風に向かって進路をとれ・14



 ごう、と空気が鳴った。
 ひゅんっ、と、鞭打つように鋭い突風が、クロゥの肌を叩いた。

 どうした訳か。
 道を開けるというよりは、脱兎のごとく避難する、という様相で、兵達がその場から散った。

 そしてその開けた空間を、ゆっくりと歩み寄ってくる人物がいる。

 一歩。近づく毎に、ふわりと何かが立ち上る。

 炎かと思った。黄金色の。炎に包まれているのかと思った。

 でも、違う。

 ふわり。ふわりと。黄金色に燃え立つ光に包まれて、その人は姿を現した。

 その視線が、花を焼きながら燃え上がる炎に向く。
 すい、と軽く掌を翻した。
 炎が消えた。まるで最初から何もなかったのように、唐突に。

 どうしてだろう。クロゥは呆然と思った。
 あんな大きな炎が消えたのに、どうして暗くならないんだろう。

 光が。
 その人を包む光が、さらに光度を増し、さらに大きく燃え上がり、一帯を太陽のように照らし出しているのだと気づいたのはその後だ。

「………ありゃ……だれ、だ……?」

 相棒の声。言葉もなく、クロゥは首を左右に振った。

 美しい。と、思う。
 その一言以外、美を讃えるどんな表現も、陳腐で滑稽なものにたたき落とされてしまう。そんな気がする。いっそ、容赦のない圧倒的な「美」。
 少年と呼ぶには艶かしく、少女と呼ぶには厳しさと凛々しさが勝ち、愛らしいと表現するにはその瞳はあまりにも冴え冴えと輝いて、引き締まった唇にはどこか冷徹非情な意志すら感じさせる。
 その姿は紛れもない子供なのに、全身から滲み出る威風には、幼さも甘さも弱さも、微塵もない。
 ただ立っているだけで分かる。
 これは、「支配するもの」だと。
 何者も、この存在に抗うことはできない。
 その思いに嫌悪や抵抗を感じることはなかった。
 まるで心臓を鷲掴みにして一気に引っこ抜くように、その姿を垣間見た者の魂を一瞬で虜にする強烈な魅力を、その人は全身から溢れさせたいる。
 クロゥもバスケスも、恐怖すら呼び起こすようなその魅力に、瞬時に引きずられていく自分を、はっきりと自覚していた。

 クロゥは己の息がひどく乱れているのを感じていた。
 シマロンの工作員達も、口も目もぽかんと開いたまま、魂を抜かれたかのように正面に立つ人を見つめている。

「『魔王陛下』だ」

 え? とクロゥ、そしてバスケスは、いつの間にか隣に立っていたコンラートの顔を見た。

 愕然として、クロゥは視線をその人に戻した。
 確かに、その身に纏うのは、つい先ほどまで一緒にいたユーリ陛下の衣装。……しかし。

「……へいか……ユーリ、陛下なのか……? だ、だが、顔立ちが……」
「………『魔王陛下』、だ」
 ほんのわずかの間をおいて、コンラートが繰り返す。「ユーリ」とは言わない。同じ「魔王」と呼びながら、その根本に含む意味が全く違うことを、クロゥは理解した。ほとんど感覚的なものだったが。

「…久し振りの『魔王降臨』だぜ」グリエの声。「よっぽどぶっ千切れないと、あの状態にはならないもんな……。おい、気をつけねーと。ああなった魔王陛下からは、容赦ってモンがなくなっちまうからな。下手すりゃ俺達も吹っ飛ばされるぞ」
 ああ、とコンラートが頷いて、兵達に「下がれ!」と命じた。
「おっ、おいっ、コンラート」バスケスが慌てて声を上げる。「陛下をお護りしなくていいのかよ!?」
 その瞬間、コンラート、グリエ、そしてクラリスが、何か憐れむような表情でバスケスとクロゥに顔を向けた。「あれを見てみろ」とコンラートに促され、視線を巡らすと、すでにその場を下がり遠巻きに見守る人の中に、フォンクライスト卿とフォンビーレフェルト卿が立っている。
「あの二人ですら、とっくに避難済みだ」
 俺達が護るだの護らないだのという段階ではもうない。コンラートの言葉が続く。

「もう、何者であろうと、あの方の力を遮ることはできない」

 そう言って、コンラートは黄金の光に包まれた「魔王」を見つめた。
 ゴクリと、クロゥの隣でバスケスが大きく喉を鳴らした。

 魔王の全身を包んでいた黄金の光が、轟、と燃え上がった。

 場を支配する圧倒的な、身体の芯を殴られるような感覚すら覚える「力」に、クロゥとバスケスは膝を震わせながら、地面に身を投げ出したい欲求と戦っていた。

 伝説の様なおぞましさや禍々しさは皆無だが、その強烈にして絶対の支配力は、まさしく「魔王」ならではの迫力に満ちている。

 これが……あのユーリの、もう一つの顔、なのか……?

