流れいく花色の風・2

 塩辛い風が、後ろのテントをバタバタいわせてる。
 鮮やかだった夕焼けの色は、大方藍色に変わってしまった。お陽さまの最後の光が消えたら、真っ黒になってしまうんだろう。つい今し方、船員さんがデッキのランタンに火を入れていってくれたから、暗闇にはならずにすむ。
「…クィン、中にお入り。風邪をひくよ」
 テントの中から父さんの声。
「うん……」
 寒くて、風が痛くて、なのに、私はここから動いちゃいけないような気がする…。
「…お姉ちゃん?」
「うん」
「はい、これ」
 ニコルの手には、乾パンと水。「ありがと」と受け取ったけど、何だか食べる気がしない。
 側にぬくもりを感じてふと見ると、ニコルがぴったり寄り添って座っていた。
「風邪ひくよ、ニコル。中に入ってなくちゃ」
「お姉ちゃんが入ったら、僕も入る」
「ニコル……」
「………ねえ、お姉ちゃん?」
 もうほとんど黒くなった空を、それでもじっと眺めながら、ニコルが口を開いた。
「なに?」
「魔族って、僕達と全然変わらないんだね?」
「……うん、そうだね……びっくりしたね……」
 変わらないっていうより、人間よりずっときれいだった。きれい過ぎて……やっぱりアレは人間とは全然違う「モノ」なんだ。
「あのさ、僕さ……あのおにーちゃんたち、悪い人だと思わないんだけど……」
 びっくりして、私は弟を見下ろした。ニコルはひどく真剣な、突然大人になったような顔で、私を見返している。
「それが魔族の手口なのよ! ああやって、私たちを油断させて、それで……」
「僕達なんか油断させて、何するの?」
「それは…分からないけど……」
「あのさ、お姉ちゃん。あのね、お父さんもお母さんも、本物の魔族を見たの、今日が初めてなんだって」
「うん、ウチの村に魔族なんて来たコトなかったもんね」
「なのにさ、どうして魔族が悪いって決められるの?」
「だって…! みんな、言ってたじゃない! 司祭様だって……」
「じゃあさ! 僕たちが村に災いを運んだっていうのも、本当のことなの!?」
「………っ」
「村の人達が、鍬や鎌を持って僕たちを取り囲んで、僕、ものすごく怖かったよ? あれは、正しいことなの? 誰も間違ってないの!?」
「もう止めて、ニコル!」
 分からない。分からないよ、ニコル。
 思わず。両腕で自分の身体を抱いた。怖くて。このままいったら、私の中の何かが壊れそうで。
 ふと。私の肩に大きな手が置かれた。
「……父さん」
「二人とも、もう中に入りなさい。…魔族は闇に生きる魔物だ。人間を苦しめることを喜びとする、邪悪な生き物だ。しかし、気をしっかり持っていれば、騙されることもない。これから私らは魔族の中に入り込んで、アイリーンを救い出しにいくんだからな。みんなで助け合わなくてはならん。ケンカなんぞしてはいかんよ?」

「…説得力あるねえ。ま。父親ってのはそうじゃないと。言ってることは見当はずれでもね」

 聞き覚えのある声にハッと振り向くと、ランタンの灯の中、あの魔族のウチの一人、変わった髪の色の逞しい男が立っていた。
「…きゃっ」
「なっ、何の用だ! 私たちをどうするつもり……!」
 父さんが私たちを庇う様に前に出て、腕を広げた。
 魔族の男は、ふん、と聞こえよがしに息をついて、それから傍らに顔を向け、何か合図した。
 闇の中から、別の……厨房服らしいものを着た男の人が何かを抱えて近づいてくる。
「く、来るな…」
「この人は、この船の料理長だ。もちろん人間」
 料理長といわれた人は、にこにこと私たちの傍らにしゃがみ込むと、お盆を置いた。その上には、鍋と皿とスプーンと、そして山盛りのパン……。
「さあ、どうぞ?」
 そういって蓋が開けられ…。
「……わあっ!」
 美味しそうなシチューが、たまらない湯気をたてていた。
「坊っちゃんからだよ」
「え……ええっ!?」
「お人好しにも程があるって、俺も相棒も、さんざん言ったんだがね。まあ、それがウチの坊っちゃんなんだから仕方がないってもんで」
 ふう、とため息をつく。
「…何か、悪いものを中に……」
「これを作ったのは、私ですよ?」
 穏やか笑みを浮かべたまま、料理長さんが口を挟んだ。
「この船はカロリア籍ですし、食材もすべてカロリアのものです。船員はみなカロリア人で、私もそうです。これを作ったのも私。ここまで運んだのも私。……自信作ですよ?」
「どうしてもイヤなら、魚にくれてやりな。じゃあな」
 それだけ言うと、くるりと私たちに背を向け、魔族の男は去っていった。

