Take Us Out to the Ball Game! 4



「クラリス…っ!?」

 愕然とその名を呼んでから、透は首と手を忙しくプルプルと振った。

「あ、あ、いや、そんなはずない、こんなトコにいるわけないし、まして渋谷君と……じゃあ誰!? まさかそっくりさん!? いや世界にそっくりさんは3人いるっていうし、あれっ!? もしかして異世界も合せたら6人いるとか!? いやだけどそんな……!」

 おーい。
 微妙に錯乱する友人の正気を取り戻そうと、勝利が片手を上げかけたその時。

「まったく!」

 傍らの女性士官から、呆れてモノも言えないという口調でモノを言う声がした。

「学者は阿呆と紙一重とよく聞くが、まさしくその通りだな!」

 ……大学の研究室でそれを言うか……?
 勝利と透と、それからこの研究室の主とその孫が、それぞれ別の理由で絶句する。

「………ま、さか……」

 クラリス? 本物の?
 深呼吸してから恐る恐る確認する透に、腕組みしたクラリスがさも忌々しそうに舌打ちする。

「私が3人も4人も、まして6人もいて堪るか、馬鹿者!」
「ごっ、ごめんなさいっ!!」

 怒鳴りつけられて、飛び上がった透がほとんど反射的に腰を折った。それこそバタンと音がしそうなほど勢いよく。



「お騒がせした」

 クールな美女が教授に向かい、クールに謝罪する。謝罪の気持ちは微塵も感じられないから、おそらく彼女にとっては日常的な軽い挨拶なのだろう。

「……隊長だけじゃなく、上王陛下とフォンヴォルテール卿とフォンビーレフェルト卿が……!?」

 呆然と、誰に確認するでもなくそう言うと、透は髪に手を差し入れかき回し始めた。

「有利のこっちでの生活を知りたいんだと。今学校に、授業参観に行ってる」
「……そんな、ことを……」

 勝利に説明されて、まだショックから抜けられないのか透の口調はどこか上ずっている。

「で、この彼女が護衛役としてついてきたんだそうだ」
「……そう、だったんだ……」

 しみじみとクラリスの顔を見つめる透。
 孫のそんな様子に、痺れを切らしたように香坂教授が口を挟んできた。

「透、そろそろその人を紹介しちゃあくれねぇか?」

 ハッと祖父と従姉妹に顔を向けて、「ああっ、すみませんっ」と謝る透。まだ落ち着かない様子の彼をちらっと横目で睨んでから、クラリスが教授達に身体を向けた。

「ご無礼致しました」

 今度は本当に謝っているようだ。

「私は眞魔国国軍に所属する、ハインツホッファー、いや、こちらの世界では、クラリス・ハインツホッファーと申します。突然お邪魔した非礼を、どうかお許し下さい」

 打って変わって丁寧な言葉で挨拶するクラリスだったが、香坂教授と繭里の表情はその瞬間、劇的に変化した。

「……あ、あの、今、なんて……?」
「…突然の訪問を……」
「そっ、そうじゃなくて!」

 あなたの名前が! と、繭里がクラリスに、それこそ掴み掛かる様に迫る。従姉妹の様子に今度は透が慌てた。

「ままままっ、待った! 繭! 待った! そこっ、そこまでっ!!」

 繭里と香坂教授は驚きの顔で目を瞠ったまま、クラリスはうっとうしげに眉を顰めて、それぞれが顔を透に向けた。
 勝利だけが何が起きているのかさっぱり分らない顔で、きょとんと両者を眺めている。

「……透、だって……!」
「この人はっ!」透が慌てて言葉を継いだ。「隊長の元部下でっ! 陛下の親衛隊長でっ! 陛下のお側にいつもいるから僕もちょっと人見知り、じゃなくっ! 顔見知りでっ!」

 それだけの関係なんだっ!
 一気に叫んで、後はぜはーっぜはーっと全身で息をしている透を、全員が呆気に取られた顔で見つめている。

「それだけの、関係?」

 関係も何も。心底馬鹿にした顔でクラリスが言った。

「貴様、他所で私について、ないことないこと言い触らしているのではあるまいな?」
「ちっ、ちち、違う! 違いますっ!」

 地を這うようなおどろおどろしい声で尋ねるクラリスに、透が必死に顔を振った。頬はすっかり引き攣っている。

「……おい、ちょっと」

 勝利がそっと繭里の袖を引いた。

「何なんだ、一体。お前、さっき何が言いたかったんだ?」

 透とクラリスの耳に入らないよう、顔を寄せてそっと囁けば、繭里も「うん」と頷いて応える。

「クラリスって言ったでしょう? クラリス・ハインツホッファーって」
「ああ。そうだな」
「それって……透の前世の人の」

 妹さんの名前よ。

 返ってきた答えに、勝利が目を瞠る。

「はあ!?」そりゃないだろうと、勝利の声に笑いが混じった。「お前、聞いてるんだろう? あいつの妹さんがどういう女の子か」
「だが、ほんとにおんなじ名前だぜ?」

 いつの間にか香坂教授までが顔を寄せてきた。

「ハインツホッファーって姓はもちろん、クラリスって可愛い名前も、俺達は何年も前から聞いて覚えてるんだぜ?」
「教授、よく見てくださいよ。アレですよ、アレ」

 ちら、と見れば、何を話しているのか、ふんぞり返るクラリスに、透はひたすらへいこらと縮こまっている。

「身体が弱くて、ほとんどベッドの中で寝たきりで、引っ込み思案で繊細で、動物や鳥だけがお友達で、刺繍や読書をしながら兄貴が戦場から戻るのを待ち続けていたって妹なんだぞ? おにーちゃんを慕う可愛い妹なんだぞ!? それがアレと同一人物のわけが……!」
「そこ、何をこそこそと話しておいでだ?」

