宴の前の嵐・10ー1

「………………な、何と言ったのだ、コンラート……?」
 薄闇の中でもはっきり分かる程、クォードの身体はわなわなと震えていた。
「おや? いつの間にそんなに耳が遠く……」
「聞こえておるわっ!」噛みつくクォード。「俺だけがどうしてここに残らねばならんのだと聞いておるのだっ!!」
「もちろん、あなたでなくてはできない仕事があるからだ」
「しごっ………な、何だと……?」
 クォードが息を整えるのを確かめて、コンラートはゆっくりと彼に対峙した。

「クォード殿。あなたには、この国境地帯に、新連邦の軍を集結させて頂く」

「…な、なんと……」
「コンラート!? それは……っ」
 驚いて足を踏み出す弟を制し、コンラートは改めてクォードと真正面に向き合った。
「我々は、陛下をお助けしたら、まっすぐにこの地を目指す。だが、ベイルオルドーンの宮廷派も神殿派も、何としてでも陛下のお身柄を手に入れようと死に物狂いで追ってくるだろう。おそらくかなりの数の兵や、法術師達が投入されるはず。待ち伏せも予想される」
 うんうん、とクォードが頷く。
「対して、我々は大人数を投入する訳にはいかないし、もちろん軍を動かす事など絶対に出来ない。眞魔国は、今回の事件を公にするつもりはないのだからな。それをすれば最悪戦争となる。魔族と人間が、再び互いに剣を向けあう事態になることだけは、絶対に避けなくてはならない」
 その場にいる全員が頷く。それを確かめて、コンラートは軽く唇の端を上げた。

「だが、人間同士の、国境間の小競り合いなら、その当事国だけの問題で終わる」

「………何だと?」
 クォードが怪訝に眉を顰めた。
「陛下をお助けした後、我々は追っ手を撹乱し、追っ手の一部を国境に誘導する。そして、これを越えさせる。……武器を持った兵が新連邦の国境を犯すとなったら、どうなる?」
「…………………なるほど」
 クォードが、ふいに獣じみた笑みを浮かべて頷いた。
「先に『武力をもって国境を侵犯してきた』隣国を我らが撃退しても、我らには何の落ち度にもならん。まして、更にそやつらが『敵対行動』を取ってきたとあらば、報復措置として攻め入る事もできるな」
 その通り、とコンラートが頷いた。クォードが楽しそうに続ける。
「我らは、隣国に不穏な動きありと察して、国境の守備固めをしていた。そこへ国境を犯し、隣国の兵が攻め入ってきた。故にこれを迎え撃った。……姫誘拐の事実をあやつらが公表できぬ以上、これ以外見える真実はどこにもない」
「事実、その通りだからな。大陸各国に弁明が必要なら、捕虜を確保して、きっちり証言させる事だ」
「たやすいこと」
 ふっふっふ、と満足げに笑っていたクォードだったが、ハタと気づいたように眉を顰めた。
「ちょっと待て、コンラート。その作戦はよいのだが、それで何故俺が残らねばならん!? 他の者でも……」
 まだ分からないのかと、コンラートが小さくため息をついた。

「すぐに大軍を集結させ、これを即座に完璧に統率し、そして出るべき機会を逃さず討って出られる用兵の才を持つ人物が、クォード殿、あなたを置いて他に誰かいるとでも?」

「……コ、コンラート……」
 クォードが、ぱあ、と顔を輝かせる。
「そして、陛下を追って攻め寄せる敵を、陛下をお護りしつつ、時間を掛けずに一撃で蹴散らす事のできる指揮官といえば、俺はあなた以外に思い浮かぶ人物はいない。…………ああ、しまった、俺としたことが………」
「ど、どうしたのだ、コンラート?」
 いきなり顔を覆って苦悶し始めたコンラートに、嬉しそうに頬を赤らめていたクォードが、ちょっとだけ声を落として尋ねた。
「いや、その……」額を抑え、俯くコンラート。「…あなた程の人だ。きっとすばらしい活躍を陛下の前で披露できるだろう。そんなあなたの勇姿を陛下が目にされてしまったら………ああ、もしも陛下の御心があなたに動いてしまったら、俺は一体どうすればいいのか……………」
「………………………………お…………?」
 一瞬、きょとんと固まったクォードの表情が、見る間に緩んだかと思うと、その瞳がきらきらきらと輝き出した。と。

