風に向かって進路をとれ・13



「……うー…」
 ユーリが夕食のテーブルに突っ伏して唸っている。
「食べ過ぎて……夕食なんて入んない……」
「ああものべつ幕なし食べ続けていれば当然だ! 芝居を観ている時も、菓子の袋に手を突っ込んでいただろうが!」
 呆れたように、フォンビーレフェルト卿がお行儀の悪い魔王を睨み付ける。
「……映画を観る時は、ポップコーンが必携じゃん……」
「えいがとは何だ!? お前が観ていたのは兵達の芝居だ! ぼっぷんこんとかも……」
「いい加減にしろ」
 低く地を這うような宰相閣下のお言葉に、王とその婚約者がバッと背筋を伸ばして正面を向く。
「これからが本番なのだぞ。余裕を持つのはよいが、だらけるな」
 申し訳ありません…、と、二人の少年が揃って頭を下げる。
 全くもって素直な子供だとしみじみしつつ、こんなに素直だと、いつか悪い大人に騙されるんじゃないかとふと思い、何故か思わずコンラートの顔を見てしまったクロゥは、慌てて夕食の皿に神経を集中することにした。宰相殿の仰せの通り、これからが本番なのだ。腹が減っていては話にならない。気を取り直したクロゥ、それからバスケスはもちろん、ユーリを除く全員が、もりもりと少し早めの夕食を腹に納めていく。

「実はちょっと聞いてみたいと思ってた事があるんだけど」
 ふいにムラタが言い出した。何事かと、全員の顔が上がる。
「いや、君たち二人のコトさ」
 ムラタの目は、クロゥとバスケスに注がれていた。
「バスケス、君は、農民出身だったっけ?」
「もうちっと言やあ、農奴だな。……戦で家族全員なくしちまった後は、山賊をやってた」
「さ、山賊だとぉ……!」
 フォンビーレフェルト卿が目を剥く。何でそんなモノが同じテーブルについているのだと言いたいのかもしれない。バスケスは気に止めた様子もなく、肉の塊を口に放り込み、咀嚼している。
「……まあ、それで、そん時はまだシマロン軍にいたコンラートに征伐されちまってな。軍にはもちろん内密ってやつで命を助けてもらってから、ずっとコンラートに従ってきたわけよ」
「ふわー、何か、ドラマか少年マンガっぽい…」
 メイドにいれて貰ったお茶のカップを手に(やはり食事は受け付けなかったらしい)、ユーリがよく分からない言葉を口にする。
 なるほどねー、とムラタがうんうん頷いている。その瞳が、今度はクロゥに向けられた。
「君は? クロゥ・エドモンド・クラウド君。……もしかして貴族出身とか?」
 いや、と苦笑を浮かべてクロゥは答えた。
「貴族じゃなく、俺は騎士の家に生まれました。といっても、父親は生涯掛けて仕えるに足る主を求めて、国から国を彷徨う流れの騎士だったのです。なので、結婚したのもかなり遅くて、俺は父がかなり高齢になってからようやく生まれた一人息子…ですね」
「じゃあ、お父さんはいい御主人を見つける事ができたんだね」
 無邪気なユーリの言葉に、クロゥは苦笑を浮かべた。
「…さあそれは……どうでしょうか。その頃には、父も仕える家を渡り歩く事に疲れていたという話ですし。これといった特技もなかったので、年齢が重なればいくら父が仕えたいと願っても、雇ってもらうことも難しくなります。父は…最後は一国の王ではなく、王に仕える貴族を主としたのですが……物心ついた頃から俺はずっと父にこう言われてきました」

『よいか、クロゥ・エドモンド。お前が儂と同じ主に仕える必要はない。お前はお前で、己の命を捧げるにふさわしい主を見つけよ。騎士と生まれたからには、よき主に仕えることこそ身の誉れぞ』