 魔王は、ゆっくりと手を上げ、その指をまっすぐに少女を捕らえる工作員に向けた。
 少女はすでに意識を失い、男の腕の中でぐったりとしている。
 指さされた男達の身体がびくりと跳ねた。

「そこなシマロンの忍び共!」

 少年でも少女でもない、だが、冷徹な威厳に満ちた声がその薄い唇から発せられる。
 が。

 ………しのび……?

 ちょこっと首を傾げる人間数名。

「いかに無知蒙昧の輩とはいえ、根も葉もない迷信を真理真実と思い込むのみならず! この国に侵入してより幾数日、己の無知を恥じる機会は多々あったにも関わらず、教えの虚実を疑うどころか、罪なき魔族に手前勝手な罪を着せ、その命を脅かさんとするとは愚かというも愚かなりっ! さらにっ! 同胞の心からの忠言にも耳を貸さず、ただ己が保身のため故に、幼き娘の命を質に取る。それを恥とも思わぬ浅ましさ! いいやっ、言い逃れは許さぬ!」

 誰も何も言ってない。
 工作員達は呆然と顎を落としたまま、目の前の魔王を魂が抜かれたように見つめるだけだ。
 が、そんなことはどうでもいいらしく、魔王はふんっと鼻で笑うと、自分の肩の辺りをぽんと叩いてエラそうにふんぞり返った。

「てめぇらの悪事は、全てこの桜吹雪がお見通しだっ! 大江戸八百八町の民を護るため、今こそ余は悪を討つ! ええいっ、無駄な抵抗はするでないっ。下がれ下がれ! この紋所が目に入らぬかっ!!」

 ……………あー……色々混じっちゃってるなー……。
 っていうか、最後のセリフは王が言っちゃダメだと思うんだけど。いやその前に、江戸じゃないんだけど。

 顳かみをぽりぽり掻きながら、コンラートが呟く。

「………コンラート……?」
 クロゥの問いかけに、何だ? とコンラートが振り向く。
「あー……その、とんでもなく迫力もあって、見事な威厳で、本当に……すごいんだが………何だかよく分からない部分が色々…あるような……」

 モンドコロ…って、何だ?

「………その辺は、突っ込んじゃいけないことになってる」
「…そ、そうなのか……? すまん……」

 という外野の会話は気にもせず、魔王はさらに黄金のオーラを燃え上がらせ、ぴしぃっとシマロンの工作員達を鋭く指さした。

「これほど諄々と、懇切丁寧に理を説いても観念せず、今だ幼子を捕えたままとは、おのれ何たる非道! 何たる悪逆!」

 懇々と……説いた、だろうか……?

「てめぇら人間じゃねえっ!  美しい花畑を血で汚すは本意ではないが、致し方ないっ」

 おぬしらを、斬る!

「…おっ、おいっ! あの御人が人間を斬り殺すのかよ!?」
 バスケスが慌ててコンラートに噛みついた。
「いんやあ」グリエがなぜか呑気な声で答える。「斬るっつって、斬ったためしはねーんだけど……」
「……じゃあ、どうして斬るって……」
 そこでコンラートの表情を確認したクロゥが、再び「すまん」と詫びた。
「それも突っ込んじゃいけなかったんだな……」
 コンラートとグリエ、それからクラリスが同時に頷いた。

 魔王の腕が翻る。
 黄金の炎に似た気が、ぎゅんっとうなりを上げて渦を巻いた。

「成敗っ!!」

 その時、大地が激しく鳴動を始めた。
 そして、そのうねりが四方八方から一気にシマロンの男達に向かって突き進み。
 次の瞬間、大地が激しい音と共に割れた。

「………蔓……っ!?」

 大地を割って姿を現したのは、巨大な植物、蔓だった。
 鞭の様に大地を打ち、意志を持つかのように、唸りを上げて伸び上がったかと思うと、まっすぐに男達に襲いかかった。
「う、うわぁぁぁああ……っ!!」
 絶叫が響き渡る。
 蔓は容赦なく獲物である男達の全身に纏いつき、締め上げ、一気に高みへ持ち上げた。

