たわわの実りと初恋と 2


「お前は一体何を考えてるんだーーーっ!!!」

 この馬鹿野郎っ!!
 ぜはーっぜはーっ……と肩を激しく上下させ、体内に吹き荒れる怒りの蒸気を懸命に外に吐き出しながら、青年が声を張り上げた。
 その青年の、全身から吹き上がり、轟と叩きつけられる怒りの気に、向かい合うもう1人の青年はでっかい身体を精一杯縮こまらせ、くしゃくしゃになった顔を申しわけなさそうに床に向けた。
 怒られ坊主よろしく、立ちんぼのまましょんぼり肩を落としているのは、もちろんラーダン王国王太子のドン・アーダン、ドナであり、怒り心頭の青年はその腹心で親友のロディオンである。
 ラチェル、ルチェルの姉妹、エフレム、スラヴァの4名は、一方の唐突な行動と発言に呆れつつも、もう一方の、これまで1度も目にしたことのない感情の爆発っぷりに、壁と仲良しになりながらビクビクと2人を見つめている。


 あの姫を、私の后に迎えたい!
 ドナの声がロディオンの耳に蘇る。
 天下一舞踏会会場で、ほんのわずかの時間、見掛けただけの少女。
 確かに美しい姫だった。この世のものとは思えないほど、美しく愛らしく、陽の光より、どんな宝石よりキラキラと、自ら光を発しているかのように輝いて見える姫だった。
 だからといって。
 いきなり后にするはないだろう!

 思い返せば返すほど怒りも再燃するのだろうか、ロディオンが拳を震わせている。

「………座れ」
「…え?」
「いいから座れ! お前達もだ!」

 はっ、はいっ!
 怒鳴りつけられて、ドナはもちろんラチェル達4人も大慌てでソファに飛び乗った。
 5人の勢いにぼよんぼよんと揺れるクッション。そこにロディオンがゆっくりと腰を下ろす。
 友人一同が緊張して見つめる先で、ロディオンがやがて、はー…っっとため息をついた。

「王妃様は呆れておられたぞ」
「……あ、ああ、うん……」

 飲みかけた水を噴き出し、ひとしきり咽たライラ王妃が、女官達の介抱を受けながらようやく落ち着きを取り戻した時。
 ドナ達に向けた眼差しは厳しかった。

 あの方は、眞魔国の大変高貴な姫君でいらっしゃいます。

 その言葉だけで全ての説明がついたと言いたげに、ライラ王妃はそれでぴたりと口を閉ざした。

『あ、あの』焦れたドナが口を開く。『それでは……あの方は魔族でいらっしゃるので……』
『そうです。大変、たいっへんっ、ものすっごく、すっばらしくっ、高貴な姫でいらっしゃいます』
『あの、それで……』
『まだ何か!?』

 キッと上がった眉に、ドナが口篭る。
 その瞬間を狙って、ロディオンは幼馴染の襟を引っ掴んだ。

『失礼致しましたっ!!』

 そしてそのまま自室に連行、現在に到るという訳だ。

「ったく……。どうしていきなり后なんだ……」
「………思わず……口から飛び出して………あ、でも、俺は本気で…!」
「一言も言葉を交わしたこともなければ、そもそも名前も、どこの誰かも知らないだろうが!」
「眞魔国の姫だと……」
「それだけだ!」
「ライラ王妃様がそれ以上教えてくれなかったから……」
「あまりにバカバカしくて言葉もなかったんだ」
「バカバカしいって……どうして?」
「どうしてって……」
「俺はこれでも……その、一応、一国の王太子だ。……だろ?」

 だろ? って……。どうしてそこで疑問形なんだ?
 友人一同の眼差しが痛かったのか、ドナは胸元で組んだ指をもじもじと動かした。ロディオン達の目がますます胡乱気に狭められる。

「いくらその…小国とはいえ、一応、その、王太子と、それから…貴族の姫なら、決してバカバカしい縁組とは……」

 言えないんじゃないか、と続くはずだった言葉は、ガタンとソファが軋む音で遮られた。
 ドナがハッと顔を上げると、ロディオンが真上から鬼のような眼差しで見下ろしている。

「……ロ…」
「ラーダンに戻るぞ」
「…え?」
「目的は果たした。我々は一刻も早く国元に戻り、眞魔国との友好を真剣に考えるべきだと陛下にご報告申し上げなくてはならない。違うか?」

 違わない。
 何か言い返したそうに口を開いたドナだったが、ロディオンの氷より冷たい眼差しに、ぴたりと口を閉ざすと、ゴクリと喉を鳴らした。

「すぐに帰国の準備をしろ!」

 臣下の命令に、真っ先に部屋を飛び出したのは王太子ドナだった。


 誰もいなくなった部屋で、ロディオンは1人、2度目のため息を深々とついた。
 ドナは分かっているのかいないのか。
 愚かではないが、思考があまりに真っ直ぐ前向きなので、時折とんでもないポカをやるのが幼馴染の欠点だった。
 しかしロディオンは、そんなドナを愛している。もちろん親友として。

 眞魔国は大国だ。

 フランシアで顔を合わせた誰もが、当然分かっているだろうという様子だったので特に確認をしていないが、ラーダンの誰もが考えている以上に眞魔国は強大な国家だ。
 それは、眞魔国をどれほど多くの国が頼りにし、実際どれほど多くの国が救われているかを思えばすぐに分る。
 弱小国家が、弱った他国をこうまで援助できるはずがない。それも、破滅の淵に瀕した国々を。いくら魔力があるとはいえ。
 そんな大国の高貴な姫君が、いくら王太子といっても、ラーダンのような弱小国に嫁入りするだろうか。種族の違いを乗り越えてまで。

「………あり得ない、な……」

 幼馴染は可哀想だが、とっとと国に戻って刹那の出会いは忘れる努力をしてもらおう。

 そう決めて。
 後ろ髪を引かれる友人を、全員で引き摺るようにラーダンに戻り。
 早速国王及び宮廷に眞魔国との友好条約締結を進めるよう進言し。
 幼馴染の王太子には、思いつく限りの仕事を押し付けて余計な事を考えないようにして。
 それで全て終わったと思っていたロディオンだったが……。

