賢者の隠し扉 5



「凍ってますね」
「だねー」

 頭の上から掛けられた声に、村田は真正面を向いたままにこやかに応えた。

「小シマロンという名のブリザードが全身に叩きつけられた、というところでしょうね」
「液体窒素かもね」
「ではそろそろ握りつぶして粉々にしますか?」
「まだまだ。こういうことはゆっくりじっくりいかないと。君、液体窒素で瞬間冷凍されたバラの花って見たことあるかい?」
「……テレビでならありますが?」
「僕もだよ。誰かがね、なぜか美しさが増したように見えるって言ってたんだ。もしかすると、滅びの1歩手前で一瞬だけ時間を止めた儚さが、独特の美を生むのかもね。というわけで、僕達もこの状況をもうちょっとじっくり楽しむことにしよう」
「真正面にあるのがアレですから、とても美を愛でて楽しむ気にはなれませんが?」

 彼ら眞魔国代表一行の真正面に見える表情は、真正面のナウダン代表を始めとする、これ以上ないほど歪みきった人間達の顔だ。

「うーん、確かにそうだねー。……まあ君は、僕に渋谷の顔でも重ねて心を和ませると良いよ。君に見つめられるのは気持ち悪いけど、今回は無理言って渋谷から引き離したからね。我慢してあげる」
「……………大変ありがたいお言葉ですが、先ほどからの猊下のあまりのお可愛らしさに、俺の背筋はすっかり凍え切っておりまして、とてもそのような余裕はありません」
「君も意外と気が小さいね」
「猊下の神経とは比べ物になりません」
「変だな、自慢しているように聞こえるよ?」
「自慢などど。凡人であることに安堵しているだけです」
「凡人に渋谷は任せられないなあ」
「……それを決めるのは陛下であると存じますが、とりあえず、鋭意努力いたします」
「努力かあ。……知ってるかい? 『鏡の国のアリス』の中の台詞だけど……」
「鏡の……ああ、ファンタジー小説ですね。どのような台詞でしょうか?」
「同じ場所に留まるためには全速力で走らなければならない。その先に進むためにはそれ以上の速さで走らなければならない」
「………非常に示唆に富んだ言葉ですね」
「そう。一定のレベルを保つためには、全力で努力し続けなくてはならない。その上を目指すなら、さらにそれ以上の努力が必要だ。これで良いと、努力することを止めた瞬間が脱落の時。……本当に努力している者なら、実感として理解できる言葉だ。君に贈る言葉としよう」
「確かに……承りました。骨身に刻むつもりで覚えておきます。ありがとうございます、猊下」
「うん。素直でよろしい」
「俺はいつでも素直ですよ?」
「素直が富士の樹海に旅立ちかねないから、そういう凍えるジョークは口にしないように」
「ジョークを言ったつもりは……。純情可憐な猊下に比べれば、遥かに可愛いのではないかと」
「君、まさか『可愛い』で僕と張り合おうって言うんじゃないだろうね」
「その点で猊下と勝負ということでしたら、俺の完全勝利という気がするのですが……」
「あああ、あのーっ!」

 何? 何だ? 偉大なる御方と元上司の幼馴染に睨まれて、無謀にも口を挟んだお庭番は瞬間「ううっ!」と仰け反った。

 つーか、この2人がどれだけ「可愛い」かで張り合ったって、最悪に不毛っつーか、周りがひたすら迷惑するだけだと思うんだけどっ! でもって! 俺、もしかしてこういう役回りのためにここにいるわけっ!?

「あのっ! こちらの皆さんが呆然としたままですんで、いい加減話を進めた方が良いんじゃないかと思うんですけどっ!」

 ああ、そういや忘れてた。
 護衛その2の言葉に、村田が肩を竦めて正面に向き直った。元上司の隊長も澄ました顔で姿勢を正す。
 その瞬間、2人を取り巻くように侍っていた眞魔国組の一行─色んな意味で固まっていたらしい─から、一斉に安堵のため息が漏れた。同時に、感謝の眼差しがヨザックに集中する。
 ただいるだけの様に見えて、彼らも結構苦労しているのだ。


□□□□□


「どうなさいました? そんなに驚かれましたか?」

 雷のような衝撃を落とした後、愕然とする人間達を綺麗さっぱり無視していたことも棚に上げ、にこやかな顔でムラタ猊下が人間達に尋ねた。

「……小シマロンと……条約を……?」

 呆然と、呟くように質問を、本人は質問しているつもりはないかもしれないが、してきたのはエレノアだった。

「ええ、そうですよ? これでまた1歩、世界は平和に近づきました。喜んで下さいますよね? エレノア様?」

 自分の名を口にする少年の笑顔に、エレノアは唇を震わせた。

 馬鹿な!
 弾けるような叫びは、ナウダンの使者だ。
 つい先ほどの余裕に満ちた顔とは真逆の表情で、ほとんど恐怖に目を剥き、髪の毛が逆立ってすら見える。

「馬鹿な!!」再び叫びを上げ、ナウダンの使者は無意識だろう、腕を振り上げた。「そんな…あるはずがない!」

 小シマロンが。あの国が。サラレギー王が。魔族と結ぶなど。そんな。あり得ない…!
 喘ぐように、切れ切れに言葉を絞り出す男を、「大賢者」が笑みを浮かべて見返す。

「あなた方は何度も小シマロンに申し入れましたね。新連邦は魔族が肩入れする国。あの異様なまでに広大な国土こそが、魔族の大陸支配の野望の表れ。新連邦をこのままにしておくことは、魔族の悪しき企みを野放しにするも同じこと。新連邦にも反魔族派がいる。彼らを使ってかの国を混乱に陥れよう。結束し、新連邦を滅亡に追い遣り、魔族が伸ばしてきた禍々しき爪を圧し折るのだ。小シマロン王よ、あなたこそ我等の中心となり、神の尖兵となって人間の先頭に立つ御方だ! ってね。でしょ?」

 愕然と、顎を落とし、荒々しい呼吸を繰り返すナウダン始め4カ国の使者達に、ムラタ猊下が邪気の欠片もない顔で笑いかける。

「………なぜ……それ、を……」
「小シマロンが逐一教えてくれていたからに決まってるじゃないですか」

 ケロリと言われて、人間達の顎がますますガクリと落ちる。

「小シマロンは色よい返事を全くしなかったはずですよ? のらりくらりとあなた方の熱弁を躱して、あなた方をかなりイラつかせたはずです。でもあなた方は小シマロンを疑わなかった。せいぜい、大シマロン内の反乱に介入して受けた傷が思いのほか深かったのだろう、くらいにしか考えなかった。元大シマロンの国土を狙う小シマロンの野望に変化はない。勝算ありとなれば、必ず小シマロンは乗って来る。だからあなた方は行動を開始したわけですよね? 小シマロンの確約もないままに」

