たわわの実りと初恋と 8


「………済まない……ドナ……」
「……………」
「……俺の、せいだ…。何もかも……俺の浅はかさが……思い上がりが招いた事態だ……」

 済まない……。
 言って、ロディオンは己の気弱な声に驚いていた。

「…っ、なっ、なにをっ、謝っているんだっ、ロディオン!? これで俺も覚悟がついたというものじゃないかっ! 俺は姫をラーダンにお連れしっ、つっ、妻に……」
「できると…本気で考えているわけじゃないだろう…?」

 ぐう、と、ドナの喉が妙な音を立てて震える。

 俺は……。

 ドナの呟きがふっとロディオンに耳に滑り込んできた。
 ドナ? そっと声を掛けるロディオンの目の前で、ドナの強張っていた肩がガクリと落ちる。

「……姫と、離れたくなくて……」

「……ドナ」
「姫が…略奪という言葉を使った時……」

『魔族を拉致して誘拐して略奪して、でもって言うこと聞かせようなんて卑怯な真似をする人はいない!!』

 突然、頭の中を嵐が通り過ぎたようになった。そして、気がついたら……姫に向かって突進していた。

「……分かってる…! 分かってるんだ。こんな事をしても何にもならない。それどころか……。でも……このまま別れてしまったら、もう2度とこんな近くで姫と会うことはできない。このまま行かせてしまったら、姫に…軽蔑、されたままで行かせてしまったら、もう……」

 ……馬鹿だなあ、俺は……。

「こんな事を仕出かしたら、愛されるどころかますます軽蔑されるだけだっていうのに……。そんなこと、分りきってることなのに、どうして俺は……」
「ドナ……」ロディオンの声が、どこか水っぽくなる。「……済まない……」

 思わず目を伏せて。ロディオンは震える喉から声を押し出した。

 自分は……何と愚かな男なのだろう……。
 頭が良いと、自分は知識と知恵でドナを、将来のドナの治世を支えるのだと、自分にしかできないのだと……思い込んでいた。いや、思い上がっていた。
 今度のことにしても、自分で勝手に物語を作って、作った物語の通りに話が進むと思い込んで、それが狂うともう何もできなくなってしまった。

 ……俺は、国家の存亡に対処するだの、外国との命懸けの駆け引きだの、実際の場面に出くわしたことも、関ったことも、ただの一度もなかった。

 ただ、想像していただけだ。
 そして、想像上の自分は、華麗なまでにそれをやり遂げることができた。勝手な物語を作って、都合の良い、自分にとって気持ちの良い展開を想像して、それを楽しんでいただけだったのだと、今頃になって気がついた。

 ……俺には、そんな能力など欠片もなかったんだ……。

 そして今、自分の愚かさのために、祖国を滅亡の危機に陥らせてしまった。

 ロディオンは、そっと視線を後方の馬車に向けた。
 馬車には姫とラチェル、ルチェルの姉妹、そして寄り添うように馬を寄せるスラヴァがいる。
 彼らは顔を寄せ合って、何か話し込んでいるようだ。時折声がするが、内容までは聞こえない。

 ……スラヴァ達は姫の御心を和らげてくれるだろうか……。

 本当なら、今すぐにでも姫に謝罪して、フランシアに送り返すべきなのだ。
 そんなこと、とうに分かっている。
 だけど……。

 愚かと分っていながら。それでも、もしかしたら、もしかしたらと思う。
 ラーダンはすぐそこだ。今姫を解放しようが、国に連れ帰ろうが、時間的に大して変わらないのではないか?
 だったらラーダンに来てもらって、わずかでもラーダンを見てもらった方が良いのではないか?
 そうすれば、姫は理解してくれるかもしれない。
 理解して、許してくれて、同情もしてくれて、もしかしたら協力しようと言ってくれるかもしれない。
 それにもしかしたらもしかしたら、ドナに好意を抱いてくれるかもしれない。
 ここまできて、その可能性を捨て去っても良いのだろうかと。
 愚かと分っていながら、この逡巡こそが破滅を呼ぶのだと分っていながら、それでも期待してしまうのだ。

 ……どうして、どうしてこうまで愚かなのだろう……。

「国境よ!」

 ラチェルの声がした。
 ハッと顔を上げる。見れば、ドナも同じ様に身を乗り出し、国境の見慣れた石橋を見つめている。
 橋の傍らには行商人がのんびりと身体を休めていた。
 あの男は、どれだけの国を廻っているのだろう。彼の目に、ラーダンはどう映っただろう。商売になったのだろうか。それとも、もうこの国には用はないと、他国へ向かうところなのだろうか。ああ……。

 ついにここまで来てしまった。

 心臓が痛い。これから一体どうすれば良いのだろう……。

 悩んで、悔いて、それでも馬の歩みに乱れはなく、自分達は確実に姫をラーダンに運んでいる。

 行商人はちらりと自分達を見たようだが、すぐに関心をなくしてしまったようだ。
 ロディオンの頭の中からも、今傍らを過ぎた男の姿はすぐに消えてしまった。

 橋を渡る。
 ロディオン達に続いて、馬車が石橋を渡る硬い音が響いてくる。

 ラーダンに、着いてしまった……。

 ロディオンが小さくため息をついた、その瞬間だった。


□□□□□


 わあっ! と。突然の歓声が辺り一体に響き渡った。

「っ、な、何!?」

 手綱を取るラチェルも驚いたのか、馬車がガクンと揺れて止まった。
 ラチェルはもちろん、ユーリとルチェル、側にいるスラヴァも身を乗り出して前方に目を凝らす。
 と。
 いかにも田舎の鄙びた風景の中、伸びる砂利道の向こうから、人々が、10人や20人でない、遥かに多い人々が怒涛の勢いで駆けて来る。

「なっ、何!?」
「村の皆だわ!」
「まさか…暴動!?」

 最後の言葉はユーリだった。苦しむ民がついに蜂起し、帰国した王太子を襲いに来たのではないかと一瞬考えたのだ。
 ユーリの言葉に、スラヴァ達がほんのわずかだけ緊張を見せる。だが。

「なんか……雰囲気が違う……ような……?」

 そう言われてみれば、とユーリも頷いた。
 何というか、妙に明るいというか、団体全体が華やいでいるのだ。
 停車している馬車に人々がどんどん近づいてくる。そこでようやく分った。
 笑顔なのだ。

 大人も子供もいる。お爺ちゃんお婆ちゃんからお孫さん世代まで、走れる年代はほぼ揃っている。それが皆、手を振り上げ、これ以上ないほどの笑顔で、足取りも軽やかに駆けてくるのだ。
 ……大地の崩壊に飢え苦しむ人たちとは到底思えない。

「ドナ様ぁ!!」

 最初に聞こえたのは、最も高周波の幼い少女の声だった。

「ドナ様!」
「ドナ様! お帰りなさいませ!」

 次々に聞こえるのは、王太子ドナの帰国を喜ぶ民の声。

 ……ふーん。
 ユーリはふむふむと頷いた。
 ドナが民から愛される王子だというのは、どうやら本当のことらしい。

「お出掛けから帰る度にこんな大歓迎されるなんて、よっぽど好かれてんだな」

 腕組みしてしみじみ納得するユーリに、ラチェル、ルチェル、スラヴァが「違う違う」と手を横に振る。

「好かれてはいますけど、こんな迎え方をされたことはありません! 一体……」

 ドナ様!
 思わず馬を止めたドナとロディオンに真っ先に駆け寄ったのは、満面の笑顔の子供達だった。

「お帰りなさいっ、ドナ様! それから…」

 ご婚約、おめでとーございますっ!!

