「わー、この景色久し振りー、っていうか……」 何なんだよ、ここの広さ! 大きな窓から東京湾とレインボーブリッジを眺めていた有利は、パッと振り返ると一声叫んだ。 東京はお台場、数あるシティホテルの1つに、今彼らはいる。かつて泊まったことがあるとはいえ、高級感溢れる最上階ロイヤルエグゼプティブフロアに入ったのはこれが初めてだ。 「……おれ、寝室とリビングが別々で、おまけにダイニングルームまであるホテルの客室、直に見たの初めてだ……。すげー!」 「ベッドが超巨大! ふかふかよお〜。それにウォークインクロゼットの広さが丸一部屋分あるわ!」 「ミニバーどころか、カウンターバーが標準装備かよ…。酒もミニボトルじゃないし…。ああっ、ドンペリらしきブツを発見!」 「バスタブがすっごく大きいわ! それどころか! 見て、ゆーちゃん、ほらっ、サウナがついてるっ!」 「…って、何でバスルームにこんなでっかい窓が!? 何でベランダが!? まっぱで外に出ろってのか!? 風邪引くだろ!? ってーか、変態だろ!?」 「いい加減にしろよっ! 有利! 親父もお袋も!」 ソファでくつろぐ眞魔国上王陛下親子御一行を他所に、地球は日本国、渋谷家の主夫婦と次男坊は、初のエグゼクティブルームを駆け回っては歓声を上げている。 そんな家族の姿に、ついに長男が怒りの声を発した。 エグゼクティブルームが何だっつーんだ! とばかりにソファに座ってふんぞり返っていた勝利だが、如何せん彼以外の家族がセレブ御用達の部屋に浮かれまくっていたのでは、余裕の態度も説得力に欠ける。 長男の怒鳴り声に、両親と次男坊がハタッと動きを止めた。 「分らんのだが」 ソファでお茶のカップを手に発言したのはヴォルフラムだ。 「ユーリ、こんな部屋、血盟城のお前の部屋に比べたらはるかに狭いし粗末ではないか。何をそんなに騒いでいるんだ?」 「そんなに不思議なことでもないよ、フォンビーレフェルト卿」 応えたのは有利ではなく、彼ら同様ソファでくつろぐ村田だった。 え? ゆーちゃんのお部屋、ここより広いの!? どんなお部屋? いつかママを連れてってくれる? と母親に矢継ぎ早に質問されて、やっと自分が王様だということを思い出したらしい有利の様子に笑みが浮かぶ。 「今渋谷はユーリ陛下ではなく、こちらの国のごく一般的な庶民の目線に立っているからね。その感覚ではある意味当然のことだよ」 「……さっぱり分らんが」 眉をひそめて首を捻るヴォルフラムに、「まあまあ」とコンラートが合いの手(?)を入れる。コンラートのその視線が、柔らかな笑みを含んだまま有利達に向けられた。 「お茶とお菓子の用意をさせましたから、一休みなさいませんか?」 さすがに照れくさくなったのか、勝馬も美子も有利も、頬をほんのり赤らめながらソファにやってきた。 なぜここに一同が揃っているか。 それはもちろん、眞魔国サイドが渋谷家一同(+村田)をお誘いしたからだ。 お客さんを迎えた当日の夜、渋谷家としては当然、彼らを食事に招くなどのプランを考えていた。内心イロイロ思うことはあるものの、それが常識を弁えた大人の対応だと思うからだ。 だがこの日、お持て成しの申し出は、眞魔国サイドからなされた。 「…え? こっちを招待?」 自分を指差して、勝馬がきょとんと言った。 その彼に、否応なしにスポークスマンの位置につかされたコンラートが頷く。 「明日は日曜でしょう? 今夜はホテルで我々とご一緒しませんか? 明日は都内の観光を予定していますので、そのままお付き合い頂けると嬉しいのですが……」 言いながらコンラートの目が有利を覗き込む。有利は「もちろん!」と力強く頷いた。 「ほっとくワケないじゃん! 明日どこか行きたいトコは……あ、その前に…ホテル? おれ達も泊まれるのか!?」 「え? え? もしかしてロイヤルエグゼクティブルーム!?」 ぱあっと顔を輝かせる有利と美子に、勝馬と勝利がむっつりと腕を組む。 「初めて日本に来たお客さんに、俺達がもてなされてどうするんだよ!?」 「それにエグゼクティブルームはこいつらが泊まるんだろ?」 ああ、それは、とコンラートが完全無欠の誠意溢れる笑顔を向ける。 「食事については、ホテルのレストランを母が気に入りまして、ぜひ皆さんとご一緒にということなんです。