Take Us Out to the Ball Game!



「コンラッド!?」

 玄関を飛び出したその日その時、その姿を目にした渋谷有利は、まん丸に目を瞠り、顎を落とし、見つめられた相手がどうリアクションしようか困ったなーと苦笑を浮かべるだけの時間、たっぷり間を置いてからハッと我に返り、その名前を呼んだ。

「ユーリ」

 ウェラー卿コンラート。ユーリが有利であるこの世界においてはコンラート・ウェラーと名乗る彼が、にっこりと笑って有利を呼び返す。

「〜〜〜〜っ、コンラッド!」

 もう一度名前を呼んで、有利は地を蹴った。そして全力で走ってコンラートの元に駆け寄った。

 この前その顔を見てから、さほど時間が経っているわけではない。それでも、ここで、地球世界で、ユーリが渋谷有利として生まれ、そして生きているこの国で、彼と会うのはまた格別なものがある。
 有利は子犬の様にはしゃいで、コンラートの周りを跳ね回った。

「何だよ、来るなら来るって教えろよー。いつ? いつこっちに来たの!? 今度はいつまでいられるんだ!? あ、早く入れよ! 村田もいるんだ。今、ケーキでも買ってこようと思って。あいつったらいきなり来るからお菓子もなくて。まあいつものことだけどさ。あ、大丈夫だぞ! コンラッドの分もちゃんと……」
「…ああ、ユーリ、あの、ケーキでしたらちょうどお土産に持ってきましたので。ユーリ……済みません、あの、突然決まったものですから。ええと、ですね、実は、そのー……今回はちょっと長めに滞在することになりそうなんですよ……」

 内容は有利にとってとっても嬉しいことなのに、コンラートの口調は妙に歯切れが悪い。
 なので、有利はちょっとだけ首を傾げた。

「コンラッド…?」

 はあ、と、どこか口ごもるコンラートの視線は、なぜかユーリに定まらず、どこか宙を彷徨っている。

「コン……」
「コンラート!!」

 突然遮られた。有利が呼ぼうとした同じ名前を呼ぶ声で。それも……ここで聞こえるはずのない声で。

「ここはかなり身分の低い者が住む地域ではないのか!? どれもこれも小さくて粗末な家ばかりではないか! こんなに隙間なく並んで、まともな門もないし、外から家が丸見えだぞ! このような貧しげな場所で本当にユーリが暮らしているのか!?」

 コンラッド……。
 こちらに背を向けて、きょろきょろと辺りを見回している金髪の人物を見つめながら、有利がどことなく力の入らない声でコンラートを呼んだ。

「なんかー……ヴォルフっぽい人が、ヴォルフっぽい声で、ヴォルフっぽいことを言ってる気がするんだけど……」
「申し訳ありません、あの……ヴォルフなんです」
「…! ど……っ」
「コンラート!」

 どうして、という有利の言葉は、またまたコンラートを呼ぶ声に遮られた。またまた……聞き覚えのある低音で。

「そこの家の塀に、こねこた……猫がいるぞ! 私の部屋の、いっ、いやいやっ、我が国の猫と全く変わらん!」

 これまたこちらに背を向けて、塀の上の猫を指差す人が言う。濃灰色の長い髪を1つに束ねている。身に纏っているのはスーツ…だろうか…?

「こんらっどー、あのさー、何かー、グウェンっぽい人がー……」
「……グウェンなんです」
「だから、どっ……どわっ!」
「陛下ぁ!」

 いきなり暗闇が襲ってきた。丸くて柔らかくて弾力むっちむちの山に挟まれている感じだ。覚えのあるこの感触、華やかに甘い、でもくらくらする香水の香り、「うっふ〜ん」という色っぽい囁き。