「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「……………はぁっ?」

 おめでとうございます、ドナ様!
 お幸せに、ドナ様!

 どんどん周囲に集まってくる人々から、帰国とドナの「婚約」を祝う歓声が上がる。

「…あ、あの、ちょちょちょっと、待っ……」

 きゃーっ!!
 少女達の高周波が再び響き渡った。
 村人達を一旦静めようと上がったドナの腕が中途半端に止まる。

「きっ、きれーいっ!!」
「信じらんなーい! すっごーい!!」
「ドナ様、やったー!」

 少女達が見上げているのは、もちろん馬車の上のユーリだ。
 彼女達の声に、他の村人達も一斉に顔を巡らせる。同時に、うおぉっ!! と場がどよめいた。馬車の縁に手を乗せ、様子を窺っていたユーリが思わず身を引く。

「何とまあお美しい!」
「魔族ってのは、皆こんなにお美しいものかね!?」
「キラキラしていなさるねえ! ほんとにまあ、目が潰れそうだよ!」
「それにしてもドナ様!」

 村人達が喜び溢れる顔で、改めてドナを見上げて言った。

「ドナ様がこんなお姫様を口説けるなんて! まあ驚いたこと!」
「誰じゃい!? 魔族が角と羽を生やしたバケモンだなんて言ったのは!」
「まさかドナ様が、魔族のお姫様と恋仲になるなんて!」
「まさか駆け落ちして、いきなり結婚式だなんて!」
「ドナ様と魔族のお姫様が結婚すれば、ラーダンは眞魔国の王家と親戚になるんですね!」
「ラーダンはもう大丈夫ですね!」

 歓びと期待に満ち満ちた幾つもの顔。
 ドナ達は呆然とそれを見つめていた。そして。

「………これ、どういう意味かなー」

 呆気に取られて村人達を見つめるラチェル、ルチェル、スラヴァの耳に、地を這うよりも低い声が飛び込んできた。
 ハッと振り返れば、腕組みして自分達を睨みつける姫君の、今にも爆発しそうな怒りを湛えた顔がある。

「おれを騙したわけ?」
「…ひ、ひめ……」
「助けるとか言っといて、ホントはこっちに連れて来て、なし崩しに結婚させるつもりだったわけ?」
「…っ、違いますっ! 姫様、ホントに、違うんです!」
「僕達にも」スラヴァも馬から身を乗り出して言った。「訳が分かりません! どうしてこんなことに……」

 3人がユーリを宥めようとオロオロと声を上げた、その時だった。

「どいて! 皆、そこをどいて! 頼むから! ……ドナ! ロディ!」

 焦った声を上げながら、馬が1頭、人々の中に割り込んでくる。乗っているのは顔を引き攣らせたエフレムだった。

「エフレム!」

 ドナが救いを求めるような声を上げる。

「ドナ! あ、あの…」
「エフレム!」ラチェルが大声で友人を呼んだ。「こっちへ! 姫様に説明して!」

 ドナと向かい合って話をしようとしたエフレムが、慌てて馬を馬車の脇に寄せてきた。彼の後からドナとロディオンもついてくる。
 腕を組んだまま、すっかり据わった目で、口もへの字に結んでいる姫君に、エフレムが一瞬怖気づいたように顎を引く。

「……あ、あのっ、姫様……」

 ごめんなさいっ!
 エフレムがいきなり頭を下げた。

「僕っ、ちゃんと説明したつもりだったんですけど!」

 なんか皆、誤解しちゃったみたいで……。
 えへへ…と照れ笑いしそうになったところで、ユーリとウッド姉妹とスラヴァからギンッと睨まれ、慌てて神妙な顔に戻る。

「あのっ、えーとっ、僕、ちゃんと言ったはずなんです。ドナが姫様を略奪しちゃったって……。そしたら、伯父上達、あの、王様と王妃様と話を聞いてた皆が、その……ドナと姫様が恋におちて、略奪婚の式を挙げに戻ってくるって思い込んじゃって、でもってそれがあっという間に広まって……」
「「どーしてそーなるのよっっっ!!」」

 エフレムの馬鹿っ!!!

 ラチェルとルチェルに全力で罵倒されて、エフレムが「ひゃっ」と首を竦めた。

「…あ、あの……姫……」

 ドナがおずおずとユーリを呼ぶ。
 腕組みしたしかめっ面のまま、ジロリと睨まれて、一瞬だけ首を竦めたドナは、それでも何とか前に出た。

「ああああのっ、姫、こうなったらその……っ」
「ちょうど良いからこのまま結婚しましょうとか、言うんじゃないだろうな?」
「……あ、あー……いえあのその……」
「この期に及んでまだ寝ぼけたことを口にするんなら、おれ、本気でぶん殴るぞ」

 ウッと言葉に詰まるドナ。
 バカぁ。ラチェル達が一斉に顔を覆う。

「あ、あの……と、ととっ、とにかく、城へまいりたいと、思います」
「この人たち、どうすんだ?」

 馬車の周りは、興奮に頬を紅潮させた村人達がわいわいと騒ぎながらドナやユーリの様子を伺っている。
 ドナがそっと周囲を見回せば、視線の合った村人達が瞳を輝かせて笑顔を返してくる。
 その様子に苦しげに顔を顰めると、ドナは意を決した様にユーリに向かって身を乗り出した。

「……あ、あの、姫、その……こんなことをお願いする立場ではありませんが、その、もしご協力頂けるなら……その……皆をがっかりさせたくないんです…! ですから、せめて、あのっ、今だけ、今だけで結構なんですっ。あのっ、あのっ、そのっ、振り、だけ、でも…っ!」
「断る」

 ユーリがきっぱりと言った。
 身を乗り出した格好のままドナは固まり、ロディオン達はそうだよなあと項垂れる。

「甘ったれるな。おれだって、人を悲しませたいとは思わない。だけど、それで罪悪感を抱かなきゃならない者がいるとしても、それは断じておれじゃない。それすら分らないって言うなら、おれは心底からあんたを軽蔑する」

 ひゅっ、と、誰かが鋭く息を吸い込む音がした。
 ラチェルとルチェルはそっと顔を見合わせ、それからあらためてまじまじと、厳しい表情の姫君を見直した。
 この姫君は、城の奥で風にも当てないように大切に育てられた、可愛いだけのお姫様などではない。もっとずっと、もしかしたら、自分達などより、王太子であるドナより、ずっとずっと強くて厳しい人だ。

「ドナもロディオンも馬鹿よ。ほんとに、どうしようもない大馬鹿よ……」

 姉の言葉に、ルチェルは「その通りよね」と頷いてから、しみじみと言った。

「姫様みたいな方が本当にドナのお嫁さんになってくれたら……素敵だったのにね。でも……その可能性があったとしても、私達が全部潰してしまったんだわ」

□□□□□


「おお! 息子よ! 良く戻った!」

 一言も返せないまま、笑顔の民を結局置いてけぼりにして、ドナ達は馬車を走らせた。そして山の中腹にある王宮の前庭にドナ達が乗り入れた途端、今度はドナの両親である国王と王妃、それから重臣達が先を争うように飛び出してきた。

 おおおおおっ!!

