宴の前の嵐・16 |
「陛下が、こちらにおいでになられて」ローエンの述懐はさらに続く。「私は私の力を用いて、陛下のお心の内を探りました。覚えておられますかな?」 「……ちから………ああ、あの触手みたいな力。はじめて会った時の……」 「そうです」頷くローエン。「あなたの中に邪悪の欠片でもあれば、それを理由に滅ぼそうと、ダードが何と言おうと、真実が何であろうと、刺し違えてでも私がそれを成し遂げようと……そんな決意すらしていたのですよ……。ですが」 しみじみとした息を吐いて、ローエンはユーリを見た。 「あなたは……そうですな、ごく普通の『人』だった。世界を滅ぼす邪悪な意志など欠片もない代わりに、完全無欠の聖人でもなければ、もちろん神でも天使でもない。『人』としての善きところも悪きところも、当たり前に備えた、当たり前の子供……。王としての理想はたっぷりと抱えておられるが、同じくらい劣等感も抱えておられる。溢れんばかりの希望と同時に不安も感じておられる。……まあ、分析はその程度にしておきますが、総じて陛下は、王としては、お仕えするに中々有望な良き王、人としては、実に善良な『善き人』であると思いましたよ」 「……………そうなんだよなー。小学校の頃からおれ、『渋谷君って、ホントに良い人ね! 彼女にはなれないけど、ずっといいお友だちでいてね?』って、言われ続けてきたもんなー」 でもって、彼女いない歴イコール年齢だったわけだ。まあそのおかげで、今最高のダンナ様を手に入れることができたのだけれど。 ちょっとズレたところで納得するユーリを、コンラートが困ったような笑顔で、ヴォルフラムが呆れ果てたような顔で、他のメンバーもどうコメントすればいいのか分からない顔で見つめている。 「私は……」コホン、と咳払いをして、ローエンが話を続ける。「大宰相の手から、ともかくあなたを保護せねばならないと思いました。しかし…それを命じた者達が先走り、陛下を暗殺しようとしたことは、誠に申し訳なく思っております。……それから後、何としても大宰相の追っ手に先んじて、陛下の御身をこちらへと考えたのですが………結果として、こうしてお話できるようになりましたことは、実に僥倖であったと感じ入っておりますよ……」 話を終えて、ローエン大神官はほう、と小さく息をついた。 その老人の姿を、ユーリはしみじみと見つめていた。 ………この人も、色んなことを考えていたんだ……。 ただすれ違うだけなら、ローエンはユーリにとって「魔族を憎む神官」以上の何者にもならなかっただろう。人格すら感じなかったかもしれない。 でも、こうしてその人の歴史にわずかでも触れることで、ローエンは長い人生を生き抜いてきた、一人の人間としてユーリの前に形を現した。 国を思い、民を思い、自分にできることは何かと思い悩み。できることをやろうと、使命を果たそうと、懸命に生きてきた一人の人間。 ……皆そうなんだ。魔族だって人間だって、歓んだり泣いたり、いっぱい後悔したりしながら、皆がそれぞれ、自分の人生を一生懸命生きているんだ……。 それは、当たり前過ぎるくらい当たり前のことなんだけれど。 人は時々、いや、何もなければしょっちゅう、それを忘れてしまうものだから。 しみじみと、ユーリが心の中で頷いていると、大神官が最後の一言を述べるために口を開いた。 「大宰相の葬儀も終わりましたし、これで私も神官としての役目を全て果たしたと存じます。私は大神官の座を降り、眞魔国に対して行われた犯罪に関わる一人として、その罪に服したいと考えます」 一瞬の間を置いて、ざわりと人が揺れた。 「ローエン様、それは……!」 「大神官殿!」 「ローエン様が罪に服されると仰せならば、我らも……っ!」 「黙りなさい!」 胸に響くその声は、長年、人の上に立ってきた者にふさわしい鋭く重い声音だった。 大神官の周りを囲む神官や法術師同様、ユーリも思わず背筋を伸ばす。 「………そちらのお二人も仰っておられた。……私もまた、紛れもない罪人。眞魔国の方々にとって、許し難い存在であろう……。大宰相が罪を一身で被るように逝かれたが、これだけ大事となった以上、それで済むはずがない。いや、済ませてはなるまい。罰するべきは罰せねば、カイン殿とてこの先立ち行かぬであろうしな。