 しばらく、なんとも言えない沈黙が続いた。
「…あちらの坊っちゃんは」料理長さんが言う。「優しいお子さんですな。特等室においでなんだから、きっといいお家の若様なんでしょうが……。わざわざ私どもの所へ足を運ばれましてね、あなた達に暖かくて、消化のいいものを何か作ってやってくれないかとお願いされましたんですよ。魔族の施しを受けるような真似を喜ぶとは思えないけれど、寒い思いをしていると知ってしまったら、放ってはおけない、と仰られました。まあ、お供の方は渋い顔をなさってましたがね」
 その光景を思い出しでもしたのか、料理長はくすくすと笑った。
「今の人もね。自分が運んでもいいんだが、それじゃあ彼らは気味悪がって食べないだろう。申し訳ないが、運んでもらえるか? と、そりゃ気にしておいででした。なのにあんな憎まれ口をね。……おお、いけない。冷めてしまいますよ、さ、どうぞ」
 そう言って、料理長さんがシチューをお皿によそってくれる。
 テントの中から、母さんも出てきた。夜目にも顔色が悪い。
「料理長自慢のシチューです。ささ、召し上がれ」
 それでも、どうしようと迷っていると、すぐ隣ではぐはぐと咀嚼する音が響いてきた。
 ニコルが。ものすごい勢いでお行儀悪く、シチューを掻き込んでいる。
「おいしいっ! すっごく美味しいです!!」
 その様子を見てたら我慢できなくて、一口、口に含んでみたらもうダメだった。頭から言葉が吹き飛んで、食べたいという欲求でいっぱいになる。気がついたら、父さんも母さんも、必死で肉やパンを口に放り込んでいた。
「長く信じてきたことを、否定するのは辛いものです」
 しばらくして、私たちが落ち着いてきたのを見計らってか、料理長さんが口を開いた。
「私たちだってそうでした。カロリアも長い間シマロンの支配下にありましたからね。魔族は悪魔だと、何の疑いもせずに信じていた……。でもねえ、ほんのちょっと、ほんのちょっとだけ、凝り固まったものを脇にどけて、あの人達を見直してみて下さい。こんな風にいってもすぐには納得できんでしょう。それも分かります。人間と魔族は、見た目は似ているが中味は違う。私らは全く違う生き物だ。ただね、これだけは申し上げておきます。自分達と違うものはね、ただ単に違うだけなんです。違っていることに、善だの悪だの、そんなものは端からありゃあしないんです。……それが分かる様になるのに、私も随分時間が掛かりましたよ」
 鍋や皿は、デッキの端にでも置いといて下さい。
 そう言いおくと、料理長さんは立ち上がった。そして「お休みなさい」とお辞儀をして去っていった。

 魔族に食べ物を恵んでもらった。私たちはそれを食べた。
 随分久し振りにお腹がいっぱいで、身体も温まって、なのに、後ろめたい気持ちが胸をぐるぐるかき回す。
 それが魔族の施しを受け取ってしまったことの罪悪感なのか、もっと違う別のものなのか、私はさっぱり分からなくて、その夜なかなか寝つけなかった……。


