精霊の日・2

 ご存念をお聞かせ願いたい。

 会議はコンラートの、そんな一言から始まった。

 砦─かつてはこの土地の領主の居城だった─の、大広間を改造した会議場で、円卓の一角に腰を据えたコンラートは、そこに集まった人々を睥睨して言った。
 大きくも、激しくもない言葉だったが、円卓につく資格を持った指導部の面々も、その周囲を固める中堅以上の幹部─各部隊の指揮官や、様々な役職の責任者達─も、どこか恥じ入った様に揃って面を伏せた。
 それも無理はない。
 ほとんど、コンラートがこの地を離れて直後からなのだ。この組織がこうも弱体化していったのは。
 ただ1人欠けただけで、この情けなくも無惨な有り様。

「ここまでひどい事になっていようとは、さすがに俺も想像していませんでした。噂は…かの地にいても聞こえてきましたが。………それにしても、あなた方は一体何を欲しておいでなのですか?」

 この国土の有り様が、あなた方には見えないのですか!?

 コンラートの声に、厳しさが加わった。
 クォードも、エレノアも、そしてカーラ達コンラートと親しくしている者も、どこか驚いた様に目を見開いて彼を見つめている。
 コンラートの実力─剣士としての腕も、兵士を束ねる指揮官としても─は、皆が認めるものではあったが、以前のコンラートはそれを表に出す事もなく、指導部の中でも常に一歩引いて、かつての王侯や将軍達を立てていた。その彼が、きつい口調で指導部の面々を詰問するとは、誰も予測だにしていなかったのだ。
 いや。
 カーラは思った。
 ダード師、クロゥ、そしてバスケス。この3名だけは、まったく表情を変えていない。特にクロゥとバスケスの二人は、コンラートの後方に立ち、当然といった面持ちで集まる人々を見下ろしている。
 あの時、彼らの間で一体何が話し合われたのだろう? いや、それよりも先に。
 クロゥとバスケスは、眞魔国で何を見てきたのだ?
 気の置けない仲間であったはずの彼らの態度が変化したのは、間違いなくあの時からだった……。

「貴方達が欲しいのは土地なのですか? 領土なのですか? その土地に生命なく、ただ荒れ果てた荒野が広がるだけであろうとも、ただ自分のものだと言える土地でさえあれば、それで満足なのですか!? 貴方方の目には見えないのですか! 民は飢え、傷つき、全ての希望をなくして次々に倒れ伏していく。戦でなくなる命よりも早く、多く、無辜の民の命が失われているのですよ? 大地は乾ききり、水を注いでも潤う事なく、生を育む力をどんどんとなくしている。以前より、荒れ地や砂漠が増えた事にお気付きではないのですか? あれは力を尽くさぬ限り、広がりこそすれ、決してなくなることは……緑が戻る事はないのですよ!?」
 それがお分かりではないのですか!
 そう叫ぶ様に言うと、コンラートは深く息をついて、会議場を見回した。
 一同は、ただ、しんと静まり返ってコンラートの言葉に耳を傾けている。
「………今せねばならないことは、誰がどれだけの土地を切り取るかではありません。かつての栄光だの、華々しいお暮らしだのは、お忘れになる事です。貴方方が所有していたものは、一度完全に滅び去ったのです。二度と戻ってくる事はありません。今ここで考えなくてはならないことは、大シマロンの残党、そして小シマロンの干渉を完璧に排除する事、そして、我々が滅ぼした、この大シマロンであった土地を、民を、生命そのものを、いかに蘇らせるかです。そのために、様々な国家で指導的な役割を果たしていた貴方方が、こうして一堂に会しているのではないのですか? 貴方方以外に、誰がそれをやり遂げられるというのですか? 土地を細切れにして一人占めしても、やがてくるのは破滅だけです」