 その間、我が国と小シマロンは、友好を結ぶための話し合いを着実に進めていました。

「……なぜ教えて頂けなかったのだ……?」

 新連邦最高評議会議員の中から、誰かの擦れた声が上がった。

「どうして教える必要があるんです?」

 何をバカなことをと、ムラタ猊下が呆れた声を上げる。

「これは我が国独自の外交であって、それをいちいちあなた方に報告する義務などありませんよ?」
「シマロンは!」

 ガタンと耳障りな音と共に、「大賢者」の声に被さるように上がったのはクォードの声だった。
 その場に仁王立ちし、凶悪な形相でムラタ猊下を見下ろしている。

「……シマロンと貴国は! 長年に渡る不倶戴天の敵同士ではないか。それが友好など……!」
「敵対している相手だから、友好的に並び立つことができないと考えるのは、国を預かる者の一人としてあまりに幼稚だよ?」

 ぐうっとクォードの喉が鳴る。
 やれやれ。肩を竦め、ため息をつくと、「大賢者」は目を閉じて椅子の背もたれに身体を預けた。
 人々の目が少年に集まる。そして。

「エレノア殿」

 少年の口から発せられた自分の名に、エレノアはハッと頭を上げた。
 「大賢者」は目を瞑り、椅子に背をゆったりと凭せ掛けたままだ。

「エレノア殿」

 再び、少年の口から自分の名が発せられる。その声に、なぜかは分らないが、エレノアは自分の心臓がドクリと不穏に波打つのを感じた。

「外交上の、最大の失敗は何か、分るかい?」

 いきなり何を言い出すのだ、この子供は。
 胸に湧き立つ不安を一瞬忘れるほどの不快感に、エレノアは眉を顰めた。
 14の頃から数十年に渡って国政の頂点にあったこの自分に対して、何なのだ、この無礼な物言いは。

「それが自国にとってどういう相手かによりますが、外交交渉の失敗と言えば、まず国土国益を損なうものでしょう」
「その通り。では、相手がいわゆる敵国だった場合は?」
「ですから、相手がどうあれ国土……」

 即座に続けようとして、エレノアはハッと息を呑んだ。
 敵国との外交、いずれ雌雄を決しようという国を相手にして、最大の失策といえば。
 それはすなわち、自国の準備が整っていない状態で……。

「戦に突入することさ」

 まるでエレノアの心の声を聞いたかの様な大賢者の声に、エレノアの目がハッと見開かれる。
 そして次の瞬間、エレノアの全身を、ゾクリとした、寒気を伴う衝撃が走った。

 少年が目を開いていた。

 その漆黒の瞳に視線を絡め取られた瞬間、何と表現すれば良いのだろう、ずしりと重くなった空気が、まるで壁の様にエレノアの全身に圧し掛かってきた。そんな気がしたのだ。
 エレノアは、胸の奥の暗い淵から恐怖がゴボリと泡立つのを感じて、思わず己の両の二の腕を握り締めた。

 少年が、少年の姿をした、全く違う何かが、自分を真っ直ぐ見返している。

 子供……などではない……!

 これは、何なのだ!?
 私は、この者の、一体何を見ていたのだ…!?
 これを、この、者を、ただの子供だと思いこんでいたなんて……!!

 一体これは。
 この、存在は。

 何、なのだ……。

「失敗、というのは少し違うな」

 エレノアの惑乱に少しも気づかない顔で、ムラタは軽く宙を向き、呟くように言った。

「だってそれだと、上手くすれば成功もあり得ると勘違いしてしまうからね」

 戦争はね、エレノア殿。改めてその瞳をエレノアに向ける。

「外交上の最大の、敗北、だよ」

 議場が静まる。州執政や官僚達の何人か─レイルもその1人だ─が無意識に身を乗り出している。

「戦争を起こすことそれ自体が、国家の、そして王の敗北宣言なんだ。国土を民を、戦の嵐から護れなかった王のね。……僕達にとって最も記憶に新しい、最も愚かな為政者は、我が国の前の摂政と、大シマロン最後のベラールだった。彼等は、外交の最高責任者でありながら、外交最大の敗北である戦争を自ら率先して選択し続けた。特にベラールは無惨だったね。戦に継ぐ戦で、彼は領土を広げられるだけ広げた。ベラールは、自分が勝利し続けていると信じていただろう。だがそれは破滅への確実な道標に過ぎなかった。彼は気づかなかった。戦争を続けるということは、国家にとって最大にして最高の資源、国民を大量に、そして無駄に失うのだということにね。領土を広げれば広げるほど、国家を支える民を失っていく。その矛盾に、あの男は最後まで気づくことはなかっただろう。大シマロンが延々続けてきた戦の中で、一体どれほどの才能や技術が消えていったのかと思うと、僕は吐き気すら覚えるよ。まあとにかく。そうやって全く無自覚の内に自ら敗北し続けた男は、当然の帰結として国土と共に消え去った。だが我々は違う」

 そう言って、少年は、いや、大賢者は、すっと背筋を伸ばして議場の人々を見回した。
 冷たい風に撫でられたかのように、人々の表情が白く強張っていく。

「対立しあう国同士だからこそ、冷静な交渉ができる窓口を常に確保しておかなくてはならない。そして衝突を回避するため、互いの落としどころ、ここまでなら譲歩できるというお互いの一致点を見出さなくてはならない。一方的なものでなければ、譲歩は敗北ではない。その認識を互いに共有し、常に話し合いを続けることで、敵対する両国はやがて両立の均衡を保つ術を覚え、共に生き延びていくことができるだろう。そして知るんだ」

 戦争を回避することは、両国にとって世界と歴史に対する勝利だったのだと。

「我々はそれを理解している。そして面白いことに、あの小シマロンの王、サラレギーもまたそれを理解できる男だった。これはちょっとした驚きだったね。何せ彼は元大シマロンのこの国土を我が物にして、唯一無二のシマロン王を名乗る気満々だと思われていたからねえ」

 そうではなかったと…?
 誰かの声に、「さあね」とムラタ猊下が笑う。

「彼の心の裡など知らないね。ただ、1度抱いた野心を、そうそう捨てられるかどうかは微妙だろうね」
「それはつまり……この新連邦を狙っているということではござらぬか!」
「かもね。でもそんなことはどうでも良いことさ」
「良いわけがないではありませんかっ!」

