精霊の日・6 |
「……じゃあそういうことで……頼むぞ」 「任せなって。そっちは俺の本職なんだからよ」 砦の外、練兵場に向かう道を、コンラートとヨザックが並んで歩いていた。 「………それにしても、ヨザ」 「何だ?」 「今回の設定は、その、かなり無理があるんじゃないのか? むしろ女装の方が……」 「なーに言ってんだよ。今回はクラリスがいるだろうが。つーか、どこが無理だってんだよ。銀のお盆以上に重いものを持った事のない、礼儀作法ぱっちり、教養溢れんばかり、おまけに背が高くていい男で、言う事なしの執事じゃねーか」 はあ、とコンラートはげっそりとため息をついた。 「それにしても」話題の変換の必要をひしひしと感じて、コンラートは口を開いた。「よくグウェン達が許したな。ユーリがこんな場所にやってくること……」 「許してねーよ」 「…………………え……?」 「坊っちゃんがどれだけ頼んでも、宰相閣下も王佐閣下も絶対に首を縦に振らなかったさ。当たり前だろうが」 「………え……?」 「家出だよ。決まってんだろう。置き手紙して、血盟城を飛び出したんだよ。深慮遠望過ぎてまるで底の見えない御方が、快く協力なさってな。で、その猊下のご指示で、俺とクラリスが付き添って、勢い余ったヴォルフラム閣下とツェリ様が合流した訳だ」 思わず。コンラートは頭を抱えてその場にしゃがみ込んだ。 「よかったなー。情熱的な恋人持って。うらやましーぜ、た・い・ちょ・おっ」 ヒューヒュー。 …………コンラートが復活するまで、それからしばらくの時間を要することとなった。 途中何度もため息をついて、ようやくユーリ達がいるらしい練兵場に到着、した途端、コンラートの目が大きく見開かれた。 「……あれまあ………あははっ」 さっすが俺達の坊っちゃん。ヨザックが破顔する。そしてコンラートもまた、呆気に取られた顔をすぐに緩ませ、何とも言えない深い笑みを頬に浮かべた。 野球だ。これは間違いなく、野球だ。 いびつなダイヤモンド。見なれた守備体形。ピッチャーマウンドに立つアリー。ホームベースにはユーリ。荒削りのバットらしきものを構えて、バッターボックスに立つのはバスケスだ。 アリーが投げる。少々崩れてはいるが、初心者とは思えないピッチングフォーム。ボールは山なりに、だが余裕を持ってユーリの元まで届きそうだ。それを打ち返そうと、バスケスが棒を思い切りよく振る。垂直に。 「三振っ! バッターアウト! ってか、それじゃあボールを打ち返せねーから。……はい、交代!」 キャッチャーが、審判も兼ねているらしい。ではユーリの真後ろにクラリスがいるのは、ただ立っているだけなのか? 確か、ルールは熟知しているはずなのだが……。あれこれ考えつつも、コンラートは足取り軽く、そこへ近づいて行った。 「……あ、コンラッド!!」 ユーリが気づいて手を振る。広場にいた全員が、ぱっとユーリの視線の先を追い、ざっと姿勢を正した。 「ひどいな、ユーリ。俺に黙って野球やってるなんて。……俺も仲間に入れて? ね?」 嬉しそうに笑みを浮かべて、コンラートが自分自身を指差した。……やっぱりコンラートは、やきゅーが大好きなんだ、と、たまたま練兵場にいたおかげでこの事実を知る事のできた兵士達は、心の中でガッツポーズをキメた。 「うん、もちろん! 入って入って!」 「だったら俺と変わってくれ」 いきなりそう口を挟んだのはクロゥだった。ちょっとげんなりした様子で、バットらしき棒をコンラートに差し出す。 「次が俺の打順だそうだ。喜んでお前に譲る。やってくれ」 「……くーちゃんはまたすぐそーゆー……」 まだその呼び名を使っているのかと、心の中で苦笑しつつ、コンラートは棒を受け取った。膨れっ面だったユーリが、すぐに笑みを浮かべてコンラートの側に寄った。 