部屋はクロゼット代わりにしている3部屋と、俺とヴォルフの部屋を空けますので、すぐに使っていただけますから……」 「いやいや、ああいう部屋って普通1人で使わないだろ? 1人1部屋なんて贅沢だって! クロゼット用の3部屋だけでオッケー! あ、でも……」 何か良い思いつきでもあったのか、有利が瞳を輝かせた。 「村田入れて5人だし、1人半端だよな? だからさ、1部屋は親父とお袋、でもってもう1部屋が勝利と村田で、おれはコンラッドと……」 「「それは駄目っ!!」」 噛み付くように怒鳴ったのは勝馬と勝利の親子だ。 有利は父と兄の剣幕に、びっくり眼で引いている。 「…ど、どーしてだよー。あ、でも、コンラッドがエグゼクティブルームを1人で使いたいなら……」 「いいえ、そんなことは全くありません」コンラートが即答する。「ユーリはご存知でしょう? 俺はもともと贅沢な部屋で暮らしているわけではないですし、ユーリがご一緒頂けるなら喜んで……」 「だから駄目だっつってんだろっ!」 話、聞いてんのか、あんたは! 勝利ががなる。 思い出したくないモン、思い出させやがって、とブツブツ文句を言う兄を、有利が睨んだ。 「何だよ、おれがコンラッドと一緒の部屋に泊まるのなんて初めてじゃねーだろ!? 前だって……」 「あの時とは状況が違うだろ!?」 状況って……。呟きながら、有利が父と兄の顔を覗き込む。 「ゆーちゃんはぁ」 ユーリの背後から美子の声が上がった。父親と兄に怪訝な眼差しを送っていた有利が振り返って母を見る。 「ほら……身体のことが分っちゃったでしょ? その……私たちもいつもは忘れてるけど……」 ちょっと困ったように小首を傾げる母に、「あ」とユーリが小さく声を上げた。 「……おれも……忘れてた」 渋谷家を襲った大ショック。「次男坊」だとばかり思っていた有利が、実は同時に「長女」でもあったというその事実が明るみになったのは、ほんのつい最近だ。 ついでに、更なる衝撃がおまけのようについてきたのだが……。 「ママはね? 2人を信じてるのよ? でもね、ほら、一応その〜……やっぱりね?」 「結婚してるわけでもない男女……うー、どうも言葉にし辛いが、とにかくお前達が一緒の部屋で泊まるなんて、軽々しく口にするんじゃありません!」 「親父の言う通りだ! ゆーちゃん! おにーちゃんはゆーちゃんをそんなふしだらな娘に育てた覚えはないぞ!」 「勝利に育てられた覚えなんてねーよ! っつーか、ふしだらって何だっ! 娘って何だっ!!」 それに! 有利がやおら腕を組んでふんぞり返る。 「結婚だったら、おれとコンラッドは……」 「「許した覚えはない!」」 父親と兄が声を揃えて宣言し、それに有利がむうっと唇を歪ませる。 そんな親子の様子を、眉間の皺を深くしつつも口を挟まず眺めていたグウェンダルが、そこで初めて身を乗り出した。 だが、口を開きかけた宰相の肩を、背後から押さえる手があった。 振り返るグウェンダルの背後に立つのは村田健。 その人差し指が己の唇を押さえ、首がそっと左右に振られる。賢者のその仕草に、グウェンダルは小さくため息をついて、ソファに背を戻した。不快気に眉を寄せるヴォルフラムと、興味深げな様子がかすかに心配げな様子に変化してきたツェツィーリエも、改めて唇を引き結ぶ。 「コンラッドさんの気持ちも、それからもちろんゆーちゃんの気持ちも分かっているつもりよ?」 美子が有利に向かってにっこりと笑みを浮かべた。 「さっきも言ったように、ママは2人のことを信じているわ。でもね。家族としてはやっぱり色々と心配するし、考慮しなくちゃいけないこともあると思うの。何といっても、ゆーちゃんはまだ16歳で、そういったことを考えるには早すぎるし、学校もあるし、その…2人の将来のことの前に、進学のことだって考えなくちゃならないし、ね?」 分って頂けるわね? 美子の母親らしい笑みが、有利ではなくコンラートに向けられる。 コンラートの心得た笑顔がそれに応えた。 「ええ、とても良く分かります。ですが……同じ部屋に寝泊りしても、美子さん達の信頼を裏切るような真似はしません。俺は……」 「えっ!? しないの!?」 その瞬間、部屋の空気が音を立てて固まった。 