「…うぐ、むぐ…っ、ほっ、ほんらっろ……ぉ!? ま、まひゃか……」
「はい……母上です」
「お会いしたかったですわぁ、陛下〜」

 ぐいっと腕を突っ張って、ユーリがツェツィーリエから身体を離した。「あらん?」と目の前の超美女は残念そうだ。

「だからっ! どうしてーっ!?」


□□□□□


 ことの起こりはこうだった。

「私、陛下があちらでどのようにお暮らしなのか、この目で見てみたいわ」

 ちょっとお茶が飲みたいわ、とか、新しいドレスが欲しいわ、とか。
 上王ツェツィーリエ陛下の一言は、それはそれは軽かった。
 なので、言われた人々はその重大性が認識できず、しばらくの間、皆揃ってぽかんと彼女の顔を見ていた。

「あ、あの……母上…?」

 魔王ユーリは地球に里帰り中で不在。恋愛旅行から一時帰国中のツェツィーリエを囲み、3人の息子達とギュンターが午後のお茶を嗜んでいた時のことだ。
 「陛下の地球での野球チームが、大きな大会に参加するそうですよ」と、何気ない話題を提供したつもりのコンラートは、お茶のカップを持ち上げた格好できょとんと目を瞠った。

「だってぇ」ちょっと恨みがましい眼差し。「コンラート、あなたはあちらのことを良く知っているけど、私達は何もしらないでしょう? 陛下があちらのことを口にしても、さっぱり分からなくて、陛下に哀しい思いをさせたこともきっとあるはずだわ。やっぱり少しは知っておかないと」
「陛下は本来この世界に属する方」

 グウェンダルが重々しく宣言した。

「いずれ切れる縁であれば、我々があちらのことを知っている必要などありません」
「でも、グウェンダル。陛下はまだ少年でいらっしゃるわ。いずれといっても、まだ何年か先のことではないの? それに私、異世界がどんなものか知りたいの。きっと刺激的に違いないわ!」

 そうか、母上は退屈なさっておいでだったか。
 息子達はちょっと視線を宙に飛ばした。
 だがそこで、「でも……」とヴォルフラムが次兄にちらと目を遣って言った。

「よく考えてみたら、コンラートだけが好きな時にあちらに行けるというのもおかしな話ではありませんか? 兄上」

 あえてグウェンダルに質問する弟に、コンラートは穏やかな苦笑を浮かべながら、内心激しく舌打ちしていた。
 ……地球行きをコンラートだけの役目だと、皆がずっと信じ込んでくれることを願っていたのだが……。実はそれに何の根拠もないことを、たった今気づかれてしまった。
 地球でのユーリに会うことが自分の特権であった日々に、ついに終わりが告げられるのだろうか。コンラートはそっとため息をついた。

「ねえ?」

 楽しい遊びを思いついた少女の様にうきうきと、ツェツィーリエが身を乗り出した。

「陛下を驚かせちゃいましょうよ!」


□□□□□


「……で、ここに到る、と」

 やれやれ。肩を竦めて言ったのは有利ではない。村田だ。

「じゃあ先にアメリカに寄ってきたの?」

 有利にびっくり顔で確認されて、コンラートが頷く。

「言葉の問題もありますし、訳が分からない状態でいきなりこちらに伺っては、陛下と猊下に大変なご迷惑をお掛けすると思いまして……」
「想像するだけでも怖いね」村田が鼻を鳴らして言った。「下準備を済ませてくれて良かった。……ロドリゲス達は大変だっただろうけど」
「……ボブがニューヨークにいるということでしたので、挨拶と事務手続きも兼ねて先ずあちらに行ったのですが……色々と面倒を掛けてしまいました……」

 ニューヨークの摩天楼、走り回る車、ひしめく人々、溢れるデジタルの光、多彩な色、世界に冠たる大都会。あの世界からポンッとやってきた彼らの目に、ニューヨークは、地球世界はどう映っただろう。そしてそんな彼らを受け入れる地球世界の魔族たちは……。
 具体的に語らない分、相当なコトがあったのではないだろうか。有利と村田は顔を見合わせてため息をついた。

