流れいく花色の風・3

「おばちゃん、飴湯ってどんなの?」
「おやま、飴湯を知らない子供がいるとは驚いたもんだね」

 4頭立ての馬車がのんびりと道を行く。
 馬車は陽気がいいからと幌を外されて、見た目大きな荷馬車みたいだった。でも乗ってみたら、中は意外な気配りがしてあって、思わず目を瞠ってしまった。飴色に磨かれた木のベンチの上にはふかふかのクッションが並んでるし、その前にはちゃんと人数分の手炙りまで置いてある。
 背凭れ付きのベンチは縦に3列並んでいて、今乗っているのは、私達一家とユーリ達合わせて7人、それから男の人の二人連れに、5、60歳くらい─魔族だから違うのかもしれないけど─の夫婦連れ、それと商家の女将さん風の女の人、がいた。これだけ乗ってるのに、まだ余裕があるんだから、ホントに大きい。びっくりしてきょろきょろしてたら、長距離を行く乗り合い馬車はみんなこんなもんだと、ヨザックさんが教えてくれた。…………馬車に乗る前、改めて名前を名乗りあって、結局、ユーリのことは「ユー リ」、茶色髪のお供は「コンラッドさん」、夕焼け髪のお供は「ヨザックさん」と呼ぶことになってしまった。お坊ちゃんのユーリを呼び捨てにして、お供の方に「さん」をつけるって、その……ちょっと複雑な心境だけど。
 馬車に乗ってしばらくして、夫婦連れの奥さんの方が、「お茶にしようかね」と言い出した。そのおばさんは御者さんのすぐ近く座っていたんだけど、ひょいと後ろを向いて、客席と御者さんの間でなにやらごそごそとやり出した。しばらくしてこちらを向くと、なんと、人数分のカップだのポットだのおつまみの様なものだのが現れたのだ。後で分かったのだけど、御者さんの直ぐ後ろではお湯がいつも火に掛けられてあって、お茶道具が一式、常に準備されているんだそうだ。
「そちらのご一家、何にするね? 嬢ちゃんと坊ちゃんは、飴湯の方がいいかい? 後は普通のお茶と、ああ、香草茶もあるよ?」
「い、いえ、そんな……」
「こちらのご一家は、先ほど眞魔国に到着したばかりなんですよ。だからこちらの習慣はご存知ないんです」
 びっくーっ。ベンチの上で身体が竦みあがった。こんらっどさんってばどうしてここでそういうことをばらすのお…!?
 イヤな目で見られたらどうしよう。ヒドいこと言われたらどうしよう。何かされたら…。
「あら、あなた方人間でいらっしゃるの?」商家の女将さん風の女の人が私達を見た。「こちらには何方かお知り合いが?」
「一番上の娘さんが、結婚してこっちに住んでんだってー。んで、赤ちゃんが生まれそうなんだよね?」
 ねー、とユーリが可愛くこちらを覗き込んでくる。
「まあ、それはおめでとう!」
「じゃあ、長い旅をしておいでだ」
「どうりで、そちらの奥さんは顔色があんまりよくないねえ。寒いんじゃないかい? 手炙りを一つそちらに足してやりなよ」
 その言葉を受けてか、私達の向かいに座っていた男の人が、自分の手炙りを母さんの手炙りの横に並べてくれた。
「私は寒くありませんから、どうぞ」
「……あ、ありがとう、ございます……」
 母さんが俯いたまま、小さくお礼を言う。立派な髭の男の人は、それでもにっこりと笑った。
 ………何だか。居たたまれない。当たり前みたいに親切にしてもらって、なのに不安とか疑いとか、消せない自分が、ものすごく心の狭い、卑しい人間になってしまったみたいだ……。ちらと見ると、父さんも母さんも、どんな顔をしていいか分からないように顔を伏せている。