 王太子達がフランシアから持ち帰った情報を元に、ラーダンと眞魔国の友好について王や側近達が重ねた議論は、まもなく宮廷全体に、さらには国全体へと広がっていった。
 小さな国だけあって、ラーダンの王家と国民の距離は、他国に類を見ないほど近かった。王は慣習として、民の意見を無視できない。
 だが、王が多くの意見に耳を傾けるという対応は、良いこともある反面、否応なしに混乱も生んだ。国家の重要な指針を一刻も早く決定しなくてはならない事態に陥っても、結論が出るまで時間が掛かりすぎるのだ。
 今回は何よりも、長年空想上のお化けでしかなかった魔族の実在を認め、「お化け」でないことを認め、その彼らと友人にならねばならないという、ラーダンの民にとって驚天動地の議論がテーマである。そうそう簡単に結論は出ない。
 とはいえ、国土の荒廃は加速をつけて進み、もはや一刻の猶予もないこともまた民達は理解していた。
 議論という形をとって結論を先延ばししていたラーダンの王や貴族や民達がついに答え─結局最初から決まっていたようなものだが─を出したのは、ドナ達がフランシアを訪問してから半年後のことだった。

 そしてその間ドナはと言えば。
 魔族との友好条約締結を主張した後は、押し付けられた仕事を機械的に片付ける以外、脳裏に焼きついた姫君の姿をひたすら思い浮かべては恋心を募らせていた。
 つまり……姫を想い、暇さえあれば、ひたすらぼーっと宙を見つめて日々を過ごしていたのだ。
 この時点で、ロディオンの目論みは外れてしまっている。
 ドナの、一目で心を奪われた姫への想いは、あまりに刹那の出会いだったからこそ、友人達が考えていた以上に熱かったのだ。
 そうしてようやくラーダンの、国としての答えが出たその時、ドナは意を決して両親に訴えた。すなわち。

「フランシアでお会いした魔族の姫を、俺の妻に迎えます!!」

 迎えたいです、でもなければ、迎えることをお許し下さい、でもなかった。
 ドナ達がフランシアから戻って早半年。彼がライラ王妃に告げた決意は些かも消えておらず、それどころか、かの姫君を妻にという思いは、彼の中ですっかり確定事項にまで育っていたのだった。

 息子の宣言に驚いたのは父王と母后だ。
 二十歳を過ぎた頃から、いい加減良いご縁を探さねばと考えていたのは確かだが、よもやドナ自身が、それもあろうことか魔族の姫を求めるとは想像もしていなかった。
 本来であれば、魔族を王家に迎えるなど「ふるふる御免」となるところなのだが……。

「さて、どうしたものだろうのう……?」

 王は妻と、信頼する内大臣を相手にため息をつきながら言った。

「魔族と友好を結ぶことは、何とか決まりそうじゃが……」
「結論が出るまで無駄に時間を掛けてしまいましたなあ」
「まったくじゃ。とはいえ、これで我が国も一安心。良かった良かった」
「あなた、今はドナの話ですわ」
「おお、そうじゃった」
「何でもその姫君、眞魔国ではかなりご身分の高いお方だそうですわ。見た目も大層愛らしい方らしいですわよ? それにも関らず、妍を競う姫君の中で、それはそれは慎ましく装っておられたとか。贅沢を好まないお人柄なら助かりますわね」
「ウッドの娘達の話によりますと、殿下はその姫に、手っ取り早く言えば俗に言うところのすなわち……」
「一目惚れですわ。でもどうやら、あのように固い決意をしている割には、知り合いにすらなれていないようですの。我が息子ながら情けないこと」
「后よ、まあそう言うな。息子はどうも晩生のようじゃしの。好みに合うた姫を見つけただけでも良しとせねば。だがのう……。高貴の姫なら身分的には何ら問題はなかろうし、息子が気に入ったというなら叶えてやりたいところじゃが……魔族が王太子后になるなど……のう…?」
「友好国になるとはいえ……皆が納得するのは難しいでしょうねえ。私も実を申せば少々怖ろしい気がして……。何せ、どれほど美しいとはいえ、人間ではないのですから……」
「美しいといっても、実際どの程度なのやらじゃし。ほれ、惚れてしまえば何とやらと申すじゃろうが。やっぱりこれも話半分じゃの」
「あなたったら、そんな言い方をしたらドナが可哀想でしょう?」
「お、それもそうじゃの」
「陛下、ではこうすればいかがでしょう」

 内大臣の提案を耳にし、王と王妃は「なるほどそれならば」と納得した。
 そして間もなく、眞魔国に向けての親書が認められ、発送された。
 その親書の内容を噛み砕いて書くと。

『ラーダン王国は、眞魔国との友好を承諾します。また、これは貴国においても大変喜ばしいことと確信しておりますが、フランシアの天下一舞踏会に参加されていた姫君を、我が国の王太子の第一位の側室として迎える用意があることをお知らせ致します。この上は、婚礼の準備と共に、我が国を危機から救うべく、一刻も早い条約の締結をお願いします』

 そして眞魔国からの返書を、心の声も含めてさらに噛み砕くと。

『友好を承諾するとのお言葉ですが、眞魔国はラーダン王国との友好を提案した覚えはありません。(いきなり何? そもそもラーダンってどこ?) また、我が国から天下一舞踏会に参加した姫君などおりません。(側室? あなた何様?)そちらが何を仰せになっておられるのか、我々としては意味を図りかねます。あしからず』

 特に眞魔国からの返書は、外交用語が散りばめられているものの、翻訳すると大体こんな内容だった。行間からは担当官の抑え切れない怒りが立ち上っている。
 この時期、人間の国の友好条約に対する意識の低さに、多くの魔族が怒りを感じていたという事実があるのだが、もちろんそんなことはラーダンの人々の知るところではない。
 この返書を受けて、もうすっかり問題解決気分だったラーダンの宮廷は愕然とし、同時に慌てふためいた。

「どどどどっどーいうことじゃっ!? 魔族は人間の国と友好を結びたくて結びたくて堪らんのではなかったのか!? 我が国と友好を結ぶことを、どうして素直に喜ばんのじゃっ!?」

 慌てたのはドナ達も同じだ。
 彼らは、国書がどう認められたのか、その内容を知らなかったのだ。

「側室とはどういうことですか!? 俺は妻にと……」
「息子よ、そなたはそう言うが、やはり魔族を正室にというのは民も納得しにくいのではないかと……。側室とて、子を生めば国母になれるのじゃ。そうでなくとも、魔族が人間の王家に入れるのじゃ。むしろ喜んでもらえると思うたのじゃぞ?」
「しかし…!」
「そんなことよりもっ! 一体眞魔国に対して、何と仰せになったのですか!?」
「ろ、ロディオン…? いや、何とも何も……眞魔国と友好を結んでやろうと……。それからドナの申していた姫を側室に迎えるゆえ、早うに我が国を救うようにと……」
「ばっ、バカなっっ!」