 場所は渋谷家のリビング。
 ソファに座るのは、渋谷家側、渋谷家次男坊の渋谷有利、有利の親友である村田健。一家の主は仕事で、主婦はちょっとお出掛け、長男は…何だか色々忙しいらしい。そして眞魔国側は、上王フォンシュピッツベーグ卿ツェツィーリエ、フォンヴォルテール卿グウェンダル、ウェラー卿コンラート、フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムの3兄弟、そして……今回はツェツィーリエのお世話係として同行する羽目に…いや、任務を与えられた、本来は魔王ユーリの護衛官、ハインツホッファー・クラリスの5名だ。
全員の前には、いつでも気の利くコンラートが、お土産として持ってきたケーキが置いてある。いわゆるおもたせである。

「それにしても、眞王廟がよくオーケー出したね」

 村田が視線を向けるのはコンラートだ。初の渋谷家訪問に、興奮気味にきょろきょろしているメンバーは最初から相手にしていない。

「はい。実際、遊び半分に行き来するのは好ましくないと言われました。ですが、その、母上が陛下と陛下の生まれ育った世界を理解したいのだと食い下がり、結局1度だけならと許可が下りたのです」
「1度だけ、ね。まあそれで済むなら……来てしまったものはもうどうしようもないし。……このメンバーはどう決めたんだい? フォンクライスト卿は? 彼も来たいと言わなかった?」
「それはもう。ですが、グウェンもギュンターもということになれば、完全に政がストップしてしまいますので……。今回は譲れと母が。その……家族旅行をしたいと言いまして……」
「だって、猊下」突然ツェツィーリエが会話に加わってきた。「考えてみたら、私達、親子揃って旅行するなんて、今まで一度もありませんでしたのよ!? ですからギュンターにお願いしましたの。今回は親子水入らずで過ごさせて欲しいって。次はちゃんとギュンターに譲るつもりですわ」

 にこっと笑って言うツェツィーリエ。村田は横目でコンラートを軽く睨んだ。

「1度だけ、じゃなかったのかな?」

 無言のまま、コンラートはどこか情けなさの混じった苦笑を浮かべた。

「実は、アニシナも来たがったのです。というか、自分が行かずにどうすると詰め寄られてしまいまして……。この世界はアニシナのその……研究意欲を刺激するものに溢れていますので……」

『私が行かずになんとするのです!? グウェンダル、そもそもあなたが地球に行って何をしようというのです!』
『母上とヴォルフラムだけでは何をしでかすか分らんだろうが!』
『コンラートがいるではないですか。彼は慣れているのですから、あなたが行くよりはるかに役に立ちます』
『それはそうだが……コンラートにばかり面倒を押し付けるのはどうも……それに私も、実は1度くらい陛下の生まれ育った国を見ておきたいと……』
『何をぶつぶつ言っているのです! グウェンダル、知っていますか!? 地球には空飛ぶ乗り物があるのですよ! 何百人もの旅人を乗せて、国から国へひとっ飛びだそうです。素晴らしい! ぜひこの目で現物を確かめ、乗り心地を試した上で1つ2つ持って帰らねばなりません! 解体し、研究の後、私流に組み立て直してぜひ眞魔国の空を飛ばしてみたいと思います。完成の暁には、あなたに最初の客という栄誉を授けて上げましょう!』
『そんな栄誉はいらんっ! 大体何百人も乗せて空を飛ぶなどいい加減な……!』
『それからぜひ、べんとーげんを確認してきたいと思います!』
『……べんとー……?』
『それを使うと、人の身体が透き通るのです! 何でも、内臓が弁当箱に詰めたおかずの様にきっちり納まって見えることからその名がついたそうですが』
『では「げん」というのは何を意味しているのだ?』
『細かいことを気にしてどうするのですっ!』
『……………』
『とにかく、そのべんとーげんを使うと、腹に一物あるかないか、一目で分るのだそうです。ついでに病に罹っているかどうかも分るそうですよ? これもまた素晴らしいと思いませんか!? あなたも自分の身体を透き通らせて、己の腹が黒いのか白いのか、ぜひその目で確認したいと思っていますね!? そうですねっ!』
『誰が思うかっ!!』