 朝。
「……わ、あ…日の出…!」
 水平線、蒼と碧の境目から、お陽さまが半分顔を出している。金色にも白にも見える光が海を走って、世界の全てが輝いている。きれいだあ……っ。

「…すっげーキレイ! な、コンラッドッ!!」

 ハッと見ると、離れた所にユーリが立っている。そのすぐ後ろには、昨日の彼じゃないもう一人のお供。まるで海に落ちるのを警戒するみたいに、ぴったりと寄り添って、両肩に手を置いている。
 朝陽の中のユーリは、息を飲む程きれいだった。
 魔族は闇の生き物だって父さんが言ってたのに、どうしてこんなに朝の光が似合うんだろ………。
「…あ…、クィン…?」
 気づかれた。
 えと。どうしよう。目が合っちゃった。そうだ、夕べのお礼を……。でも魔族に…? でも、人間は礼儀知らずだなんて思われたくないし…。でも…。ど、どうしよう…。
「昨日はっ、ごちそうさまでした!」
 え? と見たら、私の横をニコルが駆け抜けていくところだった。
「…ニ、ニコル……ッ!?」
 呼び止める間もなく、ニコルはユーリたちに駆け寄ると、その場で深々と頭を下げた。
「すっごく美味しくて、お腹いっぱいになりました。ありがとうございました!」
「そっかー。ならよかった」
 ほっとしたように微笑むと、ユーリは顔を上げて私を見た。
 な、何か言わないと……。
 意識すると身体が固まって、ますます声が出なくなる。そしたらなんだかもう焦ってしまって…!
「クィン」
 父さんの声だ。私の肩をぽんぽんと叩くと、彼らに向かっていった。
「夕べは…お気づかい頂きまして、ありがとうございました。おかげさまで、皆、久し振りに美味しいものを頂くことができました」
 そう言うと、父さんはユーリに向かって深く腰を折った。
「あ、そんなこと…。こっちこそ勝手な真似をして……」
 ユーリがあたふたと手を振る。ちょっと頬を赤らめて、照れくさそうだ。すごくきれいで可愛いのに、見ているとどうしてだろう、胸が苦しくなる…。
「ですからもう」父さんの口調が強くなった。「放っておいて頂きたい。私どもは私どもで、これから旅を続けます。気紛れの施しは一度で充分。……では、失敬。ニコル、来なさい」
 くるりとこちらを向いて、父さんが戻ってくる。両の拳が強く握られて、震えている様にも見えた。
 ユーリの手は宙で止まったまま。目は瞠いたまま。父さんの背中を見つめている。
 コンラッドと呼ばれていた男の人が、ユーリの肩を抱く様にして、何かを囁いた。そして世界の全部から彼を護る様に深く抱き込むと、身体をそっと船室の方向に促し、二人は歩き始めた。その向こうに、いつのまにか夕べの彼が立っている。
 そんな様子をじっと見ていたニコルは、こちらに戻ろうとせず、どこかとぼとぼと手摺に向かった。
 夕べの、料理長さんの言葉が蘇る。
『ほんのちょっとだけ、凝り固まったものを脇において』
『違うというのは、ただ単に違っているというだけのことなんです』
『私も随分時間が掛かりましたよ』
 ………時間を掛ければ。
 「本当」が「嘘」に変わるんだろうか。
 「嘘」を「本当」だと思うことができるんだろうか。

 3人の姿が、扉の向こうに消えようとしている。消えたらもう、これっきり、だな……。
「何、考えてるのよ、あたしったら…!」
 魔族と仲良くなんて、できるワケないじゃないのっ。
 絶対に、絶対に、私たち、間違ってるはずないもん!
「……ニコル、いいかげんに………」
 手摺から身を乗り出して、ニコルが海を見ている。そして。何かを見つけたみたいに、ぐっと、さっきよりずっと……。
「…え……?」
 ニコルの身体が……グラリと傾いで………。
「あ…きゃあっ!」
「ニコルッ!!」
 見えない手に掬われるように、弟の身体が手摺を越え、そして、視界から消え……っ!
「きゃあぁぁぁっっ!! ニコルッ、ニコルーッッッ!!」
 身体が凍り付き、一歩も身動きできず、ただ叫ぶしかできない。
 時間が止まったような、伸びたような、ううん、ぐしゃっと縮んだような。目の前の風景がグチャグチャになった様に感じたその瞬間、私の傍らをつむじ風が通り過ぎた。
 その風は一気に弟の落ちた手摺に近づき、そして、軽やかにそこを越えた。
 一瞬見えたのは、ふわりとなびく明るい夕焼け色の…あれは、髪の毛?