「……っ、きゃ……きゃあああっ!」

 少女の悲鳴が耳を打つ。意識を取り戻したらしい少女は、男達の手を離れ、蔓に巻かれてやはり高く持ち上げられていた。
「………っ!」
 それを認めると同時に、バスケスが全力で駆け出す。
 少女の真下に駆け寄り、蔓を斬ろうとバスケスの手が剣の柄に掛かる。だがそれを待たず、少女を捕えた蔓は彼の到着を待っていたかのように動くと、ふわりの彼の前に少女を下ろした。
 慌てて両手を広げ、少女を受け取るバスケス。

「………大丈夫だ。もう大丈夫だぞ。……よくがんばったな」
 ひ、え、ええん。身体を硬直させていた少女が、やがてバスケスの腕にしがみつき、身体を震わせながら嗚咽を洩らし始めた。

「悪人どもを捕らえよ!」

 魔王の下知が下る。
 地面に落とされるように下りてきた男達に、兵が殺到する。と同時に、うねうねと蠢いていた蔓が、まるで幻のように消え去った。
 抵抗する気力もなくし、ぐったりとへたり込む工作員達は間もなく捕縛され、負傷者もろとも連行されていった。

 彼らが全てその場から去った途端。魔王を包む光が変化した。

「……陛下……?」

 コンラートが気づかわしげな声を洩らし、数歩主に近づく。

 魔王を包む光は、今は柔らかく澄んで、ほんのりと周囲を照らしている。

 魔王が、そっとその場に跪いた。

「許せ……」
 そう囁くように言うと、魔王の手が大地にそっと伸ばされる。

 今、戦闘を終えた御花の丘は、花は踏みにじられ、焼かれ、無惨にその花弁を散らし、地面はずたずたに荒らされている。

「許せ。そなた達には辛い思いをさせたな。今すぐ……」

 その瞬間、ふわりと光が広がった。
 先ほどまでの圧倒的な力を感じさせる眩い輝きではなく、どこか燐光の様に儚く、しかしほのぼのと心を温めるような、柔らかな光が、魔王を中心にして波紋の様に大地に広がっていく。
 すぐに淡い黄金色の光が大地を覆い、その瞬くような輝きはその場に残った人々を足元から照らした。
 そして、その光がすうっと消えた後。

 御花の丘は、一切何事もなかったかのように、なだらかな丘陵と、そこを埋める花々とを取り戻していた。
 切り裂かれ露出した土も、荒々しく形を変えた丘も、全てがあるべき姿に形を戻し、その表面は全て、可憐に背を伸ばし、そよ風に揺れる花々に埋め尽くされている。

 おお、と感歎の吐息が期せずして人々から一斉に漏れた。

 一切が浄化され、全てが再生された。
 流された血も悲鳴も恐怖も。戦いの残滓の全てが、光の中に溶けて消えた。

「……こんな……とんでもねえ……」
 少女を抱いたまま、足元を埋める花々を見つめ、バスケスが呆然と呟く。

 この。
 クロゥはゾクゾクと身の内を走る震えと共に思った。
 魔王の、この力があれば。……シマロンのあの荒れ果てた大地も……!

「さあっ!」

 魔王がその凛々しくも美しい顔を上げ、そして王者の威厳に満ちあふれた声を上げた。

「王都の民が待ちかねているぞ! 今こそ、花火を打ち上げよ!!」


 夢から覚めたように、技師や職人達が一斉に打ち上げ台に駆け寄った。
 それを遠巻きに、魔王やコンラート達が囲んで見守っている。

「では……」最も年嵩らしい職人が立ち上がる。「これより、第一番の花火玉を打ち上げます!」
 宣言した。
 「世界で初めて」という「花火」。打ち上げる、これが最初の最初。
 その場に緊張が漲り、クロゥもその実体を全く知らないながら、思わず胸を高鳴らせた。
「点火!」
 声と同時に、松明の炎が大筒に近づく。そして。
 ドウッ、という音とも振動ともつかないものが響くと、何かが天高く発射された。
 無意識に、全員の視線がそれを追って空に向く。と。

