「こりゃまたえらいべっぴんさん達だなあ、おい」 わずかな沈黙の後。 しみじみと、ため息までつけて呟いた相棒に、クロゥも「すごいな」と答えた。 こんな子供に剣を突き付けられても、恐れ入る気には全くなれない。まして恐怖など。 初めて足を踏み入れた場所で、いきなり怒鳴り付けられた一瞬の驚きを過ぎてしまうと、クロゥとバスケスの視線を一気に惹き付けたのは剣などではなく、目の前の少年達(口調からしても、おそらく男だろう。……あまり自信はないが、とクロゥは胸に呟いた。)の見事なまでの美貌だった。 「……まさしく傾国級だな……」 それも二人揃って、だ。 思わず感嘆の唸りが口から漏れ出てしまうその視線の先。 剣を持って懸命に威嚇してくる少年は、軽やかに波打つ金髪と、澄んだ緑色の瞳をしている。そのすぐ傍らでやはり一生懸命、大きな瞳をさらに大きく瞠いて睨み付けてくる少年は、赤茶色の髪と、茶色の瞳だ。どちらも同年代、ほっそりと華奢な体つきをしているが、どう見てもアリーやレイルと同じ年頃、15、6歳程にしか見えない。 日頃、新生共和軍一の美形だの、かのラダ・オルドの王太子と並ぶ美丈夫だのと謳われるクロゥだが、正直自分の容姿など、この少年達の足下どころか、高い山の頂上とその裾野にすら及ばないと思う。来し方を思い浮かべずとも、目の前の少年達ほど美しい顔容を、クロゥはこれまでの人生目にした事はなかった。 ……剣など持たず、花でも手にしてにっこり笑えば、どれほど愛らしさが増すことか。 もったいない。 期せずして、クロゥとバスケスは計ったように二人一緒にため息をついた。 「きっ、貴様らっ、僕をバカにしているのかっ!?」 ため息をどう取ったのか、金髪の美少年が吠えるように怒鳴った。そしてさらに剣を突き出してくる。 可愛らしげな外見に反して、性格はかなり短気で荒っぽいらしい。 クロゥは、今程とは少し色合いの違うため息を深々とつくと、剣を握る少年に向き合った。 「そんなものは仕舞え。下手に扱えば、怪我をするのはそちらの方だぞ、少年」 わざと選んだ言葉を投げてやれば、予想通り、金髪美少年はカッと頬を怒りで染め、眦を釣り上げた。 「……しょ、少年、だとぉ……? 貴様は一体何歳だ!?」 「27だ」 少年の顔がさらに赤みを増す。と、くわっと口を開き、大声でがなり始めた。 「僕の半分も生きていないくせにっ! 何が少年だ、この無礼者! 謝罪しろっ、人間の小僧!!」 想像した通りの反応を見せる子供に、クロゥは「ふふん」と軽く鼻で笑ってみせる。 「……っ、ゆ、許さん……!」 金髪美少年が剣を振り上げる。と。 「ヴォ、ヴォルフ、落ち着けよ! マズいよ。ヴォルフってば!」 交渉(?)を相棒に任せ切りにしていた赤毛美少年が、慌てて金髪に縋り付く。 「離せ、ユーリ!」 「喧嘩しにきたんじゃないんだから! ダメだって!」 「……確かにガキだなあ。コンラートの言ってた通りだ」 どこか楽しそうにバスケスが言う。それにクロゥも「全くだ」と頷いた。 『………だから、人間の年齢を基準にしてくれるな』 酒を呷りながら、コンラートが苦笑する。 『そんなに俺は年老いて見えるか?』 『見えないから聞いているんだ。魔族の年齢とその精神について、俺達はどう判断すればいいんだ?』 『だから………。そうだな、例えば人間の80歳といえば、もう人生も終りに差し掛かった老人だ』 『というか、80まで長生きするのは昨今珍しいぜ?』 バスケスがいらぬ茶々を入れる。 『まあ、とにかく。……80にもなれば、孫やひ孫に囲まれる生活の中で、人生について達観してるだろうし、己の死について思う所もあるだろう。身体もそうだが、心も、言い方は悪いがすでに枯れて、情熱や激情とは程遠いところにあるともいえる』 クロゥとバスケスが共に頷く。 『だが、魔族は違う。魔族の80歳は、肉体的には人間の15、6歳だ。400年から500年生きる魔族にとってはまだまだ子供、親の庇護が必要な年頃に過ぎない。身体はもちろん、精神もまさしく子供だ』 『その辺が良く分からない』眉を顰めて、クロゥはコンラートの言葉に疑問を呈した。