「ね、アリーさ、すっごくコントロールがいいんだよ。絶対いいピッチャーになりそう!」 「ああ、そうみたいだね」 コンラートはバットを構えつつ、バッターボックスに入った。そしてバットの先端をすっと真直ぐアリーに向かって伸ばす。 「才能あるぞ、アリー。さっきもいい球だった」 ユーリに対してと同じくらい明るくて優しい笑みを向けられて、アリーは思わず胸を高鳴らせた。 「そっ、そう……っ?」 「ああ。でも俺には通じないな」 かつてないほど、悪戯な少年のような声。アリーは湧き上がる楽しさに、頬をバラ色に染めた。 「言ったわね! サンシンに打ち取ってやるわ。覚悟しなさい、コンラート!」 本当にそんなコトができるとは思ってもいないけれど。それでもアリーは力強く振りかぶった。 ぱこーん。 どうにも間の抜けた音が響く。だが打球は思いのほか伸びていき、野手の頭をはるかに越え、広場の向こう、枯れた雑木林の中に落ちていった。 「……ホームラン!! はい、このようにー、絶対取れないくらい遠くに飛んだ場合ー、ホームランといいますー。ホームランを打った打者は、無条件で塁を回って、点を入れるコトができますー。前の打者が塁に進んでいた場合には、その人も無条件でホームに戻る事ができますー。つまりー、ホームランを打てば、一気に点が入るコトになりますー。さ、コンラッドさん、回って回って」 はいはい、とコンラートが一塁に向かって走り出す。 さすがー、と、守りについた者も見物している者も、揃って手を叩き、歓声を上げている。 「………一体こやつらは何をやっているのだ……?」 おや、とクロゥが振り向いた先には、クォードが立っていた。 クォードは、クロゥの側に立っているヨザックを、眉を顰めて一瞥し、それからどういう意味があるのかさっぱり分からないが、走っているコンラートに視線を移した。 「野球というのです。眞魔国で盛んな遊びですよ。あの……ユーリ、が、先ほどから皆に教えているんです」 「………戦の役に立つのか……?」 「あんまり関係ないですわねえ」 揶揄するようなヨザックの声に、クォードの眉がさらに歪んだ。 「ならばこのような事、無駄ではないか!」 「遊びは遊びですが、無駄とは違いますわよぉ」 にっこりと笑うヨザックに、クォードの引き締まった唇がぴくぴくと震える。そしていきなり、いら立ちを全身に漲らせて、クォードはユーリに向かってずかずかと歩き始めた。 ふと気づくと、新しい顔がやってくる。ユーリはにっこりと笑った。 「ごつくて、ど派手なおっさん! あんたもやる?」 クォードの歩みが、ぴたりと止まった。………今、この小娘は何と言ったのだ……? 「大丈夫だよ、ちゃんと教えてやっから。こっちに来て!」 「…………………娘!!」 言葉の意味がさっぱり脳に浸透しなくて、ユーリはしばらくきょとんと彼を見ていた。 「………むすめ……? ……俺………?」 突然現れた殿下に、兵士達は緊張を隠せない。黙りこくって二人を見つめている。 「……殿下」 きちんとホームベースを踏んでから、コンラートがユーリの側に立った。 「…コンラート! おぬしの養い子は、礼儀に欠けているのではないのか!? 一体誰がおっさんだっ!!」 「………………………………筋肉質で、ちょっとコワイ系の美男子で、色遣いの激しい……おじさん……?」 「………それは、訂正になっているのか……?」 「えとー……」 「そもそも! 俺はおじさんなどではない! 貴様、魔族だろうがっ。お前達に比べれば、俺は遥かに若いわっ! コンラートの年齢と、俺の年齢を比べて考えてみろっ」 「あ、それ違うから! コンラッドの年齢は、魔族的には若造だからっ。まだまだ青いねーって、言われたりしてんだからっ。コンラッドはまだ、青春真っ盛りの青年なんだよ! ……でもって。あんた幾つ?」 