……ただ、願うことが許されるなら、今回の事件は全て、大宰相を始めとする旧王室側近と、私を頂点とする神殿の主導によって行われたこと。関わった者達は、皆、大宰相と私の命令に従ったまで。できますれば、カイン殿、そして魔王陛下、大宰相と私、大神官ローエンの命を持ちまして、他の者達への処分、温情を賜ります様、心よりお願い申し上げまする」 そう言って、深く頭を下げるローエンに、周囲から嗚咽の声が洩れ始めた。 「ローエン殿……」 カインも呟いて、どう言葉を続けることも出来ないまま目を伏せた。 「……もう、そういうの、おれ、嫌だ」 部屋に響いたのは、子供の声。世の道理、大人の理などいらぬと言いたげな、どこか頑な、そのくせ今にも泣き出しそうな子供の声。 人々の視線が、ソファに深く腰掛け、唇を噛む少年魔王に集中した。 「………目の前で、ガヤンさんに死なれて……。おれ、辛かった…。おれ……あの人とは、怒鳴りあいになってもいいから、とことん話してみたかった…。そんなになったら、たぶんおれ、負けちゃうだろうけど……。 でも、元々は立派で優しかった人が、何を、どんな風に考えてこれまできたのか……もっとちゃんと聞いてみたかった……!」 自分に言い聞かせるように話していたユーリが、スッと顔を上げる。 「おれ、ずっと考えてたんだ。あの人を死なせずに済む方法、ホントになかったのかなって……」 「……陛下、それは……」 辛そうに言葉を挟もうとするカインに、ユーリは急いで首を振った。 「ごめん! カインを責めてる訳じゃないんだ! ただ……」 少し躊躇うように数回、唇を緩ませたり閉じたりを繰り返して、それから最後にぎゅっと口元を引き締めてから、ユーリは息を吸った。 「あんたは間違ってたんだ。ざまーみろって、言えばよかったかなって……思った」 思いも寄らない言葉に、全員が目を瞠いてユーリを見る。 「あんたは間違ってた。魔族は魔物なんかじゃない。世界を滅ぼそうなんて、これっぽっちも考えてない。それどころか、崩れてく世界を何とか護りたいと思ってる。そして、人間達とも、どっちがどっちを支配するとかじゃなくて、平等に、公平に、皆仲良く幸せに暮らしていけるようにしたいと思ってる。そしてこれから、それを実現する! ベイルオルドーンの人達とも、今すぐはだめでも、これからきっと分かりあって、協力してこの大地を救うように頑張る! おれ達も、カイン達も、きっと立派にやり遂げてみせる! ……大宰相、あんたは、それをただ見てろ。おれ達が世界を救うのを、指を銜えて見てろ。何も出来ない自分に、歯噛みしながら見てろ! そして、自分が間違ってたんだって事、そのために取り返しのつかない事をしてしまったんだって事、人生大失敗しちゃったんだって事、思い知って苦しめ! 後悔しろ!」 叫ぶように言うユーリの瞳は、まっすぐ大神官ローエンを見つめている。 「……それがあんたに与えられる罰だ。だから死ぬなんて許さない。そんな楽になる道はあげない。それでも死んで逃げるって言うなら、あんたはただの卑怯者だ。逃がしてなんかやらない! 楽になんかさせない! ずっと後悔しながら生き続けろ。そっちの方が死ぬよりずっと苦しいんだからな! ざまーみろ!」 一声最後に上げてから、ふうーっ、と大きく息をついて、ユーリは呆然と彼を見つめる人々の顔を見渡した。 「……すっげー酷い言い方だって分かってるよ……。でも、そんな風に言ったら、あの人、思いきり腹を立てて、死んでも死んでやるもんかって……言ってくれたんじゃないかなーって思ったりして……その……」 自分を見つめる人々の表情に何を思ったのか、語尾が次第に弱々しくなると同時に、眉がしおしおと八の字になる。 「………あの……ごめんなさい、ヘンなこと……。えっと、おれ、政治的なとか、国際情勢的にとか……そっち方面どうもよく分からなくて………そのぉ………」 胸元で両の人さし指をもじもじと擦り合わせながら、呟くように言う。 「それでも……生きてさえいれば……いつか皆が昔の事を、笑って話せる時が来るんじゃないかなー、とかって思ったりするんだよ………」 「ユーリ……」 思わず名を呼ぶと、コンラートは隣で項垂れる主、であり恋人、の頭をそっと包み込むように抱き、優しく引き寄せた。