 レフタント卿。 村田の冷たい声が飛ぶ。 「まだ僕の話が終わっていない」 ちらりと視線を流されて、レフタント卿がぴょんと飛び上がった。 そして「ははーっ!」と大げさに声を上げ、頭を下げると、そのままスススッとすり足で後退していった。 アーダルベルトがニヤリと唇の端を上げてそれを眺めている。 「フォングランツ卿トマス、ウォーリス、ステファン、ヨハネス、オスカー、エドアルド、それからレフタント卿イヴァン」 何もなかったように村田が続け、呼ばれた全員が「はっ!」と姿勢を正す。 「外は凄まじい数の人々で溢れている。そしてその多くが武器を携えた武人だ。我々の陛下はその人々の中に立ち混じり、間違いなく君達の常識を超えた行動に走るだろう」 おーい。魔王陛下の不服そうな、でもちょっと自信なさげな声が響くが大賢者は気にも留めない。 「試合が始まれば、ウェラー卿とグリエは陛下のお側を離れなくてはならない。フォングランツ卿アーダルベルトが率いる護衛集団は陛下のお邪魔にならないよう、距離をとってお護りしなくてはならない。したがって、この大会期間中、魔王陛下を常にそのお側でお護りできるのは、スールヴァン道場とシュルツローブ道場の人々の中に入って何ら不自然ではない君達だけだ」 言われたことの重大さに気づいた青少年達が、その顔を一気に引き締めた。 「スールヴァン道場とシュルツローブ道場の人々が『ミツエモン』と『カクノシン』の矛盾に気づいて不審を覚えないよう、またどこへどう吹っ飛んでいくか分らない陛下の行動を邪魔することなく、充分お楽しみ頂けるよう配慮した上で、その御身を御守りする。……もう分かっているだろうが、君達の任務は実に重大だ」 ゴクッと、誰より魔王陛下が息を呑んだ。 青少年達はますます表情を厳しく引き締め、瞳には決意を漲らせている。親世代、フォングランツ卿ウィルヘルムとその兄弟達の雰囲気も緊張感が一気に増してきた。 「この任務を完璧に果たすためには、君達全員が一致協力して事に当る必要があることは言うまでもない。この任務は、君達の間で何かを競うものではない。ウェラー卿の指示を第一に、グリエの指示をその次に仰ぎ、協力し、連絡と意見交換を密にして任務を遂行してくれ。良いね? 一致協力だよ? 力を合わせて陛下を護ってくれ」 何となくやりにくそうな顔を見合すエドアルド達とイヴァンに、ようやくユーリも笑みを浮かべた。 「面倒掛けるけど、よろしくな!」 エドアルド達とイヴァンが即座に表情を引き締め、ザッと姿勢を揃えてエドアルドは敬礼を、他の全員は胸に手を当て一斉に叩頭した。 「畏まりました、陛下!」 □□□□□ うおおおお……っ!! 大闘技場が凄まじいどよめきと共に揺れた。 グランツの民が待ちに待った復興の象徴、武闘大会の開会式。 その栄えある舞台、貴顕達が立ち並ぶ露台のその中に、今、民が待ちに待った人物が姿を現したのだ。 陛下は民の前にお姿をお見せ下さるだろうか…? いやそれどころか、陛下がグランツにおいでになったという話は、実はやっぱり間違いだったのではないか。 本当は陛下はグランツをお許しになっておられないのではないか。 喜びが増せば増すほど、民の心の隅に募ってきた不安が、ついに跡形もなく消え去る瞬間がやってきたのだ。 漆黒の礼服に身を包んだ少年。 そしてその隣に、黒いローブを纏った少年。 同じ年恰好の2人の双黒が、露台の最前列に並んで立ち、民に向かって大きく手を振り始めた。 高い露台に立つその姿は、民の目には小指にも満たない大きさにしか見えないはずだ。 だが待ちに待ったその瞬間、民は絶叫とも呼ぶべき声をあげ、思いを爆発させた。 「陛下! 魔王陛下!」 「魔王陛下! 大賢者猊下!」 「魔王陛下、万歳! 眞魔国、万歳!」 すり鉢状の大闘技場は文字通り興奮の坩堝となっている。 人々の叫び、ついに発散される時を知った思い、それが闘技場を中心に、武威の街に一気に渦を巻き始める。 その勢いは空気を掻き混ぜ、うねり、竜巻となって露台に立つ人々、ユーリに向かってくる。 それが目に見える気がするとユーリは思った。 陛下! 陛下! 人々の叫びは止まない。 