『それでも80年生きていれば、それなりにさまざまな人生経験を経ているはずだ。それが精神の成長を促したりしないのか?』 『お前の言いたいことは良く分かる』コンラートが頷く。『人生経験の絶対量が、人間とは格段に違うからな。……魔族の目から見ると、人間は寿命が短い分、貪欲に知識を溜め込み、そしてそれを活かすこともままならないまま生き急いでいるように見える。一気に成長し、一気にその人生を終わろうとする。そんな不思議な生き物に見えるんだ』 しかし、魔族はそうじゃない。どこかしみじみとコンラートは言った。 『経験も、知識も、技術も身につけて、だが魔族は急がない。身体と同じく、精神もゆっくりと成長するんだ。だからこそ、心も枯れることなく、情熱を維持したまま、次々と新しい知識、思想、技術を学び、身につけていくことができる。……まあ、国内にいる限り、周囲も全く変化しないから、変わっていきようがない、とも言えるがな』 とにかく、と、これが結論だというように、コンラートが声の調子を変えた。 『魔族の年齢を、そのまま人間の年齢に置き換えたら、対応を間違えてしまう。むしろ見た目で判断した方がいい』 『つまり、見た目がガキだったら、ガキとして扱えってことか?』 『誤解を恐れずに言うなら』 バスケスの言葉に小さく吹き出して、コンラートは頷いた。 『それが一番正しいやり方だろうな』 だから俺を老人扱いしたらただじゃおかないぞ。 そんな話をして笑いあったのはいつの日のことだったか。 「身も知らぬ者に向かって剣を振り上げ、恫喝するのが」 彼らの存在を忘れたかのように、今度はお互い向き合って何やら言い合う少年達に、クロゥは殊更わざとらしく声を高めた。ハッとしたように、少年達の動きが止まる。 「人間に対する魔族の礼儀なのか?」 二人の少年が、くるっとこちらに向き直る。 「……お前達ごときに、礼儀を云々される謂れはない!」 金髪少年が、キッと眦を鋭く上げたままで言い放った。やはり主導権は彼にあるらしい。 「こちらこそ、名乗りもしない者達から、お前ごときと言われる筋合いはないな。そもそも我々はカヴァルケードの……」 「黙れ、シマロン人!」 ここで初めて、クロゥの顔が強ばった。バスケスも、ぐっと詰まって一気に緊張を露にする。 「………な、なにを……」 「お前達が大シマロン、いや、元大シマロンから来たことは分かっている。……ごまかされるとでも思ったのか!?」 ふん、と鼻で笑って、金髪がにやっと笑った。思わず唇を噛んで、クロゥは顔を顰めた。 「…………どうして……」 「ヒスクライフ殿が報せてくれたからな。大シマロンを滅ぼした反逆者二名が、こちらに向かったと!」 ぐうぅ、という、バスケスの低い唸り声がクロゥの耳朶を打った。 あの男。ヒスクライフ。 予想していた以上に悪辣な男だったか。 新生共和軍が眞魔国に密偵を放った。おそらく魔族はそう取るに違いない。それもほとんど間違っていない。ただ目的が………。 今この時、魔族までもがあからさまな敵となれば、一体自分達はどうなるのか。 クロゥとバスケスの視線が、ほんの少し離れた場所に置きっぱなしの荷物に向けられた。その中に、小さく頼り無くはあるが、武器がある。 あれを手にすることさえできれば、こんな子供………。 と、そこまで考えて、ふとクロゥは怪訝な思いに囚われた。。 この少年達は捕吏なのか? よくよくその姿を見直してみても。役人や軍人には到底見えない。 身につけた服装も、いかにも暮らしに不自由なさそうな品のいい代物だ。上着などは、ボタンや留め金の代わりに、何やら複雑な意匠を凝らした組み紐のようなもので襟元が閉じられている。何とも優雅で、色合いも上品なその衣装を見ても、とても彼らを捕える役目を負う者には見えない。それに何より、周りを見回してみても、そこにいるのは労働者ばかりで、彼らを手助けするような者は1人もいないではないか……? 「クロゥ!!」 相棒の切羽詰まった叫びに、ハッとクロゥが我に返った時。 クロゥの喉元に、剣が突き付けられていた。 ………油断した………! 「もう一度言う」金髪美少年が、冷たく笑って言う。