 ついにその声を上げたのは、傍聴席に座っていたカーラだった。

「そのような野心を抱いている王と、真の友情を誓えるとお思いですか!?」

 いきり立つカーラに、大賢者はやれやれと肩を竦めた。

「そこが君の、いつまで経っても未熟なところだ」
「な…!」カアッと頬を赤らめて、カーラは拳を震わせた。「なにを…っ!」
「一体いつになったら、君は個人的な友情と国家間の外交的信頼関係の違いを理解するんだろうね。というか、君、この場でどういう資格で発言してるんだい?」
「それは……っ」
「相対せば必ず国益がぶつかる国家と国家の間に、君の言う真の友情など存在し得ない」
「………!」
「さっき君のお祖母さんも言ってただろう? 国家にとって対外的に何としても護らなくてはならないのは国益だ。国益とはすなわち、国土と国民に利する全てのものだ。国の政を担う者にとって、最優先のものだよ。これを損ないながら、自分の個人的な友情を優先させる為政者、王などに、国家の頂点に立つ資格などない」
「ユーリは!」
「我らが陛下は!」

 じろりと睨まれて、カーラはハッと口を噤んだ。

「ただの1度として、友情のために国益を損なったことなどない。陛下の世界に対する無私の慈悲は、結果として我が国と人間の国々の国家的友好関係を深め、世界を確実に平和に導いておられる。君達のように、お友達だから無条件に援けてもらえると思い込んでいるような、能無しの甘ったれとは違うんだよ」

 我らが王を見くびるな!

 叩きつけられた言葉に、議場は粛然と静まった。
 身体が痛い。ふとそんな思いが頭に浮かんだエレノアは、自分が椅子の肘宛を、指が真っ白になるほどの力で握り締めていることに、その時になって初めて気づいた。

「そこのクォード殿が言ったように、シマロンと眞魔国の間には長年の確執がある。我々も小シマロンも、それは嫌というほど分かっている」

 上げた声の激しさを一瞬で消し、冷めた表情で大賢者が続ける。

「我らが魔王陛下は、君達もよく知っているように、即位あそばされた時から、人間との共存共栄を外交の第一の柱となされた。小シマロンとの友好もその一環だ。対して、小シマロン宮廷がこの決意をしたのは、崇高な精神からではもちろんない。現在の小シマロンの国情、国力、世界情勢からして、魔族を敵にするよりは、味方とした方が利がある、国益に適うと判断したからだ。しかし、そんな切っ掛けはどうでも良い。重要なことは、サラレギーが魔族との共存を選んだこと、そしてそれを国力が回復するまでの期限付きのものではなく、続けられる限り続けようと決めたことだ」

 そう言って、大賢者は聞き入る人々の顔を見回した。

「磐石な関係が永遠に続くなどあり得ない。国家間の軋轢は、友好国の間でも数限りなく起こる。元々確執や反発が根強いからこそ、我々はこれから対話の窓口を互いに向けて大きく開いていくことになるだろう。そして、争うことが互いの国を害することを理解している我々は、問題が起きれば、お互いに納得できる着地点を見つけるまで徹底的に話し合うことができる。そうやって常に会話を続けていければ、よほど愚かな王や執政が現れない限り、小シマロンは我が国の最良の友好国として存在し続けるだろうと我々は確信している」

 我が国の。そう言った。
 エレノアは顔を上げて少年を、少年の顔をした全く「少年」とは掛け離れた存在を見た。

「眞魔国の、ですね?」
「当たり前だろう?」大賢者が頷く。「新連邦にとって脅威になるかどうかは、君達の外交手腕の問題であって我が国の問題ではない。そんなことまで僕達に頼るつもりなのかい? ああでも、もし君達と小シマロンが外交的な大失策を犯し、戦を起こす羽目になってしまったら、僕達は喜んで仲裁役をしてあげるよ。その時は、両国間の落としどころをしっかりと提示させてもらおう」
「1つ確認したいのですが」

 胸から喉にかけて込み上げてくる苦いものを懸命に押さえ込みながら、エレノアは言った。視線は大賢者から外さない。

「何だろう?」
「小シマロン王サラレギーは確かに怜悧な方と伺っております。ですが、非常に計算高く、謀略好きとも耳にしております。今、彼は確かに、争うことの愚かさと、貴国と結ぶ利を理解しているのでございましょう。ですが、シマロンという国が本質的に反魔族であるということを忘れてはならないのではございませんか? 彼が表向きは眞魔国と友好を結び、しかし裏では元々の同盟国と繋がったまま、あなた方の寝首を掻く機会を待っているとは、本当にお考えになりませぬのか?」

 議場で、幾人もの頭が縦に振られた。そうだ、その通りという声もそこかしこから上がる。
 それに対し、大賢者はフッと笑みを漏らすと、頭を左右に振った。

「それはないね」
「どうしてそこまでかの国を信じられるのです!?」
「小シマロンという国や、サラレギーの人柄を信じているわけじゃない。彼らがそれをしないということを知っているんだよ」
「……意味が分りかねますが……」
「答えはあなたが今言ったよ、エレノア殿。サラレギーは怜悧な男だ。そして非常に計算高く謀略が大好きだ。だから彼は眞魔国と、反魔族で固まっていた元々の友好国、つまりそこに真っ青な顔で座っている4ヶ国のような国々を量りに掛けたりはしない。どちらが重いか分りきっているからだ。大陸の反魔族を標榜する国々が、自然の崩壊を止める術もなく、ただ滅亡に向かってひた走っている状態であるのに対して、我が眞魔国は繁栄の緒についたばかり。これからますます成長発展していく。シマロンの内戦に手を出し、ただでさえ大怪我を負った小シマロンが、己の国をさらに疲弊させてもそんな友好国を援けると思うかい? サラレギーが弱った他国に対して慈悲深い王だとでも? サラレギーは、国内的には決して非道な王ではない。少なくとも国益の何たるかを理解しているし、国家国土と民を護ることこそが王の最大の使命であることも理解している。そして同時に、彼は我が国の情報収集能力もちゃんと把握している。だから彼は、一旦結んだ国家間の条約を破ったりしない。そんなことをすれば、即座に我々の知るところとなるのが明白だからだ。そして彼が好むのは国家的に壮大な謀略であって、底の浅い悪巧みではない。この程度の連中を利用するために裏で画策し、我が国から正式な条約を蔑ろにした恥知らずと呼ばれ、国土復活の機会を逃し、大陸諸国の間で信用を失墜させるような浅はかな真似はしないよ。その証拠にね」

