心の歌を聴いて・3 |
「……………サリィさま…? あの、これ、は……いったい……?」 「もちろん! 陛下のためにお作りしましたドレスですわっ!」 午後の一時、魔王陛下がほとんど身内だけで過す私的なサロンに、新連邦の代表からはエレノアとその孫娘であるアリ−を、ベイルオルドーンの代表からは、国王カインとその母サリィを招いて、歓迎会代わりのお茶会が開かれていた。 格式張った儀礼を一切省いたお茶会である。懐かしい顔を前に、ユーリもすっかり緊張を解いて、和気藹々と楽しく過していたのだが。 やがて、にこにこ顔のサリィが数人がかりで運び込ませた、やたらと巨大できらびやかな布の固まりに、思わず絶句してしまっていた。 「まずこちらは……」 そう言ってサリィが広げた布、いや、ドレスは、レインボーカラーのフリルの塊だった。 誰が考えたんだこんな色使い、と思わず突っ込みたくなるような、まさしく原色の色の競演、グラデ−ションと呼べば呼べないこともない、だが、赤、青、黄色、紫、緑と、配色はむちゃくちゃである。それが、フリルの波とあいまって、もはや直視してると目眩が起きそうな凄まじいシロモノとなっている。 以前、ユーリが不在の間にやってきたサリィが届けたというドレスも、薔薇色のフリルに顔も身体も埋もれそうなスゴイものだったが、今回はさらに輪をかけて凄い。 「陛下は御髪も瞳も漆黒でいらっしゃいますから、ドレスはやっぱり彩りの鮮やかなものがよろしいかとおもいましたの」 そう告げるサリィは、ものすごく嬉しそうに頬を染めている。 「……これを着たら、ユーリがどこにいるか布をかき分けて探さないとなりませんね」 そっと囁くコンラートに、思わず想像したユーリが涙目で塩っぱそうに笑う。 「それからこちらは……」 まだあるらしい。 「………うわー……」 今度もすごかった。 胴体、大きく胸の開いたワンピース型の水着にあたる部分だけが普通の布で、他の部分、襟も袖も、スカート部分も、全てが色の違うフリルだった。それも……スケスケの。 ワンピース型水着部分は、絹のような光沢のある鮮やかな青で、一面に細かなビーズが縫い止められている。それがキラキラと光を弾いて、そりゃもう………泣けてくる凄さだ。 「……これ、今思ったんですけど、ほら背中や頭に大きな羽飾りとかつけたら、アレみたいですよね? 何でしたっけ。えーと、ほら、タンバとかランバとか……ブラジルの……」 「……………丹波でも乱場でもなくて、そりゃコンラッド、サンバじゃないかなー。……リオのカーニバル?」 「ええ、それです。女性が踊ってますよね。こんな感じの衣装で」 想像したくないのに頭に浮かぶ我が姿。場所は浅草辺りだろうか。……ますます泣けてきた。 「それで、これが最後ですが」 「ひょえ……」 ちょっと地味なんですのよ。 そう言って出された最後のドレスは、確かに地味だった。光沢はあるものの、ただ真っ白なだけのドレスだったからだ。 ギリシャ神話みたいだ。 広げられたそのドレスを見た瞬間、ユーリはそう思った。 片方の肩から流れるように下がったたっぷりの布がゆるやかに胸を覆い、それが腰に巻き付くように流れて、そこから豊かなドレープと共に滝のように広がっていく。 一番まとも、かもしれない。 だがしかし。 ボンキュッボンの麗しい体形なら、さぞこのシルエットは美しいだろう。 しかしユーリの身体は、哀しいくらい直線的なラインでできていた。緩やかな布から垣間見れる胸の谷間もなく、布が巻き付く曲線的な細いウエストも豊かなお尻もない。 おれが着ても、せいぜいでっかいバスタオルかシーツを不格好に巻いた姿にしかならないよ……。 自分に女性の部分があるのは分かっている。しかしそれを実感してるかといえば……あまりない。 お前は男か、それとも女かと尋ねられたら、ちょっとだけ迷って、でもやっぱり男だと答えるだろう。 例え結婚相手が、同じ男だとしても、だ。 だから、こんなドレスを身に纏うつもりは全くないのだが……。 ないはずのコンプレックスを刺激されたような気がして、ユーリは思わず目を伏せた。 それにしても。 サリィというのは、こういう人だっただろうか……? 