 飛び出してきた国王夫妻、重臣達、そして王宮に詰めていた人々が、次の瞬間、驚愕に目を見開き、駆け寄る姿のまま石の様に固まってしまった。

「おお……何と何と……!」

 国王の口から、ため息とも呻き声とも取れる声が漏れる。
 人々が目を奪われているのは、もちろんユーリ、いや、「キューリ姫」の姿だ。

「何とぉ、お美しい姫じゃ…!」
「ま、まことに……!」

 国王と王妃が手を取り合って感嘆の声を上げる。

「ドナは自慢の息子ではございますが」母である王妃が、どこかうっとりと続けた。「このような夢のように愛くるしい姫のお心を掴み取る甲斐性があろうとは……!」

 そっと目頭を押える王妃に、夫や重臣達がうんうんと頷く。王太子に対してかなり失礼な態度だが、誰も気づいていない。

「おかげでラーダンも救われる。目出度いことじゃ」

 しみじみと喜びを口にする国王に、全員がうんうんうんと頷く。

「………エーフーレームー……」
「…ごっ、ごめん、なさい…!」

 感動と歓びを全身で表現する国王達。真実を知る全員が、説明下手な友人にツッコミを入れた。
 エフレムもさすがに申し訳ないと思ったのだろう、しょんぼりと肩を落とし、国王達から目を逸らした。

「キューリ姫と仰せか! おお、おお、ようお出で下された!」

 国王が両手を大きく広げ、足取りも軽やかにユーリに向かってきた。王妃や宮廷の人々もその後に続く。

「こりゃあまた、ほんに見れば見るほどお可愛らしい! まったく、おくてだおくてだと思うておったのに、我が息子のやりおること!」
「あなた!」夫の明け透けな物言いに、王妃が眉を顰める。「姫に失礼でしてよ!」
「いやもうわしは嬉しくて! のう、お前、これで2人の間に子ができたら、どれほど可愛いかろうのう!?」
「もう、あなたったら! お許しくださいね、姫。私達ったら田舎者で遠慮がなくて。あなたが来て下さって、皆大喜びしているのです。もちろん私もですわ! ああ、いけない、私ったら。私、ドナの母ですわ。隣で浮かれておりますのが、この国の一応国王で、私の夫で、ドナの父のアルフォンソ7世ですわ。どうぞよろしくお願いしますね。仲良くして頂けると嬉しいわ!」

   にこにこにこにこ満面の笑みの人々を見回し、ユーリは表向き小さく、内心深く深くため息をついた。
 罪悪感を抱かなきゃならないのはおれじゃない。そう言ったのはユーリ自身だ。それは正しいと思う。でも……。
 宮廷人らしい気取りも仰々しさも、そして空疎な威厳も何もなく、人懐こい笑顔で自分を歓迎してくれるこの人たち。

 ……最初から友人として会うことができれば、おれもどれだけ嬉しかったかしれないのに……。

 例え、彼らの喜びが、これで魔族は自分達を優先的に救ってくれるだろうという自分勝手な期待に基づいたものだったとしても。

「………あんた、ひどい息子だな」

 ユーリの隣に立ちつくしていたドナが、ユーリの声を耳にして、ぎゅうっと苦しげに顔を顰めた。本当に苦しそうだ。

「……ちち、上。母上。みんな……」

 苦しそうに声を絞り出すドナだが、興奮状態の両親達は気づかない。

「さあさあ、入って入って! 皆、ロディオン達もご苦労じゃったな! お茶でも飲みながら道中の話など聞かせておくれ! 姫、粗末な菓子しかござらんが、妻の心づくしの手作りでございましてな。どうかご賞味……」
「申しわけありませんっ! 父上! 母上!」

 叫んで、ドナが上半身を深々と折り曲げた。

「………ドナ…?」
「も、もうし、わけ……」

 下げられたまま、動かない頭。彼の足元にぽたぽたと大粒の、涙、が、零れて落ちた。


□□□□□


「あの…お口に合いますかしら?」
「とっても美味しいです、王妃様。……このお茶は、香草茶、ですか?」

 どこか生姜湯に似た、後口のほんのり甘いお茶だ。悪くない。

「薬草なのですよ。身体を温めてくれるのです。ラーダンでは昔からどの家も、自分の畑でこれを育てていましてね。これも城の庭の畑で、私が育てたものですの。と申しましても、大して手を掛けなくてもどんどん増えてくれるのですけどね。こんなご時世ですので、お茶の葉も手に入りませんし、今ラーダンでお茶と言えばこの薬草茶なのです。お菓子はいかが?」
「美味しいです。何か……懐かしい味です」

 シンプルな、丸く焼いただけ、クリームもフルーツも何もないパウンドケーキを頬張って、ユーリは笑顔で頷いた。懐かしいのは本当だ。口にしてみてちょっとびっくりした。母が今もよく焼いてくれる、手作りホットケーキにそっくりの味だったから。

「嬉しいわ。あの………本当に、お許し下さいませね……」

 ふと顔を曇らせて、王妃が小さく謝罪の言葉を口にした。それからそうっと探るように卓を囲む人々の顔を見回し、深々とため息をついた。

 場所はラーダン王宮の客間だ。
 今、ユーリはそこでお茶とお菓子を頂いている。
 テーブルについているのは、国王夫妻と王太子ドナ、そして重臣達だ。その中にはロディオン達の親もいる。お馴染みとなったドナの友人達は、女官達に代わるお持て成し役として動き回っている。ケーキやお茶を運んでくれたのも彼らだ。
 そして……テーブルについている人々は今、一様にがっくりと肩を落としているのだった。

「期待に沿えなくて申し訳ないです」
「とんでもありませんわ!」

 悪いのは私達の方ですもの! 王妃が驚いたように言って、手を振った。


 ドナが涙を流し、一体何が起こったのかと国王達が訝しげに眉を顰め、ロディオンが「俺が悪いんです!」と自己申告して顔を歪める。
 その一連の動きを目にした瞬間、ユーリは思わず、本当に無意識に、前に進み出てしまったのだ。

「あのっ!」

 初めて口を開いた姫君に、全員の視線が集中する。

「初めまして、こんにちは! ゆー…キューリ、と申します! よろしくお願いします! あのっ、ドナ殿には! あの……えーと…そう! 悪者に誘拐されたところを助けていただきました! それでっ、近くまで来たもので、こちらに立ち寄らせていただきました! えっと、何だか誤解があるようですが、結婚とかはありませんので、ご了承くださいっ!」

 ……おれってば、誘拐犯庇ってどうすんだよ。何だか泣きたくなってきたぞ。

 村田やコンラッドがいたら、きっとジト目で見られるんだろうなーと思いつつも、しょーがないよなーとも思う。
 このでっかい身体の人がボトボト涙を零すのは見ていられないし、気の良い王様達が悲しむ姿はもっと見たくない。
 とはいえ、結婚云々は例えお芝居だろうと絶対お断りさせてもらう。
 「結婚」という言葉は、ユーリにとってたった一人の、大切な大切な人のためにだけ存在するのだから。

 呆気に取られた顔で、ドナ達がユーリに目を向けた。彼らとユーリの目が合った瞬間、ドナは歯を食いしばって視線を落とし、他の者は今にも泣きそうに顔を歪め、一斉に頭を下げた。
 それを目にした瞬間、ユーリはぷいっとそっぽを向いた。
 腹立たしさやら安堵やら、何だか良く分らない複雑な感情に胸が騒いで、そのまま彼らを見ていられなかったのだ。

