たわわの実りと初恋と 5


 装備などいらない。必要と思うなら、そっちで用意して後から追いかけて来い。
 凍るような無表情で、そう言い捨てて馬上の人となったのは、コンラートと大賢者村田健。そしてその2人に続くのは、ヴォルフラムとヨザック、そしてクラリスの3名だ。
 ツェツィーリエには怪我をしたライラと共に残ってもらうことにして、さっそく馬に鞭を入れようとした眞魔国の一行を、フランシア国王アントワーヌが止めた。

「アリリャットは北部山岳地方の部族国家です!」
「だから?」
「山岳地帯は平地とは別の掟が生きる、いわば別世界です。アリリャットの民はその世界に生きています。まず間違いなく、アリリャットのあるバーター山脈からこのフランシアに到る山の中に、彼らだけが知る間道があると存じます」
「……『山の民の道』か……」

 それがあったかと眉を顰める村田に、アントワーヌが大きく頷く。

「陛下を拉致した者が、律儀に街道を使うことはないでしょう。時間も掛かりすぎます。間道を使えば、本国までの道のりはかなり短縮されるはずです。ですが我々はその道がどこにあるか分かりません」
「どういうことだ?」ヴォルフラムが首を傾げながら声を発した。「他国の者が勝手に道を繋げているというのか? それをフランシアでは、知っていながらどこにあるのかも把握してないと?」
「山の民というのはそういうものなんだよ、フォンビーレフェルト卿。彼らはもともと漂泊の民だ。食と住を求めて彷徨う民に国境線など関係ない。平地の誰にも見つからず、干渉されず、侵されない山中に秘密の住処と道を切り開くのは、彼らにとって生き延びるために必要不可欠な行いなんだよ。何千年も、そうやって山の民と平地の民は住み分けをしてきたんだ。だがそれも、時代と共に変化してきたはずだけれどね。…で? 本当にフランシアの誰もアリリャットの道を把握していないのかい?」
「申し訳ありません、猊下」アントワーヌが苦しげに視線を落とす。「仰せになられた通り、山の民と我々は互いに不干渉を続けてまいりました。今日の世界の急激な変化が起こるまでは、争いもないかわり、特段の交流もありませんでした。そのため、間道につきましても、あるだろうという話はあっても、特に把握する必要を誰も感じておらず……」
「猊下」

 感情が欠落した、どこか無機質な声がした。コンラートだ。
 明け方のぼやけ始めた闇の中、松明の揺れる炎に浮かぶ顔に表情はない。だが引き結んだ唇の端に苛立ちを、剣呑な光を宿す瞳に抑えきれない怒りを湛え、ただじっと宙を睨んでいる。

「ただでさえ時間を無駄にしています。これ以上、このような会話で時間を浪費すべきではありません。今すぐ北へ向かうべきです。間道に入る前に捕らえる可能性もありますし、よほどの腕利きでなければ必ず逃走の痕跡を残しているはずです。しかし、時間を空けてはそれも消えてしまいます。今すべきは少しでもヤツ等との距離を縮めることだと存じます」
「うん、君の言う通りだ、ウェラー卿」

 コンラートが纏う気は、不用意に触れればズタズタに切り裂かれると、そんな恐怖を覚えるほどに冷たく、そして荒れ狂っていた。
 目に触れるもの、手に触れるもの、彼から彼の至上の存在を奪った世界の全てに怒りを叩きつけたい。全てを破壊し尽したい。そんな衝動が今、彼の中で嵐の様に渦巻いているのだろう。だがここで感情を爆発させても何の意味もない、どころか、無二の存在を救う障害にしかならない。それが分かっているから、これまで培った自制心を総動員して自分を抑えている。

 ……怒りが臨界点越えちまって、逆に冷静になってやがる。

 全力で怒り狂ってるよりヤバいぜ。ヨザックはさりげなく幼馴染から馬を離した。いざ爆発した時の嵐に、不用意に巻き込まれたくない。
 見れば、クラリスはもちろんだが、フォンビーレフェルト卿などは馬ごと腰が引けているようだ。

 ……いつもは少々ニブい若様なんだけどね。それにしても……。

 分からないはずはないのに、大賢者猊下のウェラー卿を見る目、対する態度は全く変化がない。

 ……隊長が怒り狂おうが、猊下が怖がるはずもないし、むしろ頼もしいと思ってる、とか……?

「よし、出発しよう」

 皆、気をつけて! 陛下を無事に取り戻してきてね!
 兵を整えて、すぐに追いかけます!

 ツェツィーリエやアントワーヌの声に送られて、眞魔国魔王陛下の側近達は主を取り戻すため、一斉に馬を走らせた。

「……国境を突破されると面倒だな……。しかしこうなると」

 馬のスピードを上げながら、苦々しげに大賢者が言った。

「頼みの綱があのラーダンの連中だけっていうのが情けないね。…まあ、何とか追いついて、間道の在り処だけでも報告してくれれば良いんだが……。彼らに幸運と一般良識が備わっていることを祈るしかないか」
「一般良識、ですか?」

 スッと馬首を並べてきた耳の良いコンラートが、村田に硬質の声で尋ねてきた。

「……そこに喰いついたか。あの連中を疑ってるね?」
「はい。猊下、ラーダンが……」
「アリリャットと手を組んで、今回のことを計ったと?」
「その怖れは」
「ないね」村田があっさりと断言する。「君の疑いは理解できる。だが、これはあの場にいた僕の判断を信じてもらうしかないが、ラーダンが居合わせたのは全くの偶然だよ。アリリャットとラーダンは、国の状況も我々に対するスタンスもほとんど同じだが、性情的に全然合わない。手の組みようがないね。ただ……」
「ただ?」

 大賢者に視線を向けているのはコンラートだけではない。全員が村田の応えを待っている。

「……いや、それは今は良い。とにかく行こう…!」

 さらに速度を上げ、奔馬の集団は怒涛の勢いで街道を北に突き進んでいった。


□□□□□


 魔族から期待と不安と疑惑を抱かれているラーダン王国王太子一行は、麗しき姫を悪人共から救い出すべく、懸命に馬を走らせていた。
 ルチェルに先導されて突き進む道は、すでに街道から外れている。人家は次第にまばらになり、整備された道はなくなり傾き始めた。

「ロディオン!」
「何だ!」
「ウェラー卿達は当然後から追ってこられるだろうな!?」
「もちろんそうだろう!」
「だったら…街道を離れてしまっては、ウェラー卿たちが困るんじゃないか!? 街道との分岐点に誰か置いておいた方が良いと思うんだが!?」
「…………」
「ロディオン?」
「ドナ」
「何だ?」
「それについては俺に考えがある。任せてくれないか? とにかく今は、姫に追いつくことだけを考えよう」
「……分った」