 一気にそれだけ言うと、コンラートは疲れた様に椅子に背を預けた。ふう、と息をついて、目を閉じている。
「……………おぬしは…では、どうすべきだと思っているのだ?」
 長い沈黙の後、口を開いたのはクォードだった。腕組みをし、厳しい眼差しを宙に向けている。
「……下らない派閥争いや、勢力争いを、先ずお止めになって頂きたい。そして、そう、改めてエレノアを盟主として認め、団結して、この国土全体の復活を計るべきです」
「…確かに、国土が滅びに瀕しているとなれば、派閥争いなどむしろ空しいものよな……。俺も、人の1人、草の1本もない土地の王になどなりたくもないわ。だが……荒れていく土地を復活させるには、具体的にどうすればいいというのだ?」
「それは……」
「その話はまだ早かろう」
 ずっと沈黙を守ったままのダード師が、いきなり会話の中に入り込んできた。
「すべき事を、1つづつ片付けていこうではないか? 先ずは、団結を確認し、サラレギーが付け入る隙を作らぬ事。そして戦略的な計画を錬り、大シマロンの残党を叩いて軍事的安定を国土の内に齎す事。そこからではないのかね?」
 コンラートが頷き、クォードもまた、しばらく考えた後「確かに」と、組んだ腕を解いた。
「方々、如何かね? エレノア?」
「……せっかく皆様がこうして共に卓を囲んでいるのです。それぞれが独立するか否かは、国土が安定してからでよろしいでしょう。……皆様が、私が盟主としてふさわしくないと仰せならすぐにこの場から退きますが、そうでなければ、その時が来るまで、共に団結していっては頂けませぬか?」

会議場に集まった全員が、一斉に頭を下げた。



 コンラートは砦の最上部、物見台に立っていた。
 風が身体を心地よく嬲る。だが、その目に映るものは……。
「……荒れたな、ここも……」
 以前この地にいた時には、まだ緑が残っていたと思う。近くを流れる川からも、せせらぎの音が響いていた。それなのに、ここから見えるこの景色はどうだ? わずかな年月で、水量は格段に減り、森は縮小し、代わりに目立つのは、土と枯れた木々の茶色のグラデーションばかりだ。残った緑にも、生を謳歌する勢いは微塵も見られない。
「…精霊が……死に絶えようとしているのか……」
 大地の、樹々の、水の、様々な自然の精霊達が、この土地で今まさに死を迎えようとしている。
「染み込むものが、怨みを呑んだ人の血ばかりとなれば………それも当然か……」
 だが、人間はそれに気づこうともしない。気づかぬまま、争いを続け、時に自然をその手で壊し、結果、自分達の破滅を早めている。これを救えるものがあるとすれば……。
「…陛下……ユーリ……」
 コンラートは瀕死の危機にある周辺の土地から視線を外し、そして、自分の手を見た。
「………ユーリ」
 固く目を瞑ってできたうす闇の中に、その人の顔が浮かぶ。
「ユーリ……」


 さんざん泣いて。喚いて。疲れ果てる程に話し合って。
 ついにあなたは言った。
『行って。そして、そこにいる人達を助けてあげて。そして……帰ってきて……!』
 目にいっぱい涙を溜めて。服の裾を力一杯握りしめて。
 そして数日。何かを思いつめる様なあなたの様子に、俺はただ見守る事しかできずにいた。だが。
 あの日。
 誘われて出かけたボールパークで。
 抜けるような青空の下。俺をピッチャーマウンドに立たせ、自分はホームベースに佇んで。顔を引きつらせ、緊張にガチガチになって。
 そこで告げられたのは、まるで選手宣誓の様な言葉だった。

『……俺っ、渋谷有利はっ……!』

 思いもよらない、期待することすら己に禁じていた、その言葉。
 呆然とする俺に、あなたは最悪の答えを予想して、真っ青になって俺を見ていた。みるみる内に溜っていく涙。
 ただそれを止めたくて。もう泣いて欲しくなんかなくて。
 とっさに口をついて出た、俺の本心。
 もうずっと、心の底に押し込めていた、表に出るとは、言葉にするとは、決して思ってはいなかったその想いを、俺はあなたに告げてしまった。
 その時、俺に後悔はなかった。なぜなら。ようやく見ることができたから。
 しばらく浮かぶことのなかった、あなたの、満面の笑顔、を。