 どーん、と火薬の破裂する音が天高く響き、そして。

 天空、漆黒の天蓋に、花が咲いた。

 光が瞬いたと思った瞬間、見える限りの世界を覆う夜空いっぱいに、一斉に花弁が開いた。
 星屑を掻き集め、それを思いきり夜空に放り投げたかのように、光の花は惨然と世界を照らした。

 うおお……っ、と丘に集う人々から感に堪えない声が溢れ出る。

 夜空一杯に広がった花は、次の瞬間パンッと弾け、突如無数の小さな花に姿を変えた。
 たくさんの花はくるくる、くるくると回転し、それぞれが光を弾けさせながら金、赤、青、と次々と色を変え、地上に降ってくる。
 それは間もなく軽やかに弾け、無数の光の粒となり、丘と王都に降り注ぎ、やがて儚く消えた。

 沈黙が丘を支配する。

 誰もが、自分の見たものが信じられないかの様に無言で、今は漆黒に戻った空を見つめていた。

 や……。
 小さな声がする。
「……やった……やったーっ!!」

 若い職人が腕を突き上げ、満面の笑みで叫んでいる。

「やった! やったぞ!」
「成功だっ!」

 職人や技師達が手を取り合い、抱き合い、跳ね回って喜んでいる。

「……火薬がこれほど美しい芸術を作り上げるとは……!」
 フォンビーレフェルト卿が呆然と呟く。
「彼らの歓びがよく分かります」フォンクライスト卿も、どこかうっとりと言う。「これまでずっと、火薬は破壊するものでしかなかったのですから……。兵器を作ることに携ってきた自分達が、これほど美しいものを作れることが分かって……彼らの歓びは如何ばかりかと思うと……!」
 そっと目蓋を拭うフォンクライスト卿。

「よしっ、続けていくぞ! 次は連射だ! 舞い上がって、扱いをぞんざいにするんじゃないぞ!!」
 おうっ、と気合いのこもった声が一斉に上がる。

 どん、どん、どん、と大筒から次々と花火玉が打ち上げられる。

 夜空いっぱいに、幾つもの幾つもの、花が咲いた。
 光の粒でできた花だ。
 金、銀、赤、青、緑……次々と色を変え、輝きを変え、形を変え、夜空を跳ね回るように弾けては光の粒を地上に降らせた。

 おおおお、というどよめきが、澄んだ空気を伝わって丘まで届いた。
 王都中の人々の、感歎と感動の声だ。

「すごいっ、すっごーいっ!!」
 かん高い叫びが響く。
 いつの間にかバスケスに肩車されて、あの少女が空を見上げ無我夢中で声を上げていた。
 溢れる光の群舞に、人質にされた恐怖はすでに少女から去っているようだ。
「すげぇっ、すげえ!!」
 少女と一緒になって、バスケスも叫んでいる。

 丘の人々の真上で、一つ花が開いた。
 銀色の花びらが轟音と共に一気に広がり、すぐにぱらぱらと金属的な音を立て、光の粒となって彼らの上に降ってくる。

「お星さま! お星さまが降ってくるよっ!」
「おおおっ、すげえっ、すげえっ!」
 同じ言葉を馬鹿の様に繰り返して、バスケスは少女を肩車したまま丘を走り始めた。
 その間も、花火は次々と天空高く花開いていく。

 すげえっ、すげえよっ!

 バスケスが丘を駆けて行く。
 まるで、どこまでも虹を追い掛ける子供のように。

「コンラッド、やったね!」

 クロゥがハッとして声のした方を見ると、魔王、いや、ユーリが、コンラートにどこかぐったりともたれ掛かるように立っていた。
 それは、すでに見知った幼い、まだまだ未成熟な少年王で、あの威厳と冷徹な支配者の顔を持った「魔王」ではない。
 コンラートは背後からユーリを包み込むように支えている。
「俺が地球で見た花火より、むしろこちらの方がずっとすごいですよ!」
 うん! とユーリも嬉しそうに頷く。
「全然見劣りしないよ! ほんとに……すごい! 皆、すごいよ!」

 コンラートから離れて、何故かほんの少しよろめきながら、ユーリは一人でその場に立った。
 そして、嬉しそうな笑みを浮かべると、両手を静かに、天に向けて掲げた。
 その瞬間。
 これまでで最も大きな光が弾けた。
 弾けて、花開く。
 黄金の花だ。
 ユーリの掌の上で、輝く。ユーリが、輝く。
 その命のように。魂のように。