「…………俺は、今年30歳だ」 「おっさんじゃん」 「違うだろうがあっ!!」 魔族の100歳は若造。人間の30歳はおっさん。分かりにくいようで、切ない程分かりやすい、と、ヨザックはしみじみ心に頷いた。 「それにしても派手ー。きらっきらしてんなあ。ねえ、鏡で自分を見たら目が痛くなんない?」 年齢の話題は、ユーリの中でもう完全に終わったらしい。 「きっ、貴様……っ! …………様々な色の布を組み合わせるのは、我が祖国の民族衣装だ! 宝石も、この衣装になくてはならんものなのだ! これはなっ、派手というのではない! 優雅と表現するのだ!」 「………ゆーが……」 ふーん、と軽く流す。 「ま、そんなコトいいや。それよかさ、野球やんない? 楽しーぜ? な、おっさん!」 ぐぐぐぐぐ、と怒りのオーラがクォードの周囲に立ち上る。 「………魔族の遊びなんぞに耽溺してたまるかっ、馬鹿もの!!」 怒鳴り付けると、くるりと踵を返し、クォードは足音も荒々しく去っていった。 「………何しにきたんだろう、あのおっさん……?」 首を傾げるユーリに、コンラートが苦笑を浮かべながら嗜めた。 「でもね、ユーリ? 初対面の人に向かって『おっさん』はよくないな」 あ、とユーリが声を上げる。 「そっかー。そうだよなー。……俺ってば、つい楽しくって調子に乗っちゃって。あのおっさんに悪いコトしちゃったなー。……ねえ、コンラッド。あのおっさんのコト、なんて呼べばいい?」 「……うーん。………おじさま、とか?」 それでもクォードは絶対喜ばないだろうと思い、そしてどうして「殿下」じゃダメなんだろうとも思い、でもなぜか口を挟めないギャラリー一同だった………。 「ね、コンラッド。キャッチャー代わってくれる? 俺、審判やるから」 いいですよ、と軽く承知して、コンラートがバッターボックスの後ろに腰を下ろした。 「……はーい! 続けよっかー。えーと、次の打者はぁ…?」 「あたしだよ」 大柄な女性が、ずい、と前に出てくる。 「エスト。君も参加してたのか?」 コンラートの声に楽しそうな笑いが混じる。 「新しい事に興味を持つのは、若さの証拠さ。それにこの子猿ちゃんがさ……」 「猿じゃないっ!」 「可愛いって言ってンだよ、お嬢ちゃん。……この子がくるくる駆け回ってんのを見たら、もうちょっと近くに寄ってみたくなっちゃってさ。そしたら何だかこんなコトになっちまった」 言葉の割にはエストレリータも楽しそうだ。 「さっきのコンラートみたいに打てば良い訳だね。簡単だよ」 アリー! と、ピッチャーマウンドに立つ少女に声をかける。 「しっかり打ち返してやるからね。思いきり投げな!」 「今度こそ、ぜーったいに負けないわ! 行くわよ、エスト姐さん!」 始めます! とユーリが腕を上げて宣言する。 「さあ、来い、アリー!」 コンラートに声を掛けられ、アリーは嬉しそうに頷くと、再び大きく振りかぶる。 ここで。コンラッドに会いたい一心でやって来たこの土地で、人間達と一緒に野球ができるなんて思ってもいなかった。 ─ものすごく。嬉しい。それに、楽しい。……………だけど。 ユーリはそっとしゃがむと、地面に掌を当ててみた。 「……ユーリ様? 如何なさいました?」 傍らに立っていたクラリスが、怪訝な声を掛けてくる。 「ううん。何でもない」 立ち上がって、審判に戻る。 やっぱり。 ここは。空っぽだ。 「……どうぞ、ツェツィーリエ殿」 「ありがとう」 お茶とお菓子を前に、ツェツィーリエが優雅に微笑んだ。 本当に美しい女性だ。そして、優雅さと気品に溢れている。この華麗にして艶麗、まさしく高貴な氏育ちに間違いない美貌の女性から、あのコンラートが生まれたのだと思うと、何やら運命の不思議に思いを致してしまう。 エレノアはしみじみと、自分の真正面に座る魔族を見つめた。 