 ハッと振り返れば、クラリスが腕を組んでじいっと勝利たちを見つめている。透はその隣で、どこかそわそわと落ち着きがない。どっしり構えているクラリスと比べると、どうも……小物っぽい。

「あのっ、お爺さん!」3人の注目を浴びて焦ったのか、透が慌てて言った。「今話を聞いたところなんですけど、、あちらからお客さんがおいでになって、えっと、だからその……」
「ちょっと来い!」

 僕も接待を、と続けようとしたところで、勝利に無理矢理引っ張られた。渋谷君!? と抵抗する間もなく、3人の輪の中に引きずり込まれる。

 ちょっと待っててくれ、とクラリスに一声かけて、勝利はぐいっと顔を透に寄せた。

「今こいつから妙な事を聞いたんだがな」

 こいつって何よ!? 繭里が怒っているが気にしない。

「あの女の名前が、お前の、あー、違うか、そのつまり前世のだな」
「妹の名前と同じだって?」

 苦笑する透に勝利が「そう、それだ!」と頷く。

「もちろん同姓同名だな? そうだな? それ以外あり得ないな!?」
「どうして君がそんなに一生懸命……」
「んなコトどうでもいいから答えろ!」
「妹だよ。彼のね。あ、でも気をつけてくれよ。彼女は僕と彼のことを何にもしらないんだから」

 やっぱり!? 繭里が弾んだ声を上げる。が、勝利は納得しなかった。
 ぐいっと透の襟首を掴んで乱暴に引き寄せる。透が思わず「うわっ」と声を上げた。

「冗談じゃないぞ! そんなことが許されていいと思ってるのか!? おにーちゃんだけを頼りに生きてる病弱な女の子なんだぞ!?」

 こうして思い浮かべてみれば。
 勝利がうっとりと、遠い所に視線を向けた。

「いつも風に揺れるレースのカーテン越しに、刺繍か読書をしているか、空を見上げて小鳥さんとお話している、幻みたいに儚い風情の美少女が見える……」
「なに勝手に見てんのよ」
「あの子の部屋に、レースのカーテンはなかったと……」
「うるさいっ! 美少女の部屋のカーテンはレースと決まってるんだ! それとも何か! お前の可愛い妹は、剣で刺繍してたとでも言うつもりか!?」
「やあねー、男の妄想って。『妹』で『美少女』で『病弱』で、後はメガネっ子かドジっ子なら完璧とか言うんでしょ?」
「ドジっ娘と病弱は両立しない! メガネっ娘もだ! お前は口出すな! 凉宮、違うと言え! 言ってくれ!」
「違わないよ」戸惑いながらも苦笑を浮かべ、透は勝利の身体を押し戻した。「僕、じゃなく、彼がね、亡くなった後、彼女は一大決心をしたんだよ。兄の死に報いるためにも、自分は弱いままじゃいけないって。それで頑張って身体を治して、剣の修行もして、隊長を頼って軍に入ったんだ」
「すごーい」
「それは病弱な美少女の妹がして良い決心じゃねーだろっ!」
「確かにちょいと極端な気も……」
「でももともと才能があったんだね。めきめき頭角を現して、今じゃれっきとした士官だし。僕、ととっ、彼は士官になんて到底なれなかっただろうし。すごいんだよ、『寄らば斬るぞのハインツホッファー』なんてすごい二つ名まであって」
「ホントにすごーい」
「お、俺は認めんぞ! 可愛い妹がっ、おにーちゃん大好きの儚げな美少女が、こともあろうにアレになるなど……っ!」
「あれ、とは私のことか?」

 ハタッと、勝利の顔が強張った。
 そろそろと首を巡らせば、夢中になって気付かなかったのだろう、勝利の手はクラリスに向かって伸ばされ、その人差し指はしっかり彼女の顔を指していた。クラリスがきゅっと眉を顰める。

「私の世界では、人をいきなり指差すのは礼を失する行いだとされるのだが、こちらの世界では違うのか?」
「いやいや、それは全くおんなじさ。悪かったなあ、不愉快な思いをさせちまって」

 即座に笑みを浮かべた香坂教授が、勝利の腕を半ば無理矢理下ろさせて前に進み出た。

「……あなたが謝罪される必要はないと思うが?」
「お客さんをほっぽって話し込んじまったのはこっちだからね」

 にこにこと歩み寄ると、香坂教授はすっと手を差し出した。

「ようこそ、クラリスさん。あー、クラリスさんとお呼びしても良いかな? 俺ぁここにいる透の爺ぃで、この学校で建築を教えている香坂ってモンだ。どうやら孫が世話になってるらしい。ありがとうよ。それからこっちにいるのは透の従姉妹で、やっぱり俺の孫の繭里だ。透と合わせて、以後俺達ともよろしくしてくれると嬉しいな」

 その笑顔と差し出された手を交互に見遣ってから、クラリスは徐に手を握り返した。

「こちらこそよろしく、コウサカ殿、マユリ殿。私の事はクラリスと呼び捨てて下さって構いません。それから、お孫さんに関しましては、剣もろくに握れない軟弱さ故、少々鍛えてやっている程度で大した面倒は見ておりません。彼は私の稽古からいつも逃げ回っていますので」
「剣の練習って……透に!?」
「そうかいそうかい」びっくりする繭里を他所に、香坂教授がわははと笑う。「そいつは申しわけねぇ。ちゃんと稽古してもらうよう、俺からもよく言っておこう。それから俺も繭も名前に殿はいらねぇよ。名前で結構。呼びにくかったら俺のことは教授と呼んでくれ」