元来明るい人だというのは知っているつもりだが、もうちょっと何だかその……。 「……申し訳ありません、陛下」 ふいに。隣にやってきたカインがそっと囁いた。 「カイン?」 「母はその……不遇な生活に慣れて、自分が華やかな衣装を身につけようという気は全く起こらないらしいのですが、人のためにドレスを作るとなると、どうも心の箍が外れてしまうようなのです。特に陛下に対しては、一層張り切るらしく……つまりその……あらゆる理性が吹っ飛ぶといいますか……」 「そ、そうなんだ……」 「どうぞお気になさらず、全て衣装部屋のお局様になさって下さいませ」 「…………………」 「タンスの肥やし、ですよ」 あ、なるほど。コンラッドの囁きに、ユーリはようやくホッと頷いた。 その時。 「すごい……ステキ!」 「………は!?」 驚いて顔を上げて見れば。ユーリの傍らに寄って、一緒にドレスを見ていたツェリとアリ−が、瞳をキラキラと輝かせてサリィ作のドレスを見つめている。 「ねえ、サリィ様! 私、これと同じようなドレスが欲しいですわ!」 ツェリがスケスケフリルの、カーニバル仕様のドレスを手に取っている。 「色と、フリルの形をちょっとだけ変えて、私のために作って頂けませんかしら?」 「まあ、ツェリ様に気に入って頂けるなんて光栄ですわ! ええ、ぜひ縫わせて下さいませ!」 「サリィ様サリィ様! 私、たくさん色のついたこのドレスが素敵だと思います! こんな明るい色がいっぱいのドレス、今まで着たことないんですもの。フリルもとってもキレイだしっ。私もこういうドレスをぜひ着てみたいです!」 「ええもちろんですわ、アリ−様! お若いのですもの、こういう華やかなドレスがきっとお似合いになりましてよ!」 「嬉しいですっ!」 「………なあ」 「…はい」 「…はあ」 3人の女性を見つめたまま、虚ろな声を上げるユーリに、同じように側にいた二人の男が答えを返す。 「…………女心って」 「…はい」 「…はあ」 「…………おれ、よく分かんない」 「……はい」 「……はあ」 「賑やかですわね」 お茶のカップを手に、ユーリ達が色鮮やかな布を挟んで騒いでいるのを見ながら、エレノアが微笑んで言った。 「旧交をのんびり温められるのも今だけですから。まあ……よろしいでしょう。それよりも」 手にしたカップをかたりとソーサーに戻して、グウェンダルが向かい合うソファに座るエレノアと、同行した神官にして法術師のダードに顔を向けた。 「あなた方には、本来であれば何よりも先ず、最初にお詫びせねばならない事がありました」 眞魔国宰相の改まった言葉に、エレノアとダードが目を瞠いてその真摯な眼差しを見返した。 「我々、いや、私は、かつて弟を大シマロンへと送り込んだ。弟の、ベラール直系の血を利用して、魔族殲滅の準備を着々と進める大シマロンを内部から崩壊させるために。……そして、同じ目的を持つとはいえ、魔王陛下と眞魔国への忠誠を尽くす弟は、結果としてあなた方の信頼を裏切ることとなりました。……どうか弟を恨まないで頂きたい。もちろん、魔王陛下に対しても……。陛下は何もご存知なかった。あの企ての責任は、全て宰相たるこの私にあります」 「計画の立案者は、コンラートだと聞いておりますが……?」 「それでも、最終決定をして、あれを送りだしたのは私です」 「……閣下」 エレノアが、一口お茶を飲み下し、それからゆっくりとグウェンダルに視線を向けた。 「確かに、事の真実をコンラートの口から聞かされた時には、裏切られた思いがなかったとは申しません。私は、彼の心を占めるのは、間違いなく彼が本来治めるべきシマロンの民であると信じておりましたし、彼はとうに眞魔国とも魔王陛下とも決別しているのだと思い込んでおりましたから。しかし……いいえ、当時の心境をくだくだしく申し上げる必要などございますまい。今こうして私達はここに、魔王陛下の仰せの通り、未来に向けてどう手を携えていくか語り合うために集っているのですから。……閣下」 エレノアが、難しい顔で自分を見つめ続けているグウェンダルに笑みを投げかけた。 「確かに失ったものがございます。しかし、新たに得る事のできたものの大きさを思えば、それはもう取るに足らぬ問題ではございますまいか。