早く終われ早く終われ早く終われ早く終われひゃやく……頭の中で舌がもつれた。 渋谷有利のノートには、シャーペンをトントントントン…とイラつく気分のままに打ちつけた点々がどっさりついている。 今教師が「ここ、重要! テストに出るぞ!」と言って黒板に書いた公式は書かれていない。というか、ノートは点々以外真っ白だ。 早く終われ早く終われ早く終われひゃやくおわれはややおわりゃひょよよ……。 どこまで崩れるか試してみた。……無意味だ。 ……6限が始まってから3時間くらい経ってないか? 地球時間、伸びてない? 経ってないし伸びてもない。でも、待ちわびるとはそういうことだ。 今日は掃除当番じゃない。この授業が終わったらすぐに帰れる。 早く終われ早く……。 キーンコーンカーン……。 やっとの思いで鳴り響く、ウエストミンスターの鐘。 「終わった!」 「じゃあ……」と口を開きかける教師の存在はとっくに脳裏から消えている。有利は一気に教科書とノートを片付け、スポーツバッグに押し込み、イロイロ詰め込んだリュックを勢い良く背負うと、「じゃなっ!」と誰にともなく声を掛け、教室から吹っ飛ぶように出て行った。 呆然と見送る教師とクラスメート一同。 「委員長!」 女子の誰かが委員長を呼ぶ。もちろん委員長はすでに行動を始めている。 厳しい顔で携帯を取り出すと、とうに覚えたキーを打ち、耳に当てる。 「………村田!? 君っ!? 今、渋谷君が学校を飛び出して行ったんだけど! ……え!? 今なんて………何ですってっ!? ランド!? これから!? 迎えが!? あなたは!? ……あなたもっ!? ちょっとそれって…………本当!? どうして教えてくれなかったのよっ!! ……もしもし!? もしもしっ!? 村田君!? ……もしも……」 むらたぁ…っ!! 委員長の呪詛の声が教室に響いた。 「……抜かったわ! 私としたことが油断を…! そうと分っていたら、学校なんてサボって朝から行ったのに……っ!!」 ぎゅっと顔を顰めたのはほんの一瞬。委員長は嵐のような勢いで荷物を纏めていく。女子のほとんどもそれに倣った。 「行くわよ!」 「「「はいっ!」」」 女子が団体で教室から飛び出していく。 「………あー……じゃあ今日はここまで………」 勢い良く閉められた扉の音の余韻がまだ残る教室に、教師の空ろな声が響いた。 □□□□□ 西空が茜色に染まる頃、有利達、有利と村田、コンラート、ナビ役の透が日本最大のそのリゾート遊園地に到着した。 ちなみに車を運転したのはコンラートで、いつの間にか国際免許を手にしていた芸達者な婚約者で名付け親で護衛に、有利は感動しきりである。 ちゃんと国際免許を持っていますよ? と教えられた当初、恐る恐る「…偽造?」と尋ねてしまった有利だが、どうやら有利誕生を待って地球に滞在していた間に、米国内で正式に取得していたらしい。 「正式に免許を取得するために必要な書類は偽造でしたけどね」 「……地下組織に頼んだ、とか…?」 スパイ映画か何かを想像したのか、ドキドキという様子で有利が尋ねる。 まさか、とコンラートが吹き出した。 「国連に加盟する国のほとんどの国家機関や軍のトップには、多くの魔族がいます。ボブを通して彼らの協力を仰いだのですよ。ですから、ID始め『コンラート・ウェラー』を証明する全ての情報は、合衆国政府が作成して正式に発行したものです」 「つまり…」地図から顔を上げて透が言った。「アメリカ政府が正式に発行した本物の……偽造書類、なんですね?」 「そういうことだ。中身は偽造でも、発行元と書類は本物。だから俺は少なくとも書類上、何一つ後ろ暗いことのない、正真正銘のアメリカ国民だよ? ボブが用意してくれた住所には俺が暮らしている痕跡がちゃんとあるし、保険にも入ってるし」 「FBIやCIAが『コンラート・ウェラー』に不審を感じて調査しても、全然問題なしなんだな!」 「その前に、FBIやCIA、ついでに言うならNSA(国家安全保障局)やDIA(国防情報部)の内部にいる協力者がもみ消してくれますけどね」 そ、そうなんだ……! 有利が思わず声を上げる。透も一緒になって、しみじみとため息を漏らした。 前世の記憶、敬愛する『隊長』の記憶、それが蘇る度に涙し、夢か妄想かとも悩んだあの頃、とうの『隊長』はしっかりちゃっかりグリーンカード(米国永住権)もどきを手にしていたわけだ。 「すごい機動力ですね。……こちらに同じルーツの魔族がいるというだけでも驚きでしたけど、協力体制がここまでしっかりしてるとは思いませんでした」 「自分達の歴史を見失わないよう、ずっと努力してきたからね。こっちの世界の魔族の結束力は、たぶん君達が想像している以上に強いよ?」 しみじみと呟く透に、村田が笑って言った。 内情をよく知る口調の村田に、有利が顔を向ける。 「村田、お前はその辺のこと、詳しいのか?」 「村田健としては、さほどタッチしてないけどね。ボブと連絡を取ったのも、君が王位に就いてからだし。ただ、知ってのとおり、僕のこちらでの記憶は長いからねー。ボブの組織運営にも、当初からイロイロ協力してきたし」 さすがダイケンジャー。 深いため息が、有利と透からほとんど同時に車内に流れた。 「ところであちらの様子はどうなんだい? 朝からランドに入ってたんだろう?」 予定では、早朝お台場を出発して、ほとんど開園時間から入場していたはずだ。 村田に尋ねられて、運転中のコンラートとナビ役の透は軽く顔を合わせ、それから2人して何ともいえない笑みを顔に浮かべた。 「繭里さんのおかげで、大変スムーズにいってます」 入場したら、重要な仕事がある。それはファストパスをゲットすることだ。