宴の前の嵐・9ー2 |
「……………っ!!」 「…そっ…そんなっ……!」 「………黒………!」 双黒。 漆黒の髪。闇色の瞳。 地上にあり得ない、あってはならない色。それを二つながらに備えた、禁忌の、忌むべき存在。 なのに。 一瞬の驚きと恐怖は、アレクの足元から脳天へと突き抜けて、次の瞬間に消えた。消えてしまった。 なぜなら。 「………………なんて……綺麗、な……」 ………何という、澄んだ瞳だろう……。翳りも澱みもない。まるで……真冬の星空のように澄み渡っている……。 アレクは呆然と胸に呟いた。 姿形だけではない。群を抜いた力を有する法術師だからこそ、アレクは目の前の存在の本質を瞬時に見抜いていた。この存在は、その持つ魂は、とてつもなく大きく、美しい、と。 少年が、戸惑ったようにアレクを見上げ、そして周りを取り囲む若き騎士達を見回した。 驚愕と嫌悪と恐怖が瞬間彼らの顔の表面を過り、そのすぐ後を、どこか陶然とした表情が内側から湧き上がるように現れる。 ほうっ、と、嫌悪の欠片もない、感嘆の深いため息が、若い騎士達から一斉に漏れた。 「……アレク。あんた達、いつまで私の邪魔をする気?」 「…え……え…?」 ハッと振り返った先、マルゴの目が据わっている。 「私は村を代表して魔王様のお世話を………」 「ちょっと待ってよ、マルゴ!」 突如、マルゴの背後から厳しい声が掛かった。マルゴがきょとんと振り返る。背後には、村の娘達。 「あなたばっかり魔王様のお世話をするって、それちょっとズルくない!?」 そうよ、そうよ、とあちこちから賛同の声が上がる。 「私達だって、魔王様のお着替えやお風呂のお世話をしたいわよっ」 「あたし、御髪だって、お身体だって、洗って差し上げたいわ。……きゃっ、恥ずかしーっ」 我も我もと声が上がる中、いきなり、ドンッと鈍い音が響いた。 「………マルゴ……?」 マルゴが、傍らの切り株に片足を乗せている。今程の音は、そこから放たれたものらしい。そして。 マルゴは徐に腰に手を当てると、ぐぐっと胸を反らしてふんぞり返った。……一際長身で、体格のいいマルゴがやると、その迫力と存在感は圧倒的なものがある。 「忘れないでほしいわね」 マルゴがふふんと鼻で笑った。 「魔王様に身を捧げる生贄に選ばれたのは、この、あったっしっ!」 哀れな生贄の乙女、大威張り。 だが他の乙女達も負けてはいなかった。 「何よ、えらそーに。大体、村長の娘だからって生贄にえらばれるの、それ、ズルくない?」 「絶対ズルいわよ! あれでしょ、そういうのって、公私混同っていうのよねっ!?」 いわない。だが既に、乙女達に理屈は通用しなかった。 「ちょっと何よキャシー、あんた、こないだ私になんて言った? 村長の娘なんだから、村の皆のために犠牲になってって言ったわよねっ!?」 「忘れたわ、そんな大昔の事」 「エレナ、あんたは今朝、私に何度も謝ったわよね。村長の娘だからって、こんな目に合わせて申し訳ないって!」 「ええ、言ったわよ。ホントーに申し訳ないって思ってるわ。だから代わってあげる!」 「いっやっよっ!」 「…あっ、あっ、あのー……」 「何よっ!?」 娘達が一斉に釣り上がった目を向けた先で、少年─もしかしたら魔王、が、ひっとアレクの背後に身を縮めた。 「あらやだ、魔王様、どうなさいました? ……やっぱりお世話するのは、私がよろしいですわよね〜?」 すかさず表情を改めるマルゴに、周囲からブーイングが起こる。 そんな中、アレクの袖に縋り付いたまま、少年がおずおずと顔を覗かせた。 「…あのっ、おれっ、……お風呂は自分で入れますから……。着替えも、自分でしますから……」 え? と、娘達が目を瞠る。 「お城では、たくさんの召し使い達がお世話しているんじゃないんですか? お風呂だってお着替えだって、貴いお方はご自分ではなさらないって聞いてますけど……」 マルゴの言葉に、娘達がうんうんと頷く。 「…あの……他の人は知りませんけど……おれは、全部自分でします。