発言の主である有利はハッと口を押さえ、コンラートは爽やかな笑顔のまま凍りつき、美子は笑顔にもピシリとひびが入る。村田はプッと吹き出し、ツェリは「陛下ったら」と楽しそうに微笑み、グウェンダルは額に手を遣り、ヴォルフラムは「…バカ」と天を仰ぎ、クラリスはさりげなく視線を外した。 ……勝馬と勝利がわなわなと身体を震わせ始めた。 「コンラッド……貴様ぁ……!」 「この…ロリコン野郎があ……!」 怒りの視線を一身に浴びる羽目になったコンラートが慌てて手を振る。 「あ、いや、あの……そうじゃなく……というか、お、俺は、その……!」 イケナイことは一切したことがありません! と主張するにはかなり後ろ暗いものがあって。 言葉に詰まるコンラートの様子に、男2人の怒りの表情がさらに険しくなる。 「……悪いが……」勝馬の声が地を這うように低くなった。「今日のお招きはお断りさせて……」 「それはヤダ!」 負けてなるかと有利が声を張り上げた。 「ゆーちゃん! おとーさんは……」 「ゆーちゃんとは私が同室になるわ!」 こういう時、女親は意外と融通が利く。というか、美子の場合、何としてもロイヤルエグゼクティブルームに泊まるんだ! という執念の方が強いのかもしれない。 「だって、せっかくのご招待よ? ゆーちゃんがずっとあちらでお世話になって、これからもお世話になる大切な方々に失礼な真似はしたくないわ。そうでしょ? ゆーちゃんだって、皆さんは大事な人よね?」 「もちろんっ!」 それこそあちらでは、家族同様に暮らしている大切な存在だ。有利は何度も大きく頷いた。 「ゆーちゃんの大事な人達が初めてこちらにおいでになったのに、私たちが不愉快な思いをさせてどうするの? ね?」 「不愉快な思いをしたのは俺達の方……」 「それはこちらの方々だけの責任じゃないわ。でしょ? ゆーちゃん?」 うっかりポロリをかましてしまった有利が「う」と肩を竦める。 「だから私が母親として、ちゃーんとゆーちゃんを見張ってます。だから大丈夫!」 「……高2にもなって母親と同室なんてー……」 「何か文句あるの!?」 「僕が渋谷と一緒に居ましょうか?」 ひょいと飛び込んできたのは村田の声だ。 「渋谷だってお母さんにずーっと見張られてたら、せっかくのホテルライフを楽しめないだろうし、美子さんんだってせっかくのロイヤルエグゼクティブルームの夜なんだから、勝馬さんとたっぷりムードを楽しみたいって思うでしょ?」 「…そ、それは〜…」 「渋谷のお兄さんも、お父さんと一緒にいるより、最高級の部屋を1人で存分に堪能するほうがお好みですよね?」 「…えーと…」 「僕は渋谷の親友ですけど、いつもこちらの皆さんにはお世話になってますし、今回は皆さんのご期待に添って渋谷に無茶はさせません。ウェラー卿だって、僕の言うことは結構聞いてくれるんですよ? 僕もあちらでは意外と偉いんですから!」 えへん! とVサインをしてみせる村田に、勝利がうさんくさそうに眉をひそめた。 「偉い? お前が? ったく、お前みたいな生意気なガキがふんぞり返ってるんじゃあ、国の未来が危ぶまれるな」 鼻を鳴らして嘲笑して見せる勝利。その正面で、約5名が軽く引き攣ったことに気づいていない。 「あ、ひどいな〜。でも、僕がちゃーんと防波堤になりますから、安心してください! 村田健、いつでも皆さんのお役に立ちます!」 軽々しくバラマキをお約束する政治家そっくりの、軽やかな笑顔と軽い口調で村田が宣言した。 「……じゃあまあ…村田君にお願いするか……」 「お任せ下さい!」 という訳で、とにかくその夜を全員でロイヤルエグゼクティブルームで過ごすことが決定したのだが。 「タクシー!? ここからお台場までタクシーで行くって!?」 「あ、あの、もちろん料金は……」 またまた困った顔でスポークスマンを務めるコンラートに、勝馬と勝利が噛み付いた。 「何考えてんだ、あんたらは!?」 「電車使え! 電車!」 「でんしゃって、あの動く箱かしら?」 不意に割り込んできた艶やかな声に、勝馬達の動きが止まった。 「ひこうき、というのは面白かったわ。身体が浮く感覚は素敵だったし、眺めも良かったし、お食事もお酒もそこそこだったし、狭苦しいのが今ひとつだったけれど思いのほか楽しめたわ」 ファーストクラスだったんですけどね。