何の抵抗もなく、小さな頭がコンラートの胸にもたれる。 「ユーリ」 囁きながら、黒髪に唇を寄せる。「コンラッド…?」と、探るような小さな声と同時に、その顔がコンラートを見上げた。大きな黒い瞳が、わずかに潤んでいるのがたまらなく愛おしい。 胸にある愛しさと誇らしさの全てを込めて、コンラートはユーリに微笑みかけ、頷いた。 一拍おいて、ユーリが嬉しそうに笑顔を返す。 ユーリの向こう側では、はあ、という大きなため息と共に、「死んでも死ぬものかというのは、そもそも文法的におかしいだろう」と、ヴォルフラムが聞こえよがしの声を上げ、誰かがそれに合わせて少々大げさに吹き出した。 「……死をもって責任を取る事が、逃避だと仰せですか……」 大神官から発せられた言葉に、ユーリはハッと顔を正面に向けた。 「ごっ、ごめんなさい! あの……生意気なっていうか……もしかしてものすごく見当外れなことを……。で、でもっ」 ユーリの瞳に強い輝きが戻る。 「これからっ。…これから、ものすごく大変になると思うんです。だって、まだ……まだ、おれ達魔族を悪魔だって思ってる人は多いし、っていうか、ほとんどそうだろうし。でも、それを変えていかなきゃ何も先に進みません! だけどそれが簡単じゃないことも分かってます。だから、あなたにいて欲しいんです! アレクディールさんとか、他の神官さん達とか法術師さん達とかとも知り合ったけど、分かってくれたりしたけれど、やっぱり、これからもっとたくさんの人達に、世界の事、眞魔国の事、魔族の事、ちゃんと話して、分かってもらって、真剣にこれからを変えていくためには、長い間大神官としてこの国の信仰を束ねてきたあなたの力が必要だと思うんです! ……確かに、大変だ思います。今まで真実だと民に伝えてきた事の多くを、あなた達自身が否定しなくちゃいけないこともある。すごく…辛い事だと思います。でも、だからこそ、それを若い人達に任せたりしないで、あなたに、あなた自身にやって頂きたいんです。民を、導いて欲しいんです! この国を、民と、そして大地を救うためにも……。あなたは、さっき罪に服するって言ってましたよね? だったら、それが罰だって思ってもらってもいい。死んで責任を取るよりも、あえて苦しい生きる道を選んでほしいと思います! ……そして、いつか皆でがんばった苦労が報われて、全部がいい方向へ向かうようになって、その時、それでもあなたがまだ罪を償わなきゃならないと思っているなら、その時はその時のあなたにふさわしい罰を、カインが考えてくれると思います」 どうでしょうか…? ユーリが小首を傾げてお伺いを立てる。 熱く語った割には、最後に心細そうな様子を見せるのは、この王の自信のなさの現れかもしれない。そう思いつつ、不安がいっぱいの少年王の顔を、ローエンは不思議な程微笑ましい気持で眺めていた。 「カイン様に申し上げます!」 背後から掛かる声に、大神官は思わず後ろを振り返った。そこには、かつてかなりの期待を掛けた若者が立っている。 「……アレク、ディール……」 ウォルワースの領地で司祭補を勤めるアレクディールが、神妙な、だが決意に満ちた顔つきで、カインを見つめて、いやほとんど睨み付けていた。 「怖れながら……申し上げます。……私は生れ故郷の村で、魔王陛下と御会い致しました。そして、そのお話を、世界の事、法術の事、そして魔力の事を伺い、その、我々が学んできた常識とのあまりの違いに、怒りすら覚えてしまいました。そして同時に……恐怖、しました……。陛下のお言葉を信じるなら、これまで培ってきた私の全てが、私の世界そのものが崩壊してしまうと……。しかし、気づいたのです。まだ……間に合うのだと……。信じてきた教えと祈りを否定するのは辛い事です。しかし、間違いであったなら、それを潔く認めねば! そして、世界が、私達のこの国が滅びに至る前に、正しい道を民達に示さねば! それができるのは、たとえ誤った方法であったとしても、世界の理を追求してきた私達だけではないかと。私達は間に合うのです! 