昼前の一時、部屋にはエレノアとツェツィーリエの他、ダード師とカーラが同席していた。ダード師は実に楽しそうだが(これが美女を前にした男の反応なのだとは、友人としてエレノアは認めたくなかった)、カーラの表情は幾分硬い。 「新生共和国軍、でしたかしら? ……もうほとんど大シマロンの残党を片付ける事ができたそうですわねぇ。おめでたいことですわ。それで? いつ頃、新政権の樹立を宣言なされるのかしら? その暁にはぜひ、我が眞魔国との国交について、真剣にお考え頂きたいものですわ」 ゆったりと笑みを絶やさず、美貌の魔族がそう言葉を紡いだ。 「………それは。そちらの国主殿が、どのようにお考えかにも寄ると思いますが……?」 あえて、「魔王」とは言わなかった。魔族を前にして軽々しく口にできるほど、エレノアの中で彼らは親しい存在ではない。……コンラートは別だ。コンラートは……魔族の血を引く、人間なのだから。 「あら。偉大なる私たちの魔王陛下は、人間との対等な共存共栄を願っておられましてよ? ……コンラートからお聞き及びではないのかしら?」 「………え?」 「あ、いや、その件のつきましては、コンラートから確かに聞いております」 「…ダード…!?」 思いも掛けないダード師の言葉に、エレノアとカーラは思わず長年の同志を凝視した。……ダード師が、どこか気まずそうに咳払いをする。 「あ、いや、誤解を招くといかんと思ってな……。期が熟すまで黙っていた方がいいかと……。魔族に関しては、我らの中でもまだまだ誤解や偏見が多い訳だし……」 口ごもりながら、つっかえつっかえ言い訳するダード師というのは、今まで見た事もない。エレノアは、きゅっと眉を顰めた。 「……事は国家の有り様に関わる重大事ですよ、ダード。眞魔国の国王殿がそのようにお考えであるというなら、盟主である私に、何より先にお知らせ頂かなくては」 「お祖母様の仰る通りです、老師。…どうして…?」 いや、それは、とダード師がさらに言葉を濁す。そこへ、おほほ、と軽やかな笑い声が割って入った。 「ダード様は、あなた方のお心を思いやられたのですわ。そうでしょう? ダード様。なぜなら………ねえ、エレノア様? あなたはコンラートを、この国の王にしようとお考えでいらっしゃるとか?」 ハッと、エレノア、そしてカーラは、コンラートの母親を見返した。ツェツィーリエは、全く変わらず、ゆったりと余裕の笑顔のままだ。 「伺っておりましてよ。以前、息子がこの地におりました時に、あなた方はコンラートに王になるよう迫ったそうですわね?」 「迫ったなどと……。コンラートはベラール王家、この元シマロンの土地の真の支配者の直系です。唯一の。そして王の資質を持った立派な人物です。王にと望むのは、おかしな事ではございますまい。例えお母上といえど、それを否定なされるのは如何なものでしょう」 「否定などいたしませんわ。息子に王の資質がある、と評されるのは、母としても嬉しい事。でもね」 ふふ、と、何かを思い出す様に、ツェツィーリエが笑った。 「ダンヒーリーにとって、王家の血筋などという話題は、せいぜいが酒のつまみ程度のものでしかありませんでした。コンラートに至ってはなおさらの事。なぜなら、コンラートにとって、人間の血筋など何ら意味のあるものではございませんもの。コンラートは……魔族なのですから」 エレノアが、ひゅっと鋭く息を吸い込んだ。顔が強ばるのが、自分でも分かる。 言い返そうと口を開いたエレノアより早く、ツェツィーリエに反論したのはカーラだった。 「いいえっ、コンラートは人間です! コンラートが、彼が魔族だというなら、どうして、そうです、どうしてコンラートは今! ここにいるというのですっ!?」 言い返せるものなら言い返してみろ。カーラは身を乗り出し、テーブルに手をついてツェツィーリエに迫った。