 了解した、と頷いて、クラリスは改めて透に向き直った。

「話が終わったのならさっさと準備しろ。陛下と猊下のお二人がご勉学なされておられる間、お前が上王陛下や閣下方のお世話をするようにとの陛下のご命令なのだからな」
「あっ、はいっ、今っ、今すぐっ!」

 慌てて荷物を纏めに掛かる透を眺めながら、繭里と教授、それから勝利は顔を見合わせた。

「お世話を命令って……?」
「んな居丈高なモンじゃない。客が来たは良いが、有利は学校があるだろう? だから事情を知ってる俺と凉宮とで観光に付き合ってやってくれないかって話なんだよ。あ、専業主婦のお袋もくっついてくる可能性大だが」
「なーんだ。陛下のご命令なんて言うからびっくりしちゃった」
「言い方が違うと受ける印象がガラリと変わるって良い例だわな」
「ねえ、だったら私もご一緒して良い? 暇なのは一緒なんだし」
「……学生として、その考え方は根本的に間違ってるぜ、繭」
「良いじゃない、ちょっとくらい。それに話に聞くコンラートさんのご家族よ? ぜひお会いしてみたいわ」
「俺は別に構わん。……昨日は、何にも知らない癖に異様に押しの強い連中に引きずりまわされて疲れたし…。ちゃんと状況を知ってるヤツが一緒の方が助かる」
「ああ、だったら俺が知り合いの店に連れて行こうか? ほら、こないだコンラートさんを連れてった店とか」
「神楽坂の? それは良いですね!」
「ちゃんとした大人の接待には良いだろう? 俺ぁしばらく夜の予定がねえから、後からでも電話しとくんな。今夜でも明日でも、そちらさんの都合を確認してからな」
「ありがとうございます、教授。じゃあそういうことで……」

「うわぁっ」

 焦る透の声と、バサバサいう音がいきなり3人の耳に飛び込んできた。
 振り返れば、机にぶつかりでもしたのか、床にばら撒かれた書類を透が慌ててかき集めている。

「何をしているのだ、貴様は……」

 呆れたようなクラリスの声。腕を組み、ため息をつくが、手伝おうとはしない。

「ごっ、ごめんっ、なさいっ!」
「ああ、いいから行きな、透。繭も一緒に行くって言うからよ」
「すっ、すみません、お爺さん! あの、じゃあ……うわぁっ」

 いきなり透の身体が斜めに伸びた。
 クラリスが透の後襟をがっしり掴み、猫の子を持ち上げるように身体を引き上げたのだ。

「ったく」クラリスが盛大に顔を顰める。「本当にどうしようもない男だな、貴様。さっさと行くぞ! この軟弱者!」

 耳元で叱り飛ばすと、透の襟を掴んだまま、クラリスはドアに向かってずんずんと真っ直ぐ進んで行った。通りすがりざまに教授に向かい、「お借りしていく」と一言挨拶(?)することは忘れない。
 問答無用で引き摺られる透が、じたばたと手を振った。

「あ、あのっ、じゃあ行ってきます! また連絡し……」

 勢い良く開け放たれたドアが、すぐさまバタンと閉まった。

「……私、さ」繭里がどこか力の抜けた声で言った。「前世のことが本当に前世なんだって分って、コンラートさんとも会えて、あちらに行くこともできて、透、本当に良かったって思ってたの。自覚してないみたいだけど、透ってばすごく明るくなったし……」

 しみじみと言う繭里に、教授と勝利もドアを見つめたまま頷く。

「でも……その後を知るのって、やっぱり良し悪しなのかしら。透、ちょっとだけ可哀想かも……」

 ふーっとため息をついて、それからハッと顔を上げた繭里は、「それじゃ私も行って来ます!」とバッグを引っ掴んで駆け出した。勝利が「俺を置いていくな!」と追いかける。


 いきなり静寂を取り戻した研究室で。
 コポコポと番茶を湯呑に注いで買い置きの饅頭を口に運んだ香坂教授は、そこでいきなりくくっと吹き出した。

「けどよぉ、繭」そこにいない孫娘に語りかける。「俺にゃあクラリスさんに叱り飛ばされてる透が、それでも妙に楽しそうに見えたぜ?」

 饅頭を飲み下し、濃い番茶を口に含んで、香坂教授は目を細めて窓の外の青空に顔を向けた。


□□□□□


「ねずみーランドに行くって!?」

 ねずみーらんどってドコだ? きょとんとする勝馬に美子が「だからぁ」と説明している。
 そんな両親を他所に、スプーンを手にした有利が兄に向かって噛み付いた。

「シーもか!? いつ!? おれ抜き!? どうしてそういう話になったんだよっ!?」
「ご飯粒飛ばすなっ!」

 一声叱り飛ばして、勝利はズルズルッと味噌汁を啜った。それから、ふう、とため息をつく。
 目の前には夕食を囲む家族。2人ばかり余計なのもいるが。
 ……どうしてウチはカレーに必ず味噌汁なんだ? そもそも、何でまたこんな健全な時間に夕飯食ってんだろ、俺。それに親父まで。出世頭の銀行員がこんなことで良いのか?
 もちろん、理由は分かっている。今、弟の両隣で夕飯をご馳走されている内の1人、と、その家族のためだ。
 勝利はチラッとコンラートを睨んだ。