 そして。あの夜。
 明日には国を出立すると決めた夜。
 あなたは俺の部屋の扉を叩いた。

『……あのさ。俺のさ……、俺の……身体、気持ち悪いって思わない!?』
 何を言い出すのかと驚き、首を振る俺に、あなたは畳み掛ける様に言った。
『こんなっ、男だか女だか、全然分かんない身体、見てもヤじゃない? みっともないとか思わない? こんな身体してても……それでも………』
 縋り付くような、祈るような声で問われて、俺はとっさにあなたを抱き締めた。
 そして、告げた。
『あなたは……この地上の誰よりも、何よりも、綺麗です……! 俺はそう思っています。…ユーリ、身体の形がどうかなんて、何の関係もないんです。俺は……俺は誰よりもあなたを……!』
『…だったら……っ!!』
 むしゃぶりつく様に、あなたは俺にしがみついた。そして。俺も。

 後悔していないと言ったら、少しだけ嘘になる。
 あなたにふさわしいのは俺ではないと、ずっとそう信じていたし、今も……その思いは、あるからだ。
 それでも。
 この手で……あなたに触れた。
 あの温もりを、肌の感触を、衣擦れの音を、あなたの声を、吐息を、俺は何一つ忘れていない。
 あの瞬間、俺を襲った、あの衝動を。成人したての頃の様な弾む思いを。経験不足の若造の様な、制御の効かない熱情を。
 そんな自分を心の隅で嘲いながら、俺はあなたを─。

『……赤ちゃん、できるかな……?』
朝の光の中。顔を真っ赤にして、俺の胸に顔を埋めて、照れくさそうに、そして俺が堪らなくなる程嬉しそうに。あなたは呟いた。
 結婚もしていないのに、俺があなたを妊娠させるはずがないじゃないですか。
 どれほど無我夢中になっていても、それだけは気をつけた。子供など、絶対に孕むことのないようにした。そんな事すら気づかない、無垢なあなた。
『……俺さ、俺……もう、コンラッドのお嫁さん、だよな…?』
わ−っ、恥ずかし−っ! 忘れて、忘れて、聞かなかったことにして!
今度はもう、全身を朱に染めて、俺の腕の中で、身悶えする様に恥ずかしがったあなた。俺にできることは、ただ抱き締めて、口づけて、この滾るような想いを耳に囁き続けることだけ。


 無事でいて。必ず帰ってきて。一日でも一分でも一秒でも早く。帰ってきて。
 泣きながら、そう訴えた、あなた。
 しかし、出立の準備を終え、御前に罷り出た俺の前、玉座に座るあなたに、もう涙はなかった。
『……見事に…使命を果たして、そして…帰ってきて、下さい。無事を祈っています、から』
 元気で、ウェラー卿。
 王の顔で、そして内で渦巻く感情を抑えようとしているのか、めったに使わない言葉遣いで、微笑みすら浮かべて、あなたはそう言った。
 そして俺は、臣下の礼を取り、抱き締めたい思いを懸命に堪えながら、同時に、愕然とした思いを胸に抱いていた。
 単なる錯覚かも知れない、と思った。明けてしまえば、夢としか思えない夜を過ごしたから。その記憶と歓喜が、俺の目を狂わせているのかもしれないと思ったから。だが。

 あなたは美しかった。

 地上の奇跡と呼ばれる程の美貌は、更に透明感を増し、そこに血肉があるとは思えない程の浄らかさに輝いている。少年でも少女でもあるはずなのに、何故か、目の前のあなたは性を持たない、もっと高次元の存在に変わってしまったかのようだ。そのくせ、全身からしっとりと、匂い立つような色香が……。


「コンラート。……コンラート?」
 ハッと現実に返って、コンラートは飛び上がる様に立ち上がった。振り返った先には、きょとんと自分を見るカーラ。
 自分でも不自然としか思えない態度で視線を逸らし、コンラートは顔を擦る様な仕種をした。…頬が熱い。
「なんだ? こんな所でうたた寝でもしていたのか?」
「え、あ、…ああ、まあ」
 俺は一体何を考えてるんだ……!
 コンラートは胸の内で己を罵った。
 この荒れた大地を悼み、その復活について考えていたはずだったのに。それなのに……。
「……お祖母様が驚いていた。あなたが、あんな風に声を荒げるのを初めて見たと言って…」
「…俺は、元々そんな穏やかな男じゃない。カーラは知っているだろう?」
「戦場ではな。だが、普段はそうじゃない。いつも冷静で、穏やかで、紳士的で……かなり無愛想ではあるが」
「…無愛想……?」
「ああ。…まさかコンラート、あなたは自分が朗らかな男だとでも言いたいのか?」
 面白そうに笑うカーラに、暫しコンラートは眉を顰めてから、「ああ、そうか」と呟いた。
「コンラート?」
「いや。ああ、そうだった……そうだな……」