だが、悠揚迫らぬツェツィーリエの態度に、何も変化は起きない。それどころか、何やら可笑しそうにくすくすと笑っている。そして。 「コンラートは、連れて帰らせて頂きますわ」 「……なっ……!?」 「もうほとんど大シマロンの残党や、小シマロンンの脅威は去ったのでしょう? 後はあなた方、人間の問題。そろそろ魔族であるコンラートに頼るのはお止め下さいましね?」 「コンラートは……っ!」 「コンラートは」 ツェツィーリエは優雅にカップを持ち上げ、そして紅茶を一口啜った。 「結婚を控えておりますの。国元では仕立て屋が大挙して、晴れの衣装を縫い上げようと、コンラートの帰りを今か今かと手ぐすね引いて待っております。………息子の幸せを、邪魔しないで下さいましね?」 「残念! 俺達午後から哨戒任務があるんだよなーっ」 兵士達の数人が、悔しそうに拳を握る。 「……それは、ま、しょーがないじゃん? 時間はたっぷりあるし、また一緒にやろうぜ?」 シマロン風コッペパンを頬張りながら、ユーリは言った。 お昼時。 一般の兵士達とすっかり意気投合したユーリは、まだまだたくさん話がしたいと、結局お昼を下級兵士と一緒に取る事にしたのだ。 屋外、砦のあちこちで、昼食の鍋が火に掛けられている。 コッペパンとチーズと野菜のスープ、そしてお茶。パンは甘味より塩気が強いし、チーズは固いし、スープの野菜はほとんど切れ端ばかりだし。でも、できたばかりの友達と、わいわい話を弾ませながら食べる食事は美味しかった。兵士にとっても、コンラートやアリー、レイルといった面々と、一緒に食事ができるのが嬉しくて仕方がないらしい。食事の間もぞくぞくと人が集まり、いつの間にか彼らの周囲はかなりの人垣ができていた。 細かいルールはまだ全然だが、とにかく投げて、打って、走る、という基本中の基本は押さえる事ができた。初めてにしては、かなり覚えがいいような気がする。こうなれば、最初に色々口で説明するよりも、いっその事、試合形式で実践の中で覚えていった方がいいかも知れない。 久し振りにわくわくと、ユーリは午後からの野球教室の進行について思いを巡らせた。 「なあなあ、ユーリ?」 確か、ゴトフリーという名の少年兵が声をかけて来た。 「眞魔国には、幾つもやきゅーのちーむがあるの?」 おう、とユーリが元気に答える。 「色んな地方の、街とか村とかに結構あるぜ。そんで、1年に1回、眞魔国リーグが開かれるんだ!」 「眞魔国りーぐ……?」 「そう! 国中のチームが王都に集まってさ、眞魔国一強いチームがどこなのか、試合をするわけ。みんな、自分の街とか村とか代表してくるワケだから、そりゃもう必死でさ。応援団もすっごく賑やかなんだ! 優勝したらパレードなんかも行われて、一番活躍した選手の表彰なんかもあって。とにかくリーグの期間中は、王都はもちろんだけど、眞魔国中が盛り上がるんだぜ!」 「……その、りーぐ、で優勝するって、名誉なことなのか?」 「そりゃもう! 優勝すれば出身地の誇りになるし、最優秀選手に選ばれたりしたら、国中から英雄って呼ばれるんだよ!」 へえ、と、よく分からないなりに、人間達が感心したような声を上げた。それでもかなりの者達が首を捻っている。遊びで英雄になるというのは、一体どういう事なのだろう? と。 「………コンラートも、ちーむというのに入っているのよね?」 アリーの質問に、コンラートが頷いた。 「ああ、そうだ。……国で最初にできたチームに所属してるよ」 「コンラッドはピッチャーなんだ!」 「え? そうなの!?」 本日同じくピッチャーになったばかりのアリーが、思わず声を上げる。 「そうそう。それに……今じゃ、人間の国にもかなりチームができてさ」 「人間の国に?」 「うん。カヴァルゲートとかカロリアとかフランシアとか…。