「コンラッド!」

 兄が話にならないとみたのか、有利の顔が隣に座るコンラートに向いた。
 これがユーリ自慢の『おふくろの味』ですね、とにこやかに特製カレーを頬張り、美子を喜ばせていたコンラートが一瞬だけ勝利と目を合わせ、それから「申し訳ありません、ユーリ」とわずかに眉を落として言った。

 有利の学校を訪れ、いろいろ騒ぎを引き起こした一行と1人だけ別れ、コンラートは勝利と透、繭里、そしてクラリスの一行と都内某ホテルのラウンジで落ち合っていた。日曜の有利の試合まで、どう過ごすかの計画を練るためだ。そして大体のプランを決定し、コンラートは報告もかねて渋谷家を訪れたのだ。

「ヴォルフが遊園地に並々ならない興味を抱いているようなんです」
「そう言われれば」有利を挟んで反対側に座る村田が、スプーンを軽く揺らしながら小首を傾げている。「観覧車を作りたいとか言ってたよね? そんな気に入ったんだ。やっぱり若者だから?」

 いえ…とコンラートがスプーンを置いて話し始めた。

 眞魔国は国内産業が近年著しく発展している。国のバックアップもあって、農産物を始め、各地域がそれぞれの特産品を改良増産し、国内だけではなく海外に向けての輸出量が伸び続けていることが大きい。

「ですがそれでも、取り残されてしまう地域があります」

 これといった特産品もなく、農産物を育てようにも、土の性質か季候のせいか、なかなか収穫量が伸びず、地の利も今ひとつ良くない、という土地だ。眞魔国の国土は広い。たまたま恵まれた土地もあれば、発展の波に乗りたくても乗れない土地も多くあるのだ。

「でも、そういう地域には学校建てるとか、施策はあったよな?」
「学校? 産業がないからって箱モノに頼るのは良くないぞ?」

 眉を顰めて確認する有利に、勝利が軽く口を挟んだ。途端に有利が眦を上げて兄を睨みつける。

「そんなんじゃねーよっ! つか、勝利は口出すなよ!」
「いや、ゆーちゃん」

 言い返したのは勝馬だ。真面目な顔で次男坊に向かう。

「ゆーちゃんがどんな王様をやってるのか、父さんも興味があるな。あっちの実情なんかも少しずつ理解したいし。だから後で良いから教えてくれ。良いかい?」
「…学校のこととか?」
「そうだな。学校を例に挙げて、ゆーちゃんがどんな政策を実行しているのか」
「うん。分った。後でな」

 お前に政策の立案施行なんてできるのか? 揶揄う様に言う勝利を一睨みして、「余計なクチ挟むなよ!」と釘を刺し、有利は視線をコンラートに戻した。

「コンラッド、続けてよ。具体的にそういう場所があるんだな? ヴォルフが関係してる?」
「はい」コンラートが頷く。「ビーレフェルトではなく、ギレンホール領なのですが、士官学校時代の友人がおりまして、父親がある地域の領主を務めているのです」

 うん、と有利と村田が頷く。

「ところがその地域というのが、何か特産品があるわけでもなく、土地が痩せているため農業も振るわず、とてもではありませんが基幹産業としては成り立たない状態のようです」
「育てる作物を間違えているんじゃないかな? 色々と試してみるよう通達が出ているはずだし、苗や種の配布も申し入れさえあればいつでも対応できるようにしているはずだけど?」

 村田の言葉に、コンラートも「はい」と頷いた。

「これまで育てたことのない作物なども、試験的に生育させているようです。ですが、これは結果がでるには時間が掛かりますので……」

 それと、とコンラートの口調が変わった。

「話に拠ると、その領主という人物が、フォンギレンホール卿と以前からそりが合わないらしいのです」
「へえ?」
「役には立たないものの、広さだけはかなりの土地がありますので、その領主は文教地域指定を受けようと運動したらしいのですが、フォンギレンホール卿は領内の別の地域を血盟城に申告したと……」
「わざとか?」
「ヴォルフの友人はそう主張しているらしいですね」

 ふーん、と納得している3人に、専門用語が理解できない渋谷家一同はもどかしげだ。

「…おい、クチを挟みたくはないんだが……文教地域指定って何だ?」

 以前話に聞いた、中世ヨーロッパ的社会文化レベルにしては妙に現代的な用語だ。

「自前の産業が今ひとつの地域を『文教地域指定』することで、研究都市化しようっていう地域振興策の1つですよ。日本でいえば筑波大学とその周辺地域みたいな感じですね。大学建設はもちろん、街づくりまでもちろん国が全面バックアップします。実際荒地で住民1000人くらいの土地が、3万人にまで人口が増えた所もあるんですよ?」
「人間の国から留学生もガンガン来るようになったしな!」

 へえー!
 村田と有利に説明されて、勝馬、美子、勝利が揃って声を上げた。すごいわ、ゆーちゃんと母に褒められて、「おれ1人で考えたわけじゃないよ」と有利が頭を掻いている。

「つまり、フォンビーレフェルト卿はそこに遊園地を作ったら、と考えたわけだね?」

 村田が話を先に進めた。はい、とコンラートが頷く。

「広い土地があれば良いというものではありませんが、しかし思いつきとしては悪くないかと思います」
「だよなー。それにしてもあいつ、結構友達甲斐があるじゃん」
「事前に調査しなきゃならないことはたくさんあるけどね」
「それでだ!」

 いきなり割り込んできた声に、有利と村田の顔が同時に声の主に向く。勝利が皿に残った飯粒をこそげ取っている。

「勝利?」
「単に街に遊園地をつくるってんじゃなく、リゾートして地域全体を活性化しようってんなら、やっぱりあそこに行って見ないとって話になったんだ。凉宮も賛成したが、他でもない香坂繭里が乗りに乗ってしまって」