 そう言ってから、大賢者は何かを思い出したようにクスクスと笑い始めた。
 訝しげないくつかの視線が「少年」に集まる。

「失礼。……サラレギーは本当に抜け目がないよね。君達」

 そう言った少年の視線の先にいるのは、4ヶ国の使者達だった。
 今、彼らは皆一様に色をなくした顔を並べ、途方にくれたようにただ座りこんでいる。

「小シマロンからこんな事を言われてね。……明日、条約締結の発表がなされると同時に、小シマロンはそれまで友好国としてきた国の名簿から、反魔族的国家を外すと決定したそうだよ? つまり、軍事的協力は言うまでもなく、これまで行ってきたあらゆる友好的事業や友好的措置の全てを、それらの国に対して停止するそうだ。食糧を始めとする物資の支援もなし、街道の全てに関所を設け、通行には特に重い税を課し、港に通じる大街道の通行は一切不許可、もちろんそれらの国には港は使わせない、だそうだよ? 大変だねえ」

 それが耳に入って数呼吸、突如4カ国の使者達がガタガタと慌しい音を立てて立ち上がった。

「君達、サラレギーを焚きつけようと、イロイロ言っただろう? ほら、サラレギー王よ、あなたこそ我等の中心となり、神の尖兵となって人間の先頭に立つ御方だ! ってアレさ。この台詞ね、サラレギーは後から激怒したそうだよ? 自分がそんなあからさまなおだてに乗るような愚物だと思っているのか、ってね。サラレギーを表に立てて戦をさせ、自分達はその陰に隠れて戦火を躱し、成果だけはちゃっかり頂こうって腹は、もうバレバレなんだよね。でね? こんな申し入れがあったんだよ」

 曰く。
 小シマロンより絶縁された国々は、遠からず混乱の極に至るでありましょう。しかし、我が国は決してそれらの国の民草が苦しむことを望んではおりません。それらの国々が混乱し、民の生活や命に危険が生じるとなりますれば、それは我らにも幾ばくかの責任があると存じます。この際には、我ら、罪なき民を救うため、それらの国々の混乱を収めるべく、手立てを講じることと相成りましょう。場合によっては軍を派遣することもあろうかと。しかしこれはあくまで民草の命を救うため、元友好国の混乱を収めるため。混乱を収めた後は、我等の責務としてそれらの国々の治安を管理いたすこととなりましょうが、貴国におかれましては、何とぞ我等の、周辺国への憂慮をご理解いただき、お見守り頂ければと存知まする。

「つまり。眞魔国との友好条約を結んだら、放り捨てた国をちゃっちゃと自分のものにしちゃうけど、口を出さずに黙って見ていてちょうだいねってことだよね」
「……ご納得、されたのか……?」
「別に駄目だって言う義理も権利もないし、そんなことをするなと命令できる立場でもない。それに自然が崩壊しかけている国を小シマロンが吸収するということは、小シマロンが自発的に負担を背負う覚悟を決めたということでもある。我らが陛下のお力を借りても、面積が広くなる分、復活の速度は遅くなるわけだからね。でもこれは彼らも納得済みのことだ。要するに、近々いくつかの国が地図から消えてなくなりそうだし、小シマロンから小の文字が取れそうだけれど、結果とすれば多くの民が救われるということだから良いんじゃないの? ってトコだよね」
「……小シマロンの勢力拡大に手を貸すことになるのですぞ……。いずれ手を噛まれると……」
「君達じゃあるまいし、目の前で手を噛もうとしている犬に気づかないほど僕達はバカじゃない。サラレギーが甘っちょろい相手じゃないことは、僕達だってよーく分かっているんだからね。見くびるつもりは毛頭ないよ。そうそう」

 小シマロンの使者殿はこうも言っていたよ。大賢者が立ち尽くす4ヶ国の使者達を見上げる。

「世の趨勢も理解できず、下らぬ言い伝えを信じて己を滅ぼそうとする愚かな輩、もはや共に道を歩む同盟者とは到底恃めませぬ、だってさ。愚か故に、滅ぶべき定めのものは滅ぶべし。それがサラレギーの最終決断だ」

 ダッと。椅子や卓を蹴散らす勢いで4ヶ国の使者や随身達が走り出した。それぞれが、前を行く者が誰か確かめることもなく、押し退け掻き分けるように突き進んでいく。
 だが、そんな彼らを、議場の出入り口に到達する前に阻んだ者達がいた。
 眞魔国の兵士達だ。
 4ヶ国の使者達一行が、たじろいだように後退る。

「お座りよ」

 己の席に着いたまま、大賢者が荒々しい呼吸を繰り返す男達に声を掛けた。

「君達は国の代表だろう? 見苦しい真似をするんじゃない。君達の役目は新連邦の未来を決める会議に立ち会うことだ。それが君達の主から課せられた役目なら、最後まで全うしたまえ。それに……」

 今さら何をしたって、もう遅いよ。

 のろのろと、使者達の頭が声の主に向かって動く。絶望とも憎悪とも分らぬ視線を一斉に向けられ、だが魔族の賢者はいまだ無邪気な笑みをその顔に浮かべたまま、ゆったりとくつろいでいる。

「君達はむしろ幸運だったんじゃないかな? だってそうだろう? 君達は国の誰より早く情報を手に入れることができた。そのおかげで、国が混乱する前に逃げることだってできるじゃないか。そうだ、いっそのこと新連邦に亡命したらどうだろう? 今からならまだエレノア殿も許してくれるんじゃないかな? 何せ、国にいて、この後確実に起こる混乱の挙げ句に小シマロンに国を乗っ取られたら、君達が心配しなくちゃならないのは新連邦の内紛どころじゃない、頭と胴体が」

 そう言って、大賢者は手刀を自分の首に当て、トントンと叩いて見せる。

「お別れしちゃうかどうか、だものね」

 一様に漂白されたような顔色の男達が、兵士達に押されるように議場の中心に戻ってくる。のろのろと、ぎくしゃくと、魂がなくなってしまった、まるで操り人形か何かの様に。

「……何もかも」

 ほんのわずか前に見せていた自信を根こそぎ削ぎ落とされ、まるで幽鬼の様に戻ってくる男達の姿に眉を顰めてから、エレノアは大賢者に視線を戻した。

「こうなることは分っておられたのですね……。あなたがおいでになられたあの時、私達はこれから全てが決まるのだと思っていました。でもそうではなかった。あなたが到着したあの時、全ては終わっていたのです。……私達の慌てよう、あなたの目にはさぞ滑稽に映ったでございましょうね」

 エレノア殿。
 邪気の欠片もない笑みのまま、大賢者が人差し指を立てた。そしてその指を軽く左右に振って見せる。

「そのセリフ。まだまだ早いですよ?」
「……!?」

 さあ、そろそろ本題に戻ろうじゃないか。

 目を瞠るエレノアをそのままに、大賢者ムラタは議場をぐるりと見回して声を上げた。

「四州の代表の皆さんだって、いい加減待ちくたびれただろうしね」


□□□□□


「君達の話なのに、悪いね、すっかり放ったらかしにしてしまって」

 にっこりと笑い掛けられて、だが四州の元王、元執政達とその随身達は言葉もなく、ただ呆然と目を瞠り、だらしなく開いた口の端を細かく震わせている。

 これは一体何者なのだ……。
 魔族とは、そもこのような存在なのか?