コンラートが苦笑する。 「でもあのでんしゃというのは……。この世界に来てすぐ試してみましたのよ。何でも経験だと思いまして」 ニューヨークの地下鉄です。コンラートの解説が入る。 ツェツィーリエが美しい眉を顰めて首を振った。 「二度と経験したくありませんわ。薄暗くて、変な臭いがして、騒がしくて、あんな細長くて空気の淀んだ空間に、あんなに雑多に人が詰め込まれて運ばれるなんて……。何だかじろじろ見られるし、訳の分からない話をいきなりしてくるし、触ってまでくるのよ! グウェンダルやコンラートが止めているのに、気にも留めずに近づいてくるんですもの。あの礼儀も嗜みも何もない態度には驚かされたわ」 「……いきなりニューヨークの地下鉄ってとこに無理があったんじゃないのか?」 「昔とは比べ物にならないくらい改善されてるんですけどね。でもさすがに母上には……」 「日本の電車はずっと良いぞ。だがまあ……」 注目は浴びるだろうなあ……。 勝馬の呟きに、その場にいた勝利、コンラート、美子、有利が納得の顔で頷いた。 そんなこんなで、結局埼玉県某市某町渋谷家から、お台場に向けて3台のタクシー(この場合はハイヤーと呼ぶべきかもしれない。いずれも黒塗りの高級車だ)が出発したわけだが。 1台には渋谷家一行4名が、1台には村田、グウェンダル、ヴォルフラムの3名が、そしてもう1台にはツェリ、コンラート、クラリスの3名が乗っている。 その内、村田、グウェンダル、そしてヴォルフラムが乗る車の中で、こんな会話が繰り広げられていた。 「彼らは」グウェンダルが前方を走る車を見つめながら言った。「陛下とコンラートの婚姻に反対なのですか?」 「僕の兄に、何か不満でもあるというのか!?」 グウェンダルの声には押し殺した、ヴォルフラムにはあからさまな怒りの色が混ざっている。 「別にウェラー卿に文句があるわけじゃない。…と思うよ。ただこちらの世界、というか、この国ではね、まだ結婚を真剣に検討するには、僕達の年齢は早すぎるんだ。こちらの世界で10年後、魔族年齢でいえば120歳くらいだったら何の文句も出ないだろうな」 「ばかな」 100年以上も待てというのか!? グウェンダルが吐きすてる様に言った。 「この国の『人間』だったら、って意味だよ。100年待てなんて言う気は僕にもないから。それに、この国の男親というのはね、娘をお嫁さんに出すのを嫌がるものなのさ。パパのお嫁さんになるって言ったじゃないか〜って、父親なら一度は嘆くというか……」 「あの男はユーリを我が物にしようと考えているのか!?」 「いやいや、そうじゃなくて」 異世界の住人に滅多なことは言えないのだったと、村田は急いで手を振った。ヴォルフラムの憤然とした表情は治まらない。 「それくらい可愛がってるってことだよ。あのお兄さんも渋谷のことは溺愛してるし。いつかは手放すとしても、なるべく遅くって願う気持ちは分かってあげて欲しいな。否応なしにその日が来ることは彼らだって分かってるはずだ。深刻に取る必要はないよ」 「分かっているというなら、無駄な抵抗はせずに即座に覚悟を決めてもらいたい」 宰相が厳しい口調で言った。 「魔王陛下の婚姻は、我が国の国家的な問題だ。コンラートとの婚約は、すでに十貴族会議で了承されており、国民にも受け入れられている。友好国へも通達済みだ。結婚の儀の一切を執り仕切る部署も血盟城内に設置して、王佐の指揮監督の下、来る日に向けての作業は既に始まっている。……地球側の思惑など関係ない。妙な嘴を入れてもらっては迷惑至極……という話を、彼らにするのは控えるべきでしょうか、猊下?」 殊更丁寧な言葉遣いで伺いを立ててくる宰相に、村田は苦笑を浮かべた。 「控えるべきだね。少なくとも今しばらくは。……いずれ」 陛下自身が結論を出し、陛下の口から『渋谷有利の家族』に対してその思いが告げられるだろう。 「だから今は、この世界と、この世界で生まれ育ってきた陛下と、陛下を生み育ててくれた人たちのことを理解しようと努めて欲しいな。反感はなるべく抑えてね」 あいつらが勝手に反発してくるんじゃないか……と、むっつり呟くヴォルフラム。