身体も自分で洗います! …あの、だから、女の人にそんなコト、そんな……あの、恥ずかしーし、申し訳ないし……あのっ、お気持ちだけありがたく……!」 「魔王様……お顔が真っ赤………!」 か〜わ〜い〜い〜! きゃ〜っ、と上がったかん高い乙女の雄叫びが、アレク達の鼓膜を劈いた。 「いい加減におしよ、お前達!!」 その時、突如として全く別の怒りの声が彼らの上に降り掛かった。 娘達の動きがぴたりと止まる。 「……………おっかさま」 広場に集まった人々をかき分けて、ずんずんと進んできたのは親世代の女性達だ。 「まったくなんて下品なんだろ、この小娘達ときたら!」 「全くだよ! こんなじゃ、チェスカの村の女の品性が疑われるってもんだ!」 「見なよ、魔王様だって震えていなさるじゃないか!?」 「どこの世界に、魔王を恐怖に陥れる生贄の乙女がいるんだい?」 「獲物を前にしたゾモサゴリ竜みたいな目をしちまって。生贄の乙女が聞いて呆れるってモンだよ!」 「やっぱりここは、あたし達の出番だね!!」 「………ちょっと、おっかさま…?」 「何だい? 文句があるってのかい?」 「あたし達から、魔王様を取ろうっていうの!?」 「そういう言葉を使うんじゃないよっ。お前達みたいな品のない娘に囲まれちゃ、魔王様だって困っちまうじゃないか。 大体、こんなお小さい魔王様だよ? お側に必要なのは、気のきかない小娘じゃなくて、あたしらみたいなおふくろ様さね!」 母世代が一斉に胸を張る。 アレク達が呆気に取られる前で、「哀れな生贄の乙女」と、「哀れな生贄の乙女」の座奪取を目指す乙女達と、「哀れな生贄の乙女」から「哀れな生贄の主婦」への書き換えを要求する母達の間で、苛烈な火花が散り始めた。 「………大変申し訳ございません、陛下」 心底申し訳なさそうな情けない声に、唖然と騒ぎを見守っていた若者達が一斉に視線を巡らせた。 「………ウォルワース様……」 アレクが呟く先に、ウォルワース、村長、そして世話役始め多くの男達が集まっている。 ウォルワースがしみじみとため息をついた。 「……何と申しますか……。この辺りはまだそれ程天変地異に襲われていないとは言え、ご存知の通り、国の大半は災害に見舞われどんどんと荒れていっております。難民も近辺に流れ込んでおりますし、村の作物も昨年をはるかに上回る量が徴収されているのです。…そのため、この村では祭も取り止められ、皆鬱々とした日々を、ここしばらくずっと過ごしていたのです。その上……」 ウォルワースが苦笑して、ライナス村長を見た。村長もまた、苦笑を顔に上せて頷いた。 「………ローガン様が久し振りにお戻りになったと喜んだのも束の間、その、魔王様のお話をなされまして……。今日まで皆、恐ろしさの余り、魂まで凍り付いたような心地でおりました……。娘のマルゴがついに今朝、生贄となることが決まりましてからは、魔王様がおいでになる時まで、恐ろしいやら哀しいやらそれはもう……」 村長の言葉に、うんうん、と村の男達が頷く。 「ところが陛下がご登場なさいまして」ウォルワースが再び言葉を継いだ。「その……魔王陛下が得体の知れぬ化け物などではないのだと理解した途端、何と申しますか、それまでの恐怖やら何やらが一気に弾け飛んでしまったと言うか、それでいきなり舞い上がってしまったと言うか……」 「こんなにみっともなく騒ぎ立てて、ほんとにまあ、お恥ずかしい事でございます」 ライナスが、深々と頭を下げる。 あ、いえ、そんなっ、とアレクの背後から出てきた少年が、慌てたように手を振った。 「怖い思いさせて、その、ホントにごめんなさい。あの…少しでも気持が軽くなって貰えたんなら、おれも嬉しいですから……」 と言いつつ少年が目を向けた先では、いつの間にかさらに数が増えて、娘達、妙齢の女性達、そして母達、なぜか祖母世代までが集まって、喧々囂々の言い合いが続いている。 はあ……っ、と、少年始め、男達のため息が深々と漏れた。