賢者の隠し扉1─2



「猊下のせっかくの助言を、全く役に立てられなかったんだな」

 背後から声を掛けられて、カーラ達新連邦一行はハッと振り返った。
 さきほど別れたばかりのコンラートが、書類を手にやってこようとしている。

「………ユーリは?」
「これから十貴族会議だ。ヴォルフが迎えに来て会議室に向かわれた。俺はこの間に溜めておいた書類を片付けないとならない」
「ならば仕事をしたらどうだ?」

 お姉さま……。つっけんどんな姉の態度に、アリーとレイルが困った顔で、2人を顔を交互に覗き込んでいる。

「するさ。もちろん。それで? エレノア達は事態の打開策を講じているのか?」
「当然……皆が懸命に考えている。それよりも……」

 先ほど、助言と言ったか?
 睨みあげられて、だがコンラートは澄ました顔で頷いた。

「猊下が慈悲深い助言を色々として下さっただろう? まさかもう忘れたのか?」
「助言などされた覚えはない。まして慈悲深いなど……。恫喝だの脅迫だのなら受けた覚えがある」
「あれを恫喝や脅迫と感じたのなら、君もまだまだだな」

 ぐ、と喉が詰まったような音を立て、カーラは盛大に眉を顰めた。アリーとレイル、クロゥとバスケスが困惑したように2人を見つめている。

「あれが慈悲の心に思えるのか。コンラート、あなたに被虐趣味があるとは知らなかった」

 憎まれ口にコンラートは乗らない。ちらりとカーラを見遣ると、手にしていた書類の束をカーラの手の中にぽいと落としこんだ。

「……これは…?」
「新連邦で反乱を起こしそうな連中の動向と今後の予測について。こちらで纏めた調査報告書だ。エレノアの手に渡るように手配はしてあるが、君達も読んでおいた方がいいだろう。読めば分るが、事は急を要するぞ?」
「反乱!? ……どうしてこんな……いつこれだけのものを?」
「我々魔族は、お伽噺を何千年も疑いもせず信じ込む君達と違って、常に新しく正確な情報を集めるよう努力してきたんだ。大陸の政情が不安定だと我々も困るしな」
「それは……」
「コンラート、それ、僕達も読ませて頂いて良いですか?」

 カーラの横からレイルが身を乗り出してきた。

「ああ、別に構わない。……状況がどうにも手に余るようなら……」
「助けてくれるの!?」

 アリーが咄嗟に口を挟む。期待をこめて見上げる少女をチラッと見遣って、それからコンラートはカーラに視線を戻した。

「最も建設的、かつ具体的な助言を与えられるとすれば、それはやはり猊下だろう。何だったら、猊下との会談を調整するが?」
「断る!」

 考える間もなく、即答するカーラをコンラートは無表情に見つめた。

「これは君の感情で決めることじゃない。新連邦の民のこれからが掛かっている。それを承知した上での答えか?」
「………断る」

 分った。
 頷くと、コンラートはスッと踵を返し、彼らの側から去っていった。
 コンラート…。小さく呼ぶ声がするが、彼は振り返らない。

「お姉さま。コンラートに……お願いするつもりだったのでしょう?」

 問い掛ける妹に応えず、カーラもまた歩き始めた。

 そう。本当は。
 カーラが会議の始まる前に眞魔国を訪れたのは、アリーの様に代表団の手伝いという名目で休暇を楽しむためではない。
 カーラは、ユーリとコンラートに頼みがあってきたのだ。
 しばらくの間でいい。短くていい。コンラートに、新連邦に来てもらえないか、と。

 もちろん何かと戦って欲しいわけでも、国造りに協力して欲しいわけでもない。いや、協力してくれれば嬉しいが、それはもう期待してはならないことも良く分かっている。
 ただ……。
 祖母の側にいて欲しいのだ。
 ほんのちょっとの時間で良い。祖母と語り合い、力づけてくれれば。
 祖母エレノアが、どれほどコンラートを頼みにしてきたか。彼の存在がどれほど心の支えになってきたか。反乱を起こし、何度も諦めそうになりながら、それでもここまでやってこれたのは、祖母の傍らにいつもコンラートがいてくれたからだ。