「さ、お茶にしようよ」
「…え…?」
「お茶代も、運賃の中に入ってるんですよ」コンラッドさんが教えてくれる。「飲み放題だから、遠慮はいらないよ?」
「それに人数の乗る馬車にゃぁ、このおばちゃんみたいな世話焼きが必ず乗ってるからな。気にしないで好きなものを頼みな」
「世話焼きたあ、何だい!」
「わりーわりー。親切で美人の奥さんだった」
 ヨザックさんが手を合わせて謝って、でも顔は笑ってる。おばさんの旦那さんらしい人も、隣でわははと笑っていた。
「いいさ。ほら、気にしないで言いなよ。どのお茶がいいかね?」
「おばちゃん、飴湯ってどんなの?」
 尋ねたのはユーリだ。

 大きなカップの底に、干した果物がいくつも沈んでいる。そしていっぱいに注がれたのは、蜜を溶かした金色のお湯。添えられたのは先が三つに割れたスプーン。
「よくかき混ぜてね。甘酸っぱくなって美味しくなるから。飲みきる頃には干し果物も柔らかくなって、蜜が絡んでこれもさらに美味しくなってますよ」
 母さんと私とニコルと、そしてユーリの手には飴湯のカップ。コンラッドさんがユーリの耳元で飲み方を教えている。父さんたちは普通のお茶を貰った。
「おいしーっっ」
 ニコルが声を上げた。ホントに美味しい。果物の酸味が溶けてるんだな。かき混ぜると甘酸っぱさが増してくる。スプーンでその一つを掬って、口に入れてみた。まだ固かったけれど、ゆっくり噛むとじんわり甘味が広がってくる。母さんも両手でカップを挟んで、美味しそうに飲んでいた。暖まったのか、頬もほんのり赤くなってる。
「母さん、美味しい?」
「美味しいわ。………美味しいわね……」
 最初は思わず、そして後のはゆっくり考えて言ったみたいだった。母さんは、ほう、と息をついて空を仰いだ。冬の終わりの空は、本当に澄み切った青空だ。
「ねえ? お伺いしても、よろしいかしら?」
 おずおずとした声。商家の女将さん風の女の人だった。
「今、どうなのかしら? 人間の皆さんは、魔族や眞魔国をどんな風に思っていらっしゃるの?」
 『人間の皆さん』。少なくとも私の周りで、魔族をこんなに丁寧に呼ぶ人はいない。
「…私どもは、魔族への、その、偏見が強い国から参りましたもので……ご不快に思われるかもしれませんが…」
 父さんが用心しいしい言う。
「ひゃ、ひょえふぁほえおひひはい」
「……坊っちゃん、ちゃんと飲み込んでから喋ってください?」
 一体どれだけの果物を口に入れたのか、頬をぷっくり膨らませたユーリがふがふが言っていた。
「ひゃっへ、ほれ、はらいんらもん」
「えーと、『それは俺も聞きたい』と、『だってこれ固いんだもん』。合ってますよね、坊ちゃん?」
「ひゃふがひょやっふ」
「『さすがヨザック』。はい、ありがとうございますー」
「……坊っちゃん」
 コンラッドさんが額に手を当てて、それからちょっと怒った目でユーリを睨んだ。ユーリが慌てて口を押さえる。くすくすと、馬車の中に明るい笑いが広まった。
「あのねー。僕、空に目があるって聞いてたの」
「…ニコルッ」
「目? ぼく、目ってなんの目だい?」
 男の人が、にこにこしながらニコルを覗き込んだ。
「うん! あのね、眞魔国には太陽がなくって、いつも真っ暗で、怖いオバケがいっぱいいて、空には魔王のでっかい目が浮かんでて、地上を見張ってるんだって。そんで、魔王の悪口いう人がいたら捕まえて食べちゃうんだって!」
 ゴホ、ゲホ、ゴホ。ついに喉に果物を詰まらせたのか、ユーリが盛大にむせた。コンラッドさんが慌ててお茶を飲ませて背中をさすり、ヨザックさんと言えば「坊っちゃーん、これで死んだらハズカシ―ですよぉ」と茶化している。同じお供でも、イロイロあるのね。
「そりゃあすごいわ!」
 ニコルの話を聞いて、お茶を煎れてくれたおばさんが、旦那さんの肩をばしばしと叩きながら笑っている。そうとうウケたみたい。おばさんの旦那さんも、質問した奥さんも、男の人二人も、それから御者さんやユーリ(は果物を飲み込みのにちょっと命がけだけど)の一行も、皆声を上げて大笑いしている。
「陛下が空から見てくださってるんなら、あたしゃあ、しっかりばっちり化粧をキメて、ドレスもうんと派手なのを着ることにするよ!」
「お前、それだけは止めとくれ。陛下のお眼が潰れてしまうよ」
 わっはっは、と馬車の中が笑いで溢れた。