私は、私達は、今こうして皆でいられることの幸運を素直に喜びたいと思っております。ですからどうか、私共への謝罪などはなさらないで下さいませ」 エレノアの言葉と共に、ダードもまた大きく頷くのを見て、グウェンダルは静かに目を伏せた。 そして、一つゆっくりと息をつくと、穏やかな笑みを浮かべて顔を上げた。 「……ありがとうございます。この件については、私も二度と口にしますまい。ただ……もう一つお詫びする事があります」 雰囲気を変えるように笑みを深めるグウェンダルに、エレノア達がきょとんと首を捻る。 「本来ならば、略式になるとはいえ歓迎の夜会を開かねばならないところ、このような茶会で済ませることになり、大変申し訳なく存ずる」 「まあ、とんでもございませんわ」エレノアも明るく笑って首を振る。「本来お伺いすべき時期をこうも早めて参りましたのは、全てこちらの都合でございます。夜会ならば、陛下のご婚約披露の宴で充分ですわ。数夜続くと伺っておりますし、大変楽しみに致しております。それにしても……どの国もまあ、急いで集結しましたものですわね」 「全くです」グウェンダルも、小さなため息と共に頷いた。「予想はしておりましたが、これほど早いとは。逸早く集まったのはほとんどが小国ばかりですが、すでに外交交渉は始まっております。多くが我が国とより深く誼を通じさせること、陛下の覚えを他国よりもめでたくさせることを狙っているのは確かですが……今回ほとんどの国が注目しているのは……」 「私達、新連邦ですね」 エレノアの言葉に、グウェンダルが深く頷く。 「大シマロンという国は、あらゆる意味、あらゆる形で世界を圧し続けてきました。それを滅ぼし、後を襲ったのはあなた方だ。そしてできあがったのは、連邦を形作る一州一州が一国並みに大きく、それが寄り集まって一つの国を形成するという、今まで存在しなかった形態の巨大な国家です。各国があなた方の……いわゆる正体を知りたいと願うのは当然のことでしょう。そしてそれは、我々も同じです」 グウェンダルの言葉に、エレノアとダードが揃って頷く。 「私共も、いまだ体制が整ったとは決して言い切れない状態ではありますが、とにかく疲弊した民と大地を休め、癒し、そして民が平穏に暮らしていくための安定した国家を完成させていかねばならないと、皆が必死に働いております。せねばならないことは山積み……外交も、通商も、一から形を築いていかなくてはなりません。そのためには各国の理解と支持を得なくてはならないのは当然のことです。幸い、眞魔国とは逸早く友好条約を結ぶことができ、それが背景となって、他の国との外交交渉において大きな成果が生み出されております。私としましては、この機を逃さず、一気に外交に勢いをつけねばならないと考えておりました。ですから、今回の陛下の婚約披露の宴は、我々にとってまさしく渡りに船の催しとなりましたのです。まるで利用するようで申し訳なく存じますが、世界の安定のためにも、どうか御協力をお願い申し上げます」 「それは我々にとっても同じです。………お疲れとは思いますが、できれば今夜、夕食後にでも正式な首脳会談を行わせて頂きたく思います」 「望むところですわ。私どもとしましても、一分一秒、無駄にする気はございません。これが重要な契機と思えばこそ、私とダードがこのような老骨に鞭打って出かけて参りましたのですから」 「老骨はないでしょう」 グウェンダルが苦笑する。だがエレノアは、笑みを浮かべながらも首を左右に振った。 「あなた様方とは違いますわ。私達はもう充分過ぎる程に生きてきました……。まだ余力があるのなら、それを全て新連邦に捧げ、出来うる限り良い形にできた国を、若い者達に譲りたいと思っております。……そう言えば、先程我が国の国家体制について、今まで存在しなかったと仰せでしたが……」 「確かに言いましたが……?」 「この、連邦制と申します体制は、実はコンラートから教わったのでございますよ?」 「コンラートが……!?」 「呼びましたか?」 グウェンダル達が揃って顔を上げた先には、お茶のカップを手に移動してきたコンラートとカインがいた。 「……構わんのか?」 