 ……お祖母様は、本当に近頃急激に老いられた。

 なのに、国を背負う任務は祖母を解放してくれない。それどころか、ますます圧し掛かる重圧で、祖母の痩せ細った身体は今にも粉々の崩れてしまいそうだ。
 今コンラートが祖母の側にいてくれれば、どれほど祖母の心は軽くなるか。失いかけた自信だって、コンラートの言葉一つで取り戻せるかもしれない。

 それを頼みたくて、カーラはこんな時期に眞魔国にやってきたのだ。
 しかし……。
 「我々魔族は」とコンラートは言った。そしてこともあろうに、あの「猊下」に助言を求めろと言われた。
 その瞬間、コンラートはカーラが何をしに来たのか察していると思った。そして、一線を引かれてしまったのだと。
 もう俺に頼るな。
 そうきっぱり宣告されてしまったような気がした……。


□□□□□


「まあ! これは素晴らしい眺めですわね!」

 馬車の窓から外を眺めていたサリィが声を弾ませた。

 心地良く晴れ上がった秋の空。馬車と馬の一行は、眞魔国王立球場、すなわちぼーるぱーくに向かってのんびり歩を進めているところだ。

「これが前にユーリが言ってた顔より大きな花ねっ。すごいっ、本当に大きい! それに、すごくキレイな黄色!」

 同じく馬車の窓から身を乗り出すようにアリーも声を張り上げた。

 ぼーるぱーくに向かう道中、一行の周囲には、「ミツエモン」畑が広がっている。鮮やかな一面の緑と、そしてそれこそ人の顔より大きな、目が醒めるほど鮮やかな黄色をした花があちこちに、誇らしげに太陽を向いて咲いている。

「ホントはさ」サリィ、アリー、レイルに付き合って馬車に乗っているユーリが自慢げに言った。「夏に見せたかったんだ。そしたらここ一面にこの花が咲いてるんだよ!」
「それって、想像するだけでもすごい迫力だよね」

 今でもこんなに見応えがあるんだから。
 レイルの言葉に、ユーリも嬉しそうに頷いた。

 ユーリの企画で草原一面に植えられた「ミツエモン」は、地球世界のひまわりそっくりの花だ。
 ピンと伸びた太い茎に、まん丸の、人の顔より大きな黄金色の花。
 この花を生み出した職人が籠めた思いに相応しく、「ミツエモン」は明るく鮮やかな色の花弁を思い切りよく広げ、太陽に向かって堂々と咲き誇っている。
 ユーリの知るひまわりと違うところがあるとすれば、それは開花の時期と期間だった。
 ミツエモンはしぶと……いやいや、とても強い花なのだ。
 蕾が綻び始めるのは初夏の頃、やがて次々に花弁を広げ、盛夏の頃には緑とまっ黄色のコントラストも鮮やかな、美しくも迫力のある光景を演出して王都の民の目を楽しませている。そして眞魔国の、猛々しさとは縁のない、それでも爽やかな夏の光を存分に溜め込み、秋の風を感じると同時に少しずつ花弁を散らし、だがその秋もかなり深まるまで完全に散ってしまうことはないのだ。
 今、秋真っ盛りのこの季節、ミツエモン畑は1年中鮮やかな緑の中に、まだ満開に開いた花が半分くらい残っている。

「……私……何だかふつふつと湧いてくるものがありますわ!」

 ふいに、サリィが静かに、だが気合の籠もった声でそう言った。

「…サリィ様…?」
「天空に広がる青空と、一面の艶やかな緑と、そして黄色いまん丸の花……。じっと眺めていますと、私の魂の奥底から湧き上がってくるものがありますの。大地の精霊が、私のこの手で紡ぎ出せと命じるもの。そう!」

 新しいドレスです!!

「………げ」

 うっかり喉が潰れたような音を立てる。とっさに口を押さえ、そっと馬車の中を見渡したが、どうやら誰にも気づかれなかったようだ。
 その間も、サリィは胸元で手を組み、うっとりと「ミツエモン」畑を見つめている。
「こうしていると目の前に浮かんできますわ。さっそく紙とペンを用意して頂いて、頭に浮かぶこの意匠を形にしなくては。そして国に戻りましたら、すぐに生地を選んで縫い始めますわ。……陛下」