異世界からの客人、そして勝利と透を1列に並べて宣ったのは繭里だ。 いくつかの人気アトラクションには、ファストパスというものがある。入場時間帯を指定されたチケットで、その時間帯であれば優先的に入場させてくれるというものだ。知っている人には基礎知識である。 だが自分で時間を指定することは不可能であること、1度パスが発行されたら、それに指定された時間がこないと次のパスは発行されないといったルールがあるため、初めてだと戸惑うことも多い。せっかくファストパスを持っているのに、意味を理解していなかったため長い行列に並んでしまった、ということも起こるのだ。パスが発行されるアトラクションとされないアトラクションをどう組み合わせ、どの順番でどう回るか、次のファストパスはいつどれを選ぶかなど、調整が重要になる。アトラクションの配置も考えなくてはならない。食事や休憩時間も重要だ。そこを上手くプランニングするのがスペシャリスト(?)の腕なのだ。 繭里は年間パスポートを所持する常連で、裏技にも長けていたらしく、ファスト・パスが必要なアトラクションと、パスを設定していないアトラクションを上手く組み合わせ、ほとんど待ち時間なしに一行を案内してみせた。 「さすがに母上を入場待ちの列に並ばせるのは憚られますので……本当に助かりました」 「確かにー…ツェリ様もそうだけど、グウェンやヴォルフが一般の人と一緒に列に並ぶってのは想像しにくいよなー」 コンラッドは柔軟性と適応力があるから大丈夫だと思うんだけどさ。 ユーリに言われて、コンラートはバックミラーでユーリに目を遣り、「ありがとうございます」と微笑んだ。 「ですから余計に」コンラートの声に楽しげな笑いが加わる。「母上は人々の間に立ち混じって、そぞろ歩きするのが楽しくて仕方ないご様子でしたよ? 遊園地の中というのは、街とはまた雰囲気が全く違いますしね。今日はつばの広い帽子ととサングラスをなさっておいででしたので、あまり目立ってませんし、本当にワクワクと弾むような足取りで歩いておられました」 「賛美の眼差しで注目されなくても構わないのか?」 「それもまた新鮮らしいですね。それよりも遊園地を楽しむことの方が良いとお考えのようです。民もみな幸せそうに笑っているし、どこに目を遣っても面白いし楽しいと仰っておいででした。やっぱり夢の国効果でしょうか」 「へ〜」 「でも」そこで透が口を挟む。「『空飛ぶダンボ』では注目されてましたね」 『空飛ぶダンボ』は昔懐かしい遊園地の香りがする屋外型アトラクションだ。旋回するダンボ型のライドに乗るだけの他愛ないものだが、自分でライドを上下させられる楽しみもあって、年代を問わず人気があり、並ぶ人も多い。 「その時だけは邪魔だからと帽子もサングラスも外されて。すごかったですよねー……」 ダンボがふわりと高く上がると同時に、あの豪奢な金髪もふわりと風になびく。宙に浮く感覚が楽しいのだろう、ツェツィーリエの頬に童女のような笑みが浮かび、それがライドの回転と合わせて周囲に振り撒かれる。 その瞬間、ダンボを囲む柵に鈴なりになったお父さんお兄さん坊っちゃん達が「おおーっ!」と感嘆の叫びを上げる。 そしてダンボがふわりと地上に降りてくる。金髪がまたふわりとなびく。楽しそうなツェツィーリエが「素敵よ!」と、満開の笑みで息子達に向かって手を振る。 イロイロ勘違いしたお父さんお兄さん坊っちゃん達がまたも「おおーっ!」と手を振り返す。その繰り返しだ。 「終わって下りてこられた上王陛下を隊長たちが迎えた瞬間、今度は女性達が一斉に歓声を上げていたのもすごかったです。堂々と側に行ける繭が、もう自慢たらたらで。あれはかなり恨みを買ったように思いますよ」 透の言葉に、目に浮かぶようだと有利と村田が頷いた。 あ、そういえば。そこで透が何かを思い出した様に言った。 「ご存知でしたか? 陛下。上王陛下は、今日、買い食いを人生初体験なされたそうです」 「え!? ホント!?」 そうなんです。コンラートが笑って応える。 「母上は文字通り、深窓の姫としてお育ちですからね。街を思いのままに散策なされるなど、考えたこともないでしょうし、まして買い食いなんて」 「初体験はチュロスでした。最初は……」 『これを持って食べながら歩くの!? 何だか……恥ずかしいわ。夜会でもないのに、こんなところでお菓子を頬張る姿を見せながら歩くなんて……』 『皆やってますから。それに、青空の下で美味しいものを食べながら歩くのって、とっても楽しいものなんですよ。これも経験です! やってみましょう、ツェリ様!』 『確かにマユリ殿の言う通りでしょう』グウェンダルも、手にしたチュロスをまじまじと見つめて言った。『経験がないからと尻込みしていては、せっかく異世界にきた意味がないというものです、母上』 「そのクソ…じゃない、生真面目な言い方……。もしかして、グウェンも初体験…?」 「実はそうなんです。兄の場合、屋台などの存在を知識として知ってはいたのですが、殊更買い食いなど、これまで必要ありませんでしたので……」 「言われてみれば確かにー……」 「屋台で買い食いするフォンヴォルテール卿ってのも、想像しにくいもんねえ」 村田があははと笑う。 「ちなみにヴォルフはいつの間にかすっかり買い食いに慣れていて、その後も色々率先して買い求めては、堂々と食べ歩いていました。これもいわば、陛下のご薫陶の賜物かと」 「…そりゃまたー……どういたしましてー……」 ご薫陶は良かったねと村田が吹き出し、続いて車内に一斉に笑いが溢れた。 「母上は特にソフトクリームを気に入られて、再現したものをぜひあちらでも召し上がりたいそうです」 「いいなー、ソフトクリーム! あれを舐めながら王都を散歩するのも悪くないな!」 