「ユーリッ! 何をやっているっ、この尻軽っ!!」 全くどうしてこのへなちょこはこうも僕を蔑ろにするんだーっ!! 「……何って……、なあ? コンラッド…」 「コンラートの頬に口付けていただろうがっ! このぉ…」 「くちづけぇ!? 何考えてんだよっ。こんなトコで、んなコトできるワケないじゃん!?」 「こんな所でなければするのか、お前はっ!?」 「………論点がずれ始めてるぞ、ヴォルフラム…」 兄上は口を挟まないでください。と言いたいが、仕方なく僕は黙った。 大体ユーリが悪い! 僕がいて、兄上がいて、ギュンターもいて、職務上仕方がないからコンラートもいて。そんな魔王の執務室でコンラートの頬に、頬に…っ! 「ちょっと内緒話してただけだよ、ヴォルフ?」 「お前には聞いていない」 これだけ冷たくされたら、ちょっとは落ち込め。そう思って睨み付けても、コンラートの笑みは変わらない。この笑顔は……むかつく。 「どうしてコンラートと内緒の話などしなくてはならないんだ!? 僕や兄上に隠さなくてはならないような話を、コンラートとだけするとはどういう了見だっ!?」 生涯の伴侶たる約束を交わした僕以外、秘密を共有するのにふさわしい相手はいないだろうがっ。 僕の心の叫びが聞こえたのか、ユーリが照れくさそうにもじもじする。全くお前というやつは可愛い……。 「うるさいだよなー、ヴォルフはさー……」 ……なんだとぉ……。 「単に、おやつのリクエストを頂いていただけだよ」 「バラすなよー、コンラッドぉ…」 「まだ昼にもなっていないというのに、おやつだとぉ……」 「だって…いきなりこれが食べたいとか言ったら、料理長さんが困ると思ってー…」 一国の王ともあろう者が何を細かい事をっ。またしても怒鳴り付けたくなったが、何だかバカバカしくなってやめた。王としての自覚を持てと、僕が誠心誠意言葉を尽くしても、ユーリはちっとも変わらない。料理長だのメイドだの馬丁だの、城の使用人達はもちろん、下々の者に気を遣ってばかりいる。 ……仕方がない、こいつはこういうやつだ。未来の伴侶たる僕が、広い度量で受け止めてやらなければ。 「…で? 何が食べたいと?」 聞いてやると、僕の機嫌が直ったとホッとしたのか、ユーリの表情がパアッと明るくなった。やはり僕と仲違いはしたくないんだろう。婚約者として当然だが。……おやつのことを思い出したからでは、断じてない…と思う。 「ほらっ。前にヴォルフも美味しいって言ってたじゃん? あの蜂蜜のケーキ!」 「…ああ、あれか。あれは」 たしかに美味だった。 「ロールケーキのスポンジの間に、固めた蜂蜜が層になってて、木の実やフルーツがいっぱいで、フォークで掬ったら、糸引いた蜂蜜がケーキに絡んで……ううっ」 味まで思い出したのか、ユーリが両頬に手を当ててうっとりと宙を見つめた。 はあっ、と重いため息が傍らから漏れる。 「いい加減に仕事をしろ。その山を終わらせん限り、おやつは届かんぞ」 「……げ」 兄上の地を這う低い声に、ユーリが首をひょんっと竦めた。そして大慌てでペンを持ち直し、ほったらかしたままの書類に向かう。 「じゃあ俺は厨房に行ってきますね」 楽しそうな笑みを浮かべながら、コンラートが扉に向かった。 「…おねがいしまーす……」 小さく声を送ると、片手を上げてにぎにぎと、閉じたり開いたりしている。あれが地球流の手の振り方か? はい、分かりました、とにっこり笑って、ようやくコンラートが出ていった。全く……! つい先月までのユーリのおかげで、僕の寿命は五十年は短くなったと思う。 コンラートが大シマロンから戻ってきてすぐ、ユーリの様子がおかしくなった。大賢者曰く、「幼児返り」したのだという。 まさしく「幼児」だった。コンラートに裏切られた訳ではなかったのだと安心した途端、それまでの苦悩の反動で精神が丸っきり幼い子供に戻ってしまったのだ。 コンラートに添い寝をねだり(毎晩僕が一緒にいるのに!)、歩く時は必ず手を繋ぎ(誰が見ていようとお構いなしだ)、食事は全てコンラートの手から食べさせてもらい(その間、ユーリの手はコンラートの服を掴んで離さない)……。ついに執務中も、魔王の椅子にコンラートを座らせ、ユーリはその膝の上に座ってサインをするようになった。そして眠くなると、そのままコンラートの胸に身体を持たせかけて気持ち良さそうに眠っていた。 ユーリを想うなら黙ってみていろと、あの憎たらしい賢者に釘を刺され……。僕は一生分の忍耐という忍耐の全てを総動員しなくてはならなかった。何と言っても、ユーリは自分が幼児に戻ったという自覚が皆無だったのだ。自分では全く変化がないと信じていたらしいのだから、人の精神というのは複雑怪奇なものだ。 そうして、少しづつユーリは回復(成長?)