 一瞬だけ、親友を訝しげに眺めて、それからドナはあらためて馬に鞭を入れた。
 ロディオンの言う通り、今何より優先すべきは姫の救出だ。それ以外ない。

 どれだけ馬を走らせたか。さほど時間を置かず後を追えたと思うのに、間道の入り口を確認するはずのラチェルとはなかなか合流できない。
 次第に焦り始めた彼らの周囲は、だんだんと岩山に変わっていった。

「ほら、見て」

 そろそろ馬車で進むには道が悪すぎるのではないか。この道は違うのではないか。と、不安がドナ達の胸に湧いたその時、ルチェルが岩の奥を指差して言った。
 全員の馬がルチェルの周囲に集まる。と。

「…っ! これは!」

 大変だ! ドナが叫び、同時に馬から飛び降りようとした。

「ドナ、待って! 違うのよ!」
「違う!?」

 ドナと、ドナに従って動こうとした全員が、頬を引き攣らせてルチェルを振り返った。

「だがルチェル!」

 ドナは叫んで、再び視線を戻した。そこには。
 場所は岩山の荒れた道からほんの数歩離れた場所である。だがそこは、うっかり足を滑らせれば命はまずない切り立った崖になっていたのだ。崖というよりも、山肌が崩落している、と言った方が正しいかもしれない。山の一部が崖の下に不自然な形で落ち込み、鍋底の様な谷を作っているのだ。これもこの地方の大地の崩壊が招いた1つの姿なのだろう。
 そしてその崖の底に、まだ落下して間もないと思われる馬車が一台、無惨な姿で横たわっていた。
 時間と場所からして、キューリ姫を乗せたアリリャットの馬車であるのは間違いない。

「ラチェルと見てたの。いきなりここで停まって、どうするのかと思ったら、中から姫様を─マントに包まれていたけれど、きっとあれが姫様だわ─抱いたあの王子が出てきて、それから全員で馬車を崖の下に落としたのよ。たぶんこの先は馬車で進めないからなんだろうけど……でもどうしてわざわざ落さなきゃならなかったのか……」
「偽装だな」

 ぽつっとロディオンが呟いた。
 ロディオンの一言に、ルチェル達が「え?」と目を向ける。だがロディオンは、瞳に一種異様な光を灯して、谷の底に砕けて横たわる馬車を見つめ続けている。

「ロディオン?」
「……時間稼ぎだろう」ロディオンが低い声で説明を始めた。「あれを追っ手が見れば、姫様を乗せたまま谷底に落ちたと考えるに違いない。今のドナみたいな。そして一斉に下に降りていって、姫様を救い出そうとそのお姿を探すだろう。いないと分かるまでにはそれ相当の時間が掛かる。時間稼ぎには充分だ」
「……本当に悪だくみだけは達者なバカ王子だな……」

 悔しそうなドナの言葉に、全員が揃って頷いた。

「あいつらはここから馬を使って真っ直ぐ山を上がって行ったわ。ラチェルとはここで別れたの。落ち合うのもここよ。この場所なら間違いようがないし。……焦る気持ちはわかるけど、うっかり行き違ってしまったら大変だわ。ドナ、もうちょっとだけ落ち着いて待ってちょうだい」
「………分った」

 唇をギュッと噛み締めてから、ドナはゆっくりと頷いた。
 少なくとも今、姫を救い出す最も近い場所にいるのは自分達なのだから。

「それにしても」

 ラチェルを待つと決まり、彼らは思い思いに馬を降り、周囲を見回していた。ドナは道を先を睨みつけ、エフレムとスラヴァは周囲の岩や崩落した崖を見て周り、ロディオンは崖の底の馬車を見つめて何か考え込んでいる。

「……荒れてるよね、ここ」

 スラヴァが言えば、エフレムも「ほんとにね」と応える。

「フランシアは国土の回復が著しい国の1つだけど、それでもほんのわずか人里を離れただけでこの有様なんだなあ…。とすれば、いまだ何の手立ても得られない国がどんな状態なのか、推して知るべしってトコなのかもね……」
「もしかしてラーダンはまだましな方なのかな。とりあえず水はまだあるし、森の恵みもどんどん減ってはいるけどまだあるし……」
「だからといって後回しにされても良いという訳じゃない!」

 突然大きな声を上げたロディオンに、全員が驚きの顔を向けた。思いも寄らない方向からいきなり怒鳴りつけられて、スラヴァとエフレムは思わず顔を見合わせた。

「そ…そんなこと、言ってない、よ…?」

 おどおどと言い返す友人に、ロディオンがハッと視線を逸らす。

「ロディオン……一体どうしたんだ…? その…何か考え込んでいるようだが、姫をお助け……」
「ドナ」
「…あ、ああ…?」
「お前……」

 俺を信じてくれるか…?
 呟くようなロディオンの言葉に、ドナはきょとんと目を─糸目だが─瞠った。

「ロディ…? 本当にどうしたんだ…?」

 ドナがじっと見つめる先で、ロディオンが何かを決意するように目を閉じた。

「……ドナ、俺は…」

 ラチェルよ!
 向かい合うドナとロディオンの間に割り込むように、ルチェルの声が響く。
 全員の顔が山道の先に向いた。

「ラチェル!」

 馬を器用に操りながら、ラチェルが岩山の道を降りてきた。

「間道の入り口、分ったわよ!」


□□□□□


 陽が登り、人々の生活が始まる時刻になると、街道を突き進む捜索隊の焦りは否が応でも高まった。
 もとより道が悪い。街の中ならまだしも、郊外に出ると、わずかもしない内に石畳の道はなくなり、1頭でも馬が走れば土埃が舞って視界が遮られるシロモノだ。
 郊外の、特に農民は朝が早い。馬や荷馬車を使って一日の仕事を始めた人々に、動くなというわけにもいかない。
 しかし、道を行き来する者が増えれば、当然逃亡者達の痕跡は失われる。