手を振り上げ、顔を振り、やがてダンダンと重い地響きがその動きに重なり始めた。 人々が足を踏み鳴らし、そのリズムが次第に1つに纏まろうとしているのだ。 「闘技場が揺れている……」 呆然と誰かが呟く。 このままでは収拾がつかなくなる。 そう思ったのだろう、フォングランツ卿ウィルヘルムが前に進み出ると、人々に向かって大きく腕を広げた。 「民よ! 我がグランツの民よ!!」 この闘技場には、アニシナが発明した拡声器はない。だが、先人の知恵というべきものか、元々この大闘技場は音の反響を利用した造りがなされており、フォングランツ家の当主の声は、おんおんと余韻を響かせながら壁から壁へと跳ね回り、闘技場に集まる全ての人々に届けられた。 何度も呼びかけられ、次第に民の興奮も治まってくる。 ホッと息をついて、フォングランツ卿ウィルヘルムが改めて息を吸い込んだ。 「グランツの民よ! 長い年月、皆にはまことに苦労を掛けた! 私はフォングランツの当主として、この地に生きる全ての民に詫びたいと思う!」 これまでの興奮が嘘の様に、大闘技場の人々がしんと静まった。 「心から! 心から、申し訳なく思う! そして! これまで耐えてくれた民よ! 皆に心からの礼を述べたい! これまで耐え忍び、我らを見捨てることなく良く共に生きてくれた! 私は全てのグランツの民に感謝する! これよりは、皆の苦難に報いていくことを誓おう! だが今は! 皆と共にこの日を迎えることができたことを喜びたいと思う! 何よりも、偉大なる魔王陛下をお迎えできたことを!!」 うおおおっ、と、またも絶叫と足を踏み鳴らす音が空気をどよもす。 「……親父殿……」 小さく、アーダルベルトが呟いた。ふっとコンラートの視線がアーダルベルトに向く。 陛下。 ウィルヘルムがユーリに向かって頭を下げた。 「何とぞ、民にお言葉をお願い申し上げます」 コクリと頷いて、ユーリは隣の親友を見た。 「村田、お前も……」 「僕はいいよ」 「え?」 「民が聞きたがっているのは君の、魔王陛下の声だ。僕じゃない。君こそ皆が求める人なんだよ。ほら、渋谷、早く。民が待っている」 わかった。親友の瞳を見つめ、そして集まる民の熱気を頬に受け止め、ユーリは前を向いた。 露台の縁に手を置き、胸を張ると大きく息を吸い込む。 グランツの皆さん! ユーリの声が、大闘技場の壁に反響する。 初めて耳にするのびやかな少年の声に、人々は一気に静まった。 「初めまして、こんにちは! ユーリです!」 瞬間。うおおおぉぉっ、と、人々が腕を振り上げ歓喜の声を上げた。 喜びに満ち溢れた声に、ユーリが手を振って応える。 歓呼の会場がさらに興奮と熱気に覆われた。 「皆さん!」 ユーリが再び呼びかける。 絶叫していた民は皆、慌てて口を閉ざし、腕を下ろし、その姿と声を目と耳に焼き付けようと、揃って懸命に背伸びを始めた。 「ようやくグランツにやってこれました! こうして皆さんにお会いできたことを、おれは今とても嬉しく思っています! グランツの皆さん! 長い間、王として皆さんに何もしてこなかったこと、申し訳ありませんでした! これから、フォングランツの方々と協力して、グランツの民、あなた方1人1人のご苦労に報いることができるよう、力を尽くしていきたいと思います!」 おお……! 今度は魂から溢れる感動のため息が、大会場を満たしていく。 「ですが今は! 皆さんと一緒に、グランツの伝統ある武闘大会を楽しみたいと思います! 大会に参加する選手の皆さん!」 大闘技場のいわば擂り鉢の底に当る広々としたグラウンド、闘いの舞台となる広大な広場に、国中から我こそはと集まった選手─武人達が、ずらりと整列している。 魔王陛下の呼びかけを受けて、全員がびしっと姿勢を正した。 「どうか存分に力を発揮して、修行の成果を観せて下さい! 皆さんの頑張りに期待しています! この大会がグランツの未来を象徴する素晴らしい大会となりますように! そしてグランツと、民の皆さんの未来が光り輝くものとなりますように!」 『グランツの勇者』大武闘大会、開催おめでとうございます! うわあぁぁぁ……っ!! 