「……研究器具とやらを一揃い背中に背負って眞王廟に突入してきたアニシナを、ヨザックに引き止めさせて来たのですが……」
「ぐ、グリエちゃんを犠牲に……!?」

 その光景が頭に浮かんだのだろう、仰け反る有利の隣で村田がしみじみと息を吐き、瞳を宙に向けた。

「グリエ・ヨザック、僕達は国のために働き続けた君を、決して忘れはしないよ」

 迷わず成仏してくれ。

 南無南無…と手を合わせる村田に、コンラートが瞑目した。

「………そんなにさっくり殺さないで下さい……」

 まだ生きてますから。たぶん。コンラートが深々とため息をつく。
 その時、リビングの扉が開いた。

「ゆーちゃーん、お留守番ありがとねー。ママったら………」

 あらら?

 見知らぬ外国人がリビングを占拠している。
 買い物袋を提げた美子は、ぽかんとその場に突っ立って、異様に美しい一団に目を凝らした。


□□□□□


「あー……」

 渋谷勝馬は苦りきった顔で腕組みした。……間がもたない。
 美子からの急報で、銀行から急いで戻ってきた。幸い土曜だから通常業務は休みだし、それは問題なかったのだが……。
 右隣にはむっつりした顔の、やっぱり母に出先から呼び戻された勝利が座っている。
 左隣は有利だ。ひどく居心地の悪そうな様子で、テーブルのこちら側と向かい側に視線をきょときょと動かしている。
 有利の立場はあまりに複雑、いや、極端、とでも表現するべきだろうか。
 埼玉在住の平凡な庶民である渋谷一家にとって、有利はとにもかくにも家族、「我が家の末っ子」だ。日本の平均的な家庭に生まれ育ち、現在しごく平均的な県立高校に通う、平凡な、だがもちろん家族にとっては最高に可愛い自慢の次男坊だ。だがすぐ目の前に座る客達にとって、有利は「国家の最高権力者である王様」なのだ。一応。
 1人の少年が背負う肩書きとして、この差は大きすぎる。
 父の隣に座りながら、息子は悩んでいるかもしれない。一体今、自分はどちらの顔をしていれば良いのだろうか、と。もちろん、ここ、地球世界の、日本の、埼玉の、渋谷家の、その居間で家族に囲まれているのだから、「渋谷有利」の顔をしていれば良いのに決まっている。しかし……。
 勝馬は密かにため息をついた。そしてその視線をそっと、有利の向こう、1人掛けのアームチェアに座る美子に向けた。好奇心を全身からキラキラと放出しつつ、突如現れた客を観察している妻は、息子の苦悩に気づいているだろうか。
 そして……彼らは?
 勝馬達の向かい側に座る客達。
 真ん中にハリウッド女優も逃げ出すこと間違いなしの美女が、そしてその両側に、見た目は若いくせに異様に押し出しの良い美丈夫と、背中に白い羽がないのが不思議なほどの美少年が座っている。

 ……ゴージャスだ。

 ゴージャスすぎる。
 タイプの全く違う、だが紛れもない「超ド級の美形」達は、どこもかしこも、見た目はもちろん溢れ出るオーラに到るまで、視線を向けてもいないくせに相手を圧倒する迫力に満ち満ちている。
 こんな面子は、ヨーロッパの城かセレブの館の数十畳はある居間(畳で数える時点ですでに庶民だ)、本物の毛皮や絹張りのクッションを並べた純正革張りソファに、本物のペルシャ絨毯に、本物の火が燃える暖炉に、本物のクリスタルのシャンデリアに……とにかく本物の超高級品が燦然と輝く場所に棲息するものなんである。どう考えても、日本の平均的庶民が平均的予算で建てた平均的な4LDKの、量販店で主婦が選び抜いた平均的家具を平均的に並べたリビングにいるべきじゃない。