「ヨザッ!」
 ユーリたちだ。二人は手摺に駆け寄って、下を、海を覗き込んでいる。
「…クィン! どうした? 何が起きた? ニコルは、ニコルはどうした!?」
 父さんと母さんが、いつの間にか私の側に立って、必死で私を揺さぶっていた。
「しっかりしなさい、クィン! ニコルはどうした!?」
「……にこる……おちて……うみに……」
「何だってっ!?」
「…よしっ、投げろ!」
 張りのあるその声に、はっと顔を上げると、あの茶色い髪の人、コンラッドって人、が、何か叫んでいた。そして身を乗り出したかと思うと、下からぐいっと何かを引っ張り上げた。……ロープ、だった。先に何か金属のようなものがついていて……それを受け取ると、彼はその金属を手摺にしっかりと引っ掛けた。
「…下がって、ユーリ」
 そしてロープを引っ張り始める。
 その頃には、他のお客らしい人や船員さん達も集まってきていて、彼を手伝い始めた。しばらく呆然としていた父さんも、すぐにその中に混ざった。
 ニコルが落ちてから、ものすごく長いような、なのにとっても短いような、夢か幻でも見ているような、不思議な時間が過ぎていって、そしてやっと、手摺の向こうに誰かの姿が現れた。
 最初に見えたのは、濡れたお陽さまの色、夕焼けの色、…熟れ過ぎた果物の色、そんな変わった色の髪をした彼で、片腕にロープを絡ませ、そしてもう片腕に…ニコルを抱いていた。
「ニコル! ああ、ニコルッ!」
 皆の手を借りて手摺を越え、デッキに立つと、彼はニコルをそっと父さんの前に下ろした。父さんがニコルを抱き締める。
「…あ、ああっ」
 やっと私にも時間が戻ってきた。目の前の事が、ちゃんと「私」と繋がって、現実の事になった。
「ニコル!」
 私と母さんも、棒立ちになっていた場所から飛び出して、人の輪の中に走りよった。
「……お、とうさん、おかあさん……おねーちゃん……」
 けほけほと咳き込みながら、ニコルが、それでも気丈に笑顔を見せてくれた。
「…びっくりしたあ……」
「バカバカッ、ニコルったらもう…!」
 もう言葉にならなくて、私も母さんも、そして父さんも、ニコルを中心に皆で抱き合って泣いてしまった。私たち、こんなになっちゃって、めちゃくちゃになっちゃって、だからこそもう、家族の誰も失くしたくない……!
 皆で泣いて、しっかり抱き合って、なのにその時、急に誰かの体重が私に掛かってきた。
「か、母さん!? 父さん、母さんが……!」
「何っ!?」
 母さんが、土色の顔で、意識をなくしていた……。

「ぐずぐずするなっ」
 え? と思った瞬間、母さんの身体が浮き上がった。
「な、なにを……」
 コンラッドって人が、母さんを横抱きに抱き上げている。ただもう、うろたえる私たち。
「具合の悪い女性や、びしょぬれの子供を、こんなデッキで放っておくつもりか? 我々をどう思おうが勝手だが、今はとにかくついてきなさい!」
 そういうと、返事も待たずに歩き始める。
「ま、ま、待って……」
「大丈夫だよ。こっち、来て」
 すぐ側にユーリが立っていた。いつの間にか毛布で包まれたニコルも、もう一人の彼に抱き上げられている。何だかのんきに「わー、高ーい」ときょろきょろしてて……もう!


