「バカな……っ!!」 激戦のさなか、別方面での緊迫した状況を耳にした。焦りながらも、戦況は動かず、最後にかけた総攻撃でやっとの思いで敵を撃退した。本当に、やっと、だった。そして、一度崩れかけた部隊を立て直すため戻った王都で、信じられない話を聞かされた。 「アルノルド、だと!?」 五万の人間の兵が我が国にその泥足を掛け、そして今アルノルドが陥落寸前だという。……緊急事態に陥った別方面とはアルノルドのことだったのか。そしてその地に。 「…コンラートが……」 弟が派遣された。たった、四千の部隊で。 「コンラートを見殺しになさるおつもりか!?」 私の剣幕に、母は目を瞠き、玉座の上で身をひいた。口が小さく戦慄き、「でも」と形をとる。 「……魔王、が、私情を挟んでは……いけないと……」 ばかな、と吐き捨てて、私は母の傍らに立つ男を睨み据えた。男─シュトッフェルが、一瞬怯えた様に視線を泳がせる。小心者のクセに野心ばかり肥大させたろくでなしが…! 「それが綿密な計画の上に立てられ、戦略的戦術的に理にかなった作戦であると言うならば。どれほど過酷な作戦であろうと、兵を送るのに私情を挟む余地などない。だが、これは違う! これは…コンラートとその部隊を、地上から抹殺するための、ただそのためだけの……!」 「フォンヴォルテール卿! 口が過ぎるぞっ!」 同じ血が、わずかなりと流れていると思うだけで怖気が奮う。泡を飛ばして怒鳴る摂政を、さらに睨み付けると、今度は憎々しげな視線を返された。この男は一体、どこまで祖国と民をおもちゃにすれば気が済むのだ? それに。 「フォンヴォルテール卿ともあろう方が。ウェラー卿は『名誉である』と答えて出陣したのですぞ」 「そうですとも。混ざり物の連中には過ぎた名誉です。祖国のために身を捧げたと、長く名を残す事ができるかもしれんのですからな」 「大体、あやつらは今までろくな戦功も立てた事がないではないですか? 忠誠心を疑われても無理はない。身を捧げるどころか、しっぽを巻いて逃げ帰ってこなければいいのですけれどねえ」 「そうなったら敵前逃亡ですな」 ぐだぐだと。戦功をたてた事がない? 彼らから手柄の全てを横取りしたのは、どこの誰だ!? 唇を噛み、玉座の母に視線を戻す。泣き出す寸前のような母の顔。 なぜこの人が魔王なのだ。なぜ? 国を治めることに何の興味も抱かず、兄のなすがままに国を任せてしまった母。その兄に言い包められ、わが子を死地に追いやることを止める事もできなかった母……。 口を閉ざしたまま、私は玉座に背を向けた。 この国はどうなるのだ? はるか昔、数少ない「異種」に支配される事を嫌った人間達に畏れられ、厭われ、そして逐われ。創主達との戦いに傷つき弱っていた先祖達はこの波に逆らう事もできず。流浪して後、この西の果てに国を作った。 以来数千年。 圧倒的多数の人間達が支配種となったこの世界で、その人間達と反目しつつ、王国は歴史を繋ぎ続けてきた。持てる魔力と軍備の増強、そしてしたたかな外交戦略で。 だが今。シマロンの急襲を受けて立ったこの戦いで、我々は破れようとしている。 負けるのか。 負けたらどうなる? 同じ人間なら、大シマロンに吸収されて他国と同様、「解放」の名の元にその一部となるのだろう。だが我々は魔族だ。「魔物」と同一視され、憎まれ、恐れられている。その我々を、ヤツらが迎え入れる事は絶対にない。 国土は踏みにじられ、国民は皆殺しにされるか、奴隷に堕とされる、か。少なくとも、魔族と呼ばれる種族が繁栄した証は、完璧に抹殺されるだろう。 その歴史共々、国家が存亡の瀬戸際に立ちすくむ、この時に。 王は政に見向きもせず、摂政は権勢欲と支配欲を満たす作業にうつつを抜かしている。 宮廷のトップは阿諛追従の輩で占められ、心ある者はとうに王都を離れてしまった。 我々は。滅ぶのか……? 「で? 我らの魔王陛下は何をしておいでなのだ?」 「おやつを召されているように見えるかい?」 にっこり笑う腹の底の見えない男を睨み付けるが、相手は意にも介さず笑みを深めただけだった。 一体いつからこの男、弟は、こういう人の悪い笑顔をみせるようになったのだろう? 「午前中、ギュンターの情熱にとことん付き合わされて、お疲れなんだよ」 「だろうな」 熟睡している。 