 ユーリとしては、というか、誘拐の被害者としては規格外な心遣いを示したはずなのだが、国王達の落胆は激しかった。ドナとユーリが恋仲でも何でもなく、略奪婚などないのだと理解した瞬間、全員ががっくりと肩を落とし、笑顔がみるみる半泣き顔に変わってしまったのだ。

 ドナにそんな器用な真似ができるとは思っておりませんでしたもの。
 そう呟いて、逸早く立ち直ったのは王妃だった。そして彼女の主導で全員が客間に移り、茶菓が配られた後になっても、王を中心とした男達の落胆振りは回復しなかった。

 ……アニシナさんの言う通り、男ってホント、情けないモンなのかもなー。

 薬草茶を啜りながら、ユーリは何度目かのため息をついた。

「……申し訳ありません、父上、皆も……」
「…ああ、いや……」国王が力なく顔を横に振る。「勘違いしたのはわし等の方だし…。考えてみれば、そうそう上手く事が運ぶはずがないものなあ……。とにかく、姫がおいで下さっただけでもありがたいと思わねばのう…」

重臣の1人が、諦めたように、うんうんと頷きながら王の言葉に賛同した。

「悪漢に拉致された姫をお救いしたのが我等の殿下であったこと、これはまこと喜ばしいことでございますよ」

 頷く国王ほか一同。言葉もなく項垂れるドナ達。

「そうじゃ、姫はフランシアから連れ去られたのでありましたな?」
「……はい、そうです」
「では、一旦フランシアにお戻りになった方がよろしいのかな?」
「……ですね」
「ドナ、フランシアにはお前達が姫様を救出して保護したことをお知らせしたのかの? 鳩は飛ばしたのか? それから、姫がラーダンをご覧になりたいとお立ち寄りくださったことは?」
「……あ、の……いえ、まだ……」

 何も知らない父王の素朴な疑問に、ドナの瞳がうろうろと揺れ始める。
 ロディオンの作戦では、ラーダンの状況に同情した姫君が話を合わせてくれるはずだった。だが初っ端から崩れたその作戦は、ドナの略奪婚宣言でさらに泥沼状態になっている。
 今さらフランシアに、なんと言って連絡すれば良いのか。

 ドナとロディオンはもちろん、スラヴァやエフレム、そしてウッド姉妹も、答えを出しようのない現状に、ただ唇を噛んで項垂れた。

「そりゃいかん!」国王が目を瞠って声を上げた。「そりゃあいかんぞ、ドナ! お前としたことが、何という不手際じゃ! 今頃あちらではご心配であろう。ぐずぐずしてはおれん! これ! 誰ぞ、鳩をフランシアに……」
「あのー」

 そこでユーリが右手を上げて発言を求めた。

「姫?」
「鳩は飛ばさなくていいです」

 え? と全員が顔をユーリに向ける。
 ドナ達の顔は、見るからに喜色が露になっていた。どうやら自分達を庇ってくれると誤解したらしい。
 1度だけ目を瞑って、確信して、それから目を開き、言った。

「ヨザック。出てきてくれる?」

 人々がきょとんとユーリを見る。と。

「はい、畏まりました〜、お姫様」

 突如声があらぬ方向から上がった。と同時に、部屋の隅のカーテンが風もないのにひらりと動き、そこから何と男が1人姿を現したのだ。
 もちろん、眞魔国が誇る超有能お庭番、グリエ・ヨザックである。

 何の気配もなかったところに、いきなりの登場である。国王達は椅子を蹴立てて立ち上がった。

「あ、あなたは……!」

 姫のお供の!
 行商人の!

 国王達とドナ達の声が重なった。

「え?」

 国王達とドナ達が、きょとんと顔を見合わせる。そして揃ってヨザックに顔を向けた。

「意外と遅かったですねー。早く着きすぎちゃったから、ついでにお商売もやってました。王様、昨日は歯ブラシとタンタン瓜の種、お買い上げ、ありがとうございますー」
「あ…の…」
「おれの護衛です。おれを迎えにきてくれました」
「グリエ・ヨザックっていいますー。よろしくー」

 どこかふざけた物言いで、ヨザックはにっこり笑うと深々とお辞儀をした。

「……先、まわり…?」
「ええ、そうですよー」

 思わず呟いたのだろう、ラチェルの言葉にヨザックが反応した。

「だってここ以外ありませんから」

 ど、どうして……。
 次の呟きはロディオンだった。呆然と顔を引き攣らせ、ヨザックをまるで幽霊を見るかのように見つめている。

「どうしてって……バレバレだったから?」
「ばれ、ばれ…?」

 そうそう。ヨザックに笑顔─かなり獰猛な─で頷かれて、ロディオンの口元が細かく震え始めた。

「しか、し……アリリャットの、偽装が……」
「ああ、あの笑えるくらいしょぼいやつ?」

 その答えには、ロディオンだけでなく、あの場に居合わせた全員が呆気に取られた顔でヨザックを凝視した。

「しょぼい…?」
「そう。ほらあの岩、えらく軽いと思わなかったかい?」

 そういえば、と全員が顔を見合わせる。

「あれはねー」

 そこで初めて、彼らはあの偽装に使われた3枚の岩が、火山の噴火によって作られるものであること、故に、火山ではないあの山にあってはならないものであることを知らされた。

「あるはずのねえモンがわざとらしく3枚も並んでるんだもんな。コイツは怪しいって、一目見りゃ分るだろうが。ったく、しょぼいっつーかセコいっつーか、アホらしくて笑っちまったぜ。あんなモンで騙されるのがいるなんてね」

 少々演出が入っていないこともないが、突っ込む相手はいないのだから良しとする。

「ロディオン!?」

 ルチェルが声を上げた。
 見れば、呆然としていたロディオンが、その表情のまま床にへたり込んでいる。

「………火山、特有の……あるはずの、ない、岩……」

 そんなことは知らなかった。そんな知識は全くなかった。知識のない自分は、あれを完璧な、誰にも見破れない偽装だと思い込んでいたのだ。

「……俺、は……」

 これほどまでに自分は、無知で、そして愚かだったのか……!
 今度こそ完全に打ちのめされて、ロディオンはもう自分の身体すら支えることができなくなっていた。

「ろ、ロディオン!? そなた、どうしたのじゃ!?」

 訳が分からない国王が、おろおろと声を掛けてきた。だが、誰もそれに応えられない。ドナ達もまた、あの偽装が杜撰なものであることを初めて知らされて呆然としていたのだ。

「……ドナ!」

 その声は、王妃から上がった。
 彼女はすっくと立ち上がり、滅多にない厳しい眼差しで息子を見ていた。

「これは一体どういうことなのです? まさか……あなた、まさかと思いますけど、でも……まさか……」

 姫様を、無理矢理ここにお連れしたのではないでしょうね!?