「……結局、大シマロンの侵攻を受けて、その国の王も父の主も父も、そして…王都で父の帰りを待っていた母も、命を落とす事となりましたが。……志願兵として、別方面に出陣していた俺だけが生き残りました。以来、大シマロンを倒すことをこの身に課し、新生共和軍の決起に加わったのです。そして……」
 クロゥは久し振りに蘇った過去の思い出に胸を疼かせながら、コンラートに視線を向けた。
「………コンラートと出会って、俺は……父の言葉を思い出しました。そして、思ったんです。俺は……ついに俺の唯一の主を見つけたのだと……」
 コンラートが驚いたように目を上げ、それから苦笑を浮かべた。
「人を見る目のない男だなっ!」
 唐突にフォンビーレフェルト卿が声を上げ、ぷい、と横を向いた。口を開きかけていたコンラートの苦笑が深くなる。
「何言ってんだよ、ヴォルフ!」
 意外にもユーリが反論を始めた。
「クーちゃんは人を見る目、思いっきりあるぞ!」
 コンラッド、かっこいいもんなーっ。
 無邪気な言葉に、クロゥは思わず吹き出し、それから、決して苦くはない微笑みを浮かべ、「仰せの通りです」とユーリに頷きかけた。
「君の気持はよく分かるけど」くすくすと笑いながら、大賢者が言葉を続ける。「それは諦めて、新たな主を見つけてもらうしかないね。……君が、魔王陛下に仕える、というなら話は別だけど? だったら、ウェラー卿の部下として働く事もできるけどね」
 ぴくり、とパンを千切っていたクロゥの指が震えた。
 不可解な動揺から目を背け、自分には働くべき場所がある、と、当然答えるべき答えをクロゥが口にしようとした、その時。
 部屋の扉が叩かれた。

「結論から報告しますと」
 グリエの軍服姿は初めて見る、と思いながら、ふと心の隅でもったないと考えている自分に気づいて、クロゥは内心とんでもなく焦った。
「王都各所において、小シマロンの工作員と思しき人間達の存在を把握しました。総勢30人前後と思われます。3名から5名で行動していて、今の所一つに集まる気配はありません」
「そいつらを一斉に捕縛しましょう、兄上!」
 フォンビーレフェルト卿が、喜々として声を上げる。
「それだけ少人数に分かれているなら、確実に捕らえる事が……」
「危険が大きい」
 末の弟の進言を、フォンヴォルテール卿があっさりと退ける。
「そやつらは、王都の主にどこにいるのだ?」
 フォンヴォルテール卿がグリエに問う。はい、とグリエが報告書に目を向ける。
「祭りの会場はもちろん、居酒屋、それから市場などですね。とにかく人の集まる場所に、人波に紛れて身を隠している、という状態でずっといるようです」
「だろうな。その者達を捕縛しようとすれば、王都の民に被害が及ぶ可能性が高くなる。民を人質に取られる恐れもある。それに、時を同じくして、一気に全員を捕らえる事ができなければ、残った者が一斉に破壊活動を起こす事もあり得る。同時に捕縛を完了させるには、30名という数は多過ぎる。やはり、王都から離れた場所で、全員が集まるところを一気に叩くほうが効率もいいし、安全だろう」
 兄の言葉に、「はい…」とフォンビーレフェルト卿が頷いた。どことなくしょんぼりしている。
「それにしても、30名もの工作員の侵入を防げなかったとは……。ヨザック、そやつらを徹底的に監視させろ。本当にその人数だけなのか、まだ他にいないのか、また、そやつらの基地となる場所はどこなのか、武器はどこに隠してあるのか。探りを止めさせるな」
 了解! と敬礼して、グリエが部屋を出て行った。と、今度は入れ違いに、別の人物が部屋に入ってきた。
「お食事中、申し訳ありません。ご報告致します」
 やってきたのは、魔王の親衛隊長に抜擢されたばかりだというクラリスだった。赤ワインのような深い色合いの軍服に身を包んで、しなやかに敬礼する。
「非常時だ。そのような遠慮は無用にしろ」
 宰相閣下の言葉に、「はっ」とクラリスが答える。
「それでクラリス?」賢者が待っていたように女性士官に顔を向けた。「職人さんや技師さん達は何て?」
「は」クラリスも視線をムラタに向けた。「花火に関わった職人も、それから技師達も、打ち上げ台から離れて避難するつもりはない、との答えでした。自分達も軍人、軍属であるからには、工作員の襲撃があるからといって、その責任から逃れることはしない、と。陛下より賜った新たな技術と成果を、命に変えて守り抜く、と全員が宣言致しました。現在彼らは、花火打ち上げのための準備と点検を続けております」