眞魔国リーグにも参加してるよ。カロリアなんて、かなり強くなってきてて……」 俺さ。 ユーリの口調が、ふと変化した。 「こういうのがいいなって思うんだ」 皆が揃って首を傾げる。 「祖国を代表してとか、国の名誉を担ってとかさ。……大シマロンで、前にテンカブがあったよね? 最初の論文だとか、競走とかは分かるんだ。でも、結局最後は武器を持っての闘いが本番っていうか、クライマックスだっただろ? …俺さあ、人を傷つけたり、死なせたりする先に国の栄光がある、みたいなの……間違ってんじゃないかって思うんだ」 そんなんじゃなくてさー。 ユーリがフッと空に視線を向けた。 「剣を持てる者だけが、国の栄誉を担うのも変だと思う。やっぱり俺は、スポーツが一番分かりやすいって思ってるんだけど……」 「……すぽおつって何なの?」 質問されて、ユーリは腕を組み、頭を捻った。改めて質問されると、これが中々説明し辛い。 「えっとぉ……。運動…っていうと、こっちじゃ軍事訓練になっちゃうんだよなぁ…。ええと、まあ、何ていうか……、野球みたいに身体を使う遊び、って言っちゃってもいいかな? 子供からお年寄りまで、それから身体に障害を持ってる人でも、それぞれできる種目があるんだよ。駆けっことか水泳とか、な? そういうのなら分かるだろ? それから、想像しやすいので言うと……、あ、綱引き! こんな太い綱を両側で引いて、引っ張られちゃった方が負けとかね。駆けっこも、ただ走るだけじゃなくて、障害物競走とか、借り物競走とか。パン食い競走ってのもありだな。ここでもすぐできるよ」 そう言うと、ユーリは障害物競走に借り物競走、そしてパン食い競走についてきっちりと説明した。 「……よく分からないんだけど、ユーリ。それと国の栄誉を担う事と、どう関係する訳?」 「だからさ! 皆が自分のやりたいって思う種目に参加して、それで競い合うんだよ。村とか街とか国を代表して!」 その言葉に、全員が一斉に目をぱちくりとする。 「あの、ユーリ? ぶら下がったパンにかぶりつく早さを競っても、国の栄誉になるとは思えないんだけど……?」 おずおずとレイルが口を挟んだ。皆がうんうんと頷いている。 「…あ、いや、確かにパン食い競走は運動会レベルで、オリンピック競技じゃないんだけどー……」 国際大会と運動会をごっちゃに説明したのはまずかった。 「ユーリが言いたいのはね」コンラートが笑いながらフォローに入る。「スポーツというのは、力や技を競うものではあるけれど、武人でなくてもできるし、誰も傷つかない平和的なものなんだ。ユーリの言う競技大会は、純粋に磨き上げた技を披露する場で、むしろお祭りに近いかな? だから様々な国、様々な年代の、たくさんの人々が一堂に集って、力や速さや技を競い合う事で、魔族も人間も、それぞれがお互いを理解しあったり、友情を育んだりすることができて、結果として、世界が平和になるじゃないか、っていうことなんだよ」 「そうそう! そういうことなんだよ!」 ユーリがぶんぶんと頭を上下に振っている。 「まだ野球だけだけどさ。俺、夢があるんだ! もっともっとたくさん競技を増やして、色んな国にそれを広めて、そして世界大会ができたらいいなって! そう、お祭りだね。スポーツの祭典! そうやって触れあって、理解しあって、魔族も、人間の色んな国も、仲良くなっていけたらいいなーって!」 「……みんな……仲良く……?」 「そうっ!」 「戦のない世界……?」 「そうそうっ!」 にこにこにこにことユーリが笑っている。 「………ねえ、ユーリ?」 アリーが静かに口を開いた。 「そんなことで、戦のない世界ができるって、あなた、本当に信じてる……?」 「もちろんっ!!」 アリーもレイルも、そして他の兵士達も、皆まじまじとユーリを見つめていた。 