 俺が笑えるのは。
 コンラートは思った。
 俺が心から笑えるのは、あなたがいる、あなたが呼吸する、あなたが笑う、その場所でだけ。

「コンラート」
「ああ」
「……ずいぶんと荒れただろう?」
 二人は並んで、物見台から彼方を見つめた。
「思っていた以上に、荒廃が進んでいるな。久し振りに見ると、余計に衝撃的な光景だ」
「そうか。やはり、そうだろうな……」
「ああ」
「……コンラート」
 今度は何だと言う様に、コンラートはカーラを見下ろした。
「……皆と、お祖母様や私や……とにかく皆と、ちゃんと話をしてはくれないか…?」
「話?」
「眞魔国で何があったのか、その……牢に入れられたりとか、拷問とか……厳しい罰を受けるとか…されなかったのか…?」
「………は!?」
 誰が、誰に? ……陛下が……俺に、拷問!?
 唖然とするコンラートに気づかないまま、カーラは言葉を続けた。
「コンラートが無事に帰ってきてくれて、本当に嬉しいと思っている。……国を無断で出奔して、敵国に走った者を、かの魔王が許すはずはない。おそらく捕まったその場で首を刎ねられるか、火炙りにされるか、水牢とか、土の底とかに押し込められて生涯を過ごすはめになるのではないかと、心底怖かった。……夢にまで見たんだ。…魔王は罪人を食らうという話も聞いたことがあるし……」
「……………」
 眞魔国では、裁判もせずに罪人を処刑したりしない。火炙りもない。ユーリが王都に作ったサウナ付き大浴場なら水風呂もあるが、水牢というものもない。第一、魔王が人を食らうどころか、その魔王を食ったのは俺……。
 そこまで考えて、コンラートは勢いよくそっぽを向いた。顔だけじゃなく、体全体が熱い。あまりにも……下品だ。
 幼馴染みに時々言われるが、自分はもしかすると本当にバカかもしれない……。
「だから……あなたが生きて帰ってきてくれて、皆心の底から喜んでいるんだ。エスト達も、戻ってきてよかったと言ってくれているし。でも、だからこそ、不安なんだ!」
 カーラは縋るような眼差しで、コンラートを見上げていた。
 一つ咳払いして気持ちを切り替えたコンラートは、それでも訝しげに眉を顰めてカーラを見つめた。
「……国造りに終りはない。新しい国、新しい体制ができても、それだけでは国家とは呼べない。そして、この荒れた大地に実りを取り戻すには、それこそ……。それはたぶん、私たち人間の生涯を掛けても終わらない大仕事だ。それでも諦めることも、途中で放り出すことも許されない。私たちはそれをやり遂げると、心に決めたのだから。……コンラート」
 共に生きてくれるだろう?
 切ない程の思いを込めて、カーラが言った。
「私たちと共に、この国を、大地を、取り戻す仕事を、共にやり抜いてくれるだろう? そのために……帰ってきてくれた。そうだろう? コンラート?」
「……カーラ……」
「だから話して欲しい。私たち、皆に。眞魔国で何があったのか。どうやって過ごしてきたのか。どうしてすぐに戻って来れなかったのか。そもそも……眞魔国へ戻ったその、本当の理由を……。どうか頼む、コンラート。私たちに話して、そして納得させて、この不安を……この正体も分からぬ不安を、どうかあなたの言葉で消して欲しいんだ!」
 眉を顰めたまま、コンラートは深くため息をついた。
 傾けてくれるその思いに対しては、ありがたいとも思うし、同時に申し訳ないとも思う。
 そこまで信頼される様に仕向けたのは、他ならぬコンラートだ。
 使命を果たすため、そうしなくてはならなかったとはいえ、今、そして将来においても、その思いに応えることはできない。
 どうするか……。
 その時、コンラートの逡巡にタイミングを合わせたかの様に、物見台の扉が開いた。
「ここにいたのか、コンラート」
 クロゥが姿を現した。外に出た瞬間、風に銀の髪を吹き上げられて、煩そうに眉を顰めている。
「ちょっと来てくれないか? 老師が話したいことがあるそうだ」
「あ…ああ、分かった。……カーラ、すまないが、また」
「……コンラート…」
 軽く手を上げて、コンラートは足早に扉に向かった。
 二人の姿が建物の奥に消える。
 ……カーラは深まった不安を抑える様に胸に手を当て、きつく目蓋を閉じた。