「この国から出ていけ」 「……俺達は……」 「どれだけここで待っていても」 金髪美少年が、勝ち誇った顔で口を開いた。 「コンラートはここには来ないぞ!」 瞬間、クロゥとバスケスの周囲で、全ての動きが、空気の流れまでもが止まった。 「………な、何、だと……?」 喘ぐように声を絞り出すバスケスに、今はすっかり余裕を取り戻した少年が、楽しそうな笑い声を上げた。 「残念だったな」 金髪少年の視線が、クロゥとバスケス交互に向けられる。 「ヒスクライフ殿がコンラートに宛てた手紙は、僕たちが受け取ったんだ。コンラートには見せてない。つまりコンラートは、お前達が今日この時、ここにいる事を知らないんだ。だから、ここでどれだけ待っていても、コンラートは迎えに現れたりしないぞ!」 「………コンラートが……迎え………?」 「……お、おい、小僧、ちょっと待……」 「だから!」 少年が改めて剣を構え、きっぱりと言い放った。 「どの船でもいい! それに乗って、この国から出ていけ!」 「…だから待て……」 「そして二度とコンラートに会おうなどと思うなっ!」 「おい……!」 「うるさいっ!」金髪美少年が眦を決して怒鳴った。「これ以上ぐだぐだ言うなら、海へ突き落と……」 「話を聞けっ!!」 クロゥが渾身の力を込めて叫ぶ。 二人の少年の身体が、ぴくっと跳ねた。 彼らの視界には入らなかったが、深刻そうな彼らの様子を周囲で何気なく観察していた労働者達も、驚いたように動きを止めた。 「………お前達は……コンラートを……知っている、のか……?」 自分達は今、思いもかけず、コンラートの知り合いに会っているのか? 会えたのか? 身の内から膨れ上がるような興奮に、クロゥは「落ち着け」と必死で自分に言い聞かせながら、その言葉を発した。隣では、やはりバスケスが呼吸を荒げ、肩を激しく上下させている。 「そういうあんた達は、一体何なんだよ……」 ふいに。 それまでほとんど口を聞かなかった赤毛の少年が、低く詰問の声を上げた。 「……俺達……?」 「そうだよ」赤毛少年が厳しい顔のまま頷く。「一体何しにこの国に来たんだよ。コンラッドに何の用だよ。……あんた達、コンラッドの何なんだよ……?」 コンラートを何故かコンラッドと呼ぶ少年の表情は硬く、どこか怒りを押し殺しているようにも見える。 「………俺達は……」 同志。仲間。司令官と部下。友人。 クロゥの脳裏に、エレノア、カーラ、そしてアリーやレイルの顔が浮かぶ。 俺達は……。 「家族だ」 そう。それが自分達全員の関係を現す、最も正しい答えだ。 血のつながりもなければ、生れ育った国も違う。だがそれでも………。 しかしその瞬間。 クロゥ達の目の前で、二人の少年達の顔から、すうっと色が消えた。 白い表情。 本物の激情が爆発する、一歩手前の空白の表情。 ふいに。 金髪の少年が剣を振り上げ、クロゥに襲いかかってきた。 ほとんど反射的に振り下ろされた剣を避け、隙を突いてその細い手首を掴む。 半瞬遅れて、飛び掛かるようにやってきたバスケスが、少年を羽交い締めにする。 「離せっ、無礼者!!」 「大人しくしろっての!」 「ヴォルフを離せ!」 声に見下ろせば、赤毛の少年がバスケスの丸太のような腕をぽかぽかと叩いている。もちろんバスケスは眉一つ動かさない。だが。 「……コンラートの家族だなどと、よくも図々しい!! 僕達以外に、コンラートに家族などいないっ!!」 金髪少年の叫びと、赤毛少年がバスケスの腕に噛みついたのがほとんど同時だった。 「…………っ!?」 一瞬弛んだ腕を突き飛ばし、金髪少年がバスケスの拘束から逃れた。赤毛少年もそれを追う。 「………ちょ、ちょっと待ってくれよ、おい……」 「……お前、たち……?」 クロゥとバスケスが呆然と見つめる先で、数歩離れた場所に逃れた二人の少年が、憎々しげな眼差しを彼らに向けた。 「コンラートの家族を名乗って良いのは!」金髪少年がさらに叫ぶ。「母上と兄上と僕と、それからここにいるユーリとグレタだけだ!! お前達なんか、絶対違うっ。違うからな!!」 「………お前、は……?」 「コンラートは、僕の兄だっ!」 