 いつしか。自分の視界が、滲むように揺らいでいることにクロゥは気づいた。
 頬が濡れている。
 自分がいつからかずっと泣き続けていることにようやく気づいて、だがそれを拭うこともせず、ただ彼は見つめていた。

 ユーリ。

 夜の闇に、光の花を咲かせる王。

 あなたに。
 あなたにこそ。


 やがて全ての打ち上げが終わったのか、人々が満面の笑みを浮かべ、涙を流し、互いの肩を叩き、抱き合い、労を労い、成功を祝いあっていた。
 その人々の中には、当たり前のようにユーリが混ざり、コンラートが、グリエが、フォンビーレフェルト卿が、フォンクライスト卿が、クラリスがいた。
 王も貴族も兵も職人も技師も、皆が入り乱れ、笑みを交わし、手を握りあっている。

 ほんのわずか、人々から離れたところに立って。

 クロゥはそこで初めて流れる涙を拭った。

 それから。
 今は闇に戻った空を、見上げた。



 血盟城。謁見の間。
 さすがに豪華絢爛な大広間には、中央を走る絨緞を挟んで、貴族や役人達が並んでいる。  そして、数段高い玉座には、漆黒の衣装を纏った魔王ユーリがゆったりと座っていた。そのすぐ脇で、わずかに控えるように置かれた椅子には大賢者のムラタが座り、一段下がった場所には、魔王と賢者の視界を遮らないように両脇に離れて宰相と王佐が立っている。段の一番下、居並ぶ家臣達の中では最も上席にフォンビーレフェルト卿が立ち、その正面反対側にはコンラートが立っている。もっとも、コンラートがそこにいるのは、身分云々ではなく、単に魔王の護衛だからだそうだ。
 実質的に当代魔王の側近中の側近という地位にあろうとも、身分的には、コンラートが最も下座に位置することには変化がないらしい。だがそれを嫌った魔王が、「コンラッドはおれの側にいないとダメ!」という一言でその位置が決まったそうだ。
 魔王本人が混血であることから、あからさまな差別や誹謗中傷はなくなったものの、差別意識や選民意識、そして妬み嫉みをなくせないのは、魔族だろうが人間だろうが変わりはない。
 まだまだがんばらなくっちゃ! とユーリは笑った。
 謁見の間の様子に目を走らせながら、クロゥはユーリの笑顔を思い出し、そっと微笑んだ。

 魔王陛下の謁見というものは、前王時代、夜会の前座のようなものだったらしい。
 そもそも前王は王の位にありながら、政治に微塵も興味を示さず、摂政につけた兄に全てを任せ切っていたのだという。この兄摂政というのが、また絵に描いたような無能な男だったのだそうだ。それが故に、戦争の泥沼と悲惨は延々とこの国を犯し、疲弊させていった。
 そんな王の治める時代の謁見だ。ほとんどが、貢ぎ物の披露や阿諛追従を重ねることで王や摂政に取り入ろうとする者、それを見物した後、夜会で面白おかしく騒ごうという輩が集まる程度のモノだったらしい。
 だが、今は違う。
 この少年王は貢ぎ物を求めない。捧げられても困ると眉を顰める。最後には、そんな金があるなら民のために使えと諭される。
 いきおい、謁見は本来の意義を取り戻し、政治や行政に関わる意見の言上や陳情をする場となった。
 そのためか、今現在謁見の間に集まる人々に、華やかさはほとんどない。以前はこの場に加わることができなかった行政官達官僚が多くいるためかもしれない。明らかに貴族だと分かる男女もいるが、皆一様に表情は真剣で、うわついた雰囲気は全くない。
 華やかにしたくてもできない自分達の現状と比べても、羨ましいとクロゥはしみじみ思った。

 そのクロゥ達自身は、大広間の下座、扉の脇に立っていた。
 この後、二人は魔王の正式な謁見を受けることになっている。
 それを申し出たのはクロゥだ。
 大シマロンを倒した、もしくは倒しつつある新生共和軍の使者として、正式に魔王陛下へのご挨拶と、これからの両国の関係についてお話させて欲しいと願ったのだ。
 話ならいつでもできるのに、とユーリは怪訝な顔をしてみせたが、そこで賢者が口を挟んだ。
「正式な謁見での話題は、文字通り正式というか、公式なものだからね。記録もされるし、お互い発した言葉には責任が伴う。つまり、単なるお喋りじゃなくて、魔王と使者の形をとった、眞魔国と新生共和軍との会談ということになる。……つまり君は、魔王陛下のオトモダチじゃなく、新生共和軍の正使として魔王陛下に謁見を賜りたい、という訳だね」
 はい、とクロゥは頷いた。
「……両国の、未来のために……」