「……スピードを上げて、一気にアリリャットに向かうか……。しかし……」

 珍しく大賢者が迷っている。
 掛かっているのは、彼らにとって至高の存在の安否だ。例え命に関る可能性が低いといえども、下劣な輩の手に王の身があるという、その事実が許せない。一刻も早くユーリを取り戻さなくてはならない。
 敵はアリリャットに向かっている。だから彼らもそこへ向かえば良い。だが、まともに街道を行けば、掛かる時間は間道の数倍だ。おまけに公道には国境が明確に設定され、関所が設けられている。フランシアへの正式な外交使節である眞魔国の一行が隣国に入るとなれば、外交上それ相応の手続きが必要になってくる。魔王が誘拐されたなどと告げるわけにはいかないのだから、そこでさらに時間を費やすことになる。できることなら彼らも間道に入り、国境を抜ける前に追いつきたい。しかし……間道の入り口が分らない。
 ラーダンの王太子が追いつくか。
 追いついて、間道の入り口を見つけるか。
 そしてそれを、後から来るはずの眞魔国の追っ手に伝えようとするか。
 それとも、自分達だけでユーリを、いや、キューリ姫を救出しようとするか。
 もし独力で姫を救出できたとして、その後彼らはどうするか。自分達に手渡して、眞魔国に恩を売るか。恩を売るくらいは構わない。買ってやる。だが……。

 ラーダンの連中の人となりを、僕はまだ理解し切れていない……。

 一見したところ人は良さそうだが、信頼できるか…?

「ウェラー卿」

 馬の速度を並足に落として、村田はコンラートを呼んだ。

「猊下?」
「ラーダンの王太子が無礼を謝罪していた手紙って、どういう内容だったのかな?」
「猊下…何故今そのような…?」
「君があの時、渋谷に聞かせたくなくて口を濁した内容は?」
「………天下一舞踏会に参加していた姫を王太子の側室にしてやるから、感謝してラーダンの国土を救え、というものでした」
「何だとぉっ!?」

 声は、半馬身後についていたヴォルフラムから起こった。

「何だ、その図々しい言い草はっ! 無礼にもほどがあるぞ!!」

 馬上で激怒するヴォルフラムの傍らで、大賢者は不気味なくらい無表情だ。

「フランシアでも問題視され、使者が送られました。どうやらラーダンの人々は、魔族という極めて少数の、それも未開の種族が、生き延びるために人間との友好を欲していて、条約を結んでくれるならどこでも大歓迎するのだと思いこんでいたようです」
「それで、側室にしてやるから感謝しろ、と? 魔族に救いを求めていながら、そんな上から目線の手紙を送ってきたってわけかい?」

 無表情な上に、さらに不気味なのは口調が妙に楽しそうなことだ。

「はい。王太子はそれが誤った認識であることを知っていたようですが、どうも宮廷内の意志の疎通が上手くいっていなかった模様です。フランシアの使者から事実を知らされて、ラーダンの宮廷は一気に意気消沈してしまったとか。王太子がフランシアにやってきたのは、仲介役を果たしたフランシアの面目を潰したことの謝罪と、眞魔国に対しての再度の橋渡しを依頼するためだったようです」
「自分達で直接眞魔国に接触しようとはしなかったわけか」
「この地域で最も大国なのはフランシアです。この国の面目を潰したままでは、ラーダンもこの先立ち行かないと考えたのでしょう。あのような親書を送っていながら、今さらではありますが」
「ホントにね。……あの王太子、渋谷に、というか、キューリ姫に夢中だね?」
「アントワーヌ殿から伺いましたが、天下一舞踏会の直後、あの姫を妻にしたいので身元を教えて欲しいと押し掛けてきたらしいです」
「初っ端から妻にしたいって?」
「アントワーヌ殿はそのように」
「ヌケ顔のくせに、何と図々しいっ! 誘拐犯もあいつらも、事と次第によってはただでは済まさんぞ!」

 ふーん。
 顔を真っ赤に怒り心頭のヴォルフラムを他所に、村田は納得したように頷いた。

「アリリャットの王子も似たようなことを言ってたな。とすれば、現在に至るまでどちらもキューリ姫の正体は知らないままか」
「そうなります。……猊下」
「なに?」
「アリリャットのヤツらですが、場合によっては全員その場で始末してよろしいですか?」
「…っ、お、おいっ、コンラー……」
「そうだね。別に探らなきゃならない陰謀もなさそうだし、あったとしても、アリリャットは国ごと潰すし。構わないよ。邪魔なようなら、ラーダンの連中も適当に処理して」
「畏まりました」

 つい今しがた、ただでは済まさんと怒っていたはずのヴォルフラムが、兄に向けて手を差し伸べた形のまま凍りついた。
 その後で、ヨザックとクラリスが顔を見合わせ、しみじみと頷いた。
 ……隊長は分かっていたけれど、でも……。

 猊下もまた、激怒しておられる。

 もしかして。ヨザックはふと思いついたことに背筋をゾクリと震わせた。

 猊下と隊長ががっちり手を組んで世界を相手にしたら……世界はどうなる…?

「猊下!」

 北に進む街道はどんどん田舎道となり、やがて周囲が山の景色と変わってきた。前方に、村人以外の姿はない。
 時折横道が現れ、山に入っていくらしい細道も目に入る。だが、闇雲にそこに入っていくことはできない。しかしその途中に、間道に続く道があるかもしれない。それを思えば、馬の歩みにもブレーキが掛かる。
 ラーダンの王太子達と合流できない。全速力で駆けたいのにできない。時間が無駄に費やされる。誘拐犯との間に、否応なしに距離が開く。だが……。堂々巡りのジレンマに苦しめられる。
 その時だった。
 最後尾にいたクラリスが村田を呼んだ。

 後方から、凄まじい勢いで駆けてくる馬の姿があった。

「あれは……!」
「少なくとも……ラーダンの誰かじゃないね。あれはフランシアの兵士だ」


□□□□□


 時間を遡る。

「……こんなところに!?」

 ラチェルが見つけた間道の入り口は、山間の道をしばらく進み、さらに獣道を辿って山を登り、奥に分け入ったところにあった。
 緑がまばらな岩山の中に、唐突にぽっかりと、騎乗したまま中に進んでいけるほどの大きな口を開けて現れた洞穴。
 よし、これだな! と、ドナが勇んで馬を進めようとした時、「そうじゃないのよ」とラチェルが止めた。

「これに見えるでしょ? でも違うの。本当の入り口はこっち。手伝って!」

 ラチェルが指差したのは、洞穴から数メートル離れてそそり立つ3枚の大岩だった。
 形はまちまちだが、高さはほぼ洞穴と同じくらい。洞穴と間を置いて並ぶように立っている。古くからある岩なのか、下半分はほとんど、藪のような丈の低い雑草で隠れている。藪は岩の根元から山肌にかけてびっしりと続いていた。