春のうららかな陽射しが射し込む、花盛りの中庭の一角。そこに立つ樹の根元で、弟、コンラートの太股に頭を乗せ、当代魔王陛下がぐっすりと眠っていた。そよ風に揺れる葉を通して、木漏れ陽の波の様な陰影が少年の身体を彩っている。 「だがそろそろ執務に……」 戻ってもらわなくては。そう続けるはずだった言葉は、途中で止まった。 蝶が。淡い紅色の小さな蝶がふわふわと飛んできて、魔王、ユーリの鼻の頭に止まったのだ。 示し合わせた様に、私とコンラートはその様に見入った。 「…………んっ、んー……」 ユーリが小さく呻く。眉がきゅっと寄った。蝶は気づかず、ユーリの鼻の上で羽を開いたり閉じたりしながらちらちらと動いている。 くちっ。 世にも可愛いくしゃみ。だがそれでも蝶には充分だったようだ。花びらのような小さな蝶は衝撃を受けた様に飛び去った。 「……んん……」 起きるかな? ユーリは赤ん坊がむずかる様に、顔を一つくしゅっと歪め、そして。 すくー。 眠った。 思わずため息がでる。と、くすくす笑う声に気づいた。 てっきりユーリの愛らしさに笑いを誘われたのだと思ったのに、コンラートの視線ははっきりと私の方を見ていた。 「…なんだ?」 「いや、可愛いなあと思って」 ユーリが、だな。そうだな。そうに決まっているから、確認するのはよそう。 なぜかその間、コンラートのくすくすと笑う声は止まなかった。 「いい加減なところで起こしてこい。サボればサボるだけ、書類の山が高くなるだけだとな」 「了解。…ああ、グウェン」 踵を返して歩き始めた私の背に、コンラートが声の調子を買えて呼び掛けてきた。 「どうした?」 「うん、ああ、いや、……何かあったのか?」 「…意味が分からんが?」 「いや、どうも朝から雰囲気が変だな、と」 珍しく歯切れが悪い。それだけ不審だったということか。……態度に出した覚えはないのだが、まだまだ私も修行不足か。 「大した事じゃない。ちょっと…夢見が悪くてな…」 「ゆめ? グウェンが?」 「……ああ」 「…あみぐるみが何者かに引き裂かれたとか…」 「じゃない」 「じゃあ…アニシナに…」 「違う!」 思わず声が高くなる。 コンラートがどこか心配げに眉を顰めて私を見ている。 「大した事じゃない。とにかく」 なるべく早く陛下を連れて来い。そう言い残して、私は今度こそ歩き出した。しばらく歩いて、振り返る。 柔らかな陽射しの中、そこにあるのは、弟と新しい魔王の平和な一時。 コンラートがユーリを見下ろしている。指がそっと、おそらくは髪か頬を、撫でている。ユーリを見つめる弟の瞳。そして口元。その全身に溢れ、そしてユーリを包み込む、何か。 これほどまで、弟が誰かへの想いを露にするのを、私は見た事がない。かの女性─スザナ・ジュリアに対してすら、弟は絶対にその心情を表に出す事はしなかった。だが今は違う。 瞳が、笑みが、指が、態度の全てが、ユーリを愛しいと静かに叫んでいる。 もしあれが無自覚だとすれば、弟が100年の人生で完成させてきた鉄壁の仮面に、綻びが生じているということだ。ユーリの存在故に。 結局。あの戦争で魔族が滅びる事はなかった。 弟の師団の犠牲が契機となって、決死の反転攻勢に出た眞魔国軍の前に、最終的に大シマロンは停戦を申し出ることとなった。 弟は、コンラートは英雄となった。 己が指揮する師団の九割が戦死という結果の上で、救国の英雄となり、十貴族と同等の待遇を許された弟の心情を、私はあえて推し量ろうとは思わない。 そして、瀕死の重症を背負って帰国したその耳に知らされた、スザナ・ジュリアの死についても。 考えてみたら、ユーリを魔王として推戴する以前、私達兄弟は本当に冷めた関係だったと思う。私はコンラートを「ウェラー卿」としか呼ばなかったし、コンラートも私を「フォンヴォルテール卿」と呼んでいた。礼儀正しく、一線を越える私的な干渉をしない、距離をおいた冷たくも暖かくもない関係。 それもある意味、無理のない事だったと思う。 私達の間に横たわる、厳然とした身分の差。だけではない。 私とは違い、コンラートは幼い頃からヴォルフラムとは密接な関係を築いていた。