 なるほど、とムラタが頷く。
「その覚悟があるなら、これ以上言う事はないね」
「ムラタ……。でも…」
 ユーリが何か言いかける、が、ムラタの視線をそれを制した。
「彼らの覚悟を君も信じるんだ。何もかも、危険から遠ざけて護ることはできないよ。……それからクラリス、御花の丘の状況は? 言った通りにしてもらえたかな?」
「はい。少人数に分け姿を変えさせた兵達を、時間をずらしながら、猊下が仰せの場所に向かわせ、現在までにほぼ配置を完了致しております。傍目には、花火打ち上げの準備をする者達と、火薬などの警護をする通常人数の兵達以外、丘にいる者の姿は見えないはずです」
「ありがとう、クラリス。じゃあ、次に……」
「お願いがございます」
 ムラタの言葉を遮って、クラリスが声を上げた。ふと、全員の視線が女性士官に向かった。
「計画開始の折には、私も陛下の御身を御守りする警護の中にお加え下さい」
「……クラリス……」
 ユーリが困ったようにその名を呟く。
「私は、恐れながら陛下の親衛隊長を拝命致しております。それが、何故このような事態において、陛下のお側を離れなければならないのでしょうか。もしそれが……私が女であるが故ということでしたら、そのお気遣いは無用にして無駄であると存じます」
「クラリス……無礼だぞ」
 フォンビーレフェルト卿が睨み付けるが、淡々と冷静な言葉を綴るクラリスは、全く表情を変えなかった。
「そこにいる人間の男達と比べ、私が剣の腕において引けを取るとは思えません。その者達が、男であるが故に陛下を御守りする事が許され、私が女であるが故に許されないということであれば、それはすなわち、私が親衛隊長として陛下のご信頼を頂けないということ。ならばどうか、私をご解任下さいますよう、お願い致します」
「くっ、クラリス…!」
 ユーリが慌てふためいて立ち上がる。
「お、おれっ、そんなつもりじゃ……。あの、ただ、その、えっと………」
 おろおろと困り果てた様子のユーリの肩に、同じように立ち上がったコンラートの手が置かれた。
「落ち着いて下さい、陛下」
「…コンラッド……でも、おれ……」
 クラリスを傷つけるつもりじゃ、と泣きそうに顔をゆがめる少年に、分かっています、とコンラートが微笑む。それからコンラートは視線をクラリスに向けた。
「クラリス。陛下が女性に護られる事に対して複雑なご心境を抱いておられるということは、お前もよく承知しているだろう。それを分かっていながら、陛下を追い詰めるような真似をするのはよせ」
「それは……。しかし、隊長……」
「陛下は、女性を危険な目にあわせたくないと、ただそうお考えになられただけだ。決してお前を信頼していないわけでも、まして疎んじている訳でもない。……ただ」
 コンラートは、隣でうんうん! と大きく何度も頷いている主に視線を戻した。
「陛下、クラリスの主張にも理があります。親衛隊長となったからには、クラリスは陛下の御ために命を懸ける覚悟を持っています。男であるとか女であるとか、そのようなことは何にも関係ないのです。それを危険であるからと遠ざけるのは、確かにクラリスの覚悟と忠誠を蔑ろにする事になります。どうかこの上は、彼女の願いを叶えて下さいますよう、俺からもお願いします」
「……コンラッド……」
「まあ、確かにね」ムラタからも援軍が入る。「ここにフォンカーベルニコフ卿がいたら、『これだから男は!』とお叱りが出た事は確かだね。研究旅行に出てくれてて、正直助かったよ。ま、僕達も君の気持を尊重してイロイロやってたけど、やっぱり親衛隊長は魔王陛下の身を側で護るのが本分だよね」
 フォンヴォルテール卿やフォンクライスト卿、そしてフォンビーレフェルト卿も同じように頷いているのを見て、ユーリも表情を改めた。
「ごめんね、クラリス。おれ……ホントに無駄なだけじゃなくって、クラリスにひどいことしてたんだね。……おれが悪かったです。クラリス、改めて、今夜おれを護って下さい。よろしく!」
 またもぺこんと頭を下げる王に、それまでずっと冷静な顔を保ってきたクラリスが、焦ったように表情を変えた。
「おっ、お止め下さい、陛下! 私などにそのような……!」
 慌てて手を振ってから、女性士官はハッと動きを止め、それからぴしりと敬礼をした。
「私の方こそ、数々の無礼な言動、何とぞお許し下さい! 恐れながら、ハインツホッファー・クラリス、今宵は親衛隊長として陛下の御身を御守りするため、全力を尽くす所存でおります!」
「うん。ありがとう、クラリス」