 エレノア始め、議場に集う新連邦の人々は、今やこの場の主導権を完全に握った双黒の少年─少年の姿をした全く別の存在─を、畏怖の念と共に見つめていた。


「………話は聞いていたが、これは想像以上のお方だね」

 クロゥとバスケスの隣に座ったダード老師が、ふうむと唸りながら言った。

「魔王陛下と同じ双黒、同じ年頃、見た目も陛下とあまり変わらんなあ。可愛らしい御方だ。だが……。陛下の親友というのは確かなことなのかね?」
「ええ」クロゥが頷く。「陛下とご一緒のお姿を見れば、また新鮮な驚きを得られると思いますよ?」
「それは興味深いことだね」
「陛下を操って、自分が事実上の権力を握ろうとしているのではと憶測した者もいますが、それは全く見当外れだと俺達は考えています。あの方は、その……コンラートが抱いているものと種類は違いますが、陛下を……愛しておられる、と思います」
「ふむ。ますます興味深い。あれほどの御人に愛されるというのは、魔王陛下というお方が、つまりは私達が考える以上に偉大だということなのかもしれないね。私は、あの大賢者猊下という方をもっと知ってみたいと思うよ。……これがいわゆる、怖いもの見たさというものなのかもしれんが」
「そういえば、以前猊下が老師を話をしたいと仰せになっていたことがありました。どうやら猊下も老師に興味をお持ちのようです。これが終わったら、お話してみてはいかがです?」
「それは……光栄なことだね。もし本当に機会があれば、おそれながら私もぜひお話をさせて頂きたいところだよ。ところで、猊下はやはり、四州の独立を阻もうとなさっておられるのだろうね?」
「それ以外に……ないかと思いますが?」

 そこで老師は、指を口元に当て、「ふむ」と考え込んだ。

「老師?」
「どうも……妙な胸騒ぎがするのだがね……」


「さて、と」

 大賢者の眼差しが、椅子に座った形のまま凍りついたような四州の代表一行に向けられる。

「大陸の情勢は、君達が考えていた以上に君達にとって厳しい状況となっていることは分ってくれたかな? で? まだ新連邦から独立しようって意気は満々かい?」

 ヴォーレンの元王が、人々の目にはっきり見えるほどの激しさで、ぶるりと身体を震わせた。
 まるで自分が吹雪の真っ只中にいることに、今初めて気がついたかのように。突如、亡霊が目の前にいることに気づいたかのように。
 彼以外の元執政、元王も、四州の代表としてその場に集った者達も、ある者はガクガクと肩を落とし、ある者は何も聞きたくないとばかりに頭を抱え、ある者は顔を覆い、だがほとんどの者は真っ青になったまま、ただただ呆然としている。

「君達の後ろ盾は、もう君達の手助けどころじゃない。どこも、君達を助けてくれないし、独立しても支えてもくれない。民にまともな食料も、どんな実りを生む土地も与えられない君達は、さあこれから一体何を頼みに独立するつもりなのかな?」

 もちろん。そんな質問に答えられる者は誰一人としていない。同時に、出すべき答えが唯一つであることもまた、ここにいる全員が知っている。

 まだ冷静に考えられないかな?
 小さく呟いて、四州の人々に落ち着く猶予を与えることにしたのか、大賢者はまたエレノアに視線を向けた。

「それにしても、ねえ、エレノア殿」

 シンと静まった議場に、大賢者の声だけが響く。

「……何、でしょうか…?」
「彼らもだけど、君達も、もうちょっと情報収集に力を入れた方が良いと思うよ? 四州の動きに全く気づかなかったことはもちろんだけど、周辺諸国の動静について、もっとしっかり調べないと。あまりにも杜撰だよ」
「………それは……恥ずかしいことではありますが、正直申しまして…それどころではなかったと……」

 情報を、『それどころではない』位置に置くこと自体が大失敗なんだけどなあ。小さく呟いて、大賢者はため息をついた。

「まあ……国土が広すぎて、情報を収集するにも、逆に発信するにも、なかなか難しいのは同情点ではあるね。小なりといえども、20近い国々が1つになっているわけだし」
「ですがそれは言い訳にはなりませんでしょう。どんな意味においても」

 言って、エレノアは唇を噛んだ。国土の広さを言い訳にするのは、甘え以外の何ものでもない。
 眞魔国に甘えてばかりの現状では、それも強がりにすらならないだろうが。

「ですが」

 あえてエレノアは言った。
 笑われることを覚悟の上で、あえて。

「いつの日か必ずや、あなた方と対等に世界について語り合えるよう、揺るぎない国家を作るとお約束いたしましょう。魔族の方々にばかり、世界を支える負担をお掛けしないように。その時には、我が国土の広さと新連邦国民の数が、世界にとってもあなた方魔族にとっても、重大な位置を占めることになりましょう」

 心中、せせら笑っているかもしれない。エレノアは苦々しいものを飲み下した。


□□□□□


 やれやれ。笑う気にもなれず、村田は内心で肩を竦めた。

 広大な領土。膨大な人口。

 ……地球世界にも似たような国があるなあ……。

 力をつければ溢れ出るのは飽くなき征服欲。自分達こそ世界の中心。世界の富は自分達のためにある。邪魔するものは滅ぼしてやる。傲慢さも、爪を研ぐ姿を隠しもせずに。
 エレノアは自分の虚勢が向かう果ての姿に気づいているだろうか。

 やれやれ。村田は今度は実際に、だが小さく、肩を竦めた。
 どの世界、どの時代だろうが、人が考えることは皆結局、同じ所に行き着いてしまうのか。
 そもそも、人の精神に、成長だの進化だのというものが、本当にありえるのだろうか。

 新連邦がこのままの状態で安定することはあり得ない。その点、村田には自信がある。
 だが、「人生、まさかという名の坂がある」と言った人もいるように、思いも拠らない事態というのは起こるものだ。
 もし万万が一、何かの奇跡が起こって、新連邦が内乱も起こさずに安定し、発展していったならば。

 ……おそらく、その時にはエレノア殿はすでにこの世にないだろう。
 そして、大シマロンに征服され、辛酸を舐めた人々も、ほとんどが消えているだろう。
 となれば、広大な国土と人口を背景に、この国が覇権主義に走る可能性は高い。