にも関わらず、人間の血が流れているというその一点だけで、ヴォルフラムはある時突如としてコンラートを切り捨てた。本音はどうあれ、由緒正しい純血魔族としての矜持と意地で、ヴォルフはそれまで確かに存在していた絆を、自分の手で引き裂いたのだ。コンラートが心を閉ざす、それが最終的なだめ押しになったのだと思う。 そうだ。 コンラートはずっと心を閉ざしていた。 誰に対しても。穏やかな笑みを浮かべた鉄壁の仮面を被り、誰とも争わず、万事控えめに、目立たず、その血筋に関するどんな皮肉を言われようと、嘲られようと、閉ざした心の壁を崩す事はなかった。 死地に追いやられる時でさえ。 「ごっ、ごめんっ、グウェン! ギュンターッ!」 執務室のドアがいきなり勢いよく開いたかと思うと、魔王陛下が息せき切って飛び込んできた。 「ちょっとだけ、ちょっとだけ休むつもりだったんだけどっ」 「陛下、お待ち申し上げておりましたよ?」 午前中ずっと一緒にいられて満足できたのか、王佐の笑顔にはまだゆとりがある。いつもこういう顔をしていれば、有能という評判をユーリに疑われる事もないのに。 ユーリの後ろから、コンラートも入室してきた。そして慌てる主の先回りをして椅子を引き、ユーリに着席を促す。焦った顔のまま、ユーリは椅子に見向きもせず腰を降ろす。そのタイミングぴったりに椅子が押し出される。そして魔王が執務席にぴたりと納まるのを確認すると、コンラートがその後方にゆったりと立つ。その他愛もない一連の流れに、私はホッと息をついた。どうしてだか分からない。ただ、ユーリとコンラートを包む空気とその周囲に、何の異常も淀みもない事に、不思議な程安堵している自分がいた…。 書類はほとんど、私と王佐とで決済される。王は必要な署名を記入するだけだ。だが近頃のユーリは、言われるままに署名をするだけではなく、何が書かれているのかを確認する様になった。まだ大した単語も読めない状態でそれを望まれるのは、説明するこちらとしても正直時間の無駄なのだが……。しかし、まあ、王の将来を考えれば、それは方向性としていいことなのだろう。後は……。 いつしか、ペンを持つ手が止まっている。そして漆黒の美しい頭が、こくんこくんと揺れている。 後は……もうちょっと集中力と持久力がついてくれればいいのだが……。 やれやれと見ると、ユーリの肩ごし、その向こうに立つコンラートが、ユーリをじっと見つめているのが視界に入った。 なんとも言えない優しい笑みを浮かべている。目もとも口もとも、溶ける様に和やかな、笑顔…。 この弟のこんな、仮面を飾るものとは全く違う、 掛け値なしに本物の、愛しげな笑みを見るのは何年ぶりだろうか…? 私が見ているのに気づいたコンラートの笑みがまた少し変化した。ちょっとばつが悪そうな、らしからぬ照れくさげな顔。…コンラートがユーリに近づき、その肩に手をおいた。 「…ユーリ…?」 耳元に顔を近付け、そっと囁く。こちらが照れるような甘い声。……ヴォルフラムがいなくてよかった。あらゆる意味で。 「……ん? ん、あ、あれ…?」 俺また寝ちゃったのー? ふるふるとユーリが頭を振る。 「まだ先ほどの眠気が取れてないんじゃないのかな? 顔を洗ってくればよかったですね」 「だなー。…俺、やっぱ顔洗ってくるわ」 今度はちゃんとすぐに戻ってくるから、と言いおいて、ユーリが扉に向かった。 「…コンラート」 ユーリの後に続こうとした弟に、思わず声を掛けた。コンラートが振り返る。「いいよ、一人で」とユーリがコンラートを押し止め、扉の向こうに消えた。 「何? グウェン」 「…あ、いや……いい」 不思議そうに首を傾げると、それでもコンラートは問い返すことはなく、ユーリの後を追って部屋を出ていった。 「グウェンダル、どうかしたのですか? 具合でも?」 「いや……」 夢のせいなのだろうか。この…不安は…。 ユーリが地球に戻って数日経った。 近頃、あのけたたましい子供がいないと、何となく張り合いがなくなったような気がする。そんな近頃の自分の変化に我ながら驚いてしまう。そしてそれが嫌ではない、というところが、何とも……。 「グウェン、いいかな?」 珍しい事もある。深夜、残務を片付け、ホッと一息ついている私は、突然コンラートの訪いを受けた。 「かまわん、何だ?」 