「後で酒の1本でもよこせ」
 クロゥが苦々しげに言った。
「聞いていたのか」
「途中からな。……どうするつもりだ。カーラはお前を…」
「それに応えることはできない。分かり切ったことだ」
 すげない言葉に、クロゥは歩きながら大きく息を吐き出した。
「………帰りたいと思っているのだろう、コンラート? 本当は、ここに戻ってくる気もなかったんだからな」
「いや」その言葉には、首を振った。「中途半端なままだったからな。ケリをつけたいとは、ずっと思い続けていた。だが…そうだな、やることをやって、一刻も早く眞魔国に戻りたいとは思っている」
「あの方が……待っているから?」
「そうだ。言っただろう?」
「……ああ、確かに」

『この空も、空気も、水も、花も、そして人も! 世界の全てがどうあろうと、ユーリがいなければ、そんなもの、俺には何の意味もない! ユーリのいない世界など、どうなろうと知ったことかっ!!』

 吐露された真実の声。叩き付けられる様に感じたあの叫びを、クロゥは忘れられない。



「動いたな」
「ええ」
「……やはり、バーツラフだったか」
「残念ながら」
「サラレギーに何と唆されたか知らんが。……愚か者が…!」
 吐き捨てるように言い放ったのは、クォードだ。馬上から、一部隊の動きをじっと見つめている。その隣にはやはり騎乗したコンラート。そして同じくカーラ、クロゥ、バスケスがいる。
 どんな作戦行動よりも先に、裏切り者を炙り出す事。彼らが先ず手をつけたのはそれだった。
 作戦内容はコンラートが考えた。
 偽りの作戦行動、それも大規模でありながら隙だらけの、奇襲を掛けるなり、内部から反乱を企てるなりすれば、容易に潰せると思い込ませるように仕向けたものを、目をつけた個々の指揮官に告げた。そして監視を強化し、機を見て実際にその作戦を、ここと決めた山中で展開した。

 作戦行動の直前、コンラートはクォードにその事を告げた。
「殿下の部隊に援軍をお願いしたいのです」
「……この作戦について知っているのは?」
 コンラートに話を聞かされたクォードは、即答を避けてそう問い返した。
「目的が目的だけに、ほとんど誰にも。エレノアと老師、カーラ、そして俺の麾下の者達だけです」
「なぜ俺に?」
「殿下はサラレギーにいいように動かされるような方ではありません」
「国土を全て手に入れるためなら、小シマロンとも手を結ぶとは思わんのか?」
「あなたの誇りは、そのために捨てられる程軽くもなければ、薄っぺらでもありますまい?」
「……俺は裏切らないと?」
「誰が裏切ろうとも、貴方は絶対に」
「…………知っているはずだ、コンラート」
「はい?」
「俺は、魔族が嫌いだ。おぬしをどうこう貶すつもりはない。だが、魔族と人間とが、共存などできるはずはないと考えている。……おぬしは、この地に新しくできる国に、魔族との和解を望んでいるのであろう?」
「はい。仰る通りです」
「ならば、俺はおぬしにとって、あまりありがたくない存在なのではないかな? その俺を機嫌をとってどうするつもりだ? それで俺の気が変わるとでも?」
「機嫌をとるつもりなど毛頭ありません。事実を言ったまで。…魔族との事に関しましては、いずれゆっくりとお話したいと思っています」
 クォードの鋭い眼光が、目の前の若い、だが実際はクォードの三倍以上の年月を生きてきた男を睨めつけた。
「……実行の日取りが決まったら、更に詳しい打合せを。部隊はいつでも動ける様にしておこう」
「ありがとうございます」
 軽く頭を下げるコンラートに、「ふん」と1つ鼻を鳴らして、クォードは踵を返した。

