「グリエちゃんは有能だね」 ある夜の話だ。 干し肉を、一緒に口に含んだ湯でゆっくり噛み解し、慎重に飲み下してから、大賢者猊下はそう仰った。 「もー猊下ぁ〜。それイヤミですかぁ? 良いお宿を見つけられなかったから……」 とんでもない。びっくり眼で、猊下がそう仰る。そうしていると、丸っきり年相応の世間知らずのお坊ちゃんだ。 「危険だって、ヨザックが判断したんだろう? その上での野宿なら、僕は喜んで従うよ。君の判断は常に的確だ。……僕が有能だって言ったのは、この巣穴に到るまでの君の一連の判断と行動だよ」 巣穴、と猊下が仰せなのは、俺達がその夜、潜り込んでいた洞穴のことだ。 荒れ果てた村に宿なんぞなく、村人の家や、せめて納屋に泊めてもらおうかとも考え、俺は村の世話役だという男の家を訪れた。だが、俺と猊下を気味が悪いほど愛想良く迎え入れたその男の、今にも舌なめずりしそう様子─獲物が自分から懐に飛び込んできたと狂喜する狩人、もしくは…食人族のような─に、俺はすぐさま、マントで全身を覆った猊下をひっ抱えて村を飛び出した。 そして野宿覚悟で山に入って、偶然探り当てた洞穴、おそらく大型の獣の棲み処だったんだろう、そこに潜り込んだわけだ。運が良かった。 で、枯れ枝と枯れ葉と土を混ぜて盛り上げて、さらに布を掛けて、即席のソファ兼寝台を作り、火を起こして手持ちの水を沸かし、干し肉を分け合っての夕食となったわけだ。 洞穴の入り口は、枝や土で見えないように偽装してある。とは言っても、完全に閉じてしまうと換気の問題があるから、それなりの工夫が必要になる。そこは俺の長年の経験と技術がモノを言う。 猊下がお褒め下さったのは、ま、そんなもろもろの辺りのことなんだろうな。 馬と船を乗り継ぎ乗り継ぎ続いた旅の日々。 各地に飛んだ仲間の諜報部員が新しい情報を届けに合流する以外は、2人きりの旅だった。 大賢者猊下は、俺なんぞには想像もできない異世界において、全くの庶民として暮らしていると主張されている。そのためなんだろうか、護衛兼お世話係として旅のお供をするには、意外なほど楽なご主人様だった。 僕に逆らう気? 猊下は血盟城において、時々このセリフを、陛下の側近一同を震え上がらせる眼差しと共に口になさる。 だがそんな態度は、しょっちゅうやっているように見えて、実は時と場所と相手をちゃんと選んでおられるのだということを、俺はこの旅の中、改めて認識することになった。 猊下は旅の間中、ただの1度として尊大な態度を取ることはなかったし、気侭、勝手な言動で俺を困らせたりはなさらなかった。 それでなくても、荒れた人間の土地で旅をするのは難儀なモンだ。 国が荒廃すれば人の心だって荒れ果てる。空は朝だろうが昼だろうが、灰色の重っ苦しい雲が延々垂れ籠めていて、下界はその雲がそのまんま下りてきたみたいに、じっとりと粘つく霧に閉ざされているとなれば、どんな能天気野郎だってウキウキした気分にゃなれないだろう。 捻じくれた裸の木々と、雑草も芽吹かない硬い土の畑。それにのろのろと鍬を入れる人間達の、肉をなくし、皮が骨に張り付いた、それこそ枯れ木のような身体と、乾ききった絶望的な顔。 そんな人間達から一斉に暗い渇望の眼差しを向けられれば、旅の危機感は一気に高まる。 幸いなことに、猊下と俺が培ってきた経験と知恵は、そんじょそこらの人間はもちろん、魔族だって追いつかないくらい厚みと深みがある。と自負してる。それでも俺は、大賢者猊下の御身と日々の生活を護るため、俺なりにかなりの知恵を絞ってきたのだ。 眞魔国の友好国としてそこそこ復活してきた国でも、大きな街でなければまともな宿なんかない。それが反魔族で頑張っている国、それも田舎となれば、下手をすると宿の主人や使用人が、夜になるとそっくりそのまま追いはぎに変わることも珍しくない。あの村の世話役のように。 旅人は小金を持っている。そして、旅の空で果てる旅人など、世の中に掃いて捨てるほどいるのだ。 俺はまともな宿を、少なくとも宿の主が善良かどうかを見抜く目についちゃあ、誰にも負けない自信がある。ちなみに、少々のぼったくりくらいなら充分善良の内だ。 一人旅なら、少々ヤバくても切り抜ける、もしくは場の雰囲気に溶け込んでやり過ごす自信があるが、大賢者猊下の御身をお護りしなくてはならないとなると、宿の基準はそれなりに高くなる。というわけで、どうしようもない時は野宿という選択もしなくちゃならなかった。 助かったのは、野宿に干し肉と水だけの食事であっても、偉大なる猊下は面白がりこそすれ、嫌がることが全くなかったことだ。貧しい食堂の貧しい食事であっても、それこそどんな得体の知れない食材の料理を出されても、猊下には「良い話の種だ」と楽しむ度量があった。 そして何かある度に、「悪いね」「申し訳ない」「世話になります」「ありがとう」と、尊大さの欠片もない少年らしい─そこは見事なまでに陛下と全く同じだ─可愛い笑顔で、心を籠めて言葉にして、旅の空で出会った善良な人間達を喜ばせた。もちろんその言葉を一番多く頂いたのはこの俺で、その度に、自分でも不思議なほど嬉しくなってしまった。 だから、「猊下と2人きりの旅など、さぞ大変だっただろう」と、事情を知る連中に後から散々同情されたのだが、実際は……まあ、そこそこイロイロあったけど、思い返せば結構楽しい旅だった。 話を戻そう。 洞穴での粗末な食事を終えると、俺はすぐに小さな即席の炉の火を、種火だけ残して消した。 旅人が携帯している小金やそれなりの生活必需品は、あの痩せこけた村人達にとっちゃあ極上の宝物だ。こっそり後を追いかけ、襲ってくる可能性もあるから、炉の煙を出すのは不味い。つっても、こんなド田舎にくすぶってる素人に、こっそり後をつけられる俺じゃあないが。 俺は小さな蝋燭に種火を移した。 こういう穴の中では、例え蝋燭の小さな火であろうと、上手く使えば充分空気を暖めることができる。 「もうこの辺りに野生の動物は住んでないのかな?」 硬い寝台に身を横たえた猊下が、ふと思いついたように仰った。 「この穴の大きさからすると、熊だの何だのが暮らしてたんだと思いますが……。ふもとの村の人間達が生き延びてるってことは、生存競争に負けたってことですからね。この辺にどんな獣が生きてたかは分りませんが、とっくに人間達の腹の中に納まっちまったんでしょう。この巣にしても、獣臭さは残ってませんから、ここの主が殺されたのは相当以前のことでしょうね」 「……熊と人間との生き残りを掛けた戦いかあ……。シビアだねえ」 しびあ、というのがどういう意味か判らないが、俺は特に聞き返したりもしなかった。換気の調整が大事だったし、声の調子からして、猊下が答えを求めておられるわけではないことも分っていたからだ。 剣を抱えて洞穴の壁に寄り掛かる。 この穴の存在を覚えている村人がいる可能性も高いのだから、俺が眠るわけにはいかない。もちろん洞穴の周囲には、何かが近づいてきたらすぐ分るように、イロイロ仕掛けもしてある。 やがて、子供らしい健康的な寝息が聞こえてきた。 宮廷でお暮らしのお姿しか知らない連中には想像もできないだろうが、ウチの坊っちゃん達はお二人とも、肝が据わってるし、そのお心は強くて逞しい。