 大したものだ、と、準備のためクラリスが退出した後、彼女が閉めた扉を何とはなしに眺めながら、クロゥは呟いていた。
 王に堂々と文句をつける臣下も大したものだが、己の非を潔く認めて謝罪する王もすごい。
「だなぁ。ほんっとに大したもんだ。……美人だしよ」
 隣でしみじみ頷いている相棒に、クロゥは「え?」と顔を向けた。
「こないだから思ってたんだけどよ。いい女だと思わねえか? 度胸があって腕もいいらしいし。おんなじ強い女でも、カーラとはまたちょっと違うし、エストとも…全然違うな、うん。……ああいう女は愛想なしにみえて、実は結構情が深いんだぜ。もうちっとお近づきになりてえ……って、どうしたよ?」
「……お前な……」
 呆れたため息をついて、クロゥは食事に意識を戻した。
 行動開始の時間が迫っている。



 夜の「御花の丘」。
 ほとんど闇に包まれた丘陵に、ユーリ、コンラート、フォンビーレフェルト卿、フォンクライスト卿、クラリス、そしてクロゥとバスケスがいた。
 目指すは物見台だ。
 麓で馬を下り、徒歩で彼らは進んでいた。頼りとなる灯は、コンラートやクロゥ、それからクラリスが手に下げた灯篭の小さな光だけだ。
 わずかな灯でできた光の輪の中で、色を沈めた草花が、頼りな気に揺れている。
 今、この丘陵の形を利用して兵達が身を潜め、その時が来るのを待っているという。だが、クロゥの耳に届くのは自分達の土を踏む音ばかりで、他に気配は感じられない。

 しっかりと地面を踏み締めて進む一行の前に、やがて明るい一画が現れた。

 血盟城を臨む物見台の周辺を、松明を持った兵が取り囲んでいた。そしてその内側には、大きな台座が設えられ、いくつもの大筒が天を向いて並んでいる。
「……あれが花火とやらの打ち上げ台、か?」
 クロゥの囁きに、コンラートが頷く。
 並んだ大筒には、兵とは雰囲気の違う男達が群がるようにして、何やら一心不乱に作業している。
「彼らがこれを設計した技師達と、それから実際に火薬の調合などを行った職人達だ。……準備はもう終わっているはずだから、最後の点検でもしているのだろう」
 言いながら、近づいていく。
「陛下!」
 警備の責任者らしき士官が、駆け寄ってきた。わずかに離れたところで立ち止まり、敬礼する。
「お待ち致しておりました! すでに全ての準備は完了しております!」
「ご苦労様」ユーリが進み出て士官を労った。「本当に大変なことになっちゃったけど……頼みます」
「滅相もございません!」
 士官が悲鳴のような声を上げた。
「我々をご信頼頂けたからこそだと、部下達も全員、張り切っております! 必ずや、陛下のご期待に応える働きをしてご覧にいれる所存であります!」
「ありがとう」
 笑みを浮かべて礼を言う魔王に、士官は感極まったように目を潤ませた。そして再び敬礼すると、彼ら一行の先に立って物見台に向かった。
「……松明の灯がこんなに少なくて、作業は大丈夫なのか?」
 警護の兵達にざっと目を向けて、フォンビーレフェルト卿が士官に問い質した。
「火薬を使うのだし、万一手元が狂ったら……」
「火薬を扱うからこそ、火は最小限に致しております。職人達によりますと、すでになすべき事は全て身体に叩き込んであり、たとえ暗闇であろうと一分の狂いもなく作業できるよう、訓練も怠りなくできているとのことであります!」
「それはすばらしいですね! さすがは陛下と猊下が見込んだ職人達です」
 職人達を褒め讃えるフォンクライスト卿に、士官も「全くであります!」と嬉しそうに答えている。

「陛下がお見えになられたぞ!」
 誰かが声を上げ、その声に応えるように、警護の兵達はもちろん、作業中だった技師や職人達も一斉に姿勢を正し、敬礼をした。
「皆、ご苦労様」
 松明の灯の中で、魔王が優しく微笑む。
 楽にしていい、とコンラートに告げられて、全員が敬礼を解き、腕を下ろした。だが、自分達の至高の主に向けて、真摯な眼差しを向ける姿に変化はない。
「皆、これまで本当によく頑張ってくれたね。全くのゼロから、よくこれだけの短時間で打ち上げ花火を完成させてくれたと、おれもムラタも心から嬉しく思っているし、これだけの技術を示してくれた皆を誇りに思っている。本当に……ありがとう…!」
 魔王の言葉に、ため息とも嗚咽ともとれるものがその場を満たした。
「とんでもないことに皆を巻き込んでしまったけれど、きっと貴方達を護るから。だから、貴方達は、花火を無事に打ち上げることだけを考えて下さい。きっと皆で……すばらしい花火をこの目で見よう! そして、おれ達の力で、この夜を民の心に永遠に残る最高の夜にしよう! ……皆、よろしくお願いします!」
 はいっ!!
 兵も、技師も、職人も、一斉に声を揃えて王に応える。