 ロディオンが悲鳴を上げたその時だった。
 宮廷の主だった人々が集まる大広間の大扉が、音を立てて開かれた。

「大変でございます!」
「いっ、如何した!?」
「ふ、フランシアから御使者が…! それもなぜか、大変怒っておられます!」
「なに!?」

「あなた方、一体眞魔国に対して何をなさったんですかーっ!!」

 超大国の使者の怒声に、ラーダン宮廷は震え上がると同時に、ようやく自分達がとんでもない間違いをやらかしたらしいことに気づいた。


 賓客を迎える客間で、最上席に座ったフランシアの使者と、その背後に居並ぶ随員達が、揃って「はーーー……っ」とため息をついた。
 その彼と向かい合う席で、国王、王妃、王太子が、またその背後に側近達が、横1列に神妙な顔を並べている。

「……まずは、この地図をご覧下さい」

 どこか疲れた様子で、フランシアの使者が大きな地図をラーダンの人々の前に広げた。

「………これは……」
「世界地図です」
「せかいちず……おお、これは……!」

 珍しいものを見せてもらえて、ラーダンの人々が興味津々の様子で身を乗り出す。

「これが大陸でございますな!」
「………ええと……我らが住まうのは、大陸の東でございますれば……」
「あ! ほら、父上、母上、ここにフランシアが!」
「おお、まことじゃ。やはりこの辺りでは格段に大きいのう。では我が国は……」
「こちらをご覧なされよ」

 使者の指が、なぜかそこだけ太線で囲われた部分を指差す。

「なななんと! フランシアほどではないとはいえ、我が国がこれほど大きいとは!」
「違います」
「は?」
「父上、ここに『群小国家地域』と……」
「ぐんしょう…?」
「国の形を記すことができないほど小さな国が、この辺りに集まっているという意味でございます。貴国もこの中に入っております。ほら、ここに名前が」
「ええ、と……こんなにたくさんの国がこの中に……? お、おお! 確かにラーダンとある!」
「ここに並んでいる名前の国を全部合わせてこの大きさなのですね?」

 自分達の国の小ささをはっきり目で確かめて、集まっていたラーダンの人々は納得半分がっかり半分のため息を吐き出した。

「分っていたつもりでしたが、やはり……。しかし改めまして、フランシアが大国であることがよく分りました」
「………それはどうも。では、こちらをご覧下さい。大陸の西の突端、ほとんど島のように見えますが」
「これはでかい! いやはや、ここは一体、幾つ分の国が集まっているのですかな? 100?200? それとも……」
「これで1つの国です」
「こ、これで!?」

 その国は、ラーダンの人々が超大国と信じてきたフランシアに比べて軽く100倍はありそうな、とてつもない国土を有していた。

「こ、これで1つの国!? このような大国がこの地上に存在しておると!?」
「はい」

 フランシアの使者は平然と頷いた。そして告げた。

「これが、眞魔国。魔族の国です」

 誰かがヒュッと息を吸う音がした。全員が目を瞠り、一斉に顔を使者に向ける。
 愕然とする人々の表情を確認して、使者が大きく頷いて見せた。

「もう1つ、新連邦と呼ばれるようになった地域もあります。こちらは眞魔国よりまだ広いですが、ここはまさしく多くの国が1つに寄り集まった新興の地。いまだ混乱の中にあり、これからどう変化するか全く不透明です。というわけで、安定した国家として考えるのであれば、今現在、この眞魔国こそ世界第一の大帝国。我が国を大国と仰せであるなら、眞魔国は超が幾つつくのか分らぬほどの大国、ということになります。これは国土の広さだけではございません。国の威勢、国力という意味もございます。はっきり申し上げますと」

 我がフランシアなど、眞魔国の鼻息1つで吹っ飛びます。

 愕然としていた人々の顎がガクンと落ちた。

「……あ、あのぉ……」

 ラーダン国王がおずおずと言葉を発する。
 ちろり、と使者が国王に目を向けた。

「魔族、というものは……その……世界の片隅でほんのちょっとしか生息しておらんと……」
「生息って、どこの希少生物ですか。魔族は人間全体に比べると確かに数は少ないですが、眞魔国は人間のどの国よりも平和と繁栄の直中にあります。世界の片隅で細々と命を繋いでいるのは、むしろあなた方の方ですよ」
「……生き延びるために、人間と友好を結びたがっておると……」
「生き延びるために、多くの人間の国が魔族と友好を結びたがって必死になっております。我が国などは、かなり早く魔族との友好の重要性に気づいたから良かったですが、今これから魔族と友好条約を結び、その上で国土の復活を叶えるには、それこそ大変長い待ち時間が必要となりますよ? 何せ、数多くの国の王が、自ら魔王陛下の御前にひれ伏し、山のような貢ぎ物を捧げ、何とぞ我が国をお救い下さいとお願いして、それでも順番が来るまで何年も待たなくてはならないのですから」
「な、何と……!!」
「ではあの! 眞魔国と友好条約を結ぶと、たちまち国土の緑が復活するというのは……!」
「全くのデマですな。実際は魔王陛下のお力をお借りし、それ相応の儀式を経なくてはなりません。そもそも、友好国の国土を復活させるというのは、お優しい魔王陛下の親切に過ぎないのです。眞魔国は、国土を復活させるから友好条約を結んで欲しいなどとは欠片も考えておりません。これはあくまで、友好国に対する魔王陛下の好意なのです。多くの国が勘違いをしておりますが、人間の側が、自分達の国土を復活させろなどと要求する権利は、当然のことながらありません」
「で、では我らは……」
「とんでもない過ちを仕出かしてしまわれましたね。これほどの超超超、以下略、超大国の高貴な姫君を、側室にしてやるから感謝して国土を回復させろなどと、よくもまあ……。ウェラー卿から問い合わせを頂いて、我らが国王陛下がどれほど驚かれたか。紹介の労を取ったフランシアに恥を掻かせた、厚顔無恥も甚だしいと、我が国の宮廷でも貴国に対する怒りが湧き上がっております」
「……!!」
「で? これからどうなさるおつもりですかな?」
「こ、これ、から……」
「眞魔国にお詫びを申し上げます!」

 叫んだのは王太子ドナだった。

「………ほう?」

 フランシアの使者がじろりと青年を睨めつける。

「その前に!」ドナ達の背後から、ロディオンが咄嗟に声を上げた。「フランシアにお伺いし、まずは国王陛下にお詫びを申し上げ、できますれば眞魔国との仲介の労を改めて取っていただけるようお願いしたいと存じます!」