それに。 「……かーわいい♪」 4000年の歴史を見てこられた大賢者猊下であろうと、寝顔はむっちゃくちゃ可愛い。ほっぺたの丸みっつーか、この曲線がげーじつ的だぁねー。鼻、ちっちゃいなあ。ちょこっと開いた口元が何か赤ちゃんみたいっつーか。 もー、魔王陛下と大賢者猊下の寝顔ほどかわいーモンはないねっ。おっと、1番可愛いのは起きてる陛下と猊下の笑顔だった。 隊長同様、俺も護衛の特権を逃す気はさらさらないので、存分に猊下の寝顔を堪能……。 「ヨザック。そんな風に見つめるのはやめてくれる? 変態さんみたいだから」 ……ホント、強くて逞しくて、最高のご主人様さ。 そうした旅の中で訪れたある国。名をアルティカという。 正直しょぼい国だった。新連邦と国境を接している国だが、州で言えば、南部の代表ヴォーレン州と間にもう1つ州を置いた内陸にある小国だ。 国の規模はヴォーレンと同じくらい。荒廃の程度も同じ。数ある小国と同様、魔族と友好を結べば国土の荒廃を止めてもらえると聞いて、条約締結に飛びついた国の1つだ。 こういう国はどこもかしこも、友好って言葉を根本的に履き違えている。友好条約を結ぶことと、俺達の大事な陛下のお力を利用して自分達が助かることを、同じ重さだと勘違いしている。条約を結んだ後の友好関係すら、自分達が魔族の援助をどれだけ受け取るか、という視点からしか考えていない。……つまりは、魔族を見下す思いに変化はないってことだ。正直言って、俺達庶民のこいつらを見る目はかなり冷たい。 とはいえ、友好国は友好国。このアルティカは確かつい先頃巫女の派遣が叶い、聖地の復活も成って、ようやく進行一方だった国土の荒廃に歯止めが掛かった状態だったはずだ。 先行した仲間達からの情報に拠ると、それでもこのアルティカの国王は人柄が善良らしくて、民に負担を強いることもなく、国王はもちろん貴族達も質素な生活に甘んじつつ踏ん張っているらしい。どうやら魔族が魔物ではなかったという安堵感と、先の見通しへの希望が、国土復興の力の源泉となっているということだ。 「これは猊下。ようこそアルティカにおいで下さいました」 小さな宿から使いを出し、丁重に迎え入れられた昼下がりのアルティカの王城。 血盟城とは到底比べ物にならない質素、もしくは粗末(報告書によると、城のありとあらゆる金目の物はとうに売り払われてしまったらしい)なその城の客間では、アルティカ国王、王弟、宰相、そして宿まで迎えに来た大将軍(軍の総司令の呼称らしい)と数人の武人だけが、一様に不安げな表情で、魔王陛下の側近中の側近である大賢者猊下をお迎えした。 内密に会談を持ちたい。そう申し入れたのは猊下だが、迎え入れた方は当然、その理由がさっぱり分らない。不安と戸惑い、それからそこはかとない恐怖が、全員の表情やしぐさに見え隠れしている。と思う。 「突然のことで、その……ろくなお迎えができませぬ。ご無礼の段、平にお許し下さいませ」 「とんでもありません、陛下。いきなりお邪魔したのはこちらの勝手。お詫びするのは僕の方です。驚かせてしまいました。申し訳ありません」 もったいないお言葉です。アルティカの国王、そして宰相、王弟、大将軍が揃って深々と頭を下げる。 俺の頭に、仲間の敏腕諜報部員達が集めてくれた情報が蘇った。 我先にと魔族との友好に飛びついた多くの大陸弱小国は、眞魔国に対する危惧と不安が大きい。 そもそも、本当に魔族は魔物ではないのか。その疑問が、土に隠れる植物の根の様に胸の奥に蔓延っている。それも当然だろう。真剣に魔族を理解したい、友人になりたいと願って友好を求めてきた国なんぞ、そんな弱小国に1つもないんだから。そのくせ、助けてもらえるのなら一刻も早く、一気に素早く何とかしてもらいたいという、かなり厚かましい願いも強いのだ。 面白いことに、そんな弱小国ほど貢ぎ物が多い。それは、手ぶらでお願いしたんじゃ申し訳ないからなんて殊勝なモンじゃなく、どの国より先んじて自分達を助けてもらいたいという、まあはっきり言って賄賂なんだろう。何せ、陛下のお力を求める国々はどこも怒涛の勢いで、順番を決めるのも一苦労なんだから。 と言っても、眞魔国は今や世界一と言って良い豊かな国だ。滅亡に瀕した国に、眞魔国の威光に見合う貢ぎ物なんぞない。唯一元手を掛けずにそこそこの価値を示せるものといえば、人だ。特に娘。彼らの多くが、魔王陛下や側近に対して王族か貴族の、おそらく選びに選んだ器量よしの娘や、たまに息子、を差し出してきた。……どんな頑張ったって、ウチの陛下に敵う器量よしなんて居やしないんだけどねえ。 で、もちろん、魔王陛下や側近のお歴々がそんな貢ぎ物を受け取るはずがない。逆にその国の印象を悪くするのが関の山だ。 アルティカの宮廷でも、貢ぎ物の必要性が激しく、俺達からすりゃあバカバカしいほど激しく議論されたらしい。俺の有能な仲間はそんな細かいところも見逃さず、ちゃんと報告してくれた。 内陸に位置するアルティカの荒廃は激しく、条約を結んだ数ある小国の中でも救いを求める思いは強かった。魔王陛下がまだ年若いと聞いた宮廷の人々は、見目良い王族か貴族の娘を差し出そうと王に進言した。……若い男の子だから女を宛がおうってその発想が姑息だし、俺達としては腹立たしいんだけどな。 だが、アルティカの国王が善良だって話はどうやら確かだったらしい。この王様は、人を貢ぎ物にすることを絶対に許さなかったそうだ。 その代わり、眞魔国へは自らが赴き、属国でもないというのに魔王陛下に、それこそ土下座せんばかりに平身低頭し、さらには側近閣下達、宗教的な指導者と紹介されている大賢者猊下(…猊下がどういう「宗教」を「指導」しているのか、俺には今ひとつよく分からないんだが……)、十貴族、会見が叶った人々のもとを手当たり次第に訪れ、自ら切々と救いを訴えまくった。 この辺りは、俺も報告を受けて思い出した。 とにかく宮廷で出会う魔族出会う魔族、どいつにもこいつにもペコペコペコペコ頭を下げてる王様が確かにいたって。 通り掛った俺達にまで、床に頭がつくくらい腰を折って、「アルティカ、アルティカでございます。何とぞ良しなに、何とぞ何とぞアルティカをよろしく」って訴えていた。何だあれはみっともないと、口さがない宮廷の連中は吐き出していたし、陛下も猊下も「……どこのセンキョウンドーだ…?」と首を捻っておられた。 まあ、それはともかく。 「センキョウンドー」とやらが功を奏したのかどうか、意外と早く巫女の派遣も叶ったと聞いた。あの「よろしく」攻撃に、上の方々がうんざりしたせいかもしれないが。 だからというわけじゃあないが、アルティカの王は猊下の顔を見知っている。大賢者猊下が魔王陛下と並ぶ眞魔国の二大権力者の一方であり、陛下に対し宰相閣下よりも影響力を持つということも知っているはずだ。 そんなとんでもない高貴な人物が突如、極秘の会見を求めてアルティカにやってきたのだ。大陸に群れる弱小国の1つにして、今となっては魔族に見捨てられたが最後、滅亡という名の崖を転がり落ちるしかないこの国に。 一体何をしに来たのか。自分達はこの人物に何を求められるのか。