「俺も、信じてるよ」 「コンラート!?」 コンラートが、皆の凝視を真正面に受け止めて、そしてとてつもなく深い笑みを投げ返した。 「人を傷つけ、殺しあう世界は、何かが間違っている。そんな事は誰もが知ってるはずだ。確かにこれまで世界は戦を繰り返してきた。だからといって、これからも繰り返さなくてはならないとは限らないだろう? 戦を止めて、皆が平和に暮らしていける世界を作ろうと、真剣に考える事はちっともおかしな事じゃない。少なくとも、今俺達が必死で戦っているのは、一刻も早くこの土地を平和な国にしようと思っての事じゃないのか? その俺達が、戦のない世界、平和な世界を疑ってどうする? 俺は……人はそれが成し遂げられない程無力でも愚かでもないと信じているよ」 「………コンラッド……!」 ユーリが頬を紅潮させて、幸せそうな笑顔でコンラートを見上げている。そんなユーリを、コンラートもまた、優しい笑みを浮かべて見つめている。 そして、アリー達は。 ………いつか、本当に。そんな世界を、自分達のこの手で、作り上げる事ができるのだろうか。 胸の奥に、再び心地よいざわめきが蘇る………。 お昼を終えて、任務のある者は任務に。時間のある者、新たに希望する者はユーリ達と連れ立って、練兵場へと向かった。 やはり仕事のあるコンラートは、彼らと別れて移動している。 「午後は会議があるから、私とレイルは、あっと、エスト姐さんもそうだけど、途中で抜けるわね」 「うん、分かった」 たわいない話を繰り返しながら、彼らは練兵場への短い距離をのんびりと歩んでいた。だが。 「………あれ……?」 突然、ユーリが立ち止まった。 「…どうしたの、ユーリ?」 ユーリは答えない。答えないまま、じっと、まるで耳を澄ます様に、虚空に視線を向けている。 「ユーリ様? 如何なさいました?」 クラリスが心配そうに声を掛ける。それでも。ユーリは答えない。 「……ユーリ様?」 「………………聞こえる。…………呼んでる……」 「呼んで? ユーリ様、いった……ユーリ様っ!!」 「ユーリ!?」 ユーリがいきなり走り出した。 己で決めたルートの見回りを終え、クォードは砦への帰途についていた。 それにしても。クォードは苦々しく、ある顔を思い出した。 何なのだ、あの娘は。とてもコンラートが育てたとは思えん。というか、娘とも思えん。あの傍若無人、無礼極まりない物言いときたら、どこをとっても市井の少年のものではないか。いくら魔族とはいえ、とても貴族の娘とは………。 「……何だ、あれは……?」 枯れて白茶けた雑木林の中、かつて小さな湖、というか、大きめの池があった辺りに、何やらうごめく影がある。 「………間者、か……!?」 クォードはそっと馬を下り、剣を抜いた。そして、ゆっくりと近づいていく。 「……おっかしーなー。絶対この辺だって思うんだけどなー……」 クォードの足が止まった。聞き覚えのある声。今度は足音を隠さず、ずかずかとそこへと向かう。 「……小娘……」 クォードの目の前、樹々が切れ、不自然な程広く空いた、そして緩やかに落ち窪んだ空間の真ん中で、子供が1人、地べたを這いずっていた。 両手を枯れたかつての池の底に当て、何かを探る様に這い回っている。 「……娘!」 「どこかなー。間違いないんだけどなー」 「聞こえんのか、おい、コンラートの養い子!」 うーん、うーん、と唸る声に、クォードに気づいた様子はない。イライラと、クォードはくぼ地の中に歩を進めていった。 「いい加減にしろっ、この馬鹿ものっ!!」 「ひゃあぁっ!」 真後ろでいきなり怒鳴り付けられて、ユーリは悲鳴を上げて飛び上がった。そしてくるんっと振り返る。 「……あ、おっさん!」 「…きっ、きさまぁ……」 「あっ、ゴメン! 悪かった、ゴメンなさい!」 あの後、コンラッドに叱られてさ。 