 にっこり呼びかけられて、ユーリのお尻が跳ねた。

「出来上がりましたら、すぐにお送りいたしますわね? どうか楽しみにしていて下さいませ」

 それはやっぱりおれが着ることになるんでしょうか?
 いいなー、ユーリ。隣で羨ましそうに声を上げるアリーに、ユーリは思わず答えた。

「……わーい。楽しみだなー……」

 ちょっと棒読みになったが、サリィは気付かなかったらしい。嬉しそうだ。ユーリはそっとため息をついた。



「目に染み入るような色だな」

 カーラは半馬身前を進むコンラートに声を掛けた。
 サリィに気を遣ってユーリと妹達は馬車に乗ったが、カーラやベイルオルドーンのカインは馬を遣っている。
 馬車を挟んで反対側には、グリエ・ヨザックとハインツホッファー・クラリスが、そして自分達の後にはクロゥ達4名がついてきている。もちろん護衛はこれだけではなく、姿こそ見せないが、一行の前後を身なりを変えた兵士達が護っているはずだ。

 ユーリの提案で、今日は王都の郊外へぴくにっくとやらに出かけることになった。ぼーるぱーくを見学し、どこか眺めの良い場所で、のんびり弁当をつかおうということらしい。それでこうして打ち揃ってやってきたものの、正直カーラの心の内はのんびりとは程遠かった。
 それでも眼前に広がる広々とした「ミツエモン」畑には、国を発つ前からささくれ立っていた心も深呼吸をしてしまう。

「これほどの鮮やかな色合い、新連邦の例え南部といえどまだ見ることはできない」
「だろうな」

 振り返らないままコンラートが応えた。

「かつて大シマロンに侵略された一帯の大地が、この地と同じまでに復活するには、まだ相当の時間が掛かるだろう」

 他人事のように言う。一瞬そんな文句が浮かんだが、実際他人事なのだと思い返した。
 こんなことを考えるのは、自分の精神もまた余裕をなくしている証拠なのだろうか。

「この花は元から眞魔国にあるものではなく、花作りの職人によって新しく作り出されたものだと伺いましたが……?」

 尋ねたのはカインだった。カーラとコンラートの馬の傍らで、同じ様に馬を操りながら花畑を眺めている。
 カインに対してはコンラートも気を遣うのか、振り返って頷いた。

「そうです。陛下が、まあいつものようにお忍びでご旅行なさった時のことですが、この花を生み出した職人と偶然出合ったのです。そして陛下はその職人の仕事を手伝い、食事を共にし、楽しい一時を過ごされました。その後、陛下の正体を知ってから、彼は陛下への感謝と尊崇の思いをこめてこの花を生み出したのです。この花の名を『ミツエモン』というのですが、これは陛下がその時名乗った偽名なのですよ」
「……つまりこの花の姿形を陛下に模したということでしょうか? ……失礼ですが、それは不敬には当らないのでしょうか?」
「とんでもない」コンラートは苦笑を浮かべて首を横に振った。「むしろ、俺は実に見事に陛下を表現していると思いますよ? まっすぐ堂々と立ち、臆することなく太陽に顔を向け、まさしく太陽そのもののような大輪の花を鮮やかに咲かせる。ね? そう思われませんか?」

 ぬけぬけと言うコンラートにカーラは苦笑を浮かべたが、カインは生真面目に頷いている。

「……なるほど。そう言われてみますと、仰せの通りのようにも思います。……申し訳ありません、我が国は考え方が古いのか、肖像画以外どのような形であろうと、一介の民が王の姿を表現するなど許されませんので……」
「そのように仰る必要はありませんよ。国が違えば、民の感じ方も違うのですから」

 本当に。
 カーラはちらっと傍らを緩やかに進む馬車の中を覗きこみながら思った。中では魔王ユーリと妹達が楽しげに笑い声を上げている。
 ……これほどまでに民に愛される王が、人間の歴史に存在しただろうか……?
 それに。

 国が違えば民の感じ方も違う。
 そうなのだ。それが何より問題なのだ。新連邦という広さだけは大陸一の大国は、名こそ一国だが実際は寄せ集め。考え方も感じ方も全てが違う国の集まりだ。
 それが今、軋轢となって修復不可能な亀裂を国家に刻もうとしている。

 ああ、どうしよう、とにかくなるべく早くコンラートと、もっとちゃんと話をしなくては……。

 そんなことを考えて、ふと気づいたら、馬車が道の端に寄って今にも停止しようとしていた。見ればコンラートも馬を下りようとしている。

「コンラート?」
「ここが今日の目的地の一つだ」

 どこか楽しそうに微笑むコンラートだが、カーラとカインは一瞬戸惑って顔を見合わせた。
 まだここは「ミツエモン」畑の真ん中で、見回しても何も……ないと思ったが、前方に立て札のようなものが立っている。あれだろうか?