もしそれに応えられなければ、何が起こるのか。 訳が分からずに、彼らは悩んでいる。それがどんどん恐怖に成長していくのを、俺はじっくりと観察していた。 「猊下……お食事などは、お済みでしょうか……? その、粗末なものではございますが……」 「そのようなお気遣いは無用です、陛下。それよりも、時間を無駄にしたくありません。もし陛下のお時間を頂けるのでしたら、すぐにお話させて頂きたいのですが?」 もちろんアルティカ側には否も応もない。 ではこちらへと猊下を案内しようとしたその時、「お願いがあります」と猊下の声が掛かった。 ハッと表情を引き締める一同。その様子も内心も、充分ご存知のはずでありながら、猊下のお声には子供らしさ以外何の色もない。 「……願いと、申されますと……?」 「こちらは王弟殿下でいらっしゃいますね?」 王の傍らにいた人物が、ドキリとした様子で顔を強張らせる。 「……は…。左様でございますが……」 「ご面倒をお掛けしますが、会見にはぜひ、王弟殿下の奥方様のご同席をお願い致します」 意外な言葉に、国王と王弟、それから宰相が顔を見合わせた。 「我が……妻で、ございますか……?」 「ええ」村田が頷いて答える。「詳しい話は奥方様がおいでになってから。よろしくお願い致します」 □□□□□ アルティカ国王。宰相。王弟。そしてその妻。 アルティカは今回の猊下の計画に、重要な役割を担うことが決定している。そう、決定だ。本人達の意向はこの際関係ない。 そしてその重要な鍵になるのが、この4人の人間関係だった。 俺の仲間達が作り上げた報告書を読み終えた時の、猊下の表情が忘れられない。 「実に、理想的だ」。そうにっこり笑って仰った猊下の表情で、俺はすでに9割方、猊下の策が成ったことを理解した。 アルティカ国王は凡庸な国主だと言われている。善良なのが唯一の長所であり、同時に欠点だと。 宰相はそんな国王の育ての親だ。 前王が放蕩者で、国費を無駄に浪費した挙げ句、寵愛した愛人の子、それも王の種かどうか甚だ怪しいという子供に王位を譲る構えを見せて、宮廷を一気に混乱に陥れてしまった。良くある話だが、生き残りと権力奪取のために宮廷が割れたわけだ。一時は、王と愛妾の一派が宮廷のほとんどの勢力を押えていたらしい。 だが結局勝ったのは、お互いに義務感だけで連れ添っていた王妃が生み、養育も教育も親から見離されていた長男と、忠義一途でその長男を哺育してきた内大臣の一族だった。 彼らはほとんど反逆スレスレの行動を起こし、王を無理矢理隠居させると、正嫡である長男に位を譲ると書いた書類に署名させ、愛妾とその子を追放した。ついでに自分達に刃向かった政敵もことごとく粛清した。溺愛していた愛妾とその子を奪われた王は悲嘆のあまりか間もなく亡くなったらしいが、人々がそれに気づいたのは死後3日ほど経ってからだったそうだから、その扱いが分るというもんだ。 そして長男が王位に就くと、若い王を援けるため、内大臣は職務を息子に譲り、自分は宰相になった。これについて、宮廷の内外どこからも文句は出なかった。当然だろう。そもそも、宰相がいなくては、王は王位にまず就けなかった。ひたすら好人物で争いを嫌うというこの長男殿下は、父に疎まれていると知ったとき、「では私は身を引こう」とあっさり口にしたそうだから。 内大臣が宰相に就いたこの瞬間、アルティカの権力は彼が一手に握ることになる。 宰相が有能な男であり、私利私欲で宰相になった訳ではないことは、少数派から一気に勢力分布を覆した指導力や行動力、粛清して没収した大量の貴族たちの財産を着服せず、丸々国庫に納めさせたことからも分る。さらに言うなら、自然の荒廃で二進も三進も行かなくなる今日に到るまで、アルティカが国情不安に陥ることはほとんどなかった。他国のように、民心が荒れて暴動が頻発する、なんてことも起きず、貧しいながらも民は助け合い、少なくとも見た目は穏やかに暮らしている。宰相の執政が上手く機能したってことなんだろう。 この辺りが、「アルティカは宰相で保つ」と言われる所以だ。 だがここ数年、宰相の権力一点集中に翳りが見えてきた。 理由の1つは、もちろん大地の荒廃による国力の低下。そしてもう1つが、王弟殿下とその親派の台頭だ。 王弟殿下は、兄王とは同腹で、兄の即位に関る騒乱において、最初から兄の味方だった。 年が離れていることもあって、最初はほとんどその存在を顧みられることがなかったのだが、成長と共にその英明さが際立ってきた。特に為政者としての能力が非常に高いことが誰の目にも明らかになると、人々の意識が顕著に変化してきた。 王弟殿下はもちろん自分の領地を持っている。国王直轄領に次ぐ広い領地(あくまで国内比)だ。彼はその領地を、世界的な自然の荒廃に逆らうように発展させたのだ。 すなわち、王弟の監督下で農地を開拓し、道路や水路を整備し、季候や土の状態に合わせた種苗や肥料を選び、それを民に公平に分け与え、農作業の効率化を図り、他国からの情報で知った様々な産業を導入した。そして民にその産業を伝え、農閑期の農民に作業を担わせ、賃金を与えた。 さらに、領地の周囲の山々に潜伏していた盗賊を一挙に征伐し、自警団を組織し、治安にも努めた。 王弟殿下の領地経営は大成功し、その地はアルティカで最も豊かで平和な土地になった。 王弟殿下こそ、国王にふさわしいお方。 その声が上がるのも無理はない。 宰相が年齢と共に権力に執着し、同時に国土の荒廃が進み、王の愛妾となっていた宰相の娘が王の子供を生むと、宮廷や民の不満は一気に高まってしまった。 おそらく、王弟殿下にも「自分こそが」という気持ちがあるだろう。 魔族との友好を、最も強力に主張していたのもこの殿下だ。彼は諸外国の動向にも通じている。 自分こそが、自分なれば、という自負もあるだろうし、長年頭を抑えつけている宰相も邪魔だろう。その思いが通じているのか、王弟殿下の領地では「打倒宰相」の声が最も高いという。 もちろん宰相がそれに気づいていない訳がない。 今、宰相一派と王弟一派の水面下の争いが危機的状況にある。そう報告書にはあった。 だが付け加えて、それが実際に内乱のような状態にまで発展するかは微妙だともある。 なぜなら。 宰相も王弟殿下も、国王を心底愛しているからだ。 これは冗談で言ってるんじゃない。 権力を争う2人は、心優しい、だがそれ故に王としての能力が甚だ心許ない国王を、こよなく愛し、彼のためにこそ我が力を活かしたいと切望しているというのだ。 国王を愛しているから反乱など起こせない。国王の、宰相と王弟それぞれへの愛情の深さを知っているから、二人は相手を殺せない。王が哀しむから。 だったら話し合って協力すれば良いのに、逆に「王への愛は自分の方が深くて強い」と信じる二人は、そこでまた反目してしまうのだそうだ。……とことん不毛な関係だ。 今、アルティカは、心優しい王様を頂点に、王と国を一番大切に思っているのは自分だと信じて疑わない宰相と王弟殿下が睨みあいつつ、それぞれが王の片足を支えているという状態だ。