 幼馴染の言葉に、ドナもハッと目を瞠った(あくまで本人比)。

「そ、そうです! すぐに俺、いえ! 私がフランシアに赴き、陛下にお詫びを申し上げたいと思います!」
「まあ、それがよろしいでしょうな」

 使者が鷹揚に頷く。

「最初に我らが陛下が殿下をウェラー卿にご紹介したのですからな。まずは殿下御自ら我が国に対して礼を示されるべきでありましょう。眞魔国に対しては、失礼ながら貴国が我が国の肩越しに、直に繋がりを持とうとしても無理ではないかと。やはり我が国を通して、という形がよろしいでしょう。だがそれも、貴国の対応次第。くれぐれもそのこと、お忘れなきよう」

 使者風情が何を偉そうに、と反感を抱いた者がいたとしても、今この場で誰一人として、それを口に出すことも態度で示すこともできなかった。
 ラーダンは無知ゆえに、外交上の大失態を犯してしまったのだ。


□□□□□


「眞魔国が大国だと、お前は知っていたのか?」

 幼馴染の詰問を受けて、ロディオンはため息をついた。

「当然だ」
「なぜ教えなかったんだ!?」

 あのなあ。ロディオンの声がうんざりしたように低くなる。

「一国が、数多くの国を崩壊から救っているのだぞ? 魔力があろうがなかろうが、そんな真似、大国以外のどんな国にできると言うんだ? ドナ。本来なら、お前にだってそんなことはすぐに判ったはずだぞ? だがお前はこの半年、そんな簡単なことにも気づかずに、一体何を考えていた? 何をしていた? ……お前が王太子で俺は臣下に過ぎないが、それ以外、今のお前に俺を責めるどんな資格があるのか教えてくれないか?」

 咄嗟に言い返そうと息を吸い込んだドナは、だがその次の瞬間、ぐうっと喉を鳴らして唇を引き結んだ。そして。

「………済まん……」

 頭を下げるドナに、ロディオンはもちろん、ハラハラと2人の様子を見つめていた幼馴染達がホッと肩の力を抜いた。

 ドナに、ロディオンを責める資格などない。彼はこの半年、ただただ1人の姫を想ってボーっと宙を見つめていただけだったのだから。

「分ったんなら良い。さあ、支度をしろ。全員だ。皆でフランシアに行って、国王陛下に謝罪して、眞魔国にも無礼を許してもらって、あらためて友好条約を結ぶ手立てを探ることにしよう」
「……ああ、だが……」

 父上達が泣いておられるんだ……。
 呟くドナに、友人達の表情が曇る。

「世界のことなど禄に知らないし、知らなくても何の問題もなかったし、だから……とんでもない過ちを犯してしまった、もうラーダンはお終いだと嘆いておられる……。俺はフランシアまで出かけて、ウェラー卿ともお話して、それなのに、何もできなくて…いや……何もしていなくて……」
「お終いだと決まったわけじゃない」
「だけど……聞いただろう? 多くの国の王が自ら魔王に跪いて、貢ぎ物を捧げて国土の復活を願っているんだ。今頃、俺達が行ったって……。それにラーダンには、貢ぎ物になるようなものが何もないし……」
「じゃあ、諦めるのか? このままラーダンが朽ちていくのを、ただぼんやりと見つめているだけにすると?」
「それは……」

 そんなことはできない。
 ちっぽけな国かもしれないが、それでも大切な大切な愛する祖国なのだから。

「だったら」ドナの答えを聞いて、ロディオンは微笑んだ。「とにかくやれることは全部やろう。嘆くのはそれからだって遅くない」

 だろう?
 親友の笑顔をしばし見つめてから、ドナは大きく頷いた。
 ラチェルもルチェルもエフレムもスラヴァも、瞳に決意を漲らせて頷いている。

「フランシアに行こう。そして、精一杯できることをしよう…!」

 数日後。ラーダン王国王太子一行は、わずか数日で面窶れしてしまった国王夫妻や宮廷の人々に涙ながらに見送られ、フランシアへと旅立った。


□□□□□


「……何でおればっかり、またこんな格好しないといけないんですかー…?」

 うーっと仔犬のように唸りながら、上目遣いで目の前に居並ぶ人々を睨む。
 彼なりの怒りを表現しているつもりなのだが、それがまた何とも可愛いなあと、皆からそう思われていることを本人だけが気づいていない。
 クリーム色と淡いグリーンで纏められた清楚なドレス。ドレスと同じ色のリボンで柔らかく結われた赤茶色の髪。薄化粧を施した幼い顔。そのまろやかな頬をほんのり紅く染めているのは、もちろん眞魔国第27代魔王ユーリ陛下だ。
 そして愛らしい艶姿を眺めて楽しんでいるのが、訪問先の国王夫妻、つまりフランシア王国国王アントワーヌとライラ王妃、眞魔国大賢者村田健、眞魔国第26代魔王にして現上王、今回のフランシア訪問の正使であるフォンシュピッツベーグ卿ツェツィーリエ、その息子で現王の護衛のウェラー卿コンラート、その弟でユーリの婚約者であるフォンビーレフェルト卿ヴォルフラム、護衛その2のグリエ・ヨザック、そして新たに護衛となったハインツホッファー・クラリス。以上であった。
 場所はフランシアの中でも保養地として、王族や貴族の別荘が多くある地域だ。
 手入れの行き届いた森と、湖と、蒼い山々の連なりを眺められる、フランシアの中でも殊更美しい土地である。
 大地の崩壊が食い止められて以降は、枯渇しかけていた緑も復活し、干上がる寸前だった湖も今や満々と澄んだ水を湛えている。

「あら、陛下」艶やかな笑みを浮かべて、ツェツィーリエが楽しそうに応える。「お忍び旅行をグウェンダルに承知させる代わりに、私のお願いを何でも聞いてくださるお約束でしたわ? でしょ?」
「……そ、そーですけどー……」
「陛下ってばこんなにドレスがお似合いなのに、ぜーんぜん着て下さらないんですもの。私、機会があれば絶対! って決めてましたのよ?」
「つまり、ほいほいお約束しちゃった君が不注意だったってことさ。ま、諦めるんだね。何せツェリ様のご命令で、この旅行の君の着替えはぜーんぶドレスなんだから」
「……む〜ら〜とぁ〜……お前、知ってたなぁ〜……?」

 ふっふっふとわざとらしく笑う親友を睨むユーリ。すぐ傍らでは、ライラがツェツィーリエに向かって「こういう時、こうやってぐっじょぶって言うんですわよね?」と親指を立てている。

「…慰めにならないかもしれませんが……とてもお似合いでお可愛らしいですよ?」
「情けなくなるだけだから、コンラッド」
「たまには良いではないか! お前の身体は女性でもあるのだぞ?」
「おれの意識は男なの!」
「そうねえ」ヴォルフラムに噛み付くユーリに、ライラがうんうんと頷いた。「身体のことなんて分かったばかりなんだし、だからドレスを着ろって言っても無理があるわよね?」
「あら?」
「分ってくれるんだ、ライラ!」