 嘘じゃない。


 今、クロゥ達より先に、魔王陛下の前に跪く者達がいた。
 あの花火を作り上げ、打ち上げに成功した職人や技師達だ。

「本当に見事だったよ! 実験して確認することもできなかったのに、あれだけのものを作ってくれた。おれは、あなた達の事を心から誇りに思います!」

 ありがたき幸せ!
 代表者が答え、全員が一斉に低く頭を垂れた。
 彼らが皆、押え切れぬ興奮と歓喜の中にあることが、後方から見ていてもはっきりと分かる。
 きっと、顔を真っ赤にさせて涙を堪えているだろう。
 クロゥは微笑ましい気持で、居並ぶ人々の背中を見つめた。

「私も正直度胆を抜かれた。話には聞いていたが、あれほどの迫力と美しさに満ちたものだとは想像もしていなかった」
 宰相閣下の言葉に、ますます職人達の頭が下がる。

 おそらく、城を護りながら事件の解決を待ち続けていたフォンヴォルテール卿やムラタ達は、ずっと心臓が引きちぎられるような痛みと不安を感じていたのではないかと、クロゥは思った。
 王都中の灯が消えて暗闇が訪れた時。何が始まったかを知っているのはほとんどこの二人だけだ。
 己の為すべきことを粛々と果たしながら、彼らは恐怖すら覚えていたに違いない。だからあの時、最初の花火が上がった時。
 あの爆音は、彼らに最大の恐怖を与えただろう。破壊の炎が立ち上る幻影すら見えたかも知れない。
 しかし、次の瞬間、夜空を彩ったのは光り輝く満開の花だった。
 それこそ、全てが滞りなく解決したという知らせ。
 彼らの王も、彼らにとっての大切な人も、そして国も、何も損なわれることはなかったという証。
 城で待つ人々の不安と恐怖と焦り、そして安堵が如何程のものだったか。その思いがしみじみと分かる。そうクロゥは考えながら謁見を見つめ続けた。

「幸運にも花火を見ることのできた人間の国の使者殿達も、驚愕を隠せずにいるようでした。あれが魔力ではなく、火薬の特性を応用した技術だと知った時の顔ときたら…! 我ら魔族の技術力の高さ、芸術性、あらゆる面で秀でた特性を、彼らも心底実感したようです。自分達の国にも、ぜひ花火の製造技術を伝授して頂きたいと、口々に申し出てきましたよ」
 その時の様子を思い出したのか、フォンクライスト卿が得意満面の顔で言った。
「国内でも、十貴族を中心にして、領内での花火打ち上げを依頼する申し出が殺到しているらしいな」
 フォンヴォルテール卿の質問に、は、と代表者が答える。
「各ご領内における記念式典などにぜひ、とのお申し出を頂いております。花火玉の生産はまだまだこれからでございますので、すぐに皆様の御依頼にお応えはできませんが、さらに精進致しまして、より多くの、そしてより美しい花火を作っていきますよう、力を尽くす所存でございます!」
 うむ、とフォンヴォルテール卿が頷く。
「これより渡す褒賞の目録にもあるが、新たな研究および製造施設を建設することになっている。花火の研究は、すなわち火薬の研究でもあるからな。さらなる良き利用法も発見開発できるだろう。必ずや国家の役に立ってくれるものと期待している。だが、扱うのは火薬だ。一旦事故を起こせば、事は人命に関わる。くれぐれも保安については厳重にせよ」
「お任せ下さいませ」代表者がはっきりと答えた。「この場に集います者は皆、長年に渡り火薬を扱ってきたものばかりでございます。その危険性については誰より理解致しております。花火という、火薬を平和的に利用するための、あらたな技術をお与え下さった魔王陛下、そして大賢者猊下のお志にお応えするためにも、用心に用心を重ね、安全に留意しつつ、研究に励むことをここに誓わせて頂きます!」
 その言葉に、宰相達が大きく頷く。