 その場にいた全員の動きが止まった。いや、固まった。

「ドナ…? お答えなさい。まさか……あなたが姫様を拐かした張本人ではないでしょうね!?」

 張本人、というのが、最初に姫を拉致しようとした者というなら違う。でも、嫌がる姫を無理矢理連れて来た、というなら、それは確かに自分達がやってしまったことだ。

 黙ったままの息子に、王妃の身体がぶるぶると震え始める。

「……ど、どういう、ことじゃ? こりゃ一体どうしたことじゃ!? ドナ! 答えよ! ドナ! ロディオン!」

 国王と王妃はもちろん、ドナ達を除く全員の表情に恐怖が色濃くなっていく。それを確かめて、ユーリは小さくため息をついた。
 この状況で、もういい加減な庇い立ては無駄だし有害かもしれない。

「すみません」

 ユーリが上げた声に、王妃が縋りつくような眼差しを向ける。

「おれを最初に拉致したのは、アリリャットの者です。ですから、息子さん達がおれを助けてくれたのは本当のことです。ただ…おれはフランシアに戻りたかったんですけど、その……」
「息子が……姫のお気持ちに逆らって、ここに……無理矢理お連れしたのでございますね?」
「……ええ、まあ……」

 そうです、と頷いた瞬間、「ひい」と悲鳴に似た異様な声を漏らし、国王の身体が床に沈んだ。  ユーリとヨザックを除く全員が、恐怖と絶望に表情を凍らせている。

「…眞魔、国の、姫を……無理矢理…? そっ、そんな……それではラーダンは…ラーダンは……」

 国王はそのまま頭を抱え、「お終いじゃあ」と呻いた。

「姫様、お伺いしたいのですが」

 ユーリの告白を聞いた瞬間、ひゅうと音をたてて息を吸い込んだ王妃は、それでも懸命に足を踏ん張っていた。そしてその力を声に籠めて、ユーリに質問を投げかけた。

「先ほどは、何ゆえに息子を庇われたのでしょう…?」
「あー、それは……」軽くこめかみを掻いて、ユーリが答える。「村の人たちもそうですけど、王様達がとっても喜んでいらっしゃったので、何というか……がっかりさせたら申し訳ないような気がして……」
「……お優しいのですね」

 小さく言って、王妃はふっと視線を逸らし、力なく佇む息子にその目を向けた。

「ですが、そのようなお気遣い、意味がございませんわ」
「!? 王妃様!」
「………ですね。仰るとおりだと思います」

 顔を覆って吐き出す様に言う王妃。口調のキツさに驚くラチェル。だがユーリは、王妃の気持ちが分ると思った。
 ここで庇い立てをしても、やったこととその重大性が変わるわけじゃあない。

「ドナ」

 しばらく顔を両手で覆い、込み上げてくるものを懸命に堪えていた王妃は、やがてキッと顔を上げて息子を見た。

「……はい…母上……」
「そなた、何ゆえ姫にそのような無体な真似をしたのですか?」
「…そ、それは……」

 俯いてしまった息子に焦れたように、今度はその目を床にへたり込んだままのロディオン、それからスラヴァ達に向ける。

「そなた達もドナに協力したのですか? 揃いも揃って、一体何ゆえにそのような愚かな真似を!?」
「………ドナでは、ありません…。ラチェル達も反対しました。悪いのは…私です……」

 応えようもなく視線を床に落とすスラヴァ達の足元で、座りこんだままのロディオンが震える声で告白を始めた。

「姫様が王家の方であることを知り……我が国の現状を直に目にして頂ければ、姫様のご同情を得ることができるのではと、そして……姫様からのご進言があれば、眞魔国も逸早く我が国を救ってくれるのではと……考えました……」
「…そ、それは……」

 確かに、と、いつの間にか椅子に戻っていた国王と重臣達が顔を見合わせ、小さく頷きあい、揃ってそろそろとユーリの表情を伺い見た。

「あんたはおれを馬鹿にしてる」
「!? そっ、そのような…っ!」

 ムッとした顔で睨みつけられて、ロディオンがぷるぷると首を振った。

「じゃなきゃ見くびってる」
「…ひ、姫……」
「おれはこれまでに幾つもの人間の国を見てきた。そしてその度考えてきた。魔族と人間がこれまでの誤解やわだかまりを解消して、共に手を携え、そして共に平和に幸せに暮らしていけるよう、できることを頑張ってやっていこうって。だから、今回ラーダンの現状を見せてもらえば、おれはこれまでしてきた決意をまた強くすると思う。だけど……この国が困っていると分ったからといって、他の、やっぱり同じ様に困ってて、だけどきちんと手続きをして順番を待ってくれている国を差し置いてあんた達を助けるような、そんな不正はしない!」

 おれを馬鹿にすんな!
 叱り飛ばされて、ロディオンは顔を真っ赤に染め、国王達も恥ずかしげに肩を窄めた。

「姫の仰せの通りです」王妃がどこか悔しげに頷く。「とかく男というものは、女を浅はかなものと頭から決め付けているのです。いくら救いが欲しいからといって、そのような……。ロディオン、そなた、もう少し思慮深いと思うておりましたよ? 私はあなたを見損なったようです」

 王妃に諭され、ロディオンはもう顔を上げることもできない。

「それで? ドナ? そなたもロディオンに賛同したのですか?」
「…いえ……あの……俺は……実は!」

 姫がお怒りになりフランシアにお帰りになると仰せになりそしたらもう2度と会えなくなると思いそれは嫌だと思ったらもう夢中で!

 息継ぎもなく一気に言ってから、ドナは覚悟を決めたように息を吸い込み、そして両親に告げた。

「……夢中で。古来からの慣習に従って姫を…略奪、して、妻にすると宣言して……それで……気がついたら、姫を馬車に放り込んでおりました……」

 一呼吸、二呼吸、じっくり時間を置いて。
 どうなることかと見つめるユーリとヨザックの目の前で。
 椅子に落ち着いていた国王が、ずるずると沈むように再び床に尻餅をつき。
 重臣達は呆然と顎を落とし、見る見る顔を青ざめさせ。
 ドナはもちろん、ラチェル、ルチェル、スラヴァ、エフレム、そしてロディオンは声もなく肩を窄め。
 そして王妃は。

 頬を青く引き攣らせ、硬直した全身をふるりと震わせ。それから。
 キッと眦を吊り上げると、王妃はツカツカと息子の傍らに歩み寄った。
 そして上げた手を、おいでおいでをするように動かし、それに釣られてドナが顔を母に寄せた、その次の瞬間。

 パーン、と。
 膨らみきった風船が破裂するような、張りのある音が部屋に響き渡った。

 母に頬を張られたドナが、呆然と目を瞠る、ような動きを見せる。

「馬鹿者!!」

 王妃が息子を怒鳴りつけた。

「一体いつの時代の慣習ですか!? そのようなカビの生えたしきたりをいきなり持ち出して、こともあろうに他国の姫を拉致するなど! そなた、一体いつからそれほどまでの恥知らずに成り果てたのです!?」
「はは、うえ……」
「そなたが姫を想うていたのは存じています。ですが、姫を妻にと求めるのであれば、一国の王太子として踏むべき手順というものがあります! それをすっ飛ばし、力ずくで我が物にしようとは! この大馬鹿者!!」

 ドナはもう項垂れるしかない。

「ドナ! 顔を上げなさい!」
「…は、はい…」
「さあ! 姫に申し上げるのです! そなたの心の内を!」
「…は、い、あの……謝罪を……」
「当然です! それから姫にきちんと求婚なさい!」

 え?
 ユーリとヨザックが2人揃って目をぱちくりと瞬かせ、王妃をまじまじと見つめた。もちろんドナ達も。

「いやしくも一国の王太子が他国の姫君を妻にと願って、駆け落ちというならまだしも、無理矢理その身を奪うとは何たる無体!」

 駆け落ちなら良いのか?
 何となく全員の目に浮かんだ疑問はそのままに、王妃の身体が怒りにぶるっと震えた。

「このような品性下劣な行い、絶対に許せません! ですが、このままではそなたはただの拉致実行犯。冷酷無比な極悪人。母として、息子がそのような悪党と思われるのも、また耐えられません。ですから、順番は逆になってしまいましたが、とにかく姫にそなたの想いを伝えて、妻になっていただけるようお願いしなさい!」