『兄と弟がいるんだ』 確かに、コンラートはそう言っていた。 『兄弟全員、父親が違うがな。兄と弟の父親は、あの国でも有数の大貴族だ。それに対して、俺の父は無一文の流れの剣士。それも人間のな。だから俺は貴族といっても最下級で、公式の場で兄弟達に話し掛けることもできなかったな』 だからそんな兄弟など、いないも同然だと思っていた。 「………コンラートの、おとうと……?」 喘ぐように確認するクロゥの言葉に、怒り心頭の表情のまま、金髪少年が「そうだ」と頷く。 そっちは、と赤毛を見遣ると、「ユーリはコンラートの名付け子だ!」と金髪が答えた。 「名付け子……」 「そうだ! 家族として一緒に暮らしている! ……僕達が、僕達だけが! コンラートの家族だ!!」 叫んだ後は、荒く息をついて怒りの眼差しを向ける少年……コンラートの弟。そして赤毛の少年もまた、相棒に寄り添うように並び、キツい眼差しをクロゥ達に向けている。 よお、クロゥ……。すぐ傍らで、バスケスが当惑の声を上げた。 「こいつは一体どうすりゃいいんだ……?」 コンラートの家族。血の繋がった、本物の家族。 そんなものの存在など、本当に考えもしなかった。 「……あんた達、何しに来たんだよ」 赤毛少年が、泣きそうな顔で再び同じ質問を繰り返した。 「コンラッドがいない間、おれ…おれ達、どんな思いでいたと思ってんだよ。みんな、どんなに心配して、どんなに、辛かった、か……分かってんのかよ……。ずっと、ずっと……おれ……寂しく、て……」 赤毛の少年が、初めて相棒の前に出た。そして、「下がれ、ユーリ!」と、慌てたように腕を捕らえようとする金髪少年の手を振り払って、 クロゥとバスケスの真正面に立った。 困惑するクロゥ達の前で、赤毛の少年が己の拳を、傍目にも白く見える程強く握りしめ、顔を上げた。 「それでも、おれ! コンラッドがいつか帰ってきてくれるって信じてた。心の奥で、ずっとずっと、いつかきっとおれの側に戻ってきてくれるって! そして……やっと帰ってきてくれたんだっ! やっと、おれ達のとこに帰ってきてくれた! でもって、もうドコにも行かないって、これからもうずっとずっとおれの側にいてくれるって、約束したんだ! 最初は不安だったけど、朝目が覚めたら、コンラッドがいなくなってンじゃないかとか思って眠れなくなったり、またどっか行っちゃう夢とか見て、怖くなったりしたけど、でも! やっと…やっと、元に戻ったんだって、もう怖いことはないんだって、コンラッドはどこにも行かないんだって……全部、元通りに戻ったんだって、思ってた、のに……!」 潤んだ瞳で、それでも少年はキッとクロゥ達を睨み付けた。 「コンラッドは! もうあんた達と関係ないんだ! シマロンも反乱も、コンラッドはもう関係ないっ! コンラッドは、眞魔国のコンラッドだ。おれ達のコンラッドなんだ! あんた達のじゃないっ! だから、コンラッドにどんな用があっても、もう関係ないっ。だから出てけ! 出てってくれっ。コンラッドに会わないでくれ。コンラッドを………」 内側から溢れ出るものを必死で堪えるように、赤毛の少年がぎゅっと顔を顰め、ぐすっと一つ鼻を啜った。 「……コンラッドを、もう、おれから……奪わないで…………っ!!」 「………何て、こった………」 バスケスが大きな手で顔を覆い、呻くように声を絞り出した。 本当に、何てことだ、だ。クロゥもまた、苦々しく心の中で呟いた。 眞魔国にコンラートの血縁者がいる。それは知っていた。 だが彼らは、コンラートを疎んじていたはずだった。コンラートが時折話してくれた過去についての言葉の端々から、彼らは皆一様にそう考え、信じていた。 コンラートの魔族側の血縁者は、半分人間の血を引いて生まれたコンラートを蔑み、家族とは見なしていないと。 なのに……。 「……あのよ、あのな、おチビさんたち……」 「誰が、おチビさんだっ!? 無礼極まりない人間共がっ! 切り刻んで海に放り投げるぞ!」 「……あ、ああ、そうだな、こいつは確かに悪かった。えーと、あー……」 またもやいきり立つ金髪少年、コンラートの弟に、バスケスが先ほどまでとは打って変わったように低姿勢で言葉を返している。