そして宰相は、自分が権力を握ってこそ国は成り立つと信じ、王と自分の座を脅かす王弟を潰したいと考え、王弟殿下は自分の能力を政に活かしてこそ国は復活する、自分こそが王に相応しいと信じ、その最大の障害である宰相を消し去りたいと考えている。そして同時に、王を愛するが故に、最後の一線を越えられずにいるわけだ。 そして王弟殿下のお后、奥方様の位置だが。 今の所、アルティカにはほとんど意味を為さない存在になっている。 彼女はヴォーレンの前王、つまり今の州執政の父親が愛妾に生ませた女の娘、つまり前々王の孫であり、執政の姪に当る。 奥方の祖母に当る前々王の愛妾は、王がたまたま忍びで街に出かけた時に見かけて略奪してきたという花売りの娘だったそうだ。あまりに卑賤の身であったため、その女が産んだ娘、つまり奥方の母親は、宮廷でほとんど顧みられることがなかったという。娘が成長すると、父王は自分の側近くに使える騎士を彼女の夫として宛がった。他国の王族や、国内の有力貴族を選ばなかったのは、卑しい血を引く娘に力を与えないためだったというから勝手な話だ。結局、奥方が生まれてすぐ、その父親も亡くなった。夫をなくした母親と生まれて間もない奥方は、そこでいかにも邪魔者らしく、修道院に放り込まれてしまった。 母娘の存在を宮廷の人々が思い出したのは、ヴォーレンがアルティカから港湾の使用料を前払いしてもらう返礼が必要になった時だった。ヴォーレンの宮廷でほとんど存在を忘れかけられていた彼女は、王族でありながら宮廷や王族の誰の心も痛めない、実に都合の良い貢ぎ物と目された。当時わずか10歳で、彼女は自分の運命を受け入れ、侍女代わりの母親と一緒に、アルティカに「売り飛ばされ」ることとなった。 だが間もなく、ヴォーレンは大シマロンに滅ぼされてしまう。母娘はヴォーレンの「王族」としてアルティカにやってきていながら、たちまち亡国の流人となってしまったのだ。 しかし、母娘にとって幸いなことに、アルティカの国王は幼女を妾にする趣味など持っていなかった。それどころか母娘の境遇を哀れんで、娘を養女扱いにして貴婦人に相応しい教育を授けたのだ。 そして彼女が18歳になった時、妻と子を疫病で亡くして久しい弟の後添えとして娶わせた 兄王の「養女」を快く引き取った王弟は、当時領地の建て直しに全精力を傾けていて、私生活は清廉そのものだったらしい。つまり、忙しくて愛人を囲う暇もなかったってことだ。それが奥方に幸いし、奥方と母親は、王弟殿下の下でようやく安住の場所を見つけたわけだ。 英明で名高い王弟殿下の正室として、娘が質素ながら不自由なく、心穏やかに暮らしていけると確信できた母親は、安堵で長年の緊張が解れ過ぎてしまったのか、間もなく床に付き、娘に看取られてこの世を去った。 その間、大シマロンは滅び、新連邦が立ち、ヴォーレンは復権して新連邦の一州となった。だがもちろん、奥方にとってそこはもはや故国ではない。それどころか、ヴォーレンの名は母と自分の人生を好き勝手に弄び、踏みつけにした恨み骨髄の国の名だ。 紛れもない「王族」でありながら、自分は大恩あるアルティカの国王にも夫にも、何ら益を齎すことができない。そんな自分を恥じ、いつしか卑屈なまでに身を慎むようになった奥方の胸の奥に、ヴォーレンへの恨みの炎を燃え盛っていても無理はないといえるわけなんだが……。 □□□□□ 「………も、申しわけ、ありません…猊下……。いま、今、何と仰せで……」 案内されたのは王の客間。 そこに集まっていたのは、眞魔国大賢者村田健猊下、その護衛の俺、そしてアルティカの国王、王弟夫妻、宰相、大将軍の6人だ。俺は猊下の後に、大将軍はアルティカの王族方の後に控えている。部屋に全員が揃った当初、真正面に立っている大将軍が謹厳実直に直立不動だったもんだから、俺もくそ真面目な顔を作って立っていた。 そうして俺は、新顔の王弟殿下の奥方を、猊下の後からじっくりと観察した。 まだ若い。20歳そこそこの若さだが、際立った特徴のある女性ではない。むしろ、地味だ。経済的な問題もあるだろうが、その年齢にしては質素というか、飾り気が全くない。髪型もお堅い女官長のようなひっつめ髪だし、ドレスは濃い緑色、襟は高く、袖はぴっちりした長袖という、色気の欠片もないものだ。装飾品といえば小さな銀の胸飾りが1つだけ。短く切った爪には紅も塗られず、指輪は無骨な平打ちの銀のものがこれまたひとつだけだ。 「卑屈なまでに身を慎んでいる」という、報告書のまんまの女だ。この奥方に比べたら、40歳近い夫の方がはるかに華やかな雰囲気を纏っている。 「王弟殿下、そして奥方様に、新たに新連邦から独立する予定のヴォーレン王国を、王として治めて頂きたいと申し上げました」 ほんの少し前まで、夫の身体の陰におどおどと隠れるように身を縮めていた奥方が、目をこれ以上ないほど見開き、身を乗り出してその発言の真意を確かめるように猊下の顔を凝視している。 もちろん夫である王弟も、そして国王や宰相、彼らの背後に立つ大将軍も、愕然とした顔を隠せずにいる。 この部屋に導かれてすぐ、猊下は新連邦を巡る状況を、アルティカ国王達に事細かく説明していた。 反魔族の4ヶ国が結託して、新連邦を混乱に陥れようと画策したこと。そして新連邦の内部においても、9つの最も復活の速度が早い州が、他州に足を引っ張られることを嫌ったか、そもそも利用価値がなくなったらさっさと見切りをつけるつもりだったのか、独立を求めて蠢き始めたこと。その当然の帰結として、9つの州と4ヶ国は手を結ぶこととなったこと。そしてその彼らが頼りとしたのが小シマロンであったこと。 しかし小シマロンは魔族と友好を結ぶことを決断した。 正式な友好条約締結が決定したと聞いて、アルティカの王族達は心底安堵したようだった。 眞魔国を除けば、今最も力のある国は小シマロンだ。それは大シマロンの内乱に介入し、深い傷を負った現在も変わらない。それが小シマロンの底力なのか、他国の状況が悪すぎるのかは不明だが。 そんな小シマロンの動向は、大陸諸国にとって重大な問題だ。彼らが戦を起こせば、火の粉は必ず大陸中に降り注ぐ。小シマロンが眞魔国と事を構えず、むしろ友好を結ぶという情報は、大陸に生きる彼らにとって朗報以外の何ものでもない。 「では、その陰謀は壊滅したのですな?」 「そのご質問に対しての答えは、肯定でもあり否定でもありますね」 質問した宰相が、神経質そうに目を眇める。 「九州の独立という陰謀は壊滅します。後ろ盾となった4ヶ国は、その代償として滅びます」 「滅ぶ!? それは……」 「小シマロンは、我が国との友好条約締結と同時に、これまでの同盟国、即ち反魔族の国々との関係を断ち切ります。つまり、あらゆる経済的な援助を停止し、小シマロンの港の利用を禁じ、街道を封鎖するのです。4ヶ国は国家そのものが立ち枯れることになりますね」 国王、宰相、王弟、大将軍は、それぞれ4ヶ国のこれからについて想像を巡らせたのか、わずかの間思考の淵に沈んだ表情をしていたが、すぐに悪寒を感じたかのように揃って身体を震わせた。 あらゆる支援や経済活動を封鎖されたらどうなるか、我が身に置き換えてゾッとしたのだろう。 「ですが、4ヶ国の民はまだましです」 「…ど、どういうこと、でしょうか…?」 