「この国を大シマロンにはしないよ」

 同胞だけに聞こえる声で、村田が呟いた。エレノアの言葉に大シマロンの幽かな亡霊を見たかもしれないコンラート、ヨザック始め、周囲を固める面々がそっと頷く。

「その前に、我々が世界の情報と経済の全てを握る」

 世界を支配するのは武力じゃない。情報と経済をコントロールする力だ。
 種族が異なり、絶対数が極端に少ない魔族に、覇権主義を取ることはできない。魔族にとって、種族の維持と繁栄のために取るべき唯一の選択が、絶対多数の人間との共存共栄だ。
 だからこそ、全てをコントロールする。

 村田の呟きに、誰より熱心に頷いたのは、村田達の背後にずらりと控える兵士、特に臙脂色の軍服に身を包んだ若い武人達だった。
 実は彼ら、村田が軍の中から選抜した「参謀室」に籍を置く若手頭脳派の面々である。
 いつまでも、魔王陛下の側近達と十貴族ばかりが国家の展望を語るべきではない、若手の発掘と育成、底上げが重要だという村田の発案により設置された新たな部局である。
 彼らは、武人としてさほど腕に覚えがあるわけではない。はっきり言うと、あまり剣の腕は高くない。だがその代わり、国家的な戦略を練る力は備えていると、村田が選び抜いたメンバーなのだ。
 言うなれば、行政諮問委員会の軍バージョンだ。
 ここを統括するのは本来は村田なのだが、彼が名ばかり……いやいや、正真正銘聖職者であり、軍に関ることはないと思われているため、表向きの管理者はウェラー卿コンラートとなっている。だがもちろん、事実上その頂点に立つのは、眞魔国史上最大の軍事参謀である大賢者猊下だ。
 今回大賢者猊下の新連邦訪問に同行してきたのは、若い参謀室の中でもさらに若手、他国をその目で見て見識を深めさせようと選ばれた、80歳から100歳程度の青年達だった。そしてその中には、村田がグランツから呼び寄せたフォングランツ卿オスカーや、レフタント卿イヴァンもいる。……同じ一族でありながらしょっちゅう角突き合わせる彼らは、すでに参謀室の名物となっているが、それはまた別の話。
 とにかく彼らは、大賢者猊下が発する言葉を一言一句聞き漏らさぬよう、そして目の前で起こることを、どんな細かいことでも記憶しようと、真剣な瞳を輝かせてそこにいた。


「それは素晴らしいですね、エレノア殿。あなたの決意は、新連邦の友である我々にも実に喜ばしいことです。共に世界平和に貢献できる日がくることを、我々は心から期待していますよ?」

 熱の籠もらぬ声で言って、村田はちらりとコンラートを見上げた。
 今、兵士の1人が議場に入ってきて、コンラートに耳打ちしていったことに気づいたからだ。

「……猊下」
「分った。頼むね」
「は」

 一礼して、コンラートはその場ですっと踵を返した。そしてそのまま歩き去っていく。
 訝しげに見遣る人々に「お気になさらず。こちらの用事ですので」と軽く手を上げると、村田はすうっと息を吸った。そして、自分の次の発言をただ待つ人々を見回した。

「今はとにかく、四州についての話を進めることにしましょう」


□□□□□


 ヴォーレン州始め、四州の元王、元執政官達がのろのろと顔を見合わせ、またのろのろと頷きあった。
 彼らは自分達の強力な後ろ盾になるはずだった国々の使者を、最後に残った糸の太さを確かめるように見つめた。
 己の国の命運がもはや尽き掛けているという事実を、いきなり喉元に突きつけられた4ヶ国の使者達は、刑を待つ囚人そのものの表情でただ椅子に座りこんでいる。その姿からは、今自分が何をすべきなのかも、どうしたいのかも、考えているようにはとても見えない。
 認めたくない現実がそこにあり、出したくない結論もまた、目の前にある。

「………エレノア、殿……。それ、から、最高評議会、そして……中央議会の議員、諸兄、に、申し上げたい……」

 どうか。我々の短慮を許したまえ。

 切れ切れに、苦しげに、そう言葉を絞り出して、ヴォーレンの元王はがくりと頭を垂れた。
 その瞬間、議場に一斉に深々と安堵のため息が漏れた。
 エレノアも例外ではない。身体中からどっと力が抜けるのを感じる。

「で? 彼らをどうなさいます? エレノア殿?」

 ハッと見ると、眞魔国の一行が自分をじっと見ている。
 エレノアは椅子に沈み込みそうになった自分を叱咤し、背筋を伸ばして椅子に座りなおした。

「国土は広く、国民性も雑多に交じり合ってはおりますが、今は1つの国家です。私達は力を合わせ、一丸となってこの国を立て直していかなくてはなりません。四州はそれぞれ新連邦の州として、共に手を携え、共に歩むとここで誓って頂けますか?」
「……もちろん、誓い申そう」
「残る三州の代表殿は?」
「も、もちろん……我らも…同様でござる」
「誓いまする」
「新連邦の一員として、か、必ずや力を尽くしまする……!」

 今ここで逆に四州が見捨てられたら、もはやもう独立どころの話ではない。例え眞魔国による封じ込めがなされなくても、四州は確実に立ち枯れてしまう。
 元執政達の離脱の意志は粉々に砕かれたように見えた。

 それを確認してから、エレノアは最高評議会の同僚達を見回した。

「ここで結論を私に一任して頂けますか?」

 同じ卓を囲む人々が一斉に同意を示す。それに頷いて、エレノアは改めて口を開いた。

「我々は今、国内を混乱させるわけにはまいりません。何より大切なことは、我らが揃って前進することです。故に私は決断します。四州は独立を望みはしましたが、反乱には到らず、独立問題は話し合いによって解決しました。我々の団結に現れかけた綻びは、たった今修復されました。我々は四州の決断を心から歓迎いたします」

 エレノアの言葉が終わると同時に議場の人々─四州の元執政達も含めて─が立ち上がり、拍手をしようとした、その時。

「それでエレノア殿? 独立を画策した四州の元執政や政庁、それから州軍をどう処分されますか?」

 笑顔で成功を祝うことで、とりあえず今回の事件の幕を一刻も早く下ろしたいと願う人々の動きが止まる。
 彼らの顔が向けられた先は、もちろん眞魔国代表、大賢者だ。

「……処分…」
「ええ、もちろん。ウチと違って、この国には反逆の罪が明確に規定されていますし、反逆者は捕らえないとなりませんよね? 逮捕するならさっさと手配をするべきでは?」

 ぐ、と息を呑んでから、エレノアは呼吸を整えた。

「それはこれから。とにかく今は無事解決したことを喜ぼうと思います。眞魔国にも、大変お世話をお掛けしました。私達は……」
「四州をどうされるのか、僕は尋ねているのです」

 人々が眉を顰めて顔を見合わせた。この少年、いや、大賢者、は、また何かとんでもないことを言い出そうとしているのではないのか?