 クロゥとバスケスは笑みを浮かべて顔を見合わせ、そして頷き合った。
 絶対に大丈夫だと、その確信を互いに抱きながら。

「隊長」
 その時、ふいに闇の中から聞き慣れた、だが低く押えた声がした。
「ヨザか」
 コンラートが発する答えもまた低い。そしてその声と同時に、グリエが姿を現した。まるで闇の帳から今抜け出て来た獣のように、消えていた気配がすっと形になる。
「敵は総勢36人。…分散していたが、先ほど麓で集合して、今こちらへ向かっている。程なく、猊下がお作りになった包囲網の中に入る。それから、ヤツらが根城にしていた宿を調べた情報部員から、分解された火筒がかなりの量見つかったとの報告も入った。破壊工作に使う予定だったんだろうが、こちらには持参してない。おそらく、火薬を手にいれてから使用する計画なんだろうな。……そいつらが持ち込んだ物は、今頃ひとつ残らず押収されてるはずだ」
 グリエの報告に、コンラートが「そうか」と頷いた。
「36人とは意外に多かったな。かなり大掛かりな破壊活動を計画していたのか……。そうでなければ、工作員の数としては多過ぎる。それに分解されていたとはいえ、火筒が王都に持ち込まれていたとなると……ギュンター、怒りを爆発させるのは後にしてくれ」
 眞魔国の危機管理態勢の緩さに、怒り心頭の王佐は叫ぶ半瞬手前でぐぐっと耐えている。
「どうして今夜火筒を使おうとしないのだ? ユーリを暗殺しようとするなら、かなり効果的な武器だろうに」
 フォンビーレフェルト卿が訝し気に兄を見た。
「火筒から発射された炎が火薬に引火すれば、せっかくの大量の火薬が無駄に爆発してしまう。それと、確かに陛下の御身を危うくするには効果的だが、この場で爆発が起こっても、王都には全く害がない。それでは破壊工作にならないだろう。総合的に判断して、火筒を使うのは火薬を奪うことに成功してから、と決断したのだろう。どうやら本気で陛下暗殺と火薬の奪取の二兎を追うつもりらしいな。……数を頼みにしているとしても、自分達の腕にかなり自信があるということか……」
「ちょっと気になるのは」グリエが言葉を挟んだ。「一人が、正体不明の袋みたいなモノを肩に担いでいたってことだ。武器、には見えなかった。柔らかそうだったし……。もしかしたら陛下を暗殺出来ない場合は、拉致しようと考えてるのかもしれない。ちょうど身体を押し込むにはぴったりの大きさだったからな」
「それは…」とコンラートが首を傾げた。「目的が分散しすぎるな……。むしろ本気で襲撃を成功させたいなら、陛下暗殺と火薬の奪取のどちらか一つに絞るべきなんだが。よほど腕に自信があるのか、それとも最初から暗殺ではなく、陛下を拉致するつもりだったのか…?」
「どちらにしろ」フォンビーレフェルト卿の声には決意が漲っている。「ユーリを護れば済むことだ」
 確かに、と頷くと、コンラートはグリエに改めて顔を向けた。
「ヨザ。お前もこのままここにいてくれるか?」
 自分達と共に、この最前線で戦ってくれ、と。
「今さら何言ってんだか!」
 グリエが剣をぐいと差し出すように示して、にやりと笑った。
「俺ぁ、最初っからそのつもりだぜえ? まさか、俺がうんと言わなけりゃ、そのまま仲間はずれにするつもりだったのかよ。じょーだんじゃねえぞ。編み物閣下に命じられてた仕事は全部やり終えたし、俺の残った仕事は、ここで陛下をお護りすることだけだ。だろ?」
「ああ。……頼むぞ」
 りょーかい、とふざけたように応えるグリエとコンラートが、笑顔で頷きあう。
 言外の意志も含めて、それだけで全てが通じ合うような二人の様子に、クロゥは100年に及ぶ彼らの関わりの深さを今さらながらに思い知らされたような気がして、ほんの少し、視線を外した。

「間もなく」コンラートの声に力が籠る。「花火をより楽しむため、血盟城と王都のほとんどの灯が消される。王都が闇に包まれることとなる。その時が……」

 勝負の始まりだ。

 言葉にしないコンラートの緊張感が伝わったのか、今度は無言のまま、全員が大きく頷いた。

「……みんな」

 ふいに、わずかに掠れた声がその場に集う者の耳に流れ込んできた。

「陛下」
 コンラートが声を掛けたその先で、ユーリがじっと彼らを見つめている。松明の揺れる灯の中でも、ユーリの緊張と不安が増していることが分かった。
「……みんな」
 繰り返して、ユーリはそれから唇を何度か開きかけては閉じて、を繰り返した。
 工作員36人が襲撃してきたその時には、まずここにいる者達が受けて立つこととなる。警護の兵士は打ち上げ台と職人達を護らねばならず、すぐに援軍が追い付くとしても、実際に敵と最初にぶつかり、そして戦うのは、コンラート達7名なのだ。
 何か言葉を掛けたい。溢れる思いは山のようにある。なのに、ふさわしい言葉が見つからない。そんなもどかしさが、ユーリの顔にありありと現れている。
 彼らの見ている前で、ユーリの表情が今にも泣き出しそうに歪んだ。