 あいつ、年間パスポート持ってるんだぜ?
 『どこをどの順番でどう回るか、私が全部プランニングするわ! 任せて!』と、大張りきりで帰っていった繭里を思い出し、勝利は唇をかすかに歪めた。
 行きはクラリスに引き摺られ、帰りは繭里に引き摺られて去っていった透が、どんどん影が薄くなっているのが可哀想だった。透は……

「おい」

 改めて勝利が有利達に目を向ける。

「お前達、最初から知ってたんだな?」
「知ってたって……何がだよ?」
「あのクラリスって女兵士だよ!」

 わずかに強まる勝利の声に、有利が「あ」と声を上げる。

「彼女が透さんの前世の人物、ハインツホッファー・カールの妹だってことですか?」

 村田がさらっとバラした言葉に、一呼吸遅れて勝馬と美子が「え!?」と目を剥いた。

「勝利の話を初めて聞いて」有利が続ける。「コンラッドに確認取った時に分ったんだ。日本に生まれ変わったって人が、アルノルドで亡くなったカールさんの生まれ変わりだって」
「だからあの女を取り立てたのか?」
「違うって! クラリスは透さんのことが分る前からおれの側にいてくれたんだぞ? だからそれは全くの偶然! おれ達もびっくりしたんだから。クラリスのお兄さんが戦死したことは聞いてたけど、まさかその人の生まれ変わりが記憶を持ったまんま日本人になってるなんてさ」

 な? 村田。同意を求められて、村田も頷く。

「…っ、ちょちょちょっ、ちょっと待って!」美子が慌てて割り込んできた。「透さんって、あの凉宮さんでしょ? で…クラリスさんって、ツェリ様のお世話役の軍人さんよね? 元コンラートさんの部下って言ってた……」
「ホントはおれの親衛隊っていうか、近衛隊っていうか……護衛だけど」
「前世の兄妹って! でもあの、年齢とか……」
「魔族の年齢については知ってるだろ?」

 それは……と言い返し掛けて、美子と勝馬が顔を合わせる。それから「ええと……」と2人揃って頭を抱え、何か計算を始めた。

「透さんは今21歳か22歳、かな?」村田が苦笑しながら言った。「カールさんが戦死したのが30年近く前で、それから生まれ変わったわけだから計算は合ってるんですよ。そしてその間、クラリスは健康を取り戻して、軍に入って、今に到るわけです。外見がああですからね。魔族の成長についてきちんと理解できていなければ、不自然に感じても仕方ないですよ。でも30年っていったら魔族年齢としては5、6歳だから、コレも特に問題ないわけで」

 そうなるの…? 美子があいまいな表情で頷く。

「透君は……もちろん彼女が妹だってことは分かってる、んだな。当然か…」

 勝馬も小さくため息をつきながら言った。

「だが彼女は? クラリスさんは透君が、その、お兄さんの……」
「それは関係ありませんよ」

 え!? 渋谷家一同が村田に注目する。

「凉宮透さんは凉宮透さん。日本人の大学生で、僕達の協力者です。前世については、確かに彼が僕達と関る切っ掛けになりましたが、でもそれだけです。彼がかつて誰であったかは、その人物が過去の存在である以上、今はもう何も関りありません。わざわざ教えてやる必要はありませんね。透さんにもそう言ってあります」
「けれど、クラリスと凉宮はこれからだって顔を合わせることになるんだろう? だったら教えてやって……」
「無意味ですね」村田がにべもなく言う。「大切なのは現在とこれからです。ハインツホッファー・カールはとうに亡くなりました。彼の名も存在も、眞魔国と渋谷の現在にも未来にも、何の影響もありません。クラリスはクラリスとして、透さんは透さんとして渋谷に仕えてくれればそれで良いんです」
「仕えるって……あの女はそうかもしれんが、凉宮は違うだろうが! あいつは俺の友人だぞ!? それに村田、お前、視点がおかしくないか? 今の話の中心は凉宮とクラリスで、有利にとってどうとかは関係ないだろう!」

 考えなきゃならないのは、あの二人の気持ちだ!
 声を荒げて言われて、だが村田はひょいと肩を竦めるだけでそれを受け流した。

「少なくとも眞魔国では彼は魔王陛下に仕えています。こちらの人間関係は、それこそ関係ありませんから」
「またそれか」

 勝利の忌々しそうな口調に、村田が軽く眉を顰める。

「戦場で死んじまって、最期を看取ることができなかった家族の思いってのが、どんなものかお前分かってるのか!?」

 勝利! しょーちゃん! 弟や親が声を上げるが、勝利は村田を睨みつけたままだ。
 村田がくすりと笑った。

「まるで自分がそれを知っているようなことを言う」

 ……何なんだ、こいつ……。
 文字通りの冷笑を向けられて、一瞬冷たいものが背筋を走った勝利は、咄嗟に気を取り直し、腹にぐっと力を籠めた。

「そりゃ……俺だって知らん。でもな! どんな死に方をしたのか、どんな思いで逝ったのか、最期にどんな言葉を家族に残したかったのか、遺された家族がそれを思って苦しむってことくらいは想像できる! あっちの世界だってそうじゃないのか!? クラリスだってそうだろう! それを……知ってて何も言わないままってのは! 関係ないなんて決め付けてしまうのは! いくら何でも冷たすぎるだろうが!!」
「…わ、私も、そう……思うわ」美子もおずおずと賛同する。「偶然こんなことが起こるってこと自体、無関係とは言えないんじゃないかしら。その……記憶がないならまだしも、このまま何も言わないっていうのは、透さんだって可哀想だし、クラリスさんだって……」