「びっくりするわよ。……ほら!」

 これは!
 そこにあるものに、全員が目を瞠った。
 岩の根元から山肌にかけて生い茂る藪。その中に、鋼鉄のような板が敷いてあったのだ。

「で、こっちの岩の下をよく見て。ほら、ね!」

 岩は、大地にどっしりとあるわけではなかった。何と岩は厚い台に乗せられており、その台の下には滑車のようなものが据えつけられていたのだ。
 思わず息を呑むドナ達。

「岩を1枚ずつ押して、横へずらすの。どうやらこの岩、見かけは大きいけど案外軽いらしくて、男なら1人で動かせるみたいよ。車がついてるからかもしれないけど、これだけ大きな岩がそんなに軽いなんて信じられないんだけどね」

 そう言われ、それでも半信半疑で動かした奥にあったのは、隣のものとほとんど同じ洞穴だった。

「これが本当の入り口。まさかこんな手の込んだことをしてるなんて、思いもしなかったわよ。これは分らないわよね」
「確かに、この大きさの岩だけを見たら、誰も動かしてみようなどとは思わないだろうな。……完璧だ」

 そう言ったロディオンの声に、不自然に熱が籠もる。ドナがかすかに眉を顰めて親友の顔を覗き見た。

「ねえ、これ見てよ!」

 洞穴の中や岩の裏側を覗き見ていたスラヴァが声を上げた。ドナがハッとそちらを見る。

「ほら、岩のこっち側に取っ手がついてる。そっか、これで中から閉じることができるわけだね。あ、松明になる木も積んであるよ。奥はかなり深そうだし、すぐに火を熾して用意しようよ!」

「この岩は開けたままにしておこう」

 取っ手を確認して、ドナが言った。

「ウェラー卿やフランシアの捜索隊をここに案内しなければならないし……」
「ドナ」そこでようやくロディオンがドナを見て言った。「お前達はこのまま先に進んでくれ」
「ロディオン?」
「いつ来るか分らない捜索隊を待っていたら、姫はどんどん遠ざかるぞ。それでも良いのか?」
「それは……」

 良い訳がない。今こうしてここにいることさえ焦れったく感じているのだ。

「だからこのまま突っ走れ。そしてヤツらを見つけたら、そっと、見つからないよう後をつけるんだ。いくら間道でも、アリリャットに辿り着くまでには何日も掛かる。間道に入った以上、油断もしているだろうし、夜は休まないとならない。隙をついて姫を奪還する機会は必ずある。それを待つんだ」
「分った。だけどロディ、お前は何をするつもりなんだ?」
「……ウェラー卿が俺達の後を追っているはずだ。きっと俺達が間道を見つけることを期待しているだろう。街道に戻って閣下を探して合流する」
「だったらロディオンじゃなくても良いじゃないか!」

 集めた枯れ木を地面に積んで、火口(ほくち)を用意しながらエフレムが会話に入ってきた。

「ロディオンはドナと一緒にあいつらを追ってくれよ。姫を取り戻すにしたって、作戦を立てないとならないだろ? ロディオンがいた方が絶対良いよ」
「そうよ」火を熾しながら、ラチェルとルチェルもエフレムの言葉に頷いた。「ウェラー卿を案内するなら、私達だってエフレムやスラヴァにだってできるわ。だから……」
「いいや」

 ロディオンは友人達の申し出をきっぱりと拒絶した。

「俺が行く。考えがあるんだ。俺に任せてくれ」
「ロディ……何を考えているんだ? それを今俺に教えてくれ」

 ドナが、友人を案じるように声を掛ける。

「そんな余裕があるのか?」ロディオンが眉を顰めて言い返す。「姫を一刻も早く奪い返さなければ何が起こると思うんだ? 姫があの下衆な王子に、身を汚されたらどうする?」
「…っ! そ、そんなっ!」
「妻にするために姫を拐かしたんだ。そんな男がのんびりと待つと思うか?」

 ごくりと喉を鳴らし、糸目の顔を厳しく引き締めると、しゃっきりと背筋を伸ばした。

「分った。俺達は姫を追う。……何を考えているのかは後から聞く。とにかく一刻も早く閣下をお連れしてくれ」
「……ああ」

 火を松明に移し、それを手に掲げると、ドナ達は馬を駆り、洞穴の中に飛び込んでいった。
 それを見送って、ロディオンがしたことは岩の扉を閉じることだった。
 岩は元に戻り、岩山の一部となる。もはやそこに洞穴があるとは分らない。
 ロディオンはその岩をそっと手で撫でた。大小様々な形状の岩が転がる岩山の中で、その岩が他と違うとすれば、それはその様相と手触りだろうか。岩の表面に、ボツボツと大小の穴が無数に空いているのだ。穴は陥没したものではなく、その周囲は突起の様に盛り上がっている。撫でてみれば、穴の突起が手に当たり、ひどくざらざらして感じる。

「別に……どうということもないか……」

 呟いて、それからロディオンはサッと踵を返した。これから街道に戻らなければならない。


□□□□□


 状況は自分達にとって、良い方向へと回りだした。

 やってきた集団が何者か分ったその瞬間、ロディオンの脳裏にその思いが浮かんだ。

 ドナ達と別れ、馬を走らせて本来の街道に戻り、来た道を引き返し始めて間もなく、ロディオンの視界に全力で馬を走らせる一団が現れた。
 一瞬、それが自分達を追ってきたウェラー卿達魔族の一団だと考えたのだが、近づいてみれば、それはアントワーヌを先頭にしたフランシア軍の集団だったのだ。

「陛下! アントワーヌ陛下!」
「…っ! おおっ、そなた、ドン・ラーダン殿の……」
「王太子ドン・ラーダンに仕えております、ロディオン・イヴァにございます!」

 一旦馬を止め、乗馬したままロディオンはアントワーヌと向かい合った。
 危急の折ということか、アントワーヌはもちろん、彼を護る誰もそれを咎めない。

「そなた、確かドン・ラーダン殿と共に……」
「キューリ姫を拐かしたアリリャット王国の者共を追ってまいりました」
「…キューリ…あ、ああ、そのように猊、いや、ムラタ、殿から伺っている。それで? いかが相成った!?」
「は!」