「おねーちゃん、気持ちいいねー」
 はふー、と大きく息をついて、ニコルが言った。私はもう、言葉もでない。
 連れてこられた先は、ユーリたちの船室、特等室だった。
 すごいったらもう。居間の他に寝室が3つもあって、控えの間もあって、小さなお台所もあって、そして、お風呂。
 私たちは、今、見たことない程大きな湯舟にたっぷりお湯を張って、そこに肩までゆったりと浸かっていた。本当は濡れてるニコルだけが入ればいいんだろうけど、その、まあ、ついでで、私も。
 母さんは、使っていない寝室のベッドに寝かされて、お医者さんに診てもらっていた。父さんが医者だっていったら、ユーリたちはちょっとびっくりしてたみたい。……かなり、汚くなってたもんね。
 母さんは、溜りに溜った過労で衰弱が激しくて、今は熱も出ていて、でもゆっくり休めば大丈夫だって言われて、ホッと胸を撫で下ろして。
 父さんが母さんに付き添うことにして、私たちは先にお風呂を頂いてしまったわけだ。
「ねー、お姉ちゃん」
「ん?」
「やっぱりあの人たち、悪い人たちじゃなかったよね?」
「……………」
「海に落ちた時ね。上の方がきらきら光って、すっごくきれいだったの。でもね、身体がどんどん沈んでいって……すっごく暗い所へ行くんだなーって。も、これで死んじゃうのかなーって思ったの。そしたらあの人が来てくれて。僕の手をね、しっかり掴んでくれて、んで、にこって笑ってくれたの。その時ね、あーもう大丈夫だって思った。もうあの暗い所へ行かなくていいんだって。あの人がどんどん光ってる方へ僕を連れてってくれて、もう僕、大丈夫なんだなーって。ねえ、お姉ちゃん? 魔族はヤミの生き物なんかじゃないね?」
 もう、どう答えればいいんだろう。何だか居たたまれない気分で、私は頭までお湯の中に沈んだ。


 魔族は魔物だ。魔族と人間は絶対に相容れない生き物だ。魔族は人間を堕落させ、世界を暗黒の闇に堕とそうとしている邪悪な存在だ。だから人間は魔族を憎んでいいのだ。なぜなら人間は絶対に正義であり、魔族は絶対に悪だから。
 なのに。
 お昼をご馳走になって、んで、食後のケーキまでしっかり頂いてしまったら、すっかり満たされてしまった私ってどうなのよーっ。
 騙されちゃいけない。絆されちゃいけない。
 こんなに必死に心の中で叫んでいるのに。