目に痛い鮮やかな布の固まりを挟んで、先ほどよりもさらにけたたましく騒いでいる一団に視線を向けて、グウェンダルが弟に問いかけた。 「どうも野暮な男が口を挟む状況ではなくなってきたからね」 そう言って笑うコンラートの隣で、カインも苦笑している。 二人は大きなソファの空いたスペースに腰を落ち着けて、改めて話に加わってきた。 「コンラート、今、連邦制について兄上様とお話していたのよ。この国家体制は、あなたが教えてくれたのだと」 ああ、と頷いて、コンラートが意味ありげに微笑み、「あちらのね」とグウェンダルに囁いた。 「……そういうことは、事前にちゃんと報告しておけ」 なるほどと頷きつつも、一応の苦言を呈する兄に、「うっかりしてた。申し訳ない」と笑顔で謝る弟。 何気ない会話と視線を交わす兄弟の間の自然な情に、エレノアは思わず目を細めて見入っていた。 かつて。エレノアは、コンラートを笑顔を持たない男だと信じていた。 生れ育った国での厳しく辛い過去が、彼から感情を削ぎ落としたのだと。 そうではなかった。 彼が己に課した使命のために、いるべきではない場所、仕えるべきではない人の側にいることが、本当に護りたい人の側にいられない辛さが、彼から表情を奪っていたのだと。 今、この地で、これほどまでに自然な笑みを浮かべることのできるその姿を見て、エレノアはしみじみとその心情に思い至っていた。 「先程、すでにこちらに集まっている国々について仰せでしたが……」 言葉を発したのは、ダード老師だった。 「やはり、各国の国土の荒廃は、かなり進んでいる模様でしょうか?」 「国によって格差はあるものの、荒廃が進行していることは確かのようです。いまだに大地の荒廃が我々魔族の隠謀だと言い募る国も多くあるようですが……そのような言葉では、もういい加減、民をごまかすことはできなくなっているでしょう」 「ですから私共の国のように」カインがふと口を挟む。「魔族に反感を持ちながらも、魔力による救済を求めて友好を結ぼうとする国もある……」 そういうことです、と、グウェンダルが頷く。 その時、何を思い出したのか、コンラートが小さく吹き出した。 「必死なのは分かるんだけれど……ちょっとね……」 「どうかしたのか?」 訝しげな兄に、うん、と頷いてから、コンラートはそっと、アリ−と何やら激しく言い合っているユーリの姿を確認した。 「これは……ここだけの話で、陛下のお耳には絶対入れて欲しくないんだが……」 声を潜めたコンラートの様子に、思わずその場にいた4人が頭を寄せる。 「かなり早くに駆け付けた国の国王と側近らしいのがね、つい先日俺に会いたいと言ってきて」 「お前に……?」 うん、と頷いて、コンラートが苦笑する。 「祝いを述べたいと。そして、魔王の夫になる俺とこれからぜひ誼を通じさせて頂きたいってね。……まあ、そこまではありがちかなと思って笑ってたんだが。その……突然、俺に贈り物をしたいと言い出して」 4人がふんふんと頷く。 「その贈り物というのが………国王の一の姫、王女殿下だったんだ。いきなりカーテンの陰から姿を現して、紹介されたと思ったら、『我が娘を、夫君殿下の婢として、どうぞご存分になさって下さいませ』ときた」 「な……っ!!」 思わず叫びかけた兄の口とついでに鼻を、コンラートの大きな手ががばっと覆う。 「もちろん、丁重にお断りして帰って頂いた」 ほう、と息をつく3人。グウェンダルはと言うと、最悪のタイミングで呼吸器を塞がれたせいか、顔を真っ赤にしてコンラートの手をばしばし叩いている。 「……あ、ごめん、グウェン」 手を離すコンラート。ぜえぜえと息をするグウェンダル。 「その姫君というのが、まあ、さすがに中々の美人だったんだが、可哀想に目に涙をいっぱい溜めててね。それでも健気に床に手をつくんだよ。王女の誇りだってあるだろうに。……ちょっと見ていられなかったな」 「なんとまあ……」 「……それにしても、これから婚約披露の宴を開こうという方に、どうしてまたそのような……」 「それはもちろん、魔王の結婚に愛情が存在するとは欠片も考えていないからだろうな」 カインの疑問に、コンラートが事も無げに答える。 