今、魔族の方々と協力して、大地の崩壊を食い止める事は、決して私達人間の誇りを傷つける行為ではありません! それどころか、もしこのまま自分達の教えにしがみつき、それ故に国と民を死に至らしめるならば、それこそ我らが先祖より連綿と繋いできた教義は地に堕ち、闇に堕したものと成り下がるでしょう! ………私は、むしろこの激動の時代に居合わせた事を幸運だと思います。こうして、先達の誰もが到達し得なかった真実の道を、私達は混沌の中から見い出す事ができたのですから。そして、滅びから祖国を救う手助けができるのですから! しかしカイン様、その仕事は、我らだけでは到底無理です。我らのような若造に、一体どれだけの民が、国中の神殿の神官や法術師達が、信をおいてくれるでしょうか? それを得るために、一体どれほどの無駄な労力を費やさなければならないか……。……どうかお願いでございます! ローエン大神官様を、何とぞお許し下さいませ。そしてどうかお命じ下さいませ。我ら、魔族と魔王陛下の真実の一端を知った神官、そして法術師を束ね、大地を復活に向かわせるため、民を導けと! どれほど苦難の道であろうとも、それができるのは、大神官ローエン様をおいて他におられません!」 アレクディールが、そしてすぐに他の神官や法術師達が、一斉に深く頭を垂れる。 カインに、と言いつつ、実際はローエンに向けられた必死の言葉に、大神官は唇を震わせた。 「ローエン殿」カインが静かに言葉を発する。「お聞きになられましたな?」 「……カイン様……」 「この度の件の発端は、全て我が父、大宰相ガヤンより始まりました。そして父は、罪は全て我にありと声を発して死んでいったと…思っています。……ローエン殿、罪の償い方は様々にあっていいのではなかろうか。眞魔国の皆様方がそれでお許し下さるならば、あえて…苦難の道を生きて進むのもその一つであろうと存じます」 カインが視線をユーリに転じる。真摯な眼差しを受けて、ユーリもまた真剣な顔で頷いた。 「……カイン様……魔王陛下……」 身体を震わせるローエンの肩に、ダードの腕が回る。そしてぽんぽんと軽やかにその肩を叩くと、晴れやかな笑顔をその顔に浮かべた。 「もしかしたら、いや、ほとんど間違いなく、お主は民の怒りをその一身に受けねばならんだろうな。辛かろうよ。だがな、ローエン、お主はひとり苦しむ訳ではない。お主と共に、苦難の道を行こうとする者も、また多く存在してのだ。その者達のためにも、そしてここにいるお主の友のためにも、生きてくれ。な? ローエンよ」 穏やかに語り掛けるダードの言葉に、ローエンの肩の震えが一段と大きくなった。 「まだかなり混乱は続いてるのか?」 夕食前のお茶とお菓子を頂きながら、ユーリは側にいるカインに話を向けた。 もともと寒い国であるベイルオルドーンでは、公式やあらたまった場所以外では、あまりテーブルと椅子を 使わないということを、ユーリはここで初めて知った。 カインがひと休みを宣言して案内した場所は、テーブルも椅子もない、代わりに暖炉の前に色とりどり、形もとりどりのクッションが、鏤めるように置かれた暖かな部屋だった。 ふかふかの、座れば沈みそうな絨緞の上に直に座って、クッションを椅子や背もたれ代わりにし、ユーリ達は、それぞれの前に置かれたお盆の上のお茶とお菓子を楽しんでいた。ちなみに暖炉の前の一番いい場所はユーリに与えられ、コンラートはそのすぐ後ろでさりげなくユーリの背を支えている。 部屋にいるのは、ユーリ達眞魔国とダードを除くカーラ達新連邦の一行、そしてカインとミゲル、ウォルワースがいる。クッションを敷いて落ち着いた彼らの間を、カスミがティーポットを手にし、お茶のお代わりを注いでまわっていた。 ロットリンとガルダンは、作戦行動の現状を確認するため場を離れ、ダード、ローエン、そしてアレク達神官、法術師達とチェスカの村からついてきた騎士達もまた、神殿で待機することになって王宮を辞していた。まだ反乱のざわめきが治まっていない王都の住民達の心を安んじるため、カイン支持の立場から、神殿のなすべきことを話し合うためである。 「軍の半数以上は押さえてあったとは申せ、大宰相とバンディールに従っていた者も多く、我々だけでは事を収めるのにも時間が掛かったでしょう。ですが幸い、新連邦軍のご協力を得まして、ほぼ全地域の制圧は完了しております。