 特等室の居間で、父さんと私とニコルは、大きな丸テーブルをユーリたちと囲んでいた。
 父さんもお風呂を頂いて、船長さんが用意してくれた古着(時々海に落ちる人がいるんで、着替えは常備してあるそうだ。お古だけど、とっても清潔で肌触りもいい)に着替えている。
 早く母さんも、あのお風呂に入れてあげたいな。
「あの部屋はもともと空いていました。眞魔国に到着するまで、あの部屋を使って下さい」
 コンラッド、さんが、そう言った。
 父さんは食事もあんまり進まないみたいだった。ケーキも手付かずのままだ。難しい顔で黙りこくっている。
「あなた方が魔族を嫌っていることは分かっています。だが、あなた方もこれから眞魔国へ行くのでしょう。魔族を避けて通ることはできません。少し我々で慣れてみたらどうかな。それに我慢することも大事でしょう。何より、奥方と子供達のために。あんな吹きさらしのデッキにいたら、今度こそ奥方は命を失いますよ?」
 本当にそうだから、父さんは余計何も言えない。
「……俺、遠慮するの、やめにしようと思うんだ」
 突然、ユーリが言い出した。
「ユー、坊っちゃん?」
「最初は、そんなに魔族を毛嫌いしてるなら、近づいたりしない方がいいのかなって思ったけど。でもやっぱそれって間違ってると思う。なあ」
 ユーリの視線がしっかりと私たちを捉えた。
「今まで魔族と会ったことあるのか? 魔族にひどいコトされたことあんのか? あんた達が魔族を憎む理由って、一体どこからきてんだよ!?」
「それは……」一度口ごもってから、父さんは顔を上げた。「私たちは…子供の頃から教えられてきました。この世の悪は、全て魔族から生まれると。特にここ数年の災害は……ある場所では旱魃で全ての作物が枯れ果て、ある場所では大雨で洪水が起こり街がながされる。堤防は作る側から崩れ、山火事は消えず、ネズミの群れが街を襲い、疫病が蔓延し、配給の食料はいつも滞る。働き手が軍に徴集されているのに、税金は上がる一方で……。それは全て人間を滅ぼそうとしている魔族のせいだと、司祭さまからも法術師さまからも聞かされてきました…」
「…税金もかよ……」
「失政の責任まで、こっちに押し付けられたんじゃねえ」
「あっ、あたし達だって…!」
 思わず声が出た。
「え?」
「あんた達のせいで、村を追放されたんだからっ! アイリーンが、姉さんが魔族の男と駆け落ちしてっ。だから、あたし達が魔族の呪を受けた家だって言われてっ。あたし達がいるから、村に災いが起こるんだって言われてっ。皆に、大好きだった…みんなに……、村を…追い払われた、んだか、ら……」
 ぐすうっと鼻をすすると、父さんが肩を抱いてくれた。ユーリが目を瞠って私を見つめている。
「…………それって、すごい災難だったと思うけど……。でもさ、それ、お姉さんと駆け落ちした魔族が悪いの? そうじゃなくて……」
「僕は、村の人が間違ってたんだと思う」
「ニコル……」
「アイリーンお姉ちゃんは、好きな人と一緒にいたかっただけだもん。でも魔族だから絶対許してもらえないって思って、だから行っちゃったんだよね? お姉ちゃんも、その魔族の人も、悪くないよ。悪いのは、悪いのは……」
 それ以上何も言えなくなって、ニコルも俯いてしまった。
「……ずっと語り継ぎ、私自身、血肉に染み付いた教えです。……今こうしていても、私はあなた方が怖い。こうやって親切にしてもらっていながら、それでも、私はあなた方が、怖くてたまらんのです……」
 どうしようもないのです。そう言って、父さんは深く頭を垂れた。
 そう。私もずっと教えられてきた。魔族は全知全能の神に逆らうもの。おぞましいもの。触れてはならないもの。邪悪が形になったもの。
 そこに魔族がいれば、怖いと思うのは、もう理屈じゃない。
「だったらさ。余計一緒にいようよ!」
「え……ええっ?」
「ほら、昨日は側に寄るのもダメだったのに、今日はこうして一緒に食事してるじゃん。ちゃんと進歩してるだろ? だからさ、もっと一緒に居れば、もっと分かりあえると思うワケ。あのさ、俺…」
 俺さあ。ユーリは一度目を閉じて、それからにこっと笑った。
「知って欲しいんだ。一人でも多くの人間に。魔族ってホントはどういうのか。何を考えてるのか、どうやって毎日を生きてるのか、人間とどこが違って、どこが同じなのか。魔族の大人や子供や、とにかく色んな人と触れあって、ちょっとでも多くの人間に、魔族のホントの姿を知ってもらいたいんだよ! 心の窓をちょっとでいいから開けて、まっさらな気持ちで俺たちを、魔族を見てもらえないかな?」
「それは……」
 父さんがとまどっている。私も、おんなじ。
 分かりあえるって、それ、ホント? 魔族の本当の姿なんて、そんなの……ほんとに?
「だから。俺たち、そっちに同行するから」
「「……………はあっ!?」」
「港に着いたら、一緒にお姉さん、えっと、アイリーンさん? その人のトコまで行くから」
「ちょっと待って頂きた……」
「俺たちの目的地、そのアイリーンさんが住んでる街に近いんだよ。こっちはちょっと遠回りになるけど、別に急いでるわけじゃないし、全然大丈夫。気にしないで」
「いや、だから…」
「奥さん弱ってるし、ゆっくり行った方がいいよね? 途中美味しいものとか、名物とか食べてさ、のんびり行こうよ。…あー、でも、こっちではどうなのかな? 『名物に旨いものなし』?」
「とんでもなーい。今思いつくだけでも、かーなーりー美味しいものが目白押しですよー」
「そっかー。ヨザックがそう言うならだいじょーぶだねっ。よしっ、決まり!」
「ちょっ、ちょっと待ってよっ…!」
「決めたから」
「勝手に……!」
「決定事項だから」
「あーのーねーっ!」
 何と言うか。相手が魔族だからとか、怖いとか、憎いとか、そんなメンドくさいことより何より、ムカーッと腹が立ってきた。父さんは呆気に取られてるのか、ぽかんと口を空いたままだ。
 とにかく、もう。何なのよ、この子!!
「あー、いっぱい喋ったら喉乾いたなー。ニコル、ケーキもっと欲しくない?」
「あ、欲しいです!」
「ニコルッ!」
「じゃあ、俺は厨房に行ってきますね」
 くすくす笑いながら、茶色髪の方が立ち上がった。
「うん。よろしくー」
 よろしくーじゃないっ!!