だがそれ以上逆らうことなく、グウェンダルとヴォルフラムは村田に向けて目礼した。 その夜。 渋谷家の人々は、「本日貸切」の麗々しいお知らせが掲げられたレストランで、正装したホテル支配人とスタッフ達、そして何と弦楽5重奏楽団のアーティスト達の最敬礼で迎えられた。 「……俺はもう何も言わん……」 麗しいクラシックの音が流れる、豪壮華麗な、だが彼らとスタッフ以外誰もいないレストラン。 こうと分っていたらイブニングドレスを買ってもらうんだったのに、と悔しがる母と、気後れするかと思いきや、意外なほど平然とサービスを受けている弟とその親友(彼が気後れするとは誰も考えていないが)の姿を横目にしつつ、勝馬と勝利はぐったりとテーブルに突っ伏していた。 さらにその夜も更けて。 有利の防波堤(襲う波がコンラートなのか、それとも有利本人なのかは不明だ)になると渋谷家の面々に宣言した村田健だが、魔王陛下の絶対の忠臣を自認する彼が果たして本当に恋人同士の間に立ちはだかったのか。 それは永遠の(?)謎である。 □□□□□ 翌日。抜けるような青空の下、日曜のお台場は休日を楽しむ人々で溢れている。 そんな中、彼女達はいた。 女子高生のグループだ。5、6人でソフトクリームを舐めながら、数多いカップルをうっとうしげに見ている。 「お台場は失敗だったかしら……」 何となくつまらない。グループでリーダー格の少女が呟いた。 近頃、彼女達の心を浮き立たせてくれるお楽しみが乏しいのだ。 季節外れのお化け屋敷で、新人らしいお化けを構い倒して泣かせ、どうぞお帰り下さいとお化け総出でお願いされ、勝利の凱歌を挙げて出てきたのだが……どこか空しい。 お昼を食べたら帰ろうか。 そう友人達に告げようかと思ったその時、前方が妙にざわついていることに気づいた。 「……芸能人でもいるのかしら?」 友人の1人が言った。場所柄それもありえないことじゃない。だが。 「芸能人ごときにきゃーきゃー言うなんて、幼稚ね」 ふんと鼻を鳴らす。彼女の高邁な夢と理想に比べたら、芸能人など何ほどの価値もない。 何事だろうときょろきょろ顔を動かす人々の中で、彼女は胸を張り、真っ直ぐ前を見つめた。が。 きゃっ。 彼女の後を歩いていた少女達が、思わずつんのめって声を上げた。前方を行く少女がいきなり立ち止まったからだ。 「委員長? どうし……」 「あれ見て!」 少女達の目が一斉に前を向く。 そこには! 「ま、まさか…!」 「いいえっ、間違いないわっ。あれは…!」 コンラート様と渋谷君!! 少女達の歓喜の声がお台場に響いた。 前方、人々の注目も気づかないのか、麗しいカップルはにこやかに寄り添って歩いていた。天上の光は彼らの上にこそ降り注ぎ、世界の光はそのお零れにあずかっているにすぎない。そう思えるほどに、かの2人は輝いている。 「委員長、見て!」 友人の1人が彼らの方向を指差して言った。 「渋谷君とコンラート様、お二人だけじゃありません! ほら! 渋谷君の隣にもう1人、もっ、ものすごい美少年が!!」 いた。 淡い金髪を、神の恵みの光を反射するように煌かせた、この世の者とは到底思えない美しい少年が! 彼らの周囲を歩いていた人々は、ほとんどが足を止め、何か信じられないものを目にしたかの様に、ある人は呆然と、ある人は驚愕の表情で彼らに見入っている。先ほどからの浮ついたざわめきはこれだったのだ。 「あれは……2人の愛を見守る守護天使、もしくは守護聖人に違いないわ!」 拳を握り、彼女、有利のクラスメートである委員長は力強く宣言した。 「で、でも委員長、何だかス○バのコーヒーカップを手にしているような……」 「イエス・キリストとお釈迦様がルームシェアして暮らすこの現代日本よ! 守護天使がスタ○やミ○ドへ行くくらい何だと言うの!?」 確かにそうだ。マンガが現実なら。しかし少女達はツッコミを入れることなく、真剣な表情で一斉に大きく頷いた。 「さあ皆さん、行きましょう! 私たちはコンラート様ファンクラブ、コンラート様と渋谷君の愛を見守ることを心に誓った者。そこらをウロウロしている有象無象とは格が違うわ! 守護天使様も快く私たちを迎え入れて下さるでしょう!」 一体何の格なんだと、周囲の人々が耳にしていたら声を張り上げることだろう。 