…準備さえ完璧にしておけば、蜂起したその瞬間に、勝負の帰趨は見えるものだとあの方が……。ああ、そうだ、ウェラー卿」 呼び掛けられて、コンラートが顔を上げた。カインがにこやかに笑いかける。 「あの方はすごい戦術家でいらっしゃいますね! 我々の行動に呼応して蜂起した民衆達まで完璧に軍の動きに連動させて、それを全て把握なさっておられました。我々も緻密な作戦を立てたつもりではありましたが、それに新連邦軍の更に大胆な戦術が加わって、各地に残る大宰相派の抵抗を一気呵成に制圧することが叶いました。あの方ご自身も八面六臂の大活躍で……。全くもって見事な指揮官であり戦士であると驚嘆致しました! あのク……わあっ!!」 いきなり大声を上げたかと思うと、カインが飛び上がった。 端麗な王子様が、何故か一瞬でずぶ濡れになっている。 「まあっ、私としましたことがとんだご無礼を! お許し下さいませ!」 カインの傍らで、空の水指しを手にしたカスミが、口調の割には平然とした顔で謝罪する。 「クッションで躓いてしまいまして……。カイン様、申し訳ございません」 言ったかと思うと、一体どこから取り出したのかさっぱり分からないバスタオル程の大きな布で、ごっしごっしとカインの頭やら顔やらを拭い始める。 「…っ、わっ、わわ、わっぷ…………え…?」 いきなりすごい力で擦られて、手足をばたつかせていたカインだったが、カスミが何やら耳元に顔を寄せた途端静かになった。 そして、髪を拭かれながら、その視線をユーリに向ける。 「…寒いからさー、ちゃんと拭かなきゃダメだよー。…でも、カスミさんが躓くなんて珍しいよねー」 のんきな口調のユーリの背後で、「そうですね」と穏やかに応えるウェラー卿。 その、自分を見る瞳を目にして。 それからカインは、眞魔国一行がてんでに座る位置に顔を向けた。 フォンビーレフェルト卿が、ヨザックが、クラリスが、弟ミゲルが、そしてウォルワースが、さりげなく、だがはっきりと、首を左右に振り、そっと手を振り、胸元に両腕を交差させてバツを作る。 そうしてカインは、今度は頭を廻らせ、視線を新連邦の一行に向けた。 それを受けて、複雑な表情のまま、同時に首を左右に大きく振るカーラ、アリ−、レイル、クロゥにバスケス。 それからもう一度、ユーリ(とその背後)に目を向けて。 カインの頭の中に「命が惜しくば……」というフレーズが浮かんで消える。 「………………え、えーと、あのー……と、とにかく、混乱は、少なくともこの王都では、今日中にほぼ落ち着くものと考えております……」 「そっか!」 場の雰囲気に全く気づいていないユーリが、にっこりと笑う。 「だったらおれ達、もう帰れるな!」 「……元々おれは、ここに誘拐されてきたんだし。ここで起きてる事に、おれ達が勝手に手を出したりしちゃだめだしな。……この国がどんな風に落ちつくのか、それから…大神官さんがどうなるのかすごく気にはなるけど、でももうそれはこの国の問題で、カイン達が決めなきゃいけない事だし……。おれは一応言いたい事は言ったつもりだから、もうこれ以上干渉しちゃいけないよな。だからおれ、眞魔国に帰るよ! ……全部終わったら、国が落ち着いたら、眞魔国に正式な、今度は本当に友好を深めるための使者を送ってくれるか? カイン」 「ええ、もちろんです、陛下!」 目的は果たしたとばかりに半濡れのまま放置され、頭に布を被ったまま、カインは微笑んだ。 「ありがと! じゃあおれ達は、巫女さん達の準備をしておくよ。……大地の復活のためには、なるべく早くこっちに彼女達を派遣したいんだけど、すぐには無理か……」 「よろしいでしょうか?」 ユーリとカインの会話に、口を挟んできたのはウォルワースだった。 「ウォルワース?」 「はい。お許しいただければ私は、それまでの間に、ベイルオルドーン国内にあるはずの聖地を探したいと思います。どのようなものかは、陛下にお教え頂けましたし……。できる限りの聖地を見つけておく事ができれば、待つ時間を無駄にせずに済むかと」 「そっか! その手があるよなっ。聖地を探すのが、一番時間が掛かるんだし。先にリストアップしといてくれれば、すぐに儀式ができる! さっすがウォルワース、あったまいい!」 