「はーい、皆、降りて下さーい!」

 どういう意味なのか、小旗を手にしてユーリが全員を呼び寄せる。そして「ついて来て下さーい」と、小旗を上げて歩き始めた。やはり目的地はすぐ前方にある立て札らしい。
 近づくにしたがって、立て札─看板か?─の文字が見えてきた。
 『楽しい迷路』。

 ……迷路? どういう意味だ? それに……「迷路」と「楽しい」は両立する言葉なのか?

 国の状況と祖母の苦境、どんな小さな切っ掛けでも思考はすぐにそちらに戻る。

 今、新連邦はまさしく迷路の中だ。一体これはどういう皮肉な冗談……。

「ここは、ミツエモン畑の中に作られた迷路ですっ」

 全員を前に、ユーリが自ら説明を始めた。そのすぐ側で、コンラートとヨザックが軽く会話を交し、何か指示している。おそらく警備の確認だろう。

「迷路? って? ユーリ?」

 アリーがわくわくと尋ねた。爪先立って、背の高い花畑の中に何かあるのかと一生懸命覗き見ている。

「ここが入り口で、ずっと前、ほら先に同じ様な看板が立ってるだろ? あそこが出口なんだ。ここから入ってあそこから出るんだけど、中が迷路になっていて、行き止まりがあったり、ぐるぐる同じ所を回らされたり、色々仕掛けがしてあるんだよ。2、3人で組になって入って、出てこれるまでどれだけ時間が掛かるか競うんだ。もちろん小道以外歩いちゃダメだ。花の中を突っ切ったりは反則だから駄目だよ? ……花作りのお爺ちゃんにおれの故郷にある巨大迷路の話をしたら、面白そうだって乗ってくれてさ、手入れの時に作ってくれたんだ。それ以来すっかり名物になっちゃって。今日は平日だし、仕事や学校があるから誰もいないけど、お休みの日は列ができるくらい賑わうんだぞ。あんまり人が集まるから、花が全部終わったら、第2、第3の迷路を趣向を変えて作ろうって話も出てるんだ。とにかく試してみて。結構やみつきになるよ!」
「どうしても出られなかったら?」
「はい! そこでこれがお役に立ちます」

 手にしていた小旗をアリーに手渡す。

「もうダメだーと思ったら、コレを高く上げて振って下さい。救援に向かいまーす」

 という訳で、全員が組になり、順番に花畑の中に入っていった。



「……うーん、おれ、ここにはもう何度か来てるはずなんだけどなー。時間が空きすぎちゃって、忘れるのかな?」
「と、前回も同じことを仰って、同じ場所で迷われました」

 分かれ道で腕を組み、うんうん唸っていたユーリが、「コンラッド、意地悪だぞ」と唇を尖らせ、拳をコンラートの胸に押し当てた。

「坊っちゃーん、2人だけじゃないこと思い出して下さいねー。俺もクラリスちゃんも純情だから、お二人があんまりアツアツだと居たたまれないわ〜」
「ちっ、違うぞ、そんなんじゃ……っ! からかうなよ、ヨザック!」

 瞬く間に真っ赤になったユーリが護衛その2に向かって噛み付いた。
 今、ユーリの側にはコンラート、ヨザック、クラリスのユーリ専属の護衛がついている。主を主とも思わないフリが上手なヨザックが、ひゅーひゅーとわざとらしく口笛を吹いてみせる。コンラートは苦笑し、純情と言われたクラリスが、呆れた様に肩を竦めてそっぽを向いた。
 と、そこへ。