「火薬は」
 ふいに発せられた魔王陛下の言葉に、人々の視線が一斉に集まった。
「兵器としてだけじゃなく、人々の暮しに役立つ使い方が、まだたくさんあると思う。いつか、全ての火薬を兵器じゃなく、花火や生活に役立つ技術に使える時代になるように、兵器なんか必要なくなる世界になるように、おれもがんばるよ。だから、あなた達もその時のために頑張って下さい」

 ははっ、と全員が感極まった声を揃え、それから深く頭を下げた。
 褒賞の目録が代表者に手渡され、彼らの謁見は終了した。
 扉の脇に立つクロゥとバスケスの目の前を整然と並んだ一団が通り過ぎて行く。その誰もが、感動に頬を紅潮させ、誇らし気に胸を張り、瞳を輝かせている。この場を出て緊張が解けたら、きっと大騒ぎになるに違いないと、クロゥは微笑ましさと羨ましさの微妙に入り交じった感想を胸に浮かべた。
 自分の仕事が、敬愛する王の役に立っていることを実感できる彼らは、心底幸福者だと思う。

「クロゥ・エドモンド・クラウド殿。バスケス殿。こちらにどうぞ」
 衛士が二人を促す。
 頷いて、クロゥとバスケスは扉の前、玉座に続く絨緞の上に立った。

「新生共和軍正使、クロゥ・エドモンド・クラウド殿。バスケス殿。恐れながら、魔王陛下への拝謁を願い、この場に参じておられます!」
「お進み頂くように!」
 大広間の端と端で儀式めいた応答がなされた後、衛士に促され、クロゥとバスケス並んでゆっくりと前に進んだ。バスケスは手と足が一緒に動いている。
「………落ち着け、バスケス」
「…お、おう……」バスケスの喉がごくりと鳴る。「いよいよ、だな。クロゥ……」
「ああ」
 クロゥが答えた。
 そう、いよいよ、だ。

 二人は事前に指示されていた場所まで進むと、その場に片膝をつき頭を垂れた。
「あなた方は、まだ建国を宣言していないとはいえ、一国の正使として認められています。跪くには及びません。お立ちなさい」
 フォンクライスト卿にそう促され、二人はゆっくりと立ち上がった。
「貴殿らが属する新生共和軍は」宰相閣下が重々しく言葉を発する。「我が国を不当に侵略しようとしていた大シマロンの圧政に対抗し、ついにはかの強大な国を壊滅させた。結果として貴殿らは我が国の恩人であると言える。その上、貴殿ら二人はウェラー卿が対シマロンの潜入工作任務に就いていた頃、ウェラー卿の副官として、彼をよく支えてくれたと聞いている。それどころか、今回の小シマロン工作員侵入事件においては、我らに味方し、よく戦ってくれた。魔王陛下、そして我ら一同、心より感謝している」
「忝なきお言葉、私共こそ、心より感謝申し上げております。大シマロン王家は解体され、国体はほぼ壊滅致してはおりますが、大小両シマロンの抵抗はいまだ止まず、新たな国の建国を宣言するにはまだしばらくの時間が掛かる状況にあります。にも関わらず、こうして一国の正使としてお迎え頂き、過分なもてなしを頂戴し、我ら両名、魔王陛下のお優しさに感激致しております」
 クロゥの言葉に、王佐閣下が嬉しそうに頷いている。
「クーちゃ…ゲホゲホ……えーと、クロゥ殿、も、バスケス殿も、そんな事は気にしないで下さい。それよりも今回のことについては、本当にありがとう! あなた達に護ってもらえて、とっても心強かったです」
 にこにこと、ユーリ陛下が笑みを投げかけてくる。
 クロゥは「ありがとうございます」と深く頭を下げた。そして。

「陛下、恐れながら、陛下に申し上げたき議がございます」
 声を改めて見上げるクロゥに、「はい、どうぞ!」とユーリが明るい笑みを返す。
 クロゥは、こくりと息を呑んだ。