 穏やかな表情を変えぬまま、いつも冷静な半魔族の男に信頼されて嬉しいとは、絶対に認めたくない。と思っていることすら認めたくないクォードだった。


 裏切り者を、小シマロンの軍勢ごと叩き潰し、その以降、新生共和軍は一気に行動を開始した。
 その指揮を取ったのはコンラートだ。
 1分1秒も惜しいと言うかの様に、自ら砦の中と外を精力的に動き回る。同時に、彼は指導部上位の者をひとり残らず、そして情け容赦なく任務に駆り出した。次々に情報を集め、作戦を立て、戦闘経験者には兵を割り振って大シマロンの残党狩りに送りだし、それ以外の者には、国土に残った街や村、去就を明らかにしない実力者に対しての、慰撫宣伝説得活動を行わせた。
 彼の熱意と勢いが乗り移ったかの様に、共和軍兵士は奮い立ち、広い国土に点在する大シマロンの残党の拠点は、着々と共和軍の支配下に落ちていった。
 コンラートが着手した仕事は、軍事行動だけではない。
 国土全体の状態、各地方の現況、どの土地がどのように荒れているのか、無事なのか、作物が実る土地、死に絶えた土地、川の流れは、森は、草は、花は、そして何より、民は。
 それを調べ上げ、細かに状況を分析し、復興計画の基礎を練る。
 兵とは別に多くの人材を投入し、情報を集めていくコンラートに、その重要性は分かっていても、とても手をつける余裕のなかったエレノア達は、ただただ彼を返してくれた神に感謝した。


「……北方の土地が、荒れるどころかほとんど砂漠化しているようですね……」
 大きな地図を円卓に広げて、コンラートが呟く様に言った。
「…………水を引いてもだめなのでしょうか?」
「引く水がありません」
 その言葉に、エレノアはほう、と息を吐き出した。
「北へ行く程荒廃がひどい事は聞いていましたが……」
「民もまた、北からかなり流れてきていますね。南方の民との衝突も起こっている様です。……土地と水の奪い合い……。これでは難民が増える一方です」
「ねえ?」アリ−が小さく言葉を挟んだ。「土地が砂漠になったら、もう生き返らないって本当?」
 その言葉に、誰も答えを返さなかった。返せなかった。
「……どうして、こんなになっちゃったの……?」
 コンラート、エレノア、ダード、カーラ、クロゥ、バスケス、レイル。同志であり、友である彼らは、少女の言葉に、ただ沈黙した。……自分達のどんな行いが、これほどまでに国土を破滅に追いやったというのだろう……?
 そんな思いに彼らが心を沈めていたいた時、静かな声が広間に響いた。
「大地を蘇らせる方法が、たった一つだけ、ある」
 ダード師がそう言葉を紡いだ。