「渋谷君!」 真正面から堂々と声を掛ければ、コンラートに笑みを向けていた渋谷有利はきょとんを顔を上げ、眼をパチパチと瞬かせた。 「い…委員長!? と、皆!?」 クラスメート(ではない者も混じっているが)達が揃っているのを見て、有利が驚きの声を上げる。 スタスタと近づいていけば、周囲から漏れる羨望のため息が委員長達の耳に聞こえてきた。思わずほくそ笑む少女達。 「お久しぶりです、コンラート様! あの…覚えていらっしゃらないかもしれませんが……」 一応謙遜しつつ、委員長は優しげな笑みを浮かべて自分を見下ろす青年をそっと見上げた。と。 「もちろん覚えていますよ。ユーリの同級生で、クラスリーダーをなさっておられる方でしたね?」 「なさっておられるなんてそんな!」 白馬の王子様の様な青年に持ち上げられて、委員長のプライドはいたく擽られる。 「くらすりいだー?」 ふいに上がった声に、少女達が「え?」と声の出処に顔を向ける。 ……碧玉の様な美しい目を大きく瞠る天使様と目があってしまった。 「ヴォルフ、この方達はへい…いや、ユーリのご学友だよ」 ご学友! なっ、何というハイソサエティな響き! 「って、あのっ!」 愕然と瞠った委員長達の目が、コンラートと守護天使様の間を何度も高速で移動する。 その少女達の様子に、コンラートが「ああ」と察した顔で頷いた。 「失礼。俺の弟です。……ヴォルフ?」 コンラートに促されて、金色の守護天使が1歩前に進み出た。 「失礼した。僕はコンラートの弟で、フォン…いや、ええと、ヴォルフラム・フォンビーレフェルトという。よろしく」 にっ、人間っ!? それも! 「コッ、コンラートッ、様のっ、おとおと…ゲホンっ、弟、君…っ!!?」 少女達の悲鳴に似た叫びが轟いた。 「そんなすごい…っ! ああっ、神様、ありがとうっ!!」 「…え?」 「いえいえいえっ!」 思わず溢れ出た感動の叫びを懸命に胸の奥に押し戻し、少女達は必死の深呼吸を繰り返した。 クラスメート達の不審な挙動を、有利がきょとんと見つめている。 「あ、あのっ」委員長が果敢に手を上げた。「コンラート様とは、姓が違っておられるようですが……」 「ああ」コンラートが苦笑する。「俺達兄弟は、それぞれ父親が違っているのです。それで兄弟3人とも自分の父親の姓を名乗っているんですよ」 「すっ、済みませんっ、プライベートなことなのにっ!」 コンラートの苦笑を目にして、委員長が赤かった頬をさらに真っ赤に染めて謝った。少女達が揃って「ごめんなさい!」と、勢いよく頭を下げる。 「いいえ、気にしないで下さい」 「ありがとうございます! …あ、あのぉ……今、3人と仰いました?」 「ええ、兄が……ああ、来ました」 うおおぉぉぉお! その時突如、どよめきが一帯に広がった。出遅れた少女達がハッと身を翻す。 「……まさしく『帝王』…そして……『女王』…!!」 少女達はもちろん、その場をなかなか動けずにいた人々は、動かずにいた自分の判断(?)に喝采を上げた。 十戒の海の様に割れる人々の群れの間を、1対の男女がやってくる。男性は濃灰色の艶やかな長髪をまとめ、渋いブリティッシュカジュアルスーツに身を包んだ美丈夫。そして女性は、薔薇色のシルクのドレススーツを軽やかに揺らして歩く超美女だ。 見ない振り、歩いているような振り、何か探しているような振りをしながら、その場に留まっていた人々は、いまやあからさまに足を止め、やってくる一行と彼らを迎える一行の様子を固唾を飲んで見つめている。 「……その男は、大人の男の成熟した色気をその眉間の皺からオーラの様に放ち、大会社の社長か名門一族の当主、いいや、一国の王もかくやとばかりの威厳を醸し出している……」 いきなり目の据わった委員長の口から、まるで呪文かお経の様にその言葉が流れ出始めた。 「彼の腕に繊手を絡める女は、『美しい』だの『色っぽい』だのという、ありふれた表現をはるかに逸脱した美しさに溢れていた……いいえっ、ダメっ、こんなつまらない文章じゃダメよっ。これじゃ表現力がいかに稚拙かを自ら恥ずかしげもなく証明してみせているだけだわ! ………『絶世の美女』、『社交界の華』、『夜の蝶』…ありとあらゆるシチュエーションにおいて美女を飾る言葉は多々あるが、彼女はその全ての表現を超えて美しい……ああ、ダメっ、どうしてこんな陳腐な文句しか出てこないの、私っ!?」 