 軽く一礼してからロディオンは説明─ドナ達と別れてから頭の中でまとめておいた─を始めた。

「主と共に街道を北に向かいましたところ、通り掛った村人から、妙な馬車と、それを囲んだ馬の一団が山へ向かう横道に入ったとの話を耳にいたしました。それゆえ、我らは用心のため二手に分かれ、私はその横道に、主であります王太子はそのまま街道を真っ直ぐアリリャットに続く北に向かいましてございます」
「うむ。それで? そなたは引き返してきたように見えたが?」
「はい。実は陛下、私、その道を進みまして、大変なものを目にしてしまいました。故に、一刻も早くウェラー卿始め、皆様にそれをお伝えせねばならぬと考え、街道に戻り、引き返してまいりましたところでございます。あの、陛下……ウェラー卿や眞魔国の皆様は……?」
「戻ってきたそなたが眞魔国の方々と合流できなかったのであれば、あの方々は既にその先に進んでおられるということだ。それで? そなたが目にした大変なものとは?」
「はい。山道を進みましたところに崩落によってできたらしい崖があるのですが、姫を乗せて逃げたと思しき馬車が崖の底に落ちているのです!」
「何とっ!?」

 アントワーヌはもちろん、ロディオンの話を聞いていたフランシアの兵士達が一斉にどよめいた。

「我らで捜索をとも思いましたが、ここはむしろ少しでも早く皆様をお呼びすべきだと考え……」
「その判断は正しい。確かに、一刻も早くその現場に行かねば……! ……よし」

 わずかな間に考えを纏めたらしいアントワーヌは、小さく1つ頷くと、隣に侍る壮年の士官に顔を向けた。

「早駆に強い者を行かせて、眞魔国の方々を案内させてくれ。我々は先に間道に入り、谷底の捜索に向かう」
「畏まりました」

 壮年士官が大きく頷いた。



「……っ! これは!!」

 崖を覗いて、アントワーヌが息を呑んだ。
 確かに、落ちてさほど時間が経っているとは思えない馬車が谷底に横たわっている。

「全員すぐに谷を降り、捜索と救出を急げ!」

 王の命令に、兵士達が一斉に動き出す。
 それを確認して、ロディオンは緊張に引き攣ったアントワーヌの横顔に声を掛けた。

「陛下」
「…あ?」

 焦った表情のまま、アントワーヌがロディオンに顔を向ける。

「陛下、私、これから主と合流いたしたいと存じます。一時、この場を離れてもよろしゅうございましょうか?」
「あ、ああ、そうであったな」それどころではないといった様子で、アントワーヌが早口で応える。「構わぬ、行くが良い。ああ、そうだ、よくあれを見つけてくれた。感謝する!」
「ありがとうございます。では、これにて」

 長居は無用だ。一刻も早くこの場を去り、間道に入ってドナ達と合流しなくては。
 フランシア人も、後からやってくるはずの魔族も、しばらくは馬車の周辺の捜索に忙殺されるはずだ。やがて馬車の中にも周りにも誰もおらず、これがアリリャット人による時間稼ぎのための偽装だと気づいたとしても、それだけでは彼らは自分達に追いつくことはできない。なぜなら、彼らはこの山道こそが間道だと思い込むはずだからだ。ロディオンが巨石で偽装された本当の間道の入り口を閉じてしまえば、フランシアの一行もウェラー卿達も、見当違いの方向へ走るだけで、もう自分達を追ってこれなくなる。そしてそこからが勝負なのだ。
 他の誰でもない、自分達の手でキューリ姫を救出する。
 そして……。

 我慢できなくなったのか、自らも崖を降りようとするフランシア国王に丁寧に一礼すると、ロディオンは馬を引き、その場を離れた。後ろ暗いところなど何一つとしてない顔で、堂々と、だからこそ目立たずに。


□□□□□


 追いかけてきたフランシア兵と共に、村田達眞魔国追撃隊の一行は街道を戻り、山道に入った。
 アントワーヌの采配か、道の入り口はもちろん随所に兵が立ち、やってきた彼らを迎え、案内してくれた。

「……っ、それにしてもっ、何なんだ、この荒れた道はっ!? まともに馬を進められんではないかっ! こんな道で馬車を走らせたというのか!? 山の民とは何というヤツらだ!」

 ヴォルフラムが苛つきのままに毒づく。

「この程度の道、眞魔国の武人ともあろう者が泣き言を言うな」

 表面的には冷静に嗜めるコンラート。その奥に蠢くモノに気づいたのか、言い返そうと1度は開いた口を、ヴォルフラムが慌てて閉じる。

「ウェラー卿」
「はい、猊下」
「冷静に見せれば見せるほど、実は全然そうじゃないってことがモロ分りってトコロ。天下のウェラー卿コンラートも結構青臭いねえ」

 ひいっ。背後で誰かが息を呑んだ、らしい。妙な音が響く。

「………見苦しい姿を晒しました。修行が足らないようです。お許しください」
「うん、良いよ」

 硬く尖った声で許しを請うコンラートに、村田が軽やかに頷く。
 軽やか過ぎて余計に怖い。……ヨザックはふるりと背筋を震わせた。

「猊下、1つお願いがあるのですが」
「何だい、ウェラー卿?」
「陛下を拐かした連中を始末する時ですが」
「うん」
「間違っても、俺の剣の間合いには入らないで下さい。勢いあまって、畏れながら猊下の首を撥ね飛ばしたり、胴を真っ二つにしたりしかねませんので」
「一応の通告はしたんだから、その時になって文句は言うなってことだね? 了解したよ」
「ありがとうございます」

 この2人は事あるごとに、それも緊張した場面になればなるほど、なぜか際どい会話を交わすことが多い。
 ヨザックは、至高の主を案ずる思いをふと脇に置いて考えた。

 ……そう、まるでお互いを、ギリギリの一線を測りながら弄り合っている、という感じだ。そしてもしかしたら、この2人はそのアブない会話を楽しんでいるのかもしれない、と思ったこともある。
 でも今日の2人は……考えて、ヨザックはぎゅうっと顔を顰めた。
 渦巻き荒れ狂う感情─苛立ちや怒りや焦りや恐怖や…─を抑えて抑えて抑えきれず、溢れて舌に滲んだそれを互いにぶつけ合っている。護ってきた一線が壊れかけている。そんな気がする。
 お互いの心情が、お互いにあまりに良く分るから、それをぶつけ合えるのもまたお互いしかいないと、無意識に分かっているのかもしれない。
 しかしそれは……。