と、次の瞬間。 「……ああっ、ごめんなさい!」 いきなり少年が叫んだ。 思わず仰け反ったアレクの袖を、少年が真剣な眼差しで見つめている。 「……陛下……?」 「おれってば、ずっと握りしめちゃって! あーっ、袖がすっかり皺になってる!」 見ると。確かに先ほどから少年が握りしめていた僧衣の袖が、くしゃくしゃになっていた。 「うわ、ゴメンなさい! えっとー……」 元に戻るかな〜。呟きながら、少年が一生懸命アレクの袖を擦り始めた。どういう意味があるのか、ふうふうと息まで吹き掛けている。 「……あの……ウォルワース様……」 どこか呆然と、アレクはウォルワースに、助けを求める様な眼差しを向けた。 「……あの……その……この……」 アレクの戸惑った声と、周囲の若者達の表情に、「おお、そうか!」とウォルワースが手を叩いた。 「済まん済まん! お前達にはまだ紹介していなかったのだな!」 ウォルワースは破顔すると、ユーリに笑顔を向けた。 「陛下、ここにおりますのは、アレクディール・ウォルマンと申しまして、村の司祭補を勤めております。優秀な法術師で、ですが、どうぞご安心下さい。この者達は皆、誠実な若者で正義感も強く……」 ようやく手を止めた少年に向けて、ウォルワースが言葉を連ねている。 その様子を視界に納めながら、アレクはぼんやりと考えを巡らせていた。 夢、と言う程ではない。だが、法術の修行を初めて以来、常に思い巡らせていた一つの光景があった。 術を極め、奥義を身につけ、その力を持って世界に正義を齎す己の姿だ。 想像の中の最大最高の場面は、もちろん悪の権化、邪悪の化身、魔王を倒すクライマックスだ。 暗黒と瘴気渦巻く眞魔国、その中心たる城に乗り込み、悪鬼羅刹が跳梁跋扈する迷宮を踏破し、その深奥、魔王の玉座に迫る自分。そして。 「世界の滅亡を果たさんと、邪悪な奸計を巡らす魔王よ! 神の名において、今こそ正義の鉄槌を下さん! 覚悟せよ!!」 ぐわっはっはっはっは……! 闇を震わす魔王の哄笑。 「ちょこざいな小僧めが! おのれごときの腕で、世界の闇を支配するこの魔王が倒せるとでも思ったか! 愚か者めが、思い知らせてくれようぞ!!」 「黙れ、悪鬼よ! 正義は我にあり!」 邪悪な想念が凝り固まった暗黒の奥津城で、走る電光、燃え上がる炎。 「今こそ世界に真の光を齎さんっ!! 悪の帝王、邪悪の化身よ! その傲慢なる邪心、神の光に砕かれ、永遠に滅びるがいいっ!!」 降り注ぐ正義の雷、魂切る絶叫……………! 「…あっ、あの、初めまして。ユーリといいます。魔王です。この度は、えっと、ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません。しばらくお世話になります。どうかよろしくお願いします!」 ぺこんっ。 「………あ…これはどうもご丁寧に…。こちらこそ……」 ぺこり。 ……………………間違ってる。……何か、ものすごく間違ってる気がするぞ……。 「………なあ? 俺達、ここに何しにきたんだっけ……?」 背後で友人の声がする。 「え…………あー、ほら、えーと、アレだ、生贄の乙女の魔の手から、けなげな魔王を救うため………?」 「……………………………違うんじゃないかな、それ………」 今だ頭を下げた恰好のまま、アレクは頭をぐるぐると悩ませていた。 「ガルダン!」 鬱蒼とした、夜明けの光も届かぬ闇に沈んだ森の中で、わずかな灯と人の気配が動いた。 「………こちらでございます、ウェラー卿!」 呼び合う声と灯が、やがて一つ所に集まっていく。 新連邦とベイルオルドーンの国境に位置する森の中。 コンラートを始めとする魔王救出部隊と、ウォルワース旗下の先行部隊が、ここでようやく合流できたのだ。 「……お待たせして、申し訳ございません、閣下」 全身を覆うマントを払い除け、ウォルワースの部下、ガルダンが言った。 「いや。お前達のおかげで、陛下は王宮から脱出できた。