「う、わーはははははははっはっはっはっはぁっ!!」

 森に、人の哄笑とも絶叫ともつかないものが響き渡った。

「コンラートよっ! 我が親友よっ! 全て生ある者は、運命の元に跪くより途はないのだ! たとえ姫の清らかなお心が、このクォード・エドゥセル・ラダへの思慕に支配されようとも、お主に抗う術はない! ここは潔く諦めて、お主はお主にふさわしい伴侶を求めるが良い! ………おおっ、こうしている暇はないっ! さっそくに兵を集めねばっ!」
 いきなり思い出したように身を翻らせると、クォードはコンラート達に背を向け、足早に歩き始めた。
「よいかっ、必ずや姫をお助け申してくるのだぞっ! 悪党共をこちらに誘き寄せることも、ゆめ忘れるな!さすれば必ず、このクォード・エドゥセル・ラダがお前達を護ってやろうぞっ!!」
 では、しばしの別れだ、皆の者っ!

 声が次第に小さくなり、遥か彼方で消えた。

 呆気に取られて静まり返る一同。と、コンラートが額から手を離し、すい、と顔を上げた。

「さ、ホコリも払ったことだし、そろそろ行こうか」

 すたすたと歩き始めるコンラートの後ろ姿を、ヴォルフラムとミゲル、そしてアリーとレイルが呆然と見つめている。
「…………ヨザック……?」
「はい? なんスか?」
「………僕の、兄は………ああいう性格の男だった、か……?」
「今さら何言ってるんです? 陛下のためなら何でもありの男じゃないデスか」
「そ、そういう次元の問題じゃなく………」
「ウェラー卿に対する固定観念を、いい加減お捨てになっては如何でしょう」
 横から口を出してきたのはクラリスだ。
「固定観念?」
 はい、とクラリスが頷く。
「理想の兄上像としてのウェラー卿です」
「バカを言うなっ」ヴォルフラムが熱り立って声を上げる。「僕がいつ、コンラートを理想の兄だなどと言った!? 理想の兄上といえば、グウェンダル兄上ただお一人に決まっているだろうがっ!!」
 ヴォルフラムの怒鳴り声も意に介さず、クラリスがくす、と唇の端を釣り上げた。
「その固定観念を捨ててみれば、日々新発見の楽しみが味わえますよ?」

「ウェラー卿!」
 コンラートの背後から、追い掛けるようにカインが声を掛けた。
「何か?」
「追っ手の兵を国境の先に追い立て、そして新連邦への敵対行動に走らせる役目、我々に御任せ頂けないでしょうか!?」
「何……?」
 ぴたりと足を止め、振り返ったコンラートの瞳が鋭く光る。その光の強さに、カインは思わずたじろいだ。
「…あ、あの……我々の計画には、どうしても新連邦の皆様方のご協力が必要なのです! もちろん、決して新連邦に侵略の汚名を着せるような真似は致しません! 閣下が仰せになった通り、新連邦は自国への侵略を防いだ、という形にするとお約束致します!」
「我々と相対する大宰相配下の戦力は、現在ほぼ互角となっております」
 口を挟んだのは、それまでずっとカインの後ろで控えてきた、赤毛の野性的な風貌の男だった。コンラートの視線を受けて、男は「パーディル・ロットリンと申します。長年ウォルワース様の副官を勤めてまいりました」と自己紹介して頭を下げた。
「この均衡を崩すためにも、強大な後ろ楯の存在を明らかにしておきたいのです。そうすれば相手方も浮き足立つでしょうし、それによって少しでも勢力を削ぐ事ができれば、同胞同士の無駄な血を流さずに済む可能性も高くなります」
 なるほど、とコンラートが頷く。
「やっと追い払ったアレが、また意気揚々と戻ってくるな。……陛下の元に向かうまで、そして陛下をお助けして国境を越えるまで、あなた方の助力は当てにできるのか?」
「それは勿論です! できる限りの御助力を致します」
 カインが急いで頷く。
「そうですか。………ならば、我々が戦力を裂いて工作する必要はなくなる。その件はあなた方にお任せしよう」
「ありがとうございます! この計画、必ず成功させてご覧い入れます!」