 目を転じれば、客達の頭越し、リビングと繋がるダイニングのテーブルに村田とコンラッドがついて、村田は面白そうに、コンラッドはどこか申しわけなさそうというか、心配そうに彼らを見つめていた。
 席が足りないので、いわゆる「常連」はそちらに移動したのだ。

 だがもう1人、ソファにいない人物もいる。
 これまた目を剥くような美女だ。スラリとした長身。クリーム色に近い金髪、藍色の瞳。硬質な、こういっては何だが、冷たい無表情がちょっと……アンドロイドめいた美人だった。
 彼女にもソファに座ってもらおうとしたのだが、自分は単なる護衛にすぎないと断られた。じゃあダイニングの席につくのかと思えば、3人のゴージャス美形の背後にピンと背筋を伸ばして立たれてしまった。
 渋谷家側としては、どういう役目であろうが客は客だ。公式行事の場ならまだしも、自宅の居間に「護衛」なんぞがやってきて立っているという状況に、勝馬はどうしても違和感が拭えない。勝利もちらちら、眉を顰めてそちらを見ている。不思議なのは次男坊だった。若い美女が1人立っているというのに、その部分に対してこの息子とは思えないほど頓着した様子がない。まるでそれが当たり前のように。
 とにかく。

 ……とことんやりにくい。

 コホン。1つ咳払いをして、勝馬は今回メインである3人の客に向かって口を開いた。

「……ようこそいらっしゃいました、というべきなんでしょうな。その……失礼、あまりに突然でしたので……。ああ、まあ、とにかく……」

 ウチの次男坊がお世話になっています。

 先ずは尋常に礼から入るべきだろう。

「息子から、あなた方の話は耳にしています。あなた方がいて下さるおかげで、有利も…あー…玉座というのか王座というのか……に座っていられると……。とにかく、ありがとうございます」

 息子が異世界の魔族の国の王の座に就いたことは分っていた。
 ……いや。
 俺は本当に分っていただろうか?
 勝馬は内心で、自分自身に向かって問い掛けた。

 これまで漠然と思っていたことは、どこにいても有利は有利らしく、元気に頑張っていてくれるだろうということだ。
 勉強は苦手だけど、本当に大切な事はちゃんと分かっている子だ。
 気が強くて、ちょっと小心者なところが無きにしもあらずだが、なかなかの正義漢だし、弱きを助けることを自然に当たり前にできる子だ。
 いざという時には、ちゃんと決断できる子だ。……少々危なっかしいところもなくはないが。
 だから、時期が早すぎる、国をあずかるにはまだまだ不勉強だという憾みはあるが、それでも、この子だったら何とかやっていけるんじゃないか。そう思っていた。
 だからいつも、頭に浮かぶイメージは、元気いっぱい、気取った王国の人々を思い切り掻き回している次男坊の笑顔だったのだ。
 だがしかし。
 今、王様である有利の側近、若い王の政務をほぼ肩代わりして国を支える宰相─まぎれもない威厳を湛え、自信と確信に満ちた瞳の光が何とも威圧的で……─と面と向き合ってしまうと。
 今まで頭に思い描いていた異世界での有利のイメージは、一段高い玉座に無理矢理座らされ、国家を運営するという、あまりの場違いな立場に身の置き所なく萎縮している姿に、否応なしに変化してしまった。