「陛下」
 場にそぐわない、いっそ甘いといって良い程に優しい声がコンラートの口から発せられた。
 ユーリが、唇を噛んで己の護衛を見上げる。
「大丈夫です。あなたがここにいるのに、俺達が負けるはずがない。絶対に。大丈夫です」
 あなたも、花火も、護ってみせます。
 ユーリは唇を震わせて、じいっとコンラートを見つめ続けている。
「……陛下」
「陛下って言うな! 名付け親!」
 はい、ユーリ。そう言って、コンラートがにっこりと笑った。
 ユーリは目を閉じ、くしゃっと顔を顰めると、改めてコンラート、そして自分を囲む者達に顔を向けた。
「みんな……無事で、怪我しないで、ね」
 結局はそれしか言えない自分を情けなく思ったのか、ユーリは再び唇を噛んで項垂れた。
「ありがとうございます、陛下!」
 フォンクライスト卿が、どこかネジが2、3個吹っ飛んだような声を上げた。
「陛下のお優しいお心に、皆、必ず応えてご覧にいれますとも! どうぞご安心下さいませ!」
「そうだぞ、ユーリ!」フォンビーレフェルト卿も、明るい声を上げる。「お前はそこでのんびり見ていろ。僕達がすぐに解決してやる!」
「そうですよー、陛下」いつもふざけているのはグリエの声だ。「笑ってて下さい、陛下。陛下が笑顔でいて下されば、俺達、何もかもうまくいくって信じてるんですから!」
 グリエちゃん……。ユーリが小さく呟いた。
「ユーリ」
 コンラートがユーリの頬に、そっと手を添える。
「ヨザの言う通りです。……笑って下さい。あなたの笑顔が、いつでも俺達に力を与えてくれます」
「……コンラッド……」
 ほんのわずか、ユーリとコンラートの視線が絡み合った。
 うん! ユーリが力強く頷く。

「ごめん。おれったらちゃんと覚悟してたはずなのに……。………えっと、みんな、あらためまして」
 ユーリの視線が、コンラート、フォンビーレフェルト卿、フォンクライスト卿、グリエ、クラリス、クロゥ、バスケス、そして兵士達や技師、職人達へとぐるりと巡らされる。

「頑張ろうね!」

 はい! と全員がさらに気持を一つにして、力強く声を上げた。


「……灯が……!」
 誰かが声を上げた。
 前方に見えていた血盟城の灯がすうっと消え、すぐに後に続くようにその周囲の灯が次々と消えていった。
 一つ灯が消え、闇が広がる毎に、丘に佇む人々の緊張感が増していく。
 そして……彼らの見ているその前で、王都から全ての灯が消えた。

 沈黙が広がる中で、松明のぱちぱちと爆ぜる音だけが響く。

「………花火の打ち上げ準備を……」
 職人の誰かが、そう声を上げた時だった。

 物見台からさほど離れていない場所で、一気に、強烈な殺気が膨れ上がった。

 もはや隠すことをしない、幾つもの殺戮の意志に溢れた気配が、一斉に向かってくるのが分かる。

「来たぞ!!」

 声と同時に、兵士達が松明を投げた。
 突如として、一帯が昼間のような明るさを取り戻す。
 物見台を囲むように準備されていた幾つもの篝に松明の炎が移され、一斉に燃え上がったのだ。
 闇に乗じるつもりだったらしい一団の足が、瞬間止まる。

 うおお…っ。
 山が鳴るようなどよめきが、さらにその周囲から起こった。潜んでいた兵達が戦闘態勢に入ったのだろう。一団が顔を見合わせ、周囲を見渡す。
 物見台では、全員がすでに抜刀し、すぐに襲いかかってくるだろう敵に備えていた。
「……おのれ……っ!」
 歯噛みする敵の呻きが聞こえる。
 闇の中で、さらに闇の色を纏った一団が、意を決した様子で物見台に向かって来る。
 燃える炎を照り返し、剣が不吉なまでに輝く。

「お前達は打ち上げ台を護れ! 陛下も前に出てはなりません!」

 ユーリと花火の打ち上げ台、大量の火薬玉、技師や職人達を警護の兵士達が囲み、さらにその周囲をコンラート、フォンビーレフェルト卿、フォンクライスト卿、グリエ、クラリス、そしてクロゥとバスケスが囲む。

「行くぞ!」

 戦闘が始まった。

「さすがに遣い手を揃えてあるぜ!」
 舞う様に剣を奮いながら、グリエが不敵な声で叫ぶ。
「簡単に斬らせてくれねーってか!?」
「大シマロンほど人材不足じゃないだろうからなっ!」
 すぐ側で敵と対峙していたクロゥが答えた。そんな言葉を交わしあうのは、ほとんど景気づけだ。まだまだ余裕はたっぷりあるぞと、相手にも自分自身にも言い聞かせるために。