「4ヶ国はすぐに混乱の極に到るでしょう。そうなれば、小シマロンは間髪入れず4ヶ国を吸収します。小シマロンの民になると分れば、国の混乱もすぐに落ち着くでしょう」 「しかし……国は…王家は……」 「国の名は消え、王家も滅びます。ですが、民は生き残りますよ」 「………………」 国王や宰相たちは挙って眉を顰めた。猊下のお言葉に、とても賛同できないと表情が豊かに語っている。まあ、こいつらにしたらそうなんだろうな。王様ってのは、自分達こそが国だと思いこんでるモンなんだから。 「しかし問題は、小シマロンと4ヶ国の援助を頼りに反乱を起こそうとした9つの州です」 一瞬虚を突かれたような顔をしてから、確かにその通りだと全員が居住まいを正した。 特に、生まれ故郷のヴォーレンの運命、もしくは、反乱を企てた恨み骨髄の王の去就が気になるのだろう、それまで気弱気だった奥方の眼差しにも鋭さが加わってきた。 「すでに九州の執政達は、同盟の血判書に署名をしています。小シマロンや4ヶ国が実は当てにならないのだと知らされても、彼らは後に引けないでしょう。もし一旦引いたとしても、反逆を画策し、これまで様々な陰謀を巡らせてきたこれらの州、特にヴォーレンなどが独立を諦めるとは思えません。新連邦中央政府とて、彼らへの不信の念を消し去ることはできないでしょうしね。となれば、新連邦は確実に、それも大変危険な混乱状態に陥ることとなるでしょう。そうなれば、大陸の周辺諸国への影響は計り知れません。先ほど、陰謀は壊滅するのかというご質問に対し、肯定も否定もできると申し上げたのはこういう意味です。お分かり頂けますでしょうか?」 分ります、と、国王が頷いた。宰相や王弟、大将軍も、「仰せの通りでありましょうな」と頷く。 「元は別々の国だったのですからな。一旦信用ならぬとなれば、これはもう修復は不可能でございましょう」 宰相がしみじみと言えば、猊下も「仰るとおりです」と頷かれる。 「今大陸が危機的状況に瀕していることは理解致しましたが……」国王が尋ねてきた。「それが我々とどのような関係があるのでしょうか…?」 「陛下が仰せになった危機的状況。その平和的な解決のために、僕はこちらに伺ったのですよ」 にこやかに答える猊下に、アルティカの人々がきょとんと目を瞠った。 「我が眞魔国の偉大なる魔王陛下は、世界に戦が起こることを望んではおられません。陛下がお望みになるのはただ1つ、平和です。そして、魔族と人間が対等に友情を育み、共に繁栄することです。よって我々は、新連邦が混乱することを何としても避けたいのです」 ではそのために何をすべきか。 そう言って、猊下はアルティカの人々の顔を見回した。 「最も平和的な解決は、ただ1つと考えます。すなわち、九州の新連邦よりの独立です」 我々は、九州が元の王国として復活することを全面的に支援しようと考えます。 あっさりと提示された方法に、人間達が一様に驚愕の表情を見せた。その中でも王弟の奥方の表情が、驚愕からわずか一呼吸で一気に怒りへと変化したのは見事だった。 何故でございますか! 奥方が声はほとんど悲鳴だ。 「仰せのこと、とても承服できませぬ! ヴォーレンは今は新連邦の州。それが反乱を企てたとなれば、あの男は反逆者でございましょう! それが独立を許されるとは……! それでは反乱のやり得ではありませぬか!」 奥方が激高すると同時に、夫殿下がその肩を、ほとんど力づくで引き戻した。 落ち着かぬか! 耳元で叱り飛ばされて、奥方の身体が一瞬で固まる。 「奥方様の仰せの通りです」 ハッと、全員が目を瞠り、猊下に視線を向けてくる。 「反乱を企て、国家を混乱に陥れ、それが王として復権するなど許されません。しかし、陰謀が潰されるからといって放っておくことも、指導力のない中央が闇雲に九州を罰することも、どちらも混乱と内戦の呼び水にしかなりません。ではどうすべきか」 「……どう、なされると……?」 「先ほど申し上げたではありませんか」朗らかに答えれば、ひたすら戸惑いの視線が返ってくる。「そのためにこちらに伺ったのだと」 「あの……申し訳ありません、猊下」 我らには、猊下の仰せの意味がさっぱり分らぬのですが……。 国王が混乱しきった表情で降参の旗を上げた。 猊下が穏やかな様子で頷かれた。お顔には優しげな笑みが浮かんでいるんだろう。 「王弟殿下、そして奥方様。眞魔国はヴォーレン州を王国として復活させます。あなた方には、その新生ヴォーレン王国の初代国王となって頂きたく存じます」 呆然とするアルティカ国王、宰相、王弟、その妻、大将軍。 訳が分からないという彼らに、猊下はさもありましょうと頷いた。 「ヴォーレン始め、9つの州を新連邦から分離独立さ、安定した政権を作る。これが、大陸を混乱と戦から護る最も良い策であると我々は考えました。しかし奥方様が仰せの通り、現在の州執政を王として復権させるなどもってのほか。とすれば、新たな王に王国を治めて頂くのが最善」 それがあなた方です。 優しく告げられて、奥方が悲鳴を抑えるように両の掌で口を覆った。夫の方は、ぽかんと開けた口を隠すことも忘れているようだ。 「奥方様は紛れもない、ヴォーレン王国前々王の孫である王女殿下。そして王弟殿下は、その英明を周辺諸国に鳴り響かせておられるお方。ヴォーレンは新連邦において最も復活が早いと言われておりますが、実態はまだまだ荒廃の中にあります。まして、王やその側近、政庁や軍の主だった者は、反逆者として捕らえられます。国を治めるべき者が一挙にいなくなってしまうのですから、その混乱はいかほどのものになるかと……。ですが、考えようによっては、これは新たな王となられる方にとって大変都合がよろしいかと」 「ど、どういうことでございましょうか…?」 飛びつくように王弟が言った。 「ヴォーレンの国政、あえて国政と申しますが、それを牛耳っていた者が消えるのです。残された人々の、良き王を求める思いはいかほどのものとなるでしょうか。そこに紛れもない王族であられる奥方様と、その夫であり、大陸でも俊英と名高い殿下が立たれるのです。民は己の幸運を、心から喜ぶことでございましょう。我々も協力を惜しみません。そうなれば、お2人は政に対し存分にお力を振るうことが叶います。それを阻む者は、ヴォーレンには1人もいないのですから。お2人であれば、ヴォーレンを必ずや理想の王国として復活、発展させてくださるものと確信しております」 ……すごいヨイショだ……。そうか、猊下ってこういう芸当もできるのか。っていうか、ちょっとあからさますぎないか? と思ったが、猊下に思いっきり持ち上げられた王弟殿下は、抑え切れない興奮に頬を真っ赤に染めている。 いくらそこそこ美丈夫とはいえ、40近い男がワクワクと頬っぺたを赤くしている姿っていうのは、ちょっとクルものがある。この王弟殿下がかなりの出来物だってことは確かなはずなんだが……頭は良いが、根は単純なお人なのかな? まあ、兄貴と、それから権力を握って離さない宰相に頭を押さえられて、やりたいことをやれない欲求不満は相当なものだってことは聞いてるんだが。 