「……委員長……?」 目の前で地団太を踏むクラスメートの姿に、有利は呆然と呟いた。クラスメートの少女達は、委員長に向かって「頑張って!」と声援を送っている。 「ホント、人を見る目があるんだかないんだか、良く分からない人だよねー」 どこにいたのか、村田がひょいと姿を見せたと思ったら、クスッと笑って言った。 「村田、お前……ウチの委員長、知ってたっけ?」 「……え?」 ハタッと口を押さえた村田が、即座ににっこりと有利に笑いかけた。 「前にほら、君といたときに会って話をしたじゃないか」 「だっけ?」 「だよ?」 「そっか」 そう言われてみたらそんな気がする。うん、そうだったな。有利がにこやかに頷いた。 僕の親友の笑顔は本当に可愛いねえ。左右から注がれる王の側近2人の疑わしげな眼差しを心地良く受け流しながら、うんうんと村田も頷き返す。 「………村田健…?」 呆然とした声が響いた。今の今まで腕を組んで唸っていた委員長と、それぞれ自分流の美の表現について言い合っていたクラスメート達が、呆気に取られた顔で村田を指差す。 「…ど、どうして? どうしてあんたまでいるわけ…!?」 やだなあ。だんだん険しくなる委員長の声に、村田が変わらずにこやかな笑みを返す。 「僕は渋谷の親友で、家族ぐるみのお付き合いなんだよ? 当然昨日からずっと一緒さ」 「き、昨日…?」 「彼らと」とコンラート達を指し示して。「それから渋谷のご家族と一緒にそこのホテルに泊まったんだよ。彼らがワンフロア丸々押さえてくれててね。なかなか良かったよ。最上階のロイヤルエグゼクティブルーム」 はうっ!? 少女達が一斉に仰け反った。 渋谷君だけならまだしも、どっ、どうして村田健までがそんな特別待遇をっ!! 彼女達の脳裏に浮かぶのは、コンラートと有利の夜の忍びあい(?)を1人覗き見て楽しむ村田の姿だ。 「自分ばっかりずるいっ!!」 あまりの理不尽さに委員長達の額の血管がぺきぺきと膨張する。 「あら、あなた達、どうしたの? こちらのお嬢さん達はどなたかしら?」 しっとりとした声が響いた瞬間、一方的な緊張が漲り始めた空気が一気に沈静化した。 豪奢な金髪が、ふわりと海風に揺れる。ほーっとため息が一帯に広がった。 「母上」 はは、うえぇーっ!!? 「母上」という、いまや時代劇でしか聞かれない古風な呼びかけ、それよりも……。 「こっ、こんなお美しくてお若い方が、コンラート様のお母様っ!?」 あら。 委員長の魂の叫びを耳にしたツェツィーリエが、上品に口元を綻ばせた。 「コンラート、こちらの可愛らしいお嬢さん方はあなたのお知り合い?」 可愛いっ。 委員長達の頬が、茹で上がった海産物の様に一気に真っ赤になる。漫画だったら頭の天辺から「ボンッ」と音を立てて湯気が上がっていたことだろう。 「ええ、そうです。ですがその前に」コンラートが委員長達に改めて笑顔を向ける。「母のツェツィーリエ・フォンシュピッツベーグと、兄のグウェンダル・フォンヴォルテールです。母上、グウェン」 きちんとまず身内を紹介してから、コンラートの手が委員長達に向けられる。 「ユーリと同じ学び舎で学問をなさっておられる、ご学友のお嬢さん方でいらっしゃいます」 学び舎なんて、学問なんて、ご学友なんて、お嬢さんなんて、いらっしゃいますなんて、いえいえ、そんなぁ……。 「コンラッドー、んな、大したモンじゃないって………うえっ!?」 真っ赤になって身もだえしていたはずの女子から一斉にギロリと睨まれて、有利は慌ててコンラートの後に避難した。 自分達で謙遜するのと、人から言われるのとは別物なのだ。 「まあ! そうだったの!」 そっと顔を上げれば、女神もかくやとばかりの高貴さとお色気の、絶妙なバランスを兼ね備えた美女の宝玉のような瞳と、思わず「ごめんなさい!」と謝りたくほど高圧のビームを放出する濃い灰色の瞳が自分達を映している。……委員長達の顔がさらに熱く紅潮した。 「じゃああなた方は毎日へいか……じゃなくて、ユーリちゃんと一緒に過ごしていらっしゃるのね? 素敵な偶然だわ! 