魔王だからだというのではない、王族の婚姻に愛情は決して必要事項ではない。 カインもそれに思い至ったのか、「確かにそうですね」と頷いた。 「私達は」エレノアがしみじみと言葉を発した。「陛下のことも、もちろんコンラートのこともよく存じ上げておりますから、二人のことを自然に理解することができましたが……もしそれがなければ、確かに陛下のご結婚は政治的なものだと、当たり前に思い込んでいたでしょうね」 そこが問題なんですよ。コンラートがさらに面白そうに笑う。 「………何だ? まだ何かあるのか……?」 グウェンダルの眉が、用心深く顰められる。 「グウェン、どうやら今この血盟城の深奥では、血を血で洗う凄まじい権力闘争が繰り広げられているらしいよ?」 「……………………………何だと……?」 意外な弟の言葉に、グウェンダルがきょとんと目を瞠いてコンラートを凝視する。 「権力闘争……? だ、誰が、誰と、だ……? 城の深奥? 一体どこだそれは!?」 「何でも、魔王の地位に就けるとばかり思っていたのに果たせなかった前王の長男と、人間の血を引いたために冷遇されたことを恨む、有能で人望も篤い次男と、年少のために権力の中枢に入り込めなくて歯噛みしている三男の間で」 指を立ててにっこり笑う弟に、兄の顎がかくんと落ちる。 「……な、ななな……な……っ!?」 「それまで権力を握っていた伯父を蹴落とし、見事宰相の座につき、権力を掌握したかに見えた長男だが、ここで意外にも次男が逆襲に打って出た。身分が低いために敵ではないと思っていたはずなのに、何と次男は隙をついて年若い魔王を誑かし、篭絡してしまった。宰相は弟を敵地に送りだし、抹殺しようとしたが果たせず、その弟は今まさに主の夫の座を獲得しようとしている。宰相と王の夫。憎みあう兄弟によるこの二つの力が、併存できるはずがない。王の婚約者の地位を護れなかった三男も恨み骨髄。名君とはいえ、魔王は若い。眞魔国はこれから、権力の獲得を目指す前王の三兄弟の争いで、最悪内乱に向かう可能性もあるのではないか。人間は、己の国の利益のためにも、兄弟の誰か、特に長男と次男のどちらにつくか、去就を決めなくてはならないだろう。………特に付き合いの浅い国の間で広まり始めた噂だそうだ。ヒスクライフ殿が教えてくれたんだよ。すごいだろ?」 にっこーと笑うコンラートに、カイン達が揃って大きく吹き出す。 グウェンダルはと見れば、目眩を起こしたように額に手を当て、それから、はあぁ〜、と大きく深いため息をつきながら、がっくりと肩を落とした。 「……すごいだろ、ではないぞ、コンラート……」 「うん、まあ、そうなんだけどね。ヒスクライフ殿も笑っていたよ。人というものは、どこまでも己の物指しでしか事を計ることができないとね。自分の娘を差し出そうとしたあの国の王は、俺に分があると思ったらしいな」 くっくと楽しげに笑うコンラートを、グウェンダルがじろりと睨む。 「私には、そちらの思考の方が理解しやすいかもしれません」 何かを言おうとしたグウェンダルの耳に、エレノアのしみじみとした声が流れ込んできた。 怪訝な顔を向けられて、エレノアは恥ずかしげに首を傾けた。 「申し訳ありません、閣下。ですが、先ほども申しました通り、陛下の事も、コンラートの事も、そしてこの国のことも何も知らないままであれば、私は魔王陛下のご結婚が、純粋に愛した人と結ばれるものだとは全く思わなかったでしょう。それと同じように、王のご長子でありながら王位に就けなかった王子がおられるとなれば、おそらく恨む思いがあって当然と思いますし、それぞれ片親の違う兄弟がいるとなれば、争いがあるのも当たり前と思うでしょう。支配者の血統の中で生れ、権力のありよう、奪い合いを見て育った者ならば、それが自然な考え方とも申せます。確かに不健康な思考ではありますが……。でもやはり私は、今でも、宰相閣下は王位を願われることはなかったのだろうかとか、コンラートは本当に誰も憎んだりしなかったのだろうかとか……考える時がございます」 「……エレノア……」 困ったようなコンラートの声に、エレノアが「ごめんなさいね」と笑みを向ける。 「……私は」 声を発したのはグウェンダルだった。 