歓呼と拍手、足を踏み鳴らす地響きの音。 ユーリが大きく両手を振れば振るほど、その音は大きく大きく、いつまでも大気を振るわせ続けた。 ありがとうございます、陛下……! ウィルヘルムが震える声で言った。 振り返ったユーリの視界に、ずらりと並ぶフォングランツの一族、関係者一同の興奮に輝く瞳が飛び込んでくる。その中には、いまだ頬はこけているものの、病魔から解放されたアンヌ・ゾフィーもいた。夫の隣に立ち、大きな瞳を潤ませながら、唇は幸福感に溢れた笑みを浮かべている。 露台に居並ぶ人々から寄せられる思いが何とも面映く、ユーリは「何とか練習どおりに言えたかな?」と照れ隠し気味に頭を掻いた。 「素直で分りやすくて、良かったよ、渋谷」 村田が小さく拍手しながら言う。すぐ傍らでは、コンラートとヨザックも嬉しそうに顔をほころばせている。 フォングランツ卿ウィルヘルムが、ユーリに向かって深々と頭を下げてから、ゆっくりと露台の前に進み出た。 そして民に向かって大きく腕を広げて宣言した。 「ただ今より! グランツ大武闘大会を開催する!!」 □□□□□ 「早く! 早く! 着替えて広場に行かなくちゃ!」 露台から下がったユーリは、ばたばたと控えの間に飛び込んだ。そこに4人分の着替えや変装道具一式(といっても鬘とカラコンと眼鏡だが)が置いてあるのだ。 「コンラッド! 参加選手、すごい数だったな!」 礼服をじたじたと不器用に脱ぎながら、ユーリが後を振り返って言った。 主の着替えを手伝いながら、コンラートが笑って頷く。 「はい。記念すべき『グランツの勇者』復活第1号の誕生ですしね。それこそ国中から腕に覚えのある者が集まったんでしょう。何より魔王陛下がお見えになっての御前試合ですし、噂もまことしやかに飛び交ってますし」 「うわさ?」 「あれですよ。成績優秀な者は魔王陛下にお取立て頂けるという。本気にしている者もかなりいるようですよ?」 「あちゃー……」 くしゃっと顔を崩してから、ユーリは再び下からコンラートの顔を覗き見た。 「エイザム先生達、きっと心配してるよな? ホントだったらコンラッドもグリエちゃんもあそこに並んでなきゃならなかったんだし」 「今あなたの側にいること以外、しなきゃならないことなどありませんよ」 「そりゃまー……。でも大丈夫かな。広場に行ったら、スールヴァン道場とシュルツローブ道場の両方の人達に同時にバッタリ出会ったりして……」 「陛下のことですから、見事にそのタイミングを捕らえそうな気もしますね」 「何だよ、それー。……エド君達がうまくやってくれたら助かるんだけど……」 「大丈夫ですよー、坊っちゃん。エドアルドはさほどじゃないですけど、あの兄貴達とレフタントの跡取り息子はお互いにかなり敵愾心を抱いてますからね。相手の目を意識して、負けるもんかって頑張ると思いますよー」 かつらを手に、ヨザックが笑いを含んだ声で言ってきた。 「えー!? だって村田が一致協力って……」 「そう言ってもね、渋谷、長年培ってきたものはなかなか崩せないものだよ」 苦笑を浮かべて、村田が会話に参加してきた。 いつの間にか1人でさっさと着替えと変装を終えた村田はソファに座り、こちらも着替えだけで済んだヨザックに「お茶ちょうだい」と声を掛けている。 「村田、でも……」 「ライバル意識を持つのは悪いことじゃないさ。それが上手く作用すれば、発揮する力は倍にも3倍にもなる。僕の言葉は正しい方向へ導く標のようなものだからね。協力し合って陛下をお助けする、それを頭か胸の中にきちんと納めていれば、そして彼らが本当に有能なら、彼らはちゃんとなすべきことしてのけるよ。ライバル意識は力を生み出す梃子になる。そして僕は彼らを有能だと思っているからね。だからヨザックの言う通り、彼らに任せられるところは任せておけば良いよ」 「そういうモンかなー」 「そういうもんさ」 はい、どうぞーと村田にお茶を差し出したヨザックが、ふと気付いたようにユーリに顔を向けた。 「そういやスールヴァン道場の方ですけど、もう爺さんだけじゃなく、フェルとトーランの2人も坊っちゃんのことは分かってるみたいですよ?」 