「……コンラッド」
 国境の森を抜けるため、道なき道を足早に進む一行。
 コンラートのすぐ後ろから、ヨザックがふいに声を掛けてきた。コンラートは振り返らない。
「確認しておきたいんだけどな? お前。敵を撹乱するとか、国境に追い立てるとか、実は最初っから全然やる気なかったんだよな?」
 コンラートが、ここで初めてヨザックを振り返った。分かってなかったのか? と意外そうな顔をしている。
「…………………………当たり前だろう。そんな面倒な事、やってられるか」
「……あのな……」
「ちょっと、コンラート!」
 思わず天を仰ぐヨザックの傍、カーラからも険しい、だが低く潜めた声が上がった。
「あなたの口から出ると思わず鳥肌ものだったけれど、クォード殿は確かに希有な用兵の才能の持ち主だし、指揮官としても突出した力を持った人よ? 何より、新連邦の主脳のひとりなんだから、あまりバカにしないでちょうだい。それから、先ほどの計画! 他国の戦力を国内に導き入れる事は、カイン殿としてもかなり危険な賭だわ。それでも、敵対勢力、大宰相一派や神殿の失態となれば、カイン殿達は優位に立てる。それに、連邦軍が一気に介入できれば、カイン殿ばかりでなく、あなた達にとっても大きな助けになるじゃない! さすがコンラートだと思ったのに、何なの、その態度!」
 捲し立てるカーラに、コンラートが皮肉な笑いを浮かべる。
「確かにユーリを無事にベイルオルドーン国外へお連れしようとするなら、あらゆる混乱は大歓迎だな。新連邦軍がどこかで暴れて敵を惹き付けてくれれば助かる。だが、どうしてその工作を、割ける戦力を持たない俺達がやらなきゃならないんだ? カイン達は俺達の側面援助を約束している訳だし、ならば、新連邦軍を一刻も早く動かしたいのは、俺達よりも、連邦の戦力を当てにしているカイン達の方だろう。敵を撹乱して、一刻も早く新連邦が動けるように工作するのは、最初からカイン達の仕事と決まっているじゃないか」
「………あなた……ああ言えばカイン殿達が乗ってくると分かっていたのね……?」
 カーラの言葉に、コンラートが軽く肩を竦める。
「ウォルワースの報告を読めばそれくらいのことはな。………もしかしたら、俺達を囮にして、国境を越えた俺達と一緒に追っ手にも国境を越えさせ、それを待って新連邦を引き入れるという計画を立てているんじゃないかと、少しばかり懸念していたんだが……あの王子は、それほど悪辣でもないらしい」
 お前と違ってな、と思ったものの、賢明にも口には出さないヨザック。
 はあっ、とカーラが深く、わざとらしいため息をついた。
「………知り合ってわずかな時間だけれど、カイン殿はそんな人じゃないわ……。………カイン殿には企てを成功させて頂きたいと、心から思っているのよ。そうなれば、ベイルオルドーンも変わるし、滅びに瀕した国も、民も救われる。それに……ユーリをこんな目に合わせた連中に、報復だってできるじゃないの……っ!」
 その時、スッと向けられたコンラートの視線に、カーラは思わず背筋をゾクリと震わせた。

「………ユーリに辛い思いをさせた報復は……俺がこの手でやる。……1人残らずな。それに、ユーリさえ無事に取り戻す事ができれば、ベイルオルドーンがこの先どうなろうが俺の知った事ではない」

 こういう男だった。カーラは思い出したように心に頷いた。
 コンラートの世界は、ユーリを中心に回っている。いや……ユーリがコンラートの世界そのものなのだ。
 ユーリの存在がもしも消えてしまったら、コンラートは小指一本、いや、心臓すら動かす事を止めるだろう。

「…あなたみたいな人に愛されるのって、幸せなのか災難なのか、さっぱり分からないわね……」
 コンラートの眉が、ぴくりと動く。
「あれよね、ユーリはいつまであなたの外面に騙されてくれるかしらね?」
「………何が言いたい? カーラ…」
「いいえ、別に? ただねえ、ユーリだってこれから成長するんだし、そりゃもう益々魅力的に育つだろうし……人を見る目も確かになるだろうし…? 世界も広がって出会いも多くなれば、どこかの誰かよりもずーっと素敵な人に出会う可能性もあるだろうし…。今から1人に絞る必要もないんじゃないかと思ったり思わなかったりする訳よ」
「思うのか、思わないのか、はっきりしてくれないか? それによって、これからの新連邦に対する態度を決めなけらばならない」
「……………器の小さい男は嫌われるわよ?」
 ぐっと眉間に皺を寄せ、コンラートが傍らのカーラを睨み付ける。が、言い返す言葉が見つからないのか、歯ぎしりするように表情を厳しくすると、徐にずかずかと歩を早めて進み始めた。
「コンラート、足元を良く見ないと転ぶわよ」