「まあ、こちらにいらっしゃいましたのね!」

 ミツエモンの壁からひょいと姿を現したのがサリィ達一行だった。サリィとカイン、ウォルワースとロットリンの4名だ。

「意外と難しいものですね。自分がどこにいるのかさっぱり分かりませんよ。ローガンやパーディルでさえ、自信満々の顔で何度私達を行き止まりに導いたことか!」

 カインに名指しされた2人が、「いやはやお恥ずかしい」と頭を掻いた。

「でも本当に楽しいわ! お花畑でこんな素敵なものが作れるなんて本当に驚きよ! ねえ、カイン、この迷路を私達の国でも作ったらどうかしら? ベイルオルドーンでは民の楽しみも限られているし、これがあったら子供達も喜ぶわ!」
「しかし我が国にはこのような大きな花は……」
「花じゃなくても良いんです、カインさん!」

 ユーリが2人に駆け寄りながら声を弾ませた。

「壁が作れれば何でも。作ろうと思えば、簡単なものを使って作ることもできるんですよ?」
「そうなのですか?」
「はい! 良かったら、ここの設計を手伝った人たちと……」

「コンラート!」

 いきなり焦った声が飛び込んできた。

「……カーラさん…?」
「カーラ、どうかしたのか?」

 カーラと、そしてレイル、クロゥ、バスケスの4人が慌てふためいた様子で駆け込んできた。

「あれ?」4人の姿に、ユーリが小さく首を捻った。「確かカーラさんはクーちゃんとで、レイルはアリーとバーちゃんと3人で入ったんじゃ……」
「ここにいたのか! ずっと探していたんだ!」

 他のメンバーが目に入らないのか、カーラの目は真っ直ぐコンラートに向かっている。

「アリーを見なかったか?」
「アリー? レイル達と一緒だったんだろう?」
「夢中になって、1人で走り出してしまったんです。それっきり姿が見えなくなってしまって。それで……!」
「どこかで迷っているんだろう。もう少ししたら旗を上げるんじゃないか?」
「妙な男がいたと言うんだ!」
「男…? 陰供をしている俺の部下の兵では……」
「そんな感じじゃ全然なくて!」レイルが声を張り上げた。「むしろ無宿者のゴロツキのような……」
 その時。
 ピューッ、ピピッ、ピューッと、甲高く鳥が鳴いた。
 瞬間、コンラート、ヨザック、クラリスの顔が厳しく引き締まった。3人は即座にユーリの周囲を固めると、用心深く周囲を見回した。同時にヨザックが口に指を当て、ピィーッ、ピピピ、ピーッ! と鋭く口笛を吹く。

「コンラッド!?」
「部下の合図です。とにかく外に出ましょう。ウォルワース、サリィ様達をお守りしてついてきてくれ。カーラ、君達も来い」
「はっ!」
「コンラート!」カーラが焦った声でコンラートを呼ぶ。「アリーは!」
「おれの部下はやるべきことをちゃんと心得ている」
「しかし!」
「コンラッド!」

 ユーリが足を止め、自分の肩を抱くように守る男を見上げた。

「ユーリ」
「何が起きたのか分らないけど! でももしアリーに何かあったんだったら……」
「そのために部下達がいます。ほら」

 こうしている間も、あちこちから口笛の合図が宙を飛び交っている。

「大丈夫です。あなたの臣下を信じてください。それに俺達はあなたをお護りするためにいます。何があろうと、俺達は決してあなたのお側を離れたりは致しません」

 きっぱり宣言すると、コンラートはユーリの肩を押した。ユーリは背後に佇むカーラに心配げな顔を向けながらも、誘導されるままに先へ進んで行った。その後をウォルワース達に囲まれて、カインとサリィも足早についていく。