し、今ようやく、ほぼ健常な精神状態に戻った。 ……ある日、サンドイッチとやらを食べさせようと、コンラートがその野菜やらハムやらを挟んだパンを差し出した時、ユーリは口を開けることなく手を出して受け取った。その瞬間の、コンラートの密かにがっかりした表情を、僕ははっきりと覚えている。 だがしかし、すっかり快くなったかというと、そうでもない。突然、思い出した様に今日のような態度─コンラートに甘えた─を取る。そしてそういう時、コンラートは本当に嬉しそうに笑っている。 笑いの種類が違う。 コンラートの笑みは……その時と場合と相手で、怖ろしいほどに変化する。僕はずっとそれを見てきた。そしてコンラートの笑みを変えてしまった原因の一つが………。 今、コンラートに作り物でない笑みを浮かべさせる事ができるのは、ただ一人。ユーリだけだ……。 何としても、ユーリはおやつに蜂蜜ケーキを食べたかったらしい。 思わずこちらが脱力する程、ユーリは必死の形相で書類にあたった。大奮闘だ。 魔王を動かすには、力はいらない。美味しいケーキがあればいい。……へなちょこめー。 「グウェン、おやつの時間ですっ」 「……………」 「俺、ちゃんと仕事したよなっ?」 「……………」 「よなっ?」 「………ひと休みしていい」 「コンラッドー!」 「はい。少々お待ち下さい」 コンラートが笑顔で頷いて、部屋を出ていく。そしてしばらくすると、コンラートと共にメイド達がお茶とお菓子を乗せたワゴンを運んで入室してきた。 「……?」 メイド達の後ろから、質素な服装をした、見なれない金髪の、年の頃六、七十歳程の娘が一人、入ってきた。 「コンラッド?」 娘はすさまじく緊張している。ほとんどもう右手と右足が一緒に出る程に……出ているな。顔も蒼白に引きつっている。コンラートは娘を見遣ると、ユーリの前に立った。 「陛下、この娘は料理長の姪で、シェイナと申します。陛下のお気に入られた蜂蜜のケーキは、この娘が考案したものだそうです。…よろしければ、お言葉を掛けてやってはくださいませんか?」 へえ、とユーリが目を瞬いて娘、シェイナを見た。その瞬間、娘の身体がカチーンと音とたてて固まった。 「これ、君が作ったんだー」 テーブルの上にセッティングされたお茶と、そして蜂蜜のケーキを見て、ユーリは嬉しそうに微笑んだ。 娘、シェイナとやらが、突如発作でも起こした様にぱくぱくと口を開けたり閉じたりしだした。何か言上したいのだが、喉から声が出てこないといった風情だ。どうやら本当に呼吸困難を起こしてしまったようで、ついには何もしていないのに、ぜーぜーと汗を流しながら肩で息をついてしまっている。 「……えーと……」 さすがにユーリも困った様にその姿を見つめてから、何を思ったのか、徐に先割れスプーンを手にした。そして、スポンジと蜂蜜が異なった金色の層をなすケーキにそれを突き刺した。 一切れ分救い取り、糸を引く蜂蜜をスポンジに絡める。 「この蜂蜜の適度な固まり具合がいいんだよなー。切っても流れないし、かといって、固まり切ってるわけでもないし。ここんトコ、苦労したんじゃない?」 ユーリの言葉に、コンラートがシェイナに笑みを向けた。 「ほら、陛下もちゃんと分かっておいでになるだろう? うまく蜂蜜を固めて、きれいな層にするのに一番苦労したんだったね?」 シェイナがぶんぶんとちぎれる程大きく首を縦に振った。顔が真っ赤だ。 その様子を見て、ユーリがケーキを口に入れた。もぐもぐと咀嚼し、味を満喫してから、目を細めてこくりと飲み込む。 「うん! 美味しいっ!」 ユーリの笑顔。双黒の美貌、というより、地上最高に愛らしい魔王から、 満面の、最高の笑みを送られて、シェイナは感極まった様にぷるぷると震えだした。きつくドレスを握りしめている両手も震えている。と、少女がいきなり前に飛び出す様に跪いた。 「こっ、ここ、こ、光栄に、ぞっ、存じッ、あげます、陛下っ!」 叫んだ。そして身体を震わせたまま、俯いている。 ふと、ユーリが立ち上がって、少女の側に立ち、膝を折った。 たかが料理長の姪ごときに、そこまですることはない。嗜めようと立ち上がった僕に、コンラートが顔を向けた。僕の心情を読んだのか、視線で動きを止めてくる。睨み返そうとしたが……、笑みのないキツい眼差しに動きが取れなくなった…。 ユーリは頭上で交わされていることに全く気づかないまま、シェイナの肩に手を置いた。びくりと少女の身体が跳ね、顔が上がる。そして目の前に王の顔があることに気づくと、驚愕に目を見開いた。 「これからこのケーキが食べたくなったら、『シェイナのケーキが食べたい』って言えばいいね?」 シェイナの目がますます大きく見開かれる。 