「眞魔国にようこそーっ!」
 父さんと母さんと私とニコルの足がぴたりと止まる。
 目の前には、ずらりと並んだきれいなお姉さんたち。

 結局、私たちはユーリに押し切られた……っていうか、何を言ってもケロッと聞き流された。
 ニコルはしっかり懐いちゃうし。
 母さんは翌日目を覚まして、自分が凄く立派なベッドに寝かされているのに気づいて、そりゃもうびっくりしていた。で、事情を話したら、もっとびっくりされて、また倒れるんじゃないかと心配してしまった。
 母さんの身体の事だけで言えば、ユーリたちにはどれだけ感謝してもし足りない。口に出しては言えないけれど。と思ったら、ニコルが力一杯お礼を言っていた。ったくもう。
 心配になる。大丈夫だろうか、ニコルは。もし裏切られたら。もし心を許した途端に、恐ろしい目に─それがどんなものだか、想像もつかないけれど─合わされたりしたら。
 ものすごい傷を、心に負ってしまうんじゃないかな。
 本当に。それが……怖い。
 だから私は、ニコルみたいにできない。どんなに……羨ましくても。
 母さんは熱も下がって、お風呂にも入れた。でも、扉の向こうに魔族が居る状態に最後まで慣れなくて、ずっと緊張し続けていた。それでも、暖かくて柔らかいベッドや、美味しい食事や、毎日入れるお風呂が健康に悪いはずはなくて、眞魔国に到着する頃には、ほとんど元通りになっていた。

 眞魔国。
 ずっと思い描いていた絵がある。
 空は真っ黒な雲に覆われ、臭くて冷たい強風が吹きすさび、異形のものが跳梁跋扈する世界。民もまた、不毛の大地に這いつくばる様に暮らしていて、恐ろしい魔王の怒りに触れぬよう、ひたすら恐怖におののきながら生きている。
 そんな国。
 なのに。
 眞魔国の港は、人間の国と全く変わることなく、ううん、人間の国の港よりずっと立派で、行き交う人も皆胸を張って明るく元気そうだった。
 闇の中の生きものなはずなのに、空は抜けるような青空。まだ冬が終わった訳じゃないから、空気は冷たいけど、太陽の光は燦々と降り注いでいる。
「きれいな港だねー、お父さん」
「あ、ああ、そうだな……」
 想像していたのと違い過ぎて、父さんも母さんもちょっと呆然としていた。
 そちらの建物で、外国人の入国手続きが必要ですよと言われ、ひときわ立派な建物に入る。入ったら……、お姉さんたちがいた。