私、ユーリちゃんがこちらでどんな風に暮らしているのか、ぜひ知りたいと思っていたの。お時間を頂いてもよろしいかしら? ねえ、グウェン、ヴォルフ? あなた達もお話を伺いたいわよね?」 「…まあ……確かに」 「わっ、私たちでよろしければ喜んで!!」 「………何でいきなり人数が増えてるんだ……?」 美子に引き摺られ、ショッピングのお供をさせられていた勝馬と勝利が待ち合わせ場所にやってきて、思い切り不審な声を上げている。 「おれのクラスメート。さっきばったり会ったんだ」 「で? 何であんなにあっさり馴染んでるっつーか、懐いてんだ?」 彼らの視線の先では、5、6人の女子高生がツェツィーリエを中心とする眞魔国メンバーをきゃあきゃあ歓声を上げながら取り囲んでいる。そんな彼らを、通りすがりの人々が通りすがれないまま、未練がましくウロウロと羨望の眼差しを送っている。堂々と携帯を構える強者の数も増えてきた。 有利とコンラート、村田、それからクラリスは、興奮する少女達からそろそろと離れ、そこそこ他人な距離を取り、そんな彼らの様子を見守っていた。 「ツェリ様は綺麗だし、ヴォルフも美少年だし、グウェンは渋カッコ良いし……女子はああいうのが好きなんだろ。クラリスもあそこにいたら絶対懐かれてるぞ?」 「いえ、私はあのような雰囲気はあまり……」 いかにも苦手な様子で、クールビューティーな女性士官は眉を顰めた。 「……渋谷」 「ん?」 そっと囁いてきた友人に、有利も付き合いで声を潜める。 「透さんには連絡するのかい?」 「……ああ、うん、せっかくクラリスが来てるんだし。こっちで護衛なんて必要ないしさ、ツェリ様がオーケー出したら連絡してみようと思う……んだけど?」 「そうか。うん、ま、良いかもね」 透は知らないが、クラリスは実は何もかも分った上で飲み込んでいる。透の、「凉宮透」という地球世界の人間の、自分の知らない平和な生活や周囲の人々の存在を確認することは、クラリスにとっても、そして透自身にとっても、また1つの区切りになるだろう。 「なるべく早く連絡してあげなよ」 「ああ、そうする」 頷く有利に、今度は美子が顔を寄せてきた。 「ねえ、ゆーちゃん。あんな風に取り囲まれたりしたら、ツェリ様達ご迷惑じゃないかしら?」 「ああ、それは大丈夫ですよ」 答えたのは有利ではなくコンラートだ。 「母上は常に多くの賛美者に取り巻かれてますからね。ファンの眼差しには慣れてるんです。むしろないと寂しがる人ですから、彼女達を連れ歩くことに抵抗は全くないでしょう。兄も弟も宮廷で多くの人と常に一緒ですし、何よりユーリの学校生活のことなど知りたがっていますしね。ご心配には及びませんよ」 「……あいつらがおれのことをどう教えるかが問題だけどな……」 そんなこんなと話をしていると、何か思いついたのか、ツェツィーリエが満面の笑顔で有利達のもとに戻ってきた。 「そろそろどこかに向かいましょうか、母上?」 「ええ、そうね。私、あれに乗りたいって話を皆さんとしていたの」 あれ、とはお台場名物の大観覧車だ。ツェツィーリエが指差す先で、今日もゆったりと回転している。 「でもその前にご相談がありますのよ」 ツェツィーリエが小首を傾げて有利の瞳を覗きこんだ。 「ツェリ様?」 「私、ユーリちゃんの、がっこうというのでしたかしら? ぜひ訪問して、どんな風にお勉強してるのか見学してみたいと思いますの」 「……って、授業参観!? ツェリ様達が!? あ、いや、でも…!」 いきなりそんなこと、無理ですから! 思い切り手と頭を振る有利の肩を、誰かがポンと叩いた。 「…え? …って、委員長?」 「大丈夫、渋谷君。私に任せて」 「ま、任せてって……何を!?」 「もちろん」 と言いながら、委員長が自分の携帯を取り出し、素早く操作を開始する。 ぴっぴっぴとキーを押して、携帯を耳に押し当てた委員長が、間もなくにっこり笑みを浮かべた。 「あ、教頭先生? 私ですけど」 「どうして委員長が教頭の携帯番号知ってんだーっ!!?」 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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