「ところで」イロイロ想像しているらしい、楽しげな様子の有利を優しく見つめながら村田が言った。「メインテーマの方はどうなんだい? ほら、フォンビーレフェルト卿の遊園地研究」 あ、忘れてた。有利が運転席に向かって身を乗り出す。 ヴォルフは。コンラートが声に温かい笑いを乗せて言った。 「当初の目的も忘れて、すっかり夢中になってましたよ。昼までに乗ったアトラクションでは、特に『カリブの海賊』が気に入ったようです」 「へー……どういうトコが?」 「あの時代設定が」 「…へ?」 「世界の雰囲気が我々の世界の現状とひどく似通っているんです。裏町の猥雑な雰囲気や、民の様子や、それに海賊船と砦の海戦の様子も、感覚的に違和感がないと言いますか……」 ああ、そうだねと村田も頷いた。 「カリブの海賊」は、某映画の世界をリアルな人形と視覚効果を上手く利用してパノラマ的に描いたアトラクションだ。 船を模したライドに乗って、かの海賊達の生活観溢れる世界を体験できる。圧巻は海賊船と砦との海戦で、ライドはまさしく闘いの真っ只中に巻き込まれた感覚を味わわせてくれる。 「あの映画の時代って、17、8世紀に設定されてるからね。下町の民の暮らしは中世から近世までほとんど変化してないし、海賊船は帆船だし、フォンヴォルテール卿やフォンビーレフェルト卿の目にはリアルに映ったんだろうね」 「猊下の仰せの通りです。特に海戦の再現は、あの大戦をまざまざと思い出させる出来栄えでしたし……。グウェンも感心したらしくて、『このような形で、子供達や人間達が我が国の歴史を学べるようにしてはどうだろうか』と言っていましたし、ヴォルフも、本や昔語りでは理解できないことも、こうして再現すれば理解が深まるだろうと、すっかり乗り気になっていました」 「……ちょっと教育委員会的な気も……」 「N○K的とも言えるね」 他には? 有利に尋ねられて、わずかに首を傾げたコンラートが、何かを思い出したのだろう、小さく吹き出した。 「『ホーンテッドマンション』が」 「楽しんだ?」 「いえ、グウェンもヴォルフも相当怖かったようです」 「ヴォルフはまだしも……グウェンも!?」 「隣に座った勝利の話に拠ると、最初から最後まで緊張で身体をガチガチに強張らせていたようです。勝利が声を掛けても応えられなかったとか。どうも、ライドで容赦なく連れまわされて、逃げも隠れもできないことに、2人ともかなり恐怖を感じたらしいですね。耳元で色々語られるのも怖ろしかったらしくて、俺の隣に座ったヴォルフがいちいち反応するのに困りました。仲間になれという言葉に『絶対嫌だ! お前達の仲間になどならんぞ!』って」 「ツェリ様は?」 「繭の話では」今度は透が答えた。「きゃっきゃと子供の様にはしゃいで、それはもう楽しんでおられたようです」 「さすがツェリ様」 「お化け屋敷としては、実際笑えるほど他愛ないと思うんだけどねー」 「ヴォルフはもともと暗闇が苦手な子ですから。グウェンはー……根っからホラーが苦手かな? アニシナの影響とか……」 「うーん……でも遊園地にお化け屋敷は必須だろ?」 「今度僕が、入って出てくるまで所要時間1時間の、あの超有名な病院型お化け屋敷に連れて行っちゃおうかなー。恐怖を突き抜けたら、フォンビーレフェルト卿も一皮剥けて成長するかもしれないよ?」 「………アレは怖いぞ。テレビの特集観てるだけで背筋が寒くなるぞ。おれは絶対パスだからな……って、お化け屋敷で一皮剥けて、どういう成長するんだよ」 「成長なら良いんですが、崩壊されると困りますので……」 「絶叫系はどうなんだい? スペースマウンテンとか」 「おそらく今頃乗っているのではないでしょうか。俺達が出発する頃にそちらに向かうという話をしていましたので」 というわけで。 やってきたのはこの遊園地のシンボル的なお城の前。 多くの人々が記念撮影に勤しみ、ついでなのかどうなのか、別方向にもデジカメや携帯やビデオを向けている。 向けられているのは1脚のベンチで、そこには……ヴォルフラムがへたり込み、傍らには勝利が立っていた。 ねえ、一緒に写真撮らせてもらおうよ! 何だったら食事も一緒に……って、あの側に立ってるのはどういう関係? それにしても……シンデレラ城と憂い顔の美少年って合う!! 「憂い顔?」 道すがら聞こえてくる声に、有利が小首を傾げる。 だが見れば確かに……。 「ヴォルフ?」 声を掛けると、勝利がパッと、ヴォルフラムがのろのろと顔を上げた。……生気がない。 「つまりー」 ちょっと呆れ顔で、有利がベンチにへたったままのヴォルフラムを見下ろした。 「スペースマウンテンとビッグサンダーマウンテンで魂が飛んじゃった、と…?」 「ラスト、スプラッシュマウンテンの滝つぼ落ちが留めだったな。ほら」 そう言って勝利が差し出したのは、スプラッシュマウンテンの滝つぼダイブの瞬間を写した写真だった。 ライドの最前列に、満面の笑顔で万歳ポーズをキメるツェツィーリエと繭里、その後には、恐怖に引き攣った絶叫顔で、万歳どころかライドにしがみ付くグウェンダルとヴォルフラム、さらに後の列には、勝利に教えられたのだろう、無表情ながら付き合いの良いクラリスと勝利が両腕を高々と上げた姿で写っている。 情けねーなー。しみじみと写真を眺めた有利が笑って言った瞬間、ヴォルフラムがキッと眦を釣り上げた。碧の瞳が睨みつける先は、笑った有利ではなくてコンラートだ。 「あんな怖ろしいものだと言っていなかったじゃないか! お、お前は……!」 「暴走する馬で丘を駆け下るようなものだと言ったが……」 「そんな生易しいものではなかったぞ!! あっ、あれはっ、いきなり天空に持ち上げられて、そこから一気に叩き落されるような……っ!」 