 その通りだと勝利が頷く。それが人の情ってもんだ。
 だから有利。母の言葉に力を得て、勝利が改めて言った。

「クラリスはお前に仕えてるわけだし、やっぱりお前の口から伝えた方が良いんじゃないか?」

 大切なことは。
 有利が返事をする前に、村田が冷静な口調で勝利に応える。

「透さんもクラリスも、あなた方が想像している以上に強い人だということですよ。透さんも、決して言いたいのを必死で我慢しているわけじゃない。ちゃんと納得しているんです。そしてクラリスも、もうとっくに乗り越えている。もしここでクラリスに真実を告げたとしても、満足するのはあなた方だけで、あの2人じゃない」
「む、村田君……?」
「お前な……!」

「俺も、村田に賛成だ」

 ゆーちゃん!? 有利!?
 きっぱり断言する有利の、この次男坊とは思えない冷静な表情に、勝馬も美子も勝利も愕然と目を瞠った。

「透さんとクラリスは、これからも向こうで顔を合わせるし、話だってするだろうし、それなりの関係が続くって思う。その関係は、凉宮透っていう人と、ハインツホッファー・クラリスっていう人の、新しい関係なんだ。そこにカールさんが…その面影だとか思い出だとかが割り込んじゃいけないと思う」

 透さんは、クラリスに幸せになってもらいたいって、ずっと願っているよ?
 自分を見つめる家族に、有利は小さく微笑みかけた。

「でも透さんはちゃんと知ってる。自分がカールさんにはなれないってことを。魂は同じでも、2人は別人。透さんは透さんなんだ。だから、もしクラリスが透さんにカールさんを重ねて見るようになったりしたら、それは透さんにとってもクラリスにとってもすごく不幸なことだと思う。……んだけど、どうかな?」

 最後は自信なさ気になった有利が目を向けたのは、家族ではなく村田と、ずっと沈黙を守ったままのコンラートだった。

「渋谷の言う通り。嬉しいよ、ちゃんと理解してくれていて。……あなた方にも」村田がチラッと勝利たちに視線を送る。「透さんの話が初めて出たとき、前世が誰であろうと今の自分とは違うんだってことを、ちゃんとお話したと思うんですけどね。これは冷たいとか親切とか、そういう次元の話じゃないんですよ」
「俺も陛下と猊下の仰せの通りと思います」

 コンラートがそこでようやく声を発した。

「それにこういう言い方をするのは何ですが」わずかに言い淀んでから、コンラートは視線を有利に注いだ。「戦場で家族や大切な人となくしたのはクラリスだけじゃない。世界の彼我に関りなく、戦の中、どれほど多くの命が、思いも言葉も残せないまま理不尽に散っていったか……。この顛末を目になされた陛下がお考えになるべきは」

 そう言って、コンラートの口調が臣下のそれに改まる。

「透のことをクラリスに話して聞かせることではありません。もしクラリスがこのことを知り、亡き兄が生まれ変わって自分の側にいる、という事実を喜んだとしても、それで良いことをしたと満足してはならないのです。それは『王』の為すべきことではありません。戦争の不幸を身に負い、救いを求める民は星の数ほどいるのですから。王は視点を常に高く持ち、視界を広くして為すべきことを為さなければなりません。お分かり頂けますね?」

 コンラートの言葉の節々に頷いていた有利が、そこでさらに大きく頷いた。

「うん! よく分るよ、コンラッド。おれにはおれのやることがある。それは二人のためにも、戦争で死んでしまった全ての民のためにも、眞魔国と世界の平和に向けて頑張ることだ! だな!?」

 はい。
 嬉しそうににっこりと笑って、コンラートが大きく頷いた。

 ………何か、俺……バカみたいじゃないか……?

 満足そうなニコニコ笑顔の3人、有利と村田とコンラートを見ていると、気負って意見した自分がとんでもないマヌケに思えてしまうではないか。

「話がズレちゃったけど」ふいに村田が言った。「それで? フォンビーレフェルト卿の希望を、どう叶える予定になってるわけ?」
「…あ…そうでした。申し訳ありません」

 うっかりしてました、と謝るコンラート。君のせいじゃないよと苦笑する村田。

「いつ行くんだ? コンラッド。明日?」
「はい、ユーリ。明日から2泊、予定しています。正門前にある直営のホテルも押さえられましたし」
「ええっ!? 前日なのに空いてたのか!?」
「はい。さすがにスウィートをフロアで押さえる訳にはいきませんでしたが、部屋数だけは何とか」
「お台場のホテルはどうするんだい?」
「キープしておきます。2泊したらまた戻りますので」
「さすが、お大尽旅行は違うね〜」
「あの、それで……」

 コンラートがここで困ったような笑みをかすかに浮かべ、勝馬と美子に目を向けた。

「陛下と猊下も……ご一緒できますでしょうか……?」

 ハッと目を瞠ったユーリが、すぐさま期待に満ちた眼差しを両親に向ける。
 キラキラする目を向けられて、勝馬と美子は今いきなり目覚めたかのように目を瞬かせ、椅子に座りなおした。

「……1日くらい……」
「何言ってんだ、お前は!」

 即座に復活した兄が、うるうると目を輝かせる弟を叱り飛ばす。

「コンラッド、あんたもだ! そもそも有利が学校で付き合えないから、凉宮を急遽巻き込んだんだろうが! ……偉そうなこと言っといて、学生の義務である学校をサボらせるのは、王の為すべきこと』とやらに違反してるんじゃないのか!?」
「………面目ない」