「………考えてみたら、お姉さまも変わったわよねえ……」
「そうだね…。あの2人が結婚したら、なんて、今考えるととんでもない事を考えてた気がするよ……」
「隊長、あんな若い女性に言いこめられて。ふふ。…ほら、閣下、新発見新発見」
「……クラリス……それは、呪いの言葉か……?」

 彼らの行く手、次第にまばらになっていく木々の合間に、朝の光に溢れたベイルオルドーンが見えてきた。

 国境の森が切れる間際の木々の中に、一行は身を隠していた。
 今、ロットリンが状況の偵察と、隠してある乗り物を取りにその場を離れている。
「この周囲は、警備隊の中でも我らの同士が固めております。検問も手配はついておりますので、問題はないかと思われますが……」
「カイン殿、その検問だが…………どうした、ヴォルフ?」
 ハッと全員が振り返った先で、ヴォルフラムが苦しげに肩で息をしている。
「………な、なんでも……ない……っ!」
「…国境地帯だというのに、もう法力の影響が出たか………」
「何でもないと言っているだろうっ!」
 キッと顔をあげるヴォルフラムの顔は、すでに脂汗に濡れていた。
「……スヴェレラでも耐えられたんだ、これ、くらい………」
「法力は、数千年に渡ってこのベイルオルドーンに注ぎ込まれてきた。影響力も並じゃない。………ヴォルフ、これは指揮官としての命令だ。お前はこのまま……」
「すぐ慣れる! ぼ、ぼくをここから追い払おうとしても無駄だからなっ! 僕も絶対にユーリを助けに……」
「慣れる慣れないの問題じゃない。約束したはずだ。お前が……」
「あっ、あのっ、お待ち下さい、ウェラー卿!」カインがいきなり言葉を挟んだ。「あの、もしかして、この……フォンビーレフェルト卿、は、法力の影響を受けて苦しんでおられるのですか?」
 そうだ、と頷くコンラートに、カインが訝しげに首を傾けた。
「あの……どうしてこの方だけが……」
「法力と魔力は相反する力だ。この国土は長い年月法力の加護を受けてきた。だから、大地の隅々まで法力が満ちている。そのため純粋な魔族で魔力も高いヴォルフは、その反発を一気に受ける事になる。だが俺や、他の者達は皆確かに魔族だが、人間との混血だし魔力もない。だから法力の影響は受けない」
「そういうことでしたか……。あ……だったら、この事だったのかもしれない………」
 呟くと、カインは急いで懐を探り始めた。
「……カイン殿?」
「申し訳ありません。私にはその辺りの仕組みがよく分からず……。ああ、あった」
 これを、と差し出したのは、銀に色鮮やかな宝玉をはめ込んだ、繊細で美しいブレスレットだった。
「さるお方から渡されていたのです。力の相克に苦しむ者があれば渡すようにと……。これを手首に填めて下さい。これから発せられる気が、反発を中和するそうです。ただ、その、お持ちの力は一切使えなくなるそうですが……」
 如何でしょうか、と差し出されるブレスレットをしばし凝視したヴォルフラムは、言葉を発するより先にそれをカインの手から引ったくった。そして、すぐに手を通す。
「ヴォルフッ!」
「信じるしかないだろう! どうせこの土地で魔力など使えないんだ。……たとえこれが罠だろうと……」
 ぐっと拳を握り締め、荒い息をついていたヴォルフラムが、そこでふうっと大きな息を吐いた。
 それから己の呼吸を整えるように、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「………ヴォルフ……?」
「……だ……だいじょうぶ、だ……。楽に、なってきた……」
 ホッと、あからさまに安堵の吐息をつくコンラート。そんな兄の様子を見て、ヴォルフラムはぷいと横を向いた。心なし、頬が赤い。
「……あ」カインが立ち上がる。「ロットリンが戻ってきました!」

「ガルダン。今から追っ手に追い付く事は可能なのか?」
「ご安心下さい、ウェラー卿。距離からいって、こちらの方がかなり陛下に近い場所におります。充分に追い付き、うまくすれば追越す事も可能かと」
「そうか」
 コンラートが森から足を踏み出した。