どこかおろおろとした相棒のその様子に、クロゥは小さくため息をついた。 でかい身体と、かつて山賊をしていた経歴にふさわしい容貌、そして溢れ出る荒くれ者の雰囲気と相反して、バスケスは本来底抜けに気のいい男だ。子供好きだし、弱い者を護ろうとする意志は際立って強い。 もちろんこの少年達が、自分達の前に立ちはだかる敵ならば、バスケスも容赦しなかっただろう。 しかし、彼らがコンラートの紛れもない家族であり、コンラートを慕い、自分達に奪われたくない一心で立ち向かってきたとなれば、バスケスの刃もぽろぽろと歯毀れすることは間違いない。 「………あのな、その、申し訳ないとは思うんだ。あんた達の気持も分かる。そりゃそうだよな。俺達みたいなのがいきなり現れたら、心配するのは当たり前だわな。で、でもなあ、俺達も……」 「バスケス、止めろ」 少年達の頑な心を和らげようとしているのか、顳かみに汗まで浮かべ、懸命に無器用な言葉を綴る相棒を、クロゥは容赦なく黙らせた。 「ク、クロゥ……、けどよぉ……」 「そんな事の前に、確かめるべきことがあるだろう」 きょとんとするバスケスをそのままに、クロゥはあらためてコンラートの弟と、名付け子、という二人の少年と向き合った。 「悪いが、俺達もちょっとやそっとの覚悟でこんなところまで来た訳じゃない。出ていけと言われて、大人しく言う通りにするつもりもない。俺達は俺達の使命を果たす。何としてでもな。……その上で、確かめたいことがある。聞かせてもらいたい」 少年達が、きゅっと眉を顰めて睨み付けてくる。 「コンラートは……では、生きて、無事でいるんだな……?」 今度は、少年達がきょとんと惚けたように目を瞠いた。 「魔王は、己に逆らうものはどんな些細な罪であろうと許さないと聞くし、毎夜の正餐の皿に罪人を盛るとも聞いている。そんな恐ろしい王の怒りから、コンラートは一体どうやって逃れたんだ? それとも、何か罰を受けたのか?」 目をぱちぱちと瞬き、顔を見合わせて何やら小声で話し合う少年達を見つめて、クロゥはその時ふと、何より大きな疑問が残っていることに気づいた。 「……お前達は、俺達が今日ここに到着することを知っていたんだったな。そして……待ち伏せていた……」 ヒスクライフが、コンラートに宛てた手紙。彼らはそう言っていなかったか……? 「………どういうことだ……? どうして、ヒスクライフが………」 一つ疑問を思いつけば、次から次へと芋蔓式に疑問と不審が湧いて出る。 「その答えは」 その時、ふいに全く別方向から、新たな声が上がった。 「朝飯でも食いながら、ってんじゃダメなのかしらあ?」 「ヨ、ヨザック……っ!」 「グリエちゃん! ど、どうして……!?」 ほんの数歩離れた所に、男が1人立っていた。 多くの者達が行き来しているとはいえ、気配を全く掴めなかったことに、クロゥは小さく舌打ちした。 男は。 年齢はコンラートと同年代、か。これはまさしく一般庶民と言いたげな地味な服を纏いながらも、見事なまでに鍛え上げられた筋肉をさりげなく見せつけている。そして、同じように強烈に目を引くのが、まるで夕焼けをそのまま移したかのような明るく派手やかな髪の色だった。 男は楽しそうに笑っていた。その笑顔は、にこにこ、というより、にやにや、と表現する方がふさわしい、どこか皮肉な雰囲気を湛えている。だがその割に陰険さはなく、むしろその髪と同様、明るく陽気な性格を感じさせているようにも思える。しかし。 クロゥは何故かこの男に、鋭い牙と爪を隠し持った、しなやかな、しかし獰猛な獣、という印象を持った。 そして同時に、頭のどこかを刺激する妙な既視感に、クロゥはその眉を顰めた。 この男を、どこかで見たことがある、気がする……? 少年達から、「ヨザック」「グリエちゃん」と呼ばれた男は、身構えるクロゥ達を無視して、すたすたと少年達に向かって歩き始めた。 どこかバツが悪そうに、少年達が身を寄せあって肩を竦める。 「ダメですよぉ、坊っちゃん達ぃ。夜中にお家を抜け出したりしちゃ。一晩中馬を走らせたんでしょ? 