 しかし……。
 情けなさそうに呟いて、ドナはちらちらとユーリに目を向けた。

「このようなことをしてしまったのですから……私にはもう、姫を妻に望むことなど許されないのではと……」
「当然です!」

 きっぱり言われて、ドナがウッと詰まる。

「そのような仕儀になってしまったのは、全てそなた自身の責任です! ですがこれが、決して悪意によるものではないのだと、わずかなりと主張したいのであれば、姫にきちんと謝罪して、その上でそなたの想いをお伝えなさい。たとえそれで木っ端微塵となろうとも、自業自得と覚悟して、男らしく筋を通しなさい!」

 部屋に、シンと沈黙が広がった。
 全員が、その場に立ち尽くすドナを見つめている。
 と。じっと母を見下ろしていたドナが、小さく息を吐き、徐に頭を上げた。
 1度目を閉じ、そして次に目を見開いた(らしい)その時には、瞳の光はさっぱり見えなかったが、きゅっと引き結んだ唇に、決然とした意思が仄見えた。
 だれかがゴクリと喉を鳴らす。

 皆が見つめる中、ドナがクルッと勢い良く、まるで弱気を振り払う様に身体の向きをユーリに向けると、上半身を棒の様に固めたまま、大股でユーリに近づいてきた。
 咄嗟にヨザックが間に入ろうとするが、ユーリの手がそれを押し留める。
 主従のそんな様子も目に入っていないのか、ユーリの真ん前までやってきたドナは、そこで直立不動となると、大きく音を立てて息を吸い込んだ。

「…ひっ、ひめっ、きゅっ、きゅきゅっきゅっ、きゅーりっ、ひめっ!」

 なんか別の生き物になったみたいだなーと思いつつ、「はい」と返事をする。

「こっ、このたびっ、はっ、まことにっ、まっ、まっことにっ、もうしわけないことをいたしましたっ! どっ、どうかっ、おゆるしっ、くだっさいっ!! そっそれでっ、それでっ、それでっ、で…っっ!」

 ドナ、頑張れ! どこからか声援が飛んできた。

「ふっ、ふらんしあでおめにかかったっ、あのっ、ときからっ! おっ、おれはっ、ひめにっ、こっこここここここっ…げふげふっ……こ、こここっ、こいっ、こがれてっ、おりましたっ!! ですからそのっ……おれはっ、こんなちいさなっ、くにのっ、おうたいしにっ、すぎませんがっ、どっどっどどどどどっ、どうかっ! おれのっ、つ、つつつっ、つまっ、にっ、なってっ、くださいっ!! おねがいします!!!」

「お断りします」

 ……………。
 ……………。
 ……………。

「…………………息子よぉ…」
「…………………木っ端微塵ですわね」

 深々とため息をつく国王と王妃。がくがくがくーっと全身の力が抜けていくドナ。

「………わかって…おりました……。こんなことを…仕出かしてしまって……俺は……」
「別に、あんたに誘拐されたからでも、それから言っとくけど、ラーダンが小さい国だからどうとかっていうことでもないから」

 すかさず言われて、床に溶けかけていた(?)ドナがハッと顔を上げる。
 口をへの字に曲げて、腕組みをし、「キューリ姫」が引き締まった表情でドナを見下ろしている。

「おれ、一生一緒に生きていきたいって思ってる人、ちゃんといるから。その人以外、駄目なんだ。おれのこと思ってくれて、それはそれで嬉しいけど、でも申し訳ないけど」

 おれの人生に、あんたが入る余地はない。

 きっぱり断言されて、ドナはまじまじと恋した姫を見つめてしまった。

 頬を赤らめることはもちろん、困ったそぶりも、迷惑そうな様子もなく、そしてまた思わせぶりな仕種もなにもない。
 いっそ清々しいまでに容赦のない台詞に、ドナは胸の痛みより何より、不思議な高鳴りを覚えてしまった。
 何だろう、これは……。
 思わず押えた胸の奥で感じるこれは……?

 傷つけられた気は、何故かあまりしない。
 むしろ……ドナが知る限りのありふれた反応を示されるより、このきっぱりとした態度は心地良い。痛快、という言葉すら浮かぶ。
 こういう人に、自分は恋をしたのだと。
 その事実に、どうしてだろう、自分を褒めてやりたくなる……。

「……姫様」

 ドナの背後から王妃の声がした。
 振り返れば、国王夫妻が並んで立っている。

「………お許し下されい、姫。わしらは世間知らずの田舎者で、失敗に失敗を重ねてしもうたが、決して…決して眞魔国に悪意があるわけではないのじゃ……。どうか、お許し下され。もう……遅いのかもしれんが……」
「まことに、申しわけございません、姫」

 深々と頭を下げる夫婦。
 その姿を見入っていた重臣達、そしてドナやその幼馴染達は、一瞬の間を置いてから慌ててそれに倣った。

 全員に頭を下げられて、ユーリは深々とため息をついた。そして頭をバリバリと掻こう……として、鬘だったことに気づき、手を下げた。

「……もう良いです。っていうか、良くないけど、とにかく頭を上げてください」

 頼みますから。
 そう言われて、ラーダンの人々が恐る恐る頭を上げる。

「今回のことについては……後から考えるとして、とにかくあなた方には、眞魔国との友好について、しっかり考え直して欲しいとおれは思います」
「……友好について、と申されますと……」

 ほら! ユーリがロディオンと一緒になって床と仲良しになっている王太子を呼んだ。
 ドナがきょとんとユーリを見上げる。

「ツェリ様から宿題出されたろ!? 忘れてないよな? 魔族は人間と友情を築きたいと願ってる。でも、友好条約を結んでくれるなら何でもしますって言ってるわけじゃない。魔族との友好を、あんた達はどう考えているのか、どうしていこうと思ってるのか、ちゃんと考えて出直して来いって言われただろ?」
「あ……」

 そう、でした。
 ドナはゆっくりと立ち上がった。そして、意味が分らずポカンとしている両親たちに身体を向けた。


□□□□□


「……友好とは…そも何ぞやと…? 問われたというのはそういうことか…?」

 前魔王から問われたという話を聞かされて、国王は困ったように首を傾げた。

「と、言われても……何も考えとりませんでした、なあ……」
「友好条約を結べば助けてもらえると、聞いたのはそれだけでしたし……」

 重臣達も戸惑いがちに顔を見合わせる。

「友好条約とは、ただ単に結べばそれで済むというものではない。友好は、続けていかなくては何の意味もないのだと、そう言われました……。それもなく、ただ条約さえ結べば国土が救われると思い込む輩があまりに多く、今では人間に対する不審感が魔族の間で募っているのだそうです」
「つまり……私達のような者ですね?」

 仰せのこと、もっともだと思いますわ。王妃がしみじみと言った。

「それも知らずに私達は……。知らぬとは、何と恥ずかしいことでしょう……。それを前の魔王殿から直に聞かされていながら、ドナ、そなたときたら……」

 恨みがましい眼差しに、ドナは真っ赤になって俯いた。

「……しかしのぅ…」困り果てた様子で国王が言う。「条約を結べばそれで済むものではないと、それはよう分る。だが……だからと申して、わしらはどうしたら良いのじゃろうか。その……どうすれば満足していただけるのかのう…?」
「? 満足?」