 馬車はのんびりと進む。道がびっくりするほどキレイに均されているので、ほとんど揺れることもない。木漏れ陽もぽかぽかと暖かい。ふと見ると、いつの間にかユーリがコンラッドさんの膝に頭を乗せて眠っていた。ユーリの身体の上にはコンラッドさんの上着。……何だか、私も急にあくびが…。
「クィンちゃんには、俺が膝を貸してあげよっかー?」
 私の隣に座っていたヨザックさんが、私の顔を覗き込む。
「け、けっこーですっ」
「あはは、冗談冗談。………ほら、そろそろ目をぱっちり開けてな。この林を抜けたら、眞魔国でも結構有名な観光スポットが待ってるから」
「え……?」
 賑やかな港街を抜け、郊外から山の中へ。冬なのに緑を残した峠を越えて、ゆっくり下って、もうすぐ山道を終えようとする頃。
 ヨザックさんのその言葉が聞こえたかのように、居眠りをしていたお客達が顔を上げ始めた。
「……お客さん方ぁ、もう間もなくカチャの花畑だよぉ」
 御者さんが前を向いたまま声を上げた。
 コンラッドさんに肩を揺すられて、ユーリも寝ぼけ眼で身体を起こした。
 道はもう完全に平らになっていた。木が段々まばらになっていく。眼を凝らしたその向こうが広々と輝いているのが分かる。
 馬車が林を抜けた。太陽の光が一気に私達を包む。そして。

 艶やかな色と光の洪水に、眼を灼かれた。

「うっわーっ、すごいっ! すっげーキレイ! な、な、コンラッド、花畑が光ってるぞっ」
「坊っちゃんっ、そんなに身を乗り出したら落ちます。落ちますってば!」
「おねーちゃん! すごい、すごいねっ。きれーだねっ。ぼくっ、こんなきれいなお花、初めて見た!!」
「……あたし、だって…初めて……」
 どーだー? 大したモンだろ? ヨザックさんの声がすぐ近くでする。もう答えようがなくて、私とニコルはただただ頷いていた。

 花。見渡す限り、一面の花。千本? 万本? もっとたくさん?
 色とりどりの花。赤。黄。青。白。紫。ピンク。淡い緑。えっとえっと、それから…。
 大地を埋める彩り。でもそれだけじゃない。
 花の中。あちこちから水が噴き出ていた。高く、上にいくほど広く喇叭状に広がって、それがどういう仕掛けなのか、くるくる回っている。高く低く。くるくる。くるくる。陽の光を反射して。きらきら。きらきら。
 水は空中で綾を織るように交差し、遠くの花へ、近くの花へ、さらさらと軽やかな音をたてて降り注いでいた。
 そして。そして。
 噴きあがる水の一つ一つに、虹が、掛かっていた。