「魔族に助力を請うだと!?」
 絶叫に近い声で、クォードが叫んだ。大広間に集まった人々から一斉に上がったざわめきにも、恐怖や不安が現れている。
「正気か、老師!!」
「正気ですとも、殿下」
 クォードに真正面から睨み付けられて、それでもダードは静かに頷いた。
「魔族は肉体を纏った精霊。魔王は精霊の王です。……荒廃した大地を蘇らせる事ができるのは、魔王だけだと私は考えております。魔王の強大な魔力によって、この国土に水と緑を……」
「それはつまり! 我らの国土が、魔王の魔力の洗礼を受けるという事になるではないかっ!? おぬし、我らの国を魔族に売り渡すつもりか!!」
「もう一度申しあげます。魔王は精霊の王です。洗礼を受けるだの、それによって国土が魔王のものになるだの、そのような次元の話をしているのではありません。長い間の歪んだ支配の形によって、死を迎えようとしている精霊達を、魔王の力によって蘇らせようというのです。……だからといって、魔王が我らの国土の支配権を主張する事は決してございません」
「なぜそんな事が分かる」
「コンラートの話から、そのように私は確信しております」
 全員の視線が、エレノアやカーラ達を含めて、一斉にコンラートに向かった。
「この土地で、戦いに忙殺されている我らはよく理解しておりませんが、今や眞魔国と友好を結ぶ国は二桁を超え、そのどこもが、眞魔国から齎された様々な技術や知識によって、荒廃とは無縁の繁栄を謳歌していると聞き及んでおります。しかし、そのどの国に対しても、魔王は服従や貢ぎ物を求めたりはしておりません」
 だがしかし、クォードの疑惑の眼差しは、老師よりもコンラートにこそ向けられていた。
「……コンラート。……おぬし、まさか……」
「殿下?」
「まさか……そのために戻ってきたのではあるまいな…? 魔王に、この国を捧げるため、魔族の領土を広げるために……!」
 おお、という呻きにも似たざわめきが一気に広間に広がった。カーラが思わず席を蹴る様に立ち上がる。エレノアも、一瞬己を襲った不安に口元を押さえた。
 だがそんな彼らに、コンラートは緩やかに口の端を上げた。
「少し冷静にお考え頂けませんか、殿下。……もし俺が、魔王陛下に大シマロンであったこの国土を捧げたいと思うなら、俺は……王になれという勧めを、断ったりは致しませんでしたよ?」
 あ、とカーラは小さく声を上げた。
「それに本当にそのつもりなら、わざわざここに戻って戦うような、面倒な真似は致しません。眞魔国にいて、この地の自然が壊滅するのを、水が干上がり、実りが絶え、人々が消え去るのを、ただ待っていればいいのです。ご存じの通り、魔族の寿命は長く、またこの大地が滅びるのは、そう遠いことではありません。そしてその上で、魔王陛下をお迎えし、大地を蘇らせれば、それで事は簡単に済むではありませんか? 如何です?」
「……それは……それは、確かに……」
 冷静なコンラートの言葉に、クォードは不承不承頷いた。確かに、コンラートの言う通りだ。
 やれやれ、とダード師が肩を竦めた。
「…もう少し、人の話を落ち着いて聞いては下されんか……。魔王の話は、別にコンラートに吹き込まれた訳ではない。私が、どうしても知りたくて、コンラートに話をせがんだのです。魔王の内政、そして眞魔国の外交政策等について。……魔族に関しては、色々と価値観の違う方々もおいでだし、刺激したくないと思い、コンラートには話の内容について、しばらく他言しない様に頼みました」
 そうだったのか。
 ようやく齎された一つの答えに、カーラはホッと安堵の息をついた。
 コンラートがまるで隠れる様に、老師とだけ話をしていたこと。その答えがようやく出た。
「……答えを急ごうとは思っておりません。長年に渡る偏見は、そうそう消えるものではありませんしな。ただ、これ以外手立てはないと、このダードが考えていることだけはお忘れなきよう願いたい」
 ううむ、とクォードが唸った。


 内側に様々な葛藤を孕みながらも、新生共和軍は着実に軍事的成果を上げていった。
 また態度を保留していた街や村も、次々と共和軍への協力を申し出てきた。
 協力者が増えれば、情報も増える。より多くの確実な情報は、さらなる軍事的成果を齎す。
 新生共和軍にとって、軍事と内政の両面での、良い形での力の循環が整ってきていた。
 ─その全てを采配していたのはコンラートだ。

 コンラートを中心にして、新生共和軍は、元大シマロンに代わる新政権としての力を、確実に内外に示し始めていた。

 そうして。
 共和軍の本拠地が、本来であれば初夏の瑞々しさに満たされるはずの季節を迎える頃。

「……女?」
「はっ。…その、コンラート殿に会いにきたと、その女と、女の供らしき者達が。あの、全身をマントで覆っておりまして、顔かたちは分からぬのですが、その……おそらくは、魔族ではないかと……」
「魔族の女が、コンラートに……?」



 その日。
 砦は、彼らを迎えた。
 


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色々と逃げを打つ、今日この頃。
私にはあれが精一杯っ。あ〜、どきどきする。

状況を作るだけで、こんなに掛かってしまいましたよ……。
なのに、まだ穴がいっぱい。うううー。