ぶるっとヴォルフラムが身体を震わせた。それからハ〜ッと息を吐き出し、がっくりと肩を落す。 有利達は互いの顔を見合わせ、肩を竦めた。 「ところでツェリ様とグウェン達は?」 「ツェリ様はクラリスと香坂繭里をお供にあっちこっち観て回ってるらしい。フォンヴォルテール卿は……」 お土産屋に埋没してる。 勝利の返事に、有利達が目を瞬かせる。 「キャラクターグッズの山を目にした途端、動かなくなってしまって……。クラリスが大丈夫だと言うから放っておいたんだが、後から覗いてみたら、何と言うか……ものすごい勢いでグッズを買い込んでた。土産を渡す相手がよっぽどたくさんいるんだな」 あー……なるほど。 勝利を除く全員が納得して、深々と頷いた。 山なすファンシーなキャラクターグッズの数々。グウェンダルにすれば宝の山を掘り当てたような気分だろう。 「……なあ、おれ、どうしよう」 「どうしようって、渋谷、何が?」 いきなり眉を顰めて呟く有利に、村田が問い返した。コンラートや透、勝利もきょとんと有利を見ている。 「もしも……」有利の眉がさらに深く寄せられた。「もしもグウェンが……ミッキーの耳を頭につけて現れたら、おれ、どういう顔したら良いんだろ……?」 「そ、それは……っ!」 思わず想像の翼を羽ばたかせた全員が、引き攣った顔を見合わせた。 「ミッキーならまだしも、最悪ミニーの可能性もありますよね」 「ウェラー卿、『まだしも』と『最悪』の線引きの基準は何?」 「やっぱり……とってもお似合いです、とか……?」 「透さん、それ真面目な顔で言える?」 「…え、あ……えーと……」 「あのシブい兄貴がそういうことをするか? ああいうグッズとは一番縁遠いタイプだろ?」 勝利が不思議そうに質問すれば、何とも表現しがたい複雑な表情が一斉に勝利に集中した。 「え!? お、俺、何かおかしいことを言ったか?」 うろたえる勝利をしばし眺めてから、有利、コンラート、村田、透の4人は顔を見合わせ、ため息をついた。 「とにかく、陛下と猊下もおいでになったことですし、集合を掛けましょう」 「陛下!」 やってきたツェツィーリエが飛びつく様に有利に抱きついた。放り出されたスプリングロールが宙を飛ぶが、クラリスが即座に受け止める。 遠巻きに、「うおー」だの「きゃー」だの「また美形が!」という声が聞こえるが、有利を含めて全員すでに聞き流す態勢が出来上がっているので気にならない。 「ツェリ様、どうですか? 楽しんでもらえてますか?」 「ええ、とっても!」ツェツィーリエが大輪のバラのように華やかに笑う。「こんな素敵な場所、私、初めてですわ! どこを見ても、何に乗っても楽しいのですもの! ねえ、陛下、ご一緒しません? 私、あのきゅんと回ってきゅんと上がってきゅんと落ちる何とか…えーと、まうんたん? それにまた乗りたいんですの!」 「お止め下さい、母上! あのような怖ろしい乗り物……」 「あら、ヴォルフ、あなたったら意外に弱虫なのね? 怖くなんかなかったわ。とっても爽快だったじゃないの」 「よ、弱虫……!? 母上、それは聞き捨てなりません! 僕は弱虫などではけっしてありません! ……分りました」 僕がご一緒します! 決死の覚悟で宣言するヴォルフラムと、にっこり笑うツェツィーリエ。その間に、「まあまあ」とコンラートが割って入る。 「陛下と猊下もおいでになったことですし、とにかく食事にしませんか? 早めに夕食にして……」 「パレードの場所取りだな!」 □□□□□ 一番最後にやって来たグウェンダルを加え、一行は繭里が『プライオリティ・シーティング』で優先的に入店できる(優先してくれるだけで、席の予約ではない)ようにしておいてくれたヴィクトリア朝様式のレストランに向かった。 ちなみにグウェンダルはグッズを詰め込んだ紙袋をどっさり抱えてやってきたが、その中にはもちろん、ミッキーやミニーの耳型カチューシャや帽子もあった。 有利達が思わずそれを手に取り、ジト目で見つめれば、何か感じるところがあるのか、グウェンダルは激しく取り乱し、大慌てで手を振った。 「ちっ、違う、それは決して私が……い、いやっ、それはっ、その……っ……そうだ! グレタだ! グレタへの土産として購入したものだ! グレタが被れば、さぞ似合うだろうと!」 どう見ても今思いついたに違いない言い訳をする兄をしみじみ見つめ、それからコンラートは紙袋を受け取った。 袋の中にはファンシーな小袋に分けられたグッズが山と詰め込まれている。その中の1つを覗くと、ビニール袋を通していきなり目に入ったのが……首輪だった。この大きさだと犬用だろうか、何に使うのだろう、グウェンは猫派のはずなのに。と思いつつ、袋を揺すると、次にコロンと目に飛び込んできたのが哺乳瓶、もちろん人間の赤ん坊用の、だ。ついでに言うならくまプー柄の。 ……本当に。何に使うんだろう……。 視線を感じて顔を上げれば、不安そうな主と弟、好奇心に瞳を輝かせる賢者、そして無表情ながら袋の中身を探る気満々の元部下の顔が視界に飛び込んでくる。 気を取り直すように深呼吸。それから兄の名誉のためにもことさら真面目な顔を作り、コンラートはグウェンダルに話しかけた。 「お台場のホテルに送ってもらう手配をしてきます。手に持ったままでは行動しにくいですしね」 「そ、そうか? そう、だな。うむ、頼む、コンラート。……しかし、ここの土産屋は実に充実しているな。これは我々にとってもこの後の参考になると思うぞ」 気配りに関しては天下一品の弟に戦利品─でもちょっと多すぎて邪魔─を渡してホッとしたのか、グウェンダルが戦果について報告を始めた。 