 意味が分らなくて、ユーリは小首を傾げ、上目遣いで国王を覗き見た。ドナを始めとして、男性陣が一斉に顔を赤らめ、数人が鼻を押える。

「さよう、でございまするよ」

 ただ1人、悩みに没頭していてユーリの表情に気づかなかった(故に被害を受けなかった)国王が、腕を組み、しかつめらしく眉を寄せ、うむうむと頷く。

「条約を結んで、魔族からの援助を受けるに値するような見返りが、何も思いつきませんのじゃ」
「……見返り?」

 って?
 きょとんと問い返す「姫君」に、国王がようやく顔─かなり暗い表情の─を上げた。

「つまりそういうことなのでござろう? 友好を続けるには、つまり条約を結ぶだけではのうて、ラーダンをお助けいただくには、それ相応の貢ぎ物なり捧げ物なりが必要じゃと……」

 パン! 張りの良い音がして、国王の言葉が途切れた。そして全員が音の発生源に向けて顔を上げた。
 彼らの視線の先で、姫君の背後に立つ夕焼け色の髪の男が、額に手を当て、もう片方の手を腹に当て、腰を曲げて笑いを堪えている。

「あんた達にとって友好ってそんなモンなのか?」

 今度は姫の声に、ラーダンの人々の顔が下に向く。

「そんな、もん、とは…」
「貢ぎ物がなかったら、困ってる友好国を助けないわけ?」
「そ、そういう訳では……。ただしかしその…お助け頂くのに、お返しができないというのは何ともはや、その……」

 どう言えば良いのかな。小さく呟いて、それからユーリはふと顔を上げた。

「アシュラムって国があります。フランシアのお隣で……」
「ああ、フランシアのご親戚筋のお国ですな。あちらは山国とて馬をよくお使いになられますので、我がラーダン産の馬をようお買い入れ下さっております。国の規模は我が国より少々大きいくらいですが、格式の高い立派なお国でございますよ」

 国の格式って何だろう。ちょっと良く分らないと内心首を傾げつつ、ユーリは「そうなんですか」と頷いた。

「アシュラムはもともと魔族を悪魔だと信じ込んでいて、おれ達をものすごく嫌って、怖がってました。でもそのアシュラムも、あなた達と同じ様に考えて、眞魔国と友好条約を結びました。でもアシュラムからは貢ぎ物なんてありません。アシュラムの大公様が考えたことは、助けてもらう見返りに何かを差し出そうってことじゃありませんでした。アシュラムの人達は、魔族を知ろう、知って理解しようとしてくれたんです」
「理解…?」
「はい。アシュラムはたくさんの民を眞魔国に派遣しました。魔族の生活や政や、おれ達の社会の色んなことを学ぶためにです。そして、自分達にない良いところや参考になるところは、どんどんアシュラムで取り入れてくれているそうです。おれは…魔族は、そうやって魔族について理解を深めようと努めてくれてるアシュラムという国に、とても感謝してます。つまり、そういうことなんです。あの…分って頂けますか?」

 質問されて、国王達はきょとんと目を瞠った。

「それはその、つまりその……」

 そんなことでよろしいのですか?
 国王、王妃、重臣達が身を乗り出して確認の声を上げた。

「そんなことじゃねえだろ?」

 その声は、姫君の頭の上から発せられた。
 見上げれば、夕焼け色の髪をした姫の護衛が、笑顔とは程遠い表情で自分達を見下ろしている。

「俺なんぞが口を挟むこっちゃねえけどね。でもそれが、あんた達人間にとって、一番難しいことじゃないのか?」

 それは……。
 呻くように声を上げてから、国王は妻や臣下達の顔を見回した。

「しかしそれでは、結局はそちらから貰うばかりになってしまうのでは……」

 貰うとか返すとか、そういうことじゃないんです。
 焦れった気に、ユーリが声を高めた。

「心の伴わない貢ぎ物なんか要りません。おれ達が欲しいのはそんなものじゃない。あなた達には、魔族と友好を結ぶということについて、きちんと考えて欲しいと思います。ツェリ様…前の魔王、陛下が仰った通り、おれ達は友好条約を結んで欲しいから援助するって言ってるわけじゃない。そういうことじゃないんです。魔族とどうつきあっていくのか、今だけじゃなく未来に向けて、ちゃんと考えて答えを出してください。あなた達が自分で考えた、あなた達の答えを、です。それが出たら、あらためて眞魔国に来てください。全てはそれからです」

 居間に沈黙が広がった。
 ……1つ、伺ってもよろしいでしょうか?
 硬い空気の中、重臣の1人からおずおずとした声が上がった。

「それで……アシュラムの国土は回復されたのでしょうか…?」
「いいえ、まだです」

 ふっと、息が詰まるような沈黙が改めて人々を覆う。

「……それほどのことをしても、まだ足りぬのでしょうか……」
「足りる足りないじゃなくて……。あの……もしかして何か勘違いされてませんか?」
「…え…」

 人々がどこか暗い目を上げた。

「もしかして、何か一言呪文でも唱えたら、見る見る国土が蘇るとか……そんなこと想像してませんか?」

 国王達、それからテーブルの周りに侍るロディオンやラチェル達が、きょとんと顔を見合わせる。

「あの……違う、んですか……?」

 はー……。ユーリとヨザックが、2人揃って深々とため息をついた。

「そういうんじゃなくて……」

 かなり疲れた気分で、ユーリは説明を始めた。すなわち、まずは何より、その国をくまなく調査し、全ての聖地を探してもらわなければならないということ。その聖地の精霊がまだ残っているかどうかの調査も必要だということ。それから巫女が派遣されるまで待ってもらい(何といっても力のある巫女は少人数だ)、巫女の派遣が決定して後、その国の民の協力の下、国中の聖地の精霊復活のために祈りに入るということ。
 もちろん、祈ったからといってすぐに精霊が復活するわけではなく、国土の回復が実感できるようになるには、何年も掛かる。と、そこまで説明して、ユーリはぱくんと口を閉じた。
 ラーダンの人々の表情が、それこそ絶望的に暗くなっていることに気づいたからだ。

「……魔王が、その、魔力をちょいちょいと振るってくれれば、大地を蘇るというのでは……」
「違います」

 部屋に、再び沈黙が降りる。


 お食事に致しましょう。
 やがてそう切り出したのは王妃だった。

「もうお夕食の時間ですわ。大したものはありませんが、召し上がってくださいな。それから…姫もお疲れでしょう。今夜はゆっくりお休みください。それで明日は……すぐにフランシアに向かわれますか?」

 努めて穏やかな王妃の言葉に、ユーリはふうと息をついて、それから少し考えて首を振った。

「いえ、せっかくですから、この国を観せて頂きたいと思います。色んな国の現状を確認しておきたいと思いますから」

 そうですか。王妃が頷く。

「………わしら」

 そこでふいに国王が、力のない声で言った。

「とことん甘かったんですなあ……。魔族が人間と友好条約を結びたがっておる。それに応じれば、壊れかけた国土がたちまち蘇る。……そんな安直で虫の良い話が転がっているはずもなかった……」
「あなた…!」