「王になりたいから王位を望んだ、ということは1度もない。それだけは言える」 その言葉に、その場にいた者の表情が改まる。 「私はこの国を愛している。眞魔国と魔族のために、この国と民が二度と滅亡の淵に立たずに済むように、揺るぎない強大な国家を作る力になりたいと思って生きてきた。そのために必要ならば、王にもなろうと思っていた。なれるだろうと思っていた。………正直」 グウェンダルの視線が、部屋の別方向に向く。 何をしようとしているのか、そこでは魔王陛下と、綺羅綺羅しい布を手にしたアリ−との追いかけっこが始まっている。けたたましいが、明るく元気な子供の声と姿が、不思議な安堵を自分に齎してくれるのをグウェンダルは知っていた。 「……あれが初めて新しい魔王だと姿を現した時には、冗談ではないと思った。こんな何も知らない子供に何ができるかと。許せんと思った。人間との確執も治まらないこの時に、これでは魔族は滅んでしまう、と。しかし……」 グウェンダルの顔がエレノア達に向けられた。その顔には、柔らかな微笑が浮かんでいる。 「今は、あれを私達に与えてくれた眞王陛下に、心から感謝申し上げている」 その言葉に、コンラートを始め、人間達もまた穏やかな笑みを返した。 「……っ、し、失礼、した」 思わぬ心情を吐露してしまったのが恥ずかしかったのか、コホンコホンとグウェンダルがわざとらしく咳払いをする。その頬がほんのりと赤く染まっていることに、そしてそんな兄を見つめるコンラートが実に優しげに微笑んでいることに、エレノアは不思議な幸福感を感じていた。 「と、ところでコンラート!」 「何だい?」 「何だい、じゃない。自分の娘を貢ぎ物にしようとしたのはどこの国の王だ? ……どうしようと言うのではないが、把握しておきたい」 「ああ」と頷いたコンラートが、カインに目を向ける。「確か、ベイルオルドーンに近いのではなかったかな。あの…」 と、その国の名を告げられて、カインも確かにと頷く。 「我が国とは高い山脈を挟んだ…あれもやはり隣国になるのでしょうね。山のためにあまり頻繁な行き来はありませんが、交易は続いています。……我が国の南側にありますし、それほど酷い荒廃が進んでいるとは思えませんが、高地にある国なので元々作物の実りは乏しいのです。異常な気象が続けば、打撃はかなり大きいでしょうね。政については……特にこれといって特徴があるわけではない、凡庸な王だと聞いています」 「なるほど。凡庸な王と家臣が、頭を捻った結果がそれか」 「それにしても」ダード老師が深々と息をついて言った。「考えれば考える程、私達は幸運でした。あれほどの広大な大地が目に見えて死に絶えていくのを、私達はただ呆然と見つめていることしかできなかった。たとえ大シマロンを滅ぼして政権を奪っても、数千年に渡って世界を食んでいた『滅び』の前には為す術もなかった。………あのままであれば、例え新たな国を興したとしても、我々は間違いなく大地よりも先に滅んでいたでしょう。あの時あの方が……家出をして下さっていなければ」 それは、とグウェンダルが顔を顰める。 「……その以前に、コンラートの決断があった事が何より大きいでしょう。それから、できればその件については、なるべくお忘れになって頂きたい。魔王陛下が書き置きをして城を飛び出すなど、あるはずがない馬鹿げた話です」 「仰る通りです」 ダード老師もけろりと笑って頷く。世界には「公然の秘密」がたくさんあるのだ。 「ですが、一つだけ気になっていた事がありまして、それだけ確認させて頂いてもよろしいですかな?」 「何でしょうか?」 「あのお方は、お帰りになる時、帰ったらお仕置きされると頭を抱えておいでになりました。実際、何かお仕置きを?」 「…………………」 じろりと法術師を一睨みするも、老人の笑顔には全く変化がない。 グウェンダルは、ふう、とため息をついて口を開いた。 「………食事も休憩もなしで書類の決裁をするのは、当然のことで仕置きではないでしょう。それから、書き置きの文面があまりに稚拙だったので、作文を100題程書かせました。まあそれも勉強であって、仕置きなどではない。後は……ヴォルフラムと一緒に城中のトイレ掃除を……」 「陛下にさせたのか!?」 