「ぬいぐるみなどの人形類は言うに及ばずだが、私が今回注目したのはぼーるぺんだ! あれは素晴らしい! 何といっても、何もせずとも、その場で即文字が書けるというのは画期的だ。試してみたが、書き易さでも羽ペンとは天と地ほど違う。それだけではない。愛らしいねずみや少女や犬や猫や、魚人族とは逆の……そうだ、知っているか? コンラート!」 この世界には、魚人姫とは逆に、上半身が人で下半身が魚という摩訶不思議な精霊が存在するらしいぞ! 勢い込んで弟に教える兄に、弟が脱力気味の笑いを漏らす。 「それらを愛らしい絵にしたものでペンを飾っているのだ。実に手にし甲斐が…あ、いや、年少者は気に入るのではないかと思う。あれを使えば陛下の執務もはかどるだろう! 我々全員の分を購入してきたぞ? もちろん使い勝手が良いからだが。…そうそう、十貴族の当主達や部下にも配ろうと思う。やはり土産物は、数を購入しても負担にならない大きさで、値段も手ごろで、使い勝手の良いものに限るな。遊園地とやらの土産に限らず、これからの我が国の特産品のあり方についても、今回私が買い集めたものは大いに参考になるだろう」 ミッキーの耳付きカチューシャを頭に、ミッキーやアリス柄のボールペンで重要書類にサインする魔王陛下と宰相閣下、そして国家を支える重鎮一同……。 「それからタオル類も実に柔らかく、愛らしい姿の動物や精霊達が色鮮やかに織り込んであった。い、いや、もちろん模様や絵柄はどうでも良いのだが、あの柔らかさは特筆すべきものだ。あれを使えば、洗面や入浴も心地良いものとなるだろう。足拭き用のマットもあった。私達の部屋の浴室もうそうだが、魔王専用浴場のタオル類も、すべてこちらのもので統一しても良いのではないかと……」 「……と、とにかく、すぐに戻ってきますので、それから食事しましょう。ね?」 ミッキーやミニーやアリスやくまプーグッズで溢れる血盟城……。 イロイロ想像すると妙に切なくなってくるので、有利は優しい恋人の言葉に素直に頷いた。 ヴィクトリア朝様式を真似たレストランでグリル料理、ただしアルコールなし、を堪能し、向かうのは本日1番のハイライトだ。 「エレクトリカルパレード最高のロケーションといえば、やっぱりシンデレラ城の前! だから人も多く集まって、逆によく観えないのよ」 レストランを出て歩きながら、繭里のレクチャーが始まった。 「でも経験豊かなリピーターは」自分を指差して繭里がにっこり笑う。「ちゃんとポイントを押さえて、穴場を見つけるわけ。そこならそれほど人も多くないし、余裕を持って観ることができるわ。私のお勧めの場所よ!」 そうしてやってきた一画は、パレードの終盤に差し掛かる場所で、メインのお城からは離れている。 確かに膨大というほどの人出はないが、それでもそこそこの人々が集まっていた。 パレード開始1時間前、敷物を敷いて場所を確保し、時間まで交代で周辺を観て歩くことにした。夕食の後だが、こういう場所では別腹が2つ3つと増えるらしく、それぞれが買い集めてきたスナックや飲み物を頬張りながらお喋りしていると、遠く感じた時間もすぐ近くにやってくる。 「暗くなってきましたね」 「だね」 コンラートと有利はコーラを手に、敷物に並んで座っていた。間にあるのはポプコーンのバケツのみ。 別に気をきかせてくれたわけではないだろうが、今その場所にいるのは2人だけだ。周囲で同じ様に場所取りをしている人々の視線が集中しているが、同じ様な視線にずっと晒されているので、いつの間にかすっかり気にならなくなっている。 ストローでコーラを一口啜った有利が、そこでいきなり「ぷぷっ」と笑った。 「どうしました?」 「なんか……おかしくて」 「何が?」 「こんなムードも何もないトコで、コンラッドと2人で座り込んでてさ。何か考えるとおかしくって……」 くすくすと笑い続ける有利を愛しげに見下ろすコンラートの顔にも、穏やかな笑みが浮かんだ。 「今回は本当に慌しい訪問になってしまいましたね」 「いきなり決まったんだろ?」 「ええまあ、そうなんですが……。俺としてはちょっと残念でした」 「……どういうトコが?」 「そうですね」わずかに言い淀んで、それから改めて口が開く。「あちらのユーリとこちらの有利の両方を知っているのは、俺の特権だと心密かに自慢していたので」 一瞬目を瞠って、それから有利は再びぷぷっと吹き出した。 「心密かに?」 「はい」 ですのでちょっと悔しいです。 囁くように言われて、有利の笑みが静かに深くなった。 どこにいても自分は自分だけれど、そしてコンラッドは唯1人の名付け親で、紛れもない恋人で婚約者だけれども、でも、渋谷有利も魔王ユーリも、ウェラー卿コンラート1人だけのものにはなれないことを知っているから。 「おれも。ちょっと残念。コンラッドだけに知ってて欲しかったから」 そっと呟けば、コンラートの笑みも優しく深まる。そして。 キスしたいんですけど。 今度は本当に耳元で囁かれた。 う、うえ…っ!? 思わず声がひっくり返った。 「こっ、コンラッドさん…っ!」 「でもしません。残念ですけど。さきほどからこちらを見る人の視線が痛くって。……人に注目されるのはそれなりに慣れているつもりだったんですが、こちらの人々の視線はあちらに輪を掛けて遠慮会釈がないというか…すごいですね」 言われて有利が改めて周囲を見回すと。 場所取りをしている人々、特に女性達が、まるで悲鳴を堪える様に両の拳を口元に当て、目を大きく見開いて自分達を凝視している姿が一気に目に飛び込んできた。 見開かれた目は、人口の灯に色鮮やかに照らされるこの場所においてすら、爛々と輝いて見える。 ……こわ……。 そんな風に見つめられることをしただろうか? 