は、あ、いやその、と照れるウォルワースに笑みを投げかけると、ユーリはカインに「構わない?」と尋ねた。 「ええ、もちろん、その方が私も助かりますし。…あ、でも、ミゲル、お前はいいのか?」 突然兄から声を掛けられて、ミゲルが驚きに身体を固まらせた。 「…っ、も、もちろん……陛下のお許しがあれば、私はまったく、その……」 「はいっ、じゃ決まり! 頼むよ、ウォルワース!」 へどもどするミゲルにくすっと笑いを浮かべると、ユーリはさっさと事を決めた。ウォルワースが一礼して応える。 「…………カイン」 あらためてその名を呼ぶと、ユーリは立ち上がってカインの元に歩み寄った。カインもそれを受けて姿勢を正す。 「…色々あると思う。これから、きっと。色んな意味で大変だと思う。でも、おれ達もできる限りの協力をしていきたいと思ってる。だから……頑張って下さい。そして、これからよろしく!」 ずいっと右手を差し出したユーリに、「ありがとうございます」とにこやかに答えながらも、カインは怪訝な眼差しでその手を見た。それと察したユーリが、身を乗り出し、カインの手を掴むとしっかり握ってぶんぶんと上下に振る。 「握手っていうんですよ、カイン様。眞魔国流の友情の表現なのです」 レイルがにこにこと蘊蓄を披露する。 ちょーっと違うんだけどなー、と思いつつ、ユーリは否定しなかった。「なるほど」と呟きながら、カインも両手でユーリの手を握り、自ら上下に腕を振り始めた。 握手はこれからホントに流行るかも知れない。 背後にいる某氏の表情に気づかないまま、ユーリはにこにこと笑って握手を続けた。ちなみに、眞魔国組の他のメンバーはもちろん、ユーリとその背後の某氏を眺めていた新連邦組の複雑怪奇な表情にも、ユーリは全く気づかなかった。 「………この時代に生まれた事を、幸運と思う、か……」 若いとはいいものだのう。 羨ましそうに呟く友に、ダードは呆れたため息をついた。 「なんだ、爺くさい。そのような老いぼれた事を口にすると、早く年をとるぞ!」 「実際老いぼれておるわ……」 眞魔国とベイルオルドーンの緊急首脳会談に一区切りをつけ、自室に下がった二人の神官は、お茶のカップを傾けながら何かを思い浮かべるように目を閉じた。 「……会うてみて、よかったであろうが。あのお人が、おそらくはこの世界を救うあらゆる力の中心となるだろう……」 ダードの言葉に、ふむ、とローエンが小さく唸る。 「それにしてもローエン」 「何だ?」 「ユーリ陛下のことだが……。王としては有望な、人としては善良な……普通の『人』とお主は評したが………また、えらく控えめな見方ではなかったかのお…?」 「そのことか…」ちらりとダードを見遣ってから、ローエンはお茶を更に一口啜った。「……間違ったことは言っておらん。あの方とて、それ以上の評価など欲しいと思ってはおられまい。実際納得しておられたではないか。………ただな」 「ただ?」 「……ただ……あのお方の、『前途有望にして善良なる普通の人』の奥にあるものには、さすがの私も恐ろしくて覗く事はできなんだわ」 カチャリと音をたてて、カップがテーブルに置かれる。 「……奥、か……」 そう、とローエンが頷く。 「巨大にして広大な……そして圧倒的な力……。感じただけで、触れてみる事も覗き込む事もできなかったが、あのお人の魂の奥には、凄まじいものが眠っている。……よく無自覚でいられるものだ……」 「そうか……」 「あれが、燦然と輝く太陽として地上に光をもたらすか、それとも全てを呑み込む闇となるか……今は誰にも分かるまい……」 「大丈夫だよ」 「……またあっさりと」 「大丈夫だ。……私はな、ローエン、あの魔王陛下が地上の光となると信じたのだ。信じて、行動する。そう決めた。それにな、信じるということが、あの方にとっての大きな力になると私は思うぞ。だから…大丈夫だ。お主も、あまり暗い事は考えず、あの方の行く末を見届けてやろうと思わんか? その方がよっぽど面白いぞ。死ぬのはその後でも遅くはない」 「……その前に寿命の方がきそうだの」 それもそうだ、と笑う二人。ダードは、いつの間にかローエンの笑顔から暗い影が無くなっている事に、内心ホッと安堵の息をついていた。 「……………で? ……何でおれ、またこの格好なの……?」 