「行こう。陛下がお待ちだ」





「………あら、じゃあ、呪文を唱えれば、ベイルオルドーン中に花が咲くワケじゃないんですか?」
 娘の素直な言葉に、ユーリは思わず苦笑を洩らした。
「違うんです、マルゴさん。そんなコトできないんです。大宰相達は、何かすごい誤解をしてるみたいなんですけど……。たぶん、前にやっちゃった失敗の話を聞いて、勘違いしたんだと思います」
「あの……それはもしかして、陛下が元大シマロンの大地を、一気に蘇らせたというあの話でしょうか?」
 アレクの問いかけに頷いて、ユーリは眉を八の字にして項垂れた。
「おれが未熟なばっかりに………」


 ひとしきり大騒ぎをした後、結局ユーリ達は村長の家の広間でテーブルを囲み、午後のお茶を楽しんでいた。
 ユーリ、ウォルワース、村長、それからアレクと若き騎士達が一つのテーブルにつき、その周囲でカスミやマルゴ、そして村の主だった人々が接待に動きながら会話を交わしていた。開け放たれた扉や窓からは、中に入り切れなかった村人達がぶら下がるように覗き込んでいる。

「……まさか、魔王とお茶のテーブルを囲む事になるとは、今日の今日まで想像もしなかったわ」
 女性騎士のヘルマが、カップを傾けながらしみじみと言う。全員が思わず同時に頷いた。
「………あ、あの……まおう、さま……?」
 たどたどしい呼び掛けが、傍らから聞こえてきた。
 ユーリがふと横を見ると、10歳前後、グレタと同年代と思われる少女達が数人、手に手に菓子を盛った皿を抱えている。
 何? とユーリが微笑み掛けると、少女達が一斉に真っ赤に頬を染めた。
「…あっ、あのっ、こ、これ……私達が作りました! あの……た、食べてください……っ」
 ユーリがふと視線をあげると、少女達の後ろでカスミが頷いている。ユーリもそっと頷いてそれに答えた。
「ありがとう! 頂くね」
 ユーリの前に並べられた皿には、それぞれ焼き菓子、揚げ菓子、プリンと思しき菓子などが乗っている。
 フォークを持ち上げると、ユーリはそれを一口づつ千切って口に運んだ。少女達は瞬きもせず、期待に満ちた瞳をきらきらと輝かせてその様を見つめている。
「………うん! すっごく美味しい! ホントに美味しいよ。ありがとう!」
 少女達に向けられる魔王の全開の笑顔。
 真っ赤な顔の少女達は、一斉に「きゃあ〜っ」と悲鳴のような歓声を上げると、我慢できないとばかりにその場を駆け出していった。
「……………そ、そのような粗末なものを………。何とも、申し訳ございません……」
 恐縮して頭を下げる村長に、「いいえ」とユーリが首を振った。
「本当に美味しいです、これ。それに……おれのこと、怖がったり気味悪がったりしないでもらえて……おれ、今とっても嬉しいんです」
 ぱくぱくとお菓子を食べながら笑顔で言うユーリに、その場にいた全員が、うっとりしたようにため息を洩らす。
「…………本当に……美しいというか……可愛いというか……」
「ああ…。頬に菓子の欠片をくっ付けておられる姿までもが愛らしい………」