「……カーラ」

 カーラの顔が声の主に向かってのろのろと動く。どこか呆然とした友人の表情に、クロゥは眉を寄せた。

「何をぼんやりしている。俺達も外に出るぞ」

 そこでようやく、カーラがハッと目を瞠る。

「アリーが! 探さないと!」

 また迷路の小道に戻ろうとするカーラの腕を、クロゥが咄嗟に捕まえる。掴む力が強すぎたのか、カーラの顔が苦しげに歪んだ。

「迷路の中でウロウロしてもお前が迷うだけだ! この中は兵達に任せて、俺達は外に出て状況を把握するんだ!」

 しっかりしろ! 怒鳴りつけられて、カーラは唇を震わせた。

「……すまない……」

 行くぞ! クロゥを先頭に、新連邦一行もコンラート達の後を追った。

「コンラートが、陛下をほったらかしてお前と一緒にアリーを探してくれると、本気で思ったのか?」

 見え隠れするベイルオルドーン組の後を追って駆け足になりながら、クロゥはカーラに尋ねた。

「……愚かだと笑え……」
「ああ、愚かだ。もうとっくに乗り越えたと思っていたのに」
「自分でも……そう信じていた…」

 だが、アリーに災いが降りかかったかもしれないと思った瞬間、カーラの頭に浮かんだのは、コンラートに援けを求めねばという、ただそれだけだったのだ。
 それ以外何も考えられなかった。
 不審者がいると知らされたら、コンラートが真っ先に考えることは何か、何を置いても護ろうとする相手は誰なのか、愚かしいほど思いつかなかったのだ。

 実は少しも成長していなかった自分が情けなくて、涙が零れそうだった。

 ハッと気づくと、カーラ達は花畑の外へ飛び出していた。
 周囲には、一体どこに隠れていたのかと驚くほどの男女─平凡な民の姿をしているが、おそらく全員コンラートの部下だろう─がきびきびと動いている。

「カーラ・パーシモンズ殿」

 いつの間にか横に来ていた女性、その目つきからしても間違いなく兵士、が、カーラを呼ぶ。

「妹君を救出、保護いたしました。こちらへ」



「お姉さま……っ!!」

 こちらへ、と言われた先で、アリーが女性兵士達に囲まれて立っていることに気づいた。
 妹は何かから自分を守ろうとするかのように、両腕を胸元で交差させ、自分自身を抱きしめている。そしてカーラがやってくることに気づくと、乱れた金髪をさらに振り乱し、転げるように姉のもとに駆け寄ってきた。

「アリー!」
「お姉さまっ!」

 飛び込んできた妹を思う気持ちのまま抱きしめる。姉の体温に安堵したのか、アリーの目から吹き零れるように涙が溢れた。

「アリー、無事だったんだね! 良かった!」
「一体何があったんだ!?」

 レイルやクロゥが横から声を掛けるが、アリーは「…わたしっ…わたし……っ」と、言葉にならない声を漏らして泣きじゃくっている。

 妹の背と髪を撫でながらカーラが視線を転じると、コンラートとユーリが立つ場所に兵士達が集まり、何事か報告をしている最中だった。すぐ傍らにはベイルオルドーンの人々も居て、一緒に話を聞いている。
 自分達こそが状況を把握しなくてはならない。そう考えたカーラは、妹と仲間達を促して眞魔国の人々が集まる場所に向かって歩き始めた。その時。

「だからっ!」

 とても品が良いとは言えない男の、荒れて擦れた叫びがその場に響いた。
 全員の視線がそちらに集中する。

「あの男達は……」
「僕が見た男もいます!」

 ゴロツキとかチンピラとか無法者と称される、いわゆる下層階級の荒くれ共が7、8人、兵士達に引っ立てられ、地面を引き摺られるように連行されてくる。

「港で頼まれたんですよっ! 本当だ! 金髪の、あの娘か小僧か、どっちでも良いから掻っ攫ってくれって!」
「どこの誰かなんて知らねぇよ! 大層な金をくれたから、だから、いいやっ、あの娘っこが誰かも聞いてねえよ!」
「俺達はただ頼まれただけだあっ!」

 全員人間です。
 兵士の報告する声が聞こえた。
 羽振りの良い街には、様々な階層の、さまざまな目的を持った人々が集まる。景気の良い街でなら一旗上げられるのではないか、一儲けできるのではないか、夢や希望を胸にやってくる者も多いが、同時に欲得だけが目当の無法者も数限りなく流れ込んでくる。繁栄する街の、これもまた一つの避けようのない現実だ。

「カーラ」

 コンラートが、そしてユーリやベイルオルドーンの人々がカーラ達に顔を向ける。

「この男達がアリーを誘拐しようとした」コンラートがカーラ達に状況の説明を始めた。「詳しく取り調べないと分らないが、どうやら花畑の中に身を潜めて、機会を伺っていたようだな。不審に思った俺の部下を別方向に誘い込んで拉致しようとしたというから、かなり手馴れた者が指示を出したのではないかと思うが……。一旦拉致に成功したが、花畑から連れ出そうとしたところで兵達に発見され、捕縛された、というところだ。詳しくはまた改めて報告しよう。だがその前に」