 可哀想に。普通の日本人として育ててくれれば良いと言われてその気になったのだが、やはり間違っていただろうか。少しはそれらしく教育すべきだったんだろうか。……それらしい教育ってのがどういうものかさっぱり分らんが、例えば……皇族だの旧華族様だののご子息ご令嬢が通う、あの名門校にでも通わせれば良かったとか?
 だが、今さら遅い。というか、有利はこちらの世界の政治や経済すら学んでいない子供だぞ。それを、異世界に無理矢理連れて行って、いきなり王位に就けたって、まともに王様をやれるはずがないじゃないか!
 貴族制社会なんぞという、日本人には全く縁もゆかりもない世界の頂点に生きているんだろう、こんな迫力のある連中に囲まれては、いくら無鉄砲と元気が売り物の息子でも、色々戸惑うだろうし心細いだろうし、さぞ辛いに違いない。
 ああ、本当にゆーちゃん、可哀想に……。

「……息子はまだまだ成長途上の子供です。あなた方の目から見れば、さぞかし頼りなく映ると思いますが……ですがまあ、長い目で息子の成長を支えて頂ければと思います。どうかよろしくお願い致します」

 不安もあるし、正直、本当に有利の援けになっているのかという不信感もないではない。だが、今はとにかく波風立てないよう、礼儀正しく穏やかににこやかに応対しよう。
 何といってもこれが初対面だ。初顔合わせの挨拶の、鉄則を守ろう。有利が世話になり、これからも世話になり続けることは、当面確かなのだから。
 文句はお互いの気心がわずかでも知れてから、がっちり態勢を整えた後で思い切りぶつけてやれば良い。
 だが。

「もし、ウチの弟に不平不満があるってんなら、いつでも王様なんぞ辞めさせる」

 長男がいきなり宣告した。

「しょーちゃん!」
「勝利! 突然、何言い出すんだよっ!」

 目を剥く両親と弟に目もくれず、渋谷家長男は厳しい眼差しをソファに座る親子、特に「宰相フォンヴォルテール卿」を名乗った男に向けている。

「実際、異世界なんぞ俺達には何の関係もないからな。有利が王位につかなきゃならないって決まりはないだろう? それをいきなり拉致しやがって……。最初にはっきり言っておくが、俺達は有利をあんた達にくれてやる気はさらっさらないからな! だから……」

「ユーリ陛下は我が国の、我等の主、魔王陛下だ。」

 『ゴッドファーザー愛のテーマ』と息子が評した低音美声が、勝利の勢いを砕き、勝馬の頭にズンと圧し掛かってきた。

「眞魔国の臣民として、臣下として、陛下にお仕えするのは当然のこと。あなた方が我々に礼を述べたり、援けを依頼する必要はない。むしろ、我らの方がこれまであなた方に礼を述べていなかったことをお詫びする」

 低音の美声は少なくとも表面的には穏やかに言葉を紡ぐ。一家の長である勝馬に向かって。
 挑戦を完璧に無視された勝利が、父の隣で激しく音を立て息を吸った。
 身を乗り出し、今にも何か言い返そうとする長男を、勝馬は目で制した。勝利が不満げに唇を引き結ぶ。

「………と。仰いますと?」
「陛下が王となられることは、生まれる前から決まっていた。すなわち、ユーリ陛下は生まれながらの王であらせられる。もちろん、本来我が国に生まれ、お育ちになられるはずだった」

 あなた方は紛れもない魔族、同胞だ。
 フォンヴォルテール卿が冷静に続ける。

「だが、現在あなた方は我が国の民ではない。当時の情勢がそれを許さなかったとはいえ、実際に我が国と関りのないあなた方が陛下を生み、これまで育ててくださったこと、眞魔国宰相として眞魔国の民を代表し、心から御礼申し上げる」
「……………」

 勝馬は改めて向かい合う美丈夫を見つめた。いや、思い切り睨みつけた。
 勝利の握った拳に改めて力が籠もる。
 コンラッドとは全然似てないシブ系美青年は、わずかも表情を動かさず、冷静に勝馬の視線を受け止めている。