 きらきらしく輝く水。濡れて一層あざやかに色が映える花々。
 たくさんの虹。両手で抱きしめられるほど、小さくて、でも確かにそこにある、希望の色。

「……なんという……」
 父さんが呆然と呟くのが聞こえた。
「この辺は冬でも雪が積もらなくてね。ひどく乾燥してる土地柄なんだ。もとはあまり産業が無かったんだが、この冬咲きの花の栽培で大成功したのさ。一見の価値ありな風景だろう? 見るだけなら金も掛からないしってんで、庶民に人気の観光地になってるんだよ」
「……ユーリも初めてなのね?」
 私の視線の先では、ユーリが馬車から思いっきり身を乗り出している。…コンラッドさんの片腕がユーリの腰をしっかりと支えている。それがなかったら、すぐにも転がり落ちそうだ。ちなみに、もう片方の腕は隣のニコルの身体に回っている。…コンラッドさんには申し訳ないんだけど、何だか笑っちゃう。だってユーリがニコルと同じ年頃の、小さな子供に見えちゃうんだもん。
「ああ、坊っちゃんもこれを楽しみにしててね。…好きな時に好きなところに行ける訳じゃないから…」
 え? と聞き返す前に、母さんが「あの」と言葉を挟んだ。
「…ずっと気になっていたのですけど…。歩いてる人の姿が見えないような…。それにお花畑にも、誰も…」
 そういえば。これまで目にしたのは、馬に乗った人や同じような馬車、そして荷車ばかりだった。私はまだずっと続く美しい光景に視線を戻した。
「ああ、村人はたぶんお休み時間なんだろうな。水は自動的に調整されるから、一日中手を掛ける必要なんてないし。で、観光客の姿が見えないのは、この道のせいだな」
「この道?」
「そう。歩行者がいないって言ってただろう? この道は馬車や馬専用の道路なんだ。特に馬は突っ走るのが多いからな。歩行者の安全を護るために、当代魔王陛下が道を分けられたのさ。この道を挟んで両側、花畑の奥に徒歩専用の道が出来てる。だから観光客はそちらの方に集まってんだ。余計なモンのいない花畑を満喫できるのは、馬車組の特権だぜぇ?」
「……歩く者の安全を、守るため……」
 父さんが小さく呟いている。
「…あの、水が噴き出て、回っているのは……魔力なんですか…?」
「あれは技術ですよ。ちゃんと仕組みがあるんです」
 横から教えてくれる声がした。二人組みの男の人が、席に座ってこちらを見ている。
「ぎじゅつ……」
「ええ。地面の中に水の管を埋めてあって、それに動力を使って水を送り込んでいるんです。回るのもその動力ですね。まあ、そこには少々の魔力が使われていますがね」
「実は私達は数理学者なんですよ」
 もう一人の男の人がそう言った。すうりがくしゃ、っていうのが何なのか、さっぱり分からないけど。
「ああ、じゃあ建設工事の設計や施工を担当してるんだ?」
「そうですそうです。この村の花畑の噴水供給工事も、私どもの組合の仕事なんですよ?」
「上下水道の普及工事もあるし、建設関連の組合は大忙しだな」
「全くですねえ。でも国の発展に尽くしているという実感がありますからね。実にやりがいがありますよ」
 男の人たちは二人とも嬉しそうに笑って頷いていた。
 会話の意味はあんまり理解出来なかったけれど、そんな二人を、父さんは当惑したような、そしてどこか羨ましそうな顔で見つめていた。
「お客さん方ぁ、そろそろカチャの村に入りますんで。1時間ばかり止まってます。続けて乗車なさるお人は、降りる前に仰っといて下さいよぉ。じゃないと、待たずに行っちまいますからねぇ」
 御者さんが声を上げた。