「……文字通り、傍迷惑だよなあ……」

 猊下。
 幼馴染の分析など知る由もないまま馬を走らせていたコンラートが、やがてふと隣を走る村田を呼んだ。

「何?」
「この道が、アリリャットの間道なのでしょうか?」
「どうして疑問形なんだい?」
「俺は違うと思います」
「その根拠は?」
「ヴォルフラムが言ったように、確かにこの道はいかにもそれらしく荒れています。しかし、道そのものは街道に直結しており、旅人や近在の村人も自由に入り込むことができます。実際道に入ってしばらくは木々を伐採した跡なども見受けられましたし、植林したり、食用らしい植物を栽培している一画もありました」
「さすがに良く見ているね。続けて」
「山の民がかつて戦において神出鬼没と怖れられたのは、彼らの道がどこにあるか知られなかったからです。国境線も無視され、それゆえに入る場所はもちろん、出口も秘密であり、本来巧妙に隠されているものです。街道に直結している道が、山の民のものであるはずがありません。これは単なる山道です」

 はい、良く出来ました。村田が言った。

「ウェラー卿に花丸を上げよう。そうだね、君の言う通り、これはアリリャットの間道じゃない。ラーダンの報告が確かなら、これは間道に続く山道だ。この道のどこかに、本当の間道の入り口がある」
「ラーダンの連中の報告が確かなら、ですね」
「そういうことだね。だから彼らが発見したとかいうものを、一刻も早く確かめないとならない」

 そうして山の奥へ奥へと、馬をひたすら走らせる村田達の眼前に、フランシアの兵士達の姿が現れた。

「猊下! ウェラー卿!」

 兵士達の中から、アントワーヌが飛び出してくる。

「お待ちしておりました! 皆様、まずはあれをご覧下さい!」

 挨拶する間も惜しみ、コンラート達は馬を下り、導かれるままに崖の縁に立った。
 崖の底には、落ちて砕けた馬車と、その周辺を右往左往する兵士達がいる。

「…!! あれは、まさか……まさかユーリを乗せたまま落ちたのかっ!?」

 切り立った崖の縁に手を掛け、身を乗り出してヴォルフラムが叫ぶ。

「ドン・アーダン殿の側近の1人がこれを発見し、街道に戻ってたまたま行き会った我等に知らせてくれたのです。ですが、兵士達の報告によりますと、どうやら馬車の中には……」
「誰もいなかったんでしょう?」

 言おうとした言葉を先に言われて、アントワーヌはきょとんと声の主、村田に目を向けた。

「…あ、はい、仰せの通りです、猊下。ですので、ただ今周辺の捜索を……」
「その必要はありません」

 きっぱりそう言うと、村田は立ち上がった。

「時間の無駄です。兵達を上に上げて集合させて下さい。やってもらいたいことがあります」
「……猊下…?」
「ど、どういうことだ!?」

 アントワーヌと並んでヴォルフラムも疑問の声を上げる。
 だが、コンラートとヨザック、そしてクラリスの3名は、すでに納得したように視線を谷底から山のさらに奥へと向けた。

「……コンラート!?」
「偽装だ、ヴォルフ。ああしておけば、追っ手も谷底に降りて確認せずにはいられない。時間稼ぎだ」

 あ!
 ヴォルフラムとアントワーヌの声が揃った。

「アントワーヌ殿」村田が言った。「全員で、ここから上を捜索させてください。見つけるのは道です。多くの者が通った直後ですから、必ず何らかの痕跡が残っているはずです。今ならまだ、それを見つけるのは決して難しくないはずです。道沿いを徹底的に探らせてください」
「か、畏まりました! …あ、猊下、それではもしかすると、ここから下も探らねばならないのではありませんか? ここで馬車を落としたことが時間稼ぎの偽装としますと、ここから戻った可能性もあるのでは?」
「ありますね」村田が頷く。「しかし、可能性は低いでしょう。ここまでは何とか馬車も通せた。しかしここから上は、どうやらさらに道が狭く、そして荒れているようです。だからここで馬車を捨てた。あの王子と接したのは僕だけですが、ここに到って、彼らが馬車を落す以上の目くらましを仕掛けているとは思えません」
「……分りました。ではすぐに!」
「ああ、それと、アントワーヌ殿」
「はっ、はい!」
「この場所を報せにきたラーダンの者ですが、名を名乗りましたか?」
「…は。確か、ロディオン・イヴァ、と。ドン・アーダン殿の1番の側近と聞いておりますが……」
「やはり彼ですか。それで? 今彼はどこに?」

 え? 一瞬、アントワーヌがきょとんと目を瞠る。

「…あ、あの……ああ、確か彼らは二手に分かれたと言っておりました。主が真っ直ぐ街道を進んだので、合流したいからと、私達をこちらに案内してすぐに戻っていきました」
「街道に戻ったことを確認しましたか?」

 アントワーヌが言葉に詰まる。もちろん、魔王陛下の身を案じて、ほかの事に目など向けていなかった。

「ラーダンの王太子達は、僕達より遥か前にアリリャットを追っていきました。その彼を追ったというなら、ロディオン・イヴァはこちらに向かう僕達とすれ違わなくてはならない。しかし、僕達は彼に会っていない」
「そ…それ、は、一体……?」
「ウェラー卿」

 アントワーヌを放って、村田は傍らのコンラートに顔を向けた。唇には冷たい笑みが刻まれている。

「どうやら、彼らは据え膳を我慢することができなかったようだ」
「そのようですね。ところで、この馬車の偽装をラーダンの連中がやった可能性は……」
「もし彼らがここでアリリャットの一味を一掃し、渋谷を奪い去ったというならその可能性も否定できないけど、まず違うだろうな。手際が良すぎる。これはアリリャットの仕業だよ。僕があの場にいて一部始終を見聞きしているし、何も仕事をしないまま姿を消すのは不味いから、ここまでは案内した。ま、そんなところだろうね」
「つまり……どういうことなんだ……?」

 状況が良く分らないという顔で、ヴォルフラムが質問する。

「ドン・アーダン達は間道の入り口を見つけたんだよ。女性が2人、王太子に先行してアリリャットを追っていった。彼女達が突き止めたんだろうな。しかしそれを僕達に教えようとしなかった」
「だから……」
「ドン・アーダンは自分達で渋谷を救出し、そして、そのままラーダンに向かうつもりだろう。もしその企てが成功すれば、罪をアリリャットに擦り付けたまま、自分達はキューリ姫を手に入れることができる。そう計算したと僕は思う」
「なっ、何だとぉ…っ!!」

 ヴォルフラムが愕然と叫んだ。アントワーヌやその護衛達も、驚きに目を瞠り、顔を見合わせている。

「素直に協力して、僕達に恩を売れば良いものを。判断を致命的に誤ったな」
「あ、あの、猊下……しかし、ドン・アーダン殿はその、実に純朴なと申しますか、善良な人物で、そのような企てを……」
「計画したのはロディオン・イヴァ。あの男でしょう。おそらくは魔族の高貴な姫君を手中に納めることで、眞魔国の援助を優先的に得ようと考えた。ついでに、主の恋も叶えてやろうという、実に忠誠心溢れる男だね」
「……ラーダンを潰します」
「当然だろ? ウェラー卿。君ともあろう者が何を確認してるんだい? 彼らは、渋谷を眞魔国の高貴な姫と分っていながら連れ去ろうとしてるんだよ?」