 ……この相手は。
 おそらく勝馬が考えたと同様に「尋常な」挨拶をしたつもりなのかもしれない。
 あくまで、「眞魔国宰相」として。

 勝馬達渋谷家の家族にとって、有利が自慢の次男坊であることが当たり前の様に、彼らにとっての有利は「ユーリ陛下」でしかないのだ。
 「渋谷家の人々」は、緊急避難として地球にやってきた王が、即位するまで家族として暮らしてきた人々。
 おそらくその程度の認識しかされてない。
 だから「自分達の王を育ててくれた」と礼も述べるし、彼らの意識からすれば「見当違い」の怒り─勝馬の目からみても、少々先走りだったし、勇み足でもあったが─をぶつけてくる勝利を、礼儀正しく無視することもできる。
 自分と同じ様に感じたのだろう、隣の勝利の眉間に深い皺ができている。口元の歪み具合からすると、この長男の「ムッとし具合」は相当なもののはずだ。
 案の定、勝利がソファから勢いよく身を乗り出した。

「あんたなあ……!」
「ああっ、あのっ!」

 慌てて割って入った次男坊に、全員の視線が向く。

「……えと……」

 有利がどぎまぎと顔を振る。

「で、もってぇ……どうしてここに? まずそれを聞きたいなって……」

 愛する弟に目でお願いされて、勝利の動きが止まった。

「しょーちゃん、座ろう。ちょっといきなり過ぎだよ。だろ?」

 勝利がムッと眉を顰めた。だが言い返すことはせず、荒々しくソファに背を戻した。


□□□□□


「野球の試合見物ぅ!?」

 有利が素っ頓狂な声を上げる。

「そ、そりゃ、1週間後に県大会の予選があるけれど……そのために!?」
「それは、こちらに来ることに決めた切っ掛けにすぎん」

 煙るような金色の美少年が腕を組み、高飛車に言った。
 天使のような、ファンタジー系美少年に合った、繊細で愛らしい声と口調と仕草を期待していたはずの妻はちょっと残念そうだ。有利は慣れているのか、全然気にしていない。

「…てーと?」

 有利がきょとんと首を傾げる。

「兄上が今仰せになられた様に、こちらにも一度は挨拶が必要だろうと考えたのだ。コンラートにばかり任せているのも心もとないしな。それで……それ以前に母上が……」
「ツェリ様が?」

 きゅっと眉を顰める美少年、フォンビーレフェルト卿を有利が見返す。

「一度は陛下がお暮らしの世界を見てみたいって、私、ずーっと考えてましたのよ!」

 でかい息子が3人もいるとは到底思えないゴージャス美女が、弾むように、実際ソファの上で弾みながら言った。彼女もまた、渋谷家一同の戸惑いを気に掛けてはいないらしい。

「なのに、全然機会がなくて。それに私、あちらでの旅行にもちょっと飽きてきましたの。この頃刺激が足りなくて……」

 退屈しのぎかい? 思わず飛び出しそうになった勝馬の声は、意外と察しのよい次男坊にまたも遮られた。

「あのっ、それで、1週間以上もここに? えっと、泊まるのは…ホテル?」
「お宿のこと?」3兄弟の母がにこやかに応える。「建物も中のお店もなかなか素敵なのよ、陛下。どのお部屋からも海が見えるし、大きな橋も見えますの。夜は灯が点ってとっても綺麗!」
「どこの……」
「お台場です」

 ダイニングからコンラートが答えた。

「前に、皆で泊まった……」

 ああ、あそこ、とユーリはもちろん、勝馬達も思わず納得と頷く。

「今ならそんなに混んでないよね?」
「いえ、ちょっと無理をしました」
「無理って……どうして?」

 スポーツの秋も深まった今日この頃。旅行にも良い季節だが、5人分の部屋を取るのにそれほど苦労は……。

「最上階のロイヤルエグゼクティブフロアを押さえるのが大変で……」
「エグゼクティブ、ルームを……5部屋?」
「いえ、そうじゃなくて、フロアを」
「って………ルームじゃなくて……フロア!? 最上階の部屋、全部押さえたってこと!!?」
「だからコンラートが最初からそう言っているだろう!」

 フォンビーレフェルト卿が腕を組み、ふんぞり返って言った。

「だって! 5人で泊まるのに、どうしてルームじゃなくてフロア!?」

 っていうか、あのホテルのワンフロアって、一体何部屋あるわけ!?