「………今回の混乱の責任を取って…四州の執政達には執政職を下りてもらいます。ですが、四州の政を停滞させないためにも政庁は……」
「執政達はとっくに罷免されているでしょう? 独立を言い出したその時に。にも関らず、彼らは州代表、いえ、国王を僭称してここに来ている。この責任はしっかり取ってもらわないとなりませんね? それと、政庁を牛耳っているのは元執政の側近達です。これも残しておいては後に禍根を残します。州軍の上層部も同様です。彼らは全員反逆者です。エレノア殿、眞魔国は新連邦の友好国、支援国として、四州の元執政、そして政庁の主だった者、州軍上層部の全員を捕縛し、反逆者として裁きに掛けることを提案いたします」
「エレノア殿!」

 ヴォーレンの元王が、雄叫びの様な声を上げ、大賢者の言葉を遮った。

「我々はっ! 独立という愚かな夢を見たことを今、心から悔やんでおります! 過ちに気づいたからには、必ずや、新連邦の発展のために尽くし申そう! たっ、確かに、我らは責を負わねばならぬ。それはまさしくその通りだ。私は執政の職を辞すでありましょう。で、ですが、反乱は起きなかった、連邦を乱すことは食い止められたのだ。どうか、どうか、民のためにも、これ以上の責めを我らに、我が国、いやっ、我が州に負わせることは、どうかっ!」
「食い止めたのは、僕達のおかげじゃないかなー。新連邦は何もしてないし。それに反逆者を罰しても民に迷惑は掛からないと思うんだけどなあ」
「エレノア殿! 皆々様! どっ、どうかお願いいたす! ヴォーレン殿の仰せの通り、我らもこれよりは必ず新連邦のために……!」
「いや、ここは大賢者殿の仰せの通りでは!? この場で断固たる裁可を…!」
「そうだ! 甘いことを言っていては他州にしめしがつかぬ!」
「いや、現在の国情を思えば、これ以上の混乱はむしろ危険が……」
「そうだ、執政は失脚させれば済むが、政庁や軍からまで反逆者が出れば、大混乱になるではないか!」
「落ち着いて下さいませ、皆々様!」

 反逆者とされれば、もはや命は無いも同じこと。間近に見えていた玉座から、反逆者として一気に奈落の底に落ちることだけは避けたいと、四州の元王達は必死でエレノアに言い募る。同時に、集まった他の人々も、一斉に己の思うところを思うままに喚き散らし始めた。
 エレノアが手を上げ、騒ぎ立てる人々に懸命に呼びかけた。

「お聞き下さい、皆様! ……私はとにかく一刻も早く、四州の政を中央の管理の下に整えることが重要と思います。我が国に現段階でこれ以上を混乱を起こしたくはありません。とはいえ、責任問題は重要です。四州の執政、いえ、元執政と政庁、それから州軍の責任問題につきましては、早急に担当の者を定め、検証を進めさせ、なるべく早くしかるべき措置を取りたいと存じます。眞魔国の使者殿には……」

 エレノアは悠然と椅子に身を預ける大賢者を見下ろして言った。

「ご提案は至極もっともと存じますが、我等の国情をどうかご理解いただき、今しばしの猶予をお与え頂きたく思います。今、執政1人のみならず、政庁や軍にまで拙速に処罰の手を伸ばすことは、またも反乱の新たな火種を起こすこととなりましょう。しかし決してことをあやふやにはいたしませぬ。必ずや責任の所在を明らかにし、責めを負うべき者には相応を処罰を与える所存でございますれば……」
「駄目だな、それじゃ」

 礼に礼を重ねている自分に対し、何という無礼か。
 思わず睨みつけるエレノアに、大賢者が肩を竦め、両手を軽く上げてみせる。

 ……人を馬鹿にするにも程がある。

 老女の怒りにくすっと笑う大賢者。ますます怒りの炎を燃やすエレノア。

 新連邦最高評議会議長であるエレノアと眞魔国の「大賢者」との、いつの間にか始まっていた対決に、人々はゴクリと喉を鳴らした。

「僕も喧嘩は嫌いだ。混乱も大嫌いだ。でもエレノア殿。裁きを遅らせることは、この場合到底良い思案とは言えませんよ?」
「ですからそれは……」
「今からその証拠を御見せしよう」
「証拠?」
「そう。ヨザック」

 評議会の方々にあれを御見せして。
 大賢者の指示に、側に侍っていた夕焼け色の髪の男が「畏まりましたー」と能天気な声を上げる。そして文官から渡された一巻きの紙を手に、評議会議員達が座る卓に向かってやってきた。

「どうぞ、エレノア様」

 サッと、紙がエレノア達の前に広げられた。

「……これは……」

 エレノア達が身を乗り出し、びっしりと文字が書き連ねられた紙を見た。

「こっ、これは…!」

 評議会議員の1人が驚きの声を上げると、同僚の1人にバッと顔を向けた。
 その顔は次々に増え、視線を向けられた評議会議員はたじろいだように後退っていく。

「これは四州の元執政達と、他五州の執政達が署名した連判状、まあ、反逆者達の同盟確認書だ」

 大賢者の言葉に、エレノアの目がカッと見開かれた。

「名前の前にこう記してある。ここに署名した9ヶ国、州じゃなくて国とあるところがすでに反逆の意志ありありなんだけどね、とにかく9ヶ国は、かつての栄光ある祖国を取り戻すため、同志として同盟することをここに誓う。まず最も復活が進む四州が独立し、それを果たしたら、新連邦の混乱に乗じて残る五州も一気に独立を宣言する。中央によってそれが阻止されそうになったら、独立した四州とその同盟国、これはそちらの放心状態の4ヶ国のことだろうけど、が、五州の独立を側面援助する。もし万が一、四州の独立が何らかの妨害によって果たされなければ、五州はこれを中央の目を盗んで密かに援け、やがて来る機会を逃さず、九州の完全独立を目指す。……20の州の内の9の州ですよ、エレノア殿。そしてその内の二州の執政は、最高評議会に名を連ねている」

 この情報、全く掴んでおられませんでしたね?