 淡々とそれだけ告げると、コンラートは男達全員をざっと眺め渡した。
 そして、地面に押さえつけられるようにして並べられた男達の中から、1人の男に目を向け、その男の前に立った。

「お前だな」

 見下ろされた男が弾けるように顔を上げる。

「おっ、俺はっ! 俺も、俺も同じでさぁ! どこの誰だか分からん男に金を渡されて…っ!」

「無法者か、それとも無法者を装っているだけか。それくらいのことも見抜けないと思うのか?」

 お前は武人だ。
 コンラートが断言した。

「昔はそうだったが今は違うなどとは言うな。無駄だ。お前は現役の武人だ。……どうだ? この男があの娘を捕らえる指揮を取ったのではないのか?」

 最後の問い掛けは、他の男達に向けてのものだ。
 男達が一斉に頷いた。

「そうです! 金をくれたのはこいつじゃないが、でも、どうやってあの娘を掻っ攫うか、俺達に命令したのはこいつです!」
「偉そうなヤツだとムカついたが、どうしたら良いか分からなかったから、こいつの言う通りにしたんでさぁ!」

 男達が懸命に言い募る。

「僕……この人、知ってます」

 そこで意外な声が上がった。レイルだ。

「レイル!?」

 驚くカーラ達から離れて、レイルがその男に歩み寄り、その顔を覗きこんだ。

「あなた……」レイルが目を瞠って言った。「ヴォーレン州の……執政官殿が議会においでになられたときに、随行の中にいらっしゃいましたよね!? 僕、打ち合わせの書類をお持ちした時に、あなたとお話してます!」

 まじまじとレイルの顔を見ていた男が、ハッと顔を強張らせると同時に、慌てて視線を外した。

「……ヴォーレン…だと……?」

 カーラとクロゥが顔を見合わせる。
 ヴォーレン州は、元はヴォーレン王国だった。南部の、あの独立を画策して議会を紛糾させた記憶も新しい州だ。

 まさか、とカーラが足を踏み出したその時だった。
 男が足首に手をやったと見えたその次の瞬間、男の手に細身の短剣が握られていた。その短剣を、男は迷うことなく自分自身に向けた。

「止めろ!」

 コンラートが命じるまでもなく、兵士達が飛び掛って男の手から短剣を剥がし取る。

「舌を噛ませるな!」

 必死にもがく男を押さえ、口に布を押し込んで自死を防ぐと兵士達は男の身体を地面に押し付けた。

「連行しろ。くれぐれも注意して取り調べるように担当官に伝えろ」

 はっ!
 コンラートの命令に、兵達が応える。

「皆、ご苦労様。それから、ありがとう! 皆のおかげで、おれの大切な友達が助かった。本当に、ありがとう!」

 もったいない!
 ありがたきお言葉…!
 兵達にとって、魔王陛下のお言葉を賜るより大きな喜びはない。笑顔のユーリに、兵士達が一斉に叩頭した。

 連行される男達を見送った後、コンラートは改めてカーラとその仲間達に目を向けた。

「どうやら」

 ユーリの肩に回るコンラートの手が、無意識なのか、その肩の線を確かめるようにゆっくりと撫でている。

「我らが陛下でもベイルオルドーンの方々でもなく、狙いは最初からお前達だったようだな。我が国は、新連邦の国内問題に巻き込まれ掛けたようだ」

 コンラートの言葉に、カーラの喉が鳴った。


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新作1話目、最後までお読み下さいまして、ありがとうございました。

今回はほとんど2話分ありましたが、アップは割りと早くできたかなと思います。
私達の現実の社会について書き出すと、あまり嘘が書けないのでかなり気を遣ったり、調べものに時間が掛かりますが、こういう異世界の設定を書くのは自由が利くのでガンガン進みますね。
特に今回は以前からちょこちょこ書いておりました「イロイロ危うい新連邦」が本当に危うくなる話ですので、自分の中の勢いが違います。
相変わらずのメンバーが相変わらず悩んだりオロオロしたりしてますが、お楽しみ頂けましたら嬉しいです。
ということで、今回の真の主役は次回登場です。
しかし、メインカップルのラブラブを書くより、ダイケンジャーの陰謀を書くほうがわくわくする私って……。

ご感想、お待ち申しております。