翌朝、夜明けと同時に、彼らは王宮の広場に集まっていた。 すでに旅の支度は整い、荷物を乗せた馬車や馬も準備されている。 で、ユーリは今回も「純朴な田舎の村娘」姿である。変わっているのは、三つ編みを結ぶリボンが、前より大きくなっていることか。 「そりゃ可愛……」 「目立たないためですよ、ユーリ」 幼馴染みの声を実力行使で遮って、コンラートがにっこりと笑う。 カインは当初、賓客にふさわしい馬車と、国境まで彼らを護る兵士達を用意しようとしたらしい。しかし、それは反って目立つという理由でコンラートが断った。今彼らの前にある馬車は、馬車とは名ばかりの、ほとんど荷車である。 目立たない服装をするというのは分かるが、だからといってユーリが女装しなくてはならない意味が分からない。 「念には念をいれてということですよ。この姿だったら、誰も絶対怪んだりしませんしね。ベルティアとカスミも同じような恰好ですし、村の三姉妹に見えますから完璧ですね」 顔を覗き込むコンラートに、うーとユーリが唸る。 「ほぼ騒動は治まったとはいえ、危険がないとは言えません。国境を超えるまで我慢して下さい、陛下」 「分かったよ! けど、へーか言うなっ!」 「そうでした。ありがとうございます、ユーリ」 うわー、見ました? 奥さん、あの目つき。でろ甘ー、胸焼けしそー…、といつも通り命知らずなお庭番の向こう脛を、笑顔のまま容赦なく蹴り飛ばすウェラー卿。 そんな彼らの様子を、ベイルオルドーンの人々、そして新連邦の一行は笑顔で眺めている。そこには、ダードと並んで、ローエンとアレク、そして他の神官と法術師達も並んでいた。 「……陛下、本当に色々とありがとうございました」 サリィが深く腰を折る。喪服こそ纏っていないものの、質素なドレスは相変わらずで、一晩で窶れたように見える白い面が痛々しいとユーリは思った。大宰相の遺体は、深更の鐘と同時に外へ運ばれ、葬られたと聞いた。ユーリには慰めの言葉など思いもつかない。ただ、サリィがそれでも笑いかけてくれていることが嬉しかった。 「サリィ様に御礼を言われること、おれ、何にもしてません。おれの方こそ、たくさん助けて頂いて本当にありがとうございました。えっと、あの……ぜひいつか、いえ、近い内にきっと、眞魔国へ遊びに来て下さい!ミゲルの仕事ぶりも見てやってほしいし。な? ミゲル?」 サリィの傍らに佇むミゲルに声を掛けると、ミゲルもまた「はい!」と大きく頷いた。 「母上をご案内したい場所がたくさんあります! お待ちしております。ぜひ、お出で下さいませ。……あ、あのー、よろしければ、その……あに、上、も……」 顔を真っ赤にしてその単語を口から押し出すミゲルに、カインもまた破顔した。 「ありがとう、ミゲル……。落ち着いたら、必ず伺わせて頂きます、陛下。……本当に、ご迷惑をお掛け致しました。そして、心より御礼申し上げます……!」 「だから、御礼言われるようなこと、何もしてないってば」 大きく手を振るユーリに、カインが穏やかな笑みを顔に浮かべる。 「……ベイルオルドーンも、変わっていきます。いえ、変えてみせます。そして、必ず眞魔国の皆さんと本物の友情を育んでいきます。……陛下のご好意によって大地だけが蘇っても、人の心が変わらなければ国が蘇るとは申せません。人もまた、変わっていかなくては……。険しい道だとは思いますが……」 「協力するよ!」 ユーリが右手を差し伸べる。 「言っただろ? カイン一人で苦労するんじゃないから! カインの周りにいる人達も、おれ達も、一緒になってがんばるよ! おれだって、魔族と人間が仲良くなって欲しいもんなっ」 とりあえず宣伝部隊でも作って送り込んじゃおうかなっ。 笑うユーリに、笑みを深くしたカインもまた、手を伸ばした。 「はい。…がんばりましょう、皆で」 「おうっ!」 次第に高くなり、そしてさらに輝きを増す朝陽が。 その場に集う人の心までも、透明な光で満たし始めていた。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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