 中は、最初ちょっとしたホールになっていて、結構な人がいた。そしてその向こう、横に長いカウンターに、女の人達が並んで座っている。
「ご一家ですか?」
「あ、は、はい」
 父さん、しどももどろ。
「では代表者の方、こちらにどうぞ」
 促されて、父さんが椅子に座る。私たちはその後ろに立った。
「お国は? どちらからお出でになりました?」
 父さんが国の名前を言う。
「そちらのお名前をどうぞ」
「あ…私は…アントン、アントニオ・ぺロー、です。あの、娘がこちらに嫁いでいて……」
「ぺロー、さん」
「あ、はい」
「………少々お待ち下さいね」
 お姉さんが立ち上がって、奥に歩いていった。そこに座っている人と、何か話している。どうしたのかな。何か問題があるのかな。出てけって言われたら、どうしたら……。
「お待たせしました」
 お姉さんが戻ってきた。手に何か持っている。
「アントニオ・ぺローさん。フォーウェザー・ラクシスさんからのお手紙です。あなたが御到着になったら渡して欲しいと、3日前にこちらに届いていました」
 ラクシスさん。アイリーンの好きな人、だ。
 封筒は、何だかとっても厚かった。
「そ、それはどうも……」
 受け取って、封を開く。と、中から手紙と、別のものがいっぱい出てきた。
「……お金……?」
 急いで手紙を開く。父さんがざっと目を走らせて、中味を教えてくれた。
「……アイリーンが……産気づいたと。所用が立て込んで、迎えにいけない、と。それで、このお金でどうにか街まで来てくれと書いてある。どうしようもなくなったら、何とかするから鳩を飛ばしてくれと……」
 カロリアに着く前、私たちはアイリーンに手紙を送った。迎えは……ホントはあんまり期待していなかった。だって姉さんは魔族に囚われているんだから。……なのに。
「それだけあれば、乗り合い馬車に乗って、いいお宿に宿泊しても、充分お釣がでますね」
 お姉さんが、にこやかに教えてくれた。
「そう、なんです、か…?」
「はい」
 手続きはすぐに終わった。
「ようこそ、眞魔国へ。どうぞよい旅を。早くお孫さんに会えるといいですね」


「終わったー?」
 外ではユーリたちが待っていた。
 父さんが手紙を見せて、事情を話した。
「ほー、こりゃかなりの額だなー。贅沢旅行ができるぜ?」
「あ、あの、これで船での食事や何かのお支払いを……」
「ああ、そういうのは後でいいや。その街まで、早くても4日。ゆっくり行ったら1週間掛かるんだって。何が起こるか分からないじゃん。せっかくお婿さんが送ってくれたんだし、大事に取っといてよ」
「……お婿さん……」
 皆で、ちょっと呆然としてしまった。だって、そんな単語、今まで思いつきもしなかったんだもの。
「さ、行こうよ! ほら、あそこに馬車がいるだろ? あれに乗るんだって!」
「あっ、あのっ」
「何?」
「あなたも…乗り合い馬車に乗るの…?」
「そうだけど?」
「だってその……あなた、とってもいいお家の若さまだって……」
「あー…。別に大したコトないから。でも乗り合い馬車は初めてなんだ。結構楽しみにしてたの。それにほらー、色んな人と触れあって欲しいっていったじゃん?」
 いたずら小僧みたいに、にぱーって笑う。どんな顔をしてみせても、ものすっごく可愛い。……ちょっとムカつくけど。
 本当は。
 怖いって気持ちは。裏切られたら、どこかで手の平返されたら。そんな不安は消しようもないけど。
 でも、この人達がいてくれて、私はホッとしてる。
 この、なんだかとっても頼りになる、この人達がずっといてくれて、初めての、人間の国じゃない土地にいながら、それでも心細さからは救われてる。
 ありがとうって。
 いつか言える日がきてくれるだろうか?


「よーし。しゅっぱーつ!!」

 この日。私たちは眞魔国に第一歩を記した。


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やっぱり終わりませんでした………。
実家で一生懸命書いてきますので、どうかお許し下さい。
金曜までにもうちょっと……は、無理だろうなあ。

皆様、6月に再会いたしましょう。どうぞお元気で。

ちなみにユーリ。アニシナ入ってる気がするのは……気のせいよね。