 カチャの村は、たくさんの人で溢れていた。
 乗り物専用の道路と、歩く人専用の二つの道路がこの村で一旦一つになるそうだ。だから必ず人が集まってくる。村の中心はもの凄く大きな広場になっていて、ぐるりと周囲を屋台が取り囲んでいる。色んな種類の食べ物や飲み物、衣類やみやげ物、とにかく取り取りの品が山と積まれて、それぞれを人垣が取り囲んでいた。
 広場の中心には大きな「噴水」。そしてその周囲には、一休みしたり食事をしたりできるように、たくさんのテーブルと椅子が並べられている。物売りや呼び込みの声、そしてそぞろ歩く人のざわめきで、広場は活気に満ちている。
 思わず。もう遠くなった故郷の村を思い出してしまった。
 何てうら寂しい光景だっただろう。屋根や塀が毀れ落ち、それを修繕するお金も労力もない村人。枯れかけた草と間もなく干上がるだろう沼や淀んだ川。痩せた作物。お腹いっぱい食べることを忘れて久しい子供たち。花の色も忘れた女性たち。でもそれが当たり前すぎて、貧しいとか哀しいとか考えもしなかった。そういう点では、私たちは平等だった。
 今こうして人と物と笑顔に溢れた村の活気を肌で感じていると、ここに至るまでの生活がどれほど虐げられたものだったかよく分かる。私達の国の王様は、国民の飢えにも貧しさにも哀しさにも、ほとんど見向きもしてはくれなかった。
 あの人たちは。懐かしい友達は。近所のおばさんやおじさんや、村長さんや司祭さまや。あの人たちは今もあの村で、自分達の信じるものだけを信じて生きているのだろう……。
「クィーンちゃん! どっしたのかなー?」
「……えっ?」
 ハッと気付いたら、広場の隅っこで一人突っ立っていた。そばにはニコニコしているヨザックさん…だけ。
「あ、あれ? 父さん、母さん……ニコル、は?」
 ヨザックさんが黙ってどこかを指差す。その指の先。広場の向こう、出店の一つに向ってユーリとニコルが手を繋いで駆けていく姿が見えた。後ろから追いかけるコンラッドさん。……いつのまに。
「…父さんと母さんは……」
 ヨザックさんが別の方向を指差す。広場の中心、噴水の側のテーブルの一つに、父さんと母さん、それから一人旅の商家の奥さんらしい女性が一緒に座ってお喋り……魔族の女性と、お喋り(!?)…して、いた。
「………うそ」
「置いてけぼりのクィンちゃんには、このグリエちゃんがお付き合いしたげるわっ」
「…ヨ、ヨザック、さん、何か言葉づかいがヘン、です、けど……?」
「あーら、気にしない気にしない。ささっ、時間はあるし、女同士仲良く見て回りましょー」
 だってヨザックさん、男の人でしょーっ!!?

 足りなかった日用品や旅行用品を買い込んで(後で清算ということで、ヨザックさんに甘えてしまった)、お手洗いも済ませて(用を済ませたら、水が流れてびっくり!)、二人でのんびり広場を散策することにした。
 出店をひやかしながら歩いていたら、すぐ側をユーリとニコルとコンラッドさんが通り過ぎようしてるのに気付いた。
「ニコル! あんたどうしてお姉ちゃんに何も言わないで行っちゃうのよっ」
「いいんだもん。男は男どーし。ねー? ユーリにーちゃん?」
「だよなー? ニコル?」
 憎ったらしく、二人が大袈裟な仕草で顔を見合わせあう。いつの間に「ユーリ兄ちゃん」なんて。二人の後ろで、コンラッドさんが苦笑していた。両手に何だかたくさんの荷物を抱えて、ううん、抱えさせられている。
「グリエちゃん、クィンのこと、よろしくなー」
「ちょっと! あたしはよろしくされなくたって……」
「はーい。クィンちゃんのことは、このグリエちゃんにまかせてーっ」
 反論する間もない。ユーリはニコルの手を引いて、次の標的に向って突進していった。コンラッドさんだけが「後でね」と私に笑いかけてくれた。そして二人の後を追いかけていく。
「……コンラッドさんって、ユーリのこと、とっても大事にしてるみたい」
 ヨザックさんほど親しくお話してるわけじゃないけれど、コンラッドさんがいつもユーリを見つめてることは早くから気がついてた。
「ああ、あいつはね。なんせ、坊っちゃんが生まれる前から守ってきたんだから」
「生まれる前から? …お母さんのお腹にいるときからってこと?」
「…まあ、ねえ」
 何かヘン。
「じゃあ、コンラッドさんはユーリが赤ちゃんの頃からずっと側にいたの?」
「うーん、ちょっと違うんだけどー。……でもまあ、坊っちゃんが生まれてからこれまで、あいつが坊っちゃんのためだけに生きてきたって事は確かだな。たぶんこれからもずっとだろうけど」
「ユーリがコンラッドさんの世界の中心?」
 ふざけたつもりで言ってみたら、ヨザックさんは軽く首を振って、意外なくらい真面目な声を出した。
「そうじゃない。坊っちゃんはあいつにとって……世界そのものだ」
「……え……?」
 よく分からないんですけど……?
「…坊っちゃんをなくしたら……今度こそあいつの世界は終わっちまうな……」