「だってぇ、陛下」3兄弟の母、ツェツィーリエが嫣然と笑う。「お食事の部屋にお茶の時間の部屋、それに私のドレスやこちらの世界で買い揃えたお洋服を入れておく部屋も必要ですし」

 ただでさえ広いエグゼクティブルームを、一部屋まるまる……。

「それだけでも3部屋必要でしたのよ?」

 訂正。3部屋まるまるクロゼットかい!?

「それから帽子や宝石を片付けておく部屋でしょ? 着替え専用の部屋もなくてはいけないわ。部屋数が足りなくて、申し訳なかったのだけれど、クラリスには1つ下の階に下りてもらわなくてはなりませんでしたの」

 ごめんなさいね、クラリス。ツェツィーリエに謝られて、クラリスが「とんでもございません」と頭を下げる。

「…………どういう人種なんだ、一体……? いや、人間とか魔族とかそういうことじゃなく……」
「超セレブ。なんつったって本物の女王陛下だぞ?」
「……あ。なるほど」

 息子に即答されて、勝馬はがっくりと肩を落とした。それから向かいのソファに座る3人を、そしてその向こう、ダイニングの椅子に座るコンラッドに目を向けた。

 ……コンラッドは自分達と同じ目線で世界を、自分達が生きるこの世界を見ることができる。自分達と感覚を共有できる。
 そのコンラッドの親兄弟だと思うから勘違いしたのだ。だから発言に反感だって抱くし、言い返そうと思うし、考えを変えてやろうと思うのだ。
 だが、コンラッドとここにいる親兄弟達とは根本的に違う。生きている世界が、異世界とかそういう意味だけじゃなく、全然違うのだ。彼らに対して反感だの、敵対心だの、持つだけ無駄だ。何もかも、違いすぎる。

「……だからどうしてこんなのがウチのリビングにいるんだ……?」

「あなた方にご迷惑をお掛けするつもりはない」

 フォンヴォルテール卿が、重々しく宣言する。

「陛下の試合を観せて頂いた後は、速やかに我等の世界に戻るつもりだ。とにかく一度はきちんとご挨拶したいと思って参っただけなので、あなた方もどうか我々のことは気にしないで頂きたい」

 気にしないで済むのだろうか。
 何となく不穏な空気と不安を孕みつつ、眞魔国上王陛下の家族旅行が始まった。


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アスラン様から頂戴いたしましたリクエスト作品、第1話でございます〜。
さんざんお待たせしてて、全然話が始まってないし……。
それに、皆が野球観戦に来て、地球旅行を楽しむという軽いノリでいけそうなお話なのに、またまた何だかめんど臭い展開が入っているし。
でも、できるだけ軽やかに進めていきたいなーと考えております。

あ、タイトルは、アメリカのあの有名な歌、「私を野球に連れてって」の原題をちょっと変えたものです。
「私たちを野球に連れてって」になってます。
本当はこれをタイトルにしようかと思ったのですが、イマイチ語呂が悪い気がしまして(汗)。

舞台が秋になっていることに、驚かれた方もいらっしゃるかも。
本当は今の時期に合わせて春にしようと思ってました。渋谷有利君、高二の春。
でも、登場人物とその後の展開を考えると、それでは話が全く合わないことにハタッと気づいてしまいました。
クラリスを出した以上、「彼」だって出てくるわけで、とすると、これは絶対「愛し君へのセレナーデ」より後にならないと話が成り立たないわけです。
なので、私の感覚としてはこれは未来話だったりします。大した未来じゃありませんが、私の感覚では「現在」はまだ「「恋」の途中ですので……。

とにかく新作が始まりました。頑張ります。
ご感想という名のエネルギー、心からお待ちしております!