「……2人で国を治めよとの仰せでございますが」 そこで王弟の兄である国王が、冷静に突っ込んできた。 「玉座は1つでございます。いくら妻がヴォーレンの王族とはいえ、弟にかの国の政を担えと申されるのは、少々乱暴なのではございませんでしょうか。……あ、これは無礼な物言いを……」 宰相に腕を突かれて、国王が焦ったように付け加える。だが猊下は、「陛下の仰せの通りですね」と穏やかにお答えになった。 「玉座にお座りになるのは、やはりまずは奥方様でしょう。ヴォーレン王家のお血筋の方が王となられるのが順当ですからね。しかし、奥方様は、ご無礼ですが国政に携わったご経験はおありではない。そうですね? ……となれば、殿下が宰相、もしくは摂政という形で始められるのが、最も無理がないと思います。そしてそのままの女王陛下と摂政殿下が国を治められるか、それとも王位をご夫君に譲位されるか、それは国政が落ち着かれてから話し合われればよろしいかと。王弟殿下の手腕が発揮されれば、ヴォーレンの民も喜んで殿下を王としてお迎えすることでしょう。しかし、いずれにしても」 最終的に国王となられるのは、お二人の御子でいらっしゃいます。 猊下の視線が、膨らんだ奥方の腹部に向けられる。 ハッとした表情で、奥方もまた、己の腹に目をやり、それからそっと、押し包むようにその膨らみに両手を宛がった。 「この、子が……私の子が、ヴォーレンの国王に……!」 襲ってくる感情に感極まったのか、ぎゅっと目を瞑った奥方の唇がかすかに動いた。それが、「おかあさま」と動くのを俺は見逃さなかった。 そうです。静かに、囁くように猊下が仰った。……猊下も、奥方の唇の動きが伝えた万感の思いを、ちゃんと見ておられたんだろう。 「あなたのお母上のお孫君、あなたと殿下の間に生まれる御子、ヴォーレンとアルティカの王家の血を引く御子が、ヴォーレンの国王となられるのです」 奥方の、硬く閉じた唇が震えだす。 だが間もなく、戦慄く唇を開いて深く呼吸を繰り返すと、奥方はゆっくりと目を開けた。 ……母親ってのは、スゴい。 100年以上生きてきて、諜報部員として敵の真っ只中で生き延びるため、色んな『女』になってきた。……敵の中じゃなくてもやるけど。女になりきる自信もある。でも俺は、『女』を、何より『母親』って生き物を、本当に理解してるのかどうか、分らなくなる時がある。今もそうだ。 腹を大切そうに包み、だがしっかり見開いた目をまっすぐ猊下に向ける奥方。 そこには、もはやおどおどと夫の陰に隠れていた、卑屈なまでに大人しい、引っ込み思案の、不安と恐怖に震えていた女はいなかった。 猊下の前に座っているのは、新たに開かれた玉座に通じる道を前に、燃えるような決意を全身に漲らせた紛れもない、そう、「復讐の女神」だった。 顔つきすら一瞬で変わってしまったように見える奥方に、周りの男達の喉仏が大きく上下した。王弟殿下のこめかみには、脂汗が光っている。大人しいだけだと思っていた女房の変貌に、さしもの俊英も慄いたか。 「アルティカの皆様には、大変申し訳なく思います」 ふいに声の調子を変えた猊下に、アルティカの全員がハッと顔を向けてきた。まるで夢からいきなり引きずり出されたような顔をしている。 「アルティカも、ようやく復活の緒についたばかり。叡智溢れるごとしと讃えられる王弟殿下の存在は、国王陛下にとられましても掛け替えのないものでしょう。王弟殿下にとっても、このアルティカこそが故郷。そのお力、この国のためにこそ揮いたいとお考えのはずです。そしてもちろん奥方様も、今は大切なお身体。お子を宿したこの時期に、重責を担えと申し上げるのは、心から申し訳なく思います。大陸の安寧、引いては世界の平和のためとは申せ、誠に心が痛みます……」 いかにも心を痛めてます、という様子で、猊下が切なげに頭を垂れた。まあなんだな、こういう芸当はクニで待つ坊っちゃんにはできないなあ。……隊長ならお手のモンだけど。って考えたら、今さらだけどやっぱり隊長と猊下って似てるのか……。あ、いや、絶対口にはできないけど。しないけど。何か、命に関りそうだから。 「世界の……」 王弟殿下が、弾みそうになる口調を一生懸命抑えているのが、笑えるほど分る。 「平和のため、でございますな……?」 これが王位の簒奪ではないと、眞魔国に保証してもらいたいんだろう。 ワクワクと答えを待つ子供のような様子に、猊下が「もちろんですとも」と、生真面目に頷いて応えた。 「国王陛下、殿下、奥方様、どうかこのような願いを抱く我らをお許し下さい。しかし、世界の平和のため、大陸と、大陸に住まう民の安寧のため。伏してお願い致します。何とぞあえて艱難辛苦の道をお選び下さい……!」 やる気満々の王弟と奥方に気づかないフリで、猊下がいかにも申しわけなさそうに頭を下げた。 そういや前に、頭を下げて済むんならいっくらでも下げてやるさ。どーせタダなんだし? と悪戯っ子みたいに仰ってたっけ。その甲斐あってか、王弟殿下と奥方様は自尊心やら何やら溢れるものを猊下に擽られて、すっかり良い気分になっている。 「猊下…! 世界の平和のためとあらば我らは……!」 「仰せの段、重々理解いたしましてございます」 すっかりその気になった王弟殿下の、要請受諾の声に被さるように上がったのは、国王陛下のきっぱりとした言葉だった。 「しかし、事は我が国にとっても重大な問題でございます。返答は、今しばらくお待ち頂いてもよろしいでござりましょうか…?」 「ええ、当然のことと存じます」 不満そうな王弟殿下に気づかないフリで、猊下が頷かれた。 「充分ご検討の上、答えを出して頂ければと存じます。ただ……そうですね、このことは貴国にとっても恵みを齎すと思いますよ?」 「恵み、と仰せですか?」 「ええ、そうです。ご存知と思いますが……ヴォーレンには、良い港が2つもあります」 そこで国王、王弟殿下、それから、これが自分に取って良いことなのかどうなのか、判じかねていた宰相が、ハッと目を瞠った。 「内陸にあるアルティカにとって、港湾と繋がることは重大事。ヴォーレンが大シマロンに攻め入られてからの混乱期は、こちらにとっても大変だったのではないでしょうか? 今、新連邦が成ったとはいえ、このままではまたも戦が起きかねません。ですが、ヴォーレンが落ち着けば、そしてその頂点に立たれるのが王弟殿下と奥方様となれば、その兄弟国であるアルティカにとって、これは素晴らしい恵みとなるのではないでしょうか。……これは今申し上げるべきではないかもしれませんが……」 王弟殿下と奥方様による新生ヴォーレン王国が成れば、港湾のある街とアルティカとの間を結ぶ街道の整備を、我々が援助させていただくつもりでおります。 ひゅううっと妙な音がした。宰相だ。猊下に提示された事の意味を理解して、一気に頭に血が上ったらしい。宰相として物資の移動の全てを陸路に頼らなくてはならない苦労も、まともな街道がない辛さも骨身に沁みているんだろう。だから当然、港のある国と密接に結ぶ意義も分かっているだろうし、同時に、他国の港を使わせてもらうために支払う税金の高さも理解している。その港を、自分達の王様の弟が治めることになれば……。