 理解のあるライラの言葉に、ツェツィーリエは驚いた顔をし、ユーリは嬉しそうに目を輝かせる。

「ええ、もちろん理解できるわ。だからこそなのよねえ」
「……え?」
「ドレスを着る度それはもう居たたまれないほど恥ずかしそうにしてるでしょう? その様子がまたたまらなく可愛くって、1度目にしちゃうとまた見たくなってしまうのよ〜!」
「そうそう! そうなの! 照れくさそうにもじもじなさってる姿が、ホントにもう堪らないわ〜!」
「……………」
「………ええと……」

 申し訳ありません。
 一生懸命真面目な表情を作って、フランシア国王アントワーヌが頭を下げた。いかにも神妙な様子だが、頭を下げたのはついつい綻びそうになる口元を隠すためじゃないかとコンラートは考えた。とはいえ、またまた頬っぺたを膨らませ、皆を楽しませていることに気づいていない大切な主のために、それを口に出すことはしなかった。


□□□□□


「難しいお顔をなさっておられますね。何か問題が?」

 年少組─ユーリと村田とヴォルフラム─がわいわいと漫才を繰り広げながら回廊を歩む、その背中を見つめながら、コンラートは傍らを歩くアントワーヌに声を掛けた。
 ユーリ達のすぐ後を、ツェツィーリエとライラが何やら熱心に話を弾ませながら続き、コンラート達はさらにその後を歩いているのだ。
 本来ホストである国王が、ユーリ達や、まして正使であるツェツィーリエの側ではなく、護衛である自分の隣を歩くとなれば、そこに何か理由があるはずだ。
 果たして、どう切り出そうか悩んでいたらしいアントワーヌがホッとしたように頷いた。

「実は、上王陛下と魔王陛下をお招きした今頃になって、大変情けなくも恥ずかしいことなのだが……少々気になる情報が舞い込んできてね」
「気になる情報、ですか?」

 うん。アントワーヌが苦々しげに眉を顰め、声のトーンを落とした。同時に、2人の1歩後を歩いていたヨザックとクラリスがスッと身を寄せてくる。

「我が国と眞魔国の友好も長く続いて、国民の魔族に対する理解も深まり、この方面に関しての憂いはもうなくなったと考えていたのだけれどね……。どうも私は楽観的に過ぎたようだ」
「……フランシア国内の反魔族派が?」
「光があれば影があり、好意が深まれば貶める力もまた強くなる、ということなのかな。魔族への世の評価が高くなればなるほど、それが許せぬという者達の心はさらに頑なになってしまうようだ。それも、ただ単に反感を抱くというだけなら捨てておくこともできるのだが……」
「何か企んでいると?」
「どうも……その危険性がある、かもしれないと言うのだよ。はっきりしなくて実に申し訳ないのだが……。我が国の、反魔族を標榜し、煽動的な活動を行う者の家に、このところ外国人と思しき者達がまとまってやって来ているというのだ」

 これはいかにも時期が悪い。
 アントワーヌは低い声で苦々しげに言った。この甘いマスクと常に柔らかな物腰の王にしては、声が尖っている。
 コンラートの眉がキュッと顰められた。

「今回の上王陛下のご訪問は公式なものだから、ほとんど全ての行事が公になっている。沿道で声を上げるくらいならばまだ良い。だがもしも彼らが、上王陛下に対し何か企てているとすれば……」

 ツェツィーリエはもちろん、お忍びで同行している魔王陛下の御身にまで危害が及ぶかもしれない。例え実質的な被害がなかったとしても、万一危険な行動をフランシア国民が取れば、眞魔国とフランシアの友好にも大きな傷がつく。
 齎された情報の危険に、コンラートの眉が顰められた。

「とにかく今調査させているので、何かあれば即座に報告しよう。万一何か企むとすれば、最も危険なのは王都に戻ってから、特に上王陛下の王都巡行だろうが……もちろん警備はさらに強化するよう命じてある」

 危険なのは王都に戻ってから。…そう決め付けて良いものだろうか。
 コンラートの中で不安が1つ、ぽつりと湧き上がった。
 強化するという警備の、具体的なところを教えてもらいたい。できれば、自分がその警備を手配し、指揮したい。
 喉から舌の上までその言葉が登ってきたが、口から飛び出す寸前で思い留まった。
 今回の訪問は上王陛下を正使とした公式訪問であり、眞魔国からももちろん随員や、訪問国への礼を失しない程度の数の兵士達が護衛についている。警備についての両国間の打ち合わせも、訪問前から怠りなくなされており、その上で、警備の最終的な責任はフランシアが負うのだ。フランシアの手配を信頼して、こうして訪問している以上、分を越えた差し出がましい発言はフランシアへの不信の表明となりかねない。それは友好国だけに差し控えなくてはならない。
 とはいえ……。
 実はこの別荘には、眞魔国の兵はほとんどいない。せっかく風光明媚な保養地に招待されたというのに、眞魔国の兵士がぞろぞろいるのは無粋だし失礼だと、ツェツィーリエが王都に置いてきたのだ。
 フランシアとの友好関係は順調で、両国の国民の相手国への感情も、まるで100年も前から友好国であったかのような良い雰囲気が醸成されている。その実感があったから、コンラートも母の希望に頷いてしまった。
 だからこの別荘を護るのは、フランシアの必要最低限の兵士達だけのはずだ。

 ……これがとんでもない過ちにならなければ良いのだが……。

 我ながら油断してしまったと、そっと眉を顰めるコンラートに何を思ったか、アントワーヌが申しわけなさそうに次の話題を持ち出した。

「実は、もう1つ、厄介といえば厄介な問題が持ち上がっていてね」
「……何でしょう」

 心中で身構えるコンラートに、アントワーヌが苦笑を浮かべた。

「実は、ラーダンのことなんだ」
「ラーダンというと……ああ、そういえば、使者を送られたそうですね」

 外交部門の担当官達が、聞いたこともない国からとんでもない無礼な書簡が届いたと憤慨している。そんな話を小耳に挟んだコンラートが、何となく心に引っ掛かるものを感じて確認してみれば、それはまさしくフランシアで初めてその存在を知った国からのものだった。
 多くの国をその目で観てきたコンラートだったが、ラーダンという名の国についてはほとんど知らなかった。実際、国といっても、その規模は眞魔国の一地方の、さらに一都市と大差がない。昨今の眞魔国の人々からすれば、文字通り取るに足らぬ小国に過ぎなかった。その国からの書簡に目を通して、コンラートに浮かんだのは、実は怒りよりもむしろ苦笑だった。
 悪気など欠片もないのだ。ただ…知らないだけだ。
 自分達の小さな小さな世界の価値観しか知らず、彼らはその価値観のままに行動してしまったのだ。