 コンラッドさんはいつもユーリの側にいる。ぴったりと寄り添って、雨のひと雫でさえユーリの肩に落ちるのを許さないとでも言うように。
 そんな風に、誰かの事を大切にするってできるんだろうか。そこまで誰かのために、自分の人生を捧げることって。
「コンラッドさんって、ユーリのこと、大好きなんだ…」
「大好きっつーか、愛しちゃってるってゆーか、溺愛ってゆーか、盲愛ってゆーか、ストーカーってゆーか、ねえ?」
 最後のはよく分からない。魔族語だろうか?
「…ユーリがうらやましい、かも…」
「んー。ある意味災難な気もするんだけどー。でもま、坊っちゃんがそれで喜んでるんだから、お互い幸せなんだろうねえ 」
「そっか」
「そだね」
「…やっぱり、うらやましいかも……」
「クィンちゃんも、コンラッドにやられちゃった?」
「…はあっ!?」
「いや、あいつカッコいいだろ? 大抵の女の子は、うっとりしちまうんだよねー。俺、ガキの頃からあいつを知ってるけど、そりゃもうモテるモテる。あいつと連れ立って歩いてると、どの女の子の視線も全部俺を素通りしてアイツを見てるモンな」
 それほど悔しそうでもなく、ヨザックさんが言った。…あれ?
「…じゃ、ヨザックさんとコンラッドさんって、幼馴染み……?」
「そーゆーこと」
「魔族でも、そういうのあるんだ……?」
 私の間抜けな言葉に、ヨザックさんがぷっと吹き出した。
「なーに言ってんだか。家庭があって、親がいて、子供がいて。一つ所に暮らしていれば、幼な友達がいたって当たり前だろーが」
「そう…よね。そう、だった。……やだ、あたしったらヘンなこと言っちゃって。……ゴメンなさい」
「いいって。物心ついた頃から捻じ曲がった魔族観刷り込まれたら、まあそんなもんだろ」
 今はもう、大分変わってきただろ?
 ヨザックさんにさりげなく聞かれて、頷きかけた私は、ふと胸を突かれて立ち止まった。
 傍らを、観光客だろうか、親子連れが笑いさざめきながら歩いていく。子供たちが両親の服に絡みつくように甘えて、何かをねだっている。当たり前の、光景。
 魔族の国に行ったら、どうなってしまうのかと不安で堪らなかった。人間の国で野垂れ死にした方がましかも知れないと、暗い未来を思い描いた果てに考えたこともある。
 でも来てみたら。魔族の国は、魔族の人たちは、人間にもとっても優しかった。今こうして、私が独りぼっちにならないように、側にいてくれる人も。
「あたしね」大して考えもせず、言葉が滑り出た。「コンラッドさんより、ヨザックさんの方が、かっこいいと思うな」
「…おやま」
「………え……っと、お」
 言っちゃってから、一気に顔が熱く火照ってくるのが分かっちゃったりしてみたり……!
「…あっ、あのっ、えっと、勘違い、しないでよねっ。その、ヘンな意味じゃない……」
「やーん、グリエ感激〜っ!」
 がしっと抱きつかれて、思わずバタバタと暴れてしまう。でもヨザックさんの腕はびくともしなくって、私はもうますます焦ってしまった。耳元で楽しそうに「くっくっく」と笑う意地悪な声。
「からかってるでしょっ!?」
 あっはっは、と笑いながら、ヨザックさんが手を離し、すたすたと歩き始めた。すぐに追いかけて、広い背中を拳で叩いたけれど、振り返った顔はけろりとしていた。
「さー、そろそろ馬車に戻ろうか?」
 何だか全然敵わない。