宰相の頭に血が上るのも分るってもんだ。 ちなみにそれは王弟殿下も同じらしく、収まりかけていた興奮が蘇ってきたのか、目を輝かせながら「2つも港のある国の王に……」と呟いている。国が港湾を持つことの利権はでかいからね。いや、王様になるのはとりあえずあんたじゃないんだけどね。 あからさまに息が荒くなってきた宰相と王弟殿下と奥方様を他所に、国王陛下は1人静かに苦笑を浮かべていた。 ……案外冷静な判断力ってヤツを持ってるのかな、この御人は。 「充分、ご検討下さい。良いお返事を期待しております」 興奮している3人は気もそぞろなんだろう、猊下のご挨拶に、礼儀正しく頭を下げたのは国王陛下ただ1人だけだった。 その夜。 慎ましい、だが心づくしの夕食を頂戴して、俺と猊下は客間に入った。 猊下は宿に戻るつもりのご様子だったが、国王達に何としてもと引きとめられたんだ。 部屋はやっぱり質素だし、灯も少なかったが、もちろん獣の洞穴に干し肉でも全然平気な猊下に文句のあるはずもない。わずかな湯で全身の汗をザッと流すと、猊下は夜着にお着替え……。 「あれ? また服を着られたんですか? せっかくお身体洗ったのに……」 「お客さんがくるからね。パジャマじゃ失礼だし」 「お客?」 そんな使いは来てないが。どういうことですか、と伺おうとしたその時、扉の内側に垂れ下がっている鈴がそっと、息を潜めるようにリン、と鳴った。これは人が訪れてきた合図だ。誰かが扉の外で鈴に繋がる紐を引いている。 「ヨザック、お迎えして」 猊下のご命令で、俺は扉を開いた。そこに立っていたのは意外にも。 「陛下。お待ちしておりました」 供も連れずに部屋に入ってきたアルティカ国王を、猊下が満面の笑顔でお迎えになられた。 「私がお伺いすると、分っておられましたか?」 「おや」猊下が笑みを苦笑に変えられる。「夕餐の後、僕に目で合図されたと思いましたが、違いましたか?」 「合図というほどではなかったのですが」国王も同じ様に苦笑を浮かべた。「気づいて頂ければ良いなと考えておりました」 ……ちょっとショックだ。この俺が素人の目配せに気づかなかったとは。 ソファに向かい合って座るお二人にお茶を配りながら、俺は「国に戻ったら修行し直そう!」と心に決めた。 「それで、陛下。如何なされましたか? このような時間に、お1人でおいでになるというのは……」 「猊下に、御礼を申し上げたいと思いました」 冷静に、さらりと言われた言葉に、さすがの猊下も一瞬沈黙された。 「……失礼、陛下、それは……?」 王弟殿下を新生ヴォーレンの為政者に、というこちら側の申し出に礼を言いたいなら、わざわざ夜中に王様が1人でこっそりやってきて、そっと囁いていく必要なんかない。 部屋の隅で気配を消して、俺はこの小国の王をじっくり眺めた。 「猊下のおかげで」 アルティカ国王は、この人の性格なのか、とにかく冷静に、穏やかに、柔らかな表情をわずかも崩さずに言った。 「アルティカは内乱の危機から救われました」 「それは……」猊下が首をちょこんと傾けられる。可愛い。「宰相殿と弟殿下の対立が激化するということでしょうか? 我々の情報に拠ると、彼らはまだそこまでは踏み込めないということでしたが……」 さすがに良くお調べですね。国王が苦笑しながら首を振る。そして続けた。 「これから国を乱すのはあの2人ではありません。私です」 私は、宰相と弟の両者を、近々粛清するつもりでおりました。 さすがの猊下も唇を引き締められた。俺もびっくりした。……確か、善良っつーか、お人よし極まりない王様じゃなかったっけ? 「……あの2人を、どのような罪に問われるおつもりでしたか?」 「問う罪が特にないが故に、粛清という言葉を使いました。抗弁する余地を与えるわけにはまいりませんので」 「陛下……」 「私の責任なのです」 王が哀しげに目を伏せ、低い声で言った。 「宰相と弟を実力者として表に立てることによって、己の地位を護ることを覚えてしまった私の……。あの2人が積極的に政に関れば、不平不満も憎悪も2人に向く。私は王の能力を疑われつつも、誰からも憎まれず王座は安泰です」 「それも処世術の1つと思いますが? それに、王弟殿下は恨みどころか、高い評価を得ておられますよ?」 「はい。そのために弟の玉座への野心は日に日に高まっております。確かに弟は私を思ってくれており、懸命に野心を隠しておりますが、己の野心と私への愛情という心の均衡も、遠からず崩れるでしょう。私は弟が堪えられる限界を知っております。そして宰相も……」 「弟殿下への疎ましさが嵩じて、ついに一線を越えると?」 「はい。宰相には、私が王太子として弟を指名すると申します」 「……それは……お子には継がさぬと仰るおつもりですか?」 「そうです。子の母は宰相の娘、私の乳兄妹で、私に良く仕えてくれております。ですが、宰相が己の娘に王の子を生ませ、その子を次の王位に就けようとすれば、これは確実に国の乱れを生みます。それでなくても、近年宰相の施策は民を思うより、己の権力を護ることに重点が置かれております。これも人の悲しい性でございましょうが、権力というものは、1度握ると2度と手放せなくなるものなのでしょう。孫が王位に就けぬと知らされれば、宰相は弟を即座に抹殺すべき敵と看做すでしょう」 「それはつまり、あなたが宰相殿をけしかけるということになりますね。それを正式に発表する前に弟を討て、と。そうなれば、もちろん弟君も迎え撃つことになる。なるほど、内乱を起こすのは自分だと仰せなのは、そういう意味でしたか」 「その通りです。弟は野心を表に出すことを我慢しているつもりですが、周りの者にはもう察知されております。弟の側近達はすでに宰相を討つための準備を整えております。後何か一押しがあれば、両者は激突します」 「あなたは激突させようとなさっている。いや、激突する寸前で王命を出すおつもりですね? 国を乱す両者を捕らえよと」 そこで国王が大きく頷いた。 「宰相が、あれほど権力に固執せずにいてくれたら…そして、弟がもう少し愚かであってくれたら……。宰相も昔は本当に私利私欲と無縁の人だったのです。弟も……弟は、優秀すぎました。そして己の才を隠そうともしなかった。もう少し能力をひけらかさず、己を抑えてくれていたら。弟は、自分が勝てば、自分を後継者に定めさせた後、私に隠居を勧めるでしょう。宰相が勝てば、己の孫を王太子に据えさせるでしょう。そして2人とも、私が逆らうとは思いもしない」 私の企みを知れば、2人ともさぞ驚くでしょうね。そう呟いて微笑んだ国王の顔は、紛れもない策士そのものだった。 「しかし、陛下には側近が必要なのではありませんか? もしかしたら、その人選もすでに終わっておられるのでしょうか」 「はい。もう何年も前に。彼らには、他国への留学などをさせて政を学ばせました。今、そのほとんどが帰国して、その時を待っております。優秀な者達ばかりで、全員私への忠誠を誓ってくれております」 「なるほど、準備は整ったわけですね? そこへ僕が来た」 「感謝申し上げております」 国王が頭を下げた。 「2人を粛清する段取りは、全て整っておりました。