「そうなの!? お爺ちゃんが教えちゃったかな」 「どうでしょうね。それにしちゃ、ルイザやヴァンセルは全く分ってないみたいですし」 「案外、ルッテンベルク師団の名前から推理していったのかもね」 「ありゃりゃ。じゃあ俺のせいですかね?」 使用人達の手伝いを断り、気心の知れた4人だけになったこともあって、他愛のないお喋りも弾む。 ユーリの変装を手伝った後、コンラートが一番最後にぱっつん金髪黒眼鏡の変装を終えると、彼らは揃って控えの間を出た。 外にはフォングランツ卿ハンスの6人の息子達、そしてレフタント卿イヴァンが整列して立っていた。彼らもまた、さほど身分を強調しない私服に着替えている。 「待たせてごめんね」 とんでもございません。 代表して、ハンスの6兄弟の長男、トマスが応えて頭を下げた。 「ご当主や一族の人は露台に戻ったかい?」 村田に問われて、やはりトマスが「はい」と頷いた。 「これより以降はお忍びでございますので、我等の判断にて当主や皆様には御遠慮願いました」 「それで良いよ。アーダルベルトは?」 「麾下の兵を率いて独自に警護を開始するとのことです。連絡の必要があれば腕の1本も上げて合図してくれれば良いとのお言葉でした」 「了解。渋谷、おっと間違えた。ミツエモン、何か言っておくことは?」 「特にないよ。皆に任せる。さ、行こう!」 貴賓客専用の塔を、エドアルド達6兄弟とイヴァンに囲まれるようにして下りる。 そして開かれた扉から外に飛び出した瞬間、ユーリ達を包んだのはいまだ覚めやらぬ民の熱狂的な興奮だった。 大闘技場に幾つかある大きな入場口のすぐ側、大闘技場と小闘技場を結ぶ広場と見紛う大道に行き着いてみれば、熱に浮かされたように声高にお喋りをする民の熱気が気温すら上げているように感じられる。 「ああもう、叫びすぎて喉が痛い! 胸もまだどきどきしているわ! 何だか夢を見ているような気分よ!」 「陛下のお声の何と美しかったこと! 天上の楽の音の様に魂を揺さぶられました!」 「陛下の祝福のお言葉を聞いたか!? 今日ほどグランツの民であったことを誇りに思ったことはないよ!」 「お母さん! 僕、魔王陛下のお姿を見たよ! ちゃんと黒い髪が見えたよ! ほんとに黒かったよ!」 歩を進めて行くほどに、様々な喜びと感動に満ちた会話が耳に飛び込んでくる。 「まさかその陛下がすぐ横を歩いているとは思わないよね」 場の高揚した雰囲気に村田も引き摺られているのかもしれない。そんな軽口を発すると、何かに気づいたように村田が前方を指差した。 「しぶ、じゃない、ミツエモン、ほらあれ選手達だろう? 道場の人達がいるかもしれないよ?」 見れば、確かに剣や様々な武器を携え、今にも戦いに赴くような鎧兜に身を包んだ武人、というよりまさしく戦士達が、ぞろぞろと大闘技場から退場してくるところだった。 「ほんとだ。……もしかして、いや、もしかしなくても皆いるよな? どうしようか、先に広場に行ってシュルツローブ道場の人を探すか、それとも……。な、コンラッド、どうする? ……コンラッド?」 反応がない。 あれ? とユーリが傍らを見上げると、コンラートが珍しく、目を見開いて前方を凝視していた。 「……コンラッド……?」 「あ、ほら、ミツエモン、ほら、あれ!」 村田にぐいと腕を引っ張られ、弾みでユーリの顔が正面を向いた。 「面白い人達がいるよ。ほら、あの格好。……何か、古風っていうか……ファンタジーっぽいって思わない?」 あ、ほんとだ。 村田に示された一団、参加選手と思われる姿を認めて、ユーリは思わず頷いた。 この世界と地球世界を比べてみて。 こちらの世界は、地球世界の概ね中世ヨーロッパと酷似しているといわれている。 それは軍備にも現れていて、こちらの武人が身につける鎧や兜、そしてもちろん武器は、ほとんどがハリウッドの歴史スペクタル映画で観るものとそっくりだ。地球世界の騎士が着用していた全身を包む甲冑なども、国によっては多く使用されているらしい。 唯一の例外が眞魔国の軍服だ。 ユーリや村田の目から見ても近代的というか、そのデザインは現代地球の軍服としても充分通用するような機能性に溢れている。 