確かに自分達は将来を誓い合った恋人同士で、でもだからって、節操もない行為は謹んで……謹んで、いるよな? 場所取りしてコーラを飲みながら話しているだけなのに、そんな目で睨まないで欲しい。いくらコンラッドがカッコ良いからって……。 「おい」 ひょんっ、と。有利のお尻が跳ね上がった。 「何やってんだ、こら」 勝利だ。 …びっくりした。紛らわしい。……何と紛らわしいのか良く分からないけど。 「何って、話してるだけじゃん! いきなり変な声で呼ぶなよな!」 「妙な空気を醸し出すなって言ってるんだ! おふくろに言いつけるぞ」 「妙な空気ってなんだ! 醸し出すって! おれ達は……!」 「ああ、そうだ、コンラッド」 「いきなり話し相手を変えるな!」 「まあまあユーリ」コンラートが手をユーリの頭の上でぽこぽこと弾ませる。「で? 何だい、勝利」 「実はー……ツェリ様の姿が見えないんだが」 「「はあっ!?」」 有利とコンラートが声を揃えて飛び上がった。 姿が見えないのは、ツェツィーリエだけでなくクラリスと繭里もだった。 「一体いつから!?」 「皆ずっとここにいたわけじゃないしねー。適当に交代してぶらぶらしたり買出ししたりしてたから……」 「でもクラリスも繭里さんもいないってことは……」 「……ああ、繋がりました!」 声を上げたのは透だった。隣ではコンラートがクラリスの携帯に掛けているが、こちらはどうやら繋がらないらしい。コンラートも有利達と一緒になって透に顔を向けた。 全員の視線が集中する中、透が勢い込んでどこかにいる従姉妹に話しかけている。 「繭!? 今どこにいるんだよ! 実はツェリ様とクラ……え? 何だって? 一緒? ツェリ様達と一緒にいるのか? ホントに!?」 地理に明るい繭里と一緒にいるらしいと分って、一同の頬がホッと緩む。 「黙ってどこに行ってんだよ、皆心配するじゃないか! さっさと戻って……え!? 何だって!? まだって…おい、繭、何言ってんだよ! 一体どこで何して………繭? ちょっと、ちょっ……繭!?」 従姉妹の名前を何度か呼んでから、反応がないのか、耳から離した携帯を透が呆気にとられた顔で見つめている。 「透さん?」 有利が心配そうに声を掛けると、透ががハッと顔を上げた。 「あ、あの……申し訳ありません。ツェリ様もクラリスも繭と一緒にいるらしいんですが、その…どこで何をしているのかが分らないというか……」 「聞きそびれちゃったのか?」 「いえ、そうではなく…」透が眉を顰め、困ったように首を傾げる。「何も問題はないので、心配しないでと……」 心配しないでっつったって。 有利と皆が顔を見合わせる。 「……まあ…母上ですし……クラリスもついていますし、繭里さんも一緒なら……」 大丈夫じゃないかと、コンラートが苦笑交じりに口にする。 「そうかもしれませんけど、でも何も言わないでどこかに連れて行くなんて、繭もどうかしてますよ!」 「いや、繭里さんが連れ出したと決まったわけじゃないんだし」 良い意味でも悪い意味でも思い立ったら即実行の母、ツェツィーリエである。正直、自分の欲求が第一で、人の迷惑はあまり考える性質ではない。待ち時間に飽きて、どこか楽しめる所に行こうと思い立ち、あの独特の押しの強さで繭里を案内させた可能性もかなりある。 「……というか、考えれば考えるほどそちらの可能性の方が高いと思うんですが……」 長いつきあいだ。三兄弟は顔を見合わせると、しみじみと頷いた。 「コンラートの推測が正しいだろう。とにかく繭里殿とクラリスが一緒なら何も心配はいるまい。トールも気にするな。とにかく、この場所は繭里殿がよく分かっているのだから、我々はここを動かず、その何とかパレードと花火の見物をしようではないか」 年長者らしく纏めるグウェンダルに全員が納得して頷いたその時、遠くからファンファーレのような音が響いてきた。 「パレード! 始まったぞ!」 有利の声が明るく響いた。 「これは……! 素晴らしい!!」 ヴォルフラムが感に堪えない様子で叫んだ。芸術家の魂に強烈に響くものがあったようだ。 ランド名物、エレクトリカルパレード。 この世界の様々な物語、その登場人物たちを乗せたフロートと呼ばれる山車は、100万個とも言われる電球に飾られ、物語の世界を圧倒的な色と光で描き出している。 人々を一気に、非現実の世界に引きずり込むイルミネーションは圧巻だ。だが何よりも、フロートの上で華やかな衣装に身を包み、観客達に向かって手を振るキャラクター達、そして列をなし、華麗で奇抜で可愛らしくて艶やかな、現実世界ではあり得ないデザインのコスチュームに身を包んだダンサー達の笑顔とダンス、そして響き渡る音楽は、夢の世界に集う人々の心をさらに浮き立たせ、酔わせ、いつしか身体をも弾ませる。 「見ろ、この煌きを! 綾なす色彩の美しさを!」 有利のすぐ傍らで、ヴォルフラムが夢心地のままに叫んでいる。 「このような巨大な山車をこれほどまでに飾り立てて……! 踊り子達も素晴らしい! この衣装、この世界のものではなかろう! どうやってこのような意匠を思いつくのだ!? それに振り付けの何と楽しげな……!」 言いながら、ヴォルフラムの身体は音楽に合わせてリズムを刻んでいる。もしかしたら無意識かもしれない。 「ヴォルフラムの言う通りだ……!」 その向こう隣で、グウェンダルもまた興奮に上ずった声を上げている。だが、グウェンダルはその次の瞬間、苦しげに眉を顰めた。 「残念だ…。本当に残念でならん…!」 どこか沈痛な声に、有利達も思わず顔を上げてグウェンダルを見つめる。 「我々に電気が使えれば…! このように人を圧倒する装飾は、我々にはどう足掻いてもできん!」 