 少々申しわけなさそうに苦笑しつつ、でも、とコンラートも負けない。

「夜はいかがでしょうか。あそこは夜もかなり遅くまで開園してますよね? クライマックスは夜ですし、学校が終わってから合流して、一泊してから早朝車で学校に送り届ける、という形でも無理でしょうか?」

 そうだよっ、その手がある!
 有利が身を乗り出して声を弾ませた。

「学校が終わってからでも、花火とパレードには間に合う! はずだし! せめてそれだけでも皆と一緒に!」
「早朝練習があるんだろうが」
「早起きする! グラウンドに送ってもらって、ちゃんと参加するから!」

 勝馬と美子が顔を見合わせ、それから揃って次男坊に向き直った。
 拳を握って力説して、一生懸命目で訴える、昔から少しも変わらない、元気で、真っ直ぐで、素直で、ちょっとおバカでおっちょこちょいで、でも誰より可愛い有利の顔。
 ほんのわずかも変わらない……。

「明日だけよ?」

 美子が言った。おい、嫁さん、と勝馬が呼びかけるが、美子は真面目な顔でまっすぐ息子を見ている。

「あちらが2泊されるからといって、2日連続で千葉と埼玉を往復させるわけにはいきません。良いわね? ゆーちゃんは、お風呂から上がったら、明日と明後日の教科書とノート、それから早朝練習に必要なもの全部きちんと纏めておきなさい。……健ちゃんはどうするの?」
「僕も学校以外、特に予定はありませんし、渋谷が行くなら一緒に行こうかな。フォンビーレフェルト卿がどんな風にあそこを見るのかも興味あるし……。ところで行きは別々?」
「もしよろしければ、車を回してお二人をお迎えに参ります」
「じゃあ、コースと照らし合わせて拾ってもらいやすい場所を決めればいいな。後で地図を見てみよう。いいね? 渋谷」
「おう、もちろん!」



「それじゃ、いつものことですが、ご馳走様でした〜!」

 食事を終え、お茶を飲みながら翌日の打ち合わせもして、村田とコンラートは席を立った。
 タクシーで村田を自宅まで送ってから、コンラートも家族の待つホテルに戻るのだ。

「……おい、弟のお友達」

 もう間もなくタクシーも到着するだろうという頃、有利が席を外したその瞬間を狙っていたかのように勝利が村田に呼びかけた。

「その呼び方、いい加減飽きません? そろそろリニューアルして欲しいなあ。渋谷のお兄さん」
「………ちょっとお前に言っておきたいんだけどな」
「何ですか?」

 一見無邪気な笑顔で自分を見上げる村田を一睨みし、横目でちらっとコンラートの表情を確かめて、勝利は村田に向き直った。

「あっちで、有利の友人であるお前があいつの側にいてくれることを、俺は感謝してる。たぶん親父もお袋も同じだろう。……イロイロ複雑な気分じゃあるがな」
「………それはどうも」

 コンラートとチラッと視線を交して、村田は日本人離れした仕草で肩を竦めた。
 傍らでは、息子の言葉に頷きつつも、怪訝な表情の勝馬と美子が成り行きを見つめている。

「だが、1つ言っておきたいことがある」

 やっぱりオチがあったか。村田の頬に苦笑が浮かぶ。

「魔王の仕事なんてものがどんなものなのか、俺には想像するしかできん。…今のところはな。だが眞魔国にはコンラッドの兄貴だの何だの、役に立つヤツが色々いるんだろ。たぶん」
「イロイロいますよ。渋谷を支える有能な臣下がたくさん。もちろんウェラー卿も含めて」

 応える村田に、そうじゃなきゃ困ると勝利が頷き、ありがとうございますとコンラートも目礼する。

「お前にしても、4000年だかの記憶があって、その記憶を利用して有利の手助けをしてると前に言ってたな」

 村田が頷き、視線で続きを促す。

「クラリスも、お前の存在が欠かせないと言っていた。だが……」

 前世だの記憶だのがどうあろうと、村田健は村田健だ。
 そうだろう? と確認されて、村田が再び頷く。

「その通りです。僕は村田健、渋谷の中学の2年3年とクラスメートだった、現在都内の私立高校に通う、そして渋谷がキャプテンを務める草野球チームのマネージャーである村田健以外の何者でもありませんよ?」
「だったら」勝利の目に強い光が灯る。「向こうでも、それを通してくれ」

 村田がかすかに首を傾けた。どういう意味かと目が尋ねている。

「有利にとって、お前はどこにいようと村田健、中学からの友人なんだ。記憶を利用して、それで有利が助かるならそれで良い。有利の側にいるために、大賢者なんてご大層な立場だか身分だかが必要なら、それも構わない。だがおまえ自身が、自分は偉いんだと勘違いするのは止めてくれ。そんなお偉い立場から有利を見たり、意見するのは止めてくれ。……王として何をどうすべきかなんてのは、コンラッドやあの兄貴や、向こうにいる臣下達が教えてくれるんだろう? そういうことは、全部そいつらに任せてくれ」

 ソファから、勝利はぐっと身を乗り出した。

「有利もそうに違いないし、俺達ももちろんそうだが、こっちがお前に期待してるのは、お前に大賢者でいてもらうことじゃない。そんなご立派な相談役じゃないんだ。有利の友達のムラケンとして、いいか、他の誰でもない、渋谷有利の親友として、有利の良さや有利らしさが失われないように、有利が渋谷有利でいられるように、向こうの生活に流されて自分を見失うことのないように、しっかり側にいて、支えてやって欲しいってことなんだ…!」