コンラートがひっくり返った声を上げる。今初めて耳にしたらしい。 魔王陛下にトイレ掃除!? と、カインもまた素頓狂な声を上げて目を瞬かせている。 「……させようとしたし、実際幾つかさせたのだが、その内大騒ぎになって……」 「城のトイレが一体幾つあると………大騒ぎって……?」 「城に仕える者達が、恐れ多くも魔王陛下がお掃除して下さったトイレを汚す訳にはいかないと、まだ掃除をしていないトイレに殺到してしまったのだ。その内大変なことになるから止めさせてくれと苦情が入った。仕方がないから、トイレ掃除は途中で打ち切らせた」 「そ、そうか……」 ホッと胸を撫で下ろしかけたコンラートだったが、「その代わり」という兄の言葉にまた顔を引きつらせた。 「まっ、まだ何かさせたのかっ!?」 「城中の窓ガラスの掃除に切り替えた。………何だ、その顔は」 「…………………」 無言で睨み付ける弟に、グウェンダルが大きくため息をつく。 「ヴォルフラムと二人で、できる所までやらせるつもりだったが、衛兵やメイド達が同情してしまい、その内手伝いを始めてしまった。最初は我々の目を盗んで、だったのだが、すぐに我も我もと城中の者達が集まりだして、結局……時期外れの大掃除になってしまった。まあおかげで城が明るくなったからよかったがな」 あらあら、と、エレノアやダードが楽しげに笑い出す。 だがコンラートは、ムッとした顔を崩さない。何となく拗ねたようなその表情から、エレノアはコンラートが、兄がユーリにお仕置きをした事を怒っているのではなく、城の者と一緒になってユーリの手伝いをすることができなかったことを悔しがっているように思えた。 そんな弟の様子に、グウェンダルが盛大に顔を顰め、そして呆れ果てた顔で、エレノア達に顔を向けた。 「この通り、陛下の周りには、陛下を甘やかすのが楽しくて仕方がないという輩ばかりが集まっています。せめて私くらいが厳しくなければ、釣り合いが取れないというものでしょう。陛下のためにも良くない」 「でも、楽しくていらっしゃるでしょう?」 エレノアの言葉に、グウェンダルが吃驚したように目を瞠く。 「どんなにお説教ばかりしていても、お仕置きすることばかりだったとしても、きっとユーリ陛下にお仕えする毎日は、楽しくて仕方がないと思いますわ」 にこにこと笑うエレノアの顔をじっと見つめていたグウェンダルは、やがて、コホン、と小さく咳払いした。 「………まあ、1秒後に何を仕出かすか分からん王ではあるが………あの若い枝を撓めることなく、太陽に向かって伸びやかに育ててやりたいと、今は何よりそれを願っています。そう、その力になれることが、私は楽しくて仕方がないのかもしれない」 微笑むグウェンダルに、エレノアやダード、そしてカインも大きく頷く。コンラートもまた嬉しそうに、そしてどこか眩しそうに兄を見ていた。 そこへ。 「コンラッドっ!!」 穏やかなその場の雰囲気をぶち壊すように、ユーリの怒鳴り声が飛び込んできた。 え? と全員が顔を向けるより早く、ソファの背もたれ越しにユーリがコンラートにしがみついてきた。 「さっきから呼んでるのに、どうして気づいてくれないんだよっ! さくさく見捨てて行っちゃうし!」 「あ、あれ? 呼んでました?」 呼んでました、じゃねーよ。ぷっくりと頬を膨らませながら、ユーリがコンラートの隣に割り込んでくる。 「おれ、危うくあのドレスを試着させられそうになってたんだぞ! ちゃんと助けろよー……って、あーっ、密談モードになってる。何かヤバいぞ、あれ!」 ユーリの声に、全員が彼の視線の先に顔を向けた。 広大なサロンの、巨大なソファセットの端っこで、ツェリ、サリィ、アリ−の三人が、先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かに、顔を突き合わせて何やらひそひそと話し合っていた。時折、ちらちらと視線がこちらに向くのが無気味だ。 「まじ、ヤバいって。油断してると何させられるか……。なあ? コンラッド?」 「何ですか?」 ぴったりと寄り添って、顔を見上げてくるユーリに、コンラートの笑みが一層柔らかく蕩けそうになっている。 