 私達にお茶を煎れてくれたあのご夫婦と、すうりがくしゃの男の人たちはもう馬車には乗らないらしい。早く分かっていたら、ご挨拶したかったな。
 最初に馬車に戻って来たのが私とヨザックさんで、そのすぐ後にユーリとニコルとコンラッドさんがやって来た。ちょっとの間だったはずなのに、コンラッドさんの荷物はさっき見たのより倍は増えている。それから父さんと母さんと、そしてあの女将さん風の女の人……なんだけど……。
 前を歩いているのは、母さんとその女性だった。二人で並んで、何だかとっても親しげに、お喋りしながら歩いてくる。母さん、笑ってる。
 アイリーンのことがあってから。そして変な噂が流されて、村で孤立してしまってからは尚更に、母さんから笑顔が消えた。もともと快活で、世話好きで、父さんの仕事の助手が勤まるくらい気も強くて、元気な人だったんだ。なのに、もうずっと母さんは辛くて暗い顔ばかりしていて、心もどんどん弱くなってしまっていた。その母さんが。
 前と同じように、声を上げて笑ってる。
 その変化に、私はびっくりしていたけど、たぶん父さんは私よりずっと驚いていたんだと思う。だって、二人の後ろから歩いてくる父さんの顔は、何ていうか、戸惑ってて、不安そうで、おどおどしてるみたいに見えたから。歩いてる感じも、どこか「とぼとぼ」といった風だし。
 結局あれよね。ずっと前、隣のお婆ちゃんが言ってたことだけど。開き直ったら、女の方が強いってことなのよね。
 内心、うんうんと頷きながら、私は父さんに同情してしまった。
 それにしても。ちょっと前だったら、想像もつかなかったな。魔族の女の人と母さんが、お友達みたいに仲良くなるなんて。

 故郷の皆は。いきなり、私の中に何かが浮かんだ。今この時、何を考え、何をしているだろうか。
 私達の事を思い出したりするだろうか。どうなったと考えているんだろうか。
 きっと悲惨な末路を迎えたに違いないと、色々想像してるかもしれないな。まさか、魔族の国できれいなお花畑を見て歓声を上げてたり、美味しいものを食べてお腹をいっぱいにしてるなんて、思いつきもしないだろうな。……たぶん。
 たぶん。あの村で、私達は唯一の医者の一家として、尊敬され、大切にされてきた。お金も他の家よりずっとあったし、村長さんの次くらいに立派な家にも住んでいた。麦の粉や干し肉、時にはお金そのものを、両親はイヤな顔もせず、求める人に貸したり、時には施したり、していた。だから余計尊敬されて。そして。
 憎まれていたんだと思う。今なら。それが分かる。
 魔族の呪いを受けていたと、あの人たちが本当に信じていた訳じゃない。そうだと信じる振りをすることで、皆でそれを認めあうことで、私達を追放する罪悪感から逃れていたんだ。ずっと心の底にあって、皆が見ない振り、知らない振りをしてきた私達への暗い想いを、あの時、あの人たちはやっと吐き出すことができた。自分達の辛い生活や、光の見えない将来。そんな苦しさ、哀しさ、悔しさの全てを乗せて、私達にぶつけることで、やっとあの人たちは救われたんだ。
 魔族への憎悪と同じだ。
 魔族は悪魔だ。魔物だ。世界の悪いことは全て魔族から生まれる。
 もっといい暮らしができるはずだ。自然はもっと私達に優しいはずだ。王様は立派な人のはずだ。戦争は勝てるはずだ。何もかも、うまくいくはずだ。いかないのは。
 世界に魔族がいるせいだ。
 そうやって人間は、本当のことから、全ての悪いことは、結局私達人間の、日々の行いの中から生まれるのだということから、眼を閉ざしてきた。心の中に暗い感情だけを養って。
 村の人たちは、私達を追放して、私達を自分達より悲惨な境遇に叩き落して、一時の安寧を得ただろう。一時だけ。そして次の日から、何も変わらない日々が続いていく。
 次はどうするのだろうか。
 また新しい何か、憎めるものをみつけるだろうか。そしてそれは、手っ取り早く魔族に向うだろうか。
 でも。
 私達は、あの人たちの願う通りに目の前から消えた。でも魔族はそうはならない。
 人間の身勝手な憎悪なんか、あっさりと跳ね返してしまうだろう。
 その時、人間はどうなるのだろうか……。




NEXT→

プラウザよりお戻り下さい。




まだ続きます。はい。
ちょっと不自然なトコが多々ありますが、どうか見ないで下さいねーっ。