「日中はなかなか時間が取れなくて。こんな夜に申し訳ないんだが…」 もう一度、かまわないと告げて、弟に座る様に促した。コンラートが無駄な話をしに、わざわざ夜中に私を訪れるはずがない。 「大シマロンのことだが…」 思わず弟の顔を見入ってしまった。 実際、弟はこれまで政治に関して、求められない限りほとんど意見を述べる事がなかった。昔は血筋の事もあり、政治的発言力が皆無だったのだから当然なのだが、今も、王がいる時には護衛に、いない時には王都の警備に勤しんでいる。そのコンラートが……? 「今、あの国の状況は、かなり不穏なんじゃないのか?」 「…ああ。着々と軍備を整えているな。属国から戦力をかなり強引に徴集している。眞魔国打倒は、あの国の宿願だ。戦力を数だけで見れば…正直我が国にどれだか勝ち目があるか…。二十年前の戦争時よりはるかに属国も増えているし…。とは言え、もちろん我々も手を拱いている訳ではない。それに、大シマロンの戦力が、兵の数だけあるかといえば、決してそうとは言えない」 「大シマロンの属国にされた民の……?」 「そうだ。あの国は大きくなり過ぎた。栄えているのは王都やもともとの大都市ばかり。国の辺境は発展にも繁栄にも見放されている。その辺境というのが、かつてシマロンと戦って破れた国や領土だ。それらの土地では、税も極端に上がっているようだし、近年の旱魃で農作物も打撃を受けているという。中央からの援助が届かず飢餓に陥っている地方もあるようだ。……かなりの民に、不平不満が高まっているのは間違いないな。そんな民が兵となって、どれだけ大シマロンのために命を賭けるか、疑問と言ってもいいだろう」 それは決して楽観的な考え方ではないと思う。ただ。 「問題は、大シマロンの支配に対して抵抗する国内の力が弱過ぎるということだ。同じ属国と言っても、もとが別々の国なのだから、仕方がないといえば言えるのだが…。横に連係するという事がない。なさすぎる。全く、歯がゆくてならん。何とかそれらの勢力をまとめる事ができないかと……」 「俺を使ってはどうだ?」 「………何、だと……?」 何と言った? 「陛下は、絶対に戦争を起こしてはならないと仰せになっている」 「ああ。全く世界情勢もろくに分からんくせに、あの子供は……」 「だから、大シマロンの内部で反乱が起きれば、それで大シマロンの政権が倒れ、結果、眞魔国との間に戦いが起こらずに済めば……それが一番陛下の御意に叶うと思う」 「それが我が国には、もっとも理想的な形だな。我が国の国土も民も、全く無傷で済むのだから。だがそれが……」 「グウェンは…俺の父がどのような人間だったか知っていたか?」 「……いや」 剣だけが取り柄の流れ者、としか聞いていない。確認する必要もなかった。 「俺の父は、かつて大シマロンの一帯を支配していたベラール王家の唯一の直系だ」 「…っ!……しかし、ベラールというのは、大シマロンの…」 「俺の先祖を倒し、一帯の支配権を握るため、一族の名を奪ったんだ。そして生存を許し臣下に落とした直系の者に、『ウェラー』の名を与えた……。あの辺りの人間なら、誰でも知っている話だ」 「……それは……」 ─うかつだった。我ながら、何と……。人間の血統など興味もなかったとは言え……。だが、それは。 「誰でも、知っている、と?」 コンラートは無言で頷いた。 「ある意味、ウェラーの名は、大シマロンに抵抗する者にとって象徴の一つになっている。これを…使わない手はない。違うか?」 「………どうするつもりだ…?」 「俺は魔族を見限って、眞魔国を出奔する。混血である事を理由に、魔族として何一つとして報われず、蔑まれる事に嫌気がさしたからだ」 「コンラートッ!」 「そして大シマロンの宮廷に、まず入り込む。ウェラーが臣従を誓って戻ることは、大シマロン王にとって、絶対に大きな意味を持つはずだ。必ず受け入れさせてみせる。それから、宮廷内の不満分子、そして国内の、反乱勢力をまとめていく。最終的には反乱軍を組織して、内乱を起こす」 「……コン、ラー……」 「どれだけの時間が掛かるか分からない。成功するかどうかも…。だがやってみる価値はあると思う。