「ラーダンの王太子殿をあなたに紹介したのは我々だからね」苦笑を浮かべ、アントワーヌが言葉を続けた。「どういうことなのか、使者を出して断固として問い質さねばならぬという強い意見が臣下達から上がってきたんだよ。この後のこともあるし……」

 紹介したフランシアに魔族の怒りが降りかかることを、フランシアの宮廷の人々は怖れたのだろう。そしておそらく、使者はラーダンの人々を厳しく糾弾したのだろう。容易に理解できる事態だ。

「俺はどうやら余計なことをお話してしまったようです」
「いいや、とんでもない」

 ……あの時は、ユーリがやってきてしまったこともあって、ラーダンの王太子殿とはほとんど話もできなかったんだった……。

 ユーリを側室にという一文には、一瞬こめかみの血管が切れそうな気がしたものの、このような書簡を送らせてしまったことに、コンラートとしては少々責任を感じている。
 とはいえ……。

 ……あの王太子殿も、それに側近の彼らも、そこそこの理解はしてくれたと思っていたんだけどな……?

 どうしてこんな根本的な過ちをしたのだろうと、コンラートは首を捻った。それもあって、ラーダンについての問い合わせをしたのだが……。

「ラーダンの方々も、よもやフランシアから責め立てられるとは思わなかったでしょう。さぞ驚いたでしょうね」
「悪気がないだけあって、自分達が犯した失敗はすぐに理解できたらしいんだが……」

 それで、とコンラートの顔を覗き込むようにアントワーヌが続けた。

「実は……ラーダンから使者が王都来ているんだ。あの時の王太子殿なのだが、我が国への謝罪と、改めて眞魔国との友好を橋渡ししてもらいたいと言ってきているらしい」
「王都に? らしい、と仰るのは、まだお会いになっていないということですか?」
「そうなんだ。我々がこちらに来るのと入れ違いになってしまってね。それで、我々の不在を知らされて、この地を訪問する許可を求めているんだ。彼らが一生懸命なのは確かだし、反魔族派のような危険は全くないのは分かっているのだが……。問題は」

 ここにはユーリがいる。それも……あの時と同じ姫の姿で。

「それは…マズいですね」

 ラーダンの王太子が天下一舞踏会でユーリに一目惚れし、ライラの元に押し掛けたという話を、アントワーヌは今回初めてコンラートに明かしていた。

「そういうことなんだ。断るのは簡単なんだが、崩壊しつつある国を憂う気持ちは私も良く分るし……。半ば押し掛けてこようというのも、わずかな時間も無駄にしたくない気持ちの表れだろう。だから招いても良いかとも考えるのだけど……」
「お互いの精神の安定のためにも、陛下とあの王太子殿が顔を合わせるのは避けたほうが良いですね。余計な騒動は起こしたくありません。万一のために、王太子殿がおいでになる間だけ陛下に女装を止めて頂くという手もあります。あの王太子殿は朴訥というか、真面目な方だけに、思い込むと後先考えずに突っ走りかねない方だと見受けました。ドレス姿の陛下を目にして、あの王太子殿が万一何か不手際を犯せば、ラーダンの存亡に関りかねません」
「全くだね」

 アントワーヌとコンラート、そしてヨザックとクラリスの4人は顔を見合わせ、前方を歩く人々に気づかれないよう、そっと頷き合った。

 だが。世の中というものは、そうそう人の思い通りに動いてくれないものなのだ。


□□□□□


 はー……っ。
 地面を掘って潜り込みそうなほど重いため息が、ドナの口から漏れて落ちた。

「……押し掛けてきて良かったのかな……。もし国王陛下のご不興を買ってしまったら……」
「今さらそれを言ってどうする?」

 フランシアにやってきて知ったのは、アントワーヌ国王とライラ王妃が揃って王都を不在にしているという事実だった。
 何でも、大切な客人をもてなすため、王家の別荘地を訪れているという。
 ご訪問はお伝えします。慇懃にそう言われたものの、のんびり王都で国王夫妻の帰還を待っている気にはなれなかった。おまけに、フランシア宮廷の人々のドナ達を見る眼差しも胸に刺さった。この愚かな田舎者、と冷笑されているように思えてならない。
 失敗に失敗を重ねてしまった自分達が、単にいじけているだけかもしれない。だがそれでも居たたまれない気持ちに変わりはなく、その胸の疼きに追い立てられるように彼らはここ、国王夫妻がいる別荘地にやってきたのだ。
 そして今いるのは、土産物屋などが並ぶ別荘地の繁華な中心街、その中の一軒の茶館だった。
 瀟洒な田園風の建物の前が広場の様に整えられ、幾つもの真っ白な卓と椅子─日除けの傘が一つ一つの卓に差してある─が並んでいる。そこでお茶やお菓子、軽食などを頂くのだ。

「こういうのが眞魔国風なのですって。なかなか素敵よね」
「露天でお茶を飲むのがかい? それなら村の皆がいつも農作業の合間にやってるよ?」
「それとこれじゃ全然違うわよ!」
「ねえねえ、さっきあそこのお店で見た髪飾り、あれも眞魔国のものなんですって。ものすっごく可愛かったと思わない? でね、ちょっとお高かったけど、やっぱり買っちゃいたいなって……」
「ラチェル、私達は遊びに来たんじゃないのよ?」
「分かってるわよ! でも…ちょっとくらい……」
「ちょっとこの品書きを見なよ。焼き菓子付きのお茶が一ポットで6ロッカだって! タタ爺さまの食堂でお腹一杯飲み食いしたってこれより安いよ! 暴利だよ!」

 難しい顔のドナとロディオンを他所に、幼馴染達は気楽な会話を交わしている。
 それが耳に入ったのかどうか、ドナがまた「…はー……」と重いため息をついた。

「ドナ、とにかく国王陛下に我々が来ていることと、それから宿の名をお伝えしておこう。そして後はご指示を待つ。今できることはそれしかない」
「うん……そうだな」

 それしかないな。小さく呟いて、ドナは目の前のカップを両手でそっと包んだ。ドナの大きくて太い手指の中で、そのカップは一際小さく頼りなく映る。
 そして大きな掌で包まれたカップがそっと持ち上げられて、というところで、いきなりガチャリと耳障りな音が響いた。
 え? と、全員の視線がドナに向く。茶托にカップが落ち、お茶がテーブルを汚している。
 そして見られているドナと言えば。
 パカリと顎を落とし、糸目を精一杯見開いて(推測)、半ば身を乗り出して前方を見つめていた。

「……ドナ?」
「……ひ…」

 姫だ!