礼を言う」 「お前達はよくやってくれた。私も鼻が高いぞ、ガルダン」 コンラートの傍らから、ミゲルも嬉しそうに言う。 「いいえ、閣下、ミゲル様。そのお言葉は、陛下を無事に国外にお送りしてから改めて頂きとうございます。……本来なら、この国境まで陛下をお連れし、閣下のお手にお戻ししたかったのですが、国境守備隊の警戒が異常に強化されてしまい、それも叶わず……」 「では、ベイルオルドーン内に入り込むのは難しいのか?」 眉を顰めるコンラートに、いいえ、とガルダンが首を振った。 「ここまでお待ち頂きましたのも、この方々の合流をお待ちしていたからです。この方々の御尽力で、ベイルオルドーン入国に、まず問題はございません」 そう言いながらガルダンが振り向いた先に、マントで身体を覆った三人の人物が立っていた。 「………彼らは………?」 コンラートの言葉を待っていたかのように、三人が頭からマントを外す。 「………え…?」 「あ……っ」 「…………うそ……っ」 アリ−が素頓狂な声を上げる。 「お、お姉さま……っ!?」 「待たせてごめんなさいね、コンラート」 カーラがいた。 「…カーラ…! どうしてここに!?」 「老師のお供で来ていたのよ。まあ、詳しい話はガルダン殿に後から聞いてちょうだい。その前に、こちらの方を御紹介させて」 愕然とするコンラート達を他所に、カーラは傍らに立つ2人連れに手を向けた。 そこには、ワイルドに飛び跳ねる赤毛の長身の男と、貴族的な風貌の金髪の青年が立っていた。 「…………カイン……」 呆然と呟くミゲルに、カインが小さく微笑みかける。 「……久し振りだ………ミゲル……」 「知っているのか?」 ミゲルの耳にヴォルフラムが囁く。だがミゲルがその問いに答えるより早く、カインが前に進み出、そして、コンラートに向けて頭を下げた。 「……初めてお目に掛かります、ウェラー卿。私は、カイン・ラスタンフェルと申します。…ベイルオルドーン国王の弟、そしてここにおりますミゲルの、兄、でございます」 「ミゲルの……?」 ちらりと見たミゲルの表情は、困惑したように引きつっている。 「………あなたが、ウォルワースが伝えてきた第三の勢力を代表する者だと…? 我々に協力すると言うのか? ………父親や兄を裏切って?」 カインは、苦しげに息を吐くと、一度きゅっと唇を噛んだ。 「………この度の暴挙、もはや許しを乞う資格もない事は存じております。ですが……国の誰もがこのような事を望んでいた訳ではありません。……ここでつらつらと申し開きをしても時間の無駄でしょう。今はただ、眞魔国と真の友情を築きたいと、そしそのために力を尽したいと、そう願う者が我が国にも多くおります事を、どうかお信じ願いたいと存じます……!」 カインが、真剣な眼差しをコンラートに向けた。 わずかな灯の中で、コンラートは真直ぐに自分を見る青年の瞳を確かめた。 「……………分かった。……信じよう」 「…さあ、納得したら、すぐに行動開始よ! もう神殿も王宮も、とっくに追っ手を走らせているわ」 カーラがパンッと手を叩いて宣言した。 「何っ!?」 「ちなみに、神殿の追っ手の中には、クロゥとバスケスが潜り込んでるわ。……早く追い付かないと、ユーリ救出の一番乗りはあの2人よ?」 「…クロゥ達が……っ」 「それは許せん!!」 コンラートを遮って、叫んだのはクォードだ。 「悪党共から姫をお救いするのはこの俺! クォード・エドゥセル・ラダを置いて他に無しっ!!」 クォードが、天に向かって吠えたてる。 「ああ、クォード殿」 コンラートが、そんなクォードにちらりと視線を流す。 「あなたには、ここに残って頂くのでよろしく」 けろりとした顔で、さらりとコンラートが宣言した。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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