「……アニシナさんに……」 「絶対にできんっ!」 可能性が具体化される時に、先ず最初に犠牲になる確率が50%(一番最初に魔力を放出させられるのが、グウェンダルかギュンターのどちらかで決まりということだ)のフォンヴォルテール卿は、何が何でもの決意をこめて断言してから、不安げに王を見下ろした。 「………これの様子を事細かにアニシナに報告することだけはどうか……」 「しません(……たぶん)」 「感謝する」 ホッとため息をついて、グウェンダルは改めてパレードに目を向けた。 「実に……素晴らしい。数々のあとらくしょんとやらも興味深いものばかりだったが、このぱれえども、これだけで一見の価値がある。全ての人々をこれほどまでに感動させ得るものを我々も創り出すことができれば……」 「できるよ」 軽やかに、だが自信を持って発せられた一言に、グウェンダルはもちろん、興奮に我を忘れていたヴォルフラムもが視線を巡らせる。 有利が笑みを浮かべたまま、うん、と頷いた。 「確かに電気はないけどさ。だからこんなイルミネーションはできないけれど、でもこれがなきゃ人を感動させられないってことはないだろ? ……この場所がこれほど人をひきつけるのは、ここに人を楽しませようって気持ちが溢れてるからだよ。おれ達も皆を幸せにしよう、楽しんでもらおうって真剣に思えば、電気がなくたってできることはいっぱいある!」 …と、思います。 いつものコトながら、最後は照れくさそうに、自信なさ気に付け足す王に、だが全員が柔らかな笑みを浮かべて深く頷いた。 「確かにユーリの言う通りだな! よし! 電気など使えなくとも、僕が芸術家としての感性を総動員して、必ずこれを超えるぱれえどを創り上げてみせよう!」 「……あ、あははー、そっかー……ヴォルフの感性ってトコに不安が……あー、でも…」 頑張ろうな。 拳を握り力説するヴォルフラムの、自信と希望に煌くオーラにちょっと目を逸らし気味になりながらも、有利もまた決意の拳を握り締めた。 うわぁあああ…っ! その時、一際歓声が高く上がった。 全員の顔が燦然と輝くフロートに向く。 と。 「………あ、あれ……?」 最初に気づいたのは誰だろう。 近づいてきた新たなフロート(山車)に目を遣った瞬間、有利はもちろん全員が一斉に固まった。次の瞬間、目は驚愕に見開き、口は声にならない悲鳴を迸らせるようにぽかりと開き、一部顎が外れたように落ちている。 「ちょ、ちょっと……? あれってまさか……」 ツェリ様!? 煌々と、燦然と、目を圧倒する光の洪水の中。一際巨大なフロートの最上部、まるで玉座のような椅子に鎮座ましまして、ゆったりと笑みを浮かべて手を振っているのは………どこからどうみてもツェツィーリエ、だった。 豪華絢爛な、だがどこかファンタジックなパステルカラーのドレスに身を包み、だが女王の威厳は些かも損なわれず、山車の上で笑みを振り撒いている。 「…ど、どうして母上が…?」 呆然としたヴォルフラムの言葉は全員の思いだ。 「実はー…」 有利達の背後からいきなり声がした。ハッと振り返れば、繭里が照れ笑いだか何だかを浮かべて立っている。 「あのね」誰かの突っ込みを躱すように、急いで繭里が言葉を繋ぐ。「私、ちょっとコネがあって。パレードの前のキャストやダンサー達の待機場所にツェリ様を案内したの。そしたらそこで……」 フロートに乗るプリンセス役の女性が、いきなり体の不調を訴えたのだと言う。 すぐに交代要員が用意されるところだったのだが、そこでパレードの舞台監督とも呼ぶべき人物の目に飛び込んできたのがツェツィーリエだったのだ。 「あり得ない話だと思ったんだけど、でもツェリ様を見た責任者が、もうツェリ様以外考えられない状態になっちゃって。ホントならちゃんと交代する人達がいるのよ? だけどツェリ様を一目見たら、誰も、その……張り合おうとしなくなっちゃったっていうか……」 その気持ちは分からないじゃないけど……。 改めて見上げれば、人々の大喝采を受けて婉然と微笑むツェツィーリエの美しさは、イルミネーションの輝きや喧騒にわずかも埋もれることなく、むしろその全てを従えて、ますます艶やかさを増している。 今、夜のランドを煌々と照らすイルミネーション、LEDや光ファイバーの輝きは、唯1人、ツェツィーリエのためだけにあった。 「王の、とはいえないけれど」村田が小さく呟いた。「ツェリ様も紛れもないカリスマの持ち主だもんね」 大したもんだね、と1人ごちた村田の耳に、その時後方からふいに飛び込んできた声があった。 「ツェリ様が乗っておられるのだものっ、絶対絶対コンラート様やヴォルフラム様も他のフロートに乗っておられるに違いないわっ!! 私達が見逃すなんてあり得ない! 探すのよ! 早く見つけないともうすぐ終わってしまうわーっ!!」 叫びながらフェードアウトしていく聞き覚えのある声。 村田たちは見物客の最前列にいる。あの声の主達は後方で移動しているから、自分達がここで見物していることには気づかなかっただろう。 「自信過剰と思い込みから成功は生まれないよ? 可能性はあらゆる角度から検証しなくちゃね。じゃなけりゃ、到底『司令官』にはなれないな」 くすっと笑うと、前を向いていた有利がきょとんとした顔で村田の顔を覗きこんできた。それに「何でもないよ」と笑顔で返し、それから指をすっと上に向けた。 「ねえ、ほら、ツェリ様の隣に立ってるの、あれクラリスだよね?」 え? と全員が伸び上がり……。 「げげっ!?」 ツェツィーリエを発見した時以上の驚愕が全員を襲った。 確かにクラリスだ。ツェツィーリエが座る玉座(?)の傍らに背筋をピンと伸ばし、文字通り直立不動で侍っている。