 そんな話をしている内に、次第に話題は確信に迫っていったのだ。
「……………未熟、とは…?」
「あれは、おれが自分の力が暴走するのを止められなくて、それで起こってしまった事故なんです。あんなの、大地が蘇ったとは言えない……。あんな、歪な形で…。砦の人達がうまく役に立ててくれたから良かったけど、そんなのたまたまです。結局あの場所以外は荒れたままだったし、自然の循環が一時的に壊れてしまって、後から修正するのが大変だったんです。………呪文一つで一国の大地を復活させるなんて、そんな事できるはずないです」
「私は自分の目で見ている訳ではないので、よく理解できないのですが」
 アレクが慎重に言葉を選んで話し始めた。
「では、陛下の御力というのは、どこにどのように働きかけられるものなのでしょうか? このベイルオルドーンの大地を、その、歪ではない形で蘇らせるには……」
「そのためには」ユーリは真直ぐアレクを見返して答えた。「あなた方に、魔族に対する偏見をなくしてもらわないとならないです。……魔族は、魔物なんかじゃない。魔族はこの大地や空気や水、すなわち世界を創り、その営みを司る精霊と魂を交流させる事のできる種族なんです。魔族が使う魔力は、この精霊達との契約によって得られるもの、つまり、この世界そのものが持つ力の一部なんです。世界の気の流れに沿った、四季の変化や水の循環や、とにかく世界の自然の営みに逆らわない、むしろ同じ種類の力、それが魔力です。ですから、この力を注ぐ事で、力をなくしかけた精霊を目覚めさせ、復活させる切っ掛けを作る事ができるんです。でもそれは、切っ掛け以上のものにはなりません。だから……」
「お待ち下さい、陛下!」アレクがユーリを遮って、身を乗り出す。「では! では……法術は一体何なのですか? 魔力と相反する力、法力とは……!?」
 困ったように眉根を寄せて、ユーリが目を瞬いた。
「……ごめんなさい。それはもう何千年も昔から始まる話で……おれもよく分からないんです……。ただ、おれが教わったのは、魔力は自然の営みそのものの力だということ。対して法力は、世界や自然の力を支配し、自然の流れに逆らっても、思う通りに動かそうとする力だと……聞いてます。だから、その長い間の無理な力が精霊達の力を削ぎ、結局自然を荒らしてしまったと………」
 ガタンッ、と音を立てて、アレクが立ち上がる。テーブルに手をついて、唇を震わせながら自分を睨み付ける若い法術師の眼差しに、ユーリは申し訳なさそうに視線を落とした。
「……アレク、座りなさい」
「しかしっ、ウォルワース様……っ」
「座れと言っている」
 ウォルワースの厳しい声に、アレクがどすんと椅子に腰を落とす。
「………ごめんなさい」ユーリが囁くように言った。「あなた方が悪いと言っているんじゃないんです」
「…………………」
「……おれは、そんな世界をもう一つ、知ってます」
「……………陛下?」
「その世界では、法力じゃなく、技術で、世界を変えてきました。技術を発展させればさせるほど、自然を操る事ができて、自然の厳しい土地でも人間が暮らしやすいように変える事ができて、皆が幸せになるんだと、そう信じてきたんです。好きな時、好きな場所に雨を降らせるとか、海を埋めて国土を増やしたり山を削ったり川の流れを変えたりとか、季節に関係なく1年中作物を豊かに実らせるとか……。長い年月を掛けて、その世界の人間達は自然を自分達の暮らしに合うように変えて、変えれば変える程世界は良くなるんだとずっと長い間信じてて、そして………やっと気づいたんです。自分達は、自分達の大切な世界を、自分達の手で破壊してるんだって。今になってようやく、世界を救おうと必死になってるんだけど………」
 ユーリは、そこでようやく顔を上げて、自分を凝視するアレクを見た。
「あなた方が悪いとは思ってません。あなた方が、あなた方なりに一生懸命だって事も、全ては人々が幸せに暮らしていくために、その力を伸ばして発展させてきた事も、分かっているつもりです。でも、気づいて欲しいんです。あなた方の力の向かう先がちょっとだけ間違っていたために、数千年かけて少しづつ少しづつ世界は軋み、歪んで……壊れかけているんです。世界が、精霊達が、悲鳴を上げているんです。どうか、その悲鳴に気づいて、そして……おれ達に、協力して欲しいんです」
「………………………………きょう、りょく……?」
 はい、とユーリが頷いた。
「元大シマロンのあの土地のように、一点だけに力を注いでも何にもならない。必要なのは、各地の聖地です。おそらくどんな土地にもあるはずです。伝説とか言い伝えの形で、その土地ならではの神聖な場所が。そこにはきっと弱った精霊達が集まっているはず。そこを見つけて力を注いでやれば……。たくさんの聖地、力を注ぐたくさんの点を見つけて力を注いで、そうすればそこから復活の力が全土に広がっていくはずなんです。新連邦ではその作業がもう始まってます。ベイルオルドーンを救うには、それを一刻も早くしなくてはならないんです。……この国の荒廃を考えたら、もうそんなに時間は残ってません」
 しん、と、座に沈黙がおりた。
 アレクはまだ唇を噛み、ユーリから目を逸らしている。……握りしめた拳が、かすかに震えている。

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どうしてもここまではいきたい! と思う場面があるので、とにかくそこまで進めようと…。
でもやっぱり字数オーバーなので、またまた二つに分けました。
こういうのに慣れるとまずいんですけどね〜。