さすがに戦場で戦う戦闘服は違うが、それでも人間の国の「大時代的」なものとは程遠い。 だがしかし。 その一団は、ひどく異質だった。 周囲の武人達も自分達と違うものを感じるのか、皆うさんくさそうな目つきを隠さず、その一団を何となく避けて通っている。 彼らは。 女性と男性数人の混合チームらしかった。 チームというのは、彼らが固まっていることもあるが、その雰囲気がひどく似通っているからだ。 中世っぽさよりさらに古風というか、神話っぽいというか、お伽噺やファンタジーの世界っぽいというか……。 「RPGに出てくる戦士とか、女戦士とか……?」 一番目立つのは、一団の中心にいる女性武人だった。 炎のような真っ赤な髪をさらに高く逆立てて、文字通り炎を象っている。 そして鍛えた長身を、これまた真紅と黄金を組み合わせた鎧で包んでいる、のだが……。その鎧、いや、鎧と思しきものがすごかった。 人の急所をほとんどピンポイントで護る以外、派手なデザインの鎧は身体の最小限を隠しているだけなのだ。それはすなわち、超がつくほど見事な肢体のほとんどがむき出しということであり、例えて言えば……。 「飾りの派手な鋼鉄製のビキニを着てるって感じだね。……どこかの下着メーカーがそんなブラとパンティを宣伝してたような気がするな」 「……村田さーん……」 「ファンタジー系のRPGってホントにああいう傾向が強いよね。一体コレのどこが戦闘服なんだ? ってデザインばっかりでさ。戦闘服の様式美と肌の露出度をいかに並存進化させるかに、デザイナーは日夜腐心しているわけだねー」 「お前も好きだろ? そういうの」 「僕が好きなのは巫女さん。肌の露出はそれほど必要じゃないね。どっちかというと様式美の方が重要かな。ほら、あの赤い人の隣の女の人。あれって見ようによっちゃほとんどチャイナドレスだと思わないかい? 髪も濃い茶色だし、東洋系にも見えるよね」 「うん、ホントだ。……すごいスリットだなー。それに同じぱっつんスタイルなのに、どうしてあっちは綺麗なストレートヘアに見えるんだろ?」 「それはやっぱり本物だからかな。あ、あんな派手な扇まで持ってるよ。あれは闘技場より、今は懐かしいお立ち台の方が似合う感じだね。男達も確かにあれは鎧なんだろうけど……派手だねえ。武人っていうより時代劇の俳優さんって感じだな。……ところでウェラー卿。君、いつまで固まってるつもりだい? そろそろ復活して、何を見てるのか教えてくれないかな?」 あ! 思い出してユーリが見上げると、コンラートがまだどこか呆然としたまま、乱れた息を吐き出した。 「……信じられません。あれは……しかし……」 「昔、肖像画で…見た、よな? 隊長」 「グリエちゃん!?」 見れば、コンラートと全く同じ様に目を瞠るヨザックが、ゴクリと喉を鳴らしている。 「……ああ、見た……。あれは、だが……あり得ない…!」 「ああ。だがもしかしてそっくりさんとか……」 「んなわきゃあねえだろ!」 「アーダルベルト!?」 いきなり背後から掛かった声に振り返ると、アーダルベルトがやはり愕然とした顔を厳しく引き締めて前方を睨んでいた。 「あんな何から何までそっくりなのが7人もいて堪るか! おい、手伝え。ちょっととっ捕まえて、どういう魂胆か聞き出してやる」 「アーダルベルト! そんな……。一体何が起きてんだよ!? エド君、皆、アーダルベルトを止めて……エド君!?」 コンラート達だけではなかった。 エドアルド達兄弟はもちろんイヴァンまでも、揃いも揃って魂を抜かれたかのようにぽかんと顎を落としているのだ。 「ど、どうしたんだ!? 皆…!?」 「……ヒルダ様……!!」 今度は何!? 思い切り振り返った先に立っていたのは。 「ガスール…お爺ちゃん…!?」 久し振りに会った気のする老人は、だがユーリに挨拶もせず前に進み出ると、「おおぉ…!」と感歎の声を上げた。 「ヒルダ様だ…!」 老人の目からどっと涙が溢れ出た。それにも気づかない様子でガスール老人は、ヒルダ様、ヒルダ様と、うわごとの様に呟いている。 「……ヒルダって……」 「双月牙のヒルダ。