「……コンラッドはさ、おれにあんなドレスを着て欲しいって思う?」 いいえ。ユーリの問いかけに、コンラートが即答する。 「あれを着るくらいなら、ジャージ姿でいてもらった方がましですね」 同感です。弾むような声で答えるユーリとコンラートが、にっこりと笑みを交わしあう。 同席する4名から、期せずして同時に、なぜかちょっとだけ疲れた様なため息がもれた。 「あ、そうだ。エレノア様! ダード様!」 ユーリがにこっと笑いながらエレノア達に視線を向けた。 どうやら、ここに自分達がいることだけは忘れずにいてくれたらしい、と、エレノアは心中でホッと息をついた。 「カーラさんやレイルが来れなかったのは……やっぱりかなり忙しいんですか?」 ああ、と頷いて、エレノアはユーリの残念そうな顔を覗き込んだ。 「申し訳ございません、陛下。カーラもぜひお伺いしたいと申していたのですが……。レイルも近頃では中央政庁での執務にかなり気を入れておりまして、どうしても時間を空ける事が叶いませんでした。でも、二人とも婚姻の宴にはぜひ出席させて頂きたいと申しておりましたわ。今回はご無礼致しますが、何とぞお許し下さいませ」 「あ、いいえ、そんなこと……! 久し振りだったし、前の御礼も言いたかったので……。でも、元気にしてるならよかったです! ……あ、そうだ、おっさん……えーと、クォードさんはお元気ですか?」 「ええ、もちろん」エレノアが、ちょっとだけ複雑な表情を浮かべてから頷いた。「とても元気で……州政府と中央の両方を駆け回るように働いておいでですわ」 そうなんだー、と無邪気にユーリが笑う。 クォードが、もうすでに何度も魔王に求婚していることは、有名な事実だ。同時に、それがことごとく事前に叩き潰され、全く本人に伝わっていないのも、これまた知られた真実だ。 エレノアは、にこにこと罪のない笑みを婚約者に投げかけ続ける男に、ちらりと視線を向けた。 「ええと、そう言えば」何がそう言えばなのか、本人もよく分かっていない。「……ヴォルフラム殿は如何なさいました? お姿が拝見できませんが……」 ああ、と、グウェンダルが頷く。 「ヴォルフラムは、今回の宴の初日、その最初の催しの総責任者となっておりまして、今、その準備に追われております」 「フォンビーレフェルト卿ヴォルフラムだ」 『眞魔国の芸術に浸る一日・投票券付き』 その栄えある出演者の宿舎である館のホールで、パーティー用の長大なテーブルにつく出演者一同を前にしてヴォルフラムが宣言した。 「この度の催しは、人間達に対して、我ら魔族がどれほど優れた芸術的感性の持ち主かを知らしめる、重要なものだ。貴兄らは、我が国を代表してその名誉ある出演者に選ばれたのだ。その意義を心に刻み、鋭意力を尽くしてもらいたい。今回投票するのは人間達だが、たとえ最優秀に選ばれなくとも、一度は魔王陛下ならびに諸候の御前で、貴兄らの最も得意とする技を披露できるのだ。その栄誉を、決して蔑ろにすることのないよう、心して臨んでもらいたい。いいな?」 蔑ろにするつもりなんてない。 ミーナは、そっと、だが大きく深呼吸して思った。 でも、ただでさえ緊張しているのだから、これ以上圧力をかけないでもらえないだろうか。 ミーナはふと、テーブルの端っこ、自分の真正面に座る少女に視線を向けた。 そこにいるのは、一度だけ、ほんのちょっとの時間出会った、あの銀色の少女だった。 自分よりも緊張した様子で、少女は身を縮めるように座っている。表情も、フォンビーレフェルト卿の言葉が進むに従って、固く強ばっていくようだ。 「貴兄らは、ここでしばし共に暮らす事となる。それぞれが競い合う相手ではあるが、同じ芸術家として、親交を深めてくれれば、それもまた素晴しいことだと思う。ということで、知り合う第一歩として、まずは自己紹介からしてもらうこととしよう」 銀色の少女がびくりと身体を震わせるのを、確かにミーナは見た。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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