睡眠不足はお肌の大敵ですよお? っていうか、よく起きてられましたね」 笑いを含んだ声で、明るい髪の男が金髪少年の顔を覗き込んだ。 コンラートの弟が、パッと顔を赤らめる。 「う、うるさいっ。僕だって武人だ! 必要があれば一晩や二晩の徹夜など、どうということもないっ」 おや、そいつは存じませんでしたー。ご無礼を、と男がふざけた仕種で敬礼する。 「……グリエちゃん……どうしてここに……?」 おずおずと尋ねる赤毛の少年に、男がけらけらと笑った。 「そりゃ坊っちゃん。お二人の後をつけてきたからに決まってるじゃないですか」 「つけてきたの!? ずっと? 全然分からなかった………てか、ど、どうして……!?」 「もちろん。コンラッドに頼まれたからですよー」 ふいに出たコンラートの名前に、少年達同様、クロゥ達も男を凝視する。 「どうもウチの年少組が悪さを企んでるような気がするってね。いきなり王都を離れなくちゃならない、みょーに不自然な命令も出されちゃったし? 何仕出かすか心配だから、見ててくれないかって頼まれちゃいました。ちなみに、眉間に皺のお方もご一緒でしたからね。キツーいお説教は覚悟しといて下さいよ?」 男の言葉に、少年達が揃って情けなさそうに顔を歪める。 「そもそも」男が背を屈め。二人の少年の顔を交互に覗き込んだ。「あいつを出し抜けるって、ホントに思ってたんですか?」 少年達が、ますます身を縮める。 その様子に、男がくすっと笑って身体を起こした。 「さ、帰りましょう。今からなら、午後のお茶の時間は無理でも、夕食までにはお家に着きますよ。ね?」 「……あ、で、でも……」 赤毛の少年が、ちらりとクロゥ達に視線を向ける。 そこで初めて、男がようやく二人の存在を思い出したとでもいうように、視線を巡らせた。 少年達に向けていた、ほんの少し皮肉っぽい、だが明るい笑みは欠片もなく、そこにあるのは酷薄な雰囲気すら漂わせた、冷たい視線だった。 「……ったく、何も分かっちゃいないくせに。……それも……」 こんな時に。 男の冷たい呟きに、思わずこくりと息を飲む。 「おい」男がそっけなく二人に声を掛けてきた。「仕方ない。待っててやるから、とっとと入国手続きを済ませてきな」 「…………え?」 「ヨザック!?」 「グリエちゃんっ!」 クロゥ達と同様、少年達も驚いたように声を上げる。 「こいつらを連れていく気か!? 王都に? ……コンラートに会わせるというのかっ!?」 「ほったらかして無茶されるより、側で見張ってた方がいいでしょう? こいつら、来るなっていっても絶対王都に来ちゃいますよ。妙なコトされたら、周りが迷惑ですし。でしょ?」 男の言葉に、少年達がぐっと言葉に詰まる。 「ほら、早く行きな。俺らを信じられない、別行動で王都を目指すってんなら……」 「分かった!」咄嗟にクロゥは答えていた。「すぐに済ませてくる!」 行くぞ! バスケスに声を掛け、置きっぱなしの荷物を拾い上げると、クロゥは足早に入国管理局の建物に向かった。 「………なあ、クロゥ。何だか俺ぁ、ワケが分からんぞ……」 「俺もだ。まさかこんな展開になるとは……。とにかく、今はあの男を信じてついて行くしかないだろう」 「だな。……かなり不本意だって顔をしてたけどな。それに、あの子らも……」 「別に、魔族と仲良くなりにきた訳じゃない」 吐き捨てる様に言い放つと、クロゥは目の前に迫った扉を勢い良く開いた。 「いらっしゃいませ! ようこそ、眞魔国へ!」 建物の中に飛び込んだ、その形のまま身体が固まる。 クロゥとバスケス、二人の前に、満面の笑みを浮かべた女性が1人、立っていた。 「先程到着した船でおいでの方ですか?」 「…………え? あ、ああ………」 「長い航海、お疲れ様でした。どうぞ、ご案内致します!」 ご新規、お二人様、ご案内です〜。女性が奥に向かって大きな声を上げた。 奥から「はーい!」という、これまた元気な複数の女性の声が返ってくる。 眞魔国入国管理局の建物は、背こそ低いものの、横幅と奥行きは目を見張る程広く大きかった。まだ時間が早いせいか、歩き回る人の姿は少ないが、事務処理をするらしい仕切りの向こうには、係と思われる女性がずらりと並んでにこやかに二人を見つめている。 