「……陛下。我ら両名は、以前より皆様方魔族に対し、謂われなき偏見を抱いておりました。その誤解と偏見をただの一度も疑うことなく、それこそどのような魔物化け物が跳梁跋扈する国なのかと、内心ビクビクしながらこの国に足を踏み入れたのです。眞魔国は太陽が上らぬ暗黒の世界だとか、恐れながら魔王陛下は毎夜罪人を皿に盛り、これを食しているなど、人間の国に流布しております魔族に関する言い伝えをこの場で開陳いたさば、おそらく丸一日掛けても終わらぬ程でございます」
 大広間のあちこちから失笑が洩れた。
 その笑いがおさまるのを待って、クロゥは再び口を開いた。
「……今や眞魔国と国交を結ぶ国は20を超えて、魔族の真実の姿を知る人々も数多くおります。しかし陛下、人間世界においては、まだまだ言い伝えを真実と信じ込む者の方が圧倒的に多いのです」
 うん。とユーリが頷く。
「あの小シマロンの工作員もそうだったね。彼らは何日もこの国で暮らしていたはずなのに、自分達の誤解を全く疑っていなかった」
「仰せの通りです」クロゥも頷く。「哀しい事ながら、それが現実です。実際、我ら新生共和軍内におきましても、魔族を魔物ではないと考えるものはごく少数派に過ぎません」
 少数派どころか、ダード老師一人しかいないと言っていい。
「ですが、我々は今回この国を訪れ、陛下始め皆様方と触れあい、自分達が間違っていることを知りました。そして、この度の事件を通し、真にこの世界から争いをなくし、平和を手にするためには、魔族についての誤解、偏見を解き、眞魔国と真実の友好を結ばねばならないと確信致しました。陛下、滅びに向かう我らの国を救うためには、魔族の皆様方の御協力、何より、魔王陛下のお力添えが必要です」
 そこまで一気に言葉にして、それからクロゥは軽く目を閉じ、一つ深呼吸して瞳を開いた。
「陛下、しかし、誤解を解くにも、友好を結ぶにも、今現在かの地を覆う戦乱を終わらせねば、何事もなすことはできません。……私達は先日、素晴しいものを見せて頂きました。この世に生まれて、あれほど壮大で美しいものを目にしたのは初めてです。あれをかのシマロンの地に生きる人々に見せることができればと、私は心から思います。 しかしかの地の民は、ただ己の足元だけを見つめて生きており、空を見上げる余裕のあるものなどほとんど存在致しません。誰も彼も、その日を生き延びることに精一杯で、未来に思いを馳せる余裕など全くないのです。……陛下、我々は、そんな戦の泥沼に喘ぐ民のため、かの地の未来のため、一刻も早く戦乱を終わらせたいと願っております。故に陛下……」

 お願いがございます!

「クロゥ!」

 必死の声をクロゥが上げた瞬間、その声に重なるように厳しい声が飛んだ。
 クロゥはその声の主を見ることもせず、ただ唇を噛んだ。
 今、声の主、コンラートがどんな視線を自分に注いでいるか、見なくても分かる。
「クロゥ、止めろ。それ以上は……」
「陛下の御前だ。控えろ、ウェラー卿」
 コンラートの言葉を遮ったのは、宰相フォンヴォルテール卿だ。
 一瞬、手助けしてくれるのかと思ったが、そうではなかった。
「クロゥ・エドモンド・クラウド殿。貴殿は魔王陛下の臣でもなく、また貴殿らは我が国と正式な友好条約を結んでいる訳でもない。友好を求める言上は我々としても実に喜ばしいが、陛下に願いごとをするのは僭越であろう。だが、我が国に対し願いがあるというならば、貴殿らの行いに対しての謝意を表して、私が後ほど場を改めて承ることと……」

「陛下!」

 宰相閣下の言葉を遮って、クロゥは玉座を見上げた。
 ユーリが不安に揺らめく瞳で、じっと自分を見つめている。
 申し訳ないと思う。こんな存在になりたくなかったと思う。
 それでも躊躇う時間は、自分達に残されてはいないのだ。

「お願いでございます! 何とぞ陛下ご自身より、ウェラー卿コンラート閣下に、再度かの地、シマロンへ赴き、大シマロンの壊滅をなしとげ、これをもって平和の基を築くよう、お命じになって下さい!!」



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クリスマスに最終話アップ! ……ができれば最高だったのですがー……。
ダメでした〜。

上様初登場、それから花火。
盛り上げようとしたのですが、あんまり大したことにはなりませんでした(涙)。
そしてラスト。もう正攻法でぶつかる以外、残された道はありませんでしたね。

もう終りはほぼ見えておりますが………済みませんっ、続きは年越しになりますっ。
なるべく早くアップするよう頑張りますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
ご感想、お待ち申しております。