「………へ、へい、か……」 「ん?」 シェイナが大きく息を吸う。 「…わ、わたし、お菓子作るの、大好き、なんです……」 「うん」 「……おじさんが……お城の、料理長、だから……わたし、いつもお菓子作る時……もしかしたら…もしも美味しいお菓子が…できたら…、陛下、に、食べて頂けるかもって……いつも、想像、して………、いつも、いつも……そんな、光景を……夢に…みて……夢に……」 榛色の瞳に、瞬く間に涙が盛り上がる。そしてそれを隠すように、少女がまた顔を伏せた。 「また新しいお菓子ができたら、一番に食べさせてよね?」 「……はっ、はいっ!」 シェイナがメイド達と共に退出した後、ケーキを更に堪能して、ユーリは満足そうにお茶のカップを傾け、そして、ほうっと息をついた。 「……何だかさ。色んな人がいるんだよなー」 「なんだと?」 意味が分からなくて問い返すと、ユーリ自身も何を言いたかったか分からない様に首を傾げた。 「えーと。……俺は王様だけど、この国にどんな人がいて、何を考えて、どんな思いを抱えて生きてるか、なんて全然分からないんだよな?」 「当たり前だろうが」 「だからさ。こうやって、今まで知らなかった人に会ったり、話を聞いたりできると、ホントに何て言うかさ……俺に食べてもらうのを夢見ながらお菓子を作ってくれてる女の子がいるなんて、今日の今日まで知らなかったワケじゃん?」 「…ああ」 「それを一つ、知るコトができたってのがさ。今、すっごく嬉しいんだ」 だから。ユーリが傍らのコンラートに笑顔を向けた。 「ありがとな、コンラッド。シェイナを連れてきてくれて」 いいえ、とそれだけ言って、コンラートがユーリの笑みに、同じ笑みを返した。そのまま二人が見つめあう。 ユーリとコンラートが作り上げる、その空間を壊したくて、だがそれができなくて、僕は唇を噛んだ。ユーリがこれほど喜ぶことを、僕はしてやれない。少なくとも、ケーキを作る娘の心情など僕は斟酌しようと考えた事はないし、そんな者を一々ユーリの御前に連れてこようとは思わない。これからも、それは僕にはできないだろう。ユーリがどれほど喜ぶとしても。僕だけじゃない。兄上にも、ギュンターにも、そしてアニシナだろうが、ギーゼラだろうが、それはできない。こんなことを考えつき実行できるのは、間違いなく……コンラートだけだ。 「……あのケーキの事は、今日の内に王都に広まるだろうな」 「そうなのか? ヴォルフ」 「魔王直々の言葉を賜ったんだ。シンニチあたりが大々的に広めるだろう。ケーキのレシピも一気に広がって、王都中の菓子屋が明日からでも作りだすさ」 「そしてケーキの名はもちろん『シェイナのケーキ』となるでしょう。あの娘は、眞魔国の菓子史上に名前を残す事となりましたね」 「…へー……。そういうことになるんだー……」 コンラートの言葉に、ユーリが間抜けな声を上げた。全く、自分の影響力というものを、一体いつになったら自覚するんだろう、このへなちょこは…。 「そっかー。…なんだかますます嬉しくなってきたなあ。ね、コンラッド?」 「はい?」 「また、色んな人に会わせてくれよな? この世界の、色んな場所や、色んな人や、色んな考え方や…とにかく……知りたい事がいっぱいあるんだ!」 「畏まりました」 ユーリのどこか幼さを残した言葉に、コンラートが破顔した。 嬉しくてたまらないと、愛しくてならないと、その笑顔が……語っている。 僕はユーリの婚約者だ。 ユーリの生涯の伴侶は僕で、僕達は愛しあっている…はずで、今はまだその想いは足りなくても、これから必ず僕達は固く結び合わさっていくはずで。 だけど。 ユーリにはコンラートが絶対不可欠の存在で。 その存在が、ユーリにとってどういう名前を持つものになっていくのか、今はまだ全く分からなくて。 そして、コンラートにとっても。 ユーリは飾らない笑顔を向けさせることのできる、今では、そう、僕が絆を断ち切って以来、今となっては唯一無二の存在で……。 コンラート。 ユーリ。 僕達はこれからどうなっていくのだろう? 間違いなく存在するユーリへの想いを、コンラートはどうするのか。 このまま生涯、名付け親で護衛で保護者という立場を護り続けるのか。 もしそうでないなら。そんな立場に耐え切れなくなったら…。 そしてユーリは。 現在の微温湯のように心地よく穏やかな状態が、ずっと続くと思っているのだろうか。 いつか、その幼い胸の中にたった一つの、灼ける様な想いが育つ日が来るのだろうか? そしてその時自覚する想いは、僕の望むものになるのだろうか? 今はまだ、何も分からない。 ただ。 こんな穏やかな時間がずっと続く事を願っているのは、本当は誰よりも、この僕なのかも知れない……。 プラウザからお戻り下さい
|