手近な場所に案内されて、クロゥとバスケスは勧められるままに椅子に腰掛けた。 座るとちょうど作業机と同じくらいの高さになる仕切り台を挟んで、係の女性が座って穏やかに微笑んでいる。別に角もなければ牙もない、見た目20歳前後の愛らしい人物だ。 「眞魔国にようこそお出で下さいました! 旅券、身分証明書、その他必要書類はお持ちでしょうか?」 「あ、ああ、ここに……」 この国に到着して以来、見るもの聞くもの、そして受けるあらゆる反応が、予想をことごとく打ち砕いていく。 魑魅魍魎が息づく闇の国に身を潜ませ、あらゆる苦難は覚悟の上、行方の分からぬコンラートを追い求め、それこそ命がけの旅をするはずだったのに。 何故かいきなりコンラートの家族が現れたかと思えば、今度はやたら愛想の良い女性と向かい合っている。 変化する状況においてけぼりにされたような戸惑いを自覚しながら、クロゥは荷物を探ってヒスクライフから渡された封筒を取り出した。封をされたこの袋の中に、必要書類は全て入っていると聞かされている。 二人から差し出された袋を受け取って、係の女性が徐にその封を開けた。 そして取り出した書類を机の上に並べ、その内容に視線を走らせる。 と。 唐突に。女性の表情が変化した。 「……………何、です、って……!?」 目を瞠き、紛れもない驚愕の表情を浮かべながら、女性係官は書類を手に取ると、厳しい眼差しでその内容に目を走らせた。 ………何が起こった……!? 係官のその尋常ではない様子に、クロゥが半ば腰を浮かせて身構えた。見ればバスケスも、隠してあった武器を手にしているのだろう、荷物の中に腕を突っ込んだ姿のまま、様子を伺っている。 「………そんな………信じられない………」 呆然と、女性係官が呟く。それから驚愕をその瞳に浮かべたまま、何かを確認するかのように視線を何度も2人に向けてきた。 ヒスクライフ。 あの男。 頼るべきではなかった。考えていた以上に、危険な男だったのだ。 書類、おそらくはクロゥとバスケスの身分を証明するもの、その中に、あの悪党が一体何を書き付けたのか……。 ………どうする? もし今この女が声を上げ、警吏を呼んだりしたら。……このまま逃走するか? しかしそれではコンラートの元に……。 クロゥが行動を逡巡するわずかの間。だがその時、女性係官が一気に行動を開始した。 ものすごい勢いで書類にドンドンドンっと判を押し、ざざざっとサインをすると、瞬く間に新たな2通の書類を作成し、2人の前に差し出したのだ。 「これが! 我が国の入国許可証です! 港を出て街に入る時には提示をお願い致します! それから身分証明書と一緒に、ご帰国の時まで絶対なくさないよう大切に保管なさって下さいませ!」 「……………え、あ、ああ、ど、どうも………」 呆気に取られたまま、書類を受け取ろうと手を伸ばした瞬間、その書類がぱっと引っ込められた。 宙に浮く2人の腕。 え? と顔を上げると、係官の女性が異様に瞳を輝かせ、2人を見つめている。 「お願いします! ちょっとだけ、ちょっとだけ待って下さい!」 そう言うと女性は、仕切り台に備え付けられているらしい引き出しや傍らの棚を、必死の顔でかき回し始めた。 「……おっかしいなー、確かこの辺に………」 「…………あの、我々はその、急いでいるので、問題がなければ………」 「ごめんなさいっ。でもあの、ちょっとだけ、すぐに………あ、あった!」 ぱあっと顔を輝かせ、女性が何かを取り出して、クロゥ達の前に掲げて見せる。 「これは………」 紙だった。真四角の、書類2枚分程の大きさだ。それも何枚も重ね張りしてあるのか、ちょっとやそっとでは折れそうにない、見るからに頑丈そうな厚紙だった。表面は白く、どういう意味があるのか、四隅に可愛らし気な花が描かれている。 「あの、スミマセンけどっ、ここ、この辺りにお名前を書いて頂けませんか!?」 「名前?」 「はい!」 「俺達、の?」 「はい、お二人の! えっと、1枚しかないので、真ん中くらいに並べてお願いします! なるべく大きく書いて下さい!」 