 え? 今度は全員の顔がドナと同方向に向く。
 そこには。


□□□□□


 賑やかな人通りの中でも、その一団は目立っていた。
 先頭に立ち、きょろきょろと通りを見回しながら歩くのは、まだ15、6歳にしか見えない「少女」、言うまでもなくユーリだ。
 身に纏うのは、ツェツィーリエが選んだ「気軽なお出掛け着」の中の一着。
 オフホワイトの地に、襟元から胸元、そしてゆったり襞を取ってふんわり広がる脛までの長さのスカートの、スリットから裾を、濃淡をつけた淡いピンクのレースの花々が飾る、可愛らしい、だが上品で見るからに質の良いワンピースドレスだった。
 袖は花の蕾を思わせるパフスリーブで、足はドレスと同色のブーツが包んでいる。
 いつも通りの赤茶色の髪は顔の半分を隠し、やはりドレスと同じオフホワイトにピンクの花の帽子を被って今回の変装は完成だ。

「すげー……何つーか、キレイっていうか……」
「垢抜けてる?」
「あ、そう、そんな感じ。フランシアの街は結構知ってるつもりだったけど、ここは何か…こう言っちゃ何だけど、違和感がないっていうか、ヨーロッパ風の古くて鄙びた雰囲気が皆無っていうか……」
「あー、分る分る」
「何といっても新しいですからね」
「新しい?」

 首を傾げるユーリに、コンラートが微笑みながら応えた。

「ええ。ほら、眞魔国の王都はもちろんですが、最近地方でも新しいショッピングタウンがいくつも出来てるでしょう? それらは王都の、陛下や猊下がアイデアを提供されたデザインが活かされているのですが、ここもそうなんです。眞魔国は今や流行の発信地ですからね。ここはつい最近、眞魔国で建築デザインを学んだフランシアの建築家が設計して完成させた、最先端の眞魔国風ショッピングストリートなんですよ。基本に陛下と猊下のセンスが活かされてますから、ここでも地球のエッセンスが感じられるのでしょう」
「あ、なるほどー。だからあんまり違和感ないんだ」
「ウチ程の規模じゃないけど、それらしくなってるじゃないか。ちょっと問題があるとすると、高級品のほとんどが眞魔国からの輸入品ってトコだけど」
「なに!?」村田のコメントにヴォルフラムが目を剥いた。「では先ほど僕が買った首飾りは、やはりビーレフェルト産だったのか!?」
「だったのか? って……ヴォルフ?」
「ビーレフェルトで作る細工に実によく似ていたから、持ち帰って職人に見せようと思って購入したんだ」
「あー……それも逆輸入になるのかな?」
「ならないんじゃないかなー」

 わいわいと他愛もない会話を交しながら店をひやかして、たまに買い物をして、歩く。

「違和感、って言えばさ、村田」
「なに? 渋谷」
「こう、さ、おれ今ドレス着てるのに、だんだんそんな自分に違和感がなくなってきてる気がするのは……危険だよな?」
「楽しくなってきたってんなら、そこそこ注意はするけどさ。ま、身体は半分女性なんだし、ホルモンの作用でってことで納得したら?」
「それでいったら、何でもかんでもホルモンが言い訳になりそうな気がしないか?」
「君にしては鋭い」
「あのなー………あのさ、コンラッドはどっちのカッコを喜ぶと思う? やっぱドレスかな?」

 絶賛片思い中の魔王陛下が、さらにこそこそと声を潜めて親友に囁いた。
 囁かれた方がこそばゆさを我慢しつつ、ちらっと後に視線を流せば、内緒話を邪魔しないでおこうと考えたらしい護衛がにっこりと笑みを返してくる。

 ……外面だけは、ホント、最高級の護衛だよね。

「彼は」村田が囁き返した。「君が君で、四六時中側にいられるんなら、ドレスだろうが腰蓑だろうが素っ裸だろうが、尻尾振って大喜びさ」

 ただし、裸を目にするのは自分だけという条件つきだが。

「それじゃただの変態さんだろ!」
「こら! 2人だけで何をこそこそ話している!?」

 仲間はずれが嫌いなフォンビーレフェルト卿に突っ込まれ、「何でもないよー」と2人は離れた。
 そしてまた店を見て歩き、そろそろお茶にしようかと誰かが口にしたその時。
 突然コンラートとヨザックがユーリの前に飛び出し、クラリスがユーリの背後にピタリとついた。
 え? とユーリが顔を正面に向ければ、コンラートの身体越し、数名の男女がものすごい勢いで真っ直ぐ向かってくるのが見える。

「……何だろ?」
「さあ。何にせよ傍迷惑だね。こんな人通りの多い道を突進するなんてさ」
「下がれ、ユーリ。……僕達に向かってくるように見えるが……コンラート?」
「ああ、間違いなく彼等の目標は俺達だ」

 正確にはユーリだ。
 先頭を突っ走ってくる大柄な人物を確認して、コンラートはため息混じりに答えた。……王都にいるはずなのに、どうして……。
 その、今にも舌打ちしそうな、忌々しげな口調に、ユーリが驚いたように顔を上げる。

「知り合い? ウェラー卿。危険はないのかい?」
「知り合いというほど深い関係はありません、猊下。天下一舞踏会が開かれましたあの時、アントワーヌ殿から紹介されたラーダンという国の王太子とその側近達です。眞魔国と結べば助けてもらえると聞いてその気になった、あの手の国々と同類ですよ。ですが、危険度という点につきましては……微妙ですね」
「…へえ…?」
「コンラッド?」
「それはどういう意味だ、コンラート!」
「来ましたよ」

 ヨザックに注意を促されて、コンラートに顔を向けていた年少組が揃って正面を向き直す。同時に、ユーリ達の耳に「後ほど」と小さく告げるコンラートの声が響いた。後ほどわざわざ教えてもらわなくてはならない何かがあるのか。

 ユーリ達の前で、急ブレーキを掛けた男女が、荒い息を懸命に整えていた。
 誰より激しく肩で息をしているのが先頭の大男だったが、これは疾走のためというより興奮を抑えるためかもしれない。
 目の前の男を見つめて、コンラートは考えた。

 ユーリを、その正体を知らないとはいえ、自分の側室にすると言い切った。
 それが目の前のこの男だと思うと、無意識に手が剣の柄を握りそうになる。冷静な表情を保っている自信はあるが、まだ息が上がっている状態のままの男─確かドン・アーダンと言ったか─がユーリに目を向けた瞬間、真っ赤に頬を染めたのを目にした時は、ぶった斬るのをどうして我慢しなくてはならないのか一瞬分からなくなった。
 それも……。