 向かい合い、勝利と村田が互いを見つめ、いや、勝利は村田を睨みつけている。
 村田の隣ではコンラートが、勝利の傍らでは勝馬と美子が、沈黙を護ったまま二人を見つめていた。
 ふいに、フッと息をつき、村田が立ち上がった。

「……村田!?」
「あなたの言葉は、そうだね、半分だけ当ってる」
「…半分だけ、だと?」

 そう、と村田が頷いた。隣のコンラートも立ち上がり、釣られた様に勝利と渋谷夫婦も立ち上がった。

「僕は常に渋谷の友人として側にいますよ? それはウェラー卿もちゃんと証言してくれると思う」

 ね? と顔を向けられて、コンラートが「仰せの通りです」と頷いた。

「ついでに申し上げるなら」コンラートの顔が有利の家族に向けられた。「猊下は、自分を偉いと『勘違い』などなさいませんし、陛下を見下すような真似も決してなさいません」

 コンラートの言葉に、「その通り」と村田も頷く。
 この場合、偉くもないモノが偉いと思い込むのが勘違いであって、本当に偉い存在が正しく自分を認識していれば、それはもちろん勘違いではない。

「僕の役目は渋谷の親友として彼の支えになること。でも、それだけじゃない」
「『大賢者』だからか? だがそれは記憶だけであって、村田健のものじゃないだろう!? ……猊下と呼ばれてヘコヘコされて、すっかりその気になっちまったのか?」

 憎まれ口に、村田がクスッと笑う。

「記憶の中の存在は僕じゃない。僕は村田健だ。その線引きをちゃんとしたから、もしくは、しようと頑張っているから、僕は僕としてこうして生きていられる。だけど……僕は見つけたんですよ」

 この4000年、死に物狂いで生きてきた人々の、僕が受け止めたこの重い重い記憶と、そして多くを失いながら、それでも得てきたものを、繋げてきた思いを、捧げることができる唯一無二の存在を。

「だから僕は、大賢者として生きる。渋谷有利の親友として、同時に、魔王陛下の政を支え導く者として」

 例えそれが、渋谷有利から『渋谷有利』を脱ぎ捨てさせることになろうとも。

 パパーッと。その時いきなりクラクションの音が鳴り響いた。

「タクシー、来たぞー!」

 有利が居間に飛び込んでくる。

「だね。じゃあ行こうか、ウェラー卿」
「はい、猊下。……遅くまで失礼しました。今夜はこれで失礼します」
「明日、楽しみにしてるからな! ……いいなー、皆、朝からねずみの王国か〜」
「またあらためて、お休みのときにご一緒しましょう」
「だな。ヴォルフのプランの参考になると良いな」
「だねー。ま、それがなくても結構楽しんでもらえるんじゃないかな。繭里さんや透さんも一生懸命お世話してくれると思うし」
「ああ、そうでした。香坂教授が以前招いて下さった神楽坂の料亭に、皆を招待したいと仰っているそうですよ?」
「ホント!? 確か鳥料理のお店だよな?」
「へー、やった。ついに秘伝のタレが味わえるか。……ウェラー卿、君が保存していたタレは結局料理長が使ったんだっけ?」
「はい。不完全な冷凍しかできませんので、あれから間もなく……。正直、元の味わいからはほど遠いものとなりましたが」
「でも、それはそれで美味しかったって記憶があるぞ? ウチの料理長は良い腕してるもんな」
「でなければ、血盟城の料理長は務まりませんよ。……千葉から戻りましたら、あらためて予定を打ち合わせようと思います。勝馬や美子さんのご都合もありますし」
「りょーかい! …教授にも気を遣わせちゃったな」
「だねー。ま、飲めるチャンスは逃さないって感じでもあるけど」

 居間を出て、玄関に向かう3人の会話が少しずつ遠ざかっていく。
 それをどこかぼんやりと聞いていた勝馬と美子と勝利だったが……。

「お見送りしなくちゃ」

 美子がサッと踵を返し、夫と長男をそのままに居間を出て行った。
 残された男2人が顔を見合わせる。

「……まあ…何だな、しょーちゃん……」

 勝馬が正面を向いたまま、勝利に声を掛ける。

「人生、なかなか願った通りにはいかないもんだな」
「何にもしないで、向こうが動くままに任せておいた親父の責任も重いぞ」
「……ああ……その通りだな」
「でも俺は……」

 あいつらの思うままに、有利の人生を渡してしまう気はないからな。

 それだけ言って、勝利もゆっくりと居間から出て行った。


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なんでこんな重たい雰囲気で終わるんだろうと思いつつ……。
透君に会って、勝利が透君とクラリスのことを知ったら、それをユーリ達に確認しないはずがないよね、と思ったら、そっちの会話がえらく長くなってしまいました。
もたついておりますが、こういう会話を書くのが、なぜかすっごく楽しいんですよね、私。

あ、そうそう。
クラリスは透君の前世が誰なのか、ちゃんと知っています。
クラリスが知っていることを、ムラケンも知っています。
でもムラケンはそれを、他の皆に教えようとは考えていません。
意地悪でも何でもなく、必要ないと考えているからです。
あの2人が、お互いに事情を知っていると透君始め周囲の人に知られたら、透君のクラリスに対する態度も、周囲の人の目もそれに合わせて変化するでしょう。
それもまた2人にとって良くないと考えている、と私は考えております。

次はネズミーランドの花火とパレード……でも、実際のところ、私、夜は出なかったんですよー。
想像で書いちゃおう。……大丈夫かな…?
ご感想、お待ちしております!