 敵が事前に丘を偵察する場合に備えて、ムラタが描いた包囲網は物見台からかなり離れて配備されている。そのため、援軍が敵に追い付くまで、わずかだが時間が掛かる。その時間を、コンラート達が埋めなくてはならない。
 ユーリを護るために。
 そして同時に工作員達にとっても、その時間が襲撃を成功させる唯一絶対の好機だった。
 今や計画が頓挫したことを知った小シマロンの工作員達は、すでに己の命をないものと腹を括り、死に物狂いで物見台─ユーリと火薬の元に向かおうと突進してくる。
 死を覚悟した戦士が奮う刃は格段に鋭さを増し、クロゥ達に容赦なく襲いかかってくる。

 闇と、篝火が描き出す朱金の輝きが混ざりあう、世界。闇と光の境界が、揺れて、揺らめいて、どこか現実感も薄まっていくようだ。
 その舞台で、コンラート達は5倍の人数の敵に対し、必死の剣を奮っていた。
 7名で作る壁が突破されれば、ユーリの命が危ない。
 炎で照らし出されたその場所に、剣と剣が火花を散らしてぶつかりあう音、鈍く何かを切り裂く音、雄叫び、呻き、悲鳴が響く。

「……魔族め……魔族め……悪魔め……」
 布で顔を隠しているため表情は分からないが、呪文のように低く溢れてくるその声はかなり若いとクロゥは思った。
「残念だが、俺は魔族じゃない。人間だ」
 何だとぉ……。青眼に剣を向けあい、対峙する敵の、唯一見える目が驚きに瞠かれる。
「貴様、人間なのにどうして魔族の味方をする!?」
「魔族だから、人間だからという問題じゃない。お前達こそ、自分が何をしようとしているのか、分かっているのか!?」
 当たり前だ! 一声叫んで飛び掛かってくる男の剣を受け止める。
 ガキィッ! と金属がぶつかり擦れあう音が響き、火花が散った。交差したままの剣に、互いが渾身の力を込める。
「悪魔の王を滅ぼすためだ! 貴様っ、人間ならばなぜ協力して魔物を滅ぼそうとしないのだっ!? 正義のために戦おうとはしないのだ!!」
「お前達がやろうとしていることは、正義でも何でもない! 罪のない人々に対する、ただの殺戮だ!」
「魔物は存在するだけで罪だ! 人と同じ姿をして、人をたぶらかし、人間を滅ぼそうとしている! その証拠に! 魔族の国だけが繁栄し、人間の国はどんどん荒れていくではないか!? これこそ、魔族が悪鬼魔物であることの証だ! どうしてそれが分からない!」
 ほとんど同時に互いの刃を弾きあい、それぞれが後ろに飛び退る。
「それは魔族のせいじゃない! この国の平和と繁栄は、彼ら自身が自分達の力で掴んだものだ! 何も分かっていないのは、お前達の方だ!!」
「黙れっ、裏切り者! 神の怒りを知れ!!」
 剣を振り上げ、飛ぶように向かってくる相手に対し、クロゥは咄嗟に身体を沈め、横薙ぎにその胴を払った。慣れてしまった確かな感触が、剣を通して身体に伝わってくる。
 ……なぜ。呻くようにそう言葉を発すると、その男は地面に沈んだ。
「お前達は……」
 クロゥは次の敵に向かって剣を振り上げた。
「この国でしばらくなりと過ごしたはずだ。その間、お前達は一体………」
 闇から絞り出されるように、二人の敵が同時に襲いかかってくる。
 一人の剣を弾き、だがもう一人に向かおうとしたその動きの半呼吸分早く、敵の剣がクロゥの腹に向かって繰り出される。しまった、と思った瞬間、その敵の動きが跳ねるように止まり、体勢が崩れた。
 敵の背後から、バスケスの姿が現れる。
「よお、相棒、油断してんじゃねえぞ!」
 一つ貸しだぜ。笑うバスケスに、クロゥは再度向かってくる敵の肩に剣を刺し、戦闘不能にしてから軽く睨み付けた。
「これまでの貸し借りを数えてから言え。どう考えても俺の貸しの方が多いぞ」
「俺ぁ、こ難しい計算はしねえよ。……よおっ、クラリス! 怪我ぁないか!?」
 バスケスは長年の相棒を放り捨て、視界に入った女性士官に向かって突進していった。
 やれやれ、とため息をついて、クロゥは周囲を見回した。
 すでに援軍は合流を果たし、多勢に無勢、いかに腕の立つ者達であろうと圧倒的な数の兵に適うはずもなく、次々に倒され、捕らえられていく。
 どうやら自分達は役目を果たすことができたらしい。