「…っ、おっおおおおっ、お久しゅうございますっ!」

 勢い込んで挨拶するその顔が、正面に立つコンラートを通り越し、コンラートの背中の陰からそっと覗き見ているユーリに真っ直ぐ向いているとなれば尚更のこと。

「………え?」

 コンラートの背中にぴったり張り付いているユーリが、きょとんと声を上げた。

「あ、あのっ、姫……!」

 誰が姫だ。誰の姫だ。気安く呼ぶな。
 今度はあからさまに眉が寄る。同時に足も動く。少なくとも、半径1キロ以内には近づくなと言ってやらないと……。
 その時、王太子のすぐ後で別の人物が動いた。


「なにをっ、やっているんだっ、お前は…っ!!」

 腰を屈めた親友の背後から、その後頭部をぐわしと引っ掴み、もう片方の手で襟首を締め上げ、火事場の馬鹿力で親友の大きな身体と頭を無理矢理方向転換させる。もちろん向かせた先はウェラー卿だ。

「……あ、痛、いたた…ロディ…」
「お久し振りでございますっ! ウェラー卿!! このような場所でお会いできますとは思ってもおりませんでしたっ!!」

 耳元で怒鳴られて、ようやくドナは自分の失態に気づいた。
 あまりにも姫のことばかり考えていたから、いつか妻と呼んで、幸せに暮らすことを夢見続けてきたから、実はその姫と自分は知り合いでも何でもなく、それどころか名前すら知らないということもうっかり忘れていた。

「もももっ、もっ、申しわけありませんっ! し、失礼いたしました! ウェラー卿、あの…っ!」
「ご無沙汰しております、ドン・アーダン殿。またお目に掛かれて光栄に存じます」

 しどろもどろのドナを遮って、ウェラー卿が言葉とは裏腹の冷たい声で言った。

「ですが、このような場所で私の名を呼ぶのは止めて下さい。私はともかく、連れの者の身の安全に関りますので」

 確かにそうだ。
 ドナ始め、全員が慌てて頭を下げた。

「申し訳ありませんっ!」
「ですから……」

 通りを行く観光客達の目を思いきり引いている。それに全く気づいてくれないラーダンの一行に、コンラートは苦々しげにため息をついた。が、すぐに気を取り直すと声を改めて告げた。

「少々先を急いでおりますので、私達はこれで失礼します。それでは」
「あ? あ! あのっ、お待ち下さ……」
 さくさく告げて、ユーリ達を促し、さくさく先へ進もうとする。
 かなり無作法なやり方だが、コンラートがあえてこのような態度を取るにはそれなりに理由があるのだろうと、ほぼ全員が足を踏み出した。だが……。

「コンラッド、ちょっと待って」

 ハタッとコンラートの足が止まる。
 慌てて振り返れば、ユーリが小首を傾げて人間の王太子を見上げている。
 そのユーリを、まるでハイジに置いてけぼりにされて今にも泣き出しそうなヨーゼフ(セントバーナードだ)のようにドナが見つめている。
 ユーリが視線をコンラートに戻した。

「コンラッド、紹介してくれないのか?」
「…あ……はあ……」

 できることならとっととこの場を去りたかったのだが……やはりユーリの性格を思えば無理な願いだったか。
 胸の中にため息を落とし、コンラートは気を取り直して身体の向きを変えた。

「……ドン・アーダン殿」
「は、はい!」

 しゃきっと背筋を伸ばすと、大きな身体がさらに大きく伸びたように見える。
 コンラートは手をユーリ達に向けて紹介を始めた。

「こちらにおりますのは、私の家族と友人です。彼が」

 紹介はまず身内から。なので、最初にヴォルフラムを手で指し示す。

「私の弟のフォンビーレフェルト卿ヴォルフラムです」
「弟君でいらっしゃいますか!」

 黄金の天使もかくやとばかりの美少年に、あらためてその姿を目に映したドナやラチェル達から、一斉に感嘆の息が漏れた。

「そして彼が」次にさりげなく指し示したのは村田だ。「我が家の…遠縁のご子息でムラタ・ケン殿です。そして…」

 そして、ハタッと気がついた。
 ここで「ユーリ」という名を口にするのはマズいのではないか? 彼らとて、今となっては眞魔国の国主の名を知っているのではないだろうか。「ユーリ」という名は、決して珍しいものではないが……。

「かれ…彼女がムラタ殿の、従姉妹で…」

 ついに「姫」の順番がきて、ラーダンの王太子の身体が一気に前のめりになる。

「ゆ、ゆー…うー、ぎゅ…きゅ……キューリ様と仰います!」

「……………」
「……………」
「……………」

 多くの観光客が行き来するショッピングストリートの一画、ワンポイントで寒風が吹き過ぎた。

 ………幾らなんでも胡瓜はないだろ、胡瓜は。

 名付け親は世界一カッコ良いと信じているユーリだが、それでもしょっぱい顔になるのは止められない。

 ………そっか、ギャグセンスだけじゃなくって、ネーミングセンスもオヤジかあ。

 村田は眼鏡のブリッジをクイッと指で上げ、白々とした眼差しを親友の名付け親に向けた。

 ………我が兄ながら、これだけはどうにかならんのか。

 はーっとどこか諦めのため息をつき、ヴォルフラムは横目で次兄を睨んだ。

 何となく。声にならない声が聞こえてくるような気がする。ちらっと見遣ると、幼馴染と元部下の、「バカ?」とでも言いたげな視線が返ってきた。
 自分のギャグセンスに無頓着なウェラー卿だが、さすがに「きゅうり」はちょっとイマイチだったかな? と思わないでもないのだが………集まる視線が痛い。
 すでに、「剣聖」も「救国の英雄」も「ルッテンベルクの獅子」も台無しである。

「きゅ、キューリ様でいらっしゃいますか!!」

 ……確認すんじゃねーよ。
 ユーリが思わず眇目で男を振り返る。と。どこかの国の王太子は、全身からキラキラキラキラ歓喜のオーラを発散していた。

「素敵なお名前ですねっ!」
「………は?」
「何と申しますかっ、瑞々しくて、爽やかで……夏の日差しの様に輝かしいお名前だと思いますっ!」

 ……そりゃまあ、胡瓜の旬は夏だからねえ。
 親友の呟きを耳にして、ユーリは「は〜〜〜…」とため息をついた。


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プラウザよりお戻り下さい。




済みません(いきなり…)。全然話が進んでません。
一体どういう話なんだ、これ? って感じですよね。うう、こんなつもりじゃなかったのに。
でも、次回からは物語りも急展開を迎えます!!(予定)
と、とにかく頑張ります〜。

ご感想、ご声援、心よりお待ちしております。