 書類に視線を縫い止められたように動けずにいたエレノアが、ぎくしゃくと顔を動かす。その書類に名を記した最高評議会の同僚、2人の男に向かって。

「……は、話を、聞いて……」
「わ、我々は……」

 他の同僚達の怒りの視線を真っ向から浴びて、2人は恐怖に身を縮めているように見えた。

「四州を除いた五つの州名についてはこの通りです」

 いきなり喋りだしたのは、大賢者からヨザックと呼ばれた男だった。
 どこか皮肉な笑みを頬に刻んで、男が覚えていたらしい五州の名を朗々と読み上げる。

 議場に凄まじい混乱が巻き起こった。
 読み上げられた州の執政に詰め寄る他州の人々。懸命に釈明しようとする執政達。自分の州が裏切り者になろうとしていたことを知らなかったらしい官僚達、互いの襟首を掴んで怒鳴りあう軍人達……。
 カーラやエストレリータ等、新連邦樹立のため命懸けで戦ってきた戦士達もまた、そ知らぬ顔で議場に集っていた五州の関係者達を取り囲み、何かを声高に言い合っている。

「貴様、この恥知らずが!」
「どういうことですか、これは一体!?」
「我が州を滅ぼすおつもりか!」
「上手く、上手くいくと言われたのだ、必ず成功すると! その後の援助もちゃんとあるからと!」
「そんな言葉を信じて裏切り者になろうとしたか!」
「まさかこのようなことになろうとは……! まさか小シマロンが人間を裏切るなどという卑劣な真似を…」
「その前に、助けてくれた魔族を裏切った卑怯者は誰だ!」
「わっ、私はっ、裏切るつもりはなかったのだ! ただ、その、側近達に言われて仕方なく…!」

 怒声や喚き声が溢れかえる議場で、エレノアはただ呆然と、つい今しがたまで同僚だと、同志だと、友人だと信じてきた二人の男を見つめていた。

「……え、エレノア、どの……」
「私達は……」

 この、汚らわしい裏切り者が!
 上がった怒声はクォードのものだ。ラダ・オルドの元王太子は怒髪天を衝く勢いで2人に歩み寄ると、2本の腕を伸ばし、2人の男の襟首を締め上げた。

「恥知らずめが……!」

 クォードに首を締め上げられ、男達の顔が蒼白に歪み始める。

「クォード殿! その手をお放しなされませ!」

 その鋭い声に驚いたかのようにクォードの手が二人の首から離れた。
 突然解放された二人の男が、苦しげに咳き込み始める。

「独立して、どうなさるおつもりでしたか? どうやって国を独り立ちさせようと?」
「……眞魔国ほどの援助は得られないとしても……小シマロンが何とかしてくれるのではと……願っていた」
「それは儚い夢となりましたが」
「そう、その通りだ……。だが……再び国を取り戻せると言われて……」

 愚かであった……。
 言うと、男はがくりと肩を落とし、そのまま崩れるように椅子にへたり込んだ。
 思わず頭を抱えるエレノア。……耳鳴りがする。

「で? 状況はご理解頂けましたか?」

 大賢者の声が響いた瞬間、議場がさらに凍りついた。まるで冷たい風に撫でられ、背筋が冷たく震えたかのように。

「これから担当を決めてどうとか、そんなお気楽な状況じゃないんですよ」
「ええ……確かにその通りです。ですが、もはやこの同盟は何の力も……」
「彼らがここに署名したという、その事実がどれほど重いものか。まさか一国を束ねたおいでだったあなたに分らないとは思えないのですが、エレノア殿?」

 く、とエレノアの眉が寄る。

「今は彼らも確かに、己の行ったことに恐れ慄き、破滅の恐怖に怯えています。ですが、いざ事が落ち着いたとなればどうでしょうか。混乱を怖れる中央が、罪を見逃し、偽りの結束の下での前進を決めた時、彼らの中で一旦押さえ込まれた野心が蘇らないとでも? 小シマロン王のことを語った時にも言いました。1度抱いた野心を捨てることができるかどうかは、非常に微妙な問題だと。その時がくれば、この署名は大きな重みを持って新連邦に圧し掛かってきますよ?」
「分ります。あなたの仰せになりたいことは嫌になるほど良く分かっています。ただ……!」
「あなたは本当に議長だな」
「……え…?」
「僕の求める『王』には程遠い。人間関係なんていい加減なものに、それほどの価値を求めるのか?」
「………人間にとって、人間関係は決して侮れない重要なものです」
「魔族にとっても同じだよ。ただ、僕は少なくとも優先順位というものを弁えている」
「私とあなたとは違います」
「当然だ」

 僕と同じ次元に立っているなどと、考えてもらっては困る。
 そう言うと、エレノアが反論する間も与えず、大賢者は立ち上がった。そして、人々の注目を浴びながら歩を進め、中央の卓、評議会議員達が集う場所までやってくると、ゆっくりと議場を眺め渡した。

「色んな意味で限界も見えたし、ここでそろそろ、我が眞魔国の最終決断を表明させていただこう」

 最終決断?
 四州封じ込めという策を披露し、小シマロンとの友好条約締結を発表し、四州の独立の気を挫き、4ヶ国を絶望の淵に立たせ、さらなる企みの芽を晒し、それ以上何を言おうというのか。
 人々の表情をじっくりと眺め、それから眞魔国の宗教指導者という人物がゆっくりと口を開いた。

「我が眞魔国は」

 この人物に、この、たった一人に、我々は対抗できるのだろうか。エレノアはふと考えた。
 私は眞魔国を、甘くみていたのだろうか。あの魔王陛下を、夢と理想に燃えるひたすら若い、ただただ可愛らしいお方だと、見くびっていたのだろうか。

「四州を含む九の州の、新連邦からの分離、独立」

 これを、全面的に支持する!


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村田とムラタ。一応視点によって書き分けているのですが……段々何だかなーな感じになってきました。
同様に、「四州」と「4ヶ国」の数字の部分も、それなりにこだわりがあったはずなのですが、5だの9だのという数字がでてきますと、何だかもう、ワケが分らなくなってきたというか……けほけほ。

外交の成功とか失敗とか戦争とか、そのあたりの語りはいい加減ですので読み流してください。お願いします〜(滝涙)。
ただ、「戦争は外交上の最大の敗北」というセリフは、アメリカがイラクに侵攻するかどうかと騒いでいたあの頃、どなたかが仰っていたものですが、中世ヨーロッパ的文明度のあちらの世界では存在しない考え方、かも? と使わせてもらいました。
大シマロンなんて、ぶいぶい戦争し掛けてましたしね。
この辺りの一連の語りは、きちんと語りきれない部分もありますし、異論反論もあるかと思いますが……イロイロご容赦くださいませ。

ダイケンジャーを黒くすると言いながら、よく読みなおしたら全然黒くないんじゃないかと思ったり。うーん。
でも次回は一応、さらに黒くなる予定なんですけども。

やっぱりこういう話を書くのは楽しいです。
ラブシーン書くより遥かにずっと。……ちょっと問題あり、かも。

とにかく次回は一気に状況が変化する予定です。がんばります。
ご感想、お待ち申しております。