 クロゥがホッと安堵の息をついた、その時だった。

 うおっ、という時ならぬどよめきが、一画で湧き起こった。
 何事、とクロゥ、それからすぐ近くにいたバスケスとクラリスが共にその場に向かう。

 物見台のすぐ側。篝火に照らし出された一画。何かを、兵達が半円を描くように取り囲んでいる。

「どうした!?」
 兵を掻き分け、クロゥ達が飛び出したその先で。

「……っ、あれは……!?」

 篝火が一つ、倒されて花々を焼いていた。その炎を盾にするように、シマロンの工作員が3人、傷ついた身体を寄せあう様に膝をついている。そして。
 一人の男が切り裂いた袋から引きずり出したものに、剣をあてがっていた。

 ……ひ……うぇ……ん……。

 引きつるような、恐怖に満ちた、幼い声。

「………あれは……あの子は……」
 男が、その細い喉元に剣を突き立てているのは、波打つ金髪の、質素なドレスに身を包んだ、幼い少女。それは紛れもなく。
「…あの時の…娘、だ……!」
 祭りを見て歩く王に、数本の小さな花をリボンで纏めた、ささやかな、だが精一杯の思いを込めた花束を捧げた少女。王からその華奢な指先に口づけを与えられ、頬を真っ赤に染めていた……。

 男に抱えられた少女は、恐怖にもはや声もなく、瞠いた瞳からぽろぽろと涙を零し、硬直した身体で、ひゃうっひゃうっ、としゃくり上げている。

「…なんてこった!」グリエが悔し気に毒づく。「ちゃんと人質まで準備してやがったのか…!」
「監視していたのではなかったのか!? どうしてこんな真似を許したっ!」
 フォンビーレフェルト卿が怒りの声を上げる。

「動くなっ!!」

 少女に剣を向ける男から、鋭い声が発せられた。

「貴様ら、一歩でも動けば、この娘の喉を掻き斬るぞっ!」

「……何と卑怯な……!」
 フォンクライスト卿が、歯ぎしりするように言葉を吐き出す。
 幼い子供を人質に取られた怒りに震えながら、だが彼らは動くことができない。

「お前達は……!」

 ほとんど無意識に、クロゥは兵達の輪から一歩前に進み出た。

「動くなと言った!!」
「お前達は!!」

 男と、クロゥの叫びが重なる。

「この国で、一体何を見てきたのだ!? この国の人々と、わずかでも触れあったのだろう!? この国の有りようを、その目で見たのだろう!? この国にやってきて、魔族の真の姿に触れて、お前達は何も感じなかったのかっ!?」

 クロゥの叫びに、男の目が訝し気に瞬く。
「お前……まさか、人間、か……?」
 ああ、そうさ。クロゥの傍に立ったバスケスが答える。
「俺達二人は、てめぇらと同じ人間だよ」
「ならばっ!」
 悲鳴のような声が、男達の中から上がった。
「なぜそこにいる!? なぜ我々と共に戦わないのだっ! 魔物に誑かされたかっ!?」
「誑かされてんのはてめぇらの方だ! 迷信だの言い伝えだの、それから正義だの神だのエラそうに吹聴しやがるろくでなし共になっ!」

 子供の喉をかっ切ろうとしやがるようなヤツの、どこに正義があるっ!!

 バスケスの大音声が空気を震わす。

「……人間も、魔族もない」クロゥはまた一歩進み出て言った。「単なる種族の違いに、正義も悪もない。お前達はただの破壊者だ。今止められなければ、次は殺戮者となるだろう。自分の姿をよく見てみろ。罪のない子供を人質に取る、それが正しき者のやることか? 同じ人間として、俺は心底恥ずかしいと思う。……その子供を離せ。お前達の企みは全て潰えた。この上は、潔く下れ」

「黙れっ! 黙れ、この卑しい背徳者め!」
 男がさらに少女の身体を締め上げる。
「何が罪もない子供だ。分かっているのか? 魔族は神の恩寵から外れた闇の生き物だぞ。この娘とて、幼い娘に見えるが、その実我らよりはるかに長い年月を生きているのだ。それをこのように幼気な振りをして……腹で嘲笑っているのが分からんのか! おぞましい化け物が!」
「そうじゃない! それはお前達の……!」
「うるさいっ!!」
 男が、少女を抱えたまま、ゆっくりと立ち上がった。その後ろで、もう二人も剣を支えに立ち上がる。

「さあ、そこをどけ! 道を開けろ! この上は……」

「その子供を離すがよい。愚か者ども」

 初めて聞く声がした。  


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すみません。データが大きくなり過ぎて後書きが書けません(泣)。

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