もちろん観客に愛想を振り撒く様子は欠片もない。だがそんなことよりも有利達を驚かせたのは、彼女の変わり果てた(?)姿だった。クラリスはあろうことか、ふわふわとした蛍光ピンクのドレス、というか、ワンピース、それも超ミニの、を身に纏っているのだ! 「ク、クラリスがミニスカ……!?」 あり得ないものを見てしまったと、有利の頬が引き攣った。 「頭にはでっかいピンクの花がくっついてるし、背中に……白い羽もあるよね。天使みたいに。クラリスにあの衣装って……。一体何を狙っているのかな? 演出意図がさっぱり分からないんだけど」 「てゆーかー……おれ、クラリスのあの顔が気になるんだけど……」 「……いつもの無表情というよりも……明らかに仏頂面、ですね」 「美人なのは確かだから、ついでに乗せちまったのかな? だけど、性格を考慮しなかったのは失敗だな」 「クラリスさん、ものすごく抵抗してたのよ。こんな服は着れないって。でもツェリ様が『あらクラリス、あなた私の護衛なんだから、どこまでもちゃんと側にいてくれないと』って仰って。でもあれって、クラリスさんにあの衣装を着せてみたかっただけだと思うわ。あ、そうそう、頭の花と背中の羽はツェリ様がつけたの」 「…また母上か……」 「浮いちゃってるなあ。あの表情はマズいよ。もっと笑顔でサービスしないと、接客業のセンスを疑われるじゃないか」 「いや、クラリスに接客業は根本的に無理だから」 「眞魔国であんな格好をさせられたら、今頃剣を振り回しているのではないか?」 「と言うより、とっくに皆殺しなんじゃ……」 「……あれ? 透さん、写真撮ってるの?」 有利、村田、コンラート、勝利、繭里、グウェンダル、ヴォルフラム、が、クラリスについてコメントしている間、一番反応が激しくなるはずの透はずっと沈黙を守っていた。はずだったが。 有利がふと見ると、透は今目の前を過ぎていくフロートの上、ツェツィーリエとクラリスの姿をデジカメで懸命に追っていた。 「かなり撮れましたよ」 言葉もなく、ひたすら連写を続けていた透が、ホウッと息をつきながらファインダーから目を離した。それから作品を確認するのだろう、液晶モニターをじっと見つめてから、にっこり笑って大きく頷いた。どうやら満足できる出来栄えだったらしい。 「ツェリ様はまだしも、クラリスがあんなカッコするのって珍しいもんな。記念にするんだろ?」 どんな姿でも、「兄」の立場で観れば可愛く思えるものかもしれない、と微笑ましい気分で(自分が対象でなければ、『兄』のこんな姿も微笑ましく思えるようだ)有利が話しかければ。 はい、と透が嬉しそうに応えた。 「これはクラリスにとってもかなり衝撃的な経験に違いないですからね。……これから先、クラリスに苛められそうになったら、これを僕が握っていることを教えてやろうと思います。そしたら、僕にももうちょっと優しくしてくれるんじゃないかな。きっと悔しそうにだろうけど」 ふっふっふ。モニターを見つめながら、どこか不気味に透が笑った。 「…と、とおる、さん……?」 「透…?」 「ト、トール…?」 有利、繭里、コンラートが、従兄弟であり、元部下(魂のみ)の青年に向けて目を瞠った。 ……「妹」を脅そうとは、2人の間に何があったのだろう? というか、透は一体いつからこんな性格に……。 「いやー、透さんも逞しくなったねー。僕も常々透さんにアドバイスしてきたんだよ。あのクラリスと対等に闘うには武器が必要だってね。うん、これからの展開がますます楽しみになってきたなー」 「お前のせいかよ! つーか、何で透さんとクラリスが闘わなきゃならないんだよ!?」 「大丈夫だよ、渋谷」村田が指をピッと立てて言った。「どうせカメラごとすぐにクラリスに奪い取られて、ますます苛められるってオチで終わるから」 「いや、そうじゃなく!」 「あ、あの、ユーリ? 前を見ていないとパレードが終わっちゃいますよ?」 「だってコンラッドー……」 イロイロ不安要素を含みつつ、華やかパレードは華やかに終了しつつあった。そして。 ドンっ、とい鈍い音が闇夜に響く。 「花火! 始まった!」 漆黒の闇空に、轟音と共に黄金の光の花が開いた。 それを皮切りに次々と花火が打ち上げられ、夢の国の空を色鮮やかに飾っていく。 「綺麗だぁ……!」 おれ、花火って大好きだ。幼い子供の様に声を弾ませる有利に、コンラートの笑みも深くなる。 ふいに。右手を包まれる感触に、有利はハッと隣に立つ人物を、コンラートを見上げた。 「肩を抱き寄せたい気分なんですけど、勝利が、というか、勝利の背後に見える美子さんが怖いので、今はこれだけで……」 笑いを含んだ声で囁かれて、頬が熱くなるのを感じながら、有利もまたコンラートの手を握り返した。 花火が続く。金属的な煌きと鮮やかな色が天空を彩り、パラパラと砕けて消えていく。その繰り返しに魂は更なる夢幻に包まれる。 「……いつか、眞魔国に遊園地ができたら」有利が言った。「人間の国の友達も皆招待して、たくさん花火を上げよう。皆がうんと楽しんで、幸せな気持ちになって、そして本当に幸せになれるように」 祈りをこめて。 「ええ、そうですね。そうしましょう」 囁くような声だったのに、コンラートはちゃんと応えてくれた。 それが嬉しくて、有利はコンラートの身体にそっと身を寄せた。 ぴったりと寄り添って、手を深く繋ぎあって、温もりを少しだけ分け合って、有利とコンラートはいつまでも空を見上げていた。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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