 王妃が嗜めるように声を掛けるが、国王のどこか空ろな表情は変わらない。

「姫……。わしら、とことん田舎者でしてな。国と国の付き合いも、もう何代もラーダンの周りを囲む似たような国とばかり、それも外交なんぞと呼べるような大層なもんじゃなく、のんびりとしたご近所付き合いをしてまいったわけなのですじゃ。たまには喧嘩もするが、せいぜい野菜を投げ合えば済むような程度のもので、戦もろくにしたことがない」

 野菜を投げ合う喧嘩? ユーリは軽く首を捻った。

「大シマロンの侵略戦争も、遠くで何やら大変なことになっているらしいとは思ったが、わしらには何の被害もなく、結局は遠い他所の国の出来事で終わってしまいましたしなあ。今、大陸を襲っておる国土の崩壊には困ってしまったが、わしらもご近所も、皆、どうしたもんじゃと頭を捻るばかりで……。この辺りの国で眞魔国と結ぼうと考えたのはわしらが最初で、だからご近所からは、色々教えてくれと頼まれております。おお良いともと二つ返事をしておりましたが……」

 国王が、細く長い息をゆっくりと吐き出した。

「のんびりと、本当にまあのんびりとやってきて、それで何もかも上手く片付いておりました。でももう、そんなご時世ではないのですなあ。わしらは本当にまあ……目に見える世界のことしか分らんで……」

 言葉尻が、それを口にする国王の唇が、かすかに震えていることにユーリは気づいた。

「……世界は大きく変わろうと…いや、とうに変わっておったんですなあ……。おぼろ気ではありますが、ようやくそれが見えてきたような気がしておりますよ。このままでは……このままではわしらも、何代も何代も仲良うしてきたご近所も……世界から姿が霞むように、滅びて跡形もなく消えてなくなってしまう……」
「あなた!」
「父上!」
「陛下!」

 悲鳴のような声が上がる。
 だがそれすら聞こえないかのように、国王は潤んだ眼差しをユーリに向けた。

「もう……間に合わんのでしょうか……」
「そんなことはないです。大地の復活は遅れても、現状を少しでも良くしていく方法や技術がちゃんとあります」

 空ろだった国王が、ハッと顔を上げた。

「そりゃ真でございますか!? それはどのようにすれば……」

 思わず瞳を輝かせる国王。その様子にぎゅっと唇を噛み締めたユーリは、湧き上がる感情のままにすくっと立ち上がる。

「って、いうか……!」

 しっかりしろよっ! あんた、王様だろっ!!

 怒鳴りつけられて、国王がこれ以上ないほど大きく目を瞠った。

「魔族が助けてくれるって聞けば、何も考えずに飛びついて! すぐさま助けてくれるわけじゃないと分れば、いきなり滅亡とか言い出すし! おまけにあんたの息子はワケ分んないこと言い出して、人を誘拐するしっ! あんたも息子もご近所も!」

 もうちょっと自分の頭で考えろよっ!!

 「姫君」の剣幕に、思わず仰け反ってしまった人々は、何か反応しようと息を吸い込み、そしてそのまま固まってしまった。

「国が大きいか小さいか、都会か田舎かなんて関係ない! あんた達は、おれと同じ様に民の命を背負ってる! 何、ぐだぐだになってんだよ! んなヒマ、ないだろーがっ!」
「だっ、だからっ!」

 必死の形相で声を張り上げたのはドナだった。

「精一杯考えて、自分達で出来ることが何もないから、だから私達は眞魔国を頼ったのです! 魔族の力を借りる以外、もはや生き残る道はないと考えて。だから……!」
「だから。他の国なんかどうなっても良い、自分達さえ助けてくれれば良いって、おれを誘拐したのか?」

 ドナとロディオンが、ぐっと言葉に詰まる。そしてロディオンは視線を床に落とし、ドナは唇を噛み締めて拳を握った。

「……お、俺は……あの時、国のことは考えていません、でした……。ただ、ただただ、あなたと……共にいたく、て……」
「すっげ迷惑」

 バットで後頭部をぶん殴られたように、ドナの頭ががくっと折れた。

「つーか! んなコト考える前に、国のことを考えろ! あんたをあんなに慕ってくれる民をどう生かすか、あんたが死に物狂いで考えなきゃならないのはそっちだろ! ズルするんじゃなく、犯罪に走るんでもなく、王太子なら、王太子じゃなけりゃできないことをやれ!!」

 すみませんけどっ。
 勢い良く視線を向けられて、王妃がぴくんと身体を震わせた。

「もう疲れましたんで、休ませてください! でもって、明日、ふもとの村を見学させてもらったら、フランシアに戻ります!」

 か、かしこまりました。
 息を呑みつつ応える王妃に先導されて、ユーリとヨザックは部屋を出た。
 その間、彫像の様に固まる人々はぴくりとも反応しなかった。


「………おれ、ヤな奴だな」

 薄暗い回廊を、王妃1人に導かれて歩く。
 その時、ふっと零れたユーリの呟きに、王妃が驚いた顔で振り返る。

「姫様ったら、突然言い出すんですかぁ?」

 おどけた調子で、ヨザックは半歩後から声を掛けた。

「元を正せば……全部おれの責任なんだ。おれが最初からもっとちゃんと自覚して、ちゃんとそれらしくやってたら、今みたいな誤解は……」
「何を仰いますか!? 姫様!」

 ついに足を止め、王妃が振り返って言った。

「此度のことは、全て我等の……」
「王妃様」

 その時自分に向けられた、ひどく大人びた微笑みに、王妃は思わず口を噤んだ。

「ごめんなさい」
「……姫……?」

 なぜ謝られるのか分らない。王妃の瞳が困惑に揺れる。

「でも、だからこそじゃないですかぁ?」
「……ヨザック?」

 振り返れば、ヨザックが頭の後で手を組んで、にやにや(本人はにこにこのつもりかもしれないが)と笑っている。

「お姫様がぁ、全然自覚なんかしてなくて、全然ちゃんとしてなくて、全然それらしくやってなかったからこそ、俺達の今があると思いませんか? 俺はそう信じてますけどね。もしお姫様がいわゆる理想的な『それ』っぽかったとしても、今以上に良い結果が生まれたとは、俺には到底思えませんね」

 ……ヨザック……。
 しみじみと見つめるユーリに、ヨザックが今度こそニヤッと笑いかけた。

「って、ここに隊長がいれば絶対そう断言したと思いますよー。お姫様も隊長に言われた方が嬉しかったと思いますけど、でも残念ながらいないので、今回は俺で我慢しといて下さい。ね?」

 パチンと、音が出るようなウィンク。
 瞬間、ユーリはプッと吹き出してしまった。

「ありがと。グリエちゃん!」
「はーい、どういたしましてー」

 主従の不思議なやりとりを、王妃はただきょとんと見つめるばかりだった。


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明けましておめでとうございます!
…って、遅すぎですが。
本年もどうかよろしくお願い申し上げます!

本当は年明け早々にアップできると思ってたんですが、相変わらず予定は未定でした。
一気に書くことができず、時間を掛けてしまうと、物語がどうもダラダラした傾向に陥ることに、気がついてはいたのですが……生活していく上でどうしようもない状態なので、何とも申し訳ないです。
ドナ達も、もっと魅力的に描けるはずだと思うのですが……。
いつか彼らの名誉挽回ストーリーが書けたら良いかも、と考えています。
とにかく今は次回の最終話(予定)に向けて頑張ります!
次回こそ、猊下と閣下と彷徨える悪人達を登場させなくては。
ご感想、ご声援、心よりお待ちしております。