 跡形もなく叩き潰すさ。
 低く地を這う冷たい声は、なぜか楽しげな笑いを含んでいる。その声をうっかり耳にしてしまった他の者は、1人残らず、氷の池に放り込まれたようにゾッと全身を震わせた。満足気に頷いたのはコンラートだけだ。

 ……地上から、間もなく二つの国が消えてなくなる……。

 全員の、声にならない声が1つになって虚空に谺する。

「さて、と、アントワーヌ殿」

 ひうっ。アントワーヌが首を絞められたような息を漏らした。

「このままだと、間もなく陽が落ちます。山の中では暗くなるのも早いでしょう。野営の準備は?」

 わずかな間を置いて、アントワーヌがハタッと目を瞠った。失念していたらしい。

「ではすぐに人を差し向けて、準備を。それから誘拐犯の一味が数人、ラーダンの連中に倒されていたはずです。アレらはどうなりましたか?」
「そっ、それは……申し訳ありませんっ、あやつ等に関しまして、ご報告しておかねばならぬことが……」

 大賢者の矢継ぎ早の質問に、オロオロと無駄に手を振り回してから、アントワーヌは深呼吸をして懸命に自身を落ち着かせた。

「あの者共でございますが、実は尋問しようとしたところで揃って自死しようと致しました。咄嗟に止めたのですが、その後一切口を開こうと致しません」
「非道な主に対して、驚くべき忠誠心だな」

 忌々しそうに呟くヴォルフラム。だがそこで、またも彼の兄が首を横に振った。

「コンラート?」
「王子個人に対する忠誠心ではないだろう。自分達が失敗したことで、アリリャットの王子がフランシア国内において、魔族の姫君を強奪したことが明らかになってしまった。これでアリリャットの命運は尽きた。自責の念もあるだろうが、その連中は国に殉じるつもりなんだろう」
「バカ王子を諌めることも放逐することもできなかった連中の後悔なんてどうでも良いけどね」

 村田がフンと鼻を鳴らして言った。

「でも死んでもらっちゃ困るな。そいつらはタッパー王子の犯罪の証拠品なんだから。アントワーヌ殿、野営の準備と一緒に、そいつらを1人か2人、連れてきてください。何だったら眠らせるなり縛り上げるなりして頂ければよろしいかと。以上です。さ、さっさと先へ進めましょう」
「かっ、畏まりましたっ!」

 アントワーヌが一声上げて駆け去っていく。
 一国の王をパシリに使って平然としている大賢者は、彼の背中を見送ることもなく仲間達に顔を向けた。

「僕のことは良いから、君達も間道に向かう道を探しに行ってくれ」
「畏まりました。しかし猊下、これから街に戻り、野営の準備を整えさせるとなると、かなり時間が掛かりそうですね」
「その心配はあまりないんじゃないかな。何といってもアントワーヌ殿には、それはそれは有能な人物がついているからね」
「ああ…!」

 全員が納得した顔で大きく頷く。それを見て、村田も「そういうこと」と頷いた。

「怪我をしているとはいえ、ライラ殿がのんびりしているとは思えない。おそらく全ての手配をして後を追わせてくれるよ。だから君達は気にせず捜索に入ってくれ」
「「「はっ!!」」」

 全員が一斉に敬礼した。


□□□□□


「遅くなりまして、申し訳ありません」
「とんでもない、ライラ殿。あなたが自ら追い掛けてきてくれるとは思ってませんでした。それに、僕が予想していたより遥かに早かった。準備も完璧です。助かりました」

 野営の準備はもちろん、誘拐犯の一味を3名、手足は縛り上げ、猿轡をがっちり咬ませ、ついでに箱詰めして自ら運んできたライラに、村田はにっこりと笑いかけた。役に立つ人間は大好きだ。ライラの隣では、アントワーヌが安堵した様子で流れてもいない汗を拭っている。

 そうして、やがて陽が傾き始めた頃、待っていた報告が飛び込んできた。

「ごらん下さい!」

 それを発見した兵士達が顔を輝かせている。

「おお! よくぞ見つけた!」

 山道を進んだところで、兵達は踏み荒らされた獣道を見つけた。そして険しい山肌とそこかしこに転がる岩、絡まりあうよう潅木や木々を這うように抜けたところで発見したのは、ぽっかりと開けた地面と、山肌を穿つ洞窟だった。

「早速追跡いたしましょう!」

 気合に満ちた笑顔と共に振り返るアントワーヌ。だが、村田とコンラートは難しい顔でその洞窟を睨みつけていた。

「どう思う? ウェラー卿」
「あからさま過ぎます。これもフェイク、もしくはミス・リードのための仕掛けでしょう」
「うん。僕もそう思う。これは違うね。もし入って行っても、行き止まるか、どこか全く方向違いの場所に飛び出すのがオチだろう」

 同意を示す大賢者。
 この2人の意見が合うということは、それが正しいということ。今となってはそれを充分理解しているヴォルフラム、ヨザック、クラリスの3名、そしてライラは緊張した表情で2人の次の言葉を待った。

「し、しかし猊下…」唯一、納得しきれないアントワーヌが、わずかに反論した。「ここに到る道は、まずまともには見つけることの難しい獣道でございました。それに、多くの者が通った跡も歴然と残っておりましたし、時間的に考えましても、これが偽物とは……」
「道は間違っていませんよ、アントワーヌ殿。あの痕跡は、故意に残したものじゃない。僕もウェラー卿も、この洞窟が間道の入り口ではないと言っているのであって、道そのものが違うと言っているわけではありません」
「では……」
「ここ以外に、間道の入り口が……」

 言いながら周囲に視線を巡らせていた村田の言葉が、そこで不自然に止まった。

「猊下?」

 コンラートの怪訝な声が上がる。

「アントワーヌ殿」

 それを無視して、村田はフランシアの国王を呼んだ。

「伺いますが、この山は火山ですか?」
「……は?」
「僕達がいるこの山。これが火山なのかどうか、かつて噴火したことがあるのかを伺っているのです」

 きょとんと目を瞠ったアントワーヌが、答えあぐねたのか、きょろきょろと周囲を見回した。
 その間も、村田の視線は一点から動かない。
 コンラートはその視線の先を追った。