ユーリが殊勝にそう言って、もう一度「ごめんね」と、ぺこんと頭を下げた。 「初対面の人に『おっさん』なんて言っちゃいけませんって」 当然だ。クォードが頷いた。 「だから言い直すな。えっと。さっきはホントにゴメンなさい。『おじさま』!」 「…………………………」 コンラートとは、近い内にきっちりと話をつけなくてはならんだろう。 そう心に決めると、クォードは深く息を吐いて、改めてユーリを見返した。 「………で? ここで一体何をしていたのだ? いくら砦に近いとはいえ、外は決して安全とはいえんのだぞ」 「え? あ、そうなの? あ……ごめんなさい。その、ちょっと気になる事があって……」 「気になる事?」 「うん………何かさ………精霊が、この辺り全然いないみたいなんだよね」 チッ、と鋭い舌打ちの音。 「………?」 「……精霊などと。コンラートもそうだが、お前達魔族が言う、その精霊とは何なのだ!? それがなくては世界が滅ぶなどと言いおって……。言っておくが俺は、自分の目で確認できんモノを信じる事はできんぞ!」 「うん。俺もそう思うよ」 「……何だと?」 「おっさ……おじさまの言うその気持ち、俺もその通りだと思う。……俺も、頭悪いからあんまりうまく説明できないんだけど……精霊って、その、何つーか、この世界っつーか、自然つーか、そんなものの命っていうか、世界そのものが持ってる意志、っていうか……」 「……世界の、意志……?」 ますます分からん。憮然と呟くクォードに、ユーリもうーんと唸った。 「だよなー。分かんないよなー。……例えば、だけど。心をなくして、意志も、感情も何もかもなくして、ただ心臓が鼓動してるだけの身体を、生きてるっていうかな? 心が空っぽで、何も見てない、何も考えてない、何も感じてない、動いてるのは心臓だけって身体でも、人として生きているって言えると思う?」 それは、と口を開いて、クォードはきゅっと眉を顰めた。 「今この土地はさ、そんな状態なんだよ。生きて、季節と共に営みを繰り返して、命を次に伝えて。そんなことが全然できずにいるの。命が、生きる意志である精霊が、死に絶えてしまったから……。でも何だかね、この辺りに集まってるものを感じるんだなー」 「集まってる?」 ユーリは、何かを確かめる様にゆっくりと歩き始めた。 「うん。……それを見つけて、強い力を注いでやれれば、この辺り一体の自然の生命力を、蘇らせる事ができるん……わきゃっ」 慎重に歩みを進めていたはずだったのに、何に躓いたのか、いきなりユーリが転んでしまった。 ふぎゃあ、と地面に腹ばいになる少女に、やれやれとクォードは呆れたため息をついた。 「一体何をやっとるのだ、お前は……。どうしてこんな何もない所で転べるのだ。ある意味とんでもなく器用だぞ。……ああ、眼鏡が飛んでいるではないか」 転んだユーリから少々離れた場所に、大きな丸メガネが転がっている。 クォードは己の人の良さを嘲いながら、それを拾い上げた。 「ほら。大丈夫か?」 傍らに膝をついて、ユーリに手を差し伸べてやる。 「あ、悪い。ありがとー、おっさん」 また「おっさん」に戻っている。 あーもう泥だらけー。ユーリが情けなさそうに言いながら、身体を起こした。そしてクォードの手にあるメガネに気づくと、ああ、と笑った。 何のかんのと言いながら、親切な男に、ユーリはにっこりと笑った。笑って─。 何の気なしに。ごく自然に。当たり前に。 前髪を。掻き上げた。 「ありがと。おっさん!」 手を差し伸べ、小首を傾げ、にっこりと、それはもう、にっこりと、笑う。 クォードの顎が。 音を立てて、がくん、と落ちた。 プラウザよりお戻り下さい NEXT→
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