少なくとも、失敗しても国にとって失うものはほとんどない」 「ない訳があるかっ! …その時なくすのは、お前の命だぞ……」 「それでも、やる」 私は弟の顔を見つめた。完全に覚悟を決めた顔だった。揺るぎない、獅子の顔。 「…いくら戦争を回避するためとは言っても、ユーリが承知するはずがない」 「だから言わずに行く。陛下には……黙っていてくれ。できれば…ヴォルフにも、ギュンターにも、誰にも…」 「何だと……?」 呆気にとられる私に、コンラートが苦笑した。 「フォンヴォルテール卿ともあろう人が、何を。…反乱の背後に眞魔国があると知られれば、どうなる? 大シマロンはすぐさま攻め込んでくるぞ。陛下が何もご存じなければ、これはこの国と何の関係もない、いや、魔王を裏切って、国を出奔した男が勝手に企てた悪事で済む」 「コンラート、それでは……」 「いざという時には、俺を切り捨てろ、フォンヴォルテール卿」 無言で。私達は互いの瞳を見つめていた。コンラートの顔には全く表情がない。ただ、その瞳にだけ、強い決意があった。 「いつからそんな事を……」 「さあ…」 「ユーリは泣くぞ…?」 「…………」 「苦しむぞ…?」 「…それを考えるのが……一番辛い、な…」 「それでも、か…?」 「ユーリの理想を実現させるのに、これ以上の方法が、俺には思いつかない……」 戦争反対。絶対平和主義。魔族も人間も、みんな仲良く。 言うだけなら簡単だ。だがあのお子さま陛下は、そのために何をどうするかも、夢と理想を実現させるのに、どれだけの犠牲が影に隠されるかを、少しも考えた事はないだろう。 できる訳がないと思うから、私はユーリの理想を、理想以上のものとは捉えていなかった。だが、この弟は……。 「…コンラート。だからか……?」 「………?」 「だからお前は。お前は…ヴォルフラムと争わなかったのか?」 「グウェン、言ってる意味が分からないんだが…?」 「……お前は、ユーリを……ヴォルフラムと争おうとしないのは、この事を考えていたからか…?」 「グウェン、何を!?」 「お前がユーリに、特別な感情を抱いているのは分かっている」 「グウェン」コンラートの苦笑が深くなった。「ユーリは魔王陛下で、俺の名付け子だよ?」 「だから何だ? まさか、うまく隠しているとでも思っていたのか? それとも、本当に自分の感情に気づいていないとでも?」 「グウェン」 コンラートの顔が、ふと真顔になった。瞳からも表情が消える。 「…最初は驚いたけれど…、今はヴォルフでよかったと思う。あいつなら、ユーリと共に生きるのにふさわしいんじゃないかな。でも…」自嘲の笑み。「…俺ほど、ユーリにふさわしくない男はいないと思う……」 「…コンラート」 「行けと言ってくれ、グウェン。グウェンの協力が絶対に必要になる。陛下を除けば、この国で最高の政治力を持っているのはグウェンだ」 「本当に分かっているのか? この企てが成功しない限り、お前は裏切り者の烙印を押されたままなのだぞ? その汚名を着たまま、死ぬかも知れない。そして何より……ユーリに憎まれても…」 「そうなれば、もし俺が死んだとしても、あの人はあまり悲しまなくて済むな」 「コンラート、お前は……」 お前は。それほどまでに……。 かつて私は弟を助ける事ができなかった。 その血筋故に蔑まれ、貴族達の白眼視に晒された彼が一人で耐えていた時にも。 叔父の策謀によって、死の瀬戸際に立たされた時にも。 そして、今。 「今度は、私がお前を死地に追いやるのだな……」 大シマロンの脅威を遠ざけるために、やれる事は全てやる。 そしてそれが、戦略的にも戦術的にも理に適った策であるならば、どんな私情も入れるべきではない。 「いいか。絶対に成功させろ。国のため、誰より陛下のために、な。そして、いいか、絶対に生きて帰って来い」 コンラートが微笑んだ。 それはかつて理不尽な命に従い、アルノルドヘ向かった時とは全く違う笑みなのだと、私は確信していた。 最愛の主のために選んだ道を、自らの意志で進む事を決めた男の顔。 生きて帰って来い。必ず、生きて。 ユーリのために。誰より、お前自身のために。 プラウザよりお戻り下さい。 →NEXT
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