「…………あの、これはどういう書類……」 「お願いします!」 白い厚紙をずいっと差し出しつつ、女性は頭を下げている。 怪訝な思いでクロゥとバスケスは顔を見合わせ、それから小さく息をついた。さっぱり訳が分からないが、とにかく問題は起こしたくない。 紙を受け取ると、クロゥは中程に自分の名を書き、バスケスに渡した。 妙な魔術じゃねえだろうな、と呟きながら、バスケスもクロゥの名前の下に自分の名を書き綴る。 「これでよろしいか?」 「ありがとうございます! あのぉ、それで、この辺にですね」 紙の上にある余白を指差して、女性が照れくさ気に言った。 「『アメリアさんへ』って書いて頂けませんか?」 「………あめりあ、さん」 「はい!」 「というのは」 「私です!」 「………………」 お願いします! 今度は拝まれた。 もうどうにでもなれ、という気分で、クロゥは余白に『アメリアさんへ』と書いた。乱暴に書きなぐりたいところだが、根っから几帳面なので、気分の割りに丁寧に書いてしまった。 紙を渡された女性係官は、何故かそれをうっとりと見つめたかと思うと、いきなりぎゅっと抱き締め、それから何と。 「きゃあっ、私、ウェラー卿の大シマロンでの副官さん達からサイン貰っちゃったわーっ!」 飛び上がって、叫んだ。 つられるように、思わず椅子から飛び上がるクロゥとバスケス。 愕然と棒立ちになる2人を余所に、周囲が一気に色めき立った。 「アメリア! あなた、渡航者の個人情報を軽々しく口にするとは何事ですか! ……でも、何ですって!? ウェラー卿の……?」 奥から、彼女達の上司らしい年輩の女性が靴音も荒々しくやってくる。 「所長! ほら」 いつの間にか手にしていた2人の身分証明書を、係官が女性に披露する。 「カヴァルケードのヒスクライフ様からの身分保証書です! 条約未締結の元大シマロン出身者ではあるけれど、ウェラー卿が大シマロンを壊滅させるためにお働きになっていた時、副官としてウェラー卿の手足となり大シマロンと戦った方々だと。よって、ヒスクライフの名において、彼らの身分を保証し、その責任を負う、と!」 うわぁ、と広大な管理局の中でどよめきが起こった。途端。 人々(ほとんど女性)の視線が一斉にクロゥとバスケスに向けられる。 「すごいわ、本物よ! 大シマロンでのウェラー卿をご存知の方々だなんて!」 「特にあの銀髪の方! まさしく物語から抜け出てきたみたいじゃない? 素敵だわ!」 「ホントだわ〜。『大冒険』にもいたわよね、ウェラー卿に心酔して、命がけで働く人間達が」 「誰か、新聞記者を呼んできなさいよ! ここで独占会見して頂くの!」 「この街にお泊りかしら? よろしければ、お食事をご一緒してじっくりお話を伺いたいわ」 「私もっ。もう、アメリアったらずるいわよ。1人だけサインしてもらうなんて!」 「ほらほら、あなた達いい加減にしなさい! とにかく、お2人には応接室に移動して頂いて……」 「お喜びのところ、大変申し訳ないんですがねえ、皆さん」 理解不能の興奮の場に、いきなり聞き覚えのある男の声が響いた。 硬直の呪縛が解けたように、ハッと振り返ったクロゥの視線の先に、ヨザックだかグリエちゃんだか知らないが、あの男がいる。 男はすたすたと2人の元にやってくると、仕切り代の上に置きっぱなしの書類をさっさと掻き集めた。そして一纏めに袋に入れると、それをクロゥの胸に押し付けた。 「これから彼らを王都まで案内することになってるんですよ。あちらも待ってますし、急いでますんで、これで失礼します。……書類はこれで大丈夫なのかな?」 男の問いかけに、ぽかんとしていた係官達の中から1人、アメリアと名乗った女性が書類を手に慌てて飛び出してきた。 申し訳ありません、これも、と差し出された書類を笑顔で受け取って、それもクロゥに渡すと、「ほれ、さっさと行くぞ」とさりげなく2人の肩をどやしつけた。 「……行ってらっしゃいませ! お帰りの際も、ぜひお立ち寄り下さい。お待ちしてます!」 背中に掛かる声がやたらと明るい。 その明るさに一瞬目眩を感じて、クロゥは思わず天を仰いだ。 →NEXT プラウザよりお戻り下さい。
|