後は宰相と弟の動きを調整すれば良いだけでした。ですが……ここまでやっておきながらと笑われるかもしれませんが、私は……2人を愛しております」 心から。しみじみと言う国王に、猊下が深く頷いて応えた。 「国王であろうがなかろうが、私という人間を心底愛してくれるのは、この世であの2人だけなのです。私も、心から2人を愛しております。しかし、あの2人をこのまま放置すれば、必ず国を乱す。内乱となります。そうなれば、眞魔国からの援助も止まってしまう。アルティカはお終いです。王として、私はあの2人を、そして2人を奉じる者達をこのままにしておくことはできません。ですが1人の人間として、父とも思う宰相を、そしてたった一人の弟を…殺すことは、辛く……」 ぐ、と込み上げるものを押し殺すと、深く呼吸をして、国王は顔を上げた。 「弟がヴォーレンに参れば、宰相の敵愾心は向かう相手をなくします。その段階で、宰相の権力を緩々と、本人が気づかぬ様に削いでいくつもりです。そうすれば、私は大切な存在を誰1人なくすことなく国の建て直しに没頭できます」 「とても良く分かりました。しかし陛下、宰相殿と弟殿下の確執は、今後は国際問題になりそうですね?」 「さてそれはどうでしょう」 ここでアルティカ国王が、何か思い出した様に笑みを浮かべた。 「実は国際問題はすでに我が城で始まっております」 「ほう…?」 「宰相が、ヴォーレンの港の使用料について早速もの申しまして」 「それは…宰相殿も気が早い」 「全くです。宰相が言うには、アルティカとヴォーレンはこれから兄弟国になるわけなのだから、弟の国が兄の国から税を取るなどあってはならない、港の使用料はアルティカに限って無しということにすべきだと」 「それはまた…。弟殿下は何と?」 「それが、弟が口を開く前に、弟の妻が激怒いたしました」 「奥方が?」 「はい」 『ヴォーレンの王になるのはこの私です! これまでお育て頂いたアルティカのご恩は忘れてはおりません。ですが、ヴォーレンは独立国なのです。たとえアルティカの王弟である我が夫が宰相になろうと、ヴォーレンはアルティカの属国ではございません! 兄上のお国だからといって、ヴォーレンはアルティカの下風に立つわけではありません! あなたに税を取るなと命じられる覚えも、見下される覚えもございませんよ!!』 国王は奥方の口調を真似るように言うと、どこか頼もしげに微笑んだ。 「烈火のごとき怒りに、宰相も弟もたじたじとなっておりました。よもやあの娘があのような口を利くとは、2人とも想像できなかったでしょうね。これからが楽しみです」 どうも、奥方と自分を重ねて楽しんでいるらしい。意外と人が悪いな、この王様も。 「それにしても陛下、僕は大変驚きました」 「と、仰いますと?」 「陛下はご存知と思いますが、この国の現状につきまして、僕はそれなりに情報を得ていました。しかし、陛下が今お教え下さったことは知らされていません。我々の情報網を掻い潜るとは、見事でいらっしゃいますよ」 「それは猊下、買い被りと申すものです」 「ご謙遜を」 「いいえ、本当です。私が新たに側近とする者を、私なりに選ぼうと決めたのは、かなり以前のことなのです。そう、あれは、まだ大地の崩壊が表に出る前のことです。誰に相談もできませんでしたので、私が1人で、恥ずかしながら、これと目星をつけた者をじっくり時間を掛けて観察して、人となりを確認してからそっと接触して集めました。誰もこのことを知っている者はおりません。それに、大地が荒れ、国が崖っぷちに立つ状態になりましてからは、国内に混乱を起こしては自滅すると思い、ひたすら様子を見るだけ、あの2人が暴走せぬよう関係の均衡を保っておくだけで、私もこれといった行動は何もしておりません。現在、私が選んだその人材は、今ほとんどが宰相や弟の下について、長い者は10年以上、彼らの手足となって働いております。ただし、皆、己の才覚はひた隠しにして、重用されもしないが無能だと放り出されもしないという程度の位置に甘んじております」 「つまり、宰相殿と弟殿下の、その他大勢の家人の1人となって身を隠しているわけですね?」 「そうです。その時がきたら、彼らは本来の自分に戻って、私とアルティカのために働いてくれることになっております。ですから猊下、猊下がこれをご存じなかったのは、むしろ当然のことでございましょう」 それから間もなく、国王はまた静かに密やかに去っていった。 「旅っていうのはしてみるものだね、ヨザック」 「新発見の日々ですしね」 「そうそう。何より使える人材が見つかるのはとっても楽しいよ」 「使えますか? あの王様」 「うん。内心忸怩たるものがわだかまってそうだけど、本質的にあの人は『王』だ。宰相は政治家で弟君は野心家の能吏だけど、国王陛下は本物の王様だよ。無自覚だけどね」 「育ての親と弟を粛清しようってのが本物の王の証ですか?」 「情に囚われず、なすべきことができるというところがさ。彼も言ってただろう? 政治的混乱を起こした国に対して、我が国は援助を即時停止するからね。飽和状態の政治的危機を事前に潰そうというのは、為政者として当然の行いだ。あの人には頑張ってもらいたいね。あの陛下の援助は優先的に行うよう進言しておこう。それと、新生ヴォーレン王国の初代女王陛下も注目株かな。握った権力に溺れなければ面白い目が出そうだ」 それよりも、ねえ、ヨザック? 猊下がニコッと無邪気な笑みを浮かべて俺の顔を覗きこんだ。……危険だ。 「……な、なんでしょーかー、猊下」 「国王の企みを、ウチの諜報部員は誰も探り当てられなかったね?」 「そ…それはー……」 無理もないんじゃないでしょーか? だって、王様がたった一人で、誰にも内緒で使える人材を探して、集めた連中は国外に留学させたり宰相や王弟の「一山幾ら」の手下の群れの中に潜り込ませていたわけでしょう? 王様もその連中も、ここ何年も大人しくしていただけで何にもしてないわけだし、いくら何でも……。 「探れなくても仕方がなかった、って思ってる?」 「……あ…いやその……あー、まー……」 「ヨザック」 「あ、は、はい…っ!」 それを探り出すのが魔王陛下のお庭番だろう? 出ました。猊下必殺、氷雪の眼差し。 「陛下のお役に立てない諜報部員に出す給料はない。帰ったら、全員減俸と再教育だな。フォンヴォルテール卿は部下の教育と管理が甘いようだから、僕が借り受けて徹底的な再訓練を始めようか。グリエ・ヨザック、君も楽しみにしているんだね」 ひ…ひぃえええぇぇぇええええ……っ!! 翌日、猊下と俺はアルティカを出立した。 説得しなくちゃならない国は、まだ残っている。 「さあ! 新たな発見の旅がまた始まるよ! 楽しみだね〜、ヨザック!」 ……楽しいのかな、うん、きっと楽しいよな。 猊下との2人旅。 余計な心配をしてくれるヤツ等にも教えてやらなきゃな。 そりゃもうワクワクだって! →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
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