「……岩?」

 洞窟の入り口から数メートル離れたところに3つの、いや、形状からして3枚のと呼んだ方が良さそうな巨石が山肌に凭れ掛かるように立っている。
 岩の存在そのものは別に問題はない。この山はようやく緑が復活してきたものの、あちこちに山肌が露出し、これまでも大小の岩がそこらじゅうにゴロゴロと転がっていたのだ。
 だが……。
 コンラートは妙な引っ掛かりを胸に覚えて、その岩に近づいていった。

「…………?」

 岩の表面を撫で、そして爪で引っ掻いてみる。ざらざらとした感触だ。だがこれは砂ではない。色は灰色。そして表面にはボツボツとした大小の穴が無数に開いている。

「これは……」
「どうしたんだ? 隊長」
「コンラート?」

 ヨザックとヴォルフラムがすぐ傍らに寄ってきた。
 振り返れば、ヨザックとヴォルフラムのすぐ後に村田と、彼を護る様に立つクラリスがいる。

「これは……何と巨大な岩だ…! こんな大きな岩が倒れてきたらひとたまりもないぞ。ここは危険ではないか?」

 巨石を見上げ、眉を顰めるヴォルフラム。

「ですが、ほら、こんなに藪がぎっしり生えてますからね。相当長くここにあるんでしょうから、ちょっとやそっとじゃ倒れないでしょう」

 ヨザックの言う通り、3枚の大岩の下半分は根の強そうな藪に覆われている。これは長い年月、この場所がこの形のままでいたという証明になるだろう。しかしこの岩は……。
 考えるコンラートの横から、スッと腕が伸びてきた。村田だ。
 コンラートの隣に並んで、岩の表面をそっと撫でている。

「ウェラー卿。ヨザックでも良い。これが何か分るかい?」
「何って……岩、でしょう? ちょっとそこらに転がってるのとは、色も雰囲気も違ってる……っていうか……あれ? 穴?」

 ありゃ? 何かを思い出した様に、ヨザックが首を捻った。

「火山……。そう、か…!」

 コンラートが声を上げた瞬間、「猊下!」と呼ぶ声があった。
 ライラが夫を従えて駆け寄ってきた。

「ただ今確認いたしましたが、この山は火山ではありません。この山だけではなく、辺り一帯の山が噴火したなどという話は、私もそうですが、誰も耳にしておりません!」
「だと思った。コレがご丁寧に3個だけ、並んでるなんてあり得ないからね」
「…猊下、あの、この岩は……」

 ライラとアントワーヌが、訳が分からないという顔を並べている。

「これはね、ライラ殿、アントワーヌ殿、軽石だよ」
「「かる、いし…!?」」

 フランシアの国王夫妻、そしてヴォルフラムとクラリスが揃って声を上げた。

「そう。ここまで大きいのは僕も初めて見たけどね。これは火山が噴火した時、地中深くから吹き飛ばされたものなんだ。圧力の高い地中深部から外に一気に吹き飛ばされた時に減圧されることで、内部の揮発成分が発泡蒸発したためにこうして無数の穴ができる。つまりこの孔はガスの噴出孔なわけだ。多孔質故に軽く、水にも浮く。だから浮石とも浮岩とも呼ばれる」
「………あ、の…申し訳ありません、猊下、その……仰っておられる意味がさっぱり……」
「つまり、火山でもない場所に火山特有の岩があるのはおかしいと、猊下は仰せになっておられるのですよ、アントワーヌ殿」

 はあ……。分ったような分らないような表情でアントワーヌが頷いた。その側で、ヴォルフラムがそっと「だったら最初からそう分りやすく言え」と憎々しげに呟いている。

「あー……そういや俺も、火山地帯にいた時に、こういうポチポチ穴の開いた、妙に軽い石がゴロゴロしてるのを見たことがあります。確か、その辺りに住んでる連中は身体を擦ったり、洗濯するのに使ったりしてたような覚えがあるんですが……」
「あと、水はけが良いから庭に敷き詰めたりしてね。どう? ウェラー卿」

 藪を掻き分けて中を覗きこむコンラートに、村田が声を掛ける。その声に応じて、コンラートが顔を上げた。

「……ありました、猊下。この岩は扉です」


 なんと!

 見上げるほどの大岩が軽々と動き(力を籠めた兵士達が、あまりの軽さに思わず集団でつんのめってコロコロと転がってしまった)、その奥から黒々とした口がぽかりと姿を現した瞬間、アントワーヌもまた呆然と顎を落とした。

「……我が国に許しもなく……このような大掛かりな仕掛けを施すとは……っ。ましここのようなものを悪用して、ユーリ陛下を……っ!」

 許せん!!
 判断を狂わす偽装や仕掛けに振り回されたせいか、普段温厚なアントワーヌが怒りに拳を震わせている。

「……お見事でいらっしゃいます、猊下」

 激怒する夫を心配げに見遣ってから、ライラは村田に向かって言った。

「このような仕掛け……私共のような常人には、とても看破することはできませんでした」
「とんでもない、ライラ」

 村田が驚いたように声を上げた。

「特別な知恵も頭脳も必要じゃありません。ちょっとした知識があるかどうか、経験の有無と程度の問題ですよ。その証拠に、ウェラー卿やヨザックだっておかしいと感じたんですから。…それにしても、いくら軽くて動かしやすいからといって、あってはならないものを使って偽装をするなんてね……。僕はむしろ、この程度の偽装で誤魔化せると考えたアリリャットの杜撰さと程度の低さに呆れてますよ」

 ロディオンが「完璧」と評した偽装を、「杜撰で程度が低い」と断じた村田は、「さて」と洞窟の闇の先を睨みすえた。

「勝負はここからだ。叩き潰す相手も増えたことだし、気合を入れていこうか」

 大賢者の言葉を合図に、全員が馬に飛び乗った。


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1ヶ月に1度の更新がすっかり常態化しております。情けない。
お待ち下さって、そして読んで下さって、ありがとうございます!

さて今回は、ドナが可哀想かもしれません。
だってまだ聞いてもいない誘拐計画を猊下に見破られて(?)おりますし。
ロディオンはまあ、何というか……策に溺れるというか、相手が悪かったというか。
しかし次回、実行前に全てバレているとは気づかないまま、『キューリ姫誘拐計画』は発動されそうです。
ラーダンとアリリャットの運命は如何に。てなトコで、次回も頑張ります。
またお待たせしてしまうかと思いますが、どうかお付き合い下さいますよう、お願い致します。

ご感想、ご声援、心よりお待ちしております。