だよね?」 村田の質問に、コンラートが「はい」と頷いた。 「あの方だけではありません。肖像画の通りです。あそこに立っている7名全員……紛れもなく、遥か昔にその名を馳せたグランツの伝説の英雄、偉大なる武人、そして今現在……」 「生きる化石、グランツの歴史の証人、ウチの……」 ご隠居様達だ。 「………………え?」 きょとんと。ユーリが目を瞠った。 だってあそこに集まっているのは、皆100歳から150歳、人間なら20歳から、一番年上に見えてもせいぜい30代だ。 「……それって…つまり……そっくりさんってこと? じゃなきゃ……コスプレ? あ、きっとそうだよ! ご隠居様にあやかって、同じカッコを……」 「違いまする!!」 強い口調でガスール老人がユーリを遮った。 「あれは、あの方は間違いなく、本物のヒルダ様でござりまする! 他の方も、エーリッヒ様もマリーア様も皆……本物間違いござりませぬ!」 ゴクッとユーリの喉が鳴った。 「あ、見て、彼らが僕達に気づいたよ」 村田の言う通り、固まって何か話し込んでいた7人が、ユーリ達の強い視線に気づいたのだろう、スッと顔を向けてきた。そして……。 彼らの中心にいる真紅の女性がニコッと明るい笑みを浮かべ、ユーリ達に向けて小さく手を振った。 チャイナもどきのストレートヘアの女性が、猫のような目を悪戯っぽく輝かせ、パチリとウィンクすると投げキスを飛ばしてくる。 ……明らかに、ユーリ達一行が何者か分かっている。 楽しそうに笑って手を振ると、7人はその場から悠々と歩み去っていった。 「ねえ」 呆然と見送る彼らの中で、村田が誰にともなく言った。 「そういえば、初日の夜会以来ご隠居様の姿を見てないよね? 昨日と一昨日、ご隠居様達の姿を誰か見た? アーダルベルト?」 「いや、俺も会ってないし、気にもしてなかった。元々好きに生きてる爺ぃ達だし。……そういやさっきもいなかったな。こういう派手な舞台を逃す連中じゃないから、考えてみりゃおかしな話だったんだが」 「あの…!」 フォングランツ卿トマスが割り込んできた。 「今朝ほど父がちらっと口にしておりました。伯父が、ご隠居様達が姿を見せないことを気にしてお邸に人をやりましたところ、やることがあるから顔を見せないが、気にするなと言われたとか……」 「そうか。じゃあ次の質問。この30年、カーベルニコフとの交流はどうだった?」 「カーベルニコフ…で、ございますか?」 「そう」 6兄弟とイヴァンが、ライバル意識も忘れて顔を見合わせ、記憶と意見を交し合う。 「あの…」 ほんのわずかの時間を置いて、再度トマスが口を開いた。 「この30年、グランツと他の十貴族との交流はほとんど絶えておりましたし、もともとカーベルニコフとも特段の付き合いがあったとは申せません。ただ……」 「ただ?」 「フォンカーベルニコフのご当主様は存じませんが、妹君でしたら……」 「いっ、妹君!?」 「彼女を、知ってるのかい?」 「はい。何でもグランツの山に良い毒草があるとの仰せで、これまで何度かお見えになられました。あ、たぶん薬草の間違いだと思いますが。……そう言えば、ご隠居様のどなたかと親交があるとかで、確かそちらのお邸にご逗留なされていたと記憶しておりますが……」 ユーリ達が顔を見合わせ、それから一斉に村田に顔を向けた。 「……村田……まさか……」とユーリ。 「まさか……」とコンラート。 「まさかー!」とヨザック。 「ま、さか…!」とアーダルベルト。 「ご隠居様達は」 村田が腕を組み、彼らの去った空間を見つめて言った。 「どうやら、アニシナさんの薬を頼ったようだね」 さすが命知らずの猛者だ。 村田の唇の端が楽しそうに上がっている。 簡単に言うなー。ユーリが悲鳴の様に言う。 簡単に言おうが言うまいが、事実は変わらない。 グランツのご隠居様一同。自主的に毒女のもにたあとなり、武闘大会に出場。決定。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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